2019/12/31

氣の凝り~怒りと体の強張り



聞いた話ですので真偽のほどは解りませんが
英語では痛みを表す言葉はあっても
肩凝りという言葉がなく
それを表す言葉がないということは
身体が凝るという概念が欧米人には
ないということになりましょうか…
どうも凝りという概念は
アジア人独特(主に東洋医学)の概念のようです

だから欧米人(英語圏)に肩こりの説明をして初めて
「自分が日々感じている
 この違和感の正体は
 肩こりというものだったのか!」
と感動した人がいたそうですよ

基本的には
筋肉の張り(緊張)として理解されていますけど
氣の滞りが出来てしまう箇所のことを
凝っていると言っているようなそのような




さて先日に書いたようなグダクダがあった日

先方の怒りの念が襲来してきました

したらばこのところ
肩こりには悩まされていなかったというのに
左肩に痛みを感じて 
ほんの少し寝違えたような違和感が

私もちょっとムッとしていましたので
同じ波動レベルにいたので受けとってしまったんですね

私が腹を立てていなければ
受け取ることはなかったんですが自業自得です

これは怒りのエネルギーによるもので
明らかに肩の痛みは氣の凝りです

そんな風に私たちは
心の状態から身体に氣の滞り(塊)を
あっという間に創り出してしまいます

他人から受け取ったり
場所から吸い取ってしまう
いわゆる邪氣が原因の場合も多いですが
たいていが自分の心の反応です

内臓的な疾患もそうですが
どんな感情を抱くかによって
貯まる場所が変わりますので


とはいうものの
職業病的なもの性格的な資質による
身体の使い方のクセも反映されますので
すべてが心の反応や邪氣が原因ってわけではないですが

ただ肩に関しては
人間って身体を動かすときに
必ず肩から動きますので

常に気がせいていつも忙しなく
周囲のことにすぐ反応しなくてはと構えていて
機敏に次の行動に移る準備をしている
そんないつも緊張状態にある人
も慢性肩こりだったりしますね

そういう人は
リラックスする時間がほとんどないから

いずれにしてもこのようなケースも
心の問題といえばそうですね

あと筋肉が鍛えられていず脆弱な人は
筋肉痛になりやすいですよね
これは凝りとはまた違う原因で

身体が固い人も氣の滞りはできやすいです
この場合は氣の巡り・通りが悪いということで


骨が芯まで冷え切っている人も
当然背中とか首とかの張りは酷いですが
溜っているのが邪氣ってことも少なくないです
(そういう人は背中を温めたあとに
周囲の筋肉をほぐすといいですね
骨に入った邪氣を抜いてから受ければなおよし)



身体のエラーは心のエラーです

その人が周囲や日々の出来事に対して
どのような感情的な反応を示しているかが
それらが身体に表れます

頭痛は自説への固執と拘り
首は人間関係
肩は重圧(プレッシャー)

腰痛に関しては
金銭的な不満と社会に対する憤り
(自分が認められないということ
十分な収入や仕事の評価を得られていない
ということに対する世間への憎悪)
なんかある人もなりやすいです

※腎臓病や肝臓疾患ある人も
 腰痛として出ますが

頭部から背面全体に至るまで強張っている人は
プライドが高くて様々なことが許せない人です
自分自身も他人も
色んなことに対する怒りを貯めていたりします

そして同時に攻撃性でもあります
(心がファイティングポーズをずっととっている状態)

誰かに向けたい怒りを
その向けたい相手に向けられないフラストレーション
憤怒極まりない抑圧された被害者意識とか憎悪とか
相手を責める気持ちですね

そういうものを背負って自分自身を固くしているんです

そのような状態の方はとても頑なで
謝った思想や思考回路に支配されていたりします
正当な怒りではないんですよ
自分は悪くない相手が全部悪いんだって
自分の非とかまったく認めない人に多いです
まったく前向きでなく
どうにもならない過去や現実に粘着します


ある意味で身体の凝りは心の凝り
そして精神の凝りです

そして凝りは滞り
心が滞って精神(思考)が滞っている

そういう状態を表しています

多くの原因は他人への理不尽な怒りと恨み
許すことが出来ないから緩まないのです

いずれにしても
それが身体の凝りにしても疾患にしても
身体のエラーが出ているということは
人生のエラーが出ているということで
自らの生き方や考え方に謝りがあるってことなんです

これまでの自分の行動のクセを見直して
人生を振り返って
自らを苦しめる身体の痛みの原因が
自分自身の心の在り方や考え方
生き方や信念の誤りにあるってこと
気付くきっかけにしましょう

私の肩に存在するこの「氣の塊(滞り)」は
私のどんな心の凝りを表しているのだろう?
どんな問題によってできてしまった
凝りなのだろうか??

…と

そうやってひとつひとつ
身体の痛みや強張り
自分を苦しめ身体を重く
行動を不自由にさせている「凝り」の原因と向き合って
心の凝りをほぐして貯めこんだ感情を解放して
過去や他人を赦すことをしたならば
血液循環がよくなったり
神経の圧迫による痛みから解放されるばかりでなく
滞った運命さえも流れ始めるかも知れませんよ



ああ ここに使用する画像探してたら
私も優しくほぐされたくなってしまいました
お正月あけたらマッサージに行こう!
温泉行きたいぞっっ

2019/12/28

死のトラウマとアレルギー




昨日たまたま友人たちと
その手の話をしましたので
思い出しがてら

私はアレルギー体質で不愉快なことに父譲り

アトピーではないけれど炎症体質なので
子供の頃から皮膚の爛れやおできに悩まされてきました
花粉症はここ数年で嘘のように軽くなりましたけど

食べ物に関しては
イチゴとパイナップルと生鰹がダメではありますが
幸いなことに
アナフィキラシーを発症するほどのことはなく
食べると気持ち悪くなったり
お腹を下してしまう程度の反応で済んでいます

けれども
父が小麦粉アレルギーを持っているので
体質を受け継いだ私も発症する危惧があり
小麦粉製品を過剰に取らないように気を配っています

カニやエビも少しくらいなら大丈夫ですが
成分を凝縮して濃厚に煮詰めたものとかは
吐き気が出るようになってしまったので
ほとんど食べなくなってしまいました


最近ですが鰹節や鰹出汁にも
拒絶反応が出るようになってしまいましてっっ
(気分が悪くなって吐き気がする程度)
もともと鰹のたたきでお腹を壊してから
生は避けていたのですけどもね
出汁はまあ普通に食べれていたのですが
缶詰の鰹フレークもダメになり
今度は出汁までもかーって感じです

どちらかというと飛魚出汁や昆布出汁の方が
好きなので自宅では鰹出汁使いませんけども
外食ではそうもいきません
和食を食べるに際して
鰹出汁を避けるのって厳しいです

まあ砂糖を使った煮物やおかずが嫌いなので
もともと食べれる和食も限られているわけです

とはいうものの摂取してしまったからといって
アナフィラキーショックを
起こすということでもないので
口に入れてしまったからといって
さほどの問題がないのが救いです

てなわけで
お陰様で私はごく軽度な症状で済んでいますけれど
空気中に漂うお蕎麦の粉とか
卵が混入しているものとか
皮膚を消毒する際のアルコールとか
そういう僅かな量にでも
アナフィラキーショックを起こしてしまう人は
本当に大変だろうししんどいだろうなって思います


そして話は変わりますが
ネットで色々な話を見ていると
アレルギーに対する理解も知識もなく
アレルギーは甘えだとか好き嫌いだとか
そう思っている人は未だに多いのですね

なんかビックリであんぐり

また同時に
食べ物や薬物や植物や埃とかいったものだけでなく
私たちがまだまだ知らないアレルギーというのも
実にたくさんあるのだと驚かされます


アレルギーっていうのは免疫機能の反応ですけど
面白いことに
過去生での死の原因に関わっているものに対して
アレルギー反応を示すようになっている
ということも間々あります
単なる好き嫌い拒否反応で済んでいる人もいますが

以前のどこかの記事でも書いたと思いますが
毒キノコを誤って食べて
死んでしまった過去生の持ち主で
キノコがどうしても食べられないって人がいました

その人生で大好きで毎日のように食べていたのに
その食べ物の食べ過ぎによって身体を悪くして
亡くなってしまった人の場合
生まれ変わった時には過去生での大好物だった
その食べ物が大嫌いでどうしても食べれないもの
として拒否反応を示していました

もしかしたら
「食べたら死んでしまう」
って記憶に
インプットされてしまったのかも知れません

手前ミソで私のことを言うと
薬であると偽って
あるものを飲まされていた過去があるので
煎じ薬がどうしても飲めません
(ハーブティーは問題ありません
ドロッとした感じの煮詰めたものがダメで)

二時間ドラマのワンシーンではないですが
崖から突き落とされて死んだことがあるので
高所恐怖症ですし

溺れ死んだ人は水に顔がつけられないとか
水をゴクゴク飲むことができなかったり
咽喉を鋭いナイフやカミソリで切りつけられて
絶命したことのある人は
床屋さんでの髭剃りが処刑場の恐怖に感じられて
行くことができなかったそうですし…
カッターナイフも使うことも出来なかったりとか

そういうケースもあります

あとどうでもいいことですが
私はネズミがものすごく嫌いなんですけど
(夢の国の有名キャラも嫌い齧歯類all嫌い)
それはやはり
ネズミが原因で発生した疫病により
自分も含めて家族や近隣住人など
大勢亡くなるためになった
過去のトラウマが起因しています


そんな風に
過去生の死の原因になっているものに対して
嫌いとか苦手意識とか
心理的な拒絶反応を示すことは珍しくありません

だから
もしかしてもしかすると

ひどいアレルギーを発症する人の中には
遺伝とか体質とかからではなく

過去生において
アレルゲンとなっている物質によって
辛い経験や痛みを伴う
「死」を経験している人もいるのかも知れません

「死」の際のトラウマ
PTSDによる心の拒絶反応が
「これは私に死をもたらすモノだ」として
それを自らの肉体にとっての「毒」として認識し
肉体的な拒絶反応を示しているのかも

あくまで推測ですが


そして発症する人が稀な奇病に罹る人とか
何万人に一人しかならないような珍しい病気とか
そういう人は単なるトラウマ超えて
カルマの問題なんか絡んでいたりしますので
前世での「死」の問題とは
別枠で考えなければいけません

そうですね
ベトナム戦争で使用された枯葉剤とか
炭素菌みたいなバイオテロ・生物兵器としての
人類にとって害悪あるものを開発した人とか
一度に大量の人間をいたずらに死に至らしめることを
画策した人とか科学を悪用した人なんかは
現代医学では解明の出来ない難病奇病の
モデルケースになるというか
大勢の人を救うための症例や新薬の臨床開発の
対象になるためにその身を捧げるために
生まれてくることが多いです

自らが撒いた種を刈り取ることとして
何代も先の子孫たちに
悪影響を及ぼすものを作ったりそれを行った人は
負の遺産引き継いで苦しむことになる
被害者たる子孫になることもまたよくあることです

プロとアマチュアの違い

結局のところ
他人が絡むことを書くことは
悪口に変わりなく
相手側の立場からの意見のないところでの
こちら側からの一方的な言い分で
自己弁護でしかありません

私の主観であり私の立場から
正当性を主張して相手を非難・批評している
他者批判に過ぎないのですから

客観性の欠けた偏った意見です
相手のいないところで
自分の意見をあーだこーだ書くのは
人として卑怯極まりもない
品性品格のない行動なのかも知れません

blogに限ったことでなく
文章というのは
読む人の心にどう響くか
その方がどのように受け取るかなのですが…

どんなに客観的に書いているつもりでも
先入観や思い込みが入り混じった
当人の意見の押し付けであることは否定できません
それはこのblogに書いてある
どの記事にも当てはまることですね


 


先月まで勤務させて頂いた場所で
ご一緒していた方とお話する機会があったのですが
意見の食い違いというか
ちょっとしたいざこざがありました

そのいざこざから改めて思ったりしたことです


話の前置きとして

私がプロの占い師として
仕事させて頂いてた時代からすると
今は占いのお店がものすごく増えました
電話占いの会社もたくさん増えて
乱立しているっていう位な数です

実は私は日本で初めて
ダイヤルQ2により占いのサービスを始めた
某電話占い会社で働かせて頂いていたことがあります
(知人の占い師さんの紹介)

なので当時は日本で一件しかなかったのに
あっという間に全国増えて(今はダイヤルQ2もなくなり)
お客様からして選び放題な時代になりました

そうするとどういうことが起きるかというと
労働者としてのプロ占い師の数が不足し
ちゃんとした占い師としての経験のない
素人がどんどん参入してきて
占い師全体の質が低下するということが起きました

そんなんで巷には
なんちゃって占い師というか
ちょっと占い出来ます出来ちゃいます
というそういうニワカ占い師が増えました

昔は…占い師の仕事場というと
辻占や占い館や占いコーナー
あとは自宅をオフィスとしての活動
そんな感じです

なるべくしてなったお店で働かずとも
自宅にて知る人ぞ知るの評判や口コミで人が集まり
それで生計が成り立つような人は例外として

いつか独立してフリーでオフィス構えるにしても
最初の登竜門としては占いコーナーや占い館など
そういったところで占い修行としての見習い期間も含めて
経験を積むものでした

辻占(街頭における路上での占い)は
場所決めというかその界隈を仕切っている人がいて
紹介でその場所をわけてもらうことになります
場所があくまではその場所でお商売は出来ません
※893とかではありません
 商店街だったり地元の口利きやみたいな人とか
 占いの元締めみたいなことをしている人

ここは人も通るしよさそうだからと勝手に
路上で占いをするのは業界の筋を通さないことで
色々とルール違反になります
(道路交通法もあるので警察への届け出も必要)
建物の中とか敷地内であれば
その建物の所有者から許可もらえばOKですが



占い師になるためには
そもそも占いを勉強する必要がありますが
昔は師匠たる占いの先生のところに
学びに行く人が多かったと思います
今は占いの学校やセミナーやワークショップ
カルチャーセンターでの受講もありますが
古い時代には個人でやっている塾のような処
私塾みたいなところに門下生的に
習いに行く人が主流でした
(この占いの先生や師匠から
プロになってもよしとの判定を頂いた人が
お墨付きとして店舗を紹介してもらったり
辻占の場所を分けてもらえるわけです)

ちなみに私はまったくの独学で
占い師になってから
一緒に働くことになった先輩や同僚から
あれこれと教えてもらったり
現場で様々なことを吸収させてもらった口です
(そうやって周囲との交流で実用的な知識とか
テクニックとかノウハウ学ぶのも大切です)
なので特に師匠と言える人はいません

