2015/11/05

アカシック・リーディングからの学び

こちら、スピがテーマなブログですけれど、
一昨年くらいから、ある話題に限ったことですが、
その手の電波な体験は極力控えて書かないようにしています。
色々とまあ憚れるというか考えるところがあって。

白昼夢だの単なる妄想だの、
言い訳しながら書いても個人のブログですから、
私が頭のおかしい人と思われるだけで、
誰に迷惑かけるってこともないわけですが。


*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*


さて、
私が主催してますスクール・・・グループレッスンのほうですが、
スピリチュアル力を鍛えるというか、人間塾みたいな感じで、
スピリチュアリズム(知識)を学ぶ場であるものの、
サイキック能力を開発することなどには重点を置いていません。

とはいうものの、まったしていないかというとそうではなかったり。

で、今年に入ってから、
アカシック・レコードのリーディングなどにもトライしてもらっています。

でもやはり上記に書いたように、『アクセス』出来るようになること、
上手く読めるようになることに主眼は置いていず、
情報を読む以前の下調べと、読んだ後の情報の受け取り方など、
そこが肝心要の学びの目的で主旨だったりします。

ちなみに、リーディングの対象は、
自分のこととか身近な家族の旧知の仲の人のことではなくて、
①既に亡くなられた著名人(歴史上の人物・見識者・芸能人その他)
②真相不明の未解決事件(冤罪事件と思われるものも含む)


私自身がプロファイリングものが好きだからといって、
趣味だけに走ったわけではないですとイイワケしつつっっっ
(コリン・ウィルソンの「殺人百科」とか「マーダーケースブック」とか
「死体は語る」などの検視官ものとか推理小説だとか、
歴史や人物史、犯罪史が好きなのも影響してるかな~?)


①の生きている人の場合、
プライバシーを勝手に見ることになりますので、
故人なら、まあ範疇かな、という理由。

「人」を知ることって大事ですし、
「人の生き様」から学ぶことは驚くほどたくさんあります。
そんな「人の生き方」を学びの題材にしようと思うなら、
たくさん出ている伝記本とか自叙伝など読めばいい話ですけど、
そこはそれ、客観的真実を見つめてみようというわけで。

あと、アカシックを読むことで、
その人物の人生を追体験するというのも意味のあることだったりします。
といっても、その人物の人生を最初から丸ごと、
すべての出来事を一つひとつ見ていくには時間が足りませんから、
一部の部分だけですけどね。

文章に起こされたものを読むのとは違って、
その人物の視点あるいは、
客観的な視点で物事を見れることはとても貴重です。
実際に語られ伝えられていることと、自分が見たことの相違点など、
それらを見つけたり知ることも、「考える材料」です。


②に関しては、真実を知ることによって何が見えてくるか・・・ですね。
まずは自分の御題となる、未解決事件などを
ネットとかで調べるところから始めてもらいます。

ここは結構みんなしんどいみたい。
ていうかー、かなり精神的にダメージ受けますね。

私みたいな事件史マニアだと、既知のこともあるし、
写真も見慣れているというか読み慣れているので、
残酷な描写も平気だったりしますが、
(そのくせ、スプラッタは苦手で血は得意じゃないし、
怖がりでホラー映画も見たがりだけどビビリーです)
未解決事件って、調べるだけでも、気持ちが暗くなってしまうというか、
グロッキーになってしまうので、精神衛生上は良くないですけれど、
それでも世の中にはこういう闇・暗部があって、それも現実であり、
目を逸らして、無関係を装って生きることは出来ませんから。

この、調べる段階、
世の中で現実に起きていることを知る、というのも大事なわけです。
自分の身に、
家族や友人に起きていないから知らなくていいって、
そういうことではないんで。

そりゃ楽しいことばかり、キレイなものばかり、
美しいものだけ愛でて眺めて、
キレイで心地の良いものだけに触れて生きていけるなら、
それはそれで幸せで、いいことだと思いますけどね。
実際はそうはいかないし。

赦しがたい犯罪とか、悲しいこととか、事故(人災)とか、
信じられないことも人の身には起きるわけだし、
人というのは残酷で愚かで身勝手で、
平気で他人を裏切り、傷つけ、命を奪ったり、
罪をなすりつけたり、お金やプライドのために犯罪を犯したりする。

何故人は犯罪を犯すのか・・・何故そんなことが起きてしまうのか・・・
どうしてこんな不幸な連鎖が起きるのか・・・

アカシックを読む以前に、
こういうことについて考え、思いを馳せるのも大事な学習です。
そこが肝心でもある。
でないと、他人の気持ちに立って、モノを考えることもできなくなる。
この世には、自分の想像力の範疇で、
理解することができない人もたくさんいるし、
出来事も往々にしてたくさんありますから。

あと、カルマとかを考える材料にもなりますし。
まーその、理解不可能な人の、
理解不可能な行動を理解するための手立てというわけで。


情報を読んだ後は、真実を知ることの重み、
そして真実の裏にある事実について考えたり、
こういうこともあるんだとか・・・まあ、あれこれと、
とにもかくにも「考える材料」であり、学びです。

人と人のドラマとか、隠されていることとか、まあ、あれやこれや。

このレッスンで知ったことは、
クラスの外以外では口外禁止にしていますけれど。


*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*Ж*


最初、ガイドさんたちから、
「このレッスンをやりなはれ」・・・と課題を提示されたときは、

「えっ! いくら何でもそれは無謀というか、
 皆にはまだ早いのでは??」

と、ぶったまげて懐疑的でした。冗談はよしこさん、て感じで。

果ては悪魔の囁きか?ってなくらいに。

でも、半信半疑でトライしてもらい、蓋を開けてみると、

思った以上の収穫がありました。

アカシック・レコードにアクセスできたことだとか、
リーディングすることで得た情報云々とかよりも、
知らなかったこと(事件)を知る機会を得たこと、真実の重さ、
犯罪を犯す人のその時の心理など、人生を狂わされた人たちのこと、
先入観を持つことの怖さ、
マスメディアで伝えられていることと真実が食い違っていること、
いろいろなあれやこれやがショックなことでもあると同時に、
皆にたくさん考えたり、深い洞察を与える結果となり、
新しい視点と視野をもたらすことになっているようです。

