2020/08/31

咫尺天涯 / 一樹之陰


ケーススタディとして分類している
書いたケースファイル(クライアントの事例)は
ところどころぼかさないといけない点もあるし
そんな風にフェイクを入れる必要性もあって
少しドラマティックな脚色っぽい
創作的な文章になっちゃっているかも知れない

内容が現実的ではないだけにとくに

また
文章のプロではなく素人が書いているものですから
文体のまとまりの無さ文章の下手さ語彙力の欠如等
読みにくさとかはご容赦下さい・・・だったり

今はもうそういう書き方ができないというか
ケースファイル自体を書いていないのだけども
(そこはまあ思うところあって)


で、生まれ変わりの事例

うちのクライアントさんは
紹介でいらっしゃることが多いから
どうしてもそれぞれの過去生に関係性があったり
複雑な運命の相関図が
双方向に入り組んでいることが多いのです

とはいうものの
ケースファイルにしてもそれ以外の内容にしても
双方向からの視点では書いたことがないですね
いずれにしても小説や脚本みたく書けないので
二人の人間の運命やカルマが
どう交差しているかって参照程度の紹介になりますが

そんな感じで今回は思い立ったこともあり
ある二人のドラマを書いてみることにします

この二人はクライアントさんではないので
事例であって事例にあらずですね
うち一人のことは
過去のブログでも少し触れさせて頂いているから
重複する内容もあるのですけど

まだ発展途上で結論の出ていない関係というか
この先それでどう展開するんだろうって
まるで連続ドラマの最終回をみる前って感じなので
結末がどうなるのか私にも不明なのです



ある女性がいました
紀元前から色んな人生を生き 
様々な輪廻転生を繰り返していましたが
15世紀にはイギリスのとある田舎の村で
先祖から受け継いだ土地に住まい
ハーブなどを用いた療法師として
人々のちょっとした相談役として
その知恵を役立てて静かに暮らしていました

けれども
彼女を妬んだ人が
「何か財産を隠しているのに違いない」
「治療行為とは言うが
 それは悪魔の力なのではないか」
彼女が所有する豊かな土地(森)を欲しがり
そこに隠し財産があるのではないかと疑った人は
そういった噂を流しました

その噂を信じて流布した人が
異端尋問官に讒言をしたのです

一度広がった噂は消せません
彼女に関わることは自らも魔女と疑われること

今まで彼女の助言に耳を傾け
薬草を処方してもらい助けてもらった人々は
掌を返したように彼女を非難し始めます
誰一人彼女への弁護を口にするものはなく
恩に報いるため証言する人はいませんでした

結果彼女は魔女として裁かれ拷問の挙句
その首を切り落とされて死にました

彼女が死の間際に見て 印象に残ったものは
それが自分でなくてよかったと安堵する人々の目
人が殺される現場を見ると言う
非日常的な刺激に対する一種の恍惚に満ちた好奇の目

それまで親しかった人たち 仲間だと友だと思っていた
仲良く上手く 助け合って暮らせていたとそう信じて
思っていた人たちの冷たい反応 

自分が常に助けてきた人々が
自分の死を喜んでいるという事実

これが酷く脳裏に焼きついたのです


その後 明のある町にて輪廻転生した彼女は
生活に困窮した母親の手によって生まれてすぐ
孤児として大きな館の前に捨てられることになります

幸いなことにその大きな館の主人は
その子を見殺しにすることなく
発見した使用人にその子を養育するように命じました

産み捨てた母親はその館の子にと願ったようですが
実際のところ主人はその子が女の子であったので
上手く育つならばただ働きの使用人としてまたは
外に売ることができる商品になると考えていました

地方の役人もしていた主人はお金儲けに聡く
たくさんの使用人たちを抱えていました
彼女はその中で育ち 使用人たちに可愛がられ
館の中の世界しか知りませんでしたが
予知予言や託宣的なことを言う彼女の言動は
使用人界隈から広がり別の館の住人にも伝わって
ある日その館の主人をも知ることとなりました

「これは使える」

そう思った主人は彼女のそのような才能に目をつけ
お金儲けや出世の道具にすることにしたのです
それはまるで今の時代でいうと
宗教法人の教祖様に仕立てるが如く

やがて年頃になった彼女は
金を生むガチョウとして縛りつけるために
年老いた主人の妾にさせられました
ですが同じ使用人だった幼なじみと既に恋仲で
二人は主人の目を盗み密会を重ねていました
一家で使用人として使えていた幼なじみの母親が
二人を気の毒に思い手助けしていたのです

ですが彼女に対して嫉妬心を燃やしていた
他の妾が二人の密会に気付き
二人のことは主人の知ることとなりました

金の卵を生むガチョウである彼女は
罰せられませんでしたが
幼なじみの彼は酷い拷問のあと
四肢を割かれて死ぬ刑罰で殺されることとなり
それを見ることを強いられました

彼女は妊娠していました
彼の子と知られたら子は殺されてしまいます
主人の子であるように偽装する必要がありました
時期をごまかし色々と偽った結果
早産という形で出産することになりました

その頃には主人も老齢でなくなり
バタバタとした中 後継のいない館の実権は
託宣の力で周囲とのコネクションを持つ
彼女が握ることとなりました

けれど産んだ愛し児は
ある日 庭の池で溺れ死んでしまいました
心を病んでいた彼女もその池へと飛び込み
自らの人生に終止符を打ちました



この後
フランスとスイスの国境の山里で
結婚式の前日に花婿に横恋慕し
嫉妬した幼なじみに殺されるとても短い人生
安土桃山時代は日本での平凡な人生を生きてのち

次に彼女が生まれたのは
17世紀終わりのロシアは南西部
首都からは離れた田舎の町で貴族の娘として育ちました

まるで今まで2つの人生での傷を癒すかのような
穏やかな日常で支配者(富裕)層としての
何不自由のない暮らしではありましたが
やがて孤独から贅沢に溺れ 財産争いの問題から
身内に毒殺されることとなりました


そして18世紀フランス
ロマの家族の末っ子として生まれた彼女は
才能豊かな家族たちや仲間とともに
旅から旅への旅芸人としての生活をしながら
ロマの知識を教えられ 
様々な芸事に通じるようになりました

しかしやがて革命の火がパリだけでなく
あちこちの地方にも飛び火し
偏見と差別 そして革命の狂気によって
スケープゴートにされた多民族としての一家は
虐殺され逃げ惑い 混乱の中生き残ったものの 
仲間たちと逸れてしまった彼女は孤児となり
一人で生きていくことを余儀なくされました

しかし世の中はまだまだ混迷していて
大道芸のようなことが求められる時代ではなく

彼女がパンと引き換えにできるものは自らの身体だけ
よるべもなき孤児の行く道はやがて街角に立ち 
娼婦としての人生をスタートさせることとなりました

そこで彼女は彼と出会うことになったのです
ロマの娘とブルジョワジー(貴族)の若者
二人は出会ってすぐに恋に落ちたのですが
彼女が売春婦であっても無くても 身分差から
二人の恋が成就することは難しかったでしょう

単なるひいきのお客さんとお気に入りの売春婦
妾というか愛人というポジションならば
誰も反対するものはいなかったのでしょうが
若かった彼は神の前での神聖な誓いを望みました
けれどそれは反対を押し切ってすべてを捨てること
家と身分を捨てること 後ろ盾を無くすことです

お金や頼るもの 食べるもののない惨めさ 
貧しさと飢えを知っている彼女は悩みます

本心を言っても聞き入れまい
そう思った彼女は嘘をついて
彼の熱情を冷まし その心を遠ざけようとします

しかし
純粋な彼は彼女の心変わりとも思える言動に絶望し 
裏切られた痛みから愛情が憎しみへと変わったのか
罵りと呪いの言葉を彼女に吐きつけて
自らの頭を撃ち抜きました


さて その後の二人

彼の死のダメージから心を病んだ彼女は
廃人のように孤独に死んでいきました
事情を知らない彼の友人たちから謗りを受け
多くの人に誤解されて孤立してしまったのです

次の人生で彼女は
望んでいた平凡な人生を生きることになりました



さてその頃 彼・・・は
自殺をしたことで転生するまで時間が掛かりました

彼は今度は男性ではなく女性として
日本の東北地方に生まれていました
明治終わり大正にかけての時代

とてもとても貧しい農村です

兄弟姉妹のたくさんいる中で
年長者であった彼女(彼)はまだ幼くはあったものの
村にやってきた女衒に売られることになりました

売られた先は江戸一番の花街 吉原でした
禿としてねぇさんにつき その道を学び
やがて女郎として顔見せに出るという
その道の誰しもが通る手順を踏み
籠の鳥としての日常を生きることになりました

その時の彼・・・彼女の故郷の一番下の妹は
女郎として売られるところをなんとか逃れて
旅芸人の一座に加わり旅をして芸の道を磨き
江戸にいる姉に会おうと 江戸の芝居小屋で
水芸などをして人気が出たようですが
姉である彼とは再会を果たせなかったようです
(でもこの人生でのたくさんの出会いが
彼女の今生の夢の基礎として作られました)

ちなみに以前書いた
二人のお女郎さんとは別の方です<吉原の彼女
似たような人生を送った方は多いもの

なぜ 
フランスではブルジョアジーだった彼が
この日本人の女性としての人生で
吉原に売られる女郎となったのか
その人生を生きる必要性があったのか

それは彼の学びのレッスンのためです

簡単にいうと
「娼婦の悲しみ」「苦しみ」を知るため
女が女であるが故につく"嘘"の意味を
彼は身を以て知る必要があったのですね

娼婦という仕事に身を窶さなければならなかった
女性の立場 心のうち 苦悩とか本音とか
そのような立場から物を考えたり知ることが
彼には必要だったからです

自分に嘘をついて冷たく突き放した彼女の
本心や愛の一つの形を理解するための
そのために不可欠な経験といいますでしょうか

客であった自分とは今度は違う立場
春を売り鬻ぐ側に立つことで違う視点で
体験して考えてみなさいねって感じです

それは彼自身が「なぜ?」と疑問に思い
知りたがったことでもあるから

知りたかったら自分が娼婦になってみなさい

ってカルマのマスターに言われたことになるかな



話を彼女の方に戻します

彼女は20世紀初頭
大都市の郊外で裕福な両親のもと
リッチな青春時代を謳歌していました

しかしここで彼女は
彼女の過去生での因縁の相手と何人か出会うことに
もちろん双方ともに覚えていないわけだけれども

彼女の存在が面白くない社交界の面々は
彼女を笑いものにしようと企みました

今の時代にも通じるというかよく見かける
からかい程度のお遊び ちょっとしたおふざけ
罰ゲームなんかでよくある手法

告白されてその気にさせて
さんざん本気にさせて貢がせて
そのあと振って恥かかせるってやつです

この人生での彼女が恋愛に臆病だったのは
過去の経緯があるが故の
無意識のトラウマからだったのだけれども

彼らの企みに乗ったプレイボーイ君は
その彼女の鉄壁の鎧を打ち破るのが上手だったのです
歯の浮くようなセリフとか 女心を掴むのが巧みで

でも彼は途中本気になっちゃったのです

けれど彼が本当のことをいう前に
仕掛けたグループがネタバラシをしてしまいました

結果 
彼女は精神と心を病んで憔悴して死んでしまいました
もともと人間不信も根底にありましたからね


この人生でそんなことをされてしまったのは
彼女がパリ時代での過去生において
彼に対して自分がしたことへの
罪悪感があったからだとも言えます

彼をその気にさせておいて冷たく振ってしまった
心を弄んでしまった(実際は違うのだけれども)
そうやって自分を責め続けてきた結果
エレメンタルができてしまっていたので
このように心を遊ばれる状況を
引き寄せてしまったのです

それは必要のない経験でありましたが


そして彼女は二つのとても短い人生を生き

現代の日本に生まれました
そして過去の時代に
自分をその気にさせてから振るという
ゲームに乗ったプレイボーイの彼と真っ先に出会い 
前回の償いとやり直しをするかのごとく
疑いながらもお付き合いをしたもの
傷つけ傷つけられな結果に



そしてパリ時代のブルジョワジーな彼

こちらの彼も 一つ短い人生を生きた後

清朝から共産党へと移り変わろうとしている
時代の潮流の中 大陸に孤児として生まれ
自立して食いっぱぐれなく生きていくために 
京劇の役者としての道に進むことになりました

化粧をして女形として舞台に立ち
喝采を浴びながらも 実情は役者風情と蔑まれ
パトロンに媚びなければ生きてはいけない人生

しかしやがて文化革命の嵐が吹き

居場所と仕事を失い もとの浮浪者のような生活に戻って
病と飢餓により命を落とすことになりました

そうして彼は奇しくも 
「貧しさを知るが故に貧しさを避ける生き方」
そのような人々の考えを知る機会を与えられ
豊かな生活を手放すということがどういうものなのか
身分に与えられた自由というものがどれほど大切なのか
そのようなことを思い知らされる
学びの人生をいくつか生きることになったのです

そして次に彼は日本人として生まれてきています
今度も男性として
(遊女だったときの妹ちゃんとは無事出会えています)



さてどうなるんでしょうね この二人

距離としてはとても近いところにいるものの
超えられる壁はそれなりに高い

彼女のほうは無意識下で出会いたいと望んでいるけれど
彼・・・だった方は会いたいと望んでいるんでしょうか


二人は逢うべきなのか 逢わない方がいいのか

今生では逢わずにいたほうがお互いに幸せなのか
逢うことが二人にとって良いことなのか
逢わないままが良いことなのか

今の時点で会えていないことが答えなのか


彼はまだ自分の経験をしても彼女を許せていないのか
受け入れることの準備ができていないのか

どうなるんでしょうね
皆さんはどう思います?

