2019/10/24

転換期




8月から占い師の仕事を数十年ぶりに再開したのですが
いやあ…占いって難しいです(笑)
気分は新人さんっっ汗

タロットカードは数種類手元に残していて
時には自分のことを見たりもしていたけれど
占いでお客さんにアドバイスするというのは
あまりというかほとんどしていなかったし
基本的にエネルギーリーディングがメインで
ようするに
ヒーラーとティーチャーをしていたわけでしたから

エネルギーリーディングというのは
その人自身の波動(エレメンタル含め)を読むことで
時に眼には見えない存在から
情報を頂いたりすることもあるわけですけど

今のお店(占い館)ではそういうのは禁止なので
やっぱり占いの理論を通して紐解いていくわけです

でもタロットとかの媒体を読んでいくのと
その人自身に波動を合わせるのとでは
周波数というか合わせるチャンネルがまったく異なるので
めちゃくちゃ難しいというか疲れるんですわ
どうも上手く切り替えできなくて困ってます
混乱しているというか悩んでいるというのかなあ



もともと私が占いに限界を感じてしまったのは
占いだけでは
その人の抱える問題を根本的に解決することは出来ない
って壁にぶち当たってしまったから

お客さんの知りたい問いに答えるだけでは
その人自身が創り出しているカルマやら
陥っている負のループについて言及することも出来ないし
ネガティブな想念や存在に振り回されている状況を
断ち切る手伝いも出来なくて歯がゆかったのです

とはいうものの
アンテナがネガティブな方向に向いてしまっていて
浮遊霊だの未成仏霊だのたくさんくっつけてる人の
それらを取って氣を整えて波動を上げても

トラウマや観念(想い癖考え癖)の元になっている
過去生からのエレメンタルを
前世療法で対処して解放しても

霊的な問題を解決しても
霊的成長が伴っていないと
やっぱり同じところに戻ってしまうから
自ら知識を身に着けて頂こうと
霊的真理を教えることを初めて学んで頂いても

結局はどの段階でも気付く人は自ら気付いて
アドバイスも受け入れて努力して
自分で何かを得ようとするし与えることもするし
自らも運命も変えていき結果を出していくけれど

こちら側がどれだけの技術や知識を提供しても
お金をかけて他人にサポートしてもらったとしても
気付くことややるべきことから目を背けて
何もせず他人や状況のせいばかりにする人は
どれほどのことをしても同じなのね

そういうところに辿り着いたら
たかが占いされど占いであったとしても
それはそれで
その段階のアドバイスが役に立つ人もいるのだから
もう一回
他人のアドバイスに乗るという基本に立ち返って
初心からやってみたいなあと思ったりした

でもこれが難しい

随分長いこと
人間そのものが出す波動とか
エレメンタルを読むことの方に
チャンネルを合わせていたので
タロットの象意からイメージをキャッチしての
リーディングがうまく入ってこないのです

とくに今月イベントに二つほど出たのですが
賑やかで人がたくさんいるところはダメですわ
集中できないというのも大きかったのですが
めちゃくちゃダメージを受けてしまって
翌日ダウンしてしまいました

どうも私は落ち着いた静かな環境で
リラックスして出来ないと難しいなあって痛感

そんなんでどうしようかなーという感じです

自宅サロンでのやり方の方が
自分にとって一番ベストな環境というのは
解っているのですがね

個室でちゃんとブースになっていれば
また違うのかなあー

やっぱりね
自分でも納得できる鑑定サービスを
提供できていないのってものすごく情けないというか
プロとして心苦しいです
ベストな状態で最高のサービス提供したいと思うから

色々と悩むところです


そして
占いでそんなこんな
自分の仕事に対して不満がたまっているわけですが
(納得いく仕事が出来ていないというジレンマ)

その反面
自宅サロンでセッションして
リーディングしたり前世療法したときには

ああ…こっちの方が私にはとってもラクだ

なんて思ったりしたのです

苦しくないというか辛くないというか
息をするよりも自然に出来るので
私はやっぱりネガティブエレメンタルのお掃除とか
他人の過去生をリーディングして
その人の学ぶべきことやなんかについて
そういうアドバイスをするほうが楽かも

