2018/09/22

成長して力を増すエレメンタル~負の引き寄せパターンの誕生と収束

ちょっとタイトル長いですね。
まるで陳腐な二時間ドラマの
タイトルみたいになってしまったっっ汗

エレメンタル無くしては、
私たちの人生もパーソナリティを語ることは出来ず、
私たち自身そして人生の構成要素そのものなんですが、
同時に「死なす」ことが出来ないものなので、
意に反したものを創ってしまったり、
悪癖や悪習慣、悪しき道に誘う、
負のエレメンタルを創ってしまったりすると
マジメに後が大変で、
創った本人を苦しめる不幸の根源になってしまい、
とてつもなく恐ろしく怖いものでもあります。
(これを手名付けることが出来る、
エレメンタルマスターになれたら怖いものナシですが)
※ポケモンマスターではありませんっっ


さて、今回は私の経験に基づいた、
負のパターンを創り出したエレメンタルのお話をば。


20代のとある時期に私は家探しをしていたのですが、
猫を飼っていた事情もあって、
一戸建てにこだわっていたことから、とても難航しました。

しかし、ラッキーなことに、
「転勤の間だけだし戻る時期が読めないので、
 家賃は希望通りでOK、猫も可、自由業OK」
というリッチな物件が見つかったんですね。
本来30万の家賃相場でしたが、めちゃ破格の家賃で。

大家さんは某テレビ局に勤務のご夫婦。
そうした背景から、
会社勤務ではない私の職業的事情にも、
理解を示して下さったのでした。

風水や気学やってる同業の友人にも相談すると、
「絶対いい! ここにするべき!」と太鼓判。

ルンルンで契約をし、引っ越しの日が決まった後。

大家さんから、
「左の隣の家のオジサンなんだけど、
 とても気難しくて困った人だから、
 お付き合いには気を付けてね。
 あなたが女性だと知ってなめてくるかも。
 うちは正直いって仲悪いんだ。
 昔から色々とトラブルがあってね…」

あらら。
それを聞いてしまった私、
ちょっとビビリ~に構えてしまいました。

親が地方出身者(ド田舎)で、
育ったのは東京の隣とは言え、
都会でもない田舎でもない中途半端な住宅地。
そして昭和の生まれ、その価値観で育ってます。
引越してお隣に挨拶に行くのは当然のこと。

挨拶をしに行った時、
恐ろしくイジワルな人のはずのお隣さんは、
愛想よくニコニコと私を出迎えてくれて、
普通の親切な人に見えました。
「あら、意外」

とはいうものの、
大家さんから色々と聞かされていたので、
油断できないしな~と、
警戒心を解くことが出来ませんでした。

結局その家に住んでいた間、
私がそのお隣さんから嫌がらせを受けたり、
イジワルをされたり、
トラブルが発生することはありませんでした。
大家さんが本社に戻って来るまでの間、
お陰様で平和に過ごさせて頂けたのです。

何かあったときに大家さんと連絡取る時、
「何かされてない?」などと心配され、
悪口だったり今までのことを聞かされるくらいで。


でも、ここに住んでいる間、私の中には、
「お隣さんは気難しくて怖い人だ。
 何か言ってきたら、されたら、どうしよう」
という恐れが芽生えてしまい、
お隣さん=悪みたいな印象(先入観)が、
エレメンタルとして育ってしまったのでした。

その時点ではまだ霊的真理について、
私は何も知りませんでした。
障り程度も学んでいない時期だったのです。

さて、
次に引っ越したところの大家さんも、
とてもイイヒトでした。
東京の郊外に家を建てて住んでいたものの、
お母様が亡くなってしまい、
その都内の家をどうしようかと悩まれていたところ、
不動産屋さんがこの人に貸してみたら?と、
縁を取り持って下さったのです。

密集地ですので一階の日当たりは良くないけれど、
とても広い一戸建てて、猫飼いもOKでした。
けれど、住んでみると、
玄関が接するお隣さんがこれまた強烈なご夫婦でした。
(奥さんは旦那さんに従ってるという感じ)

決して根は悪い人たちではないんですが、
なんていうか過干渉で、
悪い意味で昭和ヒトケタ生まれの人たち。
自分たちの価値観を押し付けてくるのですよ。
何しろとっくに隠居している人だから、
いつも家にいて他人を監視しているのか?って感じで。
家の中に入ってしまえばいいのですが、
会いたくないあ、といつも身を縮めていました。

大家さん曰く、
「あ~あの爺はねー
 生きてるときからうちに文句ばかりつけてきて、
 親も散々悩まされ、苦労しましたよ。
 増築のときにもいちいち怒鳴り込んできて。
 違法なんかしてないのに。
 子供のときから知ってるけど、イヤな爺でね」

もう片方のお隣さんはとても感じの良い人で、
良い御近所付き合いをさせて頂けたのですけどネ。


さてそこもシロアリが出てしまい、
取り壊すことになったので、また引っ越し。

アパートの一階と二階でワンフロア一世帯の家で、
庭があり、猫OKな予算内の家が見つかりました。
もち、家賃交渉しましたけど(希望通った!)。

二階に住んでる同棲カップルは、
お二人ともとても感じのよい人たちで、
生活音も静かで友好的な関係を築けました。

大家さんもお電話でご挨拶をしましたが、
「何かあったら遠慮なく~」
という感じの良い人でした。

ですが、ところが…

同じ大家さんから借地権で土地を借りている、
お隣さんご夫婦がまた、とんでもない人たちでした。
勝手にこっちの敷地内(庭)に入ってくるし、
玄関ではなく、庭のほうから覗いて声をかけてくる。
まったくもって「天上天下唯我独尊」な人たちでした。
結局色々困ったことが起きたので、
(カーテン開けられないし、仕事(来客)中も覗かれるし)
大家さんや管理会社である不動産屋を通して、
トラブルを訴え、間に入ってもらったのですが。

それに対して逆切れをして、怒鳴られたり、
イジワルをされたりって、大変なことになりました。
(町内会長さんにも相談したりとかetc)

そんなこんなで、
段々嫌がらせが酷くなったのもあるし、
上手く行っていたお二階さんが引っ越しした後、
新しく転居してきた人(ゲイカップル)も、
これまた勝手な人たちで、ついに耐え切れず…
もう無理!と値を上げることになり、
平穏無事な生活と環境を求めて、
引っ越しすることを決心しました。
立地や家自体はとても気に入っていたのですが。

