2015/11/04

唯一、誠実であること

ちょっと?昔の話から。

私は、担任のセンセに薦められた、
自転車通学が可能な安全パイの公立(偏差値55)ではなく、
電車通学の偏差値ギリギリの公立(偏差値60)を受けてしまったので、
ものの見事に受験に失敗、お決まりのすべりどめ私立へ。
高い入学金や、公立×3倍の授業料、および定期代を稼ぐため、
入学前からせっせとバイト探して、就労の日々・・・がスタートしたり。
(※もともと頭悪いし受験勉強してなかったし、自業自得です)

ラーメン屋の皿洗いやら調理補助とか、某ファーストフードとか、
○協のレジとか、とんかつ屋や中華やファミレスのウェイトレスとか、
山○パンの工場の製造補助とか、流通センターの仕分けとか、
選挙のアンケートやら、テレマやら、ティッシュ配りとか
警備員だの製本だの、結婚式場の裏方とか・・・もういろいろ。


で、それがその高校のときだったか、その後の専門時代だったか・・・
んでもって、そこがどんな業種のどんな内容のバイトだったのか、
肝心なことはさっぱり忘れてしまったのだけれども、
『その人』から言われた、そのセリフだけは・・・
その人からそう『いわれた』、ということだけは、
なぜかいつまでも心に残って、忘れてないことがあったりするのです。

てか、実質そこでは働いていないのですがね。
不採用だったので。

面接のとき、いろいろと話をするわけだけれども、
あれこれ聞かれたことに対して、
やったことが無いことに関してはやったことがない、
自信がないことには自信がないと、つまりはそんな風に、
私はたぶんバカ正直に答えていて、
それに対して、その人(面接をした人)は、

「君ねー これから世の中で生きていくのに、
そんなふうになんでも正直に答えていちゃダメだよ。
もっと自分をアピールするというのかな・・・
できないことでも、できるっていうくらいの、
ハッタリかませないと、ダメだよ」

・・・・・・と。

私のほうは、「はあ?」って、感じだったのですけどね。

この後もいくつか、説教?というか、話は続いたと思うけど、
詳しいことは忘れてしまいました。

そして、上記の通り、不採用だったので、
この人と話をしたのは、後にも先にもこの一回だけだったのですが、
いつまでも忘れられない言葉として、私の中に焼き付けられたり。


∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵


でも、どうなんでしょ。
あれから数十年も経ってしまって、私も年を取り、
社会人経験も重ねてきたわけですけれど、
「ハッタリ」をかますことが果たしていいことなのか、悪いことなのか。

ただ、言えてるのは、
自分が社会で働いてみて、様々な人を見て、経験上思うことは、
「ハッタリ」かまして、デカイこといってる人って、
それで「できた」試しがないじゃないか・・・って、
そんなのがほとんどで(苦笑)

面接のときに、
「私はアレができます。これができます。まかしてください!」
なーんていう人に限って、
実際の業務で、「あれえ?」みたいな・・・空気になり、
「実は触ったことがないんですぅ」とか「前と環境が違うんで」とか。

するってーと、
みんな「話が違うぢゃないかああああ~!」と人事にブーイング。

ま、ありがちですけど。

その他にも、
「私は、なんでも、まるっとお見通しだ!」なーんていう人に限って、
「え゛え゛え゛っ? それ別人のことなのに勘違いしちゃうん?」
「ぜんぜん、わかってねーし!」
なんてのもあったりで。

ハッタリかまして、それで本当に「できる(有言実行)」のならいいけど、
そうでないと、ただの虚言というかー 自分を分かってないというか、
等身大の自分を理解できていない大法螺ふき・・・になってしまいます。

そういう意味では、
あまり自分を大きく見せすぎるのも、どうか、と思ったりする。
私の場合。
自己演出をするのは、それなりに大事なことだとは思うけど。

そうなろうと思って、理想に近づくために、
アファメーションのように自分に言い聞かせ、
なりきるのも、必要かつ有益なイメトレではあるものの~
そのためには向上心からの努力、『白鳥の水かき』があってこそ。


で、なんでこんな話をするかというと、
最近、ホームページをリニューアルする作業やらなんやらで、
あれこれクライアントさんや生徒さんたちから意見を頂くことがあり、
「アルマさん、自分のこと過小評価しすぎ」
「謙虚というより、自分のこと卑屈に書きすぎ」
「できることたくさんあるのに、できるって何故書かないの?」
「もっと自信満々に自分をアピールしないと!」
「お商売下手すぎ!」
「アルマさんがクライアントさんや生徒さんに対して
常に誠実であろうとし、真摯に向き合っているのは、
実際に接している私たちには分かりますけども、
それがサイトやブログで表現されてないのは意味ない。
ネットで伝えないのはもったいない!」とかとか・・・

お叱り?(笑)というか、ありがたいアドバイスをたくさん頂きまして。

はひー


んー・・・

ていうかー 

『嘘』を書きたくないだけなんですよ。

どんな事例も、『やってみないと』結果出せるか、分からないわけだから。

(この場合の結果って、
クライアントさんが期待している結果という意味になるかな)
実際、すべて100発100中なわけじゃない。
半分うまくいけば儲けものです。
力も知恵も技術も及ばないなんてものじゃない。
役不足なことありすぎ。
クライアントさんとの信頼関係がうまく築けないこともたくさん。
失敗もてんこ盛り。

ヒーリングなどでエネルギーいじることに関しては、
時期が来ているのか、いないのか、
直してもいいことなのか、直すべきことではないのか、
そんなふうに、
ヒーリングという形で関与してもよい事例であるのかってのもあり、
その人が知るべき時期であるのか、伝えてもいい情報であるのか、

