2020/08/11

誠心誠意〜克己復礼を仁となす

例の如くblogのテーマから逸れた
個人的な呟きなので興味ない人はスルーしてください


私がヘアカットをお願いしているスタイリストさんは
フリーの方なんですが昭和生まれの私よりお兄さんで
お願いですから長生きしてくださいねって
なんかまあそんな感じw

して つい先日伺った時 話の流れもあって
ここにも書いたライブのことなどを愚痴ったんです

それなりに人生経験を積んでいる方だし
何よりもお客様あってのサービス業をされている方
細かく私がすべてを話さなくても核心に触れる前に
大体の流れでいわんとしていることを解って下さる

「そう! そう! そうなの!!
 何に腹が立っているかというと
 そこなんですよ!!
 その点なの!!!」

なんかそういうこちらの
「気持ち」をちゃんと分かって下さる方がいると
ホッとするというか救われる気持ちになりますね

ちなみに
芸能人やミュージシャンとかいわゆる業界人も
クライアントにお持ちで業界の裏事情も知っている人
そのような業種の方達のあるべき姿勢っていうのかな
かくあるべき対応っていうのについても一言お持ちで
そのような意味でもお話してだいぶスッキリしました


そしてこんな素敵なブローセットをいつもしてくださる
これを自分でも再現できないのが悩みの種



こころが無い対応がね 問題なんだよね
 そこに人は傷つくんだよね
 ファンを傷つける心のない対応をしていること
 それはバンドの責任だよ
 
 バンドの資質というか姿勢がね 
 事務所やファンクラブやスタッフとか
 末端にまで現れるものなんだから

 ちゃんとファンを大切にしている謙虚なスターはね
 末端にいるスタッフにまでその精神が伝わっていて
 そりゃいい仕事するから
 それもバンドのカラーで個性で人柄でね
 そういうのってちゃんと出るんだよ
 お知らせの方法ひとつにもね」


「それ まずいよね
 直前で追加記載とか変更あったなら
 ちゃんと誠心誠意説明して謝罪して
 そこをちゃんと説明すれば誰しも納得するのに
 それをしないってダメだよね
 楽しみにしていたファンの気持ち踏みにじったんだから
 自分たちがそれをしているってこと
 気づくべきだし指摘されたらさ謝んなきゃ

 それに
 プロモーターがwebで掲載する文章は
 バンドが事前に絶対チェックしているはずだから
 その時点で口出ししないのダメなんだよ

 自分たちのファンに向けて伝える言葉だもん
 デビューすぐのひよっこならまだしも
 私たちの大切なファンにこんな言い方だめですよって
 ちゃんとここは書いてください 
 この文言は入れて下さい謝罪文書いてくださいって
 食ってかかんないとダメなの

 もしそういう文章を掲載できなかったとしても
 間に合わなかったとしてもさ

 バンドのリーダーが 
 自分のSNSで
 ちゃんとファンに伝えるべきことなんだよ
 今はそれができる時代なんだから
 一部の方には申し訳ありません 
 こういう事情でこうなったんですって

 ファンを守ろうとしないのって終わってる
 ファンを大切にしないバンドだってことだよね

 自分たちがさ 誰のおかげで食べられているか
 今があるのかわかってないんだよ」


そして大物タレントの某さんや誰それは
どれほど謙虚にファンを大切にしているかとか
「皆さんのおかげです」と常に気取らずで
スタッフで心を一つにして一枚岩の
素晴らしいチームを作っていますよ
なんて話もしたりして

そうなんだよね そこなんだよね
音楽やっている人はそうあって欲しいよね
歌って「こころ」なんだから
人間性って大事だよね
とかとか



ほんとね 
最近はこういう話が伝わる人が少なくなりました
なんかなー 昭和生まれにしかない感性なのかな

とにもかくも話通じる人と話すともやもやが晴れる

公式Twitterに私がクレーム書いたことに対して
「わがままじゃね?」みたいに叩く人いたからさ

なんでみんなそこ怒らないわけ?
おかしいって思わないわけ?
突っ込まないの???

でしたし


そうなんですよね
最初は普通にライブ開催しますって告知で
先行予約の日付だけで電子チケットになるという
そういう文章はまったくなくて
今からFC入れば先行予約間に合いますからって
メルマガでも入会をひたすら促しまくって煽って

先行予約前日になって「追記」というページになり
購入はスマホのみですIpadやPCでは購入できません
それだけその文面だけ

電子チケットになった経緯や
電子チケットでは購入できない人への
説明(謝罪)はいっさいない
一言もないまったく触れてもいない

そのことに問い合わせても返信なし
公式Twitterのライブの告知にクレーム書いてもスルー
バンドリーダーも自分のTwitterで
公式Twitterへのファンの書き込みも
全部読んでますからと書くも(読んでるとアピる)
そのような疑問や購入者制限があることに対しては
触れずにスルー

なんなの?? この人たちって思うよ

直前まで入会勧誘しておいて何ソレですのよ
騙してるっていうか詐欺じゃん

先行予約でチケット買えますよって言って
買えないんじゃん買えない人いるんじゃん

チケット買えないなら 
期限切れのままにしておいて
再入会しませんでしたよ??
このコロナ禍でみんな懐厳しいんですよ?

購入者制限があるなら 条件があるなら
そしてそれがコロナ対策のせいであるなら
こうした状況下やこのご時世で
開催するためにはそれしか方法がないというなら
それは致し方ないことではあるけれど

楽しみにしていた気持ちを踏みにじられて
その辺りの説明が一言もないのって
不誠実ではないですか?って書き込みしたのに
スルー

そして
「抽選外れたと思ってあきらめれば」
みたいに非難されちゃう

なんか人の気持ちがわからないこんな人たちと
同じものを好きでいたくないわとも思いました

(ハマショーなんて
今年から来年までライブできないから
希望する人にはファンクラブの会費返金するよーって
めちゃくちゃ誠実な対応してくれてるんですけどっっ)

なんでもコロナ禍対策のせいにしないで欲しい

コロナだから仕方ないのが現実ではあるけど

コロナだから仕方ないんですからって
一方的に理解を求められることではないと思う

コロナを言い訳にして
企業として 人としてやるべきことをしないのって
本当に不誠実だし いい加減だし
愛のない 心のない 思いやりのない
常識も道理も何もない人たちだって
心の底の底からがっかりした

本当に 企業として 人としてどうなの?ってこと

誠実さのかけらもない

コロナ禍だから こんな時代だからこそ
人間的な対応を省略して
触れ合いを制限しないといけない状況だからこそ
その裏にある「人間らしさ」「心」を
大切にしないといけない時代であるのに

歌って 音楽って 
心や思いを伝えるものであるのに
人と人を繋ぐもので 人に聞かせるものであるのに
人の心に届けるものであるのに

そして歌って「言葉」を紡いだものであるのに

その大切な言葉を疎かにして 軽んじてて
人の想いや心を踏みにじるやり方をして
何が日本の心を 精神を世界に伝えるだ!!

ふざけんな!!

いったい人としての当たり前のことができない
人の「こころ」ファンの思いを平気で踏みにじる
こんな人たちの奏でる音楽に 歌に
何の価値があると言うのだろう

歌詞だって 
今まで彼らが音楽に対して語ってきたことも
すべてが嘘くさい


今まで応援してきた5年間を返せー!!ですし

50年は音楽を聞いてきたロックファンで
U2のボーノが40年前に来日したとき
「日本人は日本人らしい
 日本人にしかできないロックをやるべきだ」
と言っていて
だから彼らがでてきたとき
「ボーノ!! 出てきたよー やっとだよー」と
MVのURLを「見てみて〜!!」とかしちゃったけど

そんな自分の行為がアホらしい
馬鹿だ私は 井伏鱒二の山椒魚くらい馬鹿だ


そして
壇ノ浦に沈むはずだった楽器とともに落ち延びて
その時の雅楽器たちを戦災で失うまで800年間
大切に保管して 明治維新で色々あるまで
音楽を愛でていた先祖を持つ子孫としては

「私はお前らなんて
 絶対に認めないぞ!!」

って今はいいたい

心のない対応をする輩に 
心を大切にしないミュージシャンに
日本の精神とか音楽を語って欲しくない
日本代表みたいな顔して海外の人に
アピって欲しくない 
進出なんかしてくれるな!!

そんなに海外市場は甘くないぞ

マジほんと

歌はさー 技術じゃないんだよ
こころなんだよ
綺麗な声だとか 声量があるとかそんなんじゃない

魂で歌うものなんだよ 楽器だって魂で弾くものさ

なんかそういえば
彼らの歌を聞いて泣いたことなんてなかったな
ライブも楽しいだけのイベントだったな
曲も綺麗なだけの曲で上っ面だけだったな

こんなコロナ禍で落ち込んで辛いときに
元気付けてくれたり慰められる歌ではなかったよ

魂の奥底まで響いて届く歌は
エネルギーと癒しをくれたのは
別のアーティストの歌だったよ


(昨夜の夢に何故かとても綺麗な箱に入った
龍笛が出てきたのでした 
琥珀みたいにとても綺麗で美しい龍笛
戦後までかろうじて残っていたのは琵琶なはずですが)

2020/08/09

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン③

当初このテーマについて書こうと思ったのは
これから書くことについてであり
①と②については念頭になく
さらっと書くだけのつもりだったのですが

何かが降りてきて勝手に書き始めたんですね

おそらくではありますが
先に書いた内容を
読む(読ませる)必要のある人がいたのでしょう

画面の向こうにいる見知らぬ誰かへのメッセージ

それらを託されたというところ
書かされたというか まぁ

そんなことはよくあります

頭の中で練っていた文章とは別の方面に
書く内容がいってしまうことは

それが誰宛なのかは解りませんけれど



さて今の時代うつ病で悩む人は多いようです
私の知人にもいますし
クライアントさんにもいます

うつ病の人の課題(カルマのレッスン)については
過去のどこかでも書いたと思うのですが

うつ病に悩む家族をなんとかしたいと
相談される方をお見受けするたび

どうもこれって
うつ病患者である当人自身の問題というわけではないな
ということを改めて認識させられます

本人自身がうつ病にかかることによって経験し
学ばないといけないことがあるのは勿論なんですけど

やはり家族にとっても学ばなければいけない
レッスンあってこその完治せず…なんですよね

夫婦にあっては奥さんが旦那さんがうつ病になった
親子にあっては親御さんが子供が…と
そのような形で悩まれ問題解決の方法を求められて
相談に訪れて下さるわけですが

やはりここには相談に来られる方自身の
コントロール欲求という問題が隠れているわけです

親子の問題に関しては
①と②に書いたことがほとんどというか
理由にあまり大差がなかったりしますが

夫婦の問題だと
奥さんの側に他人や物事を思い通りに操作したい
あるいはそれができないでいる現実に対しての
フラストレーションがまずあって
なおかつ
旦那さん(他者)に対する愛情や理解力の欠如といった
そういう学びの課題を持っている人がほとんどです

あとなんだー
うつ病のパートナーに悩まされる人の特徴として

自分はまだ本気出してないだけ〜っていうのかな
私はもっとすごいこと出来る逸材なのに
そこを誰も評価してくれてない!!
私はこんな扱いをされていい人間じゃない!!
こんなところに埋もれてていい人間じゃない 
プンスカ!!

みたいな妙な慢心や傷つけられた歪プライドを
隠し持っている人が実に多いんだけど
これは過去生の人生から来る特徴と言えるかもしれない
(ようするに過去生において
身分ある立場や自分に与えられた権力を勘違いして
それを執行してやらかしてしまった人の特性か)


なんていうのかなー
本人気づいているかどうかわからないけど
どこかで旦那さんのことを「こいつ馬鹿じゃね?」
みたいに冷めた目で見下していたりするのね

それは病気になったことに対してではなくて以前から

旦那さんのことを認めてないというか
密かに嫌悪していたりとか理解を拒んでいるというか
相手を蔑んでいる気持ちを隠している人だったりする

まぁだから結局は愛情の問題なわけです

愛情を試されているといいますか
この場合 夫婦(男と女)の愛情というより
人としての基本的な愛情のことを指しますが

だから
旦那さんの方にもその人なりの理由(因果関係)があって
うつ病に罹患するわけで
そのことから学びの時間を持つことになるし
否応なく必要な経験をさせれるんですけれども

配偶者たる奥さんの方も別の角度から見たときに
家族とくにパートナーのうつ病に悩まされる必要があり
歩み寄って共に向き合わないといけないという
やはりその人なりの理由(因果関係)があるわけです

そうですね
他人の気持ちに寄り添う経験がとくに必要かな
あとやっぱりこういった場合
うつ病に罹患する側も悩まされる配偶者や家族の方も
感謝することが圧倒的に足りない人であるのは否めない
(そういう過去生や今生を生きてきてる)


だから
過去の因縁があって出会った夫婦というよりも
それぞれに必要な学び(痛み)を
お互いに与えられ与えることができる相手だから
引き寄せあって夫婦になりましたって
そんな組み合わせの人ばかりでしたね


でも困ったことに
そのこと…自分が変わらないことにはというかー
自分が学ぶべきことを知って
それを身に付けられないことにはってところ

ここは本当に当人が心で知るべきことなので
言葉で説明してもあまり意味がありません

そもそも言葉で説明してそれで理解できるのなら
そのような状況には置かれませんし
片方だけのことではなく双方にそれぞれ
異なる学びが存在しているので
片方が自分のレッスンを終えたからといって
もう片方もクリアできることってのでもないので
そこはそれ

その後も相方のレッスンに
付き合う必要性が生じるわけです
(サービス残業?)