それはアカシックを読んだ当人にとっても、
同じ場所にいて、一緒に話を聞いた他の生徒さんにとっても。


最初はドキドキでしたけれど、
結果オーライというか、案ずるよりは産むが横山やすしって感じで。


で、私としては、
皆が読んでくれる内容に、ちょっぴりというか、
かなりミーハー丸出しで楽しんでいたりしてっっっ汗


「そーかー○億円事件の犯人て・・・・で真実は・・・かー」とか、
「織田さんってこういう顔してたんだー 殺したのは、
へー そうだったのね、なるほろなるほろなるほろ~おやま」
「え゛ーあの有名な演説は、これまた有名なあの方が、
後ろに憑依?してチャネリングして書かれたものなのねー」とか、
「でぇぇぇえっ あの有名なお方が生まれ変わった先が、
日本でしかもこの人になっていたとわ!」とか・・・
ミステリーなオカルト不可思議だと思われていたあの出来事の原因が、
「なんだ壊血病のことを悪魔が乗り移ったと勘違いしての、
集団パニック、錯乱状態の結果としての自爆遭難かよ!
犯人はビタミン不足か! アホらし」みたいなっっ

歴史上の人物の容姿には、
「え゛え゛っ ゲタ顔? ヤダー! がっかり、ぐっすん」
「あら、ジャニーズの○○クンに似てるなんていい男じゃん」と
ウキウキしたりがっかりしたり。

はい。面白がってます。


でも面白がるばかりではなく、

誘拐事件の犠牲者がやはり亡くなっていたのだというのは、
心が痛いことですが、犯人がまだ生きているのは悔しかったり、
またその直後に事故で死んでいて迷宮入りかい、ってのとか、
あの爆弾事件はこれの予兆でしかなく、犯人はやがて繋がって、
この大きな事件に繋がっていったのか・・・みたいな、
そういう、気持ちが沈むこともそれなり。
あと、冤罪だったのかなんてこったい!・・・ということもアリ。

でも、残念ながら知ったからといって、何も出来ませんからね。
いやさ、集団幻覚とか、
想像力の逞しい人々の妄想といわれれば、それまで。
限りなく怪しくて不確かな情報?だし、根拠ないですから。

マスメディアに流通している情報に惑わされることなく、
物事を深く追求したり考えたりする勉強にはなりますが、
世の中の役にはまったく立っていないので、
知ったことを生かせないのがアレです。

でもなあ・・・幽霊に教えてもらいました・・ってのと同じくらい、
胡散臭い情報源ですからね。



でも、来世で何かの職業をするとき、
この手の真実を見抜く能力が役に立つかも、という感じですか。
(覚えてなきゃ使えない能力というか意味が無いけど)

例えば、警察官や刑事なんかになったとき、
それは直観として現れて、被疑者を問い詰めたり、
証拠を集めたりなど、犯罪捜査に役に立つかも知れないし。

歴史小説や推理小説を書くときの良いネタになるかも知れない。
新説の解釈で、「真実はこうだったっっっっ!」みたいに。
あくまで歴史家ではないので、仮説ってことで。
これは今の人生でも使えるか。


・・・ってのではダメかな。

今回の人生では、万が一、
家族や友人知人など、身近な人に何かあったときに、
真相究明する手立てとして、使えるかもって、所です。

出来ないよりは出来たほうがって程度。


ともあれ、意外に深い学びなのでした。


※そしてそれこそ犯罪捜査に関わる人たちのほうが、
サイキックなトレーニングしたほうがいいんでは?と思ったり。
でも、エゴイズム(出世欲とか手柄を立てたいとか、
行き過ぎた正義感)が強いとてんでダメーだけど。
誤認逮捕を防いだり、真犯人や証拠を見つけるカンとして、
使ってくれるといいんだけど、と切望!
サイコメトリーに頼るより、自分たちでそうした能力、
訓練して身に付けたほうが手っ取り早いと思うのだが。


でもっておまけ話。
対象とする案件(人物とか事件とか)は、
自分で調べて希望を提出してもらうのだけど、
(他の人と被らないように調整しつつ)
何故その人物なのか事件なのかって、
選択にも偶然はないっていうか、なるほどって意味があったり。

本人無意識なんですがね。

例えば、船が行方不明になった事件を選んだ人は、
過去生で、荷物を積んだ船が戻らなかったばかりに、
大損害を被ってしまったオーナーだったことがあって、
それが故の「母さん、ボクのあの船、どこに行ってしまったんでしょう」
という想いから、無意識に船が戻らない事件を選んだと(笑)
勿論、過去生で所有してた船ではないですけど。
あと、誘拐事件を選んだり、児童が被害者になる事件を選択した人は、
自分も類似の事件の被害者だったことがあったり・・・とかとか。

妙に納得するとこでした。

そういう意味で、かつての被害者たちだって、
真相を知って欲しいと・・・真犯人は誰だったのだろう・・・
自分が巻き込まれたあの事件は、一体何だったのだろうか、
自分亡きあと、残された家族はどうしたのだろう?
・・・というような、真相を、すべてを知りたいって気持ちが、
生まれ変わっても、遺恨として残ってるってことなんですよね。
どの人の胸にも。

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