2015/11/04

見えない世界

占いの仕事をしていたとき、よく聞かれたのは
「霊感あるんですか?」

霊感があるか否か、は
その手の人にはとても重要なことらしくて、
霊感があるかどうかが、
その占い師を信頼できるか否か(その人の占い結果を信用する目安)・・・
アドバイスの信憑性、的中率を保障するものらしい。

電話占いをしていたときも、
「霊感のある先生をお願いします!」てのもザラ。


一口に占いといっても、
たぶん、みんなが求める霊感が必要なのは、
必然性に頼った、ト占だけの話であって、
それ以外の相学、命学は
森羅万象における哲学のひとつの形で、
体系的な学問だから、霊感とかはまったく関係ないんですけどね。
占いをするのに大切なのは、インスピよりも、
その人の視野の広さ、知識量、
人間性に対する尊重と思いやりの気持ちといった
人としてのキャパとか、洞察力、観察力のほうなんだけれども。

そして、霊感なんて検定試験があるものじゃないし、
その精度なんて図れたものではない。
つーか、そもそも霊感といわれるものは、誰にでもあるし。
その人がそれを自覚して使用しているかどうか、だし。

はつきりいって、
霊感と占いの的中率なんて比例するものではなく、
霊感があるからといって、未来予測に秀でてるということもない。


さて、「霊感あるんですか?」という質問に関しては、
私の場合、「ないです」と答えることにしていました。
今も「ありますよ」とは言いません。
インスピレーションはあったとしても、
霊感という言葉で言われるようなものはないと。

そもそも「当たる」「当たらない」という視点で、
占いを図られるのが嫌いな、占い師だし。
占いは的中率を競う、「当てモノ」じゃありませんから。

そのあたりは意地になって、
「いえ、霊感なんてまったくありませんから!」
と言い張っていた気も。


では、本当のところ、
霊的な体験が無いか、と言われれば、それは嘘になる。

物心ついたときから、環境および背景的なこともあったので、
そうした体験には事欠かなかった、ともいえるので。
でも、確かに普通の人よりは多かったと思うけれども、
だからといって、その手の能力に「秀でて」いたというわけじゃない。

私の場合、オーラの色までは見えない。
色を知覚することもあるけど、
セッションのときだけ、視る必要があるときだけ見えるというもの。

子供の頃はオーラはまったく見えなかった。
ある時期、人の周囲を靄のようなものが覆っていたり、
頭に雨雲のようなものが掛かっているのが
見え始めた時期もあったけれど、
それはオーラと呼べるようなものではなかった。
たぶん、今思うと、それはエレメンタルだったのだと思う。

霊も視えていたときもあるけど、
江原さんや寺尾さん、木村さんみたいに、
霊がしょっちゅう、はっきりしたカタチで見えているわけではなかった。
あの方たちみたいに、そうした体験が日常的だったわけでも。
それは今でも。

確かに今よりも、23,4頃までのほうが、「視え」ていたとは思う。
でも今は、リアルかつ実体のようなものを肉眼で視ることはほとんどない。
始めて「霊を見た」と覚えているのは、
幼稚園児のときで、
鹿児島に帰省するため、寝台列車に乗っているときだった。
始めての寝台車で興奮して眠れずに、姉と二人、
夜間に窓の外の景色を眺めていて、それに遭遇した。
ふたりでギャー! という感じ。

過去生の生々しい記憶とか、よみがえり始めた頃。

例えば、
有名なスティーブンソン博士の「前世を記憶する子供たち」
に出てくる子供たちなんかの体験話だと、
物心ついて、話し始めた頃に、いろいろ語り始めて、
大きくなると同時に忘れていってしまう・・・とのことだけれども、
少なくとも私はそれには該当しない。

6歳頃にポロポロと思い出し始めて、小学校入学と同時に
直前の人生のこと、思い出した。
「小学校三年生の夏に、私は海で溺れ死んだんだ」と。
でも、ヘンなこと。
直前の人生で見たテレビ番組(国際的なイベント)、
今の私が生まれる半年前の放映。
私は早産の未熟児ではなくて、ちゃんと10ヶ月で生まれているので、
なんか計算が合わない。
夏に死んでいるので、11月生まれの私は
3,4ヶ月後に生まれたことになる。
住んでいたのは四国。海が近くて、坂道の多い町。
妹がいて、二階建ての家に住んでいた。
私の部屋は二階にあった。
カルピスが大好きで、母が焼くクッキーが好物だった。
※今で言う、オーブンのようなものではなくて、
普通のガスレンジの上に何か機械の箱のようなものを乗せ、
それでクッキーのようなビスケットのようなものを焼いてくれていた。

