2020/01/01

過去記事検索機能がないので記事リンク一覧

そうなんですよね~
ここのblogは過去記事を検索するための検索窓がないんです。
PCだと左にテーマ(ラベルという名のカテゴリ)があるんですけど、
スマホは最新記事しか見れないんですよね。
でもって、PC表示にしてもテーマの分類が多いから、
捜しにくくてすみません。
なんだかんだ記事数もわりかし多いですので。

なので、スマホで閲覧している人用に、
とりあえず、おそらく見えてないであろう
左メニュー(とそのリンク)一覧にして貼っておきます。

注1)別ウィンドウで開くようにしています。
注2)ラベルの()内の数字は現時点での記事数です。
注3)内容が多岐にわたっているものはラベルが重複しています。


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それとPC仕様だと、
上部にこういうテーマ・メニューもあるんですが、
スマホ版はどうなんでしょう?
一応リンクも貼ってきます。

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ホント、カテゴリを細かく分けすぎているというか、
ラベル数が多くてすみません。
とりあえず★のついている記事は、
アーカイブブログとしてのアメブロにも転載しているので、
そちらのほうが見やすいかも知れません。
但し、原文はこちらなので、
向こうだと一部削除しているところもあります。

それとビッグローブのblogから引っ越しするとき、
エクスポート&インポート機能がなかったので、
いちいちコピペという原始的な方法を使って、
こちらに記事を移動したものですから、
貼り方がヘンになっているというか、
文章が重複して意味不明になっているところがあって、
気づいた時点で直したのですが、
未だ直っていない記事もあるようで、すみません。
もし発見したら教えてくださいっっっ

とりあえずスマホの人はこのページを
全記事を見る手がかりにしてください。

ひとまずの応急的対処ですがご勘弁を。

2018/10/30

吸収された他者の記憶~ドラマに浸りたがる人々

先に書いた記事の続きというか
延長線上で書いていますが、内容自体は関係ないかも

★ ★ ★ ★ ★ ★

人というのは、信じたいことだけ信じ、
自分が見たいと思うものだけ見て、
聞きたいことにしか耳を傾けない生き物だ

事実を聞かされたとしても、
受け入れられないことは拒絶し、
認めたくないことを決して認めようとはしない

良いとか悪いとかではなく、
それが人の心理的抵抗というもので

理性よりも感情が勝っている人にとっては、
個人的主観というものが何物にも優先されるから、
客観的に物事を図ることが出来ないとしても、
他者のことならともかく、自分のことに関しては、
物事への初期反応として、しごく当然のことであると言える

心が納得できるか出来ないかが、すべての判断の鍵になるので

★ ★ ★ ★ ★ ★

記憶と言うのはあやふやなものだ。
過去記事「記憶は嘘をつく」にも書いたことであるが、
当人が記憶していることというのは、
客観的な事実とイコールとは限らず、
あくまで当人が
そのように「思い込んで」いることにしか過ぎない

とはいうものの、過去生セラピーの現場にあっては、
真実がどうであったか…
ということを明らかにすることが目的ではなく、

それが事実とはかけ離れた虚構であったり、
勘違いや思い込みなどの偽りの記憶であったとしても、
当人が記憶して(思い込んで)いる頭の中にある物語や
体験からの心理的反応によって引き起こされた、
現代の人生に良くない影響を及ぼしている陰を極力取り去り、
問題を解決することが肝心なので

とはいうものの、当人が
「この朧げな記憶のようなものが、
事実(真実)であったのか知りたい」
という場合には、また話は違ってきてしまう




ある人が、
「子供の頃から、こういう夢をよく見るんです。
 そして何故か幼少時から、
 とある実在の、あの有名な少女がした体験に、
 心を惹かれるというか 強く関心を持ってしまい、
 自分が彼女だったとは思わないけれど、
 もしかしたら過去生で彼女と同じような立場で、
 似たような体験をしたのでは?と…」
当方を訪ねていらした。

だが残念ながら、私の見立てでは、
「その記憶は間違いなく、あなたの前世の記憶で、
 彼女と似たような経験をなさっているようですね」
とは言ってあげることは出来ず、
その方自身の推察を肯定することは出来なかった
(たぶん納得できなかったと思う)

とはいうものの、
あながち間違いということはなく、
その記憶が誤りであると、
と全面的に否定出来ないのもまた事実

しかし、ちょっと複雑で、
霊的真理の知識を学んだことのない人には理解しがたく、
事前知識のない人には説明しがたいものであったりした

単純に言うならば、
その方が自分の過去生ではないか?と疑われる、
史実的に有名である某少女と同じ時代に、
某少女と同様の体験をしたであろう、
その「少女」は確かに存在していた

けれども、
その少女は訪ねてきたその方自身ではなかった
同一人物ではない…のである

ではどうしてこの記憶のような確証が、
暗闇の中で怯え、
隠れ暮らす人生の記憶があるのか…
息の詰まるような閉塞感と絶望の影が、
今も心に残るのか…

実はその少女は、その方の当時の娘であった
(その方自身の体験ではなく、娘だった人物の体験)

その方はふたつ前の人生において男性で、
その少女の父であったのだが
戦時下において生き別れとなり、
少女と母は生きるために隠れ家に住むこととなった
父であったその方は捕虜として殺され、
某所に埋められることとなった
長らく発見されることのない、森の奥深い場所に…

しかし、肉体は生命活動を停止しても、
その霊に死はなく、生きているのである
(サイキカル体とノエティカル体は残っている)

父は妻と娘を捜した 
会いたいと思ったから

皮肉なことに肉体を失くし、
三次元に縛られる存在で無くなったことで、
霊は行きたいと思う何処にでも行ける

空間や物理的存在の障害や縛りがなくなった父は、
すぐに妻と娘を見つけた

けれど、
物理的存在としての姿を持たぬ父に、
妻も子はもちろん、誰も気づかない

妻と子の苦しい生活に寄り添い、
悲しい気持ちを全身で感じながら、
父は数年を妻子とともに生きることになった

つまり父は、家族としてそこにいて生活し、
母子と体験を共有したのだ


それが、
今生のその方の「想い」の正体であり、
哀しみの記憶の出どころ 

ではなぜ、
父性を持って親子に寄り添っていたはずのその人が、
共にそこに「父」として、家族として、
見守っている立場で、気持ちであったであろうに、
自分の立場と「少女」の立場を入れ替えて、
自分自身こそが少女であると錯覚し、
そのように視点を間違えて、
感情移入した記憶を所持していたのか…

それは別の人生、もっと前の人生で
親を亡くした孤児の女の子として生まれ、
とても酷い、劣悪な環境の中、
まるで山椒大夫のような極悪非道な輩の手によって、 
半ば監禁されているような生活を、
強いられていたことがあったからである

(ちなみにこの時、彼女は自分を捨てた親を恨んだが、
その親も子を捨てたのではなく、事情があって、
出稼ぎ労働的な状況下で命を落としていたのだが、
現代と違って、そうした連絡が行き届くはずもなく、
福祉的な援助や行政のサービスがあるわけでなく…
決して親が子を捨てたわけではなかったのだが、
そのような親の立場からの事情を知るという意味での、
逆の立場を経験する人生のレッスンでもあった)

なので、一つの人生の記憶ではなく、
肉体を失くして霊となった後に創られた記憶と、
その経験からフラッシュバックさせられた、
別の人生のトラウマ的体験の記憶と、
そういうのがごちゃまぜになって出来た記憶

これを説明するのはとても難しい

人は肉体を失くしてからも、生き続ける
「死」というのは実質ないので

さて、過去記事でも書いてるけど、
記憶とは「エレメンタル」のこと

「エレメンタル」は、
肉体と感情体と思考体の三つの身体によって創られる

肉体は行動の記憶を(肉体を使ったり、動かすデータ)
感情体は心の反応、喜怒哀楽の記憶を
思考体は知識や情報、頭脳労働といった思考の記憶を


肉体が消滅しても、
肉体が創る記憶の玉たる「エレメンタル」が
創られなくなっただけで、
感情体と思考体は「エレメンタル」を創り続ける
むしろ、肉体があったときより感情はより強烈で、
暴走しやすく、激しやすいし 
より過敏でセンシティブな状態になる

ようするに理性のブレーキ働かず、
感情がよりいっそう剥き出しになるんである
エキセントリックでヒステリックになる傾向で…
だから、肉体があったときよりも扇情的というか
創られるエレメンタルの質としては暴走系が多くなる

まるでイタリアオペラの主役たちみたいに、
ナルシズムに自分の置かれた立場に耽溺して酔いしれて
大げさなエレメンタルもたくさん創られてしまう
(マジ困りもの)

肉体がある時でも、
思考体よりも感情体優先で創られる
エレメンタルのほうが多かったりするのだが、
それが感情体と思考体だけになってしまうと、
困ったことにさらに顕著になる
感情体オンステージ! みたいな…

いわゆる
次の人生(転生)までの間の「中間生」って段階で、
(別の言い方では「霊界」在住時とでも)
この間にも人は様々なことを体験し、
体験したことに対して反応し、思考し、
結果として
「記憶」というエレメンタルを創っていくんです

その時創られる「記憶」があるから
過去生体験的な施療、
前世療法とかヒプノセラピーとかで混乱が起きる
矛盾した記憶があったりしてね
(例えば、
過去生の人生を年表に書き起こすとするならば、
この人生とこの人生を繋ぐミッシングリンクに、
この記憶がはまるとするならば、年齢的におかしい、
人生が重複するのでヘンだ…みたいな事が起きる)

