2020/12/31

新年より引っ越しします⇒blog

やはり気分を変えて来年から
日々の想い事や雑事などを書き留める場所を変えることにしました



アメブロの方は更新するのを止めて
削除するかはしばらく考えて(放置になるかも)

こちらのblogは
過去blogとして別のアーカイブ化できるところに移設して
ちょっと、と思う内容を削除したり訂正するかも知れないし
面倒だからと、このままこちらに残すかも知れません
やっぱりと思ってサクッと削除するかも知れないしww

そこはちょっとまだ気分次第というか未定です

いずれにしても新しいところではなるべく前向きに
これまでの霊的知識に限ったことではなく
プライベートな雑事とか休日のレジャー報告も合わせて
今まで通りテキトーにつらつらとのんべんだらりと
日々の想い事を書き連ねていくことにします

てなわけで2020年の、そしてこちらでの書き込みはこれで最後

こちらでお世話になった方にはありがとうございました



永田町の議員会館にて
※とはいうものの撮影者は私だけど
写っているのは私の友人(部屋の持ち主ではなく)
縁起がいいので座らせてもらっただけです






2020/12/28

第二の居間~夢の再発見

赤羽に住んでいた時
賃貸ですが三階建ての戸建てだったので
家に居るだけそれだけでくつろげて(猫もいましたし)
休日に外出するということはあまりありませんでした

駒込の時はアパートではありましたが
庭もありましたし(やはり猫もいたし)
目の前が空き地だったので眺めも良く

巣鴨に転居したときは駅近くで
白山通りから一歩入ったところであったので
地の利もあってわりと何処にでも出かけやすく
あちこちウォーキングに出かけていました

過去に住んできた家の中で今のところは狭いし
地下鉄とバスしかないので至便がいいとは言えず
日当たりも風通しも一番悪いところですので
引き篭もりハウスのようなところだと思ったりします

面白いのは巣鴨の時を除いて
いずれもカソリックの教会の近くだということですね
赤羽は星美学園のほぼ真下でしたし
(マイケル・ジャクソンが来日時にお忍びで立ち寄った場所として有名)
駒込では教会の鐘が毎朝の目覚まし代わり
今は少し歩きますが聖カテドラルがあったりします



















こちらに越してきたのは9年前で
越してきた当時は
あちこち遠出をする気になるほどの気力はなかったのですが
かといって家にいても気分転換が図れず
近隣を散歩するうちに
早稲田に素敵なbookカフェを見つけたのです

Cat's Cradleというそのお店は
旅行をコンセプトにした本が並び
内装がこれまた素敵で落ち着いた空間で
ゆっくりと一人の時間を楽しめる場所でした
何しろカフェごはんもスイーツもものすごく美味しくて
居心地がよくてくつろげて
気分転換とリラックスにはもってこいの場所でした

早大の学生さんたちが多かったとも思うけど
少人数でおしゃべりを楽しまれてたり
一人静かに読書を楽しまれている方も多かったです

お陰様で一人物思いにふけりアイデアを練ったり
考えをまとめたり心を癒す時間を頂けました
たくさんのインスピレーションが湧く時間を
もらえる最適な場所であり空間でした


神楽坂では常連というほどには足を運べなかったけど
ジョルジュ・サンドという作家の吉村葉子さんが経営されている
やはり居心地の良いティールームがありました

1F2Fと分かれていたので
忙しくされている吉村さんとはたまにしか話せなかったけれど
いつも笑顔を絶やさない朗らかで明るい博識な吉村さんには
その上品で人当たりの良い素敵な佇まいや気持ちの良い接客だけで
元気も分けてもらったし 人としてかくあるべきという手本を
その姿勢から示してもらっていたような気がします
(葉子さんだけど陽光さんだったような気がするww)


残念なことに2つのお店は諸事情により
閉店してしまったのですけれど
先にジョルジュ・サンド 3年前にCat's Cradle

そんなこんなで
憩いのオアシスを無くしてしまったことは
私には大きな損失で本当に残念なことでした

以来なかなか 第二の居間ともいうべき
癒しの時間と創造的なインスピレーションが
降りてくる場所というのには
なかなか巡り会えていません 見つけられてないというのかな

太陽を補充できる陽だまりのような場所というのでしょうか

そういえばそういう訪れるだけでホッと出来て癒され
生命の泉のような氣を補充できるイヤシロチというのを
大都会の中にあるオアシスとして作るというのが
私の夢だったなあ 忘れかけていたなあと思いだしたりなんかして


ここ数年はそれどころではありませんでしたからね

私自身にとっての癒しの場所
英気を養い リラックス出来る場所を無くしてしまってから
どん詰まりでしたもの




















さて 私は実はここ数年ずっとスランプでした

いやさ23の時からずっとスランプだったと言えばそうですww

23の時から視える目を無くして未来予知などできなくなって
(交通事故にあった後ですね)
タロットカードとか占いの知識や道具に頼らないことには
解らないことだらけになりましたし
子供の頃に出来たことがほとんど何も出来なくなりました
(霊を追い払うこととか彼らと話すこととかetc)

