2018/08/28

自己管理の大切さ~霊的健康のススメ

セッション時でのことなので、
久し振りにこのテーマでの記事です。

クライアントさんというか、友人のことなのですけど。
帰省した直後から、どうもヘンだ…と、SOSの依頼。

というか、
その友人とはSNSで繋がってもいるのですが、
その直前にプロフ写真を変更したのを見て、
「うわ……ちょい、ヤバくね?」
とは思っていたのです。

(押し売りはしたくないので、
当人から相談されないことには、
よっぽどのケースでない限り、
私からは気づいたこと等、とくに言いません)


電話をもらって声を聴いた瞬間、
「わお、おもらいになりましたね」
で…やっぱりそういう相談かー、だったんですが。

「東〇〇(自殺の名所)に行ってしまった」

なんでも、急に身内が、
そのすぐ傍の某所に行きたがって、
強制的に連行?されてしまったらしいのです。
そういう場所だから、
地元であっても当人は避けていたというのに…。

ヒーリングワークのスキルとかはない人ですが、
もともと神仏に対する信仰心がある人なので、
自分なりに何とかしなくてはとあれやこれや、
色々と思いつく限り試してみて、
多少は離れていったみたいで軽くなったものの、
まだダメだと。

周囲にも
「目つきが危ない」「相当ヤバイ」
「早くどうにかしたほうがいい」
と言われる始末。

で、私のことを思い出し、
お客さんとしていらして下さったわけですね。

ええっとー まだ残ってました(憑いていた)。
亡くなられた方たちの残留思念。

やはりアレですね。
飛び込み自殺だと、途中岩壁とかにぶつかるからか、
肉体のダメージが相当です。
骨折とかあれやこれやでバキバキでズダボロ。
もう肉の塊としか言いようがない。
飛び降り自殺の場合、高いところからだと、
途中で意識喪失して痛くないっていうけど、
でこぼこした断崖から落ちた場合は、そうは行きません。
(私も過去生で経験者→自殺でなくて突き落とされた)
ぐちゃぐちゃになります。
そして痛いです、ハンパないです。
一瞬で死ねるわけではないですし…激苦しみます。
よしんば運よく海に直接ダイブできたとしても、
コンクリートに激突の衝撃、その下の岩石でぐちゃり。

てなわけで人としての形骸をとどめてないんだな、コレが。
(たぶん人の形骸をとどめてたのは、
友人がトライした初期の段階で離れたらしい)

でも、基本その人たちは悪意がない人たち。
人生が辛くて死にたくて死にたくて追い詰められて、
それかふとした瞬間いろいろ虚しくなって魔が差して、
「あ~死にたい」と吸い込まれていった人たち。
行くべき場所に導けばいいだけです。
自殺者とはいえ、元は素直な方々でしたので楽でした。
(今回はね、たまたま。対話や説得する必要もなくて)

どうも、半年くらい前から、
徐々にサイキカル体が抜け出していたようで、
(原因となったことはプライバシーなんて省きます)
そんなこんなで離魂病状態に陥ってて、
エネルギー漏れからエーテル体にダメージが少しずつ。
波動下がって、スキだらけになっていたところ、
そんな場所に連れていかれた…と。
(理由はそういう状態だから=負の引き寄せ)

だけど、それだけではなかった。
某新興宗教から何か来てる。
(宗教的な干渉は特徴ありますので分かりやすい)

話聞くと、
帰省した際に再会した知り合いの入っている、
某宗教施設に連れていかれたという話。
前々からあれやこれや勧められて断っていたものの、
今回ふとそこって何信じてるとこ?って
気になっていってしまったらしい。
(まさに波動下がりまくりだったから=負の引き寄せ)

「あっちゃ~! やっちまったか」って感じです。

さて、どうしようか…ですけれど。

とりあえず近況報告もそこそこに横になってもらい、
身体のオーラのあちこちに張り付いて、
残っていた方々にとりあえず対処して、
そっちの方からの邪念と「見張り」の方に対して、
暫定的な対処をば(何したかここは企業秘密)。
しいて言うなら、
この宗教、他のとある宗教を嫌ってて、
敵視しているのでそれを利用させて頂いたって、
そんなとこ。

で、氣(エーテルバイタリティ)の補充。
このあたりは普通のレイキヒーリングでOK。

で、とりあえずはここまでかな、と思ったんですが、
(霊的汚染を受けていた期間にもよるのですが、
毒素のようなもの、邪氣が完全に抜けるまで、
人によって一週間か数か月か、しばらくかかる)

ぼやけていた視野が明瞭になり、視界が開け、
不安定だった下半身がしっかりしたと、
本人ひと安心したのもつかの間・・・

なんかおかしい

あれ?

で再度ベッドに戻ってもらいました。

しまった、とりこぼしか…!

完全に私の失敗、見誤りです。

某宗教団体からの見張り対策として、
あることをしたんですが、
その前にやるべきことを忘れてた。

例えて言うならば、
ばい菌を完全殺菌する前に、
縫合したり包帯を巻いてしまった。
なのでばい菌まで閉じ込めてしまった。

慌てて、いったん外してやり直し。

とりこぼしに関しては、
帰省に際して、お墓参りに行った時、
どうも「お墓に入れない」遠縁の人たち…
を持ってきてしまっていたんです。
今までは拾わなかったんですけど、
今回帰省前から波動下がりまくっていたので。

隠れキリシタン?の人たち数名。
仏教のお墓には入れなかったのですね。
加賀藩に縁合って匿われてた人たちとのことでしたが。
友人曰く、
お隣の県(当時は藩か)に親戚はいないっていう。
まあ、関所が出来て移動禁止になる江戸時代以前は
どうだかよく分かりませんからね。
もしかしたら、どこかでつながってたかもです。
同じ北陸ですし。

三人ばかり女性で一人は身なりの立派な男性。
その男性は首ではなく、
腰からロザリオ?ぶらさげてました。
この方はちょっと宣教師っぽい立場でもあったみたい。
(外人ではなくどうみてもお侍)
本来なら刀を差すとこなんですが、謎。
そして加賀藩とキリシタンって??でした。
女性たちは殺されるときにロザリオは奪われてたみたい。
そして初期のキリシタンなら信仰の対象は、
「デウス様~」だと思うんですけど、何故か
マリア様(マリア観音)に反応していました。

とりあえずうちにあるロザリオを友人に握ってもらい、
マリア様とかキリスト教関連のグッズを身体に乗せ、
福音香を焚いて、マリア香も焚いて、
聖書の一説にて成仏?昇天か…を祈るところまで。
(マリア信仰に反応するのでそっち方面の祈りで対応)

辛かったんだろうなって思います。
500年もの間、そこに縛られていたんかーいって。
(幽霊でなくて、エレメンタルですけど)

ふがいないのですが、
最初の段階でとりこぼししてしまったのは私の不覚。
けれど、イイワケをするならば、
一つ取ってみないと、次が現れない、
下に隠れているものが判らないのもまた事実。
(だからイイワケするなって)

それでも、霊的毒素つーか、
しばらく後遺症は残ってしまいます。

これはその場だけでできることではなく、
時間かけて身体から抜けていくのを待つしかない。

汚染受けていた期間が短ければ回復は早いけど、
数か月、数年単位だと、なかなかです。

友人の場合、
その日のうちに胃痛、肩こり。
翌日に頭痛、肩こり、異常な眠気。
そして手のしびれと全身から何か抜けてくゾワゾワ感。

胃痛は消化器系(主に腸や肝臓そして膵臓)に、
貯まっていた邪気が外部と直接つながっている、
胃に集まってきたから。
でも、肉体の痛みを感じ始めたというのは、
気もそぞろで肉体に対して鈍感になっていた意識が、
肉体に向いたってことでいいことなんですよ。
肩こりも相当前から出ていたと思うし。

そしてそれが移動して今度は頭痛に。
口からげっぷとか嘔吐で出ればいいんですが、
頭から抜けようとする場合もあるんで、
するってーと、前頭部もしくは頭頂部が痛くなる。

異常な睡魔は身体がダメージから回復するために、
休息をしようとしている証拠なので問題なし。

報告もらったのですが、
たくさん寝たなら翌日スッキリとのことでOK。

あとは眩暈のようなふらつき。
眼鏡の度を変えたときのような違和感ですね。
これも珍しいことではなく、
長らく離魂病とか、三つの身体がズレてた人の場合、
もとに戻ったとき、正常な状態に身体が慣れるまで、
なんかヘンな感じ…を体感することになります。

疲れ的な重さでなく、下半身がしっかりしている、
安定している、重さを感じるという状態でのコレなら、
直っていく過程においての反応ですので、
問題視する必要はないのです。

このように、セッション後に
クライアントさんから経過報告を頂いて、
経過観察をすることはとても大事なことです。
とりこぼし施療ミスをしないためにも。

でもまあ、この友人のように、
敏感な体質(霊媒体質)で霊的成長の過渡期にある人は、
定期的に波動チェックというか、
霊的メンテナンスは受けて欲しいなあ、と…
思ったりする今日この頃。

けれど、当人の意志が大切なことですので、
無理強いは出来ません。
見守るだけです。
まあ、そこはそれ、受け身なお商売ですんで。

セッション直後に、
「ああ、そういえば」と。
友人はどちらかというと神社好きなんですが、
何故だか、東京に戻ってきてから、
以前知人からもらった「不思議のメダイ」を
ずっと握りしめていたことを思い出し。

まぁ、そういうことですね。
きっとあの方たちが求めていたのでしょう。

てなわけで、
うちには仏教、神道、キリスト教関連のものの
備えがあったりします。ヒンズーもあるな。
けど、イスラムとかユダヤとかになると、ない。
かなり以前のことですけど、
海外で土着の神様(西洋ではない)関連のものを、
お持ち帰り(物理的なものでなく)していた、
クライアントさんがいて、
「うわー どうすればいいの、コレ」
ってのがあったので、
やっぱり色々備えておかないといけないのかな。
コーランも必要かな。
そしてすぐ取り出せるようにしておかないとかな。

でも私何の修行もしたことござんせんの。
めちゃくちゃ自己流でいい加減なの。
それでいいのか…ってのがあります。
その前に私、魔女だろって突っ込みか。
いやさ、多神教ですから。
なんてったって、宗教チャンポンが日本人の特権なんで。



でもって、
もう一人、別なクライアントさんの話です。

チャクラヒーリングのフルを、
定期的に受けてくれている人なんですが、
この間久し振りに見たとき、
なんじゃこりゃ?っていうエレメンタルが、
元気に第二チャクラの海の中、泳いでいたりする。
最初は「龍?」と思ったんですが。 
よく見ると、顔が昔見た事のある、
ハチのようなアブのような、
妙な顔の虫に似ているんです。
そして胴体の部分は何故か節足類。
ムカデみたいな?

とても色鮮やかで、でもよく見るとキモイ。

どうも、身近な誰かに対して、
ちょっと斜め上な、イジワルな気持ちを
最近抱いていたみたいで、そのエレメンタル。
その人に対して創ったものというより、
昔作ってしまった、同類の他者に対して抱きがちな、
モノの見方の想念で、
いったん収束していたものの、
それがむくむくって元気になっていたと。
(エレメンタルは死なず消すことは出来ない。
よって栄養断ちしてミイラ化させるしかない。
ミイラ化していたのが栄養あげてしまったんで、
復活して元気になってしまったという話)

それと、第一チャクラが真っ黒になってた。
ここは家族、血縁者と繋がっているので、
当人の、というより、家族のリアルタイムのが、
まああれやこれや来ていたわけです。
兄弟姉妹たちの心の澱とか、
兄弟姉妹、家族であるクライアントさんに対する、
複雑な気持ちとかそういうもので。

何度掃除すればいいんだって思いますが、
生きている限り、何も出ないことはないっていうか、
住んでいる家でも、チリやほこりは毎日出るわけで、
一度徹底的に大掃除したからって、
それで永久に清潔で掃除の必要のない、
キレイな家に住み続けることは出来ないって、
そんな感じでしょうか。

身体もある意味、私たちにとっては「家」ですので。

人間の肉体も定期的にお風呂に入る必要はあるし、
歯磨きも毎日しないとダメになるし、
(口臭より歯周病恐るべしですぜ)
心も日々あれこれ善い事も悪い事も考えるわけだし、
あっという間にケガレは貯まります。

そういう意味で、
自分でもメンテナンスし続けることは必要かも。
一度受けたからって安心しきらないで。

それでもどうにもならなくなったら、
掃除のプロである他人のサポートを求めるのもアリ。

霊的なメンテナンスもチェックも、
時には必要ですよと、
たまには商売根性で宣伝してみます(笑)

あ、私もちゃんとセルフケアはしてますよ。
瞑想したり、セルフヒーリングしたりとか。
でも、さぼりがちなのは否めないなっっっ


補足
写真で霊的な状態がどうしてわかるのか…
写真はまさに現身で「写し視」だからです。
昔の日本人は写真を撮ると「魂を抜かれる」とか言って、
写真を写されるのを怖がったものですが。
魂は抜かれないけど、
写真はその人のエレメンタルになるので、
当人とのリンクが出来るんです。
エーテルコードによって繋がってるということ。