けれどもさほど需要の多いサービスというか
世に求められているサービスではないので
派遣の仕事以外で収入を得るといったら
何かなーなんて考えたりしますデス

占いに戻るのはやっぱり違うのかなーとかアレやコレや

そんなんで色々とお試しが来ている今日この頃
方向の転換期を迫られているような気がします

2019/10/23

デジャビュ~過去からの呼び声

どうでもいい私的日記的内容です
ですのでヒマつぶし程度にお目汚し下さい



我が家にはテレビがありませんので
Youtubeをよく見ています

たまたま熊川哲也さんとKカンパニー関係の動画を見て
中村祥子さんというプリンシバルの方を知ったのです
その凛とした佇まいが素敵で惚れてしまいましたw
なんかかっこよい!と思ってっっ 

バレエは有吉京子さんの「SWAN」や
山岸涼子さんの漫画なんかでの知識がある程度ですが
好きは好きでして
でも実際に観に行ったことはなかったのです

ミュージカル映画とかダンスを見るのは好きで
その手の動画はたくさん見てましたが
観劇は機会がなかったのですね
頑張ってチケット取って観に行くという
気持ちが今までは起きなかった

幼馴染(男子)の親がクラシック好きの人たちで
遊びに行くと「白鳥の湖」の物語入りレコードを
聞かせてもらったりはあったので
マーゴット・フォンティーンに憧れた時期もありましたが
「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドンには感動したし
たまに思い出した時に見るけどその位かなー
「愛と喝采の日々」も見たけれど

して
その中村祥子さん 来年で引退するという

なにぃー!!

マイヤ・プリセツカヤなんて
80歳過ぎても踊ってたのにぃ!???

というわけでどうしても本人を観たくなった
(ケチで腰の重たい私にしては珍しい)

そして先日
残念ながら台風で中止そして振替になり
お目当ての中村さんは主役ではなかったけれど
別の配役で出るというのでまあ仕方なし

そして初めて観に行ったわけです<バレエ

席について
ぼっーとしていると

あれ?
なんか奇妙な感覚が襲ってくる

ぐるぐると頭が回り
今いるところが今いる場所ではない感じ

もっと広いもっとゴージャスな場所
それがところどころ見えてくる
そして今自分のいる場所ではない
別の場所にいる自分を感じてしまうのです

はい 
ここにはないはずのロイヤルボックス
そこに座っている自分

ああ私今の人生ではバレエ観劇デビューだけど
過去生で観てるわ ここよりもっと良い席で

ああそして多分
100年前のアメリカ人だった時だわ
ロシアの貴族だった時とか
それ以外の西洋人だった時でもなく
ニューヨーカーだった時に
アンナ・パブロワを観てるわ
(ニジンスキーは見てないと思う)

そんなことを思い出していました

そういうしている間に始まったわけですが

初めてのバレエ観劇

寝た…見事に寝てしまいました(涙)

いやさずっとではなくてところどころです
お尻が痛くて座ってるの辛いなーもあったw

視力の問題があるので
いずれにしても一階や二階の最前列でないと
意味なかったなーと思いつつ
(オペラグラスでも私の目では意味ない)

クラシックバレエはダメだ 寝てまう

そういえばクラシックのコンサートに
過去誘われて鑑賞にいったとき 
全滅だったのを思い出しました(爆睡した)
退屈なわけではないんです
子守歌になってしまうのです<クラシック音楽

きっと過去生の私も爆睡してたんかな

たぶんそうに違いありません

寝てまうのはやっぱ失礼つかマナー違反だから
もう観劇は遠慮しようと思いますが
たまにはセレブな体験もいいかもと思った次第




そして先日
池袋で買い物をしていたときのことです
またしても急にヘンな感覚に襲われました

肉体はココ(池袋)にいて
肉体の目は池袋の街を見ているのに
心は別のところを見ているの
っていうか体感的にもソコにいるの
ちゃんとその空気を感じているのね

それも中世より古い時代のイギリスw
11世紀とか12世紀頃なのかなあ
荒涼とした丘に要塞のようなお城があって
(整った造りでなく荒い岩を積み上げて作ったような
ものすごく簡素なお城)
そこにいて遠くを見ていて
乾いた風を受けているんだよね

