2018/10/30

吸収された他者の記憶~ドラマに浸りたがる人々

先に書いた記事の続きというか
延長線上で書いていますが、内容自体は関係ないかも

★ ★ ★ ★ ★ ★

人というのは、信じたいことだけ信じ、
自分が見たいと思うものだけ見て、
聞きたいことにしか耳を傾けない生き物だ

事実を聞かされたとしても、
受け入れられないことは拒絶し、
認めたくないことを決して認めようとはしない

良いとか悪いとかではなく、
それが人の心理的抵抗というもので

理性よりも感情が勝っている人にとっては、
個人的主観というものが何物にも優先されるから、
客観的に物事を図ることが出来ないとしても、
他者のことならともかく、自分のことに関しては、
物事への初期反応として、しごく当然のことであると言える

心が納得できるか出来ないかが、すべての判断の鍵になるので

★ ★ ★ ★ ★ ★

記憶と言うのはあやふやなものだ。
過去記事「記憶は嘘をつく」にも書いたことであるが、
当人が記憶していることというのは、
客観的な事実とイコールとは限らず、
あくまで当人が
そのように「思い込んで」いることにしか過ぎない

とはいうものの、過去生セラピーの現場にあっては、
真実がどうであったか…
ということを明らかにすることが目的ではなく、

それが事実とはかけ離れた虚構であったり、
勘違いや思い込みなどの偽りの記憶であったとしても、
当人が記憶して(思い込んで)いる頭の中にある物語や
体験からの心理的反応によって引き起こされた、
現代の人生に良くない影響を及ぼしている陰を極力取り去り、
問題を解決することが肝心なので

とはいうものの、当人が
「この朧げな記憶のようなものが、
事実(真実)であったのか知りたい」
という場合には、また話は違ってきてしまう




ある人が、
「子供の頃から、こういう夢をよく見るんです。
 そして何故か幼少時から、
 とある実在の、あの有名な少女がした体験に、
 心を惹かれるというか 強く関心を持ってしまい、
 自分が彼女だったとは思わないけれど、
 もしかしたら過去生で彼女と同じような立場で、
 似たような体験をしたのでは?と…」
当方を訪ねていらした。

だが残念ながら、私の見立てでは、
「その記憶は間違いなく、あなたの前世の記憶で、
 彼女と似たような経験をなさっているようですね」
とは言ってあげることは出来ず、
その方自身の推察を肯定することは出来なかった
(たぶん納得できなかったと思う)

とはいうものの、
あながち間違いということはなく、
その記憶が誤りであると、
と全面的に否定出来ないのもまた事実

しかし、ちょっと複雑で、
霊的真理の知識を学んだことのない人には理解しがたく、
事前知識のない人には説明しがたいものであったりした

単純に言うならば、
その方が自分の過去生ではないか?と疑われる、
史実的に有名である某少女と同じ時代に、
某少女と同様の体験をしたであろう、
その「少女」は確かに存在していた

けれども、
その少女は訪ねてきたその方自身ではなかった
同一人物ではない…のである

ではどうしてこの記憶のような確証が、
暗闇の中で怯え、
隠れ暮らす人生の記憶があるのか…
息の詰まるような閉塞感と絶望の影が、
今も心に残るのか…

実はその少女は、その方の当時の娘であった
(その方自身の体験ではなく、娘だった人物の体験)

その方はふたつ前の人生において男性で、
その少女の父であったのだが
戦時下において生き別れとなり、
少女と母は生きるために隠れ家に住むこととなった
父であったその方は捕虜として殺され、
某所に埋められることとなった
長らく発見されることのない、森の奥深い場所に…

しかし、肉体は生命活動を停止しても、
その霊に死はなく、生きているのである
(サイキカル体とノエティカル体は残っている)

父は妻と娘を捜した 
会いたいと思ったから

皮肉なことに肉体を失くし、
三次元に縛られる存在で無くなったことで、
霊は行きたいと思う何処にでも行ける

空間や物理的存在の障害や縛りがなくなった父は、
すぐに妻と娘を見つけた

けれど、
物理的存在としての姿を持たぬ父に、
妻も子はもちろん、誰も気づかない

妻と子の苦しい生活に寄り添い、
悲しい気持ちを全身で感じながら、
父は数年を妻子とともに生きることになった

つまり父は、家族としてそこにいて生活し、
母子と体験を共有したのだ


それが、
今生のその方の「想い」の正体であり、
哀しみの記憶の出どころ 

ではなぜ、
父性を持って親子に寄り添っていたはずのその人が、
共にそこに「父」として、家族として、
見守っている立場で、気持ちであったであろうに、
自分の立場と「少女」の立場を入れ替えて、
自分自身こそが少女であると錯覚し、
そのように視点を間違えて、
感情移入した記憶を所持していたのか…

それは別の人生、もっと前の人生で
親を亡くした孤児の女の子として生まれ、
とても酷い、劣悪な環境の中、
まるで山椒大夫のような極悪非道な輩の手によって、 
半ば監禁されているような生活を、
強いられていたことがあったからである

