2018/07/15

愛されたいのに愛されない人たち

相変わらず更新滞っていてスミマセン。
暑さにかまけてダラダラしていました(困ったものです)。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

人間って基本的にあまり他人に関心がないもの。
ほとんどの人にとっては自分が世界(宇宙)の中心で、
自分の感情や日常の出来事、人生がすべてです。

自分以外の他人を理解しよう、と、
相手の身になって考えようとする人は意外と少ないです。
もちろん、思いやりと他者への慈しみに満ち溢れた人が、
この世にまったくいないわけではありません。
理解できないからこそ、理解しようと、
理解してあげたいと…
そのように日々努力している人も存在しているわけですが。

他人のことを理解するのは難しいものです。
立場を理解し、気持ちを想像することは出来ても、
相手と同じように考えたり、感じたりするのは不可能です。
同調・共感は出来ても、個別の存在である限り、
相手が望むことを100%提供することはまず無理。

でも、人は我がままだから、
自分が満たされること、他人に満たしてもらうことばかり、
つい追い求めてしまう。

・私を見て! 注目して!(look me!)
・私を知って!
・私の気持ちを解って!
・私に心の動きに気づいて!
・私を認めて!
・私を褒めて!
・私を必要として!
・私の話を聞いて!
・私の意見を聞いて!
・私をもっともっと大事にして! 
・私という人間を尊重して!

世の中には行動や言動の端々に
そんな気持ちが見え隠れしている人ばかり。


結局は愛されたいってことなんですが…
自分が理解されること、我がままを聞いてもらうこと、
自分の思い通りになってくれること、
自分の欲望や願望など叶えてもらって、
尊重されて大切にされてチヤホヤしてもらうことを、
周囲の人にも運命(人生)にもあれこれ求めるてばかりで。

そしてそれをしてもらえないことに対し、
(してくれない相手に対して)
怒りを覚え、憎しみや恨みを感じて、執着したり、
逆恨みして攻撃的な態度に出たり、
フラストレーションを貯めこんだりもします。

こういう自己中的な考えが行きすぎると
クレーマーやキチ害やモンスターになるんでしょうが…
そこまで行かなくても、多かれ少なかれ
ほとんどの人がその予備軍状態にいたりします。

(問題なのは問題自体なのではなく、
自分が問題を抱えているという事実に
気づかないということです)

他人から理解されない、愛してもらえないという
不平不満を持つ多くの人が…誰でもない自分自身が、
真の理解や愛から自身を遠ざけ、
「他者から愛されない理由」
を創り出している原因だという事実に気づいていません。

そのような状況を受け入れられないまま、
理解されない苦しみや愛を得られないという
飢餓状態の中にいるのです。

でも、本当のところ、
自分を飢えさせているのは自分自身で、
ほんの少しあたりを見回し、
目を見開いて探すべきところを捜したならば、
空腹を満たすべき捜していたそれは、
ものすごく身近なところにあったりするのですけどね。

うん。
世の中、自分が愛されないことに対して
腹を立てている人ばかりなんでやんすのよ。




さて少し話は180度変わって

私は幼児の頃、野犬の群れに襲われて、
全身を噛まれたことがあったりします。
もちろん入院してあちこち縫いました。

現代では考えられないことですが、
当時は犬を繋いで飼うということが一般化していず、
また処分場に持ち込む以前に犬をそこら中に捨てる人が、
今以上にたくさんいました。
そして捨てられた犬たちが徒党を組んでたむろしている、
という風景が珍しくなかったのです。
(もちろん社会問題になっていたとは思います)

何故襲われたかというと
カルマ的な理由がそこにはありましたが、
それは少し置いておいて…
(実は犬に襲われたのは以前も以後もあり、計4回ほど)

怖ろしい経験をしながらも、完全に犬を嫌いになり、
触れられなくなるほどの拒絶反応が出なかったのは、
自宅や親の実家にてリアルタイムで
飼い主に忠実な犬を飼っていたからでしょう。
(私が襲われている時、愛犬は大きな声で吠えながら、
鎖を引き抜いて駆けつけようともがいてくれてましたから)

そのような事由で、
私は基本的に犬好きですが、だからといって、
咬まれたときのあの恐怖を完全に忘れたわけではありません。
今となっては大昔の、記憶も朧げな幼少期のことですけど。

でも、犬好きで犬飼いをしている人の中には、
そのような他人の恐怖に対し、無頓着で無関心な人もいます。
「うちの子はとってもおとなしい」と信じて疑わず、
「うちの子に限って」と考えがち。
まあ、昨今は人を咬んだら、殺処分の対象になってしまうので、
そういう観点から真の愛犬家な人たちは、
自己防衛を十分になさっていますけれども。

「犬に襲われたことがある」「咬まれたことがある」
と言っても、その恐怖を理解してくれない人もいます。
「私もうちの子に噛まれたことあるよ」と軽く捉える人も。
甘噛みをされるのと「何頭もの犬に襲われて全身咬まれた」
という状況はかなり違いがあるのですが…。

「犬を飼ってたことがあるなら、全然平気でしょう。
 うちの子はとっても利口で可愛いのよ。
 平気、平気。触って御覧なさいな、
 抱っこしてもらいなさいよ、〇〇ちゃん」
そんなことを言って、
歯をむき出してキャンキャン吠えている犬を
抱かせようとする人に会ったこともあります。

でも自分が子犬の頃から飼っていた家族たる犬と、
他人の愛犬とは全く違う犬です。別の犬です。
初対面から親愛の情を示してくれる、
人懐っこい、優しい犬なら、触れ合えますが、
そうでない排他的で攻撃的な犬には、
過去の恐怖がフラッシュバックするだけだということを、
類似の体験をしたことのない人には
なかなか理解してもらえません。

その他、車の同乗事故の経験もあります。
自爆事故てすが、車は大破してスクラップになりました。
助手席にてフロントガラスが割れて、
その中に突っ込んで気を失ったものの、
額を切ってしまったのと全身打撲で済んだのは奇跡でした。

その後、何年も車に乗ることはもちろん、
近づくことも出来ませんでしたが、
何とか克服することができて、
相手が信用できる人なら助手席に乗ることは出来ています。
でも、あの時の事故で死の一歩手前に行かされた恐怖が、
私の中から完全に消えてしまったわけではありません。

そのことを説明しても、
神経質で心配性だ程度に受け止めるだけで、
わかってくれない運転手がいたりします。

「それなら、仕方ないね」ではなく、
「俺の注いだ酒が飲めねぇのか!」とばかりに、
自分の運転(技術)が信用されないことに、
不平不満を隠さない人も。

まぁ、でもそれは仕方がないことです。
理解してもらえないことに、
少しの悲しみと虚脱を覚えたとしても、
怒りを覚えることは間違っています。

人はそもそも理解し合えないものであるとの前提で、
「理解」を相手に求めるものではありません。
でも、少しの失望や傷つけられた気持ちを抱くことも、
また仕方のないことです。

「だめだこりゃ」と呟いて、あきらめる他ありません。
もちろん、
説明をするなど、理解を求める努力は必要で、
対等な関係と考えるなら、
理由を説明するのは相手に対するマナーでもあります。
コミュニケーションはとても必要なもので、
人生においてその価値は十分にあるもの。
しかし、
試みた上で相いれないのならもうしょうがないのです。