タイムスリップをしたような体験は
中学の時に一度しているけど(あとにも先にも一度きり)
それともまったく違うの

思わず歩いている自分の足の裏の感覚とか体重とか
池袋の街をちゃんと凝視して体がここにあること
意識はちゃんとここにあるよなーって
抜けてないよなー??
…と肉体的感覚を何度も確認しました

でも同時にイギリス?のどこかの
要塞のようなお城のある丘にいて
風に吹かれながら丘の下の方から
誰かが来るのを待っている自分も感じてる

同時に二か所に自分が存在している感覚?

そーいうのは初めてなので戸惑いました

子供の頃には類似の体験はあったわけですが
大人になってからはほとんどなかったので
(別の不思議体験はあるけど)

現代の自分と過去の自分が
リンクしてた瞬間とでもいうのでしょうかね

残念なことにこの時の自分が
誰で何をしていたのか何を考えていたのかは
解らなかったです

ただ
この一瞬に過去とリンクしたことによって
得た情報としては…

この時代は本当に

何もすることがなかったんだということww

ていうかー
テレビもラジオもネットもレコードも車もない
学校もない知識や情報も文明も科学も遅れてる
だから世間が狭い

男性も女性もそんな中で
やることがなかったわけではないけども
(掃除機も洗濯機もなかったから家事大変だし)
刺激や娯楽が少なくて退屈だったわけで

だから権力闘争というゲームに夢中になったり
恋愛に夢見ちゃったりとかー
それしか溺れるものがなかったんだがね

と…なんか一瞬で理解した瞬間でした


意味不明

ようするにね
この彼女(当時の私か)は
待ち人が一体いつ来るかもわからないのに
待ち続けてたわけですよ

今と違って携帯もネットもないし時計もないから
朝から日が暮れるまで
ただ約束の場所で待つしかなかった
いつ来るかわかんないっていうのにさ

現代だったら喫茶店で時間つぶしたり
メールで「来ないなら帰るー」と言えるのに
「ごめん 残業で行けなくなった」とも来るのに

そんな来るんだか来ないんだかわからないヤツとの
約束なんかにすがって
それを毎日の楽しみとして生きなくても
今の世なら楽しいこといっぱいあるのに
友達とランチとかヒトカラとかネットサーフとか
いくらでも時間つぶせたり生産的なことしたり
生きがいも仕事で見いだせるのに
当時の自分はそれしか面白いことなかったんかー

今の時代に生まれてヨカッタ
ああ今の時代の自分てなんてしあわーせ

と思った次第デス

2019/10/18

日本という国に与えられた試練



台風15号の被害で千葉が大変だ~!と言っていたらば
台風19号の被害で各所が大変なことになってしまった

とはいうものの
昨年の関西地方の被害から
未だ立ち直っていない地域もあるし
北九州や熊本の地震被害もそう
あそこもここもというところ

こうなってしまうと全部の地域に対して
サポートできる力など持っていない個人としては
とりあえず身近な縁のあるところに限定して
出来ることをできる範囲でしていくしかない

日本は地震大国でもあるし
同時に台風天国でもある
そして火山もあるから噴火にも備えないといけない
海に囲まれているから津波の被害も忘れてはいけない

30代の人と話していて
「最近の台風は規模が大きくなりましたね」とのこと
いやさ私が子供の頃やその前は
今回のような大型の台風はたくさん来ていました
そしてたくさんの人が亡くなっていました
むしろここ3.40年くらい
そういう大きな台風が来ていなかっただけです

有名なエルトゥールル号や
洞爺丸沈没の悲劇も台風が原因ですし
多摩川決壊で19軒流された悲劇も
ドラマ「岸辺のアルバム」の
OPに使われてその世代の人に
大きな刷り込みをしてくれましたし
伊勢湾台風も百恵ちゃん主演のドラマ
「赤い運命」の背景として効果的に使われました
(もちろん映像も)

私が今住んでいるところも
10年位前までは神田川が増水してあふれて
2m近く浸水することも度々あったそうです
今回も少し覚悟しましたが
治水工事のお陰で大丈夫でした

