2015/11/04

仇も情けも我が身より出る

以前の記事(前の前のふたつ位)なんかに書いた内容だと、
私という人間はまったくもって忍耐のかけらもなく、
すったもんだのあげく、騒ぎを起こして去っていくばかりで、
努力の欠片もないやつ・・・な印象しか与えてませんけれど、
(実際長く続いた試しはありませんが)
それでも、歯を食いしばって頑張ってみたことはあるのです。


アニメーターの仕事をしていたときは、
毎日徹夜徹夜でしたで、24時間戦いますか、とばかりに、
何日も不眠不休で意識朦朧の中、仕事をし、
成人式当日にも風呂にも入れない状態でひたすら仕事。
(明日10時から放映の24時間テレビの作品なのに、
今明け方にまだ作画で間に合うのかしら~なんてのも多々。
夜7時からのSPなのに今もう夕方ですけど間に合うンか!
みたいなのとかねー修羅場はお約束で)

安い給料(出来高制で月8万位)で家賃払っての貧乏生活。
食費は月一万で、職場では三個百円の具なしラーメン、
夏はそうめん、キャベツしか入ってないお好み焼きがローテ、
月一回定食屋に行くのが贅沢で、栄養失調にもなりました。
洋服なんて買えないし、電話もないし・・・
それでも好きな絵を描く仕事だったし、続けたかったけれど、
如何せん身体壊して、もたなかった。
事故にもあっちゃったしねぇ。


そして、バブル真っ盛り。「私をスキーに連れてって」の頃。
スキー場でのシーズン住み込みバイト(配膳)をしたとき、
そこはとっても排他的な雰囲気の職場で、
なんていうか、みんな冷たいといいますか、「ふんっ!」って感じで、
すごくイジワルされました。
口聴いてくれないとか仲間ハズレくらいならいいんですが、
重たい寸胴に入った熱い牛乳をポットに入れるとき、
後ろから突き飛ばされたり、足引っ掛けられて転ばされたり、
ねちねちとイヤミ言われたり、暴言吐かれたり・・・とかとか。
まあ、同じバイトにってのはなく、社員さんたちにですけど。

私も負けん気強いんで、言い返したりはもちしました。
「なにくそ、こんちくちょー!」と悔しさをバネにして)

暖房効いた室内でのサービスですから、制服は半袖で、
ヒールのない靴にストッキングっていう軽装なわけですけれど、
「おい、表のテラス席の灰皿、ぜんぶ取り替えてこい!」
と、上に羽織るものも貸してくれず、雪の中、ブルブル震えながら、
かじかんだ腕や手をこすりながら、足元つるっとすべりながら
スキーウェアのお客さんたちにジロジロ見られつつ、半泣きでした。
結局、上の人が目ざとく見つけてくれて、
「そんなことしなくていいから、早く中に入んなさい」と、なりましたが、
風邪は引いちゃいましたね。もともと身体丈夫じゃないんで。

それでも頑張れたのは、
治療代で作った借金があったし、何よりも若かったからかな。
あと週末の金土日になると、バイトさんがドッとやってきて、
一人だった大部屋が賑やかになり、立場が同じなので、
色々と話せるし判ってもらえるしの、友達が出来たからです。
主に関東からの子たちが多かったし。

で、なんで社員さんたちがそんなにイジワルだったかというと、
配膳の時給が良かったから。その時期にしか来ないのに、
一ヶ月の給料だけで見たとき、社員さんより高給取りだから。
でも、年間のトータル(年収)で考えたとき、
ボーナスも交通費も退職金もないバイトのほうが損ではあるんですが。
そのあたりは時給マジック。

あと社員さんたちは地元とか、隣県の人たちばかりで、
都会の人たちにコンプレックスを持っていたようです。
(都会っていっても、アタシャ千葉出身ですけどね)
なんで彼らが都会の人間に偏見持っているのが判ったかというと、

週末バイトの中に大学生で何シーズンか、
バイトに来ている子が居たんですが、
(ちなみに常駐は私だけだったんだけど)
その子はいつも社員さんたちにお土産を買ってくるんですよ。
それがよくある食べ物とかではなく、
ブランドもののTシャツとか小物とか、一人ひとりにいいものを。
どうもお金持ちのお嬢様らしくて、
目的はお金というより社会勉強のためのバイトだったのかな。

で、皆彼女の前では「ありがとう」って貰うんだけど、
実際は、
「ふん、東京の人間だからって、ひけらかしちゃって何さ。
私たちがこんなもの買えないと思って、バカにして・・・」
と、まあそんな感じで。

でも、彼女がそうしてたのは勿論イヤミではなく、
思うに、皆の中に上手く溶け込みたいからの処世術だったと思うけど、
裏目に出ちゃってたというか、何というか、でした。
私も彼女とはソリが合わず、友達にはなれませんでしたね。

