2020/12/31

新年より引っ越しします⇒blog

やはり気分を変えて来年から
日々の想い事や雑事などを書き留める場所を変えることにしました



アメブロの方は更新するのを止めて
削除するかはしばらく考えて(放置になるかも)

こちらのblogは
過去blogとして別のアーカイブ化できるところに移設して
ちょっと、と思う内容を削除したり訂正するかも知れないし
面倒だからと、このままこちらに残すかも知れません
やっぱりと思ってサクッと削除するかも知れないしww

そこはちょっとまだ気分次第というか未定です

いずれにしても新しいところではなるべく前向きに
これまでの霊的知識に限ったことではなく
プライベートな雑事とか休日のレジャー報告も合わせて
今まで通りテキトーにつらつらとのんべんだらりと
日々の想い事を書き連ねていくことにします

てなわけで2020年の、そしてこちらでの書き込みはこれで最後

こちらでお世話になった方にはありがとうございました



永田町の議員会館にて
※とはいうものの撮影者は私だけど
写っているのは私の友人(部屋の持ち主ではなく)
縁起がいいので座らせてもらっただけです






2020/12/28

第二の居間~夢の再発見

赤羽に住んでいた時
賃貸ですが三階建ての戸建てだったので
家に居るだけそれだけでくつろげて(猫もいましたし)
休日に外出するということはあまりありませんでした

駒込の時はアパートではありましたが
庭もありましたし(やはり猫もいたし)
目の前が空き地だったので眺めも良く

巣鴨に転居したときは駅近くで
白山通りから一歩入ったところであったので
地の利もあってわりと何処にでも出かけやすく
あちこちウォーキングに出かけていました

過去に住んできた家の中で今のところは狭いし
地下鉄とバスしかないので至便がいいとは言えず
日当たりも風通しも一番悪いところですので
引き篭もりハウスのようなところだと思ったりします

面白いのは巣鴨の時を除いて
いずれもカソリックの教会の近くだということですね
赤羽は星美学園のほぼ真下でしたし
(マイケル・ジャクソンが来日時にお忍びで立ち寄った場所として有名)
駒込では教会の鐘が毎朝の目覚まし代わり
今は少し歩きますが聖カテドラルがあったりします



















こちらに越してきたのは9年前で
越してきた当時は
あちこち遠出をする気になるほどの気力はなかったのですが
かといって家にいても気分転換が図れず
近隣を散歩するうちに
早稲田に素敵なbookカフェを見つけたのです

Cat's Cradleというそのお店は
旅行をコンセプトにした本が並び
内装がこれまた素敵で落ち着いた空間で
ゆっくりと一人の時間を楽しめる場所でした
何しろカフェごはんもスイーツもものすごく美味しくて
居心地がよくてくつろげて
気分転換とリラックスにはもってこいの場所でした

早大の学生さんたちが多かったとも思うけど
少人数でおしゃべりを楽しまれてたり
一人静かに読書を楽しまれている方も多かったです

お陰様で一人物思いにふけりアイデアを練ったり
考えをまとめたり心を癒す時間を頂けました
たくさんのインスピレーションが湧く時間を
もらえる最適な場所であり空間でした


神楽坂では常連というほどには足を運べなかったけど
ジョルジュ・サンドという作家の吉村葉子さんが経営されている
やはり居心地の良いティールームがありました

1F2Fと分かれていたので
忙しくされている吉村さんとはたまにしか話せなかったけれど
いつも笑顔を絶やさない朗らかで明るい博識な吉村さんには
その上品で人当たりの良い素敵な佇まいや気持ちの良い接客だけで
元気も分けてもらったし 人としてかくあるべきという手本を
その姿勢から示してもらっていたような気がします
(葉子さんだけど陽光さんだったような気がするww)


残念なことに2つのお店は諸事情により
閉店してしまったのですけれど
先にジョルジュ・サンド 3年前にCat's Cradle

そんなこんなで
憩いのオアシスを無くしてしまったことは
私には大きな損失で本当に残念なことでした

以来なかなか 第二の居間ともいうべき
癒しの時間と創造的なインスピレーションが
降りてくる場所というのには
なかなか巡り会えていません 見つけられてないというのかな

太陽を補充できる陽だまりのような場所というのでしょうか

そういえばそういう訪れるだけでホッと出来て癒され
生命の泉のような氣を補充できるイヤシロチというのを
大都会の中にあるオアシスとして作るというのが
私の夢だったなあ 忘れかけていたなあと思いだしたりなんかして


ここ数年はそれどころではありませんでしたからね

私自身にとっての癒しの場所
英気を養い リラックス出来る場所を無くしてしまってから
どん詰まりでしたもの




















さて 私は実はここ数年ずっとスランプでした

いやさ23の時からずっとスランプだったと言えばそうですww

23の時から視える目を無くして未来予知などできなくなって
(交通事故にあった後ですね)
タロットカードとか占いの知識や道具に頼らないことには
解らないことだらけになりましたし
子供の頃に出来たことがほとんど何も出来なくなりました
(霊を追い払うこととか彼らと話すこととかetc)

気功を習得したり 15年前にレイキ・ヒーリングも習得して
ヒーリングなど出来るようにはなり
過去生情報とかエレメンタルを知覚・認識することに関しては
リーディングも出来るようになったし
一部の感覚も蘇ってはいたけれど

10年前にあれやこれやダメージを受ける出来事があって
こちら(今の場所)に越してきてからは絶不調だったのです

スランプな中で何とかこなしていた

出来なくはないけど 何分の一かのことしか出来ない
ものすごく歯がゆくてジレンマだらけでした

そんな不本意な状態でそれでもなんとか続けてきたというか
続けられてきたけども(ほとんど無理やりかなあ)
正直どんどんパワーは下り坂だったわけです

そんな状態での 本調子ではない
イマイチどころか ほとんど使えない 
制限された力しか持たない 役立たずの自分のままで
そんな状態の中で 万全ではない
中途半端なことしか出来ない自分のまま
対応させて頂いたお客様には本当に申し訳ない限りで

色々と反省するところばかりなのです


だから途中ほかの道も模索しましたよ


状態としてずっとよろしくない状態が続いていて
すると現実もそこに比例するので悪循環の堂々巡りです

どうにか断ち切らないといけない
けれど人っていうのは
どうにも最悪な状況にならないことには動かないものですねw

行動を起こしてみて気づくことって多いものです

霧が晴れたようにスッキリとはいかないけれど
長い冬眠から目覚めつつあるというのでしょうか

ようやく元に戻りつつある 軌道修正が始まったという感じです
元の自分 元々の自分の力 
本来の私の波動を取り戻しつつあるかな・・・と

どれだけ波動が落ちていたんだろう

その波動が低い 
落ちていた状態で引き寄せたものを見ても思います

引き篭もっていた時間はまったくの無駄ではないけれど
充電期間とも決して言えないわけで

他人は自分の写し鏡というけれど
落ちていた状態で引き寄せたものはまさにそれで
この人の問題はまさに私の問題そのものだったなと
他人の姿をして教訓として教えてもらった今日この頃

私も恐怖に心を閉ざして 救いの手を拒絶し
閉鎖的になって 色んなものを拒否していたなあと

これでは流れが途絶えるのは当たり前です

いやはや まさに現実とは内面の投影なのですから


てなわけで少しずつ浮上中ですね
復旧作業中というのかしら


元の位置 元の場所に戻るには・・・
元の自分に戻るためには 
偽りの自分でいた時に拾い集めたものを 
捨てたり断ち切ったりする必要も出てきます
本来の状態や自分でいなかったときに作った偽りの関係も
まがいものも全部手放す勇気が求められるのですね

