2020/04/27

死は決して終わりではなく~Epitaph

予言者たちが書き記した壁が
継ぎ目から 崩れていく
死をもたらす道具に反射して
日の光が煌めく

夢と悪夢にだれもが我を見失い
勝利の栄冠をかぶる者もいない
静寂が叫び声に染まっていく

混乱が僕の墓碑銘となろう
僕は崩壊した道を進んでいる
もし試練を超えられたなら
僕たちは平穏に笑い合えるだろう

だが僕は悲劇的な明日を恐れるのだ

幾多の運命の鉄門の間
時代の種は撒かれ
知る者と知られる者との間で育てられる
知覚は死の友なのだ

もし誰も掟を定めないのであれば
僕が知るすべての人々の運命は
愚か者の手に委ねられるだろう

だが 明日への恐れのため
僕は叫び続けるだろう
やはり 明日への恐れのため
僕は叫び続けるだろう

by キング・クリムゾン

















人は死に向かって生きている

とはいうものの
霊的真理(=宇宙の法則)において
"死"というのは厳密には存在しない

"死"という現象は物質社会においての
存在の消滅を表す言葉なだけで
この宇宙(地球)でのトータルな次元では
霊=魂としての存在は不滅の存在であり
存在そのものが消滅してしまうことはない

物理的な次元(三次元)において
実体として確認できる肉体が失われただけで
サイキカル界(四次元)へと存在の中心点を移し
サイキカル体とノエティカル体が
その人生の名残を生きているのだから
次の転生へと至るその日まで


それでも私たちは
実体としてのその存在がその人生で
その人…として生きた肉体が呼吸を止め
心臓が止まり熱を失い
生命活動から腐敗へと転じたその瞬間に
その人がその次元から去ってしまったこと
自らの世界からその人が
"失われてしまった"ことを思い知らされる

自分を見るその人の目はもうなく
耳に届くその人の声を聴くこと能わず
暖かな温もりを持った手に触れることも叶わない

その事実にただ打ちのめされるのだ

肉体という躯を前にして
肉体という形を持ったその人を
認識できなくなったことで
永遠にその人を失ってしまったかのように

だがしかし"死"は永遠の別れではない

正しくは変化であり変遷であり旅立ちである
次のステージへと宿り場を変えるための
一時的な中心的な移動であり
今生から来世へと至る過程においての
関係性の一時的な終焉とリセット

長い輪廻転生の歴史においては
ほんの少しの旅路での別離にしか過ぎない

とはいうものの
そんな話を納得できる人が何人いるだろう

死は終わりではなく永遠の別れではないと
また生まれ変わって再会できるからと言われても
だからといって喪失した心を立て直して
また数十年か後には会えるのねなどと
楽観的に受け入れらる人なぞ いるわけもない

実際のところ またすぐに会える保証はないし
前世の記憶など憶えているわけもないので

そして
人の心も関係もうつろいゆくもので
変わっていくのがしごく当たりまえで
約束や契約することの出来ないものだ

人それぞれ生まれてきた目的や意味も異なるし
叶えたいことや向かっていく先が違っているのだから
いつまでも一緒にと同じ道を歩けるわけではない

だからこそ 
今回の人生で出会えた奇跡 結び合えた縁
共に過ごすことが出来た時間
一緒に綴ることの出来た想い出は貴重だ
誰かと生きることが出来た歳月は
二度と戻らない黄金の日々のようなもの

一日一日が一期一会で
二度と取り戻すことの出来ない一瞬の夢


だからこそ 大事にしたほうがいい

どんな関係も
どのような出会いであったとしても

それは永遠に見続けることの出来ない
泡沫の夢であるのだから

伝えるべきことは早いうちに伝えておいたほうがいい
想いや気持ちは言葉にして
心や感謝をきちんと形にして表したり
行動しておくべきだ 後悔する前に
突然の別れの日を迎えてしまう前に

そして繋いだ手は離さぬに越したことはない


















僕があれほど愛した女を
神様がどんな姿にしてしまったのか
見なくてはなりません
その光景への嫌悪感が恐らく
絶望的な想い出にとって代わるでしょう

by デュマ「椿姫」


この憑物を追い払うためには
一つの方法しかない
クラリモンドが何処に埋葬されているのかはわかっている
彼女を掘り起こして
君の愛の対象がどんな哀れな状態になっているのか
君が自分の目で見る必要がある
蛆虫に貪り食われ 
灰になって崩れ落ちようとしている悍ましい屍のために
君は君の魂を台無しにする気はなくなるだろう
そうすればきっと
君は正気を取り戻せるだろう

byゴーチェ「死女の恋」


生まれ変わりについて肯定的な立場で
何よりも輪廻転生を説いており

過去生セラピーなどの個人セッションを通して
たくさんのクライアントの過去生を
リーディングしてきた私ではあるし

何よりも自分自身が
いくつかの過去生の記憶を所持し
それらを引きずって生きてきた身だし
過去での縁合った人たちと
再会するという経験もしているわけだけど
それを体験として知っている私ではあるけれど…

それでもやはり
"死"は悲しい別れであるとも思う

"死"という変遷行為自体は
窮屈なサイズの合わない着ぐるみから離脱して
全身を伸び伸びと元のサイズに膨らませて
開放感とエネルギーの恍惚に浸ることのできる
この上ない至福を味わえる瞬間で
それ自体は悪くないし至福でもある

ある意味で死は甘く蠱惑的な接吻のようなもの

その"死"の瞬間に
ダークな感情に支配されてさえいなければ
(理不尽な怒りや恐怖を伴う死でさえなければ)

だがやっぱり
寸前まで言葉を交わし笑顔を見せあって
手と手を触れ合い
お互いを互いとして認識していた人と
交流することが出来ない寂しさは辛いもの

孤独ではないが生あるもの(物理的次元の世界)とは
分断された世界にいて
まるで自分が鏡の中の世界にでもいるかのような
そんな錯覚にさえ陥ってしまう

話しかけても通じず
触れたくても触れることできず
そこにいてそこにあらざるものになってしまうので

肉体のないものと
肉体を持つものが意志を疎通させて
交流を持つというのはとても困難なこと

それが出来る人もいるが
それが出来る人はあまりにも少ない

だからこそ人は
交霊術にすがったのだろう

愛する人の面影を求めて
死してもなお生き続ける魂との再会を求めて

刹那的な絶望感のなか
在りし日のその人にもう一度触れたいと
一縷の望みをかけて




「ゴースト~天国からのささやき」
特殊な力を持つ主人公メリンダ・ゴードン
生前愛する人たちに伝えきれなかったゴーストからのメッセージを伝え
さまよえる魂を安らかに天国へと導く感動のドラマ

※このドラマ、オススメです
 stay-homeで 生と死や命を考えた時
 ぜひ家族とそして愛する人と見て下さいまし
 


死んだ後に存在の中心点となる
四次元たるサイキカル界と
その後に行く五次元たるノエティカル界の世界は
霊性の異なるすべての人が
同じ物質的な肉体を所有して互いを認識できる
三次元の世界と異なって
49も階層があってそれぞれ霊性によって
行く場所が異なるから