ようするに、死んだ後に背後霊となって、
(日本におけるスピリチュアリズムの言い方)

自分の子供とか身内を見守っていたり、
血縁者でも縁もゆかりもない人に対して、
家庭教師のように善意からサポートをしたり、
あちこち浮遊していたり、今生を振り返ってたり、
自殺して地縛霊になって、何度も自殺を試みたり、
悪霊になって生きてる人に悪さしたり、復讐したり、

そんなのもぜーんぷ、
「記憶」としてのエレメンタルになる なっちゃう

物理的な肉体を持った存在として、
この現実社会を生きていないんだけど、
その人の「生」たる人生は続いているから

で、
他人の背後霊として、
(英語圏だとスピリットとかガイドとか)
誰かのサポートを数年していた場合、

たまーに、肉体を持っているその人のことを、
自分と錯覚しちゃうようなことが起きるのです
まったくの別人なんですけどね

ていうのも、
自己意識たるサイコノエティカル体
(第四の身体で六次元の身体)
が未成熟な人は、
(すなわち感情体であるサイキカル体と
思考体であるノエティカル体が未発達で
霊的成長がまだまだの人)

何故か、
カタチあるもの…形骸である肉体に執着するのですよ

だから、たまに人形とかぬいぐるみとか、
絵とか写真(ポスター)とかに、
入り込んでしまう霊(感情体と思考体だけの存在)が、
いたりするわけです
(それが災い的な心霊現象起こすから困ったもん)

「これが自分だ」と…
自分でも他人にも知覚してもらえる、
三次元の物質(人の姿をしたもの、近いもの)を
欲しがるんですね 
本当は欲しいのは肉体でしょうけど

たまーに動物にくっついている人間もいます
「私の前世は犬だった」「自分イグアナ姫でした」
みたいに、
自分が過去生で動物だったという人は、
こうしたパターン
(動物が人間に転生することはないし、
人間が動物に転生することもないので)

誰かに憑依していた期間も、
「前世」みたいにカウントしている?
いやさ「前世の記憶」として
錯覚しているケースあるんで、

「いえ…あの それはあなたが悪霊になって、
 取りついた人を困らせて、不幸に陥れてた時の、
 そのあなたの被害者たる方の記憶ナンですが」

ってのもあったりします

逆の立場で思い出す人も多いですよ

「私は過去生で男性に酷い目にあわされた」
って、
自分が今の人生で男性を苦手とする理由を、
自分は男性から性的被害を受けたからだ

…と思い込んでいる人がいましたが
それは妄想でかなりの間違い

男性を忌避し嫌悪する理由は、
自分が好きになった人に相手にされず、
振られた腹いせに、
「彼に乱暴された!」と騒ぎ、
相手を醜聞騒ぎに巻き込んだものの、
自分も結果的に評判落として、恥かいたんで、
自己肯定をするために
記憶の操作(誤作動というか書き換え)が起きたんです
(自分が悪いわけだから反省すべきところを
トラウマとして傷ついた記憶にしちゃってるんで厄介)

でもそうした自己保身、
自己弁護の気持ちが自動的に働いてしまうのは、
仕方がないです 人は弱いものだから
誰だって自分の悪いところは直視したくないもので


夢見る夢子ちゃんなクセは、
そういう痛い目にあっても、
なかなか学びを得ないことには、
そうそう治らないものだな~と
様々なこういう事例を見るたびに痛感します

(まぁ一言でいえば、
決して過去生に原因があったわけでなく、
その思い込みの激しい性格が、
今の生きづらさを創り出しているんですよ、
で片付けられちゃうかな)


そのような記憶の混在、混乱は多々ありますね
過去生リーディングをする人の側でも、
こうした事例を見抜くのは困難かと思います

セラピスト自体が、
クライアントさんが所持している記憶に騙されちゃうので

でも、まあ 冒頭でも述べたように、
過去生療法の現場やチャクラヒーリングにおいては、
何が真実なのか、
その記憶やクライアントに貯めこまれたイメージが、
事実であるのか否か、というのは大した問題ではなく、

肝心なのは、
クライアントの問題行動の原因を取り除いたり、
トラウマとなっていたりするシャドウセルフや
抑圧されている感情を解放することだったりしますので、

それがニセの記憶であろうが錯覚だろうが、
勘違いだろうが混在した他者の記憶だろうが、
追及することに関しては意味のないことです

クライアントさんにとって、
害のあるデータであるかどうかが論点ですので

ただ、それをむやみやたらと取り除くことが、
当人のカルマのレッスンに取り組む機会や、
霊的成長のための体験や
学びのチャンスを阻害することであるならば、
それは上手くいかないことでしょうし、
クライアントさんのそのような問題が、
このような記憶の混乱の原因であるならば、

自分に都合の良い記憶の作り変えに対して、
(それをやってしまう手前勝手な自己中さに)
ガツンと指摘しないといけないです

★ ★ ★ ★ ★ ★

さて、てな感じで、自分を主役にして、
ドラマチックに物語を作っちゃう人はたくさんいます
そういうつもりがなくても、
ほぼ無意識的に人ってそれをやっちゃうんですよね

別に過去生に限ったことでなくて、
今の人生でもそれをしている人はたくさんいます

いつでも自分が被害者な人とか…

とくに恋愛ではそうですよね
みんなドラマを勝手に創って演じてしまう
自分本位なストーリーで、
相手がシナリオ通りに動いてくれないとキレるし(笑)

相手の気持ちが知りたいといいつつ
相手に自分の気持ちを尊重してほしいだけだし
わかろうとしてないし みてないし

てなわけで、私は仕事で恋愛の相談は乗りますが、
プライベートで友人の恋愛相談は受けません
恋愛に関する話は聞かないよ~って断ってます
聞いてもしょうがないし 
そもそも相談のようで相談じゃないですもの
何をどう話しても 同じ話エンドレスの無限ループで
本気のアドバイス求められてないのわかるんで


はい、歴史は繰り返されるものです
人間は何千年、何億年生きても、
恋愛の前では、色恋沙汰では進化しない
永遠同じパターンを繰り返すもんだなあ…
としみじみ思います

先日のクライアントさんのケースだと、
やはり自分が死んだときの状況を、
間違って記憶している人がいました
(エレメンタル情報)

その人生でのその人は、
結構大きな屋敷の使用人で
なおかつご主人の愛人だったんですが、
金目当ての盗賊が襲ってきて、
いの一番に流れ弾に当たって死んでしまったんですね
だけど、何がなんだかわからないまま死んだので、
「盗賊が放った銃」によって自分が撃たれた、
という事実認識がなく、従って

自分の存在を煙たがるようになっていたご主人に、
「殺された(消された)」と誤解していたんです。

その人の霊性(霊格というかサイコノエティカル体)
の状態では、肉体を失くした後、
現実である三次元の状態をきちんと知覚できなかったので

てなわけで、
「私はご主人に銃で撃たれて殺されて 
 そのまま庭に埋められた
 コンチクショー!!」
というストーリーになっちゃった
(なぜ、どうして そうなった)


本当に記憶っていうのは、
その人がどう感じるか、どう記憶するか、
にかかっていると、その一言に尽きます。

疲れたから ここまで

知らぬが仏

今回はblogの主旨や内容とはちょっと異なる話。
どうでもいい、独り言です。

我が家にはテレビがないので、
空いている時間は、よくYoutubeを見ているのですが、
一時なんてことない、
とある人が料理を作っていて、
その家の窓からのぞく風景とかお天気の様子を
日記のように綴った、まるで童話のような動画…
にはまって、ほっこり癒されていたのですね。

何て言いますか、レシピ動画ではなく、
単純に料理を作っている手元を映しているだけの動画
それだけなのに、すごく伝わってくるものがあるんです
毎日を丁寧に生きる大切さ、その良さを教えてもらった
そんな清々しい優しい気持ちになれるのです

で、基本的には手元しか映っていないので、
コメント欄に書かれていることを見ますと、
皆さん、その方のことを
女性だと思われているみたいなんですね

ご本人、性別は書かれていないし、
とくにそうしたことを語られてないんですけど、
一回だけおっさんです、とレスされている箇所があるのと、
ガスレンジ横のステンレスに姿が映っている回があって、
男性だなってのが判るわけです

あと、そこ見なくても手と骨格かな
手首の太さとか、そういうの見れば
女性としてはがっちりしていると気づけるかと

であるのにも関わらず、
料理動画=女性という認識つーか先入観で、
書き込みをしている方が多いんですね

「すごく量を多く作りますね」
「ご飯てんこもりに食べる、あなたが好きだ~」

そりゃ男性ならそのくらいの量、
ふつー食べますって、量なんですけどね
むしろ少ないかな?って、ハイ

でも、私も最初は女性かと勘違いしていました
動画の構成というか作り方が女性的ではあって、
何となく一人暮らしのナチュラル志向の女性
そういう人物像をイメージさせる動画なので、
フィルターかかっちゃって先入観から、
女性にしては指関節がややごつくて、
手首も骨太でってのが目に入らず、スルーされてしまい、
女性にしか見えなくなってしまうのかな