なので、その写真に肉体以外の後の身体、
サイキカル体とノエティカル体が写っているか、
それらの身体のエーテルダブルに、
エーテルバイタリティ(氣)が流れているか、
その霊光(オーラ)たる氣の輝きや状態を見て、
判断するんですね。それだけです。

サイコメトラーとか写真での霊視をする人は、
それを見てます、それだけのことです。


2018/08/25

憑依と霊的汚染:低級霊の常套手段と悪霊軍団

前テーマの続きです。
なりすまし(騙り)とそそのかす霊的存在について。


まず前説から。

三次元を視点(観念)の中心に生きている私たちにとって、
それ以外の次元の世界及びそこに属する存在は、
通常時においては視界(視野)には入っていません。

よしんば四次元の眼が発達している人で、
視界に捉えて視ることが出来ていたとしても、
その存在を認識していない人は、
「目の錯覚」や「気のせい」で済ませていたり、
現実に存在するものとして脳で処理してしまっています。

実のところ、誰もが自分が属している、
四次元と五次元の存在(霊やエレメンタル)の、
姿形や声を捉えること(霊視や霊聴)を、
しようと思えばできるのですが、
この三次元(現実)に注意と意識を向けて、
生きる上での妨げになることが多いので、
それは望ましいことではないので、

従って、
「宇宙の法則(神聖なる計画)」の中において、
3つの身体が健全かつ健康な状態であるものは、
三次元に常に意識が向くようになっているのです。

このあたり上手く説明するのが難しいのですけど…

3つの身体の栄養素であるエーテルバイタリティー
(氣=生体エネルギーのようなもの)が十分に摂取され、
身体に有害な老廃物のごとくなエレメンタルが、
適切に定期的に処理され、
健康を損なう外部の刺激…ウィルスや病原菌のような、
邪気やネガティブな存在の攻撃から守られていて、
3つの身体(肉体・幽体・霊体)の調和が、
バランスよく取れていれば、

人の身体は異常も問題もなく機能しているので、
3つの身体が個別に体験・体感していることを、
相互に伝達しあって共有しつつ、正常に処理するので、
(感情と思考と理性と行動のバランスが取れているので)
視野が狭まることなく、現実感をもって、
目の前の出来事に対処することが出来るのです。

とはいうものの、その人の人間性
(人格=霊性=霊的成長度=レベル)にも左右されます。

ある程度の霊的成長を遂げている人は、
(四次元と五次元の身体、なおかつ
肝心要の六次元の身体が発達している人のこと)
三次元に存在するものと別次元
(四次元と五次元、人によっては六次元)に
存在するものを明確に区別することが出来ます。

でも、未だ六次元の身体が未発達で、
四次元と五次元の身体も未成熟な人の場合、
別次元のものを明確に区別できなかったり、
(その人の霊的レベルに応じてですが)
幻聴や幻覚や妄想として、
あるいは現実と混同したものとして、
別次元からの声や形骸を捉えることになります。

ようするに、
霊的成長度がある一定レベルに達していない人は、
自分と同じ次元の階層に属しているモノや存在であっても、
その形骸や存在を正しく認識して、
個別のものとして捉えることが出来ないっていうこと。
(三次元のものとごちゃまぜになる)

相手の姿や存在を正しく識別できないということは、
色々と混乱と弊害が起きるモトです。

例えば、オレオレ詐欺。
電話の向こうの声の主が別人であっても、
電話(通信機器)というフィルターを通してしまうと、
よほど特徴的な声でない限り、
何しろ相手を認識しようにも姿が見えないもんだから、
簡単に「騙されて」しまう人がいたりします。

まして、霊的存在なんて、
「声」なんて聴いたことないし、
馴染みの誰かに紹介してもらって、
顔合わせなんてしたことないし…(当たり前だ)。

例えば先祖や身内の霊を見分けるのに、
生前に会ったことがあるとか、
写真を見たことがあるとか、
両親や親族の誰かにクリソツだとか、
なんかその人がその人である根拠とか
証拠でもあれば別ですけれども。

その「視る」ことが出来なければ手立てなく。

(ちなみに四次元と五次元の存在たる霊が、
物質的次元で知覚してもらえる状態に、
自分の姿を形骸化するのって大変なんですよ。
育ちざかりの子供10人分の生体エネルギーが必要で)


さてここから本題。

なりすまし…騙りって何よ?っていう話ですね。
ズバリ霊的な存在が、自分を偽ることです。

その昔ネットでもありましたよね。
ネカマとかネナベ?とか…
SNS上でも、
50歳のオバチャンなのに10代と偽って、
写真もあかの他人や娘や息子の写真使って、
嘘ついて文通(死語)する人とか…たまにいます。

「わたしゃ、神様だよ」みたいなのもいれば、
「仏で~す(ほっとけ)」
「我々は宇宙人だ!」
「ご先祖さまじゃぞ~♪」
「私、名乗るほどのものではありませんが、
 実は有名人の〇〇なんです」とかあれやこれや。

神様に毎日手を合わせてるような人のところに、
「私は神様ですよ~」なんて言って、
「あら、神様から啓示がきたわー」
みたいに信じさせてしまう…そんな感じ。

もしくは、
たまたま自分の存在をキャッチしてくれて、
どうも声を聴けてるっぽいぞ、と思った相手に、
その人が「もしかしてあなたって〇〇様?」
とイメージしたり、問いかけてきたときに、
それに乗って、
「そうそう、それそれ 私〇〇です」
と当人のフリをするのもいます。

こういうことするのは、
一般的に低級霊って言われてる波動の低い存在。
生前に性格悪かった人、からかい癖のある人とか、
あとは、仕える場所、主を失ったはぐれ狐とかイズナ等、
不良化してしまった元神様のお使いといった、
動物霊と呼ばれてるちょっとレベルの高いエレメンタル。
(でも本物の動物の霊とは違うもの。
 動物を核にして作られた存在ということで)

式神みたいな植物のエレメントから作られたものは、
そういうことほとんどしないですね~。

そしてこのちょっとレベルの高い(意識高い系ではない)
エレメンタルが曲者なんです。
結構、知恵持っているし、力もあるし。
人の心の中とか読めるから(同じ四次元の存在だから)、
その人が信仰している対象のヴィジュアル読んで、
(何故って、その人のエネルギーフィールドの中に、
その人がイメージしたもののエレメンタルが
データとしてあるんだもの<すべての思考・創造の産物)
自分の姿かたちをそのヴィジュアルにして、
相手に「視せる」芸当ができちゃったりするのもいる。

普通は脳内妄想なイメージ、
自分の内的な声として…ですが。


さて、前説で三つの身体が健康な場合、
三次元に注意と意識が向くようになってて、
別次元に焦点がズレることはないように設定されてる。
という話をしました。

でも、健康を損なってしまうと…
別次元の扉が開いてしまうことがあります。

健康を損なっているとき、というのがミソです。

ええっと、まず過去記事でも幾度か説明した、

・離魂病という状態のとき
 (肉体と幽体と霊体がズレている
 あるいは幽体か霊体が抜けっぱなし状態)
・チャクラ(エーテルセンター)に異常が起きてる状態
 ※ダメージを受けたり機能亢進に陥っているとき
・霊的な存在に憑依されたり、長期間攻撃を受け
 生体エネルギーを消耗し、三つの身体が損傷して、
 霊的波動が極めて低い状態にあるとき

ですね。ざっくりいうと。


また、
・意識が三次元でなく四次元や五次元のほうに
 向いていることが多い ほぼ肉体から離れている
 ※いわゆる右脳型と言われるアーティスト系の人
  ある意味で離魂病の一歩手前
も健康を損なっているほどではないけど、
三つの身体のバランスが崩れているので、
職業病的なものとして、幽体(感情体)が鋭敏です。

また、霊的な仕事をしなければならない立場の人は、
しばしばスピリチュアル・エマージェンーという、
「お試し」をマスター(透明なヘルパーさん)たちから、
強制的に受けさせられることになるのですが、
(これはそういう仕事をイヤがっている人に起きる)
そういう人は、このぶっ壊れ状態になるので、
(お引きずりさん的廃人状態で人間やめますか?みたいな)
多次元との境界線もほぼ失くなってしまうので、
ここはまたちょっと違うんですよね。
でも、見分けは普通の人にはなかなかつかないことです。


あと、霊的なエクササイズやトレーニングをした結果、
肉体の感覚も合わせて、三つの身体の感覚が敏捷になり、
別次元のものを知覚、認識できる状態になることも。
但し、そうしたトレーニングによって、
3つの身体がバランスよく鍛えられた結果であれば、
霊的成長したことでのシックスセンスの芽生え、
と言えるのですが、

取り組んだ霊的なエクササイズやトレーニングが、
段階を踏んだものではなく、無謀なものであって、
かえって3つの身体を痛めつけることになり、
バランスを崩し、「健康を損なった」ことでの、
多次元との境界線が曖昧になってしまった。
であるのに、
それを霊的能力の開花と錯覚してしまう人は、
実に多いです。

そういう人は低級霊に騙されて、
人格をどんどん貶めていきますし、
エゴイズムやネガティブなエレメンタルに囚われて、
どんどな傲慢さとエゴを増長させ、
スピリチュアルナルシズムの罠にかかってしまいます。


でもって、
統合失調症や人格障害、認知症の人は、
大体において、
チャクラ(エーテルセンター)に大きな異常があって、
中でも第一チャクラは相当なダメージを受けています。
そして、3つの身体がズレまくっています。
故に、
エーテルダブル(身体の枠組で3つの身体のつなぎ目)が
伸びきって、損傷を受けています。
よって、生体エネルギーたる、
エーテルバイタリティー(氣)もそこからただ漏れ。

なので、
多次元(三次元以外のとこ)との境界線が消滅。
色々と混在したものを視ることになるのです。
認知症の人の場合は、
第7チャクラも如実に損傷しているので、
主に過去のエレメンタル(記憶の媒体)を、
壊れたレコードのように読み続けます。

人格障害の人は、
過去のネガティブエレメンタル、
エゴイズムに完全に支配されている状態です。
というか、2パターンあって、
まず1つのパターンとしては、過去生のエレメンタル
(パーソナリティとしてのエレメンタル含む)に、
乗っ取られた状態の人。
なんていうのかな…
性格が悪くて歪んていたときの過去生の人格が、
今の人格に乗りうつって、その人格に同調する、
とても質のよろしくいエゴイズム丸出しの
エレメンタルを選んでローディング、エンドレス…
みたいな感じですね。
もう1つのパターンは、過去生の人格ではなく、
悪魔的な存在(悪霊)やエレメンタルに支配され、
身体を乗っ取られているって状態。

それが自分の過去生の人格か他者かってだけで、
たいして違いはないです。

統合失調症の人の場合、
四次元と現実(三次元)が混在してしまって、
区別がつかなくなっている状態ですね。
「声がする」って幻聴は、
四次元での「声」を単純に聞いているだけですし、
「視た」というものも次元が混在した世界です。

過剰な被害妄想状態の人で、
当人たち(周囲)が「言ってないこと」を
「言っている」ように見たり聞いてしまうこと
…例えば、周りが自分を見張っているとか、
出会う人出会う人が、知っている人知らない人共に、
自分のことを悪くいっている…なんてのは、
その人たちの決して言葉には出さない本音、
ネガティブな感情や思考のエレメンタルを
読み込んでしまっていたり、
4次元や5次元の身体の顔や姿を見ていたり、
という可能性もあるし、

そそのかし(騙り)をする輩や、
生きている人に対して悪意を持って接している、
霊的な存在(低級霊)やエレメンタルたちが、
その人に話しかけ、
もしくは良くない幻想としてのイメージを
その人の四次元の眼に見させていることをしている、

そのいずれかという可能性です。

その人の幻覚や被害妄想の度合いで、
判断できるかとは思いますが。

困ったことに後者は、
誰かの人生を破壊するのが大好きな存在たちが、
寄り集まって、それをするのがモットーな団体となり、
一人また一人と、手ごろなターゲットを見つけては、
幾世代にもわたって、過去から現代へと
あちこちで繰り返しているのです。

精神を破壊して自我や人格を崩壊させるだけでなく、
犯罪をそそのかしたり、自殺をほのめかしたり、
争いや不実を助長させようとしたり、
車に乗っている人をおかしくして、
人の列に突っ込ませたり…

こういう闘いは、神話や伝説の昔からあり、
聖書の中や経典でも語られています。
なかなか無くならない困った歴史です。

何故、奴らレギオンたちが居なくならないのか…

それは人の欲望が尽きないから。
何度滅しようとしても、
彼らの復活を人々が望むかのごとく、
彼らのエサとなるエゴイズムを人々が創り続け、
温床となる場を提供し、共存しようとする。

それが人の望みで多くの人が、
彼らを飼育することを選んでいるから。
…としかいいようがないですね。



てなわけで、少し振り返ってまとめてみると。

その1)
多次元に存在している霊的な存在を
キャッチすることはさほど難しいことではない。
それをキャッチできたからと言って、
その人が特別選ばれた存在だとか、
特別な能力があるわけではないということ。