「大丈夫だよ また会えるから」
「死んだら 迎えに来て」
「あの世で会いましょう」

それを言うと嘘になる

"死"の状態から次の次元に移行する
40日間という作業期間内(データ移行期間)に
一瞬だけ会える場合はありますが
必ずしも会えるとは限らないんですよね

来世で会うといっても
次の人生とは限らず
1000年先になってしまうかもしれない

人生に絶対はないから


だから

結局いまの人生を最後の人生と考えて
この人生だけだと思って生きることも大切

今の自分としての人生が
この人生一回きりなのは本当というか事実だから

今の自分として生きられるのは今だけだから
そして今目の前にいる人たちとの関係も
今の人生だからこそ その関係でいられるのだから

とくに大切にしたい人との関係は
今生限りだと思って
今日だけで明日はもう会えないかも知れないと
そう思って

一瞬一瞬を一言一言を大切にして
過ごしたほうがいい

いつ別れの日が来ても 後悔しないように

明日死ぬ日が来るつもりで今日を生きたほうがいい


いまの時期
気軽に大事な人に会いに行けない日々の中
気が合わないあるいは一緒にいるのも鬱陶しい
家族と鼻突き合わせて家に引きこもっている人もいる中

身近な人や会いたくても会えない人のいる時間の中で
考えて欲しいコト






死は涼しき夜
生は蒸し暑い昼間

早や黄昏染めて私は眠い
昼間の疲れは私には重すぎる

byハイネ

2020/04/14

自然との共生~Earth Song



私は英語が話せない読めない人であるのだけど
4ch(英語で交流する海外掲示板)の翻訳サイトは
定期的によく読んでいるのですね

そこからの情報になりますが
ロックダウンされた世界各地の人々によると

人々が外出しなくなったことから
普段は見かけない多くの野生動物たちが
街に出没するようになったとのこと

中には
「羊に占拠された!」
「鹿に町を乗っ取られた!」
という可愛らしいものから

ピューマとかコヨーテとかイノシシとかワニなど
ヤバイものまで住宅街に現れ始めているとか

日本では田舎のほうにいかないと
クマやイノシシいないから
今回は問題ないでしょうけど
(クマだけでなくイノシシも人間襲って食べますのよ)




首都圏通勤エリアで育って現新宿区在住の私が
田舎や自然を語ってもまったく説得力はないですが

昭和の真ん中の時代は
首都圏近郊にも田んぼも畑もあって
ザリガニ釣りもしたしカエルなどの水中生物
トンボなんかもたくさん飛んでたし蛇もいて
野イチゴや野草(土筆や野蒜等)や花の蜜など
その辺のを摘んだり食べたり口にいれてました
トイレも高校まではくみ取り式でしたよ

親の故郷はド田舎(鹿児島の皆さんゴメンなさい)
だったからもっとハンパなかったなあ
ラジオの電波届かなかったし
スーパーの特売は空からセスナが告知していてw
(離島ではないです。空港から一時間位の距離)
戦時中は食べ物ないから
イノシシとか野兎とか掴まえて食べてたそう

で政令都市で一応都会に属する千葉市
私が子供の頃は猫も犬も放し飼い
犬が鎖で繋がれるようになったのは
昭和50年代に入ってからかなー
(それだから6匹位の野犬の群れに襲われて
全身咬まれて死にそうになった私<入院した
人生で4回犬に咬まれた奇特な体験保持者デス) 

いつからでしょうね
野良猫を街で見かけることが減り
外で犬を飼う家も少なくなったのは

このあたりは
自宅で死んだり生まれたりというのが無くなり
"死"や"命"が人々にとって遠いものになっていった
という現実と全く無関係ではないような気がする

人々にとって"命"が軽くなり
"死"が忌み嫌われるものになってった

そこが人々の意識の何かの分かれ目だったのかな


関係ないですけど
私は動物園や水族館は反対派です
必要ないものだって思っています

必要があるとするならば
その土地で保護された動物たち
野生で生きていくことが出来なくなった
人間の保護を必要としている動物たちを
管理保護し飼育するくらいかなあ
その維持管理と運営費を得るために
動物園的に公開して入場料を取るってのが理想

今の時代ならバーチャルで十分です
実物を檻に入れて見世物にする必要はありません

動物は生まれ育った土地にいるのが一番です
寒いところ暑いところにいるものを
どうして環境に適さない場所に連れてくるのか
拷問以外の何物でもない

サーカスもそうですね
ショーをダイレクトに虐待とは思わないけど
ペットとして育てられたものの
飼育放棄されてしまい保護された猛獣とかを
引き取っての興行ならいいのではと思います

象使いにしても猿回しにしても
相棒として家族として
愛情と信頼関係のあるところでの
仕事のパートナーシップが築けているなら
私は動物虐待とは思わないし
あってよしと思うのですが

ようするにそこに動物たちへの愛情があるか否か
共に生きていく覚悟と責任があるならば
家族として動物と共に生きる道としての生業ならば

闘犬とか闘牛とか闘鶏とか
そういうのは反対派になりますね 
やはり賛成できない


人がペットとして動物を飼う時にも
人間が保護しないと生きる場所がない
そういう動物をペットとするのは賛成だけど
人間の環境にその動物の生育環境に適さない
動物を連れてきて無理やりペットにするのは
反対です

犬とかでも
雪遊びが大好きで日本ならせいぜい
雪深い東北までが適応するのに限界な犬種とか
それを南日本で育てようとするのってどうなの?
ってホント思うし

そういうのは人間のエゴ以外の何物でもないですよね




さて ロックダウンの影響に話を戻すと

日本でも多少見られている現象ですが
工場などの稼働がストップし
人が移動を自粛して往来が減少したせいで

空気がきれいになっているとのこと

光化学スモッグや排気ガスの影響で
今まで遮られていた遠くの景色
山々などがよく見えるようになったそうです
そして沈む太陽のなんと美しきことか…と
あんな太陽今まで見たことない!

とはロス在住の方曰く

アメリカは地球温暖化対策に非協力的で
京都会議からも離脱しましたしね
そしてコロナ発生源の中国もしかり

(この地球の環境を汚染している二大大国が
コロナの発生源と感染者世界一というペアなのがなんとも
そしてちょうど去年アマゾンの森林火災や開発の問題
>アマゾンが地球の肺説 ジャングルが地球の酸素の
20%を生産しているというのは誤りなようですが)

コロナで重篤になると肺炎を併発して
人口呼吸器のお世話になるということを考えると
呼吸すなわち空気を取り入れるところのダメージ

(安部ちゃんには200億もかけてマスク配布するなら
人工呼吸器を各病院に買ってくれよ!と言いたい
それとワクチンの開発費に回して欲しい
公務員と生活保護者と年金受給者と税金滞納者以外の
マイナンバーを持つすべての日本国民に現金支給して!)

なんかコロナウイルスで
人間の肉体がダメージ受ける箇所と
人類が地球に対して行ってきたこと
つまり地球というボディが
ダメージ受けてる箇所とリンクしてる

そんなこんなで
私たちは環境破壊と大気汚染によって
地球の"免疫機能を破壊"し"呼吸"を妨げることを
つくづくしてきたんだなって改めて痛感します

産業革命以前までは
私たちこわっぱである人類が
地上をいくら暴れまわって荒らしたとしても
地球が呼吸して再生する力までも奪うことは
たぶんできていなかったんですね

でも産業革命以降は
私たち人類の地球を荒らしまくる力はパワーアップし
地下に地下にとどんどん掘りまくって削りまくって
消化されないゴミや汚水を次々に野放しに垂れ流し
緑地を砂漠化し不毛な土地に変えたりもし
オゾン層が破壊され有害な紫外線が届き始めるほどに
地球の皮膚をただれさせてきた

そして同じ地球にて
本来ならば共生されるべき仲間たちの存在に対して
人類はいつだって一方的に横暴で
その命も存在も勝手に贄にして
排除したり好きに良いものと考えている

食べるという、命を頂くという理由以外で
牙や角や毛皮を取ったり
退屈しのぎと遊びのための狩猟
海や河川や大地を汚染したことでの
間接的な殺傷行為も含めて
動物たちの命を無謀にも奪い続けてきている

時期は奇しくもイースター前後
昔は守られたイースターの掟は
(動物たちの出産育児時期に狩りを避ける事)
昨今の世ではその意味を理解するものは少ない
現役でありホンモノの漁師・猟師たち以外には