ああ、まさにこれが私の11ハウスで起きた
土星と木星のコンジャクションの突き上げだなあと思います

本当の自分 本来の波動に戻ると
居場所もまた変わっていきます 行くべきところも開けてきます
出会うべき人も これまでの縁も 

寄り道していた道から本道に戻るからには
立ち寄る場所も景色も変わっていきます

それは致し方のないことです






25年前くらいのことです
まだ赤羽に住んでいたころのこと

知人でBJさんというアメリカと日本とを往復し
双方で活躍しているスタジオ・ミュージシャンの人がいました

年齢的にはお兄さんで 実際そんな感じの人でした
(色恋沙汰な関係ではないです 
素敵な人ではあったけど 当時の私は恋愛する気ゼロでしたのでw)

当時の私はまだまだおナマちゃんで
そんな私に思うところがあったのでしょう
六本木のカラオケバー(外国人向けのね)に行ってはっちゃけて
さんざん洋楽三昧で外人たちと盛り上がり歌いまくった後
(日常会話はできないけど歌は万国共通)

ビバヒルなカフェでお茶しながら
BJさんは優しく遠回しにお説教?というか
忠告をしてくださったんですけど
当時の私はまだまだひよっこでわかっちゃいないというか
ありがたいお言葉に対して反論というか拒絶反応
「私は私だから」みたいなそんな態度だったかなー

心配して言ってくれたことだって
今だからその意味がよく解るんですがね

最近その当時の私みたいな人だなあ
その時の私みたいな反応をする人だなあって
なんかクスリと笑ってしまうようなことがありまして、ハイ

人間って自分のことに関しては
誰しもが耳の痛いこと言われたくないし
他人に主導権を取られたくないというのかな
言葉では、表面上では謝れても
心で受け入れられないことってたくさんあるなって
(言葉と裏腹で怒りの念はちゃんと飛んでくるから)

人は本当に弱いなあ
自分を守ろうとして殻を固くして
知識の鎧で自らを固めて
他人を締め出そうとするのだなあって
それはプライド故でもあるかも知れないし
見栄なのか恥を隠そうとする行為なのか
それとも単なる拒絶反応からの嫌悪感なのか

他人に弱みを見せたくないってことで
自らの優位性を保とうとして
助けようとする手を跳ねのけて

まぁ そうやって自分を守ろうとするものなのかな

人間というのはつくづく悲しいものでもあるし
たくましいものでもあるなあと



でもまあ 助けられるものなら
自分にできることならしてあげたいとも思ったけど
それを望まない相手ならば
合わない場所に固執する必要もないなあということで

とにかく次のステージへと手早く移行するのみです


そしてかつての憩いの場所を懐かしく思うのならば
一日も早く 私自らが長年温めていた
ずっと望んでいたことを実現する方向へシフトしないとね

いつまでも落ちていられないです


追伸
blogに関してはこちらは過去のものとしていったん切り
新しい一からのblogを別に解説とも思いましたが
それじゃあ心機一転で新しく書き始めるならどこがいいのよって話で
(探してないですけどっっ)
そっちは何も行動していない状況ですっっ
ここのblogが使い勝手いいよってとこあったら教えて下さいな

2020/12/26

チャクラ・ヒーリング体験談 O・Mさん

【7つのチャクラ・フルセット
 +4つのチャクラセットを終えての感想】

お客様から
振り返り的な感想(体験談)を頂きましたので
こちらでご紹介させて頂きますね

















私が初めてアルマさんを訪ねたのは、
2019年2月の終わり頃だったかと思います。

当時の私は、いくつかの過去生を思い出したり、
それらに関する映像を視たりするようになっていて、
感じる痛み・苦しみが妙にリアルで 
確信めいた感覚はあるものの、
一方で「勝手に作り上げた妄想だろうか?」
という 自分自身への疑いも拭えずにいました。

他に心当たりもないのに 気分が沈んで仕方なかったり、
時・場所かまわず湧き上がってくる涙にも困っていました。

何より 、半年以上続く
「誰かに首を絞められているような感覚」や胸苦しさ、
寝ても覚めても目の裏に映る 
不快で苦しみに満ちた映像に心身が消耗し、
「自分に何が起きているのか?を知りたい。
 対処の仕方を学びたい。」と思ったことがきっかけでした。

7つのチャクラ・フルセットを受けようと決意したのは、
スピリチュアルセッションを2回ほど経た後のこと。

セッションを通じて、
「過去生での出来事・思いは、
 自覚のあるなしに関わらず今生の人生に影響している」
ことを強く感じたからでした。

セッションのたび、
流れる涙とともに体の深部から癒される感覚があり、
アルマさんが導いてくださることで得られる
「そうだったのか…」という気づきや、
えも言われぬ納得感と爽快感がありました。
当時困っていた症状?は、
だいぶ解消された…と思いました。

が、ほんの少しの間をおいて、
また同じような症状が出現。
咳が出たり、腹〜胸の内側に
何かがパンパンに詰まっているような
苦しさを感じるようになりました。

アルマさんに相談すると、
「いくつもの過去生のパーソナリティが
作ってきたたくさんのエレメンタルが、
出口を求めて一気に噴き出そうとしている状態」
とのことでした。

正直に言うと、密かにそうかも…という自覚がありました。

自分にはいつか向き合わなければいけないと
感じてきたことがある…それがコレなのでは?
今こそ逃げずに対峙するべきなのでは?と、
もう1人の自分に問われているような気がして、
どうにか費用をかき集め、
思い切って7回コースを申し込みました。

ヒーリングは、まず第一チャクラから始め、
その後は 都度、当日の感覚で決めながら進みました。

一回に一つずつ、それぞれのチャクラにアプローチするたび、
そのチャクラのテーマに沿った内容のものが出てきました。

理不尽な出来事や死への怒り、
自分を裏切り 殺し、苦しめた人への恨み、悲しみ、
自分が犯した罪や、
苦しめてしまった人に対しての罪悪感や後悔、
自分を否定し 罰する感情…などです。

毎回、アルマさんが的確な指摘や解説・分析をしてくださり、
必要な気づきへと導いてくださいました。
よくないエレメンタルを浄化して、
時には彷徨い続けてしまっているパーソナリティに
行くべき場所へと上がってもらうこともあり、
自分自身でできるヒーリングというかイメージ法?
を教えてもらって、自宅でも毎日続けてみたりしました。

(私には解放すべきタイミングにきていたものが沢山あったので、
 一つ出るとまた次が…という感じで後から後から押し出され、
 結局1回のフルセットでは対処しきれず、
 追加で4つのチャクラセットも申し込みました。)


多くの過去生を視てきて…

起きていることは 起きていることのままで
良くも悪くもないこと(ジャッジしないこと)、
すべてのことは 起こる理由があって
起きているのだということ、を理解しました。

被害者となり苦しんだ人生もあれば、
加害者となり他人を苦しめた人生もありました。
因果応報・カルマの解消としてだけでなく、
「知ること・経験すること」を目的として得た辛い経験も。

それらを通して分かったのは、
私はどの人生でも視野が狭く、
諦めや思い込み、我慢ばかりで、
自分の思いを相手に届くように伝えたり、
自分を活かし役立てること、
人生を切り拓いていくという努力を
してこなかったということでした。

同じような人から同じような辛い目に遭う人生を
何度も繰り返していました。
周囲の人たちに心を開いて積極的に関わり、
感情を育てるということをしてこなかったため、
〝これだけ酷い経験をすれば何かを感じる?〟
とばかりに 辛い辛い経験をしたのでした。

けれど、あまりに辛い現実に、
心を守るための自己防衛本能が働いて 
心と感覚をフリーズさせてしまうとか、
記憶を消してしまうということもおきていて、
(そういうことがあるとアルマさんに教えてもらいました)
なんとも情けない思いをしました。

この件に関しては、
アルマさんに解明していただけなかったら 
自分では決して知ること・気づくことが
できなかったことであり、本当に感謝しています。

それでも私はなかなか変われなくて…
いまだ全然成長できていず… 
今生の私も やはり視野が狭く内にこもりがちで、
自分の人生をこう生きていきたいとか、
未来を描くことが苦手です。
「〜でなければならない」という思い込みが強く 
自分の感情を大事にしてこなかったため、
本当は何が好きで 何をしたいと思っているのかも、
よく分からなくなってしまっています…