(今もカルピス中毒ではあるものの、クッキーは苦手。)

死んでから三ヶ月後くらいに生まれたのだとしたら、
当時の両親や妹は、まだこの日本に生きているのかも知れない。
そう思うと、ちょっと複雑。
でも、名前は覚えてないから、調べようもないが。


ちょうど・・・過去生のこととかを思い出し始めた頃、
幽体離脱をして遊ぶようになった。
主に夜中、家族が寝静まってから、
頭の一点に意識を集中する、
ぼんのくぼのところ、延髄の中心あたりにグッと力を入れる。

そして、ピョンと飛び出して、家の中や外に出て、
庭をぐるっと一回りしたりする。
壁やふすまを自由に通り抜けられて、
一瞬で場所を移動して、寝ている家族の様子を伺ったり、
自分の体を見下ろしてみたり、それはそれは面白かった。

今思うに、どうせなら、もっと遠くに行けばいいのに、
家の敷地だけ徘徊するなんて、
世界が狭いというか、もったいなかったと我思う。
でも、あまり遠くにいくのは何となく怖かった。

夜の散歩に飽きて、そろそろ戻ろう・・・というときには、
肉体とつながっている、ゴムひもをひっぱって、一瞬で戻る。
ゴムがのびるときはゆっくりなのに、
戻るときには、パシッ!と勢いよく音を立てて、
バンって戻る・・・そんな感じ。
ただいえるのは、幽体離脱をした後は、ひどく疲れるということだ。

けれど、こんな夜の冒険も、
小学校の高学年にあがる頃には出来なくなってしまった。
ある日突然出来なくなって、「あれ?」と・・・。

まあ、ちょっといろいろと私生活的に、
大変な時期だったからかも知れない。
それどころではなかったというか。


低学年の時は、親の仕事関係の人たちと
家族旅行のようなものに連れて行かれることもあったのだけれど、
宿泊したホテルでは、
他の人たちには見えないお客様たちもそれなりにいて、
「幽霊もお風呂に入るんだ!」と驚いたもの。

※大浴場に入浴に行って、露天風呂に行くと、
 混んでいたので、入らずに内風呂へ・・・
 姉「なんで入らない」
 私「だって、人がたくさん入ってる」
 姉「誰もいないじゃん」
 私「え?」
 という具合に。

「あの人、死ぬよ」とか
「かわいそうに事故にあって、顔怪我しちゃう」
「あの家、もうじき火事になるよ」みたいな
不用意な発言をして、ひどく怒られたこともあった。
さすがに小学生にもなると、そういうことは言わなくなっていたけど。
・・・まあ、嫌なガキでしたね。

つーか、不吉なことを言って、人を怖がらず、ふてえガキだったと。


小学生時代は、とにかく家のことでいろいろあったので、
そういう経験は減って、中学になってから、
また少しずつヘンなことが増え始めた。
先に書いた、タイムスリップの体験もそう。

でも、守護霊さま・・・
みたいな人たちと話すようになったのは、小学生になってから。
当時はよく「話して」いた。

まあ、子供としてはちょっとハードな体験をしていた時期だったので、
いつも慰めるみたいに、励ますというか、そんな感じで。
守護霊というよりは、遊び相手みたいな、
子守みたいなそんな人たちだった。
いつも話してくれていたその人たちは、ティーンのときだけで、
代替わりしてしまって、当時の人たちはいない。
今だからわかるけど、彼らは指導霊だったのね。

そういう意味で、一人でぶつぶつと、見えない人たちと話している子供・・・
うわっ! 不気味・・・我ながら、思う。

いえていることとしては・・・彼らは、普通の霊とは違っていた。
視え方が違うというか、何と言うか。
そのヘンにいる霊は、生きている人とあまり変わらない。
ちゃんと足があるし、等身大だし・・・ただ、スケルトンだけれどもね。
ホログラフィみたい・・・といったほうが近いかな。
たまに生々しいのもあるけど。
生首だけとか・・・体の部位とか。
スケルトンというより、蝋人形みたいなのもあったり。