とはいうものの、
性別でどうのこうのは動画の内容には関係ないですけど

そして、
一人暮らしを愉しんでいる独身女性の日常のヒトコマ
と思って、
そういうお料理好きで家庭的で、
華美な贅沢はしない地味で華奢な女性を、
イメージしている人に、あえて、
「この方、男性ですよー」と伝える必要もないのであった



で、
こんな風なネットの向こうでの勘違いから、
ふと思い出したことがありました。

それはバブルの少し後のこと。
新聞だったか、車内購読紙だったか、雑誌だったか、
何かの記事だったかは忘れてしまいましたが、
読者さんの投稿で新幹線にまつわる、
思い出かエピソードを綴ったものでした。

どんな文章だったか詳細は忘れてしまいましたが、

「バブルの頃、大阪に出張に行くことになったが、
 その時、新幹線で『お隣、よろしいですか?』と、
 隣に座ってきた女性と言葉を交わし、
 自分が大阪に今夜は宿泊するのだというと、
 『自分も大阪に行くので、夕飯をご一緒しませんか?』
 と誘われ、ドキリとし、一瞬迷ったものの、
 何時に仕事が終わるか判らないし、
 既婚者であることもあって断った
 けれど、後で宿にチェックインしてから、
 OKと返事をして一緒に食事をしていたならば、
 何か旅先での一夜の夢のようなことが、
 自分の身に起きたのかも知れない…と、

 ちょうど巷では「失楽園」など、
 渡辺淳一氏の不倫ロマンスものが流行っていた頃で、
 そのような作品の内容が頭をよぎって、
 そうした小説のようなことが、
 自分に起きたかも知れないのに、
 融通の利かない性格から、
 もったいないことをしてしまったのだろうか…

 だけどそういう小説の主人公のような、
 たまたま隣り合った、
 見知らぬ女性に声をかけられるという稀有な体験、
 もしかしたら旅先の恋になり、
 そこから始まったかも知れない出逢いが、
 自分にもあったというのは、今では良い思い出である」
 
なんかまあ、そんな内容でありました。
不倫は美化しちゃいけませんけど…
当人的には「ちょっとドキドキした想い出」
忘れられない旅先での出会いで、
目を細めて眩しく思い出すことなんでしょうけども

「ああ、この人って…

  知らないって
 実に素晴らしいことだなあ」

 と、思いましたのよ。

はい。

バブルの頃、新幹線売春てのがありました。
今もあるかどうかは知りません。
(JRが対策に乗り出してからほぼ壊滅したと思いますが)

はい、この人の体験てソレです。

新幹線の自由席に限るんですが、
単身で出張していると思われるであろう男性を見つけると、
「隣、座ってもよろしいですか?」と声をかけ、
目的地を聞いたり、ホテルを聞き出して、
「ご一緒しましょう!」ということで、
観光を一緒にしたり、
同行者ということで相手のホテルにinして、
お金を請求するお商売が。

いかにもソレに引っかかった…
いやさ引っかかる直前だったんだなあ、この人。

でも、
そういうのがあるってことを知らない、
この人にとっては「旅先の美しい思い出」
新幹線の中での美しい女性との出会い
に美化されているんだー

わかる人にはわかるけど、
わからない人にはわからないから、
まっいっか、ですが。

しかし、この投稿の掲載を決めた編集さんは、
こういう商売が世の中にあったことを知らないのか?
とも思いますが。

こういうお商売が世に存在していたことを知ってる人や、
実際引っかかって痛い目にあった人たちからすると、
「アイタタタタ」って、
ひきつりながら苦笑して読んでいるんだろーな、と思った。
(ふつーみんな声かけられた時点で、
 素人ではない商売女だって気づいて、
 話に乗るんだけど、気づかない人は、
 後で料金請求されて揉めることもあったらしい)


世間知らずと言えばそうで、
とはいうものの、
一概に知らないことを責めることも出来ませんが。
けど、不用心なのもどーかなって。
(当時の新幹線売春に関しては、
大手なんかだと注意勧告する会社もあったみたい
ま、出張で会社が宿泊費出しているのに、
んなことするなーってのはありますものね
でも確か、
大きなニュースで騒がれたことはないように思う)

そして世の中には色々なお商売があるというか、
手を変え、品を変え、
時代に適応して、あらゆることを商売のタネにする、
そういう人たちっているもんです
(オレオレ詐欺も最近は電話やメールでなくて
ハガキで総務省を名乗ったりするらしいし)

ちょっと考えれば「おかしい」って気づくようなことですが、
脳内フィルターがかかってしまうとお花畑になってしまって、
なんていうか、
自分に都合の良いドリームな物語に、
ドラマティックに演出されてしまう…ってのは、
どうしてもあるんですよね

結局、その人が「目の前で起きている事象」を、
どう捉えて、事実に認識して、感情が反応するか、
だけだから。

まあ、
この人が今生で真実を知る機会があるかどうか
その後で誰かに指摘されたかどうか知りませんが
知らないままなら知らないほうが、
夢は夢のままで美しく彩られた、
平凡な日常に訪れた、一片のトキメキを伴った出来事として、
宝石箱のように胸にしまっておいたほうが
この人にとっては幸せなのでしょう

そういうことが世の中にはたくさんあります

2018/10/16

家族を守護する家のオーラ~空き家は魔の巣窟

自分語りからになりますが、
子供の頃、真夜中に外に出て、星を見るのが好きでした。
今は東京で昼間の月も夜空の星も見る機会がほとんど皆無で、
実家はなんだかんだ関東の千葉の工場地帯でしたから、
せいぜい一番星二番星といった、
特徴的な星や星座が見える程度で、天の川などは見えず。
それでも近所の空地や駐車場や車の屋根に寝そべって、
仰ぎ見る宇宙には格別のロマンがありました。

眺めていたのは星空ですけど、
わりと頻繁に見ていると、
満月や新月の時は空気が違うというか、
実に不思議なものを視ることがありました。
私の住んでいたのは、
普通の二階建や平屋などが並ぶ住宅街ですが、
当時はまだ自然もたくさん残っていた時代のこと。

満月の夜には、
立ち並ぶ木々たちが落ち着かないソワソワした様子で、
みな一様に背伸びをしてグーンと伸びているような、
そんな風に見えたのです。
木々は昼間は寝ていて、夜には起きるのですけど、
満月の日だけは、テンション高くなってる?
そんな感じで。
木が背伸びをするなんてことはあるわけないのですが、
なんかまあ、そのように見えたのですね。
あくまで例えての言い回しになりますが。

そして、
伸びをしているのは、樹木たちだけではなくて、
なんと家も、だったのでした。

そのころの私は
「人間」のオーラは見た事なかったのですが、
家にもオーラのような光があるのは解っていました。
昼間には分からないのですけど、
夜そうやって宇宙を眺めに外に出ていたりすると、
それぞれの家が何故か白く発光しているというか、
家を取り囲むように白い煙のようなものが、
1mくらい?かなもやっとしたものを見れたんです。

でも、それは
人の住んでいない空き家にはなかったんです。

そしてそれには強弱というのかな、
家から出ている(家を包んでいる?)
光が大きい家、小さい家、弱い家、
光が薄い、濃い…てな具合に色々ありました。
(当時は昼間でもその家の人に何かがあるときは、
見たりすることも出来ましたから→お葬式が出る等)

で、満月の時に、各家から出ている、
その光(オーラ)がびょーんとまた伸びるんです。
木々と同じで、上にまるで手を伸ばすかのように。
まるで月に向かって伸びをする感じ?
(「もっと、光を!」って感じだったのかなww)

人の声も音もないけど、そうした夜は賑やかで、
植物も「家」もザワザワ、ソワソワしていて、
落ち着きなく忙しない感じで(ランランとした感じ?)、
見ていると本当に不思議で面白くて、
何をしているんだろうなあ?
あれをすることでどうなるんだろうな?
と思ったものです。
誰も答えはくれませんでしたが。

鉄筋の家もオーラはありましたが、
木造の家ほど顕著で解りやすかったです。

でも、家が壊される前とか、
植物や樹木たちが伐採されてしまう前とかは、
数か月前から、お通夜みたいにシーンとなるんです。
満月の夜もとっても控え目になって。
後になって、ああそうだったのかと、
そう気づくことになるんですけど。


今は、私が見た「家」のオーラは、
まさしくその家の人たちの「氣」で、
オーラそのものだったのだと理解しています。
住んでいる人たちの「氣」が家にも貯まるんですね。
そうやって家も呼吸して、栄養を得て、
大げさに言うと、生命を宿しているのだと…
そして家もまた、住んでいる人たちに、
「氣」を分け与えているんです。

そういう意味で「家」とそこに「住む人」は、
お互いに持ちつ持たれつの相互関係があり、
「氣」を循環させて共存しているのですね。

昼間も太陽の光から、家も人も、
氣(エーテルバイタリティー)を吸収しているけれど、
満月の日の月光浴は、太陽の出ていない間、
家が月を経由して地球に届く、
「氣」を取り込んでいたんです。

きっとそれは住んでいる人たちのために…


人が住んでいない家はダメになる。

よくそう言われます。

それは換気をしないから湿気がこもって、
建材などが痛むからだと、
あと掃除やメンテナンスが行き届かなくなるから。
確かにそれが一番の理由でしょう。

でも、どうもそれだけではないようなのです。

「家」に命(氣)を与え、
吹き込む「人」がそこにいないから…
「家」にとって、共に生きていく共存者、
家族としての「人間」がいないからなのかもと、
私は思ったりします。