ちょうど愛猫が亡くなり、ヒーリングを学び、
そして霊的真理などを学び始めた頃のこと。
私のこっち方面の仕事に大きな変化の波があって、
ものすごく精神的にも浮き沈みが激しい時でした。

愛猫が死んでしまったことから、
ペット可の物件にこだわる必要がないので、
次の転居先はマンションになりました。
荷物はたくさん処分することになりましたけど。

そこの家では階下の奥さんがとても神経質で、
ちょっとメンヘラ?っぽくありましたが、
お隣さんはシェアをしている女性二人組と、
もう片方も女性でしたが普通の人でした。

けれど、まぁ何もないということもなく、
かといって以前と比べると大したことなく…
マンションの駐車場の向かいに汚屋敷みたいな、
昔ながらのトタン住宅のようなところがあって、
夜中に仲間と道路で騒いでいたりするのが、
ちょっと迷惑って、そのくらいなものでしたので。

さて。。。

ここで気が付いた人もいると思うのです。

はい。

これがエレメンタルによって起きたことです。

きっかけは、
ここで話した一番最初の家に住んだとき、
大家さんから聞かされた情報から創ってしまった、
お隣さんへの良くない印象(先入観からの不安)と
「畏怖(未知のものへの恐れ)」の気持ちです。

これがすべての始まりでした。

その気持ちが核となり、
「困った問題のある、お隣さんがいる」
というエレメンタルを誕生させ、
住居環境、物件へと私を引き寄せ、導き続けたのです。

実際にはそのような体験はしていないというのに。
先入観が「問題のある人がお隣に住んでいる」
という思い込みのエレメンタルを作り、
現実を創り出し、引き寄せる発端となったんです。

現実には私を困らせるお隣さんなんて、
いなかったというのに…


次の転居先では、
そのエレメンタルによって、実際に
「困ったお隣さん」がいる物件に棲む羽目になりました。
大家さんは前回と同じようにイイヒト、右隣の人もイイヒト。

そして次の転居先。
前回の住居で実際にお隣さんにされたこと、
それに対して不快な感情を抱いたことなどが加わり、
さらなる面倒で困ったお隣さんが住む環境へと、
私は導かれてしまいました。
大家さんもやはりイイヒト。
もう一人のお隣さんに相当するお二階さんもイイヒト。

ここに住み初めてから、
私は霊的知識を学び始め、真理について知り、
エレメンタルについても知己を得ました。
そうした知識の背景や
霊的成長の道を選ぶことにしたというのもあってか、
少しずつ自分がどうしてこのようなパターンに陥って、
繰り返しのご近所問題に悩まされることになったのか、
おおよそのことがわかってきたのです。

とはいうものの、
そうしたトラブルの渦中にあって、
感情がさざ波たっていましたから、
今ほどは自分のことを客観的に見れず、
スピリチュアルナルシズムの罠に陥ったり
カルマのレッスンやらで、
租借して理解と知恵に落とし込むまで、
だいぶ遅れたというか時間が掛かりました。

(それでも知識を持ったことと、
その原因=理由が理解出来始めたことから、
カルマのレッスンも解消に向かい、
勢いを増していたエレメンタルのパワーも収束に向かい、
マンションに越す頃には、
現実化の力がおとなしくなっていたのです。
それでもこのエレメンタルは不活発になったとは言え、
死ぬことなく存在していて、
再びパワーを与えられるのを待ち構えてもいますから、
再び活性化させないように、意識を向けないよう、
十分に気を付けないといけないのです)

そして、自分を悩まし苦しめる、
このトラブルの始まりのすべては、
このエレメンタルを作ってしまったことからであり、
その後で現実化されてしまった時に抱いた強い感情、
すなわちお隣さんに対して抱いた不快感や恐怖…
こうした感情がエレメンタルに栄養として注がれ、
「お隣さんに理不尽なことで悩まされる」
といったようにどんどんパワーアップして大きく育ち、
引き寄せの力を強大に高めていったのでした。

このエレメンタルを無力化することによって、
今はとくにご近所トラブルのない環境に住み、
お陰様で平和に暮らせているわけです。

はい。どうでしょうか。
エレメンタルが成長するっていう実例になりますが。

これがエレメンタルの力であり、エレメンタルの怖さです。
無力化(ミイラ化)して、書き換えをするなど、
活性化させず不活発化するのは並大抵のことではありません。
たった少しの感情から、とても短い期間に作られたものでも、
私の場合15年もの長きにわたって悩まされ続けたのです。

生まれてからの環境から創られたもの。
あるいは生まれる前の、過去生から繰り返し使われ、
何千年も培って成長し、パワーを蓄えてきたものを、
完全に無視して克服するのは至難の業です。
エレメンタルと対峙するのは、たやすいことではなく、
生半可なことではないのです。
ぶっちゃけ戦っても勝ち目はありません。

そして、エレメンタルというのは、
「好き」「嫌い」、「NO」「YES」は判断しません。
「こういう気持ち」という、
エレメンタルが出来上がってしまったならば、
ひたすら「こういう気持ち」を引き寄せ続けるだけです。

「嫌い」「要らない」「お断り」「キャンセル!」
も区別せず、通じず、
二度とゴメンな出来事であっても、
出逢いたくない人であっても、
存在するだけで全部が「YES」となり、
「欲しい」「ちょうだい」なリクになってしまい、
ただ同等の波動のものを引き寄せ続ける磁石になるだけ。

そんなこんなで、
エレメンタルというのは出来上がってしまった時点で、
そこに含まれた「感情」を当人に体験させることを、
再度リクエストし続けるオーダー表のようなものです。

創った当事者がその事象や感情に意識を向け続ける限り、
それを具現化させるための十分なパワーを与えられ、
現実化するための準備をするのです。
具現化するための期間はまちまちではありますが…

実のところ、こうやって運命って出来ていくのです。
すべての人の人生は、
その人自身が創造するエレメンタルによって創られ、
築かれ、引き寄せられ、導かれていくものなのです。

これが人生を創造する「からくり」です。
人の運命を創っているものの正体です。

私を苦しめた、
負のパターンのサイクルがそうであったように、
あなたを苦しめている出来事も、
あなた自身が過去の何処かで創ったエレメンタルによって、
マグネットのように導かれ、引き寄せられているのです。


引き寄せの法則は、
ロンダ・バーンの著書「シークレット」から、
一般に周知になっていったのだと思いますが、
それ以前からもちろん、
古代の叡智として伝わっていました。
知識の源、出どころは同じです。
(ユダヤの知識はもともとエジプトの神殿から
持ち出された霊的真理における教義の
秘術、叡智が原点から持ち出されたものなので)

