2015/10/31

スピリチュアル・カルテNo,24「魂の計画」

ケースファイルNo,24「K・Yさん 20代」の場合


人は生まれる前に、自らの人生の青写真を描く。

でも、それは綿密なスケジュールとは言えず、
課題の優先順位だけつけられた、
とても大雑把な、アウトラインだけの仮の計画書のようなもの。

絶対に変えることの出来ない未来なんてないし、
避けられることの出来ない運命、というものもない。

未来は、三日先までしか決まっていないから。

生まれる前のプランは、
その人が果たすべきノルマ、克服すべき学びとしてのカルマ、
その人生で必要とし、望む経験など、あくまで希望であり、
その希望及び収めなければならない必須科目が、書き出されたリスト。

生まれてくる国も、家も、
それにふさわしい経験が出来る(リストの項目を果たせそうな)人生の
いくつか存在する候補のうちのひとつに、「必然」と「偶然」の確立で
生まれてくるだけ。

予定していたことが早まったり、経験として必要でなくなったり、
その逆で、いつまでも引き伸ばしになったり、
人生という舞台の主役である、その人が「変わる」ことで、
シナリオが書き換えられて、演出が変更になっていくのも、よくあることだ。

その人の「人生」を作っているのは、
「運命」などではなくて、その人自身に他ならないのだから。

とはいうものの、細かいディテールや、
ある程度のあら筋や脇役たちを変更出来たとしても、
主役を変えることは出来ないし、
絶対に省略することの出来ないエピソードもいくつかあったりする。


そんな風に、人生には予定調和で起きること・・・も少なくない。


・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・

その方・・・Kさんは、やはり紹介でいらした方。

一年前にご主人を亡くされ、
なんとか頑張って日々をやり過ごしているものの、
未だに立ち直れないのだという。

何しろ、彼女自身がまだ20代。
未亡人というには若すぎた。

ご主人だったその人も、30代を少し過ぎたばかり。

傍目にも、無理をして頑張っているように見えるKさんに、
少しでも精神的に楽になってもらおうと・・・
多少の気晴らし、癒しにでもなれば、と、
お友達だったその方が、当方を紹介くださったのだ。

「あまり、眠れないんです。寝ても、浅くて・・・」

とくに「悩み」ということもないけど、ということで、
精神的な疲れ、不眠に対しての
ボディヒーリングがメインのセッションだった。


私は、霊媒体質だけれども、
残念ながらイタコみたいに霊を身体に降ろすことはできないし、
霊能者としてはなりそこないなので、
江原さんみたいに霊と完璧コンタクトを取って、
メッセージを伝えることもできない。
霊界の通訳としては未熟者もいいとこなので。
たまーに、一方的に向こうからアクセスしてきて、
結果キャッチできることもあるけど、
私のほうから望んで、ほぼ100%の確立で成功するってわけでもない以上、
出来ている、出来る・・・とは言えないのであった。
(私の意志で話せるわけじゃないということ)


なので、旦那さんとコンタクトを取ろう、なんて考えには到らなかったし、
Kさんの方も、それを期待して、ヒーリングを受けに来たわけではないから、
少しでも、心に元気を取り戻してもらえれば・・・
失っている気力や体力を補うことが出来れば・・・って思って。


ベッドに横になってもらう前、
オーラのクリアニングをしている段階で、情報がポンッ!と入ってきた。

「それは、予定調和だったのだよ」という一言と共に。

こういう場合、言葉を聞き取って、という感じではなくて、
瞬時に「理解させられる」感じ。
そうとしかいいようがない。

断片的な情報を伝えられて、
まるでパズルを解くかのような苦労が生じて、
ピースを組み立てるのに、困惑させられてしまう場合もあるけれど。
(???と、なってしまい、部分的にしか理解できないこともある。
 あくまで推理として、こうだったのではないか?
と仮説で考えるしか無い時も)

このときは、「あ!」といった感じで、それが理解できた。

端的に言うと、Kさんの旦那さんの「死」は、予定通りだったということ。
つまり寿命。

病気で亡くなったのではなく、事故だけれども。

それすらも、彼が旅立つために必要とされたアクシデントだった。

Kさんの旦那さんは、
今の人生の直前の人生と、もう少し未来の人生との間の、
「つなぎ」として用意されたものだったりした。

なんていうのかな・・・いつもどう説明したらいいのか迷いますが。
Kさんの旦那さんは技術者だったのだけれど、
そうした、とある業界の中で、
自分が成し遂げたいことに取り組むために、
それがちょうど出来そうな時代、
今よりもちょっとばかり技術が進んだ時代に生まれたかったのね。