けれど私が今生でぶち当たっている問題の多くは、
確実にこれまでの過去生での考え方のクセや
偏った思い、生き方・行いが影響して起きているのです…


一連のヒーリングを終えて今あらためて思うことは、
他人と過去は変えられない。
(変えようとする必要もない)
変えられるのは自分と未来だけ。
(変えようとしなければ変わらない)
ということです。

幾度もの過去生で出会ってきた方々の中に、
無機質に生きる私に温かな愛を注いでくれた人がいました。
私を愛しているがゆえ、
あえて口うるさく関わってくれた人がいました。

本当はどの人生にも、
いろんな形で愛を見せてくれる人がいたはずなのに、
当時の私は目が曇り、心を閉ざしていたため 
それに気づくことができませんでした。
今、時を越えてそれらに気づけたことに感謝を。
私も 彼らのように誰かに愛を注げる人になりたいと思いました。

何世にも渡って身に染み付いた生き方や
心のクセを直すのは容易ではないけれど、
気づいたからには、今生は課題から目を逸らさずに、
克服する努力をしよう… もっと自分を知り、心を開こう。
周囲の人や起きていることに興味を持ち、
ちゃんと感じよう。知ろうとしよう。
そう思うようになりました。

とはいえ慣れないせいか なかなかうまくいかないけれど、
まずはこれまでとは違う選択をしてみるとか、
心が動いたらひとまずやってみる、
そんなことからでも行動を変えてみることで、
進む先が変わってくるのではないかと思いました。
小さくてもいいから、
できることから少しずつ…を意識して実践してみています。

そしていつか、
自らを活かし役立てられる自分に。
周囲の人を大切にし、
「私はこう生きたい!」と目的をもって
人生を楽しめる自分になりたいと思います。

私には課題克服のために
まだまだ気づくべきことや学ぶべきことがたくさんあり、
アルマさんにはこれからも
折に触れお世話になることと思いますが、
今回 このような振り返りの機会をいただき、
心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。



2020/12/23

アクエリアン・エイジ(宝瓶宮時代)の憂鬱と戯言

TwitterとFacebookでは告知したのですけど
(いまMacを使用している関係でサイトの更新ができない)
年末年始の営業日ですが
26-29まで山に篭って修行な予定だったのですが
ここに来てのコロナ拡大で中止と連絡入りまして

てなわけで営業日の変更
12/24、25(昼間のみ)、26、28、30が予約受付可能です
※27は仮予約入りましたので保留
来年は1/2より通常営業しています

問い合わせ等はお気軽にどうぞ 

そして昨日5時間お山を歩き回ったので全身筋肉痛ですっっ


















今年に入って 年齢的にも吹っ切れたのでw
ロックTシャツ集めに走っています
いやさ元々ユニクロとかジーンズとか適当な服の人ですけど

上記は自分へのご褒美?クリスマス・ギフトに購入した
ブラック・サバスのTシャツ えへへへ♪
あとまだ欲しいミュージシャンのあるけど
少しずつ少しずつがまた楽しみである❤️
(次はどれにするかなーって くふふふふふ)

まぁ普段着(家着)として着ていますね
冬だとセーターの下に着ちゃう
仕事の時 お客さんの前でこれ着てたら引かれてまうか
(アイアン・メイデンのエディくんなんか特にヤバイか)




















さて そんなこたぁ、どーでもいいんだよ〜
ってなわけで本題です

なんかここのところ 
またしても「風の時代」だとかなんとかで巷が賑わっています
(TGC…トリプル・グレート・コンジャクションもか
最初この略称見た時 卵かけご飯TCGと間違えた)

いやさちゃんとしたアストロジストの人が言ってることなら解るの
占星術をきちんと理解している人が言ってるならば

でも大体が、ほとんどの人が
聞きかじりの又聞きの聞きかじりで言ってるんですよね
自分の知識や理解して消化している言葉ではなくて

やっぱりここでも



















こんな感じになっている私

なんか「1999年ノストラダムスの大予言」思い出しちゃうよ
あれも占星学用語の解釈の間違いだったけれども


ええっと ちなみにタイトルで書いた
アクアリアン・エイジ正確にはエイジ・オブ・アクエリアス
(日本語では宝瓶宮時代)というのは今騒がれている
「風の時代」っていうのとはまったく別物です
関連性がないわけではないけど違う意味合いのこと

これは春分点の歳差運動に起因する
約2150年ごとの時代の変化(大きなうねり)のことを言ってるのです
移行の時期についてははっきりしないというか諸説あるんですけど
少し前から春分点が双魚宮から宝瓶宮に移動していると
そのことを言っています

で、今回 天文学上でも占星学上でも木星が土星と接近して
コンジャクション(合)という状態になりました
これは20年に一度起こる現象です
占星学上で使用する天球図というので今回の木星と土星が
このコンジャクションになった位置というのが宝瓶宮0度


木星も土星も
共にモラル(常識)を意味している天体というのが共通項目

ただ木星は道徳的なモラル こうありたいという理想の指針
土星はルール的なモラル 禁止制限的な罰則を含んだモラルで
かくあるべきこうあるべきという押し付け的な枠組み

これらが合すなわち会合するということは
この20年、それぞれ木星と土星が吸収してきたこと
行ってきた結果を分かち合うってことが起きるんですよ
(会合というのをわかりやすくいうと
話し合いや議論、和解やシェア・情報共有が起きるって感じ)

木星と土星が話し合うことで情報交換が起きて
影響を受け合い 経験が混じり合って 妥協して譲り合って
良い意味で変わっていく

てなわけで 20年に一度の木星と土星の会合では
それまで私たちが当たり前と思っていたモラル
社会常識や通念が変わっていきます

これは20年ごとに変わっていくこと 社会の進化(変化)ですね

例えば20年前は
まだハラスメントとかいう言葉は当たり前でなかったでしょう?
存在はしていたけど 企業とか社会の認識は低かった
ブラック企業に対する世間の声とかもそう

さらにその40年前の常識も今とは違うわけです

あ、そうだ
今回はそれに冥王星も絡んでくるんだっけっ
(冥王星はまだ山羊座24度にいるけども)

でもって「風の時代」と言われる由縁

それはこの20年に一度起こる木星と土星の合と言う現象が
この250年間は地のサインで起きていたのに
(その前は火のサイン)風のサインで起きているからってな話

(あと天文学的な話で言うと木星と土星の距離が
ここまで近くのは400年ぶりというオマケもあるか)

んー
時代の流行 人々の趣味嗜好なんてのは海王星が表すし
価値観や意識の変革なんかは天王星だし
すべてを覆すほどの潜在的な力は冥王星なんで
今回冥王星がまだ旧体制の磨羯宮(地のサイン)にいて
木星と土星に対して干渉して(会合に参加して)
(隣のサインから一人だけ違うこと言ってくる感じ
しかも土星や木星より年上で立場もエライ人が)
抑制・牽制しているから
楽観的に「風の時代だー」とは言えないよねww

確かに外惑星のうちでも地球から遠い
木星と土星で起きていることだから
社会は大きく変わっていくけど
人々の意識の変革・価値観の変化はそれ以前の
天王星と海王星のハウス・トレードの時から既に起きているし
人々の意識が変化していった結果として
社会の常識も変わらざるを得ないってことでの今回の合なのよ
なのでその前も見て判断しないと片手落ちもいいとこです

占星学は流れで見ないと、なので
ええ、一部のイベントだけを取り上げても意味ないです
トランス・サタニアンたちとの関係性みないといけませんし

で、ネイタルチャート(個人占星術における出世図)において
木星はその人にとって「一番楽しいこと」を表しているんですけど
対する土星はその人にとって「一番楽しくないこと」なんですね
他にも木星は「拡大発展すること」に対し
土星は「縮小制限すること」になります
そう言う意味で対比している関係性を持つ天体なんですが
(「楽観・喜び」と「不安・恐怖」「養育」と「教育」
「甘やかし」と「しつけ」「膨張」と「収縮」
「恩恵」と「義務」「ゆるみ」と「締め付け」とかとか)