ただ、
エレメンタルのことを難しく詳細に説明するより、
「引き寄せの法則」とカジュアルに説明したほうが、
普通の人にはわかりやすいのです。

霊的真理の中で語られたエレメンタルや、
カルマの法則の知識の一部を取り出して、
教義や教訓的に伝わっている内容よりも、
なじみやすい理解の仕方であるならば、
そのほうが伝わるによいように思います。

というわけで、私たちはもっと、
自らの考えること、思うこと、言葉にすること、
に対して、意識して注意を払わねばなりません。
一瞬思ったり望んだことでも、
それがエレメンタルの種となって、
何かを引き寄せ、それに対しての反応がまた、
その種に栄養を与え成長させ、パワーを与えては、
あなたにその「感情」「思考」を体験させるため、
現実としての出来事や人物を引き寄せようとするので。

思ったことや考えたこと、口にしたことでさえ、
ものすごいパワーをもって具現化されるのです。

まして実際に習慣化していることなら尚更。
一度経験したことが繰り返されるのは当然です。
そして、過去を引きずっていたならば、
いつまでもその環境に居続けることの選択となり、
過去に生きるだけの人生となってしまうのです。

ですので、
起きてもいないことで不安になるのは止めましょう。
まだ何も起きていないのに、
未来を心配するのも止めましょう。
起きて欲しくないことを考えるのも止めましょう。

過去に起きたこと、今起きていることで、
望まなかったこと、起きて欲しくないことを考えるのも、
望まない選択をしようとすることも止めましょう。

言葉に気を付けましょう。
自分の云った言葉は自分に戻ってきます。
他人に対して思うことは、
自分が誰か他の人からそう思われる結果になります。
悪口や愚痴、不平不満も批判も否定も、
自分が人にされたくないことは止めましょう。

嫌いなことや嫌いな人のことを考えるのは止めましょう。
好きなもののことを考え、好きな人について考えましょう。

起きて欲しいこと、
望んでいる未来をまっすぐに考えましょう。

怒りや憎悪はいつまでも抱えず、自己批判もせず、
過去もネガティブな感情も早めに手放してしまいましょう。

上手く行かなかったこと、失敗や恥は忘れてしまいましょう。
上手くいかなかった他人や失ってしまったものは、
想い出だけ大切にしまって、執着は手放しましょう。

反省や内省はしても、後悔は止めて、
自分も他人もジャッジするのは止めましょう。

あなたが今感じて、味わって、浸っている感情が、
あなたの未来を創っています。
あなたのその感情が、もっとこの感情を味わっていたいと、
その感情を味わえ体感できる現実を創り出しているのです。

お金がない、お金が足りていない、
出逢いがない、男運がない、

などと思っていると、
その通りの感情が味わえる人生しかあなたは生きられません。
あなたはずっと今感じている感情を「この感情」が欲しいと、
未来にオーダーし、リクエストし続けているんです。

あなたの未来は、
今あなたが感じていること、考えていることが決めているんです。

あなたがあなたの未来を、人生を創っているんです。


思考に気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
 
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
  
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
 
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

 - マザー・テレサ -

2018/09/21

人格と人生の破壊者~シャドウ・セルフという名のモンスターエレメンタル

まず前置きとして。

何度もここで書いてきましたが、
エレメンタルとは想念体のこと。
エーテル・バイタリティーの、
四大元素(エレメント)の比率によって、
その性質が大きく左右され、決定づけられるので、
「エレメンタル」といいます。

とはいうものの、
やはりエレメンタルと言われてもピンと来ないかもですね。
氣の塊と言った方がまだわかりやすいでしょうか。

人が、
自分の三つの身体(肉体・感情体・思考体)に氣を取り入れて、
それぞれの身体の使い方によって、氣が練られて、
そうして出来たものが「エレメンタル」です。
とはいうものの、
エレメンタルは人間だけでなく、大天使たちも、
いわゆる創造のエネルギーの扱い主はみんな生産します。

このエレメンタルのカテゴリは大変広く、
まず人のすべての想念(思ったことや考えたこと、記憶)、
肉体的動作の記憶、言葉(言霊)など。
そして生霊や呪術もエレメンタルですし、
パーソナリティとしてのエレメンタルもあります。
動物も植物も昆虫や魚などもエレメンタルです。
時に人の想念は、幽霊や想像上の生き物を、
人が認知し、視覚でとらえられるほどの高水準の存在を、
三次元レベルで誕生させたりすることも出来ます。

そしてエレメンタルは単純に、
良いものと悪いものの二種類に分けることも出来ますが、
感情から派生したもの、思考から派生したもの、
人ではないものが創ったもの、完璧なもの、不完全なもの、
本当に色々なものがあります。

使い魔や式神、動物霊と言われるもの、聖なる存在、
信仰に基づいて創られたもの、霊脈や霊道、
祖霊的なグループ、神々のエネルギーの集合体、
また個人の創り出した同種のものが引き寄せられて、
集まったグルーブエレメンタルはとても厄介です。
(民族や人種、国の集合体無意識と言われるもの等)

エレメンタルを理解せずして、
私たち人類の歴史や個人の人生を語ることは出来ません。

困ったことに私たちの人生はエレメンタルによって操られ、
支配されているといっても過言ではないからです。

けれども逆を言えば、このエレメンタルを理解し、
支配され操られる状況から何とか脱却して、
自らがエレメンタルを自由自在に操ることの出来る、
エレメンタル・マスターになることが出来れば、
これほど素晴らしい人生の幕開けはないでしょう。

とはいうものの、それは並大抵のことではありません。

何故なら、
エレメンタル・マスターになることは、
悟りを得ることであり、解脱することであり、
まさに輪廻転生の輪から脱出するチケットを
手に入れられたと同意語だからです。

エレメンタルは困ったことに死にません。
その活動を抑制し、力を奪うことは出来ても、
消滅させ、無に消えさせることは出来ないのです。
残念ながら人間の力では…

私たち人間がエレメンタルに対してできるのは、
出来るだけ無力化させて、
使わないようにミイラ化させることだけ。
そして、
その破壊的で邪悪なエレメンタルよりもより強力な、
建設的で善なるエレメンタルを量産することだけ。