そもそも それがどんな体験であったとして、
他人の体験や心象風景なんて
完全に理解できるものではないでしょうし、
理解してもらおうなどという考えも間違っています。

他人の言葉や心象風景を理解しようと思ったら、
自分が過去に体験した、
類似の事象で味わった感情の記憶を引っ張り出してきて、
状況や感情を照らし合わせて、想像することしか出来ません。

それが出来ない人を責めることなど出来ません。
こちらの話や言い分に、
いちおうの耳を傾けようとの姿勢を取ってくれるだけ、
ありがたいと言えるものかも知れません。

人は話し合わないことには理解し合えない生き物ですが、
話し合っても理解し合えないことも多く、
互いの感覚や意見の相違を尊重しあえず、
立場を理解し合えない者同士もたくさん存在するのです。

誰だって自分が一番正しい、のですから。
自分以外の人のことなどわかりようもなく、
基本的にはみんな他人のことには関心がありません。
相手の考えや気持ちなど知ったことではないという感じで。
(片思いをしている間、相手を口説こうとしている時だけは、
他人に対して最大限の関心を示したりするものですが)

とにかく、自分の意見が通ること、
自分が尊重されること、自分の正しさが証明されることばかり、
人は熱意を注ぎ、そこに人生最大の関心を置きがちです。
自分の意見を押し通すためなら、
他人の人権を尊重することなど宇宙の彼方に飛ばし勝ちです。
自分の感情を満足させられさえすれば、
他人の気持ちや意見は無視してもいいと、
他人はその犠牲になってもいいと想いがちなのでしょうか…。


意思の疎通を行い、
分かり合うために「言葉」というものが存在しています。

ですが、
人は他人の言葉を自分の都合の良いように受け取り、
解釈してしまうというクセも持っています。
全体を理解せず一部の表現や言い回しに過敏に反応したり、
欠点やコンプを刺激されて自分が責められているかのごとく
被害者意識や妄想で反応してしまったり等。
後は勝手に内容をまるごと誤変換、てのもありがちです。

お互いの立場や心情を伝えあい、理解し合うために、
言葉を用いて話し合いをするわけですが、
言葉に対する反応や解釈の違いから、
話し合うことでかえって誤解を生んでしまったり、
収集がつかなくなってしまうこともあります。

なかなか難しいものです。

そして人は相手の反応に傷つくのです。
理解されないことに…
共感してもらったり、同意を得られないことに対して、
相手の自分への無関心さや存在の耐えきれない軽さを感じて、
傷付いてしまうのです。

でも、それは決して、
どちらかに罪があるわけではないのです。
誰が悪いということではないのです。
きっとどちらも悪くありません。

でも誰しもが皆に理解されたいと望んでいます。
とくに自分が愛する人に自分のことを理解されたがっています。
すべての人が自分を理解してくれる人を求めています。
理解は愛と同意語です。

それがゆえに悲劇は起こるのです。

相手の意思疎通能力や理解力を考慮した上で、
相手を説得し納得させる物の云い方や言葉選び、語意表現、
こちらが伝えたいと思っていることを
相手の脳裏に連想させる話術や論法よりも、
得てして人は「自分の内的心情を表現すること」
にみんな一生懸命です。
自分が理解されることを求め過ぎるがゆえに、
詳細な心的表現をリアリズムに求めすぎた結果かも知れません。

理解されたいがために相手を理解することを怠るのです。

理解されたいなら、まず先に相手を理解しなければなりません。
そして理解されることを求めたり、
相手が自分を理解してくれることを期待してはいけないのです。

これは
愛されたいなら、まず先に相手を愛せ、と同じことです。
愛されることを求めたり、
相手が自分を愛してくれることを期待してはいけないのです。

人は愛されたい生き物ではありますが。

愛を求めるがゆえに自らを傷つけ、
愛されない、愛されていないと思い込むことで傷つきます。

愛されたい、
理解されたいと努力することは悪いことではありません。
願う気持ちに罪はありません。
その想いが努力と向上心につながり、
自らを高みに押し上げることになりますから。

ただ、愛や理解を過度に人に求め期待し過ぎることで、
人生の目的や方向性を見誤ってしまい、
自分自身を不幸にしている人はあまりにも多いのです。

他人に求める前に、
まず自分の中に求めなければ決して人は、
本当に自分の欲しいものを手に入れることは出来ません。

愛されたいなら、まず自分を愛すること。
理解されたいなら、まず誰でもない自分自身が、
自分自身の理解者となって、深く自身を理解してあげること。

そして、その次に他人を愛することを覚え、
他人を理解するように努めるべきなんです。

自分の中に愛や理解力、
他者に対する思いやりや共感性、想像力がないことには、
いつまで経っても、
外からの愛情や理解を得られることはないでしょう。

期待しては裏切られた…と。
自分が欲しいと思っている言葉を相手から聞くことが出来ず、
優しくしてほしい人に、求めている優しさはもらえず、
他人にして欲しいことやかけてもらいたい言葉は得られず、

結果、自分は孤独で独りぼっちだと、
自分を分かってくれる人はこの世にはいないのだと、
世界中が自分に無関心で冷たい人たちの集まりであると…

世間を逆恨みしたり、自死を選んだり、
他人の注目や関心を得るために虚しい自己演出に走って、
自分らしくない、他人の期待に応えるためだけの
(他人の愛情を得るために)
偽りの人生を生きることになってしまいます。


love me ,like I love you
私がアナタを愛するようにアナタも私を愛してくれる?

って、こんな歌詞の昔の歌がありましたが、
恋愛にしても何にしても、人は愛や理解を人に求めるとき、
上記のセリフは大概、
「私が欲しい(求める)愛をあなたは私に与えてくれる?」
という意味で使われがちなんですよね。

自分がしてもらいたいこと、をしてくれるか否かがすべてで。
それ以外は愛ではないってみんな捉える。

自分の要求を叶えてくれることが愛で、
自分の要求を叶えてくれない態度や言動は愛とは皆思わない。

相手の考える愛や理解が、自分とは違っていたらもう
相手は自分を理解してくれないし、愛してもくれていない、と
相手が考える愛や理解を認めず、
それは「愛や理解ではない」と決めつけてしまうわけです。

だから自分は「理解されていない」し、
「愛されてもいない」になってしまう。

自分の頭の枠の中で考えている、定義づけている愛や理解が、
世間サマや愛や人生から得られない、と、
人はこの世には愛も理解もないって思っちゃうわけです。

ものすごい思い込みで劇場型自己完結です。

存在しないわけではなく、
誰でもない自分が、存在しているものを
見えてない盲目状態なだけなんですが。


人から愛されないと…
必要とされていると感じられないと、
ほとんどの人が生きる意味を見いだせないものですが、
それにはまず、誰でもない自分自身が、
自分の味方になって、自分の存在を肯定し、
自分自身を一番に愛せていないと、
人から愛され、必要とされる存在には成り得ません。

他人から提供される愛や理解されることの中に、
自らの存在意義を求める…
(誰かに認められたいという承認欲求)
ということをいつまでもしていると、

永遠に、
誰にも愛してもらえない、理解してもらえない、
そんな自分ではダメだ、生きる価値も意味もない存在だと、
という自己否定の中で生きることになり、
メビウスの輪で追っかけっこをするがごとく、
一番自分が求めていて、欲しいと思っているものから、
どんどん遠ざかるばかりです。

