2015/11/04

続・時間旅行~忘却の碑

「一体、誰にわかるっていうの?
目の前で夫が死んで、
私、散らばった彼の脳みそを必死でかき集めたの。
あの人の脳みそが、身体の一部が私の手に・・・
忘れられると思う?
どうやったら、忘れられるっていうの?」

買い物依存症の批判に対して、彼女が発したセリフ。
彼女はそう言って、
自分の手を見つめた後、顔を覆ったという。


悲劇の未亡人から一転して、
彼女をアメリカを売った売春婦とまで言わしめた、
ギリシャの海運王との再婚。

その結婚生活において、彼女は毎日大量の買い物をし続けた。
あるときはパリのオートチュクールで、
その店の品物をすべて買い占めるなど。

「君は私を破産させる気か!」

彼女との結婚は失敗だったと・・・
元々は愛の無い、
双方にとっては、お互いに利益を生み出すための再婚ではあったものの、
(夫にとっては元大統領夫人を手に入れるという名誉、
妻にとってはアメリカを離れて子供たちを夫の実家の呪いから守ること)
夫は真剣に離婚を考え、彼女との打算的な結婚のために犠牲にし、
切り捨てた恋人に対する申し訳なさで後悔する日々を送ったという。
その死の瞬間まで、夫は妻を憎み続けた。

「私の臨終の席に妻は・・・あの女は呼ばないでくれ」


ジャクリーン・オナシス・ケネディ

大富豪夫人としてではなく、元大統領夫人として、
かつての夫の隣に眠ることを選んだ人。

ファーストレディの称号も、
悲劇の大統領夫人としての世界中の同情も、
大富豪夫人として、
またその未亡人として手に入れることになった莫大な財産も、
そのお金を無にしてしまうほどの勢いでの消費も、
彼女の悪夢を終わらせ、
心のスキマを埋め合わせることは出来なかった。


散らばった夫の肉片をかき集めた手の感触、
その記憶を拭い去ることは、多分、死んでからも出来なかったろう。


ジャッキーという名の、その悪女に、
私はどこか相通じるものを感じて、
共感を超えた、いとおしさを覚えたりもする。

それは、
ファッションにこだわりを持った彼女が、
愛したシャネルの服が汚れるのもいとわず、
反射的に、夫の身体の一部をかき集めてしまったその姿に、
遠い日の、自分を重ねてみてしまったからかも知れない。


========================================================

庭いじりをしているとき、
ふいに昭和歌謡を口ずさんでいる自分がいたりして、
「何で私『喝采』とか歌ってるんだろう?」と・・・脱力感に陥ったりする。
(先日は「シクラメンのかほり」とか歌っちゃってたよ、とほほ)

細かいストーリーは省くとして、
恋人の死を知らされて、喪服でステージに立っている歌手の歌だ。

ペドロ&カプリシャスの「教会へ行く」という歌もすごく好きだった。
マイナーな歌で、若い人は知らないだろうけど。

いずれの歌にも共通しているのは、恋人が死ぬ、という情景。

メーテルは、惑星メーテルの部品になっていった人たちのために、
いつも喪服を着ていた。

私も十代の頃は、それがどういう意味なのか、
自分の無意識の行動にも気づかず、黒い服ばかり着ていた。




それは明の時代だったように思う。

その町のとても大きな家、地方役人だか、金持ちだか、名家だか、
その辺りはよく覚えていないが、
とてつもなく広い屋敷のその門の前に、
私は赤子のうちに捨てられていた。

家の造作のことはよく覚えてないのだけれど、
門のことだけは覚えている。

神田にある、湯島聖堂のような、あんな大きな門。
だからどうしても、あの場所に行くと、ヘンな気持ちになる。
なんともいえない、
いいようのない圧迫感と畏怖と懐かしさと、妙な錯覚と。

拾われて、私はその家で大きくなった。

とはいうものの、その家の「子」としてではない。
いずれはその家で働く人手として、
使用人たちに養育されることを許されただけだ。
確かにその家には、それだけの余裕があった。