★ ★ ★ ★ ★

さて本題。

私たちの人生には問題が山積みです。
今の人生に満足して、十分幸せだと、
とくに問題なく順調だと思っている人は
さほど多いものではないでしょう。

人には何かしら悩みや問題があります。
まったくない人もいますが、そうした人は幸いです。
すべてが順調に、思い通りの人生を生きられる人は珍しく、
誰しもが、
上手く行かないことのひとつやふたつを抱えており、
何か始めようとすると躓いたり、人間関係で悩まされたり、
いつも同じ場所で間違えてしまうとか、
同じパターンの似たような出来事に遭遇してしまう、など。
他人から見て、
完璧ですべてが上手く行っているような人であっても、
悩みや不満や苦しみなどは存在しているものです。

けれど、障害や問題といった人生の障壁は、
結局のところ、
その人の内的な問題の表れでしかないのです。

外側にある世界は、内側にある世界の現世であり、
心の問題(四次元に創ったエレメンタル)や
思考の誤り(五次元に創ったエレメンタル)が、
すべて三次元(現実社会)に具現化された、
その結果そのものだからです。

問題は、
その人の苦しみのタネの原因となっているのが、
何であるのかということだけ。
それがいつ派生したもので、何に起因しているのか…

まずそれを知ることからでしょう。

人は、人間としてこの世に生まれ堕ちた時から、
エレメンタルを毎日生産しながら生きています。
人生の最初の時から輪廻転生を繰り返し、
何百回もの人生で創ってきたエレメンタルの総量は、
想像を絶するハンパない圧倒量です。

そして、その人自身の性格すなわちその人自身は、
過去生から現在まで創ってきた、
エレメンタルの総量とイコールだったりします。
つまり人というのはエレメンタルの集合体なんです。

私たちが好むと好まざるを選ばず、
過去生から作ってきたエレメンタルは
私たちの性格に反映し、行動を左右します。
意識していようといまいと、です。
ほとんどが無意識的に、で。

人生を邪魔しているのは、他人なんじゃありません。

確かに霊といった存在や、
他人から飛んでくる悪意や生霊や、
呪いだの祟りだの、環境や外部的要因、
そうしたものに邪魔されることはあります。

エレメンタルは同種のものと引き合います。
氣の塊ですから、固有の波動を持ちますし、
その人独自の波動は雰囲気を創り出し、
他人から好かれたり嫌われたり、
人や物事を引き寄せたり引き離したりします。

今生はとても善良でおとなしい人であっても、
過去生では攻撃的で自己中心的な人だったとしたら、
そうしたエレメンタルが今生ではなりをひそめ、
表立った性格を支配していないだけのことです。
一生そのエレメンタルが陰に隠れたまま、
二度と力を持たなければいいのですが、
時に何かのきっかけで復活する場合もあります。
そして、
その人がそのエレメンタルを使っていなくても、
時にそのエレメンタルに気づく人もいます。
過去生で関係があった人でなくても、
その人が今はそうした特質を表していなくても、
気づいて敬遠してしまう人もいたりします。

その人自身の人生を邪魔しているエレメンタルが、
今の人生の初期においての刷り込みだったら、
その影響を逃れることはさほど困難ないかもしれません。

けれど、それが過去生から
何世代もにわたって練りに練って練られて創られた、
年季もののハードでヘビーなダークキャラだとしたら?
この影響や支配下から逃れるのはとても厄介で、
生きることそのものが困難な苦行とも言えるでしょう。

自分の無意識下に刷り込まれた、
恐怖や邪悪な想念に悩まされ、
いつどこでその根を持ったのかわからない、
性格の歪みや悪癖に永遠に悩まされるのですから。

今その人を悩ませている問題が、
その性格(パーソナリティ)にある場合、
自分の中の、
どういったエレメンタルがエゴイズムを持っていて、
自分の人生に暗い影を落とすシャドウセルフとなり、
望まない現実を引き寄せ、人生を邪魔し、
望む未来と隔てる壁を創り出しているのか…

それを知って、考え方や思い癖を直すべく、
直したい性格の歪みを自覚して、
内省と瞑想をし、理想の自分になるための目標を描き、
その目標に向かって、生きながらの生まれ変わりを決心し、
トランスフォーメーションと自己実現と変革を起こすべく、
セルフ・イメージなどに励んだり、
金銭的余裕があるならサポート・プログラムを受けて、
自分改造と性格矯正のための、
トレーニングを積めばいいだけです。

それは新しいエレメンタルを作ることで、
望まない、使いたくない(活性化させたくない)
エレメンタルを無視したり、
不活発化、無力化することに他なりません。

精神疾患においての人格障害を発症している人は、
ほとんどがこのシャドウ・セルフを通り越して、
モンスター化してしまった、
強烈で強力なエレメンタルの問題を抱えています。

そしてこのエレメンタルは、
三つの身体のエーテルダブルと、
エーテルセンター(チャクラ)に対して、
深刻なダメージを与えます。

ですから、チャクラを整えるだけでは追いつきません。
この悪魔的なエレメンタルから力を奪わないことには、
どうにも元の健全な状態にもどすことは不可能です。
それはもしかしたら、
今の人生だけでは時間が足りなくて、
先の人生、未来生やその次の人生にまで、
持ち越してしまうかも知れません。

多数の霊的存在のグループによる憑依が、
精神障害の原因を創り出している場合には、
こうした霊的な存在を追い出すことによって、
改善されるでしょう。

霊的な存在を科学的な手法で追い出すには、
電気ショックなどが有効で、
その昔、精神病棟などで効果を示したときには、
明らかに霊的な存在が患者を悩ませていた場合です。
(精神科において、霊的存在に対処して
結果を出した実例の症例報告の良書として、
アメリカの精神科医・ウィックランド博士の著書
「迷える霊との対話」が参考になるかと思います)

でも、エレメンタルが原因である場合は、
そのような方法ではどうにもなりません。
エレメンタルは霊に似て霊に非ず、だからです、


霊的な存在や
他者の創ったエレメンタルに悩まされる人、
特に霊を引き寄せてしまいやすい霊媒体質、
中でも憑依体質の人に関しても、
結局のところ、
その人の所有しているエレメンタルが、
その霊を引き寄せているのが実情なのです。

過去生で創ったものにしても、
今の人生で創ったものにしても、
人というのはそれまでにその人が創った
すべてのエレメンタルの集合体なのです。
リアルで活性化させて使っているもの、
不活性化させてしまいこんでいるもの、
その二つに区分されているだけで、
ちょっとイヤなことがあって怒りを感じたり、
哀しみを覚えたりして、波動が下がってしまうと、
普段は使わずに済んでいる波動の低いエレメンタル、
すなわちマイナスの感情で創られたそれらに、
スイッチが入ってしまうことがあります。

