2015/11/05

信じること見抜くこと⑥

前回の内容で、
Sさんとでは「会話が成り立たない」というのは、
相手が話が通じない頑固者とかいうことではなくて、
規範としているスピリチュアルな知識が異なっているという意味で、
思想や観念、信念体系など、霊的な価値観に差異があるから、
こちらの言うことが伝わりにくい・・・ということになりますでしょうか。


例えば、先日
昔馴染みのとあるヒーラーの方から
数年ぶりに連絡を頂いたのですが、
それは以下のような問い合わせでした。

その方は昔からお母様との関係性(束縛や過干渉)で悩んでいて、
自分を思い通りにコントロールしようとする、
お母様の想念(生霊)に、度々悩まされていました。
それは結婚した後もずっと続いていたものの、
ある時期を過ぎて和らいだのでそのままにしていたそうです。
けれど、ここ数ヶ月あることをきっかけに、
再びそうしたお母様の思念が送られてくるようになったとのこと。

そこでその方は、
「身内との縁切りが出来る人を紹介して欲しい」と、
私に問い合わせてきたのですね。


確かに、それが出来る人はこの世に存在するし、日本にもいます。
けれど、「被ること(反動)」なしに完璧に出来る人は少ない。
下手な人に頼むのはとても危険で、
失敗すると大変どころかさらに状況を悪化させてしまいます。
また、私の信条として知っていても紹介はしない方針です。
普通に以上の理由で断りましたけれど、
素人ではない方なので、もう一つの理由も説明しました。

何故なら霊的真理の観点から言うと、その方が、
そのお母様を選んで生まれてきたという背景があるからです。

生まれる家や両親の決定に関しては、
タイミング次第なので結構アバウトな面もありますが、
自分がその人生で望んだこと、必要な経験を与えられんがために、
もっとも適した土地や環境、夫婦を選んでいるわけで、
その「家」に生まれたのは引き寄せの法則も働いています。
ノルマとしてのカルマのレッスンもその法則のひとつです。

また、
その方がお母様の想念(生霊でありネガティブエレメンタル)の
良くない影響を受けてしまっているというのは、
その方自身に「受けてしまう」問題があるということです。

それがお母様に限ったことではないですが、
そのネガティブな想念に共鳴しなければ、
影響を受けてしまうことはないのですから。

影響を受けてしまう、というのは、
そのネガティブな波動と同じもの(想念)を、
その人が持っているからです。

つまり、その人はお母様と同調しているのであり、
似たもの同士で引き付けあっているのです。
同種というか、同じ霊的レベルといいましょうか・・・。

まあ、垢の他人ではなくて、親子なので、
どうしても「繋がり」はありますし、
とくに母と子の間には、精神的なヘソの尾とも言える、
エーテルコードが存在してしまっていますので、
影響を受けるなというほうが難しいのですけれども。

でも、その親を選んできたブループリントの計画、
その親をして知るべき、自らが投影している問題、
カルマの法則など・・・
もっと先に見て、取り組むなど、他に解決すべき問題があるのに、
安易に、「縁切り」をやってしまうのは、

自分の霊的な人生計画を台無しにすることになったり、
成長の機会を逃がして、カルマの負債を増やし、
後の人生でもっと悲惨な親子関係や人生を、
選ばざるを得ない状況を作ってしまうことになってしまいます。


さて、こうした話をして、果たしてその方は納得したのか・・・。

どうでしょう。たぶん納得はされてないと思います。


たいていの場合・・・
ほとんどの人が「現世利益」的な結果を望むものです。

今回のような状況において、
「来世でどーたらこーたら」とか「霊的真理では」とか、
「カルマの負債が重くなるよ」と言われても、
そんな結果が保証されないことや未来の人生より、
いま自分の問題がスッキリ解決すること、
自分を悩ませている何かが
消滅することを選びたい人のほうが多いのが実状で。

問題を持ち込んでいるのは、自分ではなく、
他者のほうだと・・・原因は外側にあるって、
そう考える人のほうが多いですし、
何かのせいにしてしまったほうが楽ですから。