守護霊というか、指導霊というか、そうした人たちは
光の球体の中にちっちゃく収まっていて、超ミニサイズでもあり、
そこから映像を出して等身大に見せてもいて、
なんていうか・・・とにかく「違う」としか言いようが無い。
うまく説明できないのがもどかしい。
つまりは、丸い小さな光なんだけど・・・
(蛍みたいな小さなものからもう少し大きなものまで)
それから、自分の姿を私の頭の中に、投射して見せてくれる。

あーなんだ、なんかヘンな説明だ。

成仏して、行くとこにいってから目的もって戻ってくる人と、
死んでからさまよってたり、普通に生活している人の違いなのか、
そのあたりは当時の私にはよくわからんかったです。


そういえば、
今・・・のほうが、ガイド(守護霊さんたち)とはしゃべらないなあ・・・。
子供の頃は話さない日はなく、
毎日、一日何時間でも、何かあると話していたものだけど。
いろんなこと、教えてもらった。
勉強も、世の中のことも。
いろいろ遊んでもらって、連れてってもらって(謎)。
いろんなものも見せて、もらった。

今は、困ったことがあってパニックに陥っても、
意地でも「自分で決める、自分で考えたる!」と・・・
「言いなりの操り人形にはなりたくないもん!」と、突っぱねて、
ほとんど相談しないし、存在を忘れることも多々。
なんか言われてるのは判るんだけど。無視するクセがついている。
「あーうるさうるさ、はいはいはい。ふーん、あっそ」みたいに。
だから、他人から
「後ろの人が、もっと私たちの話を聞いて欲しいって、
いってるんだけど」とか、
「ホントに人の話聞かないんだ・・・って、ため息ついてるよ」とか・・・
間接的に苦情を頂くこともよくあったり(笑)

まあ、仕事の時は耳を傾けますけど、
自分のことに口出しされるのはイヤなんで。

こんなんで、よく見捨てられないなあ・・・と。
よっぽど私のガイドさんたちは忍耐強いのでしょう。

でも、感謝してますよ~ これでも。
そうした経験をするヒマがなかった小学生の頃、
覚えてる出来事としては・・・・

悲しくて一人で泣いていたとき、何処からともなく、
シャボン玉みたいな大きさのキラキラした光がたくさん現れて、
それはフワフワと宙を舞い、その中に小さな仏様みたいな
しかもバリエーションが豊富な観音様とか大仏さんみたいなのが
ひとつに一人ずつ入ってて、

「ホホホホホホホホホホ・・・・」
「おほほほほほほほほほ」
「はははははははははは」

・・・・みたいな、何かそんな静かな笑いみたいな声を発しながら
(実際には聞こえてない)
くるくると周囲を囲んだことがあって、目が点になったことがあった。

「なんや、これ!」の一言ですけど。

でも、小さいけど、精巧というか、細工はとても細かかった。
雑な感じではなくて、丁寧ないい仕事してますねぇ、的な仏像?
人間とも(そんなに小さな、
しかも姿が仏像な人間はいません)霊とも違ってた。
餓鬼とか妖怪とか、動物霊とか、そんな気持ち悪いのとも全然。
生き物とも、モノとも違うような、なんとも形容しがたいもの。

そのうち、消えてしまいましたが。
それから
「3時に会いましょう」という番組で
心霊写真特集をやっているのを見た翌日、に
教室で体育の着替えをしていたとき、体操着から首を
「よっこいしょ・・・」と出して、ふと上を見たら、
前日テレビで見た、
その心霊写真に写ってた着物姿の霊が宙に浮いてたりして・・・

「○×△□・・・・・!!!!」

あれはもう、白目向いて、失禁して、倒れるかと思うくらい。
でも、驚きすぎて、悲鳴も出ず、絶句です、絶句。
マジ怖かった。涙ちょちょぎれました。

ちなみに、その写真は安珍清姫伝説の寺で、
蛇になった清姫が巻きついたといわれている鐘を撮影したら、
赤い晴れ着の長い髪の女性が写っていたもので、
清姫か?と投稿されていたもの。

