2015/11/04

先祖の遺したお荷物(前半)

先日、25年ぶりに両親の故郷である鹿児島に帰省しました。
当初23年ぶりかな・・・と思ってたら、
日本航空123便墜落事故の年(1985年)だったから、
25年も経っていたのでした。
時の経つのは早いものです。

今回帰省したのは、いま帰っておかないと、という気がしたからです。

双方の祖父母は既に亡く、
母の生家も無く、親戚もバラバラになっていて、
なかなかこういう機会もないので。

何しろ、ド田舎ですから、
車が無いことにはどうにもなりません(私は免許持ってないんで)。
お墓のある場所も連れて行ってもらわないことには・・・ですし。

当たり前ですが、年上のイトコたちは皆50代。
はあ、老けたなあ・・・って、私もか。


実は私の母方はいろいろありまして、
母の八人の兄弟姉妹のうち二人は既に死亡していますけれども、
それぞれ仲違いをしていて、
交流のあるのは長女である母の姉たる叔母と次女の母と、
愛知県に住んでいる次男の叔父の三人だけだったりします。

まあ、何処の家もいろいろ事情を抱えているもので、
家族円満、親戚一同仲良く・・・
なんてのは絵に描いた餅、理想論でしかなく、
問題がないほうがおかしいのかも知れませんけれど。

それでも、こう何で母方の一族は、全員が全員、貧乏で、
お金とツキに見放されたような人生を送っているだろう? なんて、
疑問に思うことは多かったです。
かくいう私も家族の中では浮いた存在で、
私一人が他人のような位置づけですから。
やっぱり、ボンビーですしねー


さて・・・私がまだ中学生の頃、ある霊感占い師の人に、

「あなたは先祖の因縁をあなたの代で解消するために、
 この家に生まれてきたんだよ」

と、言われたことがあります。

その時は、眼一杯どよ~んとしました。
若い女の子が言われて嬉しいことなはずもなく、
お先真っ暗な気分になるような、メッセでしたので。

なんでかー? って感じですよね。


今のような仕事をするようになって、
そんなことを時々ふと改めて思い出したりもしてみたものですが。

ふつう何処の家でも、先祖の因縁(カルマ)というか、
その家独自の集団想念体(グループエレメンタル)はあるものですが、
私の母方の場合、ハンパないくらいヘビーで重い。
んー 質量が多いといいますかね。

父方のほうにも、もちろん種々多々あるものの、
明らかに母方のほうがベリーハード。

なんていいますか、手をつける前から、
「見ないことにしておこう・・・」と、避けたくなるような代物です。
出来れば関わりたくないし、
私ごときでどうにかできるようなものでもないでしょー・・・と
逃げていたり。
(だって、本当ですよ。私は霊能者じゃないんですから)

でも、お鉢が回ってきちゃった。

必然的に、「行く」ことになってしまった。
なんか、呼ばれてる? という出来事が立て続きで・・・。

おかしいなー
私は、次女の次女であって、直系(本家)の子孫ではないし~
既に先祖の土地を離れて、関東で育ってるし、
ほかに男子の従兄弟とかもいるのに~

何故???


ちなみに私の母方の先祖は、祖父母ともに薩摩藩の士族で、
祖父のほうは九州平家に遡ります。
昭和になってから、霧島市(当時は国分市)に移住しましたが、
それまでは、桜島と地続きになっている、
牛根というところあたりに屋敷を構えていたそうです。

その時に家財道具(家紋入りの黒塗りのすごいのだったそう)
とかと一緒に、雅楽の楽器(琵琶とか鼓とかとか)もあったらしい。
(ちなみに家紋は向い蝶、私には蛾にしか見えません)
平安時代から伝わるものだったらしいが、
戦争中に煮炊きをする際、薪が足りんと、
焚き火の材料にしてしまったらしく・・・
なんてこったい!! もったいない!