生きている人が住んでいないと、
きっと「家」も寂しいのでしょう。


(たぶん、家運というのがあるなら、
私が見た、その家から放たれている「光」
のことなんだろうなって思います。
誰か亡くなったり、事故とか色々あった家は、
その「光」が消えたり小さくなりましたから。
また代々続いている古い家とかだと、
家の奥にまた別の光の塊があって、
それはきれいなものもあるけれど、
ほとんどが汚れた感じの重いダークなものでした。
そっちは先祖代々受け継がれる家の因縁とか霊脈とか、
家系のグループエレメンタルだったんでしょうね。
仏壇や家宝と言われるものの品々や、
家長さんの後ろにそれはあったりしました)



話変わって、

やはり長いお付き合いの、
クライアントさんのセッション時。
家が色々とまたお掃除が必要だねーなんて
話になりまして。

その方の住んでいる家は木造の貸家で、
アパートというより、二世帯住宅のような、
一階と二階にそれぞれ別世帯が入る戸建てでした。

「家に来る人が、
 なんか家に来ると落ち着かないっていうの」

原因としては、
部屋の中に迷い込んで来た元人間とか、
誰かが創った良くないエレメンタルとか、
よくある雑多なそういうのみたいで、
普通は風通しをよくし、太陽光をいれることで、
時間の経過とともに消えていくような、
力の弱いものたちですけども。
どうしても日当たりがよろしくない北向きの部屋に、
そういうのがたまってしまっていたようです。

ですが、その家だけでなくて、
どうもその方の頭の上、二階が気になる。
聞くと、
前の住人が出て行って、今は空き部屋とのこと。

「結構、長期間空いているんですよ」

まあ、他にもたくさんキレイなアパートや、
安くて設備の整ったマンションもありますし
古い家で設備も新しくないから、
いまいち人気がないのかもね~という話なんですが。

ちょっと気になるので見てみると、
なんかビュンビュン走り回っている。

クライアントさん曰く、

「時々、
 二階から家鳴りとは違う、なんか音がするんです。
 誰も住んでいないんですけど…
 それが夜うるさくて、落ち着かないときが」

とっさに世界仰天ニュースみたいなので見た、
勝手に人の家の屋根裏部屋に住みついていた人や、
2chのまとめサイトで読んだ、
他所んちの空き家に勝手に住みついている人…
なんかを連想したんですけど。

いやさ、これ「人」じゃない。

浮遊霊というのもいるっちゃいるんですけど、
もっと数が多い、小さくて長いのがたくさん。
ハクビシンみたいなの。

まあ、ホンモノも東京にはいて、問題になってます。
聞いた話では天井裏に住み着いて家をダメにされた、
とか、都内でもアルアル獣害で、そっちのナマモノ、
つーかリアルハクビシンの方だったらば、
駆除してもらわないといけないところですが。

でも、どうやら生き物ではない。
…エレメンタル、動物霊の方でした。

人が住んでいない「空き部屋」ということで、
勝手に住み着いたらしいです。
階下の部屋には人住んでいるんですけどね~。

とりあえず、お掃除するしかないです。
(これも駆除なのか)

その後のお話を聞くと、
「音が止んだ」ってことだから、
まあ、見立てがあっていて、対処法も成功ってことで、
解決で、めでたしめでたし…なのかな。

ただ、その後も、誰か住人さんが住むまで、
空き部屋である間は、
時おりチェックしないとダメかもー
という話でした。


てなわけで、空き家や空き部屋には、
下手をすると、眼には見えない住人や何かが、
居ついてしまうことがあるって、
そういうお話でした。

汚部屋や汚屋敷や汚フィスなんかも、
人が住んでいたとしても、
必ずと言っていい割合で、
色んなよろしくないもののたまり場、
悪の巣窟みたいなところは多々あるけど。

一件丸ごとではなく、
アパートなんかの一部屋だけでも、
そうなっちゃうんだー 
というのを知った次第です。

まあ、共同住宅では、
いくら自分とこがキレイにしていても、
隣の住人が汚部屋にしていたり、
ネガティブ思考の人で、
ネガティブエレメンタル製造機だったりした日には、
自衛は難しかったりしますけどね。

3mくらいの距離でも、
隣の人のエネルギーは侵入してきますから。
(だから寝室の場所は考えないといけない。
隣家の寝室とは隣接しないようにとか、
道路や廊下など人が良く通る側にベッドを置くのは、
避けるべきなんですね。
都会の単身住居では難しいけど)

共同住宅では、どんな人たちが住んでいるか、
で建物のカラーが決まるから、
そのカラーに染められたり影響も受けたりします。
だから、「運気」を気にするなら、
どんな人たちが多く住んでいるかも重要。
土地との相性、建物との相性も重要ですが。

深い瞑想をする人が一人、
その地域(半径100m位もしくは一区画)にいると、
その地域の人々の精神は安定し、平和になる。
とは、よく言われること。
でも、その逆もあるんですよね。

共同住宅に住む人、
戸建てであってもミニ一戸建てみたいな、
狭いエリアに立ち並ぶ建売住宅なんかは、
左右前後の家の影響も受けざるを得ず、です。

そうならないためには、
自分の家の敷地内あるいは部屋の空間に、
自分の強い「氣」を放出するまでまんべんなく満たし、
左右前後上下の住人の「氣」やそれ以外のものが、
自らの居住エリアに進出し、侵略してくるのを、
頑張って防ぐしかありません。

とはいうもののの、それ以前に
自分の家の全空間を活気ある生命エネルギーで満たし、
水回りなどデッドスペースなどに、
ヘンな居候がいつの間にか居ついてしまわないよう、
防御策を練らないといけませんね。
(ここら辺、悪いものがたまらないようにするために
考えられた建築学、生活の知恵が本来の風水や家相)

てな感じで、空き部屋恐るべし。

今都内も空き家問題があったりするわけですが、
どんだけの動物霊や浮遊霊たちが、
そこにたむろってるんだろうなーと思ったりもします。

まあ、
霊やエレメンタルのいない場所なんてのが、
そもそもなくて、珍しいわけですけども。


(地下や地下街などは彼らの絶好の居場所で、
浮浪者の人は当の本人知らずして、
ペット飼いな人ばかりでおじゃりまする)

動物は好きですけどね、うむ。
動物霊=悪っていうわけでもなし。
彼らの存在そのものが邪悪ってわけでもない。
結局は創った人なんだよなー
(お稲荷さんに挨拶に行くと、その後に
他人から食べ物をもらうことが多い私)


そして、活気のある、
とても強い光を放っている家は、
だいたい「家族」の仲が良く、
いつも笑顔で暮らしている温和な人たちの、
その「笑顔」の波動が光の源なのでした。

2018/10/12

Imagine~ウォーよりショーを!~War is over

今月10/9はジョンの誕生日だったので<タイトル
そんな私はビートルズファン(好きなのはジョージ)。


エゴは自我、エゴイズムは自分主義。
両者は混同されて用いられることが多いが、
(エゴをエゴイズムの意味合いで引用している人が多い)
意味としては対極になる。

エゴがI am…「我故に我あり」であるなら、
エゴイズムはジャイニズム(ドラえもん参照)じゃなくて、
I'm justice,I am the rule books!という「自分至上主義」
まあ、天上天下唯我独尊、地球は自分のためにあるって思考。

このエゴイズムによって創られたエレメンタルは、
創った本人と同じ知性を持っているので、とても厄介。

世の中には、
このエゴイズムに騙され、唆され、操られ、
エゴイズムによるエレメンタルの目的を叶え、
欲望を満たすがためだけに、
奴隷のように生きている人ばかりである。

人の霊的進化(成長)は、5段階に表される(ヤコブの階段)が、
最初この世に人間として生まれ堕ちた時はまず、
人としての生存本能に従って生きるところからスタートして、
次には無意識で生きる
(自らが創ったエレメンタルを使って)ことになり、
そこから「知」を得て、意識が目覚める段階へと進み、
意識的に生きることを何度も反復して学びつつ、
やがて覚醒して、超意識を得て光明へと至ることになる。

とはいうものの、未だこの地球には、
本能と無意識で生きている人々がほとんどで、
圧倒的大多数と言うか過半数以上がそうなので。
地球自体の霊性はとてつもなく低いと言わざるを得ない。
実際、地球は劣等生の集まりで落第生ばかりなのである。

少し前の流行で、スピリチュアル・ミーハーな人たちが、
次元上昇(アセンション)だの何だのって騒いでいたようだが、
残念ながら、私たち人類(地球人は)意識低い系のままである。
ぜーんぜん意識高くなーいっっ
(女性の方が男性より柔軟で精神重視志向の人が多い)

別の角度から見た時にも、
この地球上の価値観は原始的な物質主義に縛られたままで、
各国のジャイアニズムが牽制し合って、
力を誇示し、覇権を争ったり、
自国の利益ばかり優先した結果としての世界情勢。



サイキカル界、ノエティカル界のレベルの7段階は、
しばし、
7つのエーテルセンター(チャクラに対応する)に対応し、
比例して語ることが出来るが、
現代の地球の価値観はようやって近代に至って
第三チャクラ(自己)に表される、
個人の時代にようやく到達したところで、
他者との感情や体験のシェアリングを味わえる、
第四チャクラ…他者と共有する愛の時代には未だ遠く、
そこに至っている人は少ないのである。
ていうか、それ以上の人は少数派(マイノリティ)で、
自分至上主義的な社会のイデオロギーの中では、
居心地がとても悪く、生きづらい時代と言ってもいい。