ここにも愛のお試しがありますね


てなわけで
パートナーや家族の鬱病で悩んだり
それを問題として捉えている人は

相手がうつ病という状態を通じて学ぶべきことが
なんであるのかを知ろうとするのと同時に
自分が抱えているであろう問題についても
きちんと振り返って欲しいのです
自分は何を学ぶべきであるのか
家族のうつ病を通じて自分が理解しなければいけないこと
他人に対する姿勢や考え方の誤りや歪みなどについて
自分をチェックしてほしいのです



さて①と②のまとめ

優しい虐待という言葉があります

植物に水を与えすぎると
かえって植物は枯れてしまう
栄養分を与えすぎると
丈夫な植物になるかと思いきや
軟弱な植物になってしまうし
果実も味っ気なく美味しくないそう

トマトなどが良い例で
水を与えすぎると甘くなく水っぽいトマトになる
けれど水やりをギリギリに抑えて
トマトが飢え渇いたところで水をやる
するととても美味しいトマトになるそう


戦後の物のない時代に苦労した親たちは
自分たちが苦労をし ひもじい思いをしたから
せめて子供にだけはそのような思いはさせまいと
一生懸命に働き お金と食べることだけは
物には不自由をさせないように頑張ってきた
(と思います うちの親は違ってたけどw)

けれどその結果
親子の時間が減り 家族の会話が減りました
勉強や習い事をさせて
何か身につけさせることに一生懸命になって
子供に手伝いも何もさせない親が増えました
させないことのないには我慢も入っていて

属する社会は家庭と学校だけで 
兄弟姉妹の数も減ったこともあるし 
兄弟の友人や近所の子供と遊ぶ機会もなくなり
学校以外の外の世界において
別の価値観や子供社会を学ぶ機会が無くなりました
(遊びを通じて集団生活のルールを知る機会です)
同時に逃げ道もなくなりました

お金も食べ物もねだればすぐ出てくるもの
親は自分の望みを絶対に叶えてくれるし
自分のためにいつまでも
働き蜂としてお金を運んでくれる 
そんなふうに考える人が増えました

必要以上に甘やかされた環境の中
挨拶をしなくても怒られないし
喧嘩をすれば親が大騒ぎをして問題になるし
悪さを叱ったり叩いたりしたならば
すぐに体罰だの虐待だのと誤った非難が生まれる
神経質なほどに守られた無菌室とも言える時代において
コミュ障も増え 
ロボットみたいに自分の感情さえわからないという
人の痛みがわからない機械的な人材が増えてきました
与えられて当然 他人がやってくれて当然と思う人たちが
あと被害者意識の強い人も増えたよなぁ

別にこういうのは若い人たちに限ったことではないです
そのような考え方を持つ人たちが
矯正される場(土壌)が社会において失われてしまった
他人の誤りを指摘することがよしとされない
「おかしいこと」を「おかしい」って言えず
注意することは悪で問題提起する方が悪いって風潮の
いびつな世の中になってしまったって感じでしょうか


児童虐待がループするのはよく知られていますが
人間を弱くする子育てや親子関係の根深い問題は
どこかで連鎖を断ち切らないといけません

そのような負の遺産は次世代に持ち越さず
それと気づいた人が子孫に与えぬよう
己が傷を癒していくべきなのでしょう

2020/08/07

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン②

大変な時代は強い人間を生む
強い人間は良い時代を作る
良い時代は弱い人間を生む
弱い人間は大変な時代を作る

byロシアの諺より

※日本の親の
 何でもしてあげる買い与えるなど
 子の要求を満たすことに専念する
 過保護な子育てに関して
 ピロシキーズの小原ブラス君が
 上記の言葉を思い出して記述していた



すべての子がそうなるわけではないが
家庭や母親の不安定さが
子供の心理状態に影響を及ぼすことは間違いない

子供の不登校で悩み 
相談にやってくる人のほとんどは
偶然の一致やたまたまかも知れないが
過保護や母子癒着という
親離れ子離れ出来ていない
双方が自立できていないケースだった

豊かな時代が故に
親は子供に物だけでなく時間も手も与えすぎ
先回りして歩くであろう道から
すべての危ないものを取り除こうとする

ようするに
子供から自我の目覚めを奪ってしまう育て方

一言で言うなら手をかけすぎるわけ

心配しすぎるし全部を把握しようとしすぎる

つまりはコントロール欲求

自分の人生の代替物として
思い通りには上手くいかなかった自分の人生を
子供の人生を代償としてコントロールすることで
埋め合わせようとしている

そして本来ならば
母親はパートナーたる配偶者に求めるべき役割を
小さな恋人としての子供にそれを求めてしまうから
共依存っていう病み歪んだ親子関係も生まれてしまう

夫婦や恋人同士の共依存ってのは
なんだかんだ他人だから
離れて距離を置くことで解決することもあるけど
親子の場合はなかなかどうして厄介だったりする

昔は子供の数が多くて何人もいたから
一人に手をかけてられないってのがあって
よしんば兄弟姉妹間で
えこひいきや差別があったとしても
特別扱いされない子が複数いるならば
自分だけがはぶられているわけではないってことで
それはそれで兄弟姉妹同士で連帯感も生まれやすく
他の兄弟姉妹を手本にして育つこともできるから
親をあてにしないで
それぞれが勝手に自立する環境が整ってた

けれど今は多くても二人とか一人っ子とか
兄弟姉妹の数が減ってしまったこともあって
親の愛情や関心の方向性を
一人で背負わないといけない子も増えてしまった

ぶっちゃけ一人っ子に限ったことではないが
親の愛情と関心を一身に受けすぎた子は
精神的に弱いしほんの少しのことで挫けてしまう
脆すぎる子が多い

その反対で両親もしくは片親が多忙
あるいは無関心の極みで
突き放されて育った子もいるのだが

幼少期の環境において
親に囲い込まれてしまった子は
いつまでも母親の胎内に取り込まれてしまった
カンガルーの子のように
「自分」というものの核を
母親に依存して預けっぱなしのまま生きている
まるで自分の生きる世界は
そこにしかないのだと言わんばかりに
新しい世界への扉を開けようとしない

母親なしには 
母親という養分が常に寄り添っていないことには



そんなわけで
子供の問題で悩んで訪れる方の背景には
カルマのレッスンと言えばそうなんですけれども
必ずその方自身の問題が隠れているというのがあります

というか
お子さんが表している問題そのものが
お母さんの問題を顕現しているのが事実かな

子供が引きこもりだとか不登校っていう人の多くは
そのお母さん自身も社会と断絶した生活をしていたり
周囲の人間関係とくにコミュニケーショントラブルや
コミュニティとの軋轢や和に入れない問題を抱えていて
配偶者を心理的に拒絶して子供にしか関心向けてなくて
独身でもパートナーがいないとか
非社交的で閉鎖的な人が結構多いんですよね

だから子供の問題と向き合うことで
他人と交わって外の意見に耳を傾けて
自分の依存心や依頼心を手放すこととか
精神的自立を問われている

あと被害者意識がやたらと強い
お母さんが多いのも特徴のような気がする
周囲の人はみんな自分を傷つける人だって
そう言わんばかりに攻撃的なほどに過敏に反応する

そしてこれもやっぱり
感謝が足りない人だっていうのも
様々なことに共通することです


まあなんていうか
子供の問題行動 適応障害とか不登校とか
そういうことに悩む人は
まず自分が抱えている問題について
色々と振り返って考えて
そこから取り組んで解決しようと試みるほうが
ベストのような気がします

自分が子供に与えてしまっている悪い影響
そして自分が子供から
奪ってしまっているものについて考えて
この出来事は何のために起きているのか
自分に何を教えようとして起きたことなのか
自分がこのことから学ぶべきことは何なのか
子供を通じて自分が学ばされていることは何か

そういった自分が成長するべきポイント

子供が自分に教えを与えようとしている
教師であるという視点で
一緒に成長しようとするのが正解でしょうね

実際に子供は親に与えられた「ギフト」で
一番身近な写し鏡でもあります

2020/08/05

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン①

子供は親の写し鏡でもある

それは性格や気質が似るというより
母親が抱えている問題を
子供が体現(現実に投影)するという意味合いの話


お腹の中に宿っている時から3歳まで
母と子供の間には
見えない臍の緒(エーテルコード)が繋がっていて
子供は母親の感情をそこから吸収する

胎内にあったときには栄養分そして胎教
胎外から出たあとも母親の放つ氣を
その感情を同化させるがごとく
全身で取り入れているのである

そしてそれらはすべて
第一と第二チャクラに記録される

母親が感じた痛み悲しみ苦しみ
苛立ちや怒りや他人への憎しみ
喜びも慈しみも楽しみもすべて

時に罪悪感や己が存在に対する肯定感や否定感など


チャクラヒーリングなどで
クライアントさんの第一チャクラを覗き見するとき
その人をネガティブに支配するセルフイメージは
過去生からのトラウマやPTSD的体験や
生き方の癖であることももちろん多いのだけれど

十月十日の間に母親の胎内にて
自分に投げかけられた言葉や宿り主が抱く不安
父親たる人と母親たる人の感情的交流
そして出生後に体感した居心地の悪さや良さ
周囲の人たちから刷り込まれた自らの立ち位置
押し付けられた価値観や植え付けられたイメージ

そうしたものによって
殻や制限が加えられていることが圧倒的だったりする

得てして
外部から与えられたそれらは幻想にしか過ぎなく
当人の可能性を縛りつける重石のように機能し
偽りを信じ込み本当の自分を見誤らせるばかりか
人生の大半を無駄に消費させてしまう呪縛となる




だからこそ子離れ親離れといった自立
親と自分はまったく別の個性であり
別々の人間であるということを理解すること

決して自分は親の人生をなぞり模倣するために
生まれてきた存在などではなく
コピーやクローンとして創られた存在でもなく

ただ養育者として保護者として
学びのレッスンを与えてくれる相手として
人生の手ほどきをし
必要な環境を整えてくれる相手であると認識して

自分という存在は
彼らのためにあるものではなく
彼らを幸せにするため満足させるために
生まれたわけではなく

ただ自分のために
自分が自分としてあるためだけに
自分という個性をこの世で表現し
自分らしい人生を創造するために
この世に誕生してここにあるのだと

そのことを知って
親や家族というのはあくまで
自分の人生の構成要素の一部であるということ
自らが成長していくために乗り越えるべき存在で
そのために関わっていく存在であるということを
把握しておくべきである

その過程において
愛が育まれる場合もあるし削られる場合もある

だが
その人のもとに生まれたことそのものが愛なのである
その環境から得られるものすべてが
自分を育む愛という滋養なのである

自分がそこに生まれたことで
自分はすでに
親という名の人にとっくに愛を与えているし
親であるその人たちもまた愛を受け取っているのである

愛の恩送りは既にその時から始まっている

親子として生まれるものの間に貸し借りはないし
あったとしても生を受けた段階で既に解消されている

もし何か恩やギフトを与えたいと願うならば
子であるその人が自分の人生を生きることだけである
自分という人間の個性を花開かせ
満たされ充実した人生を生きることが
親に徳を与えることになる

親の期待や希望を叶えること
彼らの代わりに生きようとすることが
親のためになるわけがない
それは親と子のどちらもの人生をも腐敗させ
世の中に損失を与える生き方を選択することだ

彼らのエゴイズムを満足させるための傀儡となり
自らを殺して生きることは不徳以外の何物でもない




誰かのためになる生き方とは
誰かの偽りの欲望を叶えるために
その身代わりになることではない

子は命を親から
そして子孫は先祖から生を引き継ぐが
その人生も命も別々のもので
決して他人が完成させたかった映画の主役となり
与えられたシナリオと演出通りに演技をして
監督の操り人形としての役者をするために
その命が与えられているわけではない

自分の人生は自分のために
自分で監督になり演出家となり
自らが望むシナリオを書いて
主役として生きるためにこの世にある

誰しもがたった一つのオリジナルの人生を持っている

与えられたレールの上を走る機械的なコマとして
人の人生があるわけではない


・・・続く

ネイタルチャートの月の話〜自分語り

コロナ禍のお陰で暇つーか時間があるので
腰を据えてもっと役に立つ記事を書きなさいよって
思ったりもするのですが
備忘録的な自分記録日記もたまにはご勘弁を
興味のない人はすっ飛ばしてください

また占星学の話ですが説明ではないので
占星学や用語を知らない人には頭の上が「?」
となってしまうと思います ごめんなさい



さて
15年前占いの仕事をやめたとき
占星学の勉強も止めてしまって
書物などもほとんど全部手放してしまった私ですが
それでも時々チャートとかを見たりはするわけです
記憶が曖昧になり忘れてしまったことは知人に
「ねぇーこれってなんだったけー」
なんて聞いたりして(迷惑なやつだ)


マドモアゼル愛先生がご自身のYouTube動画で
「月は欠損である」と仰られているのを聞いて

なんかなるほどなーと納得したのでした

私のネイタル(誕生時)のチャートでの月は
双魚宮(天文学では魚座)に位置しているのですが
占星学的解釈だとこの配置の月は
「12サインで一番優しい」「他人の痛みがわかる」
みたいに言われちゃうわけです

いやそれって過大評価だから
と思うほどには違和感ずっとありましたのです

なるほどASC(上昇宮)も双魚宮だし
ここには土星もキロンもいるから
まったく嘘ではないかもしれない

けれどどちらかというと
「優しい人」や「他人の痛みがわかる人」に
見せかけるのがうまいというか
そのような人に見られる外観的特性は持っているけど
実際のところ

自分って優しいか?