そしてその波長に引き寄せられた霊的な存在や
他人が創ってゴミのように浮遊している邪氣、
類似の想念体を引き寄せて、
その身にくっつけてしまうことが多いのです。

そうならないためには、
常に霊的健康を維持するように努めること。
氣を充足させ、楽しいことや明るいこと、
他人や世の中のためになることを考えたり思ったり、
愛情や思いやりの心を示して、感謝を口にして、
睡眠と休息を十分に取り、健康的な生活をし、
良い習慣を取り入れ、愚痴や不満から遠ざかること。
ネガティブな考えや想いを、
なるべく活性化させないようにして過ごすこと。
…などです。

そして、精神的な調子のよい時に、
自分の性格的な問題を客観的に見つめて、
外側の世界に映し出されている現実的な問題と、
自己に内在する性格の問題の因果関係を突き止めること。
つまりはシャドウ・セルフの問題に取り組むことです。
これをすることで、
自分自身というものを知り、自分の人生を考え、
自分がどのようなエレメンタルを日頃から創っていて、
どういったエレメンタルの集合体であり、
どんなエレメンタル、エゴイズムを持っているのか分析し、
結果として弱体化するべきエレメンタルを知って、
意識的にどのようなエレメンタルを創っていくべきなのか、
どういった生活をして、どのような習慣を取り入れるべきか、
そうしたことがはっきりするからです。

でも、それはとても辛くて、しんどくてめんどくさくて、
気の遠くなるような先の長~い憂鬱なことですが。

けれども、これをするか否かで、
自分が人生の苦しみの渦や、
いつも悩まされる負のサイクルパターンから、
抜け出せるか抜け出せないかが決まってくるのです。

今の人生で間に合わないにしても、
これをするかしないかで、
圧倒的に未来世も変わってきてしまいますから。

人の感情はとても厄介なものです。
そして感情はときにモンスターとなって、
その人自身にも周囲にも襲い掛かり、
不幸になる選択をさせたり、苦しめたりします。

どうしようもない抗えない感情に翻弄される時、
人はたいてい内なるモンスターの支配下にあります。
シャドウ・セルフが狂ったように暴れだして、
あらゆるものを破壊しようとするのです。

そのスイッチとなるのは、
怒りかも知れないし、恐怖かも知れない。
覚えていれば向き合うことも、
他人に理解を求めることも可能ですが、
過去生の、すでに忘れてしまった、
思い出しようもない、証明も出来ず、
説明しようもないことが背景にある場合には、
どうにも制御できないもう一人の破滅的な自分を抱えて、
一生そんな自分に怯えて、
苦しみ続けけることになってしまいます。


かくいう私の中にもモンスターが棲んでいます。
過去生から積み上げられてきた、
他人や世間、社会に対する怒り。
被害者だった時の自分もいるし、
加害者的な立場の黒歴史な汚点もある。
哀しみから発狂してしまって自殺した人生のとか、
理不尽な目にあって人を憎悪し、呪ったときのも。
色んなものが少しずつ溜って、練り上げられてきた、
なかなかどうして手強い、邪悪なキャラです。
恐ろしい般若のような毒だらけの攻撃的な鬼女が。
私の中の「魔」ですね。

このblogを読んでいる人なら、分かると思うのです。
だって毒舌だし、選ぶ言葉も暗いでしょう(笑)
他人に対して厳しいし、辛辣で皮肉屋で批判的で…
何より自分のことは棚に置いてるし。
決して明るく楽しい気分になるような文体ではないですし。
まぁ、性格は歪んでますよ。醜いとこいっぱい。
性格悪いです。心も狭くてキレイではないです。
親切で愛情深い人間ではないです。優しくないし。
嫉妬もコンプレックスもあるし、イジワルです。
そういう自分が好きかと言われると、好きではないですが。

人をうんざりさせるダークサイド、たくさん持ってます。
闇ならいっぱい抱えています。
だからこそ、この仕事が出来ているというのもあります。
他人のダークサイドに動じず、驚かないから。
人はそういうものだと思っているので、
打ち明け話も不幸話も残酷な過去生も冷静に見れるんです。

そりゃ、たまに人の欲望の醜さ、自己中さに、
辟易して疲れてしまって、キレるときもありますケド。

でも、自分がダークサイドな面もってなかったら、
他人のネガティブな側面を分析していかないといけず、
過去生や様々なエレメンタルを視る必要のある、
今の仕事はとても出来ていなかったと思いますし、
耐えられることが出来ていなかったと思います。

そしてこのblogに書いているような文章も、
(とくにケースファイル)書けていなかったと思うのです。

だから、
私の抱えるダークサイドは私の血肉の一部であり、
黒歴史であるシャドウ・セルフがあってこその私。
とはいうものの、使い方なんですよね、これ。

はい、エゴイズムもエレメンタルもようは使いよう。
他人を、人間を理解するための材料にすればいいのです。

幼少期より自覚してて暴走させたくないと、
そう理解して抑制して、
刺激しないようにしているのですけれど、
しかし、エレメンタルは強し。
無意識に顕在化して暴走させることは近年ないけど。
でも、呑まれそうになって、
負けてしまいそうになることは多々。

エレメンタルとは決して戦ってはいけない、
と言うけれど…。

私の中にいるモンスターはなかなかどうして、
無敵な破壊者(デストロイ)なんですよね。
嵐を呼ぶハリケーンみたいだし、
ヒンズーの女神カーリーかドルアーガかって感じ。
出来れば、慈愛の女神様に練り直したい。
何百年かかるか分かりませんが(出来るのか)。
いやさそれにずっと取り組んできましたのよ。
でも、エゴイズムと向き合うのは一生の課題ですから。
ダークヒーローに仕立てられるのが今の精一杯かな。
とはいえ、私の場合、
お陰様でだいぶおとなしくなってきたんですよ。

このシャドウ・セルフ…
現実社会に望ましくないものを顕在化してしまう、
自分に内在する闇でありネガティブの源で巣窟。
自分の人生に陰を創り出し、
人生を邪魔して問題を創り出しているこの存在、
邪悪なモンスターを退治することは、
まさに悪魔祓いと言ってもいいかも知れません。