今はまだ不安と恐怖が人を所有へと駆り立てる、
パワーの時代(力で弱者を制する時代)であって、
愛と智慧が足りない時代であるし。
芸術や教育、体験的な経験よりも、
物質的至上主義であるので。
目に見えないものに価値を置き、
美を愛でたり、それらを大切にしたり、
自らをクリエートして生きようとする人々は、
呼吸が出来、自分らしく生きられる場所を求めて、
偏見や孤独の中、彷徨っていたりもする。


それでもまだ世の中は、数十年前、数百年前より、
確実に「良くなって」いたりするのである。

斎藤一人さんの著書かから言葉を引用させて頂くと、
いわゆる"生成発展"というやつで、
「人類の歴史は始まったときから、
 ずっと、だんだんよくなりつづけている」ので。

確かにそれはそう。
今の世の中は、過去の人類すなわち
私たちの過去生だったり、
先祖だった人々が願った未来。
あらゆる人々が制限のある現世をあきらめつつも、
子孫に希望を託した結果や来世であって、
こんな世の中を変えたい、社会を良くしたい、
こんな人生は、生活はもうイヤだ、
と思ったことから思考し、行動したことが、
社会を創ってきたのだから。

四次元の世界での空想、
五次元の世界での思索、
それによって創られたエレメンタルが、
グループエレメンタルとなったり、
発明やアイデア、インスピレーションの種となり、
誰かに拾われたり、大勢を突き動かす原動力となって、
三次元の世界に具現化されたものが、
物質社会を形作る構成要素となり、
私たちが今存在している現実世界として、
見て、触れて、聞くことが出来ている。

こんなものがあったらいいな、
もっと便利にできないだろうか、
どうすれば事故や人災を防げるだろうか、
地震に強い家づくりをしたい、
人の命を救いたい、

そんな人々の想いが今の便利な世の中を創ってきた。

確かに世の中はまだまだ不幸が多いし、
悲しい出来事も憤慨するような酷い事件も、
日々起こっていて、なかなか無くならない。
それでも、人命の歴史は進んでいて、
過去のどの時代よりも今のほうが良かったりする。

「世界がもしも100人の村だったら」
なんかを読むと、
まだまだだなって、痛感させられることばかりでもある。
希望を失いかけ、失望することも減らない。

でも、皆が願えば…
101匹目の猿がもっともっと増えていけば、
きっと世の中はもっともっとよくなっていくはず。

まず世界に平和を望むのであれば、
自らの内に平和を築かなければいけない。

by エドガー・ケイシー


そして、世界を平和にするためには、
一人ひとりが自分の問題と向き合い、
一つひとつ自らの内在する問題を解決していけば、
外界に表れている問題は無くなり、
すべての問題が解決していくのだと思う。

power to the  people !
ヒューマンパワーが地球を変える…

いつの時代でも、
時代の先を行き過ぎて、行き急いだがゆえに、
反発と抵抗の波にかき消されてしまう人がいたりする。

音楽や美術など、アートワークをする人の多くが、
そうした時代の声を聴き、
聞こえない音を聞こえる音にして伝え、
見えないものを視えるものに形状化して見せることを、
私たちにいつだってしてくれているのだろう。

時に音楽として、映画として、芝居の脚本や、
一枚の絵画やデザインの中に、
あらゆる「美しいもの」「前衛的なもの」の中に、
人の心を、魂を揺さぶり、情動を突き動かす、
Something と感動の渦を私たちに与えながら。




さて、我が家にはテレビがないので、
私はyou tubeをよく見ているのですが、
少し前には(今は別のにはまり中)、
Xファクターやアメリカンアイドル等の
オーディション番組にはまっていたり。
(いや、英語はさっぱりわかりませんけど)

とにかく思うのは、
アメリカは豊かな才能の宝庫だということ。
素人ながら素晴らしい逸材がとてつもなく多くて、
さすがエンターティメントの国だ、と実感させられます。

私は洋楽好きで(邦楽も聞きますけれど)、
幼少期より海外のバンドを聞いてきたものですから、
日本の芸能人のレベルの低さというか、
歌手やバンドやミュージシャンに関しては、
なんだかなって思うとこも多々。
ていうか、
曲の良さや実力で評価されないのが日本という国で。
でも、まあそれは置いておいて。

いや、本当に、感動するのですよ。
多少、やせらっぽいところはあるけど、
(簡単にスタンディングオペレーションする観客とか)
でもそこはテレビでエンターティメントなんで、
ショーとしての演出は必要だし、
感動の押し売りがウザイときもあるけど、
基本的には素晴らしいパフォーマンスや
歌唱力や個性を持った素人が多いから、いいかと。

ダンスやイリュージョンのパフォーマンスしかり、
シンガーなんかは一人ひとり、
ホント素晴らしい個性的な声を持っていて、
なんていうか、
こういう自分を100%表現できる場があるって、
そういうチャンスを与えられる場があるって、
とても素敵だなあとつくづく思ったのです。

見ているだけで楽しいですし、ウキウキしました。

ダンスや音楽(歌や演奏)だけでなく、
スポーツとかアートなんかも見る人に感動を与える、
素晴らしいもの。

オリンピックは私自身はあまり関心ないのですが、
それをする人にとっては、自己表現の場なわけで。

世界中の人が、こういう自分の能力を、
最大限に表現出来るステージに立てたなら、
そしてこのようなショーをもっと多くの人が楽しめて、
悦びと新鮮な感動を日々味わって共有出来たなら…
皆の心は満たされて、
争ったり、泣いたり、苦しんだり、怒ったり、憎んだり…
はもっと減って、
そしてこの世から諍いがもっと消えて、
人々が互いの利権を奪い合う戦争なんて、
バカバカしくなるんじゃないんだろーかって。

本当に…
私たちは互いに殺し合うよりも、
相手を力で制して、屈服させて、奪い合うのではなくて、
お互いの違いを認めて、
それぞれの個性や才能を賛美して、
互いの素晴らしさを評価して楽しんで、
そうやって生きていけたら、どんなにかいいだろう。

戦争(ウォー)なんかするより、
世の中もっともっとショーをみんなで楽しんで、
人々の心を豊かにして、笑い合って、
怒りや哀しみよりも、喜びと感動をシェアして行けたら、
どんなにかいいだろう。

毎日エンターティメントだらけで、
スポーツにしてもアートにしても勉強にしても、
皆が好きなことをして自分を表現できて、
誰かの心を満たし、自分も他人をも幸せにする人生を
生きることが出来たならば、
この世はあっという間に、平和になるだろうに…

世界中のどこかで拉致とかレイプとか殺人とか、
何処かの国が何処かの国を侵略したとか、
独裁者が民衆を苦しめて恐怖支配をしているとか、
子供が虐待されたとか、子が親を殺したとか、
一家心中とか、不幸な事故とか、虐めとか差別とか、
そういうことが一切無くなって、
悲しくて辛いニュースも聞かなくて済むだろうに…

なんて、そんなことを思ってしまいました。
上手くまとめられませんが。

2018/10/11

エネルギーヒーリング~レイキの恩恵

ヒーリングとは「治る力」
すなわち自己治癒力のことで、
身体が治ろうとするのをサポートする、
治療行為(施療)のことも意味する。

現代医学(西洋医学)も、
それに付随する理学療法もヒーリングだし、
東洋医学(中医学・韓医学・日本漢方)も、
アーユルベーダもチベット医学もタイ古式マッサージも、
世界中に存在する民間医学や療法はみんなヒーリング。
指圧も按摩も整体もリフレクソロジーも、
カイロプラクティックもオイルマッサージも。

ボディワークとしてのヒーリングだけでなくて、
心や精神に対する働きかけをするものも、そう。
心療内科も精神医学の対処法も、
それらや民間のセラピーもカウンセリングも、
心や思考に働きかけるヒーリング。

癒しとは、崩れたバランスを元に戻し、
正常な働きを取り戻すように働きかけ、
不健康な状態を改善して、健康である状態へと導くこと。

物質的な次元の身体を対象として行うのか、
心の身体(サイキカル体)、あるいは
思考体(ノエティカル体)に対して働きかけるのか、
その違いに過ぎないのです。

三つの身体のいずれかが健康でない状態にあるなら、
その他の二つの身体とのバランスも崩れていて、
三つの身体は互いに補完し合う相互関係にあるので、
一つの身体に働きかけることは、
結局のところ全体に働きかけることであるので。
もちろん、原因となった、
一番ダメージを受けている身体と病巣(根源)に対して、
ダイレクトに施療を行えば結果(効果)が出るのも、
解決(回復)を促すことも早いのですけど。

で、
エネルギーヒーリングとは、基本的には、
「氣」である「エーテルバイタリティー」を
用いたヒーリングのことです。
(氣はマナやプラーナ、宇宙エネルギーとも言われる)

そして、エネルギーヒーリングの中でも、
「エーテルバイタリティー(氣)」を人から人へと、
譲渡して補充するのがマグネティック・ヒーリング
レイキとかクォンタムタッチとか手かざしとか、
気功やタッピングなどのハンドヒーリングが相当します。