その日は夜中にトイレいけませんでした。

まあ、それが視るの初めてではないけど。
その後ももっとエグイの、気持ち悪いの、それなり視てるけど。
何回視ても慣れないです。

小学2年の時、
祖母がクモ膜下で倒れて危篤に陥り、帰省した際、
祖母の部屋にわんさか、人間以外のものが、
「なんで、こんなに狭い空間にすし詰めに???」って、
これまた息を吸い込んで、ひいっ!ってときがありました。
祖母はやっぱり生まれながらの霊媒体質で(しかも憑依)
無縁仏なんか見つけてしまうと、世話してしまうような人だったので、
ちょーくっつけてたんですね。
「いやだっ!ここいたくない、出してくれぇぇ!」でした。
その家って、霊道通ってたし、それだけでなくて、神道も通ってたし、
縁側あけると、墓地だし、土葬だし・・・
(だって、神社と墓地の間にあるでお)
「ちっ、千葉に帰りたいぃぃぃぃぃぃぃぃいっ!」でした。

そうです。実は私、とっても怖がり。

だから、霊なんて出来れば「見たくない」です。
心臓止まりそうになるので、やめてください、
私の前には姿現さないで下さい、あっちいって!と思いますよ。
今でも、生で見れれば仕事上は便利というか、
役に立つんでしょうけど、そうも思って、
昔みたいに視れるようにトレーニングでもしようかな~と
気の迷いを起こしたこともあったけど・・・・

「やっぱり、イヤです!」

出てきてもらってもシカトしますので、あっち行ってね。
姿現したら、地獄に送り込みますよって、脅してやる(アレ??)


よく言う、霊感ある人がお約束でかかるという、
金縛りはほとんどあったことがなかったかな。

金縛りは、来そうだな・・・というか、
「何か来る」と・・・
侵入者が来る気配が、当時はよく分かって、
なんていうか、空気が急に変わるというか、張り詰めるというか、
「あ、やばい」と事前にわかるから、
それに備えるわけですよ。

身構えるというか・・・。

どうやって備えるかというと、
体の中に、たくさん「氣」をためるの。
とくにお腹の中。俗に言う、丹田のところに。

そして、今だ!というときに、全身から一気にそれを放出する。
「フンッ!」って気張る感じね。

すると、緊張が一気に解ける。
何かがはじかれて、飛んでいくって感じ。
それが何かはわからないけど、とにかく危険は去ったぞ!って思って、
すると安心して眠れる。

子供の頃は、誰に教わったわけでなく、こういうことが本能的に出来た。

今よりも肝がすわってたというのか。

今は・・・ダメダメです。


金縛りというと、
半身不随になって、寝たきりで半分植物人間のようだった祖母が、
よく幽体離脱をして、母のところに来ていたらしいけど。
(母はその時、金縛りにあい動けず、耳元でぶつぶつと祖母に色々と・・・
思うに、死後の祖母のメッセージから推察すると、
母に説教しにきてたんだろう。
けど、まったく言葉は届いていないというか、母は霊格低いから、
聞き取ることが出来ない人なんだけど。憑依体質だけどね)

で、同じ家にいても、私は祖母が来たことに気づかなかった。

父方の祖母が亡くなったとき、葬式から戻ってきた父に
ベッタリくっついてきたマザコン男の母親としての祖母・・・は
あまりにも見事なくらい見えたものですけど。

その時も目が点。
亡くなったスケルトン祖母は、父以外の家族には目もくれず。
孫も嫁も見えてない。

母方の祖母の幽霊は、死後あちこちで目撃情報があって、
不埒で不義理な子供たちに罰を与えたり、脅かしたり、
まあ、いろいろあったんだけれども・・・。

私は一度も遭遇していない。

ただ、この辺りの祖母からは
自分たちの子供(父母のこと)で、
育て方失敗したお陰で孫のお前に迷惑かけてごめんよメッセージ・・・
はもらったこと、あるけど。
姿だけは見えませんでしたな。