とはいうもの、正面切って戦うのはタブー。
まずは敵(汝自身)を知ることから。

ちなみにエゴイズムとその人は別のもの。
きちんと切り離して考えないといけません。
とはいうものの、それ自体難しいことだったりします。
その人自身を変えるというよりは、
エゴイズムを取り除くためのアプローチ。
それがシャドウ・セルフを癒すということです。

私自身、この自分に内在している、
たくさんの過去生での人生を通して創られてきた、
怒りのパーソナリティの集合体にものすごく悩まされました。
色んな問題やトラブルを引き寄せては引き起こし、
悪い方に考えたり、そのような選択をしたり、
爆発して暴走してのトラブルメーカー。
傷付きやすく、キレやすく、行動に一貫性がなく、
周囲に迷惑をかけ、振り回す、まさに歩く迷惑。
憑依体質というのも相まって、
めちゃくちゃで支離滅裂な性格で人生でした。

もちろん、
生まれ育った環境やネガティブな刷り込み、
そういう背景もありますが、
引き寄せているのは過去からの思い癖と思考、
シャドウセルフの自虐的でエセな自己犠牲心とか、
被害妄想や自己中な傲慢さ、
復讐心や蓄積した憎悪や怒り。
これらの集合体としてのエレメンタルが形成した、
とてもダークなパーソナリティ(エゴイムズ)。

結果的に私の人生のうまく行かない原因、
私の人生を狂わせ、望まないものにしている元凶が、
このシャドウ・セルフだったのです。

それを知り、向き合い、
克服するべく対峙することは、非常にきつい作業でした。
過去生を知り、ヒーリングのテクニックを身に着け、
霊的真理の知識を学んでいった段階で、
いかにシャドウセルフの存在、
エレメンタル(エゴイズム)の力の強さ、
それによって人が、人の人生が操られていることなど、
クライアントさんたちの姿を通して、
そして自らの身をもって知ることになり、
少しずつ少しずつ時間をかけて、
実践と失敗の繰り返しで、
結果が出ては学んできた感じです。

未だ試行錯誤のところもありますが。

だからこそ、
そうしたシャドウセルフに人生を翻弄され、
狂わせられている人に対して、
もっと何かサポート出来ないか、と考えました。
グループレッスンを通じて、
エゴイズムやエレメンタルについて知ってもらったり、
霊的知識を学んでもらって、
内省やエクササイズに取り組んでもらったり、
セッションにおいてセラピーやヒーリングなどの、
テクニックでアプローチしたり、
リーディングの情報を伝えるだけでは、
どうしても本質的な問題に行きつかないというか、
意識的に取り組んでもらうには弱いのです。
もっとクライアントさんの方で、
自主的に取り組んでもらわないと、
双方向でタッグを組んで頑張らないことには、
とても難しいというのがこれまでの経験上、
唯一分かったことでして。

★ ★ ★ ★ ★

で、こんなメニューを考えました。
まだサイトにページ作っていないんですけど。

そんなこんなで、
自分に内在するシャドウ・セルフを癒したい!
無意識の問題・性格の問題を改善したい、
過去生のトラウマやクセを克服したい!

という人向けに、メニューを考えてみました。

webサイトのカスタマイズセッションのページに、
掲載していますので、
興味のある方はこちらをどうぞクリックしてください。

2018/09/20

異次元散歩での奇妙な出会い

先月と今月の体験談。

夢と呼ばれる世界が、
四次元(サイキカル界)とイコールであることについては、
これまで何度か説明してきた通りなのですが。

サイキカル界は自分の想念の存在する世界であり、
自分のサイキカル体(四次元の身体)が、
行くことの出来るエリアで体験することであって、
従って、行ける場所は限られています。
※すべてのサイキカル界のエリアに
 行けるわけではない、という意味で。

過去からこれまでに辿ってきた道のり
+今の霊的成長の段階で行ける場所
ということで、
そこで出会う人は自分と波長の合う人
すなわち霊的レベルが同じ人ってことになりますね。


さて、その日の「夢」の中で、
私はとても広大な、お屋敷のような、
平屋造りの日本家屋にいました。
ちょっと面白い、迷路みたいな家。
でも、色んな人がその屋敷の中で、
自分の居場所を作って住んでいるんです。
まるでシェアハウスみたいに。

気が付くと、
たった三畳くらいの開け放たれた部屋の中、
私もテレビで見知ったことのある妙齢の女性が、
一心不乱に絵をお書きになられているんです。
亡くなったときよりは少しお若い頃の姿で。

絵描きさんではなく、某伝統芸能の方ですが、
何故かひたすら絵を描かれていたりする。

ちなみに私はとくにファンでもなんでもないです。
スキャンダラスなゴシップ記事で、
お名前とか素性とか、その下りを
ほんの少し存じ上げていたってだけのこと。
当然ながら、今は故人な方です。

私の話しかけたことに応答はあるけれど、
存在にはほぼ無関心で、
顔をこちらに向けることはせず、
ただ絵を描くことに集中しているのでした。
生前、絵が趣味だったかどうかは、
知る由もないのですがね。

生きてらっしゃったときには、
もっと広い自室を持っていたと思うのですけど、
それにしてもどうして、
無限大かつ迷路のように巨大なお屋敷の、
たった三畳程度のとても狭ーい部屋に、
大切なもののあれやこれやを押し込めて、
そこだけが自分の住む世界で居場所だと、
そう言わんばかりに机の前に身を縮ませて、
ひたすら一日中絵を描いているのか…
私にはわかりませんでした。

部屋の仕切り(ふすま)は開け放たれているものの、
廊下を通り過ぎ、行きかう人には目もやらず、
声を掛けられても淡白な対応で、
同じ屋敷に居を構える人と交わらず、
積極的に関わろうともせず…

その姿はブラウン管の向こうで見知り、
マスコミなどが語ってきた、
その人の虚像とは一致しないものでした。

てなわけで迷惑そうなので、
私はその屋敷の中、すぐにお暇下のですけども。


さて、これは先日。
今度は舞台というか、景色が西洋です。
色々な事件というかドラマが展開しまして、
そこはちょっとアレなんで省略しますが。

目覚める寸前に、ある名前を語られました。

「トルーマン・カポーティ」

「…? 誰やソレ。
 聞いたことあるような無いような」

一生懸命忘れないように暗唱して記憶して、
起きた後、パソコン立ち上げて検索しましたよ。
ネットって実に便利です。

ああ、「ティファニーで朝食を」
の作者さんだったんですね。
まったく知りませんでしたっっっ
ちなみにこの映画も見ていませんっっ
名作なのはわかっていますけど、
あんましオードリーの映画は見る気がしないのです。
(「シャレード」は見たかなぁ)