まだ、さほど働き手としては期待されていない子供の頃は、
自由な時間もそれなりにあって、庭で遊んだり、
ただっぴろい屋敷の敷地の中をうろついて、冒険をすることもあった。
それをくれたのが誰かなんて覚えてもないが、
石・・・たぶん水晶だと思うが、それをもらって、大切にし、
どこで習い覚えたのか、いつしか占いのようなことをするようになった。
(まあ、その昔、過去生では何度もそういう仕事をしてたから、
無意識的に技術を覚えていたのだろう)


子供の占いとは言え、未来の様相を気にしたり、
ささやかな幸いや吉兆を求めるのは、何時の時代の庶民も同じ。
使用人たちの間で、いつしか私の占いは評判になり、
それが「主」の耳にも入ることになった。

最初は、使用人の子供がする占いなんて、
ちょっとした宴の、座の余興のつもりだったのだろう。

でも、何度もそうした場に引っ張りだされるうちに、
主は「これは使える」と思ったらしい。

ただし、商売として占いをさせようとか、そうした類のものでなく・・・
占いが当たるとか当たらないとか、そうしたことも眼中にはなくて、
自身の取引相手や客人たち、
有力者たちに「使える」と判断したのだった。

つまりは占いを使った八百長。
霊感商法のようなこともさせる意味合いもあり。
時にニセの託宣をさせることで相手を脅したり・・・
高い、縁起物を買わせたり、取引を有利に運ばせたり、
商売敵に呪術をかけさせられたり、
お金儲け、のためにも、もちろん使われた。


それは私にとってはとても苦痛だったのだけれど、
何しろ、家の前に捨てられていただけの縁で、
その赤子を引き取り、育ててもらったという恩があった。
私を育ててくれた、その屋敷の人たちもいた。
逆らうことなんて出来なかった。

追い出されるのが何よりも怖かった。
捨て子だった私には、行くところなんてどこにもなかったし、
外の世界のことは何も知らず、
その屋敷の中が唯一知っている「世界」だったから。
私はその家の「子」だったので。

年頃になったとき、
「金づる」として、まだまだ利用価値のあった私は、
求婚者のあらわれないうちにと、
無理やり、「主」の妾にされてしまった。

その家には、正妻はもちろん、既にたくさんの夫人たちがいた。
旦那様である主は年老いていて、
私には「父親」のようなイメージの人だったから、
そんなふうにされてしまったことは、とてもショックだった。

また、それまでは親切で好意的だった奥様である正妻や夫人たちが
その日を境に、とても冷たい、イジワルな人々になってしまったのも
針のむしろにいるようで、ますますその屋敷での生活を苦痛にさせた。


毎日泣いていたような気がするよ。
単なる使用人から、夫人の一人に昇格したといっても、
自由の無い、籠の中の鳥だったから。

でも、私を育ててくれた昔からの使用人の人々、
そして、使用人仲間であった、幼馴染の彼が唯一の支えで。

幼い頃から兄弟姉妹のように心を許してた人だし、
年頃になっていた私たちは、こんな境遇を嘆くうちに
まあ、こそこそと隠れて、忍び合うようになっちゃったんだよね。

地獄のような日々の中で、
やりたくないことをさせられなくて、言いたくないことを言わされない日で、
さらに旦那様が尋ねて来なくて、彼が尋ねてくる真夜中だけが、
唯一の安らぎで慰めの時間。

で、結局バレてしまった。

使用人のほとんどが私たちのことを黙認というか、
こっそり応援というか、協力?してくれていたけれど・・・
中には、点数稼ぎをするような人もいるわけ。
首になって追い出されるなら、それで済むならいい。

けれど、
その時代、「主人のもの」に手をつけるというのは、かなりの重罪。


どうなったか。


彼は、死刑になった。

牛裂きの刑によって。

手足と首の五箇所を、縄で縛り、それを牛に結びつけ、
牛を四方八方に動かして、紐を引っ張る。

すると、どうなるかって?

