2019/08/17

占い師としてのお仕事

今月からですが
占い師の仕事を復活させています

場所は吉祥寺
コピス吉祥寺4Fのマリーシエル占い館

今月にできたばかりの新しい占い館です
ネイルサロンのように
開放的で明るい感じの場所です

今のところ週一回程度の出勤で
今月に関しては火曜日16時から21時
(最終受付20時半)

※来月はまた変わります
 詳細は占い館の出演スケジュールを確認下さい

アルマ(Alma)の名前の方で出演しています




料金は
9分1000円
20分3000円 
30分5000円
45分7500円 
60分10000円
税別です


こちらでは純粋に占い(タロットと占星学)のみです
自宅salonで提供しているサービスとは異なりますし
salonでお受けしているような相談内容は
(霊的な事象や過去生に関する情報、相談など)
一切お受けしていません

エネルギーのリーディングやヒーリングも
もちろんしません

そちらに関しては往来通りsalonの方にお越し下さい
salonにくるまでもない
一般的な占いによる相談・アドバイスが欲しいという方は
善かったら吉祥寺の占い館までどうぞ

こちらのblogを見てとか
お声がけ下さいますと嬉しいです



現時点で2回ほど出演しましたが
占いのお店に出るのは久しぶりで緊張しまくり
でも、やはり占いも楽しいですね

根っからというか本質的に
人の相談に乗るのが好きなんだなあと実感しました

自宅でじっくり腰を据えて
お話を聞いて施療をして
一人のお客様と深く関わっていく
ディープなセッションも好きですけど

ライトにさくっと占いを通してのアドバイスも
自分は役に立てているのだと
これもまたやりがいを感じます

さてどうなりますかね・・・

ああ、あとこれもまた詳細が決まったら告知しますが
10月4日に知人主催のイベントに出演します
これまた占い師として占い提供です
価格は私の好きなよう決めていいって話ですので
10分1000円とかで考えています

場所は京王井の頭線富士見ヶ丘駅
Barなので時間帯は昼間でなくてたぶん夜のみ

お近くの方はよかったらどうぞ


2019/08/15

反戦と平和への思い




太平洋戦争が集結して74年目

戦後生まれの戦争を知らない子供たち世代ですが
両親は戦前生まれで空襲を経験していますし
大叔父は広島で被爆しているし
祖父はシベリア抑留者なので
そのような体験を身内からもメディアからも
散々聞かされて育っていますので
先の戦争に対する思いはそれなりにあります

「戦争はよくない」
「日本は無謀なことをした」

戦後のアメリカ先導による
自虐的な刷り込み教育も受けました

でもね
「戦争」はよくないものともちろん思ってはいるし
平和が尊いものであると
戦争はどんな理由であってもよくないものとも
そのようにも実感してはいますが

先の大東亜戦争で日本が100%悪かったとは
思っていない一人でもあったりします

先のこの戦争では戦争という場において
たくさんの蛮行や悪行三昧をした人も多いし
私利私欲から自らの立場を利用した人もいるのは事実

ですが
日本がもともと軍備強化して
アジアの各所に進攻と言う名の派兵をしたのは
西洋諸国の植民地になることを懸念してのことで
そうした魔の手からアジア諸国を解放して
自分たちのアイデンティティを守り
統治権を取り戻そうとした五族共存の精神が
背景にありましたし
日本国の自国と自国民を守ろうという
そうした懸念や考えは戦国時代から
安土桃山と江戸時代にまで遡ることができるんです

キリスト教の迫害とイエスズ会の宣教師追放
その流れでの鎖国
これはみんな深い意味がありました
この時も西洋諸国は
キリスト教の布教とともに(体裁ですね)
アフリカやアジアの植民地化を図っていましたし
(公平な外交でも貿易でもなく)
さらにはたくさんの奴隷貿易も行われていたのです
日本の女性たちも鉄砲を使用するにおいて
欠かせない火薬を手に入れるために
奴隷として火薬1樽に対し何千人単位で
国外に売られていたのですから
(鉄砲本体は日本の技術力でコピー成功となりましたが
火薬だけは輸入するしかなかったので)

こうしたキリスト教国
(カソリックたるイエスズ会)の蛮行から
自国と国民を守ろうとしてのバテレン追放令です
このような事実の前では鎖国もやむなし
(とはいうものの沖縄に対しては
ポルトガルやスペイン、イギリスと
同じような酷いことしたわけですけど)

でも鎖国は黒船来航によって終わった

しかし気がつけばアヘン戦争とかあれやこれや
中国という大国もアジア周辺諸国も
西洋諸国の統治下に入ってしまったわけです

次は日本だ 我々だ
これはヤバイ

と多くの人が思ったわけです

そしてアジア全体で協力して
西洋諸国を追い出そう!
自分たちの国と統治権を取り戻そう!
五族共存だ共闘して立ち上がろう
みたいな・・・

そんな考え、大義名分を振りかざして
大東亜戦争が始まってしまったわけです

歴史というのは勝者の記録なので
日本が負けてしまった以上
敗戦国の日本は「悪」になります

日本はドイツやイタリアと三国同盟を結んでいたので
同じ敗戦国のドイツとよく比較されますけれど

確かに同盟は結んで友好国ではあったけれど
(利用しあっていたというか利害に一致があったので)
そもそも戦争をしかけた理由がまったく違います

日本はアジア全体を侵略して
統一支配しようとしていたわけではなく
それぞれのアジアの国々の人たちに
蜂起して自国の権利を取り戻してもらおうとしていました

そのような大義名分や理念があったからこそ
日本軍人には規律があり他国への尊重がありました
その結果としてお隣の国以外の他のアジアの人々は
(台湾とかインドネシアとかとか)
そのことを深く理解してくれて親日の人々が多いです
(韓国でも戦争体験者の人たちは
そのことを自らの経験から理解してくれていますが
それを口にすると反日の人から叩かれてしまうという悲劇)

もちろんそうではない
爛れて腐敗した考えの軍人も多かったし
勘違いして傍若無人な恥ずかしい行為をした人々もいます
いつのまにか戦争をすることになったきっかけ
最初のポリシーたる大義名分
「アジアの国々で手を取り合って
 西洋諸国の魔の手から自国を解放しよう」
という大望から遠く離れて
他国を支配して自国の優越を誇るべく君臨しようと
侵略としての戦争として殺戮を楽しんでいた人も
軍部の中にはいたようですし


あの戦争は正しかったのか・・・

と言われると
正しかったとは言えないと思うし
けれども間違っていたとも言えないと思ったりします

あの戦争がなければ日本という国は
イギリスやオランダやスペインなど
どこか西洋諸国の植民地になっていたかもしれない

アジアという地域は他国の畑になり下がって
国という形を持つ場所はなくなっていたかもしれない


ではどうすればよかったのか・・・
あの時、日本はどのような道を選ぶべきだったのか

この答えはたぶん一生わからないと思います


でも
21世紀の今の時点で
全世界のすべての国において
他国の植民地になったことのない国が
わずか日本一国だけ
というのは紛れもない事実なのです
(戦後アメリカに統治はされましたし
分割して植民地化される話も出ていたようですが)






それでも戦争は正当化されていいものではなく
大義名分があり正義のための戦争であったとしても
その中で破壊があり非道も生まれ
生命に対する罪が行われるのは事実で

崇高な目的を持って気高い行為をする人ばかりではなく
これ幸いとばかりに己が本能を剥き出しにして
人が人に対して行うもっとも最低なことを好む輩に
格好のステージを与えてしまうことにもなる

自分のために一人殺せば殺人だが
国家のために何千人と殺めれば英雄となるのが戦争

あってはならない悲劇だが
戦争によってしか守れないものもある矛盾
戦争によって行われ、守られる正義など
もはや正義ではないとも言えるのだが


話し合いによって国同士の問題が
解決される見込みのない現代では
戦争のない未来、永続的な和平など
まだまだ楽観的な夢であると言えるので

それほどまでに私たちはまだまだ成長せず
霊的進化のレベルで言えば
動物並みの本能で生きるレベルか
無意識に操られるレベルで止まっている
発展途上の未開人なのだ


本当に人類は何億年何千年と生き
その間にたくさんの文明を誕生させ
歴史を繰り返しながらも
争いを愚かな過ちと学習せず
いつまでも何度でも繰り返す

生まれては死に、死んでは生まれて
たくさんの人生を後悔しながら
怒りや悲しみ、別れの苦しみ
愛する人を失うことの痛みを経験しながら

争うこと殺しあう歴史をやめようとはしない

戦争と人殺しが長く行われなかった文明は
縄文時代(縄文文明)くらいで

早くこの負の歴史が終わることをただただ望むのみ



(ここまで書いてわかった人もいるかと思いますけど
日本が大東亜戦争に至った国のカルマは
鎖国政策に至った経緯の中にあります
このこと、時代の波に合わせて
自らのカルマのレッスンに取り組もうと
転生して取り組んだ人たちもいるわけです

ドイツが戦争に至った国や地域のカルマと
日本という国のカルマとはまた別なんですね
ここではいちいち説明しませんが)





関係ないですが
私は「サイボーグ009」という作品がすごく好きです
最初は白黒のアニメからファンになり原作漫画へと
実はファンクラブに入っていた時期もありましたっっ
なので石森プロに行ったこともあります

石森先生の特撮ものは
仮面ライダー(但しV3まで)やキカイダーや
ゴレンジャーとかの戦隊モノとか好きですし
手塚先生をはじめとして
トキワ荘出身の漫画家さんの
アニメを見て育った世代であります

多国籍なキャラが出てくる作品であるのにも関わらず
世界に誇るジャパニメーションの中で
いまいち人気が出ないのは
キャラクターのステレオタイプ的に描かれた
デフォルメが極端すぎて受け入れられないのかも

でも最近 
こんな感じにキャラが現代風になったものもあるようでして
(見てないけど)
原作ファンからすると違和感ありありですが
世界中の人にこの作品の主題テーマとか良さを
知ってもらうにはいいのかなーとも思ったり





手塚先生の作品は反戦的なテーマのはなくて
人類みな兄弟的なものとか「いのち」の大切さとか
人間そのものの葛藤とか欲望とか村社会の閉鎖性とか
「ひと」に焦点が当てられているものが多かったのですが

石森先生のはたぶん当人の過去生での
恐怖や戦慄体験が影響していたのだろうと思うけど
「戦争」「改造人間(人体実験)」「悪の組織」
「人種問題」「家族を殺される」
なんかが色濃くテーマに出ていましたかね

私が「サイボーグ009」を好きだったのは
戦争と平和そして人種差別というテーマを
扱っていたからだと思います


キャラクターたちの中には
人種差別や偏見など戦争の被害者がいて

主人公のジョーはGHQの兵隊と日本人の混血児で
人種差別に悩む戦争の落とし子でしたし
(戦後の混血児の置かれた立場や問題に関しては
エリザベスサンダースホームの問題などを
ぜひ検索して調べてみて欲しいです)

髪型はモヒカン族なのにアパッチ族の名前なジェロニモは
アメリカの先住民であるのに
侵略者たる子孫の白人たちに差別される立場

ケニア出身のピュンマは奴隷商人に売られ
アルベルトは冷戦下で東西ドイツの壁を越えようとして
恋人を無くした過去を持っていたり

チームの頭脳たるイワンは
マッドサイエンティストで毒親な父親に
虐待とも言える人体実験をされ
母を殺された孤児になるのかな

ベトナム戦争や麻薬カルテルのこと
戦争の仕掛け人たる武器商人とか
当時の世相的テーマがてんこもりです

ただ昔の漫画だし読みにくいかもですね
途中から古代文明とか宇宙人とか出てくるし
少し路線が変わったりして

でも
この作品からはたくさんのことを教えてもらいました
いろんなことを考える機会を与えてもらいましたし
良い意味で影響を与えてくれた作品のひとつです


原作にはない話だけど
一番最初の白黒アニメの「太平洋の亡霊」って話は
ものすごく考えさせられたなあ
もろ昭和っていう作品ですけど
あの時代の作品はドラマなんかでもみんな
あんな感じでした

良い意味でも悪い意味でも
反戦に偏っていたというか
戦争はよくない
日本は悪いことをした国だ
・・・みたいな


戦争はよくない
戦争は正義ではない

けれども

当時、日本という国がした選択は
本当に悪いことだったのか?
日本は本当に悪い国であるのか?

終戦記念日に
一人でも多くの人に考えてもらいたいことでもあります

2019/08/12

動物は子別れ人間は物別れ

子供たちに惜しみない愛情を注いでいた親狐が
まるで縄張りを荒らす敵に攻撃するかのように
手塩にかけた子供たちを巣から
容赦なく追い出すのを見たのは
確か「キタキツネ物語」だったように思う
(映画館で見た。サントラも買った)

ノンフィクションということで
その物語は野生の動物たちのおかれた現実
自然の厳しさと無情さというものを
強烈なインパクトとともに教えてくれた






その道の先輩で
著名な占星術師でオカルティストの某氏は
研究会のようなものを立ち上げては突然に終了させ
また別の場所で似たようなことを始めてはまた壊し
その都度メンバーは入れ代わり立ち代わりというか
残る人もいるし卒業していく人もいる

私自身はご当人とお会いしたことはないのだけれど
友人知人が関わっていたり参加者の中にいたので
聞いたことがあるという程度

そんなんでご当人の考えや詳細は知らないのだけど
なんか分かるような気がする…という話

理想としては
師匠と弟子 先生と生徒みたいな
教える立場と教えを乞う立場であるときに
一生そのよき関係が持続できればよいのだけど
それぞれが対等な立場での集まりとは異なり
カリスマ的な存在に対して
憧憬や崇拝的な気持を抱いているファン心理の人や
依存傾向の強い人が一定数混じっての集まりだと
なんていうか妙な雰囲気が生まれてしまったり
変な方向に流れてしまうことがあるから

なんていうのかしら 
時間が経てば経つほど水は淀んでしまうというか
腐敗したものが涌きやすいというところかも
(マンネリ化とは違うもののよう)

なので
どこかで時期を見てリセットせざるを得ないというか
「はい、ここで終わり!」
としたほうがいい場合もあったりする

そりゃ お商売として考えたとき
長く通い続けて頂いたほうがいいわけですが
生徒(教え子)を一人前にするという観点からは
ある程度の知識を習得してもらったならば
独り立ちして巣立っていって頂く…
というのが望ましいことなんですよね

「いつまでも頼っていないで、
 あとは自分で頑張んなさい
 それだけのことは教えました」

と自立を促すのも師たる先生の仕事

まるで子供を群れや巣から追い出す
野生の動物たちのように




切りたい縁などそうそうないけど
切らなくてはならない縁はそれなりにあります

とかくこのような仕事においては

いつまでもこちらに
寄りかからせておくわけにはいかないし
返る場所 頼る人がいる環境が
本人にとって毒になる場合もある

一定の時期が来て 
学ぶ姿勢に難ありだったり
依存的な関係になりそうだと感じたり
信頼関係が築けていなかったり
あらゆる面で望ましくない影響下にあると判断したなら

手を放して 突き放すべき時もある


まあそれ以前に
「期待外れだった」
「ちょっと違う」
「こんな人から教えを乞うのはゴメンた!
 (教わりたい人間じゃない)」
と学ぶ側がそうした判断で立ち去ることもあるでしょう

でもそれはそれで必然なんです

そういう人は
「教わりたい誰か」
のところに辿り着く旅が必要なんですから
色々と巡り巡る必要があるわけです

反発も反抗も結構
子供にも反抗期があります

そして疑問を持たなければ人は成長しません

与えられた情報を鵜呑みにする人は
それ以上は伸びないんです
自分で考えて感じて行動して
始めて知識というのは身に付くし
智慧になっていきます
人生の糧になってその人の実になるんです