じゃあ
人が活動停止して この地球上からいなくなったら
大地や河川や海は蘇り 地球の再生力は早まるのか

地球環境を破壊する諸悪の根源たる人類が
滅びてしまえば地球環境は守られ自然が回復するのか

というと必ずしもそうではなく

人の手が入らないと荒れてしまう山が多いように

人間もまたこの地球にとっては必要な構成要素のひとつで
この地球を守るためには人間の力も存在も必要なのです

(イエローストーン自然公園で
絶滅したオオカミを再導入したら
自然が回復した事例があります
オオカミのような肉食獣は草食獣の天敵ではありますが
同時に個体としての彼らの繁栄・種の存続を守るためには
共存・共生すべき仲間なのです
自然界のバランスを取るためには両者が必要なのです
そのように他の動物の天敵たる人間も
自然界における食物連鎖の輪の中で不可欠な存在です
地球環境や自然にとって人類は
破壊者であるとともに管理者でもあり
共生・共存していくべき庇護者なのです)

問題は人類の立ち位置なのだと思います
地球や人類以外との命との関わり合い方

自然や他の生命から一方的に搾取して
いつまでも奪うだけではダメってことかと

これまでのやり方が間違っていた

方向性の誤り

それを認めて
そこをいま軌道修正するべき時期に来ているのでしょう

付け焼刃なやり方ではなく
根本的にあらゆることを見直すべきかと

何もまるっきり昔の生活に戻る必要はなく
便利な機能をすべて手放す必要もなく

ほんの少し変えていけばいいのだと思います

汚染する危険物質でなく
後世に負担を与えるエネルギー資源でなく
もっと別のリサイクルできる
環境に対する負荷を最大限に減らせる
新しいエネルギーを開発したり
温故知新で昔の良いやり方を新たに発掘して
今に応用してみるとか

もちろんそこに至るまでに
生みの苦しみたる痛みは必要で
ほんの少しの不自由とかあるだろうし
我慢しないといけないことも多いでしょう

変えていかなければいけないことが
たくさんあるんだと思います

エネルギーのこと 資源のこと
食べ物のこと 仕事のこと 働き方のこと 
流通のこと 社会のしくみのこと
暮らしの基本的なことだけでなく

様々なことに対する
意識を変えていく必要があるでしょう

人間関係や自分自身との付き合い方も


地球との関わり合い 動物たちとの棲み分け
人類の間に存在する見えない国境 
土地の分配のこと 自然との共生

この地球をたくさんの人々と共存して
言葉の壁や宗教や人種や文化を超えて
力を合わせて 協力して生きていくということ

私たちはすべての存在が
地球という家を分かちあって棲んでいる
ひとつの運命共同体であるということ

この時期に
世界中の人々が考えていくべき課題であると思います

そして動物たちとの棲み分けも大切ですよね
日本でも獣害被害の問題はあるけれど
インドやバングラディッシュ ネパールでは
動物に襲われて亡くなる人が後を絶たない
生息域を奪われてエサが減り
テリトリーが狭まった結果だったり
人間が彼らの縄張りに侵入してまで
生活の糧を求めねばならぬ貧困が故の問題


海洋動物にも言えることですけれど

動物たちのテリトリーと
人の住むテリトリーをきっちり分けて
どちらにとっても不幸な事故が起こらないように
土地の境界線問題も考えていかないといけないのかも

極端に偏った動物愛護はどうかとも思いますけどね
(クジラ漁には反対してない私です
ただイルカ漁は別のやり方ないかなって思ふ)




感染症というのは確かにウィルスだの細菌だの
カビだったり原虫だったりするものが
人間の生命活動を阻害し破壊行為を行うもので
症例の原因だったりするわけですけれども

昔からいたにしても何にしても
ある日突然に自然発生的に活性化して
活動が活発になるんですよね

それまで一匹も姿を見なかったのに
人が遺体になったとたん密室であったとしても
どこからともなく湧きだすウジやハエの如く

そうしたことを考えると
何か条件が整い揃ったから
それまで不活発だったものが生命を得て
人類に脅威を与える何かの役割を果たしているのかもと
(生物兵器的に培養された説を除外で)

天然痘は侵略者側が新大陸に持ち込んで
多くの地元民たちの命を奪うものであったけれど
ペストは魔女狩りや異教徒狩りなどが蔓延したときに
流行したものだったなあ・・・と思い出したり

そうした意味で定期的に数十年単位で
人類の人口を削減するがごとく流行して
人類の存続を脅かしている昨今の感染症というのは

地球の病み具合を表している
バロメーターなのかも知れない

それだけ地球の免疫力が落ちてたってことかとも
思ったりする今日この頃

良い意味でもネットの普及で
無責任な噂や誹謗中傷や陰口が蔓延する世になったから
ネガティブエネルギー蔓延していたということもあるし
もちろんそれだけではなくて
ここ100年位の流れや色々なお試し段階を経ての過程
小出しではあったけれど
それぞれに考えを問いただす機会は
色々と与えられていましたからね

人間の利己的なネガティブエネルギーが蔓延して
強大で巨悪なグループエレメンタルが創られたり
活性化したり復活して大きな力を蓄えた後には
必ずそうした伝染病も蔓延しているってことは
なんかまあそういうことなんだろうなって思います
(こういうのは宇宙の法則でもなく
神と呼ばれる創造的な存在の力や意志ではないです
法則と言えば法則で集合体無意識の力ではあるけれど)

ようするに私たち人類が私たち自身で起こしていること
変革のために 人々の意識を変えるために
創造の為の破壊と
良心への問いかけが行われてるってことです

2020/04/12

いつかどこかでまた会えたら~虹色蝶々

ヤサシイキモチヲオシエテクレタ
セツナイキモチヲオシエテクレタ
ソレハナニヨリモダイジナコトデ
忘れはしないよ

いつかどこかでまた会えたら
きっと側で羽を広げて

雪は次第に雨となって
雲が千切れて虹を架ける
私の羽と同じような
とても綺麗な色に変わる

~虹色蝶々 by黒うさP~より引用



4年前 某バンドの日光で行われる
奉納ライブで結構いい席が取れていて
車を出してくれる人も見つかって
とても楽しみにしていたのですけれど

眼の手術日が後ろにずれたことで
標高の高いところへは
まだ行ってはいけない期間に見事かぶってしまい
涙を呑んであきらめた私
(東京と日光の高低差はスカイツリーと同じ)

そのようないきさつで4人で行くところ
私抜きで行ってもらったのですが
XjapanのファンであったHさんは
バンドに興味は持ったものの曲をよく知らず
(いちおうyoutubeで予習?はしておいたみたい)

当日"虹色蝶々"が始まって歌を聴いた途端
急に涙がドッー!とあふれて一人号泣したそう
自分でも止められず全身で泣いた感じらしい

その時に
「自分の中の誰かが泣いている」
瞬間的にそう思ったそうです

ああ これは私の詩だ…とも思ったそうですが


彼女には韓国(当時は高麗)にて
妓生として生きた人生があったんですね

その時の記憶たる人格(過去生のパーソナリティ)
であり残り香たる想いが反応したのでしょう
その時の自分が抱えていた想いを綴ったような
当時の人生をなぞったような歌詞が胸に響いて
感情のカタルシスが起きたのですね

音楽って不思議なものです
五感を刺激し揺さぶるものだからでしょうか
曲を聴いて耳だけでなく全身で音のシャワーを浴びて
その旋律による波動の刺激だけではなくて
そこに歌詞というドラマが言霊として心に響き届き