ただ魔術の師匠はいまして
その方から
「あんた占いできる人でっしゃろ?
 うちの店で働きなはれ」
とスカウト?されたのが
占い師になるきっかけのひとつでしたが





そうですね

ネット社会になってから
そんな風に占い館で
対面占いという現場を経験していない人でも
趣味で占いやってますという人が
自らのHPで仕事だったり無料でだったり
占いの依頼を募ったりし始めて
電話占いの会社で働くようになったり

いつの間にか誰でも占い師になれちゃう
そんな時代になりました

(でもちゃんと勉強したことない方でも
優れた資質ある占い師さんがいるのは事実です
さほど多くはないですが
全員がダメってことはないのです)

そしてスピリチュアルブームが起きて
単なる解説書付きのオラクルカードを使って
リーディングと称してお金を取る人が出てきたり
スピリチュアルという軽い分野な商売畑が生まれたことで
占いとの境目も曖昧になり
そうした方面の方も占いジャンルで
占い師的な仕事をするようになりました


てなわけで
私が先月までいたお店にもそのような方がいたわけです

聞いた話ではその方は占い館での勤務経験はなく
ちゃんとした占いの勉強をしたこともなく
趣味でタロットが好きで
癒しフェアとかスピコンとか
そうしたところに数人で出店し
何回か出てお客さんを見た経験があるとのことでした
(でもタロットではなく霊視で観てるとのこと)

そうしたところはそれが目的のイベントですので
法外な金額でなければ
それなりに集客はあると思います

けれど辻占もそうですが
商業施設にある占いコーナーや館にしても
「待つ」のが仕事だったりします

行列の出来る占い館なんて一部です
今まで他店で勤務しててリピーターさんを
抱えてた人気占い師ならいざ知らず
新しくできた認知度の低い店で
まして自分も新人で
たくさんのお客さんが来るなんてことはありません

ゼロなんて当然です
1人来たら大歓迎ってなもんです
2人なんて来た日は感謝しないといけません

どんなお商売もそうですが
三か月半年そして一年単位で考えないといけません
半年でようやく結果が少し見えてきたら御の字です

そんなわけでその方は
二か月で「時間のロスが大きい」
と言って辞められました

それはそれ
辞めるのはその方の価値観で判断ですから
自由意志で決めてそれでいいと思います


先日たまたまお会いしたときに
なんていうのか
占いの仕事をしたいのかしたくないのか
ちょっとよくわからない感じのことを仰られていて
あーだこーだうだうだ???状態だったので
「貴女はプロとしてやっていくよりも
 趣味として占いをやっていかれた方が
 よい方なのかも知れませんね」
とお伝えしてしまったなら
まあ気分を害されてしまったわけです(当然か)


そうですねー

石の上にも三年といいますけれど
どんな仕事 職業でもそうですが
三年はやらないとプロとは言えないと思うんですよ
週五日フルタイム計算で換算しての労働日数が基本で

それは会社員でも職人でも同じで

それまでは見習いともおぼしき期間です

3年その仕事をしていないなら
その人はプロでなくて修業中の見習いです
プロの占い師としてお金を頂けるようになるまで
アマチュアの期間に100人は最低でもみないと
ってのが昔は暗黙の業界ルールありました

そして
今はタロットとかの卜占だけで占い師って
そう名乗っている人も多いけど
本来は命学・相学・兆学
全部あるいは二つの組み合わせで
二つの占術以上が出来ないと
プロとは言っちゃいけなかったです
お店でも働かせてもらえませんでした

また自分はその占術を専門として究めてなくても
占い全体のことくらいは
(他にどんな占いがあってどんな方法なのか)
基礎知識として知っておくべきなんですね

辻占として路上に立って
お店で働かせて頂くようになって
お客さんが来なくてもただ待って
自分を必要とする人が来るまで待って
その間はただ勉強する
路上だったら道行く人の人間観察をして
お店だったら本を読んで
著名人や時事ネタを占って
そんな勉強をみんな必死でして
半年一年経った頃
たまに訪れる人からの評判が当人に戻ってきて
リピーターが増えるという結果が出て
それで食べれるようになっていくんです

ええ 皆さん勉強してます
占いの勉強だけでなく心理学の勉強をしたり
カウンセラーの資格を取ったり
話し方のセミナーを受講したりとかね
様々な職業の人の悩みを聞くわけだから
色んな業界のこと病気のこと健康のこと
法律のこと福祉のこと
人の話を聞くことも含めて
ちゃんとした占い師さんはたくさんたくさん
勉強してますよ

なんちゃって占い師さんや電波な人のことは
知りませんが(私も十分電波ですが)


で3年位やってようやく一人前になるんです
そこまでやっても食べれない人は
その事実が答えなんです

ここでようやくプロって名乗れる

占い師には資格試験や認定制度はないし
自分で占い師を名乗ってしまえば
自称で出来ちゃう仕事ではありますが
3年やってお客さんがついて
その道で食べれているっていう事実が
その人の占い師としての仕事の「証明」になります

3年やって芽が出ないなら
食べれるほど稼げないなら
占い師としては評価されてない
ニーズが求められてないってこと

お客さんを呼ぶ力も
初対面のお客さんの方から
「この人に観てもらいたい」
と思われる風貌や雰囲気も
その人の占い師としての実力のうちなんです

そしてプロなら
自分の占い師としての仕事の評価が
占い業界全体の評判に関わるってことも
自覚すべきなのです
その業界や仕事に対する責任の重さ
先人たちから受け継いだ知識や技術を
使ってお金を稼がせて頂いているという自覚
その恩恵を考えるからこそ
占いに対する偏見や誤解を解いて
正しく占いを用いて社会貢献して
占い師の地位向上を図っていくことも考えたり
占いという学問や文化 知識や技術を
後進に伝えていくこととか行ったり
使命感ってのも必要です(そこそこね)

例えばとあるスポーツ 
例えばフィギュアスケートを例にするなら
プロであるなら 
フィギュアというスポーツそのもの
そして業界全体のこと
そのスポーツの未来のこととかも考えるでしょう?
自分自身が不品行をしたら迷惑をかけてしまうとか
そうしたこととか後進の指導とか
お客様を楽しませることとか
色々とプロとしての自覚とかあって然りです

アマチュアの人ならそこまで考えなくてもいいけど
ただ当人が楽しんでいればいいと思うし
誰もそこまでアマチュアに求めないし

でもプロならば
その技術でご飯食べさせてもらっているならば…


まあそんな感じでして

なんていいましょうか
どんないきさつだったのかというような
細かいことを書いていないのでアレですが

たった二か月間 しかも週一回程度
お客さんが来ないとか売り上げがなくて
時間のロスが我慢できないとかいって
辞めちゃって
そのお店でお客さんを待っている間
占いの勉強もまったくしないで

「命式は?」と聞いても「ナニそれ?」と
命学・相学・兆学のこともその違いも知らずに
占い師とは名乗って欲しくないなーって思いました

「私ね 
 人のエネルギーの強い弱いがわかるの」
「タロット使わなくても霊視でわかるから」
「どの占い師さんもたいしたことなくてねー」

2.3回占いイベント出たくらいの経験で
そんなこといってほしくないです

すごい占い師さんも素晴らしい占い師さんも
世にはたくさんいますよ
その方が知らないだけで会ったことないだけで
その方の周囲にいるのが
なんちゃってスピリチュアルワーカーや
なんちゃって占い師さんなだけで



とりあえずまあ
まとめてしまうと

その道で食べていけてこそプロと名乗れる
そう思います


結局 愚痴です
他人の悪口を書いてますなー

2019/12/27

反省と課題

2019年もあと数日となりました

今年を振り返って最近の出来事から
改めて相変わらずな自分の弱点とか問題について
気付かされることになりました

そのひとつが人との距離の取り方ですね

改めて再度痛感して反省したことが
私の職業においてのお客さんというのは
問題を抱えた人であるのだから
決して近しい関係になってはいけない

…ということです

お客さんとは友達には成り得ない

常に相手とは一定の距離を取って
必要以上に近寄らせない
相手がそのように
誤解するような態度をとってもいけない
仕事とプライベートはきっちりわけないといけない

そんなことを骨身に染みて
感じさせられる出来事がありました

友人ではないのに
こちらからしたら友人と思っている人ではないのに
友人関係の輪の中に入っている人のように
距離無しに振舞われた…ということ

こちらからしたらお客さんや生徒さんに対する
親愛の情としての親切の範疇で
友好的な対応を示しているだけの人と思っていても
相手の認識は必ずしもそうではないわけで

とくにFacebookは要注意ですねw
そんなわけで知り合ったきっかけが
お客様である人に関しては皆さん
繋がりをはずさせて頂くことになりました
例外の方もいますけれど

どうでもいいことですが
私は結構フレンドリィに誰でも受け入れますが
知り合って数年という年月を重ねないことには
相手のことを信用しませんし
友人というカテゴリには入れません
だから友人は少ないです
友人でない人に
名字ではなく名前で呼ばれるのも嫌いです
自分が友人として心を開いていない人に
馴れ馴れしくされるのも嫌いですw

でも初対面からフレンドリィに対応して
オープンに誰でも受け入れてしまうのが
相手に誤解を与えるもとで問題の根源なのですね

八方美人なつもりではありませんが
誰とでも上手くやろうとして
距離の取り方を間違えているのだと思います

だからこそ
そのやり方を見直さないといけないなあと
きっちりと境界線を引いていかないとなあと…
反省することしかりです



あとは
占い師の仕事を再開させるにあたって
占い館にて勤務させて頂くことになったのですが
そのことからも色々考えさせられることがありました
これも他人との適切な距離の取り方についてでしたね

占い師の仕事に関しては
仕事を休んだり一度辞めたり
何度かストップさせて
今の仕事スタイルになってからは
占いという技術を用いて人を観るということは
まったくしていないブランク期間が長かったので
「出戻りの新人でーす」
なんて気持ちでいたのですけれど

よく考えたらいちおうは私
プロとしてもベテラン枠なんですよね

占いにしても他人の相談に乗るということも
私は小学生の頃からしていて
高校を卒業してから普通に就職もしていたけれど
そういう仕事をしている間も相談されることはあって
そのような意味ではアマチュアの期間も10年以上はあり
占い館で働くことになったのは20代半ばですが
そこからをプロと名乗るにしても
なんだかんだで続けていることを考えれば

自分はこの業界この仕事ではベテランなんだ
という意識を持つことは必要でした

だからまあ
新人さんとかアマチュアさん
後輩や見習いの人たちと接するときは
同じステージに立ってはいけないというか
(エバって上から目線になれって意味ではなく)
先輩としてちょっと引いたところで
距離を取って付き合う必要があると…

フレンドリィであるのもよろしくないなって
そう思いました

ふわふわきゃぴきゃぴ
相手と一緒になってはしゃいで
いつまでもそんなことしている場合ではないです
これはもうオバサン通り越してBBAだからとか
年相応な思慮分別を持つこととはまた別で

下出に出ているつもりはなくても
結局は相手のご機嫌取りをしているような
そんな振舞をしていることに変わりはないのですから

親切に友好的に、というのと
相手に同レベルになるというのは別ですし


舐められやすかったり
甘く見られたりしやすいのも
結局はこういう点からなんですよね
威厳がないのももちろんあるけれど
見た目だけの問題ではないのです

他人との距離を適切に上手くとっていくこと
関係性における自分のスタンスをはっきりさせる

そんなこんなが今年得た反省
そして今後の課題でした

2019/12/25

同業同名は意外と多し

先日 同業と話をしていたときに
ある方がネットに疎い方だったので
別の方が話の流れで
説明するためのサンプルとして私に例に出し
「アルマ 占い」で検索をかけられたのですね
(※今年から占い師業を復活させていて
 そちらは昔からの名前で仕事していますので)

するとそれなりに検索結果が出てくるわけです

といっても
何もすべてが私の関連ページというのではなく
同業で同じ名前の方が複数名いるというだけなんですね

私も30年以上この名前使って仕事していましたが
だからといって
私しかこの名前の占い師がいないというわけではなく
それなりに同名の方はいるものです

同名の人がいるのは当たり前のことで
作曲家のマーラーやヒッチコックの奥さんとか
欧米人でも見かける古い女性名だし
ヘブライ語で霊魂という意味だから
それっぽい名前といえばそうです
西洋を舞台とした漫画にも使われてますし

(私もこの漫画と作者さんが好きで
↓この作品の主人公にちなんでつけさせて頂いた名前でして)





ただ
そのうちの一人に
「ちょっとな…ヲイヲイ」と
むかーしに思った方を見つけたのです

ここのリンク欄にも記載していますけど
「アラジンの魔法のランプ」さんというサイトに
とても簡単なプログラミング(CGI)仕様の
無料占いの原稿提供をさせて頂いたのです

それが
「魔女Almaのタロット占い」と
「魔女Almaのルーン占い」です

それは占いの素材として
リンクを無料配布していたので
個人でHPを作ることが流行っていた時代には
リンクを貼って下さる方も多かったのですね

そのための原稿ですからそれはそれでいいのです
ちなみにこの原稿の料金は頂いていません
恩人の紹介ということもあり無償提供です
(私は一円ももらってないし入るシステムもありません)

でも
ある方がご自分のサイトに
この無料占いリンクを貼ったうえで
サイト名を「魔女アルマの占いの館」としていたのです

常識ある方ならお解りですよね? 
私があんぐりしちゃった意味

リンクをご自由にお貼りください
としている無料占いプログラムですから
使って下さることは別に良いのです

名前にも特許はないです
魔女という名称を名乗られることも個人の自由です

その人がきちんと魔女としての教義を学び
トレーニングとイニシェーションを受けた
ホンモノの魔女であろうがなかろうが
当人が勝手に魔女と名乗りたいなら
そうすればいいのだと思います
ここも特許も商標登録もないし

けれども
原稿執筆者の名前をそのままに使用してのサイト名
そしてご自身が魔女アルマと名乗られること
その上で「魔女Almaの…占い」の
プログラムをそのサイトに掲載すること

それはようするに
その原稿(占いプログラム)は自分で書きました作りました
みたいに公言しているような意味にも捉えられます
ご当人にその意図がないにせよ

正直不愉快でしたが
それでその方がそのプログラムを利用して
お金儲けをしているわけではないので
異論を唱える理由もないということから
「なんかなー」で終わりにして
そのまま放っておきました
(ちょっとプリプリはしましたが)
私が魔女アルマの本家本元ですとか
オリジナルだとかそんなこという気もないですし

そのうちに私も占いを辞めて
今のスタイルのサービスを行うようになり
きれいさっぱり忘れていました

ところが先日の検索でその方がまた
トップの方に出てこられたのです

そしてまだ名乗っていらっしゃるw

またしてもなんかなーって思いました


何しろ今はスマホの時代です
20年前のCGIブログラムなんて時代の遺物だし
ネット上に残ってはいるけど使っている人は
ほとんどいないでしょう

個人がHPを作る時代でもないし
Blog通り越してTwitterやInstagramの時代
その方も「アラジンの魔法のランプ」さんへの
リンクはもう貼られてはないみたいですが

まああの占い原稿を書いたAlma(あっし)と
その魔女アルマと名乗っている人が
同一人物だと思う人がいたとしても
それはそれでどうでもいいかなーと

なんでしょうね

私だったらそんな紛らわしいこと
誤解を生じるようなこと
相手に対して失礼すぎるのでしませんけれど
だってパロディにもなりませんでしょ?