「エーテル・バイタリティ(氣)」を元に錬成して、
ヒーリングに実用的なイメージの形にしたり、
氣のボ-ルを作ったりするなど、
「氣」を加工してエレメンタルやエーテルコードを、
操って働きかけをするのがサイキカル・ヒーリング。
エレメンタルの書き換えをするヒーリングはこれです
チャクラに働きかけるヒーリングもそうだし、
シータヒーリングやイメージを使ったセラピーやワーク、
ダイレクトにエレメンタルに働きけるサイコセラピー、
ヒーリングだけでなくて、霊能者さんたちがしていることも、
これになりますね(四次元や五次元の事象に対し働きかけて、
色々構築してる<霊体やエレメンタルにアプローチしたり、
霊道作ったり移動したり、封じたりの操作など)

そして、これを勘違いしている人は多いのですが、
スピリチュアル・ヒーリングは、
人間が行えるヒーリングではありません。
霊界(五次元、あるいはそれ以上の次元の存在)
の霊医と呼ばれる存在が行う施療のことです。
これはヒーラーはまったく疲れないし、むしろ健康になる。

肉体(三次元)に対しての働きかけでもなく、
感情体(四次元)に対する癒しでもなく、
思考体(五次元)に対する意識改革と、
神体(六次元)に対する働きかけで、
霊的意識の目覚めを促進して根本的な治癒を起こすので、
魔法のような奇跡が起きるのです。

これは物質的な三次元の存在である人と、
四次元、五次元、六次元以上の存在が、
チームとなって行う作業であるので、
人であるヒーラーは窓口となる受付係のようなもので、
その人自身の意志や力で起こせるものではないのです。

なので、
スピリチュアル・ヒーラーと名乗る資格のある人は、
そうした奇跡を起こせるチームの、
三次元での顔(代表で代理人)ということになりますが、
まさに選ばれた人でもあるので、
その人自身の意志でヒーラーをやりたくて、
その道に導かれた、というのはまずないです。
(解剖学とか医療的知識がないとなれないし…
という意味では医師免許を持っている人等の、
医療従事者が最も近い候補者ってことです。
医師でゴッドハンドの持ち主は
過去生でも医師だったのでしょうが、
背後にサポートがいることは間違いないです)

だから、
スピリチュアル・ヒーラーを名乗っている人は、
こうした霊的知識がバックボーンになくて、
謝って肩書や名称を名乗っている人がほとんどです。

本当にその意味を知っていたならば、
恥ずかしくて肩書を名乗れないはずですから。
(博士号のない人が博士を名乗っていたり、
マエストロの資格がない人が名乗っているようなもの)

マグネティック・ヒーリングは誰でも練習したり、
霊授を受ければできるようになりますし、
サイキカル・ヒーリングにしても、
鍛錬して習得することは誰でも出来るようになります。
が、やはりエネルギー・ヒーリングの基本は、
マグネティック・ヒーリングにあると言えます。

マグネティック・ヒーリングは習得していないのに、
サイキカル・ヒーリングだけを行っている人がいますが、
こういう方は自分自身の「氣」のみを使うのもあり、
クライアントさんを見た(施療)後の消耗が激しく、
相手から「受けやすい」というのがあったりします。
そして、先天的に「緑の手」を持った人でない限りは、
質の良いエレメンタルの生成には限界があるようです。

とはいうものの、
サイキカル・ヒーリングは、
その人のサイキカル体の状態に左右されるので、
サイキカル体が発達していない人には不可能です。
(創造力=想像力ですので。イメージ力のない人、
ヴィジュアライゼーションが苦手だという人は、
はっきりいってサイキカル・ヒーリングは無理です)

サイキカル・ヒーリングが上手くできる人、
この手法でのヒーリングが成功するか否かは、
その人のイメージ力と感情のコントロール力に、
委ねられています。

マグネティック・ヒーリングは、
どんな人でもほとんどの人が習得できますが、
サイキカル・ヒーリングに関しては、
上記のような制限というか条件があります。
そして、スピリチュアル・ヒーリング。
これは出来る人はほとんどいません。
それが出来ると思い込んでいる人は、
まず出来たためしがありませんし、勘違いです。
スピリチュアル・ヒーラーは存在しますが、
その存在に出逢える人はまれです。
出逢えたこと自体が見えない世界からの導きであり、
入手不可能な特別チケットを手に入れられた、
という意味になります。
(医師以外での一般の仕事をしている
スピリチュアル・ヒーラーは確かに存在しますが、
彼らは自分の存在をまず他人に誇示しません。
従って、ネットの世界にはまず出てきません。
かなりコソコソやってます。
けれども、見えない縁で繋がれる人は繋がれるのです)
※私みたいにこうしたblogで、
 あれやこれや書くような真似はしない人たちです。

サイキカルな能力と
スピリチュアルな能力はまったく別ものです。

サイキカル・ヒーリングに長けたヒーラーで、
スピリチュアリティの高い人には、
霊的な存在(透明なヘルパー)のサポートが付き、
やはりチームでの仕事をすることになりますが、
六次元以上の存在が介在しないので、
どうしても「心の癒しと解放」(四次元の身体)を
主体とした働きかけ、ヒーリングになります。
この段階で、五次元の身体にまでヒーリング効果が到達し、
意識の変革(気づき)が起きることも間々ありますし、
スピリチュアル・ヒーリングが出来ない、
単なるサイキカル・ヒーラーでも、
レベルの高いサイキカル・ラーならば、
それに類似した効果や結果を出せます。
(そこまで行かなくてもいい線行っているというか、
近い仕事をしているというか、そんな感じで)

但し、その結果を自分の能力(手柄)と過信し、
常に安定してそれを引き起こすことが出来るのだと、
そうした勘違いが生まれてしまうのが、
ヒーラーにとっての不幸の始まりです。
(まぐれで除霊が出来たのを常にできると思ってしまい、
それを看板にしてしまい、自らが背負う悪循環を作る等。
その他、たまたまクライアントさんの病気が治ったのを、
自分が直す力があると思いあがってしまう等‥)
まだまだ、そのレベルの人はエゴイズムを持っていて、
完全には捨てきれていないからです。

スピリチュアル・ヒーリングが出来るヒーラーは、
エゴイズムを捨て去って小我から大我の境地に至り、
他人のために生きることが幸福と自覚できている人なので。
つまり聖人か聖者一歩手前かそのレベルに達している人。
このレベルのヒーリングを受けると、
人生がまさに180度転換して変わってしまいます。
青天の霹靂、頭に雷が落ちて人格が一変してしまうくらいの、
それくらいの覚醒(魂の目覚め)がその人に起きるのです。
2ch用語で言うならば、その人の手に触れられただけで、
DQNが一瞬で背筋がしゃんとし、頭を丸めて、
きりっとした聖人君子になってもーた、とか…
一瞬でウォーターして「うう、アタシ間違ってた(号泣)」
になっちゃうような、そんなことが起きるんです。
(どんなバーサーカーでもその状態には戻らない)

マグネティック・ヒーリングでも、
エーテル・バイタリティー(氣)を補充し、
三つの身体のバランスを整えることで、
肉体のダメージ回復を促進し、
メンタルの状態を上向きにさせることは可能です。
基本的にマグネティック・ヒーリングは、
物質的身体に対する働きかけがメインですが、
肉体に不足していた氣が満たされることで
同時に消耗していた四次元の身体への負担が減り、
そちらにも氣が行き渡ることから、
感情的な安定が促進され、氣持ちが良くなるのです。
そのことから、四次元の身体の状態が改善され、
長期的に受けることでダメージも回復しやすくなります。

マグネティック・ヒーリングも、
サイキカル・ヒーリングも、
習得する自体は難しくなく、鍛錬して、
日々実践して、経験を積んでコツさえ掴めば、
イイ感じに上達してもいきます。

けれども、その先の段階に進むには、
その人自身の人間力、霊的成長の度合いというか、
スピリチュアリティ(霊性、人としての品格)次第で、
その人のその人類同胞に対する奉仕の精神や
ヒーリングをする動機、
人としてのその人の人間的な魅力に魅せられた、
霊的な存在たちがサポートしてくれるか否か、
その存在たちがどのレベルの存在たちなのか、
そうしたことに左右されることになります。


☆ ∞ ☆ ∞ ☆ ∞ ☆ ∞

さて、私はその昔、
手塚治虫先生の「ブラックジャック」を読んで、
外科医に憧れたときもありました。
でも頭脳が足りないし(理数系は壊滅的)、
経済的にも進学とか無理だったのでその道は×。

ていうかー
それ以前に私は超虚弱体質(いわゆる病弱)で、
自己免疫システムに異常あるし、単腎だし、
体力要な仕事に就くこと自体、無理がありました。

ですから、普通のOLに憧れました。
それか普通の主婦に。

ちなみに無駄に霊体験とか多かったし、
占いなんかも習得していたけど、
占いとか霊的な仕事とかだけは、
絶対にしたくないって思っていたのです。

けど、何の因果か、結局占い師やって、
今はレイキのティーチャーで電波な仕事していたり。
(おや…?)