気功を習得したり 15年前にレイキ・ヒーリングも習得して
ヒーリングなど出来るようにはなり
過去生情報とかエレメンタルを知覚・認識することに関しては
リーディングも出来るようになったし
一部の感覚も蘇ってはいたけれど

10年前にあれやこれやダメージを受ける出来事があって
こちら(今の場所)に越してきてからは絶不調だったのです

スランプな中で何とかこなしていた

出来なくはないけど 何分の一かのことしか出来ない
ものすごく歯がゆくてジレンマだらけでした

そんな不本意な状態でそれでもなんとか続けてきたというか
続けられてきたけども(ほとんど無理やりかなあ)
正直どんどんパワーは下り坂だったわけです

そんな状態での 本調子ではない
イマイチどころか ほとんど使えない 
制限された力しか持たない 役立たずの自分のままで
そんな状態の中で 万全ではない
中途半端なことしか出来ない自分のまま
対応させて頂いたお客様には本当に申し訳ない限りで

色々と反省するところばかりなのです


だから途中ほかの道も模索しましたよ


状態としてずっとよろしくない状態が続いていて
すると現実もそこに比例するので悪循環の堂々巡りです

どうにか断ち切らないといけない
けれど人っていうのは
どうにも最悪な状況にならないことには動かないものですねw

行動を起こしてみて気づくことって多いものです

霧が晴れたようにスッキリとはいかないけれど
長い冬眠から目覚めつつあるというのでしょうか

ようやく元に戻りつつある 軌道修正が始まったという感じです
元の自分 元々の自分の力 
本来の私の波動を取り戻しつつあるかな・・・と

どれだけ波動が落ちていたんだろう

その波動が低い 
落ちていた状態で引き寄せたものを見ても思います

引き篭もっていた時間はまったくの無駄ではないけれど
充電期間とも決して言えないわけで

他人は自分の写し鏡というけれど
落ちていた状態で引き寄せたものはまさにそれで
この人の問題はまさに私の問題そのものだったなと
他人の姿をして教訓として教えてもらった今日この頃

私も恐怖に心を閉ざして 救いの手を拒絶し
閉鎖的になって 色んなものを拒否していたなあと

これでは流れが途絶えるのは当たり前です

いやはや まさに現実とは内面の投影なのですから


てなわけで少しずつ浮上中ですね
復旧作業中というのかしら


元の位置 元の場所に戻るには・・・
元の自分に戻るためには 
偽りの自分でいた時に拾い集めたものを 
捨てたり断ち切ったりする必要も出てきます
本来の状態や自分でいなかったときに作った偽りの関係も
まがいものも全部手放す勇気が求められるのですね

ああ、まさにこれが私の11ハウスで起きた
土星と木星のコンジャクションの突き上げだなあと思います

本当の自分 本来の波動に戻ると
居場所もまた変わっていきます 行くべきところも開けてきます
出会うべき人も これまでの縁も 

寄り道していた道から本道に戻るからには
立ち寄る場所も景色も変わっていきます

それは致し方のないことです






25年前くらいのことです
まだ赤羽に住んでいたころのこと

知人でBJさんというアメリカと日本とを往復し
双方で活躍しているスタジオ・ミュージシャンの人がいました

年齢的にはお兄さんで 実際そんな感じの人でした
(色恋沙汰な関係ではないです 
素敵な人ではあったけど 当時の私は恋愛する気ゼロでしたのでw)

当時の私はまだまだおナマちゃんで
そんな私に思うところがあったのでしょう
六本木のカラオケバー(外国人向けのね)に行ってはっちゃけて
さんざん洋楽三昧で外人たちと盛り上がり歌いまくった後
(日常会話はできないけど歌は万国共通)

ビバヒルなカフェでお茶しながら
BJさんは優しく遠回しにお説教?というか
忠告をしてくださったんですけど
当時の私はまだまだひよっこでわかっちゃいないというか
ありがたいお言葉に対して反論というか拒絶反応
「私は私だから」みたいなそんな態度だったかなー

心配して言ってくれたことだって
今だからその意味がよく解るんですがね

最近その当時の私みたいな人だなあ
その時の私みたいな反応をする人だなあって
なんかクスリと笑ってしまうようなことがありまして、ハイ

人間って自分のことに関しては
誰しもが耳の痛いこと言われたくないし
他人に主導権を取られたくないというのかな
言葉では、表面上では謝れても
心で受け入れられないことってたくさんあるなって
(言葉と裏腹で怒りの念はちゃんと飛んでくるから)

人は本当に弱いなあ
自分を守ろうとして殻を固くして
知識の鎧で自らを固めて
他人を締め出そうとするのだなあって
それはプライド故でもあるかも知れないし
見栄なのか恥を隠そうとする行為なのか
それとも単なる拒絶反応からの嫌悪感なのか

