2016/07/23

異次元のシンクロニシティ

さて、昨日の続きになりますでしょうか。

ちなみにその後、先日と同じような現象はないです。

時おり、そこにあらざるものを視ることはあっても、
私の場合、それは本当に稀なこと。
子供の頃は確かに今よりも視る回数は多かったですが、
そもそも「視える」人というのではないのです。

ただ、色んな視え方があるというのは経験上知っています。

視え方を大きく分けるなら、
単純に、
・目を開けているとき
・目を開けていないとき
になりますかねー

目を開けていないときは頭の中にビジョンが浮かぶだけ
とはいうものの、
目を開けていても頭の中にビジョンが浮かぶときも多いので
特に大きな差はないかな(白昼夢みたいな感じ)

前回の目の中にダイレクトに見える感じってのは
これまでにはない初めての体験でしたが。


あと視覚的に捉えてるとき、モノによって視え方が違いますね。
(肉眼で視てる、捉えてるなってとき)

肉体を失って、幽体と霊体だけになった人の場合、
いわゆる霊(幽霊)の状態ですけども、
ちょっと背景が透けている、スケルトン人間のような、
立体的でそれでいて質量と重量がある感じ。
亡くなったばかりのときだと、あまり人間と変わらず、
生々しい存在感(気配というか体温みたいなの)があるので、
間違えてしまうというか、それと気づかないことが多いです。
(実際は体温はない)
で、死んだあと、少しサイズが気持ち程度小さくなるの。
ほんの少しの縮小ですけどね。

※ちなみに幽体(サイキカル体)だけだと
透明なゼラチン(ゼリー)が
ゴムみたいな弾力を持ったものみたいな感じです。
幽体離脱している状態のときに自分を見るとそう見える。
ボニョンボヨーンて・・・そんな感じw
死んで肉体から離れると霊体(ノエティカル体)も一緒だから、
幽体だけのときと質感がまた違うのです。


想念体であるエレメンタルの場合、
もう少し平面的で二次元的な感じ。
投影された3Dやホログラフィのように視えますかねー
ネガティブなもの(生霊とか邪念的なもの)は、
もやっとした雨雲のような、黒煙のような、
べしゃっとして湿気が強いようなものもあるし、
ガスが出ているようなのもあるし・・・
まあ、人間の形をしていないものがほとんどだから、
それはすぐにわかりますかね。

このもやっとした思考の塊や靄みたいなエレメンタルを
オーラを見間違えてしまう人も多いみたい。

(オーラ(霊光)も色々ありますからね。
ノエティカル体のエーテルダブルのオーラは
宗教画なんかによく描かれてる後光になるかな。
別にハゲてるからピッカリしてるわけでなく・・・笑

マテリアル体のエーテルダブルのオーラは、
エレクトリックブルーみたいなキレイな色で、
これをオーラそのものだと思っちゃう人もいる。
まぁ一番見えやすいオーラで、手の先からうっすらと
黒板とか逆に白っぽい壁に手をかざすと視えるのがコレ。
誰でも練習するだけで簡単に見えるようになれますよ。

サイキカル体のエーテルダブルのオーラは
感情の動きで瞬間的に変わる。
縮小したり拡大したり、とっても流動的。
オーラ写真とかに映り込むのはこれだし、
色んな色に代わるから、その人の波動の色として、
オーラ視で知覚されリーディングされるのはここ。

でも、サイコノエティカル体のオーラが本当のオーラ。
その人の霊性・霊格の輝きで波動そのもの。
これを視ることが出来る人はほとんどいないけども、
霊格の低い人は輝きなく、雲っているから逆に見やすい。
この本当のオーラに焦点を合わせてしまうと、
それよか下の波動の肉体が視えなくなっちゃって、
単なる発光体(光ってる卵みたいな)になっちゃうから困る。

そして7つのチャクラの輝きはまた別のもの。
どの次元に焦点を合わせてみるかで視え方って
同じ人を視たとしてもまったく違うものとして視えちゃう)


さてエレメンタルが人間の形をしていたとしても、
頭だけとか上半身だけとか、肉体の一部分だけだったり、
全身像だったとしても、バランスがヘンだったり、
不自然だったり形がおかしかったりはよくあります。
たぶん記憶によって「創られた」ものだからなのでしょう。
練って創られた動物(霊)にしてもそれは同じ。

過去生のパーソナリティもエレメンタルですけど、
これは完成度が高く、それでいて霊とは違う。
色合いがキレイで鮮やかというのかな・・・
単なる感情の一部分データとしてのエレメンタルとは
情報量が違うってのがあります。
でも、この辺り説明がちょっと難しいのだけども、
過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルは、
独立した存在だったりする。過去生情報を読むとき、
一般的にはこのエレメンタルにはアクセスしない。

大体過去生のデータフォルダとしてのエレメンタルは、
カプセルみたいにその人の体内(エーテルダブル)に
埋め込まれてて、ここに焦点を合わせることで
ホログラフィみたいな過去生の姿を見ることもある。
で、ほとんどの人がここから情報を引っ張ってきてるかな。
(ちなみにそれ自体がスライド写真であり、
映写機みたいな役割をしてくれる。)