出会ったとして二人は相手を選択するのでしょうか
わだかまりが溶けて許しあえる関係を築けるのか
そして今度こそ真実の想いを伝えて違いを理解し
双方を幸せにする道を選べるのでしょうか

せっかく300年近くの年月を経て
同じ国で同じ言葉を話す異性同士として
生まれることになったのに
二人はまたすれ違ってしまうんですかね

それだけの関係でご縁なのでしょうか

何が二人の出会いを邪魔しているのでしょう?
二人とも相手との再会を拒絶しているのでしょうか?

今生で二人が和解できる日は来ないのでしょうか



2020/08/30

怒りは波動を下げる

そしてまたblog主旨と関係ないどうでも話です



何回もここで愚痴っている例のバンド対応のことで

こっちとしては
もうどうでもええわー!
とにかく私の視野視覚に入らんといて!!

・・・ではあるんですが
FCから郵送物が来て気分悪いから
「返金なしなのは承知しているけど
 退会するからもう二度と郵送物送ってくるなー!」
と連絡するもそのムカムカ返答にまた怒り新党になり

なおかつSNSのフォローとかとっくに外しているのに
Twitterでリーダーの書き込みがなぜか上がってきてる

それ見て 
またハラワタが煮えくりかえってくるわけですよ
せっかく収まっていたのに 沸沸と

なにがこのコロナ禍の状況下で
感染対策をばっちりしてライブを成功させただ!!
そんなことをご満悦にかつ鼻高々に語ってんじゃねー!

すべてのFC会員が公平に
チケット購入(申込)出来るわけではないのに
さもそれが出来るように入会へと誘導して
いざ蓋開けたら申込できない人がいて
そういう人に対して返金対応もしない

そんな詐欺商法をして得たお金で
食べるご飯は美味しいですか?
さぞ美味しいでしょう

人としてあるまじき対応をして
ファンに対して不誠実なやり方をして
説明もなしに切り捨ててファンを足蹴にして
ファンの想いを踏みにじってまで立ったステージで
歌うことはさぞ気持ち良かったことでしょうね

あなたはたくさんのファンをその足の下に
踏みつけながらステージに立っていたのですから
心の底から嬉しくてたまらなかったことでしょうよ

なーんて

そんなどす黒いダークな気持ちを
レスしたくなるくらいな怒りが湧いてきちゃったですよ

ダークサイド落ち?

もう毒の塊です

そんな時の私の顔は


妖女ゴーゴンのように頭から蛇をはやしていたり


般若のような顔をしていたことでしょうww

・・・・・・・・・

とはいうもののそんなことを思ったり
やりたくなっちゃったとしても
実際はしませんけどね

心で悪態をついて そう思ってイメージして  
それをしてやりたい衝動に駆られたとしても
実際に行動に移すということは別です

思うだけなら罪じゃありません
そんな気持ちになってしまうのは
それに至る背景というか原因があることなので
そこはそれ
自分の傷ついた気持ちに関しては
味方になってあげるというか
理解を示してあげることが大切です

「おーよしよし
 気持ちをないがしろにされたこと
 そして心ない対応を
 する人たちだったということへの幻滅感
 そんな人たちと知らず応援していた自分への怒り
 一部のファンをゴミのように
 とるに足らない存在として扱われたこと
 そういうことにあなたは腹を立ててるのだね」と

その上でセルフセラピーつーかーカウンセリングをする

 

怒りのエネルギーを持ち続けるということは
焼けた石炭をお腹の中に抱え続けるということ
それはあまり得策ではないのです
自分にとっては損なこととも言える

だからまあ
自分の中の怒りが通り過ぎていくのを
ただじっとやり過ごして待つのも手ですが

別のエネルギーへと応用転化させるのがベスト


そしてまた先日
近所の工事現場が12-13時までの間は
完全に昼時間にして音を立てない
という約束を破ってくれまして

そのことに苦情を言いに行ったらば
スルーされて嫌な対応をされたので

ちょっとキレました

塩対応で無視した警備員に水をぶっかけてやろうかとか
嫌がらせでコンクリの固まってないであろうとこに
缶とか瓶とかをゴミとか投げ入れてやろうかとか
嫌がらせしたろーか!! とかいう気持ちが沸きましたけども

それは考えただけー

実際この騒音とこの人たちに怒り狂っても
もうしょうがないんですもの

まあ月曜日に本社サイドと施主さんに
文句の電話は入れるでしょうが

私がどれだけ怒り狂っても
弁護士雇っての苦情とかそんなんでない限り
きちがいババアのヒステリーでかわされちゃうわけだし
工事がなくなるわけではないので

少し発想を変えることにしました

ようするに

しょっちゅう工事が入れ替わり立ち替わり行われて
騒音問題に悩まされているような土地(住居)
ここ自体に住んでいることが私にとって問題なわけです

ちゃんと防音されている家
当方の出す音も近所迷惑にならず
近所で出る音も仕事に影響しない

そんな環境を私が求めればいいのです

とはいうものの
現実的にはちょっと今すぐというわけは行きませんが

このダブル発生した怒りのモンスーンエネルギーを
仕事にベストな環境 理想の住居と仕事場
それらを求めるエネルギーに使うべきなんですね


相手(状況)を自分の思い通りに変えようとするのではなく
私の状況を思い通りの状況(環境)へと変えればいいのです


てなわけで

求めよ 
さらば与えられん!


とにかく
求む! 仕事に集中できる環境

その一言ですよ

マントラの声を抑制せず思いっきり唱えられて
シンギングボウルも音叉もガンガン鳴らせて
お香やセージをもくもく焚いても通報されず

思いっきり仕事が出来る場所

廃品回収の音やビル建設や道路工事の音に
悩まされず仕事を邪魔されず

リーディングやヒーリングに集中して
全力投球で仕事が出来る場所

プライベートな時間もゆったりと出来る場所

お客さんにとっても交通便利なとこ


そんなとこ目指して引き寄せを

がんばんべー!!!!!!


そんな感じでダークサイドに落ちまくりで
(ちょっと夜神光入ってたかも?違うか)
怒りのエネルギーで波動下がってましたが
エネルギーの方向性を破壊衝動と意地悪ババアから
ポジティブシンキングに変換したところ
いい感じで戻ってきたかなあ・・・??



そしてどうでもいいネタ

相変わらず使い方のよくわからないインスタですが
よく外国人の方からメッセが届くんです
最初は掲載している写真についての質問かと思って
とりあえず相手していたんですが

メールというより
チャット(LINE)感覚な怒涛のレス攻撃されるし
目的がなんだかよくわからんつかナンパかよ?
みたいなー 
単なる暇つぶしで話し相手探しているのか
うざくて放置していますけども

悪いがそんなに暇じゃないし
英語は翻訳ソフト使わないとわからんし
どうでもいい会話なんて時間の無駄だし
そもそもこっちはアラカンのおばさんなんで
そんなの求めてないし 

若い頃の写真見て 君たち騙されてるね?

ゴメン 
それは30年前の姿なんだよ・・・なんですが
(いやさ最近の自撮りも掲載はしてるけどさ)
日本語ではちゃんと説明文書いてますのよ
昔のフィルム写真をスキャナで取り込みって 
別に騙す意図で載せてないし

でも「綺麗ですね」みたいなこと言われるのって
ちょっと嬉しいですね

昔の写真ですがね
(今の写真もマスクとか手で顔半分隠れてるから)

私は幼なじみも男子で
小学中学も男子とつるむことのほうが多くて
成人してから男友達もそれなりにいたのだけども

「お前に女は感じねーわ」とか
「美人とか可愛いってタイプじゃないよな」
「中身おれら男と一緒だもんなー」

こんなことしか言われたことない(T-T)

いやさ流石に彼氏だけは
可愛いとか言ってくれましたけどもさ


女友達の中にあっては
引き立て役なブスキャラだったし
仲の良い男子との間を取り持ってくれ的なポジションで
(少女漫画的には)

人生でモテたことなど一度もないし
美人だとか綺麗とか可愛いとか
言われたことは皆無なので
(口説かれるような酒の席でもっっ涙)


アラカンにして
外国人に「ビューティフォー❤️」とか「美丽」
とか言ってもらえちゃって
それって初めての経験で
かなり嬉しいかも いやさめちゃ気分ええわ

こんなに褒めてもらったのって人生初

して昨年だったかなー
吉祥寺歩いてたら 
20代くらいの男の子に
「あの、すみません」って話しかけられて

「なんですか?」って
道尋ねられたのかと思って振り返ったならば

「素敵です❤️」って突然にっこり笑顔で言われてさー

「は、はあ??」でした

新手のナンパで昔のエメロンのCMみたいに
振り返ったらBBAだったので焦ってしまい
言葉につまってとりあえず褒めてごまかしたのか?

なんて勘ぐっちやったけどw

とりあえずそう言われて悪い気はしないのでした

それだけ歳を取ったってことやなぁ

うん


「若いわね」って言われて
舐められたとか馬鹿にされたって憤慨するのは若い証拠
喜んで舞い上がって嬉しがるのが歳を知った証拠



2020/08/28

あったらいいなと思うもの&サービス2

blogの主旨から外れたぼやき書き込みです
興味のない人はスルーして下さい

こういうことが現実になればいいなって思った話



先日いつも視聴させて頂いている
旅行系Youtuberの方の動画で
成田にあるコンテナを個室として利用している
とあるホテルが紹介されていたのです

何しろもともと積荷を移動させ
運ぶための目的として使われているコンテナのこと
耐久性もあるし船や鉄道や車でも移動可能
全国あちこちに貸し出しもしているらしい

それを見て
政府というか全国の都道府県(市町村レベルまで)
行政がこういうものをいくつか所有管理して
災害時の避難所や簡易宿泊所として利用したり
または長期的な簡易住宅として
格安で国民(避難民)に貸し出しすればいいのに

なんて思ったりしました


今回のコロナ禍で隔離させられる人は
ホテルとかを利用するのがベストなんですけど

短期的な一時避難なら公民館など公共の施設の
一時利用だけで済むので必要ないでしょうが
災害などで長期的に避難しなければいけない人で
今住んでいる場所を離れるわけはいかない
離れたくない遠方に行きたくないって人の場合
公園とか国有や行政が管理している土地などに
一時的にこういうのを置いて
目処が経つまで住んでもらうのも可能だなあと

プレハブ住宅もあって使われているわけですが
あっちは設営とか撤去とか大変だし
暖房冷房が利きにくいし壁が薄くて
プライバシーを保つのが難しい欠点もある

その点コンテナハウスは窓もありながら
冷暖房の効率よくプライバシーも保てる
ただし炊事洗濯は外になっちゃうのかな

そして災害によって住宅を失ってしまった人
住宅を失ったあげくローンなどを抱えていることから
金銭的に再建築などが不可能になってしまった人などに
土地がある人ならば
一ヶ月1万円くらいでこのコンテナハウスを
格安でレンタルするとかどうかなーって

もちろんお金の目処が建って
ちゃんとした住宅を建てられれば一番いいのですけど
年齢的にそれは無理だって人も多いですからね
土地があるならば置けますからこういう家は