それだけで過去にも未来にも
異次元にもトリップさせてくれる
とくに感情にはダイレクトに
当時の空間へと心を連れていく


ちなみに彼女はその時
妓生としては結構高い地位にいたみたいです
日本だと花魁に相当しますかね

そしてかぐや姫エレメンタルを持っていたというか
ちょっとこじらせ系の素直ではない
鼻もちならないプライドの高い女性で
好きになった人に好きって言えなかったんですね
それで後悔することになったのですが

その時のその想いがリフレインしたのです
この歌を聞いた瞬間に
当時の自分の人生へとフィードバックする
鍵になったというのかな

上記に書いた彼女の人生については
私が指摘したのですが
ついでに「ファン・ジニ 見てみたら?」
とソン・ヘギョの映画を薦めたならば
ドラマのあのクソ長いほうを借りてきて
一気見したとのことでしたw

そして
「ヤバイ すごくわかるというか
 なんども そうそうと頷いてしまったし
 感情移入して 理解できる世界だった」

とのこと


ちなみに
肝心の"虹色蝶々"の作者の方曰く
遊女とお客さんの関係とか出会いを
思い描いて創作した歌詞ではなく
書生さんのところに一休みにきた
蝶々さんとのひと時の出会いを
イメージされたとかとか
(どこかに書いてあったのを読みました)

作者が思い描いて綴った想像の世界とは
意図された歌詞とまったく異なる世界が
リスナー側の心象風景には広がっていく

曲(詩)が聴く側の心の扉を開いた瞬間
記憶の奥底にある何かを呼び覚まし
当時の想いを蘇らせていく
そして自分の過去を物語として投影する

こういうのはホント珍しくないです

今の人生の失恋とか何かの出来事も
歌に想いを投影するのはよくあることですから




自分のことになりますが

子供の頃に「マノン・レスコー」を読んで
妙にマノンの心境に共感してしまったり
「椿姫」の海外ドラマを見て
めちゃくちゃ感情移入してしまったのでした
(童話の「人魚姫」にも)

歌だと
ちあきなおみさんの「喝采」とか
ペドロ&カプリシャスの「教会へ行く」とか
有名どころの「愛の賛歌(原詩の方ね)」

映画では
「シェルブールの雨傘」には条件反射で号泣
(名作と言われてるけど実際には微妙)

マノンや椿姫はともかくとして
上記に共通しているのは
恋人が死んでしまった話ってヤツ

どうも私がカタルシスを覚えてしまう
モチーフのパターンがそこらへんなんですね

そして
一つが相手との身分差とかを考えて身を引くパターン
もう一つが戦争に行った恋人が帰らなかった
その死の知らせを聞かされ葬式に行くパターン
というのが
号泣スイッチのキーパーソンになるみたいで

なんかあるんだろーとは思いつつも
あえて放置して触れてこなかったところ

恋愛の障害になっているエネルギーブロックであり
ナルシーな悲劇的ヒロインに陥りやすい引き寄せ
それらを創り出す屈強なエレメンタル

今の私には不要なものなんですが
恋愛に興味がなかったばかりに(だってめんどくさい)
害もないからと手放すことしてこなかったんですね


でも数か月前からの
感情が洗濯機の中に放り込まれぐるんぐるん攪拌され
古いものも新しいものも色んなものがかき混ぜられて
「こんなんあったんだ」みたいな発掘作業が進む中
やっぱ再度出てきてしまうのです


たまたま動画を見てて
洋楽の歌を素敵に翻訳されている方がいて
サイモン&ガーファンクルの"スカボローフェア"
これもあったので見てみたんですね

この曲も聞く時も歌う時もどうしても泣いてしまう
大好きな曲なんですが

元々アイルランドの民話から生まれた曲ですけれど
その原曲とは異なる歌詞(詠唱部分)を付けられて
ヒットして一般的に知られているのが
S&Gがカバーして映画卒業の挿入歌になったこの曲

その部分について
コメント欄に動画をUPされている方ではない
視聴者さんが書いてくれていたのです

その書かれている内容を読んだ瞬間にダム決壊
ひたすら号泣です 嗚咽が止められませんでした

そこで色々と繋がったんですね

前に池袋をうろついていた時に(買い物で)
身体はここにいて目は池袋の街を見ているのに
頭の中の景色が古い時代の異国の景色を見ていて
同時に二か所に自分が存在しているような気がする

そんなことを以前のどこかの記事に書いたんですけど

その理由が分かったんですよ

そうだ 忘れてたけど
これも戦争に行って死んでしまった男性が
亡霊となって現れて故郷に行くという旅人に
恋人に「僕を忘れないで欲しい」と
伝言を頼む歌だった
だけど旅人は幽霊を前にして
魔除けの言葉(魔除けのハーブの名前)を
ひたすら唱えているって
そういう歌なんだよなー…と


Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemary & thyme.
Remember me to one who lives there.
She once was a true love of mine.


改めてこの歌詞の意味が刺さったっていうのかな

あ゛ー 
私あの丘で 
あのお城の前で
戦に行って
帰って来ない彼を待ってたんだ~っっ

そう考えるに至った瞬間

その時に自分の中から
何かがポーン!と飛んでったのが分かりました


そしてもう一つの子供の頃からよく見る幻
自然が豊かな 小さな池か湖 河のほとり
その近くの木陰? ボートもあって
森というほど暗くはなく
どちらかというと白樺林って感じの
明るい木々と草のじゅうたんのあるところで
木漏れ日の中 誰かと二人でいるイメージ

これがね ずっと脳裏から離れなくて
何度も夢とか 白昼夢で出てきてたの
懐かしいし思い出すとときめきもついてくる

でも今の人生には無い記憶なんですよ


この木漏れ日の記憶で一緒にいた相手も
丘で待ってて戦死した相手も
時代は違うが同じ相手だなってことは
なんか理解できた

でも今生では逢ってないですw




なんて言うんでしょうね

きっと再会したからといって
当時と同じとは限らないわけですよ
あの頃の気持ちはフリーズドライされていても
それぞれ別人として生きていて
中身も成長したり変化して生きてる

趣味嗜好も変わっているし生き方も変わったし
好きな異性の好みもね昔とは違うはず

お互いがお互いとして認識できたとして
「げっ! ハゲちらかした親父ぢゃんっっ!」
「うわっ 何このしわくちゃババア」
と互いに
「無理無理無理無理無理無理無理ムリっ~!」
となってしまって
幻滅しまくる可能性は高いわけですw
千年の恋も冷めちゃう??

あ゛ーでも
そもそも同世代とは限らないし
当日の性別とも限らないわけです
日本人じゃなくて地球の反対側で
しかも生まれたばかりの赤ん坊でしたとか
死にそうな寝たきり老人だったりとか
言葉もまったく通じませんのデシタ

の可能性のほうが高いですのよ

そして万が一
異性同士でお互い独身で年近かったとしても
(日本人で言葉が通じ合ったとしても)
何よりも今さらのこの年齢です
やっぱり恋愛は肉体が若くてみずみずしいときでなくちゃ


そしてロミオとジュリエットも
なんだかんだ出会って盛り上がって死ぬまで一週間
たった一週間だったから
お互いの良いところだけを見ることが出来て
燃え上れたわけです

しかし現実というのはそんなもんじゃありません

あのまま反対されずに一緒になっていたとしても
二年後には倦怠期が来て
移り気なロミオは浮気しまくりだったかもだしw


それを考えると
前世の恋と言っても 
それは成就してない初恋を想うようなもので
結果が出てないから脚色して美しく見えるのでしょう

再会して必ずしもまたお互いに恋するとも
惹かれあうとは限らないのです
その後の人生を共にできる相手ではありえないつーか

でも
相手がどんな人として今生に存在しているのか
どんな姿に生まれ変わっているのか
ちょっと気になったりはしますね
覗き見程度に知りたいなーと好奇心は刺激されています