てなわけで
同業者の中には同名の人も結構います

そんな話でした


追伸
占い師としての活動ですが
吉祥寺のお店から銀座のお店に移りました
12月からで週一回毎週木曜日丸一日出演しています
数寄屋橋近くエルメスの並び(ソニー通り)の
ビル三階の占い館です
銀座占い館リディーアンジュ
商業施設の中ではないので入りづらいかもですが
閉鎖的なオフィスなので隠れ家って感じで
のんびりじっくりお話を聞くことが出来ます
ここでは霊的な話も前世とかの話も出来るかな
前のとこはNGたったからっっ

予約なしでOK
サロンに予約してセッション受けるほどのことではない
相談事などがあるときにどうぞ

2019/12/23

傲岸不遜2



私自身が過去生というものを信じていたとしても
その意見を他人に押し付けることはできないし
実際問題 過去生を立証する手立てを持っていない

過去生というものが真実であると
科学的に立証することがたとえ出来たとしても

私自身がリーディングとやらでキャッチする情報
すなわち私のリーディング能力が本物(真実)であると
これを証明する手立ても何もない

だから根拠のない眉唾だとか空想からの妄想話で
先入観や思い込みによる勝手な作り話だとか
こじつけだとか
そのような話で人を脅して不安にし洗脳を行い
金を絞り取るインチキな詐欺師だの嘘つきだの
非難されてもそれは仕方ないというか当然だろう

実際そのようなことをする人
この業界や類似の職業や同業者において
ペテン師とも言える霊感商法のようなことを
している団体も個人も昔から減らないのだから

如何に真摯に向き合っているつもりでも
相手(クライアント)がどう思い受け取るかが肝心で
それが真実の歴史(情報)であるかどうかなんて
なんら証明も出来ないのに
「私はホンモノですよ」
「私の伝えている情報は真実です」
なんてそんな自惚れた自画自賛は
臍で茶をわかすくらい可笑しいことだ

私もペテン師の一人かも知れない
私が伝える情報に
価値や意味があったのかなかったのかは
セッションを受けて下さった
クライアントさん自身が決めることだ



信じなくてもいい信じてもいい

けれど

私のところのようなサービスに訪れて
そうしたサービスを受けようという人は
そのような非科学的で非常識的な情報に
救いと答えたるヒントを求めてくるのであろうから
少なくても耳を傾ける気持ちがあってのことと思うし

ならば襟を正して人の話を聞く態度で
真摯にそのような情報と向き合って欲しいと
そう切に願う

それを真偽のあやふやな情報として聞き流したとしても
もしもの話として
仮説として受け止めたとしても

その話を「いま聞かされたこと」の意味を
自分が求めて得ることになった情報の表すところの意味を

必要だからこそ今聞くことになったのだと
望んだからこそ与えられたメッセージであると
きちんと伝えられた意味を考えて欲しい

それが真実であろうが嘘つきの作り話であろうが
そうした話が意味するところの
自分への性格や考え方や生き方の指摘や説教
得られる教訓や注意点を
その情報を聞かされたことこそに意味があり
必要であるからこそ与えられた情報であると

謙虚に受け止めることをして欲しい

って思ったりします





私も不完全な「人」ですから

人としてあまりにもどうなの?っていうようなことを
過去生においてされた方が
目の前でふんぞり返って偉そうにしていたりしたら

「ちょっ! おまっ!!
 過去にあれだけのことをしておきながら
 何アンタそんなにエラソーなの?何サマなの??」

みたいに眉間に皺寄せて
相手に対して不愉快さを思ってしまうことがあります

いくらお客さんであっても

いやさそれが
お客さんだからなおのことなのかも知れません



相談者とセラピストという
上下関係がない関係性であるわけですが
唐突に上から目線のタメ口だったり
何を言っても反抗的で突っかかってきて
人にモノを相談する態度ではないというか
年相応の分別あるふるまいが出来ないのって問題です

そうした態度を取られるとこちらとしては
不愉快になりますし
あなたの力になってあげたいよくしてあげたい
という気持ち
100%萎えてしまいますよ

と伝えると逆切れ

そんな人たちが過去に4人ほど


そうですね
前回の続きになりますが
過去生でも今の人生でもちょっとばかり
オカルトやスピを齧った人は
大体において前知識があったり
精神のオクターブが広かったり高かったりで
セッションがやりやすい人がほとんどなのですが

一部やっかいだなあ…という人もいます

それは
主に傲慢の罠にはまっている方になりますが
なまじ 過去において 
そうしたことを探究した経験があるものだから
ものすごく自分を大きく見せようとして
他人の言葉を横取りして
自分の言葉として語ろうとしたり
「私の方がなんでもわかっている」
というようにこちらを下に見て
尊大な態度をお取りになられる方とかは
セッション以前の問題というやつで

例えば
宗教的にそこそこの地位についていた人とか
牧師さんや司教さんや僧侶やマスターやグル
そうした精神的リーダーや指導者だった人は
自分が色んな人にその知識を教えたり
人の相談に乗ったり説教したり
その地位故に人々から崇められたり
かしずかれたりしてきた人たちなんで

霊的にも人間的にも成熟して
本当に精神性の高い人たちなら
誰よりも謙虚だったりするんですが
必ずしも職業と霊的レベルは一致しないのです



でもご自分の方が何でもわかってて
そうした力をお持ちというのなら
何も私のところを利用されなくても??とも
不思議に思います

解っていらっしゃるのなら
原因も解決法も理解してらっしゃるでしょうし
ご自分の問題はご自分で解決できるでしょう

だから 
自分より下だと思っている人のところに

「なんで来るん?」

と不思議に思います


ある人の場合
ふんぞり返った態度に吐き捨てるような物言いで
こちらが何を言っても
「はいはい、わかってるわかってる
 そんなのあなたに言われなくても
 とっくに知ってるし解ってるし」
とまるで人の話を聞く態度でなかったり

上記ケースのごとく
指摘すると逆切れパターンだったんですね

スピリチュアルな職業や占い師の知り合いは多く
自分はその人たちから逆に頼られ相談される人間であると
十分にスピリチュアルな知識がある人間だと
そのように仰られる位でしたから
過去生やカルマのことなど理解しているとの前提で


「今のあなたの人生に起きていることが
 あなたが前の職場でとても辛い想いをさせられ
 身体を痛めつけられるような経験をしたことが
 過去のあなたが誰かに対して行った報いだとして
 そのことをどう考えます?」

と尋ねたところ

「本当であるかどうかわからないんだから
 考えようがないこと」

と軽々しく嘲笑するかのようなトーンでお答えなさる


こういう不遜な態度は無意識のクセというか
過去生の人格が出てきているだけとも取れるんですけど
過去の人格に乗っとられていることも
自覚して頂かないことには始まらないので
それはそれで
「さっきからのその態度は何ですか?
 茶化しに来たんですか?」と
こちらもイヤな言い方をします

ふつうの人の一般的な常識的な反応としては
そんなこと言われたりしたら
何か自分が相手に対して
失礼な態度や言い方をしてしまったのでは?と
とりあえず考えたり自分の言動を振り返って
いちおうの形としての謝罪を口にしますが

自尊心が強い人は
大体モンスターさんな反応をしますですね
スピリチュアルナルシズムとエゴイズムに
支配されている人だから当然ですが
(サイコパスはまた違った反応)

でもその
不要な無駄に高いプライドと
スピリチュアルナルシズムとエゴイズムこそが
その人の人生をおかしな方向に暴走させ
今の身体の不調を生み出している要因そのもの

これに気が付いてもらわないことには
何も始まらないというのがあり

「あなたには謙虚さという言葉がない」

その一言で終わってしまうと言えばそう
けど今それを言っても響かないのも事実

でもこの方が
「痛い言葉」に耳を傾けられるようになるには
まだまだ時間がかかるんだろうな…

と思ったりします

敢えてご当人が読まれるかも知れないこのblogに
当人が「自分のことかも」と
特定できる情報を記載して書くのは
少しでも心に響いて自らを振り返って欲しいとの
願いが少しばかりあるからです

2019/12/19

傲岸不遜

現代においても
そして過去においても
どんな宗教や霊性の道においても
幾多の時代が過ぎ去り人々の生活が移り変わっても
おのが霊性を磨こうとする道に進もうとする人がいる

精神修養に至ろうとする行動力は尊く
厳しく険しい道を
究めようとする姿勢は尊敬に値するものだが
道を究めようとする動機は人それぞれであり
私欲を捨て去ろうとする道を選択してもなお
謝った信念を捨てきれず己が欲に惑わされるものもいる

自分自身の小我に打ち勝ち
大いなる悟りの境地へと
自らを誘うことが出来たものは
霊的な成長の過程において身に着けた
相応の力の正しい使い方を知っているので
傲慢に陥ることもなく
謙虚さを宿した済んだ瞳は黙して語らない

捨て身の覚悟で辿り着いた境地から
彼らが得たものは魂に刻み込まれ
輪廻転生を経て記憶が失われようとも
決してその霊性の光が失われることはない

けれど道の途中に置いて
我欲や現生への執着や傲慢さを捨てきれず
脱落したものの末路はどうなんであろうか





お客さんとして会った人ではない
修養的な場であったその人は普通の企業人だった

精神性や霊性を磨く修業的なこと…に熱心で
あれもやってみたいこれもやってみたいと
いささかミーハーな気もしないでもなかったが
仏教的な教義や奥義に対して知識はあるが
その精神を実践しているわけではないという感じ

自分はアレも知っているコレも知っていると
饒舌に語ってはいるが
他人が自分の知らないことを話したりすると
少し不機嫌になり無関心になってスルー対応

何処か他人を見下した態度と
損得勘定でランク付けして
相手によって態度を変えている小賢しく
分かりやすい小物ぶりを
なんだかなあ…と思って眺めていると

その人の過去生の姿が視えてきた

山岳信仰の行者姿で
滝に打たれたり山の中を走り回っている姿

だけどもこの人
そうやって得た何かしらの能力を
自分を誇示するために人と競ったり
(一般の人たちに威張り散らして)
師匠とおぼしき人に破門されて
山を追い出されていたりする

それだけではなく
もうひとつあとの別の人生
これも日本なんだけども
今度こそはと脱落してしまった
過去のリベンジなのか
生き仏になるのだととある道に進み
とても大変な行にチャレンジする資格を得て
命をかけてトライしたものの
それはそれはとても大変な修行であったからか
やっぱり挫折されていた

そして失敗してしまったなら
自決しなくてはならないというのに
その勇気なくいざという時に臆してしまって
死ぬことままならず下界へと逃亡してしまい
市井に紛れて生きることを選んだのだった
あとはもう道を踏み外した破戒僧のような人生

けれども今生において
類似の道に進むことはなく
過去にチャレンジしたことへの三度目の正直は
さすがに選ばなかったようだが
趣味の延長線上にこういうことを選ぶとは
道を究めて目的を果たせなかったことへの
未練がさすがにあるらしい…とも思ったり

根性がないとか忍耐力がないとか
そういうこと以前にそもそも
そのような修養にトライすることの動機自体が
ものすごく不純だった人だから
この根本的な姿勢や根幹的な考えが
進歩しない限りには
何度生まれ変わっても
この人はこうなんだろうな…と

もちろん
当人から聞かれたわけではないので
こちらからそんな話はしません

その人からして
自分から見てとるに足らない存在の
私からそんなこと言われたとしても
信じないでしょうし憤慨するだけでしょう

意味なく価値もない情報として
笑い飛ばされるだけです

とはいうものの
それが誰からの情報であったとしても
今のその人には過去の己がstoryから
何かの学びや教訓を得ることは難しいでしょう



でもって
上記の方の場合 
不純な動機で修行の道に進まれた故に
「何か」を得る前に早々と挫折したものですから
とくに特出したスキルが磨かれることはなかったのです

そしてその方のそういう資質を
師匠となって指導された方は当然見抜かれていたので
当人が学んだことを悪用しないように
阻むことや封じることもされていたのでしょう

だからまあ
人畜無害ではあるのです
それ以前の「人間」としての修業を
頑張って下さいねという感じで
上つ方々も放置プレイでOK(意味不明)


でも問題なのは
下手にある程度の力を身に着けられた段階で
なおかつ「七つの罪源」でいうところの傲慢さ
これに負けてエゴイズムに呑まれてしまった人たちです
こういう人たちは精神性が成長して
霊性がある程度高いところまで行った段階で
その高みに達した故の高慢さ
自分のことを何様と勘違いしての自惚れが
暴走しているので恐ろしいです

そこまでいかなくても
過去生でサイキカル能力を開発することや
何らかの霊的な道を探求したり
そういう職業に就いた人で
サイキカルな能力は鍛錬しても
そのサイキカル能力に
霊性(スピリチュアリティ)すなわち霊的な成長が
追いついていなかった人の場合
自分は特別な存在なんだ的な勘違いがあるので
スピリチュアルマウンティングも取ってくるし
謙虚さのない困った人が多いです

ちょっとこの手の人のことで
思うところがありましたので
別途書いてみることにします

今日は眠くなってしまったのでここまで



2019/12/15

欠乏は過剰を産む

先日とあるクライアントさんから頂いた
お礼のメールの中に
「現実を踏まえてアドバイスして頂けるので安心できる」
というお言葉を頂戴したのですが

そういえば
現実的な人とか現実的なアドバイスをするとか
地に足が付いているとか
ありがたいことによくそのように言って頂けます

ですがそれは
そのような顔を見せることが出来ているのは
あくまで仕事の顔でだけで
そういう風に私を評して下さるのは
クライアントさん限定ですねw

プライベートでは
まったく地に足が付いていない非現実的な人物ですし
40代に至るまでは
幼稚な精神が痛すぎる
ずっと厨ニ病全開なアダルトチルドレン
だったと思います