そしてコンテナだけでなくて
よく海外で 古くなったバスとかトラックとか
そういうのを買い取り改造して
小洒落た素敵キャンピングカーにしている人たちを
ときおり見かけたりするのですが

そういう風に使わなくなったけれども
まだ走らせることもできる大型バスを
やはり改造してキャンピングカー仕様にし
そのような災害で被災した人たちの
一時的住居に貸し出ししたりするのって
いいんじゃないのかなーって思ったりするのです

上記のコンテナと同じで
家はダメになったけどローン残ってて
土地はあるけど壊すお金しかない建て直しできないって
そういう人々に格安でレンタルする

コンテナは大きな道路しかないとこでしか
持ってくことができないと思うけど
キャンピングカーなら
コンテナよりは移動範囲も広いかなーなんて思ったり
サイズも小さいものから大きいものまで道路に合わせ

永久的に住むにはきついけど
普通の車上生活よりは快適な環境ですしね
トイレもシャワーもベッドもキッチンも備えてるから

東日本大震災とかでは泣く泣く遠方に越した人
親戚を頼って世話になった人も多いと聞くけど
やはりね歳を取れば取るほど
生まれ育った土地から人は離れられないし
自分が住んでた場所には居たいもんです

賃貸生活の人なら移動するしかないけど
土地が残っている人ならばなおさら
自分の家があった場所にこだわりってあるもの

まあ河川の氾濫とか崖崩れ山崩れなど
これを機会に安全な土地に移動すべき
その土地を離れるべきって人もいますけども

そうでない人に対しては
期間限定で移動もできて 
もしくは家人が亡くなるまでの間
災害とかの事情で家を無くして
金銭的事情などで建て直しすることができない人に限り
格安でレンタルできますよって

国とか行政が国民に貸し出しする
コンテナハウスとかキャンピングガーとか
そういうのあるといいなあって
思ったりしたのです

ちょっとした思いつきなんですけどね


そして今回のコロナ禍で仕事と収入を無くし
家賃が払えなくなってしまって
路上生活に追いやられてしまう人も多いわけですから
国が管理する空き地とかにやはりこういうのを置いて
一時的にせよ彼らを保護して住居を与えることで
住所を与え再就職をサポートしてくれるといいなって

うん 生活保護の道ももちろんあるわけですけれど
それを受給すべき人にはもちろん至急して欲しいけど
まだ仕事を見つけられる可能性のある人には
住所を与えることで
まず再就職支援を第一にして欲しいというのもアリ


これからまだまだ日本は災害などに見舞われますからね
コロナ禍だけではないです
台風被害も豪雨被害も津波も地震も
たくさんたくさん起きてしまうでしょうから
災害対策ももしもの場合の備えも大切だけど
そうなってしまった後の最善のことも考えておきたい

一人でも多くの人が生きる力や方法を見失わないように
知恵を出し合って助け合っていける国造り街づくり
そしてコミュニティを作っていきたいですね

そのためには
一人ひとりができることを考えるのも大事だし
声を上げていかないと
協力するのももちろんですがアイデアも出して
みんなで乗り越えて励まし合って助け合える
それが実現できる柔軟な世の中であって欲しいな

どうしたらこの世をより良くできるのか
みんなにとって住みやすい社会を作れるのか

考えることは決して無駄ではないと思うのです

まあ私ひとりが考えたからって確かに
何も変えられないけどさ

2020/08/24

教うるは学ぶの半ば〜下

さて
とどのつまりがアセンションって
霊的進化の段階で進んでいく階層のことと
どうも混同しているようなんですよね

blogとかの文章で説明するのは難しいのですけど
とりあえず7次元以上は割愛して

高次元(周波数の細かい波動の高い次元)
6次元←私たちが目指しているゴールはここ
5次元
 7-7←7-6←7-5←7-4←7-3←7-2←7-1
 6-7←6-6←6-5←6-4←6-3←6-2←6-1
   5-7←5-6←5-5←5-4←5-3←5-2←5-1
 4-7←4-6←4-5←4-4←4-3←4-2←4-1
 3-7←3-6←3-5←3-4←3-3←3-2←3-1
 2-7←2-6←2-5←2-4←2-3←2-2←2-1
 1-7←1-6←1-5←1-4←1-3←1-2←1-1
4次元
   7-7←7-6←7-5←7-4←7-3←7-2←7-1
 6-7←6-6←6-5←6-4←6-3←6-2←6-1
   5-7←5-6←5-5←5-4←5-3←5-2←5-1
 4-7←4-6←4-5←4-4←4-3←4-2←4-1
 3-7←3-6←3-5←3-4←3-3←3-2←3-1
 2-7←2-6←2-5←2-4←2-3←2-2←2-1
 1-7←1-6←1-5←1-4←1-3←1-2←1-1
3次元←現実世界 
低次元(周波数の荒い波動の低い次元)

さっくり説明するとこんな感じ
4次元と5次元は7つの階層に分かれていて
それぞれがさらに7つの階層に分かれている
よって全部で49の階層があります

スタート地点はみんな
5次元と4次元の身体のレベルが1-1から
ここからいろんな経験をして感情を味わって
霊的成長をしていきます

成長するためには条件があって
愛と知恵と力を同時に使用したときに
レベルアップが図れ一つ上の階層にランクアップします

(単純に一つの人生でひとつステップアップすれば
50回も生きれば輪廻転生を卒業できる計算ですが
実際は皆さん500回も600回も人生積んでますのよ
同じレベルに何百年何十回いるのよって感じで)


4次元と5次元では
5次元のほうが高い次元ではあるけど
私たちは両方にそれぞれの次元の身体を持っているので
4次元のあとに5次元に上がるというわけではなく
4次元の身体と5次元の身体それぞれが別々に成長し
その成長の度合いによって属する階層が異なるのです
ちなみにサイキカル体とノエティカル体が
同時にステップアップするということはほぼないです

3次元と6次元はひとつの階層しかないです

3次元と6次元では
同じ次元にいるすべての人に会えますが
4次元と5次元では同じ階層の人としか接触できません
情報も限られていて他の階層を知ることはできません
なのですべての情報が入手できるのは
3次元と6次元でだけということになります

そして霊的な存在(物質的身体をもたない)というのは
4次元と5次元の2つの肉体あるいは
5次元の一つの身体しかもたない存在なので
自分がいる階層のことしか分かりません
その段階で得られる(学ぶ)知識がすべてになります


なので霊媒にせよ霊能者にせよチャネラーにせよ
見えない人たちとコンタクトをとる人というのは
どのレベルすなわちどの階層にいる存在と
コンタクトを取って知識を得ているのか・・・
ということで情報が全然違ってきてしまうのです
もちろんその人自身の幽体と霊体の成長段階(階層)
これも肝心ですが
(せいぜい一つ上の階層としかコンタクト取れない)

見えない世界(4次元と5次元)の存在と
コンタクトを取っている人だからと言って
その人が必ずしも自分より格上とは限らないのです

ふつう階層が上の人よりも同じレベルの人や
格下の階層にいる人との方が連絡取りやすいし
そして格下の階層の人からの情報で混乱させられ
惑わされている人もかなり多いです

また困ったことにそこにいる存在たちは
自分たちにはすべて見えている何もかも知っていると
思い込んでいる人も少なくないのです
自分がいる場所がすべてで唯一の場所で
そこしかないと
自分が知っていることがすべての情報だと
錯覚してしまうのですね

実際そういう錯覚が起きる場所なんですよ



それはまあ そのレベルの人には
そのレベルの人なりの課題があり
成長レベルの差はそのまま理解力の差でもあるので
知るべきこと(知能)に合わせて知識も与えられるので
その次元に存在する情報も異なってくるのです
なのでわざと視野が狭い状況に置かれています

4次元と5次元の世界には各レベルに合わせて
そのような知識を学ぶ場があるので
亡くなった後・・・つまり
肉体を無くして4次元5次元に移行した後で
自分が属する階層のそうした場で学ぶ機会があります
拒否する人もいますけどね とくに下位の階層では 

6次元の存在でない限り
すべてを知ることは不可能です
7次元以上の情報も6次元に行かないと得られません

でも6次元の存在とコンタクトはほぼ取れません
レベル(霊格)が開き過ぎているからです
レベル7の階層の人なら取れるかも知れませんが

そして逆にここ 一番低い3次元の世界の方が
すべての次元のどんな情報も手に入るのですよ
面白いことに制限がないんです
だから生きているうちに学んだほうがお得です
死んだ後の世界では情報は限られていますから

3次元ではすべての階層の人たちと会うことができる
自分より高い人低い人etcetc
肉体を3次元に所有している人ならば
レベル7にいる霊性の高い人とも
レベル1の低い未熟な人とも
すべての人たちと接触し交流することができる

霊的な存在だからって自分より階層の高い人
(霊的成長が進んだ人)とは限らず
自分よりも下のクラスの人である可能性も否めないんです
上のクラスの人でも6次元の人でない限りには
今いる世界のことしか見えない知らない
ほんの少しの情報しか持ってない人なんですね



今この3次元には様々な情報があふれていて
たくさんの人がいろんなことを発信していますけど
それらはどれも必要な情報なんです

ていうか この世には
この3次元にはすべての階層にいる
あらゆる霊的成長の段階にいる人々が混在していますから
すべての人に必要な情報が揃ってるってことです
存在する人の数だけ異なる情報が求められているというか
49階層のすべての人向けの教えと情報が揃ってる

だからどの情報も間違ってないんです

ただその情報が必要でない人もいるってだけ

で今 主流を占めている情報って
地球の今の段階 多数派の人に合わせた情報です
つまりレベル3の人向けの情報があふれてるってこと
そのレベルの人が人口比率で多いんだから当然です
必要とされている人たちが多いから
どうしても世の中的に多くなってしまう

そこに正しいも正しくないもないんですね

ちなみにレベル4以上の人向けの情報は少ない
レベル6以上は希少価値で滅多に出会えません
理由は必要としている人の数が少ないからです

だから
レベル3の人向けの情報が一番多く発信されているし
その人たちを教える先生たちも一番人数が多いわけです
その代わりレベル4以上の情報を教える先生も少ない

でも求めていれば
必要な人のとこに必要な情報は入りますし出会えます

私のとこで教えているのは
テクニックも知識もレベル4以上のものになるかな
そんな感じです
ここのblogの内容も求めてくれる人というか
理解できる人が少なくて当たり前なのです

(100人の子供たちがいるとして
小学生が50人以上いるのなら
小学生向けの教科書や教育システム
知育玩具などが数多くあるのは当たり前ですもの
幼稚園児や乳幼児が20人いれば
その子たち向けの育成プログラムも必要だけど
あとの30人の中学生高校生大学生大学院生は
それぞれ少数派ってことですかね
そして教師の数も必要とされている学年に集中する)


でもレベル1や2の人たちにとっては
レベル3の情報はまだ早すぎるし理解できない

レベル4以上の人にとっては簡単すぎるというか
すでに必要がないというか物足りないというか
いやさその上を目指す学びをするには
まったく違うし合わない情報なんですね

全員が同じ情報を必要としているわけではないので
それぞれが今の自分に必要な知識や教え
行動の規範や心の拠り所にする方法って
違ってて正解なのです

だから自分がピンときたもの
今の自分が納得できる情報
ふに落ちるというか咀嚼しやすい内容
この説明が一番理解できるって話を
取り入れていけばいいんだと思います

けれどそのうちになんか違和感を覚えたり
いまの自分には違う気がするというような気持ちになり
疑問や矛盾に抵抗を感じるようになったら
それは次のステップの知識に進めってことですね

その時の自分に一番必要なものに出会っているはずなので
それは成長したってことの証と思えばいいのだと思います


うんそう
blogでも書物でもYouTube動画でも
たくさんの人があらゆることをお話してくれてますけど
誰がどうとか正しいとか間違っているとか
そんなことはまったくなくてみんな正解なんですね

すべての階層のそのすべての人に対して
情報が発信されているので
誰かには必要ない情報だけど誰かには必要な情報というだけ

とにもかくにもあふれている情報から
自分のレベルに合ったものを探せばいいのです
理解できないことは
今の自分にはまだ早いことだと思ってください
意味や価値を見出せない情報は
もう必要なくなった既にクリアして
通り過ぎてきた階層の情報とでも解釈していいと思います
(けどどこかの誰かには必要な情報)

まぁたまには子供の頃の教科書とか
基礎的な知識が描かれた初歩的なもの
初心者向けの本なんかも読みたくなったり
学び直すことなど
それが必要になる時とかもありますけどね


教える側もその人たちが通ってきた道筋のこと
経験を通して得た知識を説明してくれてるのです
自分がコンタクトできる同レベルのところからの
情報だったり存在から教えてもらったことを
引き出して伝えてくれているのです

だから差異があって当たり前なんです

高次元の存在という言葉で示される人たちも
そんな感じでアクセスする人たちから見て
高い階層にいる人たちってだけです



なんか上手くちゃんと説明できているかな??
こんな説明でわかるかな??

