2020/01/01

過去記事検索機能がないので記事リンク一覧

そうなんですよね~
ここのblogは過去記事を検索するための検索窓がないんです。
PCだと左にテーマ(ラベルという名のカテゴリ)があるんですけど、
スマホは最新記事しか見れないんですよね。
でもって、PC表示にしてもテーマの分類が多いから、
捜しにくくてすみません。
なんだかんだ記事数もわりかし多いですので。

なので、スマホで閲覧している人用に、
とりあえず、おそらく見えてないであろう
左メニュー(とそのリンク)一覧にして貼っておきます。

注1)別ウィンドウで開くようにしています。
注2)ラベルの()内の数字は現時点での記事数です。
注3)内容が多岐にわたっているものはラベルが重複しています。


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それとPC仕様だと、
上部にこういうテーマ・メニューもあるんですが、
スマホ版はどうなんでしょう?
一応リンクも貼ってきます。

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ホント、カテゴリを細かく分けすぎているというか、
ラベル数が多くてすみません。
とりあえず★のついている記事は、
アーカイブブログとしてのアメブロにも転載しているので、
そちらのほうが見やすいかも知れません。
但し、原文はこちらなので、
向こうだと一部削除しているところもあります。

それとビッグローブのblogから引っ越しするとき、
エクスポート&インポート機能がなかったので、
いちいちコピペという原始的な方法を使って、
こちらに記事を移動したものですから、
貼り方がヘンになっているというか、
文章が重複して意味不明になっているところがあって、
気づいた時点で直したのですが、
未だ直っていない記事もあるようで、すみません。
もし発見したら教えてくださいっっっ

とりあえずスマホの人はこのページを
全記事を見る手がかりにしてください。

ひとまずの応急的対処ですがご勘弁を。

2018/10/16

家族を守護する家のオーラ~空き家は魔の巣窟

自分語りからになりますが、
子供の頃、真夜中に外に出て、星を見るのが好きでした。
今は東京で昼間の月も夜空の星も見る機会がほとんど皆無で、
実家はなんだかんだ関東の千葉の工場地帯でしたから、
せいぜい一番星二番星といった、
特徴的な星や星座が見える程度で、天の川などは見えず。
それでも近所の空地や駐車場や車の屋根に寝そべって、
仰ぎ見る宇宙には格別のロマンがありました。

眺めていたのは星空ですけど、
わりと頻繁に見ていると、
満月や新月の時は空気が違うというか、
実に不思議なものを視ることがありました。
私の住んでいたのは、
普通の二階建や平屋などが並ぶ住宅街ですが、
当時はまだ自然もたくさん残っていた時代のこと。

満月の夜には、
立ち並ぶ木々たちが落ち着かないソワソワした様子で、
みな一様に背伸びをしてグーンと伸びているような、
そんな風に見えたのです。
木々は昼間は寝ていて、夜には起きるのですけど、
満月の日だけは、テンション高くなってる?
そんな感じで。
木が背伸びをするなんてことはあるわけないのですが、
なんかまあ、そのように見えたのですね。
あくまで例えての言い回しになりますが。

そして、
伸びをしているのは、樹木たちだけではなくて、
なんと家も、だったのでした。

そのころの私は
「人間」のオーラは見た事なかったのですが、
家にもオーラのような光があるのは解っていました。
昼間には分からないのですけど、
夜そうやって宇宙を眺めに外に出ていたりすると、
それぞれの家が何故か白く発光しているというか、
家を取り囲むように白い煙のようなものが、
1mくらい?かなもやっとしたものを見れたんです。

でも、それは
人の住んでいない空き家にはなかったんです。

そしてそれには強弱というのかな、
家から出ている(家を包んでいる?)
光が大きい家、小さい家、弱い家、
光が薄い、濃い…てな具合に色々ありました。
(当時は昼間でもその家の人に何かがあるときは、
見たりすることも出来ましたから→お葬式が出る等)

で、満月の時に、各家から出ている、
その光(オーラ)がびょーんとまた伸びるんです。
木々と同じで、上にまるで手を伸ばすかのように。
まるで月に向かって伸びをする感じ?
(「もっと、光を!」って感じだったのかなww)

人の声も音もないけど、そうした夜は賑やかで、
植物も「家」もザワザワ、ソワソワしていて、
落ち着きなく忙しない感じで(ランランとした感じ?)、
見ていると本当に不思議で面白くて、
何をしているんだろうなあ?
あれをすることでどうなるんだろうな?
と思ったものです。
誰も答えはくれませんでしたが。

鉄筋の家もオーラはありましたが、
木造の家ほど顕著で解りやすかったです。

でも、家が壊される前とか、
植物や樹木たちが伐採されてしまう前とかは、
数か月前から、お通夜みたいにシーンとなるんです。
満月の夜もとっても控え目になって。
後になって、ああそうだったのかと、
そう気づくことになるんですけど。


今は、私が見た「家」のオーラは、
まさしくその家の人たちの「氣」で、
オーラそのものだったのだと理解しています。
住んでいる人たちの「氣」が家にも貯まるんですね。
そうやって家も呼吸して、栄養を得て、
大げさに言うと、生命を宿しているのだと…
そして家もまた、住んでいる人たちに、
「氣」を分け与えているんです。

そういう意味で「家」とそこに「住む人」は、
お互いに持ちつ持たれつの相互関係があり、
「氣」を循環させて共存しているのですね。

昼間も太陽の光から、家も人も、
氣(エーテルバイタリティー)を吸収しているけれど、
満月の日の月光浴は、太陽の出ていない間、
家が月を経由して地球に届く、
「氣」を取り込んでいたんです。

きっとそれは住んでいる人たちのために…


人が住んでいない家はダメになる。

よくそう言われます。

それは換気をしないから湿気がこもって、
建材などが痛むからだと、
あと掃除やメンテナンスが行き届かなくなるから。
確かにそれが一番の理由でしょう。

でも、どうもそれだけではないようなのです。

「家」に命(氣)を与え、
吹き込む「人」がそこにいないから…
「家」にとって、共に生きていく共存者、
家族としての「人間」がいないからなのかもと、
私は思ったりします。

生きている人が住んでいないと、
きっと「家」も寂しいのでしょう。


(たぶん、家運というのがあるなら、
私が見た、その家から放たれている「光」
のことなんだろうなって思います。
誰か亡くなったり、事故とか色々あった家は、
その「光」が消えたり小さくなりましたから。
また代々続いている古い家とかだと、
家の奥にまた別の光の塊があって、
それはきれいなものもあるけれど、
ほとんどが汚れた感じの重いダークなものでした。
そっちは先祖代々受け継がれる家の因縁とか霊脈とか、
家系のグループエレメンタルだったんでしょうね。
仏壇や家宝と言われるものの品々や、
家長さんの後ろにそれはあったりしました)



話変わって、

やはり長いお付き合いの、
クライアントさんのセッション時。
家が色々とまたお掃除が必要だねーなんて
話になりまして。

その方の住んでいる家は木造の貸家で、
アパートというより、二世帯住宅のような、
一階と二階にそれぞれ別世帯が入る戸建てでした。

「家に来る人が、
 なんか家に来ると落ち着かないっていうの」

原因としては、
部屋の中に迷い込んで来た元人間とか、
誰かが創った良くないエレメンタルとか、
よくある雑多なそういうのみたいで、
普通は風通しをよくし、太陽光をいれることで、
時間の経過とともに消えていくような、
力の弱いものたちですけども。
どうしても日当たりがよろしくない北向きの部屋に、
そういうのがたまってしまっていたようです。

ですが、その家だけでなくて、
どうもその方の頭の上、二階が気になる。
聞くと、
前の住人が出て行って、今は空き部屋とのこと。

「結構、長期間空いているんですよ」

まあ、他にもたくさんキレイなアパートや、
安くて設備の整ったマンションもありますし
古い家で設備も新しくないから、
いまいち人気がないのかもね~という話なんですが。

ちょっと気になるので見てみると、
なんかビュンビュン走り回っている。

クライアントさん曰く、

「時々、
 二階から家鳴りとは違う、なんか音がするんです。
 誰も住んでいないんですけど…
 それが夜うるさくて、落ち着かないときが」

とっさに世界仰天ニュースみたいなので見た、
勝手に人の家の屋根裏部屋に住みついていた人や、
2chのまとめサイトで読んだ、
他所んちの空き家に勝手に住みついている人…
なんかを連想したんですけど。

いやさ、これ「人」じゃない。

浮遊霊というのもいるっちゃいるんですけど、
もっと数が多い、小さくて長いのがたくさん。
ハクビシンみたいなの。

まあ、ホンモノも東京にはいて、問題になってます。
聞いた話では天井裏に住み着いて家をダメにされた、
とか、都内でもアルアル獣害で、そっちのナマモノ、
つーかリアルハクビシンの方だったらば、
駆除してもらわないといけないところですが。

でも、どうやら生き物ではない。
…エレメンタル、動物霊の方でした。

人が住んでいない「空き部屋」ということで、
勝手に住み着いたらしいです。
階下の部屋には人住んでいるんですけどね~。

とりあえず、お掃除するしかないです。
(これも駆除なのか)

その後のお話を聞くと、
「音が止んだ」ってことだから、
まあ、見立てがあっていて、対処法も成功ってことで、
解決で、めでたしめでたし…なのかな。

ただ、その後も、誰か住人さんが住むまで、
空き部屋である間は、
時おりチェックしないとダメかもー
という話でした。


てなわけで、空き家や空き部屋には、
下手をすると、眼には見えない住人や何かが、
居ついてしまうことがあるって、
そういうお話でした。

汚部屋や汚屋敷や汚フィスなんかも、
人が住んでいたとしても、
必ずと言っていい割合で、
色んなよろしくないもののたまり場、
悪の巣窟みたいなところは多々あるけど。

一件丸ごとではなく、
アパートなんかの一部屋だけでも、
そうなっちゃうんだー 
というのを知った次第です。

まあ、共同住宅では、
いくら自分とこがキレイにしていても、
隣の住人が汚部屋にしていたり、
ネガティブ思考の人で、
ネガティブエレメンタル製造機だったりした日には、
自衛は難しかったりしますけどね。

3mくらいの距離でも、
隣の人のエネルギーは侵入してきますから。
(だから寝室の場所は考えないといけない。
隣家の寝室とは隣接しないようにとか、
道路や廊下など人が良く通る側にベッドを置くのは、
避けるべきなんですね。
都会の単身住居では難しいけど)

共同住宅では、どんな人たちが住んでいるか、
で建物のカラーが決まるから、
そのカラーに染められたり影響も受けたりします。
だから、「運気」を気にするなら、
どんな人たちが多く住んでいるかも重要。
土地との相性、建物との相性も重要ですが。

深い瞑想をする人が一人、
その地域(半径100m位もしくは一区画)にいると、
その地域の人々の精神は安定し、平和になる。
とは、よく言われること。
でも、その逆もあるんですよね。