でもまぁ、んなうんちく語ったところで、
知覚したものを頭の中で映像として変換して捉えて視てるときは、
霊もエレメンタルも同じに視えてほとんど区別つきませんけど(汗)

肉眼(幽体や霊体の眼)で視えている・・・という状態の時、
視ているものをモノとして捉えてるときでないと、
なかなか区別はつきませんの


前置きと思って書き始めたけども、長くなっちゃったっっっ
そして前置きといいつつ、無関係な話題であります<上記


         ☆  ☆  ☆


さてさて、
こないだシルバメソッドの3日目のレッスンの2回目を
おさらいをかねて受けさせて頂いたのですけれども、
レッスンの内容で、ペットヒーリングの練習がありまして。

前回の時、亡くなった愛猫をイメージしたら、
上手くできなかったので(生きてるのでないとダメらしい)、
生きている動物・・・と考えたとき、
これといって身近な知ってるペットがいないっっ
さて、困った。

で、苦肉の策で、唯一イメージ出来たのが、
ソフトバンクのお父さん犬(爆)

会ったことないけど、リアルに生きてるし、
かろうじてビジュアルイメージできるし・・・
(携帯は他社ユーザーですが)

なので、お父さん犬をリアルに思い浮かべようと、
集中していたのですが・・・・

何故かイメージに出てきたのは、紀州犬ちゃう秋田犬。
しかも品種改良される前の、純血種ちっくな、
限りなくマタギ犬だよって感じのとっても大きな白い秋田犬。

・・・・何故

(これなら赤カブトと互角に戦えるかも知れんが←違うって)

そりゃ紀州犬も白いけど、日本犬だけど、
大きさがまったく違うでしょ、紀州犬と秋田犬じゃ。

秋田犬は飼ったことはないんですが・・・Why?


して、その秋田犬・・・何か訴えかけるような目をしてたり・・・する。
心なしか体がちょっと薄く、消えかけ・・・ている?

何か気がつけよと言わんばかりに。

そこでハッと気が付いた、思い出しました。

二年前にM神社に行ったとき、ご眷属さん一匹頂いたんだった。
(ちゃんとご祈祷して正規に手続き踏んでます)

でも、期限の一年間過ぎて、その後更新(といっていいのか)謎
行けてなくてそのままずるずると経っていたから、
回収いやさ自動的に帰ったんだろうとばかり思ってました。


まだ、いたんだ

・・・・ごめん

私がこの子差し置いて、縁もゆかりもないCMに出てくる犬を
イメージしてヒーリングの練習しようとしたもんだから、
「ボクがいるでしょ、忘れてないでよ」とばかりに出てきたのか・・・


そうか。

・・・忘れててごめん


でもね、その犬の肉体をスキャンしようとしたら、

中身が無いんですよ

骨とか内臓とか・・・からっぽなの
イメージできないの


まあ、もともと本物の犬だったわけでなく、
使われちゃった動物霊を寄せ集めて練って創られた、
エレメンタルだしな(ふっ)


むむむ これでは練習にならん


でした。


ちゃんちゃん



それからもうひとつ


頭の中のイメージ(ヴィジュアライゼーション)で
作業室を創るということをするんですね。

その作業室にアドバイザーみたいな人を
男女二人をお招きするというか、
どんなイメージの人が出てくるかってのがあるんですけども。

前回、男性は白髪頭のじーさんで、
(もはや爺というのがパターン化。何故美少年ではないのか!)
女性は叶美香さんみたいな艶っぽいナイスバディーのお姉さん。
(これは理想の投影だと思われ)

で、女性は前回と同じ人だったのに、
男性が違う・・・

今回は古代ローマの軍服みたいなのを来た、
短髪の中年男性(といっても30代前半くらい)で、
なんかとってもせわしない感じの落ち着かないヤツ。
部屋中あちこち動き回ったり、椅子に座っても
キョロキョロとあちこち見まわしてじっとしてないの。

あれ・・・?

いままでにはないイメージパターンの人なので、
ちょっと意外に思ったり。


そしたらば、シェアのときに分かったんだけども、
別の人の作業室にも侵入してた、その人。
容姿容貌がまったく同じで、
私の作業室からちょっと姿が見えなくなって、
また戻って来た、その短い時間で、
他の人のとこにお邪魔して、しかも
「あんたここじゃないでしょ」とその人のアドバイザーさんに
追い出されていたという事実が・・・

わははは

なんかおもろいゾ。

というか、そういうこともあるのでした。

どうもその方と私のノエティカル界が同一レベルなんだと思われ。
(サイキカル界たる四次元でなく五次元のほうね)
それでそういう混乱、行き来が起きたのだなと納得。
ちょっと判りにくい説明だけど、わかる人だけわかって頂戴。



そんなこんなで勉強はまだまだ続く。

ふだん慣れ親しんだエクササイズや瞑想はしても、
あんまし霊的修練みたいなのはやらず、
生徒さんを教えるばかりで誘導ばかりでしたから、
(漫画読んだりゲーム三昧だったりカフェ巡り三昧で)
今回みたいに他の先生のところで受け手であり生徒として、
瞑想指導をしてもらったり、
新しいエクササイズ、メソッドを学ぶことで、
ちょっとわくわくする面白い体験が出来て新鮮な感じです。