何事も経験しないといけません

そして自分で経験するまでは
どんなことも信じてはいけません

誰々がそういっていたから
先生にそう教えられたから

人の言葉を借りて自分のものとしているうちは
そんな知識は何の役にも立ちません
学んだことにもなりません
それでは言葉を繰り返すオウムと一緒です

疑うことは大事です
猜疑心は捨ててはいけません

「私を信じるな
 私の言うことを信じるな
 私が教える知識は信じても
 私という人間をその知識とイコールと思うな
 私の人間性と教えている内容は別物で
 絶対に一緒のものと考えてはいけない
 だが
 私の事を信頼することができないのであれば
 あなたは何も学ぶことができないだろう」

教えの始めにお伝えしていることです

この矛盾の気付くことが出来る人でないと
知識を本当に理解したことにはならないのです


グループレッスンは集団での学びで
エソテリックな知識や
サイキカルなテクニックを学ぶところではありましたが
人との関わり合いを通じて協調性や社会性
人間関係を一番に学ぶところ
慈悲と慈愛の精神 助け合いと奉仕の精神
仲間意識を超えた共同体意識を育む場所

なぜならスピリチュアリティの基本は人間力で
スピリチュアルな能力を伸ばしたいなら
そしてそのような本当の叡智を身に着けたいなら
人としてのエゴイズムを捨てるための「お試し」
洗礼のような最初の振り分けを
通過儀礼として通り抜けないといけないから

それが白いロープを身にまとう資格


そこに至るまでに
自らのエゴイズムと直面させられて
自滅していく人は数あれど
謙虚に向き合える人は極僅か


その過程で起こってしまう決別は
「巣立ち」という自立であるのか
「絶縁」という物別れであるのか

さてどちらなんでしょう





そうですね
生徒さんにしてもクライアントさんにしても
精神的にも人間的にも健康になって
通院やケアサポートが
不必要な状態になるのか望ましいわけですから
いつまでも通っている状況は望ましくありません

問題が解決したり状況が改善されて
自分で自分のことを解決できるところまで
自分の力を取り戻したならば
あとは何かあったときにという程度で
「便りがないのは元気な証拠」という距離か
ベストだったりします

健康的な利用の仕方ができる人や
依存ではない学び方やメンテナンスであれば
ビジネスとしては拒む理由なく大歓迎ですけど
そうではなく不健康な距離を維持しようとする人には
自立を促すためにも
突き放すことはよくあります(私の場合は)

2019/08/06

神様のマーキングとその土地独特のエレメンタル


昨日は月に一度の女子会でして
(女子といっても40代と50代の集まり)

その時に出た話題をば

まあ、都内でダメな土地とかの話から
海外の恐怖体験とかな話になりまして
(夏らしく納涼話?)

「土地のモノ」の話になりましたので
ついでにこちらでネタにしよう

幽霊の話ではなく…


例えば、沖縄出身者の霊的なトラブルって
本土の人間(霊能者とか呪術者)は
基本として手を出せないんですよ

一言でいうと系統が違うのね

その逆で
ユタさんとかノロさんとかが
本土の人の霊的な問題を解決できないかというと
まったくできないというわけではなく
見極めるのが困難でわからないことの方が多いらしい
(あくまでらしいという話)

たぶん霊的ルーツが異なるといいますか
神様や自然に対する考えとか
死後の世界についての認識の違いなんだと思います
一口に言うと信念体系の相違
知識のバックボーンの違いですかね
死んだあとに形成されている霊的世界が違うので
このあたり言葉で説明するのがとても難しいです

沖縄とか島の人たちって
本土の人間たちが古くから信仰してきた
八百万の神々への信仰とは違うものを持っていますので
つまり神道の信念体系に属していないってこと

八百万の神々たちへの信仰が定着する前は
本土には山岳信仰やまつわろぬ神への
信仰なんかもあったわけですが
あまりにも古いし
そのあとの神道や仏教の歴史が長くなったので
今はもうまぼろしで上書きされてしまったのか
その形跡はたまに見つけられる程度です
(影響はもちろん生きていますけれど)

私は沖縄には行ったことないので
それがどんなものか実際に肌で触れて
体験して感じていないわけですけども

「沖縄出身です」
「沖縄に行ってきました」

みたいな人を深く見ていくとき
明らかに違う"何か"をそこに見ることがあります


それは海外に行って帰ってきた人もそうですね

いちいちそんなアンテナ立ててはいないけど
トラブル的なものやダメージ受けてます等の相談で
チェックしてみると

「なんやこれ?」っていう
独特の形態をした謎なモノを見つけることが時折

日本のモノではないもの

形骸が変わっているというか
見たことのない異形のもの

まあ結局エレメンタルなんですけど

現地のものをお持ち帰りしたって感じですかね

とくにバリっていうのは
他の東南アジアとは系統が違うなーってものが多いです
バリに行ったことのある敏感な人が言うには
(アテクシまだ行ったことありませんっっ)

なんかマーキングみたいなものを
みんなくっつけられるというのかな
とても小さなものでさほど害があるってものではないけど
遠い昔に現地の呪術者たちが
自分たちの祖国を守るために作って(セコム?)
異国からの来訪者に対してソレをした結果かなーと
そういうものがあるのです

日本にまで持ち帰っている人いるのですから
まるでお土産ですよねww

一緒に飛行機乗ってきたんかーいってw


お土産というと
現地のモノの中にはたまーに
危ないものが入っていることがあります
日本で骨とう品とか古道具買うときも同じですけど
ヤバイですってものたまにありますね

とくに人形とか人の形したものは入りやすいですから


そうそう
たまに海外の神様に魅入られてしまう人もいます
宗教や信仰に関する施設や場所って観光地でもあるので
ツアーなんかでも立ち寄ることも多いわけです
好かれる、というのならいいのですが
魅入られるってちょっと怖いことなんです

知らず「契約」成立になってしまうと大変です
こういうのはレアケースなんですが
「お願い」してしまったばかりに
守ってやるよとついてこられたケースもあったりする
神様とは便宜上で呼ぶものの
実際には神様ではなく
そのように作られたものです
(どれもこれも結局エレメンタル)
でも力強いですから 対処は難しい


そうならないためには
必ず日本の神様とのつながりを作っておくことなんですね
普段から氏神様や祖霊神とかご縁のある神様のいる
神社に定期的に詣でている人ならいいんですけど

適当にお正月やイベントや観光
願い事のある時しか行かないような人は弱いかな

出来れば氏神様には定期的に詣でるのがベストなんですけど
せめて海外旅行に行く前にご挨拶に伺って
旅行に行きますのでとこのときばかりは
旅の安全・守護をお頼みして
それで出かけるのがいいかもです

すると
「このものは我が国のもの
 我が氏子で我が守護するもの」
というマーキングがつくので
それが優先順位にもなる
(ちょっと意味不明な説明ですね)

なんていうか
すでに誰かのものですよって話

神様という存在にも縄張りがあるのです

信仰している神様仏様がいる人はそれでいいけど
宗教に入っていない人の場合は
とりあえず自分は
「どこどこの神様の管轄のものだから」
って刻印を押してもらっていると
(いやさ眼には見えませんが<刻印)

その系統以外のものに
魅入られる(目をつけられる)心配が減ります


まあなんていいましょうか
海外には未だ生き残っている邪教的な
古い信仰から作られた「何か」が
たくさんあったりするんで

やたらめったら手を合わせたり
お礼参りもできない場所で願いごとは
するものではないのでした


2019/08/01

学びは一生




長くこの仕事をしていると
マンネリや慣れだけでなく
慢心や驕りといったものも出てくるもので

なので時々
お客さんからの何気ない言葉に
ハッとして反省させられることも多いのです

例えば
レイキのアチューンメントとか
丸一日のレッスンとかの日には
受講生の方とランチをご一緒することになりますが
その時には世間話を多くするもので
あとはお店を決めたりするときに
土日の江戸川橋は
あまりランチをやっているお店がないもので
(神楽坂や早稲田に出ればてんこ盛りですが)
どの店にしようかというときに
眉間に皺が寄ってしまうのです

するとそれを見て恐縮されてしまった
相手方の反応と言葉に
「ああ、私ってそんな顔(表情)をしてしまっているんだ」
と、その方に対してとった態度ではないのに
(心の中で「クソッ!土日は店がないぜっっ!」との呟き有)
その方を恐縮させ不快にさせてしまう態度や表情を
ロコツにしてしまっている自分に気づかされたり

後は
あるお客さん同士知り合いの方に
「〇〇がこの間、真秀さんを
 イライラさせてしまったと言ってました」
と伝えられ
「(え゛え゛え゛)いやいや怒ってなんかなかったし
 イライラしたりもしてなかったですよ?」
なんですけれども

その方にはイライラして眉間ピキッとなり
激おこな私に見えてたってこと??

なので、それはそれで
そういうつもりはないのに
そのような怒りのオーラを感じさせてしまう
自分に対して海より深く反省するのみ


そうですねー
話し方って難しいです
言葉の響き 話し方
伝え方というのですかね
学ばないといけませんね

とはいうのも
先日にコールセンターでの派遣で
一緒だった友人と会ったのですけど
彼女はお客さんを丸め込む?のがうまい人で
ほとんどクレームにならず
お客さんのあしらいがとても上手い人だったんです
私は話が長くなるとお客さんを怒らすことが
けっこー多かったんでっっ
そのあたりの思い出話をしていたなら

「相手に理解してもらおうと一生懸命になると
 自然と早口になって一気にまくしたてちゃうからネ」

と友人が言った言葉にああそうだよなー
それは私の悪い癖だと改めて反省

対面での接客ではありませんが
電話だとそうなってしまうケースがあり

とはいうものの
自宅で1vs1で仕事をしていると
自分のやり方を見直す機会ってそうそうないもの

「私はこのやり方です!」って
開き直っていてはいけないわけです

そして実は先月
新しくオープンする占いのお店に応募して
面談に行ってきたのですね
実際の鑑定のテストを受けたのですが
(道具を使った占いをするのはブランクがあるので
めちゃあがっりまくっていたというのもありますが)
色々と指摘されたことがあったりしました

でもそれはそれで納得もいくところ
まっさらな状態で見て頂けるのはありがたいことです

何しろ過去にお勤めした占いのお店は
スカウトしていただいたり知人の紹介だったりで
面談とかテストとか受けたことなかったので

自分の欠点とか直すべき点とか
色々と知ることができました

そんなわけで
カウンセリングやセラピーの手法にしても
クライアントさんとの接し方も対応も
もちろん施療にしても占いの知識にしても
話し方とか伝え方とかリアクションとかetcetc...
学ばなければいけないことはたくさんあります

今までやれてきたっていう事実に
胡坐をかいてちゃいけないんですよね

自分の何気ない態度や表情
言葉のトーンとか選び方とか
相手にどう伝わるのかどういう印象を与えるのか
「見せ方」とかそういうのも含めて
今一度考えないとなあ…と

ゆっくりと簡潔に丁寧に
気持ちを押し付けることなく
わからせようとするのではなく
きちんと傾聴することから…ですよね

とにかく初心に一度返って
新人になったつもりで頑張ります


追伸
てなわけで来週から週に一回だけ占い師復活します
場所は吉祥寺です
詳細はどこかに書きます(そのうち)

2019/07/31

魂の道しるべ~恐怖という指針



「恐怖体験」というと
トラウマの要因として知られており
重篤になるとPTSDを発症してしまうのですが

時に軽度のトラウマ的出来事が
当人にあることを「知らせて」いたりもします

警告というか「運命の道しるべ」として

もちろんPTSDを発症するほどの体験ではなく
心に強いインパクトを与え
後々まで忘れられないような強い印象と
人生に影響を与える出来事という程度の体験のことです


例えば先日クライアントさんから
子供の頃に芥川龍之介の「六の宮の姫君」を読み
このお話をとても「怖いお話」だと受け取り
この姫のようになってしまったらどうしよう…と
後に尾を引く強い恐れをずっと抱いてしまったと
そう伺ったのです

実はこの恐怖心こそが
この方が今生に生きる上での
「ヒントと警告」だったりするのですね

この「六の宮の姫君」については
過去記事でも引用したことありましたけど

今回のクライアントさんの場合も

「自分からは何もしない
 受け身の人生を送ってはダメだよ

 誰かや何かに依存して生きるのではなく
 そして誰かや周囲や運命のせいにすることもなく

 自分で考えて感じて 
 自分から進んでリアクションを起こして
 その行動に自らが責任を取って

 生きることを積極的にしないとダメだよ」

ということを
過去の人生から得た後悔と反省として 
自らの心に深く刻みこんでいたのです
それはもう戒めのように

なので
「六の宮の姫君」を読んだとき
我が事として
「姫君」の人生に恐れを抱いたのですね
 
再びの人生としてこのような人生を
生きることになったらどうしよう
また同じことを繰り返してしまったらどうしよう

というように


ある意味でこの物語を読むことになったのは
偶然なのかも知れないけれど
(教科書に掲載されていてたまたまかも知れませんが)
必然でもあったのですよね
主旨が同様のお話や類似のテーマを扱ったものも
本以外に映画とか他にあるのかもしれませんが

記憶としては憶えてはいないけれど
自分に必要な「なにか」を思い出させるために
人生の早い段階で選択して「読ませた」
意志の意図がそこには介在しているのです

それは第三者ではなくて
その人自身の本質たる本体
いわゆるホームグラウンド
母体であり故郷として存在する魂のこと

そこにはすべての情報と記録がありますから


そんな風に
人生の早い段階において
心に深く刻まれるようなインパクトある出来事や
強い印象を受けた事象
トラウマになるような恐怖を覚えたこと

それは魂が今生のテーマとかミッションについて
道を示唆するヒントを与えてくれているのです
埋もれている記憶を呼び覚まそうとするかのごとく

「これだよ」
「この中にあなたのとるべき道
 進むべき方向性へのヒントがあるよ」
「このことにあなたの今生のレッスン
 (ノルマやタスク)が隠れているよ」
というような


だから「恐れ」というか恐怖を抱いて
乗り越えられない壁のように感じてしまう
出来事というのは実のところ
それさえ克服して克服してしまえば
これまでの自分の枠を超えて大きく成長できる道で
抵抗するのをやめて降参して
そことさえ向き合うことができれば
生きる上での人としての大きな力も手に入るし
なかなか手に入らない欲しいものも手に入るだろうって
そんなレッスンだったりするのです


だからまあそうですね

人生が思うように上手くいかない人は
子供のころから自分が抱いている「恐怖」
昔から自分が恐れていること…や
これだけはイヤだって思っていることについて
自分が抵抗して目を背けていることが何なのか
一度考えてみるといいと思います

心に強い印象を残した出来事はどんな出来事だったのか
いつまでも忘れられないインパクトのある出来事や
それらについてどんな風に考え感じているのかも併せて
そんなことについて振り返ってみると
見えてくるものが色々とあると思います


極端な話
仏陀(ゴータマ・シッダルダ)が
ヒンズー教の階級制度(カースト)に疑問を持ったり

「私はそれが悩みなんです
 老・病・死、これが解決されなければ
 何のために生まれてきたのかわかりません
 死ぬために生きているようなものです
 これを解決するために、城を出させてください」