他人に弱みを見せたくないってことで
自らの優位性を保とうとして
助けようとする手を跳ねのけて

まぁ そうやって自分を守ろうとするものなのかな

人間というのはつくづく悲しいものでもあるし
たくましいものでもあるなあと



でもまあ 助けられるものなら
自分にできることならしてあげたいとも思ったけど
それを望まない相手ならば
合わない場所に固執する必要もないなあということで

とにかく次のステージへと手早く移行するのみです


そしてかつての憩いの場所を懐かしく思うのならば
一日も早く 私自らが長年温めていた
ずっと望んでいたことを実現する方向へシフトしないとね

いつまでも落ちていられないです


追伸
blogに関してはこちらは過去のものとしていったん切り
新しい一からのblogを別に解説とも思いましたが
それじゃあ心機一転で新しく書き始めるならどこがいいのよって話で
(探してないですけどっっ)
そっちは何も行動していない状況ですっっ
ここのblogが使い勝手いいよってとこあったら教えて下さいな

2020/12/26

チャクラ・ヒーリング体験談 O・Mさん

【7つのチャクラ・フルセット
 +4つのチャクラセットを終えての感想】

お客様から
振り返り的な感想(体験談)を頂きましたので
こちらでご紹介させて頂きますね

















私が初めてアルマさんを訪ねたのは、
2019年2月の終わり頃だったかと思います。

当時の私は、いくつかの過去生を思い出したり、
それらに関する映像を視たりするようになっていて、
感じる痛み・苦しみが妙にリアルで 
確信めいた感覚はあるものの、
一方で「勝手に作り上げた妄想だろうか?」
という 自分自身への疑いも拭えずにいました。

他に心当たりもないのに 気分が沈んで仕方なかったり、
時・場所かまわず湧き上がってくる涙にも困っていました。

何より 、半年以上続く
「誰かに首を絞められているような感覚」や胸苦しさ、
寝ても覚めても目の裏に映る 
不快で苦しみに満ちた映像に心身が消耗し、
「自分に何が起きているのか?を知りたい。
 対処の仕方を学びたい。」と思ったことがきっかけでした。

7つのチャクラ・フルセットを受けようと決意したのは、
スピリチュアルセッションを2回ほど経た後のこと。

セッションを通じて、
「過去生での出来事・思いは、
 自覚のあるなしに関わらず今生の人生に影響している」
ことを強く感じたからでした。

セッションのたび、
流れる涙とともに体の深部から癒される感覚があり、
アルマさんが導いてくださることで得られる
「そうだったのか…」という気づきや、
えも言われぬ納得感と爽快感がありました。
当時困っていた症状?は、
だいぶ解消された…と思いました。

が、ほんの少しの間をおいて、
また同じような症状が出現。
咳が出たり、腹〜胸の内側に
何かがパンパンに詰まっているような
苦しさを感じるようになりました。

アルマさんに相談すると、
「いくつもの過去生のパーソナリティが
作ってきたたくさんのエレメンタルが、
出口を求めて一気に噴き出そうとしている状態」
とのことでした。

正直に言うと、密かにそうかも…という自覚がありました。

自分にはいつか向き合わなければいけないと
感じてきたことがある…それがコレなのでは?
今こそ逃げずに対峙するべきなのでは?と、
もう1人の自分に問われているような気がして、
どうにか費用をかき集め、
思い切って7回コースを申し込みました。

ヒーリングは、まず第一チャクラから始め、
その後は 都度、当日の感覚で決めながら進みました。

一回に一つずつ、それぞれのチャクラにアプローチするたび、
そのチャクラのテーマに沿った内容のものが出てきました。

理不尽な出来事や死への怒り、
自分を裏切り 殺し、苦しめた人への恨み、悲しみ、
自分が犯した罪や、
苦しめてしまった人に対しての罪悪感や後悔、
自分を否定し 罰する感情…などです。

毎回、アルマさんが的確な指摘や解説・分析をしてくださり、
必要な気づきへと導いてくださいました。
よくないエレメンタルを浄化して、
時には彷徨い続けてしまっているパーソナリティに
行くべき場所へと上がってもらうこともあり、
自分自身でできるヒーリングというかイメージ法?
を教えてもらって、自宅でも毎日続けてみたりしました。

(私には解放すべきタイミングにきていたものが沢山あったので、
 一つ出るとまた次が…という感じで後から後から押し出され、
 結局1回のフルセットでは対処しきれず、
 追加で4つのチャクラセットも申し込みました。)


多くの過去生を視てきて…

起きていることは 起きていることのままで
良くも悪くもないこと(ジャッジしないこと)、
すべてのことは 起こる理由があって
起きているのだということ、を理解しました。

被害者となり苦しんだ人生もあれば、
加害者となり他人を苦しめた人生もありました。
因果応報・カルマの解消としてだけでなく、
「知ること・経験すること」を目的として得た辛い経験も。

それらを通して分かったのは、
私はどの人生でも視野が狭く、
諦めや思い込み、我慢ばかりで、
自分の思いを相手に届くように伝えたり、
自分を活かし役立てること、
人生を切り拓いていくという努力を
してこなかったということでした。