共同住宅に住む人、
戸建てであってもミニ一戸建てみたいな、
狭いエリアに立ち並ぶ建売住宅なんかは、
左右前後の家の影響も受けざるを得ず、です。

そうならないためには、
自分の家の敷地内あるいは部屋の空間に、
自分の強い「氣」を放出するまでまんべんなく満たし、
左右前後上下の住人の「氣」やそれ以外のものが、
自らの居住エリアに進出し、侵略してくるのを、
頑張って防ぐしかありません。

とはいうもののの、それ以前に
自分の家の全空間を活気ある生命エネルギーで満たし、
水回りなどデッドスペースなどに、
ヘンな居候がいつの間にか居ついてしまわないよう、
防御策を練らないといけませんね。
(ここら辺、悪いものがたまらないようにするために
考えられた建築学、生活の知恵が本来の風水や家相)

てな感じで、空き部屋恐るべし。

今都内も空き家問題があったりするわけですが、
どんだけの動物霊や浮遊霊たちが、
そこにたむろってるんだろうなーと思ったりもします。

まあ、
霊やエレメンタルのいない場所なんてのが、
そもそもなくて、珍しいわけですけども。


(地下や地下街などは彼らの絶好の居場所で、
浮浪者の人は当の本人知らずして、
ペット飼いな人ばかりでおじゃりまする)

動物は好きですけどね、うむ。
動物霊=悪っていうわけでもなし。
彼らの存在そのものが邪悪ってわけでもない。
結局は創った人なんだよなー
(お稲荷さんに挨拶に行くと、その後に
他人から食べ物をもらうことが多い私)


そして、活気のある、
とても強い光を放っている家は、
だいたい「家族」の仲が良く、
いつも笑顔で暮らしている温和な人たちの、
その「笑顔」の波動が光の源なのでした。

2018/10/12

Imagine~ウォーよりショーを!~War is over

今月10/9はジョンの誕生日だったので<タイトル
そんな私はビートルズファン(好きなのはジョージ)。


エゴは自我、エゴイズムは自分主義。
両者は混同されて用いられることが多いが、
(エゴをエゴイズムの意味合いで引用している人が多い)
意味としては対極になる。

エゴがI am…「我故に我あり」であるなら、
エゴイズムはジャイニズム(ドラえもん参照)じゃなくて、
I'm justice,I am the rule books!という「自分至上主義」
まあ、天上天下唯我独尊、地球は自分のためにあるって思考。

このエゴイズムによって創られたエレメンタルは、
創った本人と同じ知性を持っているので、とても厄介。

世の中には、
このエゴイズムに騙され、唆され、操られ、
エゴイズムによるエレメンタルの目的を叶え、
欲望を満たすがためだけに、
奴隷のように生きている人ばかりである。

人の霊的進化(成長)は、5段階に表される(ヤコブの階段)が、
最初この世に人間として生まれ堕ちた時はまず、
人としての生存本能に従って生きるところからスタートして、
次には無意識で生きる
(自らが創ったエレメンタルを使って)ことになり、
そこから「知」を得て、意識が目覚める段階へと進み、
意識的に生きることを何度も反復して学びつつ、
やがて覚醒して、超意識を得て光明へと至ることになる。

とはいうものの、未だこの地球には、
本能と無意識で生きている人々がほとんどで、
圧倒的大多数と言うか過半数以上がそうなので。
地球自体の霊性はとてつもなく低いと言わざるを得ない。
実際、地球は劣等生の集まりで落第生ばかりなのである。

少し前の流行で、スピリチュアル・ミーハーな人たちが、
次元上昇(アセンション)だの何だのって騒いでいたようだが、
残念ながら、私たち人類(地球人は)意識低い系のままである。
ぜーんぜん意識高くなーいっっ
(女性の方が男性より柔軟で精神重視志向の人が多い)

別の角度から見た時にも、
この地球上の価値観は原始的な物質主義に縛られたままで、
各国のジャイアニズムが牽制し合って、
力を誇示し、覇権を争ったり、
自国の利益ばかり優先した結果としての世界情勢。



サイキカル界、ノエティカル界のレベルの7段階は、
しばし、
7つのエーテルセンター(チャクラに対応する)に対応し、
比例して語ることが出来るが、
現代の地球の価値観はようやって近代に至って
第三チャクラ(自己)に表される、
個人の時代にようやく到達したところで、
他者との感情や体験のシェアリングを味わえる、
第四チャクラ…他者と共有する愛の時代には未だ遠く、
そこに至っている人は少ないのである。
ていうか、それ以上の人は少数派(マイノリティ)で、
自分至上主義的な社会のイデオロギーの中では、
居心地がとても悪く、生きづらい時代と言ってもいい。

今はまだ不安と恐怖が人を所有へと駆り立てる、
パワーの時代(力で弱者を制する時代)であって、
愛と智慧が足りない時代であるし。
芸術や教育、体験的な経験よりも、
物質的至上主義であるので。
目に見えないものに価値を置き、
美を愛でたり、それらを大切にしたり、
自らをクリエートして生きようとする人々は、
呼吸が出来、自分らしく生きられる場所を求めて、
偏見や孤独の中、彷徨っていたりもする。


それでもまだ世の中は、数十年前、数百年前より、
確実に「良くなって」いたりするのである。

斎藤一人さんの著書かから言葉を引用させて頂くと、
いわゆる"生成発展"というやつで、
「人類の歴史は始まったときから、
 ずっと、だんだんよくなりつづけている」ので。

確かにそれはそう。
今の世の中は、過去の人類すなわち
私たちの過去生だったり、
先祖だった人々が願った未来。
あらゆる人々が制限のある現世をあきらめつつも、
子孫に希望を託した結果や来世であって、
こんな世の中を変えたい、社会を良くしたい、
こんな人生は、生活はもうイヤだ、
と思ったことから思考し、行動したことが、
社会を創ってきたのだから。

四次元の世界での空想、
五次元の世界での思索、
それによって創られたエレメンタルが、
グループエレメンタルとなったり、
発明やアイデア、インスピレーションの種となり、
誰かに拾われたり、大勢を突き動かす原動力となって、
三次元の世界に具現化されたものが、
物質社会を形作る構成要素となり、
私たちが今存在している現実世界として、
見て、触れて、聞くことが出来ている。

こんなものがあったらいいな、
もっと便利にできないだろうか、
どうすれば事故や人災を防げるだろうか、
地震に強い家づくりをしたい、
人の命を救いたい、

そんな人々の想いが今の便利な世の中を創ってきた。

確かに世の中はまだまだ不幸が多いし、
悲しい出来事も憤慨するような酷い事件も、
日々起こっていて、なかなか無くならない。
それでも、人命の歴史は進んでいて、
過去のどの時代よりも今のほうが良かったりする。

「世界がもしも100人の村だったら」
なんかを読むと、
まだまだだなって、痛感させられることばかりでもある。
希望を失いかけ、失望することも減らない。

でも、皆が願えば…
101匹目の猿がもっともっと増えていけば、
きっと世の中はもっともっとよくなっていくはず。

まず世界に平和を望むのであれば、
自らの内に平和を築かなければいけない。

by エドガー・ケイシー


そして、世界を平和にするためには、
一人ひとりが自分の問題と向き合い、
一つひとつ自らの内在する問題を解決していけば、
外界に表れている問題は無くなり、
すべての問題が解決していくのだと思う。

power to the  people !
ヒューマンパワーが地球を変える…

いつの時代でも、
時代の先を行き過ぎて、行き急いだがゆえに、
反発と抵抗の波にかき消されてしまう人がいたりする。

音楽や美術など、アートワークをする人の多くが、
そうした時代の声を聴き、
聞こえない音を聞こえる音にして伝え、
見えないものを視えるものに形状化して見せることを、
私たちにいつだってしてくれているのだろう。

時に音楽として、映画として、芝居の脚本や、
一枚の絵画やデザインの中に、
あらゆる「美しいもの」「前衛的なもの」の中に、
人の心を、魂を揺さぶり、情動を突き動かす、
Something と感動の渦を私たちに与えながら。




さて、我が家にはテレビがないので、
私はyou tubeをよく見ているのですが、
少し前には(今は別のにはまり中)、
Xファクターやアメリカンアイドル等の
オーディション番組にはまっていたり。
(いや、英語はさっぱりわかりませんけど)

とにかく思うのは、
アメリカは豊かな才能の宝庫だということ。
素人ながら素晴らしい逸材がとてつもなく多くて、
さすがエンターティメントの国だ、と実感させられます。

私は洋楽好きで(邦楽も聞きますけれど)、
幼少期より海外のバンドを聞いてきたものですから、
日本の芸能人のレベルの低さというか、
歌手やバンドやミュージシャンに関しては、
なんだかなって思うとこも多々。
ていうか、
曲の良さや実力で評価されないのが日本という国で。
でも、まあそれは置いておいて。

いや、本当に、感動するのですよ。
多少、やせらっぽいところはあるけど、
(簡単にスタンディングオペレーションする観客とか)
でもそこはテレビでエンターティメントなんで、
ショーとしての演出は必要だし、
感動の押し売りがウザイときもあるけど、
基本的には素晴らしいパフォーマンスや
歌唱力や個性を持った素人が多いから、いいかと。

ダンスやイリュージョンのパフォーマンスしかり、
シンガーなんかは一人ひとり、
ホント素晴らしい個性的な声を持っていて、
なんていうか、
こういう自分を100%表現できる場があるって、
そういうチャンスを与えられる場があるって、
とても素敵だなあとつくづく思ったのです。

見ているだけで楽しいですし、ウキウキしました。

ダンスや音楽(歌や演奏)だけでなく、
スポーツとかアートなんかも見る人に感動を与える、
素晴らしいもの。

オリンピックは私自身はあまり関心ないのですが、
それをする人にとっては、自己表現の場なわけで。

世界中の人が、こういう自分の能力を、
最大限に表現出来るステージに立てたなら、
そしてこのようなショーをもっと多くの人が楽しめて、
悦びと新鮮な感動を日々味わって共有出来たなら…
皆の心は満たされて、
争ったり、泣いたり、苦しんだり、怒ったり、憎んだり…
はもっと減って、
そしてこの世から諍いがもっと消えて、
人々が互いの利権を奪い合う戦争なんて、
バカバカしくなるんじゃないんだろーかって。

本当に…
私たちは互いに殺し合うよりも、
相手を力で制して、屈服させて、奪い合うのではなくて、
お互いの違いを認めて、
それぞれの個性や才能を賛美して、
互いの素晴らしさを評価して楽しんで、
そうやって生きていけたら、どんなにかいいだろう。

戦争(ウォー)なんかするより、
世の中もっともっとショーをみんなで楽しんで、
人々の心を豊かにして、笑い合って、
怒りや哀しみよりも、喜びと感動をシェアして行けたら、
どんなにかいいだろう。