そうですね
占星学が分かる人にしか分からない話になりますが
太陽8ハウスさそり座で同室同サインの海王星と合
ASCは魚座だし
月1ハウス魚座で同室同サインのカイロンと合
そして1ハウスと8ハウスの天体はトライン
MCとオーバーロードサインは射手座だけど
風のサインはゼロで地のサインが2つだけ

配置そのままに
「見ているものがこの世にあるものではない」のです

実際問題
常に過去とか非現実的な空間とか
この世にあらざるものをいつも眺めていて
目の前の現実をちゃんと見て生きてこなかったですね

現実に対処していく術に長けていないというか
思考傾向として現実逃避ばかりしていたような気がします

だから
昔の同級生とか知り合いとかは私に対して
とても現実的な人間という印象はなく
空想癖のある感情過多な気分屋とか
ヒステリーなトラブルメーカーとか
そんな風に評されるんではないかと思いますし

プライベートでの友人や知り合う人も
浮世離れしたつかみどころのない変人なんて
そんな風に思っているんではないかな

なので
「現実的な人間」だと言われることが
すごく意外というか一番無縁だった評価なので
驚くというよりも面白いものだと思います

占星術の言葉(見方)に
過剰は欠乏を産み 欠乏は過剰を産む
というものがあるのですが

これは人間というのは
自分に足りないもの(不足していると感じるもの)を
何とか埋め合わせようとして過剰に追い求める
その逆に満ち足りていると
所有していることに無自覚になり
敢えてそれを利用しようという意識が働かない
という行動の反作用のことを指しています

私の場合
私という人間そのものが
モラルや現実感(現実的感覚)
社会性や組織適応力に大いに欠けている人間であり
知的能力や理性や倫理的思考や
コミュニケーション能力が劣っているという
自覚とコンプレックスがあったので
意識してそれを手に入れようと
それらを埋め合わせるがごとく
そうした知識や情報を手に入れることに
貪欲だった結果のような気がします

その方向性に意識のアンテナを向け続けたことで
目には見えない世界を視る目や
五感を超えた感知能力に焦点を合わせることを
意識的に遮断して拒絶してきた

結果的に長所で取り柄でもあった
非現実的な空間を感じ取る能力が衰えて退化し
鈍感になってしまった部分が多々あります

それは良い事だったのか悪い事だったのか
自分ではよくわかりませんが

でも現実世界を生きることが一番大切なのですから
現実的な社会生活に適応していく術や
年相応の分別や常識を身につけて
一人の大人として人間として成長する機会を
多く持てたことは必然で得難い経験だったと思うのです

子供の頃の無邪気な感性を持ち続けたままであれば
今よりももっと社会や人様のお役に立てることの出来る
私であったのかも知れませんが…
いつも焦点や意識のアンテナを
現実ではないものに合わせ続けていたならば
木々や自然と対話し
見えない世界や肉体を失った人々を見て会話し
神様や仏様やそうした存在たちともコンタクトを取れて
非現実的なレベルから多くのメッセージを
伝えられることが出来たのかも知れませんが…

残念ながら今の私と過去の私との間には
大きな隔たりがあります
今は本当に俗物で煩悩の塊ですww

でもまあ
浮世離れした視点からモノを言っても
人の心には届かないし響かないでしょう

だから非現実を知った上で
現実と社会を学ぶ必要があったのだと思います

今回の人生はそれが私のテーマでした
これも人生の通過点ですね

まあでも
同時に両方の世界を視る視点があれば
これにこしたことはありません

とにかく自分が人間として成長していく段階を楽しみ
同時に現実を楽しみながら霊性を磨いて
それを仕事に善い意味で反映させていくだけですね



2019/12/10

Pride ~in the name of love



 One man come in the name of love
 One man come and go
 One man come here to justify
 One man to overthrow
 In the name of love
 What more in the name of love
 In the name of love
 What more in the name of love

 ある男がやってくる 愛という名のもとに
 ある男がやってきて そして去る
 ある男が正しい行いを証明する
 ある男が困難に向かうためにやってくる
 愛という名のもとに…
 他に何の理由がある? 愛という名の行為のためにだけだ
 愛という名のもとに…
 愛の名のもと以外に 他に何の理由があるというんだい?

 Pride(in the name of love) by U2


先週行われた13年ぶりの来日公演で
予定になかったけれど歌われたそう
(チケットの抽選に外れていけなかった…号泣
私にとってはボノは憧れの人の一人で
来世はボノ(みたいな人)になりたい!のである)

もともとこの曲はキング牧師に捧げられた曲
今回は中村医師を追悼するために
歌詞を替えて歌ったとのこと


また一人
尊敬する素晴らしい人がこの世を去ってしまいました

中村医師の死を知ってから
ものすごい哀しみと喪失感でいっぱいです

ペシャワール会と中村医師の活動のことは
10数年前に「うぃっちぃずぷろじぇくと」という
家庭の不用品をフリマやネットで売って
売り上げをNGOやNPOに寄付するということを
仲間たちとしていたことがあるのですが
その時の募金先のひとつとして
募金させて頂いたことがあるのです
それでお名前や活動の実績・功績を知ったのです

なんかこう 「あ~」って感じです

ペシャワール会では数年前にも
伊藤さんがやはり命を奪われていて

今回も中村医師だけでなくて
現地人の運転手さんやボディガードたちも殺されていて
彼らにももちろん家族はいて
その方たちの命も貴重かつ大切な命で

残念なことにこのようなことは
いつだってあってたくさんあって
似たようなことは昔からどうにも無くならなくて

国連の人もだし赤十字の人も
日本人だけでなく世界中あちこちの国の
人道支援をしている人たちが…
名もない多くの人々が理不尽な理由で
命を落としている

自分たちの利益や歪んだ願望のために
愚かな思想に囚われて間違いを犯す人が
いつの時代にもいて
そういう身勝手な人たちが減らないことには
相変わらず辟易するし虚しくもあるけれど

でも命を落とした人たちが
そんな中で散っていった人たちが
命を懸けて教えてくれたことは真実で
彼らの人生や足跡が無駄になるとは思わない

彼らは確実に存在していて
この世に生きていた

それは肉体を失った今も何も変わらない

彼らは今も存在している

確実に

彼らの魂は永遠で 誰しもが死ぬことはないのだから
肉体は…停止してしまったけれど



とっくの昔に死んでしまった英雄たち
自分以外の他の人のために尽力して
社会貢献を遺した人たち
歴史に名を刻んだ人も
ほとんど誰にも知られてないような人も

キング牧師もガンジーもマルコムXも
ジョン・レノンもマイケル・ジャクソンも
オスカー・シンドラーも杉浦千畝も
エジソンもアインシュタインもニュートンも
エリザベス一世もビクトリア女王も
仏陀もキリストもムハンマドもルターも
レオナルド・ダビィンチもミケランジェロも
シェークスピアもマルクスも


既に輪廻転生の輪から脱出している人にしても
脱出していないにしても
今リアルに肉体を持っていず
転生前の一休みをしている途中にいるだけで
この地球上に確実に存在している

転生して再び人としての人生を歩んでいる人も
姿かたちが変わって
人種や国籍や名前や性別が違っているだけで
この地球上のどこかに存在していたりする

彼らが過去の自分の人生を知らず
私たちが今の彼らに気付かないだけで

それでも彼らは彼らなのだ

何度生まれ変わっても彼らは彼らとして生きるだろう

だから再びまたその姿をお見かけするその日まで

さようなら そしてお疲れさまでした

ありがとう中村医師
あなたの存在に感謝します

あなたは本当に誇り高き人でした


2019/11/29

無関心〜愛の反意語


先日読んだ話の中で
満州からの引揚者と説明したことに対して
相手が日本人であるのにも関わらず
「なんやソレ?」と失笑されてしまい
意味が通じなくて困ったというものがありました

え? 何で知らないの??
てかー 日本人なのにどうして歴史知らないの?
学校で歴史習わなかったの??
ともついつい思ってしまうが 
戦争を知らない世代にとっては
知らないのが当たり前なのでしょうね

それだけ私も年を取ったということで
リアルにその言葉に接していて意味が通じるのは
私の世代の一回り下の世代(40代)位までなのでしょうか


もしかして中国残留孤児とか赤線とか
そういう用語も通じないのかな
白い粉というと最近はアレになっちゃうけど
私たちの時代はDDT散布のことだったし

若い世代が知らないのは仕方がない
けれど私と同世代の人が知らないのは
教養がないのを通り越して
無知で世間知らずになるかな
今までどうやって生きてきたの?
とお尋ねしたくもなります

自分の国のこと 歴史のこと
学校で勉強していて習う以前に
普通に報道されているニュースや
新聞やネットにあふれている情報を見ていたら
知っていて当然のことってあるから

まして自分がリアルに生きていた時代のことだし

報道されていることって
メディアが捏造しての印象操作や情報操作もあるし
報道しない自由とやらの行使で
それらのすべてが正しいわけではないけれど
それでもすべてが嘘というものではないので
まずまずの出来事の輪郭をつかむことはできる

ネットの時代になってから
ますます情報過多で嘘偽りも多くなったけど
それでもメディアを介さない
真実の情報も増えてきたかな
見抜く目はいつだって必要です

そしてつくづく日本は自由で
思ったことを発言できる平和な国なんだと思う
情報をゲットすることにだって
基本的に制限はない

上つ方たちは確かにずる賢っこい

地位や権力をお持ちで頭の良い方たちは
いつだって利権や利殖のために一生懸命で
確かに私たちは随分と搾取されているし
政治にも経済にも外交にも
あらゆる面において闇の部分はあって
泣かされている人や
理不尽さもある世ではあるけれど
そうした面に触れないで
一生を生きることも出来る人が
大多数であるというのがこの日本という国




さて
年に一回程度 
帰国するたびに立ち寄って下さる
香港在住のクライアントさんがいます
(旦那さんが先祖代々から香港の方)

知っての通り 香港は今は混乱状態

とはいうものの
香港が混迷していて 
かなり緊迫している状態なことは
日本ではほとんど報道されず
外務省の海外安全HPにも渡航危険情報の記載無

現地在住の彼女が言うには
レベル2にしてもいいくらいだとのこと

本土に比べれば香港はまだマシなのだけど
中国がどれほどヤバイ国かってのを
日本人は知らなさすぎる
(日本に来る中国人のマナーがなってないとか
そういうヤバさの話ではなく)

今回の報道 香港のデモの話を
日本のひと昔前の学生運動とか
国会の前でよくやってるようなデモ活動と
同じに(軽く)捉えている人多すぎですし

出張で香港に行きデモ隊をビデオで
撮影していた人が殴られていたけど
それは本当に当たり前で
危機管理能力がない以前に無知過ぎる

そして今もyoutubeやSNSなどに
香港で撮影したビデオや写真を
お気楽にUPしている人がいるけど

それをすることで
自分がどれほど多くの人の命を
危険な目にさらしているのか
日本人はその意味を知らないどころか
まったく気付いてもいない

写真やビデオに写った人が翌日以降
死体となって川に浮いている…ってことに
(国民は閲覧制限あるけど政府はチェックしてる)

だからそんな無神経なことが出来るんでしょう

香港と中国で写真やビデオを撮る時には
現地の人が映らないように配慮しないといけない
インタビューなんかもとんでもない
観光地でショップの人とのやり取りとか
相手に撮影をOKもらってなら別

とくに今の香港で
不用意に現地の人が映る形で
写真とか動画とか撮ってはいけないです

そのあたりの危険性とか
知らない日本人が多いことに驚きます

一言でいうなら
中国ってそういう国なんですよ

中国政府のしていることを考えたら
韓国の反日政策なんてカワイイものです

韓国のアレは確かに国柄や民族性もあるけど
韓国政府に不満が向くのを避けるために
日本を国民共通の敵(スケープゴート)にして
あーだこーだやってるだけだから
親日の韓国人の人たちも
日本びいきや売国奴と叩かれることはあっても
殺されることはありません

今の中国は他国資本の会社も進出していて
一見して国際的でオープンに見えるけれど
実際のところはそうじゃない

どうして世界的に著名な香港の大スターが
政府に忖度して傀儡のように媚び諂い
他国を批判し中国を擁護することを言うのか

それは自分だけでなくて
一族郎党の命がかかっているからです

自分だけの問題ではないからです
それだけで済む問題ではないからです

チベットやウィグルの人たちが
どんな目に遭っているのか
日本人は知らなさすぎです
毎年どれほどの人が無実の罪で刑務所に入らされ
拷問され殺されているのか
どれほどの行方不明者がいるのか
そして人身売買や臓器売買が資金源となっていること等
日本人は知らなさすぎです

香港の人たちの抵抗運動は
そうした恐怖政治に
飲み込まれることへの抵抗運動なのです
本土とは違って僅かに残っている自由への
渇望であり遵守行動なんです



日本人で拘束された人のニュースは流れるけど
ほとんどが無実の罪で罠に嵌められた人たちです
日本政府は何も出来ないし助けることもしない
外交というのは駆け引きですから

今回も香港で今起きている出来事のこと
香港や台湾の歴史のこと
香港人と本土(大陸人)との関係性のこと
結構知らない人は多いなって話してて思いました

香港はそのいきさつが植民地支配という
不幸な歴史が背景にあったとは言え
イギリスに統治されたままであるべきでした


とりあえず
香港に行くことがあったら
撮影は気を付けること
SNSにアップするときは
自分以外の人はモザイクを入れるかUPしない

そして不用意に北京語を話さないこと
話すなら広東語か英語を
北京語を話す人は香港の人からしたら敵ですので
(ニーハオとか絶対に言わない)
もしくは日本人だとわかってもらうために
日本語を話したほうがいいです
香港の人たちは親日ですから
そして本土のスパイの人たちにはご用心を


日本ではネットに関しても情報規制がなく
書籍もあらゆる方向から入手することも出来て
色々なことを調べようと思えば出来るのに
無関心であるのか
世界情勢のこととか隣国や近隣諸国のこととか
知らない人があまりにも多いなって思います

それだけ日本が平和だってことなんでしょう
知らないで済むという証拠なんでしょうが
その私たちの無知で不用意な行動で
現地の人たちを危険に晒している行動があるって
ことなどについてはもう少し自覚して欲しいです