と"四門出遊"を悩んだように


「疑問」を抱いたり
心に苦悩をもたらす出来事と事象のすべてに
自分が向き合って追及すべく
その人の課題があるのです

さすれば道は開かれん…と


#魂 #ブループリント #トラウマ体験 #恐怖  

2019/07/29

子殺し間引きイノチの咎

一つの例題について語ると
類似のケースのことを
すべて同様に捉えてしまう人がいるので
決して全員が全員そうではないと
一人ひとり違う理由でそのような状況にあるのだと
与えられた人生は同じものではないのだと
予め断り書きをしておきます



日本の人口は減少に向かっていて少子化は進み
老人と若者の人口比率は理想的な三角形とは程遠く
むしろ逆三角形で若年層への負担は増すばかり
子供が増えても何とかなるといった時代ははるか遠く
たった一人を産み育てるのも大変で
それ相応の覚悟がないと子供を持つことはできない

晩婚化の影響も多少はあろうが
ひと昔前の死語ではあるがディンクスという
子供を持たない選択をする夫婦もいるし
未婚の男女も増え
ワーキングプアが故に結婚も子育てもあきらめる
そういった人々もいる

子供を欲しがっているところには生まれず
望まないものが妊娠し
無責任の結果として闇に葬られる命も減らないし
児童虐待による子殺しもニュースからは無くならない

よき親になりそうな人は不妊で
どうしようもないDQNな放置親のところに
次々とコウノトリが舞い降りたりもする


ほんと世の中ままならない

理不尽で不公平そのものの世の矛盾とも思うが
それも理由があったりする


ある人がいた
漢方の分野で気が付けば不妊治療の専門となっていた
意図してそうなったわけではないが
偶然が重なってその方面の知識を身に着け
導かれていたという流れ

だがそれはその人が過去に犯した罪への
「償い」のひとつの形にしか過ぎない

その昔、戦場を駆け巡って
大量に市民を惨殺し、命乞いをする年寄りや女性
そして年端もいかない子供たちや赤ん坊や妊婦をも
切り捨てて大勢の命を奪ったことの贖い

たくさんの命を奪った罪に対して
命をこの世に産み出す手伝いをしているというだけ

そこには当人の自主的な奉仕精神と
意識的な「反省心」「悔恨の念」は無いが
魂の計画と干渉によって
無意識的に罪の清算をしているという構図

またその人自身の「過ち」だけでなく
家系的に「ご典医」のようなことを代々しており
作為的に命を奪うことを仕事として行っていたが故の
宿業ともいうような咎も重ねて背負っていた

その人が殺めてしまった人の数だけ
不妊治療のクライアントをサポートしたり
出産へと至らせたりする必要があるかというと
数字レベルで同等に語ることではないし
殺した人数分、助ければOKという問題でもない

とはいうものの
その人が過去に奪った命の数はあまりにも多く
殺した数だけ命を救う必要があるというのなら
とても今回の人生だけで贖えるものではないだろう

その仕事を通して悩める人の力になっているからといって
必ずしもその人が人間的に成長できているとは言えないので
人として目覚めて
正しい生き方を歩き始めようと決心しないことには


そのように
「命」を救うという職業に就いている人の中には
「命」に対する罪を負っているが故に
かつての自分の軽率さや過ちを贖うように
その職に就いている人も時々いたりする


上記とは別の人
同様の仕事をしている人で
自らも不妊に悩み
終わりの見えない治療に悩んでいる人がいた

その人自身が不妊に苦しんでいるから
同じ不妊の人のプレッシャーや苦しみ
不妊治療の辛さが理解できるだろうし
気持ちにも寄り添ってあげられるのだろう

…と普通は思うし
実際そうなのだろう

確かにそうした経験が当人には必要だった

子供を授かりたくても授かれない人の痛み
そうした人々と向き合って命の重みを知る経験が


その人はある人生で「堕胎」を請け負っていた
惨いことにそこには「間引き」も含まれる

たくさんの命を
代々受け継いだ知恵を使って闇に葬っていたのだ


避妊具が存在しなかった過去の時代においては
意図的に妊娠を防ぐ手立てはなかったし
望まない妊娠をしたとき
女性たちにはそのような方法しか選択がなかったろう
全員を育て上げることが可能な身分に生まれ
食が豊富な時代であったなら
生まれ来る命の誕生を拒む必要もなかったろう

だが飢餓があり
貧しさ故に産み育てることが不可能ということもあった

そうした女性たちの最後の砦として
堕胎医は必要悪であったのだと思う
そして産婆も親の苦悩や命の尊さを知るが故に
その逆のことも引き受けてきたのだと思う

だがしかし「命」の重さを軽視して
モノとしか見ないものもいたろうし
その職を「金」のなる木としか考えないものもいた

貧しいワケアリの女たちから
乳飲み子を代わりに養育するといって引き取り
その日のうちに土に返しては
定期的に届く預かり料を目当てに
あくどい手口を繰り返すものも

それはそうだ
そんなことをしておいて
わが子をその手に抱けるとは思わないほうがいい
たくさんの子供たちの命
たくさんの母親たちの想いを
踏みにじってお金に換えてきたのだから
たくさんたくさん苦しまなければならないだろう

子供を望む人の助けをしながら
授かった人の喜びを目の当たりにして
笑顔で祝福しおのが手柄のように感謝されつつも
自分は授かることのできない苦痛と葛藤を
その仕事をする限り味わい続けなければいけない

すべての命に対して愛情を注げる日が来るその日まで
他人のところに訪れた小さな命を
心から我がことのように喜べるその日まで
苦悶は続くだろう

ちなみにその人はお客さんではないので
私が彼女にそれを告げる日が来ることはない
他者をして学ばせていただいた人生、教訓のひとつ



重ねて言うが
すべての不妊の女性そして
不妊治療に携わる医療従事者が
上記のような事例と同様の背景を持っているわけではない

あくまでこのような事例の人もいるというだけだ
そのことを勘違いしないで欲しい


日本という国における少子化の問題や
不妊が増えている背景については
環境ホルモンの問題や社会の在り様や男女の働き方
食や生活習慣が大きく変わったことも
原因にあるだろうし
戦時下(空襲)などの極端なストレスにさらされると
妊娠や出産率が左右され低下するという研究結果もある
そういう意味ではストレスの多い日常と社会的な不安が
妊娠率を低くさせている要因のひとつかもしれない

スピリチュアル的なレベルから見たときには
「国」のカルマが大きく関係している
戦前の日本には「生めや増やせや」といった
国策として「人間(命)」を国の資源
すなわち消耗品と見なした大きな業がある
そして戦後に親を奪って孤児にした子供たちに
国として何も救済をしなかった罪もある


不妊に悩む女性ばかりでなく
多く女性にヒーリングとして氣を流すとき
子宮の中にたくさんの哀しみや罪悪感が
詰まっているのをよく見かける

過去生の哀しみ
そこには子流れや流産や死産といった出来事で
生んであげることができなかった子供に対する哀しみ
子供を亡くした哀しみ
産んだ子を取り上げられた哀しみ
出産によって
自らも死んでしまった痛みと苦しみと恐怖

子供を産め…と…跡継ぎである男の子を産めと
プレッシャーをかけられた日々の苦悩と嘆き
子供を産む機械のように
道具として扱われた日々の惨めな記憶
絶え間ない妊娠により出産と妊娠を繰り返して
妊娠することが恐怖になってしまった人生の
辛い日々の記憶等なと…

それは子宮だけでなく
第一チャクラにもたくさんたくさん
当人だけのものではなく母親や祖母
そのまた先祖である代々の女たちが背負ってきた
たくさんのたくさんの苦しみと悲しみと嘆き

悲鳴のようにそれらが折り重なって
妊娠することを拒むかのように
石のようにそれらが子宮内を占拠している
とても固く、重たい、暗いエネルギーの塊として

欲しいと当人は口にしながら
今のその人は望みながら
身体は妊娠することを畏怖し
恐怖の記憶に縛られていたりする

なかには「自分には母親になる資格がない」と
そのような思いに支配されている人もいる



また男女というのは不思議なもので
憎い相手と再びカルマの清算をすべく
出会って惹かれあってしまうことが多々ある

自分を殺してくれた敵や
あれほど酷い目に遭わせてくれた人なのに?
と思うような相手と何故だか縁付いて
結婚している人は少なくないのだ

そうすると
「この人の遺伝子は残したくない」
と抑制が働くのか
不妊ではないのに妊娠しないという人もいる
そして離婚して別の人と結婚した結果
その相手とすぐに子宝に恵まれるということも

なるほど

母、となるべく人たちは
未だに過去の傷に囚われているのだ

そんな風にいろんなことが相まって
今の少子化で高齢化でもあるのだろう
(高齢化も日本の社会のカルマには違いない)

2019/07/22

霊媒体質の弊害 

結局のところ霊媒体質も憑依体質も
根本的なところではあまり変わらないのだが

ようするに
良いものと波長があっているか
悪しきものと波長があっているか
の差でしかなく

悪しき存在と同調しているのが憑依体質で
良き存在と同調しているのが霊媒体質
といったところ

とはいうものの良い存在悪い存在の区別は難しい

霊媒体質であるが故に憑依体質となり
憑依されるというのはよくあることだし
肉体を持たぬ存在たちに身体を狙われたり
様々なものに同調してメンタル面で混乱をきたし
突飛な言動や行動をとってしまうことから
日常生活に支障をきたしていることは多々ある

ただ霊媒体質と憑依体質の違いがあるとするなら
霊媒体質はそのような己が特質を理解して
上手くコントロールすることが出来るもの
憑依体質のものは己が特質を理解してはいず
あるいは理解していたとしても
まったく自分の意志では制御できないもの
という違いになってくるだろう



さて私は霊媒体質であるが故の憑依体質
これは過去生において何回かの人生で
そのような職業に従事していたことから
トレーニングを行ったせいでもあるし
今生に生まれた血筋からの多少の影響はあるかもです

とはいっても祖先は武士(母方)と農民(父方)
私のような職業をしていた人はいないみたい
しいていうなら母方の女性たちほとんどが
その手のものを「視たことがある」人たちだというだけ
気配に敏感でカンが鋭くていわゆる霊感があるってレベル
その程度ですかね

そして母方祖母が憑依体質だったのと
半身不随になってからは(昏睡から目覚めてから)
幽体離脱してあちこち出没し(うちにもよく来た)
死んでからもあちこちに出没(身内も他人も目撃者多数)

この祖母が倒れた時ちょうど夏休みで
ヤバイってんで帰省したのですが
祖母が寝ている部屋に入ったならば
もうこれでもかって狭い部屋にたくさんの霊たちが
ぎゅうぎゅう詰めで大量に…
白目向いて気絶しそうになりました

昔から祖母は無縁仏とか無関係な人の墓とか塚とか
手あたり次第に手を合わせる人だったとのことで

「マジそれが原因だよ!

とはいうものの私にはどうにもできません

「おばあちゃんの上にたくさんの人が乗ってる」

なんて話も誰かに出来る状況でもなく
とりあえず一番近くの神社の神様に
何とかしてもらおう助けてもらおうって
幼心の浅知恵で思いついて毎日通い詰めて
箒と雑巾持ってってお掃除しまくったんですよね
(1か月くらい頑張ったら
昏睡状態から目覚めましたので
多少の効果はあったのか…な?)

まあ話は脱線しましたが
この祖母の気質を一番濃く受け継いでいるのが
たぶん私なんでしょう
(でも顔立ちとアレルギー体質は父方譲りな農民系)

さて前置きはこのくらいにして



他の人の前では決してそんなことにはならないのに
普通に自分でいられるのに

その人の前だと
調子が狂うというか自分を見失うというか
なんでそうなるの?と思うほどに
おかしな発言や行動を取ってしまうことになる

という相手がたまにいたりします

何かしらのスイッチが入ったかのように
言動や行動が暴走するといいますか
奇妙な行動をとってしまうのですね
「キチ」に変化すると言えばその通りで
とにかく私自身が気持ちの悪い人になるんです

メンヘラになったり攻撃的になったり
池沼か!と突っ込みたくなるくらい

そんなときの自分はどこか遠くにいて
そんな自分を「あ~あ!(T-T)」と眺めていたりもする
でもそこはいかにしても制御できない止められない

それは昔から大きな悩みの種でもありましたが
結局は私の霊媒(憑依)体質であるが故の行動で
その人の周囲に溜まっている悪いものやエレメンタル
に同調・呼応してそれらの声を代弁していたり
場合によってはその人に何か言いたい誰かの声を
メッセージとして伝えることをさせられていたり

まぁ、そんなかんなで
「使われる」ことをよくさせられているわけです

仕事でもそれをしているわけですが
プライベートでは止めて欲しいですよね


じゃあ実際「使われる」ことは悪しき行為なのか
低い波動の悪しき存在と同調していることは
その人に対してそれらの「声」を伝えること
その人が創ってきたエレメンタルを読み込んで
具現化させて表現して見せることや
その人に対して様々な人が向けている
様々な恨みつらみの想いや怒りの声を
「言葉」にして伝えることは諸悪の根源なのか
というと

一概にそうとも言えない
カルマっていうのは与えたり与えられるもの
私はその人に対して「痛み」を与える相手としての
役割を演じさせられるということにもなる
その人に対して「悪役」を演じるポジション
良く言えば「教師」とも言える
エレメンタルが具現化して人象化された存在に過ぎず
その人自身が創造したエレメンタルにより
法則で引き寄せられた「悪役」または「教師」

そのような意味で
エレメンタルがレコードだとすると
憑依(霊媒)体質の人間はレコードプレーヤーそのもの
レコードプレーヤーとは古すぎですね
CDやDVDなどの記録媒体を読み込むデバイスみたいな
そういうものとして捉えて頂ければ

ただいつも波長・波動の低い
悪しき存在とばかり同調していると
私そのものも悪い方に引っ張られてしまいます
それはあまり良いことではないです
意識して良いものを見るようにして
波長・波動の高いものと繋がるようにしないとです


昔はこういう状態が理解できなかったから
自分のことを「頭のおかしい人」と思って
思い悩みました
社会生活を送る上での妨げになるから
(人間関係も壊れますし多くの人から嫌われますし)
もちろんスイッチはなるべく入らないほうがいいし
このような体質のせいにせず
ちゃんと自分をコントロールできるようにならないと
というのはあります

ともすれば悪しきものに使われて
人格破綻して精神もモラルも崩壊して
人生詰んでしまうことにもなりかねませんから

だからこそ社会性や常識は大事ですし
人としての精進も霊的な修養も大事で
見えない世界と見える世界
霊的な知恵と現実的な生活の折り合い擦り合わせ
その双方とのバランス
どちらにも偏り過ぎず両方の視点から物事を見ること
そういうのが大事なんですね

自分のことを客観的に見たり
観察者として世の中を見ていくことも含めて
懐疑的な視点と何事も自分自身が経験したこと以外は
信じないというスタンス

まぁ日々起こることすべてが学びの対象です

いつだって発展途上でこれがすべてではないということ
謙虚な姿勢を見失わないようにすること

すごく大切なんですよね


さてさてそんなんで
その人の周囲にあるエレメンタルを読み込む
エレメンタルレコーダーと化した「私」の一面とばかり
出逢ってしまうという人も少なくないでしょう

その人たちにとって私は災厄そのものです
口うるさいことを言ってくるウザイ人ですから
歩く迷惑でありトラウマ級に不快な人物でしょう

そうですね
スイッチ入っている時の私は
トラブルメーカーといった存在で
歌舞伎や能でいうと狂言回し
トランプのジョーカーかトリックスターといった役回り
みんなが見て見ぬふりをしていること
表面取り繕って隠していることを暴きまくる
破壊王ゴジラそのものですw