毎日エンターティメントだらけで、
スポーツにしてもアートにしても勉強にしても、
皆が好きなことをして自分を表現できて、
誰かの心を満たし、自分も他人をも幸せにする人生を
生きることが出来たならば、
この世はあっという間に、平和になるだろうに…

世界中のどこかで拉致とかレイプとか殺人とか、
何処かの国が何処かの国を侵略したとか、
独裁者が民衆を苦しめて恐怖支配をしているとか、
子供が虐待されたとか、子が親を殺したとか、
一家心中とか、不幸な事故とか、虐めとか差別とか、
そういうことが一切無くなって、
悲しくて辛いニュースも聞かなくて済むだろうに…

なんて、そんなことを思ってしまいました。
上手くまとめられませんが。

2018/10/11

エネルギーヒーリング~レイキの恩恵

ヒーリングとは「治る力」
すなわち自己治癒力のことで、
身体が治ろうとするのをサポートする、
治療行為(施療)のことも意味する。

現代医学(西洋医学)も、
それに付随する理学療法もヒーリングだし、
東洋医学(中医学・韓医学・日本漢方)も、
アーユルベーダもチベット医学もタイ古式マッサージも、
世界中に存在する民間医学や療法はみんなヒーリング。
指圧も按摩も整体もリフレクソロジーも、
カイロプラクティックもオイルマッサージも。

ボディワークとしてのヒーリングだけでなくて、
心や精神に対する働きかけをするものも、そう。
心療内科も精神医学の対処法も、
それらや民間のセラピーもカウンセリングも、
心や思考に働きかけるヒーリング。

癒しとは、崩れたバランスを元に戻し、
正常な働きを取り戻すように働きかけ、
不健康な状態を改善して、健康である状態へと導くこと。

物質的な次元の身体を対象として行うのか、
心の身体(サイキカル体)、あるいは
思考体(ノエティカル体)に対して働きかけるのか、
その違いに過ぎないのです。

三つの身体のいずれかが健康でない状態にあるなら、
その他の二つの身体とのバランスも崩れていて、
三つの身体は互いに補完し合う相互関係にあるので、
一つの身体に働きかけることは、
結局のところ全体に働きかけることであるので。
もちろん、原因となった、
一番ダメージを受けている身体と病巣(根源)に対して、
ダイレクトに施療を行えば結果(効果)が出るのも、
解決(回復)を促すことも早いのですけど。

で、
エネルギーヒーリングとは、基本的には、
「氣」である「エーテルバイタリティー」を
用いたヒーリングのことです。
(氣はマナやプラーナ、宇宙エネルギーとも言われる)

そして、エネルギーヒーリングの中でも、
「エーテルバイタリティー(氣)」を人から人へと、
譲渡して補充するのがマグネティック・ヒーリング
レイキとかクォンタムタッチとか手かざしとか、
気功やタッピングなどのハンドヒーリングが相当します。

「エーテル・バイタリティ(氣)」を元に錬成して、
ヒーリングに実用的なイメージの形にしたり、
氣のボ-ルを作ったりするなど、
「氣」を加工してエレメンタルやエーテルコードを、
操って働きかけをするのがサイキカル・ヒーリング。
エレメンタルの書き換えをするヒーリングはこれです
チャクラに働きかけるヒーリングもそうだし、
シータヒーリングやイメージを使ったセラピーやワーク、
ダイレクトにエレメンタルに働きけるサイコセラピー、
ヒーリングだけでなくて、霊能者さんたちがしていることも、
これになりますね(四次元や五次元の事象に対し働きかけて、
色々構築してる<霊体やエレメンタルにアプローチしたり、
霊道作ったり移動したり、封じたりの操作など)

そして、これを勘違いしている人は多いのですが、
スピリチュアル・ヒーリングは、
人間が行えるヒーリングではありません。
霊界(五次元、あるいはそれ以上の次元の存在)
の霊医と呼ばれる存在が行う施療のことです。
これはヒーラーはまったく疲れないし、むしろ健康になる。

肉体(三次元)に対しての働きかけでもなく、
感情体(四次元)に対する癒しでもなく、
思考体(五次元)に対する意識改革と、
神体(六次元)に対する働きかけで、
霊的意識の目覚めを促進して根本的な治癒を起こすので、
魔法のような奇跡が起きるのです。

これは物質的な三次元の存在である人と、
四次元、五次元、六次元以上の存在が、
チームとなって行う作業であるので、
人であるヒーラーは窓口となる受付係のようなもので、
その人自身の意志や力で起こせるものではないのです。

なので、
スピリチュアル・ヒーラーと名乗る資格のある人は、
そうした奇跡を起こせるチームの、
三次元での顔(代表で代理人)ということになりますが、
まさに選ばれた人でもあるので、
その人自身の意志でヒーラーをやりたくて、
その道に導かれた、というのはまずないです。
(解剖学とか医療的知識がないとなれないし…
という意味では医師免許を持っている人等の、
医療従事者が最も近い候補者ってことです。
医師でゴッドハンドの持ち主は
過去生でも医師だったのでしょうが、
背後にサポートがいることは間違いないです)

だから、
スピリチュアル・ヒーラーを名乗っている人は、
こうした霊的知識がバックボーンになくて、
謝って肩書や名称を名乗っている人がほとんどです。

本当にその意味を知っていたならば、
恥ずかしくて肩書を名乗れないはずですから。
(博士号のない人が博士を名乗っていたり、
マエストロの資格がない人が名乗っているようなもの)

マグネティック・ヒーリングは誰でも練習したり、
霊授を受ければできるようになりますし、
サイキカル・ヒーリングにしても、
鍛錬して習得することは誰でも出来るようになります。
が、やはりエネルギー・ヒーリングの基本は、
マグネティック・ヒーリングにあると言えます。

マグネティック・ヒーリングは習得していないのに、
サイキカル・ヒーリングだけを行っている人がいますが、
こういう方は自分自身の「氣」のみを使うのもあり、
クライアントさんを見た(施療)後の消耗が激しく、
相手から「受けやすい」というのがあったりします。
そして、先天的に「緑の手」を持った人でない限りは、
質の良いエレメンタルの生成には限界があるようです。

とはいうものの、
サイキカル・ヒーリングは、
その人のサイキカル体の状態に左右されるので、
サイキカル体が発達していない人には不可能です。
(創造力=想像力ですので。イメージ力のない人、
ヴィジュアライゼーションが苦手だという人は、
はっきりいってサイキカル・ヒーリングは無理です)

サイキカル・ヒーリングが上手くできる人、
この手法でのヒーリングが成功するか否かは、
その人のイメージ力と感情のコントロール力に、
委ねられています。

マグネティック・ヒーリングは、
どんな人でもほとんどの人が習得できますが、
サイキカル・ヒーリングに関しては、
上記のような制限というか条件があります。
そして、スピリチュアル・ヒーリング。
これは出来る人はほとんどいません。
それが出来ると思い込んでいる人は、
まず出来たためしがありませんし、勘違いです。
スピリチュアル・ヒーラーは存在しますが、
その存在に出逢える人はまれです。
出逢えたこと自体が見えない世界からの導きであり、
入手不可能な特別チケットを手に入れられた、
という意味になります。
(医師以外での一般の仕事をしている
スピリチュアル・ヒーラーは確かに存在しますが、
彼らは自分の存在をまず他人に誇示しません。
従って、ネットの世界にはまず出てきません。
かなりコソコソやってます。
けれども、見えない縁で繋がれる人は繋がれるのです)
※私みたいにこうしたblogで、
 あれやこれや書くような真似はしない人たちです。

サイキカルな能力と
スピリチュアルな能力はまったく別ものです。

サイキカル・ヒーリングに長けたヒーラーで、
スピリチュアリティの高い人には、
霊的な存在(透明なヘルパー)のサポートが付き、
やはりチームでの仕事をすることになりますが、
六次元以上の存在が介在しないので、
どうしても「心の癒しと解放」(四次元の身体)を
主体とした働きかけ、ヒーリングになります。
この段階で、五次元の身体にまでヒーリング効果が到達し、
意識の変革(気づき)が起きることも間々ありますし、
スピリチュアル・ヒーリングが出来ない、
単なるサイキカル・ヒーラーでも、
レベルの高いサイキカル・ラーならば、
それに類似した効果や結果を出せます。
(そこまで行かなくてもいい線行っているというか、
近い仕事をしているというか、そんな感じで)

但し、その結果を自分の能力(手柄)と過信し、
常に安定してそれを引き起こすことが出来るのだと、
そうした勘違いが生まれてしまうのが、
ヒーラーにとっての不幸の始まりです。
(まぐれで除霊が出来たのを常にできると思ってしまい、
それを看板にしてしまい、自らが背負う悪循環を作る等。
その他、たまたまクライアントさんの病気が治ったのを、
自分が直す力があると思いあがってしまう等‥)
まだまだ、そのレベルの人はエゴイズムを持っていて、
完全には捨てきれていないからです。

スピリチュアル・ヒーリングが出来るヒーラーは、
エゴイズムを捨て去って小我から大我の境地に至り、
他人のために生きることが幸福と自覚できている人なので。
つまり聖人か聖者一歩手前かそのレベルに達している人。
このレベルのヒーリングを受けると、
人生がまさに180度転換して変わってしまいます。
青天の霹靂、頭に雷が落ちて人格が一変してしまうくらいの、
それくらいの覚醒(魂の目覚め)がその人に起きるのです。
2ch用語で言うならば、その人の手に触れられただけで、
DQNが一瞬で背筋がしゃんとし、頭を丸めて、
きりっとした聖人君子になってもーた、とか…
一瞬でウォーターして「うう、アタシ間違ってた(号泣)」
になっちゃうような、そんなことが起きるんです。
(どんなバーサーカーでもその状態には戻らない)

マグネティック・ヒーリングでも、
エーテル・バイタリティー(氣)を補充し、
三つの身体のバランスを整えることで、
肉体のダメージ回復を促進し、
メンタルの状態を上向きにさせることは可能です。
基本的にマグネティック・ヒーリングは、
物質的身体に対する働きかけがメインですが、
肉体に不足していた氣が満たされることで
同時に消耗していた四次元の身体への負担が減り、
そちらにも氣が行き渡ることから、
感情的な安定が促進され、氣持ちが良くなるのです。
そのことから、四次元の身体の状態が改善され、
長期的に受けることでダメージも回復しやすくなります。

マグネティック・ヒーリングも、
サイキカル・ヒーリングも、
習得する自体は難しくなく、鍛錬して、
日々実践して、経験を積んでコツさえ掴めば、
イイ感じに上達してもいきます。

けれども、その先の段階に進むには、
その人自身の人間力、霊的成長の度合いというか、
スピリチュアリティ(霊性、人としての品格)次第で、
その人のその人類同胞に対する奉仕の精神や
ヒーリングをする動機、
人としてのその人の人間的な魅力に魅せられた、
霊的な存在たちがサポートしてくれるか否か、
その存在たちがどのレベルの存在たちなのか、
そうしたことに左右されることになります。


☆ ∞ ☆ ∞ ☆ ∞ ☆ ∞

さて、私はその昔、
手塚治虫先生の「ブラックジャック」を読んで、
外科医に憧れたときもありました。
でも頭脳が足りないし(理数系は壊滅的)、
経済的にも進学とか無理だったのでその道は×。

ていうかー
それ以前に私は超虚弱体質(いわゆる病弱)で、
自己免疫システムに異常あるし、単腎だし、
体力要な仕事に就くこと自体、無理がありました。

ですから、普通のOLに憧れました。
それか普通の主婦に。

ちなみに無駄に霊体験とか多かったし、
占いなんかも習得していたけど、
占いとか霊的な仕事とかだけは、
絶対にしたくないって思っていたのです。

けど、何の因果か、結局占い師やって、
今はレイキのティーチャーで電波な仕事していたり。
(おや…?)