同じような人から同じような辛い目に遭う人生を
何度も繰り返していました。
周囲の人たちに心を開いて積極的に関わり、
感情を育てるということをしてこなかったため、
〝これだけ酷い経験をすれば何かを感じる?〟
とばかりに 辛い辛い経験をしたのでした。

けれど、あまりに辛い現実に、
心を守るための自己防衛本能が働いて 
心と感覚をフリーズさせてしまうとか、
記憶を消してしまうということもおきていて、
(そういうことがあるとアルマさんに教えてもらいました)
なんとも情けない思いをしました。

この件に関しては、
アルマさんに解明していただけなかったら 
自分では決して知ること・気づくことが
できなかったことであり、本当に感謝しています。

それでも私はなかなか変われなくて…
いまだ全然成長できていず… 
今生の私も やはり視野が狭く内にこもりがちで、
自分の人生をこう生きていきたいとか、
未来を描くことが苦手です。
「〜でなければならない」という思い込みが強く 
自分の感情を大事にしてこなかったため、
本当は何が好きで 何をしたいと思っているのかも、
よく分からなくなってしまっています…

けれど私が今生でぶち当たっている問題の多くは、
確実にこれまでの過去生での考え方のクセや
偏った思い、生き方・行いが影響して起きているのです…


一連のヒーリングを終えて今あらためて思うことは、
他人と過去は変えられない。
(変えようとする必要もない)
変えられるのは自分と未来だけ。
(変えようとしなければ変わらない)
ということです。

幾度もの過去生で出会ってきた方々の中に、
無機質に生きる私に温かな愛を注いでくれた人がいました。
私を愛しているがゆえ、
あえて口うるさく関わってくれた人がいました。

本当はどの人生にも、
いろんな形で愛を見せてくれる人がいたはずなのに、
当時の私は目が曇り、心を閉ざしていたため 
それに気づくことができませんでした。
今、時を越えてそれらに気づけたことに感謝を。
私も 彼らのように誰かに愛を注げる人になりたいと思いました。

何世にも渡って身に染み付いた生き方や
心のクセを直すのは容易ではないけれど、
気づいたからには、今生は課題から目を逸らさずに、
克服する努力をしよう… もっと自分を知り、心を開こう。
周囲の人や起きていることに興味を持ち、
ちゃんと感じよう。知ろうとしよう。
そう思うようになりました。

とはいえ慣れないせいか なかなかうまくいかないけれど、
まずはこれまでとは違う選択をしてみるとか、
心が動いたらひとまずやってみる、
そんなことからでも行動を変えてみることで、
進む先が変わってくるのではないかと思いました。
小さくてもいいから、
できることから少しずつ…を意識して実践してみています。

そしていつか、
自らを活かし役立てられる自分に。
周囲の人を大切にし、
「私はこう生きたい!」と目的をもって
人生を楽しめる自分になりたいと思います。

私には課題克服のために
まだまだ気づくべきことや学ぶべきことがたくさんあり、
アルマさんにはこれからも
折に触れお世話になることと思いますが、
今回 このような振り返りの機会をいただき、
心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。



2020/12/23

アクエリアン・エイジ(宝瓶宮時代)の憂鬱と戯言

TwitterとFacebookでは告知したのですけど
(いまMacを使用している関係でサイトの更新ができない)
年末年始の営業日ですが
26-29まで山に篭って修行な予定だったのですが
ここに来てのコロナ拡大で中止と連絡入りまして

てなわけで営業日の変更
12/24、25(昼間のみ)、26、28、30が予約受付可能です
※27は仮予約入りましたので保留
来年は1/2より通常営業しています

問い合わせ等はお気軽にどうぞ 

そして昨日5時間お山を歩き回ったので全身筋肉痛ですっっ


















今年に入って 年齢的にも吹っ切れたのでw
ロックTシャツ集めに走っています
いやさ元々ユニクロとかジーンズとか適当な服の人ですけど

上記は自分へのご褒美?クリスマス・ギフトに購入した
ブラック・サバスのTシャツ えへへへ♪
あとまだ欲しいミュージシャンのあるけど
少しずつ少しずつがまた楽しみである❤️
(次はどれにするかなーって くふふふふふ)

まぁ普段着(家着)として着ていますね
冬だとセーターの下に着ちゃう
仕事の時 お客さんの前でこれ着てたら引かれてまうか
(アイアン・メイデンのエディくんなんか特にヤバイか)




















さて そんなこたぁ、どーでもいいんだよ〜
ってなわけで本題です

なんかここのところ 
またしても「風の時代」だとかなんとかで巷が賑わっています
(TGC…トリプル・グレート・コンジャクションもか
最初この略称見た時 卵かけご飯TCGと間違えた)

いやさちゃんとしたアストロジストの人が言ってることなら解るの
占星術をきちんと理解している人が言ってるならば

でも大体が、ほとんどの人が
聞きかじりの又聞きの聞きかじりで言ってるんですよね
自分の知識や理解して消化している言葉ではなくて

やっぱりここでも



















こんな感じになっている私

なんか「1999年ノストラダムスの大予言」思い出しちゃうよ
あれも占星学用語の解釈の間違いだったけれども


ええっと ちなみにタイトルで書いた
アクアリアン・エイジ正確にはエイジ・オブ・アクエリアス
(日本語では宝瓶宮時代)というのは今騒がれている
「風の時代」っていうのとはまったく別物です
関連性がないわけではないけど違う意味合いのこと