家系図とかは移住する際のドタバタで(家屋敷騙されて取られた)、
紛失したそうなので詳しいことは分かりません。

でも、思うに、地方の足軽だったんでは?と思いますです。

それと、ちょい調べてみると、
南北朝のときに上山氏という豪族が島津家に追い出されて?
桜島に本拠地を移しているので、住んでいた場所を考えると、
そっちのほうの家来だったのでは?とも。。。あくまで想像ですが。


☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆


さてさて・・・この祖父のほうの平家筋の先祖。
四年前に一度、供養させて頂いています。

ちょうど、ダライ・ラマ法王が広島に来て法要をする・・・
というイベントがあったときに、
何となく、ピンと来るものがあって
施主として参加させていただいたんですよ。
それまで、ダライ・ラマのことは知っていたけど、
詳しくは知らない、程度でしたが。
(参加してお会いして、握手してもらったら、
一発でファンになっちゃった、単純な私)

その時、参加すると決めてから、なんか・・・部屋が圧迫感に。

「せ・・・せまい。なんかこの部屋、狭く感じる? Why?」

一人、また一人と・・・ゾロゾロと、鎧武者さんたちが集まってくる。

物理的には2SDKですけど、
何故こんなにたくさん?ってハンパない数。
(当時はまだ駒込在住。
その昔、100人乗っても大丈夫な物置、のCMあったけど、、、、
三次元(物理的次元)では絶対に無理、
入れないよ、ってな団体、ご一行様。
人間じゃないから、入れるのか・・・でも、認めたくないっす。とほほ・・・)


日一日と経つごとに、「えっー!」って、くらいの大人数。

(滞在費つか、家賃払えー!)


しかも、むさいおっさんたち・・・
(キレイなおねえちゃんとか、ジャニーズ系でないのが涙)

汗臭そうだし、顔怖いし、
風呂どころか歯も磨いてないだろー お前らって、感じ。


どうやら、私のその平家方の先祖らしく。
(でも、便乗つか他人もいたと思う、絶対)

「連れてけ~」ってことなのかと・・・

そのうち、鎧武者でない人も集まってくるし。。。

何しろ、何がなんだか分からなくてパニクリました。


で、いざ広島、宮島へ。

フェリーに乗って、遠く宮島を見ながら・・・
「はあ、はるばる来たよ、広島」と、
初めて見る厳島神社の美しさに浸っていた私ですが、
やがて段々近づいてくる、宮島の景色に「ん?」と・・・眼を凝らすと。

「どしぇ~!!」

山の上に、赤旗もった鎧武者たちがズラ~っと!


なんだよ、先に来れるんなら、
私んちにずっと滞在する必要なかったじゃんかよー
最初からこっち来て、待ってればよかったでしょうよ~!!
この一ヶ月どんだけ私がきしょかったか! 
怖い思いをしていたか、空気よめっ!
てめーら性格悪いぞ!

・・・・なんて言えませんけど。


そんなこんなで、宮島の法要に参加して、
ついで?で、
先祖の冥福を祈り、彼らの罪が浄められるよう祈っていると、
一人また一人と、彼らが上がっていくのが見えたんで、
「ああ、よかった」と思いました。
上がり損ねた人と、またしばらく同居するなんて、
冗談じゃないですから(切実)。


思えば、宮島・厳島神社って
平家にとっては、格別、思いの深いところなんですよね。
だから、このタイミングで「行かされる」ことになったんだなーと・・・

・・・で、
お気楽な私は、
それで一仕事大きいのを終えた気になっていたのでした。

ところがどっこい・・・・

それは母方の祖父のほうの話で、これはほんの除の口で、
まだまだ軽いというか、お手軽なものにしか過ぎないのでした。
(ダライ・ラマとビッグな法要イベントの力で上げてもらったわけで、
私のしたことと言えば、単に引率しただけだったり)

プロローグはこれから?


もっと厄介なのが残っていたとは、このときは知るよしもなく・・・ハイ。

母方の祖母の家のほうが、めちゃくちゃ・・・重かったんだな、これが。


というわけで、とぅーびーこんてぃにゅー

後半に続くのでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