(ちなみにこの時、彼女は自分を捨てた親を恨んだが、
その親も子を捨てたのではなく、事情があって、
出稼ぎ労働的な状況下で命を落としていたのだが、
現代と違って、そうした連絡が行き届くはずもなく、
福祉的な援助や行政のサービスがあるわけでなく…
決して親が子を捨てたわけではなかったのだが、
そのような親の立場からの事情を知るという意味での、
逆の立場を経験する人生のレッスンでもあった)

なので、一つの人生の記憶ではなく、
肉体を失くして霊となった後に創られた記憶と、
その経験からフラッシュバックさせられた、
別の人生のトラウマ的体験の記憶と、
そういうのがごちゃまぜになって出来た記憶

これを説明するのはとても難しい

人は肉体を失くしてからも、生き続ける
「死」というのは実質ないので

さて、過去記事でも書いてるけど、
記憶とは「エレメンタル」のこと

「エレメンタル」は、
肉体と感情体と思考体の三つの身体によって創られる

肉体は行動の記憶を(肉体を使ったり、動かすデータ)
感情体は心の反応、喜怒哀楽の記憶を
思考体は知識や情報、頭脳労働といった思考の記憶を


肉体が消滅しても、
肉体が創る記憶の玉たる「エレメンタル」が
創られなくなっただけで、
感情体と思考体は「エレメンタル」を創り続ける
むしろ、肉体があったときより感情はより強烈で、
暴走しやすく、激しやすいし 
より過敏でセンシティブな状態になる

ようするに理性のブレーキ働かず、
感情がよりいっそう剥き出しになるんである
エキセントリックでヒステリックになる傾向で…
だから、肉体があったときよりも扇情的というか
創られるエレメンタルの質としては暴走系が多くなる

まるでイタリアオペラの主役たちみたいに、
ナルシズムに自分の置かれた立場に耽溺して酔いしれて
大げさなエレメンタルもたくさん創られてしまう
(マジ困りもの)

肉体がある時でも、
思考体よりも感情体優先で創られる
エレメンタルのほうが多かったりするのだが、
それが感情体と思考体だけになってしまうと、
困ったことにさらに顕著になる
感情体オンステージ! みたいな…

いわゆる
次の人生(転生)までの間の「中間生」って段階で、
(別の言い方では「霊界」在住時とでも)
この間にも人は様々なことを体験し、
体験したことに対して反応し、思考し、
結果として
「記憶」というエレメンタルを創っていくんです

その時創られる「記憶」があるから
過去生体験的な施療、
前世療法とかヒプノセラピーとかで混乱が起きる
矛盾した記憶があったりしてね
(例えば、
過去生の人生を年表に書き起こすとするならば、
この人生とこの人生を繋ぐミッシングリンクに、
この記憶がはまるとするならば、年齢的におかしい、
人生が重複するのでヘンだ…みたいな事が起きる)

ようするに、死んだ後に背後霊となって、
(日本におけるスピリチュアリズムの言い方)

自分の子供とか身内を見守っていたり、
血縁者でも縁もゆかりもない人に対して、
家庭教師のように善意からサポートをしたり、
あちこち浮遊していたり、今生を振り返ってたり、
自殺して地縛霊になって、何度も自殺を試みたり、
悪霊になって生きてる人に悪さしたり、復讐したり、

そんなのもぜーんぷ、
「記憶」としてのエレメンタルになる なっちゃう

物理的な肉体を持った存在として、
この現実社会を生きていないんだけど、
その人の「生」たる人生は続いているから

で、
他人の背後霊として、
(英語圏だとスピリットとかガイドとか)
誰かのサポートを数年していた場合、

たまーに、肉体を持っているその人のことを、
自分と錯覚しちゃうようなことが起きるのです
まったくの別人なんですけどね

ていうのも、
自己意識たるサイコノエティカル体
(第四の身体で六次元の身体)
が未成熟な人は、
(すなわち感情体であるサイキカル体と
思考体であるノエティカル体が未発達で
霊的成長がまだまだの人)

何故か、
カタチあるもの…形骸である肉体に執着するのですよ

だから、たまに人形とかぬいぐるみとか、
絵とか写真(ポスター)とかに、
入り込んでしまう霊(感情体と思考体だけの存在)が、
いたりするわけです
(それが災い的な心霊現象起こすから困ったもん)

「これが自分だ」と…
自分でも他人にも知覚してもらえる、
三次元の物質(人の姿をしたもの、近いもの)を
欲しがるんですね 
本当は欲しいのは肉体でしょうけど

たまーに動物にくっついている人間もいます
「私の前世は犬だった」「自分イグアナ姫でした」
みたいに、
自分が過去生で動物だったという人は、
こうしたパターン
(動物が人間に転生することはないし、
人間が動物に転生することもないので)