って言うと そうではないのです

むしろ逆だと思う
全然優しくないですよ 

どちらかというとポラリティの反対側にある
処女宮(天文学的には乙女座)の特質があるような
そんな気がしていました

何故って
私は自分の感情も他人の感情も
これはどのようなところに由来する感情であろうかと
すぐ分析して分類分けしたがるからです

そして他人との間に境界線を引きたがるし
人間関係もファイリング整理して
どのような距離とスタンスで付き合うべき人なのか
その人に対して使う時間とか愛情の配分など
それを決めてから関わろうとするからです
常に相手の自分に対する対応(扱い)を見て
その人に対する対応を精査して調整しますし

女性同士のベタベタした
同性愛っぽい付き合い方や連帯感を求めてくる
あの雰囲気はめちゃ苦手だし嫌いだし

他人からされて
一番不快なのは土足で入り込まれること
こちらが心を開いてない相手から
馴れ馴れしくされることはもっとも嫌いで
生理的に受け付けないことだったりします

だからこちらが友人と思ってない人に
こちらが許している範囲以上に近づかれたり
好意や愛情を押し付けられると全力で逃げます
これは異性はもちろん同性でもダメですね
それされると嫌いになっちゃうんですよ

こういうのって
太陽があるところの天蝎宮(蠍座)っぽくもないし
やはり月の双魚宮って感じでもない
しいていうなら水星と火星と金星が
人馬宮(射手座)でオーバーロードしてるからかな?
まぁ土星があるところは一番の苦手分野でもあるから
双魚宮的なことが苦手といえばそうだ

はっきり言って同情という言葉はめちゃ嫌いですしね
双魚宮的なタイプって苦手だし嫌いといってもいい

ええ私は他人に同情できない人です

そう私はたぶん他人の気持ちって
それを理解することが一番苦手分野のような気がします
他人の心が一番わからない人
わかってあげられない人なんだってハイ

だからあえてこの共感能力を持って生まれたことで
この仕事を通して他人の感情を理解するための勉強を
今しているのでしょう

どうしても7ハウスはカスプ処女宮で
しかも天王星冥王星がコンジャクションで居座っているから
他人に対しては厳しく
裁判官みたいにジャッジする容赦のなさありますわ
人馬宮の水星はノーアスペクトで口は禍とすぐ暴走するし
なんていうのかな
相手の弱点をつく言葉が困ったことに私は得意なのです
相手が一番言われたくない言葉
その人を一番傷つける言葉とか
その人にとって痛いことを言って怒らすの得意だし
効果的に追い詰める言葉の毒針を使うのは得意です
あーこれは天蝎宮の天性なのかなあ

他人の気持ちを優しく労る心を持っていたならば
双魚宮的な寄り添いを身に付けられていたのなら
辛辣に相手を追い詰める言葉を得意とはしないでしょう

だから優しく見えるのは外見だけで
実際は優しくないですよっていつもホント思う


そして今のテーマは獅子宮(5ハウス)「与える愛」だなあ
昨日の満月は宝瓶宮(11ハウス)で「与えられる愛」

愛するのも愛されるのも苦手なアテクシ

一番苦手なことを突きつけられてる気がします


まぁ見た目は12サインで一番舐められやすい双魚宮ですね

2020/08/04

サロンお知らせ〜営業日のことなど

【サロンでの対面対応について】

コロナ対策として
基本的に一日お一人様限定で対応しています

そして
当サロンの入っているマンションの反対側で
建設工事が始まってしまったため
平日(月曜から土曜日)は音がうるさいです

ですので音を気にされる方は
昼間のセッションは日曜日及祝日
平日は音が静かになる
夕方16時以降のスタートがお勧めです

音を気にされない方は好きなスタート時間を
申し込み時にお伝えください 

※8/5現在 
8/9, 8/16の日曜日は受付終了してますので
8月の日祝で空いているのは8/10と23と30のみです


【Skypeでの遠隔(通信)対応について】

やはり平日昼間は音がありますので
気にされる方は上記の通り
工事の音のない時間帯がお勧めですが
昼間12-13時は工事の音が止んでいますので
対応可能です



そんな感じです

以上 お知らせでした


もともと製本と出版の町ですが
少し前は印刷業そして最近では
製本業の会社が次々と廃業されているようで
周辺はマンション建設ラッシュです

都会だと工事の音はしかたないのですが
ここに転居してきてからずっとなので
まいりますねー 
セッションがしやすい 音の心配のない
静かなところに暮らしたいぞぉっっ


2020/07/29

博多湾の亡霊〜大義なき戦の果てに

私のゲーム経験といえば
その昔にアーケードゲームやファミコンに興じて
最近ではPC上でのダウンロードゲーム(海外の)に
はまってたことがあるくらい
それも目の問題もあってやらなくなってしまった


もともとオンラインはやらないし
プレステとかwiiとかわざわざ買ってはやらないタイプ
(はまると抜け出せなくなるのがわかっていたので)



前置きはさておき 海外の翻訳掲示板によると
鎌倉時代の「元寇」を題材にした和風アクションゲーム
「ゴースト・オブ・ツシマ」というものが
たいそう評判がいいらしくその話題で持ちきり


なんでもグラフィックが素晴らしいのだとか


最初「ツシマ」を「津島」と脳内変換していたので
津島の亡霊?って何? 津島家という戦国大名が主役?
と勘違いしていたのだが「対馬」のことだったのね

とはいうもののこのビジュアルつかアート
鎌倉時代ちゃうやん 完全に戦国時代やん
つくづく侍のイメージって戦国時代なんだな
鎌倉武士の格好じゃないよ〜ってば思うけども
そういうツッコミは歴史家にまかせることにして

元寇にまつわる過去生の問題
この場合 
宿業といってもいいレッスンを背負っている人が
そういえばいたなあ・・・と思い出しました



神風(単なる台風)の由来でおなじみ「元寇」
「元朝」といえば
チンギスハンの孫クビライが開祖のモンゴル帝国
それが鎌倉時代に二度ほど日本に攻めてきた
当然ながら歴史の教科書で学びました<蒙古襲来

今の中国が抱く野望のごとく領土を広げて広げて
周辺諸国を侵略し属国化し東アジアと北アジアまで
西から東へと膨張しまくった征服王朝ですね

中国の歴史だと唐そして隋 五代十国を経て
南宋・金と明の間の時代に位置する国
そして唐以来の統一王朝のこと
(確か宋の時代くらいまでは日本の友好国だったかと)

元寇の背景や蘊蓄はさておき


その方・・・は
元側の兵士(司令官)として
博多湾にて亡くなられた人生を持つ方でした

実のところ
うちの生徒さんであった人ではあるものの
個人セッションでの過去生ヒーリングとか
解放ワークなどの過程において
知り得た情報というのではないので
文永の役か弘安の役のどっちであったのか
そこまでは見てないしわからないのですが

そして元側の司令官と言っても
モンゴル人というのではなく
属国である高麗の軍人さんだったのですね

だから本来 元の国の人間ではなく
元に侵略された側の人間ですから
元という国に対して愛国心はもちろんのこと
義理とか思い入れとかそういうのはないわけです

でも元の国の軍人そして代表として
日本を侵略しなくてはいけない
交渉が決裂した以上
戦を仕掛けて日本を打ち負かし征服する

乗り気でなくても
それをしないといけないわけです<立場上
ていうかある意味根っからの軍人で
任務であり仕事として
それを機械的に考えていたのでしょう

でもってそれは出来るって
さほど難しくないことだってそう思っていたのかなあ
少なくともこの方の過去生であるその男性は
そう鷹を括っていたみたいです<日本攻略

また乗り気ではない戦ではあるものの
戦うことに対して疑問ももたれてはいなかった
戦によって自分方にも相手方にも死者が出ること 
自分の部下が 民間人が命を落とすという現実に対して
あまり感情を動かされないというのかな

まるでそれを将棋の上の駒のように考えていて
単なる兵力・戦力として 
そんな風に戦の場における人間のことを
数字の上での数としてしか
カウントしていない人だったんですね

だからもちろん負傷して離脱する部下にも冷淡で
助かる命に手を差し伸べようともせず
戦力外であるのか戦力内であるのか
まだ"使える"兵力であるのか否かでしか
命のことを捉えられず図ること能わず

けれど軍人としてはそういう人の方が優秀なのかな
戦闘に勝つという目的がある以上
人情を持たず非情に徹せられる人の方が
有利なのでしょうか よくわかりませんけれど

とはいうものの
そういう方は上には受けはいいのでしょうが
部下にはまず慕われません

結果として この蒙古襲来は
神風という名の台風があったこと
自然災害によって元軍が壊滅的な被害を受けたことで
元側が撤退し敗北 日本の勝利?に終わりました

さてこの方のカルマというのは
この元寇における敗北のトラウマではありません

たまたまそれが元寇であったというだけで
この方の軍人としてのあり方というか姿勢
他者(部下や民間人)に対する扱い
命に対する考え方や態度などにありました

なんで自分たちが自分のたちの国でもない
自分たちを侵略した国のために表立って
最前線で戦わないといけない?

彼の部下も同僚もはてまた上司たる国のトップも
みんなそう考えていた戦です
いやいや戦闘に参加したものがほとんど
それでもやらなくちゃいけない
日本に対して戦をする理由も本来はないというのに
自分たちを侵略した国のために
仕掛けたくもない戦を仕掛けないといけない
逃げることも逆らうことも出来ない

そんなやるせない戦でまとまりもない連合軍の中
互いの胸のうちをわかりあいながら
なるべく自軍の犠牲者が少ない方向で
体裁だけの戦をすればいいと脱力していた
高麗の兵士も多かった中

司令官という立場にある彼は違っていたのです
全力でことにあたり 本気で立ち向かえと
傷ついた同胞を見捨て 土地を荒らし
勝ち戦に出ようとする彼に対して

「やりたくもない戦に巻き込みやがって!!」
「生きて帰りたかったのに」
「お前がもっとうまく立ち回ってくれてたなら」

というような怒りの矛先が
反発心とともに向いてしまい
それが恨みの念へと変わってしまったのです

この方のカルマは
「一人ひとりの命を軽んじてしまったこと」
部下の想いを 自国民の想いを理解しなかったこと

戦に参加したことが罪なのではないのです
部下を死なせてしまったことが罪でもないのです

もとより戦自体はこの人のせいではないし
戦に巻き込まれたこと自体 各自のカルマですし
時代のせいでもあります

殺人が合法化される
戦争という非人道的な行為の場においては
敵を何人殺したかが英雄視される場においては
どのような立場であったかではなく
どのような気持ちや目線でその仕事をしたか