ただ社会占星学だと見方とか意味合いが変わりますがね

まあ なんてかなー
土星は確かに労働の義務とか重荷とか表すから
労働の意義が変わっていくというのはもちろんあると思いますよ

それに対する木星の意味合いは奉仕(サービス)と福祉って感じかな
人々が考えるサービスと福祉の意味合いも変わっていく
例えばお客様は神様ですという意識や考え方はもはや通用せず
コロナ禍で受け取れるサービス与えるサービスが変わったように


あえて250年ぶりのアースサインから
エアーサインで起きたという点に焦点をおいてみると
働くことの目的意識が変わる
人々はもっと労働の喜びを求めるようになる
社会的福祉と奉仕の意味合いも変わっていく

これまでは生きるため食べるため生活のために働く
そのために辛い労働を我慢して自分に強いていた
働くと言うことはそうだった それが当たり前だった

とするならば
食べるためだけでなく生活していく金銭を得るためだけでなく
仕事そのものが楽しみであり喜びであり生きがいであり
自分にとって消耗することでなく生産的な創造活動になるべく
選択肢が広がり 社会もそのような生きかたや働き方を認めて
応援してサポートするようになる

そんな感じかなあ

今までは「仕事って苦労して当たり前 辛くて当たり前」で
お金を稼ぐと言うことはそういうことだという認識で
そう言われちゃってて耐えてる私もあなたもエライだったけども

「趣味がそのまま仕事です。楽しくお金稼いでます。 
 働くことは喜びです。この仕事ができて幸せ」
って、そんなこと言ってると叩かれたり
「甘い」って言われてた人たちが
「ああ、そうだね いいね」って大半の人に言ってもらえて
同意共感され理解されたり賛同され応援されるようになる
「働くことは苦しむことではなく楽しみながら働いて当然」と
社会や世間がそのような風潮に変わり
それが当たり前だよねってなってくる

そんなとこです


あとは物質至上主義・権威主義だったモラルが
精神主義・人道主義に移行していく
そんな感じもあるね

コネや繋がりがすべての縦型社会の仕組みが崩れて 
すべての人が平等に均等にって仕組みにも加速される
組織としての考え方 皆が考える社会性という概念
集団や組織とか何かに帰属して生きる人は生きにくくなり
個人主義とフリーダムで対等な関係性が共通認識になる

宝瓶宮はヒューマニズムのサインなんで

形あるものから形のないものが重視されるようになって 
権威あるものから知識や知恵・見識のある人
そういう人が尊敬・尊重されるようにはなるでしょうね

でもそういうのも
宝瓶宮時代という2150年単位の大きな流れの中での一部のこと
まだまだ始まりの始まりです

今は初期の段階で古い時代の抵抗摩擦の中にいるので
目が覚めたら何もかもが大きく変わっていたというほどに
ガラリと変わっていくことはまだまだないですよ
このコロナの世界的流行もその一部
準備期間にしかすぎないのですから

それと今回の意味合いは個人個人でも違っちゃうよね
こうした時代の波的なものはマンデン占星学だから
ネイタル占星学で個人をみていくならば
それぞれのネイタル・チャートのどのハウスで
今回のグレート・コンジャクションが起きているのか
それによりますから

その人の人生のどの面に圧力がかかっているのか
ネイタルのチャートでのトランジット・チャート
なおかつプログレス・チャートでの今回の位置
そしてソーラー・チャートとか合わせてみないとですが

ちなみに私はネイタルだと11ハウスでのイベントで
ソーラー・チャートだと6ハウスのイベントになる
ネイタルに対するトランジット位置が11ハウスなので
「与えられる愛」としての
受け取ること(受け取り)の問題に対しての圧力
ソーラーチャートの6ハウスだと仕事に対して圧が掛かってて
やることは変えずにやり方を変えろって言われてるよね

そんな感じに一人ひとり違うから
マンデン(社会の変化)の角度も鑑みて考える必要はあるけど
皆が皆同じではないので一緒くたに考えてはいけない

でないと運命の地図自体
動きべき人生のタイミングを読み誤ることになる

だから知らない人が言うのって危険なんですよね
医学を知らない人が知ったかぶりの知識で
ヘルスケアとか栄養学や健康法を語るようなものだから


まったくなー




そうだなあ こうした時代の波って
サーフィンの波に乗ることみたいに語られちゃってるよね

大きなビッグウェーブがきてますけど
乗りますかい? 乗ってみますかい? みたいな
乗らないと損ですよ的に


そうじゃなくて 
もうそういう古い社会常識に縛られた狭い枠組みの中で
自分の人生を考えないでも済むようになるよっていう
そういうシグナルとして取ればいいのかなあ

例えば ひと昔前では
女性が一人で生きていくのが難しくて
24才で独身だとクリスマスケーキと揶揄されて
離婚すると世間の目が厳しくて
結婚したら家庭に入るのが当たり前で
兼業主婦は叩かれて肩身狭くて
一つところに就職したら生涯勤務するもの
転職する人は忍耐力のないダメ人間だ
結婚とは相手の家に入る(嫁ぐ)

みたいな、社会が厳しいこと言ってくる部分
世間が叩いてプレッシャーを与えてくる基準や常識が変わっていく
個人が「生きづらさ」を感じる部分が変わるのでって話ね

宝瓶宮(水瓶座)的な締め付けのあったところがゆるみ
今まで緩んでたところが逆に締め付けられていく


そういうことです


本当にスピリチュアルってマジ ビジネスだよねww

バレンタインだのハロウィンだの 
いつからそういった商戦と同じになったんだろうと思ったりする


この三次元では働かないと生きていけないでおじゃるよ

それは地球に住む人生すべての人が輪廻転生の輪を抜け出すまでは
変わらないスタンダードでございます

なんのために働くのか…

そこは変わっていくべきことだけどね

コロナ禍でお商売も淘汰されているわけですが
だからこそ淘汰される波の中にいる人は考えるべきなんです
コロナ禍のせいにせず どうして淘汰されてしまっているのか
根本的に見直して考え直さないといけない

同業者でも淘汰されず生き残っている人がいるわけですから
自分の仕事との向き合い方 やり方すべて
どうして淘汰される側にいるのか 何が悪かったのか
どこを変えていかねばならないのか などなど

本当に自分にとってやりたい仕事であったのかあるのか等

そんな感じ

てなわけで来年もコロナ禍はまだまだ続きますから


あ、そうだ 
このブログをどうするかも考えて結論出さないといけんかった

2020/12/18

一円を笑うものは一円に泣かされる

タイトル>その昔
欽ちゃんの番組で奥さん役の真野順子さんが
劇中でよく言ってたセリフでもあったりする


20代前半のとき 勤務していた制作会社での同僚に
皆とランチなどを買いに行ったとき
細かいお金がないとかお財布忘れたとか
もしくは誰かが何かを買いに外に出るとき
あれ買ってきてこれ買ってきてと頼むものの
「今度返すから」と言って なんだかんだで
「払わない」(ようするに踏み倒す)子がいた

先輩たちはさすがに被害にあっていないが
同僚や後輩など同年代の女性はみんなやられてて
何しろ一回の金額が僅かなものというか数百円とか
とても小さい金額の単位だったので
催促するほどの金額ではないというか言いづらいものがあり
(それでも積もり積もった金額はそれ相応)
結局、返してもらえずにずるずると予防策を考えるしかなく

そしてこの子は皆で居酒屋など
とりわけスタイルの飲食店に行くと
遠慮なしというか厚かましいというか何と言うか
例えば5人でちょうど5個のものなど
一人一個と思うのが普通の感覚であるわけだが
「わたし、これ好きー❤️」と
何個もバクバクと人の分までとってしまうという始末