あと
日本だから大丈夫なんですけど
駅や町中などで無防備な人多いなって痛感します
バッグのチャックをあけたまま
中身が見えるかたちで後ろに向けて
エスカレーター乗ってたりして
財布とかスマホとか
「盗んでいいよ」って状態でいる人
実に多いなんてものではなく
(海外に行ったら絶対にカモられますわな)

来年のオリンピックに向けて
外国人観光客もそうでない人も増えるわけですが
もちょっと危機管理能力を持とうよって思います

2019/11/15

天命を生きなば望みは遠のく

フェイクありの話です
久しぶりにケースファイルに沿った話をば
モデルケースとしてのクライアントの話




そのクライアントさんはいつもいらっしゃると

何について悩んでいるのか
何を解決したいと思っているのか
何処に不安があるのか
どんな未来を望んでいるのか

という話をするよりも

職場の状況説明や愚痴
政情や世相的なことについての世間話
過去の思い出話
とりとめのない趣味や日常の話

そのような話を延々とされる方でした
話したくて話したくてしょうがないというか
とにかく口が止まらないのです
施療をしたくてベッドに誘導しても
セラピーをしようとしても話を続けるし
制止してもなかなかということも多々

友達がいない人ではないし
精神的に大きな問題を抱えている人でもない

氣が上にあがりやすく
リラックス状態に移行できない人と言えばそう

社会生活も普通に出来ていますので
単純に言って
私のような職業の人間にしか話せないことを
話したいっていうところも見え隠れしており

サロンに来て話したいことを話して
本人の気持ちがすっきりするのであれば
それもカウンセリングの一つの形なので
それはそれでいいのです

でもそれだけを目的として
通って下さっているというわけではなく
その方からして叶えたい願望はあるし
変えたい現実も抱えていらっしゃるわけです

それを知っているから
そちらに誘導しようとするわけですけれども
肝心の本人がその邪魔をなさる

無意識の抵抗というか妨害なんですけども

例えば
方違えよろしく(気学でいうところのお水取り)
旅行に行くのならこの国がいいですよ
と薦めてみても
なんだかんだでもでもだってで他の国がいいといい
しかもこの時期と言った時には行かず
最初にこちらがお薦めした場所に
行くことにしたとはいうものの
旅行に行くことにしたのは結局一年後だったり
(そんなに時期がずれてはそこに行く意味はナッシング)
ダメだこりゃって感じです


そんな風に自分の問題を解決して
望む未来を創造することに対して
はたから見ても
「真摯」に取り組んでいるとは言えず
ご自分に対して誰よりも本人自身が
「非協力的」なんですね

だからこの
どうして自分が幸せになることに対して
(その努力に対して)
誰でもない自分自身が非協力的で否定的で
道を閉ざして壊そうとするのか
そこの問題を何とかしないといけない
わけなんですけれども
その核心にフォーカスして
アプローチしようとしても
はぐらかす方向に行ってしまう

こういう方が一番手強いと言えばそうです

汝の敵は汝なり
自分の人生の邪魔をしているのは自分

というのは結構多く
よくあるケースと言えばそうです


とはいうものの
この方の場合 それだけではなかったりします

この方自身が望む人生が生きられないのは
この方がご自分が果たす役割
天命を生きようとなさらないから
というのが一番大きいのです


この方は現在
外〇関係の仕事をしています

その職に就くのが天命だったということはなく
今の仕事に辿り着いたのは
それはそれで意味のあることだったというところで
類似の目的を遂げられる職場であれば
別に現職でなくてもよかったというだけのことです

それがどんな内容の仕事であったとしても
その仕事における立場と自分が出来る役割
それらを自覚し 真摯に向き合って
その仕事を通して他者のために頑張れれば
そこに意義を見いだせれば…

という感じでしょうか
(ものすごく簡単にまとめてしまうと)

なぜかというと
そこに当人のカルマのレッスンがあるからです

過去生において
その人は何度かその生まれついた国にあって
政治とか権力や経済を動かす立場などに
置かれた人生を送ったことがありました

かといって今の人生ではそこまでの地位はなく
事務職と言えば事務職です
大きな決定権など持たない
単なる一介のアシスタント的ポジション

でも力を持っているとか持っていないとか
そんなことは関係ないのです
一言で言うならば仕事に対する意識の問題で
自分には権限はなく単なるスタッフで
何も出来る立場にはないから
とお給料もらうための仕事と流すのではなく
どんな気持ちと意志を持って
その仕事に取り組むか…
それがその人にとっては大切なことなのです

自分がいるポジションから見えるものを見て
国と国との友好的な関係を築くために
貢献している仕事であるという意識を持つことや
自分の中の差別意識を変えて
視野を広く持ち問題意識を養っていくこと

そうした学びが必要で
そこに当人が気付いて行きつかないと
ご褒美はもらえない

ようするに「成長」してないなー
まったく気づくべきことに気付かないなあ
ならば
「まだまだ、おあずけしますよ」
という魂の判断

何故なら過去に大きな過ちを犯して
様々な人々を不幸にしてしまっているから
出来ることがあったのにも関わらず
それをしないで見逃してしまったという
大いなるツケを抱えているから

自らを「妨害」する意識の出どころは
本人のあまのじゃくさもあるけれど
真正面から自分の問題と向き合うことの
「恐怖」とエゴイズムがあるから


この方の場合
過去生で不幸にしてしまった大勢の国民たちの
恨みとか呪いとかそういうのでもないのです

魂はいつだって
その人が成長することを望んでいるのです



仕事の立場を通して学べる環境にいながらも
いつも目を背けて
世俗的な満足や幸福を追っかけているから
逆にいつまでたっても
その世俗的な幸福は遠のくばかりだったり


私の方で
人道的な活動へと目を向けることに誘導しても
「自分はどうして生まれてきたのか
 生まれてきた目的について考えない?」と
考える方向にもっていこうとしても
ヒントをたくさん出しても
当人が拒否する以上はもうどうしようもないのです


ちなみに本人が一番「イヤだ」と拒否するもの
苦手だと忌避するものの中に
やらなくてはいけないことがあったり
天命が隠れていたり
本人にとって一番必要なものだったり
欲しいと望んでいる「お宝」が隠れていたりします

そんな風に幸運の玉手箱たる幸福のありか
あなたも自らの手で遠ざけてしまっていませんか?

カルマのレッスンから逃げている限り
やらなくてはいけないことから逃げている限り
一番欲しいものは手に入らないのです

2019/11/10

岐路亡羊

三年前に
右目の網膜剥離と白内障の同時手術を行い
左目の白内障は手術せず
現在はドライアイの治療中
見えてはいるけど視野は狭く遠近感取れず
汚れにも気づかず日常生活に不都合ありますが
それでも失明せずに暮らせているありがたさ

そんなこんなで
紙に印刷された文字が読みづらく
書物はさっぱり読めなくなりました
(老眼ではあるけど老眼が理由ではないというw)

確かに不便で不自由で
見えないことにイライラすることもあるけれど
自分がどうして「目」の問題を抱えるに至ったのか
ちゃんと意味のあることなので受け入れています

ありがたいことに
私が住んでいる東京という都会には
これでもかっていうくらいに
たくさんの病院があって選び放題です
ここしか病院がないってことはなく
セカンドオピニオンも受けられますし
ここちがうなーこの先生やだなー
と思えば他を探すだけでいい

相性の良い親切丁寧な先生と出会えさえすれば
なべてこともなし

ホリスティック医学や自然療法を学んだり
非科学的な分野たる仕事をしているからって
現代医学を否定するようなことはしませんの

最終的には自分が納得できるか否かですかね






さて
このblogを読んで下さっている方なら
ご理解頂いていると思いますが
私は自らスピリチュアルセラピストと名乗っていながら
「すぴ」アレルギーだったりします

そして同業の方とは話が合わないので
あまりご縁がありませんということも以前書いた通り

でもまあ
だからといって他の方が仰られていたり
されていることを真正面から否定するつもりはないのです
それはそれで尊重すべきことだと思うからです

というかそれ以前に
他の方のHPやblogを読むということを
そもそもしないのですが

昔は…子供の頃はネットはありませんでしたので
オカルトやスピリチュアル(心霊)の本を
図書館に行って当時置いてあるものは
ほとんど全部読み漁っていました
自分の身に起きていることがなんであるのか
知りたかったので

著書の方にお手紙で質問させて頂いたり
そうした職業の方たちと直接会って
お話させて頂く機会もありましたが
(とくに占いの仕事に就いてから)

残念ながら
納得できる解答は得られなかったのですね
どれもピンとこなかったといいますか
「うーん? なんか違う」と違和感があって
私の疑問を解消して
「ああ、そうなんだ。そういうことか」と
ピッタリ収まるものがなかったのです

エドガー・ケイシーのいうことは
納得できたし理解できたけど
私が体験している事象を理解するためのものではなく
それはそれでまたちょっと違う知識でしたかね

それがある日
「ああ…探していたのはこれだ!!」と
私に光明をもたらした本との出会いがありました
友人が貸してくれた「メッセンジャー」
20世紀の賢者ダスカロスについての本です

この本は彼について書かれた本であり
彼自身が書いた書物ではありませんが
幸いかつありがたいことに
彼自身の書物が数冊日本語で出版されており
それらを入手することは可能でした

この書物との出会いをきっかけに
私はダスカレたるスティリアノス・アテシュリス氏を知り
彼が説く「真理の教え」へと誘われたのです
残念ながら私が彼および彼について書かれた書物と
出会ったときにはすでに氏は故人ではありましたが

ダスカロスの教えには
私がずっと抱えてきた人生の謎
私が体験してきた不思議や心霊現象に対する
そのすべての答えが書かれていました

私には彼が本の中で説明していることが
どういうことなのかよく理解できました
「あれはこのことだったんだ
 あの現象はこれだ!」みたいに…

すべてがきっちり収まったそんな瞬間でした

体験してきたこととその知識がぴったりと結びついて
すべてのピースがはまって
いっさいの疑問が無くなった瞬間で

逆を言うと
それまでたくさんの書物を読んできたわけですが
その書物に書かれていたことの意味も
たくさんの人がいろんなことを言っている矛盾も
真理の教えを知ることで
どうしてそんな矛盾が生じてしまうのかも理解できました

だからダスカロスが遺してくれた
(まとめ直してくれた)この学びの知識以外
もう何も学ぶ必要はないと思ったのです

私にとってはこれ以上のものはなかったのです
ここに「すべて」が書いてあるので


その時点で新たな霊的知識を学ぶ必要性を感じず
その手の本を全く読まなくなってしまいました

それに知識を吸収することよりも
自分の問題と向き合うこと人間力を付けること
人として自分自身が成長していく経験をすることの方が
人生においてプライオリティが高いことと思ってましたし
(あくまで私にとって)

自らの内面と向き合って研鑽して
社会との関わり合いの中で自分を磨く
そっちにばかり目と意識がいってました





我が家にはテレビがないので
ネットが唯一の情報源で
Youtubeの動画をよく見るとは
こちらでも書いてはいるのですが

少し前にティンシャの音とか
リラクゼーション系のBGMやら
神社系の動画を検索したからか
「あなたへのおすすめ」になぜか
スピリチュアル系Youtuberさんの動画とか
あがってきていたり

たまたま何気に見てみたのです
以前の私だったらスルーしていたんでしょう

そしてYoutubeの視聴者でありながら
スピ系のYoutube動画があることを初めて知りましたw
いやさ普段見ているのはまったく違うジャンルなので

そうですね 色んな意見がありますよね
まるっと同じ意見というわけではないけど
そうですよねーと納得できるものもある

物の見方とか見ている方向性が違うのだなとか
そういう風に感じる意見もあるけど

言えているというか気づいたことは
この方たちのこの説明(言い回し)を
必要としている人がたくさんいるということ

霊的な知識っていうのは
語り口調は一口ではないということ

何故ならば
みんな霊的レベル(霊性の成長の段階)が違うから

霊的真理の考えでは
7つのレベルがさらに7区分に分かれてって
49の段階あるわけですが
ようするにみんな学力が違うので
同じ説明で全員が理解できるわけではないから
様々な段階の学力の人に合わせて
説明する内容とそれを説明する人が必要なんですよね

幼稚園の先生と小学校の先生と中学、高校の先生
大学や大学院の教授がいるように

だから
みんな自分のレベルに合った知識と先生を求めればいい
「この人の説明はわからないけど
 こっちの人の言ってることは合点がいく」なら
それでいい

だから色んなスピリチュアリストの人がいていい
それぞれが言っていることは違っててそれでいい
それが当たり前だと思う
バラエティー豊かでいいんです
それぞれの人が自分にフィットするものを選んで
自分の人生や生活に取り入れてみて
その経験と結果から決めればいい
自分の価値観で選んだあとに経験的に確かめればいい

スピリチュアリストの人たちも
霊性のレベルはみな同じではなくて異なっているのだから

そしてやがて学んで吸収した後に
疑問とか出てきたり矛盾を感じたり
その説明では納得が出来ないってことが出てきたら
学びや理解が進んだということでもあるから
次のレベルの説明を探せばいい

間違っていたということもない
否定する必要もないし批判する必要もない

自分がもっと一つ上の知識
高度な情報と解説に進む段階が来たって
それでいいんじゃないかな…

と私は思う

そんな私は最近いまさらながら
斎藤一人さんの講座の動画を聞いていたりする
(UPしてくれている人には感謝あるのみ)

なぜなら
お客さんに説明する語彙力を身に着けるのに
難しい言葉ではなくてわかりやすい説明と言葉だから
とても参考になる
(一人さんの教え全部をまるっと盲信するのではなく
ああそうだなと心に響くところ
納得できて賛同できるところだけ
ご意見を頂いているという感じ
講話の中から今の自分がハッとする言葉
必要だと思える教えを見つけさせて頂いている)

すごーく長い間
勉強するのをさぼっていたなあと痛感する

私の霊的知識のバックボーンは
ダスカレがまとめてくれたものだけで十分だけど
プロとして仕事をしてお客さんの相談に乗って
ヒーリングをしてカウンセリングをして
人に教えたりするならば常に勉強の継続は必要だ

学ぶことを忘れてはならない

日々気づきだなー 
学ぶべきことはまだまだあるなーと

毎日毎日新たな気付きを色んな人から頂いている

ありがたやありがたや



さてさて
そしてたまーにblogの内容に関して
あなたの知識は間違っているとのお説教?
正しい知識はこれですよ~みたいなの
頂くことあるんですけども

その知識や教えはその方にとっては
信頼すべき真理の知識なのだと思いますし
その方の信仰や知識は尊重致しますし
否定・批判はしません

互いの立場や意見を尊重した上での
互いの知識や見解の相違を論じ合えるのであれば
それはそれで実りある交流が出来るのでしょう
ですが
ただ一方的にご自身の主張の正しさを
証明するがために自分とは思想の違う相手を
ただ否定して誤りだと決めつけて批判しての
ご自身の信条や思想や意見の押し付けであれば

