2015/10/31

スピリチュアル・カルテNo,27「鬼子」

ケースファイルNo.27 「F.Tさん 20代」の場合


科学も医学も、日進月歩で技術革新が起きている。
まだまだ解明できていないこと、出来ないことも多いけれど。

それでも、オカルト的現象や迷信を、
「神の奇跡」だの「天罰」だの「悪魔や魔女のしわざ」のせいにし、
錬金術に頼ったり、なんでもかんでも血を抜いちゃったり、
スケープゴートを作り出す集団ヒステリーを容認していた時代よりは、
天と地ほどの差があるといえるかも知れない。


ドラマ化されて好評だったコミック「JIN-仁」は、作者が、
江戸時代の遊女たちの多くが梅毒(淋病)で命を落とした事実を知り、
今の時代の医学があったなら、彼女たちを助けられたものを・・・
と思った気持ちから着想を得て、生まれた作品だそうだ。

確かにそう。

天然痘もそうだし、肺病(結核)も、ハンセン氏病*も。
白血病やエイズの治療法だって・・・
もう少し早ければ・・・って、思う人は多い。

病気と医学はいつも追いかけっこだ。


さて、「病気」とは違うけれども、
今の私たちの日常では、
周知された「症状」や個人の「特徴」「特性」といったもの、
その代表的なもので精神疾患や心理的外傷など・・・は、
今でこそ、そういう症状、問題もあるのだ、と認知されているけど、
何も最近になって派生したというわけでなく、
過去の時代からも存在していたもので、
(もちろん、現在社会の構図によって生まれたものもあるが)
それを現す「言葉」がないばかりに、
明らかに、人々の無理解(無知)と偏見と差別の対象にされていた。

(※セクシャルハラスメントやパワーハラスメントも、
それを示す言葉が生まれたからこそ、その行為が、
人が人に対して行う、赦されざる罪だと
広く認知されるに至った経緯がある。
月経前症候群や片付けられない症候群もそう)

肉体的なものでいえば、
五体や四肢の障害や麻痺、遺伝的疾患、
その他、うつ病、PTSD、ダウン症や自閉症などなど。

精神医学や心理学という分野が生まれる以前、
狂気や愚鈍、異常という、単純な言葉でひとくくりにされ、
地域社会から隔離・隔絶されて、
家族からも見捨てられてしまった人がどれほどいたことか。

(*とはいうものの、
治療法や病気そのもののことが解明されたといっても、
世間に長く息づいた偏見というのは、なかなか取れるものではない。
例えば、
ハンセン氏病への偏見と差別は残念ながら、未だにあって、
正しい知識が広まらないのが事実。)


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数年前に、当方にいらしてくださって以来、
Uさんがセッションを受けるのは久しぶりのこと。
(何かあったときとか、年に数えるほど、なので)

そのときは確か、

「どうして、
 『自分はどうせ人に理解してもらえないのだ』 という思いや、
 仲良くなったところで、突き放されて一人ぼっちになってしまう恐怖、
 など、必要以上の疎外感や孤独感を覚えてしまうのか、
 他人との関係において、近寄りすぎず、すぐ立ち去れる距離を置き、
 自分を傷つけないよう、ガードを堅くしてしまうのか・・・」

彼女の中で、そうした思いが表面化して、
しんどくなってしまい、身動きが取れなくなっていたときだったかと。

これは、一方的な情報のリーディングより、
本人によりいっそう原因を自覚してもらえる、
過去生退行のほうがいいかな、と・・・
ヒプノセラピーで、記憶の糸をたどることにしたのでした。



時間を遡り、
今抱えている「想い」を抱くことになった原因がある場所へと。

時代は、おおまかだけれど近世に近い中世。
場所は西洋としか。
そのあたり詳しく辿れないのは、
当時の彼女、の知性に難があることも理由のよう。


その人生での彼女の性別は男性。

彼女がまず見たのは
何処か、作業場のようなところで、
親方のような存在の人に怒られながら、複数の他人・・・
大人の中に混じって、働いている少し大きな子供、としての自分。

家族はいず、家から通っているわけでもなく、
そこに住み込みながら、仕事をしているようだった。
とはいうものの、そこは「仕事場」というのではないようで、
彼女いわく、「まるで、職業訓練所のようなとこ」とのこと。
(中世の西欧に、そのようなとこがあったとは知る由もないが)

