2016/10/24

コンプレックスは宝のありか

先日のグループレッスンのお題で、
各々のクラスメイトたちとの
共通点、相違点、それと見習いたい点などについて、
あれやこれや書き出してもらったのだけども・・・

するってーと、
相違点はそのまま見習いたい点にほぼ重なっているもので。

自分には身に付いていないとこ、
所持できていない相手の才能や長所は、
まんま、評価の高いウラヤマシイナーって美徳。


それはそれとして、
見習いたい点として評価された自分の長所とされる部分、
それを美徳と褒めてもらったことに、
誰でもない当人自身たちが、ビックリさせられていたりする。


例えば、
当人曰く文系脳なのに理系に進んだこと(医療系)で、
苦手分野と自覚しているが故に、ただ必死で学び、
本当についていくのが精いっぱいで、
自分は落ちこぼれだと、頭が悪いからと、
勉強が出来ないことがコンプレックスであったのに、

周囲からしたら、博学で勉強熱心であると・・・
自分が一番苦手で劣等感を抱いているところを、
そのように高く評価されているとは意外だと・・・
まさかそこを褒められたり、羨ましい点であると
よもや言ってもらえるとは・・・

と青天の霹靂だったりなんかして。


その辺りは他の人にとっても同じだった模様。



そうですねー

欠乏は過剰を産み、過剰は欠乏を産むと申します。

※この辺り私はアストロロジィ(占星学)から学んだことですが。


自分に無いもの、欠けているものを、
人は必死に埋め合わせようと努力します。

時にそれは能力だったり、育ちだったり、物質だったり、
資質とか環境とか、愛情や魅力のようなものだったり・・・。

お金がないことがコンプレックスな貧乏人は、
お金に執着して、稼ぐことに熱心になり、
富がすべてとばかりに成り上がって、財を築こうとする。

また、
よくあるひと昔前の小説やドラマに出てくるパターンでは、
家柄にコンプレックスを持つ成金が、
血統の良い配偶者を求めたりとか、あったりするでしょう?


親の愛情に飢えている子供が育つと、
異性のパートナーに対して、
親が我が子に対してそうであるように、
自分が何をしても赦してくれることを求め、
ただひたすらに無条件に愛してくれること期待したりとか。

あと、自分の容姿に自信のない人ほど、
パートナーの容姿に完璧なものを求めたりもする。

自分のうちに欠けているものを、
パートナー(他人)で埋め合わせようとするのは、
ごく自然な補てん現象で、そういうのもよくあること。

自分に「無い」と思っているほど、
人はその欠けているものに執着するんですね。

欠けているものに「価値」を見出しているのか、
単純にドリーム抱いているのか、それは判りませんけど。


逆に過剰なもの。
足りているものには一般に、人は執着しなかったりする。

たくさんあるものに満たされているというよりは、
自覚がなかったり、さほどの価値を見出していなかったり、
あって当然とばかりに特別意識することなく、
大切には扱わないもの。

普通のお金持ち程度はそうではないけど、
ミリオネラたる大富豪ほどお金には無頓着で、
地位のある人ほど、地位や名誉に無関心だったり、
育ちの良い人ほど、自らの出自を気にすることもなく・・・

そして真の意味で美しい人、容姿の優れた人ほど、
自らの美醜に執着して溺れることもない。
(でも、逆に無頓着になって、維持することもないから、
年を取るほどに汚くなっていく人もいたりする。。汗)



劣等感・・・コンプレックスは、
それを持つ人にとっては自己嫌悪の源で、
自分の存在価値を貶める時限爆弾のようなもの。

でも、これを逆手に取ったならば、
これ以上、素晴らしい財源はないのです。

人はコンプレックスのあるところ、これを何とかしようと・・・
自分の恥部のごとく周囲から隠そうとエネルギーを注ぎます。

つまり、コンプレックスがあるからこそ、
人には向上心が生まれるわけです。

多くの人にとって、コンプレックスとは
自分が欠点を抱えた、不完全かつ
矮小な人間であるということの紛れもない証明で、
自分が完璧な存在には生涯成り得ないのだという、
重石であり鎖のようなもの。
また、人生の障壁で汚点とも。

コンプレックスがあるが故に人は、
自分がこの世に存在する価値がないとばかりに
自己評価を限りなく低く設定し、存在意義をも貶め、
ただそれがあるというだけで自己を認めなかったりする。

だから、
コンプレックスを何とかして埋め合わせようと、
あらゆる努力をして、補てんしようと必死になる。
結果、膨大なエネルギーが生まれて、
一点集中とばかりにそのエネルギーが注がれるところ、
それがコンプレックスのコンプレックスたる所以です。

コンプレックスがあるからこそ、
その人は努力をする・・・いやさ
しなければならない状況に追い込まれているので。


生まれつき人よりいくばくか容姿に恵まれた人で、
若い頃から何処へ行ってもチヤホヤされ、持ち上げられ、
何かと得することが多かった人がいたりします。
当然、異性からもモテる。

するとそのことで勘違いしてしまい、
自分は何をしなくても魅力にあふれていて、
声をかけてなびかない異性はいない・・・
なんて考えのまま、年老いてく人もたまに。

中身を磨いたり、
容姿を維持したりする努力を怠った人は、
自分がデバラハゲや皺皺のキモイおっさんになってたり、
若作りのイタイおばさんになってたりとかとか・・・
醜悪に年老いた自分の現実が見れないままに、
自惚れた発言やずれまくった自意識過剰さを発揮して、
周囲から浮いていることに気づかない人もいくばくか。

