2020/08/11

誠心誠意〜克己復礼を仁となす

例の如くblogのテーマから逸れた
個人的な呟きなので興味ない人はスルーしてください


私がヘアカットをお願いしているスタイリストさんは
フリーの方なんですが昭和生まれの私よりお兄さんで
お願いですから長生きしてくださいねって
なんかまあそんな感じw

して つい先日伺った時 話の流れもあって
ここにも書いたライブのことなどを愚痴ったんです

それなりに人生経験を積んでいる方だし
何よりもお客様あってのサービス業をされている方
細かく私がすべてを話さなくても核心に触れる前に
大体の流れでいわんとしていることを解って下さる

「そう! そう! そうなの!!
 何に腹が立っているかというと
 そこなんですよ!!
 その点なの!!!」

なんかそういうこちらの
「気持ち」をちゃんと分かって下さる方がいると
ホッとするというか救われる気持ちになりますね

ちなみに
芸能人やミュージシャンとかいわゆる業界人も
クライアントにお持ちで業界の裏事情も知っている人
そのような業種の方達のあるべき姿勢っていうのかな
かくあるべき対応っていうのについても一言お持ちで
そのような意味でもお話してだいぶスッキリしました


そしてこんな素敵なブローセットをいつもしてくださる
これを自分でも再現できないのが悩みの種



こころが無い対応がね 問題なんだよね
 そこに人は傷つくんだよね
 ファンを傷つける心のない対応をしていること
 それはバンドの責任だよ
 
 バンドの資質というか姿勢がね 
 事務所やファンクラブやスタッフとか
 末端にまで現れるものなんだから

 ちゃんとファンを大切にしている謙虚なスターはね
 末端にいるスタッフにまでその精神が伝わっていて
 そりゃいい仕事するから
 それもバンドのカラーで個性で人柄でね
 そういうのってちゃんと出るんだよ
 お知らせの方法ひとつにもね」


「それ まずいよね
 直前で追加記載とか変更あったなら
 ちゃんと誠心誠意説明して謝罪して
 そこをちゃんと説明すれば誰しも納得するのに
 それをしないってダメだよね
 楽しみにしていたファンの気持ち踏みにじったんだから
 自分たちがそれをしているってこと
 気づくべきだし指摘されたらさ謝んなきゃ

 それに
 プロモーターがwebで掲載する文章は
 バンドが事前に絶対チェックしているはずだから
 その時点で口出ししないのダメなんだよ

 自分たちのファンに向けて伝える言葉だもん
 デビューすぐのひよっこならまだしも
 私たちの大切なファンにこんな言い方だめですよって
 ちゃんとここは書いてください 
 この文言は入れて下さい謝罪文書いてくださいって
 食ってかかんないとダメなの

 もしそういう文章を掲載できなかったとしても
 間に合わなかったとしてもさ

 バンドのリーダーが 
 自分のSNSで
 ちゃんとファンに伝えるべきことなんだよ
 今はそれができる時代なんだから
 一部の方には申し訳ありません 
 こういう事情でこうなったんですって

 ファンを守ろうとしないのって終わってる
 ファンを大切にしないバンドだってことだよね

 自分たちがさ 誰のおかげで食べられているか
 今があるのかわかってないんだよ」


そして大物タレントの某さんや誰それは
どれほど謙虚にファンを大切にしているかとか
「皆さんのおかげです」と常に気取らずで
スタッフで心を一つにして一枚岩の
素晴らしいチームを作っていますよ
なんて話もしたりして

そうなんだよね そこなんだよね
音楽やっている人はそうあって欲しいよね
歌って「こころ」なんだから
人間性って大事だよね
とかとか



ほんとね 
最近はこういう話が伝わる人が少なくなりました
なんかなー 昭和生まれにしかない感性なのかな

とにもかくも話通じる人と話すともやもやが晴れる

公式Twitterに私がクレーム書いたことに対して
「わがままじゃね?」みたいに叩く人いたからさ

なんでみんなそこ怒らないわけ?
おかしいって思わないわけ?
突っ込まないの???

でしたし


そうなんですよね
最初は普通にライブ開催しますって告知で
先行予約の日付だけで電子チケットになるという
そういう文章はまったくなくて
今からFC入れば先行予約間に合いますからって
メルマガでも入会をひたすら促しまくって煽って

先行予約前日になって「追記」というページになり
購入はスマホのみですIpadやPCでは購入できません
それだけその文面だけ

電子チケットになった経緯や
電子チケットでは購入できない人への
説明(謝罪)はいっさいない
一言もないまったく触れてもいない

そのことに問い合わせても返信なし
公式Twitterのライブの告知にクレーム書いてもスルー
バンドリーダーも自分のTwitterで
公式Twitterへのファンの書き込みも
全部読んでますからと書くも(読んでるとアピる)
そのような疑問や購入者制限があることに対しては
触れずにスルー

なんなの?? この人たちって思うよ

直前まで入会勧誘しておいて何ソレですのよ
騙してるっていうか詐欺じゃん

先行予約でチケット買えますよって言って
買えないんじゃん買えない人いるんじゃん

チケット買えないなら 
期限切れのままにしておいて
再入会しませんでしたよ??
このコロナ禍でみんな懐厳しいんですよ?