その時代の彼女・・・というか、その彼は、
「職業訓練所」に、自ら望んできたわけではないようだった。
むしろ、そこで働くのはいやいやで、
他にいくところがないから、渋々いる、という状況。

彼をその場所に連れてきたのは、彼の母親で、
ここに連れてくるほかには、彼に生きる場所はない・・・
というような意図で、
母は、息子を「捨て」に来たのだ。

彼が、母や兄弟の理解の範疇を超える存在である、という理由で。

父親は亡くなって、下には弟や妹がいたようだ。
本来ならば、長男で、ある程度年かさのいった彼は、
家族にとって、父親亡き後の頼もしい働き手になるところだったろう。

しかし、彼は、幼少時からすでに他の子供たちと違っていた。
それは成長するにつれ顕著になり、
他人とうまくやっていくことの出来ないばかりか、
家族ともコミュニケーションをはかることができない彼は、
一家にとって、良き働き手とはなりえず、
下の子たちの世話や未亡人として、
ゆとりなく、苦しい生活に追われる母は、
いつまでも「大人」になれそうもない、「彼」をもてあまし、
ついに手放すことを決心した。

彼の感情の表し方、行動は、
両親にとって、ワガママを超えた問題行動にしか映らなかった。
他人の言葉や呼びかけに無反応だったかと思うと、
いきなり、感情を爆発させて、泣いたり、わめいたり・・・

世間に理解されない子を持った母が直面する現実。
彼の母の神経は、
家の中だけでなく、隣近所の関係においても、
そして、狭き村社会の中でも、
どんどん磨り減っていくばかりだった。


そう・・・
多分、今の世、現代なら、理解する人も多い自閉症。
彼女が自分の記憶を通して語る物語から推察するに、
アスペルガー症候群だったのでは?とも思う。
(断定はできないが)

昨今であっても理解されず、誤解も多いのに、
自閉症なんて言葉もなかった、遠い時代の話だ。

本人も辛かったろうし、家族も辛かったろう。

その当時の人は、どのように対処してたのか、知る術もない。


さて、彼の母親の場合、
子捨てや子殺し、人身売買も多かった時代に、
ある程度の年齢になるまで頑張って育てて、
そればかりか、「もう、これ以上は無理!」と思ったときにも、
その子がこの先の人生も路頭に迷わなくていいよう、
手に職をと望んで、職業が身につく場所に、
無理やり押し込めたことは、同じ捨てる行為でも違っていて、
そこに「愛情」があったことは確実だと思う。

この母の選択を、責めることなんて、誰にも出来ないだろう。


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家族の事情、母親の気持ち(想い)があってのことだけれども、

当然ながら「彼」には、
そんな事情、いきさつ、想いなんて理解できるはずもなく、

「親に捨てられた」

という現実、哀しみだけが、強く意識に深く残った。

「なんで、ボクは捨てられたの?」
「家に帰りたい」
「お母さんに会いたい」

毎日泣くけれど、すでに体も大きく、
「子供」の姿をしていない彼の嘆きに、荒くれ者たちが優しいはずもなく。
また、他人の言うことや感情がいまひとつ理解できず、
自分の感情をうまく伝えられない、表現できないことが、
周囲との壁、そして誤解や軋轢を生み、
やがて彼は、その場所にもいられなくなってしまう。

さりとて、実家に戻ることも赦されない。

「帰ってくるな」と、お前にもう還るところはないのだ、と
念押しされたことが頭をよぎって。

そして彼は、実家から職業訓練所?に行く道、
唯一、自分が大きな旅をしたその道、
つまり家に戻る道、けれども戻ることなく、
途中の山に入り、習え覚えた技術で粗末な小屋を作り、
そこで一人暮らすことを選んだ。