みんなあっけに取られた顔しか出来ないわけだが
空気が読めていてわざとなのか読めなくての暴挙なのか

まとめサイトでも愚痴られているようなケースだと、ハイ

それでも良いところがまったくないわけではないし
仕事の同僚ということで上手くやろうと
皆も私もしていたのだが

ある日に免許を取って車も購入したので
ドライブに行こうと急に誘ってきたのでした

あまり気乗りはしなかったのだけども
当時の私は頼まれると断れないところがあり
しぶしぶ一緒に出かけることに

その時なんで断らなかったんだろうと
自分の優柔不断さを一生後悔することになるのですけどね

はい 事故起こしてくれました

ブレーキが利かなくなったと勘違いしてくれて
あせって判断力なくして車を止めようと
自らガードレールにぶつけてくれたんですよ

助手席の私は訳がわからないまま
フロントガラスに頭を突っ込んで額を切り
骨折こそしなかったものの全身大打撲です 
鞭打ちになり後遺症に何年苦しんだことでしょうか

そして彼女は私が気絶したのや意識朦朧なのを良いことに
警察に届けず事故を隠蔽しようとをしてあれこれ画策
何の保証もせずに逃げてくれやがりましたのよ
(車は保険に入っていず登録してなかった)

彼女の父親が
飛島建設の東京本社に勤務しているってことで
電話しましたよ 名前を頼りに
だけど子も子なら親も親でした 
責任とるどころか逆ギレして恫喝されました

私も怪我と後遺症で判断力なく戦えませんでした
警察に被害届出すとか色々と方法はあったでしょうに
当時は知恵がなかった 助けてくれる人もいなかった

この事故で失ったものはあまりにも多かったです
手を痛めてしまって絵も描けなくなった
人生が変わりました


そんなんでこの時のことを一生の教訓として

お金の貸し借りにだらしない人は
何もかもにだらしない信用のおけない人だ

そう悟るに至りました

ですから
お金の貸し借り及びモノの貸し借りにだらしない人
人から何かを借りることに対して
きちんと礼節や常識を守らない人は絶対に信用しません

その辺りでその人の性根って透けて見えるから
誠意が少しでも感じられないと

あっ、ダメだ 
この人関わっちゃいけない人だと思います

約束を守らない 時間を守らない 
挨拶とか御礼とか言うべきことを言わない人も同じですね

どれか一つというより それらはすべて繋がっていますし
どれか一つに落ち度がある人はやはりすべてに落ち度がある




















先月のことですが
ある人に小銭をお貸しすることになりました

まあさほど大きな金額ではありません
とても小さな単位のお金です

月末に私の家の近所の某所に行くから
その時に返しますと仰って下さって
ああ、まあいつでもいいです で帰途に

でも そうですね 
その後で少しやりとりしたのですけど
こちらが呼びかけたことに返信ないんですよね
(既読スルーという状態) 
私はガラケーuserなのでLINEできませんから
メッセンジャーなんですけども

そして先方がこちらに来る予定があるから
返すと言っていた時期を過ぎました

何もなしです
行けなくなってしまったとかもなし


まぁね 私だったら
それが10円でも100円でも とるに足らないモノでも
お返しします、と自ら伝えた期日に
返しに行くことが出来なくなった時点で
自分から連絡入れますわ

そりゃ 数万円とかの大きな金額ではないです
たかがと思うような金額なのでしょう

私も別に次にお会いしたときに珈琲か紅茶で
奢ってくれたらそれでいいですよって思ってた
つまりはそのくらいの金額

でもね 金額の問題じゃないんですよね
こういうのって

逆に1万円とかだったら もっと大きな金額だったら
ちゃんとされたのかも知れない
少額だから ついでの時でいいと思われて
そこまできちんとすべきこととは捉えられなかったのかもです

でもね
直接の知り合いでなく 
その人の同級生を介しての知り合いで
私とその同級生との関係性とかを考えたならば
小さなことでもちゃんとしないといけないんでは?と思ったりします
(私はその同級生さんのお店のお客さんなので)

だってその方が
その人のことを大切に思っているのであれば
自分のことでその人と私の関係にひずみとか
悪い影響を与えたくないと思うのが普通ですもの



たかだか何百円 されど何百円 

返す返さないの問題ではないのです

そこにどのような気持ちと態度を示すかという問題

他人からお金ないしモノを借りるということ
それがどういうことなのか
そして借りた時 どうふるまうべきなのかですよね

大きな感謝も大切だけど小さな感謝も大切です


でもそのような方に限って
プロの開運指導みたいなのであちこち行ってらっしゃる

それをしているのならなおさら
小さなお金とか小さな礼儀は大切ですよって
その方の後ろの方も滅茶苦茶怒っていたりします

さてどうしたものか




信用も小さなことの積み重ねです

小さなこと(小金)を大切にしていない人は
大きなこと(大金)も大切にできるはずありません

一円(一縁)を大切にできる人だけが大金(大縁)に好かれるのです

お金のことって 本当にその人自身が出ます
お金が絡むと人は本性があらわになります
生き方とかいろんなものまで見ることができちゃいます

ものすごーく小さいことで 細かいことなんですけど
一事が万事ではあります


そしてちょっと気づいて欲しいのもあって
こういう細かいお金を返して来ない人には
「私には返さなくていいので
 そのお金は何処かに募金してください」
といちおう言うようにはしています

それで募金するかしないかはその人次第ですが

2020/12/08

Blogの今後












まだ考え中ではあるのですが

先日ふと、このblogを削除したくなってしまいました

時々 一部の記事を読み返すこともあるのですが
ところどころ そこいらかしこに
自分のエゴイズム(傲慢さや毒気など)を感じてしまって

うわっー やだなぁ と思ってしまうのですね

10年以上前に書いたものにしても 最近のものにしても
稚拙な文章の書き方(表現)の中に
何様といった感じのエラそーに生意気で
上から目線なエゴイズム臭がプンプンして
とにかく辟易させられるし 自らの恥を晒しているようで

なんだかなーと 落ち込むことが多いのですよ


今まではそんな気持ちの悪い発展途上な文章でも 

過去の自分のレポートや事例を読み返すことが出来るから
とおっしゃってくださる方もいるし

同業者や類似の仕事をしている人 後進の人たちにとって
現在の仕事でクライアントさんに対処する際の何かヒントになればとか
クライアントさんにとっても自分の問題を分析する手立てになればとか

そんな風に考えて 
あえて恥かしい文章(私のエゴイズム入り)を晒し続ける…のもありか

と思っていたんですが 

重たい話や深刻な話をラフにしようと 
おちゃらけ過ぎた書き方をしていて
これでは神仏とか見えない存在に失礼すぎるのでは?
馬鹿にしているつもりはないけど
結果的に不謹慎な書き方しているかなあなぞと

…ちょっと反省すること然り

そしてフェイクを入れているとは言え
なんだかんだ個人の相談内容ですしね

ものすごく守秘義務に触れることも書いているわけですよ

その辺り改めて突き詰めて考えても見て
公の場でブログとして書いていい内容なのだろうか?

とかも考えてしまっているわけです


そもそもここに書いてあるブログ
誰かの、皆さまの役に立っていますかねぇ??