ちょっと色々不思議な感じでした。


なんだかなー

夢と言う世界、四次元たるサイキカル界で
出逢えてしまいましたってことは、
以前お会いした歌舞伎役者さんもそうだけど、
今回の〇間〇さんも、トルーマン・カポーティも、
私と同じ霊的次元に属している人って、
そういうことになりますのよね。

なんだかなー

でも、
話がとても合いそうな人たちではないんですがっっ

謎です。

きっと何か共通点とか類似点があるのでしょうね。
知りたいような知りたくないような…


追記:
ちなみに、
伝統芸能の師匠さんである某さんは、
亡くなられてからの転生前の状態。
トルーマンさんの場合は、
過去生のパーソナリティのコピーとしての、
エレメンタルです。

2018/09/10

智に働けば角が立つ

「エネルギー酔い」について。

それがどういうことかというと、
ようするに「に酔った」ということ。
この場合のエネルギーとはに他ならないので。

確かに、
たくさんの氣を一度に体内に受けてしまったことから、
まるでオーバードーズのような、
ショック症状が起きることがあったりはします。
(氣に満ちた場所に行ったり、人や存在と接したことで)

また、波動の荒い状態にある人が、
とても細かくて高い波動の氣に触れたり、
体内に通してしまうことで、
異質なものを体内に入れてしまったような、
一時的な拒絶反応のようなものが出てしまうことも。
そういう時は船酔いや脳震盪を起こしたかのように、
気持ち悪くなったり、立っていられなくなってしまう。

人間が一度に体内に取り入れられる
氣の量というのは一定量がほぼ決まっていて、
特別な行をした人以外、個人差というのはあまりない。

消費量は別として、体内に蓄えられる備蓄量、
一度(毎分単位程度)に受け入れられる許容量には限界があり、
許容量を超えると、
食べ過ぎや飲み過ぎで身体に負荷をかけてしまうがごとく、
一時的な体調不良を起こすこともある。

でも、それはまれなこと。
そんな頻繁に起こることではない。

たいていは一過性の症状で、すぐに回復するし、
長引いたとしても数日のことで終わる。
(それが継続して長期間にわたって起きるのは、
その人に問題を提示していたり、必然で起きていること。
このあたり後述で説明しますが)

逆にエネルギー不足(氣不足)のほうが深刻で、
これはすぐに改善されないと、
身体が長期的なダメージを負ってしまう要員となる。

さて、それはそれとして…
この辺りはあくまで本題に至るまでの予備知識。


知人にコンタクトを取ると、
「エネルギー酔いが酷くて、半月くらい酔っ払い状態」
との言う。

心の眼でなんとなく見てみると、
彼女のノエティカル体だけが首の後ろから、
斜め後ろにピューと飛び出していて、
エーテルダブルが伸びきり、
離魂病の状態にあったりする。

通常、離魂病状態というと、
ほとんどの人がサイキカル体が飛び出ていたり、
ズレていたり、
どっかあさっての方向に行っているものだけど、
ノエティカル体だけというのは珍しい。

でも、実はオカルトやエソテリックな学びや
サイキカルなワーク、エネルギーワークをしている人、
実践的魔術をしていたりする人に、
結構見られる状態だったりする。

自分の霊的身体の成長度やレベルを見極めずに、
無謀なエソテリックかつサイキカルな行をした結果、
あるいは瞑想などのエクササイズをし過ぎた結果として、
三つの身体のバランスが崩れて、
エネルギー酔いのような軽度な症状を起こす人もいるし、

離魂病を発症して、エネルギー漏れ起こして、
気が上に上がってしまい、地に足つかず、
サイキカル界と現実の境界線が曖昧になっている、
という状況の人もいるし…

テンション高くなって気分が常に高揚し、
眠れない、飲めない、食べれない、
一か所にじっとしていられない、落ち着かない、
常に頭が何か考えていて、心が忙しく反応して、
逆に何も考えられず、心が無反応で無味無感想で、
五感を失くした状態のように何を食べても味気なく、
常に時差ボケのような、酔っ払っていような、
エンドルフィン大放出のドーパミン状態みたいな、
ランナーズハイともラリッてるとも言えるような、
そんな症状になってしまう人もいる。
これが長期的に続いてしまうと、
まるで統合失調症としか思えない状態になるんだけども。
ちなみにこの状態、
スピリチュアル・エマージェンシーと似ているけど、
似て非なるものだったりする。


さて、
サイキカル体というのは感情の身体。
ノエティカル体というのは思考の身体。

ほとんどの人が感情(欲望)優先で生きているもの。
だけど、そうでない人ももちろんいて、
感情に流されず、常に知識を吸収し、思考を磨き、
思考優先で生きている人たちがいるわけです。

で、思考優先のクールな人たち。
理知的で論理的でいいじゃん!…って思うわけですが、
それはそれで弊害というか問題もあったりするのです。

また思考優先の人がすべて、
そのような症状に悩まされるわけでもなく、
ノエティカル体だけが抜け出してしまう人には、
特徴というか、とある共通点が見られるんですね。

こうした症状に悩まされることになる人の、
特徴・共通項としては、

・まず第一に人間関係にドライ。
・他人と自分との間に一定以上の距離を置き、
 なおかつその距離を縮めようとはせず、
 自分のテリトリーに入れないよう囲いを作る。
・心の内を見せず、語らず、聞かず、
 他人との感情的な交流を徹底的に避ける。
・協調性がないわけでも非社交的なわけでもないが、
 仲間意識を持たず、常に「部外者」のスタンスを守り、
 何処までいっても一匹狼的な距離と立場を保ち、
 親密かつ家族的な関係を他人と築きたがらない。
・何か用事(目的)がない限り、
 自分から積極的に連絡は取らない。
 (マメに連絡はしない)
・情報のアンテナは高いが、広く浅くがモットーで、
 他人の状況に好奇心を抱くことはあっても、
 他者の内面には無関心で相手の動向や近況は聞いても、
 体調や心情、精神状態を心配しての声掛けはほぼない。
 (季節の便り的な挨拶、様子伺いは皆無)