でも、それで当然というか、仕方ないです。

「いま」という現在の人生で、
直面させられている問題のほうがリアルなわけで、
先の人生のことまでなんて、普通考えてられません。
想像もつかないし、ンなこと言われても。。。だと思います。
いますぐ、楽になりたいと考えるのは自然なことです。


さて、
スピリチュアルなことを勉強して、知識を持っている人、
職業にしている人でさえ、そうです。
第三者に対してはそのような見方が出来ても、
こと自分の問題に関しては。

こういう話をなかなか受け入れてはもらえません。
(それが人間)

拠り所としている知識や信念体系が違っていると、
どうしてもそういうことになってしまうのです。

どこに価値を置いているのか・・・
何を基準にして霊的な世界を捉えているのか・・・
それによって、意見も対立してしまいますし、
言っていることが伝わらない、ということが多いのです。

同じスピリチュアル的な仕事をしている同業者であっても。

とはいうものの、どちらが正しい間違っている、ではないです。
何処に重きを置いているか・・・だけですから。

私の場合は、
その人のトータルな魂の歴史・・・
今の人生だけでなくて、過去生や来世のこととか、
そういうのを総合的に観て、判断しているってだけで、
価値基準がそこにあるから、上記のような見解になるのです。


まあ、でも世の中には色んな意見があるべきで、
色んなモノの見方があるべきなんですけれども。

ただ、真理はひとつしかなく、
「宇宙の法則」ってのは絶対唯一無二の、普遍的なものですが。
どの信念体系を規範とするか、なんですよね。

とはいうものの、私が「正しい」とも言えません。
誤った信念体系を拠り所にして、真理からズレた観念を持ち、
間違った理論を展開しているのは私のほうかも知れません。

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で、
もうそろそろこのテーマ終わりにしたいから、
ムリクリここで書いてしまおう。



②でお話した霊能者さん。

クライアントさんの中に、自分に依存するよう、
氣の塊(想念の塊でありエレメンタル)入れてました。

こういうことする人、います。

でも、意識的に意図的に出来る人と、
無意識でやっている人の二種類ありますので、
後者は自覚がないから、致し方なし・・・かなあ。
前者はわざとだから、罪は重いですよね。
霊的レベルでは絶対にしてはならない、ルール違反です。


そういえば、数年前。私のほうのクライアントさんでも、
オーラに同様のものが埋め込まれている人を見たことがあります。
たまたま、見つけられたので外すことも出来ましたが。

親子関係や夫婦関係、恋人や友人、
稀なケースだと職場の人に、
そうした類のコードやコントロールしたいがためのエレメンタルを
埋め込まれている例は多々ありますけれども。
自分のサービスの利用者・・・お客さんである人に対して、
サービスを提供する側の人が、そういうことをしているのは、
・・・とくにその手のプロがやっちゃってるのは非常にマズイです。

まあ、得てして「洗脳」というのはこうして創られるのですが。


そのケースでは意図的ではなくて、無意識のものでした。
そのクライアントさんにずっと来て欲しい、頼って欲しい・・・
みたいなものでしたかねー

(私にでも何とか出来たということは、
さほど強力なものではないってことで)


確かに、お客さんがいないと商売あがったりですから、
リピーターさんは確保していたいのでしょう。
無意識の人も意識的の人も、
気持ちは判らないでもないけれど・・・
私ももしかしたら、
無意識のレベルでやってしまっているかも知れないし、
絶対にやったことがないとは言い切れないですしね。


無意識にやっちゃうのは、
ヒーラーにしても霊能者にしても、何しろ「氣」を扱う仕事だから、
普通の人よりは、想念が強いので、
たまたま欲望というか煩悩というか、
エゴイズムがムクムクっと出ちゃって、作ってしまったのでしょう。
だからこそ、
いつもフラットに、心を清浄にして、感情をコントロールし、
内省で常に自我を観察しエゴイズムをチェックして、
そういうものを作らないよう、人一倍気をつけないといけないのですが。


意図的にそれを作ってやってる人ばかりは・・・


ええ。

サイキックな能力、技術がある人が
必ずしも、霊性が高い(スピリチュアル能力が高い)