質問があればコメントでもいいしメールでもどうぞ

2020/08/23

教うるは学ぶの半ば〜中




さて これまでも書いてきたけど
私は能天気なニューエイジ系思想にはアレルギーがあり
最近流行りの宇宙大好き〜なんてのも正直
「ちょっと、なに言ってるか分からない」になってまう

ようするにそちら系の人とは
まず話が合わないし通じないことが多いのです

それはたぶん信じている信念体系とか
哲学たる教義 状況を分析し判断するときの
拠り所たる知識のバックボーンが異なっているから

まぁ致し方ないのです

彼らが言わんとしていること 
どのあたり(現象)のことを言っているのか
それは分かるんですけどね

春分とか夏至とか何か天体イベントがあるたびに
あれやこれや言っている人たちがいるけれど
確かに意識の変換期ともいうべきことが
時代の流れの中(=宇宙の流れ)で
様々な人たちの働き(透明なヘルパーさんたち)
もあって促されているのは事実ではありますが


さてどこからどうやって説明しようかな・・・

まずアセンションにしましょうか
次元上昇と訳されていますが
肉体を持った人間は皆
生きている間にこれはできませんよ
できると言っている人は
次元そのものの定義(区分)を誤解しているんじゃないかな

私たち3次元を軸(現実世界)として生きている人間は
3次元(マテリアル界)に肉体(マテリアルボディ)
4次元(サイキカル界)に幽体(サイキカルボディ)
5次元(ノエティカル界)に霊体(ノエティカルボディ)
を持ち 
この3つの次元(3界)に同時進行で存在しています
そしてこの3つの次元で3つの身体を使用することで
様々な経験をして精神性と霊性を成長させ
6次元の身体の種を成体へと育てています
これをサイコノエティカルボディというのですが
この6次元の身体を完成させることが
今の人類のいちおうのゴールで目標です

これは死なない身体 太陽の炎にも燃えません
時間と空間を超越して存在することができる身体で
個別の存在としての自己認識と記憶を持ちながら
ワンネスの状態で生きることができます
この身体が完成することを
解脱(3界の肉体が不要になること)といいます
目的を達した以上 輪廻転生はもう必要ありません
エゴイズムで物事を判断して
個人的感情に囚われることはありませんから
ワンネスの一部として全体性を考えられるようになり
愛ある知恵や神性を持って
力を使っていくことができますから
過去生での自分の人生経験をすべて思い出しても
自虐的にもならず罪悪感も抱かず
他者への怒りや復讐心なんて持たない状態です

私たちの人間としての輪廻転生を伴った魂の旅は
いったん万能である存在(宇宙意識とか神性のエネルギー)
から分離して個別の意識を持つことでただの人に成り下がり
(なんでも創造出来てなんでもできる万能な状態から
道具を使わないと何も出来ない自らは何も生み出せない
なんの力も持たない無能な状態になった上で)
そのただの人がやがて万能であった当時の場所に戻る
そういう旅路です 
というかとりあえずは元のソース(全部が一緒)に
戻るというより個別の状態のまま個別に旅して経験した
記憶を保持していられる6次元の身体を持つところまで
そこをゴールとしています

これは地球という単位だと
地球をステージに選んで生まれてきた魂全部が
6次元の身体を所持しないと終わりにならないんです
先に6次元の身体をゲットできた人は
それに付き合わないといけない
だからなかなか進級できない人たちの手伝いを
彼らは積極的にすることになってしまうのだけども
(連帯責任があるのです)
まあその状態に達した人たちは
自分たちだけ楽なところに行ったから
他人のことはどうでもいいとは
もともと思わない人たちなんだけど

でアセンションって
死んだ時にはできるわけですよ
3次元の身体がダメになれば
次には4次元へと意識の中心が移行するので
次いで4次元の身体がダメになれば
5次元へと意識は移行します

意識の中心軸がある肉体の次元に行くこと
そのことを次元上昇(アセンション)というなら
まさに死ぬことこそアセンションですね

だけども本来は6次元の身体が完成して
6次元へと意識が移行することをアセンションと呼ぶ
そちらの意味合いの方が正しいのではないかと思います
するとアセンションは解脱(光明)になりますね

実際アセンテッドマスターと呼ばれている人たちは
6次元の身体をゲットした人たちなので

するってーと
アセンションすることは簡単なことではなく
簡単に言える言葉でもないんですけどねw
解脱までの道のりは今の人類(地球人)には
とてつもなくハードルの高い道のりですから

だから簡単に地球が次元上昇するとか
アセンションしましょうとか
そういうことに対してはどうしても
引きつった乾いた笑いしか出てこないのです

でもね 
何百回も転生している人は多いのに
地球というこの惑星では
レベル1から3の人たちだけで
全人口の7割を占めているんです

レベル4から7までの人は全体の3割しかいないんです
そして異端なマイノリティで変わり者とされて
生きづらい世の中なんです 迫害もされます
この割合をひっくり返すこと 
どれほど大変なことか想像できます?

2020年という時代でやっとここまできた

まだまだそんな感じなんです



あと二極化ね
んー

これは成長のスピードが早くなる人と
往来通りの人と差がついてくるってことみたい

さほど重要なことではないですね
いまさらって感じ


ライオンズゲート
この言葉ってもともと神秘学思想というか
とある秘密結社が昔から言っていることで
本来宇宙とは関係ない用語(意味合い)ですよね
どうして最近になって使われているんだろう

まあイルミナリティとかとは別の団体で
ある秘教的知識を伝えている組織?
知識の継承団体があるんですけど
(フリーメーソンはもともと秘密結社ちゃうし)
そこに属している人なら知ってることだなあ
WBFの人たちなら知っていると思うが

プロレス団体かっっもしくはWHOやWTOっぽいw


そしてやはり長くなりそうなので分けます
前半後半でと思ってたけど上中下になりますかね

教うるは学ぶの半ば〜上

私は今となっては
ヒーリングや心霊的現象などはもちろん
精神世界やオカルト系の本を読まず
スピリチュアルといやさスピ系といった類の情報も
必要を感じないこともあってほとんど無関心

同業者の友人知人も僅かしかいないし
そっち方面の他者のblogを読むこともない
昨今はblogよりもyoutube動画で
たくさんの人が配信しているのだけれども
そっちもあんま興味がないですね
まったく見ないわけではないけどほとんどが
私にはあまり関係のない情報だと思うのです

しいて言うなら漫画を読むくらいですかね
はい 永久保貴一さんの本は面白いです

ああそう
たまに前向きな気持ちになりたいときには
バシャールのメッセージくらいは聞きます
でもあれバシャール情報は使い方というか
受け取り方次第なんですよね

あれは能天気すぎるといいますかね
ある一定のレベル以上に達した人にとっては
該当するというか有益なメッセージになりますけど 
まだそこまでのレベルに達していない人には
甘やかして霊的成長と精神的進歩を妨げてしまう
一歩間違えたらの"優しい虐待"なメッセージになる

それはバシャールに限ったことではないけど

ようするに
自己肯定が低くてセルフイメージが確率してなくて
罪悪感や自虐的な呪縛でがんじがらめになってる
自分への差別と虐待が止まらない人には
必要で有益な心と精神のクスリになる

けれども
自分を甘やかしてくれる
耳障りの良い言葉を求めている人
努力をしないことの言い訳を探している人にとっては
肥大した自我をさらに増大させて
根拠のない自信をつけさせる結果にもなりがち

まぁ 伝える相手を選別せずに
すべての人が受け取れる状態で
発信されているメッセージなので
受け取る側の内面によって
その人に及ぼす作用が異なったとしても
それは当たり前なこと

youtubeなどの無料配信動画にしても
blogで無料公開されている文章にしても
今はどんな人に対しても公平に開かれて
その人の状態やレベル関係なく
誰もが公正に受け取れる世の中になりましたから



さて
時おりクライアントさんなどから
今どき流行りのことについて聞かれることがあります
「これってどういうことですか?」
「これについてどう思われてますか?」
など

例えば"アセンション"もその最もたるものですし
最近では"二極化"とか"ライオンズゲート"とか

ああ いわゆる宇宙ってやつですね、な話

いやさ宇宙は好きですよ?
天体望遠鏡で天体観測とかまではしませんでしたが
子供の頃から夜空の星座を見るのは好きでしたし
流れ星も探しましたし 占星学も学びました
カール・セーガン博士の「コスモス」は愛読書です


でも その手の方達がおっしゃってる話を聞くたび


と思ってしまうことは否めません

いやさ

いわんとしていること
いちおう分からないではないのです

宇宙の法則っていうのは自然の摂理というか
この世の法則のことですしねぇ
心霊科学や霊的真理でいうところの神聖なる計画
結局同じことを言っているので

地球も宇宙の一部ですし 
地球も宇宙の法則の中にあるし

だから地球と宇宙をわけて考える必要なくね?

なんですけどね

早い話が私たち人間は宇宙または絶対存在の一部として
その意志のもとに生まれ 
全体性の中にある最小単位の一部として個(自我)を有し
神聖なる計画のもとに宇宙の法則というルールに従って
生きているだけなんで

これを「ミクロコスモとマクロコスモの関係」
とまとめることもできますが

ただ地球では三次元の世界がメインで
三次元に生きる私たちのステージ中心なわけです

ここを別に地球の法則と分ける必要はないのです
この地球の常識も宇宙の法則(ルール)なんですから

バシャールにしてもエイブラハムにしても
エクトンもプレアデスなんちゃらも
宇宙意識と言われる存在たちは誰しもが
かつては自分たちが帰属する天体(惑星)の
3次元4次元5次元にそれぞれの身体を所有し
様々な人生を展開して輪廻転生を繰り返して
霊的成長を遂げたことから6次元の身体をゲットして
輪廻転生から卒業して6次元以上の存在となった人たち

いわゆるアセンションした人たちという意味で
アセンテッドマスターという言い方もできる

基本的にはその状態になったら
自分たちが帰属するその場所からサポートするけど
他の天体や銀河に来るってことは
周辺に手伝う必要のあるところがもう無いからでしょう
それだけです

わざわざ遠いところまで来て手伝う必要はないけど
それをするのは同胞への純粋な奉仕の精神と愛から
それかよっぽど暇で退屈だからw

でも地球のことは地球に住んでいる私たちが
責任持ってなんとかしないといけないんですけどね
地球がこんなんなっちゃったのは私たちのせいで
ぜんぶ自分たちのしてきた結果だから

だからボランティアで手伝いに来てくださるのは
ありがたいし それを拒否する必要もないけれど
感謝してアドバイスを受け入れて
差し伸べられた手はありがたく受け入れるべきだけど

宇宙意識と言われる彼らは6次元の存在だから
3次元を中心として生きている私たちよりは
確実に進歩しているワンネスの存在ではあるけれど
彼らがしてきた経験は彼らの天体での経験であって
彼らが地球上で得た経験ではないということ
すなわち地球の経験ではないということ
ここは理解しておかないといけません

なぜって
地球と別の天体は別々に発展した文明だから

同じ地球上でも
南極と北極 南米と北欧諸国 アジアとアフリカ
といった異なる地域では
気候とか環境とか発達した文明や人類の歴史や
築かれた国とか法律とか常識とか風習や伝統
そういうのが場所によって違うわけですよ

だから地球のことは地球のあちこちで輪廻転生して
最終的に6次元へとアセンションできた
そういった人たちのほうがよくわかっているし
地球にいる地球人たちのこともよく理解している

実際その人たちがメインでサポートをしていて
宇宙意識たちはあくまで外部からの助っ人
ここに協力関係はあれど対立はないですけどね

(転生先があっちの銀河こっちの太陽系と
変わることってほぼないです
地球に生まれた人はあくまで地球の一部なので
地球で輪廻転生を繰り返しますよ
ただ稀に地球に助っ人にやってきて
そのお役目のために地球人として生まれたのに
「てへっ宇宙人だったこと忘れちゃった」人も稀にいるw
それとものすごく古い時代に地球に探索?遊びにきて
宇宙船墜落して死にました→まだ6次元の身体育ってません
なので地球人として肉体持って生まれます・・・
で転生してそのまま地球人やっているって人が
少数ですがいるかな 大体記憶無くしてますがね)



まあそのあたりはちょっと置いておいて

皆さんいろんなこと言ってるけれど
私は別に批判がしたいわけではないんです
そして皆さん別に間違ったことを仰っている
というわけでもない

全部必要な情報と言えばそうです


簡単に言うと
今の地球は宇宙全体で落ちこぼれの劣等生
太陽系ではビリケツ 

そして端的に言うと
今の私たちが目指しているゴールって
6次元で生きられる身体を所有することで
そこをレベル8とするならば
地球全体の平均値ってまだレベル3なんですね

このレベル3の常識で地球は回っている
ここに属する人が半数くらい
そしてレベル1、2の人たちが2割
レベル4以上(〜7)が全体の3割で
各レベルはマイノリティであって
レベル3の人たちが大半を占め主流な社会では
かなりの異端な人たちって扱いなんですね

どうです?
どれだけ地球が低い波動なのかわかります?