でもまあ 来るべく来世のために
必要のないエネルギーブロックは外して
捨てて置いたほうが身のためですねー

これも終活か?w


そして「君に読む物語」に感動していたりするワシ

まぁあんな"永遠の愛"のようなおとぎ話は
残念ながらそうそうはないですけどね

2020/04/10

気分を爆上げする方法

楽しみにしていた年一回の新年会(ライブ)もなくなり
暖かくなったらランチに行こうとの約束も見送りで
世界の美味しいものを食べに行こう会も中止で
神社詣でも外にふらふらと散歩に行くことも出来ず
…なのですが

それでも年齢のせいもあるのか
昔よりは出不精で不活発になったせいで
ここ数年は引きこもり気味になっているので
思ったよりはストレス感じなくて済んでます
(若い人はエネルギーの発散が
本当に大変だろうなと思います)

去年から
自分の潜在意識のお掃除など
それらの学びに
取り組んでいるお陰かも知れません

日本は都市封鎖をしているわけではないので
その閉塞感がないのも大きいかも知れないですね

あと昔と違って
電話より手軽なネットやSNSがあり
友人とのやり取りがメールで簡単にできるので
どこか繋がっている感覚があり
お陰様で孤立感はありません
私の世代だとlineなどで毎日同じ相手と
密にコミュニケーションをとるようなことはしませんが


古希を過ぎた年上の友人とのやり取りでは
同世代の志村けんさんが亡くなったことに
とてもショックを受けていて
ものすごく恐怖や不安があると…
別の年上の友人も経済的な不安を訴えていましたね

それに比べると
私はコロナに対してもこの状況に対しても
楽観的すぎるのかも知れません
経済的な打撃を受けているのは事実ですが
なんで自分はこんなにのんびりしているんだろう?
と自分でも不思議に思うほど

危機感がなさすぎですね





それでも少し前には
気分が鬱屈して爆発寸前?というか
停滞したエネルギーを持て余す状態に陥りました

さてどうしようか…?

と思った時に

楽しい妄想をして気をそらす考えに至りました

(妄想するのはタダですからね)


脳内でエア彼wを創ってみて
その人と旅行に行くことにしたんです
(その時点で既にイタイ妄想)

ちょうどその頃
昔懐かし60年代から70年代そして80年代の
アーティストのMV動画を見まくっていたので

まず思いついたのは何故かイギリス

私とエア彼のバカップルで
行きたいと思いつつ行けないままの
ビートルズ聖地巡りしているイメージ

キャバーンクラブやらアップルスタジオや
ミミおばさんのいちご畑そしてペニーレーン
アビーロードスタジオ
あの横断歩道でアルバムジャケットの真似して
写真撮ってみたり

したらば妄想が勝手に制御できずに暴走し始めて

何故かそこにポールで会っちゃう
(言葉が通じないはずですがっっワシ英語できんし)

「リンダのお料理本持ってるよー
 レシピよく作ってるよー」
なんて興奮しながら食いつき
マシンガンのようにトークしまくる私

ウィングスでリンダと来日したとき
後楽園でのコンサート前にリンダと
本郷小学校に立ち寄ったでしょー?
武道館にも行った年季入ったビートルズファンで
ポール大好きな 本郷三丁目に住んでた私の友達が
目の前に止まった車から二人が出てきて
フリーズしたって言ってたよー!
映画か夢のような瞬間だったって!!

私もおととしのポールの日本公演行ったよー
リンゴのも行ったよー
ジョージとクラプトンのも行ったよー!

なんて話をまくしたてて
あーだこーだ

そしたらポールが
「relay? わざわざ日本から来てくれたのー?
 何ジョージのファン?(苦笑)
 よっしゃ! いいところに連れてってあげるよ!」

てな調子で
ジョージの息子ダーニとオリビア(奥さん)のとこに
何故か連れてってくれちゃうの
(その時にポールの娘のステラも何故かいたりして)

ダーニに会ったときに
「あなたが生まれたときね
 私の友達のお姉さんがあなたに靴下を編んでギフトしたの
 そしたらジョージがね 御礼の返事をくれたんだよ!
 私の可愛いベイビーにありがとうって書いてあったよ!
 その手紙のコピーをもらったんだけど
 私失くしてしまったのっっっごめんっっ涙」
なんて話をしてっっ

気が付いたらリンゴもいつの間にか来てて
クラプトンもやってきて
「ホワイルマイギタージェントリーウィープス」
をみんなと演奏してくれたよー

モノホンやー!

でも私はジョージのどの曲が好きかって聞かれて
「ホワイルマイギタージェントリーウィープス」も
「サムシング」もいい曲だし好きだけど
実はビートルズ時代の一番最初の
「恋をするなら」が好きですって空気読めない発言
(妄想の中でも私は私だ)

いつの間にかジョフ・リンもやってきて
ディラン(ボブ)はいなかったけど

「わああ トム(ペティ)は残念だったね
 ウルベリン・トラベラーズ好きだったよー」

とかとか
ELOのトワイライトは日本のダイコーンとか
電車男のオープニングに使われたよねとか
そんな話されてもって感じだけど
笑ってきいててくれた<ジェフ

そんな感じでなんか
サービス精神旺盛なポールは
ダーニとか他の人たちとセッションしてくれたりして
盛り上がってて楽しいパーティタイムに突入し

U2が好きでボーノ大好きーと言ったなら
ボーノに電話してくれたり(スティングにも)

んでもって
日本のお勧めしたいバンドを
ぜひぜひ~!ってPCで動画見せて
「ねっねっ! いいでしょいいでしょ?」って
無理くりススメてたりなんかしてww

妄想はどんどん果てしなく飛躍していくのであったww





とりあえず
アイルランドのパブで搾りたてギネス飲んで
ハギスやキドニーパイやフィッシュ&チップス食べて

その後はシェークスピアガーデン行ったり
ストーンヘンジ行ったりハイランダーやエジンバラ
ウエールズに行ったりとか
ピーターラビットの故郷ももち

何しろ妄想だからw

そうしたらめちゃくちゃ楽しくて
お風呂(湯舟)に浸かりながらの妄想だったのですが
溺れそうになるくらい顔がにやついて楽しくて

気分が爆上がりしましたww

妄想の力おそるべし

勝手に物語が進んじゃいますしねっっ汗


いや ホントにね
めちゃくちゃ楽しい妄想でした

よだれ垂れるくらい

そんなわけで
楽しい妄想のお陰で波動は上がって安定したかなー


2020/04/06

Heal The World~上を向いて歩こう

一人ひとりが自らの問題と向き合い
自分自身と自分に繋がる問題を解決したならば
世の中のすべての問題は解決する

一人ひとりが自らを幸福にする努力をし
自らの傷を癒して 自分自身に愛を与え
自分自身を平穏と豊かさに導き
自己充足を手に入れられたなら

すべての人類が幸福になり
すべての人類は癒され 愛に満たされ
世界中からすべての問題がなくなる

何ひとつの不足も不満もなく
ありあまる豊かさを分かち合い
互いに与え合う世の中になる

世界は平穏と豊かさであふれ

地球は愛の惑星(星)になる
















家族の癒し~属毛離裏/そして家族になる②

世界の平和は家庭から

人類は大きなひとつの家族
そのもっとも最小単位たる家庭
家族全員の問題が解決され
家庭が平穏で平和であれば
この世はすべて丸く収まる

すべての家庭が愛に満たされていたならば
この世は 人類のすべては愛で満たされる

それが家族である人類すべて
私たちの目指すところ
私たちの行きたいところ




カルマのレッスンばかりが
家族を選ばせるわけではない


人としての想い 望みの具現化として

相手へのサポート 愛の表現としても
私たちは時に家族を選び生まれてくる

時空を超えた再会は
必ずしもロマンティックなものばかりではないが
深い愛の絆の実現ゆえに生まれることもある


海外での事例として

自宅前で遊んでいた幼い姉妹が
車に轢かれて亡くなってしまったが
数年後に双子の姉妹として
同じ両親の元に再び生まれてきた話がある

ティーンエイジャーの親友が
不治の病でこの世を去る時
「あなたの子として生まれ変わってくるわ」
と予告して実際にその子として生まれ変わり
二人は母子という新たな絆を結ぶことになった