購入者制限があるなら 条件があるなら
そしてそれがコロナ対策のせいであるなら
こうした状況下やこのご時世で
開催するためにはそれしか方法がないというなら
それは致し方ないことではあるけれど

楽しみにしていた気持ちを踏みにじられて
その辺りの説明が一言もないのって
不誠実ではないですか?って書き込みしたのに
スルー

そして
「抽選外れたと思ってあきらめれば」
みたいに非難されちゃう

なんか人の気持ちがわからないこんな人たちと
同じものを好きでいたくないわとも思いました

(ハマショーなんて
今年から来年までライブできないから
希望する人にはファンクラブの会費返金するよーって
めちゃくちゃ誠実な対応してくれてるんですけどっっ)

なんでもコロナ禍対策のせいにしないで欲しい

コロナだから仕方ないのが現実ではあるけど

コロナだから仕方ないんですからって
一方的に理解を求められることではないと思う

コロナを言い訳にして
企業として 人としてやるべきことをしないのって
本当に不誠実だし いい加減だし
愛のない 心のない 思いやりのない
常識も道理も何もない人たちだって
心の底の底からがっかりした

本当に 企業として 人としてどうなの?ってこと

誠実さのかけらもない

コロナ禍だから こんな時代だからこそ
人間的な対応を省略して
触れ合いを制限しないといけない状況だからこそ
その裏にある「人間らしさ」「心」を
大切にしないといけない時代であるのに

歌って 音楽って 
心や思いを伝えるものであるのに
人と人を繋ぐもので 人に聞かせるものであるのに
人の心に届けるものであるのに

そして歌って「言葉」を紡いだものであるのに

その大切な言葉を疎かにして 軽んじてて
人の想いや心を踏みにじるやり方をして
何が日本の心を 精神を世界に伝えるだ!!

ふざけんな!!

いったい人としての当たり前のことができない
人の「こころ」ファンの思いを平気で踏みにじる
こんな人たちの奏でる音楽に 歌に
何の価値があると言うのだろう

歌詞だって 
今まで彼らが音楽に対して語ってきたことも
すべてが嘘くさい


今まで応援してきた5年間を返せー!!ですし

50年は音楽を聞いてきたロックファンで
U2のボーノが40年前に来日したとき
「日本人は日本人らしい
 日本人にしかできないロックをやるべきだ」
と言っていて
だから彼らがでてきたとき
「ボーノ!! 出てきたよー やっとだよー」と
MVのURLを「見てみて〜!!」とかしちゃったけど

そんな自分の行為がアホらしい
馬鹿だ私は 井伏鱒二の山椒魚くらい馬鹿だ


そして
壇ノ浦に沈むはずだった楽器とともに落ち延びて
その時の雅楽器たちを戦災で失うまで800年間
大切に保管して 明治維新で色々あるまで
音楽を愛でていた先祖を持つ子孫としては

「私はお前らなんて
 絶対に認めないぞ!!」

って今はいいたい

心のない対応をする輩に 
心を大切にしないミュージシャンに
日本の精神とか音楽を語って欲しくない
日本代表みたいな顔して海外の人に
アピって欲しくない 
進出なんかしてくれるな!!

そんなに海外市場は甘くないぞ

マジほんと

歌はさー 技術じゃないんだよ
こころなんだよ
綺麗な声だとか 声量があるとかそんなんじゃない

魂で歌うものなんだよ 楽器だって魂で弾くものさ

なんかそういえば
彼らの歌を聞いて泣いたことなんてなかったな
ライブも楽しいだけのイベントだったな
曲も綺麗なだけの曲で上っ面だけだったな

こんなコロナ禍で落ち込んで辛いときに
元気付けてくれたり慰められる歌ではなかったよ

魂の奥底まで響いて届く歌は
エネルギーと癒しをくれたのは
別のアーティストの歌だったよ


(昨夜の夢に何故かとても綺麗な箱に入った
龍笛が出てきたのでした 
琥珀みたいにとても綺麗で美しい龍笛
戦後までかろうじて残っていたのは琵琶なはずですが)

2020/08/09

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン③

当初このテーマについて書こうと思ったのは
これから書くことについてであり
①と②については念頭になく
さらっと書くだけのつもりだったのですが

何かが降りてきて勝手に書き始めたんですね

おそらくではありますが
先に書いた内容を
読む(読ませる)必要のある人がいたのでしょう

画面の向こうにいる見知らぬ誰かへのメッセージ

それらを託されたというところ
書かされたというか まぁ

そんなことはよくあります

頭の中で練っていた文章とは別の方面に
書く内容がいってしまうことは

それが誰宛なのかは解りませんけれど



さて今の時代うつ病で悩む人は多いようです
私の知人にもいますし
クライアントさんにもいます

うつ病の人の課題(カルマのレッスン)については
過去のどこかでも書いたと思うのですが

うつ病に悩む家族をなんとかしたいと
相談される方をお見受けするたび

どうもこれって
うつ病患者である当人自身の問題というわけではないな
ということを改めて認識させられます

本人自身がうつ病にかかることによって経験し
学ばないといけないことがあるのは勿論なんですけど

やはり家族にとっても学ばなければいけない
レッスンあってこその完治せず…なんですよね

夫婦にあっては奥さんが旦那さんがうつ病になった
親子にあっては親御さんが子供が…と
そのような形で悩まれ問題解決の方法を求められて
相談に訪れて下さるわけですが

やはりここには相談に来られる方自身の
コントロール欲求という問題が隠れているわけです

親子の問題に関しては
①と②に書いたことがほとんどというか
理由にあまり大差がなかったりしますが

夫婦の問題だと
奥さんの側に他人や物事を思い通りに操作したい
あるいはそれができないでいる現実に対しての
フラストレーションがまずあって
なおかつ
旦那さん(他者)に対する愛情や理解力の欠如といった
そういう学びの課題を持っている人がほとんどです