ちなみにレベル3では「私がー私がー」な
自分主義でエゴイズム丸出しの社会です

レベル4でようやっと
「あなたと私」というように他人と生きる道
他者のこと全体のことを
少しずつ考えられるようになります

今回のコロナ禍では
レベル3の後半にいるけれども
なかなかこのレベル4へと至れない人への
後押しではありましたね 確かに

各レベルはそれぞれさらに
7つのレベルに分けることができるので
(レベル3の1とかレベル3の6とかいうように)
レベル3の7の人がレベル4の1に
ステップアップできるような
全体性の中での経験や精神的目覚めを促すものでした

あともうちょっとなのにーって人に対してね

確かにレベル4にステップアップした人が増えれば
社会の流れは変わるし 波動も上がるのは事実
一番いいのはみんなが一歩ずつ階段を上るがごとく
今いる場所から進歩すること


ここまで書いたけどいったん切ります
(一気に書くには疲れたらしい)

2020/08/22

五十にして天命を知る

一人ひとりに天の使命があり
その天命を楽しんで生きること
by 渋沢栄一

50と言ってもそんなのはとっくに過ぎて
自分はもうアラカン(嵐寛寿郎ではなく)なんで
そういう意味では自覚するのに遅咲きもいいところ

何しろずっと導きだの天命とやらには逆らって
天に唾して抵抗する生き方をしてきましたから


  27年前 台湾の某寺にて気功修行中の私 
  先輩に誘われて好奇心と格安で海外に行けるという不純な動機で参加しました
  一見それっぽい服だけど下はジャージとスニーカーw
  ここめちゃ氣の湧き出るいい場所でした
  ここで医療気功を学び御年90歳の老師から教えや三種の神器を伝授して頂きました
  台北から車で4時間もの山奥でしたけど 行けるならまた行きたいなあ  


過去記事にも同様のことを繰り返し書いていますけれども
セッションの場ではクライアントさんの過去生の情報を
読み取ることや同時に解放する施療をすることが多いです

最近ではもっぱら私が一方的に行うというより
どちらかというと審神者的スタンスに立って
ヒプノやチャクラヒーリングの手法を用いながら
クライアントさん自身に見てもらいながら対話的方法で
・・・というのが多いのですけど

そしてこれも度々書いてきましたけど
先の戦争(第二次世界大戦)で亡くなった過去生を持つ方
本当にたくさんいらっしゃるのです

とくにドイツ人(SS)とユダヤ人だった方

戦争で亡くなったことのない過去生を持つ人自体
まずいないというのもあるんですけどね

第二次世界大戦では
日本兵として戦地で散った英霊 
東京大空襲や広島そして長崎の原爆での被害者
ロンドン大空襲で亡くなった人
アメリカ人でノルマンディー大作戦においての
パラシュート部隊の一人として亡くなった人
ポーランド人でカチンの森に埋められた方
フランス人で戦闘に巻き込まれて亡くなった人
とかとか

その他の戦争だと
ベトナム戦争にてベトコンに殺されたアメリカの兵士 
アメリカ兵に村ごと虐殺されたベトナム側の民間人 
カンボジアの内戦にて子供兵士に殺された教養人
ナポレオンのロシア遠征の帰途にて凍死したフランス兵
サンダンスの儀式中 騎兵隊に虐殺されたインディアン
第一次世界大戦で塹壕にて爆死したドイツ兵
アラモ砦やロシア革命やetcetc

ものすごーく古い時代のだとそれこそ
アレクサンダー大王の大遠征とか十字軍遠征とか
バラ戦争とか侵略戦争とか
中国の戦国時代とか晋と楚の戦いとか
ピラミッドや万里の長城建設中に労災死?した人とか
まあ歴史的に教科書に出てくるものから小さなものまで

今はみなさん 日本人なんですけれども

そして戦争による死は本当にトラウマになります

いやさ戦争だけでなくて
民族浄化によるジェノサイド 侵略による大量処刑
捕虜に対するリンチや拷問 革命による殺戮や惨劇
戦争や侵略にはありがちな女性や子供老人への殺戮
地震や津波や洪水 火山の爆発などの自然災害
伝染病と感染症の流行による大量死  生き埋め
船の沈没とか飛行機の墜落などの大事故 
獣害だったり殺人だったり餓死とか火事による焼死
刑罰だったり冤罪での縛り首とか裁判なき死とか

ありとあらゆるすべての死がトラウマになり得ます



最近もアウシュビッツで亡くなられた
過去生のパーソナリティを解放することをさせて頂きました
私は誘導するだけですから立ち会ったといった方がいいのかな

たくさんの同じコミュニティに属していた
ユダヤ人の犠牲者の方たちもその方を軸にして
集合体無意識すなわち
グループエレメンタルとして繋がっていました

(ちなみにご本人・・・そのクライアントさんは
前年にイスラエルとポーランドはアウシュビッツ記念館に
行かなくちゃと思って行かれたそうです)

当時それなりの社会的地位を築いていた方なのに
全てを剥奪され職場も地位も追われ
ゲットーに隔離されてそしてアウシュビッツに送られて
家族と引き離されて 不安の中
ガス室で苦しみながらこの世を去った方です


この仕事を初めて最初の頃は
どちらかというとSSだった過去生を持つ方
(収容所の管理職)と出会うことが多かったんですけど
※このような方々と対峙するのはかなりきつかったです

なんであえて日本人として生まれている人の中でも
そのような過去生を持つ人が
私のところに来る確率が多いのかな?って考えたとき

そういえば
私もその時代にユダヤ人だったから?
なのかとも考えちゃいます

(といっても当時の私はユダヤ系ドイツ人で
幼少期にアメリカに渡ったこともあって
中途半端なユダヤ人というか
完全にアメリカナイズされて育っちゃって
自分のルーツの自覚はなかったように思うのです)


でもこの時の彼らの背景や歴史について知識があるから 
お陰様でこういう時 この仕事ではお役に立てている
(常に新しい知識や情報を勉強させられてますけどねっっ)


今回ずっと苦しく辛い想いをしていたその人が
とても会いたがっていたご家族との再会をお手伝いでき
死の苦しみによって結び付けられていた人たちの
その枷を外して解放のサポートが出来て

「救ってくれてありがとう」 

との言葉をいただけた時

この仕事をしていてよかったな・・・って改めて

過去のどんな亡くなり方をした
パーソナリティのエレメンタルであっても
毎回そうなんですけども

こういう力が備わっていというか
こういうことができる自分でよかったと
自分を肯定できる 心からそう思う瞬間でもあります


彼らは幽霊というのとは違います

たまに幽霊も迷子になって
ヘルプミーって来る場合もあるけれど
私はそっちはやはり専門外なんですね 
そっち方面の人は例外的に扱うことがあるって感じで

私の担当はやっぱりエレメンタル
過去生のパーソナリティの解放が専門分野のようです
※幽霊とエレメンタルは似て非なるもの

とにもかくにも
次の段階に進むこと能わず 苦しみの中にいる方達の
サポートが出来ていること 道案内になれていること
それは私の至福の喜びで生きがいなのです


そして過去生を紐解くということは
今生のパーソナリティの好奇心からの
自己満足を満たすために教え伝える情報ではなく

どこから派生しているのか分からない
今生の人生の苦しみの原因や
コントロール出来ない感情的反応の理由を紐解き
なおかつ
過去という次元空間 
牢獄の永遠の囚われ人となっていて
出口を見失い 行き場を失ってしまった
感情と人格の解放と救済

それ以外の何ものでもないのです



生きる、それは自分の運命を発見することである
byアルキメデス


広島は宮島にて行われた
ダライ・ラマ法王猊下の法要に
施主参加させて頂いたのはもう14年前のこと

この時はヒーリングの仕事を始めたばかりの頃でした

その時はラマ様のことは知ってたけど
さほど興味はなかったんですね
でもたまたま情報が入ってきて
そして日程が誕生日と重なっていたので
気にはなっていて

ある時「行かなければ!!」と思ったんです

申し込みした後でなんか
室内に異様な雰囲気が・・・っていうか

一人また一人とやってくる人たちが
(見えない人たち)
甲冑をつけて赤い旗を持った人たちです

どんどん増えていき なんか部屋が息苦しい
目には見えないけど ものすごく団体様なんですもの
しかもムサイ 汗臭そうなおっさんたちだしっっ
圧迫感がすごいのなんの

物理的には六畳間の部屋なのに
そういった現実を無視して何百人といるですよ(謎)
鮨詰めというかなんちゅうかほんちゅうか
ありえねー



そんなある日 
同業者の知人が遊びに来てくれたんです

部屋に入るなり

「・・・甲冑つけた武士たちが・・・たくさん
 団体様ご一行で後ろにぎょーさん並んでるんだけど!!
 どうしたの??  なんなのこの人たち????

はい うちのご先祖様たちでした
(と言ってもご先祖は一部で残りお仲間のほうが多かった)

どうやら宮島行きも彼らに仕組まれたことのよう
(わかる人はわかると思うのですが
宮島厳島神社は平家にとっては特別な場所なもので)



でも別にわざわざ私の部屋で待機しなくてもと思った
いちおう私は女子(えっ?)なんですから
おっさんたちはさー遠慮して欲しかった とほほ

法要の場にぞろぞろと着いてきた彼らは
一人また一人と上がって行って 
なんかとても嬉しそうでした

その上がり方っていうのが
また一人また一人と
一人ひとりがすっーと光の玉になって
光の筋を残しながら次から次へと
天(空)に吸い込まれていく感じ

なんかちょっと感動した
うるうるきた

一ヶ月くらい一緒に過ごした?おっさんたちなんで
みんなとってもいい笑顔で上がっていくんだもん



そして私は
宮島であなご飯と牡蠣ともみじ饅頭
広島市内で広島焼きを堪能したあと


引率したんだから 
ガイド代払え〜!!
(それと滞在費もだ)

と広島の中心で金を要求した


が・・・

未だに支払いないよなあ


ちっ!

