2015/11/05

学ぶ楽しみ教える悦び(後半)

知っていることを、
それを知りたいと思っている人・・・
知ることに喜びを感じ、なおかつ活用してくれる人に
伝えるのはとても楽しいことです。


以前にも書きましたが、
リクエストを頂いてワークショップやセミナーを初め、
手探りで私塾を開催するようになってから、
試行錯誤の日々で、紆余曲折にいろんなこともありましたが、
今は一番「らしい」形に落ち着いていて、
とても良い生徒さんたちに恵まれています。

これまで私が培ってきたスキルや知識を譲渡する悦び、
人を育てる悦びと、皆がそれらをどんどん吸収して、
優れた資質を伸ばして、多くの気づきを得たり、
人間的に成長していくさまを生で見させて頂けていることは、
色々葛藤も挫折もあったけれど、私塾を始めてよかったと、
続けることを選んで、本当によかったなあ、と思えるのです。

一人ひとりの人生の大切な局面、節目、
大いなる転換期とも言える変化の時期に立ち会わせて頂けていること。
その方が人として一回りも大きくなっていくのを日々実感させられること。
積み重ねの地道な努力と継続を通して能力を開花させ、
出来ることが増えていっているのを知ったときの感動。

各自が個性があるし、得意不得意が異なっています。
スキルや理解力には差があって当然です。
すべての人が同じことを同じようにできるわけではなく、
それぞれの個性を生かした出方で、それはそれでいいのです。

リーディングやクレアボイヤントが得意な人もいれば、
ヒーリングにもっともその力を発揮する人もいる。
チャネル能力もリーディング能力もないけれど、
強力なエレメンタルを作る創造的な能力に秀でた人もいる。
オールマイティな人もいるし、ひとつだけに特化した人もいる。
(そもそも当方では、サイキック能力の開発を主なる目的とはしていませんし、
結果としてそのようなスキルが身についてきたってだけのことなので)

それでいいんです。
できないことがあっても、できることが少なくても、
みんな、これまでの人生の道のりが違うから、差異があって当たり前で。
経験してきたこと、興味を持って取り組んできたこと、
魂が蓄えてきたことや三つの身体の成長レベルが違いますし。
一人として同じ人生を生きた同じ人間はいないのですから。


クラスメイト同士が、お互いの差異を理解しあう必要性はあっても、
互いの得手不得手にこだわったり、比較しあうことは無意味なことです。

むしろお互いの優越を測って、誇るような人は、
エソテリックなことを学ぶ資格がありません。


そういえば、故ブルース・リーがとても良いことを言っていました。

正確には覚えていませんが、
人間は一人ひとり違う体を持っており、体格(骨格・筋肉)が違う。
それに伴う身体能力も違っているのだから、同じには語れない。
だから身体を鍛えるとき、個々により一番ベストな鍛え方があるはず。
その人にとって一番強いキックを放つのに、
この武術のこのスタイルのこのキックが良いと決め付けることはできない。
ある武術はその人の身体能力のもっとも強いところを出すかも知れないけれど、
別の人にとって同じとは限らない。だから流派にこだわるのは意味がない。
ひとつの流派、武術に固執するのも意味が無い。
その人の身体がもっとも高められ、
身体能力を発揮する方法を見つけられればいいのだ。

・・・というようなことだったかと。
(あまりにも昔のインタビューだったので、記憶おぼろげ)


だから、一人ひとりを比べるのは無意味なのです。
違いは否定されるものではありません。

一人ひとりの個性をきちんと見て、課題を提示して、
欠点を克服して、伸ばすべきところを伸ばせさえすれば、です。


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私は何か特出し超越した能力の持ち主ではないし、
特にカリスマ性があるわけでもないし、
人間としては問題だらけで模範的な生き方もしてないし、
私なんかが人に教えるなんてまったくおこがましいことです。

ただちょっとばかり、サイキックな能力があるってとこと、
オカルトやエソテリックなことに関して、人よりも知識があるだけで。

人を導いたり、人材育成し指導できるほどの器もない私が、
どうしてこんなこと始めちゃったんだろって、
身の程知らずだと思ったことも多々ありますけれども、
自分の手で出来る範囲で、
私でサポートし、フォローできる範疇のことで、
とりあえずはできているのかなあ?と、

結果としての生徒さんの現在を見たときに、
やってて良かったんだな、ムダでも無意味でもなく、
ちゃんと生徒さんたちの人生に還元できているんだなって、
そういう幸せを噛み締められていることが、答えなんでしょう。

今ではみんなの成長が私の楽しみの一つであり、
人生の大きな喜びとなっています。
何かを乗り越えて、大きく前進できた時には私のほうが嬉しくなります。

おかげさまで、そんな風に
たくさんの悦びを生徒さんたちから、日々ギフトしてもらっています。

で、つくづく思うんですけれど、
「教える」って行為は、究極の学びなんですよね。
これ以上の学びはないというか、
教えることを通して、学び気づくことは、
私自身が教わっていたときの比ではありません。

本当に貴重な体験をさせてもらっています。
生徒さんこそが私にとってのまさに「師」なんですね。



生徒さんたちへ・・・

私のところに学びに来て下さって、ありがとう。
数ある学び舎のうち、私のところを選んでくれてありがとう。
あなたの人生を良くするために、
この知識を学ぶことを選んでくれてありがとう。
あなたの能力を開花させるために、
ここでスキルを磨くことを選んでくれてありがとう。
エクササイズを続けてくれてありがとう。

霊的修養をして、来るべき未来の姿になることを
選択してくれてありがとう。
スピリチュアルな成長かつ精神的な成長、
あなた自身である魂に近づくための道、
霊的進化と成長を促すためのレッスンを受けることを
選んでくれてありがとう。

人としての自分の問題や人生上の問題を解決するために、
様々な課題に取り組み、痛いことと向き合ってくれてありがとう。
クラスメイトとの関係を築き、
厳しい指摘や優しい思いやりの手を通して、
お互いを助け合い、相手から学ぶことをしてくれてありがとう。

身についた能力を決して奢ることなく、
他者のため、世の中のため、視野を広げて、
謙虚にそれを用いていくことをしてくれてありがとう。

私に教える悦びをたくさん与えてくれてありがとう。

そして一人ひとりが私にとっての良い先生であり、
皆さんからたくさんのことを教えてもらっているのです。
そのことにもありがとう。

一部の人にはピンと来ないかも知れないけれど、
今の人生に限らず、皆さんは、今後の人生で、
来世あるいはまたその次の人生において・・・

ときにヒーラー、カウンセラー、占い師、霊能者など、
様々なスピリチュアルなジャンルにて、
個々の能力を発揮して、多くの人をサポートしていくことになるでしょう。
今はそのための助走期間。ひとつの通過点に過ぎませんけれど。

来世の・・・未来のあなたたちにとっての過去で、
その礎となる基礎のトレーニングやレッスンの時間を
ともに過ごせたことに奇跡だと思っています。


一人ひとりが素晴らしい個人で、
素養豊かな優秀な人材である、
みなさんと出会えたことに心から感謝しています。

皆と学べることに至福を感じながら・・・

一人ひとりが、来るべき未来の姿になるために、
必要な道を辿れていることにありがとう。


私に「教える」ことを許可してくれた人生に、
このよろこびを与えてくれた人生に深く感謝しておりますですよ。

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