誰にでもそんなわけではなく
ほとんどの人とは楽しく付き合えてます
余計なお節介も言わずスイッチ入ることもなく…
ですから私の
エレメンタルレコーダー機としての一面に
まったく触れた事のない人や遭遇したことの無い人
スイッチ入ってキチ化している私のことが
想像できないという人もいますね

なのでそうならない相手とは一度もそうはならないし
スイッチが入ることは稀です
仕事以外では

でもどうしてもスイッチが入ってしまうときは
必然なんだろうなってあきらめています


読みたくないけど読まないといけない
誰かが読まないといけない
読み手を待っている情報があって
誘致されてしまったのだから
読まされてしまうときには
それはきっと私を使いたい誰かの意志で
託されているわけだからもう仕方ない
それに私をサポートしてくれている人たちも
それを受け入れて許可しているが故のことだから
誰かが伝えなくてはいけないことなんでしょう

伝えられた情報をどう判断するかはその人次第
それを無視するも受け止めるもその人の裁量

関係性が壊れるならそれはそれまで
それは受け入れるしかないことなのです

2019/07/19

信頼と評価に義理人情は不要である



人を紹介するのは難しい

単純に「この人は誰々さんです」と
その人がどこの誰であるのか
名前と自分との関係を説明するくらいなら
とくに難しくもなくためらうことなど何もないが

「仕事」や「お金が絡む場」を紹介するとなると別だ
そこに信用と責任が生じるから

ここに義理とか何かそこに
人としての「情」を絡めてしまうと人の目は曇る
私もこれまでだいたいそれで失敗してきた

例えば私と類似の同業者
私よりもスキルが上の人を紹介したくても
正直な話いないので出来ない
私自身が信頼している人とか知り合いという中には

友達だから信頼したいし活動を応援したいと思っても
友人として付き合っている部分と
職業上の評価と人としての信頼はまた別物なので



少し話変わって

今はもうお付き合いは絶えてしまったが
まだ占い師であった頃
とあるイベントで若い占い師の子と知り合った
とてもいい子で人としては好きだし共通点もある
そのような付き合いだけなら楽しくやれた

お堅い仕事の正社員から占い師に転向した彼女は
「占い師がこんなに儲からない仕事だとは思わなかった」
と言う
だが彼女がレギュラーで出演している場所は
都心では占いの仕事においてもっともお客さんの来る街

お商売というのは三か月サイクルで見ないといけないので
出演しはじめたばかりなのかと思いきや
もう1年以上経過しているのに未だリピーターは僅少

場所が悪いという理由でないことは推察できた

ではどのような鑑定をするのかと
それによっては紹介できる仕事もあるかもと
腕を見極めるべくプライベートな相談をもちかけたのだが
結論としてお金を出して見て頂きたいレベルではなかった

センスというか語彙力というか
コミュニケーションの問題がまずあるということで
さりげなくそのことを伝えるも
彼女から相談を受けたわけではないので
聞く耳のない時に伝えても…であった

その後いわゆる「すぴ」のジャンルに興味を持ち
結婚を機に旦那さんの応援もあって
ヒーリングの学校に通ってそちらの道に進んだが
やはりお客さんが来ないということで
「もうやらない」となってしまったようだ

なんていうかお前が言うなと言われそうであるが
正直なところ彼女は社会性に欠けていた
それから占いにしてもヒーラーにしても
その道に進むための明確な動機と目標がなかった
もし動機がしっかりとしてさえいれば
この仕事をするために自分に欠けている要素は何なのか
必要だが欠けている要素を埋め合わせようと学び努力し
身に着けようとしたろうし、習得も可能だったろう

言葉のキャッチボールが苦手であるならば
とてもダサいおばさんファッションを改めて
セルフプロデュースで自らのイメージを創り
言葉少なでも神秘的な神託を告げる占い師として
自己演出したならばファンもついたろう
何てたって彼女は顔立ち整った美人さんであったから

しかし
彼女はこうでありたいという自分のこだわりに固執し
周囲の言葉に耳を傾ける柔軟さを持たなかった


人間としての彼女は誠実で信頼できるし
好きな友人ではあったが
仕事の評価というのに嘘をつくことはできない
知り合いだから友達だからと
そのようなひいき目を持ちたいのは山々だが
「情」で判断することはやはりしてはならないこと


別の人の話

その人はとても教養があって霊的な知識に長けていた
その知識と素養を否定して眠らせておくのはどうよと
多方面から色んな人に言われていたようで
私もそうした知識を教えることは勧めてもいた

だけども私のような形での一対一の
対面式のカウンセリングのようなことをするには
その人はちょっと問題があると思われた
同調と共感力がもっとも欠けている人であったので
他者の気持ちに寄り添うことが出来ないのは
この仕事において致命的な欠点であるから

やる気になったのはいいけれど
欠点を表面化させずに持ち前の長所を引き出す形で
すぴ関連の仕事をするのであれば
ちょっとその方向性は違うんじゃないか
対象とする人たちをうまく篩い分けないと
と思ったりもしたがそれは余計なお節介と言うもの

求められていないアドバイスは
耳障りな騒音でしかないのだから


友人だからといって知り合いだからといって
すべてを信頼して評価できるわけではないのです
その人たちの仕事を見る時には
欲目は引っ込ませて冷静にその価値を見極めるべきで

簡単に人を紹介することは出来ないし
紹介するときにはその人の仕事における失敗も評価も
自分がひっかぶる覚悟で紹介しないといけない
それだけ責任の生じることだと…

時分のWebサイトに
知り合いのサイトのリンクを張ることも同じ

それは過去の反省からくるものだったりします




そしてこの先はまだまだ自分が甘かった時のお話

ある人の紹介で
ある場所での瞑想会に参加した時のこと
その人のことを信頼していたから
誘われて参加して
その人の長年の友達というから信頼して
(でも結局自分の目で見極めないとダメです)

紹介された人は悪い人ではないし基本的に善人で
自分にとって
既に知ってると思う知恵や世界のことであっても
他人から改めて教わったり
自分の知らない新しいことを知る機会にもなるし
それはそれで新鮮で楽しい出来事でもあった
心理的に落ち込んでいるときでもあったので
そこでの出逢いに救われた想いもあった

ある日その人がとあるセミナーを開くという
是非受けて欲しいと

聞けば価格は安くはない
断ったが人数が必要なセミナーということもあって
ぜひ受けて欲しいから料金はいらないという
そういう訳にはいかないと断っても逐一お誘いがあり
良くして頂いているという想いもあったので
そこまで仰って頂けるならと参加させて頂いた
(結局のところ最初は
無料でいいから参加してくれと言っていたが
いつの間にか「〇〇円でいいよ」になり
それが「もらえるなら。いつでもいい」になり
最終的に苦言を告げたところ
一部返金とはなったのだが)


だがいざセミナーという時
私は網膜剥離になり緊急入院することになった
といっても準備などあって数日後の入院であったが
それで断ろうとするも
「だったら余計に参加したほうがいい」と宣う

普通に考えたら網膜が剥離して医師から
「家の中でもなるべく動くな、歩くな」
と言われている人に
電車を何本も乗り継いでの移動と
朝から晩までのセミナー参加を促すなんてありえない事
もしその人が本当に常識があって
相手のことを考えてくれる人であったなら
そんなセリフは出てこないだろう

ここに観切るべき材料が提示されていたのに
バカな私は「義理」と「情」を取ってしまった
だからこれは断ればいいものの
断らなかった私の問題そのものである

そのセミナーには関西から
がん患者の方が参加していた
生きたいと望み 希望があるのなら
どんなことでも試すという想いでの参加だ
もしかしてこれを受ければ
自分は治るのかも知れない
そういう気持ちが言葉の節々に
切々と伝わってきた


新幹線で帰られるとのことで途中まで一緒だったので
二人きりになった時
体力も精神もギリギリのところにいる彼女は

「私はこのセミナーを信じてたのに
 書いてあることに僅かな希望を持って参加したのに
 東京に出てくるのは本当にしんどくて
 それなのに…それなのに…
 ひどい」

と絞り出すように小さく
声にならない悲鳴のような声で
大粒の涙を流して嗚咽した

それに対して私は自分が何を言ったのか
覚えてないのだが最後の最後に
「あなたが一緒に参加してくれてよかった」と
ギュッと握りしめてくれて
何とも言えない目で私を見つめて

固く握りしめられた手から
彼女のやるせない気持ちと様々な痛みが
たくさん流れ込んできたのを覚えてる

そしてそれが最後だった

あの時の彼女の失望感と言葉は
今も胸に刺さっている


主催者であるその人に悪気はなく
その内容は他の人にとって良いものと信じているし
自分が誰をどうやって傷つけているのか
まったく気付かない人だから難しい

けれど大人であるならば
ビジネスとしてそれをしていくなら
まして目に見える形がない商品やサービスを
提供していくのならば
何よりも顧客たる人を大切にし
お商売としての信頼関係を築いていく必要がある
相手と誠実に向き合っていくという姿勢で示して

「ここにきてよかった」
「このサービスを受けてよかった」と
いってもらえる体験そして時間を
持ってもらうために気持ちを尽くして
労わりの心を態度に出していかないと
相手はそこに何も価値を見いだせないし
目には見えない「何か」を受け取ることも出来ない

参加者としての私の感想は
言われていることが何なのかはわかるし
内容自体悪くはないのだが
やり方というか進行の問題というか
改善すべき点があるとは感じたし
ともすれば霊感商法っぽい胡散臭い
妙な馴れ合い的な雰囲気を無くしていけば
方向性としてはイイ感じにまとめられるのではと

さてそのような「やり方」をしている
私よりも年配のその人に
どうやって伝えるべきなのだろうか?
と少し考えてタイミングを待ち

「霊感商法と
 間違えられるような商売をしていると
 他の同業者の人にも迷惑がかかる」
などと言うようなニュアンスのことを
他のこともまじえて伝えたが

結果嫌われて終わり(笑)

まあ伝え方も良くなかったのだと思います
でもきっと正しい伝え方など無いのでしょう


この方を前にして何も言わず
この方のいないところでその人の文句を言う人
この人はそういう方がお好きらしい

私はずっと無視されているが
この人のことを陰ではバカにして揶揄する人や
「あたしのお金を返して欲しいわ」と言って
怒っているけれどそれを言わないでいる人に
「イイネ」をたくさんつけまくっている
たぶん普通こうなのだろうなと思う

みんな物事のよいところしか見たくないものだ
真実を知りたいという人はさほど多くはない

誰もかれも注意されたくはないのだろう
自分に痛いことを言う人のことはみんな嫌いで
それが口だけのおべっかでも陰口をいかに言われていても
直接的に自分を傷つけなければ人はOKで
そういう表面的な付き合いを大切にするもので

霊的成長がどうのこうの言ってはいても
成長したいと心から望んでいる人は少ないのだ
耳の痛いことは聞きたくないし
お説教や欠点を指摘されることは不愉快以外の何物でもなく
それをお節介に言ってくる人はたぶん「悪」なんだろう

そしてこのような気が付いた点について
他人にあーだこーだ言う人は支配的だ
コントロール欲求が強いと非難されてしまう


そうですね
やっぱり社会的常識をわきまえていること
挨拶がきちんとできて「ありがとう」「ごめんなさい」
を口にできる人であるか否かって
そこでその人のすべてがわかるといっても過言ではなく
基本として
それができない人とは
「すぴ」な業界の人であろうが
会社員や経営者や主婦であろうが
対等な関係性、人間関係を創るのは難しい

肩書とか能力は関係ないです

自分が間違えたときに素直に人に謝る事が出来る人なのか
口だけでなくてきちんと行動で示せる人なのか
感謝の気持ちを態度に表している人であるのか等etc...


眉唾もの見せかけのもの
信頼できる人出来ない人
仕事や自分の大事な人間関係を紹介しても
大丈夫な人かどうかは

たぶんそこだけ見て考えれば
まず間違いないんだと思います

そこがきちんとしている人は
仕事にも他人にも誠実だから

2019/07/17

私がチラリと写っている動画<コーチング


知人でエグゼクティブ コーチングをされている
林さんがコーチングの宣伝動画を作成されるということで
私も出演者(モブです脇役ですっエキストラ中のエキストラ)
として参加させて頂きました

いやなんか「オモシロソー」と思って
軽いノリでハイ

ほんのチラリとですが
数あるうちのどれかに映っていますので
ヒマな人は探してみてください
(全部には映ってないっす、どれかにちょっとだけ)

いやさ当日は現場に行くのに迷子になって
(地図が読めないし渋谷は苦手なエリアだし)
髪振り乱して走り回ったあげくなので
化粧は剥げているわ
山姥かヤマアラシみたいにボサボサ頭で
ホントに酷いものです

プロフの写真は美容院帰りでしたので
マシな感じで若干若々しく写っているのですが
動画はモロBBAって感じですのでゴメンなすって
お見苦しくて申し訳ないっっ

でも日頃できない良い経験をさせて頂いた一日でした
ちなみに撮影は2か月も前のことで
今と違ってとても暑い日でした

そして当日、お寿司をおごって頂き
ありがとうございました<林氏




















上記の動画の他にも動画がありますので
ビジネスをされている方や
コミュニケーションツールの学びの場を求めている方
コーチングに興味がある方は
良かったらご覧になってみてくださいましね

2019/07/15

本当に大切なもの

どんなことも創っては壊し、築いては崩しの繰り返し
そうした繰り返しの作業の中で
良くない点上手くいかなかった点など
失敗から反省と学びを得て、改善・改良を繰り返し
人も技術も進歩していく
昨日から明日へと 過去から未来へと 

人生全般はもちろんのこと 人間関係もまた然り


私自身のことであるが
この人生 それなりに多くの出来事があり
様々な経験をさせて頂いた
その中で色々な人たちとの出逢いと別れがあって
続いているにせよ終わってしまったにせよ
これらの多くの人間関係から多くの学びや教訓
そして自身の血肉、糧となる経験を得たし
すべての人たちから育ててもらった
といっても過言ではないと思う

残念なことに
互いに助け合うことの出来る
友好的で良き関係性を築けなかった人も多いのであるが
それはまたいつか別の人生で出会えたときに
今生でのことはリセットして
一から新しい友好的な関係を築けたらと願うのみ

それは本当に仕方ない
お互いに道の途中であり成長していく過程の中で
互いに痛みを教え合うための(学びの)相手として
出会ってしまったのだから

そのような相手に対しては
出逢えたことにただ感謝をして
感情的軋轢や遺恨を手放すのみ
そして相手の学びが進むことを祈るのみ
心からの平穏と無事
一日も早くその人らしい人生を取り戻すことを
ただただ、祈るのみ
「あなたの魂の願いが叶いますように」




お陰様で
私は今多くの友人知人そしてクライアントさんに支えられ
助けてもらって日々を過ごさせて頂いている

家族こそいないものの
具合が悪いと言えば 心配してかけつけて
差し入れしたり手助けしようとしてくれる人もいるし
恩返し恩送りをして下さる方もいる

暖かい心配りに満ちた励ましや便りをくれる旧友や
しょうもない愚痴や泣き言を聞いてくれる人もいる
たわいのない世間話やおしゃべりをし
共に楽しい時間を過ごせる人もいる
長屋の付き合いのようなご近所さんもいる