いわゆる排他的な雰囲気の中、
金土日はたくさん仲良くなったバイトさんが大量に来て、
とっても楽しく過ごせたけれど、彼女たちが帰ってしまってからの、
日曜日の夜から木曜日までが孤独な針のむしろ状態。

流石にしんどかったし、辛くなって、泣けたときもあった。

けれど、とりあえずマジメに文句言わず、仕事だけはしてたからかな。
少しずつ、周囲の態度も軟化してきて、
受け入れてくれるようになったというか、打ち解けて話しかけてくれたり、
部屋に遊びにきてくれたり、厨房の人たちも親切にしてくれるようになり、
イジワルだった黒服の人たちも、
乱暴な言葉使いから親しみのある言葉使いになっていって。
それでも最後までイジワルで冷たい人たちはいたけど。

心配した彼氏が遊びに来てくれたときには茶化されたし。
(びーびー泣きながら、しょっちゅう電話掛けてたんで)
三ヶ月経って、帰る日には「好きなもの食べていいぞ」って、
お客さんとしておもてなししてくれたし。
その後に遊びに行ったときも親切にしてもらったり、
一部の人とは手紙のやり取りも続いて。

最初はどうしようかと途方にくれたし、
すごく辛くもあったけれど、最後には報われた経験でもあった。


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それとこれは派遣OL初めてからの話。
直近で他製薬会社にて有害事象の入力をしていた流れで、
たまたま治験事務の仕事を紹介してもらえたのです。
上記にも書いたように、学生時代からサービスのバイトをしたり、
アニメーターとか占い師とかエステシャンとかの専門職?ばかりで、
一般企業に事務として入社したことが無い私。
まあ、食品会社で社員の経験はあったけれど、サービスの方でして。
前に書いたIT企業の企画広報部での部長アシで鍛えられたものの、
基本的に事務職のイロハがわかってなかったんですよ。
でもって、治験事務ってこれまた特殊だから。

長期のポジションで入ったものの、
指示をもらえないことには右も左も判らず。
その会社の臨床開発部は一課から四課まであって、
今回の派遣採用枠は一課と二課に一名ずつで、
私と一緒に入ったもう一人の合計二名。


最初の頃は、一緒に入った一課の子と(私は二課)、
言いつけ仕事を会議室で2人で組んでやっていたものの、
そのうちその仕事は終わり、自分の課での仕事に。
彼女のほうの上司である一課の課長は、きちんと指示をする人で、
仕事の説明もきちんとしているようだったんたけれど、
私の配属先、二課の課長さんは知らんふりというか、
「よろしく」と無愛想に挨拶をしただけで、指示とか説明もなく、
ひたすら自分の仕事をしているし、他の人も誰も何も・・・。
いきなり私一人席に放置状態。それがあくる日も何日も。

それでは仕事にならんから、とうとう私のほうから
「あの、それで一体、それで私は何をしたらいいんですか?」

と相談を持ちかけたというか、、
上司である課長に尋ねたわけです。

したらば、何か伝え方が悪かったのか、ご機嫌斜めになってしまい、

「辞めたければ、辞めてくれてもいいですよ」

え゛え゛え゛え゛え゛え゛~? そんなことは言ってませんが?

私の仕事が何か、何をすればいいのか、
聞いただけなのにぃいいいい~?


で、目が白目になってフリーズ。


どうしたらいいんだ状態でした。もうマジ半泣き。

とりあえず、周囲の人たち・・・同じ部の社員さんたちに、
「何か手伝うことはありますか?」って聞いたりしたけど、
「いいやー何も~ ラクにしてて」だったり。

ホント困りました。

とりあえず、何をしていいのか、何も指示もらえないし、
社員の人に「何かないですか?」と聞いても、そんなこんなだし、
そのうち、ポツリポツリとおこぼれ的な仕事はくれるようになったけれども、
それでもヒマというか、自分の仕事の範疇やらポジションというか、
業務の全容も流れもわからず、途方に暮れましたわ。


課長には嫌われてシカトされてるしで、泣きたいし胃は痛いし、
一週間で辞めたくなったし、朝起きて行くのが辛かった。
でも、他部署の人たちが声掛けてくれたり(トイレとか休憩室で)、
同じ部署のモニターさんたちも話しかけてくれて世間話したり、
課長との仲は最悪だったけれど、環境とか雰囲気は悪くなく、
時給も良かったですしねえ(外資だから飲み物とかタダだし)。
隣一課の同期の子とか、他の課の派遣さんたちもいたし。
でも、一課の課長さんはとてもユーモアのある叔父様で、
よくジョーク言って笑わしてくれたりする人だったら、
仕事の指示もちゃんとくれる上司だし、
「いいなあ、私もそっち(一課)に行きたいわ。トレードして!」
といつも思ってたかな。