その2)
だが私たちは、霊的成長を遂げる目的と、
今生の自分の人生をきちんと生きるために、
現実世界(三次元)に意識が向いている。

その3)
とはいうものの、
多次元的な存在の認識の仕方は、
その人の霊的成長度によって異なる。
どのように認識しているか、である。

その4)
3つの身体のバランスが崩れ、
霊的健康が損なわれている人は、
多次元の境界線が曖昧になりやすい。
結果、現実世界(生活)に混乱をきたしがち。

その5)
そして4次元と5次元の次元には、
三次元の肉体を持って生きている我々に対して、
悪意を持ってちょっかいをだしてきて、
だまくらかしてからかって翻弄して遊んだり、
精神を混乱させ崩壊させ破滅に導いたり、
支配して操って自分たちの道具として、
犯罪に走らせたりそそのかしたりする、
不良集団ともいうべき悪霊軍団がいる。

などなど。

霊的健康が損なわれてしまって、
4次元と5次元の境界線が曖昧になって、
それらの存在が視えたり、声が聞こえたり…
そこまではわりとあるある出来事。

(多次元との境界線が曖昧になるっていうのは、
上手く説明できませんが、その前に、

三次元と四次元のものと身体を通して、
五次元の身体は思考して、創造する。
三次元と五次元のものと身体を通して、
四次元の身体は体感して、想像する。
このプロセスの結果、
上の二つの次元の身体で「そうぞう」したものを、
三次元の身体を使って、三次元の物理的次元において、
何か行動や言葉などで表現していく…という
順序立てた、表層に至るまでの
三つの身体同士の正常な相互関係から派生する
生命活動と人間の人生の創造があるわけですけど、

このプロセスや順序が狂ってしまうといいますかね。
まるで電話回線の混線が起きてしまうがごとく、
配線があっちこっちめちゃくちゃになって、
違うところ同士のコードが繋がってしまい、
ヒューズが飛んで、バッチリーがあがってしまう、
みたいな…
まあ、誤作動が起きてしまうような、
そんな現象とでもいいましょうか。
うーん、この説明では分かりづらいかしら)


でも、声が聞こえるからって反応して、
コミュニケーションとかコンタクトを取って、
もしそれが善人や普通の存在ならいいけれど、
悪人やよろしくない存在だったとして、
付きまとわれたり、憑依されたり、
さらになりすまし(騙り)をする低級霊で
オレオレ詐欺みたいな感じで騙されて、
「あら私、霊能力に目覚めちゃいました」
「天使や神様、宇宙人と話せるんだ」とか、
そうこうしているうちに、
悪いのがたくさん集まってきて…って、
そういうのが問題でたいへん危険。


だからチャネリングは危険なのね。
もちろんこっくりさんとかウィジャ盤も。

霊能的な仕事の人で、
なりすましに騙されている人は少なくない。

もちろん人間に働きかけをしてくる、
良い存在もいますし、身内や先祖の霊だっているし、
そうしたガイド的な人とのコンタクトも、
まったくないわけではないけど。

コンタクトを取ることに執着するとダメですね。

もし、良き存在から話しかけてもらったり、
言葉をかけてもらったと感じたら、

「ああ、いいアドバイス、メッセージをもらった。
 感謝します、ありがとう」

そこだけで終わらせたほうがいい。
それ以上、継続してのコンタクトを望むべきではない。

何か聞こえたり、見えたりしても、
それが内容のないものや気分のよくない、
ネガティブなメッセージや存在だったら、

路上の井戸端会議の話や
カフェで隣に座った人の雑談がちょっと耳に入った、
その程度でスルーするべき。
いちいち意味など考えない。

普通に生活していたって、
周囲の人の声や音は聞こえるし、
自分以外の他人も物質も存在している。
4次元や5次元の声も音も、存在もそう。
それとまったく同じ。

道歩いていたって電車の中でだって会社にしても、
おかしな人や気持ち悪い人、変態もいるし、
感じよい人も無名の人有名な人色々会うことになる。
美しいものもあるし、汚い場所もあるし、
冷たい感じの建物も居心地の良い公園もある。

4次元や5次元の世界でも同じ。
4次元や5次元にあるものだから、
そこにいる存在で、姿が見えない存在だから、
すごい人たちだとか特別な存在ってわけではない。

彼らとコンタクトをとれたからって、
それは感動することでもない。
いちいち過敏に反応しないことが大切。

彼らがどんな人であるのか、
現実に生きている人を見極めるように、
見極めることの出来る目を持っていないのならば、
気にしないで過ごすのが一番いい。

そんなことより現実に注意を向けること。
この三次元に生きている存在や物質的社会と、
上手くかかわっていくことを学ぶべきなのです。


はぁー 疲れたのでここまで。

2018/08/22

憑依と霊的汚染:霊的干渉とその悪影響

昨日の続きです。

昔はよく、
「霊の干渉や影響を受けていることなんて、
 その人が思うほどにはないよ。
 霊現象だと思われていることのほとんどが、
 本人の勘違いだったり、錯覚とか、物理的現象。
 実際の霊的現象や体験なんて、
 そう思われてるものの20%くらいだよ」

なんて具合に、「霊が~」と騒ぐ人に対しては、
それを否定するがごとく言っていたものです。

何故なら、そうでも言わないと、
なんでもかんでも霊の存在や、
見えない世界のせいにしてしまう人がいるからです。
ですので、今もそのように伝えることは多いです。
これは相手次第なんですが。

でも実のところ、
人間は四次元と五次元にも生きている存在ですから、
影響を受けているというより、
毎日リアルに四次元と五次元で起きている現象を、
その次元の身体で体感・体験しているのです。
三次元を生き、体感・体験していると同時に。

なんでもかんでも
霊や心霊現象のせいにする人に関しては、
身の不幸や不運を占いで運命や生まれのせいにしたり、
自分の人生が思い通りにならないことを、
親や環境など、誰か他人や状況のせいにして、
責任逃れをしている人と同列であると言えましょう。

ですが、前回の記事にも書いたように、
すべては本人次第なんですね。

重ね重ね言いますが、
六次元の身体を手に入れた(解脱した)人々はともかく、
この地球上に存在している人間は、
すべて四次元と五次元でも人生を生きています。
(動物や植物は人間と違います。
地球に来訪している宇宙人もまた除きます)

ようするに、
三次元に存在していない人たちと
三次元の物質的世界で空間や場所を共にし、
接触したり関わって生きてはいないけれども、
四次元と五次元の想念と思考の世界では、
同じ空間や場所を共存している人たち、存在がいて、
接触したり関わったり、干渉されたり、
影響を受け合ったりしているわけです。

想念界であるサイキカル界(四次元)にしても、
思考界であるノエティカル界(五次元)にしても、
自分と同じ段階(霊的発達即ち人格の品位みたいなもの)が
同じレベルにある人、存在たちとしか関われませんけど。
もしくは過去の自分と同等の存在…
自分が辿ってきた道と同じ状態にある人たち、
自分が過去に創ってきた思念と同じものと、ですが。


この現実世界(三次元のレベル)で考えてみましょう。

国や社会に属する、
国民としての義務と権利はありますけれど。
私たちには自由意志が与えられています。

・どんな人と付き合うか、関わるか
・どんな仕事を選択するのか
・毎日何をするのか、どこに行くのか
・どんな生活スタイルを望むのか
・どんな服を着てどんな髪型にするのか

などなど、その人が自分で決めています。
一人ひとり趣味嗜好があって、個性があります。
考えることや思うこと、性格も違います。

人付き合いのことでいうなら、
自分が付き合いたい人としか付き合わない人もいれば、
合わないとか好きではないといいつつ、
仕方なしにイヤイヤ誰かと関わっている人もいます。
小心者で断れず、来るもの拒まずの人もいます。
友達がいない、作れないという人。
オープンな性格で誰にでも好かれ、
人間好きで色んな人を受け入れて友達の多い人。

霊との付き合いも現実の人間関係と変わりません。
人を寄せ付けない人に人が寄っていかないように、
霊もまたそういう人には寄り付きません。
明るくて感じがよくて頑張っている人で、
誰もが好感を抱き、応援したなるような人は、
霊も応援したくなって助けてあげたくなります。

霊の方からもその人を見たり、感じたりして、
惹かれたり、反発したり、無視したり、
イジワルな気持ちを持ったりなど、
ここいらは相性や好き好きもあるわけですが、
まったく現実の人間関係と同じなんですね。

学生生活でも社会人になってからも、
人に疎まれたり、嫌われやすかったり、
イジメのターゲットになりやすい人がいるように、
生きていた時にもイジメっ子だった、
死んでからも性質が変わっていない霊は、
やっぱりそういうからかいやすい人を見つけては、
自分がいる四次元からちょっかいだして、
あれやこれやイヤミを耳元で囁いたり、
その人の不幸や不運を横目で笑ってたりします。

そのうち飽きて別のターゲットに移ったり、
短期間でどっかに行ってくれるならいいけども。
こういう不良霊?みたいなのは類友で仲間見つけて、
集団でグループイジメをしてきたりするから厄介です。

そして不良のちょいワル程度ならいざ知らず、
サイコパスみたいな邪悪で歪んだ霊は最悪です。
反省のない殺人犯や凶悪犯の霊なんかとくに。

彼らは肉体(物質的な身体)がないから、
そういう物質的な働きかけは出来ないけど、
困ったことに、三次元の物質的肉体を持つ、
同質(同類)の人間を嗅ぎ分けて、とり憑くことで、
自分たちの欲望(人殺しとか強姦とか薬とかetc)
を再度満たそうとするから、始末に負えない。

ようするに、三次元ではそういう行動
(犯罪や反社会的で非道徳なこと)を、
実際に起こしていない人であったとしても、

その人が、

・四次元の感情体が創った四次元に存在するエレメンタル
・五次元の感情体が創った五次元に存在するエレメンタル

は存在しているんです。

これは三次元のものではないけど、
四次元と五次元にはあるから、
逆に三次元の肉体を失くした、
四次元と五次元の肉体しか今は持たないものにとっては、
(六次元の存在からも丸見えですけど)
見えるものであるわけです。
彼らの意識の中心はだいたい四次元にあるから。

(この場合の彼らって、俗にいう低級霊ですね。
高級霊と呼ばれる人で、
六次元の身体をまだ持ってない人の場合、
五次元の意識のほうが勝ってます)

それが悪いことだとわかっているからしないけど、
人を殺してみたいとか、銃を撃ってみたいとか、
なんかちょっとその、人には言えない妄想や欲望。
そういうのを持っている人…
その願望、欲望から創られたエレメンタルが、
ばっちりあるわけですから、
「お前、そういう欲望あるのなー」
ってのはバレバレ。

そこで、
「おっし、お前とオレは同類だ。
 俺がその欲望を叶えてやんよー
 仲良くしようぜー」
みたいなこともありがち。

よく
「魔が差した」っていいますけど、
まさに悪魔が取りつく瞬間ですね。

考えたり思ったりするだけで…
妄想だけなら、行動に移さなければ、
それは犯罪ではないのだけども。
そういう欲望のエレメンタルを量産してたが故に、
悪霊とも呼ばれるそうした存在に憑依されて、
それでハンザイシャに導かれちゃう人もいる。

もしくは自分が妄想して創ってきたエレメンタルが、
ものすごーく力を持つようになって、
実行させられちゃうこともある。

だから、
犯罪をそそのかす霊にタッグ組まされてのケースと、
エレメンタルに支配され、
自らが生み出した欲望に操られてのケースと、
おおまかに二通りあります。

たった一人の霊的存在に干渉される場合もあるけど、
グループは本当に厄介だし、困ったものです。
小さいグループから大きいグループまで実にたくさんあって、
大きいグループは大型893組織かマフィアかよってなくらい。

彼ら…は定期的にターゲットを見つけては、
その人の精神の隙を見て取り憑き、
現実世界に混乱と事件を引き起こすのです。

だから私たちは、
ふだん考えていることや思っていることに、
注意を払って、責任を持つ必要があります。

日頃から自分がどんな欲望を持っているのか、
過去にどんなことを考えたり思ったりして生きてきたのか、
他人に対してどのような悪意を抱いたことがあるのか、
どのような妄想や空想に多く時間を費やしてきたのか…

それによって、
引き寄せているものは未来や運命ばかりでなく、
同質のエレメンタルや霊といった存在も、
確実に自分に引き寄せているのですから。

とはいうものの、
おスケベな妄想は
しちゃいけないとは言い切れませんよね。
エッチなことばっか考えてると、
そういう霊が寄ってくるのは事実だけど。
(死んで相手から見えないからラッキーと、
トイレや風呂場や着替え覗いている
エロ狒狒爺やおっさんの霊も実に多いよ。
ラブホとかに居座ってるピーピングトムも)

でも、スケベな人がいないと人類絶滅しちゃうし、
転生先の肉体が三次元に確保出来ないと、
いつまでたっても六次元の身体育てられないから、
それはそれで困っちゃうのよ。
(日本の少子化は日本国のカルマですけどね)