誰かに憑依していた期間も、
「前世」みたいにカウントしている?
いやさ「前世の記憶」として
錯覚しているケースあるんで、

「いえ…あの それはあなたが悪霊になって、
 取りついた人を困らせて、不幸に陥れてた時の、
 そのあなたの被害者たる方の記憶ナンですが」

ってのもあったりします

逆の立場で思い出す人も多いですよ

「私は過去生で男性に酷い目にあわされた」
って、
自分が今の人生で男性を苦手とする理由を、
自分は男性から性的被害を受けたからだ

…と思い込んでいる人がいましたが
それは妄想でかなりの間違い

男性を忌避し嫌悪する理由は、
自分が好きになった人に相手にされず、
振られた腹いせに、
「彼に乱暴された!」と騒ぎ、
相手を醜聞騒ぎに巻き込んだものの、
自分も結果的に評判落として、恥かいたんで、
自己肯定をするために
記憶の操作(誤作動というか書き換え)が起きたんです
(自分が悪いわけだから反省すべきところを
トラウマとして傷ついた記憶にしちゃってるんで厄介)

でもそうした自己保身、
自己弁護の気持ちが自動的に働いてしまうのは、
仕方がないです 人は弱いものだから
誰だって自分の悪いところは直視したくないもので


夢見る夢子ちゃんなクセは、
そういう痛い目にあっても、
なかなか学びを得ないことには、
そうそう治らないものだな~と
様々なこういう事例を見るたびに痛感します

(まぁ一言でいえば、
決して過去生に原因があったわけでなく、
その思い込みの激しい性格が、
今の生きづらさを創り出しているんですよ、
で片付けられちゃうかな)


そのような記憶の混在、混乱は多々ありますね
過去生リーディングをする人の側でも、
こうした事例を見抜くのは困難かと思います

セラピスト自体が、
クライアントさんが所持している記憶に騙されちゃうので

でも、まあ 冒頭でも述べたように、
過去生療法の現場やチャクラヒーリングにおいては、
何が真実なのか、
その記憶やクライアントに貯めこまれたイメージが、
事実であるのか否か、というのは大した問題ではなく、

肝心なのは、
クライアントの問題行動の原因を取り除いたり、
トラウマとなっていたりするシャドウセルフや
抑圧されている感情を解放することだったりしますので、

それがニセの記憶であろうが錯覚だろうが、
勘違いだろうが混在した他者の記憶だろうが、
追及することに関しては意味のないことです

クライアントさんにとって、
害のあるデータであるかどうかが論点ですので

ただ、それをむやみやたらと取り除くことが、
当人のカルマのレッスンに取り組む機会や、
霊的成長のための体験や
学びのチャンスを阻害することであるならば、
それは上手くいかないことでしょうし、
クライアントさんのそのような問題が、
このような記憶の混乱の原因であるならば、

自分に都合の良い記憶の作り変えに対して、
(それをやってしまう手前勝手な自己中さに)
ガツンと指摘しないといけないです

★ ★ ★ ★ ★ ★

さて、てな感じで、自分を主役にして、
ドラマチックに物語を作っちゃう人はたくさんいます
そういうつもりがなくても、
ほぼ無意識的に人ってそれをやっちゃうんですよね

別に過去生に限ったことでなくて、
今の人生でもそれをしている人はたくさんいます

いつでも自分が被害者な人とか…

とくに恋愛ではそうですよね
みんなドラマを勝手に創って演じてしまう
自分本位なストーリーで、
相手がシナリオ通りに動いてくれないとキレるし(笑)

相手の気持ちが知りたいといいつつ
相手に自分の気持ちを尊重してほしいだけだし
わかろうとしてないし みてないし

てなわけで、私は仕事で恋愛の相談は乗りますが、
プライベートで友人の恋愛相談は受けません
恋愛に関する話は聞かないよ~って断ってます
聞いてもしょうがないし 
そもそも相談のようで相談じゃないですもの
何をどう話しても 同じ話エンドレスの無限ループで
本気のアドバイス求められてないのわかるんで


はい、歴史は繰り返されるものです
人間は何千年、何億年生きても、
恋愛の前では、色恋沙汰では進化しない
永遠同じパターンを繰り返すもんだなあ…
としみじみ思います

先日のクライアントさんのケースだと、
やはり自分が死んだときの状況を、
間違って記憶している人がいました
(エレメンタル情報)

その人生でのその人は、
結構大きな屋敷の使用人で
なおかつご主人の愛人だったんですが、
金目当ての盗賊が襲ってきて、
いの一番に流れ弾に当たって死んでしまったんですね
だけど、何がなんだかわからないまま死んだので、
「盗賊が放った銃」によって自分が撃たれた、
という事実認識がなく、従って

自分の存在を煙たがるようになっていたご主人に、
「殺された(消された)」と誤解していたんです。

その人の霊性(霊格というかサイコノエティカル体)
の状態では、肉体を失くした後、
現実である三次元の状態をきちんと知覚できなかったので

てなわけで、
「私はご主人に銃で撃たれて殺されて 
 そのまま庭に埋められた
 コンチクショー!!」
というストーリーになっちゃった
(なぜ、どうして そうなった)


本当に記憶っていうのは、
その人がどう感じるか、どう記憶するか、
にかかっていると、その一言に尽きます。

疲れたから ここまで

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