ブログにしてまで書く意味があるのかなあ…とかとか
必要性があるのだろうかとかとか 
反響(質問とかコメント等)があるわけではないし
読者も決して多いというわけではないし
世の中的に需要のないblogのような気もするですよ

そこも考えてしまいました

ネットから潔く 
このblog自体(全部の文章)を消去してしまうか
クライアントさんの問題に触れるとことか
私のくだらない駄文を削除して
霊的な知識のとこだけアーカイブ化して残して
新しく仕切り直すか

その辺り考え中です


とりあえず どうするのが一番いいのか
年末までには考えて結論を出そうと考えてはいます

(まぁ私自身のくだらない愚痴とか怒りに任せた文章とか
波動の低い状態で書いたネガティブ臭のする内容も多いですからね)

てなわけで
いきなりここ消しちゃうかもしれないので予告です
またここを消すとしたらアメブロも一緒に消すことになると思う

どうするのが一番いいのか 思案中ではありますが


2020/11/30

妄執〜愛執染着

「カニザリオから結婚のもうしこみがあったのよ。
 父の友人のイタリアの大詩人よ」
「結婚すればいいじゃないか」
「わたしを愛していないの」
「愛していたよ、アデル」
「でも今は愛していない、これからも愛してくれないの? 
 お願い、あなたを愛し続けてもいい?」
「…」
「いいわ、上官にあなたの手紙を見せます。
 そしたら軍隊にいられなくなるわ、
 あなたの手紙をあなたの女たちに読ませてもいいわ」
「心変わりして何が悪い」
「わたしと結婚してもあなたは自由よ」
「時々君がわからなくなるよ。
 僕を愛しているならすぐ、父上の元に帰ってくれ」

「もはや嫉妬はない、自尊心も捨てた、
 愛はわたしには微笑まず、顰め面を見せるだけ。
 売春宿で苦しむ女たち、結婚に悩む女たち、
 女たちに自由と尊厳を与えること。愛はわたしの宗教だ」

by「アデルの恋の物語」アデルとピンソンのやりとり




ある男性がいた
見た目よく(ようするにイケメン) スタイルもいいし
清潔感あって 物事もスマートで 女性にモテるタイプ

けれど どの女性とも長続きしない

出会いはたくさんあるし 
女性の方からも告白されることが多いのだが

付き合い始めると 最初はいいのだが
いつの間にか距離を置かれ初めて
彼女側の方から別れを言い出され 
結局 振られてしまうのだそう

その人の親友曰く 同性から見ても魅力的な人で
男女分け隔てなく付き合う人だし 友人も多いし
他人に対して気も使えるし 約束も守るし嘘もつかない
空気が読めない人でもないし 礼儀も常識もあるし
付き合っている時は彼女一筋で 浮気癖などもとくにない
酒乱でもない 暴力をふるうこともない
性格に難があるとも思えないし…

周囲からしても 
なんで彼が振られてしまうのか理解できないとのことだった

ある日 その親友さんが以前彼を振ったという元カノさんと
偶然仕事で一緒になり 思い切って
どうして彼と別れたのかと理由を聞いてみた

すると

「彼といると いつも居心地が悪いのよね」

という話を始めた

彼の隣にいると そこにいるなとばかりに
誰かに体をぐいぐい押されるような気がするのだという

そして誰かにいつも見られているような
睨まれているような感覚があり 
一人で彼の部屋にいたならば どこか寒々しい気配で
落ち着かないというか 戦慄するような恐怖さえ覚えて
それで何となく一緒にいるのが怖くなって

…とのこと


その話にちょっと思うところのあった彼の親友は

「お前、御祓に行った方がいいかも」と彼に話した

最初、彼は一笑に付したが

そういえば似たような話を以前別れ話の際に
相手からされたことを思い出し
その筋の人の門戸を尋ねることにした

果たして彼には
彼に横恋慕していた女性の妄執の塊のような生霊が憑いていて
悪鬼のような顔をした女性の生霊の嫌がらせ行為によって
彼の恋人たちは被害を受けていたのであった


この手の話はわりとよくあることで

似たようなケースは私のお客さんの中にもあって

別れた恋人がやはり彼女に対する執着のあまりに
生霊となった念を送ってきており
彼女の新しい出会いを疎外し邪魔するという
そのせいで恋人はおろか結婚できません

みたいな状態に陥っていたことがあったなあ


漫画家さんでもファンが送ってくる
その手の生霊に苦しめられたとか
芸能人でもそういうのにやられちゃってる人とか

まあまあ話は聞きますね


生霊を送ってくるのは身内でもあるし
友人同士でもあるし 職場の人とか 
ライバル関係にある人とか
飛ばされるのは
何も恋愛に限ったことではないんだけども

相手が心配で送ってきているもの(見守り系)と
怒りや恨みや過干渉とか そうでないものの違いは
波動の違いって感じかな

当人が過去の恋人への未練で
恋人のエレメンタルを自ら創って大事にしているものは
生霊とは言わないしね 相手のコピー人形ってとこで
これは質と用途がまったく異なりますし





























生霊はまあ 気持ち悪いです

ただ、誰しもが創ってしまい 
誰かに送ってしまう可能性のあるものですが

一時的にね 相手に腹を立てて
集中的に送ってしまうのはしかたないです
理由があれば まあ それはそれ

攻撃的なものは 口撃とも行って
悪口とか罵詈雑言みたいなのは
口から言霊として出ていくエレメンタルで 
たまに矢とか剣とか 尖った刃物のような形をしていて
相手にぶすぶすと刺さります

そういうのが刺さっている人もよく見かけますし

突発的に爆発した怒りは
その人の頭のてっぺんから出て行くエレメンタルで
これは結構攻撃力が強いんですよね
ロケット花火というか 大砲で発射された砲丸みたいな
マグマのように熱く 火の元素が強いので
下手したら相手が怪我とか災難に見舞われるような
そんなことをも引き起こすパワーを持ってたりする

相手の頭部や首に直撃して 脳梗塞とか血管切ってしまう
そんな結果を産むこともある


この辺りは怒りとか恨みとか憎しみとか
私怨的なものですけどね

(ちなみに普通のエレメンタルは額というか
眉間のところからムニュって出てきます
よくインドの女性がポチッと何かつけてるトコ
最初は小さい粒みたいなもので
それが少しずつ膨らんで大きくなって形をとるの)


やはり持続的な生霊として恐ろしいのは恋愛絡みですかね

ストーカーちっくな生霊ほど始末に負えないものはありません

数年単位ならまだいいんですよ

生霊はリアルに毎日 飼い主(創り手である持ち主)が
燃料補給してエネルギー供給されるから
死霊より手強くて始末が悪いんですけど
その関心が薄れたり気持ちさえ離れれば収まります

でもそうでないと大変

どうしてそんなにしつこいのってのに
絡まれてしまったらもう大変です

下手したら一生 死ぬまでですもん

冒頭に引用した映画「アデルの恋の物語」のアデルみたいに
(ちなみに実話の映画化)
相手がわからなくなるほど気が狂っても思い続けちゃう





でも
一番怖いのは今生だけでなく来世まで追っかけてくるやつ
こうなると生霊を超えて(相手も死ぬから)
呪いとか祟りも真っ青な呪縛エレメンタルに育つから



そういえば かなり以前のお客さんのケースで
その方の中間生っていうのかな 

ていうかー 
かなり我の強い 困った方だったんですが
(ぶっちゃけアスぺで自己愛性人格障害持ち)

数百年前の人生で狂死されていたんですが
死んだ後で まあ生前の恋人(自分を振った相手)に執着して
その怒りと激しい恨みというか執着から
彼に取り憑いてしまったんですよね 

ようするに悪霊になったと

で、悪霊として悪事(死んでいるのに罪を犯すとわっっ)
働くっていうのかなー 彼とか彼の奥さんとかに憑依して
嫌がらせですよ嫌がらせ 年季入ってます

もちろん これも立派な罪 
犯罪として立証はできないけども

しっかりとカルマの功罪として残っているわけです

でも それで罪の意識持って反省していたら 

って思うけど

人はなかなか変わりませんのでしたー


生前の性格も性格だけど それが故に悪霊になったわけで
だから その人生のパーソナリティ(過去生の人格)
サイコパス的に狂気を孕んでいて あなおそろしあ 
このエレメンタルが目覚めたら さあ大変てな代物

たぶんそういうモンスターを隠し持っている人は
一定数いるのでしょう 目覚めないことを祈るのみ


そうですねぇ

この都会にもその界隈の人たちに
「あーあの人ね」って有名な悪霊さんっていたりします

いやさ将門さんとか道真さんとか
怨霊として有名な人ってわけでなく

わりと近代の事件で亡くなった人とか
(被害者で悪霊になった人もいるし加害者もいるし)