あとなんだー
うつ病のパートナーに悩まされる人の特徴として

自分はまだ本気出してないだけ〜っていうのかな
私はもっとすごいこと出来る逸材なのに
そこを誰も評価してくれてない!!
私はこんな扱いをされていい人間じゃない!!
こんなところに埋もれてていい人間じゃない 
プンスカ!!

みたいな妙な慢心や傷つけられた歪プライドを
隠し持っている人が実に多いんだけど
これは過去生の人生から来る特徴と言えるかもしれない
(ようするに過去生において
身分ある立場や自分に与えられた権力を勘違いして
それを執行してやらかしてしまった人の特性か)


なんていうのかなー
本人気づいているかどうかわからないけど
どこかで旦那さんのことを「こいつ馬鹿じゃね?」
みたいに冷めた目で見下していたりするのね

それは病気になったことに対してではなくて以前から

旦那さんのことを認めてないというか
密かに嫌悪していたりとか理解を拒んでいるというか
相手を蔑んでいる気持ちを隠している人だったりする

まぁだから結局は愛情の問題なわけです

愛情を試されているといいますか
この場合 夫婦(男と女)の愛情というより
人としての基本的な愛情のことを指しますが

だから
旦那さんの方にもその人なりの理由(因果関係)があって
うつ病に罹患するわけで
そのことから学びの時間を持つことになるし
否応なく必要な経験をさせれるんですけれども

配偶者たる奥さんの方も別の角度から見たときに
家族とくにパートナーのうつ病に悩まされる必要があり
歩み寄って共に向き合わないといけないという
やはりその人なりの理由(因果関係)があるわけです

そうですね
他人の気持ちに寄り添う経験がとくに必要かな
あとやっぱりこういった場合
うつ病に罹患する側も悩まされる配偶者や家族の方も
感謝することが圧倒的に足りない人であるのは否めない
(そういう過去生や今生を生きてきてる)


だから
過去の因縁があって出会った夫婦というよりも
それぞれに必要な学び(痛み)を
お互いに与えられ与えることができる相手だから
引き寄せあって夫婦になりましたって
そんな組み合わせの人ばかりでしたね


でも困ったことに
そのこと…自分が変わらないことにはというかー
自分が学ぶべきことを知って
それを身に付けられないことにはってところ

ここは本当に当人が心で知るべきことなので
言葉で説明してもあまり意味がありません

そもそも言葉で説明してそれで理解できるのなら
そのような状況には置かれませんし
片方だけのことではなく双方にそれぞれ
異なる学びが存在しているので
片方が自分のレッスンを終えたからといって
もう片方もクリアできることってのでもないので
そこはそれ

その後も相方のレッスンに
付き合う必要性が生じるわけです
(サービス残業?)

ここにも愛のお試しがありますね


てなわけで
パートナーや家族の鬱病で悩んだり
それを問題として捉えている人は

相手がうつ病という状態を通じて学ぶべきことが
なんであるのかを知ろうとするのと同時に
自分が抱えているであろう問題についても
きちんと振り返って欲しいのです
自分は何を学ぶべきであるのか
家族のうつ病を通じて自分が理解しなければいけないこと
他人に対する姿勢や考え方の誤りや歪みなどについて
自分をチェックしてほしいのです



さて①と②のまとめ

優しい虐待という言葉があります

植物に水を与えすぎると
かえって植物は枯れてしまう
栄養分を与えすぎると
丈夫な植物になるかと思いきや
軟弱な植物になってしまうし
果実も味っ気なく美味しくないそう

トマトなどが良い例で
水を与えすぎると甘くなく水っぽいトマトになる
けれど水やりをギリギリに抑えて
トマトが飢え渇いたところで水をやる
するととても美味しいトマトになるそう


戦後の物のない時代に苦労した親たちは
自分たちが苦労をし ひもじい思いをしたから
せめて子供にだけはそのような思いはさせまいと
一生懸命に働き お金と食べることだけは
物には不自由をさせないように頑張ってきた
(と思います うちの親は違ってたけどw)

けれどその結果
親子の時間が減り 家族の会話が減りました
勉強や習い事をさせて
何か身につけさせることに一生懸命になって
子供に手伝いも何もさせない親が増えました
させないことのないには我慢も入っていて

属する社会は家庭と学校だけで 
兄弟姉妹の数も減ったこともあるし 
兄弟の友人や近所の子供と遊ぶ機会もなくなり
学校以外の外の世界において
別の価値観や子供社会を学ぶ機会が無くなりました
(遊びを通じて集団生活のルールを知る機会です)
同時に逃げ道もなくなりました