愛されたいなら、人を愛することのほうが先
理解されたいなら、人を理解することのほうが先

誰だってご褒美のほうを真っ先に手に入れたいし、
愛されたり、理解される経験があるからこそ、
愛することも理解することも出来るようになるって、
もう考えがちなんですが…

残念ながら、
人間は自分の中に存在しているもの以上のものを
この物質社会で具現化された事象として
体験することは出来ないのです

ホンモノを知りたければ
まず自分自身がホンモノにならなければ
決してホンモノを知ることも出合うことも出来ない

とエドガー・ケイシーも言っていましたが。

自らが他人にしてあげたことしか、
他人から何かされることはない

人は、自分が他人に与えたものしか、
人生で受け取ることは出来ない

悲しいかな、これって法則だったりします

だからまず、
愛が欲しいのならば、自分の中にある愛の種を探し出し、
その種に水をやって育てる必要があります

他人に自分の内的世界や体験、立場を理解されたいと
そう願うならば、自分以外の他人を理解しようとするべきです

外に求めるのではなく、自分の内側に求めるのです


大丈夫

誰もが自分の中に「愛」を持っています
ただ忘れてしまっているだけです

エゴイズムに隠れ、埋もれてしまっているだけで、
深い深い地層の底の底から、
いつかその「愛」を発掘することが出来るでしょう

あなたがそれを心底願いさえすれば…


※ちなみに私が犬に襲われた理由は、
私が出しているエナジーのせいです。
恐怖で怯える被害者意識のエネルギー。
犬はこれによく反応するんですよ。
(カリスマドッグトレーナー、
シーザー・ミランの番組や著書を見るとわかりやすいかと)
何しろ狼やクマに食い殺された過去生がありますからね(苦笑)

2018/04/29

人間至る処青山在り

相変わらず更新滞っています。
伝えたい事、書き残したい事はたくさんあるのですが、
なかなか筆に起こせないのが現状で。

今に始まったことではなく、昔からのことですが、
自分はあと何年生きられるのだろうとよく思います。

気が付けば今の人生、半世紀過ぎてしまいましたが、
あっという間でありました。
残りの時間で何ができるのだろうと常々思います。


人生は短く、
憎み合ったり、嫌い合ったり、
戦ったり、殺し合ったりしているヒマはなく、
失敗することも無駄な時間も必要だけれど、
無為に過ごす時間があるほどに、
人生は長いものではないのです。

人間は
自らを幸福にするために自分の人生を生きようとし、
誰でもない自分自身に至福と喜びを与え、
素晴らしい時間を多くの人とわかちあうために、
歩み寄り、理解しあい、愛し合い、
助け合って生きようとするべきなのです。

輪廻転生の考えの前には時間は無限であり、
「死」という概念はありませんが、
今の自分としての人生はただ一度きりであり、
この人生での自分はたった一人きりなのです。
二度と同じ時間を過ごすことは出来ません。

私たちが今所有しているものは、
自分自身と今のこの人生だけです。

「いまをどう生きるか…」
私たちは常にこの問題と向き合わされています。

でも多くの人が自分の欲望の奴隷になっていて、
欲望を満たすことばかりに夢中になり、
本当の自分を見失い、
見つけらないままに人生を終えています。

ちなみに「自分を生きる」とは、
「長期的な人生の目標を持って、それを叶える」
という意味とはまったく違います。

そして最近というか少し前からの流行として、
中高年層の間で、
「自分はどう生きるべきなのか」
といった趣旨の啓発本が売れに売れているそうです。

戦前いやさ高度成長期頃までの日本では、
みな「生きていくこと」「食べること」だけで必死でした。

けれど、国が豊かになって生活が向上したならば、
物余り、飽食の時代になって、衣食住が満たされ、
便利製品や便利グッズがなんでもかんでもあり、
お金さえあれば必要なものはなんでも手に入る時代になり、
人の精神性は弱り、心は逆に貧しくなっていきました。

「なんのために生きているのか」
「なんのために生きるのか」

そういうのが見つけられなり、
心が迷子になっている人が増えているのですね。

でも…そうした問いを持つようになったということ。
「生きること」について、疑問を持ったり、
どのような生き方をするべきか考える人が増えているのは、
いい傾向であるようにも思います。

そこに向かって煩悶し、悩み、心の旅へと迷い込むことが、
その人を「本当の自分を生きる」スタート地点へと向かわせ、
意識を目覚めさせ、魂を覚醒させる道へと誘うのですから。


★ ★ ★ ★  ★ ★ ★ ★


さて、ここのブログは私自身の仕事の宣伝というより、
色んな人に「考える」材料やきっかけを与えたいとの思いから、
綴り始めた見えない世界への道案内も兼ねたブログです。

だからまあ、「私はこんなことがわかるんだ、できるんだ」
みたいな…そういうひけらかしのようなつもりはないんですが。
思うところがあって、一時書くことを自重していました。

でも、最近上記のように、そんなに残りの人生、
たっぷりと時間あるわけじゃないしなあ、というのもあるし、
ものすごく読まれている人気ブログでもないので、
少しならいいかなって感じで忘備録的に書いておくことにします。

まあ、何しろ電波な話なんで、
キチガイの戯言、夢物語、
あるいは釣りネタな創作話とでも思ってください。
信じなくていいです。


東北の震災の直後、
スクールのレッスン時に、突然とある生徒さんを通じて、
とある人からコンタクトがあったんです。

私のところはチャネリングは基本禁止なんで、
(誰に対してもチャネリングは危険なので推奨していません)
さてどうしようか困惑して迷ったものですが、
とりあえず真実味のある事なんで受け入れることにしたんです。

というのも、その前に
別の生徒さんと自宅でおしゃべりしてるときに、
「アンタ、誰ですか?」って人が複数やってきて、
見せられたり、話しかけられたからです。
このあたりは過去ログに書いてありますが。
そのメッセージは大体同じ内容、主旨のものでした。

そんなこと素人の私たちにできるのかな?
と疑問や不安に思いつつ、
それが日本という国や世の中の人のためになるのなら…
と考えて、まあトライしてみたわけです。

簡単に言うと、日本国のあちこちの土地のお掃除です。
といっても、
物理的な掃除とかゴミ拾いとかではないのですが。

その間、稀有で不思議な体験を色々としました。
そのすべてを書くことはここではしませんけれど。
既に過去に書いてあるものもありますし。


で…
最近私はYouTubeで歴史関係の動画を見ていたんですが、
たまたま新選組の一人ひとりについてがあったので、
数年前コンタクトを取ってきてくれたその方のも見たんですね。
(我が家にはテレビがないのでYouTubeよく見るのです)
あえて名前は書きませんけども。

当時はしいて似てる人をあげるなら
俳優の小日向文世さん…かな~と。
してその方を検索したとき、写真はないので絵姿で見て、
「こんなキツネ顔じなかったし 似てないし~ 
 やっぱ騙りぢゃね?」なんて疑っていたのですが。
(だって新選組のあの法被着てるのも本人だとしたら逆に変だし)



今回動画に出てきた、弟さんの写真見てぶっ飛びました。


「やだ、似てる…つか、そっくりぢゃね?」

この兄弟が似てたとするならば、
やっぱアレは本人だったのかなと思いました。

まあ、それだけなんですが。

そして一緒に出てきた先祖の上司も、
どういう関係性でこのお二人が??
と思っていたら、今更知ったことですが、
元新選組だったこの方が結成?した御陵衛士って、
最終的に薩摩藩に駆け込んでるんですね。
んで庇護されたと…(知らなかった私ってバカ)