たまには初心に帰るのも必要ですね。



まあでも、今回網膜剥離(&白内障)の手術をしたことで、
いかに人間ていうのが自分も含めて、
五感の中でも視覚に頼り切っているか思い知らされ、です。
今も右目のレンズは歪んだままで、
遠近感ないし、見え方がヘンで不自由ありありなわけで。

なので、「目に視える」ものに惑わされず、
視覚だけに頼り切らず、使ってない五感の部分も
もうちょっと鍛えないとなーと。第六感のほうもですが。

せっかく多少なりとも鋭敏な感受性?というか、
個性的な感覚を持って生まれてきているようですから、
もう少し研ぎ澄まして、腐らせたままにせず、
開発してみることも考えますかー(今まで無視しすぎでしたので)

2016/07/22

瞳の裏側に写るもの

たまにはスピリチュアルな体験話でも。
基本的に煩悩丸出しの世俗的な人間なので、
その世界に属しながらも、あまり注意を払っていなかったりします。


さて、先月の初旬に、知人で瞑想家の方のところで、
シルバメソッドというのを受けさせて頂いたりなんかしました。
どういうものか調べもせず、
事前知識がまったくないところで受けたのですけれども・・・。
(なんていうかご縁というか勢いというか導かれるままにw)

受講後、自宅に帰ってからPCの画面を見ていると、
左目の裏にとある映像が・・・

リーディングで何か頭の中に視えてくるようなときって、
大体頭の後ろ側(ぼんの窪)に映像があるような感覚が多いんですね。
もしくは額の裏側。

映像とは言っても、ぼんやりとしたもので、
はっきりとしたヴィジュアルを視ているというのではなく、
脳がキャッチした情報を視覚的なものに置き換えて、
認識させているというのが正しいかと。

(実際、視覚で捉えている事物や世界ではないので、
・・・・のようなものが視えている気がするという感じ。
脳内妄想や記憶の断片的ヴィジョンよりももっと曖昧。
視覚を通さずに脳が情報を処理しているみたいな?)

だからそのものスバリのダイレクトな映像ではないので、
捉えた情報が凄惨で残酷なストーリーであったとしても、
メンタルにダメージやショックを受けることはほぼないんです。

で、後頭部や額の辺りで知覚しているときは、
大体において、それがどんなことを意味しているのかも、
ほぼ同時にある程度は理解できて、全体像も把握できる。

けれども、この時の目の裏というのは初めてで、
しかも写真のように色鮮やかでわりと細部まで視えるというか、
後頭部や額の裏側でヴィジョンを感じるときとは全く違う。


んでもって、何が視えたか・・・といいますと・・・

私にも意味分からなかったんですけど(わけわかんねぇって感じで)。


何故か、フレディ・マーキュリー
どうしてだか、フレディ・マーキュリー
(故人です。クィーンのヴォーカルです。ファッションセンスが変態です。)

ホントどうしてだか分からないんですけど、
フレディのプライベートフォト?スナップ写真みたいな、
そんなのがランダムに色々と現れては消え、
PPのスライドショーみたいに延々と見させられ・・・

・・・えっと~ 

確かに私、クィーンのファンだし、
ヴォーカリストとしてのフレディは一流だと思うし、歌は好きだけども、
私がクィーンの中で好きなのは
ドラムのロジャー・テイラー(今はヴィジュアルがサンタクロース)であって、
別にフレディのファンていうわけではないし、
ヴィジュアルはノーサンキューなんですけど???

フレディの写真をネットであさった(考えた)ことも、
一度もないんですけど?? 何故、Why????
別に視たくなんかないしー

一体どこと繋がって、なんで視えたんだか不明。

どうせなら、デビッド・ボウイが良かったです(T-T)
ていうか、ボウイなら、めちゃ嬉しい。
ウハウハです、キュンキュンです
マジ視たいですっっ リクエストできるなら、もう是非!

ちなみにFBでクィーンもブライアンもロジャーもイイネしてるから、
必然的にフレディの写真を彼らがUPすると見たりするけど、
バンドでの写真やライブとは違うものだったかなあ・・・

なんか意味不明な出来事でした。




それからその後、右目の手術が終わって入院中のこと。
最低でも三日間は下向きで、
寝るときはうつ伏せにならないといけなかったのですが、
その体勢がとても辛くて、
「仰向けになりたーい! 早く仰向けで寝た~い」 
と心で叫んでいたら、
ふとエレファントマン(ジョゼフ・メリック)のことを思い出しまして、

(彼は身体的な特徴(肥大した頭部)の問題から、
仰向けに寝ると圧迫死の可能性があるからしてはいけないのに、
映画の中での彼は、自ら自死を選ぶがごとく、
(事実はどうだったか知りませんが)
念願だった仰向けの姿勢で寝ることをし、窒息死したんですね)

で、あの映画(実話が元)って、確かそういう物語だったよね?と、
何となくネットで彼を検索してみたのです。
今は映画のパンフレットにも載っていなかった写真が
ネットで公開されていて、簡単に見る事が出来るなあと思いつつ。

ネットの彼の写真を見ていたならば、今度は左目ではなく、
まだガスが入っていて見えないはずの右目の裏に、
白黒の古い写真のようなヴィジュアルが視えてきたりなんかして。
いきなりパッと飛び込んでくるというより、
ピンボケなものがじんわりゆっくりとピントがあってくるような、
うっすらとしたものがはっきりとしてくるみたいなそんな見え方。