して、悪い霊が寄ってくるサンプルを書きましたが、
その逆もしかりなんですね。
良い霊が寄ってくるか否か、
良いエレメンタルを引き寄せられるか否かも。

努力して頑張っていて、
謙虚で親切で、誠実に生きている人のことは、
誰だって応援したくなります。
身内や先祖以外の霊の存在から応援される人って、
そういう人だったりします。
先祖もすべての子孫がカワイイかっていうと、
必ずしもそうとは言えません。
祖父母が、ロクに顔も見せに来ず、
合うと小遣いクレしか言わない憎たらしい孫より、
マメに連絡くれて気遣いの言葉をくれる他人のほうが、
可愛いってそう思うのも不思議ではないわけで。

それは神様も同じです。
いつも素通りして、挨拶もなしで、
何か願い事だけあるときに手を合わせる人より、
通るたびに頭を下げて、ちゃんと挨拶してくれて、
感謝の気持ちで手を合わせてくれる人のほうが、
助けてあげたいって思うし、気にもかけてくれます。

神仏との縁も、ご先祖様との関係も、
現実の人間関係と同じです。
普段から他人とのご縁や関係を大事にしているか否か、
そういうのが結局、見えない世界からの
サポートにも反映されるわけです。


そして、悪い霊にターゲットにされたり、
良くないエレメンタルを引き寄せてしまうのも、
その人の性格(人格)、心根次第なんですね。

決してイジメを肯定するわけではなく、
あくまで言葉のアヤとして使いますと、

「イジメられる側にも問題がある」と同様に、
「取り憑かれる側にも問題がある」のです。

だから低級霊と呼ばれる、良くない霊の影響、
見えない世界から悪しき干渉や影響を受けているとしたら、
それはその人自身の問題の現れ、なんですね。

だから一時的に憑依問題を片付けるだけでは、
根本的な解決にならないことも多いんです。
取ってもまた新しいものを引き寄せてくっつけて、
自分でネガティブな考えや想いを創っては、
波動をドンドン下げて、
波動の低い同質のエレメンタルを引き寄せる。
そして呼び寄せる霊もどんどんパワーアップして、
最初ちょっと悪い子から不良、チンピラ、893、
マフィアのシンジゲート、悪魔教団…みたいな。

生き方を変えて、生活や考えを改めて、
自分自身を見直して、
自分の魂をきちんと育てていくことをしないと、
いつまでたってもネガティブな霊やエレメンタルに、
憑依されたり干渉されたり影響されたりなんかして、
一生というか永遠に、
振り回され続けることになっちゃいます。

臭いにおいはもとから立たなきゃダメ、みたいな。

うちのお客さんでいわゆる憑依体質の人は、
やはり「性格の弱さ」「他力本願」
「何事も自分の生ではなく他人のせい」
「高すぎる自尊心と矛盾するコンプレックス」
「度を過ぎた被害妄想」「自虐的な罪悪感」
「嫉妬や怒り、激しい憎悪を手放せない」
こういうのが性格の問題として背景にあって、
それが故に自滅的にそういう状況を、
自らに呼び寄せてしまっている人がほとんどでした。

ああ、あと
「自分自身でドラマを創り出して、
 その中に耽溺してしまいやすい人」も、
四次元の存在や事象の影響をモロ受けやすいですね。


だから、
根っこにある性格の問題(歪み)を何とかしないと、
心霊的悪影響を受ける状況からは解放されず、
良くない存在からの干渉とは縁切れません。

でもね、みんな変わりたくないんですよね。
他人の、霊のせいにしているほうが楽だから。

よろしくない霊的な存在からの、
悪しき影響を受けないで生きるためには、
神道でいうところの心身の穢れをマメに祓い、
己が精神を浄めて直霊を磨き、高めていく…
仏教でいうところの慈悲と慈愛の心を育んでいく。
も、勿論ですけど。
(死なない六次元の身体を育成することなんで)

人として太くなっていくこと。
何があっても動じない(いわゆる地に足がついた、
グランディングがしっかりできている)、
揺るぎのない自分になっていく…が大事です。
そこを目指せば間違いない。
(後は欠点や弱さと向き合って克服すること、
自分自身について知識を持ち、
エゴイズムを捨て去る努力をする。
でもって、偽りの人生を生きるのを止めて、
本当の自分を素直に表現し、仮面を捨てて、
自分らしい生き方をする)
でもって、他人を尊重し、嘘を失くし、
親愛や思いやりの感情を素直に態度に表す、
縁や人間関係を大切にする生き方をすること。

さすれば、低級な霊に憑依されたり、
欲望のエレメンタル(エゴイズム)に支配され、
操られて自分を制御できずに見失ってしまう、
ということもなくなるでしょう。



あ、そうだ。
霊的汚染について書き忘れていました。

霊的汚染ていうのはこの場合、
霊に憑依された後、それを祓った後にも
残ってしまう悪影響のことです。

蚊のことで例えると、奴ら、
血を吸うばかりだけでなく、
勝手に吸って泥棒したあげく、
不愉快なお土産も残していくじゃないですか。
腫れと痒みの成分、ちょっとした毒を皮膚に。

それと似たような感じですね。
まあ、違うけど。

散々食い散らかして、部屋荒らして、
便器にモリモリっとしたウンコまで、
流さず残していく泥棒みたいな。

そんなイメージで。

霊にしてもエレメンタルにしても、
活動のエネルギーを宿り主から大量に奪うんですね。
生体エネルギーとでもいいましょうか、
早い話が氣ですけど。
これだけでも霊に憑依やくっつかれた人は消耗します。

有名な怪談話では「緋牡丹灯籠」なんかありますね。
どんどん衰弱させられるあのお話。
物質的肉体はものすごーくダメージ受けます。
物質的肉体だけでなく、
心の身体も思考の身体も、です。

たくさん栄養素を奪い取って横取りして、
あれやこれや悪さしたり、現実生活を破壊して、
その「悪さ」をしたっていう悪いエレメンタル、
それと霊自体の作った良くないエレメンタル…
こいつを残していくわけです。

霊でなくて、エレメンタルの場合も似たようなもの。
エレメンタルは霊よりもっとエネルギー消費します。
自分の創造主を支配し、操って本懐を遂げた後には、
いったんおとなしくなりますけど。
エネルギーフィールドに大きな穴をあけちゃうというか、
色々とダメージを与えるわけです。
これが自分だけが創ったものでなく、
同類の引き寄せられてきた、
他のエレメンタルと合体した巨大なやつだと、
その合体したエレメンタルの別の創り主ともつながって、
見ず知らずの人であっても互いに連動して影響されちゃう。
これまた厄介なんです。

詳しく説明するの疲れるので、このくらいにしておきます。
てかー詳細は勉強会にて口頭で話しますねー

グループでのそそのかし、なりすまし霊なんかについては、
また後日。

2018/08/21

憑依と霊的汚染:霊に影響される人しない人

今までも幾度となく、過去記事で書いていて、
最近では「転生サイクル」関連のとこにも触れたけど、

私たち人間は、
現実世界(三次元という物質界)に物質的な肉体を持ち、
サイキック界(四次元という想念界)に心(感情)の身体を持ち、
ノエティカル界(五次元という思考界)に思考の身体を持ち、
サイコ―ノエティカル界(六次元という精神界)に、
精神の身体をリアルで育成中な存在。

でも、私たちの意識は三次元にあって、
この現実社会ともいうべき物質界の次元を中心に、
私たちの世界は回っていて、人生を形成、展開されている。

霊的な存在と言われる幽霊…
物質的な身体がなくなったものの、
六次元の身体はまだ未発達で、
輪廻転生から卒業していず、
四次元と五次元の身体のみになった存在は、
文字通り、四次元と五次元の次元に存在している。

(ちなみに六次元の身体が成長して、
ゴール…すなわち輪廻転生脱出!になった存在は、
どの次元にも行けるし、
過去に生きた人生のどの姿にもなれるし、
何処にでも居られたりする。
そんな彼らはエレメンタル・マスター、
すべての転生の記録、過去生の全記憶を思い出し、
過去に翻弄されることなく、完全記憶を所有する)

幽霊と呼ばれる存在たちは、
三次元の肉体だけ失い、
三次元にだけ存在しなくなったのである。

でも、四次元と五次元には相変わらず存在している。
だから、三次元において物質的な存在として、
触れたり視覚的に捉えることは不可能だ。

だがしかし、この世にはいるのである。
だから、四次元と五次元でだけ、
私たちは彼らと接することが出来る。

とはいうものの、三次元は一か所しかなく、
三次元に生きるすべての存在と、
可視的に出会うことが可能だが、
四次元と五次元はそれぞれ7つに区分され、
さらにそれがまた7つに分かれているので、
全部で49も階層がある。
(属する階層は霊的進化すなわち成長度合いによる)

また、
一人の人物のサイキカル体とノエティカル体が、
同じランクの階層にいるとは限らない。
心の身体と思考の身体が、
足並み揃えて同等に成長していることは少ない。

そして基本的に、
四次元にしても五次元にしても、
自分と同じ階層の人としか会うことは出来ない。
もしくは前後の存在、
とくに自分より下の階層レベルなら、
関わること、知覚することは不可能ではない。

でも、自分より上にいるものだけは見えないし、
捉えたり、感じることは出来なかったりする。

故に、三次元で会えていたからと行って、
親しかったからと言って…
四次元や五次元でその人たちと会えるとは限らない。

身内や親しい人であったとしても、
どんなに会いたい人であっても、
同じレベルか一つくらい下でないと、
互いの存在を知覚することは不可能なので。

だから、死んでからあの世で…と願っても、
必ずしも叶えられるわけではない。

そういう意味で、
物質社会ともいうべき三次元(現実世界)のみが唯一、
あらゆる次元の人とたくさん出会うことの出来る
時空間なのです。

さて、ここまでが前置き(無駄に長い)。

私たちが生きているときに創り出す、
想念、思考のデータとしてのエレメンタルは、
この四次元と五次元に、
それぞれの身体を通して創られる存在で、
主に創った本人の所有物として、
当人のデータとなり、人格となり、
五次元、四次元、三次元に影響を与えつつ、
人生を形成していくことになるわけなんだけど。

困ったことに創った当人だけでなく、
周囲の人や見ず知らず他人にも影響を与えることがある。

何故なら、これらは三次元の物質ではないから、
三次元の視覚で捉えることは出来ないけど、
誰もが四次元と五次元の身体は持っているから、
この二つの身体の感覚で、
他者が創った四次元と五次元のエレメンタルを、
キャッチしたり知覚することは出来る。

幽霊の存在もそう。
肉眼でなくて、
四次元の眼、五次元の眼で感じている人は多い。
ただし、この二つの身体の発達具合と状態、
どの段階にいるのか、
六次元の身体が成長しているか…にも左右されますが。

とはいうものの、自分と同等のレベルにいるもの、
自分より下のレベルにあるものに限ってで、
自分より上のものは認識できない…
という前説をここで思い出して欲しいのです。


類は友を呼ぶという。
そして人は自分と「合わない」と思うものを避ける。
けれど、同質のもの、同じ匂いのするものを嗅ぎ分ける。

幽霊の場合は肉体がないだけで普通に「人」ですから、
自分の存在をキャッチしてくれた人、波長の合う人、
自分に似ているなと思う人、共通点のある人、
同じ匂いのする人に擦り寄っていくことになる。
(現実の人間関係と同じ)

エレメンタルは同質のものと呼び合い、
同調してはくっついて(合体して)大きくなっていく。

そして同質の波動・波長を出している人、
類似の仲間(エレメンタル)を持っている人に、
やはり刷り寄って行く。

自分が死んだこと(物質的肉体を失ったこと)に
気づかない幽霊と呼ばれる存在、
死んだことを自覚しているが、
生来の底意地の悪さから生や物質世界に執着し、
身内や他人に意図的に悪意を持っている存在、
また悪意や悪気はないのだが、
生前の物質的な欲望に執着している存在、

このような
次のステージになかなか行こうとしない人たちは、
三次元に仇成す存在となる。

欲望を満たすためあるいは、
誰かを自分のいる側に引きずり込むために、
他人の所有する三次元の肉体に入り込もうとしたり、
人形やぬいぐるみやポスターの写真に入り込んだり。
(他人の肉体へはボンの窪から)

オーラにくっついている程度なら、
2.3日で自然に取れるが。
但し、その人の波動(気分や思考)の低下が、
一時的かつ一過性である場合。

中にはチャクラに入りこんで、
その人の一部になってしまうと厄介だったりする。

ちなみに、お酒が好きだった人は、
死んでもなお、お酒が飲みたくて仕方がないらしく、
アルコールのある場所に居ついて、
お酒を飲みに来た自分と波動の合う人を見つけては、
その人の中に入りこみお酒を味わおうとする。
上手く済めば、その場(夜)だけのこともあるけど、
お酒を飲むことで当人の波動が下がったことで、
身体の中に入り込み、肝臓の中に住み着くケースも多い。
(お酒を飲むと別人になるケースとかあるある話)

実際、うちのクライアントさんの事例でもありました。
こうなると、何年も居座っている居候を通り越し、
ヤドリギや寄生虫みたいなもの。

あと思春期の不安定な時期に憑依されるケースも多々。
まだ人格形成もちゃんとしていない時期だから、
多重人格と呼ばれるほど別人格を感じさせず、
一緒に人生生きて成長していくパターンになるから、
まるで「ブラックジャック」の畸形嚢腫のような、
ピノコみたいだと思ったり。