歴史は好きなほうで多少は知ってるつもりでしたが、
ドラマを見るくらいで、
新選組にはほとんど興味がなかったのです。

そして先祖の上司。
上司というよりオーナーか…
うちは田舎侍という超下っ端だったし。
















ちなみにうちの先祖(母方)たちは
この上司の命で内密に潜水艦を作ってるんですよ。
日本初らしいです。
(完成したかどうかは知りません。
そこまでは先祖について書かれた本には載ってなくて)
平家の落人たちは鎌倉方から薩摩藩に匿われた恩義から、
とにかく忠節で口が堅く、結束力がありましたようで。

このとき、
二人は日本国の未来を憂う霊団って共同体って感じで、
彼ら以外にもたくさんいました。軍人さんとかetc
話しかけてきたのがこの二人だけだったってだけで。
たまたま明治維新あたりの人でしたが。

レッスン中に話しかけてきた人は、
もっとというかかなーり古い時代の方です。
(この方は輪廻転生の輪からはもう外れた方ですね。
ちなみにかつて仏陀の弟子のカッサパだった人です。
日本人に転生したときのお姿でお会いしましたが。
火が大好きで新しもの好きで凝ったことがお好きでした。
発明大好きパフォーマーっていうのかしら)

そんな感じで、
生きていた時代は異なる人々ですし、
今生は別の人種、国民として
現世を生きている人もいるのでしょうが、
日本人として生きたときのパーソナリティたちが、
共に手を携え、協力し合って、組織立てて
暗躍?して、この国の和平と守護のため、
色々と働きかけてくれていたりするのです。




とはいうものの、私のほうはというと
今はもうお掃除はやってません。

私自身が自分のことに集中したいと考えてるからです。
(奉仕も大切だけど、私自身が成長することが最優先で
日常生活や現実も含めて、自身の人生が大事だからです)

てなわけで残念ながら今はもうコンタクトはとってません。
というか、もうとれないでしょう。
たぶんあの時だけで、こちらがとりたいと思って、
彼らとコンタクトを取れることはないんだって思います。

今振り返ると、夢を見ていたような気持ちです。

靖国神社での奇妙な異次元トリップや
戦国武将に話しかけられたり、
幽体離脱して法隆寺の仏像に閉じ込められて
出れなくなって困ってしまったりとかね…
4次元以上のレベルで神社や聖地をお掃除していると、
他にも肉体を持っていながらそうしたことに尽力している
名も無き個人やグループに出会うこともありましたしね…
軍人さんの団体が「何かお手伝いできることはありませんか」
と話しかけてきて下さったり(関東軍や陸軍中野学校の人たちでした)。
足尾のことを死んでもなお日々心配している田中さんとか。
その他にもいろいろありましたし、色んな方とお会いしました。


今となっては懐かしい人たち、出会いです。
ほんの数年前のことだけど、すごく遠い昔のことに思えます。
死んだら、その時は会えるのかな。。。。と思いますが。


最近の私はいたって平凡なふつーの人間で、
彼らに出会っていたとしても気づけません。
目の前にいたとしても素通りしているのでしょう。


ええ、きっと夢でしょう。
夢を見ていただけです(笑)



でも、良かったら知っていて皆さんに欲しいのです。

私たちが意識していようといまいと、
それに気づいていまいがいようが、

私たちの先祖であった人々、この国に住んでいた人々が、
この国の未来を心配し、子孫である私たちのことを見守り、
死んでもなお、エレメンタル(残留思念)となっても、
私たちのために尽力し、色々と働いてくれていることを…

この国の平和を思い、願い、
影ながらこの国を守護し、そのために知恵を尽くして、
様々な方面に働きかけようとしてくれていることを…

そして生きて肉体を持っている人たちの中にも、
決して名は出さず、それを自慢せず、職業ともせず、
貴賤を要求することも求めることもせず、
隠れて土地や聖地の不浄を掃除し、
日本という国の神聖を守ってくれている人々がいることを…

ほんの少し 頭の片隅に入れて頂けたらと思うのです。

彼らが死してもなお、守ろうとするものの中に、
「日本国の、世界の平和」があり、
その中に私たちの生活、人生があることを。

私たちのこの毎日の安寧や満たされつつも退屈な平和は、
見えないところから、私たちを影ながら、
守ってくれている人もあってこそのものだということを。

だから私たちは一人で生きているようで、
決して一人では生きていないのです。

私たちの人生は、私たちのものであって、
私たちだけのものではないのです。

私たちは「生かされて」いるんです。

たくさんの人たちに護られながら。


そして彼らの生前の生き方や、
死後に至ってまでも貫く人としての姿勢から、
学ぶことはまだまだたくさんあったりします。


「人として、己をどう生きるか」

「人としてかくあるべきか…」

「どのような生き方をするべきなのか…」


★ ★ ★

そしてもうひとつ。
YouTubeでは歴史関係のを見ていた流れで、
日本の古代史ミステリー的なものもいくつか見たりして。
はい。「ムー」っぽいやつ。
竹内文献とかカタムカナ文字とかとか。
ユダヤの失われた10支族とか天皇ユダヤ起源説とか。
日本人とユダヤ人に共通する遺伝子ま話とかとか…

真偽はどうなんでしょうね。

ただ、日本人は同じアジア人の中でも、
第六チャクラがやたら発達している民族で、
第一チャクラをやたら使っている中国人や朝鮮人と
そのあたりにめちゃくちゃ隔たりがあるんですね。

日本人が漫画とかアニメとか
創作の才能(想像力)が秀でていて、
猿真似と言われるほど科学的技術の
習得力や応用力も抜群で、
復興力や規律を遵守することに抜きんでているのも、
そのあたりに秘密があったりします。

日本人に生まれるってことは、
そういう能力ある民族、社会に生まれるってことで、
そうした能力を磨きなさいってことでもあります。

今回さらっとした書きませんが。

スピリチュアリズムや霊的真理の教え的には、
日本古代史のミステリーで言われていることと、
重なることもあるんで、否定はできないかなー
解釈の違いはあれど。

五色であらわされている人類は、
5種類ある魂のイデアのアーキタイプのことだと思うし。


そして、お掃除隊の活動で出会った、
最近の歴史ではいなかったことにされているあの方は、
確かにハーフっぽかったですよ。
ユダヤ人かとかロシア人とかと言われると、
「うーん?」だけれど、
すくなくとも糸目な弥生顔ではなかった。
アイヌとか沖縄っぽい人というのでもなく、
なんていったらいいのかわからないのですが。
背も高かったし、目は大きかったし、
日本人に近い外人って感じ?
わりと面長で口ヒゲがあった。
(でも仏陀の弟子だったときにはインド人だったわけだから、
顔が濃いのも当たり前って気もしなくない)

有名人で誰に似ているかっていうと、
どうしても名前がわからないんですが、
昭和40年代から50年代にかけて、
子供向けのドラマの脇役で出ていた、
役者さんにすごく似ていたって、ホント。
思い出せなくて歯がゆいです。
(アルセーヌ・ルパンぽい恰好で出てたってだけ
「悪魔くん」のメフィストではないです)