私を信頼してお仕事を下さったり
紹介をしてくれる人もいる
とても有益な知恵や情報、アドバイスをくれる人も


なんと素晴らしいことだろう
なんとありがたいことだろう

人は独りでは生きていけない
人は人の中でしか生きていけないので

とてもありがたいことに私は孤独ではなく
心のよりどころたる信頼できる人たちに囲まれている

これを感謝しないで何を感謝すべきというのだろう


こうした御恩や御縁に報いるために
私自身にいったい何が出来るのか
…と考えたとき

やはりそれは
今の仕事と真摯に向き合って
一人でも多くの方のお役に立つことなんだと思う

他の人ではない私にしか出来ないこと
持って生まれたこの個性・資質・能力
普通ではない変わったところ
非現実的な世界をちょっとばかり
見通すことの出来るこの目を使って
過去生から蓄えてきた知識と智慧と技術を
それらを必要とする人へと伝え
後世へと残していくこと

そればかりではなく
霊性を磨いて能力を高めて
もっともっと出来ることを増やして
そうした方面からの救いを求めている人のために
役に立つことが出来るように
鍛錬していくことなんだろう




小学生のとき
クラスにイジメを受けている同級生がいました
昭和のイジメは昨今のイジメほど酷くはなく
シカトするという仲間外れ程度で

私はそういうのは好きではなかったので
イジメに賛同せず その子に対しては
仲良くしようよと接近することもしない代わりに
とりあえず普通に接していて
あからさまでロコツなイジワルに対してだけ
「ちょっとひどくね?」みたいに反論もしたり

すると今度は標的がこちらに変わります

スケープゴート役が別に出来ると
ターゲットだった子は今度は向こう側に回り
今までイジメられてた子は
自分をイジメずにかばった子をイジメるんですね

何が一番ビックリするかというと
昨日まで自分に対してイジワルをして
悪口を言って叩きまくっていた舌の根も乾かぬうちに
今日から仲良くしましょうよとあなたは私のお仲間よ
としらじらしいことを言ってくる相手のことを
簡単に人って受け入れるということ

まあそんなもん
人って結局自分自身だけがカワイイので
人は本当にずるくて弱い生き物だから
でも他人のそんな弱さを責めることなんて
誰にも出来やしない

私はもともと女子独特の群れるというのが苦手で
幼稚園児以前からの幼馴染も男子だったし 
とくに小学生の頃は男子とばかり遊んでいて
本の虫でもあったから休み時間は
図書室に入り浸って教室にはほとんどいなかったし
さらに今と違って昔は子供の社会って学校だけではなく
放課後は近所の子たち(年代の違う遊び仲間)との
付き合いというか関わり合いもあったから
それは対して「痛い」出来事ではなかったのが幸い
(中学に入ると事情が変わりますが)


そういうのはどこにでも見かける風景

困ったときにはさんざん頼ってきて
甘えてすがりついてきて
でも状況がよくなって
こちらの手を必要としなくなった途端
後ろ足で砂をかけたり恩を仇で返してくる人

自分が何かあった時だけ頼って
こちらが何かあった時には知らんぷりな人
口ばっかりの人


ああこれは自分の甘さだと
非情になり切れなかった部分を
ビジネスライクに割り切って
ちゃんとラインを決めて色々切り捨てていくと

与える必要のない人に
たくさん与えようとしてしまっていたんだと気づいた

本当に大切にするべき人たちは誰か
誠実に真摯に向き合って関わっていくべき人が
誰であるのか
どういう人たちを大切にするべきなのか
勘違いな自己犠牲を捨てて
偽善者だった仮面をも捨てると
曇っていた視界が晴れて色んなことが見えて
ニセモノの魅力が褪せてくる

本当に輝くホンモノの宝石
人としての優しさや魂の輝きを持った人が見えて
そうした付き合いを大切にするようになる

自分にとって何が大切か
それがわかると欲しかったものが
身近にあることを知らされる

それは霧が晴れていくように

そのためには要らないものを手放すだけでいい
人間関係もそのひとつ

自分にとって重荷になる人ならサヨナラすればいい
他人のことを消耗品のように扱う人にはNOと言えばいい
自分を大切にしてくれない人を大切にする必要はない
そういう関係は追いかけないで放置していればいい
何も与えてくれない人には与える必要はない
自分が心から与えたいと思う人にだけ与えればいい

歩み寄りをしようとか互いを理解し合おうという試み
与え与えられるというギブ&テイクをしてこない相手とは
今も未来も生産的な実りは期待できず
リセットしたほうが人生の無駄遣いがなくなる

必要なものはおのずと残るし
空いたスペースにはそこに入るのにふさわしい
新しい関係性も次々にやってくるのだから

自分を大事にしてくれない人に背中を向けたとき
心から自分のことを想って
大切にしてくれる人と巡り合うことが出来る

言葉のキャッチボールも
心のキャッチボールも出来ない相手には
早く見切りをつけて思い切ったほうがいい
あなたから奪ってばかりで一方通行の関係ならば
打ち止めにしてそれを学びとして次に進むべきです

自分を苦しめるものから自分を守る決断をしましょう

金縛りにあった時の対処法

いつもダラダラと長文ばかりなので
短い文章の投稿で実用的?な知識をば

季節はいちおう夏ですので
夏らしい話題(のつもり)



もしも金縛りに逢ってしまったなら
息は吐きだすようにしましょう
決して息は吸い込まないで下さい

幽霊とか見てしまった場合も同じです
びっくりして「ヒッ!」ってなって
息を吸い込んでしまうのはダメです
鼻息荒く「フンッ!」って吐き出すのが正解

少しずつ鼻からでも口からでも
(ずっと吐き続けるわけにはいきませんので
少しフッーと吐いては息を止めて少し吸って
それからフッーと吐き出すを繰り返す)
とにかく吐く

出来ればお腹(丹田のあたり)に力を入れて
いきむとかきばるとかはなく
お尻の穴をキュッと引き締めた状態
女性なら会陰を閉めるような感じ
腹式呼吸で下腹部を引っ込ませて
とにかく息を吐く

そして「ここヤバイぢゃん?」「ヤバクね?」
みたいな氣が淀んでて危ないなって場所
例えば鳥肌が立つとか寒気がするとか
何か気配を感じたりとか
そんな時には
お尻の穴をキュッと閉めて
お腹を膨らまし
一気に全身から氣を飛ばすような感じで
(お腹にある氣のボールが膨張して爆発するようなイメージ)

フンッ!

ってとにかく息を吐きだすと良いのです

その時に手を胸の前でクロスさせるとよりベター
(変身ヒーローポーズではありません)

いちおうこのポーズにも意味があります
このポーズは飛ばす氣に方向性を与えるというか
氣を前に飛ばしやすくする姿勢なんですね

気功や仙道、太極拳をやっている人とか
日常的に座禅を組んで丹田鍛えることしている人なら
たぶん楽勝でマスター出来ると思います
この説明だけでも大丈夫かと


そして金縛りにしても急に空気が変わって
目には見えない侵入者が入ってきたなー
というときには悪態をついて追い出すのもアリです
使える手といいますか
侵入してきた霊がよっぽどの輩でない限りは
使える手ですかね

「てめー なんだこのやろう
 人ん家に勝手に入ってくんじゃねー
 出ていけよ ヲラヲラ
 あっちいけよ!!
 なに観てんだよ バカヤロー!」

そんな感じで

ようするに恐怖で身をすくめるのではなく
怒るときによく身体から出る
人を威圧するオーラを出して威嚇して追い出す
そうすると憑依される可能性は少なくなります
(それが出来ない人が取り憑かれやすいんだけど)


ちなみに霊が取り憑くときって
頭と首の付け根の後ろ…第一頸椎のとこですね
ボンの首のとこから侵入します
急にここが痛みだしたら
グリグリと入ろうとされている場合もあります
しょっちゅうこの部分が痛くなるという人は要注意


2019/07/11

エレメンタルと幽霊の見分け方

たまたま今日いらした方のレッスンの項目が
「エレメンタルについて」だったのですが
これもあれもそれもたくさん
色んなエレメンタルが存在しているんですよ

という話の中で
エレメンタルの見分け方というか
エレメンタルと幽霊の違いみたいなものに
触れたのでこちらにも書いておきます

とはいうものの
それ以前にエレメンタルにしても
幽霊にしても視えないことには
見分け方もないもんだと思ったり…しますが

まあいいや

視える人には今使える知識
視えない人にはいつか視えるようになったときに
使える予備知識ということでハイ



まず幽霊 
死に立てホヤホヤというか
古くてもせいぜい死後100年以内くらいですかねー
(それより古いものは残留思念としてのエレメンタル)

肉体/マテリアルボディと
感情体/サイキカル体と
思考体/ノエティカル体の
三つの身体のうち

肉体/マテリアルボディが無い存在となって
感情体/サイキカル体と
思考体/ノエティカル体の
二つの身体しかない状態の人のことです

感情体/サイキカル体のことを別称で幽体
思考体/ノエティカル体のことを別称で霊体
というので幽霊という言い方になる

幽霊の状態だと肉体だけが亡くなったわけですから
至って普通の人と変わりません
普通にスタスタその辺歩いています
ちゃんと脚を使って移動しますし
生前と同じように生活しています
立ちションしてたり温泉に浸かっていたり
電車に乗ってたり家の前を掃除していたり
(自分が死んだことに気づいてない人の場合)

何も死んだあとまで会社に行こうとしたり
家事をしたり仕事する必要はないのでは?と
思ったりしますが…
ワーカホリックの人は死んでからも
通勤電車に揺られて出勤して
仕事に追われていたりします…困ったもんだ
締切がー納期がーなんて魘されていて

そして変態は死んでからも変態であったりして
露出狂とか痴漢とか覗きをしている輩もいます

それはそれとして
生きている人と違うのは
背景が透けて見えますね…というところ
スケルトンなんですね
それと肉体の質感がね
寒天とか少し硬いゼリーとかみたいなんですよ

幽体離脱するときにも
自分の身体が寒天ぽいなって感じですが
たぶんサイキカル体が寒天かゼラチンぽいんでしょう
(美味しそう?)

それと生前の肉体より1割くらい縮んだ感じです
生前の身体のサイズの90%くらい
少し縮小された感じがあります
元々の身体より大きくはならない
ほんの少しだけ圧縮されたスケルトンゼリー
そんな感じ

死んだばかりのとき死に立てホヤホヤのときは
そんな感じで質感(多少の重量感)があるんですけど
時間が断つにつれ段々と希薄になっていきます
どんどん透明感が増して影みたいになっていく

ちなみに病気で亡くなったり
事故で肉体を欠損・損傷していたり
轢死とかでパーツがバラバラになっていても
死の直後のサイキカル体とノエティカル体は
健康で五体満足な状態に戻ります

ですが
「あれ私は足が動かないはずだけど?」
と当人が生前の状態にこだわったり
自殺した人などの場合ですと
すぐにその状態を再現してしまうこともあります
元通りになっているのにも関わらず
自ら、生前の肉体の状態を
再現して創り出してしまうパターンです
そういうことはよくあります



では エレメンタルは…というと
人間ではないものが圧倒的に多いのですが
人の形をしているエレメンタルのことで言えば
過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルと
人の形をしたエレメンタルがあるのですが

人の形をしたエレメンタルで代表的なのが生霊
誰か特定の相手に対して
妄執的で歪んだ感情や攻撃的な意図を放った結果
創られてしまうものですね
これは人の形はしているけど
形がいびつだったりバランスが悪いです
デッサンの狂った絵や
パーツが不揃いの人形みたいなもので

顔だけとか頭だけとか胸像みたいに胸から上だけとか
上半身だけとか口だけとか手だけとか
身体の一部分だけだったりというのもありますし
脚がないというのはよくあることです

ですので足がない幽霊といったら
幽霊にあらずでまずエレメンタルのことですね

顔もやけにデフォルメされてたりしますし…
(目や口が異常に大きいとか鼻がとんがってるとか)
顔や頭部がめちゃくちゃビッグサイズというものも

でも生霊も人の形をしたもの以外のものが
とても多いのでアレです
虫とか昆虫とか爬虫類とか動物とか
道具とか武器とか汚物とか色んなものがありまして
妖怪というか魑魅魍魎とかケサランパサランみたいなの
メルヘンチックなものとかまっ黒クロスケみたいなの
古来から描かれてきたような想像上の生き物みたいなの
そういうのもたくさんいます

でもネガティブなものは基本気持ち悪いですよ
どす黒い影みたいのに覆われているし
周囲の空気が重い感じでおまけに大体クサイ

過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルは
実体としての質感はないんですね
人魂みたいな丸いちっこい光が核となってあって
その核が生前その人間だったときのデータを持ってて
そこから映写機のようにその人間だったときの
姿カタチを360度の映像として映し出して見せている
なので立体ホログラフィみたいな感じ
もちろん手足きちんと揃ってます
これは空間に浮かんでいるというかなんというか
そこにいてそこにあらざるものといいますか
光によって映し出された影のような光
(光の影と言う感じではない。上手く言えませんが
光の影という光みたいな? なんだかー)

いわゆる昇天した人たちもこういう感じですね
またそれはそれでちょっと違うんだけど
そのあたり説明が難しいです
語彙力が無くて申し訳ない

あと大天使たちが創ったエレメンタルは
明らかに人間が創ったものとは違って
完璧で完成度のレベルが段違いなのでこれは
逆に「生」あるものと見分けるのは難しいです
肉体を所有している人は見分けること無理無理無理

そして人が作った善良な良きエレメンタル
希望や祈りによって作られた
他者を助けるものとしてのエレメンタル
神や仏としてのエレメンタルはこれまた素晴らしく
長い時間をかけて作られたこうしたエレメンタルは
かなりの力を持っていたりします
この手のものは人の形はほとんどしていないので
それはそれで見分けがつきますが



そんな感じで
幽霊とエレメンタルの違いは
どんな風に視えるのか
質感とかそんなんで区別することが出来ます

まあこうしたことを知ってても
日常生活ではあまり役に立たないかー





2019/07/10

オーダーメイドメニュー&延長料金について




HP(サイト)にもFBページにも当然メニューを記載して
提供するサービスに価格設定をしてはいますが
それ以外のことにもケースバイケースな対応ではありますが
これまでのお付き合いとか含めて状況やご要望
クライアントさんの事情に応じて
アバウトな感じで依頼を受けていたりします

とはいうもののこの説明では分かりませんよねっっ

例えば
霊的真理を勉強したいが自分の問題の解決もしたいし
相談にも乗ってもらいたい
だが遠方なので月に一回通うのが精一杯
という方には

メニュー的にはエソテリックティーチングを
一日で2枠として料金を頂いているんですけど
11時からランチ挟んで夕方17時までフルで
すると2.5h×2枠なので20000円のところ
5000円割引して15000円
その時々に応じてお話聞いたりヒーリングしたり
純粋に勉強(講義)だけみっちりの時もあるし
エクササイズや瞑想指導とか雑談世間話含めて
そのあたりはその方の状況に応じて臨機応変に
あ、でも「今日は個人セッションをお願いしたい」
というときには、前半2.5h~3hをセッションにあてて
残りの時間はお勉強タイムになるわけですけど
料金はセッション15000+レッスン10000になって
そこから5000割引にして20000円とさせて頂いてます
(ランチタイム入れて6時間ですから
価格的には一番お得なのかなー これって)

あとは

「自分のホロスコープについて解説してほしい」
というご要望を頂いたときには
ショートセッションの枠でで承ったり
(ただ、私は今はアストロロジィからは離れているので
チャートを解読してもらうのだったら
私よりもっと信頼できる現役の方たちがたくさんいますので
そちらをお薦めするところですが
たまたまブランクある私でもいいと仰って頂けたので)