でも、こういった何年ものの熟成?憑依は、
やはり類が友を呼ぶパターン。
同質の似たもの同士だからこそ、起きた現象。
その人自ら呼び寄せてしまった状況だから。


エレメンタルが人に災いを成すのは、
やはりその人が同質のエレメンタルを持っているから。
負の感情は類似の負の感情を引き寄せるし、
正の感情はやはり類似の正の感情を引き寄せる。

ただし、誰かがその人に対して、
ストーカーちっくな執着の念を抱いたり、
逆恨みとか嫉妬とか、ネガティブで邪な悪意を
生霊あるいは呪詛的なカタチで送りつけてくる攻撃は、
まさに災難としかいいようがないんですけど。
あと自分がやったことではなくて、
家族とか先祖とか、そういう因縁的な障り祟りとかも、
「アタシ、関係ないじゃん」ってハナシで、
迷惑かけられちゃいましたね、となるとこですが。

確かに後者のような、「別に呼び寄せない」
というケースもあるでしょう。
が、それでもそういう家に生まれたとしても、
影響でない人は出なくて、いたりするんです。

受けちゃう人、かぶっちゃう人は、
そういう家にカルマのレッスンで、
めぐり合わせとして生まれてきている場合もあるし、
ネガティブ・シンキングで負のエレメンタルを、
たくさん身体の中(四次元にも五次元にも)持ってます、
で、六次元の身体がまったく育ってない…とか。

幽霊的な存在にしても、
エレメンタルの引き寄せの結果にしても、
誰かの攻撃(サイキカルアタックやアサルト)にしても、
ご先祖様のマイナスな遺産を押し付けられたにしても、

それらから守ってくれようとする存在もいるんですね。
なきにしもあらず…といいましょうか。
でも、守護霊という存在たちがそれかというと、
ちょっと違う。彼らは別にセコムやSPじゃない。

神仏の加護のエネルギー(これもエレメンタル)、
ご先祖様や過去の人生で縁があった人で、
すでに六次元の身体ゲットしています、とか、
そこまで行かなくても二つの身体が属するとこが、
結構イイ線行ってますぜ、みたいな…
そういう人が助けてくれることもあるけど
(あとパーソナリティとしてのエレメンタルね)

実は結構彼ら厳しくて…

霊的な被害状況を受けているそのものが、
その人の霊格をアップ(霊的及び人間的成長ね)することに、
たいへん役に立ちます、ちょうど良い苦行です、
と判断した場合には、まったく助けてくれない。

死ぬほどの危険な目に遭ったとしても、
肉体を損傷する事故や、
精神的打撃や衰弱を伴う苦悩の日々を送っていても、

「ガンガレー」と遠くから見守っているだけだったり。
(巨人の星の明子ねーちゃんかって)

いやさ助けようともしてくれるんだけどね。
夢に出てきていたり、
(夢は四次元界なんで接触を試みくれてる)
傍にいるちょうどいい誰かにあるセリフを言わせたり、
(霊媒体質の人とか…。して私はよく使われている)
何となくそっちに気づかせようと、
それとなーく意識を向けようと、
四次元五次元の世界から働きかけていたりする。

でも、みんななかなかどうして、なんですね。
まあ…ふつー現実たる三次元に意識向いてるし。
そんなもの。



そしてここまで書いて、なんか疲れたー 

…ので、書き残したことがあれば後日。

2018/08/20

お客様は神様じゃない

少し前に、Yahoo!のニュース欄で、
客の注文の仕方(言葉遣い)によって、
生ビールの値段が変わるという、
システムの居酒屋があるということを見た。

「おい、生ビール」 1000円
「生一つ持ってきて」 500円
「すいません。生一つください」 380円


おお、スバラシイ。

お客様は神様です~♪ 
と歌っていたのは、三波春夫センセだが、
実際の話、神様なお客様は少ないんである。

過去、飲食やホテルその他サービス業界にて、
バイトや正社員をしていたことがある私だが、
その業界の従業員は自分たちより下の人種で、
何をしてもいい下僕だといわんばかりの、
横柄な客は実に世の中多いのだ。

逆に歯科助手やってたとき、
受付や私たちにはえばり腐ってるのに、
診察室に入ったとたん、
医師に対して低姿勢でまな板の上の鯉状態になる、
って人もやっぱり多かった。

そう、サービス提供者とお客様は本来は対等。
どっちかが上とか下とか、そんなんはない。
お互いに気持ちよく利用して、してもらってのために、
双方歩み寄って愛想よく謙虚に…は、
いかな商売であろうと人間関係の基本。
商売も元は人と人の関係、人間関係ありきなので。


とはいうものの、
スピリチュアルなワークの場合、
対等かというと、
対等になってはいけない側面がある。

何故ならば、
精神医学や心療内科の分野と重なる仕事なので。

メンタルの問題を抱える人が相手の場合、
対等になってしまうと、色々躓く。
だからちゃんと境界線を引いて、対等にならず、
偉丈夫にえばって支配的になるという意味ではなく、
一段高いところからの距離にいて、
決して同じステージには立たないという
スタンスを貫かないと、
共依存かつ不健康な関係を避けられない。

ようするに、
あんまりお客様の立場に立たすぎると、
メンタルやられてしまうよ、と。
気持ちに寄り添ってあげたいと思うのが、
人の情けですが、得てして仇になりやすいので。

このあたりのことは過去記事でも
おいおいにぼやいてますねっっ 愚痴半分に。


★ ★ ★ ★ ★ 

さて…

ここでひとつお願いと宣言です。

基本的に、
・セッションの内容(メニュー)についての問い合わせ
・予約についての問い合わせ
・セッションメニューの申し込み
・勉強会についての問い合わせや参加申し込み
以外には返信しておりません。
(営業の連絡もお断りしています)

セッションを受けてくれた方に対する、
後のフォローやサポートは別ですし、
セッション後の感想や状況(経過)報告など、
そうしたやり取りは致しますけれど。

blogの内容についての質問や感想などは、
出来ましたらコメントに下さい。


お会いしたこともない方から、
唐突かつ一方的に
昨今の心情、心境、近況報告など、
個人的なことを綴られたメールを頂いても、
正直困ってしまいます。

友人や顔見知りであれば反応できますが。

いやさ、過去にいらしたことのある方、
リピーターさんであっても、
受けて頂いたセッションの経過報告とか後日談ではなく、
プライベートな日記調のメールを頂いても、
こちらとしてはどう返信したらいいものか…
なんですね。

もちろん季節のお便りとかお礼状とか、
関心のある分野の情報のシェアとか提供とか、
人と人とのコミュニケーションは別です。
(ファンレター?も嬉しいし、ありがたいです)

私に対して、
自分についてのあやこれやの独白メールを書くことで、
誰かに心情を伝える行為をしたと、
気持ちがすっきりしたならば、
当人はそれはそれでいいのかも知れませんが、
当方としては正直困るだけなんですね。

メールやメッセージを頂いた以上、
どのような内容が書いてあるか、
最初の段階では判断できませんから、
最後まで読んだり、
今まではその先を聞くこともしていましたけど、
これからはきちんと要件や主旨など、
要領を得ないものには返信しないことに決めました。

もし単純に私とお話したい、話を聞いてもらいたい、
という方がいましたら、
メールで一人語りを送ってくるんではなくて、
それはもう仕事としてお申込み下さい。
私の仕事はボランティアではありませんので。

たんに会ってみたい、お話したいだけという場合は、
最近TABICAというのにホスト登録して
ワークショップの企画を立てているんで、
そっちでお願いします。
https://tabica.jp/users/35192

過去にお客さんや生徒さんとの距離が近すぎたとか、
対等に接してしまうことで境界が曖昧すぎたとか、
返信する必要のないメールにも対応してしまったりとか、
時間すぎても延長料金取らずに質問に答えてしまったとか、
あれやこれやサービス過剰だったと反省中です。
この辺りは私自身がこれまでなあなあにしてきて、
ちょっとルーズだったし、良くない点でした。


そして、こちらのblogでは、
本来の伝えたい主旨や目的とは違って、
霊的な知識に関して
無償で皆様にシェアしていますけど。
本来、専門的な内容や知識については、
同業者の方向けなんですね。
素人の方には難解だと思います。ごめんなさい。

それ以上知りたかったら、
勉強会に参加してください。
プライベートレッスン受けにきてくださ~い。

あと、
「今これこれこういうことで困っているので、
 アドバイスください。
 何しろ電話セッション受けるほどのことじゃないんで」

…………読んだときは思わず目が点になりました。
こういうのも色々と突っ込みどころ満載です。

いやいや私、そのアドバイスをすることで、
お金を頂いているんですよ? それが仕事です。
ご理解ください。


精神的に追い詰められてたり、
余裕がなかったり、混乱していたり、
判断力が鈍っているとか、
色々なダメージを受けている方もいるから、
人それぞれ事情が違うというわけで、
常識とか普通とかはあまり言いたくないけど、

出来ましたら、
サイトの案内文とかはきちんと読んでから、
ご連絡ください。


ホント、「頼みかた」って大事だと思うんです。
ファーストコンタクトでのファーストインプレッション。
(かっこづけで英語ですけど、初対面での第一印象って奴)
これ次第なんですよ、相手からの好印象を得るには。

冒頭に書いた居酒屋さんの話と同じで、
質の高いサービスを受けるためには、
相応の礼を相手に尽くさないとって話です。
(それを期待しては意味がないけど、
値段以上のサービスを与えられる人は、
与えられるなりの品格と礼節を
サービスする側に与えてるわけで)

人と人の繋がりって、やはり気持ち。
自分も人間、相手も人間。
気持ちを尽くせば気持ちが戻ってくるし、
その気持ちを示す指針がマナーとかエチケットとか、
いわゆる人としての礼節や常識。

サービス(奉仕)って需要と供給ありきの関係のことで、
ご主人さまと奴隷の関係ではありません。

かといって、必要以上にへりくだる必要はないし、
霊能者や占い師や私のような職業の人間のことを、
人と異なった不思議な力を持った存在なぞとも、
恐ろしい存在とも崇めたて祭る必要はないし、
ビジネスマナーかちかちの接し方も要らないけど、

せめて最低限、
コミュニケーションをとろうとはしてください。
自己完結した文章送付はご勘弁を、デス。


と、昭和の手紙世代のオバハンは切実に思ふ。
いやさ、
パソコン通信でネチケットの時代だからか。
やはり携帯やネットで、
メールが手軽にできるようになって、
しかもSNSとかLINEとかが普及したからか。

会話での言葉もそうですが、
敬語とか丁寧語とかそれ以前に、
挨拶自体が死語になってきている、
なんかもうヘンな時代になってきたというのが感想です。

てなわけで

たまに


と、こういう状態になることもしばしば。

そういうことですので、
意味不明な内容のメール、メッセには
以降返信いたしませんので、悪しからず。
ご了承くださいませ。

最後にこわ~い この方からも一言。


2018/08/14

転生サイクル~幽霊の正体と輪廻転生のゴール

転生サイクルの話題から逸れてしまっていますが、
続きと言えばそうなので、補足の知識をば。

ノーマルで一番多いパターンだと、
転生サイクルは20年前後と説明してきました。
一部の例外を除いて、ですが。

ここで疑問に思う人が少なからずいると思うのです。

20年前後でほとんどの人が生まれ変わるというのなら、
では一体、幽霊と呼ばれる存在たち…
何千年、何百年も前の霊たち、
地縛霊とか主護霊(守護)とか背後霊とか、
先祖の霊って何よ?

土地に住まう悪霊とかそうした現象とか、
何代もわたって続く因縁とか祟り(障り)とか、
そういうのって何?