犯罪学とか好きで検視官系の本、読み漁って、
犯罪捜査の協力をするサイコメトリーに憧れて、
来世はそっち系のことをしたいと思いつつ、
監察医なんかもいーなーと(来世ね)思っていますが、
臭いに敏感で臭いのはノーサンキューなので、
その時点で死体の検視とか無理だなーと。

まあ、話逸れました。

レイキを習得する前、20代の頃ですが、
台湾に気功習得しに行ったことがあります。
先輩に誘われて参加したのですけど。
最初は東京での合宿ということでしたが、
伝授して下さる方が高齢でヤバイかも、ということで、
私たちが台湾に行くことに。
何が何だかよく分からないで参加しましたが、
その時、初めて天と地の氣の交わるところに行き、
大地の「氣」のパワーを感じる経験をしました。

普通気功って、太極拳や合気道みたいに、
「氣」を感じるところから少しずつ体得するのかと、
そう思ってもいたのですが、
当時は何をされているのかわからなかったんですけど、
レイキのアチューンメント(伝授)と同じで、
霊授で「氣」の道を繋げてもらってたんですね。

でも、
せっかく使えるうようにしてもらったというのに、
成り行きで取得したものですから、
真摯に向き合わず、そのままにしていました。

その後、愛猫がリンパ腫で亡くなって、
ペットロスに陥ったことから、
その時、好意で愛猫に対して、
遠隔ヒーリングをして頂いたことや、
ダメージを受け、憔悴した私を見かねて、
ヒーリングのサポートを受けたほうがいいと、
友人が勧めてくれたお陰もあって、
その友人であるレイキヒーラーの人のところに。
(この下りはどこかに書いたとも思いますが)

1980年代にニューエイジ・ムーブメントが起きた時、
レイキは日本に逆輸入され、一時脚光を浴びたのですが、
当時の私の印象として、「レイキって胡散臭い」
偏見というか先入観から、毛嫌いしていたというか、
敬遠していたものだったのですね。
気功はともかくとしてエネルギーヒーリングとか、
チャネリングとか、そういうのに対してもそうでした。

占いの仕事していても、占い自体に抵抗ありましたし、
今も新興宗教アレルギーだし、
ミーハーにスピリチュアルを語っている人は苦手です。
十分私自身が電波な人間なんですがっっっ

でも、まあその時は心身ともに弱っていたこともあり、
抵抗なく友人の勧めを受け入れられたんです。

で、受け入れて、
レイキのヒーリングを受けてみたら、
実際にものすごく元気になれた。
心身共に前向きになれたんです。

半年間、愛猫の闘病生活の末の喪失感、
仕事も出来ず、日常生活もままならないほど、
悲しんで嘆いて、心身共に消耗しきっていて、
完全に「氣枯れ」してしまっていたんでしょうね。

何度か通わせて頂いて、自分を取り戻して、
「レイキ」を体感して、これは有益なものだと思いました。
自分がそれまでもっていた偏見や先入観も捨てられたし。
心身共に安定している、
この状態をキープしたいなとも思ったし、
もともと不安定な気質で心も弱く、
病弱で精神状態に左右される健康状態だったこともあり、
それが改善出来るかも、と伝授を受けたんです。

当初、仕事にしようとかは思ってなかった。
ティーチャーにしても、なろうと考えてなかったです。
まだ占い師はしていましたが。
アロマセラピストとしての仕事や、
メディカルハーブに関連する仕事をしたかったので。

たまたま、占いのお客さんとしていらした人で、
「霊を憑依させてる」人や「氣の消耗」が原因だ、
と言う人が続いたので、
「レイキヒーリングさせて下さい」となって、
そういう機会が増えたので、メニューに入れてみた。
気が付いたら、そっちが本職になってたパターン。

アロマテラピーのトリートメント中に、
クライアントさんが急に泣き出してしまったことがあって、
どうやら
過去生の情報にアクセスしてトリップしてしまったので、
それで仕方なくというか巻き込まれるようにというか、
必然的に、状況的に仕方なくヒプノセラピーやら、
過去生リーディングをするようになってしまった。

たぶんレイキのアチューンメントを受けたことが、
私の歴史でひとつのきっかけだったとは思います。

でも、まあ、もともと子供の頃から、
霊的な体験はそれなりにしていたし、
神秘学やそっち系の知識もあり、
占い師で人の話を聞く経験が豊富だったから、
何となくにしてもその延長線上で出来る仕事というか、
無理なく移行できた職種という気がします。
(今の仕事をする土台があったというのかなあ)


色々と前置きが長いんですが、

結果的に気功修行ではなく、
レイキのアチューンメントを受けたことで、
あれやこれやと今に至る道筋がパッと開いた私ですが、
その前の気功修行にて台湾の某パワースポット、
「天と地の氣が交わるところ」に行ったのも、
ちゃんとした布石、道筋であったわけですね。
たった一週間しかいなかったけれど、
いるだけで「氣」が体内に満ちる経験をして、
「氣」が充実するってことがどういうことか、
実際的に体感出来ていたので。

その時はなんでも解るというか、
リーディング絶好調でした。
怖いものが一切なく、なんていうか無敵で、
今の自分はなんでもできるってくらいに、
気が大きくなっていました(ジャイアンでなく)。
都会に存在するあらゆる電波や他人の想念が、
あちらこちらを飛び交っているのが身体で分かるというか、
すべてが自分を通り抜けていくのがわかるみたいな。
このあたり上手く説明できないんですけどね。

でも、その気功の奥義を授けてくれた
仙人のような老師が私に何をしてくれたのか、
その時にはまったくわからないのでした。
日本に戻ってきてから、上記の状態になったんで。
(台湾にいる間は旅行気分で浮かれてました)


レイキのアチューンメントは、
「レイキの回路」を作る、という表現ですが、
ふだん私たちが三つの身体の維持と回復のために、
栄養として取り入れてる「氣(エーテルバイタリティー)」
とは違う種類の霊氣と名付けられた、
「氣(エーテルバイタリティー)」を取り入れるために、
その受信アンテナと通り道を作り、
それを掌のチャクラから放出出来るようにする…
そんな感じですね。

なので、
アチューンメント(伝授すなわち霊授)中に関しては、
あれこれ「氣」の流れをいじられることになり、
その後の21日間、体内にて氣の調整が行われるので、
人によっては、体調を崩すこともあります。
心身ともに不安定な状態に陥ったり、
趣味嗜好の変化が起きたり、色々ですね。
(たまに一日でファーストからサードまで伝授したり、
きちんと定められた日数・行の期間を開けないで、
連続した日程で霊授を行っている人がいますが、
それは大きな間違いですね。
21日間という単位は、行の基本的な期間ですので、
きちんとセルフヒーリンクに省略された行期間は、
守らないといけません)

氣の流れが大きく変わって、
一時的に氣の波動が上がるので、
貯めこんでいたマイナスの感情(エレメンタル)が、
居心地悪くなって騒ぎ出すというか暴れるというか、
これを浄化(デトックス)とも言いますけど、
好転反応として捉えたらいいのかな、と。

レイキを受けたから波動が上がって、
心身の問題すべてが解決っていうのはないです。
霊的な成長が伴っていなければ、
体内の氣の波動が上がった状態というのは、
一過性のもので一時的な体験にしか過ぎません。
そうした良好な状態は短期間しかキープされず、
数か月あるいは数年位で落ち着きます。

この状態をレイキの効果が消えた、無くなった、
力を失ってしまったとか、回路が閉じた、詰まった、
というような言い方、捉え方をする人がいますが、
そういうことではないのです。


私の場合、
レイキのアチューンメントを受けて、
体内の氣が攪拌されたかなんかで氣の流れが変わり、
氣が充実し、波動が上がったお陰で、
生きるモチベーションが上がりました。
その代わり、ヒーリング・クライシスが酷かったです。
貯めこんで抑圧していた負の感情…
ネガティブなエレメンタル(記憶)のフラッシュバック。
とてもしんどく、大変でした。

けれど、それを乗り越えた後は、
健康面での恩恵がありました。
今も決して身体は丈夫とは言い難いのですが、
レイキを受ける前までは、
少しストレッチなどの軽い運動をしただけでも、
間接に負担がかかって炎症を起こし、
熱を出して寝込んでいたのですが、
その後、スポーツジムに通って運動をしたり、
ヨガやストレッチなど普通にできるようになりました。
一年中風邪を引いたような症状もなくなり、
2、3年に一回大きな風邪を引く程度で済んでいます。

幼少期のトラウマで食べれなかった、
ある食べ物が食べれるようになったり、
高所恐怖症で歩道橋も渡れなかったのに、
渡れるようになったり、
二階以上の建物のベランダも何とか、
低層階なら大丈夫になりました。
(このあたりは過去生の記憶の解放の
恩恵のほうが大きいのですが)

あれほど好きだったお酒も弱くなり、
あまり飲まなくなりました(笑)
タバコも止めました(美味しくなくなって)。
ファストフードとかも気持ち悪くて、
身体が受け付けなくなりました。
(まったく食べていないわけではないです)

てなわけで、
私はレイキを取得したことで、大きな人生の節目を迎え、
否応なく仕事の転換期を迎えることになりました。
これに出逢っていなかったら?とも思いますが、
確実に導かれたと思いますし、必然だったのだと思います。
ティーチャーになることも考えていませんでした。
人に教えるなんて自分には向いてないし、とんでもないと。
でも、霊的真理の学びをすることとなり、
そうした知識を得た事、要望を頂いたことで、
ティーチャーになって12年の月日が経ちました。