「瞑想に興味を持っているけどやり方わからず
一人だと上手く出来ないので瞑想指導を受けたい」
みたいな要望を先日頂いたりしたんですけど

じゃあヒーリングレッスン枠の
90分10000円でやりましょうか…になったり


そんな風にリピーターの方に関しては
その人の現状や課題や必要なこと等
ある程度の情報がわかっていることもあって
臨機応変に対応しています

ウィッチクラフト(魔女術)の相談とかも
もちろんこうした有料のセッション枠の時間内で
私が提供できる知識とか技術とか
そういうものは提供させて頂いていたりします

メニューはまあ目安なんですよね
これしかやってないというのでもなく
外枠(料金と時間)はどれか該当しそうなカテゴリにあてはめて
実際に提供する内容としては
その人とその時々のニーズに合わせたものを提供している
そんな感じです
どのメニューにしても

瞑想指導はもっと手軽な瞑想会でも開催して
安価に設定してハードルを低くして
参加する機会を持ってもらいたいなとも思うんですけど
現状は予定が流動的なので
定期的なものは決められないなあと…

そんな風にリクエストを頂いても
なかなかお答えできないことも多いのですが
私自身がやりたいと思っていることは
少しずつ形にできたらいいなあと思っています

あとはまあ
メニューのカテゴリに該当しない相談内容とかでも
私が身に着けていて提供できる知識やテクニックや
スキルを求められてのものなら
どこかのメニュー(料金)にあてはめて
対応することは出来ますよ、というお話でした

ああ、でもSkypeだと出来ないこともありますね
出来ることもありますが
電話でのご相談を基本的に受けてないのは
電話嫌いというのもありますが
耳がちょっと遠い?というか難聴気味というか
音声が聞き取りづらいからです
Skypeで相手の姿を見て話すほうがやりやすいのもあるし
こちらだとPCなので受話器もたないので楽というのもあり

そして
なぜリピーターの方だと色々対応しやすいのかというと
某所から降りてくるにしても
私自身が読むことの出来る情報にしても
初めてお会いしたときに
詳細な全部が来るっていうわけではないのです
セッション受けて頂いてヒーリング受けてもらって
波動整えて余計なものが取れてくる過程で
それまで埋もれてたものが
ようやっと見えてくるものもありますし
その人の意識や視点が変わったことで
伝えられる情報が増えることもありますので

ある程度、何年越しのお付き合いになっている方
幾度もいらして下さっている方だと
それなりのデータがあるので
指導というかサポートの方針をきちんと持てるので
はい それだけのことです

初めていらっしゃる方は
エネルギーフィールドの状態が
汚部屋か汚屋敷状態になっている方もいて
そのゴミを片付けてからでないと
何が埋もれているのかわからんです…
色んなもの(エレメンタル)をくっつけていらっしゃるので
張り付いたその汚れとかくっついているものを
取っ手からでないと何も見えましぇんっっっ涙

てなことが結構あるものですから

そしてもちろん
私はなんでもわかる万能な人ではないというのもあります
申し訳ないんですけど
実のところ情報収集に時間がかかることも多いのです



◆延長料金のこと

基本的にどのメニューも
延長料金というものは頂いていないのですが
さすがに30分とか1時間超えてしまうと
ちょっと過ぎたという範囲ではないので
一番高い料金を頂くようにはしています
(スピリチュアルセッションのリピ価格)

初回の方は
スピリチュアルセッションが一番高い料金で
基本2時間半~3時間位まで時間を考えてはいますが
3時間超えになる人もいますし
延長しないで話を切って終わらせて頂く人もいたりします

料金同じなのに時間オーバーして対処する人と
時間きっちりに追い出して?しまう人がいるのは
不公平だって思われる人も多いかも知れませんね
それもそれで理由があったりします

時間オーバーしてしまう人は
その時間では対処が終わらない人であって
時間ぴったりで「はい、今回はここまでです」
となってしまう人はその時点で今のところ
それ以上お伝えする情報がありませんよ
というのが第一にあったりします





2019/07/03

高慢と偏見

といっても
ジョーン・オースティンの小説の話ではなく<タイトル
小説の内容ともほぼ関係ないお話です


以前の話
知り合いの呼びかけで
とあることに参加させて頂いたのだけれど
そこには普段わたしが
あまり接することのない人たちの集まりで
私からしてほぼほぼ全員初対面
それはそれで触発的な実りの多い時間だった

共通点や接点は少ないけれど
男女世代年齢関係なく
自分のジャンルではない話が聞ける機会は貴重だし
その意味で異業種交流はとても楽しい
まー別の言い方で言えば
「これが意識高い系の人たちってヤツか」と思ったり

でもその中のある女性が
明らかに私を嫌っている
・・・というか私の肩書
どうも職業がね、お気に召さないらしい

"スピリチュアル"というもの
そうした分野のものをたぶん忌み嫌っているのでせう
嫌いな分野に関しては排他的だから知る機会もないし
すべてを一括りにして考えているご様子

男性ならともかく
女性にしては珍しいかなとも思うけど
インテリジェンスな女性の中には
そういう人も少なくはないのでしょう
(でも見下し態度は教養アリとは言えませんね)

私にしてみれば
せっかく共通の人を介して知り合って
楽しい時間を共有したのだから
そこはそれ社交のひとつとして体裁は整えて欲しいトコ
出来れば友好的な関係を築きたいとは思うのです

何しろお互いのことを良く知ってから
ダメだ合わない嫌い
となってしまうのならともかく
対して話もせず職業だけで決めつけられて
嫌悪感丸出しにされるとは・・・
(別に初めてのことではないけど)

ある分野で頑張っている人なだけに
ものすごく残念だなーと思いました
相手からして第一印象もよくなかったのかもですので
それも致し方なしです


職業で判断されると言えば
私は父の職業が建築業の職人というブルーカラーでしたので
「どこの馬の骨とも言えない家の子」なんて
ご近所のお上品なマダムに言われることもありました

確かに家には父の知り合いの職人さんたち
(同じ建具職の人だけでなく左官とか大工さんとか土建屋)
いろいろ出入りしていましたから
口が悪くて酒好きでガラ悪い…ってのは
はい、良く知ってます

その手の職業の人たちを差別する考え方
この令和の時代にもありますもの
例えば都内で足立区(の人ごめんなさい)のことを
ガラの良くない地域と言うような人も少なくなくて
その理由がまあ、とある事件のせいもあるのですけど
建築業の人たちが多い町だから…みたいな
そういう意味合いでいう人も未だいるのです

そのような言い方をする人には
「私の親も中卒でガラの悪いブルーカラーなんだけど?」
と言ってしまいますが

私自身も高卒ですしね
DQの子はDQと言われれば立派にDQですよ
私の場合は電波系DQかな



さてそんな風に人には偏見というものがあります
それは無意識的なものなのか
それとも生まれ育った環境からの刷り込みなのか
親のしつけや教育によってそうなったのか
実体験からくるトラウマからなのか

まあひとえに無知からくるものだと言えましょう
単純にエゴイズムの奴隷になっているだけです

マウントと同じで
人は他人より自分の方が優位なところにいると
そう思いたいだけなんですね
自分は上級(国民?)で立派な人間で
そのご立派なご自分とやらに対し
その下に位置している
下等で低級な人間を配置したがっているだけです
そういうエゴイズムが多かれ少なかれ人には存在するのです

「アテクシは特別な人間ですのよ ヲホホ
 ワタクシたちは選ばれた人間でアナタ方とは違いますの」
という優越感にでも浸りたいのか
保守的なプライドという鎧で自分を守ろうとして
がんじがらめになってそれで幸せなんだろうか?
とは思うものの
人って自分たちが帰属するものがいつだって正しくて
それ以外のものはいつだって間違っているという
そういう区分けが大好きな生き物なんですよね


基本的には勝手に私の意志で
他人の過去生(カルマのレッスン)を視たりはしませんが
その人にそうされたとき
「ああ…この人は
 何世代もこんなことを繰り返してきたんだ」
そういうのが覗き視えてしまいました

ご立派なご身分にあったとき
下々の人たちに善意と奉仕の精神で
自分は高潔な人間だと信じて疑わず
それを使命と信じて施しをしつつ
そのくせ身分や出生によって人を区別し
卑しい人たちとレッテルをはった人たちを排斥し
自分たちの利権やテリトリーを守ることに一生懸命で

今もこの人はちっとも変わっていないのだな
そうした考えの貧しさを捨てることが出来たのなら
この人はもっともっと成長して今の分野で輝けるのに

そう思いつつ


別に彼女にとって
"スピリチュアル"なサービスは必要でなく
知識も必要なものではないのでしょう
けれどそのようなものから学ばずとも
謙虚さを身に着けていればおのずと
すべての人は同等であり
すべての人から私達は学ぶことが出来る存在で
本当の教養や上品さが何であるのか
それらを学ぶことは出来ます

人を教条しようとすることに熱心な人が
食わず嫌いからくる偏見で
一部を盲信して他人を排他的に扱い
個人的な感情を隠さずに不快感を持った相手に対して
コミュニケーションを拒絶する態度は
なんとも頂けないなあ・・・なんて思った次第

今回の人生では足りないかも知れないけど
ほんの少しでも早く
自分という人間の枠を狭め
人生を制限してしまっている偏見から
その方が卒業できるといいなあ、と思ったり


そうですね
「受け入れない」ということはそういうことなんですよね

意見の違いや個性の違い、価値観の違いはあって当然で
誰かに迎合することなく他人を批判することもなく
ディスカッション出来るのが理想ではあるけれど
コミュニケーションを取らないというのは
自分とは生き方や意見の異なる人を
自分の人生や視野から廃除するというのは
自分自身の生き方をも否定して排除するということで
自分の世界を狭くするだけで
自分の人生に必要な経験や気づきやヒント
そして学びなどすべて成長する機会を奪ってしまう
実にもったいないことだと思います

2019/06/25

心と思考の問題は肉体と健康の状態に表れる

たぶんタイトルのようなことは
西洋医学や民間療法に従事している人たちが
現場で一番実感されていることだと思います
例えば
「この人がこういう病気になったのも頷ける」
みたいなことですね












さてそれはさりとて
私のこのblogで一番読まれている記事は
「病気とカルマと身体のこと」
だったりするんですが
ようするに
健康と病気に対して関心を強くもたれている方が
世には多いということですね

このblogにたどり着かれたのは
たまたま調べてて検索に当たっただけで
やれカルマのレッスンだのその意味だのまでは
たぶんそこまでの情報は求めてないと思われますけど

生きているとどうしても
何かしら病気もケガもするものですし
年を取ると体力も衰えてあちこちガタが来ますし
如何せん「死」は
いかようにも避けられないことですから
誰もが自分の健康について人生のどこかで
一度は悩んだり調べたりはするのでしょう


身体か何らかの症状を発症するのは
大体においてその身体の持ち主に対して
何かを訴えているからです

まるで言葉を発せない赤ん坊が
泣き声を上げることで様々な要求や不快感を
自分の養育者である両親に訴えるように
身体は症状として「訴え」を起こしているんです

この場合の身体とは
物理的な肉体だけではなく
心の身体と思考の身体も含みます


クライアントさんで
年中、空咳に悩まされている人がいました

乾いた咳で、風邪でもないし
気管支炎とか扁桃炎とかインフルでもありません
喘息でもないということで何だろう?でしたが

結局、それは心の声だったのです
言葉に、音として声にできない思い、言葉が
咳としてたくさん出ていたのです

言いたい事をいつも言えずに
言葉を溜めて溜めて 
言えない言葉がたくさん溜まって
その言えなかった言葉 
本当は言いたいけと言えない言葉
それが咳となって出ていたのです

言葉というか、正しくは言葉のエネルギー
これもまたエレメンタルなんですけど
そっちの方面で視ていくと
喉のチャクラのところにたくさん詰まってる状態

最近もやはり似たような方がいました
本音を押し殺したりごまかして
本当に言いたいことではなく
相手の反応を窺ったうえで
周囲や周囲が望んでいる言葉や答えを
話すようになってしまってから
咳が出るようになってしまったのですね

そして
そのような自分の本心を偽ってしまった後に
それに気づけと言わんばかりに咳は酷くなってしまう

ごまかされてしまった本音が行き場を失くして
音に乗せられ言葉として身体の外に出たがるように…


身体が教えてくれているんです

「あなたの本音はどこにあるの?」というばかりに
本当に語るべき言葉
声にして伝えるべき思いが置き去りになっているよ、と


最初の方は、今は咳はほとんど出ません
本当の病気のとき以外は



さて体臭もまたその人に何かを知らせています
日本人は無味無臭?と言われますが
海外の人に言わせれば外国人ほどキツクないだけで
「日本人は豆臭い」ということです

確かに豆腐や醤油、味噌…かなり豆食べてます
(日本人は豆民族でフロスキー)

そんな風に食文化で体臭は変わるわけですが

体臭が柔らかい人たちが多い民族だから
体臭の強い人が目立ってしまうのでしょう

病気で特定の体臭が出てしまっている人もいます
糖尿病とかガンとか
内臓の疾患も率直な言い方をすると
内臓が炎症を起こして膿んでいて
悪化したものは腐敗しているわけですから
まあ臭いですよね

そういうのは本当に「病気の臭い」なわけですが
そして「死」にも臭いがあります
動物はそのような臭いにとても敏感です


あと加齢臭 これは最近の私もそうです
自分が臭くてたまりません
(足も臭いけど。自分の臭さに悶絶します)

人口肛門を付けている人には
周囲が理解をしないといけないです
これは本当に

それと女性の生〇中はホルモンバランス崩れるのと
あれやこれやで臭いの問題が出ちゃいますね


ワキガは体質で日本人には少ないから
ものすごく目立ってしまいますね
気にして消臭を頑張っている人もいるけど
気づかないケースもあって
スメハラもあるので昨今では注意しづらい案件
デリケートな問題です
手術することで改善される人もいますが

とはいうものの
正直、私も臭いには敏感なほうですから
体臭のきつい人にはごめんなさいって感じもあります


でも口臭を含めて体臭は
健康状態のバロメーターなところもあるから
若いころと違って体臭がきつくなったとか
最近身体から体臭がするとか変わったとか
そういうのは
何かの異常を示していることもありますので
加齢臭と片付けるばかりではなく
色々と生活習慣や食生活を見直す必要があるかも



でまあ 
ここまでは単なるヘルスケアの話

ある人で独特の体臭を放っている人がいました
ワキガではありませんし
本人にはまったく自分の臭いがわかりません
でも周囲からしたらちょっとダメな臭い

様々な人に指摘されるので
あれこれと努力をするわけです
お風呂に何回も入ったりとか
デオドラントにとても気を使ってみたりとか

現実的な視点で見ると
食生活の偏りに問題があるのでは?
なんですけれど

別の角度(霊的な)から見ると
ひとえにカルマのレッスンなんですね

その方は周囲から言葉で指摘されても
自分の問題を自覚しない(見ようとしない)から

体臭という目には見えない問題を抱えることによって
自分が自覚出来ない(しようとしていない)
性格的かつ行動面において
周囲に迷惑をかけているという現実を
遠回しに示唆されていたわけです

本人にとって問題と思ってはいない(臭くない)点でも
他人にとっては大いに問題がある(とても臭い)点があると
それを体臭という問題を抱える(他者から指摘される)
ことで
謙虚になって周囲に不快感を与えている
自分の臭いの原因の対策を考えながら
同時に周囲に不快感を与えている
自分の性格的な問題に気づく必要があった

そんな感じなんですね

過去生からたくさん何度も提示されてきた問題であり
レッスンで。なかなか改善されないので
こういう形になった…っていうのがあります
別の形での問題提起の方法もあったんでしょうが
どうして「体臭」になったのかというと
それはその方の過去生の生き方に由来するものでして
ですが、ここでは詳しく述べません



