2015/11/05

グループレッスンのこと

早いもので、今の住所に転居して一年。
人に教えることを始めてからは、6年くらいになりますでしょうか。

最初は手探りで、教えたいことははっきりしていたものの、
スタートしてからが思考錯誤の日々で。
内容も改善したり、削ったり、付け加えたり・・・
でも結局はシンプルなところにたどり着くんですよね。


最初は当日の計画(カリキュラム)をきっちりと建てていたんですが、
参加者の体調だったり、タイムリーに表面化している問題とか、
ハプニングやアクシデントありがちなものの、
計画通りに行かないというよりは、
上手く仕組まれているな・・・というところで、
もう今は綿密な予定は組まず、行き当たりばったりです(笑)

スピリチュアリズム基礎講座ですと、
(旧ヒーラー&サイコセラピスト養成講座)
知識の詰め込み(講義)が中心なんですけれど、
その先のグループレッスンはひたすら実践になりますから。

とはいうものの、
グループレッスンでの目的は、
サイキックな能力の開発を目標とはしていないのです。
ここではスピリチュアルなスキルを高めるための、
その前段階でのトレーニングになりますでしょうか。

まずは自分自身を知って、自らのエゴイズムをそぎ落とすこと。
そのためにはひたすら基礎的なエクササイズと内省の繰り返しです。

自分自身の欠点を知って、これらを直すというよりは自覚すること。
自らの弱さを、誰でもない自分自身が許容することが大事なんです。
この場合の許容というのは、もちろん開き直りとは違います。

弱いところ、ダメなところ、苦手なこと、痛みを感じるところ、
怒りを覚えてしまったり、甘えがあったり、恐れを感じる部分、
ネガティブな感情や反応など、
自分が抱えている負の感情について、自覚した上で、

自分という人間「畑」をどう耕していくか・・・
どのような経験や学びが自分に必要なのか・・・
いまこの瞬間、自らに起きている現実の出来事が示唆していること、
どうしてそれらが起きたのか、自分の中の何が具現化されたのか・・・

客観的に自分のことを眺められるようになる視点を、
持たないといけないからです。

つまりは自分と上手く付き合っていく方法を学ばないと、なので。

もちろん、それだけではなくて、
自分自身の長所、良き個性、伸ばすべき美徳についても観察します。

自分で内省するだけでなく、他者の問題についても同時に学びます。
クラスメイト同士で話し合い、指摘やアドバイス、問題提起など、
これらもとても重要で大切なことなのです。


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さて、いったん話が逸れますが、

6年間、山あり谷こえ・・・で様々なことがありましたし、
生徒さんとの出会いと別れもたくさんありました。

去られる方もいましたし、
こちらからお断りする方もいました。
戻ってこられる方も。

去られる方の理由としては、
レッスン内容に対する不満とか、私に対する幻滅もあったでしょう。
ご家庭の事情とか、そういう方もいましたが・・・

いずれにしても、こうした秘教的なレッスンというのは、
学ぶべき時期が来ているのか、来ていないのか・・・
早すぎるのか、遅すぎるのか・・・
必要な人と必要でないという人がいるということです。

たぶんそれだけです。

それぞれに道があり、
いつだってその人自身が選択したことが一番正しいのです。

もちろん、指導者として私が未熟なのは否めませんけど。


習い事って、相性もあります。

私みたいなダメダメ先生でも、
尊敬してくれないことには始らないというのがありますしねぇ。

このような知識の学びの場、レッスンを提供しているところは
何も私のところだけではありませんし、
うちは他所と比べて安いは安いけれども・・・
内容もまあ濃いかも知れないけど、やってることはとっても地味ですし、
スピリチュアルなパフォーマーになることが目的の人には合いません。

また、これまでにお断りした人の中にもいましたけれど、
スピリチュアルな知識やスキルを学ぶことで、
自分の人生のすべての問題が解決して、何もかも思い通りにいく!
なんて思われている方には違いますし、
自分の問題と向き合いたくない人にも、うちは合いません。

また、当人の意思とは関係ないところで、
学ぶことに対してストップがかかる場合があります。
上から邪魔が入るというのかな・・・

こういうケースって、ガイドさんもわざと「トリップ」を用意してくれて、
「お試し」をしてくれるんですよ。

わざと美味しい「餌」を見せて、その人のエゴイズムを揺さぶる。

そのトリップにかかる人って、
自分の正しい姿を見ようとはしない人が多いかな。
問題から目をそらしていて、ありのままには見ようとせず、
自分が見たいものを見たいように見ようとする人が大概罠にかかる。

自分には何も問題がないと思っている人・・・
自分の問題を見ようとしない、認めようとしない人など。

本人が学ぶことを望んでも、先に進む許可がおりない。

知識がついてちょっとばかりサイキックな能力が開花して、
ヒーリングだとかチャネル能力が使えるようになったからといって、
自分の人生をコントロールする以前に、
他人の人生をよかれと思ってコントロールしようとする人なんか特に。


そういう人は簡単にエゴイズムの罠にかかってしまい、
自らのエゴイズムと向き合うことから逃げてしまう。

エゴイズムを残したまま、スキルだけ身についても、
それはとてもキケンなことなので。


お商売の立場から言うと、
生徒さんを逃がす?ことはイタイことなんだけれども、
適当に多くの人が望むようなユルイ、エセ・スピリチュアリズムを教えて、
適度にイタクない、甘くて砂糖菓子のような
心をとろかせる気持ちのよいことばかり言っていれば、
経営は潤うんでしょうけどね。

天使とおしゃべりしましょう~♪とか、
一週間で誰でもチャネリング出来るようになる! とか?