実際、ティーチャーになって、
たくさんの方にレイキをお教えしてきましたが、
受けられた方たちの中では、
ヘビースモーカーだった方が「タバコがマズイ」
となったり、キッチンドランカーだった方が、
「コップ一杯飲んだら、もうダメで」
となってしまったり…
「果物や野菜をモリモリ食べるようになった」
とか、アレルギー体質が改善されたとか、
楽になった、という人もいらっゃいました。

単なるプラセボ効果なのかも知れませんけどね。

体質や体調、思考や趣味の変化もさもありなん、
気持ちや考え方の変化、見識や意識が変わった…
という声もたくさんあったりします。
思ったことが叶いやすくなったとか、
精神的に安定するようになったとか、
細かいことを気にしなくなったとか、
生きるのが楽になったとかとか…

それは「氣」の流れによる波動の変化と、
一時的にせよ、そうした効果によって、
負のエレメンタルとおさらば出来ている
(ネガティブエレメンタルから解放された)状態を
味わっているからでしょう。

そうした
「氣の抗生物質的」な「特攻薬効果」
をどこまで維持し続けられるかどうかは、
その後のレイキの使い方、付き合い方次第、
とも言えますね。生活態度や氣の扱い方。
平たく言えば、その人がどう生きるか、
どのような人生を生きようとするのか…
レイキという回路を持ったことを
どのように自分の人生に活かそうとするのか、
氣が充実した状態や、
波動が上がったことによる恩恵的体験をしている間に、
何をするのか、掴むのか、気づくのか…
すべてはそれ次第に委ねられているのかも。

そっち側に行くのか、元の道に戻るのか…

レイキの根本的な教えの中にある考え「八正道」
この「八正道」を実践して生きられるなら、
きっとその人は、
光明に向かって行くことが出来るでしょうが。

せっかく修得したというのに、
「使っていない」とか、
「自分には取る意味がなかった」
「回路が塞がっちゃったみたい」
「ちゃんと伝授してもらってなかったみたい」
として、そのままになっているなら、
それはもったいないこと。

時間とお金をかけて、
そして「導き」があって、得た縁のこと。

きちんとご自分の人生に活かして頂きたいものです。

2018/10/06

通過儀礼~エゴをそぎ落とすためのエアポケット

高き者のことば

私は知っている、私が九夜の間
風吹きすさぶ樹に吊り下がり
私自身の刃に傷つき
オーディンに捧げて血を流し
私自身をいけにえにして
根はどこに延びているのか
誰も知らぬ樹に
しばりつけられて

誰も私にパンを恵まず
誰も私に角杯を恵まなかった
底知れぬ深みをうかがい
私はルーンを発見した

咆哮をあげ、私はルーンを掴みあげ
気を失い、大地に落ちた

私は健やかになり
賢くなった
成長し、成長を愉しんだ
ことばからことばへと
さらに、ことばへと導かれ
業から業へと導かれた

---古代ノルド語「詩のエッダ」(西暦1200年頃)より

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞


私みたいな仕事をしている人、
そして真理(道)の探究者に関しては、
時おり「お試し」的な揺さぶりが、
拒否権なし(強制的)に定期的にやってきたりします。

別に真理の探究者だけでなく、
普通の人もみんな「カルマのレッスン」には、
日々直面させられているものですが、
それにも増して強烈な愛のムチ的なものが、
「霊的知識」をちょっとでも学んだものには、
否応なく容赦なく、雨あられのようにやってきます。
これでもか、これでもかってくらいに。

ビジョンクエストみたいな感じですかね。
スピリュアル・エマージェンシーみたいな、
「目覚めなさい」「起きろってばコノヤロー」
と…足元からすべてが崩れ落ちて、
人格崩壊と狂気の境をさ迷うな激しいのは、
さすがに一生に一度か二度くらいですけども。

それよか小さいの、中くらいの波、
エゴイズムを捨て去れぇぇぇええぃいいい!
と行き詰まって奈落の底に突き落としてくる、
「シャーマンの死」はもうしょっちゅう。

何故かって、
私みたいな仕事をしている人間がエゴイズムに陥ると、
スピリチュアルナルシズムを発症して、
他者に対して罪深いことこの上ないからです。

エゴイズムを完全にそぎ落として、
人よりも霊的成長の段階が進んでいるからって、
この仕事が出来ているというわけではないので。
(決して特別な選ばれた人間ではないのです)

エゴイズムの罠はそこいら中にたくさんあります。
「七つの大罪」も「108つの煩悩」も「ケガレ」も、
ぜんぶエゴイズムですけど。
エゴイズムではないと思っているものも、
結局のところエゴイズムだったりすることもあるし、
偽善だったり、私利私欲だったり、
大我でなく小我だったりもよくあることで。

こういう仕事をしているからって、
なんでもわかるわけではないし、出来るわけでもないし、
悩みがないわけでも、感情がないわけでもありません。

逆に煩悩、我欲があって、
自分自身の矮小さを知っていて、
エゴイズムの怖さをよく知っているからこそ、
現実世界でエゴイズムに翻弄されている人の苦しみや、
その背景や状況が理解できるっていうのはあります。
悟ってないからこその視点というのかなあ。
(すべてを悟った聖者様ではなくて、
限りなく俗物なナマの人間ですもの)

結局、人は自分自身を育てることしか出来ません。
そして、自分自身の問題を解決するのが、
何よりもプライオリティの高いことなんだなって、
色々と痛感させられる今日この頃。

それが世界平和への道というか、
世の中をよくすることであり、
社会のためになることで、貢献であるのです。

はい。
世界の平和を望むのであれば、
まず自分自身に内在する問題を解決すること。
それが先決です。

世の中の一人ひとりが、
自分自身の問題を解決できたなら、
地球はとてつもない、良い環境になり、
何一つ問題のない、平和な星となるのです。

地球に住むみんなが、
自らのエゴイズムとおさらばできたのならば…


だから無理に背伸びをせず、
誰かのために生きたり、犠牲になる必要はなく、
自分の手にあまることは手放し、
まず自分のために生き、
自分の能力でできる範囲から、
手を付ければいいのです。

一人ひとりが自分を救うことから始めれば、
地球のすべての人が救われるのですから。

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞


前にもどこかの記事に書いたかなと思うのですが。

霊的な仕事に就くべき人というのは、
幼少時からあれこれ「テスト」されたりします。

・どういった種類の能力が一番秀でているのか
・どの方面に資質・適性があるのか

私の場合も色々あったかなと思います。
今にして思えば…ですけども。

ケガをする人のビフォーアフター、
火事になる建物のビフォーアフター、
これから亡くなってしまう人に目印
とかとかな状態を見てしまうなど、
数か月、数年先のニュースを先見とか、
予知的なことを見させられたり…

夢の中でニュースで報道されていた被害者が、
犯人教えてくれたり、なんてのもあったし…

その他色々あれもそうかこれもそうか、っての。

でも、上記に書いたようなのは、
一時的に顕現しただけの能力で、
短期間で終わってしまいました。
今はもう当然ながら出来ません。

今は未来を視ることが一番苦手です(笑)

年を重ねて経験を重ねたから、
出来ることが増えたかというと、そうではなくて、
上記に書いたようなことが出来た、
子供の頃が一番サイキカルな能力、
すなわち霊的な能力が秀でていて、
色んなことが解ったし、出来ていました。

今は当時と比べて無能の極みです。

ヒーリングの仕事を始めた頃より、
ヒーリング能力は別段変わってないというか、
むしろピークは過ぎて、パワーも能力も、
当時より落ちたんじゃないかとかも思いますしww
チャネリング能力というかアカシック読んだり、
他人の過去生とか読み取るリーディング能力も、
そんなに?と自分でも思います。

ていうか、必要なこと、
伝えるべきことしかもう解りません。
余分な情報は来ないんです。
アクセスも出来ないし、必要もないって感じ。
誰と、どことコンタクト取っているのかも、
今は気にしてないし、重要ではないのでしょう。

それを落ちた、能力が無くなったというのなら、
きっとそうなんでしょうし…
でも、たぶん私自身の方向性、
適性が決まったからなんだろうって自覚はあります。

というのは、
やはり私は「教える」のが道なんですよね。
どうやら施療とかは二の次のよう。

一通り色んな事をやらせて頂いたけれども。
そーですね、組織の仕事で言うなら、
一般職として受付から一般事務から企画広報、
営業や総務、経理とかあれこれやってみたけど、
結局は執行部…に落ち着いた…とか。
あくまで例えですけど、そんな感じ。


だから今の私がしていることは、
どちらかというと、
スピリチュアル・コーチングなのかも知れません。

ヒーリングもするし(レイキも気功も)、
エネルギーリーディングも出来ないわけじゃないけど、
そっちは専門的に極めたスキルではない。

その人の霊的成長、進化の流れを見て、
本来、魂が望んでいる、
その人が進むべき方向に運命の軌道を修正するため、
そぎ落とすべきエゴイズムを指摘して、
当人の性格と道の矯正を指南するコーチ。

なんでしょうね。

そのためにあれこれ自分自身がさせられたって、
一時的に色んな霊的能力を使わせてもらった、
そう思います。

だから、神通力的な霊的能力は有してないです。
判らないこともたくさんあります。

そして私自身がまだまだ道の途中で、
初心者的、修行者であります。

エゴイズム、まだまだいっぱいてんこもり…
先が長いです。

人としての修行に終わりはありません。