これは春分点の歳差運動に起因する
約2150年ごとの時代の変化(大きなうねり)のことを言ってるのです
移行の時期についてははっきりしないというか諸説あるんですけど
少し前から春分点が双魚宮から宝瓶宮に移動していると
そのことを言っています

で、今回 天文学上でも占星学上でも木星が土星と接近して
コンジャクション(合)という状態になりました
これは20年に一度起こる現象です
占星学上で使用する天球図というので今回の木星と土星が
このコンジャクションになった位置というのが宝瓶宮0度


木星も土星も
共にモラル(常識)を意味している天体というのが共通項目

ただ木星は道徳的なモラル こうありたいという理想の指針
土星はルール的なモラル 禁止制限的な罰則を含んだモラルで
かくあるべきこうあるべきという押し付け的な枠組み

これらが合すなわち会合するということは
この20年、それぞれ木星と土星が吸収してきたこと
行ってきた結果を分かち合うってことが起きるんですよ
(会合というのをわかりやすくいうと
話し合いや議論、和解やシェア・情報共有が起きるって感じ)

木星と土星が話し合うことで情報交換が起きて
影響を受け合い 経験が混じり合って 妥協して譲り合って
良い意味で変わっていく

てなわけで 20年に一度の木星と土星の会合では
それまで私たちが当たり前と思っていたモラル
社会常識や通念が変わっていきます

これは20年ごとに変わっていくこと 社会の進化(変化)ですね

例えば20年前は
まだハラスメントとかいう言葉は当たり前でなかったでしょう?
存在はしていたけど 企業とか社会の認識は低かった
ブラック企業に対する世間の声とかもそう

さらにその40年前の常識も今とは違うわけです

あ、そうだ
今回はそれに冥王星も絡んでくるんだっけっ
(冥王星はまだ山羊座24度にいるけども)

でもって「風の時代」と言われる由縁

それはこの20年に一度起こる木星と土星の合と言う現象が
この250年間は地のサインで起きていたのに
(その前は火のサイン)風のサインで起きているからってな話

(あと天文学的な話で言うと木星と土星の距離が
ここまで近くのは400年ぶりというオマケもあるか)

んー
時代の流行 人々の趣味嗜好なんてのは海王星が表すし
価値観や意識の変革なんかは天王星だし
すべてを覆すほどの潜在的な力は冥王星なんで
今回冥王星がまだ旧体制の磨羯宮(地のサイン)にいて
木星と土星に対して干渉して(会合に参加して)
(隣のサインから一人だけ違うこと言ってくる感じ
しかも土星や木星より年上で立場もエライ人が)
抑制・牽制しているから
楽観的に「風の時代だー」とは言えないよねww

確かに外惑星のうちでも地球から遠い
木星と土星で起きていることだから
社会は大きく変わっていくけど
人々の意識の変革・価値観の変化はそれ以前の
天王星と海王星のハウス・トレードの時から既に起きているし
人々の意識が変化していった結果として
社会の常識も変わらざるを得ないってことでの今回の合なのよ
なのでその前も見て判断しないと片手落ちもいいとこです

占星学は流れで見ないと、なので
ええ、一部のイベントだけを取り上げても意味ないです
トランス・サタニアンたちとの関係性みないといけませんし

で、ネイタルチャート(個人占星術における出世図)において
木星はその人にとって「一番楽しいこと」を表しているんですけど
対する土星はその人にとって「一番楽しくないこと」なんですね
他にも木星は「拡大発展すること」に対し
土星は「縮小制限すること」になります
そう言う意味で対比している関係性を持つ天体なんですが
(「楽観・喜び」と「不安・恐怖」「養育」と「教育」
「甘やかし」と「しつけ」「膨張」と「収縮」
「恩恵」と「義務」「ゆるみ」と「締め付け」とかとか)

ただ社会占星学だと見方とか意味合いが変わりますがね

まあ なんてかなー
土星は確かに労働の義務とか重荷とか表すから
労働の意義が変わっていくというのはもちろんあると思いますよ

それに対する木星の意味合いは奉仕(サービス)と福祉って感じかな
人々が考えるサービスと福祉の意味合いも変わっていく
例えばお客様は神様ですという意識や考え方はもはや通用せず
コロナ禍で受け取れるサービス与えるサービスが変わったように


あえて250年ぶりのアースサインから
エアーサインで起きたという点に焦点をおいてみると
働くことの目的意識が変わる
人々はもっと労働の喜びを求めるようになる
社会的福祉と奉仕の意味合いも変わっていく