犯罪学とか好きで検視官系の本、読み漁って、
犯罪捜査の協力をするサイコメトリーに憧れて、
来世はそっち系のことをしたいと思いつつ、
監察医なんかもいーなーと(来世ね)思っていますが、
臭いに敏感で臭いのはノーサンキューなので、
その時点で死体の検視とか無理だなーと。

まあ、話逸れました。

レイキを習得する前、20代の頃ですが、
台湾に気功習得しに行ったことがあります。
先輩に誘われて参加したのですけど。
最初は東京での合宿ということでしたが、
伝授して下さる方が高齢でヤバイかも、ということで、
私たちが台湾に行くことに。
何が何だかよく分からないで参加しましたが、
その時、初めて天と地の氣の交わるところに行き、
大地の「氣」のパワーを感じる経験をしました。

普通気功って、太極拳や合気道みたいに、
「氣」を感じるところから少しずつ体得するのかと、
そう思ってもいたのですが、
当時は何をされているのかわからなかったんですけど、
レイキのアチューンメント(伝授)と同じで、
霊授で「氣」の道を繋げてもらってたんですね。

でも、
せっかく使えるうようにしてもらったというのに、
成り行きで取得したものですから、
真摯に向き合わず、そのままにしていました。

その後、愛猫がリンパ腫で亡くなって、
ペットロスに陥ったことから、
その時、好意で愛猫に対して、
遠隔ヒーリングをして頂いたことや、
ダメージを受け、憔悴した私を見かねて、
ヒーリングのサポートを受けたほうがいいと、
友人が勧めてくれたお陰もあって、
その友人であるレイキヒーラーの人のところに。
(この下りはどこかに書いたとも思いますが)

1980年代にニューエイジ・ムーブメントが起きた時、
レイキは日本に逆輸入され、一時脚光を浴びたのですが、
当時の私の印象として、「レイキって胡散臭い」
偏見というか先入観から、毛嫌いしていたというか、
敬遠していたものだったのですね。
気功はともかくとしてエネルギーヒーリングとか、
チャネリングとか、そういうのに対してもそうでした。

占いの仕事していても、占い自体に抵抗ありましたし、
今も新興宗教アレルギーだし、
ミーハーにスピリチュアルを語っている人は苦手です。
十分私自身が電波な人間なんですがっっっ

でも、まあその時は心身ともに弱っていたこともあり、
抵抗なく友人の勧めを受け入れられたんです。

で、受け入れて、
レイキのヒーリングを受けてみたら、
実際にものすごく元気になれた。
心身共に前向きになれたんです。

半年間、愛猫の闘病生活の末の喪失感、
仕事も出来ず、日常生活もままならないほど、
悲しんで嘆いて、心身共に消耗しきっていて、
完全に「氣枯れ」してしまっていたんでしょうね。

何度か通わせて頂いて、自分を取り戻して、
「レイキ」を体感して、これは有益なものだと思いました。
自分がそれまでもっていた偏見や先入観も捨てられたし。
心身共に安定している、
この状態をキープしたいなとも思ったし、
もともと不安定な気質で心も弱く、
病弱で精神状態に左右される健康状態だったこともあり、
それが改善出来るかも、と伝授を受けたんです。

当初、仕事にしようとかは思ってなかった。
ティーチャーにしても、なろうと考えてなかったです。
まだ占い師はしていましたが。
アロマセラピストとしての仕事や、
メディカルハーブに関連する仕事をしたかったので。

たまたま、占いのお客さんとしていらした人で、
「霊を憑依させてる」人や「氣の消耗」が原因だ、
と言う人が続いたので、
「レイキヒーリングさせて下さい」となって、
そういう機会が増えたので、メニューに入れてみた。
気が付いたら、そっちが本職になってたパターン。

アロマテラピーのトリートメント中に、
クライアントさんが急に泣き出してしまったことがあって、
どうやら
過去生の情報にアクセスしてトリップしてしまったので、
それで仕方なくというか巻き込まれるようにというか、
必然的に、状況的に仕方なくヒプノセラピーやら、
過去生リーディングをするようになってしまった。

たぶんレイキのアチューンメントを受けたことが、
私の歴史でひとつのきっかけだったとは思います。

でも、まあ、もともと子供の頃から、
霊的な体験はそれなりにしていたし、
神秘学やそっち系の知識もあり、
占い師で人の話を聞く経験が豊富だったから、
何となくにしてもその延長線上で出来る仕事というか、
無理なく移行できた職種という気がします。
(今の仕事をする土台があったというのかなあ)


色々と前置きが長いんですが、

結果的に気功修行ではなく、
レイキのアチューンメントを受けたことで、
あれやこれやと今に至る道筋がパッと開いた私ですが、
その前の気功修行にて台湾の某パワースポット、
「天と地の氣が交わるところ」に行ったのも、
ちゃんとした布石、道筋であったわけですね。
たった一週間しかいなかったけれど、
いるだけで「氣」が体内に満ちる経験をして、
「氣」が充実するってことがどういうことか、
実際的に体感出来ていたので。

その時はなんでも解るというか、
リーディング絶好調でした。
怖いものが一切なく、なんていうか無敵で、
今の自分はなんでもできるってくらいに、
気が大きくなっていました(ジャイアンでなく)。
都会に存在するあらゆる電波や他人の想念が、
あちらこちらを飛び交っているのが身体で分かるというか、
すべてが自分を通り抜けていくのがわかるみたいな。
このあたり上手く説明できないんですけどね。

でも、その気功の奥義を授けてくれた
仙人のような老師が私に何をしてくれたのか、
その時にはまったくわからないのでした。
日本に戻ってきてから、上記の状態になったんで。
(台湾にいる間は旅行気分で浮かれてました)


レイキのアチューンメントは、
「レイキの回路」を作る、という表現ですが、
ふだん私たちが三つの身体の維持と回復のために、
栄養として取り入れてる「氣(エーテルバイタリティー)」
とは違う種類の霊氣と名付けられた、
「氣(エーテルバイタリティー)」を取り入れるために、
その受信アンテナと通り道を作り、
それを掌のチャクラから放出出来るようにする…
そんな感じですね。

なので、
アチューンメント(伝授すなわち霊授)中に関しては、
あれこれ「氣」の流れをいじられることになり、
その後の21日間、体内にて氣の調整が行われるので、
人によっては、体調を崩すこともあります。
心身ともに不安定な状態に陥ったり、
趣味嗜好の変化が起きたり、色々ですね。
(たまに一日でファーストからサードまで伝授したり、
きちんと定められた日数・行の期間を開けないで、
連続した日程で霊授を行っている人がいますが、
それは大きな間違いですね。
21日間という単位は、行の基本的な期間ですので、
きちんとセルフヒーリンクに省略された行期間は、
守らないといけません)

氣の流れが大きく変わって、
一時的に氣の波動が上がるので、
貯めこんでいたマイナスの感情(エレメンタル)が、
居心地悪くなって騒ぎ出すというか暴れるというか、
これを浄化(デトックス)とも言いますけど、
好転反応として捉えたらいいのかな、と。

レイキを受けたから波動が上がって、
心身の問題すべてが解決っていうのはないです。
霊的な成長が伴っていなければ、
体内の氣の波動が上がった状態というのは、
一過性のもので一時的な体験にしか過ぎません。
そうした良好な状態は短期間しかキープされず、
数か月あるいは数年位で落ち着きます。

この状態をレイキの効果が消えた、無くなった、
力を失ってしまったとか、回路が閉じた、詰まった、
というような言い方、捉え方をする人がいますが、
そういうことではないのです。


私の場合、
レイキのアチューンメントを受けて、
体内の氣が攪拌されたかなんかで氣の流れが変わり、
氣が充実し、波動が上がったお陰で、
生きるモチベーションが上がりました。
その代わり、ヒーリング・クライシスが酷かったです。
貯めこんで抑圧していた負の感情…
ネガティブなエレメンタル(記憶)のフラッシュバック。
とてもしんどく、大変でした。

けれど、それを乗り越えた後は、
健康面での恩恵がありました。
今も決して身体は丈夫とは言い難いのですが、
レイキを受ける前までは、
少しストレッチなどの軽い運動をしただけでも、
間接に負担がかかって炎症を起こし、
熱を出して寝込んでいたのですが、
その後、スポーツジムに通って運動をしたり、
ヨガやストレッチなど普通にできるようになりました。
一年中風邪を引いたような症状もなくなり、
2、3年に一回大きな風邪を引く程度で済んでいます。

幼少期のトラウマで食べれなかった、
ある食べ物が食べれるようになったり、
高所恐怖症で歩道橋も渡れなかったのに、
渡れるようになったり、
二階以上の建物のベランダも何とか、
低層階なら大丈夫になりました。
(このあたりは過去生の記憶の解放の
恩恵のほうが大きいのですが)

あれほど好きだったお酒も弱くなり、
あまり飲まなくなりました(笑)
タバコも止めました(美味しくなくなって)。
ファストフードとかも気持ち悪くて、
身体が受け付けなくなりました。
(まったく食べていないわけではないです)

てなわけで、
私はレイキを取得したことで、大きな人生の節目を迎え、
否応なく仕事の転換期を迎えることになりました。
これに出逢っていなかったら?とも思いますが、
確実に導かれたと思いますし、必然だったのだと思います。
ティーチャーになることも考えていませんでした。
人に教えるなんて自分には向いてないし、とんでもないと。
でも、霊的真理の学びをすることとなり、
そうした知識を得た事、要望を頂いたことで、
ティーチャーになって12年の月日が経ちました。


実際、ティーチャーになって、
たくさんの方にレイキをお教えしてきましたが、
受けられた方たちの中では、
ヘビースモーカーだった方が「タバコがマズイ」
となったり、キッチンドランカーだった方が、
「コップ一杯飲んだら、もうダメで」
となってしまったり…
「果物や野菜をモリモリ食べるようになった」
とか、アレルギー体質が改善されたとか、
楽になった、という人もいらっゃいました。