私にとっての真理の知識は
すでにありましてこれで納得しておりますから
どうぞご遠慮下さい
そのような勧め方をされる方の知識は要りません
…という感じです

私のblogに書いてあることが
その方の真理とは異なり納得できない
おかしい謝った知識だと思うのであれば
役に立たない眉唾な話 インチキ話
あるいは戯言とお笑い下さってスルーして
以降は読まないで下さればいいのです

何もご自身が読んで不愉快になる情報を
その目に入れる必要はございません

ご自身が賛成できないこと納得できない知識に
時間を割く必要はないと思います

貴方様がご自身の信念に忠実であることを
私は十分に尊重していますから
どうぞご自分の意見を大切になさってください

自分は自分 人は人

その方にはその方の仕事があり
その方にしか出来ない仕事があり
その方にしか教えられないことがあり
その方を必要としてらっしゃる方がいる

私には私の仕事があり
私にしか出来ない仕事があり
私にしか教えられないことがあり
私を必要としている人がある

でもその方を必要としている方と
私を必要としている方は別なんです

その方の説明や知識を求められている方がいて
その説明や知識でないと納得できない人がいて

でも私の説明や知識を求められている方がいて
私の説明や知識でないと納得できない人がいて

お互いがお互いのポジションで出来ることをして
助けられる人を助けるだけでよいのだと思います

それでよいのではないでしょうか

2019/11/07

改めて当方で提供しているサービスを説明します


以前にも類似の内容を書いたことがあるので
重複することになってしまいますが
なんていいましょうか…

いかに「魂の時代(世紀)」が明けたと言えども
世間ではまだまだスピリチュアルな事柄や
その知識やテクニックに付随したサービスに対して
周知が進んでいないというか誤解が多いというか
正しく伝わっていないと実感させられます

そのための啓蒙がまだまだ進んでいないのもあるし
知識が普及していないのが大きいのでしょう
だからこそ伝える努力が必要だと痛感します


つい最近のことです
その方は紹介でいらした方でした

私より少し上の世代の方ですが
昔からスピリチュアルなことが大好きで
これまでにあちこちで
同業者の方の様々なサービスを
受けていらっしゃるとのこと

知人の方との会話の流れから私のことを聞いて
すぐに予約を入れて下さって
初回にいらして下さった時点で
3回セットのセッションをお申込み下さったのです


でも、その方にとっての
スピリチュアルなサービスというのは
占いと同じで自らの知りたいことを教えてくれて
自分の望みがどうしたら叶うのか
これをしたらよくなる、これさえすれば悩みは解決する
といった
自分にとっての人生の正解を
教えてくれるサービスであるという認識だったのです

(スマホもPCもお持ちでネットはされる方ですが
私のHPもこちらのblogも読まれてはいなかったようです)

スピリチュアルなサービスを受け慣れていらっしゃるから
スピリチュアルなサービスがどういうものであるのか
そのあたりの知識や理解があるとは限らないのですよね
そもそもスピリチュアルという分野がスピ系という
流行語になって要約されて
スピリチュアルということの主旨が
誤解されている昨今ですから


こういうのを「需要と供給のミスマッチ」
言ってしまえばたぶんそうなんでしょうね
はい そう片付けることも出来ます

でもその入口を通して
その先にある「本当の霊性(スピリチュアル)とは何か」
ということと「スピリチュアル」の価値を
知っていただく機会でもあるのです
はい そうしなければならないのだとも思います


占い師の仕事を再開して
占い館の方では占い(命学と兆学/卜占)を用いて
相談に乗ることをしてはいますが

自営サロンで提供しているサービスは
占いとはまったく違います

やっていることは似て非なるものなのです
共通しているのは
お客さんの悩み相談をしているってところだけ

こちらのblogを読んでくださっている方なら
少しは解って下さるかも知れませんが



ここいらでちょっと豆知識

占いは天気予報のようなものです(兆学や相学は)

命学(運命学)というのは
学問ですから本当は占いに非ずなんですけど
その人の基本運命ということでここを考慮した上で
相学または兆学を合わせていかないと
本当の占いというのは成立しません

プロの占い師というのは
命学をまず何かマスターしていて
その上で相学と兆学を用いていくものです
(申し訳ないけどタロットしか出来ない人は
プロの占い師とは言えません)

その人という個人と天(宇宙)との相関図を
ある哲学から導き出された計算方法に従って作成し
それをその人の魂の履歴書と見立て
その人の今生でのポジション(立ち位置)を見て
現在がどのような流れにあるのか
過去生から持ち越したものが何であるのか
今生でどのように資質を生かしていくべきか
そういうのを見ていくのが命学です

相学はその人の肉体から出ている「氣」
そして周囲や他人から受けている「氣」
そうした相互作用からの「運氣」を見
現在のその人自身が創り出している
すべての「運」を創り出す「氣」を
見ていくための方法論です
(元は代替医学から発達しています
名前に与えられた呪としての漢字や数字
そこから判断する手法もありますけれども)

兆学(卜占)は
示されたシンボルから兆候やメッセージを
読み取っていくオラクルです
直観がもっとも必要とされる占いで
本来「占い」という行為はこの卜占のことを言います

まあいずれにしても
占いというのはメッセージを伝えたり
知りたいことに答えていったり
アドバイスをすることがすべてだったりします
ここには未来予知(予測/予報)も含まれますが
情報を「会話」で伝えるところまでが
サービスの範囲です


そして
スピリチュアル(霊的)なサービス
と言ってもその提供の仕方
サービスの形は様々ですから
一口には言えないんですけれども

占いとスピリチュアルなサービスは
違うものだというのが私のスタンスです
実際見ているものがまったく違いますしね
(情報源というか情報を引っ張り出すところ)

話を戻しますね


blogを見て頂いている方にしても
HPの説明を隅々まで読んでくださっている方にしても
サービスを受ける側と提供する側の間で
提供サービスに対する認識の差があるというのは

当方に初めていらしたときに
インフォームドコンセントをきちんと行って
それを埋めようとしなかった当方の問題だなと
反省いたしました

今回3回目にしてその認識のズレを説明して
「だから、こういうアドバイスになるのですね」
と理解・納得して頂けたから結果オーライですが

そりゃまあ
提供しているサービスに対して認識のズレがあれば
お客様が当方から期待している言葉や解答が
得られないという結果になってしまうのは当然で

さてそのあたりをどう伝えていくか…
が新たな課題ともなりました

以前はきちんと初回にミニセミナー的に
私がやっていることを説明したうえで
インフォードコンセントをして
同意をしていただいてから施療という流れでしたが
その説明を省いてしまっていたのです
理由としては

お客さんによっては
精神的にとても混乱していたりして
初回はそういう説明をするどころではない
という人も多かったので

どうすれば一番良いのかと考えてもしまいます



私が行っているサービスは
科学的ではない非科学的な視点からの考察と解説で

その方を悩ませている人生上の事象
(悩みや障害となっていること)の因果関係の解読と
その根本的な解決に必要なアドバイスと
気付くべきことに対してのメッセージを伝えたり
霊的な事象に関してエネルギー的なアプローチをして
その人の氣を整えたり補充したり波動を上げて
霊的成長のためのサポートをすること

なんですね

まずお話を聞いた上で
エネルギーリーディングをして
ざっくりと大まかな見立てと推測をして
悩みや起きている問題の根本原因を探り

それが過去生の記憶に起因していることなのか
あるいは今生での記憶や刷り込みなのか
霊的な存在や他人の意識など外部的な要因から
起こっている事象なのか
そしてカルマ的なレッスンとして
避けるべきではなく向き合うべきこととして
その人の成長のために起きていることなのか
思い癖や思考の癖といった
性格やエゴイズムの問題なのか

それのいずれかなのか複合的な問題なのか
そのあたりを視て推理して解読していって
考えられる原因を消去法であぶり出して
対処法としてのヒーリングやワークを行う

それが私が行っているサイコセラピーなんですね
これが基本メニューでメインメニュー
それこそがミッションであり
当サロンの企業理念というか主軸たる事業目的

他のメニューすなわち
レイキヒーリングを教えたり
霊的知識を教えたりの
ヒーリングレッスンもスピリュアルレッスンも
エレメンタルのお掃除が目的のチャクラヒーリングも
その目的に付随してのメニュー


だから
「不登校の子供がどうしたら学校に行きますか?」
とのお悩みでの
「子供が学校に行くようになる究極の方法が知りたい」
という質問に対しては

「あなたの問題を解決するのが先です」となり
状況をコントロールしようとしてはならない
コントロールするのは自分の感情だけ
自分以外の誰をも支配しようとしてはいけない
他人は変えられない 変えられるのは自分だけです
自分の理想を押し付けるのは止めましょう
不安や恐れをまず捨てましょう
それを口にし続けるのを止めましょう
まずはそこから気持ちを引き離すアプローチから
そして整理整頓と断捨離をして
浮遊霊や動物霊にとって居心地の良い
環境になってしまっている巣を
人間のための普通の家に戻しましょう

というアドバイスになっちゃいますね
(得てして子供の問題は母親の問題の表れだから
ほとんどの子供は母親の不安を具現化するので)

まあでも
「断捨離して家の中を片付けて掃除をすれば
 子供は学校に行くようになりますか?」
という問いに対しては
それが
確実な補償が得られることでなかったとしても

「行けるようになります」とでも言っておけば
一時的な安心は与えられるし
掃除と断捨離をする行動のモチベーションになるし

それはそれで有益なアドバイスかも知れません
まったくの嘘ではないので

でもそれがすべての解決法ではなく
問題の本質でもないということもあり
依存させることが目的ではなく
その方の精神的な自立も大切なことで
常に正解を他者に求める点と承認欲求が
その方の精神構造が問題の根っこというか
カルマのレッスンを創り出す根本原因であるから

安易に魔法の言葉は言ってはいけない
というのがあったりしますのです
(その人がどの段階にあるのかというのもありますね)

話は少しそれますが
人の意識が切り替わるのって
最低でも三か月は掛かります

肉体のほんの少しの不調なら(氣の不足レベル)
一度のヒーリングで回復することも多いけど

思い癖や思考の癖といったものは
三か月単位で考えていかないといけない
かなりの長期戦になるのは覚悟するべきでもあり

だからうちでは
三回単位の回数券を用意していたりします
これは最低単位ですね
自分で取り組んで頂くための宿題も出しますし
すなわち受け身で受けて頂くのではなく
自ら取り組んでいくトレーニング指導が主体として
積極的に自分の問題の解決に参加してもらわないと
何も始まらないのです

初回では
ごっそりオーラについてしまった汚れ(ケガレ)の
さわり部分 表面についた汚れを落とすことで
終わってしまうのも多いのです

エレメンタルは本当に膨大な量ありますからね
過去生にしても人は何百回も生きているわけですし
今の人生だけでもたくさんのエレメンタル
データを大量に創り出している人はいるし

そうした人生の流れ
輪廻転生の流れの中で今がどんなポジションにあって
今回の人生で何を目的としていて
それが本来の目的とどれほど離反してしまったのかとか
今目の前にあるカルマのレッスンとか
そうしたことも含めて軌道修正するための方法とか
そういうのを考えた上での取り組みになっちゃいます
でもそうすると
1回や2回ですべてのサポートは出来ませんから
その時に私がその人にするべきことを…になります
一応ガイドさんや透明なヘルパーさんたちや
その人の本体である魂自体が色々と用意しているだろうから
そうした全体の流れの中での
私に与えられたそのタイミングでの
その人に対して私が出来ること
するべき役割を果たすって感じでしょうか


私は霊能者さんではないから
霊障を収めるのが仕事なのではなく
拝み屋さんや祈祷師さんでもないので
その人のエゴイズムの目的を叶えるのが仕事なのではなく
その人の魂の望みを叶えるのが仕事なのです

その人自身が本来の力を取り戻して
自分自身と自分の人生を取り戻し
本当の自分と人生を生きられるようになるために
自分で自分の問題に取り組めるようになるための自立支援

そんな感じなのでしょうか

この説明で説明になっていますでしょうか

2019/11/02

初心忘るべからず

前回のblog記事で
占いの仕事を続けるべきか否か
迷っている旨のことを書きました

そして先週
占い館に出勤したとき

色んな想念をエネルギーフィールドに
付けていらっしゃる方がいらしたのです

その日はもうヒマだし誰も来ないだろうなあと
油断していたのもありますが
今までその占い館では
そのような霊的な問題を背後に
抱えた方が来店することはなく
完全に占い師モードであったので
咄嗟のことで対処ができなかったのですね

お客さんの言葉は耳に入ってこないし
混乱してカードは読めないし散々でした
もうね 
思いっきり挙動不審でパニクリで
しどろもどろになってしまって
お金を頂くのに値しない
そんな仕事内容だったのです
本当にプロとしてお恥ずかしい限り

で自己嫌悪に苛まれて落ち込んだわけです

帰宅してからも
霊感とか前世とかそういう話は禁止なので
「ついてますよ」と言えないのがもどかしいなぁ

なんて考えてしまってた

けれど それは誤った考えなんですね
それは言い訳なんです

ふと気づきました

私は占いの仕事を完全になめていました

確かに昔プロとして仕事していたけれど
それはもう何年も前のこと

私にはブランクがあるし
現役でお店に出ていた数十年前と今とでは
時代は確実に変わっているんです
人々の意識も価値観も世の中も

そして昔やっていた仕事だからと
再開させたとはいえ
勉強したり研鑽したり
安定した鑑定結果を出すための努力って
必要不可欠で
私は8月に占い館に出るようになってから
その努力をまったくしてこなかったし
自分磨きに関しても怠っていました

それはヒーラーやセラピストとしての
仕事でも同じことです


私は随分と長い間うぬぼれていたようです

私にとってはたくさんいるお客さんの一人
その時にたまたまいらしたお客さんであっても
その人にとっては「貴重な一回」の鑑定なんです
人生の一大事を勇気をもって相談に来た一回の時間
まさに一期一会の出会いなのに

私はきちんとお客様にとっての
そのただ一回を
とても貴重で大切な時間を
真剣に真摯な気持ちで向き合えていただろうか?