そんな風に
ちょっとした身体の異常や健康の問題も
当人にとっては意味があることで
生きる姿勢とかに対する
メッセージを含んでいることがあるのです

ですので
身体の声には耳を傾けないともったいないです

身体と対話することってとても大事です

夢の世界からの警告

夢と言っても
結局はサイキカル界での出来事になりますが

またまたあまりにも放置して
さほど重要視していないというか
無頓着で不注意であることの警告を受け取ることに














本題の前に
過去記事にも書いたことがありますが
私は今は「視えない人」です

この場合の視えないというのは
普通に肉眼を開けているそのままの状態で
他の三次元の物質と一緒に
それらを視ることは出来ないという意味です

但し、子供の頃から23歳の時までは視える人でした

生きている人と同じようにそこにいるように
目の前にあるかのようにそれらを視ることも出来ました
毎日いつでもどこでも視ていたわけではありませんが
視えない誰かと話すことはしていましたし
色んな映像をしょっちゅうキャッチしていました

でもそのような状態ですと日常に支障もありましたし
何しろ怖がりでしたので苦痛でした
慣れることではないです
誰にも理解してもらえませんし
周囲からは頭のおかしなヘンな人としか思われないし
それがどういうことなのか
自分の身に何が起きているのかもわからないし
どうにも八方塞がりでした

だから「視えなく」なったときにはホッとして
これで普通の人になれる、普通の生活が送れる
もう気持ち悪いものも恐ろしいものも視なくて済むと
心から安堵したものでした

その後、占いの仕事はともかくとして
今の仕事をする流れになったとき
当時の自分のそうした特性があれば便利だった
なんて思ってしまったもので
まあ都合の良い考え方ですね


この仕事をするようになってから
目を開けた状態でそれらも同時に視ることも
まったくないわけではなかったけれど
そういうのはとても稀で
基本的には頭の中に直接映像が視えてる
そんな状態で視ています
でもそれは仕事中だけです
ふだんは何かを視たりとかないです

仕事が仕事というか
こういう電波系の仕事をしていますけれど
プライベートな日常では
何でもかんでも「視えない存在」とか「霊的な原因」
に結び付けて考えることを徹底的に避けていたりします

極めて現実的な考え方、対処法を取るようにしていて
具合が悪ければ医学的な見解を優先し
薬剤や健康法などで対処するなど
極めて現実的に考えるようにしています

これが仕事でお客さんに対してだと違うんですけども
それでもやっぱり最初は当たり前の原因
現実的な原因から物事を見て精査しようとしますね
消去法でどうしてもそれかなって時だけ
霊的な原因に行き着く
これはもう最後の最後の手段みたいな

とくに自分のことはそうです

さて 私は4年前に右目を手術しました
網膜剥離と白内障の同時手術です
過去に交通事故に2度あっていたり
免疫不全で炎症体質なこともあって
そのような症状を患ってしまうのも
仕方ないといえばそうです

PCを使用するようになってから
視力が極端に落ちて眼鏡が必要になったので
それも原因のひとつとして大きかったと思いますし

でも、それだけではなくて
失明するかも知れないという事態に追い込まれたのは
何よりも私が
「目に見える形あるものばかりに囚われて
 目に見えない世界から目を背けている」
ことに対しての警告でもあったんですね

「肉眼で見えるものばかりにこだわるなら
 ならばその視力が無くなったならどうする?」
とばかりに

右目がそのような状況になってしまうということで
派遣の仕事は不可能な状況になってしまいました
「さあ、どうする?」みたいに追い込まれました

何となく言われていることに
気づいてはいたけど気づかないようにしていました

その前には顔が炎症を起こして爛れるという
仕事が出来なくなる状態がありました

これはみんなカルマのレッスンとしての警告

今はまあ失明こそしませんでしたけど
右目は不自由なままです
左目の白内障はそのままですし
視野欠損とか狭窄というのかな
とてもヘンな見え方をしているけど
これに慣れたというところで
未だ日常生活で困ることもたくさんあるけど
外出も出来ますし、こうしてPCも打ててますから
(ブラインドタッチできるからヨカッタ)

おかしなものです
視えないものが視えることから逃げてて
視えない世界から目を背けていたなら
視える世界を視る目を奪われそうになった…なんて

でも視えないものが
また急に視えるようになったわけでもないです
心の眼も仕事以外では使用していません

すると夢が知らせてくれるのです

こんな想念(エレメンタル)が送られてきているよと
あなたの周囲にこのような人がいるよ(危険!)
とばかりに

ああそうかー とそこで知ることになる

相変わらず視てないままなんだな、自分はと
今朝、夢が知らせてくれたことの事実の前に
ちょっと脱力しています

夢を見ている間は
結構具体的な情報が入ってくるんですよ
起きている時に入る情報よりも
納得できる証拠を提示させられるから
あくまで私の場合ですが


でもね
始終そういった感覚のまま
アンテナを立てたままでいると
挙動不審といいますか
頭のいかれた不思議BBAになってしまう
いやもともとというか既にそうか

難しいですね
良識的な人間でいるのと
そのような感覚を常にある活動させている
オンとオフの切り替えというのは

入れっぱなしもダメですし切りっぱなしもダメで
セコムだけ入れておくってそういうことなんでしょうけど

色々と反省中です


まあではまた「視れる」ようになる
トレーニングでもすれば便利なのかも知れないのですが
弊害も多いかなーいや恐れがあるのかもしれませんね

2019/06/21

過去が今を創り 今が未来を創る

話を分割して書くと
何をどこまで書いたのか忘れてしまいますね(苦笑)
間に仕事をしていたり雑事をこなしているので
頭の中が散漫になってます
一気に書かないとどうもダメみたいです

なのでちょっと分散してたり行きつ戻りつだったり
あっちこっち話が飛んで広がって
重複してたり抜けている説明があるかも知れません
読む人には読みにくくて申し訳ないです















さて
カルマの法則としてのレッスンにしても
引き寄せの法則というエレメンタルが具現化することも
これは法則があるけれども
絶対というのはなかったりします

カルマのレッスンは必要でなくなることもあるし
(準備というか用意されていても
その前に本人が気づきを得て成長すれば不要になる)
逆に一度クリア出来た事でも
その人にとってもっとも弱いところで
長年クリアできずに悩まされていたことなんかは
本当に身に着けることが出来たのか危うくもあるので
魂の判断で「本当に大丈夫かどうか」
類似の状況をお試し的に仕組んでくるからです
(刺客のように差し向けてくるというか
予告なしの抜き打ちテストというか
Gメンや立ち入り検査や調査が入るような)

後はカルマのレッスンというのは
与えられたり与えたりの関係なので
自分にはもう関係ないことであっても
相手のために、誰かのために(特に愛ある関係)
自分にはもう必要でなくなった
シュチエーションを経験することになったり
相手役としての役割を担うこともあるわけです

そして個人の予定に添って常に事が起こるわけでなく
(魂が計画した人生予定表ブループリント)
宇宙というか地球全体、人類全体の都合での予定調和
他の人の予定などが割り込んできて入れ替えや変更その他
後回しになるものがあったり早まったりするものもあったり


引き寄せの法則としてのエレメンタルの具現化ですが
良い想念思念から生まれたものにしても
悪い想念思念から生まれたものにしても
必ずしもその人が望んだときに具現(現実)化して
結実するというわけではなく
その望みの性質やジャンルによって
エレメンタルが育つ時間が異なっていて
それぞれに必要なエネルギーとか時間があるので
いつ叶うのかどんな時に現実界に表れるのか…
これはもう予測不可です

このあたりは先の記事にも書きましたけども


さて
別の角度から話してみます
色々なスピリチュアルな問題のパターンを
説明する例題として…

ある人が長年叶えたい夢を持っていましたが
ですがなかなか叶いません

現実的に考えることももちろん大切だし
それが最初の一歩ではあるのですが

何故、その人の望みが叶わないのかという理由

ケース1)
その人がその夢を叶えるためには
その人の人間的な成長が不可欠であって
「夢」に照準を合わせたことによって
人間的に成長するための経験が真っ先にやってきた
まずはそれをクリアしなければならない
だが、今生で成長できるかどうかは未定

ケース2)
その人がその人生でその夢を叶えることは
その人にとって本当に必要な経験から遠かってしまう
よって今回の人生では優先順位として後回しになる
たぶん今生での執着はいつか先の人生で芽吹くだろう

ケース3)
過去に様々な欲望や執着、願望を抱き
結果たくさんのエレメンタルを作ってきており
それはとても強い力を持っていて
今生でもそちらが先に具現化しているので
まだまだ力の弱い作りたてほやほやの
エレメンタルでは太刀打ちできず 
過去生のエレメンタルに振り回されている

ケース4)
過去生でネガティブなエレメンタルをたくさん作り
他者からもたくさんのエレメンタルを送られた
(恨みとか憎しみとか)
過去の問題を相変わらず抱えたままで
性格は変わっていず問題点が改められていない
当然霊的成長もしていない
波動の低いエレメンタルが具現化しており
悪いことは現実化しても良いことは現実化しない状態
このような潜在意識が汚屋敷化というか
ジャングル化している場合
良きエレメンタルが具現化する隙間はない

ケース5)
当人というより他者意識が邪魔している場合
例えばたまに言われる先祖の因縁的なもの
家系、家族、住環境、他者など外部的な原因によって
邪魔されている場合
※但し、こういうのは本当にまれ


ケースバイケースなので一概には言えませんが
あくまでこういうパターンが考えれるという例です
そういうのを分類してまとめてみました



今生でどうしても叶えたい望みがあるのに
なかなか叶えられないという人は
叶わないことの理由の中に
霊的成長が追い付いていないとか
今生でやらなくてはいけないことをやってないからとか
予定していたことと違う道に進もうとしているからだとか
その前に自分の性格とか他者との関係を振り返るべきとか
これまでに創ってきたエレメンタルを一回整理整頓して
不要なものをミイラ化して潜在意識の掃除をするべき
だったりします

叶わないことの理由の中に
その人が進むべき道だとか
人生へのヒントが隠れていることも多いのです



そうそう
またカルマのレッスンの話に戻りまして

ある人の話です
その人は徐々に難聴が酷くなって
聴覚こそ失わないで済んでいるものの
補聴器が必要な状態になりました

どうして難聴になってしまったのかというと
それこそ数千年前位のとても古い古ーい時代に
ある文明の国において
敵国のスパイ?だか捕虜を
拷問・惨殺する役割をしていたのです

その拷問方法というのが
耳に熱した鉄?か
鉛のようなものを流しいれるというもの

もちろん上(権力者)からの命令によるもので
その人自身が考案した方法でもないし
その人の判断でしていたことではありません
戦争ってそういうものです

でもこの時のその人は疑問に思っていなかったんです
人間が人間に対して行う残虐的な行為に対して
これといって何も思わず
自分がしていることが非人道的だとか
相手が気の毒とか良心が痛むとかは当時はなかった

なのでその後も色々と「戦争」の非道行為と愚かさ
人が人であることを失わせる行為について
考えさせられるような人生を繰り返し生きました
ある時は裁判の記録係として
ある時は城に棲む守備兵として
奴隷船の船員になったり
南北戦争や第一大戦では歩兵隊として

なぜ数千年も経ってからなのか
当時、自分が他者に対して
「耳」をつぶす行為をしていたからといって
それがどうしてそれほどの時間が経った今なのか

当人も誰もが疑問に思うでしょう

別に今の人生だけではないのです
それまでに…ここまで来るまでに
色々なことを当人に考えさせるように
本人が心を目覚めさせ、気づきを得られるように
運命は何度も仕組まれ、機会を与えてきました

でも
様々な経験をしてきたにも関わらず
その人は何も学んでこなかったのです
体験したことから感情を成熟させ
思考を育てることをしてこなかったのです
そして何よりも行動をしてこなかったのです
自分以外の誰かを深く愛おしいと思ったり
他者に対して思いやりを示してこなかったから

相変わらず他人の話を聞かず
自分の都合の悪いことには「耳」を塞ぐので
他人の、何かのせいにしてばかりで甘えて
でもでもだってであれはいやだこれはいやだ
被害者意識で凝り固まったままなので

その意味もあって
「耳」が聞こえなくなっているのです
完全に聞こえなくなっていないのは最後の恩寵です

この状況に至ってまで気づかなければ
次の人生に持ち越しでしょう

別に過去を思い出す必要はないのです
今の人生だけ省みれば
それだけで問題点を見つけることが出来ますし
自分が変わらなければいけないところも
何がいけなかったのかも理解できるはずです


前回の記事で書いた人たちも
何百年もまったく何もなかったわけではなく
その間の人生でも兆候というか
それを気づかせるような出来事や
チャンスはそれなりにあったはずです
少しずつ、あるいは別の形で
別の角度から問題を示唆されていたと思います



そうですね
多くの人に足りないのは感謝と謙虚さですかね

自分の人生に対して恨みや文句ばかりで
「こんなはずではなかった」みたいに
望んでいない人生を生きているようにみんな言うけど
皆、自らが望んで生まれてきて
自分が望んだ結果や自分がしてきたことの結果に
出逢っているだけなのに

文句を言うべきは
神とか仏とか運命とか他人とではなくて
過去と今の自分自身に対してなんですね

「こんなはずではない」人生にしたのは
誰でもない自分自身なんだから
自分の人生には責任を持たないといけません

自分が自分であることに対して責任を持つというか
自分が撒いてきた種
毒草も雑草もイバラも何もかも
それは自分自身で刈り取っていくしかないのです
さすれば道は開かれん

人生とは自分が歩いてきた道であり
これから歩く道は自分で切り開いていくしかないのです


とりあえずこのテーマはいったんここで区切ります
また補足を書くかも知れませんが

2019/06/19

カルマのレッスンとサイクル

続きです

さて一番最初の話に戻ります
「人生は連続した時間である」というところ
そして人の一度の人生を一生の一年に例えるとしたら
一年という短い期間の中で
出来ることはさほど多くないという話

もちろん一年の内にスタートさせて
何かしらの結果を出したり完結させられることもあるけれど
(例えば今日これをしたいと思ったことをしたり
明日や目先の予定を消化するなど短期的な計画ならば)
それなりの時間や年月、準備期間などを要することも
人生には多々あるわけで
お金を貯めて何かすることや
とくに習得や鍛錬が必要な技能的なことならなおさら

だから
今の人生において才能を開花させている人は
たまたま才能に恵まれていたわけではなく
それまでに至る道程としてあまたの人生を生きてきた
その結果を享受しているだけなのです

また運に恵まれていると思われる人でも
まったく同様の理論で
自分の未来を邪魔するようなものを過去に創らず
他者に助けてもらえるような種を
過去の人生で蒔いてきたからなのですね

結果は良いものもあるし悪いものもある
すべて自分の行いの結果ではありますが
(引き寄せの法則とも言いますね)

結果っていつ出るのか、蒔いた種がいつ芽吹くのか
努力がいつ成就して開花するのか
これは本当に予測不可で分からないです

何故なら私たちは
自分たち一人だけで生きているわけでなく
運命共同体としての人類の一員
全体の一部の存在として生きているから
世の中や他の人の都合もあるといった感じでしょうか