食い逃げにあった気分だぜっっww


  ラマ様と施主全員で記念撮影
  この時の私、今より老けてます PTAのおばさんみたい とほほ
  そしてラマ様に会ったならば チャーミングかつ可愛い方で す・て・き
  オーラも広大でとっても暖かくまろやかでうっとりさせられたつーか 
  なんていうかもうハートを鷲掴みされて瞬間的に惚れたw 以来ファンです

2020/08/21

恐れと攻撃性 人間の狂気




コロナ禍に関して
当初懸念していたことが起きているなあというのが現状

ウイルスよりも死んだ人間よりも
生きている人間が一番怖いです

過剰反応っていいますか
コロナに罹ったことを責める風潮
いわゆるコロナ叩きですね

これが一番恐れられていたことであり
私たちに対しての「お試し」たる
人間性と愛を試されるレッスン

いまや日本中でこのようなことが起きています

先々週 私の住んでいる町内で
感染者の人が出たよって時には

「そっかー 気をつけないとね」
「色々と気も緩んでいる時期だから
 マスクもちゃんとして 
 手洗いも忘れないようにしましょうね」

特にどこの誰って詮索する人もいずに
そんな声がけですみましたんですけどね

都会で住人が多くて
集合住宅が多い地域だからかもしれませんけど
古くからもともと住んでいて事情通の人たちが
そんな感じでしたから 
それが都会の良さと言えるのかもしれません

うん
私も戸外でソーシャルディスタンス守らず蜜になって
マスクもせず固まっておしゃべりしている人たちには
「この町内でも感染者が出たから 
 せめてマスクはしていた方がいいよ」
と注意はしたかな

どこの誰ってのはこの場合 いらない情報だし

もしかしたら自覚症状ないだけで
ウイルスの運び屋になって
何処かや誰かに持ち込んだのは自分かも知れない
だから誰かを責めることなんて出来ない

病気には誰しもがなりうることで
掛かっちゃったら仕方ないことであるけども
何しろこの風潮というか
罹った人や家族が責められたりする世の中なんで
媒介にならないよう感染しないように
お互い気をつけましょうってホントそれだけ


そうやって人は流言流布にどれだけ踊らされてきたのか
どれほど多くの人が人の口に殺されてきたのか

言葉というナイフで他人の心を切り裂き
命を奪ってきたのか

私自身の言葉の使い方をも鑑みる必要性があるのでしょう
 




2020/08/17

われらここに励みて国安らかなり

時おりここに書いたりProfileにも書いているように
母方の祖父母は明治維新までは薩摩藩士族の家系で
祖父方は800年前の源平合戦にて負けた平家の落人
私自身は単なる高卒の建具屋の娘ってことで
自慢できるものがそのくらいですのってことで
虎の威を借る狐のごとく
先祖は武士ですとえらぶって言わせて頂いているw

でも武士って言ったって
はっきりいって人殺しの子孫ですがな
恥と思えど ふつー自慢にはならんわ

そして伊勢平家とは言っても奢り昂って負けた一族
(平家って桓武天皇の子孫なんていうけどさ
そんなDNAなんて1ミクロンも残ってないと思うし
途中托卵とかあった可能性も否定できないモン)

明治政府(維新)では薩摩藩は勝ち組で
戦国時代で鬼島津と言われた君主こそ自慢ですけど
薩摩は薩摩でも地方の城勤務の一兵卒
大量にいる侍たちの一人にしかすぎないわけ

いばりくさって御百姓さんいじめてたりとか
町人虐めしていた嫌なやつだったかも知れないし
西南の役とかそれ以前の戦国時代の戦でも
ちゃんと働いた人たちなのか正直わからない
薩摩藩は琉球の人たちに意地悪だったし
浄土真宗の人たちのことも
キリシタン以上に弾圧しているしなー
いっぱい恨みかってそうでトホホ

斉彬どんの時代には勅命受けて幕府に内緒で
極秘任務として潜水艦作ってたらしいけどさ

侍の孫たる明治生まれの祖父は
陸軍の一兵卒として先の戦争に行ってきたから
武士が現代の軍人とするならば
うちはやっぱ軍人の家系なのだろう
でもじーちゃんの職業は大工だったけれど
(父方は膿家ですが先祖カウントしていない私)




さて数年前 電波な体験もとい
天啓降りてきたことがきっかけで
あれやこれや目に見えない人たちと遭遇し
日本の土地のお掃除に参加することとなった

どういう電波な体験かというと

ある人と一緒に家で雑談しながらくつろいでいたら
なんの脈略もなしに新撰組の伊東甲子太郎氏が出てきた
突然現れて話しかけてきたっつーか?

とにかく固まった 白目になった
(アンタ死んだの京都だろう ここ東京よ?)

新撰組血風録はドラマで見たことあるし
彼らについてまったく知識がないわけではないが
同氏のイメージはNHKドラマでの
故竜崎勝氏のイメージであったので
最初見たときは「あんた誰?」状態であったし
名前名乗られても知らんがな・・・
そしてビジュアルに夢は砕かれた(だって竜崎氏ちゃう)

  残念無念 現実は甘くなかった くぅっー涙


そして性格でなくて見た目だけなら
新撰組では土方さんの方がタイプです
中身は鬼畜だけどさー

小日向さんになぜか似ているカッシー そりゃ左より右のビジュアルに女はいくぜ
いやさ ごめん小日向さんっっっ いい俳優さんです


そうしてフリーズしていると
今度はご先祖様のオーナーであった
なりーいやさ斉彬どんが出てきて
(この人は流通している写真のまんまだった
しかし顔はやや大きめだ)

「日本が危ない」と曰う


これは一体なに???? 
何が起きているの??

私は頭がおかしくなったの???
これは幻覚なの? それとも夢なの?

けれども そのとき私は一人ではなく
一緒にいたもう一人の子も
まったく同じものを見ていたし
同じ言葉を聞いていた(頭の中でだけど)

つまり脳内妄想ではなく
二人して同じ体験をしていたのであった

二人で顔を見合わせて 目が点になってました

マジかー!!

おーまいっがっっ!


でもなんであんたら繋がってるの?
一緒にセットで出てくるかなー???

時代はかぶってるけど
生前に関わり合いないはずでしょ?

・・・という疑問も感じる間も無く

あーだこーだあーだこーだ
(ようするに 
ちょっおま 手伝えや・・・って感じ?
まあ先祖を何百年も食べさせてくれていた雇い主?
オーナーだしぃ< 主君と言え
源氏の追手から庇い
守ってくれた恩義があるのは事実なので
断れませんっっ
それでこいつなら断らないと御鉢回ってきたのか??)


ようするにさ
時代は違えど 自分の国のことを思う人たちって
いつの時代にもいるわけですよ どの国にも
日本には日本国のことを憂いて 守ろうとする
良い国に導こうとする人たちがいるわけ

それぞれ異なる時代 異なる場所に生まれていても
日本人として国のために尽くし生きた人生の
ある意味 過去生としてのパーソナリティがね
同じ志を持つ人たちと共に手を取り合い協力しあって
この国の秩序とか平和とか精神とかそういうのを
護ろうと見えない世界で尽力してくれてるんですね
(でもその逆の勢力もいるわけなんですよ 
困ったことに)

そういうのを知ったのがその夜

そして一番のトップつーかボスは
誰もが知ってるあの人だったりするんだけど
さすがにいまだに名前は出せないし内緒
<日本人です

ああそう 
仏教宗派の開祖とかいう人たちも対立することなく
基本的にみなさん仲良しですよ
ちょっと苦手とかそういうのはあるみたいですけど
(仲良しってのとはちょと違うかっっ)

話それましたけど なんか確かに
そういう予兆がないわけではなかったんですよね
急に東御苑行きたくなって行ったらば
桂昌院に会っちゃって(護国寺ではなく) 
その後 日光に使いパシリに行かされて
ここでもいろいろあって
天ぷら食べたいから身体貸せと言われたり
(あたしゃエビが嫌いだし揚げ物苦手なのにさー)

奈良行って法隆寺行って信貴山行ったりで
電波な体験いっぱいしました この時期は

ホントこの頃はワケわからなかった

一言でいうと頭のおかしい人状態だった


色々やらされること・・・なんですけど
一人ではとてもできないことなんです
できるはずないんです
四次元の世界 サイキカル界に対して
三次元から色々とアプローチすることなんですけど
四次元もしくは五次元の存在に
協力を頼まないことにはなし得ないことなんですね
でも三次元の存在も媒介として必要なわけです

その御鉢がなぜか私に回ってきたと・・・ここ謎の人選

で毎回 
適切な人材にコンタクトを取らないといけない
人を集めないといけないっていうのかなー

この時点でまるで人材派遣業の人足集めという気も

誰に頼んだらいいんだー!!と頭を悩ませているある時

「我々に何か協力できることはありませんか?」
(言葉でなくて脳内に語りかけてくるので
言葉遣いは私の言い方に変換されてる)

それは軍人さんでした

祖父の写真で見た くたびれた軍服ではなく
なんか大層ご立派な軍服の凛々しい方達
すがすがしい人たちっていうのかなー

これは仕える!!  この大量の人材イケる!

もはや人足集めの親方と化した
私の目がきらりと光ったのは内緒です

うん 彼らって真面目で実直 仕事は正確で勤勉
しかも上官付きだから 上官に頼めば後はお任せ
まさにうってつけの人材です ゆとりと違います
文句言わないし とにかく統率取れてます
無理を言ってもブラック労働でも頑張ってくれます
(イマドキの部下に悩まされてる管理職の方達にとって
喉から手が出るほど欲しい人材に違いありません)



あれやこれやで一段落して しばらくたったある日

新宿の某カフェで知り合いとお茶していた時のこと
(ちなみにその人はそういう感覚がある 私より視える人)

ザッザッザッザッという
大勢の足並み揃った靴音が響いてきて
それがどんどん大きくなって
横で止まったんですね

私「ん?」

某さん「・・・ねぇ(怯えた小さな声で)」

私「ん」

某さん「今 足音が聞こえてきて 
 だんだん大きくなって 
 ここつーか横で止まったんだけど?
 ものすごく大量の人の足音 
 まるで整列した軍隊みたいな(半泣)

 う・・・そして隣に
 たったくさんの 
 大勢の軍服きた人たちがいるんだけども(半泣)」

私「・・・
  ん? 軍隊・・・軍人さん?? 
  えっ?
  ・・・・・・・・・・・・
      ・・・あっ!!」

上官さん「あのう・・・
     この後 自分たちは
     何をしたらいいでありますか?」


しまったっっ!!

もう終わったので帰っていいですよって

解散しましょうを伝えてなかった!!

しまったー!!

彼らに仕事頼みっぱなしで
そのまま頼んだこと自体
忘れてたーーーー!!!

ごめーんっっ

今までずっと放置されてたのに
真面目にそのまま継続して働いてくれてたのねー

ごめんなさぁーいっっっ!!


いつまで経っても私が何も言わないので
わざわざ聞きに来てくれたのねっっ

すみません すみません

無給で働いてくれてるのにぃぃ
(私も一銭ももらってないぞ みんなボランティア)

ホント仕事頼んだまま放置プレイするなんて

ひぃーーーー

これが有給なら残業代えらいことになってる
(人数が人数なだけに)

うん

皆さんとっても働き者というかなんていうか
熱い人たちなんですよね 

国の将来を思い 民を思う気持ちっていうのかな
世のため人のためになることを
亡くなった後も常に考えていらっしゃる

私はそこまで日本という国のこと
考えてなかったなあ 今もだけど

中野に所用で行った時は
陸軍中野学校の出身者という方にも
声をかけて頂きました 靖国でももちろん
自分も力になりたいということで
(えっともちろん他の人には見えない人です)

変わり種では田中正造さんなんかもいたなあ
まっすぐで可愛いおじさんだった

吉田松蔭も熱い 熱すぎた

みんなすごい人たちだったなあ 

・・・と今 
あのメンツのことを考えるとそう思う
(名前書けない人多いけども)

そして今はもうコンタクト取れませんけどね
おかげさまでただのBBAに戻れました


死んだら会えるかなー
けど私はまだまだだから 
彼らがいる場所にはいけないなあ 
会える人もいるかもだけど


たぶん そして彼らは今も
私たちが見えないところで
この国のために
あれやこれやと働いて尽力してくれているのです

ありがたやありがたや

なんてったって
生きている人が頼りにならないからねー
(ってソレあたしのことか いや政府のことだよねん)


まあ信じなくていいですよ 信じる必要なんてないし
信じられなくて当たり前だから

2020/08/11

誠心誠意〜克己復礼を仁となす

例の如くblogのテーマから逸れた
個人的な呟きなので興味ない人はスルーしてください


私がヘアカットをお願いしているスタイリストさんは
フリーの方なんですが昭和生まれの私よりお兄さんで
お願いですから長生きしてくださいねって
なんかまあそんな感じw

して つい先日伺った時 話の流れもあって
ここにも書いたライブのことなどを愚痴ったんです

それなりに人生経験を積んでいる方だし
何よりもお客様あってのサービス業をされている方
細かく私がすべてを話さなくても核心に触れる前に
大体の流れでいわんとしていることを解って下さる

「そう! そう! そうなの!!
 何に腹が立っているかというと
 そこなんですよ!!
 その点なの!!!」

なんかそういうこちらの
「気持ち」をちゃんと分かって下さる方がいると
ホッとするというか救われる気持ちになりますね

ちなみに
芸能人やミュージシャンとかいわゆる業界人も
クライアントにお持ちで業界の裏事情も知っている人
そのような業種の方達のあるべき姿勢っていうのかな
かくあるべき対応っていうのについても一言お持ちで
そのような意味でもお話してだいぶスッキリしました