でもって、今になって思うのですが。

当時はめちゃくちゃ疑ってたってのもあるんだけど・・・

せっかく本人だったというのなら、
歴史の真実や裏側を…

「あれこれ質問して、
聞いておけばよかった!」

めちゃくちゃ後悔しています。



2018/04/15

定期的な勉強(瞑想)会のお知らせ

以前から予告していたように、
来月(5月)から瞑想とかんたんな心霊科学の勉強会始めます。
がっつり勉強だ! 講義だ! 修行なのだー! 
みたいなのではなく、
スピリチュアリズム入門的なレベルからの(たぶん)



【サロンでの開催】
基本:第2・第4木曜日 19時~21時(終了予定)
参加費: 2500円(当日払)

なんですけど、5月だけ、第3・5木曜日に変更です。

従って、
2018年5月は5/17(木)と31(木)19時~21時です。

実は私、第一木曜日夜に座禅のサークルに参加してまして、
この会の日程が変更になるときはズレるということですみません。

場所は有楽町線の江戸川橋駅です。
地上出口出てからは徒歩2分くらい。
東西線神楽坂からは10分ちょい。
都電荒川線の早稲田からは15分は歩きます。
新宿駅西口からバスでも来れます(20~25分位)
 ※練馬車庫行で山吹町下車

◇詳細な場所は参加申し込みを頂いてからご案内します。

参加希望者はHPのメールフォームもしくは
Facebookのメッセージなどからご連絡ください
(住所、氏名、年齢、連絡先。参加の動機など)
もしどちらにもたどり着けなかったら、
この書き込みにコメントくれれば誘導します。


◇夕飯は事前に済ませてきてください。
 駅周辺にいちおう飲食店あります。
 ドトール、てんや、フレッシュネス、ココイチ、日高屋、
 飲食コーナーのあるファミマなど。
◇入室は10分前から
◇お茶は用意しますがご自分で持参くださってもOK


■参加資格について
・公序良俗を守れる人
・常識や社会マナーを守れる人
・他人を尊重できる人

「スピリチュアリズム? なにそれおいしいの?」
みたいなレベルの、よくわかんないんですって人でも大丈夫です。

ただこのブログをお読みの方はご存知と思いますが、
うちはキラキラスピリチュアルとかふわふわスピリチュアルとか、
ここ数年流行ってたミーハーなんちゃってスピリチュアルな
そういう方面ではまったくないので、そこだけご了承ください。

また超能力や霊能力、神通力など
超常的な能力を磨く道場とかでもないので、
自分以外のナニモノか、になりたいとか、
スゴイ力を持った人になりたい…
みたいな野望をお持ちの方はご遠慮ください。
たぶんご期待にはお答えできませんので(笑)

■参加をお断りする人
下記にあてはまる人は参加をお断りすることがあります
・会話が成立しない人(意志の疎通が出来ない)
・主催者や他の参加者に迷惑をかける恐れありと当方が判断した人
・他所での教えや自説を広めようとする人

◇禁止事項
・セールス、勧誘等の営業活動
(自己紹介や職業紹介まではこれにあてはまりません。
参加者同士が勉強会に参加して個人的に親しくなったあとのことは
個人の判断におまかせします)


【スカイプでの通信セミナー】
こっちはまずお試しで開催してみます。
というわけで、まず体験会的な何か…

日時:5/10(木) 10時~12時
参加費:2500円(前日までに銀行振込)
※前日確認できること

基本的には遠方にお住いの方対象です。
その他近郊でも平日夜の参加が難しい人

スカイプに関しては定員6名までです

とりあえず試験的にやってみて、
定期的に開催するか決めます

参加資格などは
スカイプでの動画通話ができる方、になります。
その他はサロン開催と同じです。

申し込み頂いてから、
スカイプのニックネームなど
お知らせします。


まだ予定は未定なところあるんですけど、
平日の昼間に直接サロンで開催してほしい、
みたいな声があれば検討しますので、
興味ある人はリクエストしてくださいませ。



通信にしても直接開催にしても、
テキストのようなものは作成する予定はないんですけど、
もしかしたら気まぐれに配布物とか作るかも知れません。


病欠や仕事、諸事情などでのお休みは自由です。
連絡だけ必ずください。
ただし、一度入金頂いたお金は返金することができません。
そのあたり通信の方はご注意ください。



2018/03/27

旅先での一石二鳥的ドリーム

先日、栃木某所での
一泊二日の瞑想リトリートに参加させて頂いたんですが、
空き時間に自室でまったりしていたときに、

ふと…

「ああ、こんな気持ちのいい場所なら、
 ここでなら
 出張セッションなんてのも出来るんだけどなあ」

なんてことを思ったのでした。


でもって、そんなことを考えていたらば…

遠方のお客様で
「対面セッションやレッスン受けたいけど、
 都合上、都内には行けない」
という方がたまたま続けて問合せくださって。

ああ、そうだなあ…
たまたま私が行きたい旅行先に行った時、
その土地で「セッション受けたい」と
希望する方とのマッチングがあったら、

セッションを行える場所さえあれば、
出張セッションも出来て旅も楽しめて一石二鳥なのに、
と思ったり。


仕事の出張というと、
昔占いイベントの帰りの新幹線で
焼き鳥買ってビール飲むのが好きでした。

関西からなら、蓬莱の餃子ですかね(豚まんでなく)
臭いがちょっと周囲に迷惑ですけど。
奈良では必ず柿の葉寿司買います。
伊勢では名古屋経由するから味噌かつ弁当ですね。
(ういろうは嫌いですねん)

ちなみに私は旅が好きです。
そのわりにはあまり行けてないのですけど。

今年はそうですね。
伊勢や奈良にも行きたいけど、
那智の滝(熊野古道)にも行ってみたいなあ。
GWには群馬に行く予定はありますが。

して、北は日光から先行ったことないのです。
なかなか行く機会がありません。
北海道は大好物がたくさんあるから、行きたいなあ。
けどヒグマが出るから、イヤだなあ。


でもまあ、いずれにしても、
セッションするには、
場所(個室)が確保できないとダメなんですけどね。


まあ、そういうこともいつかできたら、いいなって感じです。

というわけで、
どうでもいいボヤキというか、内容のない話でスミマセン。

2018/03/25

リーディングの実際と妨げるもの

私のブログは突っ込みどころがないというか、
なんてコメントしたらわからないとか、
コメントのしようがないという類のものらしく、
時々メール下さったりする方はいるものの、
ほとんどコメントがつくことはないのでした。
(いちおうアクセス数はそれなりなので、
読者さんはいるらしいのですが)

なので、アーカイブにしているアメブロ、
本家のこっちに最近コメント頂いた日には、
嬉しくなっちゃいました。
もちろん、メールで反響頂けるのも嬉しいですよ。
ネットからセッションを申し込んでくださる方は、
ほとんどブログを読んで下さってる方になりますが。

そうですね、
感想とか反響頂けると、それだけで励みになります。
やっぱり誰にも読んでもらえないとか、
誰の心にも届いてないんだなって状況だと、
やる気は失せますし、誰の役にも立たない
意味ない駄文を自己満足だけで晒してるのかなって、
そう考えちゃったりして、凹みますからね。

