2015/11/05

memento mori~死を忘れるな

[memento mori メメントモリ]

ラテン語の警句。
直訳すれば「死を想え」または「死を憶(おも)え」、
意訳するなら「死生観」とも。
簡単に言えば
「(自身にいつか必ず訪れる)死を忘れるな」
といった意味である。

現在の一般的な解釈は二つあり、
一つは「人間どうせ死ぬんだから生に執着するな」と、
もう一つは「人間どうせ死ぬんだから今の生を楽しめ」である

          他所サイトより引用

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古くからの家族制度が崩れ、核家族化が加速して、
昨今そして都市部ではそれらが定着して当たり前になってから、
親族の絆や行き来が薄れて、
すべての親戚の顔を知らずとも暮らせ、遠くにあっては、
冠婚葬祭ですら行かなくてもよい選択肢が生まれた。

戦前戦中の産めや増やせやといった国策もなくなり、
高度成長期以降は、子供二人の四人家族が一般的で、
平成になってからは一人っ子も珍しくなくなり、
気が付けば、それが大多数を占めている。

家族の中に、曾祖父母、祖父母がいないのが普通で、
その存在に何かあったときには、共に暮らすことよりも、
病院だの専門的施設だのにダイレクトに預けるのが自然な流れで、
彼ら「老人」と日常で関わることもほぼなく、あっても珍しく、
家の中で家族に見守られての大往生をする人は、
今では皆無に等しいといってもいい。

ほんの少し前まで、「死」はとても身近なものであった。
年に数回は、近所で葬式があり、
どこかの家のお年寄りや長患いの病人が旅立っていくのを、
隣近所や親戚などが見送るという風景はごく自然なことだった。
亡骸である遺体を見ることも珍しいことでなく。

気が付けば霊柩車を見かけることも少ない。
葬式は特別な場所で行われるものになってしまったので、
葬式をしている家を見ることも都会では稀有だ。

いつしか「死」は、非日常的なものになっていった。

テレビで見たり聞いたり、誰かの話として聞き、
遠くの世界で行われている、実体のない漠然としたもので、
自分の近しい家族に「死」が訪れるまでは、
実感も感慨も得られないままに、やり過ごせてしまうようなもので。


いざ、とても身近な人が、
「死」という永遠の眠りにいざなわれてしまったときには、
動揺し、それはもっと先のことであったはずであるかのように、
決して訪れる予定のなかったことが起こったかのように、
現実を受け入れることのできない人がなんと多いことか。

しかし、常に「死」は我々と共にある。
肉体の死は、生まれたときから決まっているのである。
私たちは、死に向かって生きているのだから・・・。

生は、死の始まりなのである。

死を避けることなぞ、できやしない。
どんなに永遠に生きたくても、この肉体はいつか腐敗する。
永遠には機能せず、やがて消耗して停止する日がやってくる。

自らに「死」が訪れる日がいつであろうか?
肉体の寿命が尽きた老衰まで生きられればよいが・・・
それは病によってかも知れないし、
事故や怪我などの突発的なものかも知れない。
もしかしたら、事件に巻き込まれて、
他者に殺められてしまうのかも知れない。

そして「死」は、自分だけではない。
愛する人・・・最愛の人や家族、ペットにも訪れる。
大事な友や憧れの人、影響を与えてくれた人にも。
嫌いな人、憎んでいる人にも。
殺したいほど恨んでいる相手のところにも、
自分が手を下さずともいつか死の帳が下りる日が来る。

それが自然の摂理だ。
それがこの世の法則だ。


会うは別れの始めなり。

私たちは、いつか・・・別れが来るのである。
どんなに親しい人とも、愛する人たちとも。

いつまでも、ともに過ごす時間を、
楽しみや喜び、慈しみを分かち合うことができると思ったら、
大間違いなのである。

別れは・・・明日かも知れない。
それは今、さよならと手を振ったこの瞬間なのかも知れない。
一か月後だったり、一年後なのかも知れない。
来年の春にはまた会えるからと、そう思ってた人とは、
二度と会えないのかも知れない。