そして実家もやっぱりブルーシート飛んで
また雨ざらしにはなったものの
河川の氾濫で床上浸水した人たちのことを思えば
この位の被害で済んで幸いとしかいいようがないです
山の方と違って住宅街で開けたところなので
日当たりよいお陰でカビは生えてきてないそうです

そういえば30年前
千葉の某商業ビルの地下で仕事していた時
台風で川が増水して氾濫し
市街地が水浸しになりビルにも浸水してきて
当然営業どころではないので
急遽ビルを閉鎖することになり帰宅命令が
外にでたならばすでに腰まで水来てまして
(遅すぎです)
周囲の車はプカプカ浮いていました
泳ぐほどではなかったけれど
抜け出すまでが大変でしたねー
幸い途中でバスに拾ってもらいまして
水の浅いところまで連れて行って頂けました
洋服は泥臭くなっちゃって処分しましたが

浸水してしまったお店の中には
機械や商品がダメになって
閉店したところも少なくありませんでした

まあだから今回のような運休とか店休業とか
そういうのって正解だと思います
何もなければそれはそれでですし
地震と違ってある程度動きを予測できますから
台風の場合は

そして過去の悲劇や痛い経験から人は何かしら学び
少しずつ被害が最小限に食い止められるよう
世の中は発展し改善されているのです


今回神田川が氾濫しなかったのも
隅田川や荒川が氾濫しなかったのも
過去の教訓ともしかしての備えから
そうした対処を行ってきた結果ですし

伊勢湾台風 狩野川台風
キャサリン台風やジェーン台風の時は
5000人や1000人規模で
人が亡くなっているわけだけど
被害者がゼロになっていないとはいえ
それでも少なくなっている

現代の建築技術の発展と進歩とか
治水工事とか堤防の存在とか
そういうのも大きく起因しているのだと思います

これからも今回のことをきっかけに
様々な対応や対策が見直され
よりよい街づくりや災害対策が組まれていくのでしょう

そうじゃないと救われないというのはあります

でも昔に比べるとはるかにましなのは事実なのです
過去の時代は保証なんて何もなかったのですから

世の中これでも少しずつよくはなっています

生きていれば何かしらは紆余曲折あるものです

何処に住んでいても何かしらの弊害はあります
絶対に大丈夫なところなんてないです

家にいたってトラックが突っ込んでくることはあるし
親元に住んでいたって強盗に入られてしまうこともある
海外に比べれば日本は安全な国ではあるけれど
それだって絶対とは言えなかったりします
泥棒も殺人犯も爆弾犯や性犯罪者も普通にいます

でももっと酷い時代があった
(縄文時代は平和だったでしょうがw)

理不尽な政治で道徳や常識が通じない
一部の人が人権も与えられないような
弱者が平気で踏みにじられていた時代が
あったことを考えると

人間というのは少しずつ学んで
世の中をよくするように
働きかけている生き物であるから

被害にあった人を労わりつつサポートしつつ
被災者の人たちの気持ちに寄り添って思いやりを示し
それ以外の人は
このような悲劇や被害をどうやったら
無くすことが出来るのか避けることが出来るのか
そっちを考えるべきでしょう

もちろん経済活動は大切で
機能していない社会の一部を埋め合わせるがごとく
頑張れる人が頑張るしかないのです


今の日本には戦争も身分制度も独裁政治もないけど
その代わり自然災害がある

言論の自由があって職業の自由があって
自分の好きなところに行き
好きなところに住んで好きな人と結婚できる
水も食べ物も豊富で飢える心配もないけれど
自由と豊かさの代わりに
この国土から与えられる試練は余んじて
受けないといけないのかなとも思います

もちろんそれは
自然から受ける痛手をただ成す術もなく受けろって
そんな意味ではなくて
どうすれば自然と共存できるのか
こうした災害をもたらす自然現象を察知して
被害を最小限に食い止める試みをしたり
街づくりをしたり備えをしたりってこと

そのためには自分だけの
個人としての要求を通すのではなく
国民としてその町(土地)に住むものとして
義務を果たしたり全体のことを考えたりして
妥協したり協力したり譲歩したりもしないといけない