それは昭和の白黒写真ではなく、もっと古い荒い感じの写真。
外国人(西洋)の男性が男の赤ちゃんを高く抱っこしているシーンで、
遠くには海と大型船(タイタニック号みたいなの)がある。
時代は19世紀頃?って感じ。

映像というよりは写真、ワンシーンなんですね。
後頭部や額の裏側で感じ取るときは、
コマ送りみたいにシーンが切り替わって話が進んだり、
動画のような感じなんですけど、
目の裏で見るのはフェードイン、フェードアウトして、
ゆっくり現れてはゆっくり消えていくって感じ。

そしてなおかつ意味が分かんない。脈略がないというのかな。
情報が伴わないので、なんでこのシーンなのかミステリー。

映像やコマ送りでキャッチするときは、
これはこういうことなんだっていう、
情報というか解釈が同時に出来るものがほとんどなのに。

J・メリックの写真を見たことで、こんな写真につながるのか、
もう一体全体どうしてだか、わからない。

軽く混乱しました。

そしてゆっくりとその写真が消えていくと、
こんど現れてきたのが、塹壕のように掘られた穴に
たくさんの黒人奴隷たちの死体が埋められているシーン。

写真として撮られたものではない・・・と思います。
いや思いたい。

そしてその写真のような静止画像がフェードアウトすると、
今度はヒゲをはやして軍服を被った人が
戦場に立っているシーン。

先に視えた画像から南北戦争?と思ったんですが、
調べると南北戦争のではない。
一番近いのが、アメリカ独立戦争のアメリカ側の制服。

それも消えて、そんで打ち止め。

とはいうものの、関係性と意味がまったく分からず、
何がなんだかわけわかめ。

うーん?という感じです。

結局今もわかってません。

推理はしたけれども、いつもと違う情報源からではないし、
初めての見え方からのことですので、
仮説で想像でしかなく確信がもてないです。



そしてこの後は特に何もなく、なんだったんだアレは・・・

ですかねー

神の右目 悪魔の左目というけれども・・・うむ




で、このメソッドでは他にもオモシロイことがあったので、
それはまた後日に改めて。




2016/07/17

会うは別れの始め~去る者追わず

ちょっと前のことですが、
「10年位前、駒込に住まわれてなかったですか?」
と、当時一度いらしたことのあるお客さんから、
問い合わせを頂いたりなんかしました。
(奥さんを見て頂きたくてとのことで)


探したんですよ、と仰って下さいましたが、
よく考えたら、4年前の転居のとき、
サイトアドレスも名称も変えていたんでしたっけね。
メールアドレスもプロバイダ変えてますし~。

そういえば転居多いですかしら、私。

検索すれば出てくるようにも思うんだけど、
意外と出てこないものですね。ハハ
手がかりが少ないと無理のようで。

仕事の名前だけはなんだかんだ変えていませんが。
(純血の日本人なのに外国人の名前ってヲイ)


で、これまでいらしたお客さんの中には
子供の頃占い好きでして~という方もいて、
私が原稿書いてた某占い専門誌の読者さんだったとかで、
「あのアルマさんだったんですね!」と驚いて下さったり、
その同じ出版社の子供用学習教材の付録でも、
おまじないとか占いの連載書いてたことあったんですが、
その教材を買ってて読んでましたよって人に出くわしたり。
(小学校低学年向けのだったので歳月と年を感じましたっっっ)


そんな風に雑誌とかネットでのコンテンツを
書いてた時代もあったんですが、
有料コンテンツのほうは終了しまして(上記の専門誌のネット版)、
無料配布ツール(ルーンオラクルとタロットの)はまだあって、
「これ毎日やってましたよ。まさかこれ書いた人と同一人物だとは」

なんて出会いも昨年あったりしてっっっ。

今は肩書きが占い師ではないですもんね。
ちなみに、占いの原稿って書くのしんどいから嫌いなんです(笑)
締切がプレッシャーになるから私には向いてない仕事。

ていうか、原稿担当の人との相性が大きいですかね。
某ヲタ系(アニメのパロディ)の漫画雑誌の時は、
編集長さんがのほほんとしたイイ人でやりやすく、
アットホームかつ好きにさせてくれたから楽しめたけども。

雑誌の対談記事読みましたよ~なんて、
一度しかやったことないし、当時の雑誌なんて捨てちゃってるし。
自分でも忘れてたこと覚えてる人がいたりするんだな、これが。

てなわけで、昔の自分を知ってる人に会うと照れます。
(なんで、知ってるんだ! みたいにビビる大木)


まぁ、お陰様で占い師としてお店に出ていたときは忙しかったです。
やはりその手の店は気軽に立ち寄れますものね、価格も安いし。
もちろん、超ヒマな場所もありました。都内は大体忙しいケド。

辞めるときは次のとこなんて案内できませんからね。
雑誌で紹介していただいたとき、
あの時あの場所の・・・と連絡頂けたのは気恥ずかしくもあるけど、
覚えて下さっていたことがとても嬉しかったものです。