顔を見て、手を触れて、
相手の体温を感じられる距離で話をして、
相手を笑わせて、相手の匂いを感じて、
昔話や遠い未来の話ができるのは、今だけかも知れない。

「死」を迎えるのは、自分かも知れないし、相手かも知れない。

いずれにしても、いつか会えなくなる日は確実に来る。
その日は必ず訪れる。
誰しもが予告なく、
突然にこの世を去っていく可能性をいつも抱えている。
「死」は、誰しもに公平に訪れる。
女にも男にも、金持ちにも貧乏人にも、善人にも悪人にも・・・
誰を差別することなく、どんな人にも死は甘い口づけをする。

ただ、その「死」の形が・・・「死」へと誘われる方法が異なるだけで。

「死」はいつだって、「生」と隣り合わせにある。

決して遠い未来の話ではないのだ。


事実、私たちは毎日、「死」を口にしている。

動物たちの命、植物たちの命、魚介類の命、
それらによって生かされている。
私たちの人生は、ほかの生き物の犠牲の上に成り立っている。

ペットの命と、
毎日食卓に並ぶ家畜たちの命と、何がどう違っているのだろう?

動物たちを愛でて、撫でるその手で、
彼らからはぎとった革のバッグを手にし、靴を履き、
毛皮をまとっているというのに。

虫たちを釜茹でにして、その身から染料を作ったり、糸をとったり、
人間のテリトリーを荒らすと、海の生き物や山の生き物を
食べもしないのに、殺しまくっているというのに。

私たちのせいで、食料としての贄になるわけでもないのに、
いたずらに滅びゆく種が、どれほど大量にあることか・・・

人は、「死」を喰らって生きているのだ。


そして、誰かが喜びで心を満たしているとき、
世界のどこかで誰かが泣いている。
どこかで新しい命が生まれるたびに、死に行く命がある。

戦争で、病気で、飢餓で、殺人で。

こうしている間にも、たくさんの命の灯が消えている。



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少し見渡せば、「死」はいつでも身近なところに転がっている。
けれど、いつしか人はそれを忘れてしまう。
時が悲しみも苦しみも忘れさせてくれるというのは本当の話で、
無意識に接していたり、日々の出来事に追われている過程において、
いつしか忘却の彼方へと記憶は追いやられてしまう。




始めて「遺体」を見たのはまだ幼児だったときだろうか。

駅の隣に立っていた家が火事にあったのだが、
火災現場にて回収される遺体を偶然目撃してしまったのだ。
野次馬の中にいたものの、
好奇心に負けてしまい、子供ながらに人混みを分け入って、
焼け跡から見つかった、
真っ黒焦げの焼死体を見てしまうこととなった。
(50年前は今のように遺体をブルーシートなどで隠す、なんて
そんな徹底していた時代ではなかった、
いい意味でも悪い意味でもとてもルーズで)

最初それを見たとき、それが何か分からなかった。
真っ黒な棒切れのような、炭のようなもので。
子供がいることに気がついた誰かに腕を引っ張られて、
すぐに遠くへと追いやられてしまったが。
後でその家の奥さんであることを親の話から知った。

火事の跡地は数年後にビルが建ち、
今となっては当時のことを知る人はもういないだろう。

動物の亡骸は見る機会もあったけれど、
たぶん人間の亡骸を見たのはこれが始めてだ。
けれど、始めてみた遺体は人であって、
もう人と判別できる形状をしていなかった。



幼稚園の頃、近所のおばあさんが亡くなった。
田舎にいる祖父母よりも身近な、おばあさんだった。
よくお菓子をくれたし、可愛がってももらった。
布団に寝かされたおばあさんの遺体は、眠っているようで、
穏やかで気のせいか微笑んでいるようにさえ見えた。
病気ではなく、少し痴呆が入ってからの、
年相応の老衰であったという。



父方の祖父が亡くなったとき、
鹿児島と千葉ではあまりにも遠く、私たちは小さかったので、
通夜にも葬式にも行くことはなかった。
一緒に暮らしてたわけでもなく、頻繁に会ってもいず、
2.3度ほどしか会ったことのない関係では、
悲しいという感慨などなく・・・
その後の親族間の遺産のもめごとだけが印象に残ってしまった。
人の死、は時として、見たくもない、人々の本性を暴きだす。
遺された人間の醜さを露呈し、争わなくてもいい争いを作り出す。