森の木を切って、そこから様々なものを作り、
売ったり、頼まれた仕事をしたり、など・・・

けれど、狂人と馬鹿にされたり、白い目で見られたり、
良いように使われてこきつかわれて、騙されることもあった。

対等に自分と関わってくれるのは、
たまに森に遊びに来る、
近くの村の純粋な子供たちだけ。

自分を色眼鏡で見ず、偏見を持たず、差別せず、
ありのままに受け入れてくれる子供たちの笑顔、存在だけが、
彼の救いだった。
それだけが生きる意味で。

でも、彼は孤独だった。

家族に会いたくてたまらなかった。

なぜ、捨てられてしまったのか。

なぜ、家族と一緒に暮らせないのか。

なぜ、母さんは自分に対して、いつも困った顔を見せるのか。

なぜ、自分は疎まれるのか。

どうして、周囲の人は自分を馬鹿にするのか。

どうして、自分は嫌われたり、つまはじきにされるのか。

どうして、周囲の人にわかってもらえないのか。

なんで、みんな冷たいのか。

なにが悪いのか、どうしてそうなってしまうのか・・・

どうすればいいのか、何もわからない。

人は嫌いだ・・・みんな自分をいじめる。

最初はいい顔をしても、やがてボクをつきはなす。

結局、みんなボクを捨てるんだ。

最終的にはみんなボクを嫌いになる。



・・・子供たちは、やがて大人になる。

無垢なうちは、
時を忘れるほど夢中になって遊んで、
同じ目線を共有していた仲間でも、
成長するにつれ、同じ世界をもてなくなってしまう。

すると、ある日「彼」から離れてしまう。
世間の基準に合わせることを覚えてしまうと、
世間から「異端」であり、「異邦人」の彼と、
同族でいることを拒絶するようになり、
彼を差別し、偏見を持つ側の人間になってしまうから。


そして、彼の傷、絶望はさらに深くなる。


彼は絶望のまま、孤独に死んだ。

でも、まだ彼を慕っていた、無垢な子供たちがいた。
彼の死を嘆く存在があった。

それは救いであり、最後の良心のようなもの。

彼のために泣くものがいるのは、
それを彼が知ったことは、魂にとっての慰めになった。

この人生で、彼は母親や弟妹たちに
二度と会うことはなかったけれども・・・



この人生を語りながら、Fさんの瞳からは大粒の涙があふれていた。

彼のために泣き、自分のためにも泣いていた。

彼の孤独、哀しみ、嘆き、怒り、苦しみ・・・

痛いほどにわかるし、それは彼女自身のものであったから。

「ああ、これだったんですね。彼の哀しみだったんだ」


この人生を彼女が生きなければならなかったのには、
ちゃんとした理由がある。

それは罰としての人生などではない。

「孤独を通じてしか、学べないことがある」

人に理解されない哀しみの中でしか、気づけないことがある。

大切なことに気づくための人生・・・
そのための「彼」として生きた人生であったということ。


なぜなら、この人生の前にも人生があり、
すべては連続して起きていることだから。

すべての人生に、ひとつひとつに意味があるのです。
意味のないことなんて、何一つなくて・・・
起きてることには原因があって、知るべきために起きてることともいえる。


彼女・・・は、

他人に理解されないということはどういうことなのか、

それを知る人生を生きる必要があったのです。

このときに、このタイミングで。


だから、パッと見、不幸な人生だったかも知れないけれど、
決して、不幸な人生だったわけじゃない。

彼女は「経験」したたけだから。


人はそうやって、「人生」という「経験」を重ねて、
魂に時を刻んで、大きく、深くなっていくものなのです。



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過去に自閉症だった人が、
その後、生まれ変わってくるときも自閉症ってことはありません。

と、いうか、ケースとしては無いようなのですね・・・。

その時に受けたメンタル的ダメージは、
「記憶?」にトラウマとして、残るようですけれど。

この、Fさんのケースのように。

なので、
その時たまたま、そういう特徴を持って生まれてくるだけのようです。

どちらかというと、亡くなった瞬間には、「普通」に戻っています。
死んだ後のほうが、
むしろ、通常のコミュニケーションが取れる状態といいますかね。

アルツハイマーとかもそうです。
死んだ後には、元気な頃と同じ知的レベルに戻ってます。
なので、ボケちゃったまま幽霊として出てくるってことはないです。

そういう意味では、
ボケてるから、とか、知的レベルに問題があるから、とかで、
相手の人間性を軽視した扱いをしてたりなんかしてた日には、
ちゃんと当人に「見られてる」わけで、魂も覚えてるってことです。
それは植物人間状態の人でも、もちろんそうですしね。

物質社会で、
自己を表現するためのモノとしての肉体のエラーみたいなもので、
「魂」は正常に働いているのですから。

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