雑誌などメディアで紹介されると確かに反響ってハンパない。
メディアの力って本当にすごいなって思う。
でも一時的な忙しさなんですよ。
雑誌で見て来られる方で、リピーターさんになる方は一割くらい。
だからメディアに紹介されようとPRに余念のない人もいるわけで。

私の場合、掲載のお陰で上記のように、お店やめてそれきりになってた
懐かしいお客さんに出会えたということもあったけれども。
こっちのほうの仕事でも何度か紹介して頂いたことはあるんですが、
なんか盛った記事になっちゃうし、取材も不愉快な気分になること多くて、
(無料で紹介してあげるんだからって態度のとこは多いですね。
菓子折り持ってきてくれたのは国営放送だけだったかしら)
私はいまいちメディアの人たちとは相性が良くないようです。


今はヒマだなあ・・・けどそれがいいなって・・・
あ、経済的にはそれじゃダメなのか(笑)

ええ、無名の人が一番いいです。

そんな有名になるような器ではないし、実力もないし、
隠れてこそこそ、ちまちまやってるのが性に合うみたい。






で・・・

知り合いのヒーラーさんの中にはお客さんのデータ、
何年たってもずっと大切に管理している人もいるのですが、
(その方は本当にご縁を大切にする方。私と大違い)

私はお客さんのデータは2年くらいで削除してしまう人。
というか、一年以上いらしてなかったり、
ちょっとしたお知らせメールとか出しても、
とくに何も返信も反響もない人に関しては、

「ああ、もうこちらと関わることは望まれてないのだな」と、
判断して、頂いたメールや個人情報をアウトプットしたものすべて
削除しちゃいます。

2回出して2回とも返信がなかったら、サクッと・・・


元よりこちらから来訪を促すようなサービスではないし、
基本的に営業はしない方針でして。
(ていうかそれをしちゃいけない職業・職種だと思うので)

私に会って、セッションを受けてみて、
がっかりしたり違うなと思ったかも知れないし、
一度のセッションでもう十分だと思ったかも知れない。
問題が解決して必要なくなっていたり、
他にもっとその人に合った、いい施療者を見つけたかも・・・だし。

転居したときは連絡をしたりすることもあるけど、
直近利用した人に限ってかなあ。

そういう意味ではFBでお客さんと友達になるってのは、
いつもスッパリ切れるところに距離を置く自分としては、
例外中の例外というかかなーり珍しい現象だと思ったり。
(Mixiに関しては辞めちゃいましたから)
イレギュラーな新しいやり方もたまにトライしてみるけど、
さて、いつまで続くかしら(笑)

でも、そう。ご縁を切りたい人を追うことはしません。
ていうか、関わってこない人はさっくり切る主義ってだけか。

そうですね。
相当前ですけど、サイトのリンクのことで、
私の職業を考えたときに「貼って欲しくない」というようなことを
かなり遠回しな言い方で断れたこともあるので、
数年間セッションを受けてくれて長い付き合いのあった方でも、
この手のサロンに通ってたことを周囲に知られたくないとか、
私みたいな職業の人間と関わりあいを持ってるのはちょっと・・・
みたいに考えたりはばかる人もいるのでしょうから、
そういう意味で、先方から来ない限りにはこちらからは、
フェードアウトするのがいいかなって思っているわけです。

その昔、友人の旦那さん(某コンサルの会長)に、
「君が付き合う友人にふさわしくない」
と言われたこともありましたから(ちょっとトラウマ)、
生徒さんの旦那さんなんかも同意見かもねーと思いつつ。

ええ。占い師のときにしても、今の肩書にしても、
カタギ?の仕事している人たちからしたら、
得体の知れない、家族には関わって欲しくない職業の方、
なんでしょうね 

ご夫婦や恋人それぞれの紹介でいらっしゃる方もいるし、
ご家族の紹介(娘→母、母→子供、兄弟姉妹や親戚)
というようにいらっしゃる方の場合は、
そういう心配はしなくてもいいんでしょうけど、
そうでない方の場合は、家族やパートナーが
私のような職業の人間のところに出入りしていたり、
親しくしているのは、面白くないというか
騙されてるみたいに考えたりして不愉快な人もいるんだろうなと、
そこはそれ、遠慮しいに考えますし、
偽装工作も必要?というか、あれやこれや考えます。



生徒さんに関しては、
月謝を払って通ってきてくれているということで、
こちらと関わりを持ちたいという
積極的な意思表明を示してくれているということになるから、
私からも連絡はするけれど、
スクールのOBさんに関しては、そうでないので、
他のクライアントさんと同じスタンスになりますね。

その方から関わりを持ちたいという意思表示がないことには、
こちらから積極的に関わることはしないようにしています。
たぶんその方がいいんだと思うし。

本当は在学生の人たちにも、プライベートタイムでの誘いとか、
私からはしないほうがいいんではないかなあとも。
人間関係の無理強いや強制になってしまったらマズイと思うし、
私から誘うとイヤだったとしても断りにくいかなとか、
(上司と部下ではないわけですが)
あれやこれや考えてしまう今日この頃。