これまでは生きるため食べるため生活のために働く
そのために辛い労働を我慢して自分に強いていた
働くと言うことはそうだった それが当たり前だった

とするならば
食べるためだけでなく生活していく金銭を得るためだけでなく
仕事そのものが楽しみであり喜びであり生きがいであり
自分にとって消耗することでなく生産的な創造活動になるべく
選択肢が広がり 社会もそのような生きかたや働き方を認めて
応援してサポートするようになる

そんな感じかなあ

今までは「仕事って苦労して当たり前 辛くて当たり前」で
お金を稼ぐと言うことはそういうことだという認識で
そう言われちゃってて耐えてる私もあなたもエライだったけども

「趣味がそのまま仕事です。楽しくお金稼いでます。 
 働くことは喜びです。この仕事ができて幸せ」
って、そんなこと言ってると叩かれたり
「甘い」って言われてた人たちが
「ああ、そうだね いいね」って大半の人に言ってもらえて
同意共感され理解されたり賛同され応援されるようになる
「働くことは苦しむことではなく楽しみながら働いて当然」と
社会や世間がそのような風潮に変わり
それが当たり前だよねってなってくる

そんなとこです


あとは物質至上主義・権威主義だったモラルが
精神主義・人道主義に移行していく
そんな感じもあるね

コネや繋がりがすべての縦型社会の仕組みが崩れて 
すべての人が平等に均等にって仕組みにも加速される
組織としての考え方 皆が考える社会性という概念
集団や組織とか何かに帰属して生きる人は生きにくくなり
個人主義とフリーダムで対等な関係性が共通認識になる

宝瓶宮はヒューマニズムのサインなんで

形あるものから形のないものが重視されるようになって 
権威あるものから知識や知恵・見識のある人
そういう人が尊敬・尊重されるようにはなるでしょうね

でもそういうのも
宝瓶宮時代という2150年単位の大きな流れの中での一部のこと
まだまだ始まりの始まりです

今は初期の段階で古い時代の抵抗摩擦の中にいるので
目が覚めたら何もかもが大きく変わっていたというほどに
ガラリと変わっていくことはまだまだないですよ
このコロナの世界的流行もその一部
準備期間にしかすぎないのですから

それと今回の意味合いは個人個人でも違っちゃうよね
こうした時代の波的なものはマンデン占星学だから
ネイタル占星学で個人をみていくならば
それぞれのネイタル・チャートのどのハウスで
今回のグレート・コンジャクションが起きているのか
それによりますから

その人の人生のどの面に圧力がかかっているのか
ネイタルのチャートでのトランジット・チャート
なおかつプログレス・チャートでの今回の位置
そしてソーラー・チャートとか合わせてみないとですが

ちなみに私はネイタルだと11ハウスでのイベントで
ソーラー・チャートだと6ハウスのイベントになる
ネイタルに対するトランジット位置が11ハウスなので
「与えられる愛」としての
受け取ること(受け取り)の問題に対しての圧力
ソーラーチャートの6ハウスだと仕事に対して圧が掛かってて
やることは変えずにやり方を変えろって言われてるよね

そんな感じに一人ひとり違うから
マンデン(社会の変化)の角度も鑑みて考える必要はあるけど
皆が皆同じではないので一緒くたに考えてはいけない

でないと運命の地図自体
動きべき人生のタイミングを読み誤ることになる

だから知らない人が言うのって危険なんですよね
医学を知らない人が知ったかぶりの知識で
ヘルスケアとか栄養学や健康法を語るようなものだから


まったくなー




そうだなあ こうした時代の波って
サーフィンの波に乗ることみたいに語られちゃってるよね

大きなビッグウェーブがきてますけど
乗りますかい? 乗ってみますかい? みたいな
乗らないと損ですよ的に


そうじゃなくて 
もうそういう古い社会常識に縛られた狭い枠組みの中で
自分の人生を考えないでも済むようになるよっていう
そういうシグナルとして取ればいいのかなあ

例えば ひと昔前では
女性が一人で生きていくのが難しくて
24才で独身だとクリスマスケーキと揶揄されて
離婚すると世間の目が厳しくて
結婚したら家庭に入るのが当たり前で
兼業主婦は叩かれて肩身狭くて
一つところに就職したら生涯勤務するもの
転職する人は忍耐力のないダメ人間だ
結婚とは相手の家に入る(嫁ぐ)

みたいな、社会が厳しいこと言ってくる部分
世間が叩いてプレッシャーを与えてくる基準や常識が変わっていく
個人が「生きづらさ」を感じる部分が変わるのでって話ね

宝瓶宮(水瓶座)的な締め付けのあったところがゆるみ
今まで緩んでたところが逆に締め付けられていく


そういうことです


本当にスピリチュアルってマジ ビジネスだよねww

バレンタインだのハロウィンだの 
いつからそういった商戦と同じになったんだろうと思ったりする


この三次元では働かないと生きていけないでおじゃるよ

それは地球に住む人生すべての人が輪廻転生の輪を抜け出すまでは
変わらないスタンダードでございます

なんのために働くのか…

そこは変わっていくべきことだけどね

コロナ禍でお商売も淘汰されているわけですが
だからこそ淘汰される波の中にいる人は考えるべきなんです
コロナ禍のせいにせず どうして淘汰されてしまっているのか
根本的に見直して考え直さないといけない