お金も食べ物もねだればすぐ出てくるもの
親は自分の望みを絶対に叶えてくれるし
自分のためにいつまでも
働き蜂としてお金を運んでくれる 
そんなふうに考える人が増えました

必要以上に甘やかされた環境の中
挨拶をしなくても怒られないし
喧嘩をすれば親が大騒ぎをして問題になるし
悪さを叱ったり叩いたりしたならば
すぐに体罰だの虐待だのと誤った非難が生まれる
神経質なほどに守られた無菌室とも言える時代において
コミュ障も増え 
ロボットみたいに自分の感情さえわからないという
人の痛みがわからない機械的な人材が増えてきました
与えられて当然 他人がやってくれて当然と思う人たちが
あと被害者意識の強い人も増えたよなぁ

別にこういうのは若い人たちに限ったことではないです
そのような考え方を持つ人たちが
矯正される場(土壌)が社会において失われてしまった
他人の誤りを指摘することがよしとされない
「おかしいこと」を「おかしい」って言えず
注意することは悪で問題提起する方が悪いって風潮の
いびつな世の中になってしまったって感じでしょうか


児童虐待がループするのはよく知られていますが
人間を弱くする子育てや親子関係の根深い問題は
どこかで連鎖を断ち切らないといけません

そのような負の遺産は次世代に持ち越さず
それと気づいた人が子孫に与えぬよう
己が傷を癒していくべきなのでしょう

2020/08/07

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン②

大変な時代は強い人間を生む
強い人間は良い時代を作る
良い時代は弱い人間を生む
弱い人間は大変な時代を作る

byロシアの諺より

※日本の親の
 何でもしてあげる買い与えるなど
 子の要求を満たすことに専念する
 過保護な子育てに関して
 ピロシキーズの小原ブラス君が
 上記の言葉を思い出して記述していた



すべての子がそうなるわけではないが
家庭や母親の不安定さが
子供の心理状態に影響を及ぼすことは間違いない

子供の不登校で悩み 
相談にやってくる人のほとんどは
偶然の一致やたまたまかも知れないが
過保護や母子癒着という
親離れ子離れ出来ていない
双方が自立できていないケースだった

豊かな時代が故に
親は子供に物だけでなく時間も手も与えすぎ
先回りして歩くであろう道から
すべての危ないものを取り除こうとする

ようするに
子供から自我の目覚めを奪ってしまう育て方

一言で言うなら手をかけすぎるわけ

心配しすぎるし全部を把握しようとしすぎる

つまりはコントロール欲求

自分の人生の代替物として
思い通りには上手くいかなかった自分の人生を
子供の人生を代償としてコントロールすることで
埋め合わせようとしている

そして本来ならば
母親はパートナーたる配偶者に求めるべき役割を
小さな恋人としての子供にそれを求めてしまうから
共依存っていう病み歪んだ親子関係も生まれてしまう

夫婦や恋人同士の共依存ってのは
なんだかんだ他人だから
離れて距離を置くことで解決することもあるけど
親子の場合はなかなかどうして厄介だったりする

昔は子供の数が多くて何人もいたから
一人に手をかけてられないってのがあって
よしんば兄弟姉妹間で
えこひいきや差別があったとしても
特別扱いされない子が複数いるならば
自分だけがはぶられているわけではないってことで
それはそれで兄弟姉妹同士で連帯感も生まれやすく
他の兄弟姉妹を手本にして育つこともできるから
親をあてにしないで
それぞれが勝手に自立する環境が整ってた

けれど今は多くても二人とか一人っ子とか
兄弟姉妹の数が減ってしまったこともあって
親の愛情や関心の方向性を
一人で背負わないといけない子も増えてしまった

ぶっちゃけ一人っ子に限ったことではないが
親の愛情と関心を一身に受けすぎた子は
精神的に弱いしほんの少しのことで挫けてしまう
脆すぎる子が多い

その反対で両親もしくは片親が多忙
あるいは無関心の極みで
突き放されて育った子もいるのだが

幼少期の環境において
親に囲い込まれてしまった子は
いつまでも母親の胎内に取り込まれてしまった
カンガルーの子のように
「自分」というものの核を
母親に依存して預けっぱなしのまま生きている
まるで自分の生きる世界は
そこにしかないのだと言わんばかりに
新しい世界への扉を開けようとしない

母親なしには 
母親という養分が常に寄り添っていないことには



そんなわけで
子供の問題で悩んで訪れる方の背景には
カルマのレッスンと言えばそうなんですけれども
必ずその方自身の問題が隠れているというのがあります

というか
お子さんが表している問題そのものが
お母さんの問題を顕現しているのが事実かな

子供が引きこもりだとか不登校っていう人の多くは
そのお母さん自身も社会と断絶した生活をしていたり
周囲の人間関係とくにコミュニケーショントラブルや
コミュニティとの軋轢や和に入れない問題を抱えていて
配偶者を心理的に拒絶して子供にしか関心向けてなくて
独身でもパートナーがいないとか
非社交的で閉鎖的な人が結構多いんですよね