もとより、プライベートだともっと極端かも知れません。
こちらから誘ってばかりの一方的な関係は嫌いです。
3回誘ううち向こうから誘ってくることが1度もないと、
もうその時点でカットアウト。
メールの返信が遅いのは手紙時代の人間だから、
あまり気にしませんが、2通送って返信がないなら、サヨウナラ。
(多忙だとか連絡取れる状況にないとか、
相手の事情が見えていれば別ですよ
そのためのそこに至るまでの普段からのコミュニケーションだし)

コミュニケーションが取れない人とは、
人間関係を築くことができない・・・とは、
他人の言葉の拝借ですが、本当にそうだと思うのです。

友達でもなんでも相思相愛でないと難しいと。

私の場合、こちらから連絡して返信ないってことは、
「関わりあいたくない」と思われてると判断します。

用事のあるときはもちろんですが、
季節の挨拶でも何でも、年に一回でも継続的な連絡とか、
こちらの様子伺いを聞いてくることをまったくしない人とは、
関係性を築くことが出来ませんもの。

それをしない関係って単なる知人でしかないですし。
友達とも仲間とも、親しい間柄には成り得ません。

相手にとっては、こちらが生きていようが死んでいようが、
倒れていようが苦しんでいようが、何も興味がないってことで、
自分に無関心な相手と関わっていくほど、虚しいこと、
時間の無駄と言えることはなく、人生の浪費とさえ思うので。

だから、私がどうなろうが、この人は興味ないんだなと
そう思った時点で、COしてしまう。
自分のことを好きでいてくれない人と向き合っても仕方ないし。

人生の時間は長いようで短い。
時は金成り、という言葉もある。

自分の貴重な時間、人生を、誰のために使っていくのか、
どんな人と分かち合って生きていくのか、
自分の時間を誰に与えていきたいのか・・・

私と一緒にいて楽しいと思ってはいない、
私と一緒に楽しい時間をシェアしたいと、
こちらと関わりたいと、そうは望んでない人に対して、
限られた時間を割くわけには行きません。
一方的かつ片思い的に働きかけるのは性に合わないのです。


でもま、それでも会いたい人はいます。
天国に召されてしまった愛犬、愛猫、そして親友のゆりあ。
亡くなった存在に関してはどうしようもないけど・・・

家庭の事情で転居されて会えなくなったI・Sちゃん、
いつか検索して会いに来てくれないかなあって、
ただ連絡を待つしか出来ないのですけれど・・・
元気であることを祈りつつ。

また、切ったほうが互いのためかなあ、って、
そんな考えでご縁を絶った人もいますけどね。
それはそれ。




帰国子女のクライアントさん(NYと育ち)が、

「ニューヨークという街は、
様々な人種の様々な価値観を持った人たちがたくさんいて、
毎日たくさんの人たちとの出会いがある
そのすべての人たちと関わりあいを持つことは不可能
だから最初に会った時にあれこれ話して自分をさらけ出すの

初対面で正直に自分を見せて、その時点で気が合うなら、
もっと知り合いたいからって、明日の自宅のパーティにも呼ぶ
合わないなら、ハイ さようなら って別の人に行く
そしてもう二度と会うことはない

だって、時間をかけてゆっくりお互いを知りましょう、なんて無理
ニューヨーカーは多忙でそんな時間はない
そんなまどろっこしいことしてたらキリがない 
時間の無駄になる


だから最初にまず嘘は見せないで あなた自身を見せて
あなたがどんな人か見せてちょうだい 
見せない人はどんな人かわからないからつき合えない

そんな風にはっきりしているの」


・・・というようなことを仰っていた。
私には分かり易いというか、賛同できる考えかな。

ただ友情と信頼関係は、
時間と年月をかけて築いていくものだと思っているけど。

そういうのも、互いの働きかけ、歩み寄りの結果だものね。

コミュニケーションて大事だとつくづく思う。
言葉のキャッチボール無しに友情も信頼も築くことは出来ない。

もちろん言葉だけですべてを図れるわけではなく、
言葉より態度(行動)っていうのも真理だったりしますけども。
相手の気持ちに応える、気持ちを伝えることそのものが、
たわいのない会話や何気ない言葉だったりするわけで。

だから言葉の無い関係はありえないな。
物理的に会えなくても、相手を気遣う
思いやりの言葉のやり取りひとつ存在しない関係なんて、
私の人生には要らない。


まあ、とどのつまりが、
連絡をするってのは、相手に対する関心度の高さで、
好意を伝える手段だったりもするわけで、
それなくして人間関係は築けないってことでしょうか。

帰ってこないボールを待つほど虚しいことはないので、
私は待つことはせず、帰ってこないのならば待つ代わりに、
そこに高い壁を立てて、ご縁は切る方向で。
すると、それ以上の新しい出会いがあったりします。

実際、ひとつ手放すと新しい出会いが訪れるものです。


最近、色々と流れが変わってきています。
これから何が起こるのか楽しみでもあり・・・


とはいうものの、
もちろん今まで出会ってきたすべての方、
あらゆるご縁に感謝しています。
様々な経験を与え、教師となって教えてもくれた、
今の私を育てて下さった恩人とも言える方々ですから。
今の私があるのも、大小様々長短のこうした出会いありき。
皆さんのお陰だと本当に心から感謝していますのよ。
きれいごとかも知れないけど。