まあ、多くのスピ好きな人が瞳キラキラしちゃうようなキーワードつけて、
生徒さんのこと、ちやほやと「あなたなら出来るわあ~」なんて煽てて??

でも、そンなことやってても、その人の学びは進まないし、
エゴイズム肥大させて、動物霊くっつけさせて、電波な人にしたてるだけ。
真の意味での霊的成長なんて、どんどん遠ざかっちゃって、
カルマという借金がどんどん嵩むだけ。

(元々お優しい甘い夢なんか見せさせられるようなこと、
私のガラではないというか。所詮、無理です。)

そんなんで、うちはとてもスパルタです(爆)
イジワルでとってもクチが悪くてキツイ性格の、Sな私が先生だから、
Mな人でないと耐えられないかも新米~。

でも、こんな私のことを耐えられて、着いてこれている生徒さんたちは、
とっても優秀な生徒さんたちばかりです。

先生は不良でダラダラしてて、いい加減なのに。

能力という言い方はあまり好きではないけれど・・・
今では生徒さんたちのほうが、私よりも色んなこと出来るし、
パワフルなサイキッカーさんたちです。

うん。。。優秀な後進がいるんで、私はもう引退してもイイヤって感じ(笑)


とはいうものの、
全員が同じスキルを持っているわけじゃありません。
それぞれに得意なこと、不得意なことがあって、個性は様々。

オールマイティーに特出している人もいるし、
ひとつだけに特化している人もいる。
自覚のない人もいますし、開花直前の人もいる。

サイキック能力以前の、自分の問題にひとつ一つ取り組んで、
少しずつ、一歩ずつ、自分の精神の忍耐力を伸ばし、
感情の抑制と消化の方法を学んで、
人としての成長を遂げている人もいる。

ひとり一人、霊的進化の段階が違うし、
課題も、お役目も異なるから、それはそれでいいんですよ。
個人の魂の方向性や霊的段階に見合った伸び方で。

そんな風に、個人ひとり一人をしっかり見ていこうと思ったら、
今いる12名が限界だなあ~ってつくづく思います。

キリストさんとこのお弟子さんも12使徒だったし、
ある意味でそれがギリの数字なのかも知れません。


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さて、サイキックなトレーニングにしても、
スピリチュアルな精神修養にしても、そのいずれも、
一人で行うよりはグループで行うことが望ましかったりします。

エドガー・ケイシーも自らの著書でそう推奨しています。

20世紀最大のヒーラーといわれたダスカロスも、
一般の人の学びの機会として、
グループレッスンの場としてのサークルを主催していました。

(なおかつそのためには
優秀な指導者の存在も欠かせませんが、
この場合、私は除外ってことでヨロシク)


なぜ、グループレッスンなのか・・・


それは、個人よりも集団の力のほうが大きいからです。

そればかりではなく、
個人だと自らの写し鏡となる他者がいず、
比較対象となる存在がないことから、
自分の姿や現在の立ち位置を確認することができません。

また自分の問題だけでなく、他人の問題をよく見て、
観察力と洞察力を磨き、複合的かつ客観的な視野を養い、
他人の問題を自分の問題であるがごとくに、
考える力を鍛えることはとても重要なのです。

そして、他者からの痛い指摘に耐えられる精神を養うことも。

何よりも仲間がいることは、
辛いレッスン過程を乗り越えるのに、励みになります。

仲間意識や協調性を養うことは、
スピリチュアルやサイキックなレッスンにとってとても大切で、
一番外せない、絶対に欠かせない要素なのです。

知識と力を身に付けると、人は「エゴイズム」に流されやすくなります。

人としての暖かい感情を育むこと・・・愛を養うことはもっとも重要です。

愛が無ければ、スピリチュアルな成長など望めません。

愛のないサイキックな能力はあっというまに傲慢へと結びつきますから。


だから、一人で学ぶよりは、仲間と学ぶほうが「早道」なのです。

もちろん、
スピリチュアルな学校に通うばかりが、
スピリチュアルな学びではありません。

日常の生活においての問題に取り組むことそのものが人生の学びです。
日々自分を見つめて、周囲の人をすべて先生として見なし、
多くのことから学ぼうとすれば、何一つ無駄なことはありません。

友達との関係のこと、職場でのこと、家族とのこと・・・ect


ただいえていることは、

私たちは「人間関係」から多くを学ぶことが出来るので、
他人と関わらずに孤立することは望ましくありません。

都会にはたくさん学ぶ機会があります。
学んだ知識を実践するチャンスがすぐに訪れるという意味で。

人生そのものが、学校なのですから。

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