単なるプラセボ効果なのかも知れませんけどね。

体質や体調、思考や趣味の変化もさもありなん、
気持ちや考え方の変化、見識や意識が変わった…
という声もたくさんあったりします。
思ったことが叶いやすくなったとか、
精神的に安定するようになったとか、
細かいことを気にしなくなったとか、
生きるのが楽になったとかとか…

それは「氣」の流れによる波動の変化と、
一時的にせよ、そうした効果によって、
負のエレメンタルとおさらば出来ている
(ネガティブエレメンタルから解放された)状態を
味わっているからでしょう。

そうした
「氣の抗生物質的」な「特攻薬効果」
をどこまで維持し続けられるかどうかは、
その後のレイキの使い方、付き合い方次第、
とも言えますね。生活態度や氣の扱い方。
平たく言えば、その人がどう生きるか、
どのような人生を生きようとするのか…
レイキという回路を持ったことを
どのように自分の人生に活かそうとするのか、
氣が充実した状態や、
波動が上がったことによる恩恵的体験をしている間に、
何をするのか、掴むのか、気づくのか…
すべてはそれ次第に委ねられているのかも。

そっち側に行くのか、元の道に戻るのか…

レイキの根本的な教えの中にある考え「八正道」
この「八正道」を実践して生きられるなら、
きっとその人は、
光明に向かって行くことが出来るでしょうが。

せっかく修得したというのに、
「使っていない」とか、
「自分には取る意味がなかった」
「回路が塞がっちゃったみたい」
「ちゃんと伝授してもらってなかったみたい」
として、そのままになっているなら、
それはもったいないこと。

時間とお金をかけて、
そして「導き」があって、得た縁のこと。

きちんとご自分の人生に活かして頂きたいものです。

2018/10/06

通過儀礼~エゴをそぎ落とすためのエアポケット

高き者のことば

私は知っている、私が九夜の間
風吹きすさぶ樹に吊り下がり
私自身の刃に傷つき
オーディンに捧げて血を流し
私自身をいけにえにして
根はどこに延びているのか
誰も知らぬ樹に
しばりつけられて

誰も私にパンを恵まず
誰も私に角杯を恵まなかった
底知れぬ深みをうかがい
私はルーンを発見した

咆哮をあげ、私はルーンを掴みあげ
気を失い、大地に落ちた

私は健やかになり
賢くなった
成長し、成長を愉しんだ
ことばからことばへと
さらに、ことばへと導かれ
業から業へと導かれた

---古代ノルド語「詩のエッダ」(西暦1200年頃)より

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞


私みたいな仕事をしている人、
そして真理(道)の探究者に関しては、
時おり「お試し」的な揺さぶりが、
拒否権なし(強制的)に定期的にやってきたりします。

別に真理の探究者だけでなく、
普通の人もみんな「カルマのレッスン」には、
日々直面させられているものですが、
それにも増して強烈な愛のムチ的なものが、
「霊的知識」をちょっとでも学んだものには、
否応なく容赦なく、雨あられのようにやってきます。
これでもか、これでもかってくらいに。

ビジョンクエストみたいな感じですかね。
スピリュアル・エマージェンシーみたいな、
「目覚めなさい」「起きろってばコノヤロー」
と…足元からすべてが崩れ落ちて、
人格崩壊と狂気の境をさ迷うな激しいのは、
さすがに一生に一度か二度くらいですけども。

それよか小さいの、中くらいの波、
エゴイズムを捨て去れぇぇぇええぃいいい!
と行き詰まって奈落の底に突き落としてくる、
「シャーマンの死」はもうしょっちゅう。

何故かって、
私みたいな仕事をしている人間がエゴイズムに陥ると、
スピリチュアルナルシズムを発症して、
他者に対して罪深いことこの上ないからです。

エゴイズムを完全にそぎ落として、
人よりも霊的成長の段階が進んでいるからって、
この仕事が出来ているというわけではないので。
(決して特別な選ばれた人間ではないのです)

エゴイズムの罠はそこいら中にたくさんあります。
「七つの大罪」も「108つの煩悩」も「ケガレ」も、
ぜんぶエゴイズムですけど。
エゴイズムではないと思っているものも、
結局のところエゴイズムだったりすることもあるし、
偽善だったり、私利私欲だったり、
大我でなく小我だったりもよくあることで。

こういう仕事をしているからって、
なんでもわかるわけではないし、出来るわけでもないし、
悩みがないわけでも、感情がないわけでもありません。

逆に煩悩、我欲があって、
自分自身の矮小さを知っていて、
エゴイズムの怖さをよく知っているからこそ、
現実世界でエゴイズムに翻弄されている人の苦しみや、
その背景や状況が理解できるっていうのはあります。
悟ってないからこその視点というのかなあ。
(すべてを悟った聖者様ではなくて、
限りなく俗物なナマの人間ですもの)

結局、人は自分自身を育てることしか出来ません。
そして、自分自身の問題を解決するのが、
何よりもプライオリティの高いことなんだなって、
色々と痛感させられる今日この頃。

それが世界平和への道というか、
世の中をよくすることであり、
社会のためになることで、貢献であるのです。

はい。
世界の平和を望むのであれば、
まず自分自身に内在する問題を解決すること。
それが先決です。

世の中の一人ひとりが、
自分自身の問題を解決できたなら、
地球はとてつもない、良い環境になり、
何一つ問題のない、平和な星となるのです。

地球に住むみんなが、
自らのエゴイズムとおさらばできたのならば…


だから無理に背伸びをせず、
誰かのために生きたり、犠牲になる必要はなく、
自分の手にあまることは手放し、
まず自分のために生き、
自分の能力でできる範囲から、
手を付ければいいのです。

一人ひとりが自分を救うことから始めれば、
地球のすべての人が救われるのですから。

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞


前にもどこかの記事に書いたかなと思うのですが。

霊的な仕事に就くべき人というのは、
幼少時からあれこれ「テスト」されたりします。

・どういった種類の能力が一番秀でているのか
・どの方面に資質・適性があるのか

私の場合も色々あったかなと思います。
今にして思えば…ですけども。

ケガをする人のビフォーアフター、
火事になる建物のビフォーアフター、
これから亡くなってしまう人に目印
とかとかな状態を見てしまうなど、
数か月、数年先のニュースを先見とか、
予知的なことを見させられたり…

夢の中でニュースで報道されていた被害者が、
犯人教えてくれたり、なんてのもあったし…

その他色々あれもそうかこれもそうか、っての。

でも、上記に書いたようなのは、
一時的に顕現しただけの能力で、
短期間で終わってしまいました。
今はもう当然ながら出来ません。

今は未来を視ることが一番苦手です(笑)

年を重ねて経験を重ねたから、
出来ることが増えたかというと、そうではなくて、
上記に書いたようなことが出来た、
子供の頃が一番サイキカルな能力、
すなわち霊的な能力が秀でていて、
色んなことが解ったし、出来ていました。

今は当時と比べて無能の極みです。

ヒーリングの仕事を始めた頃より、
ヒーリング能力は別段変わってないというか、
むしろピークは過ぎて、パワーも能力も、
当時より落ちたんじゃないかとかも思いますしww
チャネリング能力というかアカシック読んだり、
他人の過去生とか読み取るリーディング能力も、
そんなに?と自分でも思います。

ていうか、必要なこと、
伝えるべきことしかもう解りません。
余分な情報は来ないんです。
アクセスも出来ないし、必要もないって感じ。
誰と、どことコンタクト取っているのかも、
今は気にしてないし、重要ではないのでしょう。

それを落ちた、能力が無くなったというのなら、
きっとそうなんでしょうし…
でも、たぶん私自身の方向性、
適性が決まったからなんだろうって自覚はあります。

というのは、
やはり私は「教える」のが道なんですよね。
どうやら施療とかは二の次のよう。

一通り色んな事をやらせて頂いたけれども。
そーですね、組織の仕事で言うなら、
一般職として受付から一般事務から企画広報、
営業や総務、経理とかあれこれやってみたけど、
結局は執行部…に落ち着いた…とか。
あくまで例えですけど、そんな感じ。


だから今の私がしていることは、
どちらかというと、
スピリチュアル・コーチングなのかも知れません。

ヒーリングもするし(レイキも気功も)、
エネルギーリーディングも出来ないわけじゃないけど、
そっちは専門的に極めたスキルではない。

その人の霊的成長、進化の流れを見て、
本来、魂が望んでいる、
その人が進むべき方向に運命の軌道を修正するため、
そぎ落とすべきエゴイズムを指摘して、
当人の性格と道の矯正を指南するコーチ。

なんでしょうね。

そのためにあれこれ自分自身がさせられたって、
一時的に色んな霊的能力を使わせてもらった、
そう思います。

だから、神通力的な霊的能力は有してないです。
判らないこともたくさんあります。

そして私自身がまだまだ道の途中で、
初心者的、修行者であります。

エゴイズム、まだまだいっぱいてんこもり…
先が長いです。

人としての修行に終わりはありません。

2018/10/04

自分を偽ると人生も偽りとなり貧困となる

エレメンタルのことについては、
レッスンでも勉強会でも、
くどいくらいに色々な角度からお話して、
きちんと理解して、知識や対処法だけでなく、
生き方や意識を変えて頂くことをしてもらわないと、
というのがありますね。

かくいう私も昨日、不本意にも、
使いたくないエレメンタルを使ってしまいましたっっ汗

さて、「他人は自分の映し鏡」という言葉は、
ほとんどの人が聞いた事があると思います。

エレメンタルのことで言えば、
自分が所有しているエレメンタルが、
同種のエレメンタル(所有している人)を、
引き寄せてくる、というのがあります。

私のことで言えば、
友人知人もそうなのでしょうけど、
仕事で関わることになる、
クライアントさんがまさにそうですね。

スクールや講座を開いていたときの生徒さんも然り、
グループレッスンの参加者も全員がそうでした。

面白いことに、
自分がその時に考えていることや悩んでいること、
旬の話題や課題?に引き寄せられてか、
同じような問題を抱えているクライアントさんが、
集中するというかいらっしゃることがあります。

これも引き寄せの法則なんですよね。
そして私自身の課題、取り組むべき問題が、
お客さんを通して示されているという事実。
お客さんの中に私自身の問題を見ることが出来、
お客さんに対して語られる言葉が、
そのまま自分に対するアドバイスである時も多いのです。

(お客さんにメッセージやアドバイスを伝えながら、
『まるで自分自身に言っているみたいだな』
と思うことは日々多く、我が身を振り返ることばかりです。
そういう意味で、
私はこの仕事を通して多くのことを学んでいますし、
お客さんの姿からたくさんのヒントをもらっています。
この仕事を通して、
自ら作り出したエレメンタルの対処方法を教えてもらったり、
自らの過去の姿を反省したり振り返ったり、
成長させられる機会をたくさん与えてもらっているので、
そのことには本当に感謝するしかありません)