まあそういうことだと思うのです

たぶんそれが
日本人が日本人として成長していくための
責任的土壌なのでしょう
日本人として生まれた人
日本に住む人々が
一人ひとり霊的に成長していくために
与えられた環境であるとも言えますね

ちなみに内戦も含めて
戦争が日常茶飯事の世においては
人は精神的に素早く自立するものです

その時代の文化的背景というか
教育なんかも関係しますけれども
戦国時代の若武者の逸話や
特攻隊の人の手紙を見れば
納得できるって人は多いのではないでしょうか

今の日本は実際の年齢より
外見が若々しい人が増えてきましたが
その分精神年齢はだいぶ下がってしまいました

大人だというのに自立できないで親に依存する人
オトナコドモな人が本当にあふれていますから
いい年したおっさんおばさんも幼稚園児かいって
そんな人はよく見かけるし
年寄りも老害というくらいにダメな人はいますから
(逆に若い人でもしっかりした大人はいます)

なんでもかんでもありすぎると
人はそれが当たり前になって
あることが当然で与えられないことに不満を持ち
甘えて精神を腐敗させてしまいます
何事に対しても感謝の気持ちを持たず
権利を振りかざして主張して
自分の想い通りにならないことに対して
癇癪を起してクレームばかりいうようになる

今の日本はそういう意味で窮屈になりました

電気水道ガス道路交通商店など
公共のサービスにしても
インフラが整っていることは当たり前で
それらを提供してくれている人たちに対して
かなり傲慢になってきています

助けてくれるのが当たり前になっていて
助けてもらってもお礼も言わない
そういう人も増えてきました

感謝の言葉を口にできる人も
まだまだたくさんいるけれど
でもちょっと世の中よくなっている反面
日本人のよいところが失われつつあるのも事実

だからこそ
このような痛みを与えられたとき
私たちは当たり前の生活が出来ていることに対して
今一度深く考えて普段の生活がいかに幸福で
多くの人々の働きによって
与えられているものであるのか
自分の安全や何気ない日常が
他者によって支えられているものであるのか
きちんと考えないといけないのだと思います

2019/10/14

罪悪感そして自己設定と制限

その情報を知りたくて
期待してうちにいらっしゃる人には
本当に申し訳ないのだけれど
準備の出来ていない人には過去生の情報とか
なるべく伝えないようにしているのですね

とはいうものの
そもそも
伝えるべき時期が来ていない人の場合は
私のほうにはほとんど何も情報って
降りてこないのですが(教えてもらえない)

口を滑らしたら困るからなのか
その人が帰ってから時差で情報が降りてきたりしてね

まあいずれにしてもその意味では
私はなんでもかんでも情報を読めて
すべてのことが理解できる立ち位置の人ではないです

あくまでそうしたチームの
三次元的なポジションとしての道具であり
現象を言葉にして説明したりするだけの
一介のメッセンジャーにしか過ぎません

でもまあ過去生の情報を知りさえすれば
解決するってもんでもないことの方が人生多いです
結局のところ人生というのは
連続するメビウスの輪のようなもの
今表れている問題も過去生の問題とほぼ同じで
性格や考え方や思い癖が現実を創っているだけだから

そして過去生の悪行のツケなんかにしても
今その人がどんな人になっていて
どんな生き方をしているかによって異なるわけです

目に見えない外部的な干渉や災難となりうる
霊的な現象というのは確かに存在するのだけども
影響を受けてしまうのも当人の問題なので

ものすごく単純に言ってしまうと
今自分が苦しめられていることって
すべて過去で他人にやったこと
(必ずしもそうではない場合もありますが
それはレアケースとも言えます)

突き放したようなイヤな言い方になってしまいますが
他人にしたことは遅かれ早かれ戻るのが法則なので

そしてそれがループになるか否かは
戻ってきたときに自分の人生に起きている
悲劇や不幸をどう考えるかという捉え方次第

抜け出したいなら起きていることの意味を考えて
その結果を真正面から受け止めて
それを自分自身の肥やしとして
成長していくしかないわけです



さて最近のクライアントさんで
罪悪感から自分自身に罰を与えている人生を
送っている人がいらっしゃいました
もちろん当人は
自分で自分を罰していることなぞ知りません