霊的なものに対する対処なら尚更。
それは取ってもいいものなのか、取るべきではないものなのか、
どこまで「触って」「いじって」いいものなのか、とか・・・
あるわけで、

それが、人の望みの通りになるとは限りません。

まして、エネルギーにしても心霊的なことにしても、
私が行っているというより(実際私が起こしているのではない)、
目に見えない存在の、サポートの人たちが行っていることで、
彼らにゆだねているというか、
クライアントさんのカルマの問題とか、気づきの時期とか、
魂としてのレッスンとか、人としての成長段階の問題とか、
そんなこともあってのことなので、
こちら側でコントロールできることではなく、
結果はなるようにしかならない・・・ということなのです。

ものすごく無責任な言い方になってしまうのですけれどね。

このあたりはホント、天のみぞ知ること。
私が出来るのは、この世の摂理に従うことだけ。
そしてそれを解説、説明して、形にするだけ。

私はあくまで「チーム」の一員であって、
その中の三次元の存在として、
この物質社会である三次元の世界にて、
皆がわかるように解説したり、代理でメッセージを伝えたり、
具現化した現象を体感させるだけの役割なんです。

私はそこにいる立会人であり、メッセンジャーであり、
あくまで窓口として、受付に立っているだけのもの。
目に見える形としての存在で、皆の前に立っているに過ぎない。

クライアントさんに「気づき」をもたらすための、
生徒さんに対しては、真理を伝えるための道具でしかないから。

私はその人にとっての、
人生上で、ある役割をするためのコマなんですね。
それ以上でも以下でもない。

それが私の、同胞であるクライアントさんへの役目であり仕事。

私はガイドさんたちと一緒に仕事をするだけ。
彼らの意志に添い、彼らのその人への想いを反映するだけ。

その人の人生を、魂としての存在の道を、成長の歩みを見つめ、
人としての弱さも過ちも、挫折や失敗も、
高みとする目標も、今生の望みもクリアすべき課題も、
それを知って、今を乗り越えさせようとする、
その人へのガイドさんたちの愛ゆえの想いを、
セッションという形で伝えようとするだけ。

私にはそれしか出来ないのです。

いつだって自分ができることのベストは尽くすけれども、
その人の人生の「現在」、その段階とタイミングで、
私がその人に対して果たすべき役割を果たし、
あとは見守ったり、起きることを眺めるしかないのです。

だから、確約はしてあげられない。

私が「問題を解決」してあげられるなんて、言えない。
その人が優しさや人の温もりを求めていたとしても、
それを与えたいとこちらが考えても、
突き放し、誰もその人に言うことのない、
きつい言葉や厳しい態度、プライドをへし折るような痛いことを、
耳に聞かせなくてはいけない時期に来てるのなら、
その必要があるならば、イジワルで不快なことも言うわけだから。

だから、ある人に対しては、優しくもあり、
ある人にとっては物足りなくもあり、
ある人にとっては、とてもイジワルで冷たく、

満ち足りて帰っていく人もいるだろうけれど、
消化不良な気持ちや期待を裏切られた感を持ったり、
なんでそんなこと言われなきゃいけないのって、
来て損したみたいな、そんな感想を持つ人もいるだろう。


私は私自身に対しても、クライアントさんに対しても、
ただ誠実であること、誠実であろうとすることしか、
『出来ない』のです。

その人に何が起きるかを決めているのは、
その人自身の魂であり、
ヒーリングやセッションで解決できることも、
メッセージとして伝えることのできる情報も、
すべては
その人の魂の進化のレベル・・・時期がきているか否か、
どの段階にいるのか・・・に左右されますので。


なので、単なる責任逃れかも知れないんですが、
「絶対」なんて言葉で、約束をすることは出来ないのです。

変えてあげられるとも、よくしてあげられるとも、
ましてや望みを叶えてあげられるとも・・・
てなわんやで、私は、『未だ』に、
『ハッタリ』をかますことが、下手糞で、
それができないままに、あれから、何十年もの年月を生きている。


∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵


でもって、
サイトのあれやこれやの説明文。
くどくどと免責事項や注意書きなど、細かいことたくさん書いてます。
お客さんに対して、とても注文が多い、と取る人もいるでしょう。

経歴として占いの仕事を、22年くらい、
ヒーラー兼セラピストの仕事を6年くらい、しているわけですが、
その間、他の占い師さんとかチャネラーさん、霊能者さん、
ヒーラーや各種セラピストさん、心療内科方面の人を含めて、
そちら側の仕事をしている、
直接的にあるいは間接的に知っている人たちが、
これまでに出合ったトラブルとか、困らされた事項とか、
そういうケースを配慮しての、
トラブル回避のための断り書きになります。

中には訴訟問題や警察沙汰のトラブルに巻き込まれた人もいますし。
女性として屈辱的な目にあったり、ストーカー被害にあったり、
本人だけでなく、大事な家族を巻き込まれたり、
最悪なことに命を落とされた方も幾人か、いるのは事実で、
そこまでいかなくても、細かいことでなんやかんやあるもの。

人としての信頼関係で成り立っているものの、
営業として、すべての人に門戸を広げている立場としては、
お客さんを選ぶことは基本的に出来ません。
開かれた場所であろうとすればするほど、リスクは生じるもので。

ときに、その当人である、お客さん自身を守るためにも、
あれこれとうるさい注意書きというのは必要だったりするのです。

利用していただくお客様に持ってもらいたい、
『心構え』ではありますが、
このあたりは双方が気持ちよく、出会うための、
損をしないためのルールやマナーのようなもので、
そのための『お約束』という風にも思って欲しいのです。


宮沢賢治の「注文の多いレストラン」ではありませんけどね(笑)

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