…と。

何処か以前の記事にも書いている話だから、
ここでは詳細に書くことは省略しますが、
人間は三つの身体を、
(肉体・サイキカル体・ノエティカル体)
三つの次元、
(物質界=三次元、サイキカル界=四次元、
ノエティカル界=五次元)に所有して、
同時にその三つの次元に生きている存在です。

通常私たちは物質界をベースとして生きていて、
この三次元に意識の中心をおいています。

"死"というのは、この三つの身体が滅するということ。
まず物質界に存在する肉体が、
生物としての活動を停止してしまうと、
意識も含めて、その人間として生きた、
すべてのデータは次のレべル=四次元に移行します。

そして四次元の身体も滅する時が来て、
やはり意識とデータはさらに次のレベルの
五次元の身体に移行します。

この五次元の身体もやがて滅するときが来てしまいます。
それは転生の時期が決まったときです。

転生の前に、
直前で生きた人格、人生のデータはいったん
ある場所に回収されます。
それは私たちの本体ともいうべきホームグラウンドです。
神でありワンネスであり、本当の自分ともいうべき存在。
唯一無二のオリジナルの自分です。
魂が帰還するマザーシップのような、故郷のような、ですね。
ここには人として生きたすべてのデータがあります。
これまでの転生のすべての記録がある。
でも、アカシックレコードとは違うものです。

グノーシスでは、
パーマネント・パーソナリティと呼んでいます。
ハイアーセルフとかエターナルセルフとか、
そのように呼ばれている意識と同等といっていいでしょう。

五次元の身体、ノエティカル体が滅して、
そこから回収されたデータは、
すべてパーマネント・パーソナリティに統合されます。
その後で、また転生の際、
新たに三つの身体が創られ、
一部のデータが新しい肉体に移行されるのです。
(三次元にて誕生し、母体にて成長中の物質体に、
サイキカル体とノエティカル体、
そしてここでは詳しく述べませんが、
もう一つ俗に魂とよく呼ばれる、
サイコノエティカル体という六次元の身体が
合わさって、新しい人格が創られるのです)

ようするに、
今使用している三つの身体は、
永遠の存在ではなく、使い捨てと言えばそう。

ただ、その身体の使い方、受けたダメージなど、
そういうのは持ち越すことになります。
(病気やケガで受けたダメージ、入れ墨なども)


で、ここまでが前置きで…

この一回きりの人生、
今生で使い捨てされちゃう身体ですが、
パーソナリティとしてのコピーが創られます。
これもまた種類としてはエレメンタルなんですが。

ちなみに今生の人生の人格を
プレゼント・パーソナリティといいます。
ですので、
プレゼント・パーソナリティのエレメンタルが、
一つひとつの人生で作られるわけです。

100回生きていたら、
100体のプレゼント・パーソナリティの、
エレメンタルが存在するわけです。

このエレメンタルは死にません。
永遠に生き続けます。

このエレメンタルが存在するがゆえに、
ある人がもう転生をしていたとしても、
その死なないエレメンタルとしての
プレゼント・パーソナリティは、
別の存在として生きているので、
それを視ることが出来る人には視覚的に捉えられるし、
存在を感じることも出来る人がいるのです。

また、それだけでなく、第三者が
その過去生の人格の情報にアクセスしたり、
呼び出して、話をすることも可能なのです。
(例えばイタコみたいに)

この過去生のコピーとしてのエレメンタルは、
土地に居ついてしまったり、
誰か特定のモノや人に執着することもあります。

戦国時代の武者の霊とか、当時の合戦や戦争とか、
事件や当日の出来事を延々と再生・再現しているような、
古~いものは、たいていコレです。

霊といっても、もう霊じゃないんですけどね。

サイキカル体が幽体で、ノエティカル体が霊体なんで、
幽霊というのは、三次元の身体だけ死んで、
四次元と五次元の身体だけで生きている?
存在している状態の人のことですので。

なので、幽霊と
プレゼント・パーソナリティのコピーとしての
エレメンタルはまったく別モノです。

元の素材が違うというか、視え方も違います。
でも、見分けることが出来ない人のほうが多い。
あと、それぞれにアクセスしたとき、
持っている情報も違います。
同じ人物とそこから派生したものであるのにも関わらず。

(エレメンタルはその人生の記憶しか持ってませんし、
死んだあとの四次元と五次元の記憶を持ちません。
幽霊=サイキカル体とノエティカル体の存在は、
六次元の身体すなわち魂の霊的成熟度によっては、
三次元の視野が外れたこともあり多角的な視野や
今の自分に対する知識を持っていたり、
四次元や五次元の世界で日々体験することで、
成長します)

見分け方としては、
幽霊のほうが光度が高いというか明るいっていうか、
精妙なんですよ。粒子が細かいというのかしら…
説明がとても難しいんですけど。
でも、人としての重量感、存在感がちゃんとあります。

ただ、両方とも足はありますので、
足がないのはこれまた別の存在で、大体
生前に当人か他者が創った"生霊"的なエレメンタルです。
人としての形骸が不完全だったり、
造詣がおかしいのでこれは見分けがつきやすいです。
(デッサンが狂ってるっていうか大きさもヘン)


そして輪廻転生のゴール。
タイトルに入れたにも拘わらず、
おまけ程度の説明になっちゃいますが…

すごろくやゲームじゃないですけど、
この条件を達成できたら「あがり」という、
ゴールに行き着くための、
"神聖なる計画"のルールがちゃんとあります。

それは三つの身体をきちんと使って、
この三つの次元で自己表現と自己実現をして生きて、
永遠に死ぬことのない第四の身体(六次元の神体)を、
どの次元にも存在できる完全体ともいうべき完成形へと、
育てることかできたら、です。

それがゴール。輪廻転生の終わりです。

元のオリジナルである
パーマネント・パーソナリティとほぼ同じ、
神と等しいキリスト・ロゴスと同じって、
そのくらい慈愛と慈悲を持った、愛の塊になれたら、
ですかねー

なれない人は輪廻転生卒業できません。

本能と欲望で生きる動物みたいな状態から出発して、
たくさん経験して、喜怒哀楽の感情を知って、
挫折して、苦悩して、人として目覚めて、
感情を豊かにして、考えて考えて、創意工夫して生きて、
知恵を身に着けて、愛を育んで、色んなことを知り、
無意識的に生きるところから意識的に生きるようになり、
理性や倫理観を育てて、視野も認識も広がって、
霊的に成長して、自分のことだけでなくて、
家族や他人のことを考えられるようになって、
世の中や社会のために自分が何ができるかを、
他人の幸福のために生きる喜びを知って…

一歩一歩、一つの人生で人格を成長させて、
霊性を高めていったなら、
いつかゴールには届きます。

でも、その「成長すること」を怠ったなら、
いつまでも無限ループの輪にはまって、
運命のメビウスの輪、らせん階段を行ったり来たりし、
何度も似たような人生のパターンを生き、
課題をクリアできるまで何度も追試を受けされられ、
人生という学校の中で学んで学ばされて、
彷徨って、カルマのレッスンと対峙させられます。
タネを蒔いては刈り、刈っては蒔いて、の繰り返し。
(でもそれはそれでとても楽しいことです)


とりあえず この辺でさっくり終わっておきます。
何か質問があればコメントもしくは勉強会のほうでドゾ。

2018/08/09

転生サイクル~死の知識が光明の鍵

転生サイクルについて今一度まとめておくと、

死後2か月後からが転生可能なものの、
だいたい10年から20年の間で
次の人生をスタートさせる人が一般的で多数派。

但し、極稀なレアケースには、
死後数時間以内での転生をした人もいますし、
死後2か月(49日過ぎてから)から10年以内、
ほんの数年で転生する人もいます。

そして事故や災害、
世界的規模の大戦や大きな事件で亡くなった人は
転生サイクルが短い傾向になりがちです。
(死後2か月から数年以内)

なので(この現代、昨今において)逆を言えば、
次の転生まで20年以上の期間が空いてしまう場合、
ちょっと難アリ物件といいますか、
普通の状況ではない、
イレギュラーケースであるとも言えるのです。
(通常の場合、21周忌の時にはそろそろ
"次の人生に移行している"との認識でいいかと)


けれども、転生までの期間を決めるのは、
当人の意志ではなかったりします。
宇宙との予定調和と言えばそうだし、
その人の魂というか、本体っていうのかな、
まぁ…その人の中の神の部分とか、
カルマのレッスンとか色々な都合です。
(ここではかるーくゆるーく言っておく)

でもって、その人が亡くなったときに、
自分が死んだことを意識できるかどうかってのが問題。

ほとんどの人が、自分が死んだことを理解できず、
生きてると思って、普段通りに行動してたりしますから。

先の記事に触れた、
タイタニック号で亡くなった人たちの場合、
自殺でなくて事故死(溺死)であるというのに…
とっくに溺れ死んでいるのにも拘わらず、
いつまでも、あの海の上で、
「助けて~!」って、溺れてたわけですよ。
肉体なんて、もうそこにないし、所有してないのに。
ものすごい数の人たちが、
海から手を伸ばして、溺死というよりは、
低体温症(凍死)で息絶えていく自分の死の様相を、
ずっと何年も繰り返し、再現し続けていたわけです。

そんな風に、事故や災害現場には、
自分の死の瞬間に閉じ込められたかのように、
"熱い" "痛い" "苦しい" "ここから出して"
って言い続けている、そんな霊たちもいます。

病気で亡くなった人の場合、
亡くなった場所に居続ける人が多いかな。
病院ならそのまま入院患者やってたり、
自宅ならそのまま寝てたり、
体が軽くなったと普通に生活している人もいるし、
会社に出かけたり、家事をしていたり、
いつもの生活パターンを繰り返している人も多々。

家族に話しかけて、色んな人にスルーされて、
そこに違和感を覚えて、考えられる人は幸い。
自分のお葬式とか遺体を認識して、
「ああ、自分は死んだのだな」と気づけるなら、
それは普通だし、すぐ次の段階にいけます。

(次の段階っていうのは、
とりあえず"成仏"と考えておいて頂ければ。
ようするに、きちんと自分の死を自覚した後の、
意識や視点が移行する状態っていうところで、
その上で、人それぞれ、ケースバイケースですが、
その人の人間的成長度(人格や霊的成長度)に見合った、
行くべきところに行くってハナシです。
その上で、今生を振り返り見直して(反省会?)、
次の転生の準備に入るっていう感じ。

この時に人によっては、守護霊つーか背後霊として、
身内や身近な人のところのサポートに行くこともある。
次に自分が肉体を所有して生まれるまでの間、
透明なヘルパーとなって、修業期間のごとく、
現世で培った自分のスキルを用いて、
社会のために働いたり、
得意ジャンルの人たちをサポートする人もいます。
※それが許されない、出来ない人もいます

ちなみにあの世と呼ばれる次元にも、
霊的な知識を教える真理の学校があり学ぶ人もいます。
でも通えるのに通わない人もたくさんいます。
死んだあとも人は成長する機会を与えられますが、
それを選ぶ人と選ばない人に分かれますね、
このあたりは自由意志の範疇なので)

現世に執着心強く、想いを捨てられない人は厄介。

葬式や法事、その宗教の弔いの言葉、念仏など、
家族の自分への想いに触れて、
きちんと自覚できる人ならば良いけれど、
それでもなお、
現世や今生への執着や未練を捨てきれないと、
なかなかどうしてめんどくさいことになります。
これが数年位なら良いのだけども。
(家族が心配だからとかの理由で)

自然死や事故死、病死でも、
自分の死を自覚できないがために、
時間を止めてしまう上記のパターンがあるわけで、
するってーと、自殺なんかはもっと大変です。

自死のケースについては、過去記事の
自死・彷徨える魂~終わりのない旅(上)
自死・彷徨える魂~終わりのない旅(中)
自死・彷徨える魂~終わりのない旅(下)
にあれやこれや書いていて、
その中にも転生サイクルのことは書いていたかと。

自殺した人で、亡くなった時の波動の低い人…
(霊的成長をしていない人というべきか)
は、大概にして、死の瞬間を何度もやり直します。
自分が死んでないと思って、
何度も死のうとするんです。
壊れて針のとんだレコードみたいに。
(例えが古すぎますねっっ)

その状態から脱出できるタイミングは、
その人の生前の性格、人格や霊性次第とも言える。
あとはその人の冥福や成仏を願う家族や周囲の想い。
これが伝わるか否か…とか。

そうやって自分の「死」について、
客観的に捉えられるような状態になってからが、
そこからスタートするので、
どうしても年月がかかってしまうのです。

いわゆる悪霊とか、
誰か自殺した人の霊に引きずられてとか、
そういう場合は同じ自殺でも、
殺人事件の被害者とほぼ同等ってことになりますが、
波長が合ってしまってそそのかしに負けた原因が、
その人の中に内在していた自殺願望とか悪心とか、
そういうものが起因していると、
その"汚染"が取れないことには、
なかなか次の段階にいけないと思います。

そして殺人事件の被害者なんかの場合だと、
カルマのレッスンによっての事象なのか否か、
そこによって違ってくるわけです。
カルマのレッスンとして起きた事なら、
普通の死と同じです。
そうでない場合は被害者となったのは事故と同じ。
いずれにしても、殺されたことに対してどう思うか、
怒りや恨みを抱くのか、納得できないと思って、
この世に執着するのか否か…
そこに左右されますね。


刑死(死刑や獄死、拷問死など)の場合は、
その死がカルマのレッスンか否かが大きいわけですが、
ちゃんと己が罪について考えて反省して、
学びを得ているのかどうか…でしょうね。
困ったことに「罪」「咎」というのは、
世の中が判断するのでなく、当人が「罪」と自覚して、
自らの罪と…最悪感を持ち、認めないことには、
だったり。
ここら辺は語弊が出やすい部分なので、
これ以上のことはblogでは書かないでおきます。

でも、言えることは、
何度転生しても繰り返し同じ罪、過ちを犯し、
多くの人に対して不利益を与える反省なきものは、
先の記事でも書いたように、
強制的な介入が入り、
一時的に転生を止められることになります。

そしてその間、
色々と「教育的指導」が入ることになります。
生まれてきてから死ぬまでの一生を、
延々と何度も見させられることになったり…とか。
あと、自分が犯してきた罪、犯罪の場面だけ、
ピックアップしたものを何度も何度も、とか…
被害者の立場に視点を入れ替えて、
何度も殺されたり拷問される追体験を、
嫌というほどさせられたりとか…
ちょっとした精神的拷問に近いです。