というわけではないのです。

ブラックでダークで、人としての何かが欠けている人でも、
氣を扱うことにかけては超一流って人もいます。

また、低級霊(動物霊)は俗世のことに関して強いです。
要するに現世利益的なこと。
人間の我欲に近いところにいる低い次元のものほど、
物質的なことが得意なんです。
未来を「当てる」ことも上手だし、人の心も読めますし。



で、前回の⑤で書いた指圧師の方。
ネタバレすると、
除霊的なことは出来るけど、浄霊は出来ないってタイプで、
邪気を弾く力はあるけど、そこどまり。
だから、治療院の入り口に、
たくさん一時的に弾かれた「邪気」が溜まるわけです。

(っていっても、霊能者さんではないです。
その方、ヒーラーはヒーラーでしかない。)

なので、治療院を出れば、またくっ付く。
弾いたものが戻ってくる・・・わけ。

持ち込んだものを治療中は弾いてもらっても、
帰るときに、下手すれば利息もくっつけて再び持ち帰り、です。

やってもらっている間は気持ちいいわけだから、
また具合が悪くなったときに、それを求めて皆通う。

で、その表にたまってしまった悪い邪気と、
その人の人間としてのちょっとした欲望に引かれて、
よくない小物たち・・・が集まってきて、
「これを持てば運気がよくなって、お金ザクザク」
なるものの開発に走ったということのよう。

もともとは、痛い思い、しんどい思いをしている人たちを
ラクにしてあげたい、健康にしてあげたいっていう、
純粋な信念を持った指圧師さんだったと
そう思うのですけれど・・・。

負のエネルギーに取り込まれちゃったようです。


残念なことにそういう人はたくさんいます。


少し話が逸れますが、
私はずいぶん、自分はダメダメなヤツだと思っていました。
ていうか、自分の直感を信じていなかったといいますか。
自分の感性をずっと疑っていたんですね。
他の人たちに比べて、
自分の感性は劣っていると、そう決め付けていたんです。
それは霊的なレベルにおいても。

自分はずっと三流でなりそこないだと、
他の人はすごいけれど、自分は当てにならない、なんて具合に。

そんな風に自分を信じていなかったから、
自分の本能や直感で、違和感を感じていたりしても、
自分が間違ってて、他の人が正しいとして、
周りの意見や言葉に流されていました。
すべてにおいて自分は劣っているから、
自分以外の同業者さんのほうの意見や感じ方のほうが正しくて、
それに同意できない自分は、「わからない」無能なヤツだ。
と信じ込んでいたのです。


でも、結局、自分で感じたことが、
いつだって私にとっては一番正しかったんです。

ずいぶんと長い間、自分のことを卑下してきたような気がします。

これは、他の人がダメで、自分のほうがすごい、正しいとか、
そういうことを言っているのではなくて、
結局のところ、自分で信じられることは自分で感じたことだけだ、
・・・それが世の中的に間違っていようが何だろうが、
ということです。

自分で「YES」と思ったことにしか従えないし、納得できないし、
自分が「NO」と思ったことには従っても、納得できません。


他の人や世の中的に正しいことが何であろうが、
私は私が感じたことに従うのが、
私にとって正しいことで、自分の感性に従って、
自分の人生に取り入れるもの、関わる人を選ぶべきなんです。
自分にとって、その人がどういう人なのかって、
位置づけや価値も評価もそうです。

私が決めるべきことなんです。

私にとって、評価できない人や事物は、必要ないんです。
その人たちのアドバイスも。





さてさて。
人を「量ること」、人を「観る」のは難しい。

「信じる」ことは相手の存在に委ねることでなく、

自分の信念、感じたことに忠実であるか否か・・・
ということかも知れません。

今は信じられても、その人もいつか道を誤るかも知れないし。
絶対なことなんてないですから。
真実はひとつではあるけれど。
人は日々成長もするし堕落もするし、変わっていくもので、
普遍的かつ固定された人格を持つ、生きものではありません。
人間は多面体で、色んな顔、様々なパーソナリティを持ってます。
心があるから、情にも流されるし、誘惑にも負けます。



とにもかくにも、自分のモノの観方に責任を持つ。
自分を信じる・・・というのが一番なのだと思います

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