同業者でも淘汰されず生き残っている人がいるわけですから
自分の仕事との向き合い方 やり方すべて
どうして淘汰される側にいるのか 何が悪かったのか
どこを変えていかねばならないのか などなど

本当に自分にとってやりたい仕事であったのかあるのか等

そんな感じ

てなわけで来年もコロナ禍はまだまだ続きますから


あ、そうだ 
このブログをどうするかも考えて結論出さないといけんかった

2020/12/18

一円を笑うものは一円に泣かされる

タイトル>その昔
欽ちゃんの番組で奥さん役の真野順子さんが
劇中でよく言ってたセリフでもあったりする


20代前半のとき 勤務していた制作会社での同僚に
皆とランチなどを買いに行ったとき
細かいお金がないとかお財布忘れたとか
もしくは誰かが何かを買いに外に出るとき
あれ買ってきてこれ買ってきてと頼むものの
「今度返すから」と言って なんだかんだで
「払わない」(ようするに踏み倒す)子がいた

先輩たちはさすがに被害にあっていないが
同僚や後輩など同年代の女性はみんなやられてて
何しろ一回の金額が僅かなものというか数百円とか
とても小さい金額の単位だったので
催促するほどの金額ではないというか言いづらいものがあり
(それでも積もり積もった金額はそれ相応)
結局、返してもらえずにずるずると予防策を考えるしかなく

そしてこの子は皆で居酒屋など
とりわけスタイルの飲食店に行くと
遠慮なしというか厚かましいというか何と言うか
例えば5人でちょうど5個のものなど
一人一個と思うのが普通の感覚であるわけだが
「わたし、これ好きー❤️」と
何個もバクバクと人の分までとってしまうという始末

みんなあっけに取られた顔しか出来ないわけだが
空気が読めていてわざとなのか読めなくての暴挙なのか

まとめサイトでも愚痴られているようなケースだと、ハイ

それでも良いところがまったくないわけではないし
仕事の同僚ということで上手くやろうと
皆も私もしていたのだが

ある日に免許を取って車も購入したので
ドライブに行こうと急に誘ってきたのでした

あまり気乗りはしなかったのだけども
当時の私は頼まれると断れないところがあり
しぶしぶ一緒に出かけることに

その時なんで断らなかったんだろうと
自分の優柔不断さを一生後悔することになるのですけどね

はい 事故起こしてくれました

ブレーキが利かなくなったと勘違いしてくれて
あせって判断力なくして車を止めようと
自らガードレールにぶつけてくれたんですよ

助手席の私は訳がわからないまま
フロントガラスに頭を突っ込んで額を切り
骨折こそしなかったものの全身大打撲です 
鞭打ちになり後遺症に何年苦しんだことでしょうか

そして彼女は私が気絶したのや意識朦朧なのを良いことに
警察に届けず事故を隠蔽しようとをしてあれこれ画策
何の保証もせずに逃げてくれやがりましたのよ
(車は保険に入っていず登録してなかった)

彼女の父親が
飛島建設の東京本社に勤務しているってことで
電話しましたよ 名前を頼りに
だけど子も子なら親も親でした 
責任とるどころか逆ギレして恫喝されました

私も怪我と後遺症で判断力なく戦えませんでした
警察に被害届出すとか色々と方法はあったでしょうに
当時は知恵がなかった 助けてくれる人もいなかった

この事故で失ったものはあまりにも多かったです
手を痛めてしまって絵も描けなくなった
人生が変わりました


そんなんでこの時のことを一生の教訓として

お金の貸し借りにだらしない人は
何もかもにだらしない信用のおけない人だ

そう悟るに至りました

ですから
お金の貸し借り及びモノの貸し借りにだらしない人
人から何かを借りることに対して
きちんと礼節や常識を守らない人は絶対に信用しません

その辺りでその人の性根って透けて見えるから
誠意が少しでも感じられないと

あっ、ダメだ 
この人関わっちゃいけない人だと思います

約束を守らない 時間を守らない 
挨拶とか御礼とか言うべきことを言わない人も同じですね

どれか一つというより それらはすべて繋がっていますし
どれか一つに落ち度がある人はやはりすべてに落ち度がある




















先月のことですが
ある人に小銭をお貸しすることになりました

まあさほど大きな金額ではありません
とても小さな単位のお金です

月末に私の家の近所の某所に行くから
その時に返しますと仰って下さって
ああ、まあいつでもいいです で帰途に

でも そうですね 
その後で少しやりとりしたのですけど
こちらが呼びかけたことに返信ないんですよね
(既読スルーという状態) 
私はガラケーuserなのでLINEできませんから
メッセンジャーなんですけども

そして先方がこちらに来る予定があるから
返すと言っていた時期を過ぎました

何もなしです
行けなくなってしまったとかもなし


まぁね 私だったら
それが10円でも100円でも とるに足らないモノでも
お返しします、と自ら伝えた期日に
返しに行くことが出来なくなった時点で
自分から連絡入れますわ