まぁ、仏教でいうところの地獄に似た状況ですね。
ここのことをスピリチュアリズムでは、
反省房って呼んでます。
(反省房に入れられても反省しない人は反省しません。
その場合、また最終的な教育的指導…というより、
最終審判のような、いったんデータ削除みたいな
そうゆう強制的な執行が起こってしまいます。
このあたりも何処かに書いたと思います。
何処に書いたか忘れましたが、「発達障害」について
書いたとこだったような、なかったようなっっ)

ちなみに私は、死刑反対派ではなく、
どちらかというと賛成派です。
もちろん、いつかは死刑という極刑が
世の中からなくなって欲しいとは思いますし、
冤罪を晴らす前に死刑になってしまう不幸も
避けないとはいけないですし、
死刑執行を行う執行人の苦悩や心の傷を考えたら、
それでいいのか、という想いはあります。

でも今の時代を考えると、
死刑廃止は時期尚早で、無理だなって思います。
他人の生きる権利や人としての尊厳を侵害し、
踏みにじり、命を奪った罪は己が命で償うのが、
妥当であると…
この三次元の物質社会での償いは、
それ以外に相応のものはないと、そう思うからです。

刑務所の中で自分自身と犯した罪を見つめ直して、
根底から変わってくれるなら、良いのです。
でも、改心して生まれ変われる人もいますが…
残念ながらそうでない人もたくさんいます。

今生で過去をやり直すチャンスをもらって、
現世で生き直す環境を与えられていながらも、
学びの場を生かせず、
過去の過ちを繰り返している人は、
再び人生を生きる機会をいったん取り上げられて
あの煉獄、霊界での独房に入ってもらうしか、
それしかないんだろうなって思います。

きっとまた宗教で過ちを犯したあの人たちも、
そういうところに今はいるのでしょう。

誤った閉鎖的で偏った思想を疑いもなく受け入れて、
見せかけのまやかしとホンモノを見抜けずに、
人として一番大切なものを見失って、悪魔に売り渡し、
選民意識的な観念から、楽園を夢見た人たち。
定期的に歴史で派生する、そのサイクルの流れに沿い、
何度も目を覚まし気づくチャンスを与えられても、
それを逃してしまった人たち。

一人ひとりが違う房にて、永遠の孤独の中で、
すべてを悟るその日まで。
今回はどのくらい、いることになるのだろう。


てなわけで、死して次の段階、
次の人生すなわち来世に早めにいくためには、
「死」について、知識を持ってないといけません。
人が死ぬとはどういうことか…という、
生物学的、物理学的なことの意味でではなく、

死んだら終わりではなくて、
そこですべてが「無」になるというのではなく、

肉体的な「死」の後に、
物理的肉体を失った次の段階へと、
意識(人格)が移行するのだということを知る、
という意味です。

肉体は滅びても、意識は残るのだということ、
記憶はどんどん薄れていくけれど、
「自分」という存在が消滅してしまうのではない、
ということを何となくでいいので、
そう思っていればいいのです。

つまり輪廻転生を今の段階で認めなくても、
死んだときに「あーもしかして本当かも」と
思うくらいには、知っておいて損のない情報程度に、
耳に入れておくと後で役に立つわけです。

こういう知識があると、
死んだあとに迷子にならず、
自分が行くべきところを見つけることが出来て、
無駄な年月を浪費しないで済むと…

例えば、
毎日通勤電車に揺られて電車に乗りなれている人と、
生まれて初めて電車に乗る人では、
色々と違いがありますよね。
後者の人は下手したら切符の存在も知らないかもですし。
飛行機で海外に行くにしても、言葉の問題以前に、
空港に行ってそれで何をどうしたらいいの?って、
事前に知識がないと、入口を間違えたり、乗り遅れたり、
目的地に行き着けない可能性も出てくる。

そういうのの基礎知識と同じです。

(もちろん、すべての人が同じ体験をするわけではなく、
個々の人が見る景色、体験することには差異があります。
同じではなく、違いはあれども大体の大枠、
流れは似たようなものであると理解ください)


※ちなみに心霊科学における肉体の「死」は、
 完全な心臓機能の停止です。脳死ではないです。
 48時間以上、動かない場合、ですが。


生物としての物理的肉体が死んだ後も、
自分の人格・意識は残るんだ。
そしてしばらくこの世のことを見ていられたり、
人生を振り返ったり、行きたい場所に行ったり、
会いたい人に会いに行く時間があるんだ。
けれど、いつまでもその状態にはなくて、
次の段階(転生に至る準備)に行くことになるんだ。
その時には案内(ガイド)が来たり、
もしくは景色が眩しいほうに進めば間違いないんだ。
トンネルと同じで、
暗いほうでなく明るい景色のほうに行けばいい。

そう知ってるだけで十分です。

多くのアメリカインディアンたちは、
ちゃんとこのことを知っていて、
ごく自然な当たり前の知識として子孫たちに教えています。
なので彼らのうちの多くは、
肉体を離れた瞬間に次の段階へと移行することができます。

「今日は死ぬのによい日」

そういって、肉体を自ら去る人たちも多いのです。

2018/08/07

転生サイクル~死から次の生までの期間

ちょうどその話を、前回の講座にて話したので、
補足的に少しまとめてみます。

そして、今日はヒロシマの日。
あさってはナガサキ。来週には終戦記念日。
戦争と平和を考えるweekと言えばそうで、
生と死を考えるには良いタイミングなのかと思いつつ。

さて、
薔薇十字団とか、一部の神秘主義の教えでは、
転生のサイクルを50年と考えているところも多いけど、

そんな風にゆっくりとできたのはとてつもない大昔の話。
太古の昔というと行き過ぎるけれど・・・
少なくとも紀元後AC.になってからは、
転生のサイクルはとても早くなっていて、
だいたい平均して10~20年程度で、
人は次の人生に転生しています。

ただし、自殺ではなく、
老衰とかの自然死とか病死とか事故死の場合。
自殺した人は平均以上の時間、20年以上はかかりますね。
色々と制限がかかるといったほうがいいかも。

あと、殺人とか罪深いカルマを犯した人で、
何度生まれ変わっても反省しなくて、
まったく改心しない人の場合、ちょっとまたこれも、
特殊な運命の干渉が入ることになるので、
転生までの年月がだいぶ間が空く人もいます。
(あの世というと弊害がありますが、
とりあえすその理解でOKということで…
あの世の独房みたいな反省房に拘束されるのです。
ここまた別途説明します。たぶん後日)

ものすごくスピーディな転生のケースだと、
事故で病院にかつぎこまれて、「ご臨終です」となり、
遺体安置所(霊安室)で遺族と対面しているときに、
その病院の新生児室でオギャー♪と生まれて、
新しい家族に笑顔で迎えられた人もいたりします。

こういうのはとってもレアケースなんですけど。
ある意味で、仕組まれた「死と生」とも言えますね。
次の転生先の人生を生きるために、
今の人生に対して調整が入った予定調和、みたいな。

遺族からしたらたまったもんじゃないですね。

まあ、現代では火葬が主流だから、
死後すぐに灰と骨にされてしまうからアレですが、
一つの人格の死にかかる時間ってのは、
本当は40日は必要なんですよ。
なので仏教の49日ってのは、
"死"のために必要な期間なんです。十分余裕もってる。
どうして40日必要なの?
ってのはここでは詳しく書きません。

なので、死んだその日に転生ってのは、
よっぽどのレアケース。普通はありません。
けどあったりするこの不思議。



ケースファイルの何処かにも書いたけれど、

一度にたくさんの人が亡くなる大きな事故や災害、
戦争で亡くなった人はサイクルが早いだけでなく、
同じ国や民族、土地に、
同じ理由(事象)で亡くなった者同士、
まとまって生まれてくることはよくあります。

これは国のカルマが理由で亡くなった人は、
国のカルマの流れにのるってだけなんですが。
もちろん、その国の原罪ともいうべき、
カルマのレッスンの原因に、
個人としてのその人が関わっていたとか、
その人自身のカルマのレッスンと同調するから、
っていうのがあったりします。

日本が先の大東亜戦争を始めたのが1941年で
降伏して、戦争終結をしたのは1945年ですが、
(実際はその前1937年に始まった日中戦争がある)
すでにその直後から、
この戦争で亡くなった多くの人たちが転生していました。

日本の学生運動は、
大正デモクラシーの時からのものらしいですが、
1960年の安保闘争、1968年 ~1970年の全共闘運動、
そのあたりに参加した人の多くは、
大東亜戦争で亡くなった人たちが転生してきています。
このことも過去に書いたことがあるけど、
たぶん国の犠牲になった、という政治不信が、
意識の根源に根深く植え付けられた結果でしょう。

1970年~80年代に日本に生まれた人の中には、
何故か終戦後に一度他国で生まれて短い人生を生きた後、
日本人として生まれたドイツ人の人たちが多いです。
やはり先の戦争にて亡くなった人たち。

まあ、たまたま彼らが学ぶべきことが、
日本という国にあったから、というだけでしょう。
全員が全員、日本人として生まれたわけではないし。
アメリカ人とかイタリア人とかイギリス人だった人、
東南アジアの人たちも日本人に転生していますし、
統計取ったわけではないので何とも言えません。


第一次大戦の戦死者とか、
世界恐慌を経験した人たちは、
1950年~60年代にかけて生まれて、
前者はベトナム戦争や朝鮮戦争、
日本だとバブルをダイレクトに経験するとか、
そういう波に乗っているみたいです。

ちなみに…これもどこかに書いたと思うけど、
私は100年前はアメリカ人のフラッパー。
過去生では
世界恐慌(ブラック・サースディ)で経済崩壊を経験し、
今生ではバブルとリーマンショックに翻弄されました。
(けど、英語苦手で話せませんし、書けません)
面白いことに、
第二次世界大戦では日本の敵国人だったわけですね。
して私がアメリカでニューヨーカーだったとき、
今生の祖父は日本帝国軍人であったと…。
(まぁ私の話はどうでもいいですね)

ヒロシマ、ナガサキの原爆で亡くなった人は、
早かった人と遅かった人と極端に別れたように思います。
クライアントさんとその関係者の中では、
1980年代生まれの人に被爆者の転生者が多かったです。
もう少し早い時代に転生した人もいると思いますし、
その時代に日本で転生するまで、
他国に生まれていたのかも知れません。

その人のカルマのレッスンがどのようなものであるのか、
にもよるのですが、戦争から派生するトラウマや
カルマのレッスンを持っている人は、
やはり大きな戦争の流れに沿って転生することになります。
私の場合は、
2000年前にお金に対するカルマを作ってしまったので、
世界的経済や金融の流れで左右される世相や社会に添って、
人生の一大事を経験するサイクルで生まれちゃうんですね。
2000年前までは違いましたけど。

人種差別がテーマな人は奴隷問題とか南北戦争とか、
民族浄化だとホロコーストとかカンボジア内戦、
反乱とか革命とか、まあ色々なサイクルパターンがあります。

少し前にいらしたクライアントさんで、
前世がカチンの森で殺されたポーランド兵だった方は、
どうしてその経験をすることになったのかというと、
もともとの発端はゴート族だったときに、
ヨーロッパのあちこちを侵略して民族浄化をしてしまったから。
言葉や肌の色、国こそ違えど同胞たる人間に
自らがしてしまったことがどういうことであるのか、
それを心で知る日までは、そうした出来事に出合うサイクルで。

いま戦争や民族浄化のない日本という国で、
日本人に生まれてきた人の多くは、中休み的な人生で、
平和を享受し、たくさんの情報、歴史の客観的な真実とか、
そういうものを調べたり、知ったりできる環境にあって、
「考え」「感じる」期間を与えられているわけです。


そもそも
転生を受け入れられるようになるまでというのは、
人によって誤差があります。
転生するにはタイミングが必要なんですが…

ようするに、いったん今生を振り返って、
自分が今生できちんとノルマを果たせたのか、
するべきなのにできなかったことは何か、
やり残したことや後悔、新たな課題を作ったか否か、
次の人生でのカルマのレッスンについて、
今生での教訓を次の人生でどう生かすかetc

カルマのマスターと話し合って、方針を決めるわけです。

そして、
それが果たせそうな場所、環境に狙いを定めて、
準備して転生する。

転生先はかな~りアバウトで、
そこまで綿密ではないのがミソですが。


この段階、計画立てるところに至るまでが、
人によっては時間を食ってしまうわけです。

自分の死を受けいられるか否か、で。

ある程度、死生観のある人は、
自分が死んだことに気づくのが早いです。

西洋人に比べると、日本人のほうが早いかな。
でもチベット人やアメリカインディアンの方が早い。
信仰や宗教で「死」を教わっている人、
知識がある人は、
「ああ、自分死んでしまったのね」と、
わりとすんなりいくんです。
でも、恨みとか執着があるとやっぱダメですけど。

自殺した人でも、どういう状況での死なのか、とか、
生前の人格によっては、気づきが早い人もいますし、
説得に素直に応じる人もいます。
ですが、ほとんどの人が「死」に執着するので難しい。

先に事故や災害、戦争で亡くなった人は、
転生するサイクルが短いと書きましたが、
どの宗教に属していた人か、
生前、死生観をどのような形で持っていたか、
これにもすごく左右されるのですね。