ものすごく反省しました


私の仕事はクライアントさんの
問題解決のサポートをすることです

その手段が占いであろうと
エネルギー療法たるヒーリングであろうと
前世療法にしても何にしても
そこに変わりはないのです

霊的なものが後ろにくっついていて
そのせいでカードが読めないとか
そんな風にお客さんのせいにしていいわけがありません

ええ そんなのは
占いにいらしたお客さん側には関係ないことですから
あくまで私側の問題なんです
そのあたりをはき違えてはいけない

それでは私がここのblogで書いているような
何でも他人のせい霊のせいにしている人と同じです

その人は占いに解決とヒントを求めているのだから
私は占い師としてその質問に答えなくてはならないのです
それがプロというものだし
そうしたサービスが出来ないのであるなら
お金を頂く資格…プロの資格はないのです

サロンでの仕事にしても
占い師としての外部での仕事にしても
私は人々を幸せにするために
そうした仕事をしているのですから
提供するサービスの形や
場所や場所が異なっていたとしても

私はその人がその人自身の問題を解決するための
力と勇気と元気(運氣)を分けてあげて
前向きで希望あるメッセージやアドバイスを伝えたり
未来への指針や抜け道を示して
悩みや気持ちが軽くなるように導くのが
ただ一つの目的で仕事なのですから

そういう意味で
自惚れておごり高ぶって
大事なことを見失っていた自分に
とても恥ずかしく思うと同時に
そのことに気付かせてくれたこの出来事に
ただただ感謝するのみです
そのことを教えて下さったお客様に
本当に申し訳ないと思うと同時に
「気づかせてくださってありがとうございます」
感謝し、幸多かれと祈るばかりです
(たぶんもう二度とお会いできないと思いますっっ)


そんなわけでして
ここのところの自分の仕事に対するスタンスとか
心構えとかもうとにかく振り返って反省するばかりで

そして瞑想とか霊的エクササイズもさぼってないで
きちんと取り組まないとと改めて思いましたし
占いの仕事で使う資料(お客さんに説明するためのもの)とか
そういうのも作成しはじめました

例えば
適職とか適性相談あったときに
説明を受けるお客さんにも分かりやすいように
占星学のサインが表す職業一覧とか
マップダウンジングのための地図の印刷とか
まあ、ダウジングはほとんど需要ないと思うけど
万が一そういう相談があった時に対処できるように

この一週間ちまちま作っていました

タロットで事足りることの方が多いけれども
実際どんな相談が来るかわからないですから


そんなわけで初めの一歩に戻って
気持ちを新たに入れ替えて
覚悟を決めて真摯に向き合って
自分の出来ることを精いっぱい努力して
与えられた仕事に取り組んでいこうと思います

2019/10/24

転換期




8月から占い師の仕事を数十年ぶりに再開したのですが
いやあ…占いって難しいです(笑)
気分は新人さんっっ汗

タロットカードは数種類手元に残していて
時には自分のことを見たりもしていたけれど
占いでお客さんにアドバイスするというのは
あまりというかほとんどしていなかったし
基本的にエネルギーリーディングがメインで
ようするに
ヒーラーとティーチャーをしていたわけでしたから

エネルギーリーディングというのは
その人自身の波動(エレメンタル含め)を読むことで
時に眼には見えない存在から
情報を頂いたりすることもあるわけですけど

今のお店(占い館)ではそういうのは禁止なので
やっぱり占いの理論を通して紐解いていくわけです

でもタロットとかの媒体を読んでいくのと
その人自身に波動を合わせるのとでは
周波数というか合わせるチャンネルがまったく異なるので
めちゃくちゃ難しいというか疲れるんですわ
どうも上手く切り替えできなくて困ってます
混乱しているというか悩んでいるというのかなあ



もともと私が占いに限界を感じてしまったのは
占いだけでは
その人の抱える問題を根本的に解決することは出来ない
って壁にぶち当たってしまったから

お客さんの知りたい問いに答えるだけでは
その人自身が創り出しているカルマやら
陥っている負のループについて言及することも出来ないし
ネガティブな想念や存在に振り回されている状況を
断ち切る手伝いも出来なくて歯がゆかったのです

とはいうものの
アンテナがネガティブな方向に向いてしまっていて
浮遊霊だの未成仏霊だのたくさんくっつけてる人の
それらを取って氣を整えて波動を上げても

トラウマや観念(想い癖考え癖)の元になっている
過去生からのエレメンタルを
前世療法で対処して解放しても

霊的な問題を解決しても
霊的成長が伴っていないと
やっぱり同じところに戻ってしまうから
自ら知識を身に着けて頂こうと
霊的真理を教えることを初めて学んで頂いても

結局はどの段階でも気付く人は自ら気付いて
アドバイスも受け入れて努力して
自分で何かを得ようとするし与えることもするし
自らも運命も変えていき結果を出していくけれど

こちら側がどれだけの技術や知識を提供しても
お金をかけて他人にサポートしてもらったとしても
気付くことややるべきことから目を背けて
何もせず他人や状況のせいばかりにする人は
どれほどのことをしても同じなのね

そういうところに辿り着いたら
たかが占いされど占いであったとしても
それはそれで
その段階のアドバイスが役に立つ人もいるのだから
もう一回
他人のアドバイスに乗るという基本に立ち返って
初心からやってみたいなあと思ったりした

でもこれが難しい

随分長いこと
人間そのものが出す波動とか
エレメンタルを読むことの方に
チャンネルを合わせていたので
タロットの象意からイメージをキャッチしての
リーディングがうまく入ってこないのです

とくに今月イベントに二つほど出たのですが
賑やかで人がたくさんいるところはダメですわ
集中できないというのも大きかったのですが
めちゃくちゃダメージを受けてしまって
翌日ダウンしてしまいました

どうも私は落ち着いた静かな環境で
リラックスして出来ないと難しいなあって痛感

そんなんでどうしようかなーという感じです

自宅サロンでのやり方の方が
自分にとって一番ベストな環境というのは
解っているのですがね

個室でちゃんとブースになっていれば
また違うのかなあー

やっぱりね
自分でも納得できる鑑定サービスを
提供できていないのってものすごく情けないというか
プロとして心苦しいです
ベストな状態で最高のサービス提供したいと思うから

色々と悩むところです


そして
占いでそんなこんな
自分の仕事に対して不満がたまっているわけですが
(納得いく仕事が出来ていないというジレンマ)

その反面
自宅サロンでセッションして
リーディングしたり前世療法したときには

ああ…こっちの方が私にはとってもラクだ

なんて思ったりしたのです

苦しくないというか辛くないというか
息をするよりも自然に出来るので
私はやっぱりネガティブエレメンタルのお掃除とか
他人の過去生をリーディングして
その人の学ぶべきことやなんかについて
そういうアドバイスをするほうが楽かも

けれどもさほど需要の多いサービスというか
世に求められているサービスではないので
派遣の仕事以外で収入を得るといったら
何かなーなんて考えたりしますデス

占いに戻るのはやっぱり違うのかなーとかアレやコレや

そんなんで色々とお試しが来ている今日この頃
方向の転換期を迫られているような気がします

2019/10/23

デジャビュ~過去からの呼び声

どうでもいい私的日記的内容です
ですのでヒマつぶし程度にお目汚し下さい



我が家にはテレビがありませんので
Youtubeをよく見ています

たまたま熊川哲也さんとKカンパニー関係の動画を見て
中村祥子さんというプリンシバルの方を知ったのです
その凛とした佇まいが素敵で惚れてしまいましたw
なんかかっこよい!と思ってっっ 

バレエは有吉京子さんの「SWAN」や
山岸涼子さんの漫画なんかでの知識がある程度ですが
好きは好きでして
でも実際に観に行ったことはなかったのです

ミュージカル映画とかダンスを見るのは好きで
その手の動画はたくさん見てましたが
観劇は機会がなかったのですね
頑張ってチケット取って観に行くという
気持ちが今までは起きなかった

幼馴染(男子)の親がクラシック好きの人たちで
遊びに行くと「白鳥の湖」の物語入りレコードを
聞かせてもらったりはあったので
マーゴット・フォンティーンに憧れた時期もありましたが
「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドンには感動したし
たまに思い出した時に見るけどその位かなー
「愛と喝采の日々」も見たけれど

して
その中村祥子さん 来年で引退するという

なにぃー!!

マイヤ・プリセツカヤなんて
80歳過ぎても踊ってたのにぃ!???

というわけでどうしても本人を観たくなった
(ケチで腰の重たい私にしては珍しい)

そして先日
残念ながら台風で中止そして振替になり
お目当ての中村さんは主役ではなかったけれど
別の配役で出るというのでまあ仕方なし

そして初めて観に行ったわけです<バレエ

席について
ぼっーとしていると

あれ?
なんか奇妙な感覚が襲ってくる

ぐるぐると頭が回り
今いるところが今いる場所ではない感じ

もっと広いもっとゴージャスな場所
それがところどころ見えてくる
そして今自分のいる場所ではない
別の場所にいる自分を感じてしまうのです

はい 
ここにはないはずのロイヤルボックス
そこに座っている自分

ああ私今の人生ではバレエ観劇デビューだけど
過去生で観てるわ ここよりもっと良い席で

ああそして多分
100年前のアメリカ人だった時だわ
ロシアの貴族だった時とか
それ以外の西洋人だった時でもなく
ニューヨーカーだった時に
アンナ・パブロワを観てるわ
(ニジンスキーは見てないと思う)

そんなことを思い出していました

そういうしている間に始まったわけですが

初めてのバレエ観劇

寝た…見事に寝てしまいました(涙)

いやさずっとではなくてところどころです
お尻が痛くて座ってるの辛いなーもあったw

視力の問題があるので
いずれにしても一階や二階の最前列でないと
意味なかったなーと思いつつ
(オペラグラスでも私の目では意味ない)

クラシックバレエはダメだ 寝てまう

そういえばクラシックのコンサートに
過去誘われて鑑賞にいったとき 
全滅だったのを思い出しました(爆睡した)
退屈なわけではないんです
子守歌になってしまうのです<クラシック音楽

きっと過去生の私も爆睡してたんかな

たぶんそうに違いありません

寝てまうのはやっぱ失礼つかマナー違反だから
もう観劇は遠慮しようと思いますが
たまにはセレブな体験もいいかもと思った次第




そして先日
池袋で買い物をしていたときのことです
またしても急にヘンな感覚に襲われました

肉体はココ(池袋)にいて
肉体の目は池袋の街を見ているのに
心は別のところを見ているの
っていうか体感的にもソコにいるの
ちゃんとその空気を感じているのね

それも中世より古い時代のイギリスw
11世紀とか12世紀頃なのかなあ
荒涼とした丘に要塞のようなお城があって
(整った造りでなく荒い岩を積み上げて作ったような
ものすごく簡素なお城)
そこにいて遠くを見ていて
乾いた風を受けているんだよね

タイムスリップをしたような体験は
中学の時に一度しているけど(あとにも先にも一度きり)
それともまったく違うの

思わず歩いている自分の足の裏の感覚とか体重とか
池袋の街をちゃんと凝視して体がここにあること
意識はちゃんとここにあるよなーって
抜けてないよなー??
…と肉体的感覚を何度も確認しました

でも同時にイギリス?のどこかの
要塞のようなお城のある丘にいて
風に吹かれながら丘の下の方から
誰かが来るのを待っている自分も感じてる

同時に二か所に自分が存在している感覚?

そーいうのは初めてなので戸惑いました

子供の頃には類似の体験はあったわけですが
大人になってからはほとんどなかったので
(別の不思議体験はあるけど)

現代の自分と過去の自分が
リンクしてた瞬間とでもいうのでしょうかね

残念なことにこの時の自分が
誰で何をしていたのか何を考えていたのかは
解らなかったです

ただ
この一瞬に過去とリンクしたことによって
得た情報としては…

この時代は本当に

何もすることがなかったんだということww

ていうかー
テレビもラジオもネットもレコードも車もない
学校もない知識や情報も文明も科学も遅れてる
だから世間が狭い

男性も女性もそんな中で
やることがなかったわけではないけども
(掃除機も洗濯機もなかったから家事大変だし)
刺激や娯楽が少なくて退屈だったわけで

だから権力闘争というゲームに夢中になったり
恋愛に夢見ちゃったりとかー
それしか溺れるものがなかったんだがね

と…なんか一瞬で理解した瞬間でした


意味不明

ようするにね
この彼女(当時の私か)は
待ち人が一体いつ来るかもわからないのに
待ち続けてたわけですよ

今と違って携帯もネットもないし時計もないから
朝から日が暮れるまで
ただ約束の場所で待つしかなかった
いつ来るかわかんないっていうのにさ

現代だったら喫茶店で時間つぶしたり
メールで「来ないなら帰るー」と言えるのに
「ごめん 残業で行けなくなった」とも来るのに

そんな来るんだか来ないんだかわからないヤツとの
約束なんかにすがって
それを毎日の楽しみとして生きなくても
今の世なら楽しいこといっぱいあるのに
友達とランチとかヒトカラとかネットサーフとか
いくらでも時間つぶせたり生産的なことしたり
生きがいも仕事で見いだせるのに
当時の自分はそれしか面白いことなかったんかー

今の時代に生まれてヨカッタ
ああ今の時代の自分てなんてしあわーせ

と思った次第デス

2019/10/18

日本という国に与えられた試練



台風15号の被害で千葉が大変だ~!と言っていたらば
台風19号の被害で各所が大変なことになってしまった

とはいうものの
昨年の関西地方の被害から
未だ立ち直っていない地域もあるし
北九州や熊本の地震被害もそう
あそこもここもというところ

こうなってしまうと全部の地域に対して
サポートできる力など持っていない個人としては
とりあえず身近な縁のあるところに限定して
出来ることをできる範囲でしていくしかない

日本は地震大国でもあるし
同時に台風天国でもある
そして火山もあるから噴火にも備えないといけない
海に囲まれているから津波の被害も忘れてはいけない

30代の人と話していて
「最近の台風は規模が大きくなりましたね」とのこと
いやさ私が子供の頃やその前は
今回のような大型の台風はたくさん来ていました
そしてたくさんの人が亡くなっていました
むしろここ3.40年くらい
そういう大きな台風が来ていなかっただけです

有名なエルトゥールル号や
洞爺丸沈没の悲劇も台風が原因ですし
多摩川決壊で19軒流された悲劇も
ドラマ「岸辺のアルバム」の
OPに使われてその世代の人に
大きな刷り込みをしてくれましたし
伊勢湾台風も百恵ちゃん主演のドラマ
「赤い運命」の背景として効果的に使われました
(もちろん映像も)