今生では意見の相違や感情のもつれで
途中袂をわかつことになった人のことも、
ご縁が切れてしまった方のことも、
親しくはなれなかった人のことも・・・
私のことを嫌っていたり、よく思ってないであろう人のことも、
時々思い出しては、元気で心安らかであって欲しいと、
その人の幸せを祈り、無事を願うばかりです。


2016/07/15

薬毒不二~病気と医学とスピリチュアル

~薬、人を殺さず 薬師、人を殺す~

意訳; ものは使いよう。
使う人次第では、それが毒にも薬にもなるということ。
薬を飲んで死ぬことがあっても、薬に罪はなく、
問われるのは薬を調合したり
服用させたりした医師の責任であるとして言う。 

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自分語りになってしまいますが、
私は子供の頃は病弱で怪我もたくさんしたから、
一年の1/3位は病院通いしてましたかね。
そのお陰で待合室でたくさんの漫画本を読みました。

おでき体質というか炎症体質というか、
あちこち皮膚が膿んで爛れてて、まあ色々と。
プールの塩素にやられたり、走ると嘔吐してしまったり、
ボールペンの筆圧で腱鞘炎になっちゃったりetc...
生命力が弱かったと言えばそうだと思うけど(生まれつき単腎)、
主に生育環境におけるストレスから来ていたような…

まあ、当時の私の体調不良の原因は、
現代医学の範疇では解決できない霊媒故の問題も含んでいて、
もしも沖縄に住んでいたならば、
あなたはユタだし、これはダーリィだからの一言で片づけられ、
納得されて済まされるようなことだったかも知れません。


毎度原因不明とかで、あちこち検査されては血を抜かれ、
レントゲンだの超音波だの、いじくりまわされた経験から、
そういう意味で病院に行くのは苦手で今も極力避けてます。


でも医学不信ということはなく、
必要だと思える時以外は行かないってだけのこと。
なるべく民間療法とか、家庭の医学で乗り越える方針てだけ。

(とはいうものの、加齢による衰えは避けられず、
気を付けるだけではどうにもならないことも多々。
先月網膜剥離と白内障の同時手術しましたし)

派遣の仕事でほんの数年の期間だけでしたけれども、
製薬業界で仕事をする機会もあったので、
(臨床開発での治験事務や市販後調査とか)
化学合成された薬全般を否定するということもないのです。

(ただ、私自身は薬を飲むのは好きじゃない(笑)
これは過去生絡みのトラウマからくるものだから、
克服できるまではしょうがないですかね。)


そんな経緯もあり、
難病を治療するための薬剤の開発を努力している企業、施設、
頑張っている治験医師の先生方がいるのも、知っています。

安定供給される薬や現代医学のお陰で、
守られる健康や助かる命がはるかに多いことは周知の通り。
もちろん弊害(副作用)もあるし、負の遺産的矛盾や
人道的問題点もたくさん抱え込んでいる部分もあるけれども。
その辺は課題で。

確かに今日の医療現場において、
赤ひげ先生みたいな人にはなかなか出会えないし、
少数派の難病患者の命を救う薬を創るより、
莫大な利益を産んでくれる薬剤は何かを考えるのに、
忙しい企業の方が多かったする現実もある。

いつだって正しいこと、世のため人のためになることを
しようと頑張っている研究者や医師はなかなか日の目を見ない。
変わり者のレッテルを貼られ、資金難にあえいでいたり等…

あ゛ー話がそれてしまうので・・・
ひとまず、そんな話はさておいて。




さてさて そんなこんなで私自身
健康に関する問題を抱えていて、向き合ってもきたし、
交通事故のお陰で後遺症に悩まされた時期もあって、
西洋医学では解決できない痛みや不調の問題を
東洋医学や民間療法などに助けてもらってきた。

現代医学(西洋医学)は万能ではないし、
解決できないこともたくさんあるから。

アロマテラピーやハーブ療法に興味を持って勉強もしたし、
ちょこっとお障り程度で指圧とか整体とか、
ホリスティック医学とかもこれまた学んだ(習い事程度)。

今は氣の概念を利用したハンドヒーリングもするし、
そうした方面からのメンタル及びヘルスケアの
サポートやアプローチもしているのだけれども・・・

だからといって、
現代医学を否定して、対立しようなどとは思わない。

現代医学の技術は素晴らしいし、進歩も目覚ましい。
それは信頼に足るものだ。


おそらく、自分の体質のことをよく理解出来ていて、
日々メンテナンスとケアを怠らず、運動もして、
相性良く、信頼できるかかりつけの医師さえいれば、
起こりうる最悪の事態は防ぐことが出来るように思う。

日々の予防とヘルスケアは民間療法を利用して、
その上で現代医学の診断と技術からの、
チェックも欠かさないようにするならば。



で・・・・
なんでこんなこと言いだしたかと言うと、
どうもスピリチュアル信者みたいな人の中には、
現代医学や化学的な薬剤を否定する人もたまにいたりするから。

薬は毒だって、そんな風に言う人もいたりして。
なんて言いますか、それはちょっと極端だと思いましたのよ。

薬を薬として用いるか、毒となるような用い方をするか、
それは人間次第だと思いますから。

まー 処方された薬を最後まで飲み切らず、
病院に行くことを避けまくっている私が言うには、
説得力が全くありませんが・・・


確かに病は氣から、で・・・心の問題が反映されたり、
その人の生き方の問題(肉体や心の使い方を間違えている)が、
病気へと導いている誘因で根本原因ではあるけれど・・・
そこを見ていくことも勿論大事で、忘れてはいけないとこだし、
スピリチュアルな視点はその部分の核心をついて、
そこを解決するのに役立つし、そのためのツールではあるけれども、
だからといって、それだけで病気を治そうとするものじゃない。