手足も首もバラバラになる。


姦通の罰として、私はそれを「見させられた」

死刑を見物するために、わざわざ席をしつらえて、
主も正妻も夫人たちも、椅子に座って、
たくさんの人々が好奇に満ちた目で見ている中、

私が愛した人は、一瞬のうちに、肉片になった。

手が、足が、首が・・・・
ちぎれて、血が噴出して、内臓があちこちに散らばって・・・

私は取り押さえようとするものたちの手を振り払って、かけよって、
単なる肉の塊、切れ端になった肉片、腸を必死で手でかき集めた。

なんで、そんなことをしたのか、
反射的にそんな行動を取ったのか、さっぱり覚えていない。
たぶん、泣き喚いて、気が狂ったみたいに、叫んでいたろうが。

まだ暖かくて、生ぬるくて、その感触も、臭いも・・・

わざと着飾らされた豪華な衣装が、彼の血と肉片でぐちゃぐちゃになって、
無理やりに引き剥がされた後も、手にした「頭」を手放そうとはしなくて、
でも、それは許されることではなく。

彼の遺体は、たぶん・・・ 
穴に埋められることもなく、野犬の餌食にくれてしまわれたろう。


私は、殺されなかった。
しばらく、座敷牢のようなところに閉じ込められたけれど。

「主」にとっては、金づるで、まだまだ利用価値があったから。

もちろん、後をおっての自殺も考えた。
だけど、その時の私は妊娠していた。
彼の子だった。

よくも、あんな光景を見させられたのに、
流産することがなかったと、自分でも不思議に思う。

だけど、この子だけは絶対に産んでやる・・・と、
それだけが支えになった。

妊娠しているのを隠して、
日数をずらして・・・
もし、本当の父親がばれてしまったら、それは命取りだから。
出産が早まったように、工作して、騙して。

そのあたりは、私に同情的で協力してくれる使用人が、いたから。


月満ちて、娘が生まれて・・・
涙が出るほど、嬉しくて、その子を抱きしめてはよく泣いた。
その子の成長だけが楽しみだった。

でも、出産後から、私は「毒」を盛られ始めた。

殺すためではなくて、出て行かないように、どこにもいけないよう、
足腰が立たなくなるようにするための薬湯。
(私は元々使用人、下女の身分だったから、纏足をしていなかった)

私は彼らに「利益」と「富」をもたらす、金の卵だったようだから。


やがて、高齢の「主」が死に、
病気にかかっていた正妻に代わって、この時とばかりに
復讐心もあって、その家をのっとった。
正妻に子はなく、ほかに夫人たち、子供たちもいたけど・・・
私の発言力は強くて、
その家の商売に欠かせない存在となっていたから。

こんな家つぶれてしまえばいい・・・

なんて、お金を使いまくって、高いものを買い捲ったり、
それまでの怒りと復讐心から、いろんな人を追い出して、仕返しをした。

でも、長いこと盛られていた薬のせいで、
足腰は弱り、「目」がだいぶ見えなくなっていたのね。


ある日、大事に育てていた娘・・・が、
使用人が目を話したすきに、庭の池に落ちて溺れ死んでしまった。

たったひとつの、支えだったのに。
愛する人の「かたみ」で、かけがえのない宝ものだったのに。


月が・・・とても赤かった。
まるで人を飲み込んでしまうような、大きな満月。
気持ち悪いほどにどくどくしくて・・・

守るものを失って、
生きている意味が無くて、がむしゃらに頑張る理由も無くなって、
何もかもがいやで、それまでの自分も、全部が嫌いで憎くて、
それでも何とか、やっとのところでギリギリ繋がっていた、
最後の細い糸がぷちっと、切れてしまったその瞬間。

あの子・・・が落ちた池に私も落ちて死んだ。

死の瞬間、水面の向こうにも、大きな月が見えてたようにも思う。

たぶん、もう、その前から壊れていたんだろう。
あの人の肉体が、目の前でちぎれたときから。




たくさんの人生を生きた中で、
思い出したくなくて、忘れたかった人生のうちのひとつ。
自然な形で「覚えて」いたのではなくて、
無理やり引っ張り出して、思い出した人生でもあり。
ほじくりだしたというのかな。

ものすごく引きずってて、ネガティブな影響を受けていたので、
取り除く必要のあったトラウマでもある。
抑圧して、なかったことにしたくても、
イヤでも傷って浮き上がってくるから。
見たくなくても直視して、向き合って、手放す必要があった。