祖母や祖父が特別愛していた娘や息子の
その孫の元に生まれてきたケースもある

戦場で友情を育んだ親友同士が
次の人生での縁を望み再会を誓い合い
戦後平和になり共に戦死した国で
同じ親の元に兄弟として生まれた事例も

再び出会いたい巡り合いたいという
互いの強い想いが実現化された形での
血の繋がった縁ある家族の誕生である


親の愛に恵まれなかった親友に対して

「私があなたの親になって
 たくさん愛して守ってあげるから
 あなたの人生を
 あなたの夢が叶うよう
 全力でバックアップしてあげるから
 そうしたら他人ではなくて
 親子なんだから無制限でいくらでも
 あなたに色んな事をしてあげられるから」

そう誓い合って子として受け入れて
それを実際に実行している人もいる




例え今生の関係が相容れず水も合わず
感情的葛藤や拒絶感や抵抗が生じている
親子や兄弟姉妹の関係であったとしても

大抵は互いに対する負債の返済であったり
ネガティブな感情(相手への偏見や誤解)を
融和や理解へと導くための縁と知って欲しい
※やり直しのための再会の場合には

償いや贖い 
学びというステージは必ずしも苦行ではない


このような再会の例もある

結婚した相手の親(舅姑)が過去生での親だったとか
かつて嫁いだ先の舅姑が今の親であったりなど

自分の親が結婚相手の過去生の親だった場合
義理の仲はたいがい上手くいくようですが
その逆のケースもある

バツイチで再婚したならば
再婚相手にとって連れ子たる継子が
過去生での実子だったとか

後は過去生で養子にした子が
実子として生まれてくることがあったり
その逆で実子が養子として出会ったり

実に色々な縁がある
血肉を分け遺伝子を継ぐことばかりが
家族の縁ではないということで

かつての親や子が今の叔母や叔父であったり
兄弟姉妹の子(姪甥)が過去生の子や親であったり
近しい誰かであったり…というのもよくあること


かつてのイジワル姑が
実は今の母親ってのは意外と多いケースで
息子を奪った人として敵認定でのイジワルなら
実の子供だったら嫁を愛せるのか?
という愛のお試し行為として再会したりする

似たような愛のお試し行為として
その昔は敵対した勢力・一族であった人たち
彼らがまとまって家族として転生している中に
生まれて孤立して苦しんでいる人もいたりする

戦場で敵として互いを殺し合った者同士が
兄弟姉妹として同一の両親に生まれるケースは多い
まったく似ていない双子
黒人と白人として 
違う人種民族として
敵国の兵士として 
対立する宗教に属する者同士
敵対し憎み合い迫害しあった者同士が
同一の両親のもとに
同じ民族人種として 同じ環境のもとに生まれ
同じ教育 文化 宗教 躾を受ける

戦場で互いに刃を向け 銃口を向け
その場で倒れて血を流した者が
仲間として同胞として
兄弟姉妹として親子として
互いを守り合う関係に生まれる


あかの他人だから赦せず
裁いて差別したり非道な扱いをしたり
その血脈を滅ぼしたりした相手のことを
家族としてなら愛せるのか?
その命を大切に出来るのか?
人としての尊厳を守れるのか?

そんなことを提示されながら


時に殺人者(加害者)と殺されし者(被害者)
命を奪い夢や希望や未来を奪った代償として
その子に惜しみない時間と労力をかけ育て
金銭を投資するという償いを行うもの
反発し親を困らせ苦しめるという復讐を経て
互いを赦し赦される関係へと至る者同士もいる

過去の恨みをはらすがごとく
仕返し的に親の財産を食いつぶし
苦しみを与えるという
それもまた学びの関係

どうにも避けられないところに相手を追い込んで
精神の成長や心の葛藤から気付きへと導くために






①の方で触れた
チャクラヒーリングのクライアントさん
彼女とお母様の御縁が
今に至るまで続くことになった原初のきっかけは
親方とその弟子(人身売買によって売られた子)
という関係性だった
とてもクレイジーな親方で口も気も荒い
いつも怒鳴ってばかりの暴力的な親方で
恩着せがましく弟子たちを怒鳴り散らし
けなすことはあっても絶対褒めない人

なんでこのような人と出会ってしまったのかというと
それはその前の人生でカソリックの修道士だった時に
人の善良性を信じて疑わず
このような親方のような人間がいたとしても
「話せば誰でも分かり合える」
「根っからの悪人はいない」
と信じていたので
この種の人間相手とのトラブルに愚痴を吐き嘆く人に対して
「あなたの愛と忍耐が足りないのです」と説いていたので

では、あなたは愛と忍耐を実践できるのですね?
このような相手でも分かり合えると仰るのですね?
というお試しで導かれた人生でありご縁

そうした経緯で結んだ学びのご縁から
4度目の正直が今生だったりするのです


このようなケースでは
過去のいきさつを知り 出会った理由とその意味を知り
互いの学びが何であったのかどこにあるのかを知り
過去生の自分の傷を癒し解放して書き換えをすれば
あとはこの情報をどのように受け止めるのか…
今の人生にどのように生かしていくべきか…

になります


幸いにしてこのクライアントさんのケースでは
彼女自身 様々な霊的な知識を学んできた人で
セルフヒーリングのスキルも持っている人ですので
知り得た情報を理解した上でちゃんと咀嚼して
今生での関係性に反映させていくことが出来るかと


そして家族に対する遠隔ヒーリングのご依頼
本来はこんなご時世ということもあって
家族みんなの健康と氣の充実を願っての
単なるヘルスケア目的のレイキヒーリング
…のはずだったのですが

遠隔だからこそ
出来ないこともあるし出来ることもある
今の時期だからこそ 依頼者の方にとって
知ってもいい知るべき時期だったからこそ
様々な情報をお教えすることになりました

クライアントさん自身 
レイキもされるしスキルも知識もあるし
常日頃ご家族のことを
自主的にヒーリングされているのですけれど

どうしても当事者というか
家族であるがゆえに見えないこと
(目が曇るわけではないけれど)
近い存在でありすぎるが故に
盲点なことってたくさんあるものだと…

それを第三者視点からの客観的な情報として
知る必要性があったのでしょうね

ご家族の過去生の履歴や今生の課題
ご縁が出来るに至った相関図を知ることによって
今後ご家族に対してヒーリングをしていく上での
姿勢すなわちどういった流れや方向性でやっていくかとかの
指針を得られることが出来たのでは?とも…思いました

私が出来るのは
それぞれの関係性を癒すことや気付きへの後押し
互いに存在する感情的なしこりなどに対する働きかけ
未だ彷徨っている過去生の人格や出来事の解放

その位なんですが

ちなみに
こうしたまとまった家族単位でのヒーリングは
因縁解消とか先祖供養とか
そういったものにも多少通じるものがあるでしょうが
似て非なるものだとお断りしておきます


いつも思うのですけど
そのようなセッションを通じて私自身
毎度まいどの気付きがあるというか
今回も改めて色々と考える機会を持ち
大きな学びを得られることになりました

今まではペア単位はあったとしても
ここまで大人数の方たちのヒーリングを
まとめてさせて頂いたのは初めてでしたので
いっぺんに大勢のコミュニティへの
ヒーリングをさせて頂くことで
個人の問題を解決するという方向性とは
また違ったものの見方 
事実を見ていくことにもなるのだなあと
ホント大きな勉強であり
新たな知己を得る貴重な経験をしました