そしてこんな素敵なブローセットをいつもしてくださる
これを自分でも再現できないのが悩みの種



こころが無い対応がね 問題なんだよね
 そこに人は傷つくんだよね
 ファンを傷つける心のない対応をしていること
 それはバンドの責任だよ
 
 バンドの資質というか姿勢がね 
 事務所やファンクラブやスタッフとか
 末端にまで現れるものなんだから

 ちゃんとファンを大切にしている謙虚なスターはね
 末端にいるスタッフにまでその精神が伝わっていて
 そりゃいい仕事するから
 それもバンドのカラーで個性で人柄でね
 そういうのってちゃんと出るんだよ
 お知らせの方法ひとつにもね」


「それ まずいよね
 直前で追加記載とか変更あったなら
 ちゃんと誠心誠意説明して謝罪して
 そこをちゃんと説明すれば誰しも納得するのに
 それをしないってダメだよね
 楽しみにしていたファンの気持ち踏みにじったんだから
 自分たちがそれをしているってこと
 気づくべきだし指摘されたらさ謝んなきゃ

 それに
 プロモーターがwebで掲載する文章は
 バンドが事前に絶対チェックしているはずだから
 その時点で口出ししないのダメなんだよ

 自分たちのファンに向けて伝える言葉だもん
 デビューすぐのひよっこならまだしも
 私たちの大切なファンにこんな言い方だめですよって
 ちゃんとここは書いてください 
 この文言は入れて下さい謝罪文書いてくださいって
 食ってかかんないとダメなの

 もしそういう文章を掲載できなかったとしても
 間に合わなかったとしてもさ

 バンドのリーダーが 
 自分のSNSで
 ちゃんとファンに伝えるべきことなんだよ
 今はそれができる時代なんだから
 一部の方には申し訳ありません 
 こういう事情でこうなったんですって

 ファンを守ろうとしないのって終わってる
 ファンを大切にしないバンドだってことだよね

 自分たちがさ 誰のおかげで食べられているか
 今があるのかわかってないんだよ」


そして大物タレントの某さんや誰それは
どれほど謙虚にファンを大切にしているかとか
「皆さんのおかげです」と常に気取らずで
スタッフで心を一つにして一枚岩の
素晴らしいチームを作っていますよ
なんて話もしたりして

そうなんだよね そこなんだよね
音楽やっている人はそうあって欲しいよね
歌って「こころ」なんだから
人間性って大事だよね
とかとか



ほんとね 
最近はこういう話が伝わる人が少なくなりました
なんかなー 昭和生まれにしかない感性なのかな

とにもかくも話通じる人と話すともやもやが晴れる

公式Twitterに私がクレーム書いたことに対して
「わがままじゃね?」みたいに叩く人いたからさ

なんでみんなそこ怒らないわけ?
おかしいって思わないわけ?
突っ込まないの???

でしたし


そうなんですよね
最初は普通にライブ開催しますって告知で
先行予約の日付だけで電子チケットになるという
そういう文章はまったくなくて
今からFC入れば先行予約間に合いますからって
メルマガでも入会をひたすら促しまくって煽って

先行予約前日になって「追記」というページになり
購入はスマホのみですIpadやPCでは購入できません
それだけその文面だけ

電子チケットになった経緯や
電子チケットでは購入できない人への
説明(謝罪)はいっさいない
一言もないまったく触れてもいない

そのことに問い合わせても返信なし
公式Twitterのライブの告知にクレーム書いてもスルー
バンドリーダーも自分のTwitterで
公式Twitterへのファンの書き込みも
全部読んでますからと書くも(読んでるとアピる)
そのような疑問や購入者制限があることに対しては
触れずにスルー

なんなの?? この人たちって思うよ

直前まで入会勧誘しておいて何ソレですのよ
騙してるっていうか詐欺じゃん

先行予約でチケット買えますよって言って
買えないんじゃん買えない人いるんじゃん

チケット買えないなら 
期限切れのままにしておいて
再入会しませんでしたよ??
このコロナ禍でみんな懐厳しいんですよ?

購入者制限があるなら 条件があるなら
そしてそれがコロナ対策のせいであるなら
こうした状況下やこのご時世で
開催するためにはそれしか方法がないというなら
それは致し方ないことではあるけれど

楽しみにしていた気持ちを踏みにじられて
その辺りの説明が一言もないのって
不誠実ではないですか?って書き込みしたのに
スルー

そして
「抽選外れたと思ってあきらめれば」
みたいに非難されちゃう

なんか人の気持ちがわからないこんな人たちと
同じものを好きでいたくないわとも思いました

(ハマショーなんて
今年から来年までライブできないから
希望する人にはファンクラブの会費返金するよーって
めちゃくちゃ誠実な対応してくれてるんですけどっっ)

なんでもコロナ禍対策のせいにしないで欲しい

コロナだから仕方ないのが現実ではあるけど

コロナだから仕方ないんですからって
一方的に理解を求められることではないと思う

コロナを言い訳にして
企業として 人としてやるべきことをしないのって
本当に不誠実だし いい加減だし
愛のない 心のない 思いやりのない
常識も道理も何もない人たちだって
心の底の底からがっかりした

本当に 企業として 人としてどうなの?ってこと

誠実さのかけらもない

コロナ禍だから こんな時代だからこそ
人間的な対応を省略して
触れ合いを制限しないといけない状況だからこそ
その裏にある「人間らしさ」「心」を
大切にしないといけない時代であるのに

歌って 音楽って 
心や思いを伝えるものであるのに
人と人を繋ぐもので 人に聞かせるものであるのに
人の心に届けるものであるのに

そして歌って「言葉」を紡いだものであるのに

その大切な言葉を疎かにして 軽んじてて
人の想いや心を踏みにじるやり方をして
何が日本の心を 精神を世界に伝えるだ!!

ふざけんな!!

いったい人としての当たり前のことができない
人の「こころ」ファンの思いを平気で踏みにじる
こんな人たちの奏でる音楽に 歌に
何の価値があると言うのだろう

歌詞だって 
今まで彼らが音楽に対して語ってきたことも
すべてが嘘くさい


今まで応援してきた5年間を返せー!!ですし

50年は音楽を聞いてきたロックファンで
U2のボーノが40年前に来日したとき
「日本人は日本人らしい
 日本人にしかできないロックをやるべきだ」
と言っていて
だから彼らがでてきたとき
「ボーノ!! 出てきたよー やっとだよー」と
MVのURLを「見てみて〜!!」とかしちゃったけど

そんな自分の行為がアホらしい
馬鹿だ私は 井伏鱒二の山椒魚くらい馬鹿だ


そして
壇ノ浦に沈むはずだった楽器とともに落ち延びて
その時の雅楽器たちを戦災で失うまで800年間
大切に保管して 明治維新で色々あるまで
音楽を愛でていた先祖を持つ子孫としては

「私はお前らなんて
 絶対に認めないぞ!!」

って今はいいたい

心のない対応をする輩に 
心を大切にしないミュージシャンに
日本の精神とか音楽を語って欲しくない
日本代表みたいな顔して海外の人に
アピって欲しくない 
進出なんかしてくれるな!!

そんなに海外市場は甘くないぞ

伊勢平家一族の名にかけて
人の道に外れたことをしておきながら
日本の音楽や文化を紹介する
代表のような顔をする
お前たちのことは絶対に許さん!!


マジほんと

歌はさー 技術じゃないんだよ
こころなんだよ
綺麗な声だとか 声量があるとかそんなんじゃない

魂で歌うものなんだよ 楽器だって魂で弾くものさ

なんかそういえば
彼らの歌を聞いて泣いたことなんてなかったな
ライブも楽しいだけのイベントだったな
曲も綺麗なだけの曲で上っ面だけだったな

こんなコロナ禍で落ち込んで辛いときに
元気付けてくれたり慰められる歌ではなかったよ

魂の奥底まで響いて届く歌は
エネルギーと癒しをくれたのは
別のアーティストの歌だったよ


(昨夜の夢に何故かとても綺麗な箱に入った
龍笛が出てきたのでした 
琥珀みたいにとても綺麗で美しい龍笛
戦後までかろうじて残っていたのは琵琶なはずですが)

2020/08/09

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン③

当初このテーマについて書こうと思ったのは
これから書くことについてであり
①と②については念頭になく
さらっと書くだけのつもりだったのですが

何かが降りてきて勝手に書き始めたんですね

おそらくではありますが
先に書いた内容を
読む(読ませる)必要のある人がいたのでしょう

画面の向こうにいる見知らぬ誰かへのメッセージ

それらを託されたというところ
書かされたというか まぁ

そんなことはよくあります

頭の中で練っていた文章とは別の方面に
書く内容がいってしまうことは

それが誰宛なのかは解りませんけれど



さて今の時代うつ病で悩む人は多いようです
私の知人にもいますし
クライアントさんにもいます

うつ病の人の課題(カルマのレッスン)については
過去のどこかでも書いたと思うのですが

うつ病に悩む家族をなんとかしたいと
相談される方をお見受けするたび

どうもこれって
うつ病患者である当人自身の問題というわけではないな
ということを改めて認識させられます

本人自身がうつ病にかかることによって経験し
学ばないといけないことがあるのは勿論なんですけど

やはり家族にとっても学ばなければいけない
レッスンあってこその完治せず…なんですよね

夫婦にあっては奥さんが旦那さんがうつ病になった
親子にあっては親御さんが子供が…と
そのような形で悩まれ問題解決の方法を求められて
相談に訪れて下さるわけですが

やはりここには相談に来られる方自身の
コントロール欲求という問題が隠れているわけです

親子の問題に関しては
①と②に書いたことがほとんどというか
理由にあまり大差がなかったりしますが

夫婦の問題だと
奥さんの側に他人や物事を思い通りに操作したい
あるいはそれができないでいる現実に対しての
フラストレーションがまずあって
なおかつ
旦那さん(他者)に対する愛情や理解力の欠如といった
そういう学びの課題を持っている人がほとんどです

あとなんだー
うつ病のパートナーに悩まされる人の特徴として

自分はまだ本気出してないだけ〜っていうのかな
私はもっとすごいこと出来る逸材なのに
そこを誰も評価してくれてない!!
私はこんな扱いをされていい人間じゃない!!
こんなところに埋もれてていい人間じゃない 
プンスカ!!

みたいな妙な慢心や傷つけられた歪プライドを
隠し持っている人が実に多いんだけど
これは過去生の人生から来る特徴と言えるかもしれない
(ようするに過去生において
身分ある立場や自分に与えられた権力を勘違いして
それを執行してやらかしてしまった人の特性か)


なんていうのかなー
本人気づいているかどうかわからないけど
どこかで旦那さんのことを「こいつ馬鹿じゃね?」
みたいに冷めた目で見下していたりするのね

それは病気になったことに対してではなくて以前から

旦那さんのことを認めてないというか
密かに嫌悪していたりとか理解を拒んでいるというか
相手を蔑んでいる気持ちを隠している人だったりする

まぁだから結局は愛情の問題なわけです

愛情を試されているといいますか
この場合 夫婦(男と女)の愛情というより
人としての基本的な愛情のことを指しますが

だから
旦那さんの方にもその人なりの理由(因果関係)があって
うつ病に罹患するわけで
そのことから学びの時間を持つことになるし
否応なく必要な経験をさせれるんですけれども

配偶者たる奥さんの方も別の角度から見たときに
家族とくにパートナーのうつ病に悩まされる必要があり
歩み寄って共に向き合わないといけないという
やはりその人なりの理由(因果関係)があるわけです

そうですね
他人の気持ちに寄り添う経験がとくに必要かな
あとやっぱりこういった場合
うつ病に罹患する側も悩まされる配偶者や家族の方も
感謝することが圧倒的に足りない人であるのは否めない
(そういう過去生や今生を生きてきてる)


だから
過去の因縁があって出会った夫婦というよりも
それぞれに必要な学び(痛み)を
お互いに与えられ与えることができる相手だから
引き寄せあって夫婦になりましたって
そんな組み合わせの人ばかりでしたね


でも困ったことに
そのこと…自分が変わらないことにはというかー
自分が学ぶべきことを知って
それを身に付けられないことにはってところ

ここは本当に当人が心で知るべきことなので
言葉で説明してもあまり意味がありません

そもそも言葉で説明してそれで理解できるのなら
そのような状況には置かれませんし
片方だけのことではなく双方にそれぞれ
異なる学びが存在しているので
片方が自分のレッスンを終えたからといって
もう片方もクリアできることってのでもないので
そこはそれ

その後も相方のレッスンに
付き合う必要性が生じるわけです
(サービス残業?)