個々の都合ではなく社会だったり
大きな流れ、全体としての運命のうねりの中では
時に個人の都合や予定は後回しになりがちですので

そして魂は何よりも
実体が霊的成長の道へと促され
カルマのレッスンを学び、乗り越えて
永遠不滅の身体を完成させることを何よりも望むので
そちら側へと誘導します

そうした兼ね合いもあってのことなので



そうですね
「連続した時間としての人生」に
「印刷機」の発明に執着した結果
400年後に印刷に携わる職業へと導かれた発明家(科学者)
の話を書きましたが

当方に過去いらしたクライアントさんの事例でも
今の旦那さんは600年ほど前の人生で片思いした人で
600年の時を超えて初恋成就って人もいました

600年…めちゃ長い

ですが
もちろんその間ずっと思ってたとか忘れられなかったとか
そんなんではないですね
なんてったって実体は記憶として覚えていないから

その間お互いに何度も生まれ変わって
別々の人生を生きて他の人と恋愛や結婚もしてるし
たまたま今回同じ職場で出会えて付き合うことが出来て
結婚に至ることが出来た
でも過去にご縁はあった人ではあるものの
(それが惹かれ合い親しみを覚えたきっかけと言えばそう)
現代の人生において趣味や共通点が少なく
考え方もライフスタイルもまったく異なっているので
ストレス溜められて苦労されてます

過去生でのご縁があった人=相性の良い人(波動の合う人)
というわけではありませんので
「縁」はあくまで「縁」にしか過ぎないのです
関係性を築いて信頼関係を創るのはその後ですし


ではネガティブなことの結果はどうか…というと

12世紀初頭に…約900年前ですね
(年月は大雑把な目安としてカウントしてます)
気まぐれな身分の高い女性として周囲を翻弄していた人が
今の人生でかつての自分とも言えるような人物に
振り回され気苦労が絶えない状況に陥っていたり…
なんてことがあったりします

これはかつての自分と対面(対峙)させられることで
当時自分が周囲に与えていた痛みを知って
客観的に自分に痛みを与えている
その人を見られるようになりなさい
他者との関係性を学ぶ時に
自らのその人に対する態度を省みなさい
という示唆があるんですけれど

何故900年後の今なのか? 遅すぎるのでは?
カルマのレッスンとして戻ってくるにも
時間かかりすぎ…と思いますよね

ケースファイルにも書かせて頂いた事例でも
1000年前に他者にかけてしまった呪いが
「人を呪わば穴三寸」となって
今さらに戻ってきたという人もいました

そうかと思えば
私の友人の友人のケースでは
今の人生で愛のない考え、発言をしたために
速攻ですぐそれが戻ってきたという人もいました
(結婚して引っ越しした新築マンションの一階テナントに
義手義足を作る工場が入居したことに不快感を覚えたなら
産まれた子が小児麻痺だったのです)

そんな風にこの人生で創ったカルマが
数年や数か月、あるいは数日で
この人生でスピーディに具現化することもあるのです


これはそうですね
色々な都合、理由があります
ケースバイケースなので
一口にこうだとは言い切れませんが
前述した個人の都合だけで
すべて(宇宙)のプログラムが組まれているわけではない
というのもありますし
色々な事が絡み合っての「今」だとも言えます

後は個々がカルマのレッスンを提示されたとき
そこから学べる人ばかりではないということです

カルマのレッスンはテストみたいなものなので
状況や出来事として提示されたときに
誰もが一発で合格点を取れるわけではないということです
下手したら何十回、何百回とテストを受けては
不合格ラインで未だクリアできず…な場合もあるでしょう

一発で皆、合格出来ていたならば
何百回も生まれ変わる必要はなく
すべての人が輪廻転生をとっくの昔に終了してるはず

カルマのレッスンは何度も何度も手を変え品を変え
あらゆる方向性からくるわけですが
その都度、不合格でクリアするどころか斜め前の対応で
新たな課題を生み出してしまう「こじらせ組」もいますし

とりあえず人によって違いがあるのは
個々の霊性の差であるとしかいいようがありません

「解脱~輪廻転生の終わりと霊的成長」にも書きましたが
その人が霊的進化の過程において
どれほどの霊的成長を遂げているか否か
ようするに第4の身体がどこまで成長しているのか
…によるところが大きいということです

霊性の状態によって
結果が反映されるスピードが異なるという話なのです
(エレメンタルが現実社会たる三次元に具現化されること
流行りの言い方だと引き寄せの法則が実現することですね
カルマのレッスンがブーメラン的に戻ってくるスピードも
望んだことが実現されるまでのスピードもどちらも全部)

でもそればかりでなく
カルマのレッスンでは何度目の再テスト(追試)なのか
というのが一番大きいです
「仏の顔も3度まで」を過ぎると
段々と厳しくなって、どんどん荒療治になっていきます

そう3回というのが目安ですね
今の人生でも同じ学びのシュチエーション
似たようなパターンの問題と対峙させられることが
最低でも3回はあるんです
3回目で乗り越えらなかったら来世に持ち越し
ですから理由や原因がわかっている今のうちに
「覚えて」いる間にいかに取り組むか、ですね

なので目の前の問題から逃げてはダメです

類似のパターンが2度起こったら
それはカルマのレッスンで
3度目のチャレンジを逃したら後がないと思ってください


そしてここで終わると思ったらあともう一回位…ですかね




2019/06/18

解脱~輪廻転生の終わりと霊的成長

さて続きです
書けるうちに書いておかないと
いつ電池切れして書かなくなるか解らないので

そして同一テーマでの内容なら
タイトルを統一して番号を振るか
上中下にすればよかったかもですね

今日書いた続きなのに
何をどこまで書いたのかもう忘れちゃいました
加齢のせいにしていいですか?
















ええっと

私たちの本体である魂は永遠不滅の存在です

「じゃあ永遠に私たちは輪廻転生しないといけないの?」
「悟り開いて解脱して
 輪廻転生の輪から脱出ってどういう意味?」

って疑問を持つ人もいると思います

先の記事に書いた内容で
私たち人類には共通の目的があると書きました
といいますか
創造的意識(絶対存在)の「神聖なる計画」
というものがすべてのベースにあるのです
これはまぁ宇宙の法則ですね
計画書で方程式で規則みたいなもの

私たちが本体の現身として3つの次元に自己を投影し
所有している3つの身体…これが実体ですね
これは一時的な身体で仮の宿みたいなものですが
「個別」の存在として
自己を表現していくためには必要不可欠なものです

(だって私たちは根っこの部分では繋がっているというか
本来は同じひとつのものだから
一個の生命体の一部でそれ全体としては一つ
けれども一つひとつのセルは個別に分かれていて
そのセルはセルごとに末端を持っている
根っこから見ると一つだけど
末端はいくつにも分かれててその数は無数で
末端から見ると、一つひとつが単体なんですね
この説明で分かりますかね?)

末端である実体をして
私たちは「個」としての自己を所有し表現できる
他者と自己の区別・差別化が可能になるのです

実体としての身体は80~100年程度しか持ちません

輪廻転生というのは
この腐敗し死滅する身体としての実体を
何度も個別のパーソナリティとして生き
使い捨てるかのように通過していくこと

これには「終わり」が設定されているのです

輪廻転生の終わりとは
腐敗し死滅する身体ではなく
永遠不滅の身体を完成させることが出来たとき

(いわゆる霊的成長を遂げ
悟りを開くとか解脱とかそういう意味合いの時期ですが)

たくさんの人生を生きて様々な経験をして
唯一無二の自分を表現するというミッションを遂行しながら
私たちはその永遠不滅の身体を育てることをしています
3つの次元で3つの身体を使って


永遠不滅の身体である第4の身体は
2つの身体を成長させつつ
現実世界であり物理的次元であるこの三次元にて
自己の創造性を表現していかないことには成長しません

これは
4次元の身体であるサイキカル体(心)と
5次元の身体であるノエティカル(思考)体で
それぞれ49段階あります
(7つの段階がさらに7つに分かれてる)
これがすなわちそのまま霊的成長の段階ということなります

サイキカル体とノエティカル体が
二人三脚みたいに共に手を携え足並み揃えて
一つの段階を成長し、上っていけるのなら良いのですが
残念ながらそうではなく
2つの身体が成長していくスピードはバラバラです

心の身体であるサイキカル体だけ成長していく人もいるし
思考の身体であるノエティカル体だけ発達していく人もいる

そんなわけで
人の霊的成長の段階というのは49段階ではありますが
2つの身体の成長の状態が異なっているので
2つの身体それぞれがどこの段階にいるかという
組み合わせになりますから
49×49-49=2352でしたっけ?
数学は大の苦手だし計算式調べてもわからん…でしたので
あくまで仮の数字として

まあ、なんていうかこの世には2352通りの
霊的成長の段階にいるパターンに分かれるということで
それだけバラエティ豊かな人材がいるということです

でもこの2つの身体だけ鍛えて成長させても
その成長の度合いに合わせて
肉体を使って物質的次元で「表現」「行動」していかないと
第4の身体・サイコノエティカル体は成長しませんが

とりあえず私たちは
永遠不滅の身体を得るために
幾多数もの身体に一時的に宿っては
幾多数のもの人格を生き
色んな人生を展開しているわけですね

ひとつの人生で2つの身体が一段階成長できれば
49回の人生を生きてゴール到達!となるわけですが
残念ながらそうはいかないのです

落第も飛び級もないけど留年はあるのがこの地球学校
100回位の人生で「輪廻転生終了」となる人もいるけど
この地球上には「600回生きてまーす」なんて人もざら

そして地球単位で全員がゴールに到達しないと
全員がその後に進めないのでございますが
(連帯責任なんで)

困ったことに楽観的な状況とは言えないのです


ちなみに霊的成長の段階を語る時に
「ヤコブの階段」という図式があるんですけど

5.超意識
4.意識的
3.目覚め
2.無意識
1.本能

これで言うと
地球の60%以上の人がまだ1と2なんですね
4以上の人はほとんどいず
5なんてウルトラマイノリティ

そして「私がー」「私がー」な価値観なんですよ
標準的な基準が「I, My, Me」「I me mine」
まだこの地球って星は
大国はジャイアニズムですし
政治にしても国単位として
自国の利益だけで動いているとこばっかなわけ

「You&I」とか「We are」的な
分かち合い、シェアする価値観はマジ少数派


ここまで書いてああ最初書こうと思ってたところから
風呂敷が広がりすぎているというか
話がどんどん別方向に流れている気がっっ

そしていったんここで切って
また続きにしてしまいます

「人間/霊・魂」本体と実体のハナシ

昨日の続きです

昨日の用語として書いた「人間/霊・魂」という表現
これは私たちの本体と解釈してくれていいです
本来の私たちであり、ホームたる母体のようなとこ
それに対して実社会を生きている
肉体を持った存在としての私たちは実体
本体の投影(シャドウ)であり現身のようなもの

このような説明は
エドガー・ケイシー的な物言いになりますが

宇宙に一人(個別)の人間が誕生して
「人間/霊・魂」となり
まずそれが本体として存在することになり
三次元と四次元と五次元の三つの世界に
実体としての現身を持ち人生をスタートさせた時
それが一人の人間としての歴史の始まりです

本体には私たちのすべてがあります
これまで生きてきたすべての記録
実体として生きたことのあるすべてのパーソナリティ
記憶であり性格を形作るものとしてのエレメンタル
これまでに創造してきたエレメンタルのすべてが…

さしずめ本体が実家だとすると
実体というのはそこから独り立ちして
アパートに一部の荷物だけ持って
一人暮らししているみたいな状態
スターシップ(母船)とそこに帰属する子船とも

でも独立してそこから生まれた存在というのも違う
親と子の関係というのにも置き換えるのも違うし
何より実体の方は本体という実家があることを知らない
そこから分離していて属しているということを忘れている
もちろん繋がっていて影響も受けていますが

ようするに天涯孤独だと当人は思っているわけです
当人の知らないところで援助を受けていたり
影響や微細なコンタクトを受け取っていますけど
とはいうもののネグレクトではないけど
放任主義であることは間違いないですかね(苦笑)
常に共にあって見守ってはいるけど
あくまで当人の好きにさせて自主性にまかせている
…みたいな

「人間/霊・魂」というとアレだから
とだけ短い言葉で言ってもいいかも知れません
その方が判りやすいですかね?

魂(本体)と実体は=ではなく 魂(本体)≠実体 
魂(本体)実体

そして魂(本体)という存在が私たちが神たる所以
ここがワンネスとしてすべてと繋がっているところ


少し話が逸れますが

私たちは全員、ある目的のために生きています
それは宇宙の意志であり創造的意識(絶対存在)の意志
私たちは宇宙の一部であり創造的意識の一部
私たちすべての存在が宇宙を構成している存在で
創造的意識たる絶対存在の個別化された細胞(セル)のようなもの

だから
全人類共通の目的と言えばそうだし
同時に個人の個別的な目的とも言えるし
連帯責任のようなものを担っているとも言うことが出来る
一人の運命は全員の運命であり
一人の意志は全員の意志でもある

マクロコスモとかミクロコスモとかワンネスとか
その概念、言い方でいいと思いますが

私はあなたであり、あなたは私
けれど同時に
私はあなたではなくあなたは私ではない

何故なら私たちは同じものの一部であっても
その一部は同じ場所に存在しているわけではないから
(人体で言うと、同じ肉体に属してはいても
脳と爪は別もので役割も違うという話)

ややこしい話です
こうした観念を理解しろというのが土台無理な話で
理論的に考えようとするとこんがらがるから
イメージや感覚で理解した方が捉えやすいかも
とはいうものの
理解できないことを無理に理解する必要はないと思うし
理解できない、意味を咀嚼出来ないということは
まだ知るべき時期に来ていないその段階ではない
…ということでもありますので
そんな謎理論や哲学や教義…考えもあるんだくらいに
ifもしもの仮説話として捉えてもらえればと


で、話戻りまして
魂(本体)というのは、この肉体の中には存在していません
ハイアーセルフ(高次元の意識)とか
インナーセルフとか本当の自分とも言われる意識とか
そういう言葉で捉えられている意識が魂(本体)ですかね

そして魂(本体)そのものが
個人のアカシックレコードとも言えるし
ブループリント(人生計画)を創り出す
カルマのレッスンの仕掛け人


でも普段の私たちは
実体としての意識、エゴ(自我)を持って生きている
肉体(実体)だけが自分だと思っていて
魂(本体)が自分であることを忘れているわけです
そして魂(本体)との繋がりも持とうとはしていない

でもまぁそれでいいんですけどね

魂(本体)は永遠不滅のものだけど
肉体(実体)は不滅でも不死でもなく
80~100年位の時間しか生きることが出来ない

私たちは永遠不滅の存在であると同時に
何度も死という変遷を経て輪廻転生を繰り返す
人生をリセットさせては新しい人生を生きる
たくさんの様々な人生を経験する

そして昨日書いた記事でいうところの
一昨年が前々世で去年が前世で
今が今年、そして来年が来世として考えたとき
毎年私たちは去年の記憶を失くして
新しい年を何も覚えてない状態で始める

そう
困ったことに覚えていないのです

でも覚えていないというのは慈悲の行為
生きていると忘れてしまいたいこともたくさん出てくるし
一からリセットされて事前情報がないままの状態で
始めたり、やり直したりした方がいい関係も
これまたたくさんあるから

でも去年までしてきたこと積み重ねてきたことは
着実に符合として人生のあちらこちらに出ている
行くべき方向を示し、そちらへと誘導する
「何か」の力とか「記憶の糸」って必ずありますから
過去生の、去年の記憶はないけど
心が惹かれたり好奇心が刺激されたり
感情が揺さぶられたり拒絶反応が出たり
才能や実技として自分が持っているものに気づいたり
間違った方向に行こうとすると道が閉ざされたり

「過去」に自分が創ってきたものや歩いてきた道のり
撒いた種が成長していたりなどの結果と出逢ったり
覚えてはいなくても…記憶はなくても
私たちは自分たちが「過去」にしてきた行動や
考えたり思ったりしたことと対峙することになる

そしてここでまた続く