でも、そうすると、人生の間が空きすぎてしまう。
それはある意味で、ブランクになる。
その技術の最先端の現場から離れるという意味でね。
ブランクがあるとどうなるかというと、
せっかく先の時代に生まれても、
新しい技術を覚えるのに時間がかかってしまう、と。

例えて言うなら、そうだなあ、PCやインターネットの世界で言うなら、
まあ、とりあえず、オフィスワークのソフトなんかで言うならば、
初期のバージョンしか使ったことの無い人が、
しばらくそのソフトを使う仕事から離れていたとする。
その間に、どんどんバージョンは新しくなり、ソフトは進化していく。
ついでにOSやハードの仕様も変わるかも知れない。

そのバージョンアップしていくソフトをずっと使い続けていた人と、
初期のバージョンしか使用したことのない人では、
最新式のバージョンを使っての作業結果とか、
差がどうしても出てしまうでしょう?

ひとつの前のバージョンアップくらいなら、
飛ばしても、さほどの不自由はないかもですが。
それが、10くらいのバージョンアップのギャップだったら?

けれど、そのブランクの期間は、
現実社会における、一人の人間の一生としてはとても短い期間で。

そして、人は生まれる前に「予定調和」としたことを、
忘れて、この世にやってきてしまうので。
自分の人生は、ここまでだから・・・と意識して、
日々を暮らせていけるはずもなく。
それは家族ももちろんで。
愛する人と共に生きることを選んだ瞬間にも、思い出すこともなく。

妻であるYさんに、短い結婚生活を与えたことは、
彼にとって、後悔となることであるのか、申し訳ないと、
だったら、しなければよかったことと、思っているのか・・・

でも、彼はその時点で、「転生」してしまっていたので。
既に彼の過去生となってしまったパーソナリティを呼び出して、
聞けばよかったのだろうか?

でも、それはKさんの望みとは違うようにも思えた。

「旦那さんにとっては、この人生での終わりの時期は、
最初から予定していた通りのものであったけれども・・・
奥さんであるYさんに出会えて、短いけれども共に暮らせたことは
彼にとって、充実した、とても幸せな時間だったようですよ」

情報をくれた、おっさん声の人のメッセージを伝えると、
Kさんは、少しホッとしたような笑顔を見せてくれた。
その頬には、涙が光って。

「死」は、多くの人にとって、悲しみの代名詞にもなる現象でもある。

生きて、言葉を交わし、触れることも出来ていた存在が、
冷たく、何も言わない、動かない、ただの骸となる瞬間。

でも、私たちは
この世に「生」を受けたときから、「死」へと向かって生きている存在。
いつか「死ぬ」ために、この世を生きているともいえる。


そして、人は、いつか「別れる」ために人と「出会う」

会うは別れの初めなり。生は死への道行き。

ただそれが、遅いか早いか。

お葬式は、亡くなった人ではなく、遺された人のために必要で、
死者を慰めるというよりは、
後に遺された人が故人の「死」を受け入れるための儀式なのだという。


その「死」が本人の希望通り、計画立てられたものであったとしても、
突然の「死別」によって、心を傷つけられる人がいるという現実を考えると、
スピリチュアルな世界ではこうなんですよ、なんて偉ぶった解説は、
なんて情の無い、冷たい、非人間的な言い草なんだろう・・・と、
思わざるを得ない。



・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・∞・・・

まあ、でも。
それが天命で、寿命だったと言われても、
そんな簡単に納得できるものではないだろう。
何が真実なのか、誰にも判らない。
真実だと伝えられても、それが何の救いになるのか・・・

私自身が疑問に思うことは多々ある。

「本当? マジ?」

・・・と、誰でもない私自身が、いつも疑問に思いながら、
過去生だとか、霊だとか、人の想念だとか・・・

「えー? こんなのアリ?」

と、首をかしげながら、よく分からないままに、
いつも半信半疑なんですけどね。

当人が、その次の人生で望みをかなえるために、
その中間の人生として、「短い」人生を設定したというのも、
この時に初めてしったというか、
「え゛ー? へー・・・そうなの?」と、
そんな確信のもてない、不確定な情報を伝えるなんて、
どうよ、と思いつつ、
結局はお伝えしたのだけど。

もし、違っていたら、私は稀代の大法螺吹きってことになりますね。
人心惑わす何とやら・・・で。

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