ここにも愛のお試しがありますね


てなわけで
パートナーや家族の鬱病で悩んだり
それを問題として捉えている人は

相手がうつ病という状態を通じて学ぶべきことが
なんであるのかを知ろうとするのと同時に
自分が抱えているであろう問題についても
きちんと振り返って欲しいのです
自分は何を学ぶべきであるのか
家族のうつ病を通じて自分が理解しなければいけないこと
他人に対する姿勢や考え方の誤りや歪みなどについて
自分をチェックしてほしいのです



さて①と②のまとめ

優しい虐待という言葉があります

植物に水を与えすぎると
かえって植物は枯れてしまう
栄養分を与えすぎると
丈夫な植物になるかと思いきや
軟弱な植物になってしまうし
果実も味っ気なく美味しくないそう

トマトなどが良い例で
水を与えすぎると甘くなく水っぽいトマトになる
けれど水やりをギリギリに抑えて
トマトが飢え渇いたところで水をやる
するととても美味しいトマトになるそう


戦後の物のない時代に苦労した親たちは
自分たちが苦労をし ひもじい思いをしたから
せめて子供にだけはそのような思いはさせまいと
一生懸命に働き お金と食べることだけは
物には不自由をさせないように頑張ってきた
(と思います うちの親は違ってたけどw)

けれどその結果
親子の時間が減り 家族の会話が減りました
勉強や習い事をさせて
何か身につけさせることに一生懸命になって
子供に手伝いも何もさせない親が増えました
させないことのないには我慢も入っていて

属する社会は家庭と学校だけで 
兄弟姉妹の数も減ったこともあるし 
兄弟の友人や近所の子供と遊ぶ機会もなくなり
学校以外の外の世界において
別の価値観や子供社会を学ぶ機会が無くなりました
(遊びを通じて集団生活のルールを知る機会です)
同時に逃げ道もなくなりました

お金も食べ物もねだればすぐ出てくるもの
親は自分の望みを絶対に叶えてくれるし
自分のためにいつまでも
働き蜂としてお金を運んでくれる 
そんなふうに考える人が増えました

必要以上に甘やかされた環境の中
挨拶をしなくても怒られないし
喧嘩をすれば親が大騒ぎをして問題になるし
悪さを叱ったり叩いたりしたならば
すぐに体罰だの虐待だのと誤った非難が生まれる
神経質なほどに守られた無菌室とも言える時代において
コミュ障も増え 
ロボットみたいに自分の感情さえわからないという
人の痛みがわからない機械的な人材が増えてきました
与えられて当然 他人がやってくれて当然と思う人たちが
あと被害者意識の強い人も増えたよなぁ

別にこういうのは若い人たちに限ったことではないです
そのような考え方を持つ人たちが
矯正される場(土壌)が社会において失われてしまった
他人の誤りを指摘することがよしとされない
「おかしいこと」を「おかしい」って言えず
注意することは悪で問題提起する方が悪いって風潮の
いびつな世の中になってしまったって感じでしょうか


児童虐待がループするのはよく知られていますが
人間を弱くする子育てや親子関係の根深い問題は
どこかで連鎖を断ち切らないといけません

そのような負の遺産は次世代に持ち越さず
それと気づいた人が子孫に与えぬよう
己が傷を癒していくべきなのでしょう

2020/08/07

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン②

大変な時代は強い人間を生む
強い人間は良い時代を作る
良い時代は弱い人間を生む
弱い人間は大変な時代を作る

byロシアの諺より

※日本の親の
 何でもしてあげる買い与えるなど
 子の要求を満たすことに専念する
 過保護な子育てに関して
 ピロシキーズの小原ブラス君が
 上記の言葉を思い出して記述していた



すべての子がそうなるわけではないが
家庭や母親の不安定さが
子供の心理状態に影響を及ぼすことは間違いない

子供の不登校で悩み 
相談にやってくる人のほとんどは
偶然の一致やたまたまかも知れないが
過保護や母子癒着という
親離れ子離れ出来ていない
双方が自立できていないケースだった

豊かな時代が故に
親は子供に物だけでなく時間も手も与えすぎ
先回りして歩くであろう道から
すべての危ないものを取り除こうとする

ようするに
子供から自我の目覚めを奪ってしまう育て方

一言で言うなら手をかけすぎるわけ

心配しすぎるし全部を把握しようとしすぎる

つまりはコントロール欲求

自分の人生の代替物として
思い通りには上手くいかなかった自分の人生を
子供の人生を代償としてコントロールすることで
埋め合わせようとしている

そして本来ならば
母親はパートナーたる配偶者に求めるべき役割を
小さな恋人としての子供にそれを求めてしまうから
共依存っていう病み歪んだ親子関係も生まれてしまう

夫婦や恋人同士の共依存ってのは
なんだかんだ他人だから
離れて距離を置くことで解決することもあるけど
親子の場合はなかなかどうして厄介だったりする

昔は子供の数が多くて何人もいたから
一人に手をかけてられないってのがあって
よしんば兄弟姉妹間で
えこひいきや差別があったとしても
特別扱いされない子が複数いるならば
自分だけがはぶられているわけではないってことで
それはそれで兄弟姉妹同士で連帯感も生まれやすく
他の兄弟姉妹を手本にして育つこともできるから
親をあてにしないで
それぞれが勝手に自立する環境が整ってた

けれど今は多くても二人とか一人っ子とか
兄弟姉妹の数が減ってしまったこともあって
親の愛情や関心の方向性を
一人で背負わないといけない子も増えてしまった

ぶっちゃけ一人っ子に限ったことではないが
親の愛情と関心を一身に受けすぎた子は
精神的に弱いしほんの少しのことで挫けてしまう
脆すぎる子が多い

その反対で両親もしくは片親が多忙
あるいは無関心の極みで
突き放されて育った子もいるのだが

幼少期の環境において
親に囲い込まれてしまった子は
いつまでも母親の胎内に取り込まれてしまった
カンガルーの子のように
「自分」というものの核を
母親に依存して預けっぱなしのまま生きている
まるで自分の生きる世界は
そこにしかないのだと言わんばかりに
新しい世界への扉を開けようとしない

母親なしには 
母親という養分が常に寄り添っていないことには



そんなわけで
子供の問題で悩んで訪れる方の背景には
カルマのレッスンと言えばそうなんですけれども
必ずその方自身の問題が隠れているというのがあります

というか
お子さんが表している問題そのものが
お母さんの問題を顕現しているのが事実かな

子供が引きこもりだとか不登校っていう人の多くは
そのお母さん自身も社会と断絶した生活をしていたり
周囲の人間関係とくにコミュニケーショントラブルや
コミュニティとの軋轢や和に入れない問題を抱えていて
配偶者を心理的に拒絶して子供にしか関心向けてなくて
独身でもパートナーがいないとか
非社交的で閉鎖的な人が結構多いんですよね

だから子供の問題と向き合うことで
他人と交わって外の意見に耳を傾けて
自分の依存心や依頼心を手放すこととか
精神的自立を問われている

あと被害者意識がやたらと強い
お母さんが多いのも特徴のような気がする
周囲の人はみんな自分を傷つける人だって
そう言わんばかりに攻撃的なほどに過敏に反応する

そしてこれもやっぱり
感謝が足りない人だっていうのも
様々なことに共通することです


まあなんていうか
子供の問題行動 適応障害とか不登校とか
そういうことに悩む人は
まず自分が抱えている問題について
色々と振り返って考えて
そこから取り組んで解決しようと試みるほうが
ベストのような気がします

自分が子供に与えてしまっている悪い影響
そして自分が子供から
奪ってしまっているものについて考えて
この出来事は何のために起きているのか
自分に何を教えようとして起きたことなのか
自分がこのことから学ぶべきことは何なのか
子供を通じて自分が学ばされていることは何か

そういった自分が成長するべきポイント

子供が自分に教えを与えようとしている
教師であるという視点で
一緒に成長しようとするのが正解でしょうね

実際に子供は親に与えられた「ギフト」で
一番身近な写し鏡でもあります

2020/08/05

子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン①

子供は親の写し鏡でもある

それは性格や気質が似るというより
母親が抱えている問題を
子供が体現(現実に投影)するという意味合いの話


お腹の中に宿っている時から3歳まで
母と子供の間には
見えない臍の緒(エーテルコード)が繋がっていて
子供は母親の感情をそこから吸収する

胎内にあったときには栄養分そして胎教
胎外から出たあとも母親の放つ氣を
その感情を同化させるがごとく
全身で取り入れているのである

そしてそれらはすべて
第一と第二チャクラに記録される

母親が感じた痛み悲しみ苦しみ
苛立ちや怒りや他人への憎しみ
喜びも慈しみも楽しみもすべて

時に罪悪感や己が存在に対する肯定感や否定感など


チャクラヒーリングなどで
クライアントさんの第一チャクラを覗き見するとき
その人をネガティブに支配するセルフイメージは
過去生からのトラウマやPTSD的体験や
生き方の癖であることももちろん多いのだけれど

十月十日の間に母親の胎内にて
自分に投げかけられた言葉や宿り主が抱く不安
父親たる人と母親たる人の感情的交流
そして出生後に体感した居心地の悪さや良さ
周囲の人たちから刷り込まれた自らの立ち位置
押し付けられた価値観や植え付けられたイメージ

そうしたものによって
殻や制限が加えられていることが圧倒的だったりする

得てして
外部から与えられたそれらは幻想にしか過ぎなく
当人の可能性を縛りつける重石のように機能し
偽りを信じ込み本当の自分を見誤らせるばかりか
人生の大半を無駄に消費させてしまう呪縛となる




だからこそ子離れ親離れといった自立
親と自分はまったく別の個性であり
別々の人間であるということを理解すること

決して自分は親の人生をなぞり模倣するために
生まれてきた存在などではなく
コピーやクローンとして創られた存在でもなく

ただ養育者として保護者として
学びのレッスンを与えてくれる相手として
人生の手ほどきをし
必要な環境を整えてくれる相手であると認識して

自分という存在は
彼らのためにあるものではなく
彼らを幸せにするため満足させるために
生まれたわけではなく

ただ自分のために
自分が自分としてあるためだけに
自分という個性をこの世で表現し
自分らしい人生を創造するために
この世に誕生してここにあるのだと

そのことを知って
親や家族というのはあくまで
自分の人生の構成要素の一部であるということ
自らが成長していくために乗り越えるべき存在で
そのために関わっていく存在であるということを
把握しておくべきである

その過程において
愛が育まれる場合もあるし削られる場合もある

だが
その人のもとに生まれたことそのものが愛なのである
その環境から得られるものすべてが
自分を育む愛という滋養なのである

自分がそこに生まれたことで
自分はすでに
親という名の人にとっくに愛を与えているし
親であるその人たちもまた愛を受け取っているのである

愛の恩送りは既にその時から始まっている

親子として生まれるものの間に貸し借りはないし
あったとしても生を受けた段階で既に解消されている

もし何か恩やギフトを与えたいと願うならば
子であるその人が自分の人生を生きることだけである
自分という人間の個性を花開かせ
満たされ充実した人生を生きることが
親に徳を与えることになる

親の期待や希望を叶えること
彼らの代わりに生きようとすることが
親のためになるわけがない
それは親と子のどちらもの人生をも腐敗させ
世の中に損失を与える生き方を選択することだ

彼らのエゴイズムを満足させるための傀儡となり
自らを殺して生きることは不徳以外の何物でもない




誰かのためになる生き方とは
誰かの偽りの欲望を叶えるために
その身代わりになることではない

子は命を親から
そして子孫は先祖から生を引き継ぐが
その人生も命も別々のもので
決して他人が完成させたかった映画の主役となり
与えられたシナリオと演出通りに演技をして
監督の操り人形としての役者をするために
その命が与えられているわけではない

自分の人生は自分のために
自分で監督になり演出家となり
自らが望むシナリオを書いて
主役として生きるためにこの世にある

誰しもがたった一つのオリジナルの人生を持っている

与えられたレールの上を走る機械的なコマとして
人の人生があるわけではない


・・・続く