ああ、母方の祖父も亡くなったとき、出てきたんだった。
二段ベットの二階に寝ていて、寝返りうったときに目を空けたら、
そこにいて、

「ぎゃあっ!!」

いくら祖父でも、あたしゃ女だよ。
孫の部屋に突然、しかも寝込みは襲わないでよ、勘弁・・・でした。

まあ、一緒に暮らしてたら、そんなには驚かなかったけど、
遠くに住んでて、数年に一度しか顔見てないので、
心臓止まりそうになるくらい、驚きました。

事前に予告は、ひとこと欲しいですね。

中学のときはまたいろいろ不思議体験もしたけど、
それまでのとは違ってましたね。
私の場合、同じ体験って、続かない。
時期によって、違うなあ・・・というのが振り返っての、実感です。


高校に入ってからはバイトで銭稼ぎに忙しかったので、
そうした体験はめちゃ減りました。

ただ、たまたま余興でトランプ占いをしたら、
なんか休み時間に依頼を受けることが多くなってしまって、
「占い師」とあだ名つけられて、いい気になっていたことがありました。

でも、そっち方面には絶対進みたくないと思ってた。

占星学にはまって、それを勉強するのはとても楽しく、
面白くて、趣味として続けることはしていたけれども。


高校を出て、アニメーターの仕事をし始めた頃から
再び「視え」始めて、それは霊に限らず、
ビジョンなどのほうが多くなってきて・・・
職場では悪霊っぽいのばかり視えるようになっちゃって、
他人と話していると、頭の中にいろんな映像が浮かんできて、
(それは主にイメージや風景で、
その人の過去だったり家の様子だったり)
それを不用意に口に出してしまったことで、質問責めにされたり、
仕事に支障が出るし、気が狂いそうだった。

子供の頃は大丈夫だったのに、この頃はモロ憑依体質に。
明らかに邪気吸いまくってました。
20-30代前半は、そういう意味で、この憑依体質がゆえに、
精神も不安定だし、ネガティブ思考パターンに支配されて、
霊に操られたりもありーので、いろんな方面に迷惑かけました。
まあ、そのせいには出来ない部分もあります。
私自身の性格的な問題、弱さとかのほうが大きいんですけど。

普通のOLさんになることはあきらめて、
成り行きで占いの仕事を始めるようになってからは、
スイッチのオンオフが出来るようになったので、
だいぶラクになりましたけど。
でも、それでも、占い師の仕事やめたくて、あがいて、
「やだ、やめたー」と事務の仕事とか始めたりすると、
途端にヤバクなる(笑)

そういうところに悩んで、
占い師のとことか、ユタさんとか、霊能者の人とか、相談にも行きました。

行くたびに、
「占い師向いてるし」「ヒーラーやるべきだよ」「霊能を生かしたら?」
「魔女さんでしょ?」「サイキックでしょ?」とか・・・
言われることは多かったんですが、
魔女はともかく、そういうこと、言われるのはとても重かったです。

ユタさんには、
「あなたは私と同じ。神様の言葉聴かなくてはいけない人なの。
 逃げちゃダメっ!」って怒られ、
「やるべき使命から逃げていると、やるべきことやんないと、
 一番大切なものを取り上げられちゃうよ! 
 神様、あなたが約束の仕事しないから、怒ってるし」といわれたらば、
果たして、一番愛して病まないもの・・・
大事な私のラズベリー(愛猫)がリンパ腫にてご昇天。
ひどいペットロスに陥り、それがきっかけでヒーリングに頼って、
自分の問題を解決しようと、アチュ受けたら、
気がついたら、その仕事をすることに。
あれっ?こんなはずでは?でしたが、
ある意味、あれが人生の転機で今へといたるひとつの布石だったのですね。

子供の時にも、
鹿児島に行く途中、同じフェリーに乗り合わせただけの知らないおじさんに、
名前と千葉に住んでいるという情報からその人が私のことを調べて、
「この子のことで、ぜひ両親に話しておきたいことがある」・・・と。
まあ、そんな事件?もありました。
それで、両親がもめて、ちょっと一騒動ありましたけど。


ブラックジャックに憧れて医者になりたい、とか、
仙人みたいに山奥に篭って暮らしたい・・・とか、
そういうことは願ったことあったけど、
最終的には、ふつーのOLさんになりたいと思ったり、
アロマショップの店員さんやカフェのオーナーに憧れたり、
平凡な生活と暮らしがしたかった私にとっては、
どうしていつもいろんな人が、私をそういう職業に適性があるというのか、
まったく理解てきなかったし、イヤでした。