が問題になるのです

このあたり先日のブログの内容と
対比する内容というか関連するとこですね

カルマになることないことというのには
「そこに愛はあるのかい?」と言う問いが
常に付き纏うけれども

共に闘う同志や仲間としての
同じ国の人間としての彼らへの想い
彼らへの命への哀惜の念があれば
違っていたのです

この場合 
理由なくして戦わねばならない日本人に対してもそう
自国民たる高麗だけでなく元に侵略されて
ともに戦わされている他国の人間に対しても

一人ひとりが異なる性格や人生を持つ個別の人間で
命を持っていること その重みを理解し 
そこを考えることのできる人であったならば

怒りや恨みを買うことはなかったでしょう




というのも
そうした集合体無意識の怨恨の念が
この方のその後の人生(幾多もの転生先)に
そして今生の人生に暗い影を落としていたからです

ちなみにこの人はそれ以前
奈良時代に日本人であったとき
蘇我氏の一族として日本に仏教をもたらした
功徳ある人であったのですが(聖徳太子には非ず)
そうした縁 善行でも庇いきれない影でありました


まあなんでそんな過去の人生がわかったかというと
この方がとある集団とともに
今生でかの地に行く機会があり
当時の彼らを恨むグループエレメンタルたちに
「殺してやる」とばかりに
襲われたからなんですね

すなわち「対馬の亡霊」というよりは
「博多湾の亡霊」に襲われたと・・・
いやさ対馬や隠岐の亡霊も含まれてたでしょうが
日本側の被害者というよりは
自国(高麗)の兵士たちの怨念でできた
グループエレメンタルでしたので


幸い力を持った能力者さんがいたので
最悪のパターンは避けられましたれども

(私は個人のカルマのレッスンを知り得て
この問題についてどんなふうに考えるべきか
彼らの無念に対してどのような姿勢で応えるべきか等
当人が気づくべき学びなどを伝えることは出来ますが
こんな強大なグループエレメンタル
土地に染み付いた怨念の塊と対峙して
それらをどうこうするってそんな力は持ってないっす)


ていいますか
この方が過去に人として未成熟な人であったとしても
今生に至るまでに成長し心を育んでいたならば
今の人生で他人を大事にできる人になっていたならば
そのようなことも起こらなかったというのもあります

彼らの怒りをそこまでは買わなかったというのかな

心で反省もせず 知ろうともせず 
災厄だけを免れようとして形だけのことをして 
大切なことを相変わらずおざなりなことをしているから
恨みは解けないのだけれども

耳を傾けない 理解しない人にとっては
同じ経験を繰り返し体験して
体で 痛みとして何度も味わうしかないのでしょう



そんな風に私たちは過去自ら犯した罪からも
今の自分の成長度合いを見られてもいるのです
(ちょっと脅すような書き方ですねっっ汗)

他人(集団)から怨まれるっていうのは
こういうことなんです
その人生というよりその後の人生つまり
来世で人生を疎外し邪魔する禍の種を作るってこと



そして九州北部で起きたこととはいえ
九州各所の豪族や武家も国防に参加しているので
もしかして 
うちのご先祖様も参加?
とも思ったけど
北条の世になったとはいえ
鎌倉時代じゃまだ出自隠して
息を潜めてただろうから
まず行ってないであろう

2020/07/28

任務遂行と人情の狭間で

コロナ禍からのこの世相で
集合体意識としてのグループエレメンタルは勿論のこと
どうしても過去の未消化な想念(エレメンタル)が
刺激されてざわざわしてしまう人はいるだろうなと
そう思ってたわりには
そのような相談が持ち込まれることなかったんですけど

この時期になって身近なところで
過去の傷口が開いてしまった方がいたのでした



定期的にレッスンに来て下さっている生徒さん
自粛期間中はずっと
ビデオ通話でのリモートレッスンだったのですが
数か月ぶりの対面にて
なんか胸のあたりがちょっともやもやするとのことで
チャクラのチェック及びクリアニングでもという話に
とはいうものの
私は誘導に徹してのほぼセルフヒーリング
(手抜き? いやさレッスンですもん←言い訳か)


疼いていた傷は第4チャクラにありました

ペストが流行っていた中世において
患者の出た町や村の人たちを閉鎖隔離し
死にかけた人々 罹患した人々を
まとめて"処理"する
いわゆる国側のお仕事をしていた時の記憶

医師ではなく 兵士といいましょうか
現代でいうと警察とか役人とかそんな職務で

彼だったその人が
ことに当たらなければならなくなった
すなわち処理しなければならなかった
その村のこと人々のことを彼はよく知っていました

よく見知った人たち

そのような不測の事態が起きなければ
職業柄決して近い距離ではなく
とくに親しくしていたわけではないけれど
普通に何か有事の際や機会あった時には
挨拶や世間話を交わす関係性だったわけです

でも命令となれば 任務であるならば

黒い悪魔・・・疫病が広がらぬうちに
まだ罹患していない健康な人がいるとか
助かりそうな人がいるとかいないとか
そんなことは関係なしに遺体も何もかもすべて
村ごとひとつ消滅させなくてはならない

なぜそんなことをしなくてはならないのだとか
本当にそれしか方法がないのだろうかと
疑問に思ったとしても
人としての感情がそれに抵抗を示したとしても

「やりたくない」と心が叫んだとしても

遂行しなくてはならない
逆らうことのできない立場の人というのもいるのです

今の時代で法治国家であるならば
自らの意志で拒絶もできるけれど
おかしいことは「おかしい」と声を大にして叫び
世間に是非を問うこともできるけれど

過去の時代で法治国家ではない国においては
権力に従って長いものにまかれて
傀儡にならざるをえなかった
そんな立場の人もたくさんいたわけです

その後 彼自身はペストから生き延び
任務を退いてからは良心の呵責から
自責の念に苛まれ 自暴自棄に陥り
孤独な隠者生活を自分に与えてしまったようです

けれど幸いなことに
彼のことを人々は恨んでいませんでした

誰かがやらなければいけないことだった
彼が彼等を殺さなかったとしたら
誰か別の人がその役割を担い彼等を殺していた

彼がやらなくてもどのみち彼等は殺されていた

そして彼等・・・は

「他の無慈悲な人たちに
 ゴミのように殺されるよりは
 あなたのような人の手で命を断たれたこと
 良かったと思ってる」

どうせ殺されるならば
どのみち誰かの手によって命を奪われる身であるならば
心ある人に 自分たちが見知っている人に
人としての悔恨の念を持つことの出来る情けを持つ人に 
自分たちの命を痛み 
弔いの気持ちを持ち続けることのできる人に
罪の意識を持てる人に手にかけられて
いくぶんか自分たちはましであったと


彼ら・・・は
ずっと悔恨の日々を送っていた彼のことを
肉体を無くしたあとも見ていたんですね 

それを知っていたからこそ
この時期になって和解ができたのでしょう



なんかここでまた「銀の匙」だったかな
「百姓貴族」だったかもしれないけど
屠殺の仕事を辞めたいと言っていた人に
「あなたのような
 命の重さを知っている人にこそ
 この仕事をして欲しい」と
誰かがそう告げていたセリフを思い出しました


過去の時代において
大規模な伝染病や感染症が流行った時
場所や国によっては
似たような状況が幾度となく起こり
上記のようなこともあったかも知れません


助けられなかった命 失った命
死ななくてもよかった命
奪いたくないのに奪うことになってしまった命

救えなかったことで苦しんだ人が何人いたでしょうか

仕事で 自らの職務で
人を殺すことに苦しんだ人もいます
それが正義なのか何なのかわからないままに
大きな心の痛みを抱えて
苦しみの重石を心に残したまま生まれ変わって
そして今の世相に古傷が疼き出して
自分のしたことを水面下で責め始めるのです



そういえばその方は
「アンリ・サンソンのような人になりたい」と
彼のような生き方が理想であると言っていました
(漫画「イノサン」を薦めたのは私ですがっっ)

どうせ死を免れられぬ人々であるならば
その苦しみを長引かせずなるべく苦しめず
ひと思いに できるだけ楽な方法で
一瞬にして"死"への道行へと誘ってあげたい

アンリ・サンソンの置かれた過酷な状況と
気高い生き方には私も敬服するばかりですが


そうかこの人生での体験と後悔からだったのだなと
納得しうなづくばかりです

 

2020/07/24

未だ生を知らず 焉んぞ死を知らん

眠い人が眠るように 
瀕死の人は死を必要としているのです 
抵抗が間違いで無駄だというときが いずれきますよ 
by サルバドール・ダリ 


不幸な人間にとって
死とは無期懲役の減刑である
by アレクサンダー・チェイス 


どのみち死なねばならぬなら 
私は なっとくして死にたいのだ 
by 梅崎春生



ちなみにタイトルは孔子の言葉


先日の嘱託殺人の記事を見て


記事をざっくりと読んだだけでは
あくまで概要からの
個人的な感想 感情的な意見を持ち得るだけで
かといって詳細を知り得たところで
何が良かったのか悪かったのか
ことの是非や真偽を問える立場にはないのだが


一瞬の感想としては
もし医師が患者の願いを聞き届けただけならば
それは医師として人としての立場からの
患者への救済であったのではと
そう思うし思いたいけれど 
判断するには全容を知らぬものとして
軽率であるし意見を言うには早計すぎる

これまでにこちらのブログの過去記事でも
自殺はよくないことと何度なく書いてきた


但し 
例外というのはどんな事象にもあるもの

実のところ どのような思いや状況下で
その人が自死を選ばざるを得なかったのか
そのようなことが測られ考慮されるべきなので

生きることからの逃避からなのか
他者を救うことのための死の選択であるのか等
そうでないのか否かなど

例えば
即身仏は自死にあらず
だし


登山の事故などで他者を助けるために
繋がったザイルを切って死を選ぶこと
自らを捨て置いて先に行ってくれと頼み
他者の足手まといにならぬよう
自らを助けようとするものの手を振り切り
そのように生きることをあきらめることも
自死にあらず

(そして
彼らの死によって生き延びた人
手を差し伸べること能わず
共に逃げること叶わなかった人というのは
決して彼らを"見捨てた"などという人ではなく
彼らから生を分け与えられ"命を託された人"であるのだ)


もちろん状況によるが
非常事態(戦争や洗脳や特異な支配下)における
強要されての自死なども自死には当たらない
死することで国や誰かの秘密や名誉を守り
大勢を救うための選択も同じこと

切腹も自死に当たらないケースがほとんどで
(三島由紀夫のケースは単なる自殺だが)
江戸時代の切腹は単純に言えば刑死であるし


自ら死期を選んで旅立つ人の場合は
これまた自死には相当しない
生の終わりを自分で決めて
引き際を自ら決めた人たちということで
(とはいうものの
これはある程度の霊的成長を遂げた者の話
アメリカインディアンの
「今日は死ぬのに良い日」など参照のこと)

そして自殺には仕組まれた死というか
カルマのレッスンによる自殺というのもあり
その死には償いの意味だったり
愛の実践だったりレッスンは様々で
決してどれも同じ理由ではないけれど

人類のために
同胞に問いを投げかけるために
世の中を変える原動力となり得るために

自らを贄として
その命を投げ出すことをする
そのような死もあるので

あるいは身近な人のカルマを背負っての
身代わりの死もあったりすし

そのような自死は自殺(殺人)に当たらず
それを幇助したものも勿論
殺人を犯したことにはならない

もちろん現実世界では法律が重んじられる
だから精神世界というか
霊的なルールと必ずしもそれらは一致しないし
しなくても当然だと言える
それらの間にはなかなか埋められぬ乖離がある


現実世界における法のあり方についての
ルールとしていることに対する問いでもあるので

大切なのはこれらのことから
私たちが何を学ぶべきかということ

死とは何か 命とは 生とは
生きるということはどういうことなのか
死の尊厳とは何か 
生きる自由 死ぬ自由

自由のない身体で生き続けることが人としての尊厳なのか
当人でなく他者の願いだけで生きることに幸福があるのか
たくさんの管を差し込まれ
がんじがらめに束縛された状態で
排便も食事もままならぬ状態で生きることは人と言えるのか

自分がそのような状態になったら何を望むのか


生ある単なる肉塊となってしまった
青年の生の尊厳を描いた
映画「ジョニーは戦場へ行った」を思い出しもするけれど
(あれは医療従事者の患者の扱いに対する問いもあったが)

生かされるも地獄という状況もあるのである
それでも生きていたいという人ももちろんいる
そんな状態になっていても奇跡を信じ
生きていて欲しいと願う家族もいる
看病が負担で嵩張る入院費に苦しむ家族もいる
口にこそできないが密かに死を願う家族もいる