そしてアメブロのほうには書いたのですが、
5月のGW以降で、
サロン(新宿区)で瞑想会を兼ねたプチ勉強会を考えてます。
ちょこっと1時間くらい霊的知識に関するお話して、
そのあとで霊性を高めるエクササイズや瞑想をしてって、
軽く2時間くらいのもので一回2500円くらい。
月2回程度で平日の夜か土日の昼間か。
これまでの講座とかグループレッスンよりラフで、
ライトな内容で、参加できたらよかったら来てね的な感じで。
その代わりテキストとか作らないし配布しませんが。
個人的な相談以外の質問はもち受けます。
ブログに書いてあることに関しての突っ込みとか、
書いてないことに関してとか、あれやこれや。

地方の方で学びたいけど、東京は遠いって方には、
希望者が集まればスカイプ(一度で6人までは可能なはず)で、
そっちも考えてます。
ただし、参加したいときだけ、でなくて、
こっちは月謝みたいな感じになるかもです。
参加費を事前に振り込んでもらう必要あるので。


今のとこ、平日の昼間は派遣OLしている関係上、
状況次第なんで検討中だったりします。
週3日の就業先があればベストなんですが。

てなわけで、そのあたり興味のある人いれば、
お気軽にお問合せください。
ホームページのメールフォームからでも、
Facebookのメッセージからでも、なんでも。



     ★ ★ ★ ★ ★


ところでここからは先日の続きになりますかね。

チャネリングつーかリーディングの方法というか何というか。
どうも皆さん、色々と誤解しているところがあると思うのです。

特定の誰かのエネルギー領域(肉眼では見えないもの)を
視たり感じたりするとき、
それは本当に人それぞれで十人十色だと思うのですが、

テレビで解説付きの映画やドラマを視るように…だとか、
その人についての伝記的な年表や小説を読むように…とか、
そんなんだったらものすごくラクで簡単なんだと思うけど、

実際はそんなんじゃないんです。

うん。
ブループリントとか過去生情報とかカルマのレッスンとか、
本や紙に全部記録として詳細に書かれていて、
その人に伝えるときの注意事項とかもちゃんと書かれてて、
もしくは誰かが耳元で一字一句、
言うべきことや物語を伝えてくれるとか、
ホントそれだったら、それを通訳とか代理人として
単純に伝えるだけだったら、こんな楽な仕事ってないと思う。

けれども、実際は断片的な情報を拾い集めて、
それをジグゾーパズルのように並べて繋げて、
ひとつの形にして、違うものは排除して、
その上で全体像を視るっていうような…
そんなことをしないといけない。

そんな風に自分がキャッチ出来る情報を集めて、
「それが何を意味しているのか」
色んな角度から分析検討して、
総合的に精査して判断しないことには早計に結論は出せない。

目に視えるもの(この場合、普通の人には視えないものだけど)
に惑わされてもいけないし、
肉眼で見えるものや現実的な捉え方も疎かにしてもいけない。
先入観や決めつけなどから、一点に集中すると、
全体や本質が見えなくなって、誤診的な誤りも犯すことになるし。


例えば、みんな今の人生でも毎日
たくさんの想念体(エレメンタル)を創ってる。
一度の人生でも半端ないのにその都度の過去生でも山盛りに。

その人自身だけでも大量生産しているのに、
他人からたくさんの想念を向けられている人もいる。

とくにネガティブなものを、
まるで分厚い毛皮のように身にまとっている人。
エレメンタルで埋もれてるっていうのかな。
その人自身が見えないくらいに。
いやさ、肉眼ではもちろん、物質的なその人は視えるんですが。

その人自身のエネルギー領域がまったく視えない状態なわけです。
ゴミの山に埋もれてるのと同じなんで。

そうすると、その状態でリーデングなんて出来ないのです。
まず掃除、エネルギー(想念体のゴミ)の掃除をしないことには。

そのエネルギーのゴミたちは、
その人に対する悪意(怒りや恨みや嫉妬や不満、執着)だったり、
もしくは本人が他人に向けた悪意が戻ってきたものだったりする。
亡くなった人の霊はカウントしないけど生霊はこの分類になるかな。

この状態ではその人の中にある情報はまず読めない。

サロンで提供している対面セッションでは、
こういう状態のクライアントさんと対峙したとき、
「うわ!」とは思うものの、
とりあえず「施療をまず先にさせて下さい」となって、
ゴミ掃除をあらかたさせてもらってから(当日出来る範囲で)、
リーディングも再チャレンジできるけど、
電話ではまずそれは出来ない。

電話という通信機器が介在することでノイズが入り、
氣の情報をダイレクトに読みにくいし、
妨害を受けることもたくさんある。
だから、電話やパソコンが介在する方法を
私は苦手としている。

でもって、ダイレクトに初見でその人の情報を読めない、
読みにくいってもう一つの状態が、
そうした想念としてのエレメンタルではなく、
いわゆる先祖の因縁とか霊障とか、
たくさんの存在を引率しちゃっている場合(苦笑)

あと、最近何か「拾っちゃいましたね」ならいいんだけど、
もう何年も共存している(体内に寄生させちゃってる)
存在がいて人生や感情を同化させちゃってたりすると、
色々とブレが出るので困ってしまう。
一つの肉体を複数の人間が共有しているようなものなので。
どっちの記憶(持ち物)?みたいな混乱のもとだし。

それに当人の体内に蓄えられている情報(エレメンタル)が、
すべて本人が作ったものかというと、そんなことはない。
刷り込みで埋め込まれたものもあるし、
他人が作ったデータ的エレメンタルを取り込んでいることも
たくさんあるから、区別しないといけないってのもある。
そして記憶は嘘をつくし、
思い込みで記憶を創る人もたくさんいる。
まるで物語の創作のように、
ありもしなかった人生を創っている人も多いんです。
(セラピーでの書き換えもまさにそれだし)
ニセモノの記憶なのか、そうでないのか、
見極めるのは難しい。

セラピーの現場においては、
過去生の人生での真実…事実がどうであったか、より、
当人がどう記憶しているか、
どのようにインプットされているのか、
何がその人にとっての事実なのか、
ってのが問題なので、
アカシック(国会図書館で区役所の記録みたいなもの)より、
個人の体内に傷や思い込みとして記録されている
情報のほうが重要なんです。
それを知った上で、本当はどうだったかを視ないとなので。

霊的な存在が教えて伝えてくれる情報もあるけど、
それだけに頼るのもよくないですし。


視覚的(肉眼)に捉えることの出来る情報、
本能的に触感や体感として感じ取られる情報、
別の次元の存在からメッセージとして降りてくる情報、
ビジュアルとして脳内でキャッチできる情報、
それらをフル活動して脳内で情報処理しながら、
同時に、
クライアントさんと対話することで得られる情報
これらをすべてつなぎ合わせながら、
いろんな可能性を探って、消去法で結論を導き出す。

私の場合はそんな感じ。

最初から、全部わかるわけではないです。
なんでもお見通し、ってこともないし、わかるわけでもない。

エネルギーがクリアな人は、
色んな情報にアクセスすることも読み取ることもラクだけど、
(霊性が高い人は上から伝えてOKって、
許可が下りる情報の範囲も広いし、制限が少ない)