だから子供の問題と向き合うことで
他人と交わって外の意見に耳を傾けて
自分の依存心や依頼心を手放すこととか
精神的自立を問われている

あと被害者意識がやたらと強い
お母さんが多いのも特徴のような気がする
周囲の人はみんな自分を傷つける人だって
そう言わんばかりに攻撃的なほどに過敏に反応する

そしてこれもやっぱり
感謝が足りない人だっていうのも
様々なことに共通することです


まあなんていうか
子供の問題行動 適応障害とか不登校とか
そういうことに悩む人は
まず自分が抱えている問題について
色々と振り返って考えて
そこから取り組んで解決しようと試みるほうが
ベストのような気がします

自分が子供に与えてしまっている悪い影響
そして自分が子供から
奪ってしまっているものについて考えて
この出来事は何のために起きているのか
自分に何を教えようとして起きたことなのか
自分がこのことから学ぶべきことは何なのか
子供を通じて自分が学ばされていることは何か

そういった自分が成長するべきポイント

子供が自分に教えを与えようとしている
教師であるという視点で
一緒に成長しようとするのが正解でしょうね

実際に子供は親に与えられた「ギフト」で
一番身近な写し鏡でもあります

2020/08/05

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン①

子供は親の写し鏡でもある

それは性格や気質が似るというより
母親が抱えている問題を
子供が体現(現実に投影)するという意味合いの話


お腹の中に宿っている時から3歳まで
母と子供の間には
見えない臍の緒(エーテルコード)が繋がっていて
子供は母親の感情をそこから吸収する

胎内にあったときには栄養分そして胎教
胎外から出たあとも母親の放つ氣を
その感情を同化させるがごとく
全身で取り入れているのである

そしてそれらはすべて
第一と第二チャクラに記録される

母親が感じた痛み悲しみ苦しみ
苛立ちや怒りや他人への憎しみ
喜びも慈しみも楽しみもすべて

時に罪悪感や己が存在に対する肯定感や否定感など


チャクラヒーリングなどで
クライアントさんの第一チャクラを覗き見するとき
その人をネガティブに支配するセルフイメージは
過去生からのトラウマやPTSD的体験や
生き方の癖であることももちろん多いのだけれど

十月十日の間に母親の胎内にて
自分に投げかけられた言葉や宿り主が抱く不安
父親たる人と母親たる人の感情的交流
そして出生後に体感した居心地の悪さや良さ
周囲の人たちから刷り込まれた自らの立ち位置
押し付けられた価値観や植え付けられたイメージ

そうしたものによって
殻や制限が加えられていることが圧倒的だったりする

得てして
外部から与えられたそれらは幻想にしか過ぎなく
当人の可能性を縛りつける重石のように機能し
偽りを信じ込み本当の自分を見誤らせるばかりか
人生の大半を無駄に消費させてしまう呪縛となる




だからこそ子離れ親離れといった自立
親と自分はまったく別の個性であり
別々の人間であるということを理解すること

決して自分は親の人生をなぞり模倣するために
生まれてきた存在などではなく
コピーやクローンとして創られた存在でもなく

ただ養育者として保護者として
学びのレッスンを与えてくれる相手として
人生の手ほどきをし
必要な環境を整えてくれる相手であると認識して

自分という存在は
彼らのためにあるものではなく
彼らを幸せにするため満足させるために
生まれたわけではなく

ただ自分のために
自分が自分としてあるためだけに
自分という個性をこの世で表現し
自分らしい人生を創造するために
この世に誕生してここにあるのだと

そのことを知って
親や家族というのはあくまで
自分の人生の構成要素の一部であるということ
自らが成長していくために乗り越えるべき存在で
そのために関わっていく存在であるということを
把握しておくべきである

その過程において
愛が育まれる場合もあるし削られる場合もある

だが
その人のもとに生まれたことそのものが愛なのである
その環境から得られるものすべてが
自分を育む愛という滋養なのである

自分がそこに生まれたことで
自分はすでに
親という名の人にとっくに愛を与えているし
親であるその人たちもまた愛を受け取っているのである

愛の恩送りは既にその時から始まっている

親子として生まれるものの間に貸し借りはないし
あったとしても生を受けた段階で既に解消されている

もし何か恩やギフトを与えたいと願うならば
子であるその人が自分の人生を生きることだけである
自分という人間の個性を花開かせ
満たされ充実した人生を生きることが
親に徳を与えることになる

親の期待や希望を叶えること
彼らの代わりに生きようとすることが
親のためになるわけがない
それは親と子のどちらもの人生をも腐敗させ
世の中に損失を与える生き方を選択することだ

彼らのエゴイズムを満足させるための傀儡となり
自らを殺して生きることは不徳以外の何物でもない




誰かのためになる生き方とは
誰かの偽りの欲望を叶えるために
その身代わりになることではない

子は命を親から
そして子孫は先祖から生を引き継ぐが
その人生も命も別々のもので
決して他人が完成させたかった映画の主役となり
与えられたシナリオと演出通りに演技をして
監督の操り人形としての役者をするために
その命が与えられているわけではない