家族の意見と当人の意見が
必ずしも一致するということばかりでもない

生きていたいと望むこと 
人として扱われていたいと欲する感情に罪はない

誰が悪いわけでなく それぞれが真実なだけ

だからこそ落としどころが難しい

 
エゴイズムのないところで考えるべきではあるが
これが正解という答えはたぶんどこにもない


カルマのレッスンにおいては
過去の学びとして
どんな状況になっても生きなくてはならない
という課題を抱えた人もいるけれど

そんな地獄の苦しみを
今生で味あわなればいけない人がいるというのも
そういう人がいるのも確かに事実だけれども・・・


でもそのような苦しみの中にいる人に
「ざまあみろ 因果応報だよ」と言い切るのではなく
そこから人としてのあり方 

人間としての心でもって ことの是非を考えて
その人を救済しようという
慈悲と慈愛の心を学び実践することこそ
世にも人にも問われているという

そのような苦しみを味わう人を
少しでも減らしていくべきであるという

一人ひとりへの 全体性の愛の学びが隠れているのです



何が正しいのか正しくないのか
何が良くて良くなくて悪いのか

はっきりいって正解はない 間違いもない

裁きも必要ない 心を裁くことは出来ない
人が人を裁くことなんて本当は出来ない

その権利なんて 実際のところ誰も持っていない

この世のルールとあの世のルールは同じではない


でも私たちは
この世のルールを守るべきであるし
私たちで作ったり変えていく責任がある
法律は一人ひとりが考えて作っていくべきこと
みんなが声をあげていくべきこと

裁きの場にも愛と人間らしい感情は必要だと

法律は現実社会で起きたことを
現実社会のコミュニティの中で生きる上で
私たちで作ったルールで
司法も警察もそれらを遵守するために存在して

義務と権利と責任の所在を明らかにするために
機能するべきものだけれど

だが法がすべてではあってはならないし
法のみがすべを決めることであってはならない

法は良心のもとにあるべきで
法が人の道や道徳に勝るものであってはならないし
法がすべてにおいて優先される世の中であってはならない

法は愛ある世界を壊すものではなく
愛ある世界の秩序を守るものであるべきなのである




さて自分ならどうしたいと思うだろう

私なら 死を選ぶだろう
不自由な肉体を捨てて
次の人生へと旅立つことを望むだろう
自らで選択できれば良いけれど
そうでない場合が厄介とも思うから


誰かに罪を負わせるのならば
その時はどうすればいいのか悩むだろう


理想の死としては
アフリカのサバンナで夕陽を見ながら死を迎えて 
動物たちの餌となるのが夢だけども
(完全に息絶えてからね)

とはいうものの
邦人が野生動物に喰われたってニュースになっちゃうか
それで動物たちが成敗されたらとんだ冤罪だし
やっぱりチベットで鳥葬がいいです 

それが無理なら遺灰は海に撒いて魚の餌にしてほしい
もしくは森の木の栄養分になりたい

墓はいらない 葬式も戒名も無用です





死は救いとは言いながら
そうは悟りきれぬものである
by 大佛次郎


心が整理された者にとって
死は次なる大いなる冒険にすぎない
by アルバス・ダンブルドア


一代聖教みな尽きて 
南無阿弥陀仏に成り果てぬ
我が亡骸は野に捨て獣に施すべし
by 一遍

2020/07/22

太陽獅子座入り〜自分語り

昔ママがまだ若くて
小さなあたしを抱いてた
月がもっと遠くにあった頃

工場は黒い煙を吐き出し
街は激しく
この子が大きくなるのを祈ってた

by レベッカ「Moon」


昨日は蟹座新月
アストロロジーのネイタルチャートで見たとき
私の4ハウスでの新月

人生の折り返し地点をとっくに過ぎ
まだ終わりというわけではないだろうが
最近はよく昔のことを思い出す

色々と辛いことしんどいことたくさんあった人生
二度の交通事故や膠原病をはじめとした様々な疾患
友人に裏切られたり騙されたりもあったし
この個性のおかげで普通の社会生活を送れず
仕事も続けられず挫折もいっぱいしたし
トラブルもたくさん引き寄せて
壊してきたものもたくさんある
機能不全でいびつな家庭環境に生まれてしまったせいで
死にたいと何度も思うような出来事もたくさんあったが

それでもまあこの人生からの学びは大きい
この人生でよかったかと言われれば
まだわからないのだが
この人生にしてしまったのは自分なので
たぶんこの人生しか生きられなかったのだろう
そしてこの人生を生きることは必然でもあったのだろう

そして自分は
とても良い時代に生まれたのだなあと痛感したり
改めて恵まれていたことを再発見したりもする


今はもう都民としての住民歴の方が長いが
地元は千葉県の東京湾沿い
東京湾沿いといっても千葉港から八幡宿辺りまでは
川崎製鉄(現JFE)の巨大な工場地帯であるので
潮の香りが届く程度に海は近いと言えば近いが 
海水浴場に行こうと思えば
稲毛の人工浜か木更津か君津
もしくは外房の御宿や九十九里など
近いとこでも1時間はかかる場所

川崎製鉄の発展とともにあり
その恩恵のもとに繁栄した町で
東京都ドーナツ化現象のおかげもあって
都内や地方からの移住者の多い町だった
そして製鉄業の衰退とともに廃れ寂れた町

朝は工場内の港に停泊する船の汽笛の音が届き
昼には光化学スモッグ注意報が流れ
夜には24時間 真夜中も稼働している工場の
窯の炎の色が 西の空を真っ赤に染めている

23区住まいでは空や太陽はあきらめるのが常だが
首都圏で都心部に属してはいるものの
まだまだ千葉は半田舎 
住宅街にある実家は東西南北日当たりよく
家の中にいても日焼けできる

窓の側に寝っ転がって空を仰げば
あれはガルーダ航空 パンアメリカン
ANAだのJALだのエールフランスなどなど
航空会社のロゴも鮮やかに
往来し頭上を通過する飛行機を眺めることができる
(墜ちてきたらどうしようと思うくらいには近い距離)
そんな飛行場に行かずとも飛行機が見れる毎日

成田空港反対のデモやバリケード作る
中核派に絡まれたり右翼や左翼と喧嘩した
向こう見ずな若き日も昔のこと

東京ではお盆は7月だが千葉は8月(田舎は9月だった)
子供会の行事など 
夏といえば必ず海水浴がお約束で春には潮干狩り
内房は館山や富津や白浜 外房の御宿や勝浦など
マザー牧場や鴨川シーランド 行川アイランド
谷津遊園に船橋ヘルスセンター 都内へは後楽園 

田舎に帰省するときには東京駅から寝台列車
瀬戸内海で夜が明けて 翌日の昼間に駅に着く
そこから一日二本しかないバスで二時間
田舎はワンダーランドだった

小学校では喘息や気管支炎を患う
クラスメイトがほとんどというのが
工場地帯の煙の下暮らす私たちの当たり前

中学は校内暴力の時代
窓ガラスはいつもどこか割れていて 
クラス全員あるいは全校生徒が一団となって
授業をボイコットしたり 全校集会でヤジ飛ばして
先生たちを糾弾することもあった
窃盗品の横流しを買わないかともちかけられたり
クスリや刃物を持ち込む893の息子もいたり
クラスメイトを逮捕するために警察がきたり
アンパンやトルエンとかでラリってる同級生たち

何が起きてもふーんと流せて動じなくなるくらいには
毎日事件だらけで刺激的な日々だった
(今の時代だと考えられないことだよなあ)

高校時代はひたすらバイトの日々
授業さぼって稲毛の浜で海を眺めたり
バイト終わりには仲間たちと飲み歩いて
駅で夜明かし二日酔いで保健室に直行したり

でも悪いことといったら
酒とタバコとサボタージュくらい
悪いことに誘われたこともないわけでもないが
根がオタクだし正義感も一丁前に持ち合わせてたから
そういうことには興味なく手を染めずに済んだ
(友人とスクーター二人乗りして
追いかけられたくらいか<逃げ切った)


なんかまあ そんな破天荒な現実の合間に
キテレツな不思議体験もたくさんして
なんだかんだ濃厚な人生を生きた気がする



最近色々と思うことあって
自分は若い頃に人生の手本にすべき師匠というか
バイブルみたいなものに出会えていたんだって

ああこの人の生き方がもうすべての答えではないかと

うん
この時期に
ハマショーをいまさらあれやこれや聞いていたのだけど

自分のスタイルとやり方を貫くこの人の姿や音楽が
私にものすごく多大な影響を与えてくれていて
そこにすべての答えがあるじゃんって
そう思ったらこれでいいんだって着地点を見出しましたのよ
誠実に生きるってことをこの人に教えてもらえてる

そういえば省吾は山羊座太陽だったなあ


関係ないけど
手塚治虫という巨匠が生きている間に間近に見れたし
長嶋茂雄さんともちょこっと会話したことあるし
(パーティで誘導しただけだから会話のうちにならんか)

ホンモノって言われる人のオーラに触れられたってだけで
なんか人生得しているよなって前向きに考えようと思います

だからニセモノはいらない

本物はいつだって風格が違う
売れないときからも売れてからも
いつもマイペースでその人らしい
そして人間らしく暖かい
色んな人に媚びを売られる立場になってからも
人に頭を下げる謙虚さがあって決して奢らない

紛い物に熱中する暇があったら
本物に触れて 自分を磨こうっと・・・

そして最近 無性に海が見たくてたまらない

自分が育ったのは湾岸の工場地帯で
海の側というわけではないのだけれども
千葉県民というとやはり海なのだ
東京湾と太平洋の二つの海

昔は地元が好きではなかったが
去年の台風被害のときに
自分にも郷土愛(千葉愛)というものが
あるのを発見して驚いたくらいで

なんか本当に海がみたい
東京の海ではなく千葉の海
あの真っ青な空と白い砂浜と青い海
記憶の中のあの青い海を
死ぬ前までにもう一度見てから死にたいなあ

今は行き来できないもんなあ



さてまた話変わって

自分もなんですが
母方は本当に音楽とにかく歌が好きな人が多くて
叔父も叔母もカラオケできないと楽しみなくて
死んでしまう・・・みたいな人たちっっ

どうしてかなと思ったときに

母方の祖父のご先祖様って
京都から持ち出し 壇ノ浦の海に沈むはずだった
雅楽器をなんとかかんとか持ち出して
800年間大切にしてた人たちだったんだよね
満月の夜には雅楽の宴を催す風習があったらしいし
(長持ちの中に大切に保管されてたんだって)

結局75年前の戦争で全部無くなってしまい
最後に残っていた平家琵琶も
ご飯を炊く時の薪になってしまった(戦中)

私も過去生で音楽とか歌とかやってたことないし
歌手になりたいとかは一度も思ったことないし
楽器を演奏する才能はまったくないのだけど
(母は三味線やってましたけどね)

音楽好きってのはご先祖様の影響というか
血なのかなあ・・・なんて少し思ったりします

とはいうものの
生きるか死ぬかの戦場に楽器を持っていくなんて
なんてお気楽な人たちなのだろう
うちのご先祖ってっっ
だから負けるんでしょ<平家

そんな私は判官びいきな義経好き


2020/07/20

未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ④

歌手や音楽家 
役者というのは確かに職業であり
アーティストや表現者としての一職種ではあるが
生きていくための生業としてではなく
おのが魂のミッションを燃焼させるがために
その道に進むものも多い

そのような人の中には
生きている人間のためでなく
死んだ人たちのために
鎮魂のため 慰霊のため
歌を歌うことをしている歌手もいる

今生での何らかの犠牲者への追悼で
そのような場所で歌う機会を得ることもあろうが
自らの歌い手 演奏家としての人生そのものが
まさにそれに捧げられた道という人もいる

商業的な成功をするがためではなく そのためでなく
無名ではあるが ただ自分の魂を奏でるだけの人生
何故ならば生きている人のためではなく
肉体を持たぬもの亡き人たちのため
土地や神々 自然に宿るもの 姿なきものたち
そうした存在に捧げられし音楽(歌)だから
今生では現実的な対価はあまり得られないだろう
(だからこそ現世利益
現実的な成功を追求すると得てして不幸になる)

 
過去に存在した死者のために
彼らを慰めるために
行き先を見失った想いを出口へと導き
無念さや当て所ない悲しみや苦しみを
光へと照らし出し導くかのように

今はもう亡き人々の生きた証を残し
その時確かに存在し呼吸していた彼らの
功績を讃えるために 彼らが忘れ去られぬように
彼らの人生や生き様を忘却の彼方へと沈めぬように
人々の記憶に止めおこうと 生を蘇らせるように

自らの身体を彼らの想いの依代とし表現する役者もいる




前回にも
今生でソングライターや歌い手になる人たちの
過去生の職業とかについて触れたが

それ以外にも
巫女(シャーマン)として
神に祈りを捧げる"うたい"を行っていたもの
あるいは呪歌や死者を弔うために霊媒として
"おらぶ"をしていた人たちもいたりする

Coccoなどがそのタイプの典型だったりするかな


そしてこのようなタイプは
精神的にも不安定な人たちが多く
様々なことに敏感でとても繊細すぎるし
役にハマるというか入り込みすぎてしまうので
現実を生きるにはしんどい人たちだ
精神の均衡 バランスを取ることが非常に難しい