身内という名のハイエナ、お金に対する欲望を隠そうともしない、
ソレラを食い尽くそうとする、愚かな人々をたくさん見た。
とてもとても、不快だった記憶。


小6のとき、集団登校で一緒だった、
近所の男の子が亡くなった。
まだ幼かったが、白血病だった。
病気になったとかで、姿を見なくなってから、
数か月後のことだったように思う。
学校が終わった後、何度か一緒に遊んだことのある子だった。
死は、老いたものだけに訪れるのではない。
まだ無邪気な、あどけない世代の童子にも、
ある日突然、訪れるものなのだ。


同じ中学に通う、一学年下の従妹の親友が亡くなったのは中2の時。
部活の帰り、自転車に乗って信号待ちをしていたところ、
歩道にいたというのに、左折してきたトラックの乱暴な運転によって、
後輪に巻き込まれ、若い命を終えることになった。
残念ながら即死ではなく、彼女の苦しみは数日も続いてしまった。



可愛がっていた愛犬を殺したのは父親。
人間というのは、まこと自分勝手な理由で動物の命を奪う。
人を殺めたら罪に問われるが正義だが、
動物を殺しても人は罪には問われることない。


高校の入学式のあと、一週間くらいしてからだったろうか・・・
小中学校の同級生が「亡くなった」との知らせが届いた。
それは彼女の高校の入学式の翌日だった。
彼氏のバイクの後ろに乗っていて、
事故にあってしまったのだ。

さほど親しかったわけではないが、
小学校では同じクラスだったし、家も近所だった。
もちろん話もしたし、遊んだこともある。

棺から除く彼女の傷だらけの顔が、
安らかであったのがせめてもの救いだった。
今にして思えば、青ざめたその顔は、
エンバーミングを施されて、
人前に出せる状態に修復されていたのだとわかる。



同僚の妹が、列車に轢かれたと聞いたのは
一緒に仕事をしていたときだった。
もちろん即死だったし、当人がどうか確認するには惨い状態で。

自殺ではなく、特急が来るのを見落として
遮断機を閉めなかった鉄道会社のミスだった。
遺体は顔だけは…頭だけは無事たったと、
泣くことができない彼女が笑いながら言った。


私より三つ下の親友が亡くなったとき、
彼女は結婚して子供を産んで・・・一年後だった。
年下だったが、姉のような存在だった。
肝臓がんと告知されたのが11月、
そして翌年の2月初旬には帰らぬ人となった。
闘病生活というにはあまりにも短い。
彼女と私の間には色々あったので、
すべてを知ったときには遅すぎた。
別れ、を言わないままに、彼女の死を受け止めるしかなかった。

いつかまた、別の人生で再び出会うまで・・・


17年一緒に暮らした愛猫がリンパ腫で死んでしまったとき、
自分の半身、一部が奪われてしまったかのように感じた。
始めて味わった喪失感だった。
ペットの死、目の前で消えていく命の火を見るのは、
始めてではなかったが、何ヶ月も泣き暮らして、
後を追いたいほどの虚無感と絶望感を味わった。
ペットロスも侮れないものだ。
たぶん、それだけ依存していたのだろう。





死はいつ、訪れるかわからない。

自分の身にも、身近な人の身にも・・・

ただ、言えているのは、いつ「別れ」の日が来てもいいように、
誠実に生きて、誠実にその人との関係を築いていくしかない。


「今日死ぬ気で生きろ」という言葉があるがまさにその通りで。


死ぬときに、

「ああすればよかった、こうすればよかった」と、

後悔するようなことがないように。


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最近、自分と同年代の芸能人の人とかが亡くなって、
自分の死を改めて意識していたりする。

終活というのかな・・・
年齢のことも考えて、そろそろ準備しておかないと、と。


私は生まれつき左側の腎臓が無かったり、
いわゆる虚弱体質で、膠原病と診断されたとき、
医者から長生きはできないだろうと脅されてもいた。
でもなんだかんだ今の年齢になるまで生きているので、
誤診だったのではないか?とも思ったりする。
当時は原因不明の病気に関しては、そう診断しただけなのだと。