昔から、「薬」が嫌いで(とくに漢方とか薬湯)、
吐いちゃったりして飲めなかったのは、この人生のせい。
今は克服したから、平気。飲めてます、飲んでます。

満月を見ると、妙な気分になるのも。

父親ほど年齢の離れたオッサンが嫌いなのも?(笑)

占いでお金をもらうこと、商売をすることに抵抗があったり、
(そういうのを汚いお金として、見てしまうところがあって)
霊感商法とかに異常に嫌悪感持つのも。
「利用」されるのではないかとか、そういう構えがあるのも。

なんか、陳腐なメロドラマしてるな~・・・と、
実際はそんなキレイな物語ではないなーとも思いつつ。

今生で、この時処刑された恋人ですか、
いちおう再会はしてますけど、
現実はそんなにロマンティックなものじゃないです(キッパリ!)

想い出は、美化されるし、
ロミオとジュリエットの物語がたった一週間の話だったことを思えば、
若者の恋なんて軽率で持続性に欠けるものです。

前世からの縁だとか、巡り合いなんて言ったって、
それは小説とか映画の話。
実際は、ロマンス映画のラブシーンとAVの違いくらい、
生臭くてギャップのあるもの。



関係ないけど、この人生のお陰か、
竹崎真美さんの「金瓶梅」にものすごく感情移入してしまう。
たぶん、どっか時代考証とか人間関係が似ているんでしょうね。
人物設定やディティール、話自体も違うけど。
ちなみに、
私は悪女だけど、情にもろくて、優しい金蓮が大好きです。

しかし、こんだけ嫌な思いしているのに、PTSDになってたのに・・・
なんで不快感持たないのか不思議です<中国
中国映画、結構好きだし。「西遊記」とか好きだったし(夏目雅子版)
行きたいとも思ってたし・・・

まあ、他の時代にも生きてて、楽しい想い出もあるからかも知れません。


でもまー

そんな風に、「忘れて」いることでも、
ホント、現在のパーソナリティにしっかり深く根を下ろして、
闇のように広がって、悪影響を与えていることって、それなりにあります。

私の場合、「死んだときにみっともない下着つけてたら、恥ずかしいな」とか、
飛行機に乗るときに、
事故に遭った後、自分の身体がバラバラになったなら、
肉体の特徴がわからないと困るな、とか、
「こんなババくさい、汚い下着着てんだ」なんて思われるのが恥ずかしいと、
死体を発見されたあとのこととか、無性に心配するクセがあるんですが、
それは魔女裁判で、斧で首を打ち落とされたときに、
死刑執行人がへたくそで、三度も打ち直されたものだから、
せっかく身支度を整えて、潔く死に望んだのに、苦しんでのたうちくるしんで、
とってもみっとも恥ずかしい死体・・・になっちゃったことがトラウマで。
(その時は、珍しく美女だったし)

ベッドに寝てると、畳の下から刃物が突き出てくるんじゃないかって、
そんなわけのわからない恐怖もずっと抱えてて、怯えてた。
それは、実際に、そうやって暗殺されたことがあったからなんだけどね。
(日本の時代劇でもおなじみだけど、私の場合はアラブで、
ベッドの下に暗殺者が隠れていたのであった)

高いところが苦手で、誰かに突き落とされるんじゃないかって、
そういう恐怖も突き落とされて死んだことがあったからだし・・・

自分が突然死したとき、長い不在をしたとき、
プライベートな文書が人に見られるようなことがあったら困るという
へんな思いグセもあって、
手紙とかメール、写真でさえも一定の期間過ぎたら処分してしまって、
特に旅行する前に処分するクセがあったり。
それも、過去の教訓からくる「怯え」であり「備え」なんだよね。

なんていうかー 
無意識下のトラウマというか、
理由のわからない恐怖とか、妙なこだわりとか、
ちゃんと、これこれこういうPTSDがあるから・・・というのがあったりします。

ひとつひとつ取り除いて、あーやれやれって自由になれていますけどね。
理由がわかると、辞められるというか、なんというか・・・。

まあ、過去生を知る利点というのは、そういうところにもあるでしょうね。

「なーんだ、そういうことか」って。

0 件のコメント:

コメントを投稿