その人はたまたま過去生でしたが
罪悪感を抱くのは
何も過去生に限ったことではありません
幼少期とか今の母親の胎内でとかでも
エネミーな刷り込みは起きてしまいます

父親と母親が喧嘩しているのを
胎内で聞いていた赤子はその気質によっては
「私のせいでケンカしている」
と思い違いをしてしまうこともあるのです
生まれた後も環境によっては
虐待ではないにしても
ちょっとした親や周囲の言動で
罪悪感を抱えることもしばしばです

なんていうか
とくに日本人はそういうのが多いような気がします
自己評価が低くて自己肯定感が持てない人

霊的成長の過渡期以前のさらに未熟な状態にある人は
(ヤコブの階段上の本能か無意識の状態にある人)
どうしても自我が未発達で
アイデンティティをしっかりと持てないから
こういうエネミーの罠に陥りやすいです

でも罪を罪として自覚する心や考えも
人には必要だから
こういうのは経験として避けられないことでもあり
でもどこかで抜け出さなくてはいけない
攻めの罠でもある

では誰が抜け出すことを許すかといったら
それはその人自身なんですよね
直日たる内なる神
誰でもないパーマネントパーソナリティが判断すること


話戻って
そのクライアントさんの場合は
過去生の自分の行いに対して
酷い行為をしたと罪悪感を抱いていたわけです
自分は罰を受けないといけない
かつて自分が他人に与えた苦痛を
自分自身にも与えないといけないと思う気持ちが
自らを死へと向かわせるような行為や習慣に
導いているわけなんですけれども

同時に自ら成長するために
かつて他者に対して犯した罪が
どれほど非人道なことであったのか
それを知るために「心」を育んで
他者への労りとか優しさとか思いやりとか
早い話が「愛」を学ばないとでもあるので
そういうものが芽生えるまでは
「命」の大切さを身をもって知るまでは
…なところにいる人でもあったりする

これって過去を紐解いて解説して
それで得られるものではないのね

今の段階で伝えても
「過去生」のせいにして終わりで
当人が得るものは情報以外何もない

あなたには他者への「愛」がないから
他人に親切にしなさいとか
命の尊さとか重さとかを知りなさいとか
確かにその人が知るべきことではあっても
それを伝えたとして
その人の心にはまだ響かない
それで他人を愛せるようになるわけじゃない
他人に言われて変われるレベルなら
逆にこんな人生を自らに課していない
それもまた現実

罪悪感からの自らへの罰
戒めとしての拷問的な自傷的行為であったとしても
この場合
容認とは違う意味で見守るしかないこともある


「心」は経験しないことには育たない

愛を知るためには愛のない環境で
それに飢えていることを自覚するまで
飢餓の中に放り込まれるしかないこともある

知識や技術は教えることは出来ても
「心」だけはいかようにも教えることは出来ない

自らが揺さぶられて刺激されて
喜怒哀楽を知りながら
感情という畑を耕して獲得する以外には




それから
正当?な罪悪感からというわけではなくて
低い自己評価や刷り込みから
謝った自己設定をして
自らの人生に制限をかけてしまっている人も
わりと多かったりします

そういえば私も
「源氏物語」の中に出てくる夕顔の君の

「神様が下さった分だけ幸せですわ」

ってセリフが好きだったんですけど
これって謙虚で控えめで無欲な
どんなことにも感謝して生きる前向き思考
…ととることも出来るんですが

ある意味ではものすごく遠慮しぃの後ろ向き発言
でもあるのですよね

自分の人生これだけで十分ですって
制限掛けて決めつけちゃっているとも取れる

まぁ何事も当人がどう思うかってのが重要で
一夫多妻が当たり前の時代で貴族社会にあって
柏木の子供産むものの正妻からイジワルされて
追い出されて困窮して春をひさいであげく
源氏と付き合ったばっかりに
六条の御息所の生霊に取り殺されちゃったのに
「神様が下さった分だけ幸せですわ」
とまだ言えるのなら
夕顔の君はきっと幸せだったんでしょう