といったところ。

このような性格的特徴が悪いとか間違っているとか、
そういうのではないのです。

決して排他的で狭量な人たちというのではないし、
個人主義で個性は強くても、むしろ社交的で、
わりと誰とでも気さくに付き合うし、
仕事にも私情を交えず、公正かつ公明正大。
そして感情的にはならないしイジワルもしない。
なので敵を作りにくく、付き合いやすい人かと。

早い話が女性であっても男性脳なタイプ。
理性的で理詰めで合理的な思考が優勢を誇っている人。

けれど、共感性には非常に乏しい。
他人の心に寄り添うってこと、
まずしてくれない人だったりするし。

心の打ち明け話が出来ない相手だから、
心情的な話が出来ず、疎外感を覚える相手でもある。
本音や信頼が見えない相手というか、
心と心の繋がり、ふれあいを求め、
人間関係に温もりと深いコミュニケーションを
求める人にとっては、手ごたえなく、ちょっと寂しい相手。
とくに恋愛なんかでは突き放されたような、
理解しあったりまじりあったりできない孤独が募って、
カサンドラ症候群に陥ってしまう人もいるかもしれない。

まあ、それはそれとして。
ではどうしてこのようなタイプが、
ノエティカル体が飛び出してしまう系の、
離魂病になってしまいやすいのか…

それは単純に言えば、
感情体をほとんど使わず、思考体ばかり使っていて、
思考が感情を抑圧するなど、分離させて使っていて、
共に情報交換をして使うことをしないもんだから
サイキカル体とノエティカル体が乖離してしまって、
三つの身体の成長のバランスが崩れてしまった。

そんな感じ。
それが何処からだかはわからないけれど、
いつの間にか感情体を育てることが、
後回しになったというか怠ってしまったというか、
おざなりにされてしまっている間、
思考だけ群を抜いて先に成長してしまった。

「心」を育てることよりも…感情よりも思考重視で、
知識や理屈、理論を追い求めすぎて、
思考(体)ばかり育てることに偏ってしまったせいで、
感情体は弱体化して脆くなって、
感情のエネルギーの受け皿が弱いというか、
耐久性がなくなってしまった、みたいな。
(あくまで例えて話していますが)

実際、離魂病はエネルギー漏れ起こすし、
色々と心身の健康にも支障をきたしますが。

一般の人だったら、
またもうちょっと違う出方していたと思う。

ここで問題なのは、
単なるエネルギーワークの実践者も含めて、
エソテリックな知識の勉強をしている人たち。

こういう場合、「カルマのレッスン」として、
お題を提示されているので、
単なる霊的な身体のバランスの崩れ、
として簡単に正常な状態に調整することは難しい。

何故ってそこに本人に対する
「気づき」が求められているので。

エネルギーワークの従事者であるなら、
「氣」を扱う仕事をしているのだから、
「氣」のコントロールくらい、
自分自身でちゃんとできるようにおなりなさい、
という警鐘、示唆として起きていることだったりする。

まぁ、当然かもです。
氣のコントロールも出来ないのに、
そういう仕事してんじゃねー! ってお叱り受けるのは。

エソテリックな勉強をしている人の場合も、
対して変わらないです。
知識を学んで、それでちゃんと実践してる?
というお試し。

インプットばかりしてないで、
ちゃんとアウトプットしなさいよ!

というような意味合い。
エネルギーワーカーに対する「問いかけ」と
さほど変わりはしないんですけどね。

この場合の実践ていうのは、
クラフトやプラクティスなどのテクニックのことではなく、
エソテリックな教義の真意を理解したのなら、
それが何を意味しているのか解っているよね?
自分がどういう風に生きるべきなのか理解してるよね?
さぼってないでちゃんとやんなさいね!

エソテリックな教義では、
真理の探究者は進化し成長しなければいけない
ということをあれやこれやの角度から説いています。

そして人間は人の中でしか、
成長することが出来ないと・・・
それが真理の教えの中核にあります。

ようするに、他人との関わり合いなくして、
人は自分を成長させ、研磨していくことはできない。
だから、今の人間関係を見直し、今の自分のやり方、
他者との関わり合い方、感情の現し方を考えろって、
示唆と警告が身体の問題として表れている。

他人と交わることを恐れたり、避けたりしてはいけない、と。

自分の中にある創造性、
内に流れ込む愛情のエネルギーを、
現実社会である三次元において、
自分にとって正しい方法で具現化し、
言葉や態度で他者に対して、
相手がわかるように伝えないといけない。

まあ、それです。

愛のエネルギーをちゃんと形として、
外に出していないから(表現してないから)、
出口なく行き場を失った愛のエネルギーがうっ血して、
不活発な(腐って老廃物かw)エネルギーとなって、
その人の体調不良の原因というか、
三つの身体のバランス崩しまくりで、
あれやこれや不調で苦しむことになるって感じ。

霊的知識を学んだ人だからこそ余計に。
他の人よりこういう「お試し」だったり、
「問いかけ」的な試練は自然と多くなります。
カルマが具現化して戻ってくるのも、
学んでいる人とそうでない人とでは雲泥の差があって、
超特急で色んなことが早く起こるようになります。
だから、
「あの時蒔いたことが戻ってきたんかー」って、
分かりやすいし、気づくのも早くなります。

知識を身に着ける、霊的知識を学ぶってそういうことで。

まあ、何千年も何百年もあと、生まれ変わってから、
戻ってきた引き寄せ法則的なカルマのレッスンでは、
原因なんて覚えてないですからね。
覚えているすぐその直後でそれが具現化されると、
因果関係がわかって便利ですって、反省もしようがあったり。


結局、霊的な知識、宇宙の法則でもなんでも、
真理を学ぶということは、愛を学ぶのと同じで、
人間としてどう生きていくのか、
どんな人間になっていくのか、
人として人と交わって、正しく生きる方法を学ぶこと、
社会のために同胞と協力して、
皆が住みやすい世の中を創っていく方法を学ぶこと、

だったりするので、

周囲の人の心に寄り添って考えたり、
共感して、親愛の情を示して、
深いコミュニケーションを取っていく…
ってことを疎かにしていると、


それは霊的成長とはまったく相反する生き方なので。

当然、三つの身体のバランスも崩れるし、
第四の身体であるサイコノエティカル体も、
それではまったく育ちません、
育つ機会を得られませんって、
魂からの突っ込みというか、ダメ出しが入るって感じですかね。

てなわけで、開けゴマ…ではなく、
オープンハート! なのでありました。

知識や視野のオクターブを広げたら、
同時に心のオクターブも広げないと、
結局高みには登れないよってなオハナシ。