だから、いつも自分の未来が想像できなかった。
描くことが出来ないというのかな・・・
どうせ死ぬのだろうから、長生きできないのだから、
というような、イタイ厭世観に浸っていたようにも思う。

そんな経緯もあって、
「死」については比較的見つめて生きてきた、というか、
常に意識して考えながら生きてきたほうではあると思う。
そのわりには、準備はまったくといっていいほど、
してないのであるが。困ったことに。


正直、葬式はして欲しくないし、
父母と一緒のお墓になんてとんでもないっっっ

だったら、遺書をちゃんと書いておかないといけないなぁ。
遺骨は出来れば海に散骨して欲しい。
もしくは森に撒いてもらいたい。
鳥葬なんて理想だけども、日本では無理なので。

生きている間、たくさんの動物や魚たち、植物から、
人間として、とてもたくさん命を奪ってきたし、
与えてもらってきたのだから、
せめて死んだ後には彼らの滋養になりたいと思うので。

そして自分が死んだ後の処理も考えておかないといけない。
遺品になってしまう荷物のこともそうだし、
ホームページとかブログとか、PC内のデータとか、
個人的な手紙とか、人に見られたら恥ずかしい(笑)ものとか、
あれやこれや。

うちの両親は結婚も親になるのも早かった人たちなので、
まだ生きているけれど、彼らの死も迎えねばなるまい。
随分と長く、私のほうが先だからと呑気に構えていたかな。
でも、私のほうがもう少し長生きするかも知れない。
そのあたりはわからない。

甥や姪はいるけれど、
彼らに後始末のことなど迷惑や面倒をかけてはいけない。
願わくば、何かいくばくの金銭など残せたら良いが。

家族や身内、そして己が死に、
備えていて悪いことはないのだから。

さて・・・私の「人生の終わり」まで、
あと何日、何ヶ月、何年の月日が残っているのだろう。
あと、どのくらい 自分は生きられるのだろう?
この人生で・・・「私」として、いくつもの朝と夜を過ごせるのだろう。

死ぬまでの食事の回数は決まっているという。
そのうちの何回、どれほどの美味しいものを食べれて、
誰かと楽しい食事の時間を過ごすことが出来るだろう。

限られた時間の中で、
何人の人と出会って、深く関わることが出来るのだろう。

最後のときを迎えるまでに・・・

それまでに何ができるだろう?
何を遺せるだろう? この世に。自分の生きた証として・・・

あと何人の人の人生に関わることが出来るのだろう。
私の助けを必要としているお客さんに、
私の知識を求めている生徒さんに、
あと何人出会うことができるのだろう・・・

あと何回の個人セッションが出来て、
何人にアチューンメントをして、ヒーリングを教えて、
私の知っていることを教えられるのだろう。
何を伝えられるだろう・・・?どれだけのことを伝えられるのか?

基礎講座やセミナーをあと何回開けるのだろう?
何人の人にレッスンを行うことができる??

まだまだやらなければいけないことが、
たくさんあるような気がするけれど。
もっともっとたくさんの人に伝えること、教えることをしたいけれど・・・


これまでに生きてきた人生の時間より、
残された人生の時間のほうが圧倒的に少なくなった今、
残りの時間で、どれほどのことが出来るのか・・・

もうカウントダウンは始まっているのだから、
1日一時間一秒たりとも、ムダにはできないだろう。

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さて、あなたはもし、自分の人生が
あと「10年しかない」と言われたら、どうするであろうか?
さもなくば、あと「5年」、「1年」なら・・・?
それとも、あと一か月とか十日、あと一日とかならば?

何ができるだろう? 何をするだろう?

あと、10年しか生きられないのか・・・とがっかりするだろうか?
1年しかないと聞いたとき、絶望してヤケになるだろうか?