そりゃ 数万円とかの大きな金額ではないです
たかがと思うような金額なのでしょう

私も別に次にお会いしたときに珈琲か紅茶で
奢ってくれたらそれでいいですよって思ってた
つまりはそのくらいの金額

でもね 金額の問題じゃないんですよね
こういうのって

逆に1万円とかだったら もっと大きな金額だったら
ちゃんとされたのかも知れない
少額だから ついでの時でいいと思われて
そこまできちんとすべきこととは捉えられなかったのかもです

でもね
直接の知り合いでなく 
その人の同級生を介しての知り合いで
私とその同級生との関係性とかを考えたならば
小さなことでもちゃんとしないといけないんでは?と思ったりします
(私はその同級生さんのお店のお客さんなので)

だってその方が
その人のことを大切に思っているのであれば
自分のことでその人と私の関係にひずみとか
悪い影響を与えたくないと思うのが普通ですもの



たかだか何百円 されど何百円 

返す返さないの問題ではないのです

そこにどのような気持ちと態度を示すかという問題

他人からお金ないしモノを借りるということ
それがどういうことなのか
そして借りた時 どうふるまうべきなのかですよね

大きな感謝も大切だけど小さな感謝も大切です


でもそのような方に限って
プロの開運指導みたいなのであちこち行ってらっしゃる

それをしているのならなおさら
小さなお金とか小さな礼儀は大切ですよって
その方の後ろの方も滅茶苦茶怒っていたりします

さてどうしたものか




信用も小さなことの積み重ねです

小さなこと(小金)を大切にしていない人は
大きなこと(大金)も大切にできるはずありません

一円(一縁)を大切にできる人だけが大金(大縁)に好かれるのです

お金のことって 本当にその人自身が出ます
お金が絡むと人は本性があらわになります
生き方とかいろんなものまで見ることができちゃいます

ものすごーく小さいことで 細かいことなんですけど
一事が万事ではあります


そしてちょっと気づいて欲しいのもあって
こういう細かいお金を返して来ない人には
「私には返さなくていいので
 そのお金は何処かに募金してください」
といちおう言うようにはしています

それで募金するかしないかはその人次第ですが

2020/12/08

Blogの今後












まだ考え中ではあるのですが

先日ふと、このblogを削除したくなってしまいました

時々 一部の記事を読み返すこともあるのですが
ところどころ そこいらかしこに
自分のエゴイズム(傲慢さや毒気など)を感じてしまって

うわっー やだなぁ と思ってしまうのですね

10年以上前に書いたものにしても 最近のものにしても
稚拙な文章の書き方(表現)の中に
何様といった感じのエラそーに生意気で
上から目線なエゴイズム臭がプンプンして
とにかく辟易させられるし 自らの恥を晒しているようで

なんだかなーと 落ち込むことが多いのですよ


今まではそんな気持ちの悪い発展途上な文章でも 

過去の自分のレポートや事例を読み返すことが出来るから
とおっしゃってくださる方もいるし

同業者や類似の仕事をしている人 後進の人たちにとって
現在の仕事でクライアントさんに対処する際の何かヒントになればとか
クライアントさんにとっても自分の問題を分析する手立てになればとか

そんな風に考えて 
あえて恥かしい文章(私のエゴイズム入り)を晒し続ける…のもありか

と思っていたんですが 

重たい話や深刻な話をラフにしようと 
おちゃらけ過ぎた書き方をしていて
これでは神仏とか見えない存在に失礼すぎるのでは?
馬鹿にしているつもりはないけど
結果的に不謹慎な書き方しているかなあなぞと

…ちょっと反省すること然り

そしてフェイクを入れているとは言え
なんだかんだ個人の相談内容ですしね

ものすごく守秘義務に触れることも書いているわけですよ

その辺り改めて突き詰めて考えても見て
公の場でブログとして書いていい内容なのだろうか?

とかも考えてしまっているわけです


そもそもここに書いてあるブログ
誰かの、皆さまの役に立っていますかねぇ??

ブログにしてまで書く意味があるのかなあ…とかとか
必要性があるのだろうかとかとか 
反響(質問とかコメント等)があるわけではないし
読者も決して多いというわけではないし
世の中的に需要のないblogのような気もするですよ

そこも考えてしまいました

ネットから潔く 
このblog自体(全部の文章)を消去してしまうか
クライアントさんの問題に触れるとことか
私のくだらない駄文を削除して
霊的な知識のとこだけアーカイブ化して残して
新しく仕切り直すか

その辺り考え中です


とりあえず どうするのが一番いいのか
年末までには考えて結論を出そうと考えてはいます

(まぁ私自身のくだらない愚痴とか怒りに任せた文章とか
波動の低い状態で書いたネガティブ臭のする内容も多いですからね)

てなわけで
いきなりここ消しちゃうかもしれないので予告です
またここを消すとしたらアメブロも一緒に消すことになると思う

どうするのが一番いいのか 思案中ではありますが