先日もそうでした。
お金の問題について深く考えていると、
お金の問題について悩んでいる人が立て続けに続き、
同日にいらした方が全員お金の悩みということが…
それぞれ初回の方でなく、リピーターさんでしたが。

一名の方は遠方にお住まいで、
経済的事情も背景にあることから、
年に一回いらしてくれるかどうかの方なんですが、
もう一人は都内にお住いの経営者の方。

お金の問題といっても、
経営悪化で明日にでも債務整理とか破産とか、
そういう深刻な問題ではないのですが、
どうしても景気に左右される面は否めなくて、
多少の業績悪化で利益がイマイチだったりは、
どの業界、お商売にもありがちなことです。

従業員雇っての株式会社の経営者の方なので、
有る無しを語る金額が、
私たち庶民とはケタ違いだったりしますが、
逆にそれだけ大きな財産を築いて有する方だからこそ、
激しく執着してしまうのかなとも思ったりします。
(お給料をもらう側ではなく、
払わないといけない側でもあるから、
当然と言えるでしょうね。
経営維持や収支の変動に無関心な経営者では、
雇用される側としても困ってしまいますし)


それぞれの方のお金に関する悩みや問題は同じではなく、
独自の背景や原因があるんですが、
不安や心配を抱いていることに変わりはなく、
共通している問題やレッスンがあったりもするのです。


話はちょっと逸れますが、
私はもともと占い師というところから、
今の仕事をスタートさせています。
最初に習得したのはトランプやタロットの兆学でしたが、
後に命学たる占星学に導かれ、独学で学びました。
小学生や中学生の頃の話ですが。
以来、中学の頃から同級生を相手のアマチュア時代、
そして社員など他の仕事をしてから占い師になり、
20年位はなんだかんだ続けていたものの…

結果的に占い(兆学や相学)というのは、
天気予報のようなもので、予測でしかなく、
天体や地球(天と地)の法則との関係性から、
個人の運命を鑑みていく命学にしても、
魂の起源(ルーツ)やブループリント、
過去生やカルマのレッスンなどの概念がなく、
これまでのその人の人生の歴史から一部を抜粋し、
かいつまんで紹介した履歴書のようなもので、
今生のスタート地点たる環境や、所持しているもの、
すなわち特徴や個性、能力を知ることは出来ても、
概要のみで全容ではないし、絶対的なものではない。
ですので、
秘めた可能性や資質や才能が開ける方向性を見るには
うってつけなんですが、「運命」として捉えるのは、
誤りというかよろしくないという結論に至りました。

そしてもう一つ。
個人の運命に囚われてしまうと時流を見逃す、
というのもあるのだと…

例えば占星学はもともと「人間」ではなく、
「国家(民族)」の行方を見ていくための学問でした。
なので、宇宙(神のような意志)が促す、
人類の進化や成長への方向性を見るには、
これ以上はないというほどうってつけの学問なんですね。
(もちろん易経も森羅万象と人類の関係性を見るには、
最適な学問ですが、私は習得してませんので語らずでっっ)

この占星学が示す「星の言葉」は、
まさに、
天が人類に対して霊的進化のための道を、
背中を押すようにして囁いている、
一人ひとりが宇宙にたった一人の存在として
創造的に自分らしく生き、
自らの魂を輝かせるための道へと誘う、
メッセージそのものなんです。

私はもう基本的には、
占いを用いてクライアントさんの相談に乗る、
ということはしていませんが、
仕事に絡んだことや適職などをみる時だけは別で、
今でもチャートを出してチェックすることはしています。

でも、
チャートに出ていることは可能性と資質であって、
たいがい本人がやりたいこととイコールではないので、
基本的には今のその人や魂が望むことを重視します。
優先すべきは、今の希望ですから。
(但し、カルマのレッスンの導き(潮流)には
 逆えないことの方が多いのですが)

人生とはその人が選んで創っていくべき、
「新しい地図」なのであって、
他人に決められたレールの上を歩くことではないので。
例えそれが天の定めであったとしても、
当人の強い意志や決めた事に勝るものはないのです。

なので、占い(この場合、命学)は、
あくまで自分に対する情報であり、
参考にすべき意見として聞くべきで、
絶対的なものとして自分を呪縛するべきもの、
あるいは、
何もしないでやってくるものを表している地図ではない、
ということを理解しておいたほうがいいと思うのです。

そして、
スピリチュアルなサポートと占いは本来異なるものです。
ここを混同している人がとても多いのですけど。
まあこの辺りは別の機会に置いておくとします。

でもって、
この宇宙(創造主)からの人類へのメッセージ…
一人ひとりが霊的に進化していくために、
人類に対して働きかけている大きな流れのこと、
何を考えて何に取り組むべきか何を成すべきか等、
具体的に星からの叡智の言葉を、
とても解りやすく上手く伝えてくれているのが、
みらいみくさんのblogかなーってことで、
ここでオススメさせて頂きますね→西洋占星術の入口
自分が何を準備しておくべきかのタイミングや、
どんな心構えでいるべきかまで教えてくれますよ。



そろそろ本題に戻ります。
そんなみんなで人類に「目覚めなさい」って
メッセージを伝えてくれる占星学では、
数年前から、

「偽りの仮面や着ぐるみを捨て、
 嘘偽りを全部捨てて、
 そろそろ本当の自分を生きようよ!」

っていう時流と段階に入っているんです。

世の中の動きや、
地球の宇宙におけるステージ(波動)がそうなっているから、
その流れに逆らって生きている人は必然的に、
苦しい想いをして、
閉塞的な気分に追い詰められてしまう。

過去の古い価値観に縛られている人。
誰かのリクエストに応えるだけの人生を送っている人。
自分の意志をもたず、
周囲の思惑に流されて生きている人。

どんどん生きるのが辛くなっています。
自分を表現できず、自分を見失って、
色んなことが上手くいかなくなってしまう。

私は今は占い師ではなく、
スピリチュアルセラピストとして、
クライアントさんの相談に乗っているわけですが、
ここ数年、そういった問題を抱えている人が、
圧倒的に増えていると感じます。

先にお金の問題で来られた社長さんも、
その事業をやりたくて始めたわけではなく、
続けたくて続けている仕事ではなく、
いまさら他に出来ることもないし、
いちおう利益が回っている事業だから…
「お金」を自分に確実に与えてくれる収入源だから、
という理由で自分をごまかしつつ、
騙し騙しで何十年も続けている方でした。

でも、好きな仕事ではない、
もともとやりたくて始めた仕事ではない、
というのがあるので、
仕事から得られる「悦び」がなかったんです。
だからいつの間にか、
「利益」を上げることが目的となり、
「お金」に執着し、通帳の金額が増えていくことだけが、
自分のスタイタスとなり、アイデンティティとなった。

ある程度の年収を稼げるようになれば、
現実世界においてはそれは「成功」となります。
けれど、心が得るものは何もないのです。
家族のためと言いながら、
家庭サービスは仕事を理由におざなりになり、
お金を十分に与えて、教育さえ受けさせれば、
それが家族の幸福であると錯覚した故に、
家族との絆は築けず、心はバラバラになり。

ビジネスを拡張し、
収益を上げるマネーゲームに没頭するものの、
何のためにそれをするのかという目的意識がないと、
結局は金額の変動に気持ちを左右され、
自分の幸福のありかをお金に支配されてしまう。

"人は、パンのみに生きるにあらず"

過去の記事で書いたことがありますが、
カルマになる行為や出来事について、
「そこに愛はあるのかい?」
というクエッション(問い)が突っ込みのようにあって、
レッスンとしてお試しのように繰り返されると…
それは他者に対してもそうですが、
もちろん自分にも適用されるわけです。


今の日本でもワーキングプアーや浮浪者、
生活保護を受けないと生きられない人、
福祉や行政の保護を受けられないで、
貧しい暮らしを強いられている人はたくさんいます。

けれど、第三国(後進国)と違って、
明日のご飯を得るのが精一杯で、
生きるためにギリギリの生活をしている、
という人は少ないほうです。
決してお金持ちで豊かではないけれど、
何とか明日の生活をしていくことは出来るし、
贅沢や人並を望まなければ、
妥協したり生活レベルを落とせば、
生きていくことの出来る人たちがほとんどです。

後進国の人たちは仕事したくても仕事がなく、
選びたくても選ぶほどの仕事がありません。
ですが、今この先進国たる日本では、
たくさんの種類の仕事があり、会社の数もあり、
起業したり、自営業や自由業など、
身分や性別、出身などで仕事が制限されることもなく、
様々なスタイルの働き方を選ぶことが出来ます。

選択肢は狭いようでとても広いのです。
誰しもに、職業選択の自由が与えられています。
(同時に労働の義務もありますが法律でも保証されてます)

嫌いな仕事を自分のためではなく、
誰かのためにと、自分を犠牲にして、
イヤイヤ行っていても良い内容の仕事は出来ません。
適性のないこと、苦痛なこと、
悦びや楽しみを得られないこと、
自分に実りを与えられない仕事をしていても、
結果的に心を破壊してしまうだけで、
その人からお金と時間を奪うことはあっても、
得るものなどないのです。

そういうことをしているとどんどん貧しくなります。
お金はどんどん離れていきます。
その前に「人」が離れていくことになります。

何故かというと、
その人自身が愛のない生き方をしているからです。
自分自身に愛を与える暮らし、愛のある生き方、
愛のある仕事をしていないので、
愛がどんどん枯渇して、心が貧しくなっていきます。
すると余裕がないので「他人」に与える愛もなくなり、
人生や生活自体が貧しくなって、
結果として貧しい人生を生きることになります。

例え収入が良い仕事でも、
身体や心を壊して、いつか働けなくなり、
最終的には病気になって、その治療費が嵩み、
健康を取り戻すためにたくさんの出費をすることになります。

鬱になったり、内臓の疾患になったり、
中毒になったり、肉体を欠損したり、
目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり…
心が悲鳴を上げて身体がシグナルを発して、
「もうこんなのは止めてくれ!いい加減にしてくれ!」
と機能を停止させ、気づかせようとするのです。
働かせないように、動けないようにするために、
ありとあらゆるクーデターを起こしてくるのです。


こういう人がいました。

イラストレーターになりたかったのだけれども、
親に反対され、自分でも難しいかもと思い、
周囲を納得させるための就職先として、
収入の良いIT関係の仕事に就きました。
けれど、右脳型のその人にとって適性はなく、
はっきりいって苦痛だったのです。
それでもお給料がいいので頑張りました。
ですが、
慢性的な胃痛や胃痙攣に悩まされることになりました。
その後、ノロにかかったり、O157にかかったり、
何度も入院しましたが、会社は辞めませんでした。