患者さんが病気を呼び込んでしまった自分自身の問題、
自分を病気にしてしまった考え方の誤りを正すだけに留めるだけで、
現代医学における所見や治療法から、
引き離すものであってはならないのだと思う。

複数存在する医師や施設の中から相性の良いところ、
よりよい適切な医療を受けられる方法を選択するために、
その力を用いて助言を行ったりはしたとしても・・・

フィジカル(メディカル)リーディングなどは
本来そのように行われるべきで、立ち位置を弁えるべきものだと思う。
理想としてはあらゆる民間療法も現代医学も、
スピリチュアルな見立ても、対立しあうことなく、否定しあうことなく、
連携しあい、それぞれの良い面、長所短所を補いあって、
クライアントの問題解決に協力し合えれば最高だけれども、
まだまだその時代ではないだろう。

それを模索している人も出始めてはいるけれど・・・なかなか。
時代はまだ追いついていない。


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いつだったか、自らの状態、体調不良を、
浄化だ、アセンションだの言う人がいたのだけれども、
でも、私から見たとき「これは統合失調症では?」と。

さほど重篤ではなく、しごく軽度の段階で、
何らかのホルモン分必異常というか、
脳内物質の問題という気がしたので、
適切な薬物療法を行ったなら、すぐに改善するのでは?
とも思ったのだけども・・・

何しろ私は医師ではないのだから、
病気を断定して診断することは出来ないわけで、
あくまで、もしかして・・・という仮定の話をしたり、
この辺りが気になるし、こうしたらよいのでは?と、
遠回しに通院を勧めても、
当人がその気にならないでは仕方がない。

霊的な問題、スピリチュアルな現象こそが原因と、
そう信じ込んでいる人に現代医学の門を叩かせるのは難しい。

また、別の例として昔の知り合いなんだけども、
エコなスローライフを理想としている人がいて、
有機農法やマクロビを実践しているのはいいとして、
現代医学に懐疑的で否定的なスタンスなものだから、
ペットが病気になったとき、ホメオパシーに頼ってたのね。
毎日のケアや診断結果としての治療に添う補助的なものなら、
私は別にそれをしてもいいとは思うんだけども、
最初から獣医に連れて行かないってのはどうかと思った。

結果、助からなかったが。

別にホメオパシーが悪いってんでもない。
助からないときは何をしても助からないというのはある。
ただ、助かる命をみすみす見捨てるような、
そういうことをしなくてもいいのではないかと思ったりもする。
無理な延命処置や過剰医療も是非のあるところだけど。



結局は、病を治すのとは当人なのだと実感する。

病になったのもその人なら、治す方法を選択すること、
治りたいか治りたくないかを決めるのもその人自身で、
医者に掛からず、薬剤や検査や治療を拒否して、
科学的根拠のない商品や健康食品に頼ったり、
民間療法に救いを求めたり、
霊的な助言に従うのも従がわないのも、すべてその人の選択。

自分の肉体が何を必要としているのか・・・
病になった自分の身体に何を与えようとするのか、
今の自分の状態では、どんな治療法がベストなのか、

病気へと導いたのも自分なら、病気を追い出すのも自分次第

その時その段階に応じて、適切なケア、医療があるわけで、
心の悩みを解決し、生活を変えるだけで、
改善される症状や治る病もあるけれど、
精神的な問題や生き方をいかに変えようとも、
それだけでは如何とし難く、すでに手遅れというものもある。

カルマのレッスンがどうとかこうとか、それはもう別の問題で。
(その辺りを考えるのとは別に考えるべきというか)
科学という知恵、その恩恵に預かるのが一番て時もあるのだから、
なんでもかんでも、スピリチュアルな手法や民間療法や
健康食品など、自らの頑固たるポリシーにしがみついて、
病を治そうとするものではないと思う。

もちろん、健康食品とか安全な食品は身体にはイイモノだし、
民間療法も運動も体質改善や基礎的な健康を養うのに役に立つ。
スピリチュアルなツールも、健康的な立ち位置で用いれば、
メンタルヘルスや問題解決のための人生のクスリになるだろう。

けれども、適切かつ迅速な医療や科学薬剤によってのみ、
対処できず救済できない問題も人間の肉体はたくさん抱えている。
それのみに依存しすぎると見誤るものもあるが、
スピリチュアリストはこの文明の利器をもう少し信頼するべきと思う。
(どんな分野、世界にも言えることだが、
信頼できる専門家が少ないのが問題なだけで)


それがどんな健康法でも、技術でも、知識でも、
使う側の方に問題があるわけで、すべては使い方次第なんである

どれがいいとか悪いとかではなく、
時と場合、状況に応じて上手に使い分けて、
あるいは組み合わせて、
どれとも上手く付き合っていければ一番良いのであろう。

一つの方法だけが全て万能ではないわけなので。