自分の人生は自分のために
自分で監督になり演出家となり
自らが望むシナリオを書いて
主役として生きるためにこの世にある

誰しもがたった一つのオリジナルの人生を持っている

与えられたレールの上を走る機械的なコマとして
人の人生があるわけではない


・・・続く

ネイタルチャートの月の話〜自分語り

コロナ禍のお陰で暇つーか時間があるので
腰を据えてもっと役に立つ記事を書きなさいよって
思ったりもするのですが
備忘録的な自分記録日記もたまにはご勘弁を
興味のない人はすっ飛ばしてください

また占星学の話ですが説明ではないので
占星学や用語を知らない人には頭の上が「?」
となってしまうと思います ごめんなさい



さて
15年前占いの仕事をやめたとき
占星学の勉強も止めてしまって
書物などもほとんど全部手放してしまった私ですが
それでも時々チャートとかを見たりはするわけです
記憶が曖昧になり忘れてしまったことは知人に
「ねぇーこれってなんだったけー」
なんて聞いたりして(迷惑なやつだ)


マドモアゼル愛先生がご自身のYouTube動画で
「月は欠損である」と仰られているのを聞いて

なんかなるほどなーと納得したのでした

私のネイタル(誕生時)のチャートでの月は
双魚宮(天文学では魚座)に位置しているのですが
占星学的解釈だとこの配置の月は
「12サインで一番優しい」「他人の痛みがわかる」
みたいに言われちゃうわけです

いやそれって過大評価だから
と思うほどには違和感ずっとありましたのです

なるほどASC(上昇宮)も双魚宮だし
ここには土星もキロンもいるから
まったく嘘ではないかもしれない

けれどどちらかというと
「優しい人」や「他人の痛みがわかる人」に
見せかけるのがうまいというか
そのような人に見られる外観的特性は持っているけど
実際のところ

自分って優しいか?

って言うと そうではないのです

むしろ逆だと思う
全然優しくないですよ 

どちらかというとポラリティの反対側にある
処女宮(天文学的には乙女座)の特質があるような
そんな気がしていました

何故って
私は自分の感情も他人の感情も
これはどのようなところに由来する感情であろうかと
すぐ分析して分類分けしたがるからです

そして他人との間に境界線を引きたがるし
人間関係もファイリング整理して
どのような距離とスタンスで付き合うべき人なのか
その人に対して使う時間とか愛情の配分など
それを決めてから関わろうとするからです
常に相手の自分に対する対応(扱い)を見て
その人に対する対応を精査して調整しますし

女性同士のベタベタした
同性愛っぽい付き合い方や連帯感を求めてくる
あの雰囲気はめちゃ苦手だし嫌いだし

他人からされて
一番不快なのは土足で入り込まれること
こちらが心を開いてない相手から
馴れ馴れしくされることはもっとも嫌いで
生理的に受け付けないことだったりします

だからこちらが友人と思ってない人に
こちらが許している範囲以上に近づかれたり
好意や愛情を押し付けられると全力で逃げます
これは異性はもちろん同性でもダメですね
それされると嫌いになっちゃうんですよ

こういうのって
太陽があるところの天蝎宮(蠍座)っぽくもないし
やはり月の双魚宮って感じでもない
しいていうなら水星と火星と金星が
人馬宮(射手座)でオーバーロードしてるからかな?
まぁ土星があるところは一番の苦手分野でもあるから
双魚宮的なことが苦手といえばそうだ

はっきり言って同情という言葉はめちゃ嫌いですしね
双魚宮的なタイプって苦手だし嫌いといってもいい

ええ私は他人に同情できない人です

そう私はたぶん他人の気持ちって
それを理解することが一番苦手分野のような気がします
他人の心が一番わからない人
わかってあげられない人なんだってハイ

だからあえてこの共感能力を持って生まれたことで
この仕事を通して他人の感情を理解するための勉強を
今しているのでしょう

どうしても7ハウスはカスプ処女宮で
しかも天王星冥王星がコンジャクションで居座っているから
他人に対しては厳しく
裁判官みたいにジャッジする容赦のなさありますわ
人馬宮の水星はノーアスペクトで口は禍とすぐ暴走するし
なんていうのかな
相手の弱点をつく言葉が困ったことに私は得意なのです
相手が一番言われたくない言葉
その人を一番傷つける言葉とか
その人にとって痛いことを言って怒らすの得意だし
効果的に追い詰める言葉の毒針を使うのは得意です
あーこれは天蝎宮の天性なのかなあ