細かいことは書きませんけどそんな感じです



2020/04/04

家族の癒し~属毛離裏/そして家族になる①

「子は親を選べない」
「望んであなたの子に生まれてきたわけじゃない」

とは
子供側が親である存在に対してよく吐くセリフですが

霊的な真理や宇宙の法則から言えば
実際のところ
子供は親を選んで生まれてきているんですよね

必ずしも綿密に組まれたプログラムではなく
時期や関係性が前後したり状況に応じて変動したりと
いきあたりばったりだったりの
多少ランダムなところはありますが

どのような親のもとに生まれるのか
どのような人から学びを得るのか
その人物との関係性で解消したいこと

そのような指針があっての今生のご縁なのです



最近たまたまなことですけれど
親子関係に対するヒーリングが二件ほど続きました

御一人はチャクラヒーリングでお母様との問題
もう御一人の方からは
家族全員(三世代)の遠隔ヒーリングのご依頼でした

それぞれとも
今回が初めてのご縁というわけではなく
前者の方は今のお母様とは4回目の出会い
後者の方は何しろ人数が人数なので
家族全員が色々と複雑に絡み合った過去を持ち
様々な相関図があっての今生での家族(一族)というご縁

カルマの貸し借りというか
多種多様な人間模様ありきの今なのだと
それぞれに人生ドラマがあって
感情的なしこりから来る微妙な距離感とか
贖罪的な罪滅ぼしとか湾曲した誤解とか
なんかまあ色々とあるわけです

そのようなものがあって
お互いに対する理解を深めたり
新たな挑戦や償いやら学びの為に
人はまったくのあかの他人から
血肉を分け合う家族になっていくのだと
その道を選ぶものなのだと
そう思った次第です

家族であるというのは
相手を赦し受け入れ愛したり愛されたり
理解しようと努めるための人間関係の最終形態であり
究極のお試しステージであるのかも知れません

ちなみに
夫婦(パートナー)の場合ですけれど
一度結婚した相手とは学びのために
最低でも3回は出会うことになるのだそうです

仏の顔も三度までとか
三度目の正直とはよく言ったもので
やり直しと軌道修正 
互いに対する理解を深めるためだったり
前回の失敗や反省点を生かして
今回は好ましい関係を作れるか否かとかいう
お試しの意味も含めての再会は3度の法則
もちろんもっともっと絆を深めて
より良い関係を築き共同作業をしていくための
再会としての結婚もありますけども



夫婦のことはさておいて

親と子というのはこれまた不思議な縁(えにし)です

ちなみにどうでもいいことですが
私の親や姉は過去生は盗賊で殺人も犯しており
とても罪深いことをしていた人なので
今生でこのような仕事をする予定だった私は
彼らのその罪を背負う(贖う)意味でも
この家族のもとに生まれてきています

父に関して言えば
他人からお金を盗み奪い取っていたので
親として(このような仕事を将来する)私を
養い育てること(養育にお金を使う)ことで
過去の浄財をしているのですね

その割にはかなりケチだったケド

母に関しては私に対する誤解から来る逆恨み
そのような捻じれ歪んだ物の見方から生じた
負の感情の解消と謝った観念と思考を正すため
ちょっとこのあたり一言では言えませんが
母親という養育者になることでその観点から
私を理解する必要があったのですね


でも彼らがそのような学びをクリアできたかというと
残念ながらあまり出来ていないようですね

ここいらは私が指導(指摘)することではなく
物理的次元での関係性と立場から
娘として親である彼らから与えられた経験を踏まえて
感じてきたありのままを反応し表現(行動)するだけです

連絡を取るとか取らないとか距離を取るとか
親愛の情を示さないこととかすべて

それもまた孝行で
私しか彼らに与えられないギフトでもあります




最初から良き親になれる人は一人もいません
そして感じ方というのは人それぞれなので
他の人にとって良き親であったとしても
別の人にとっては良き親とも限りません
親子兄弟姉妹と言えど相性もありますし
霊的成長のレベルは皆異なっているのです

何度か人の親という役割(仕事)を経験して
修練して良き親そして良き配偶者になっていく
みながそのような経験を積むわけです

もちろん結婚や親としての経験が豊富だからと言って
その道の達人で卓越した手腕が身に付いて
必ずしもいつも上手くいくということもなく

相手が変われば
新たな人間関係ややり方を構築する必要があり
その都度創意工夫と忍耐が求められます
まあ未経験よりはスキルのある人の方が楽でしょう
でも経験したからといって
その経験から学べているかどうかはその人次第

さて
家族の霊性・霊格は決して同じではなく
それぞれが置かれている魂のステージも
今生の課題も方向性もノルマも異なっていて
バラバラであることのほうが多いです

※霊性のレベルを学校教育に例えると
父親が幼稚園児 母親が小学生 
兄が中学生 妹が大学院生とか
学年も学力も異なったもの同士が
学年や学力の順列とは比例しない形で
(年功序列にはならず)
玉石混合に組み合わされて
家族が構成ということが圧倒的です



霊性高く人として優れた親のもとに
極悪非道な子が生まれることは珍しくないし
未熟で人として半人前の親のところに
賢者たる子が生まれることも少なくありません

子を養育するのが親の立場で
教育や躾など人としての生き方や道を示すのが
親の最たる役目であると説かれてもいるし
それが理想ではありますが実際のところは

その子を育てることで
自分を育て直す機会を与えられている親は多く
子供の方が親を教え育てる教師の立場にある
親子関係も世には実にたくさん存在しています

親のカルマ(咎罪)を背負って生まれる子もいますし
大きな気付きを与えるためにその身を与える子もいます

もちろん親の側も本来の親として
未熟な子に善い影響を与え 正しい道に導くために
子のカルマをともに背負って生きようとして
迎え入れる人々も大勢います



引き寄せの法則が働いていることが基本ではありますが
生まれる環境すなわち
親を選んで生まれてくるということは
霊的修養の場を選んできたということ以外の他なりません

霊性を高めて神体を成長させるという
魂の目的を叶えるための神的プログラム及び
カルマのレッスンなどを織り込んだ
今生のノルマの指針で計画書たるブループリント
これを実行し達成するために最適な環境を
物理的次元で得るがため
もっとも最適だとして選択された場所

それがための親(環境)の選択だからです

ギブ&テイクの関係だと言えば
なんか言葉が軽くなってしまいますけどw

親子関係そして
兄弟姉妹や家族として生まれるということは
互いにカルマを与えたり与えられる関係性であると
双方向性で相手に対して必要なもの(学び)を与えられる
究極の学びの関係であることは否めません

修業と言えばそうだし
逃れられない宿命と言えばそれもそう

夫婦はともかく親子って簡単に縁は切れませんからね
疎遠になるのはとても大変なこと

だからといって自分を苦しめる家族から
逃げてはいけないってことではないのです
簡単に縁を切ってはいけないとか
そのような意味ではありません

ただ家族の問題には今生のテーマそのものが
そこに存在するといっても過言でないので
その問題そのものから逃げるな
直視して立ち向かうべきであるという意味はあっても
どんな親であっても縁を切るな見捨てるな
家族であり続けろってことではないのです

毒親と縁を切って逃げるという苦渋の決断と行動も
その選択こそ今生の課題である場合もあるのですから


そしてここまで書いて一度でまとめられなかった…ので
もうちょっと書く必要がありそうです

というわけでとぅびーこんてぃにゅー

2020/04/03

春は別れの季節

私が属するこの種類の業界・職種も
コロナ騒動の影響を受けていますが
色々と自粛が望ましい時期ですので
それはそれ致し方ないこと

同じ危機的状況と言っても
急に他国に侵略されたり戦争しかけられたわけでなく
大地震とか津波とか富士山の大爆発とかで
国土が喪失され破壊され一気に何もかも失うような
未曽有の大惨事に見舞われたわけではなく
核爆弾という炎の塊や銃弾という鉛の雨が
降ってくるわけでなし