ほとんどの人は
潜在意識(エレメンタルの倉庫)の整理整頓が出来ていず、
とても恐ろしい汚屋敷になっていたり、
無法地帯かつ危険なジャングルと化しているんで、

そっから何とかしないことには、
わかることもわからんよ

なんです、ホント。

だから、対面セッションがめちゃ楽なんだなぁ。

まあ、実のところ、潜在意識の森が、
スラム化して荒れ果てている人の場合、
人生もめちゃくちゃで、酷いことになってるわけですけど。

「私は何のために生まれてきたんでしょうか」
「私の幸せはどこにあるんでしょうか」
「どうすればうまくいきますか」

って問いに対する答えを見つけようにも、
分厚いゴミの毛皮や真っ黒なマント羽織ってたり、
全身煤だらけで黒い雲で覆われてますって状態では、

悪いが「あなたの未来、ナンも視えません」のダス

エネルギー(波動)を読もうにも、
エネルギーが汚れててめちゃくちゃなので、
「読めん」から。

はい、イイワケになりますが、そういう時もあります。


だから、そういう場合やそのような人に対しては
占いの知識や道具のほうが役に立ったりするのです。
(とくにホロスコープは魂の履歴書ともいうべき、
今生の課題と取り組むべきことが
出生時のタイミングの配置で表されてるから、
ある程度のガイドラインを知ることが出来るし)


たぶん、霊(亡くなった人たち)と自由自在に話せる人は、
そっちから情報もらえるから、そんなことはないのでしょうが。
私は最近死んだ人とはほぼコンタクト取らないので。


     ★ ★ ★ ★ ★

さて最近頂いたお問い合わせで、
「セッションやカウンセリングで、
 過去生の情報を教えてもらえるのでしょうか?」
というような質問を頂きましたが、

答えはNOです。

「私の過去生について教えて下さい」
というようなことにはお答えしておりません。

あくまで、現在のその方が抱えている問題や
悩みの根源を理解する背景に過去生が関わっている場合で、
本人が知る必要のある情報だけお伝えしています。
基本的には。

ただし、チャクラヒーリングのときに、
それぞれのチャクラをクリーニングする際に、
「こんなんありましたけど」
「これが邪魔しているみたいです」
みたいなことはお伝えしてます。

その程度ですねー

あと「私の守護霊さんはどんな人ですか、誰ですか」
みたいな質問にもお答えしてません。

ご了承くださいまし。


2018/03/21

春来たならば夏遠からじ

相変わらず更新が滞っていて、申し訳ない限り。
気が付けば今日は春分。今年も早くも1/4が過ぎようとしています。
本当に時が過ぎるのは早いもの。

そうそう、ここでの報告が遅れましたが、
友人のサイト「アルファ占い館」で記事書いています。
題して、~魔女アルマの魔女入門~
年内一年の掲載予定。こっちはアルマの名前のほうで。

それとTwitterも始めていたりします。
魔女とハーブと魔法の言葉
でも、案の定あんまし呟けてないです。
(フォロワーもほとんどいないし)

連載のほうも、Twitterのほうも共にチェックして頂けたら嬉しいです。


ところで実は2月半ばから先週まで約一か月、
電話占いの仕事をしていたりなんかしました。
続けることになればここで案内をと思っていたのですが、
結局辞めちゃいました。

少し前から、
またふつーの占いの仕事もやってみたいなあ、
なんて思っていて、対面占いのお店を探していたのです。
でも、タイミングが悪いのか何なのかわからないのですが、
コンタクトを取っても返信来ないところが多くて。

自宅サロンで完全予約制の、今のスタイルとは違って、
この曜日の日にはいるからっていうような、
ちょっとした相談程度の人でも予約なしで受け入れられる、
そんな気軽な場所で仕事したいなって思ってたんですが。
これがなかなか、でして。

電話占いに関しては避けていたものの、
「一番やりたくないことや避けていることの中に
 乗り越えなくてはいけないことや成長できることがある」
というところに突き当たり、チャレンジしてみたんですね。

そうしたら、ちょうど派遣の仕事の話も来て、
平日かけもちでトライすることになってしまいました。
なので、体力的時間的に余裕なくて大変。
土日はサロンの仕事ありますし。

まあ、それはそれとして。

電話占いの仕事に関しては、
一言でいえば、私のスタイルに合わない、その一言でした。
その昔、10年以上従事していた経験はあるわけですが、
でも、違うんだなあ、としか言いようがない。

例えば、今サロンで提供しているセッションは、
クライアントさんが予約を入れて下さった、
その段階からリサーチが始まっているわけです。

そして、
実際にサロンにいらして下さって、お迎えをして、
対面でお茶をお出しして雑談などしたり、
具体的な相談内容をあれやこれや伺い、
こちらからも質問をして(問診と一緒です)
その間にその方に関するデータを整理して、
色んな可能性を導き出しては消去法で精査して、
原因がなんであるかをじっくり探っていく。

大体のことが理解できて検討がついてからも、
結論を急がず、ベッドで施療するなど、
ヒーリングやセラピーを行いながらも、
情報検索と原点特定は続いているのです。

メールで主訴を伺ってから初回の三時間という時間を頂いた上で、
ようやっと概要がつかめるってな具合で。
でも中には、その初回のセッションでさえ、
情報を整理しきれなかったり、集めきれない人もいます。
ご先祖様絡みとか霊障とか因縁絡みの人とかの場合は、特に。

過去生の複雑な問題が絡んでいる人、
受け入れる準備や時期が来ていない人の場合、
今その人が受け入れられる理解の範疇にかみ砕いて
説明するのに、私のほうで混乱して、
情報のピックアップに時間がかかることも多々あります。

そうじゃないと、膨大な数のデータです。
嘘や下手なことは言えません。
間違えた情報や生半可なことを伝えることで、
その後のその人に、
よくない影響や先入観を与えるのは避けたいのです。

人の人生はとても複雑です。
伝えるのは簡単ではないし、
アンサーロボットみたいにはいきません。

だから私は時間をかけます。
リーディングという非科学的なことをしながら、
頭の中で疑義照会もします。

チャネリングをして伝えられたメッセージや
私自身がキャッチできた情報を、
ただ伝えるだけのロボットのままでは、
人という人物を介してセッションをする意味がないのです。
いかにも私はメッセンジャーでありますが。


さて、そんなわけで、
電話だと本当に、わずかに制限された時間の中で、
「知りたい事、聞きたいことに応えて頂戴」
みたいなことを要求されてしまうので、
それは私が提供できることではないなって。

つまりはニーズに合わないなって理解なんですが。

特に今回は占い会社さんの方針と合わなかったみたいです。
でも、気づきとか勉強になることがたくさんありました。
たった一か月だけでしたけど、チャレンジしてみてよかったです。

ただ電話だと遠方の方で、
セッションにお越し頂けない遠方の方も見れるので、
やはりそういう機会は持ちたいなあ、と思いました。

でもそうすると、電話占い会社を通すやり方は違うのかな。
自分のサイトのほうで「受け付けてますよ」と、
するのがベストなのかも知れません。
(実際メニューとしては設けてますが。
スカイプでのカウンセリングとチャクラワーク)

通信機器が間に介在するとエネルギーワークは厳しいんですど、
チャレンジする価値はあるかも知れませんね。


そんなわけで今仕事に関しては岐路を迎えているというか、
色々とやり方を変えていかなければいけないのかもとか、
転換期に来ているのかも知れません。

2018/01/29

伝説の都、失われた大陸の記憶

私の仕事というのは、
お客さんが現在直面している、
あるいは長年悩まされてきた(抱えている)
個人的かつ人生上の問題や悩みを伺って、

その事象が何に由来しているのか…
原因がどこから来ているのかを
非科学的な方法(視点)で考察・分析・解読して、
(単なる当人の性格や心の問題なのか、
霊的な現象によるものなのか、過去生のトラウマなのか、
そしてカルマのレッスンとして起きていることなのか。
あるいは気のせいや思い過ごしなのか、
極めて現実的なアプローチをすべき事柄なのか云々)