私が今住んでいるところも
10年位前までは神田川が増水してあふれて
2m近く浸水することも度々あったそうです
今回も少し覚悟しましたが
治水工事のお陰で大丈夫でした

そして実家もやっぱりブルーシート飛んで
また雨ざらしにはなったものの
河川の氾濫で床上浸水した人たちのことを思えば
この位の被害で済んで幸いとしかいいようがないです
山の方と違って住宅街で開けたところなので
日当たりよいお陰でカビは生えてきてないそうです

そういえば30年前
千葉の某商業ビルの地下で仕事していた時
台風で川が増水して氾濫し
市街地が水浸しになりビルにも浸水してきて
当然営業どころではないので
急遽ビルを閉鎖することになり帰宅命令が
外にでたならばすでに腰まで水来てまして
(遅すぎです)
周囲の車はプカプカ浮いていました
泳ぐほどではなかったけれど
抜け出すまでが大変でしたねー
幸い途中でバスに拾ってもらいまして
水の浅いところまで連れて行って頂けました
洋服は泥臭くなっちゃって処分しましたが

浸水してしまったお店の中には
機械や商品がダメになって
閉店したところも少なくありませんでした

まあだから今回のような運休とか店休業とか
そういうのって正解だと思います
何もなければそれはそれでですし
地震と違ってある程度動きを予測できますから
台風の場合は

そして過去の悲劇や痛い経験から人は何かしら学び
少しずつ被害が最小限に食い止められるよう
世の中は発展し改善されているのです


今回神田川が氾濫しなかったのも
隅田川や荒川が氾濫しなかったのも
過去の教訓ともしかしての備えから
そうした対処を行ってきた結果ですし

伊勢湾台風 狩野川台風
キャサリン台風やジェーン台風の時は
5000人や1000人規模で
人が亡くなっているわけだけど
被害者がゼロになっていないとはいえ
それでも少なくなっている

現代の建築技術の発展と進歩とか
治水工事とか堤防の存在とか
そういうのも大きく起因しているのだと思います

これからも今回のことをきっかけに
様々な対応や対策が見直され
よりよい街づくりや災害対策が組まれていくのでしょう

そうじゃないと救われないというのはあります

でも昔に比べるとはるかにましなのは事実なのです
過去の時代は保証なんて何もなかったのですから

世の中これでも少しずつよくはなっています

生きていれば何かしらは紆余曲折あるものです

何処に住んでいても何かしらの弊害はあります
絶対に大丈夫なところなんてないです

家にいたってトラックが突っ込んでくることはあるし
親元に住んでいたって強盗に入られてしまうこともある
海外に比べれば日本は安全な国ではあるけれど
それだって絶対とは言えなかったりします
泥棒も殺人犯も爆弾犯や性犯罪者も普通にいます

でももっと酷い時代があった
(縄文時代は平和だったでしょうがw)

理不尽な政治で道徳や常識が通じない
一部の人が人権も与えられないような
弱者が平気で踏みにじられていた時代が
あったことを考えると

人間というのは少しずつ学んで
世の中をよくするように
働きかけている生き物であるから

被害にあった人を労わりつつサポートしつつ
被災者の人たちの気持ちに寄り添って思いやりを示し
それ以外の人は
このような悲劇や被害をどうやったら
無くすことが出来るのか避けることが出来るのか
そっちを考えるべきでしょう

もちろん経済活動は大切で
機能していない社会の一部を埋め合わせるがごとく
頑張れる人が頑張るしかないのです


今の日本には戦争も身分制度も独裁政治もないけど
その代わり自然災害がある

言論の自由があって職業の自由があって
自分の好きなところに行き
好きなところに住んで好きな人と結婚できる
水も食べ物も豊富で飢える心配もないけれど
自由と豊かさの代わりに
この国土から与えられる試練は余んじて
受けないといけないのかなとも思います

もちろんそれは
自然から受ける痛手をただ成す術もなく受けろって
そんな意味ではなくて
どうすれば自然と共存できるのか
こうした災害をもたらす自然現象を察知して
被害を最小限に食い止める試みをしたり
街づくりをしたり備えをしたりってこと

そのためには自分だけの
個人としての要求を通すのではなく
国民としてその町(土地)に住むものとして
義務を果たしたり全体のことを考えたりして
妥協したり協力したり譲歩したりもしないといけない

まあそういうことだと思うのです

たぶんそれが
日本人が日本人として成長していくための
責任的土壌なのでしょう
日本人として生まれた人
日本に住む人々が
一人ひとり霊的に成長していくために
与えられた環境であるとも言えますね

ちなみに内戦も含めて
戦争が日常茶飯事の世においては
人は精神的に素早く自立するものです

その時代の文化的背景というか
教育なんかも関係しますけれども
戦国時代の若武者の逸話や
特攻隊の人の手紙を見れば
納得できるって人は多いのではないでしょうか

今の日本は実際の年齢より
外見が若々しい人が増えてきましたが
その分精神年齢はだいぶ下がってしまいました

大人だというのに自立できないで親に依存する人
オトナコドモな人が本当にあふれていますから
いい年したおっさんおばさんも幼稚園児かいって
そんな人はよく見かけるし
年寄りも老害というくらいにダメな人はいますから
(逆に若い人でもしっかりした大人はいます)

なんでもかんでもありすぎると
人はそれが当たり前になって
あることが当然で与えられないことに不満を持ち
甘えて精神を腐敗させてしまいます
何事に対しても感謝の気持ちを持たず
権利を振りかざして主張して
自分の想い通りにならないことに対して
癇癪を起してクレームばかりいうようになる

今の日本はそういう意味で窮屈になりました

電気水道ガス道路交通商店など
公共のサービスにしても
インフラが整っていることは当たり前で
それらを提供してくれている人たちに対して
かなり傲慢になってきています

助けてくれるのが当たり前になっていて
助けてもらってもお礼も言わない
そういう人も増えてきました

感謝の言葉を口にできる人も
まだまだたくさんいるけれど
でもちょっと世の中よくなっている反面
日本人のよいところが失われつつあるのも事実

だからこそ
このような痛みを与えられたとき
私たちは当たり前の生活が出来ていることに対して
今一度深く考えて普段の生活がいかに幸福で
多くの人々の働きによって
与えられているものであるのか
自分の安全や何気ない日常が
他者によって支えられているものであるのか
きちんと考えないといけないのだと思います

2019/10/14

罪悪感そして自己設定と制限

その情報を知りたくて
期待してうちにいらっしゃる人には
本当に申し訳ないのだけれど
準備の出来ていない人には過去生の情報とか
なるべく伝えないようにしているのですね

とはいうものの
そもそも
伝えるべき時期が来ていない人の場合は
私のほうにはほとんど何も情報って
降りてこないのですが(教えてもらえない)

口を滑らしたら困るからなのか
その人が帰ってから時差で情報が降りてきたりしてね

まあいずれにしてもその意味では
私はなんでもかんでも情報を読めて
すべてのことが理解できる立ち位置の人ではないです

あくまでそうしたチームの
三次元的なポジションとしての道具であり
現象を言葉にして説明したりするだけの
一介のメッセンジャーにしか過ぎません

でもまあ過去生の情報を知りさえすれば
解決するってもんでもないことの方が人生多いです
結局のところ人生というのは
連続するメビウスの輪のようなもの
今表れている問題も過去生の問題とほぼ同じで
性格や考え方や思い癖が現実を創っているだけだから

そして過去生の悪行のツケなんかにしても
今その人がどんな人になっていて
どんな生き方をしているかによって異なるわけです

目に見えない外部的な干渉や災難となりうる
霊的な現象というのは確かに存在するのだけども
影響を受けてしまうのも当人の問題なので

ものすごく単純に言ってしまうと
今自分が苦しめられていることって
すべて過去で他人にやったこと
(必ずしもそうではない場合もありますが
それはレアケースとも言えます)

突き放したようなイヤな言い方になってしまいますが
他人にしたことは遅かれ早かれ戻るのが法則なので

そしてそれがループになるか否かは
戻ってきたときに自分の人生に起きている
悲劇や不幸をどう考えるかという捉え方次第

抜け出したいなら起きていることの意味を考えて
その結果を真正面から受け止めて
それを自分自身の肥やしとして
成長していくしかないわけです



さて最近のクライアントさんで
罪悪感から自分自身に罰を与えている人生を
送っている人がいらっしゃいました
もちろん当人は
自分で自分を罰していることなぞ知りません

その人はたまたま過去生でしたが
罪悪感を抱くのは
何も過去生に限ったことではありません
幼少期とか今の母親の胎内でとかでも
エネミーな刷り込みは起きてしまいます

父親と母親が喧嘩しているのを
胎内で聞いていた赤子はその気質によっては
「私のせいでケンカしている」
と思い違いをしてしまうこともあるのです
生まれた後も環境によっては
虐待ではないにしても
ちょっとした親や周囲の言動で
罪悪感を抱えることもしばしばです

なんていうか
とくに日本人はそういうのが多いような気がします
自己評価が低くて自己肯定感が持てない人

霊的成長の過渡期以前のさらに未熟な状態にある人は
(ヤコブの階段上の本能か無意識の状態にある人)
どうしても自我が未発達で
アイデンティティをしっかりと持てないから
こういうエネミーの罠に陥りやすいです

でも罪を罪として自覚する心や考えも
人には必要だから
こういうのは経験として避けられないことでもあり
でもどこかで抜け出さなくてはいけない
攻めの罠でもある

では誰が抜け出すことを許すかといったら
それはその人自身なんですよね
直日たる内なる神
誰でもないパーマネントパーソナリティが判断すること


話戻って
そのクライアントさんの場合は
過去生の自分の行いに対して
酷い行為をしたと罪悪感を抱いていたわけです
自分は罰を受けないといけない
かつて自分が他人に与えた苦痛を
自分自身にも与えないといけないと思う気持ちが
自らを死へと向かわせるような行為や習慣に
導いているわけなんですけれども

同時に自ら成長するために
かつて他者に対して犯した罪が
どれほど非人道なことであったのか
それを知るために「心」を育んで
他者への労りとか優しさとか思いやりとか
早い話が「愛」を学ばないとでもあるので
そういうものが芽生えるまでは
「命」の大切さを身をもって知るまでは
…なところにいる人でもあったりする

これって過去を紐解いて解説して
それで得られるものではないのね

今の段階で伝えても
「過去生」のせいにして終わりで
当人が得るものは情報以外何もない

あなたには他者への「愛」がないから
他人に親切にしなさいとか
命の尊さとか重さとかを知りなさいとか
確かにその人が知るべきことではあっても
それを伝えたとして
その人の心にはまだ響かない
それで他人を愛せるようになるわけじゃない
他人に言われて変われるレベルなら
逆にこんな人生を自らに課していない
それもまた現実

罪悪感からの自らへの罰
戒めとしての拷問的な自傷的行為であったとしても
この場合
容認とは違う意味で見守るしかないこともある


「心」は経験しないことには育たない

愛を知るためには愛のない環境で
それに飢えていることを自覚するまで
飢餓の中に放り込まれるしかないこともある

知識や技術は教えることは出来ても
「心」だけはいかようにも教えることは出来ない

自らが揺さぶられて刺激されて
喜怒哀楽を知りながら
感情という畑を耕して獲得する以外には




それから
正当?な罪悪感からというわけではなくて
低い自己評価や刷り込みから
謝った自己設定をして
自らの人生に制限をかけてしまっている人も
わりと多かったりします

そういえば私も
「源氏物語」の中に出てくる夕顔の君の

「神様が下さった分だけ幸せですわ」

ってセリフが好きだったんですけど
これって謙虚で控えめで無欲な
どんなことにも感謝して生きる前向き思考
…ととることも出来るんですが

ある意味ではものすごく遠慮しぃの後ろ向き発言
でもあるのですよね

自分の人生これだけで十分ですって
制限掛けて決めつけちゃっているとも取れる

まぁ何事も当人がどう思うかってのが重要で
一夫多妻が当たり前の時代で貴族社会にあって
柏木の子供産むものの正妻からイジワルされて
追い出されて困窮して春をひさいであげく
源氏と付き合ったばっかりに
六条の御息所の生霊に取り殺されちゃったのに
「神様が下さった分だけ幸せですわ」
とまだ言えるのなら
夕顔の君はきっと幸せだったんでしょう

子供遺して死んでしまうものの
いい男二人と恋愛できたのだから?
みたいな自己満足があれば

話がまたまたそれてしまいましたが

自己設定で
自分の人生に制限をかけてしまっている人は
ホント多いです
「私の人生こんなもんで十分」とか
「どうせ私なんか」とか
自己評価の低さがそのまま人生に反映されている


といいつつ
私も自分で自分に制限をかけていること
最近あらためて気づいたヤツですっっ汗

こういうのを自分にかけた呪いというのですが
自分で自分に呪いをかけている人多いです
それは言葉であり思考であり想念なのですが
自らの言葉で自分の事を卑下して
縛りを与えて呪文を唱えて自分自身に刷り込んでいる

自分自身にそんなことをしていることを
気付いていないことがまた問題で

だからこそ
過去ではなく未来のことを語ることって大切
この場合の未来とは自分が成りたい理想のこと
自分が欲しいもの好きなもの愛しているもの
楽しいこと嬉しいこと欲しいもの
自分がハッピーになれる出来事すべて

嫌いなものや憂鬱なことや嫌だったことや
苦しかったこと悲しかったことは
一度吐き出したらもう口にしないってことですね
過去の想いとくに怒りや抑圧された感情は
確かに自覚して発散させることは必要だけど
それをしたらば速やかに未来に目を向ける必要がある

自分がどうなりたいか
どんな未来を生きたいのか
どんな人間としてこの人生を生きたいのか

もっともっとそうしたことに
気持ちも思考も向けて
言葉も選んでいくべきだと思うのです

何しろ言葉って他人に言うにしても
同時に自分自身に聞かせている呪文ですから

他人に言う言葉はもれなくいった本人に戻ってくる
自分が口にする言葉はすべて
自分への呪いまたは祝福の言葉となるのですから

それは文字として書く言葉も同じですね
手文字だけでなくネットに書きこむ言葉もそう

ちなみに私はYoutubeなどでコメントを残すときは

動画投稿(情報)への感謝とか誉め言葉とか
うぷ主さんにファンとしての反応での書き込みで
そういうのしか書き込まないようにしています
善い言葉や褒めるところが出てこないのなら
書かないのがいいのかなってハイ
そんな感じ