次には胃にポリープが出来ました。
簡単な手術で取り除き、すぐ復帰しました。

しかし翌年についに胃がんを発症しました。

ここに来て、ようやく当人は、
「あれ…?どうしてこんなにたくさん病気になるんだろう」
と思ったのです。
でも、
心配した友人や相談した専門家に転職を進められても、
「一度決めた道だし、今さら他の仕事は…
 何しろ今の会社は収入いいし」
と、
迷ったものの転職をすることを考えませんでした。
結局、手術して摘出したものの、若かったこともあり、
ガンは他所に転移してしまいました。

この人の病気の原因が、
ストレスと言ってしまうのは簡単です。
でも、この人にストレスを与えたのは、
誰であろう、その人自身であることは間違いありません。


確かに好きなことをして稼ぐのは簡単なことではありません。
誰もがハリウッドスターや花型スポーツ選手になったり、
夢見ることを叶えられるわけではないというのも事実です。

でも、自分に向いていること、適性のあること、
自分の可能性や個性を伸ばしたり、
他人に感謝されたり褒めてもらえる才能や、
楽にできることを仕事に活かす道を捜すことは、
さほど難しいことではないはずです。

やってみたいことにチャレンジして、
それでダメだったらあきらめもつきます。
他人に押し付けられたことで失敗するのと、
自分で決めた道で失敗するのとでは、
その後の立ち直りや引きずり方、
責任の所在の押し付け方など、
結果も大きく異なります。

他人に押し付けられたことで失敗すると、
誰かを恨んでしまいます。
自分で決めたことで失敗したのなら、
納得も行くし、とりあえずやってみたし、
精一杯やってみた結果を受け入れて、
次の経験に生かそうという前向きな結果を生むので、
それは良い人生での収穫になります。

自分の長所を活かせる仕事、
他人から感謝の言葉をもらえる仕事をすること、
やりがいがあって、自分を与えることの悦びがあって、
自分自身を最大限生かせる仕事をするのって、
人が人として生きるのに必要なことです。
そのようなステージを与えられて初めて、
人は自分自身を肯定するることが出来ます。
自分の人生も、他人の人生も、です。

仕事で感謝されたり、認められるのって大事です。

他人に自分の能力を提供することで、
誰かに喜んでもらい、感謝される。

それは自分だからこそできることで、
自分の個性が活かせる(殺さない)道で、
自分自身に愛を与える道で、
他人や世の中に対しても愛を与える道で、
自分自身も周囲の人をも、豊かにできる道なんです。

それを間違えてしまうと、
身体や心や、そして宇宙が、
「その道は違うよ」「間違ってることにいつ気が付くの?」
とばかりに、道はどんどん狭くなって、閉ざされて、
気が付いたら呼吸が出来ないくらいに、
苦しくて辛くて、動けなくなってしまいます。
お金もどんどん出るばかりで、回らなくなります。

何故なら、
自分自身に「楽しいこと」「悦び」を与えないのは、
心身に栄養を与えないことと同じなのですから。

心が貧しい、肉体が貧しい状態は、
現実をも「貧しい状態」へと導くのです。

お金は生きるために必要なものでありますが、
手段であって、目的ではないのです。
自分自身を豊かにするためのものです。
そのお金の稼ぎ方、使い方を間違えると、
愛の無い使い方をして、自分自身に栄養を与えず、
自分を育てることに使わないでいると、
霊的にも現実的にも貧困になるばかりです。



さて、上記の社長さんは、
何年も同じことをずっとアドバイスをするのですが、
「困った」ばかりでアドバイスを実行する気配が、
まったくありません。
「言われた通りになってしまいました」と、
そうした報告ばかりです。

でもいらっしゃるのは一年に一回か二回。
「収益が減っていくのが心配で不安です」と
メールや電話で愚痴報告を下さったりするものの、
継続的に取り組むことは前向きに考えて下さらず。

「あなたが変わらないことには…
 意識や考え方を変えて、
 これまでの生き方を改めようとしないことには、
 何も変わりませんよ。
 誰かが助けてくれるのを期待して待っていても、
 あなたしかあなたを助けられる人はいないんですよ」

と、おりにふれてはお伝えしていますが。
何年越しのクライアントさんであっても、
世忘れた頃に数回来るか来ないかの人で、
アドバイスをまったく実行してくれない人に関しては、
結局いつも同じアドバイスを繰り返し伝えるしかなく、
です…(他でも同じこと言われたらしいですし)

「他人に送ってこられる念(生霊)のせいだ。
 これを取ればビジネスも上向きになるはず」
になっちゃってますので。
それを取っても、
引き寄せている当人の意識がシフトしないことには、
取ってもまたすぐくっ付くからあまり意味がないです。
(ぶっちゃけカルマのレッスンなので)
と説明しているのですが…

たぶん、うちに来るお金も惜しいのだと思います。
払えない金額ではもちろんないけど、
自己投資する金額として価値を見いだせないのでしょう。
これは個々の価値観だから致し方ないです。
別にうちでなくても、何かご自分がこれだと思える、
有効なセラピーや自己変革への手段が、
見つかればいいのですけどもね。
占いやセラピーやカウンセリングでなくても、
人生の見方や意識変えちゃいますっていうような体験、
一か月間バックパッカー旅行とか、
勇気を出してスカイダイビングにチャレンジとか、
なんかまあ、ビジョンクエストみたいなこととか、
そういうのが望ましいんですが。


そして、
その方が本当にやりたかった、
ビジネスや事業形態に、
そろそろシフトチェンジして欲しいんですけれど。

お金に執着して、地位にしがみついている限り、
今のビジネスは下り坂で未来はなく、
幸福になれたり、上手くいくことはないので。



てなわけで皆さんも、
自分を偽らず、自分の個性を生かし、
魂を輝かせ、喜ばせる、
愛のある仕事に向き合ってくださいましね。

あなた自身が「財」になり、金を産む卵になれる仕事。
見つけて下さい。
(その前に汝自身を知らないといけませんが)

それをしないと、これからの時代、
どんどん生きづらくなるだけですヨ。

とにかく
「自分を表現する」ことをサボッていては、
ダメ出ししか来ませんからね~

2018/09/22

成長して力を増すエレメンタル~負の引き寄せパターンの誕生と収束

ちょっとタイトル長いですね。
まるで陳腐な二時間ドラマの
タイトルみたいになってしまったっっ汗

エレメンタル無くしては、
私たちの人生もパーソナリティを語ることは出来ず、
私たち自身そして人生の構成要素そのものなんですが、
同時に「死なす」ことが出来ないものなので、
意に反したものを創ってしまったり、
悪癖や悪習慣、悪しき道に誘う、
負のエレメンタルを創ってしまったりすると
マジメに後が大変で、
創った本人を苦しめる不幸の根源になってしまい、
とてつもなく恐ろしく怖いものでもあります。
(これを手名付けることが出来る、
エレメンタルマスターになれたら怖いものナシですが)
※ポケモンマスターではありませんっっ


さて、今回は私の経験に基づいた、
負のパターンを創り出したエレメンタルのお話をば。


20代のとある時期に私は家探しをしていたのですが、
猫を飼っていた事情もあって、
一戸建てにこだわっていたことから、とても難航しました。

しかし、ラッキーなことに、
「転勤の間だけだし戻る時期が読めないので、
 家賃は希望通りでOK、猫も可、自由業OK」
というリッチな物件が見つかったんですね。
本来30万の家賃相場でしたが、めちゃ破格の家賃で。

大家さんは某テレビ局に勤務のご夫婦。
そうした背景から、
会社勤務ではない私の職業的事情にも、
理解を示して下さったのでした。

風水や気学やってる同業の友人にも相談すると、
「絶対いい! ここにするべき!」と太鼓判。

ルンルンで契約をし、引っ越しの日が決まった後。

大家さんから、
「左の隣の家のオジサンなんだけど、
 とても気難しくて困った人だから、
 お付き合いには気を付けてね。
 あなたが女性だと知ってなめてくるかも。
 うちは正直いって仲悪いんだ。
 昔から色々とトラブルがあってね…」

あらら。
それを聞いてしまった私、
ちょっとビビリ~に構えてしまいました。

親が地方出身者(ド田舎)で、
育ったのは東京の隣とは言え、
都会でもない田舎でもない中途半端な住宅地。
そして昭和の生まれ、その価値観で育ってます。
引越してお隣に挨拶に行くのは当然のこと。

挨拶をしに行った時、
恐ろしくイジワルな人のはずのお隣さんは、
愛想よくニコニコと私を出迎えてくれて、
普通の親切な人に見えました。
「あら、意外」

とはいうものの、
大家さんから色々と聞かされていたので、
油断できないしな~と、
警戒心を解くことが出来ませんでした。

結局その家に住んでいた間、
私がそのお隣さんから嫌がらせを受けたり、
イジワルをされたり、
トラブルが発生することはありませんでした。
大家さんが本社に戻って来るまでの間、
お陰様で平和に過ごさせて頂けたのです。

何かあったときに大家さんと連絡取る時、
「何かされてない?」などと心配され、
悪口だったり今までのことを聞かされるくらいで。


でも、ここに住んでいる間、私の中には、
「お隣さんは気難しくて怖い人だ。
 何か言ってきたら、されたら、どうしよう」
という恐れが芽生えてしまい、
お隣さん=悪みたいな印象(先入観)が、
エレメンタルとして育ってしまったのでした。

その時点ではまだ霊的真理について、
私は何も知りませんでした。
障り程度も学んでいない時期だったのです。

さて、
次に引っ越したところの大家さんも、
とてもイイヒトでした。
東京の郊外に家を建てて住んでいたものの、
お母様が亡くなってしまい、
その都内の家をどうしようかと悩まれていたところ、
不動産屋さんがこの人に貸してみたら?と、
縁を取り持って下さったのです。

密集地ですので一階の日当たりは良くないけれど、
とても広い一戸建てて、猫飼いもOKでした。
けれど、住んでみると、
玄関が接するお隣さんがこれまた強烈なご夫婦でした。
(奥さんは旦那さんに従ってるという感じ)

決して根は悪い人たちではないんですが、
なんていうか過干渉で、
悪い意味で昭和ヒトケタ生まれの人たち。
自分たちの価値観を押し付けてくるのですよ。
何しろとっくに隠居している人だから、
いつも家にいて他人を監視しているのか?って感じで。
家の中に入ってしまえばいいのですが、
会いたくないあ、といつも身を縮めていました。

大家さん曰く、
「あ~あの爺はねー
 生きてるときからうちに文句ばかりつけてきて、
 親も散々悩まされ、苦労しましたよ。
 増築のときにもいちいち怒鳴り込んできて。
 違法なんかしてないのに。
 子供のときから知ってるけど、イヤな爺でね」