困ったことに一歩間違えれば
自分の人生を他者の意識や想念(エレメンタル)に
乗っ取られやすいし
それがために本当の自分を見失いやすくもある

こういう人は周囲の理解とサポートが必須だ

中には中心軸にいる自分を見失わず
現実と虚構の中をうまく行き来するという
バランス感覚に秀でており 
賢者か隠者のように 
ストイックな表現者であり続けられる人もいるのだが

例えば緒形拳さんなんか
菩薩の顔と阿修羅の顔の両方を持ち
役によってその顔を使い分けることのできる
本当に貴重で稀有な役者さんだった
(仕掛け人の梅安さん大好きや〜)

けれど残念なことに最近の役者さんは
若い魂の人が多く 頑張ってはいるが
如何せん過去の人生経験値が足りてない
人間的な奥行きや深みが出てくる域には達していない

昨今では
セリフなしの間合いあるいはたった一言の言葉で
表情ひとつ 佇まいひとつで
"すべて"を伝えられる役者さんがいなくなった

歌い手さんもそう
声も伸びるしテクニックは素晴らしいんだけど
極めて個人的な体験や感情だけで歌ってて
背景の深いところの洞察や経験が足りてないから
上手いなあ凄いなあパワフルだなぁだけで終わっちゃう
一瞬の感動と娯楽的な喜びは与えてくれるけど
魂の琴線に届いて もっとその奥底
深い無意識の底に沈みきった何かを揺り動かす
そういうのが無い人ばかりなんだよね 
(それが悪いってわけではないよ)

そして色んな人と話していて皆いうのが
最近の歌手の人って
声が声として聞こえないんだよね 単なる音なの 
あえて言うなら叫び声 下手すりゃ騒音
声として聞こえないから歌詞が耳に入ってこないし
歌詞の意味が 物語が全然頭に入らない
歌詞カード見ないことには何の歌だかわからない
楽器の一部としての曲の構成要素なんだわ 声=音

言葉としての機能を果たしてないのよ
言葉の羅列ではなく 意味のない音の集合体になってる
格好いいといえばそうだけど もはや歌(唄)ではない
人間が歌っている感じもしない 冷たいAIみたい

まぁ成長過程ということで
成熟に至るまでは見守る段階?
これはもう致し方ない
魂の古株であった俳優さんたちが
次々と世を去ってしまった昨今の時代では


もちろん罪の贖いとして 懺悔として
過去の自分が殺めてしまった命を
その命を重みを伝えるがため
他者の人生を表現している人もいる

自分が軽視してきた一個の人の命
軽んじた他人の人生 その心 思い
それらを理解するがためのごとく
自分以外の人間にも秘めた思いや叶えたい夢や
守りたい人や様々な感情があったのだと
そのようなことを学びのレッスンとして

他人を 他人の人生を知るために
他人の命への慈しみ 複雑な感情を育てるために
表現者として無理やりに他者の人生を模倣することで
自分以外の人が何を考えているのか思っているのか

他人にも人権や人生があることを知るための機会として

そのような職業へと導かれている人たちもいる

表現者としての役者(俳優女優)をすることで
彼らがそうした学びをクリアできるかできているのか

たぶん観客である私たちが決めることだろう
大根役者というレッテルなどの評価とともに 

その人の演技に感動するのかしないのか
嘘くさいと思うのか リアリテイを感じるのか
芝居から離れたときの一個人であるその人に
人間的魅力を感じるのかそうでないのかetc


そんな風に
過去の生き方の反省をするために
犯した罪を知り それを償うために
欠如欠落している感情を育て学ぶために
命の重さや他者の心を知るために
人としての生き方を学ぶために

生きられなかった人生をやり直したり
自分が殺めてしまった命を称えるために

他人の人生を演じるという
職業へと進んでいる人もいます

もちろんその逆もしかり




さて

芸能人というのかな
歌い手さんにしても役者(俳優女優)さんにしても
テレビに出ている有名人とされる人たちは
(芸人でもタレントさんでも伝統芸能の人でも何でも)
ファンに対しても一般の人たちに対しても
社会においてある一定の影響力を持っているわけです

発言することで流行を作り出して
経済を活性化することもできるし
思想や行動を左右したり洗脳する力も持ってる


中には
少し前に話題になった"桜の会"とか園遊会とか
そういう政治とか経済とか国の中枢にいる人たちと
接することのできる立場にいたりするじゃないですか
友達になったりあれやこれや

もちろんマスメディアとも持ちつ持たれつの関係で
餌食にもなるけど同時に協力関係を築く事も出来るし
権力者ともだし流行を扇動して人々の意識を操り
プロパカンダを行う立場の人たちとも
非常に近いところにいるっていうのかな

お近づきになって親しいってだけでなく
テレビ局の大物とか企業の社長さん政治家とかと
結婚したり愛人になる女優さんも多いわけですよ

でもって
過去記事「個人のカルマ」か何かでも書きましたが
※マリリン・モンローのカルマ参照のこと

こういう人たちは
自分たちの影響力を過小評価しちゃだめなのね

演技力とか実力でその立場に立ったにしても
運や恵まれた容姿とかを生かしてのことでも
歌手や女優さんになったあとに
芸能界とかテレビに出れたことが縁になって
ある一定の権力とか力を持っている
その種の人たちと結婚できるってことは

そういう人たちのパートナーとして
家庭の中で家族として物を言えて
人として強い影響を与えることができる存在になり
ある意味で彼らの財産や権力も同等に使える力を
得るって言うことだから
そこには天命というかミッションがあるのね

ただ奥さんの座に甘じてたらダメなのよ
うん自分たちのセレブ生活をエンジョイしたり
ブログで誇示して自慢している場合じゃなくてね

(そういう相手と離婚や破局はしちゃったけど
紗栄子ちゃんなんかは自分のミッションを果たせている
稀有な存在だよね 大好きで応援しています 可愛いし❤️)


もち男性芸能人の場合も同じ

もともと庶民というか一般家庭に育った人ならなおさら

今の政治家や経済人は苦労知らずの
おぼっちゃま二世三世も多いじゃない?
(カップ麺の値段や電車の乗り方も知らない永田町族)

政治家や企業のトップ メディアなど
中枢にいる人たちと接することのできる人はね
またそういう人たちをファンにできている
アーティストや芸能人やミュージシャンは特にね

そういう人たちに庶民の声を届けないとアカンの
生の声をね 民意っていうのかな
そういうのを伝えられる立場なんだから

声に出すべきことを声にして
ファンにしても
自分がその立場を利用して接することのできる人に対しては
相手を教育し啓蒙するというか 
自分が持つことのできる影響力を行使して
その立場を利用して
「疑問」を投げかけて 伝えるべきことを伝えて
行動していかないといかんのよ

今の時代の芸能人とか表現者の人たちはね
ミッションがあってその立場に皆いるのだから

スポーツマンとかもそうだよね

それがための一般人より高い給料と報酬
それを世の中から与えられているのだから



「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
って言っている人にね

その人たちと仲良くして
自分たちの便宜をよくしてもらったり
恩恵を預かっているだけではダメなのよ
それはとぉっても深い罪(業)になる

自分たちのいるポジションからできることを
何もしないやらない発言しないってことはね

やらないことはやることよりも罪だから


対して実力もなくて
事務所の力と容姿のよさだけで
アイドルや有名になれた人ならなおさら

自分が政治家になったり
社長になろうとする人もいるけど
(中にはそれが天命というかOKな人もいるけど)
それは違う

たまたま幸運を掴めた結果
今の自分がいるって思う人ならば
特にここはよく考えるべきだよねぇ

自分が社会やファンに対して
影響力を持っている存在であるってことは
ちゃんと上手く利用していかないといけない

何を表現できるかってのももちろん大切だし
その人自身の望みを叶えたり求めるものを
得てはいけないっていうことではなくて

やるべきこともあってそのポジションにいるってこと
自分が"生かされている"ってこと知らないとダメですがね

そこ吐き違えて 違う道つーか
誤ったとこ行っちゃってる人多いよね

カルマのレッスン クリアできず
ミッションに背いちゃっている人
本当に多い 残念なことに

流されちゃっているというか
染まっちゃうというか
堕落に導かれる誘惑が多い世界だから
仕方ないのかもなーと思いつつ
(へんな宗教や胡散臭い人に頼ってる人も減らんし)

一番胡散臭いお前がいうな??

てなわけで今の時代は
エンターティメントの世界の人は
エンターティメントの能力やスキルだけを
磨いていてはいけないって時代なんですよ

ある意味 その昔の時代に
宗教や宗教家たちが受け持っていた役割を
同胞である大衆に対して担っているから

それがためのその仕事 をさせられている人の方が多いから


そしてこれまだ続く・・・のか? 謎
ネタ切れではないけど どうしようかな

少し飽きてきた・・・らしい

2020/07/17

未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ③

その歌をライブで聞いたことももちろんのこと
CDも一時期は持っていて(今は手放してしまった)
友人の昔からの友人になる人なのだけれども
※昔はメジャーだったけど今はインディーズの人

プライベートでお会いする機会があった時に
ものすごく重たいカルマを背負っている人なのだなあ
と実感した人がいた

その人のパワフルな歌声からは 密かに 
血を吸った 乾いた大地の痛みの声が聞こえる

血の匂いっていうか ジェノサイドの匂い

嘆きの民族が大量に殺戮された憤怒の叫び声

一族を根絶やしにされた 声にならない嗚咽と悲しみ

「ああ 
 この人はその傷を癒すために歌っているんだ
 彼らの魂を慰めるために 
 仲間の死を痛み 弔うために
 確かにあの日あの時 確実に生きていた
 一人ひとりの命を讃えるために
 歌い続けているんだ」

そんな風に思ったのを覚えてる

でももちろんその人がその人生に導かれたのも
その前の人生の因果関係が理由としてあってのこと
だから二重の意味での重石を背負っているとも言える

それを理解し
その重石を軽くしようと手を差し伸べて
共に背負ってくれた人がいたのは救いであったけど
その人を失った今もその人は歌い続けている

その姿がとっても痛々しくもあるのだが・・・

いつか彼女が光を抱けますように

と祈らずにはいられない




そんな風に 慰霊をするがごとく
自らの過去を葬りもしくは讃えるために
これまでに生きた幾多の人生での想いを
昇華するために歌を歌い 音に想いを託し 
楽器を奏 詩を書き 曲を作る人は多い

画家や小説家(脚本家)や映画監督などもそうだが
※漫画家も


それ以外で歌手というか まあ
ソングライターな人の中には

「ああ この人 吟遊詩人だったんだな」
という人が多かったりする

あと"プルチネッラ"とか"旅芸人"系統の人

こういう人たちは当然ながら
役者としての演技もできる

歌唱力に定評のあるバンドAのTさんなんかは
まさに吟遊詩人だったんだなあって超わかりやすい

友人がAのライブのプロモーター会社にいたので
常にギターを離さずいつでもどこでも
即興の歌を一日中作るのを楽屋や移動の際に
いつも聞かされていたのだそう
(友人のおかげでただでチケットもらったお
 <しかし単なるアリーナ空席の穴埋め
  アリーナ空いてるとアレだから)


吟遊詩人ってどんなん?っていうと
60年代の映画「ロミオとジュリエット」の
二人が出会うシーンで歌ってるお兄さん
と言えばなんとなくイメージできるかな

単純にああいった場所(王宮や貴族や金持ちの家)で
ソネットを歌うような歌手のルーツみたいな人もいるし
町から町へと旅して回る半分旅芸人のような人もいる

ヨーロッパのあちこちに類似の職業の人がいたけれど
それぞれ地域によってちょっと違いもあって
イギリスなんかだと地域のニュースを歌にして伝えて
町から街へと噂を振りまくというか
出来事の語り部的な役割を担ってもいて(瓦版屋か)
※マザーグースとかマーダーソングとかの風習参照のこと

彼らは観客や依頼主のリクエストにすぐ応えて
既存の古い歌を歌うことができなければいけなかったし
そればかりでなく与えられたテーマや
ちまたでの面白い噂話や事件やニュースを
即興で歌にして聞かせられる腕を求められたし
もちろん楽器の演奏もそうだし
社交性というか歌以外に話術なんかも含めて
ありとあらゆる裁量を身につけなければならなかった

雇い主というか金蔓?な有力者のご機嫌とるために
彼らの作ったクソミソみたいな詩を褒め称えて
それに美しい曲をつけて満足させないといけなかったし
(そりゃ作曲技法も身に付くってか上手くなるわな)

