2019/10/18

日本という国に与えられた試練



台風15号の被害で千葉が大変だ~!と言っていたらば
台風19号の被害で各所が大変なことになってしまった

とはいうものの
昨年の関西地方の被害から
未だ立ち直っていない地域もあるし
北九州や熊本の地震被害もそう
あそこもここもというところ

こうなってしまうと全部の地域に対して
サポートできる力など持っていない個人としては
とりあえず身近な縁のあるところに限定して
出来ることをできる範囲でしていくしかない

日本は地震大国でもあるし
同時に台風天国でもある
そして火山もあるから噴火にも備えないといけない
海に囲まれているから津波の被害も忘れてはいけない

30代の人と話していて
「最近の台風は規模が大きくなりましたね」とのこと
いやさ私が子供の頃やその前は
今回のような大型の台風はたくさん来ていました
そしてたくさんの人が亡くなっていました
むしろここ3.40年くらい
そういう大きな台風が来ていなかっただけです

有名なエルトゥールル号や
洞爺丸沈没の悲劇も台風が原因ですし
多摩川決壊で19軒流された悲劇も
ドラマ「岸辺のアルバム」の
OPに使われてその世代の人に
大きな刷り込みをしてくれましたし
伊勢湾台風も百恵ちゃん主演のドラマ
「赤い運命」の背景として効果的に使われました
(もちろん映像も)

私が今住んでいるところも
10年位前までは神田川が増水してあふれて
2m近く浸水することも度々あったそうです
今回も少し覚悟しましたが
治水工事のお陰で大丈夫でした

そして実家もやっぱりブルーシート飛んで
また雨ざらしにはなったものの
河川の氾濫で床上浸水した人たちのことを思えば
この位の被害で済んで幸いとしかいいようがないです
山の方と違って住宅街で開けたところなので
日当たりよいお陰でカビは生えてきてないそうです

そういえば30年前
千葉の某商業ビルの地下で仕事していた時
台風で川が増水して氾濫し
市街地が水浸しになりビルにも浸水してきて
当然営業どころではないので
急遽ビルを閉鎖することになり帰宅命令が
外にでたならばすでに腰まで水来てまして
(遅すぎです)
周囲の車はプカプカ浮いていました
泳ぐほどではなかったけれど
抜け出すまでが大変でしたねー
幸い途中でバスに拾ってもらいまして
水の浅いところまで連れて行って頂けました
洋服は泥臭くなっちゃって処分しましたが

浸水してしまったお店の中には
機械や商品がダメになって
閉店したところも少なくありませんでした

まあだから今回のような運休とか店休業とか
そういうのって正解だと思います
何もなければそれはそれでですし
地震と違ってある程度動きを予測できますから
台風の場合は

そして過去の悲劇や痛い経験から人は何かしら学び
少しずつ被害が最小限に食い止められるよう
世の中は発展し改善されているのです


今回神田川が氾濫しなかったのも
隅田川や荒川が氾濫しなかったのも
過去の教訓ともしかしての備えから
そうした対処を行ってきた結果ですし

伊勢湾台風 狩野川台風
キャサリン台風やジェーン台風の時は
5000人や1000人規模で
人が亡くなっているわけだけど
被害者がゼロになっていないとはいえ
それでも少なくなっている

現代の建築技術の発展と進歩とか
治水工事とか堤防の存在とか
そういうのも大きく起因しているのだと思います

これからも今回のことをきっかけに
様々な対応や対策が見直され
よりよい街づくりや災害対策が組まれていくのでしょう

そうじゃないと救われないというのはあります

でも昔に比べるとはるかにましなのは事実なのです
過去の時代は保証なんて何もなかったのですから

世の中これでも少しずつよくはなっています

生きていれば何かしらは紆余曲折あるものです

何処に住んでいても何かしらの弊害はあります
絶対に大丈夫なところなんてないです

家にいたってトラックが突っ込んでくることはあるし
親元に住んでいたって強盗に入られてしまうこともある
海外に比べれば日本は安全な国ではあるけれど
それだって絶対とは言えなかったりします
泥棒も殺人犯も爆弾犯や性犯罪者も普通にいます