手に負えないので変わらず放置プレイ

見ざる言わざる聞かざる

みたいな状態になっている人もいたりする うーん

取り憑かれた人はご愁傷様…みたいな??
(いろんな人がお手上げ状態らしいので
そして色恋沙汰っていうか艶恋沙汰??
いやさ色欲地獄か そんな感じー)


そうですね 

現在の人生で誰かに執着されて生霊飛ばされて

な人も結構見かけますけど

過去生の色恋絡みでの生霊を超えた
モンスターストーカーエレメンタル
これを背負っている人 つけ狙われている人

マジ大変だと思います

恋愛も結婚も 下手したら色々と人生積みまくり

女優さんでもその手のにまとわり付かれている人いましたね
とくにその時の人生を生きた土地
(その人の場合フランスだった)に行くと
ストーカー霊のフランチャイズ(本拠地)に行くことになるから
ヤバイから絶対行ってはならないっ!!!って言われてた人いたな


自分で創ってしまったもの(過去生の恋人のエレメンタル)に
邪魔されている人のケースは
ここでも以前何度か書いていますけどもね

やはり相手から送られているものは迷惑の極みですよね

まして恋仲だった人ならいざ知らず

別れた相手とか 付き合ってもいない勘助とか勘子とか
ましてメンヘラこじらせて死霊になってまで
自分や愛する人々を苦しめ続けた祟り神みたいな相手


もうヤダ!
かんべんしてくれー!!!

いい加減 解放してくれい!! 

になってしまうと思います


メンヘラ恐るべし

生きていてもメンヘラ 死んで霊になってもメンヘラ

馬鹿は死ななきゃ治らないというけれど
ストーカーは死んでもストーカーだった

ってのは困ります 社会の害悪です

てかー 創った本人すら創ったこと忘れてるつーか
その人生で正気を失って 記憶を失くしても
エレメンタルは己が生まれた目的というか
使命を忘れず完遂させようと暴走しまくる

暴走機関車かっっ!!  いやはや誰か回収して

とはいうものの そういう暴走機関車みたいな
主人の手元から離れて作動しまくるエレメンタルや
動物霊とか式神とか使役とか
けっこーいますもんね ホントまじ勘弁

お掃除している人もいるけど 
日々作られて増え続けることには対処できまへんのでした



つくづく 人の執着心って恐ろしい

感情ってのは本当に化け物です
恐ろしいモンスターを創ることもできる


鵺の鳴く夜は恐ろしい…

ってそれは悪霊島のキャッチコピーかっっっ


まあ 一番怖いのは
自分が自覚していないというか認識していない相手
存在すら知らない相手から逆恨みされたり
勝手に想いを寄せられて妄執的な念を送られることかもねん
何しろ心当たりがないし 姿が見えない相手だしねぇ

「ミザリー」のキャシー・ベイツも怖いし
(作家の小説の恐ろしいファン)
「ルームメイト」の自分に執着するあまり
真似っこして何でも奪おうとする相手も怖い

勝手に憧れられて 思いこまれて勝手に逆恨みされて
ってのがホントまじ困るー でおじゃるよ






まあね 
「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャー二(当時18歳)の
狂気をはらんだ鬼気迫る演技はとてもよかったですけどね
(好きな女優さんです 「王妃マルゴー」もたまらんかった)

これを純粋と取るか どう取るか…

いやさ女遊びするなら おぼこ娘はやめなはれ
手を出すなかれってプレイボーイ君への教訓?

でもねー わからんでもないんだわー
アデルの気持ち 恋は盲目ですからね

恋のエネルギーってのはホント凄まじいものだわん
















「わたしはバルバドル島の貧しい女ですが、
 ヴィクトル・ユゴーの名前は知っています。
 あなたは地上の虐げられた者たちの味方です。
 お金もなく運命に打ちひしがれた女性がここにいます。

 子供たちにいじめられていた、哀れな女性です。
 わたしは彼女を助けてやり、家に連れ帰りました。

 あなたの娘さんです。
 英国の士官を追ってここまで来たそうです。
 苦しみで体もボロボロです。体は治っても心は戻らないでしょう。
 ご家族の温かい愛情が必要です。

 ユゴー様。わたしが娘さんをお連れします。
 旅費は知人から前借りして参ります」

by「アデルの恋の物語」とある黒人女の手紙

2020/11/27

選択肢は我に有り〜生きたい人生 かくありたし己を生きるのみ



一瞬一瞬が運命の分岐点となって
いろんな世界が
どんどん枝分かれしているんじゃないかって

都志夫さんが
まだ生きている世界もあるかもしれないし
いろんな世界それぞれに大勢のわたしがいる

泣いてるわたし
喜んでるわたし
怒ってるわたし
笑ってるわたし

枝分かれしていった
たくさんの世界にいる大勢のわたしの中には

いま この瞬間に同じようにして
思いをはせているわたしもいるのかしら?


 by宮脇明子「ヤヌスの鏡-秘伝」






とある女優さんがいました
この方を仮にAさんとしましょう

Aさんが女優という仕事に就いたのは 
映画が好きだったということと
"演じること" 自らの肉体をして
"表現すること"が好きだったからであり

本来の自分とは性格も生き方も異なる
様々な人間の生き様を演じることで
いまの自分とはまったく違う個性を持った
別の自分や他者の人生を擬似的に体験でき 
そこにカタルシスを覚えられる
独特の快感や刺激が得難いものであったから

なので この方は
スターになるというか有名になることというより
女優という仕事をする第一の目的として
実際の自分とはまったく別の個性を持った
別人を演じる(演じられる)ことの愉しみや悦び
そこにプライオリティを置き 
仕事の価値や意義を見出していたのですね

だから出演料が高いとか安いとか
共演者が誰であるとか監督やプロデューサーや
スポンサーがどうのこうのとか
そういうものは二の次だったわけです

で、恋人ができたとき 
恋人はそれが演技であり仕事であるとは言え
彼女が自分ではない他の男性とキスしたり
色恋的なシーンを演じるのが耐えられない
だから 結婚したらそうしたシーンは断って欲しいし
本当は引退して家庭に入り自分の妻としてだけ生きて欲しい

などと言われた時 
恋人からのプロポーズをあっさり断りました



また別の女優さん…Bさんとしましょうか

この方は家が貧しくて 親も病弱だった
たまたま容姿が美しく生まれついたので
スカウトされて女優にと 
提示された契約料が家計の足しになると
自分がそれをやりたいとかやりたくないとか
そんなこと考える間も無く
何よりも家族のためにもなる 生活のためと割り切って
望まれるままに銀幕へと自らの姿を晒すことになった

もちろん仕事として考えるからにはそこはそれ
演技の勉強もするし 周囲のアドバイスなども受け入れて
監督や演出家の指導のままに演技の研鑽も積み
見せ方や女優としてのスタンスや自らの美も所作も磨き
演じることの楽しさや仕事の醍醐味も知った頃
誠実な人との出会いがあり 悩み考えあぐねるも
経済的な問題も解決しており 
家族(両親)にそこそこの孝行もできていたので

皆の引き止める声 惜しむ声を振り切って
あっさりと女優業を引退し 
暖かい家庭へと自らの居場所を求めることに至った


二人の決断の違いは 価値観の違いでもあるし
同じ仕事に就いたとはいえ
その仕事をすることになった(していることの)動機
その違いでもあります

何のためにその仕事をしているのか…
ここがはっきりと明確にそれぞれ自覚があったから

女優(役者)という仕事に対する自分の気持ち 
女優(役者)という仕事から得られるものに対する気持ち
女優(役者)という仕事から自分は何を得たいと望んでいるのか
女優(役者)という仕事を選んだ目的と動機とかとか