他人の気持ちを優しく労る心を持っていたならば
双魚宮的な寄り添いを身に付けられていたのなら
辛辣に相手を追い詰める言葉を得意とはしないでしょう

だから優しく見えるのは外見だけで
実際は優しくないですよっていつもホント思う


そして今のテーマは獅子宮(5ハウス)「与える愛」だなあ
昨日の満月は宝瓶宮(11ハウス)で「与えられる愛」

愛するのも愛されるのも苦手なアテクシ

一番苦手なことを突きつけられてる気がします


まぁ見た目は12サインで一番舐められやすい双魚宮ですね

2020/08/04

サロンお知らせ〜営業日のことなど

【サロンでの対面対応について】

コロナ対策として
基本的に一日お一人様限定で対応しています

そして
当サロンの入っているマンションの反対側で
建設工事が始まってしまったため
平日(月曜から土曜日)は音がうるさいです

ですので音を気にされる方は
昼間のセッションは日曜日及祝日
平日は音が静かになる
夕方16時以降のスタートがお勧めです

音を気にされない方は好きなスタート時間を
申し込み時にお伝えください 

※8/5現在 
8/9, 8/16の日曜日は受付終了してますので
8月の日祝で空いているのは8/10と23と30のみです


【Skypeでの遠隔(通信)対応について】

やはり平日昼間は音がありますので
気にされる方は上記の通り
工事の音のない時間帯がお勧めですが
昼間12-13時は工事の音が止んでいますので
対応可能です



そんな感じです

以上 お知らせでした


もともと製本と出版の町ですが
少し前は印刷業そして最近では
製本業の会社が次々と廃業されているようで
周辺はマンション建設ラッシュです

都会だと工事の音はしかたないのですが
ここに転居してきてからずっとなので
まいりますねー 
セッションがしやすい 音の心配のない
静かなところに暮らしたいぞぉっっ


2020/07/29

博多湾の亡霊〜大義なき戦の果てに

私のゲーム経験といえば
その昔にアーケードゲームやファミコンに興じて
最近ではPC上でのダウンロードゲーム(海外の)に
はまってたことがあるくらい
それも目の問題もあってやらなくなってしまった


もともとオンラインはやらないし
プレステとかwiiとかわざわざ買ってはやらないタイプ
(はまると抜け出せなくなるのがわかっていたので)



前置きはさておき 海外の翻訳掲示板によると
鎌倉時代の「元寇」を題材にした和風アクションゲーム
「ゴースト・オブ・ツシマ」というものが
たいそう評判がいいらしくその話題で持ちきり


なんでもグラフィックが素晴らしいのだとか


最初「ツシマ」を「津島」と脳内変換していたので
津島の亡霊?って何? 津島家という戦国大名が主役?
と勘違いしていたのだが「対馬」のことだったのね

とはいうもののこのビジュアルつかアート
鎌倉時代ちゃうやん 完全に戦国時代やん
つくづく侍のイメージって戦国時代なんだな
鎌倉武士の格好じゃないよ〜ってば思うけども
そういうツッコミは歴史家にまかせることにして

元寇にまつわる過去生の問題
この場合 
宿業といってもいいレッスンを背負っている人が
そういえばいたなあ・・・と思い出しました



神風(単なる台風)の由来でおなじみ「元寇」
「元朝」といえば
チンギスハンの孫クビライが開祖のモンゴル帝国
それが鎌倉時代に二度ほど日本に攻めてきた
当然ながら歴史の教科書で学びました<蒙古襲来

今の中国が抱く野望のごとく領土を広げて広げて
周辺諸国を侵略し属国化し東アジアと北アジアまで
西から東へと膨張しまくった征服王朝ですね

中国の歴史だと唐そして隋 五代十国を経て
南宋・金と明の間の時代に位置する国
そして唐以来の統一王朝のこと
(確か宋の時代くらいまでは日本の友好国だったかと)

元寇の背景や蘊蓄はさておき


その方・・・は
元側の兵士(司令官)として
博多湾にて亡くなられた人生を持つ方でした

実のところ
うちの生徒さんであった人ではあるものの
個人セッションでの過去生ヒーリングとか
解放ワークなどの過程において
知り得た情報というのではないので
文永の役か弘安の役のどっちであったのか
そこまでは見てないしわからないのですが

そして元側の司令官と言っても
モンゴル人というのではなく
属国である高麗の軍人さんだったのですね

だから本来 元の国の人間ではなく
元に侵略された側の人間ですから
元という国に対して愛国心はもちろんのこと
義理とか思い入れとかそういうのはないわけです

でも元の国の軍人そして代表として
日本を侵略しなくてはいけない
交渉が決裂した以上
戦を仕掛けて日本を打ち負かし征服する

乗り気でなくても
それをしないといけないわけです<立場上
ていうかある意味根っからの軍人で
任務であり仕事として
それを機械的に考えていたのでしょう

でもってそれは出来るって
さほど難しくないことだってそう思っていたのかなあ
少なくともこの方の過去生であるその男性は
そう鷹を括っていたみたいです<日本攻略

また乗り気ではない戦ではあるものの
戦うことに対して疑問ももたれてはいなかった
戦によって自分方にも相手方にも死者が出ること 
自分の部下が 民間人が命を落とすという現実に対して
あまり感情を動かされないというのかな

まるでそれを将棋の上の駒のように考えていて
単なる兵力・戦力として 
そんな風に戦の場における人間のことを
数字の上での数としてしか
カウントしていない人だったんですね

だからもちろん負傷して離脱する部下にも冷淡で
助かる命に手を差し伸べようともせず
戦力外であるのか戦力内であるのか
まだ"使える"兵力であるのか否かでしか
命のことを捉えられず図ること能わず

けれど軍人としてはそういう人の方が優秀なのかな
戦闘に勝つという目的がある以上
人情を持たず非情に徹せられる人の方が
有利なのでしょうか よくわかりませんけれど

とはいうものの
そういう方は上には受けはいいのでしょうが
部下にはまず慕われません

結果として この蒙古襲来は
神風という名の台風があったこと
自然災害によって元軍が壊滅的な被害を受けたことで
元側が撤退し敗北 日本の勝利?に終わりました

さてこの方のカルマというのは
この元寇における敗北のトラウマではありません

たまたまそれが元寇であったというだけで
この方の軍人としてのあり方というか姿勢
他者(部下や民間人)に対する扱い
命に対する考え方や態度などにありました

なんで自分たちが自分のたちの国でもない
自分たちを侵略した国のために表立って
最前線で戦わないといけない?