それよりかは、
自らの容姿に自信なく、コンプレックスの塊であり、
少しでも見栄えを良くしようと、
個性的な顔をちょっとでもよく見せようと・・・
メイクやファッション、スキンケアに余念なく、
魅力的な笑顔や自分らしさに磨きをかけて、
意識的にボディメイクやスタイル維持を努力した人など、
素敵に年を取っている人も多い。
むしろ、若い頃よりも綺麗になって美しさを醸し出す人や、
素敵なナイスミドルになっているダンディーも。

もちろん、もともと容姿が美しい人で、
そこに慢心することなく、自らを律して、
心と身体に磨きをかけていったり、
勘違いすることなく、素直に生きている人は別だ。



下手に神童だの、天才だの、若いうちから持ち上げられ、
自分の実力や才能に慢心していた人は、
ひとつ壁にぶつかると、その先が伸びず、
挫けてしまって、簡単に努力を止めてしまうこともよくある。

自分には不足があると・・・
まだまだである、行きつきたいところには行きつけてないと、
その域には達していないと思うもののほうが、
努力は確実で、忍耐も寛容に続けられるものであったりする。

最初からコンプレックスを持ち、
そのコンプレックスを打ち破りたいと、闘いを挑むものなれば。



なぜ、人にコンプレックスがあるのか・・・

人はこコンプレックスを否定的なものとして、
宜しくない、負のエネルギーとして
世間一般では捉えることのほうが圧倒的で・・・

確かにコンプレックスはその人を苦しめるものだけれども。

コンプレックスがなければ、
人は成長できないというのもまた事実なのです。


ある意味で、コンプレックスのあるところ、
自分自身、そして人生の全精力を傾けるべきポイントがある。

そのコンプレックスあるいはハンデを、
自分自身のウリにしたり、人とは違った特徴として、
伸ばすべき才能が、発掘すべきお宝が、
実のところ眠っている箇所だったりするのです。

コンプレックスはまた、、
意識して鍛えるべく、「与えられた」ハンデで、
コンプレックスを追求してそこを伸ばすことで、
自分自身の才能のあるところ、
武器にしていくべき、真価を問われるような「天職」に
行きつくことができるのです。



今より50年前。
日本人の体形がまだまだだった頃。
パリのファッション界では、
東洋人のモデルなんて考えられなかった。

背も低いし、
アジア人の容姿・体型は西洋では受け入れられないと、
オートクチュールを着こなせないと言われてた。

でも、その東洋人ながらの切れ長の一重の目、
ミステリアスかつオリエルタルな容姿で、
日本人モデルとして道を開き、一世を風靡した人がいた。


歌手になりたいのに、
ガラガラのハスキーボイスでは
無理だと誰もに言われ、バカにされ続けたのに、
そのハスキーボイスをウリにして、
世に出たヴォーカリストもいる。


役者になりたいのに、演技をしたいのに、
「あなたの容姿では女優は無理だよ」と言われて、
オーディションに落とされまくったものの、
個性的な声を生かして、声優として成功した人もいる。


見た目が実年齢より上に見られることが多く、
若いときから年相応の役を演じさせてもらえず、
泣く泣く年寄りの役ばかりをさせられていた女優は、
息の長い役者となり、日本のおばあちゃんと評され、
その代表格ともいえる存在になった。


両足を失った男は、
「何が出来る?何がしたい?」との問いかけに、
子供の頃から憧れてた「探偵になりたい」と言った。
誰もが、「足がない君が? そんなの無理だ」と笑った。
しかし、数年後、彼はセレブを相手にする探偵になった。


盲目だった少年。
ピアノを弾くなんて、出来るわけない。
だって目が見えないし、
楽譜も読めないじゃないか・・・と人に云われたが。
けれど、彼はシンガーソングライターとなり、
ピアニストとして世界的にも有名になった。
多くの人に感動を与えて。


話すことが出来ない女性がホステスを志したとき、
「接客業で、会話してナンボの仕事なのに、
口が利けないなんて笑止千万!」と嘲笑うものがいたが、
その人は筆談をして、暖かな文字と言霊の力を用い、
音にする言葉よりも優しい心を確実に伝え、
日常に疲れた客たちの心を言葉で癒す人となった。

あなたには他人の気持ちが判らないと批判され、
自分自身も他人の心の中が分からない、
理解することが出来ないと苦しんだ漫画家は、
登場人物それぞれの心理描写が択一している作家として、
多方面から評価され、ファンからも、
「誰も知り得なかった私の心を代弁してくれている」と、
「この主人公たちの叫びは、私の叫びで、言葉だ」と・・・
そう言われる稀有な漫画家となった。





絶対に無理だ、出来るはずがない、前例がない、
あなたは条件を満たしていない、ありえない

肌の色や声や背の高い低い、男だ女だのって、
そんなのであきらめる必要はない。


あなたが一番コンプレックスを感じるところ、
自分の不足を感じるところにこそ、
あなたの中の眠れるドラゴン、
パワーの源が眠っているところだ。


もちろん、いじけてばかりで、
「どうせ自分なんか・・・」と、コンプレックスの前に、
早々と降参し、リタイアして引きこもっているだけならば、
お宝は発掘される前に、朽ち果ててしまうでしょうが。

0 件のコメント:

コメントを投稿