もう片方のお隣さんはとても感じの良い人で、
良い御近所付き合いをさせて頂けたのですけどネ。


さてそこもシロアリが出てしまい、
取り壊すことになったので、また引っ越し。

アパートの一階と二階でワンフロア一世帯の家で、
庭があり、猫OKな予算内の家が見つかりました。
もち、家賃交渉しましたけど(希望通った!)。

二階に住んでる同棲カップルは、
お二人ともとても感じのよい人たちで、
生活音も静かで友好的な関係を築けました。

大家さんもお電話でご挨拶をしましたが、
「何かあったら遠慮なく~」
という感じの良い人でした。

ですが、ところが…

同じ大家さんから借地権で土地を借りている、
お隣さんご夫婦がまた、とんでもない人たちでした。
勝手にこっちの敷地内(庭)に入ってくるし、
玄関ではなく、庭のほうから覗いて声をかけてくる。
まったくもって「天上天下唯我独尊」な人たちでした。
結局色々困ったことが起きたので、
(カーテン開けられないし、仕事(来客)中も覗かれるし)
大家さんや管理会社である不動産屋を通して、
トラブルを訴え、間に入ってもらったのですが。

それに対して逆切れをして、怒鳴られたり、
イジワルをされたりって、大変なことになりました。
(町内会長さんにも相談したりとかetc)

そんなこんなで、
段々嫌がらせが酷くなったのもあるし、
上手く行っていたお二階さんが引っ越しした後、
新しく転居してきた人(ゲイカップル)も、
これまた勝手な人たちで、ついに耐え切れず…
もう無理!と値を上げることになり、
平穏無事な生活と環境を求めて、
引っ越しすることを決心しました。
立地や家自体はとても気に入っていたのですが。

ちょうど愛猫が亡くなり、ヒーリングを学び、
そして霊的真理などを学び始めた頃のこと。
私のこっち方面の仕事に大きな変化の波があって、
ものすごく精神的にも浮き沈みが激しい時でした。

愛猫が死んでしまったことから、
ペット可の物件にこだわる必要がないので、
次の転居先はマンションになりました。
荷物はたくさん処分することになりましたけど。

そこの家では階下の奥さんがとても神経質で、
ちょっとメンヘラ?っぽくありましたが、
お隣さんはシェアをしている女性二人組と、
もう片方も女性でしたが普通の人でした。

けれど、まぁ何もないということもなく、
かといって以前と比べると大したことなく…
マンションの駐車場の向かいに汚屋敷みたいな、
昔ながらのトタン住宅のようなところがあって、
夜中に仲間と道路で騒いでいたりするのが、
ちょっと迷惑って、そのくらいなものでしたので。

さて。。。

ここで気が付いた人もいると思うのです。

はい。

これがエレメンタルによって起きたことです。

きっかけは、
ここで話した一番最初の家に住んだとき、
大家さんから聞かされた情報から創ってしまった、
お隣さんへの良くない印象(先入観からの不安)と
「畏怖(未知のものへの恐れ)」の気持ちです。

これがすべての始まりでした。

その気持ちが核となり、
「困った問題のある、お隣さんがいる」
というエレメンタルを誕生させ、
住居環境、物件へと私を引き寄せ、導き続けたのです。

実際にはそのような体験はしていないというのに。
先入観が「問題のある人がお隣に住んでいる」
という思い込みのエレメンタルを作り、
現実を創り出し、引き寄せる発端となったんです。

現実には私を困らせるお隣さんなんて、
いなかったというのに…


次の転居先では、
そのエレメンタルによって、実際に
「困ったお隣さん」がいる物件に棲む羽目になりました。
大家さんは前回と同じようにイイヒト、右隣の人もイイヒト。

そして次の転居先。
前回の住居で実際にお隣さんにされたこと、
それに対して不快な感情を抱いたことなどが加わり、
さらなる面倒で困ったお隣さんが住む環境へと、
私は導かれてしまいました。
大家さんもやはりイイヒト。
もう一人のお隣さんに相当するお二階さんもイイヒト。

ここに住み初めてから、
私は霊的知識を学び始め、真理について知り、
エレメンタルについても知己を得ました。
そうした知識の背景や
霊的成長の道を選ぶことにしたというのもあってか、
少しずつ自分がどうしてこのようなパターンに陥って、
繰り返しのご近所問題に悩まされることになったのか、
おおよそのことがわかってきたのです。

とはいうものの、
そうしたトラブルの渦中にあって、
感情がさざ波たっていましたから、
今ほどは自分のことを客観的に見れず、
スピリチュアルナルシズムの罠に陥ったり
カルマのレッスンやらで、
租借して理解と知恵に落とし込むまで、
だいぶ遅れたというか時間が掛かりました。

(それでも知識を持ったことと、
その原因=理由が理解出来始めたことから、
カルマのレッスンも解消に向かい、
勢いを増していたエレメンタルのパワーも収束に向かい、
マンションに越す頃には、
現実化の力がおとなしくなっていたのです。
それでもこのエレメンタルは不活発になったとは言え、
死ぬことなく存在していて、
再びパワーを与えられるのを待ち構えてもいますから、
再び活性化させないように、意識を向けないよう、
十分に気を付けないといけないのです)

そして、自分を悩まし苦しめる、
このトラブルの始まりのすべては、
このエレメンタルを作ってしまったことからであり、
その後で現実化されてしまった時に抱いた強い感情、
すなわちお隣さんに対して抱いた不快感や恐怖…
こうした感情がエレメンタルに栄養として注がれ、
「お隣さんに理不尽なことで悩まされる」
といったようにどんどんパワーアップして大きく育ち、
引き寄せの力を強大に高めていったのでした。

このエレメンタルを無力化することによって、
今はとくにご近所トラブルのない環境に住み、
お陰様で平和に暮らせているわけです。

はい。どうでしょうか。
エレメンタルが成長するっていう実例になりますが。

これがエレメンタルの力であり、エレメンタルの怖さです。
無力化(ミイラ化)して、書き換えをするなど、
活性化させず不活発化するのは並大抵のことではありません。
たった少しの感情から、とても短い期間に作られたものでも、
私の場合15年もの長きにわたって悩まされ続けたのです。

生まれてからの環境から創られたもの。
あるいは生まれる前の、過去生から繰り返し使われ、
何千年も培って成長し、パワーを蓄えてきたものを、
完全に無視して克服するのは至難の業です。
エレメンタルと対峙するのは、たやすいことではなく、
生半可なことではないのです。
ぶっちゃけ戦っても勝ち目はありません。

そして、エレメンタルというのは、
「好き」「嫌い」、「NO」「YES」は判断しません。
「こういう気持ち」という、
エレメンタルが出来上がってしまったならば、
ひたすら「こういう気持ち」を引き寄せ続けるだけです。

「嫌い」「要らない」「お断り」「キャンセル!」
も区別せず、通じず、
二度とゴメンな出来事であっても、
出逢いたくない人であっても、
存在するだけで全部が「YES」となり、
「欲しい」「ちょうだい」なリクになってしまい、
ただ同等の波動のものを引き寄せ続ける磁石になるだけ。

そんなこんなで、
エレメンタルというのは出来上がってしまった時点で、
そこに含まれた「感情」を当人に体験させることを、
再度リクエストし続けるオーダー表のようなものです。

創った当事者がその事象や感情に意識を向け続ける限り、
それを具現化させるための十分なパワーを与えられ、
現実化するための準備をするのです。
具現化するための期間はまちまちではありますが…

実のところ、こうやって運命って出来ていくのです。
すべての人の人生は、
その人自身が創造するエレメンタルによって創られ、
築かれ、引き寄せられ、導かれていくものなのです。

これが人生を創造する「からくり」です。
人の運命を創っているものの正体です。

私を苦しめた、
負のパターンのサイクルがそうであったように、
あなたを苦しめている出来事も、
あなた自身が過去の何処かで創ったエレメンタルによって、
マグネットのように導かれ、引き寄せられているのです。


引き寄せの法則は、
ロンダ・バーンの著書「シークレット」から、
一般に周知になっていったのだと思いますが、
それ以前からもちろん、
古代の叡智として伝わっていました。
知識の源、出どころは同じです。
(ユダヤの知識はもともとエジプトの神殿から
持ち出された霊的真理における教義の
秘術、叡智が原点から持ち出されたものなので)

ただ、
エレメンタルのことを難しく詳細に説明するより、
「引き寄せの法則」とカジュアルに説明したほうが、
普通の人にはわかりやすいのです。

霊的真理の中で語られたエレメンタルや、
カルマの法則の知識の一部を取り出して、
教義や教訓的に伝わっている内容よりも、
なじみやすい理解の仕方であるならば、
そのほうが伝わるによいように思います。

というわけで、私たちはもっと、
自らの考えること、思うこと、言葉にすること、
に対して、意識して注意を払わねばなりません。
一瞬思ったり望んだことでも、
それがエレメンタルの種となって、
何かを引き寄せ、それに対しての反応がまた、
その種に栄養を与え成長させ、パワーを与えては、
あなたにその「感情」「思考」を体験させるため、
現実としての出来事や人物を引き寄せようとするので。

思ったことや考えたこと、口にしたことでさえ、
ものすごいパワーをもって具現化されるのです。

まして実際に習慣化していることなら尚更。
一度経験したことが繰り返されるのは当然です。
そして、過去を引きずっていたならば、
いつまでもその環境に居続けることの選択となり、
過去に生きるだけの人生となってしまうのです。

ですので、
起きてもいないことで不安になるのは止めましょう。
まだ何も起きていないのに、
未来を心配するのも止めましょう。
起きて欲しくないことを考えるのも止めましょう。

過去に起きたこと、今起きていることで、
望まなかったこと、起きて欲しくないことを考えるのも、
望まない選択をしようとすることも止めましょう。

言葉に気を付けましょう。
自分の云った言葉は自分に戻ってきます。
他人に対して思うことは、
自分が誰か他の人からそう思われる結果になります。
悪口や愚痴、不平不満も批判も否定も、
自分が人にされたくないことは止めましょう。

嫌いなことや嫌いな人のことを考えるのは止めましょう。
好きなもののことを考え、好きな人について考えましょう。

起きて欲しいこと、
望んでいる未来をまっすぐに考えましょう。

怒りや憎悪はいつまでも抱えず、自己批判もせず、
過去もネガティブな感情も早めに手放してしまいましょう。

上手く行かなかったこと、失敗や恥は忘れてしまいましょう。
上手くいかなかった他人や失ってしまったものは、
想い出だけ大切にしまって、執着は手放しましょう。

反省や内省はしても、後悔は止めて、
自分も他人もジャッジするのは止めましょう。

あなたが今感じて、味わって、浸っている感情が、
あなたの未来を創っています。
あなたのその感情が、もっとこの感情を味わっていたいと、
その感情を味わえ体感できる現実を創り出しているのです。

お金がない、お金が足りていない、
出逢いがない、男運がない、

などと思っていると、
その通りの感情が味わえる人生しかあなたは生きられません。
あなたはずっと今感じている感情を「この感情」が欲しいと、
未来にオーダーし、リクエストし続けているんです。

あなたの未来は、
今あなたが感じていること、考えていることが決めているんです。

あなたがあなたの未来を、人生を創っているんです。


思考に気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
 
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
  
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
 
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

 - マザー・テレサ -