彼の部下も同僚もはてまた上司たる国のトップも
みんなそう考えていた戦です
いやいや戦闘に参加したものがほとんど
それでもやらなくちゃいけない
日本に対して戦をする理由も本来はないというのに
自分たちを侵略した国のために
仕掛けたくもない戦を仕掛けないといけない
逃げることも逆らうことも出来ない

そんなやるせない戦でまとまりもない連合軍の中
互いの胸のうちをわかりあいながら
なるべく自軍の犠牲者が少ない方向で
体裁だけの戦をすればいいと脱力していた
高麗の兵士も多かった中

司令官という立場にある彼は違っていたのです
全力でことにあたり 本気で立ち向かえと
傷ついた同胞を見捨て 土地を荒らし
勝ち戦に出ようとする彼に対して

「やりたくもない戦に巻き込みやがって!!」
「生きて帰りたかったのに」
「お前がもっとうまく立ち回ってくれてたなら」

というような怒りの矛先が
反発心とともに向いてしまい
それが恨みの念へと変わってしまったのです

この方のカルマは
「一人ひとりの命を軽んじてしまったこと」
部下の想いを 自国民の想いを理解しなかったこと

戦に参加したことが罪なのではないのです
部下を死なせてしまったことが罪でもないのです

もとより戦自体はこの人のせいではないし
戦に巻き込まれたこと自体 各自のカルマですし
時代のせいでもあります

殺人が合法化される
戦争という非人道的な行為の場においては
敵を何人殺したかが英雄視される場においては
どのような立場であったかではなく
どのような気持ちや目線でその仕事をしたか

が問題になるのです

このあたり先日のブログの内容と
対比する内容というか関連するとこですね

カルマになることないことというのには
「そこに愛はあるのかい?」と言う問いが
常に付き纏うけれども

共に闘う同志や仲間としての
同じ国の人間としての彼らへの想い
彼らへの命への哀惜の念があれば
違っていたのです

この場合 
理由なくして戦わねばならない日本人に対してもそう
自国民たる高麗だけでなく元に侵略されて
ともに戦わされている他国の人間に対しても

一人ひとりが異なる性格や人生を持つ個別の人間で
命を持っていること その重みを理解し 
そこを考えることのできる人であったならば

怒りや恨みを買うことはなかったでしょう




というのも
そうした集合体無意識の怨恨の念が
この方のその後の人生(幾多もの転生先)に
そして今生の人生に暗い影を落としていたからです

ちなみにこの人はそれ以前
奈良時代に日本人であったとき
蘇我氏の一族として日本に仏教をもたらした
功徳ある人であったのですが(聖徳太子には非ず)
そうした縁 善行でも庇いきれない影でありました


まあなんでそんな過去の人生がわかったかというと
この方がとある集団とともに
今生でかの地に行く機会があり
当時の彼らを恨むグループエレメンタルたちに
「殺してやる」とばかりに
襲われたからなんですね

すなわち「対馬の亡霊」というよりは
「博多湾の亡霊」に襲われたと・・・
いやさ対馬や隠岐の亡霊も含まれてたでしょうが
日本側の被害者というよりは
自国(高麗)の兵士たちの怨念でできた
グループエレメンタルでしたので


幸い力を持った能力者さんがいたので
最悪のパターンは避けられましたれども

(私は個人のカルマのレッスンを知り得て
この問題についてどんなふうに考えるべきか
彼らの無念に対してどのような姿勢で応えるべきか等
当人が気づくべき学びなどを伝えることは出来ますが
こんな強大なグループエレメンタル
土地に染み付いた怨念の塊と対峙して
それらをどうこうするってそんな力は持ってないっす)


ていいますか
この方が過去に人として未成熟な人であったとしても
今生に至るまでに成長し心を育んでいたならば
今の人生で他人を大事にできる人になっていたならば
そのようなことも起こらなかったというのもあります

彼らの怒りをそこまでは買わなかったというのかな

心で反省もせず 知ろうともせず 
災厄だけを免れようとして形だけのことをして 
大切なことを相変わらずおざなりなことをしているから
恨みは解けないのだけれども

耳を傾けない 理解しない人にとっては
同じ経験を繰り返し体験して
体で 痛みとして何度も味わうしかないのでしょう



そんな風に私たちは過去自ら犯した罪からも
今の自分の成長度合いを見られてもいるのです
(ちょっと脅すような書き方ですねっっ汗)

他人(集団)から怨まれるっていうのは
こういうことなんです
その人生というよりその後の人生つまり
来世で人生を疎外し邪魔する禍の種を作るってこと



そして九州北部で起きたこととはいえ
九州各所の豪族や武家も国防に参加しているので
もしかして 
うちのご先祖様も参加?
とも思ったけど
北条の世になったとはいえ
鎌倉時代じゃまだ出自隠して
息を潜めてただろうから
まず行ってないであろう