時期によって、出てくるソレというか、経験させられることは
どんな方面が一番向いているのか、適性があるのか、
そうした「お試し」だったというのは、後になってしったことで、
ずいぶん長期的な計画というか、図りごとだったというか、
すべては育成プログラムだったのね??
と気づいたときには、時すでに遅し。

「はめられた・・・・!!」

ここに、自分にとっても印象的な出来事を書いたように、
一般の人よりは、不思議体験は多かったほうだとは思いますが、
でも、だからといって、すべてを肯定して、
それを鵜呑みにしているわけではないのね。

・・・だから、どうした?と思うことは多い。

どこかで疑っている部分もある。
幻覚、錯覚だったのでは?とか、妄想や夢だったのかも知れない、とか。
映画やテレビ、漫画が好きな自分のこと、
どこかで記憶を取り違えているのだろう・・・とも。

100%自分を信じているわけではない。

視えているものにしても、視えないものにしても。
すべてが信じられるわけではない。
信じることは危険だと。
妄信は罠に陥りやすくもさせるし、傲慢にも導きやすい。

視えない世界にも、見えている世界にも、
どちらにも振り回されたくないと思う。

霊的な世界にしても、転生のことも、
そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。
常に、可能性として、完全否定も完全肯定もすることなく、
ifもしも、そうと仮定して考えるならば・・・と
それが本当だとするならば・・・の立場で。
どちらの可能性もあるだろう、いろんな可能性が考えられると。
多方面から、多角的な視点で、
物事を捉える冷静さを忘れたくないと思う。
もちろん、視えない世界にも畏敬は払っている。
そして、見えている世界も、出来事もそれ以上に大切で。
魂も肉体も、同様に大事なものであり、おろそかにはしていけないと・・・

夜、ふと目を開けたとき、
寝ている自分の上でうごめいて視えるものや
部屋のあちこちにあるソレを視ても
「・・・目の網膜についた汚れのせいかも知れないな。
飛蚊症のせいだよ、きっと」
と再び目を閉じ、また開いては
「もしかして、部屋の中にカゲロウがいて、
それが飛んでいるのかもな・・・」
と思い、
また目を開けて、それをじっと見て、確認し、

「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」

「まあ、考えてもしょうがないな」

と寝てしまう私です。

でも、好きですよ、この仕事。
やりがいありますし・・・。

今は腹くくって、出来ることは出来る範囲でやるつもりはありますけど。

そうですね。
自分がそういった「???」「これはいったい、どういうことなんだろう?」
と誰にも相談できず、言えず、
本を見て調べても自分に起きていることが何なのか判らず・・・
また、波動がさがってしまい、憑依体質なことから、
霊に影響されてしまって、困ったことになったり、
しんどくて苦しい思いもそれなりにしましたから、
同じような問題を抱えて苦しむ人の気持ちはわかるつもりかな。

だから、そ自分の経験や培ってきた知識が、
そういう人たちの助けになれるのなら、とても嬉しいですし。
ちょっとばかりの力になれるなら、なりたいとも・・・
サポートできる範囲で、それは続けていきたいと思っています。

でも、あくまでヒーラーなんで。
そのスタンスだけは崩さないつもり。
私は霊媒であって、霊能者ではない。
出来ることよりも、出来ないことの方が多いですから。
知識はありますけど、技術ははっきりいって追いついてないんでね。

まあ、あくまでその人の抱えている問題を
スピリチュアリズム的な視点で、解析して、
そちらの方面からアプローチするセッションスタイルのまま、
そんで、霊的なことか背景にあったら、それを処理するし、
オーラやチャクラの掃除や、氣の補充が必要ならそれをするし、
セラピーやカウンセリングが必要なら客観的アドバイスをするし、
去生の癒しが必要なら、前世療法をするし・・・です。

それに未だに、
アロマショップとカフェオーナーの夢は捨ててないですしね。
といっても、叶うのは来世になっちゃうのか??? とほほ

0 件のコメント:

コメントを投稿