ただ祈って各自が出来ることをするだけです
私の場合は職業が職業ですので
やはりエネルギーワークを行うこと
魔女としてシャーマンとしての祈りを捧げて
この地球がバランスを取り戻して
人類が選ぶ未来をサポートすることだけですね

あ 
あとblogを書くこともですかね
有益な情報なのかどうかはわからないけど
必要としている人や楽しみにしている人がいるなら
時間あるなら書けーという話で

そして落ち着くまでは対面は先送りということで
リモートセッション(遠隔ヒーリング)などを
夜中にすることが多くなりました
※家全体に行うので寝静まった頃の方がベスト

もちろん対面希望者の方は受け付けています


春は別れの季節です
今年はその別れを味わうことが出来なかった人や
突然の不足の別れを味わうことになってしまった人が
大勢いますね

出会いとは別れの始まりであり
いつか来る日とはわかってはいるけれど
それでも悲しいと思う気持ちは止められません

物質的なレベルでの肉体や人生
すなわち人の命には限りがあるので
いつか訪れるその日を避けることは
どうあがいても出来ませんが


先日30年来の友人とサヨナラしました

死別ではなく物別れ
ご縁が途絶えたという話です

友人は三人の子を持つ母であり
仕事も複数抱えていて
それ以外にここ10年位は
親の介護や看病だのなんだの
いつも忙しくしていましたから
密に会うことは出来なくなっていたんですが

だからこそそれがお互いにとって
ちょうど良い距離を保てていられたのでしょう

思えば
少しずつ価値観とか"合う"ところや共感できる部分が
ズレて行っていたのだと思います


ことの発端は彼女が昨年
とある健康食品を薦めてきたことなのですが
マルチでもネットワークビジネスでもなく
その商品(モノ)がいいのは理解できるのですが
(もともと知っている素材ではあったし)

私としては
「こういうのいいと思うよ~すごくオススメ」
と情報を提供した上で軽く薦めてくれる程度なら
「ありがとう。どれどれ、ちょっと調べてみるよ」
と反応して興味が持てれば買って試してみる
で済むのですが(普通はそうですよね)

わざわざそのためだけに呼び出して
熱く語りだしてセミナーに出るべきだと
予定があるのでと断っても食い下がってくる
マルチやネットワークビジネスの話や商品でないのに
(定期購入のシステムで販売しているもの)
やり方がマルチとかネットワークビジネスとか
新興宗教の勧誘そのものなのでその時点で引くわけです

あなたが心配だからあなたのためを思って
…の常とう句も洗脳状態でのセリフと同じ

こちらが断って このようなやり方は
望ましくないといくら話しても通じない
…というか人の話聞いてないですしねー

延々と商品の良さを語るわけです
夢遊病者のように

(コレさえ飲めば病気にならないとか
どんな病気も怪我も治るなんて魔法の薬はありえません
そんな売り方は薬事法違反やないかい!
ガンも直すって紅茶キノコかよっっ
そんなんなら医者いらずでノーベル賞も取って
加工業者は特許で莫大な富も築き万々歳なはず
ソレが人の健康に良いのは事実でしょうが
効果に関して妄信的で過大評価がすぎるのです
それに私はいくら健康や体によくても
高いお金払ってマズイものはごめんです)

この状態では正面切って正論言ってもダメです
言うことは言ったつもりですが
少し様子を見ることにしました


季節の挨拶とかいつも通りにしていたのですけど
そのメールにもいちいち
「〇〇のお陰で私は幸せです・・・」と
延々に〇〇の素晴らしさをキャッチコピーとして
どうでもいらん情報をつけてこられてまして

で 
このコロナの騒動です

「やはりあなたはコレを飲むべきだ」と
延々と長いメールをまた送ってくれたわけですね


彼女がその販売業者(代理店業者)を始めて
こんなんあるけどよかったら買って~
とかいう話だったら
彼女の売り上げに協力することになるから
まだ考えたかも知れない
それで自分の健康のためになるものなら

でもそうではないし
ただ「買うべきだ 飲んだほうがいい」と
その商品の聞きたくもない素晴らしさを
延々と語られるのは正直鬱等しいものです

ギフトされるのならまだしも

なんで
「私たちはガンをコレを飲んで治しましたー」って
人々が号泣して自らの人生を語っているセミナーに
出なきゃいけないの?ってのもある

私の職業からすると
「いや、あなたが病気になったのは
 あなたの生き方や自分に対する感情
 他人に対する考え方が間違っていたからですよ?」
の一言なんで

でも私が何をしているのか
私の職業がイマイチわからない彼女に
それを話してもたぶん通じないので
(誰に話しても通じないですね)

いやさそれ以前に
このようなやり方自体
人間関係においては間違えているわけです

早い話がこれは彼女の承認欲求のひとつ
これもコントロール欲求なんですよね

私のため相手の為と言いつつ
彼女が自分のためにしていること
自己満足を得ようとしてして行っていること

彼女は友人知人の健康を守り
助けられる自分になりたいだけ
何か出来る自分になりたいだけ
そしてその〇〇を飲んでよかったと
相手から感謝される状況を欲しているだけ
自分の周囲の人々が
病気を治して健康になって欲しいと望んで
その状況に貢献できる自分になりたいだけ


私がこういうのは気分が悪い
不愉快なことだから止めて欲しいと訴えたことに対して

不快な気持ちにさせてしまった申し訳ないと
自分の行き過ぎたお節介を反省するよりも
自分の言うことを信じてくれない
私のことを想う気持ちを私が受け入れてくれないと
怒っちゃったわけですから

どう考えたって私の事より自分自身の事が大事だという
自分が私を傷つけてしまったことより
自分が私によって傷つけられたことが
彼女にとって大きな問題で怒りポイントなんだから

ここに愛の奪い合いが発生しているわけですよ


彼女のことは今でも好きです

共感力も同情心も豊かで
ボランティアとかにも熱心な愛情深い人で
色々と尊敬しているし敬愛していました
3.11の時にも東北に自腹で駆けつけていましたし

でも
私が不用品をフリマやネットで販売して
売り上げを募金活動しているときに
彼女が色んな人から集めてこちらに持ち込むものは
"廃棄するしかないような衣類"

つまり後進国に寄付しても失礼でしかない衣類とか
値段をつけることにかなり躊躇する
持て余されていた家庭の不用・廃棄品ばかりでした

8割くらいがそうしたもので
分別して捨てる方がかえって大変でした
中には粗大ごみもありましたし

そういう意味で
ちょっと解っていないところもあったんです

純粋な親切心と好意から来るものなので
それを追及することを当時はあえてしませんでしたが

今となっては
そういうことを色々話しあえてこなかったことが
悔やまれます

でもお互いに込み入った話をする時間を
とれなかったしとることも不可能な状況で関係だった
(互いがそういう時間を作る努力をしてこなかっただけかも)
それもまた事実です


もうこれは切れてしまうのなら仕方ない
きっと彼女に必要な経験なのだろうとも思います
痛い目にたくさん合うかも知れませんが

そして彼女自身が抱える問題
彼女が今回表している態度の中に
私自身の過去の問題を見つけて反省し
愛ではなく怒りで反応してしまった自分にも気づいて
これは私自身の過去の手放しでもあるのだと
そういう象徴的な出来事なのだろうなとも思っています


サヨナラはしたけれど
彼女の事を好きなのは今も変わりはないし
嫌いになってなんかはいないのです
今はただ彼女の無事と心の平穏と
気付きへの道と今後の幸せを願うばかり

彼女のことはもう神様にお任せして
私は遠くから見守るだけです