でも、明日道を歩いていて車に跳ねられるかも知れないし、
三か月後に通り魔にあって刺されるかも知れないし、
いずれにしてももっと早くに「死」を迎える可能性もある。

残された時間がわかっていたほうがいいのか、
わからずに突然、その日を迎えたほうがいいのか・・・なだけで。

人生に絶対はない。

米寿まで生きられる保証はない。
事故や災難にあわずとも、日ごろの激務や生活習慣、
怠惰でジャンクな食生活が肉体を蝕むかも知れない。

来年あるいは数か月後には、
日本はどこかの国から戦争を仕掛けられるかも知れないし、
核爆弾をまたしても落とされるようなことがあるかも知れない。
富士山が噴火したり、首都圏直下型の地震が来て、
東京を初めとして関東は津波に呑まれるかも知れない。


私たちが「生」を望んでも、そこにしがみついても、
「死」は誰しもに公平にやってくる。
得てしてそれは予測不可能である。

だからこそ、「今日を生きる」必要がある。

明日に思いを残さず、今日できることをすべて行い、

いつ死んでもいいように、悔いのないように、
今この瞬間を大事にして、やるだけのことをやって、
あてのない、保証のない未来を考えて、今を犠牲にすることなく、
今日を精一杯、楽しんで味わう。
目の前の人に伝えることを伝え、
真摯に向き合って、思いを言葉や形にして伝えることをする。

明日死ぬと思えば、
自分自身にイヤなことをさせ、不快な環境に置くことなく、
嫌いな誰かに嫌がらせをしたり、悪口を言うこともどうでもよく、
そうした人たちに腹を立てたり、悩むことも時間の無駄で・・・

どうして「いつわりの人生」を生きる必要があろうか?
限られた時間しか生きられないというのに。

人生は長いようで短い。

あっという間に過ぎていき、瞬間は光の速さだ。

何故、訪れるかどうかわかりもしない、未来のその時のために、
今という目の前にある瞬間を、無駄にするのだろう。
明日という日を迎えられるのか、わからないというのに。
その日まで、自分の命があるのかどうか、絶対はないのに。


愛する人を亡くしたとき、
二度とその人と会ったり、話したりすることができないと分かったとき、
人は後悔を口にする。

「もっと優しくしてあげればよかった」
「もっと会っておけばよかった」
「もっと話せばよかった」
「感謝を伝えておけば」

そして自分自身の今わの際にも人生に対する後悔を思う。
死んでから、その人生が終わってから、
あーでもないこーでもないと・・・

すべては遅すぎるという段階になって、初めて、
人は亡くしたもの、
失って決して二度とは取り戻すことができないものに対して、
惜別の心を抱く。


そんな日が来ることは、最初からわかっていたことなのに。
いつだって、「死」は隣り合わせにあるというのに・・・。

ネイティブアメリカンの言葉に、
「今日は死ぬのにもってこいの日」という死生観がある。

彼らは自ら「死」というハレの日を選ぶ。

もうこの人生、精一杯生きたと・・・この人生からは卒業しよう、
次の次元へと旅立とうと思ったとき、
その良き日を自分のタイミングで選ぶことをするのだ。

その人生での宝物を傍らに置き、
大好きな場所で身を横たえて。
時に、自分の「旅立ち」を予告して、「それじゃ行くね」と
愛する人や信頼する人にメッセージを託して。

終活というよりは、人生という旅のフィナーレ、
潔く、鮮やかな幕引きとしか言いようがない。

この世俗的かつ物欲的な日本社会においては難しいだろうが、
出来ればそうありたいものだと…手本としたいとは思う。

死んだ後に生に執着して彷徨う霊になったり、
後悔ぱかりでくよくよして成仏できない霊にはなりたくないし(笑)

いにしえのネイティブの人たちみたいに、
「旅立ち」の日を選べずとも、
いつその日が来てもいいように、後悔のないように、
自分の成すべきところをして、あますところなく、
今生の人生を楽しみたいと思ったりする。
最後の瞬間が来るその時まで。

Let,s enjoy life!!


うん、人生やっちゃったもんがち。

私たちは様々な経験をして、
この世を楽しみ、喜びを知るために生まれてきたのだから。

誰しもが、自分自身を「幸せ」にする義務を負っていて、
自分の人生の、主役になって生きるべきなのです。

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