誰もが知っている1912年に大西洋上で沈んだ
タイタニック号にて亡くなった人たちは、
1916年の時点で、ほとんどの人が成仏してなかった。

2011年の東日本大震災で亡くなった人は、
早い人ではその年の内に、そして2.3年以内で
転生してくる人たちが多かったんです。
(5月のGW過ぎた後位に生まれてる人の中にいました)
もちろん、まだ成仏できてない人も残ってるし、
まだ転生してきてない人もそれなりにいますけど。
(必ずしも日本に転生するわけではないし)

キリスト教を信じる西洋人と、
熱心な信仰を持つわけではないにせよ、
仏教に対する知識が多少なりともある日本人。
その違いもあるのかな、と思います。
閉鎖的な100年前と情報化社会たる現代という、
時代背景の違いもあるでしょう。


てなわけで、
10年~20年サイクルでだいたい転生しますから、
今の人生で過去生の家族や知り合いに、
再会できる可能性は高いです。
ただし、姿かたちも違うし、国も言葉も違うでしょう。
まず覚えていないし、お互いわからないですが。

20年過ぎたら、
その亡くなり方が自殺や刑死でない限り、
転生してもう別の人生生きてると思ってください。

再会できたら奇跡ですけど、期待しないのがいいかな。

なんかちょっと散漫なまとめ方、文章になってしまいました。
こんな書き方で説明になっているかしら。
わかりにくかったらごめんなさい。

2018/08/03

デジャヴュとタイムパラドックス

まず自分が経験したデジャヴュ(既視感)について。

「ここは昔、来た事がある」と言った、
いつかどこかで見た景色…を感じたのは、軽井沢。
仕事で滞在していた時、観光客はほぼ皆無の、
冬のメインストリートを歩いていた時のこと。

夢で見た景色と同じモノを目前にしたときの、
得体の知れない恐怖にも似た、奇妙な感覚。
眩暈のように、頭がクラクラして、
頭から何かに吸い寄せられるような、
…そうまるで、自分から何かが抜け出して、
何かツボのようなものにヒュッーと吸い込まれる
気持ちの悪い経験をした。
(ハクション大魔王が壺に吸い込まれるような?w)

初めて訪れたはずの、知らない場所なのに。

そして懐かしいとか、
愛おしいとか、そのようなものでなく。

どちらかというと恐怖にも似た、
不快な感情が蘇ってきたような、そんな感じで。

これ以上、先に進みたくない、
この道の先に何か、忌まわしいものがある。

身体が思いっきり拒絶反応を示してしまい、
そこで散策を止めて、引き返してしまった。

それが果たして本当にデジュヴュといった感覚なのか、
それとも、別の良くないものをキャッチしての、
本能的な危機回避からであったのか、
当時にしても、今の今も実のところはわからない。


その後でも、たびたび
「あ、これは夢で体験している」
というようなことは経験する。

派遣先でふと、
「ああ、この作業、この職場、
ここで仕事しているの、以前夢でみたわ」
というのは幾度か。

いわゆる予知夢を見たという状況だろうか。

夢で見た景色、状況を経験するということは、
決まっていた未来、具現化され、
物質社会で経験するべきであった未来ということか。

グノーシス(霊的真理)の教えでは、
"未来は三日先までしか決まっていない"
と言われるが、

私が経験した未来は、少なくともそれ以上の月日、
夢を見た時点からして十数年、数年単位の未来であった。


☆ ☆ ☆


この人とはどこかであったことがある。
私はこの人を知っている。

という感覚も度々ある。

もしかしたら、過去生なのかも知れないし、
夢と呼ばれる四次元の世界であったかも知れない。

自分が霊媒であるという事実、
その人の周囲にあるエレメンタルという情報のレコードを
自動的に読み取ってしまう困った性質のことを考えると、
誰かその人にとって身近な人…
懐かしい気持ちを抱いている霊たちの意識に同調し、
親愛の情を持ってしまっているのかも知れない。

そういう時の私はやけに馴れ馴れしく、
もともと人見知りはないものの、
初対面の人に対して、
妙に厚かましいくらいの距離無になっているのが特徴だ。


出会ったり、見かけた瞬間に、
目の焦点がピタリとあって、視線を離せず、
強烈なインパクトを自分に与える人…
もしくは「私はこの人のことを知っている」
と思い込みのような錯覚を起こさせる人とは、

面白いことにその時はその場限りになったとしても、
必ず後に縁が出来て、
数か月あるいは数年後に再会することになる不思議。
そして親しくなったり、何故か交流が生まれたりする。

それが"縁"と言うものなのか、"宿命"の相手なのか、
そのあたりは未だに分からない。

まぁ、過去生で縁があった相手と言えばそうだから、
そういうもんなんだろう。
ただ、その"縁"は必ずしも良好に、今生続くとも限らない。
それでいいのだと思う。

昔の知り合いだったとしても、昔と今の私たちは違う。
今生を生きる中で、様々な出来事を経験し、
相手も私も確実に成長して変わっていく。

"縁"に縛られ、
再会した事実に囚われることは無意味なのだから。

ここまで書いて、
初対面の人に対して、妙に親近感を湧かせてしまい、
馴れ馴れしい態度を取る…というパターンとは、
明らかに違うと気づいたりする。

さすれば、やはり霊媒として"何かの存在"や"意識"の
想いに自動的に反応しているだけだったのだろう。
これはこれで困ったクセだと改めてトホホに思う。


☆ ☆ ☆


その体験は、
タイムパラドックスとは、ちょっと違うのだけれど、
他に適切な言葉がないので、とりあえずというところ。

私は新聞代わりに「まとめサイト」を
日常的に愛読?していたりするのだけど、
(退屈しのぎと人間についての勉強でーすww)

そこでこれから書く、
私と類似の体験をした人の話を見かけた。

少し前に読んだ、
随分前にまとめられた記事だったと思うので、
元の記事を捜す手立てがないのだけど、
確か…
数年前に誰かに電話をかけたのに、
相手はそんな電話がかかってきてないといい、
では自分は誰に電話をかけたんだ?となったものの、
そのまま忘れて数年過ぎた。

けれど、ある日友人から、
「夕べお前が電話をかけてきて迷惑だった」
みたいなことを言われたが、
その時間帯は誰にも電話はかけていなかった。

どうも話を聞いていると、
数年前に自分がかけた電話の内容と同じで、
まるで数年前の電話が今の友人の電話に繋がった?
みたいな…

詳細は忘れたものの、そんな内容だったような。
もしかしたらかなり違っているかもっっ汗


はい。私も全く類似の経験があるのです。
10代の頃、まだ黒電話だった頃です(時代がorz)。

酔っぱらって夜中に帰宅して、
自分はそのまま寝てしまったのだけれど、
同居人が言うには、
電話をうるさくガチャガチャいじって、
そして誰かに繋がって、
あーでもないこーでもない、うひひひひー
みたいな、明らかに酔っぱらってますね的な
相手に絡む電話を延々としていたらしいっっっ
(なんて恥ずかしいヤツ)
そして「切るねー」と電話を切り、
そのままグーグー寝てしまったと。

それを聞いて青ざめ、
もしかしたら電話してしまったかも知れないと
思われるすべての友人に電話して、
真夜中の迷惑電話のことを聞いたのだけど、
誰も私の電話を受けていないという。

もしかしたら、回線繋がっていない状態で
私が独り言を言ってたのかも…と思ったが、
「いやさ、相手が大きい声で、
『〇っちゃん、酔っ払ってるの?』と、
怒ってる声とかちゃんと聞こえてたし」
という証言アリ。

とすると、
相手が私のニックネームを知っていたということで、
間違い電話というのでもなさそう。

一体わたしは誰に電話をかけていたんだ?
「??????」
と悩んでみたものの、分からず。

それから年月は過ぎ、
私はすっかりそのことを忘れてしまった。

だが、20年は軽く過ぎた頃に、
一時途絶えていたものの、
最近になって交流が復活した友人から、

「〇っちゃん、この間、酔っ払って
 うちに電話かけてきたでしょ」

と…お怒りというか呆れた声での連絡が。
聞くと、
真夜中1時近くに、
なんか電話機をがしゃがしゃ叩きながら、
ふへへあはは…みたいな呂律の回らない
酔っ払いの私から意味不明の電話があったらしい。

ちょっと待って!
その時のわたしはすでに40代になっていて、
10代や20代の頃みたいな飲兵衛ではなく、
夜遅く飲み歩くこともなくなっていたし、
飲んでも月に1、2回。せいぜいグラス2杯程度。
その飲みだって23時には自宅に戻ってる。
グデングデンになるまで飲むことはすでにない。

何よりも昨日は飲みになんて行ってないし、
2時頃まで起きてて、自宅で一人ゲームをやっていた。
誰にも電話はかけていない。
(30過ぎてから、急に電話嫌いになりました)

でも友人曰く、
「いーや、絶対にアナタの声だった。
 だって名乗ってるし、聞いたら、そうだって言うし」

頭がテンになったっていうか、真っ白になりました。

友人から聞いた電話の内容を聞き、
ふと思い出したのが20年前に、
記憶にないものの、私が誰かにかけたらしいという、
架電先(通話相手)不明の真夜中の迷惑電話。

「え゛え゛っー!」

20年以上も前のハナシだよ、そんなことってあるの????

確か当時、
彼女にも(当時よく電話していた友人なんで)
「夕べ 私 ヘンな電話しなかった?」
って聞いたんですが、
「えー かかってきてないよ?」
だったんですが。

なんで、20年前以上も昔にかけた、
酔っ払いの迷惑電話が今になって、
友人に掛かってきたの???

でした。

これは本当にミステリー

子供の頃からヘンな体験、
オカルト的な不思議体験それなりにしている私ですが、
これだけは、

「解せぬ!」

でした。

本当に意味わかりません。

内容も無意味な、どうでもいい、
酔っ払いの戯言・・・で。

SF小説に出てくるような、ストーリー性のある、
ミッシング・リンクを埋めるようなものでも、
過去から未来へのメッセージといったものでもなく、
ドラマティックな感動話でもないし…

ただ、友人だけが、真夜中にたたき起こされて、
酔っ払いの意味不明な雄たけびに付き合わされて、
寝不足を被った…

そういう話でした。

20数年の時を超えて迷惑な電話をかけて、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

20数年前の私、反省しろ!


☆ ☆ ☆

そしてこの話は、私が22の時。
某リゾートホテルで冬にシーズンバイトしてた時のこと。
確か3か月の滞在でした。

その時、寮にいたわけですが、
4人部屋の二段ベッドに寝ていて、
「ミャーミャー」とか細く鳴く声に、
眠い目を少し開けると、
飼い猫二匹が枕元にいるのです。
寝ぼけている私が、
「あ゛ー んー? どしたの? 入るの?
 はいはい 寒いから、入んなさい」
と布団をめくりあげると、
プリンとラズベリーが潜り込んでくる。
そのモフモフした子猫独特の感覚と暖かさ。
決して重くはない体重。

二匹の体温と存在を確かに感じながら、
そのまま寝いってしまったわけです。

そして翌朝、起きた瞬間に…

「ちょっと待て! ここは寮だ。新潟だ。
 スキー場で、自宅じゃない。
 二匹を連れてきた覚えはない」

と布団をめくったんですが、
はい、当然二匹がいるわけありません。

夢を見たのかな、とも思いました。
でも、確かにリアルに二匹の感覚が残っているんです。

そして、(まだ子猫だった)二匹が、
枕元でミャーミャーと鳴いているとき、
いつもの寮の賑やかな音もちゃんと聞こえてて、
(大型のホテルだから24時間体制のシフトにつき、
明け方でない限り、常に寮ではガヤガヤ人の往来がある)
某大物歌手がリハで「どうしてどうしてボクたちは~♪」
ってやってる歌も遠く聞こえてたし、
ドアの隙間から廊下の光加減が漏れてる状態とか、
その光に照らされた二匹たちの姿かたち(黒白コンビ)とか、
自宅のベッドじゃなくて、この二段ベッドで、
この安くて汚い布団に潜り混んできてたー
紛れもなく、ここだった…

自宅で二匹と寝てたときのことを思い出したんじゃないし?

一体これってナニー?

でした。
その後、二匹に再会したとき、

「お前ら、幽体離脱して私に会いに来た??」

と言っても、

「ん? ナニ言ってるの?
 それよりエサちょーだい」

と、三か月前よりはるかにボリュームアップして、
一番可愛かった子猫の頃の面影が、
まったくなくなってしまった二匹にシカトされたのは、
ちょっと寂しかったです。

っていうか、ずっと会っていなかったので、
アンタ誰?って顔されました( 涙)

おかしいな、夢まぼろし?か幽体離脱してまで恋しく、
会いたかった飼い主ではなかったのか…( ;∀;)


そんな二匹も今はこの世にはおりませんが。


ちなみにこれと似たような体験を、
29の時にもしています。

でも、ちょっとこれは内緒にしておきます。
ふふふ

そのうち気が向いたら書くかも知れません。
でも書かないかも、な。

そんな風に、

あれはいったい、なんだったんだろう?と、
思う体験をしたことがあるというお話でした。

自分語りの手前ミソな話ですみません。