それに対する問題解決の対処法として、
私の出来る範囲で技術を提供することなんだけども。
(アドバイスや指摘、メッセージを伝えることも含めて)

その中でもやはり、
データとしてのエレメンタルを読むのが得意で、
その人が人間として生を受けてからの魂の変遷と歴史…
いわゆる過去生(カルマという課題含む)を読むのが得意なのね。
(ヒプノセラピーでお客さん自身に見てもらうこともするけど、
圧倒的に私のほうが読んでいくことのほうが多いです)

魂のイデアが水のエレメントの属性だから、
共感力が秀でているというのはある。
なので、霊媒向き。
しかし降ろすほうではなく、サニワ側。
霊能者という仕事や神通力を用いた仕事は、
魂のイデアが火のエレメントの人向き。

水は読み取るほうがどうしたって得意。
てなわけで得意不得意というのはどうしても存在する。

ちなみに魂のイデアのエレメントの属性は、
占星学上の12サインの区分とはまったく異なります。
今生の生年月日での天体の配置にしか過ぎないので。
魂のイデアとは不変のものですし。


話が脱線するのでそれはそれ、ここまでとして。
さて、本題です。

そんなわけで私は過去生の情報を読み取るのが得意派。
ここにも書いてはいますけれど、
これまでに見させて頂いたお客さんの中には、
ものすご~くえらく古い魂の人も何人かいて、

「えっ?」ってビックリするような記憶のかけらを
発掘というか、見つけさせて頂くこともしばしば。

「んー? メソポタミア? インダス文明…ですか?」

「この文字って、楔形文字?」

「バ、バビロニア? バビロン???」

「アッシリア? 聞いたことあるようなないような」

「テーベの都? はい?」

「あら、ピラミッドを作らされてるの?
 んでもって石から落ちて死亡って、これ労災では?」

「えっ、パルミラ…となっっ汗」

「うそ、マジ? 
 恐竜と人間が共存してた時代あるんだ、え゛ー?」

「紀元前のエチオピアって
 結構文明が発展してるんですけど? why?」


てな具合に。
(もちろん、これが本当かどうかなんて証明できません。
 私マンガも映画も好きですし、
 歴史は好きなほうだったから、
 既存の知識からのこじつけかも知れませんし)

そんな風に、
過去生リーディングを通して世界旅行つか
悠久の旅、古(いにしえ)の時間旅行ができるのが、
この仕事の面白さ、楽しみなのかも知れません。
(実際はそんな悠長なものではありませんが)


先日友人を見たときもそうなんですが、

レムリア大陸での過去生の記憶があった人、
とりあえず4人はいました。

しかも、そのうちの二人は
レムリア大陸消滅に関するものでした。
同じ日の記憶だったんです。
もちろんその二人は今生において面識はありません。
垢の他人です。


私は考古学はよく分かりませんが、
"過去生"というものが存在するのが事実として、
少なくとも一部の人々の持つ過去生の記憶の中では、
かつてレムリア大陸は存在してた、
ということになりますでしょうか。
(アトランティスもムー大陸も)

お客さんの過去生からの情報によると、
(それが本当だとすると)
インド洋に在ったレムリア大陸が滅んだのは、
人災(操作ミスと指示ミスというヒューマンエラー)による
原発事故のようなものをきっかけとした大地震、
それによる津波での島全体が壊滅と島民の逃げ遅れ…
というもののよう。

ようするに今とは違う文明が発達してて、
かなり高度な科学があったみたいですね。
けれどファッションとか建物はシンプルで、
ライフスタイルとか信仰は、
原始的な面があるっていうのか、
精神的なことは大事にされていたというか、
霊性は今の人類よりは高かった、そんな感じ。

何か結晶のようなものにエネルギーを凝固させて
それを蓄えた形でうまく使って、
いろんなことの動力源にしてたみたい。
あと、脳外科手術みたいなことも行われてましたね。
ただ奴隷に対する実験(治験)みたいな感じでしたが。


雑誌「ムー」は昔読んでたことあるし、
オカルト世代なので、ミステリーとか七不思議とか、
その手の本は読んだことありますが、
何しろ読んだのは子供の頃の話だし、

お客さんのチャクラのお掃除をしてて、
まさかそういう情報に出くわすとは思ってなかったので、
「ほへぇ~」と頭はなってしまいました。

そして、そんな古い時代のことなのに、
紀元前の記憶のほうが色鮮やかにありありと、
リアリティがあって細かく記憶されていたりすると、
どうもそうした古代の時のほうが、
ホント人は霊性が高かったのだな、
…と、思わずにいられません。

中世とか近世の記憶のほうが
覚えていることが荒いというのでしょうか、
記憶がとっちらかっていて散漫で、
適当?とはいいませんが、ところどころだったりするし。
都合の良いように改ざんされていたりもいるし。
(同じ人物でね)

てなわけで、段々霊性が下がってきているというか、
これを短絡的に
「堕落」と言っていいのかどうか分かりませんが、

古代のその人のほうが理知的で賢く、
サイキカルかつスピリチュアルな能力が秀でてた、
なんてこともよくあったりするので。

でもそれは時代のせいなんでしょうかね。
昔はテレビも本もなく、時計もなく、車もなく、
完全な安全もなく、危険と隣り合わせだったりもして、
野生の本能や感性や第六感が研ぎ澄まされるには、
良い環境だったといえるのかも知れませんし。

今の時代は道具があるし、野生のカンは必要ないし、
情報過多で常に映像的にも音的にも刺激があって、
人生もノイズばかり。頭からっぽにできる隙間ないし。


でもって、このレムリア大陸最後の日、なんですが、
このヒューマンエラーをしてもーた側の視点と
巻き添えを食った一般市民側の視点の
両方から知ることが出来たのが面白かったです。

(そういうのは結構あります。
フランス革命の王党派の人と革命側の人の記憶とか、
始皇帝の時代は秦の人、楚の人、趙の人、韓の人とか、
十字軍の西洋側、中東側の人とか、
フランスとイギリスの薔薇戦争の時の敵味方とか、
あげたらきりがないですけど、
そんな風に同じ時代に生きていて、
立場や居場所が違った人のそれぞれの視点からの記憶とか)

とはいうものの、
レムリア大陸のこととかその当日の様子とか、
滅亡の全容を解明するとか、
それを知ることが目的ではなく…
あくまでチャクラのお掃除とか、
過去生ヒーリング(解放)の過程において、
たまたま垣間見ただけのことなんで、
さほど時間とらず、後はスルーです、スルー。
(早い話がいちいち詳しく見てられねー)

まあ、こうやって知ることが出来た情報が
本当だったら歴史は面白いなっていつも思います。


追伸
レムリア大陸から逃れることが出来た人はいて、
アフリカ大陸、インド大陸、中東と、
海側の人は船で脱出して助かって、
まとまって逃れた土地で町作ったみたいです。
そしてレムリア大陸のことを伝えたり、
知ってた知識を用いて暮らしていたようです。