でももっと酷い時代があった
(縄文時代は平和だったでしょうがw)

理不尽な政治で道徳や常識が通じない
一部の人が人権も与えられないような
弱者が平気で踏みにじられていた時代が
あったことを考えると

人間というのは少しずつ学んで
世の中をよくするように
働きかけている生き物であるから

被害にあった人を労わりつつサポートしつつ
被災者の人たちの気持ちに寄り添って思いやりを示し
それ以外の人は
このような悲劇や被害をどうやったら
無くすことが出来るのか避けることが出来るのか
そっちを考えるべきでしょう

もちろん経済活動は大切で
機能していない社会の一部を埋め合わせるがごとく
頑張れる人が頑張るしかないのです


今の日本には戦争も身分制度も独裁政治もないけど
その代わり自然災害がある

言論の自由があって職業の自由があって
自分の好きなところに行き
好きなところに住んで好きな人と結婚できる
水も食べ物も豊富で飢える心配もないけれど
自由と豊かさの代わりに
この国土から与えられる試練は余んじて
受けないといけないのかなとも思います

もちろんそれは
自然から受ける痛手をただ成す術もなく受けろって
そんな意味ではなくて
どうすれば自然と共存できるのか
こうした災害をもたらす自然現象を察知して
被害を最小限に食い止める試みをしたり
街づくりをしたり備えをしたりってこと

そのためには自分だけの
個人としての要求を通すのではなく
国民としてその町(土地)に住むものとして
義務を果たしたり全体のことを考えたりして
妥協したり協力したり譲歩したりもしないといけない

まあそういうことだと思うのです

たぶんそれが
日本人が日本人として成長していくための
責任的土壌なのでしょう
日本人として生まれた人
日本に住む人々が
一人ひとり霊的に成長していくために
与えられた環境であるとも言えますね

ちなみに内戦も含めて
戦争が日常茶飯事の世においては
人は精神的に素早く自立するものです

その時代の文化的背景というか
教育なんかも関係しますけれども
戦国時代の若武者の逸話や
特攻隊の人の手紙を見れば
納得できるって人は多いのではないでしょうか

今の日本は実際の年齢より
外見が若々しい人が増えてきましたが
その分精神年齢はだいぶ下がってしまいました

大人だというのに自立できないで親に依存する人
オトナコドモな人が本当にあふれていますから
いい年したおっさんおばさんも幼稚園児かいって
そんな人はよく見かけるし
年寄りも老害というくらいにダメな人はいますから
(逆に若い人でもしっかりした大人はいます)

なんでもかんでもありすぎると
人はそれが当たり前になって
あることが当然で与えられないことに不満を持ち
甘えて精神を腐敗させてしまいます
何事に対しても感謝の気持ちを持たず
権利を振りかざして主張して
自分の想い通りにならないことに対して
癇癪を起してクレームばかりいうようになる

今の日本はそういう意味で窮屈になりました

電気水道ガス道路交通商店など
公共のサービスにしても
インフラが整っていることは当たり前で
それらを提供してくれている人たちに対して
かなり傲慢になってきています

助けてくれるのが当たり前になっていて
助けてもらってもお礼も言わない
そういう人も増えてきました

感謝の言葉を口にできる人も
まだまだたくさんいるけれど
でもちょっと世の中よくなっている反面
日本人のよいところが失われつつあるのも事実

だからこそ
このような痛みを与えられたとき
私たちは当たり前の生活が出来ていることに対して
今一度深く考えて普段の生活がいかに幸福で
多くの人々の働きによって
与えられているものであるのか
自分の安全や何気ない日常が
他者によって支えられているものであるのか
きちんと考えないといけないのだと思います

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