そしてそれだけでなく時と場合によっては
"男妾"もやらないといけなかったんだよね
いわゆるご婦人の閨のお相手 男娼と言うべきか

だから今生において恋多き人であったり
女性の扱いを心得ている人が多いのも頷けたりする
やたらとフェロモンあるなーって歌い手さん多いし


旅芸人もそう
川端康成の「伊豆の踊子」でも描かれていますけれど
彼ら旅芸人は芸だけでは食べていけず
受け入れてくれた先の豪農や豪商の人たち
その主人たちのお相手
つまりは枕営業つか売春がセットだった
(学生さんが心惹かれた彼女はまだ幼くて
あのふれあい旅の中では
それをしなくても良い無邪気なところにいたけれど
やがてそれをしなくてはいけなくなるって匂わせ)

瞽女たちも同じ 芸だけでは食べていけないから
どうしてもそういうのがついて回る

なんかそういう昔から
芸を見せる人=パトロンとのご奉仕関係
なんてのがあったということを考えると
現代の芸能界の腐敗具合ようするに
性接待みたい最低な風習も
理解したくないけど理解できるかな


女優さんなんかは過去生で
高級娼婦やってた人も少なくないし
ひと昔前のハリウッドの女優さんなんかは
お貴族様の時代に貴族の嗜みで演劇や歌や
楽器とかを手習としてしていた人多いし


ジプシー(ロマ)は歌や踊り 芝居 そして占いや魔術
あとはプチサーカス的な大道芸やってたけど
(フェリー二の「道」みたいなイメージ) 

その時代に占い極めた人はそっち行くけど
歌とか踊りとか芝居が好きだったという人は
やっぱそっちにいきますわいね

芸妓さんとかやってた人もそうかな

とある昭和の女優さんは
過去生の自分の人生を実際に演じていたりして
なんとも不思議な縁です
そのために女優の道に進んだのか
たまたま自分以上に
過去の自分の役をやれる人がいなかったのか

いやはや必然であったのでしょう

けれども過去の自分の人生を演じて
現代の人に当時の自分の真実の思いを
自分をして伝えたかったとしても

"死"までも
過去をなぞる必要はなかったと思ったりする




さて少し 脱線したけれど

歌い手さんというのは やはりカリスマ性あってこそのもの

そして宗教が人々の道徳心を支えたり
良心を呼び覚まし
生き方や導きを啓蒙する
灯台となり得なくなった現代においては

歌というのはものすごくパワーを持っているのね
歌手すなわちアーティストって
ものすごい影響力と求心力と先導力を持っていて
ファンに様々なことをアピールすることができる

昨今はともかくとしてひと昔前のミュージシャンはとくに
(ジョン・レノンのLove&peaceとか
プロテストソングとかウッドストックとかライブエイドとか)

日本ではミュージシャンが
政治的発言をするのはタブーだけど
海外ではそのあたりオープンですし


だからね
ファンを教育するっていうと言葉が悪いんだけど
自らのファンに伝えられることを伝えるってのも
彼らのお役目だったりするのね
それができるかどうかがカルマのレッスンだったりもする

自分たちの影響力を理解した上でそれをどう利用するかってこと
社会的な影響力そして発信力
それらをどのように使っていくべきか
ちゃんと考えないといけない
言葉という言霊(言魂)をどのように使っていくのか
曲(歌)を聞いた人に対する責任があるってことを理解して
自分たちの活動の方向性に責任持って取り組まないとなのデス

実際のところ そこまで考えて
音楽やっている人って少ないと思うけどね
ただ歌うのが好き 音楽やってるのが楽しいとか
みんなそんな理由なんでしょうし

ファンを大切にするとかも大事だけど
それ以上に自分たちの音楽で何を伝えていくのか
歌で人を癒し勇気付けたり元気にするだけでなく
それだけでなくてその先を考えてないと
いつかは行き詰っちゃって
長くは続けられないってのはありますね

今の時代では芸術的なこと
アーティスティックな活動とか音楽やってる人は
時代からそこまで求められていたりするんで


俳優さんとか女優さんに関しての書き残したことなど
次回に持ち越しします

2020/07/13

未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ②

どんな魂も 
偶然にこの世界にやってきたなんてことはない

以前に抱いた理想を達成したくて生まれてきているのだ

そして今でも 
その理想の達成を求め続けているというわけである

by エドガー・ケイシー(3051-1)


ここで私が書くことは
必ずしもその職業のステレオタイプのことではないし
その職を選ぶ人の絶対的なカルマというものではない

あくまでそのような傾向の人が多かった

という一つの発見的な考察であり
それは全体像を見たときに
最小単位としての部分的な意見にしかすぎず
すべての人に当てはまるケースではないということを
予めお断りしておく

但し何かの事例において
その人のカルマのレッスンを知ろうとしたり
現状置かれている出来事の裏に隠れている
何らかの因果関係的な要因を知る上で
参考になるかもしれないということで
記録的記述としての"まとめ"として理解して頂きたい




すべての人が自由意志を与えられていて
"経験したいと思うすべてのこと"を経験し
"なりたい自分になる"ために
この世(現実世界)での人生を公平に与えられているので
生き方ならびに職業の自由選択があり
(それぞれの魂が持っているミッションとは別に)

過去生において自分が何を望んだか
来世たる今生の自分に何を託したか

ということをまったく覚えていずとも
毎回好きな職業を選ぶことが許されている

もちろんカルマのレッスンによる導き
ブループリント(生まれる前の事前計画書)による仕掛け
そういうものに誘導されることもしばしばだが

基本的には本人の意志がすべて

運命に絶対的な強制力はなく
本人の意志に勝るものはないので
意志は時に運命さえも変更させる

逆を言えば
せっかくの運命の御膳立てを台無しにするのも
当人の意志決定そのものなのである


何万年も何千年もたくさんの人生を生きる中で
種々様々な職業 あらゆる仕事を経験する人もいるし
一貫していつも同じような仕事をする人もいる

それは一つの人生でも同じこと
転職をたくさんする人 転職をまったくしない人
会社だけ変えて業種業界は同じ人
業種も業界も職種さえも変えて 転々とする人

そこに良い悪いはない
その人生と結果に後悔するのも満足するのも当人次第

たった一つのやりたいことを実現するために
何回かの人生でそのための努力を重ねて
千年先にその芽花を咲かせる人もいるし
いったんあきらめて中断していたことを
再びの情熱とともに才能を使い始める人もいる

けれど
何しろ変化し成長しているのは人間だけでなく
時代や文化も大きく変化していくから
必要が無くなっていく仕事もあるし
技術や知識でさえ役に立たなくなっていくものもある

だから一つの人生だけならともかく
いつも同じ仕事を続けるというのは難しい



さて私は派遣の仕事で
製薬メーカーに数年勤務していたことがあるのと
クライアントとしての薬剤師の方を何人か見た経験上
やはり過去生で同種の職業に従事していた人が
多いように思いました

現在は薬剤師であっても
過去には中医学系の医師すなわち漢方医だった人もいたし
教会の修道士や修道女として薬草を育てて通じていた人
(看護士さんの中にも修道女していた人多いです)

山に入ってそうした漢方の材料や薬草を採取していた人
スパイスや香料を採取したり販売することをしていた人
薬草魔女という名の民間療法医だった人もいるし
オカルティック(錬金術的)な研究に興じていた人も

医師に関しても過去にそのようなことしていた人
少なくはないですね

ただ外科医の人は
どちらかというと今の職業とは別で
過去に他人の命を奪うことをしていた人が
まるで過去に奪った命の数を救うべく
その仕事をしている人が多いようです

職業的には騎士というか兵士だったというか
戦争で他人の身体を切り刻むことをした人生があって
今生では他人の命を奪うために刃物を使うのではなく
他人の命を繋ぐために刃物を使っているのでしょう

自分が奪った命の数だけ 
切り刻んで損傷させ肉片にしてしまった肉体の数だけ
その肉を生あるものとして繋ぎ合わせ
再び動くように蘇らせることが償いであるがごとく

そのせいか知らないけど
彼らはとてもドライで淡々と仕事をこなす人多いし
(過去たくさんの死体を屍の山として見てきた経験からか)


これも彼らに取って贖罪の形としての人生

ちょっとここ「鋼の錬金術師」の
マルコ医師やノックス医師を思い出してしまいます


そして産婦人科医
漢方系の薬剤師にしても子供に関わること
とくに出産や不妊に関することに関わっている人の中には
"命"を調節するようなことに関わってきた人もいますね

その逆で今回は"命"を生み出すための仕事をしていたり
母体の安全や子供を守ることをしている人も少なくない


実際問題として
老舗の薬家(江戸時代から続く)に生まれた人いましたが
ご先祖様は堕胎薬も扱っていてそちらで儲けてもいて
その方も子供達の命を奪うことをしていたことがあって
そうした"家"が背負った負のカルマとともに
自らの贖いとして今は命を救済することをされている
そういう人もいます


でももちろん純粋に人の命を救いたいという思いで
崇高な志を持って医療従事者の道に進まれる方のほうが
人数的には圧倒的ではありますよ
そのような方々の職業選択の理由は
カルマのレッスンというよりは
使命と精神性の目覚めであり愛による道の選択です

ここで書いているのはカルマのレッスンを背負って
その職業的な選択をすることになった人の話を
カルマのケースファイルとして上げているだけですから






刑事さんとか一部探偵とか調査的な仕事をしている人は
自らが過去の人生において冤罪の被害者だったり
真実をねじ曲げられたことからの被害者だったとか
自らが犯罪被害者だったり遺族だったりとか
そういう人がわりといます

そのような方は正義感がとても強くて粘り強くて
良い刑事さんとか調査員 捜査官になりますよね

普通の警察官だと兵士とか軍隊というか武士とか
国を守ることをしていた上つ方に使える仕事をしていた人
多いかな
自衛隊もそうですが 


ただとぉっても嫌な理由で 
この手の職業選択をされた方もいて
中には異端尋問官とか拷問を生業としていた人が
転生してまた似たようなことができる職として
警察官とか刑事とか司法の仕事とか
人を捌き断罪する仕事に就いているのは
まったく腹ただしいこと

例えば昭和において冤罪事件を作り出すのが
お得意だった紅林なんてのは
歴史上でも有名な異端尋問官だった奴で
それ以前にも中国史において残虐非道なことをした
とてもクレイジーな人物でした
この人には反省とか償いの言葉は無縁なんだろうなあ
(こやつの顔は写真見てるだけで殴りたくなります)

なのでカルマのレッスンで
このような職業に従事している人たちは
自らの意志というよりは国や権力者の下僕として
なんの考えなしにその任務を遂行していた頃のやり直し
人間としての自分の意志で職務(その役割)を考える
チャンスを再び与えられているということ

人の心を今回はちゃんと持つことができているのか
人として同胞に対して接することができるのか
本当に守るべきものはなんであるのか
自分たちが使えるべきものがなんであるのか
誰のためにその仕事をしているのか
そこをきちんと考えて行動できないといけない

人としての仁義であり道徳
愛を試されてるって感じでしょうか





そして短めにしたいのでここらへんで
とぅーびーこんてぃにゅー

2020/07/10

未来に託した贖罪と希望〜職業別カルマ①

エクササイズに関する誘導瞑想の音源を
昔からリクエストされていることもあって
昨年Youtubeを使っていくことも少し考えたのですが
それはちょっとやはり自分には向いてないと思ったり

実際のところ
ブログに文字を打ち込む作業はなんとかなっているけれど
画像加工やら動画編集ソフトを細かくいじるには
視力がもう難しいという現実もありますの
手伝ってくれる人がいないと難しいのですよ

だからやっぱりブログでちまちま記事を書いていくのが
自分には一番合っているのだなと思います
ブログ自体が今ではもう
ネットの世界ではアナログになりつつあるのでしょうけど

そしてブログにしても書く内容に関しては
いつも何処まで書いていいものか悩みながら書いています
でもいつまでこのブログを書くことができるのだろう?
ということを考えると
今のうちに書けることは書いておこうかなぁ
書いて伝えておかないとなあとも思ったり

目の状態はよくなったり悪くなったりなので

ちなみに左目も白内障でして
それ以前にこの左目には大きな紙魚というか
飛蚊症の塊があるのです 
ど真ん中にあるこれはとても面白い形をしています
随分と昔からあるものですが