けど、我が身を嘆いていても仕方ないので、
もう仕事をもらえなければ自分で仕事を見つけるしかないと・・・
フロアの隅っこの雑然と散らかった書棚とかアーカイブとか、
そういうのの整理整頓を始めたのでした。勝手に。
古いファイルの表紙をはがしてリサイクルできるようにしたり、
本棚をキレイに並び替えたり、タイトルを手プラでつけたり、
あっちこっち掃除も兼ねて、徹底的に。

そうこうしている内に、社員さんたちもポツポツと、
「あのーこれ作ってくれる?」と仕事のアシスタントを頼みに来てくれて、
少しずつ打ち解けて、何とか居場所が出来たって感じで。
ヒマそうにしている社員さんに治験のこと聞いたり、GCPとは?なんて、
本を借りて読んだり(社内の)して、自分で勉強して理解して。

そうこうしている内、数ヶ月だった頃、
私をシカトし、険悪な雰囲気だった課長さんと、
何がきっかけだったか忘れたんですけど、
いつの間にか態度が軟化して打ち解けてくれたんですね。

笑って話すようになってた。
仕事も頼んでくれるようになって、冗談も言えるようになって、
気がつけば、仕事の後に一杯飲みに行くようにもなってた。
(ほとんど私のほうが愚痴の聞き役です)

うん。悪い人では無かったんですよ。
ちょっと子供っぽい人だったってだけで。
何か私が入った頃、ストレスMAXでピリピリしてて、
いわゆる拗ねての八つ当たりだったみたいで。
他会社から転職して課長になったものの、
(製薬会社とか薬剤師さんは転職多く、しかも不利にならない)
部下は言うこと聞かないで文句ばかりだし・・・とか、

そんなこんなの中間管理職によくある悩みで、
かなり閉塞してて悶々としていただけみたいでした。
あと自身が何よりも疎外感覚えてたらしく。
(確かにヒラの社員さんたちは課長のこと、馬鹿にしてたし、
悪口も言ってたし、嫌われちゃってましたネ。
まー確かに課長のほうも原因作ってたわけですが)

大人気ないと言えばそうなんだけど、
まあ、上司で年上といえど人間なんだよね。

たぶん、課長にとって一番辛い時期・・・
プレッシャーで鬱々した気分のときに、
私が「あのー何をしたらいいんですか?」と来たもんだから、
何かピキッときちゃったんでしょうね。
仕事教える余裕なんて、まったくない時だったのに、
めんどくさいこと言われて苛苛が爆発した模様、ハイ。

けど、指示出さず放置してるのに、
せっせと自力で仕事見つけて、めげずにいる私を見て、
感情の嵐が去ってから、ちょっとは評価してくれたのかなと。

毎日無視されても挨拶は続けたし、
イヤな態度取られて返事してもらえなくても、
作業の報告したり話しかけるなどは頑張ってみましたのでね。

まあ、会社の雰囲気がまったりのんびりしてて、
外資で理系ってことで、ほどよい距離の人間関係だったし、
周囲の人が温厚で良かったからね。それで頑張れた。

一年経った頃、移動があって、その課長とはお別れ。
新しい課長が来たんだけれど、それがまたとてもイジワルな人で。
他部署の社員さんたちから、
「あいつ、根暗でイヤミなヤツだから気をつけてね」と忠告されるほど。
実際、前課長の比ではなかった。
あからさまに、
「なんだ、君、思ったほど仕事できない人なんですね」
みたいなイジワルを次から次へストレートに言う人で。

その頃には人材移動激しい製薬業界のこと。
モニターさんもたくさん入れ替わってしまい、
新薬の申請通って、プロジェクトも終わり、仕事もヒマになってしまったし、
ストレスもちょーたまりまくりの身体の具合も悪くなり。

さすがにこの人の下では働けない、無理だ!と、更新せず。


うーん。なんでしょうね。
辛くても耐えられる状況と耐えられない状況があったりするわけです。
何が違うのかは判らないんですけどね。
私のそのあたりって、良くわからないや。

今はね・・・年を取ったせいか、まったく我慢が出来ないというか、
かえって、「あ、辞めたほうがいいな」と、
ずいぶんと早い段階で見切りをつけるようになってしまいました。
何か年をとって段々と我がままが酷くなっているのか?
あんまり自分に無理な忍耐を強いることはなくなってしまいましたよ。

わはははは


まあ、でも、マジメにやっていれば報われることもあるというか、
努力すれば、認めてもらえることもあるというか、
(私の場合、努力というのだろうか・・謎)
最初は絶対無理!って思った人とも、理解しあえるというか、
時間をかければ歩み寄れることもあったりします。
それでも最後までダメな人とは、どうにも無理なんですけどね。

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