それをしっかりと理解をして
自分の理解者であったが故に
自らの人生の決断も迷わずできたのでしょう


人生のターニング・ポイント

それに立たされた時

自分が人生で得たいものがなんであるのか
何のためにそれをしているのか

そのような目的がはっきりしていて
自分が幸せになるために自分には何が必要なのか
自分の魂を燃焼させることや心の満足を得られることが
どのようなものであるのか

それがわかっていたならば

さほど迷わないで済むでしょう

人は生きたいと思う 望むままの人生を
成りたいと思う自分に成って生きる権利を
誰しもが与えられているのですから

ただそこには何を優先するかという
限られている この世の人生の時間を生きる上での
これだけは絶対に譲れないという 
これだけは絶対にやっておきたいことや叶えるべきことを
理解しておかないといけません

でないと人生は駆け足であっという間にすぎてしまいますから
無駄なことに時間を取られて 本分に至るまでの序章で
タイムリミットを迎えてしまう可能性も否定できません

次に持ち越す前に 
今回の人生でこれだけは絶対という優先順位は掲げておくべきです


「愛と喝采の日々」原題 The Turning Point 1977
※日本語の予告編が無かったっっ

女性のキャリアに関しての
結婚(出産)か仕事を選ぶか…という問題を描いた映画に
「愛と喝采の日々」という映画がありました

バレエダンサーの女性ソリスト二人のキャリアの選択とその後
妊娠を機にキャリアを手放して結婚を選んだティーディーと
独身のままキャリアを積み その道のトップにあり続けるエマ

かつてティーディーの夫を挟んでの恋敵でもあった二人はそれぞれ
 
自分がもしかしたら彼女だったかも知れないという
自分が得られることのなかった未来(現在)の自分を羨み
無いものねだりをして葛藤し 手放したものを悔やみ 
変えようもない過去の選択をした自分を責め悩むのです

主演のシャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトが良かったですし
ミハイル・バリシニコフ レスリー・ブラウンなども良かったです❤️



立ち止まって 足を止めて 
今を考えて 後ろを見て

自らの人生を振り替って
これで良かったのか これでいいのか?と
自らに問うような 迷いを禁じ得ず 

選択を迫られる分岐点に立たされる時が
誰にでも少なくとも人生に一度は訪れ
経験させられることがあると思います

そんな時に人は虚しいことと分かりつつも

自分にとっての「正解」を探そうとします

どうするのが一番良いことだったのだろう
自分にとっての本当の道 進むべき道はどれだったのか
もしもあの道を、もう一つの道を選択していたならば
どうだったろう? 違っていたのだろうか
向こうの道、別の道を選択するのが正解だったのだろうか?

この道は間違いだったのでは?
自分が幸福になれる道はもう一つの方だったのでは??

などと


言えていることは 

どの選択も間違いではないし
どの道を選んでも正しいし
今の道も間違えてはいないってことなんですけどね

正しいとか間違いとかそもそも無くて

進みたい道をその時に選択したって
それだけのことなんですが

輪廻転生の過程においては
その人生を生きるのが今か後かって話でもありますしね

目的地は決まっていて その目的地に行くために
たくさんの方法が 道(航路)があって
全部通ってから行くか 最短ルートで時短で行くか
同じ道を行きつ戻りつつ あっちこっち通ってみて行くか
こっちを通ってから あっちを通るか
あっちに行ってから こっちを通るか

そんな程度のことなので

ゴールに至るまでの
タイムリミットさえ気にしなければね




さて もう一つ やはり女優さんの例えで

Cさんという女優さん 
演技力はありますが いまいちブレイクしません
これといったヒット作に恵まれず パッとしないのです
そして とある小説に惚れ込んで
その主人公をぜひ自分が演じたいと切望します
で、原作者たる小説家に
映画化するなら自分が主役のこの女性を演じたいと熱弁し
あちらこちら奔走して 小説の映画化のために尽力し
念願叶って映画化され 見事主役を演じます

けれど残念ながら映画はヒットしませんでした

彼女はその作品が映画化されて 
その主人公を自らが演じることが出来たこと
この結果には満足でした
脚本もとても素晴らしいものでした

けれど一般大衆は
この作品の映画化には納得していませんでした

なぜなら 小説の主人公である女性のイメージと
Cさんの女優としてのイメージが
あまりにもかけ離れていたからです
演技力がどうとかそういうのでもありません

Cさんが悪いというのではなく フィットしないのです
この小説 この映画の役柄は
Cさんの魅力や個性を殺すものであって
まったくといっていいほど合っていなかったのです
(時代や人々が
求め欲している内容ではなかったのかも知れませんし 
見たいと思われる作品ではなかったのかも知れません
もしかしたら作品が不出来だったり
実につまらないものだったのかも知れませんが)

興行的に失敗したこともあって
事務所が借金を背負ってしまい
その責任を負う形でCさんはその後 
我を通すことができなくなって

「こんな役、自分は演じたくない」
「不本意だ」
と思うような役柄を引き受けないといけなくなりました

周囲が求めるままの彼女に与えられた役
彼女のイメージにピッタリという役柄を
演じることになったのですね

結果は大成功

映画はヒットし 興行的に大成功を収め
それまでパッとしなかった彼女の知名度は一気に上がって 
次から次へと出演依頼がやってきました


ようするにCさんは
セルフ・プロデュースが下手くそだったのです

自分を活かすことのできる道 
自分にフィットした役柄 
自分が世間から求められるポジション
女優としての自分の魅力を
最大限に引き出しアピールできる役柄
(ようするにハマり役)がどんな役であるのか
そういうのをまったくわかっていなかったのですね

でも他人はわかるんです
周囲のほうがそれはわかっている
(マネージャーと言われる人が客観的な視点で
商品としてのその人の価値をよくわかっていると
売り出し方がわかるので作品選びも大体うまく行きます
こういう世界って
本人の希望や意見を優先すると得てして失敗するものです
主観はあっても客観性がないから
だから良いマネージメントができる人とのコンビネーション
信頼関係を作れるそのような人との出会いはとても貴重)

Cさんはそういう自分を活かす道ではなく
こういう作品の中のこのような役柄を演じたい 
自分が演じたい役で評価されたい
そして 
他者からこういう女優だと思われたい
こういう女優と言われたいし見られたい

そういうところで自分の仕事を考えていたのです

でもそれはCさんが評価される道ではなかったのです
世間がCさんに求めているものではなかったといいますかね

周囲・世間がCさんに
称賛を送りたい(お金を払ってでも見たいCさん)部分と
Cさんが周囲・世間から
称賛を得たい(やりたいことでお金をもらいたい)部分が

不一致だったってことです


さて この場合
Cさんが女優という仕事を通して何を得たいのか
どのような結果を求めているのか…
によってもCさんがとるべき道が異なってきます

Cさんにとっての成功が
世間に認められる道とかお金をたくさん得ること
たくさんの映画に引っ張りだこで出演することとかだったら
周囲がCさんに求めるキャラクターとしての仕事をして
女優の道を極めるべきでしょう

けれどそのようなものではなく
世間に認められなくてもお金が得られなくても
方々から映画出演を求められなくても
自分が演じたい役を演じることが快感で
そのことに幸福感を覚えるのであれば
そこに価値を見出すのであれば
演じたくない役柄は断って三流役者と言われてもなんでも
我が道を行けばいいのだと思います

たぶん周囲や事務所はブレイクする道を選ばない
Cさんを愚かだと 自分の生かし方を間違えていると
せっかくのチャンスも棒に振ってとか批判するでしょうけど

世間の評価が何であるかなんて関係ありません

当人が自分の人生で何を得たいのか
何を最終的に収穫したいのか、ですから

ええ 究極を言うと
死ぬ時にどんな想いを抱いてあの世に旅立ちたいか…

それが全ての答えを導き出します

人生で得たいもの まっとうしたいもの
自分がやり遂げたいこと それが何であるか
ただそれだけですから

本人が満足いく人生であるか否か それだけなんですね

自分の人生なんですから 損も得もない

どちらも選ぶことができるし どっちを選んでもいい

そして私たちはいつでも軌道修正できます