子供遺して死んでしまうものの
いい男二人と恋愛できたのだから?
みたいな自己満足があれば

話がまたまたそれてしまいましたが

自己設定で
自分の人生に制限をかけてしまっている人は
ホント多いです
「私の人生こんなもんで十分」とか
「どうせ私なんか」とか
自己評価の低さがそのまま人生に反映されている


といいつつ
私も自分で自分に制限をかけていること
最近あらためて気づいたヤツですっっ汗

こういうのを自分にかけた呪いというのですが
自分で自分に呪いをかけている人多いです
それは言葉であり思考であり想念なのですが
自らの言葉で自分の事を卑下して
縛りを与えて呪文を唱えて自分自身に刷り込んでいる

自分自身にそんなことをしていることを
気付いていないことがまた問題で

だからこそ
過去ではなく未来のことを語ることって大切
この場合の未来とは自分が成りたい理想のこと
自分が欲しいもの好きなもの愛しているもの
楽しいこと嬉しいこと欲しいもの
自分がハッピーになれる出来事すべて

嫌いなものや憂鬱なことや嫌だったことや
苦しかったこと悲しかったことは
一度吐き出したらもう口にしないってことですね
過去の想いとくに怒りや抑圧された感情は
確かに自覚して発散させることは必要だけど
それをしたらば速やかに未来に目を向ける必要がある

自分がどうなりたいか
どんな未来を生きたいのか
どんな人間としてこの人生を生きたいのか

もっともっとそうしたことに
気持ちも思考も向けて
言葉も選んでいくべきだと思うのです

何しろ言葉って他人に言うにしても
同時に自分自身に聞かせている呪文ですから

他人に言う言葉はもれなくいった本人に戻ってくる
自分が口にする言葉はすべて
自分への呪いまたは祝福の言葉となるのですから

それは文字として書く言葉も同じですね
手文字だけでなくネットに書きこむ言葉もそう

ちなみに私はYoutubeなどでコメントを残すときは

動画投稿(情報)への感謝とか誉め言葉とか
うぷ主さんにファンとしての反応での書き込みで
そういうのしか書き込まないようにしています
善い言葉や褒めるところが出てこないのなら
書かないのがいいのかなってハイ
そんな感じ

2019/10/13

台風一過

21時すぎには風雨が弱まり
台風の目に突入か!と思ったものの
意外と早く通り過ぎてくれたようです
今はもうとても静かで雨も止んでます

幸いなことに千葉を直撃しての
横断にはならなかったようなので
家屋の倒壊や損壊被害などが
想定よりも少ないことを期待しつつ

せっかくの10月の三連休の初日で
イベントやレジャーなど
楽しみなことが流れてしまったのは
とても残念なことですが
自然の起こすこうした現象って
地球にとっては必然なことですから
もう受け入れるしかないんですよね

私たちもこうした現象を起こすことに
加担している一部でもあるのですから




そして
昨日今日と台風で予定が流れてしまったので
一日引き籠りになりますから
掃除して衣替えして
blogや原稿書こうと思っていたのですが
なんだかんだ落ち着かず
ほとんど何も出来ないままに夜になってしまいました

そうですね
台風はとても大きな「氣」のエネルギーが動く
浄化と再生のリチュアル(儀式)なんかするのに
とても最適なタイミングなんですけど
気圧の影響でイマイチ体調がしんどくもなるので
結局それもあまり出来ず

でも明日こそは色々と取り組みたいです






2019/10/01

占い師としての活動のお知らせ(出演情報)

そういえばこちらで告知していないことを思い出しました

8月から占い師としての仕事も再開させていまして
いま都内占い館に時おり出させて頂いてます
そして今回クライアントさんの会社主催のイベントに出演します

あ、もちろん
占い師(魔女)の名前、アルマとしての出演です
やまと真秀の名前じゃないのでヨロシクです


【10/4開催】
カレーBARで占い&人生相談

場所:京王線富士見ヶ丘駅 バンケットサーカス

時間:19:00-23:00(占いの受付は22時半位)

詳細情報はこちら→てとてと




秋葉原アトレ 鑑定イベント

こちらの占いイベントに
10/17(木)の一日だけですが出演します
10日間のイベントです
興味のある方はどうぞ
もちろん私以外にも
素敵な占い師さんたちが揃っています