人間て切り株とかロールシャッハテストで
なんでも人の顔に見てしまうというか
自分が知っている何かの形に結び付けて
それらを識別してしまう現象があるんですけど

私のこの目の影は地蔵菩薩の梵字の形に見えるんですね

ていうかなんだろう?この形は
と思って調べたときに梵字に似てるってそれだけ

ありがたいものに見えるものではあるけれど
視界を遮るのでものすごく邪魔w

右目は右目で世界が歪んでみえるし
なので左目と右目と見えかたがまったく異なってる

だからカンで動いている感じですねー


たまたまなんですけどね
それにしても
子供の頃から神社好きではありますが
仏教はもともとよくわからない人です
知識は手塚ブッダ止まりだし


さてさて
そんなこんなでここはこっそりやっている
あんまし目立つブログではないから
書いちゃってもいいかなーということも少しずつ

そもそも信じてもらおうと思ってもないからあれです

わかる人だけがわかればいいことで
ここにたどり着いた人だけが知ってればいい内容
見つけられる人が見つけてくれる知識であればいい
理解できる人だけが知っていればいいことかなー

一般の人向けではない
その道を目指す人とか後進(後輩)向けの知識なんで


少し前の記事で
報道とか編集関係の人のカルマについて
ちょこっと触れました

私自身の職業柄たまたま
編集さんとか出版関係の人とかと接する機会があったり
記○クラブの会員さんのツテで
日比谷某所での会食に参加させて頂くことがあったり
そんなんでそれらの人たちを見てきた経緯があって
気がついたことでもあるし
お客さんとしての彼らの過去を見させて頂いた
そんなこんなもあって知ることが多かったかな

統計データを取れるほどの
膨大な人数の人たちと関わったわけではないですが

真実を報道する それらを捻じ曲げずに
国民(民衆)に真実を伝えるってのが
集合体無意識レベルでの彼らの使命というか
ほとんどの人のカルマのレッスンとしてありましたね
私利私欲に走らず どれだけ信念を貫けるかのお試し

でも彼ら自身が口にしていたように
「報道しない自由」がマスコミにはあるってことだから
残念ながら自らの今生での使命(ミッション)に
忠実に生きられている人は少ないようです

真実の歴史を改竄し 
勝者の都合の良いように敗者の足跡を葬り
そしてその時の主権たる権力者のための
プロパガンダに加担してきた方達

そういう罪とそこに関わる
カルマのレッスンを持つ人がひじょーに多いです

昨今のネット民が「マスゴミ」と揶揄糾弾してますけど
本当に彼らは罪深い人たちなのよね

面白いことにそういう人たちだけじゃなくて
実際に政治家だった人たちもいましたね

歴史に必ず出てくる蘇我入鹿さんや蝦夷さん
今この現代に生きていらっしゃいますよ
みなさんびっくりなさるでしょうけど
(二人は今は親子ではないが一時的に上司と部下だった)
出版関係の方です 政治経済関係
入鹿さんは相変わらず性格歪んでますが
1400年経っても嫌なやつなんだなこれが

って言っても私は会ってないですよw
間接的に知っているだけです
そしてご当人も自分が過去生で
そんな歴史上の人物だったことなど知りません
(今の霊性の段階で思い出されても困るし)

本人はこんなふうに何度も転生してるのに
1400年前のこの人の体の一部は
呪いのアイテムになっちゃったりしてるんだから
面白いなあって思います

入鹿さんが殺されちゃった事件に関わった人の一人
かつて斉明天皇だった人も今の時代にいます
この人は後にもう一回天皇に生まれてまして
その後にも歴史上の有名人としての人生生きてます
この人に関しての情報開示はここまでが限界

石川麻呂さんも今の時代に生きてますよ
普通の女性編集者さんですけども
実に濃くて面白い転生遍歴を持っています
(ようするにこの方からすべては紐解けて
繋がって色々と・・・なんですね
彼らはあの事件とお互いに対するカルマで
繋がっているわけだから芋づる式に釣れてしまう 
同時期に同じ国に生まれるということは
今回は双方にとってカルマの返済とかでの再会だし)

こういう人たちの人生遍歴というか
魂の履歴は面白いです…って面白がってはいけませんね
ものすごく濃いです 波乱万丈ですしね

やはりね
世の中を動かすことをされた人とかは
カルマのレッスンも重たいです
過去から濃い人生生きています

見ていて大変だなあと思います
あまり「業」という言葉は使いたくないんですが
まさに「宿業」というのを背負う形ですよね
歴史に名を残してしまった人の人生というのは

ああ
大正天皇だった人も今の時代に日本人の若者です
うちのお客さんではないし直接お会いしたことはありません
一般人としての自由な人生を謳歌しているようで何よりです
なんか嬉しいというか見守る気持ち


とりあえずさくっと書いてあとは
トゥビーコンティニューにします
(これまでは長い記事ばかりだったから短くを心がけてマス)

明鏡止水



今のこのご時世 心を冷静に保つことは難しい

自分だけじゃない 誰しもが 皆がしんどいのだと
そう言い聞かせて 頑張って踏ん張ってもいるけれど

それでも気づかず間に 静かなるストレスが
自分を侵食していることに気づかされたりする今日この頃

少し前は妄想を暴走させて気分を爆上げすることをしたり
自粛生活にも慣れて それなりに
近郊を散歩して 
ガラ空きの都内名所の散策を楽しんでもいたのだけれど

人と話せない 
会いたい人に気軽に会えない状況ってのは
かなりキツイものですね

友達とのおしゃべりって 数人集まってわいわい騒いで
おしゃべりに花咲かせるのって
おばさんにとってはものすごく大切な時間なのだと実感
それが数ヶ月に一回とか 年に一回だけのことでも

メールとかすればいいものをそれすらする気力なく
用事以外では 返信もずっと放置しがち
メールは・・・簡単なことしか書けないし
会って顔を見て話すのが一番と考える世代でもあるし


数日前の怒り爆発で 
自分も相当ストレス溜まってるなあと
改めて自覚させられたりしました

(ヒトカラに行けるようになったのが救いですけど
そうですね 絶叫系で少しだけ発散してきました)

私のような職業に携わるものが
あんなことでキレて軽率な発言して
忍耐なくてどーすんの!!とちょっと自己嫌悪

ダメですね
まだまだ修行が足りません
実際エクササイズや瞑想など
少しお留守になっています

自粛期間で時間があるにも関わらず





先の見えない不安というのを今は誰しもが抱えています

それでもってコロナ禍に加えてこの豪雨被害

日本がこのような状況(自然災害)に陥ってしまう
というのは十何年も前から言われていて
東日本大震災の前からもその後も
色々と警告はあったのですけれども

わかっちゃいるけれどもって感じですかね

コロナは人類全体が引き寄せて招いたことだし
日本の自然災害多発も日本人へのお試しだし
(あと某二カ国からの呪詛とか怨みの念もあるなあ)

3年前に土地の"お掃除活動"から私は外れたのですが
そこも少し考えますね

私がそこに加わったからとか外れたとかで
結果が変わるようなこともないのだれど
(私一人いるいないで左右するようなそんな力はないので)

外れてからは
私はそのポジションからは降りましたんで的な
無関係なところにいる存在として
かなり無責任だったようにも思います

自分程度のものに何ができるのかなあとも
今一度考えるべき時期に来ているのでしょう

このままでは日本という国はいつか
侵食されて無くなってしまうから

そんなことはそれだけは避けないといけない

日本はねぇ 確かに少し特殊というか特別な国です
選ばれたとかいうような言葉は使いたくないけど

だからこそ保たないといけないものがあって
守らないといけないものがたくさんあります
色々な意味で鍵を握っている国ですので

今生で日本人に生まれた自分がこの国でできること
きちんとやっていかないとなあと思っています


なんとかこのお試しの期間を乗り越えないといけませんね

2020/07/09

異次元ポータルとサイキカル界への径

これは補足というか追記ですね
また別の角度からの説明

前回ワープゾーン?といえばいいのかって
悩んだ媒介(媒体)になる物や場所のことですが
ゲームだとポータルが開くって言うふうに
よく表現されていることを思い出したり

訳すと「異次元への扉」ってところでしょうか
(あっていますかね?)

前回の説明では「繋がる」とか「リンクが貼られる」
というような説明をしたんですけれども
その方が誰もがイメージしやすいというか
一般的に理解されやすいので
便宜上その説明になっゃうんですね



きちんと説明すると
3次元(物質世界たる現実世界 マテリアル界)上の
とある地点ととある地点を結ぶリンクが貼られる
ということではなく

写真や映像に写されたり2次元的な絵で描かれ説明された
3次元(物質世界たる現実世界)上の出来事の場所にある
4次元(幽界/サイキカル界)に

それを視覚的に捉えた人すなわち読んだ人や見た人が
「行ってしまう」ということが起きるのです
この場合「行く」のは
4次元の身体(幽体/サイキカル体)ですけれども

繋がるという言い方で統一するなら
繋がりができるのは3次元のレベルではなくて
4次元のレベルになります

繋がるだけではなくて「行くこともできる」
のがミソなんだけども

何故って 4次元には時間とか空間の概念はないから

3次元は物質の世界で時間と空間概念があるから
A地点からB地点まで行こうと思ったら・・・
例えば日本からフランスまで行こうと思ったら
移動手段が必要になります
船に乗ったり飛行機に乗ったり電車に乗ったりなど
そしてそれをするためには時間が掛かります

でも4次元の世界においては一瞬です
これは幽体離脱とは全然違うのですけどもね

まぁ想念の世界ですから

だから瞬時にして誰かと繋がることもできる
想念というエレメンタルを創造して
それを誰かのもとに飛ばすこともできる(生霊とか)

すでに肉体を失った人に
声としての想いを届けることもできる

例えば既に死んだ父親が
別々の場所に住む息子たちに同時に思いを届けるとか
何かの記したるシグナルを発することもできる

サイキカル界っていうのはそういう世界

霊的な現象っていうのは得てして
4次元で起こっていることだから
(5次元ででもだけど そして3次元で起きていることではない)
その4次元に想いが向いたなら
4次元の身体であり目がそちらに向いたなら
それを捉えることは容易いし
その出来事の波動(周波数)にアンテナを合わせて
チャンネルをチューニングすることで
引き寄せることができる


前述のことはそれが起きたってこと

清姫さんに関しては
私の4次元の身体が
彼女を覗きに行ってしまったのでしょうね
見られていたことに気づいた彼女が
私を見に来たってだけ

バイカル湖もそうなのかなっっ汗
意識を合わせたら
「ここから出してくれー」ってことで
なんか助けを求められたのでしょう
そのSOSに気づく人は少ないけど
私はたまたま気づいたと

八甲田山で遭難した某連隊の某さんは
なんであの時あの場所で
意識の波長が合ってしまったのか
それはホント謎なんですけども

確かにもともと事件や事故やら犯罪史やら
歴史とかとか史実を調べるのがダイスキーな私のこと
あの映画も見ているし
取り上げた動画も改めて見たことあるし

朝の5時の御堂はとても寒くて
正座してたなら足も痛くて
眠いは寒いは足は痺れるわで
とてもありがたいお経などに集中していなかったことから

なんかたまたまなのかなー??

とは思っています



それと蛇足ですけど
祖父(母方)の霊と遭遇できているのは
なぜか親族で私だけなんです
一緒に暮らしたことなんてないんですけどね
里帰り出産の時に数ヶ月いただけで
後は数年に一回の帰省した時だけ
数えるほどしか会ったことないんですよ
親しく話したこともほぼないし
(だからこそ突然の出没は怖くてびっくりさせられる)

対象的に母方の祖母はたくさんの人が目撃している
生きている時から(半身不随で寝たきりでしたので)
幽体離脱してあちこちの人に目撃されてたり
死んでからも親族以外の人のとこにも出没するしで
悪霊ではないんだけど怖い幽霊扱いw

でも私は逆に祖母には一度も遭遇したことがない
同じ家の中で母が祖母に襲われている(謎)時でさえ
気づかないという位に祖母に対しては鈍感

父方の祖母には2度ほど会ってますけどね
メッセージは受け取ることもあったし
どっちも死んだ後ですが

父親(祖父)ダイスキーな母にしてみれば
自分のとこには出てこないのになんで
お前のとこには出るねんって思ってるみたいですが

そうですね
母方の親族はわりとみんな
「視る」「遭遇する」たちで
子供の頃からそのような体験はわりとしているので
怖いって感覚はないみたいですね
(だって目の前が墓場な家だったもん 
縁側から人魂見学できるんですよ
今はもうその家もなくその土地には親族いませんが)

祖父のお葬式の時にも色々ありましたしねー
火葬場でちょっとね ふふふふふふふ
って私は行ってませんが 

叔母の旦那さんとか従姉妹の旦那さんたちは
ほとんどそういうの信じてない人たちだけど
そういう人たちでさえ例の「恐怖の離れ」に
泊まった時には恐ろしい体験をしたとかで
二度とあの離れに近づきたくないって言ってたなあ
(そんな部屋で熟睡できちゃう私って一体)

いやでも十分に怖いですよ 
私はとても怖がりな人間ですから
(映画「死霊館」見て電気消して眠れなかったモン)

てなわけでちょっとさっくりな補足でした