2020/10/30

本末転倒〜船頭多くして山に登る

誰よりも私自身が自分のこと棚上げにしている人間ですから
他人のことを偉そうに批判するなんぞ
お前出来るのかよって言われたらそれまでなんですけれども

そんなんで私自身は
まったくもってお手本になんてなれない人間ですが
観察眼だけは鋭いもので他人の問題点にはよく目が利きます
だからこその他人の粗探しが生かされている職の道でもあり

・・・と予め言い訳をしておくっっ


















昔の職場(派遣)繋がりでの知人なのですが
それなりに良いところ魅力的な面を持っている人だし
人としても女性としても見習いたいところもあって
近からず遠からずで
切れない程度のご縁を細々と繋いでいる人がいます

その方ですが
昔から「お金持ちになりたい」とずっと仰っていて
起業したりあれやこれや頑張ってはいるようですが

なんていうのかな〜

なんか行動がずれてるなって
感想を持たずにはいられないんですよ
行動とか言動とか長年見ているとね

別に相談されたり
アドバイスを求められるような関係でもないので
故郷に戻るということで会った時の彼女の話を
「へーふーはーほー」「そうなんだー」
とそんな感じで
一般的な会話をしてやり過ごしていたんですね

だってお客さんじゃないし単なる知人という枠であって
親友というのでもないし
意見とか感想とかを求められてもいませんでしたので

(ていうかー それ以前に私の意見や感想なんて
彼女は求めてないし意味や価値を見出してないのですよ
自分で決めたことがすべてで自分に優しく甘い言葉や
美味しい情報以外には
他者の意見を聞く耳を持とうとはしない方なので)

お金持ちになりたい なってやると
仮想通貨に手を出したり集客ビジネスの講座に投資したり
それが悪い方法とは思わないのですが
どうしても短絡的な思いつきにしか思えなかったので
誘われても私は本気にすることが出来ませんでした
(そもそも私には向いてないことだし)

仮想通貨にしても 
よくよく調べてこれは行けるとそう思ったのならば 
きちんと勉強して取り組めばいいことです
流行り物に乗る一過性のギャンブル要素としての
儲け話に考えるのではなく
投資として長い目で見て考えて 
人生設計やビジネスの資産運用プランに組み込めばよいこと

集客ビジネスに関しては
何か本業のビジネスをすでに行っている人が
本業のPRや集客を考えての手段として投資すれば
損はなくて 上手くいけば一石二鳥的な利もあるかもですが

それそのものを商売として利益を生み出すことを考えるのは
アムウェイの利益を吸い上げる親の方ではなく
吸い上げられる立場の子になるようなもので
明らかに搾取される側に自ら回っているよなあって、ハイ


そうやって彼女は自分の知人や周囲の人を
思いついた"儲かりそうなビジネス"
誘いをかけてきたりするようなことをするのだけど
それに乗ってこない人とか あるいはそのビジネスが
行き詰まってしまって上手くいかないとなると
そこであっさり放っちゃうんですよ<放置
冷たく切るっていうのでもなくて ただ音信不通になる
(メールをこちらが送っても返信してこない)


で、新しい何かを思いついて始めようとした時とか
数年して存在を忘れかけた頃 
気が向いたならば連絡してくるかも?な感じ

まぁ彼女が手を出すのが
ネットワークビジネスとかマルチではないのが救い
そういう感じのものだったらとっくに縁切ってるし


そんな感じなので やはり友人にはなれない関係
彼女にとっても私にとっても単なる知人止まりかな
コミュニケーション取れてないし取ろうとしてないし
明らかに人間関係として大切にされてないから
こちらも大切にはできないです

彼女のそうした態度はおそらく
私だけに対してではなくて誰に対してもですね
恋人や身内に対しては違うのでしょうけど

たぶん彼女は自分のことは大好きだけど
他人のことにはビジネスの対象としての範疇でしか
興味がない人なのでしょう

それは彼女の価値観で人生観だから
口出すことではないですけどね



















でもって 彼女とはSNSで繋がっているので
珍しく一年ぶりくらいにぼやきを書かれていたもので
たまたまタイミング合って読ませて頂いたんですね

去年最後に会ったときも
既にスピかぶれなことを言い始めているなとは思っていたけど
(宇宙ガーとか引き寄せガーとかとか)

「よく見ている宇宙系YouTuberの人が
 某スピ系の人のblogを紹介していたので
 その人のblogを読んだなら
 私がお金持ちになりたいと思っているのに
 なかなかお金持ちになれない理由はこれかー
 と納得できる理由が書いてあって・・・」

とあれやこれやもろもろ

うん 確かにその人の言うことは間違ってないと思う
受け入れるという心の持ちようって大切だし
現実ってのは当人の思考と想念が具現化されたもので
当人が想定していること以上の物事は起きないからね
それはその通りなんだけども

でもね

それだけじゃあ ないんだよね

そもそも
人との縁(円)を大切にしていない人に円(縁)は回って来ないのよ

人間関係(縁)もまた愛情(豊かさ)だからね
人材はまさに人財 人は財(宝)だからさ

愛情(友情)という豊かさのエネルギーを
他人に与えて育てないことには豊かさ(資源としての財産)は
富として蓄財はされないのですよ 集まらんよ
お金って人を介して集まってくるエネルギーなんだからさ

人と人の繋がりのないところに
豊かさのエネルギーは集まらないし富は生まれんよ


人との絆とか 縁とかをぞんざいに扱って
取るに足らない相手として 繋がりを軽んじて
都合の良い時だけ利用するだけの消耗品として扱うから

お金持ち(愛情持ち)にはなれず 豊かさ(人脈)も集まらず
彼女のもとにはお金貯まらないんだよね

縁があって出会った人を一人ひとり大事にしていたならば
ご縁を粗末にしていなかったならば
もっと早くとっくの昔に企業家として成功していたと思うよ


なんかね

そういう基本的なことを疎かにしている人ほど
スピとか宇宙理論とか非現実的なことに頼ろうとするよね
原因をそっちに探して そういうところで解決しようとする

他力本願でもあるし 自分の内側の原因を知ろうとせず
自分以外の外の事物のせいに 他人のせいにしていたりする

自分は変わらないでいい そのままの自分でいいって
そういう耳障りの良い甘言に乗りたがるし騙されもしてる

現実を見ずに逃避している人が多いような気がするのですよ


ていうかー お金持ちになりたいのならば 
起業したかったり ビジネスを成功させたいなら
ちゃんとお金の勉強をして 政治や経済も勉強して
過去の歴史も勉強して コミュニケーション能力を高めて

ビジネスを成功させてきた偉人たちの本や自己啓発本
成功哲学なんかも読んだ方がいいって思う
その人たちの生き方や姿勢を見習うとこから始めたら?って


瓢箪から駒を望んだり 
濡れ手で粟やら棚からぼた餅を期待する前に

やることがあるんじゃない??

自分ていう人間の器を磨くこと 
お金や人や縁を集められる器としての自分になること
お金持ちにふさわしい人格になることをまずやるべきじゃん?

ってアタクシは思ったりするですよ

電波な私に言われたらおしまいだぞ・・・とも思うである

うん 
他人に対して不誠実である人は
お金に対しても不誠実だってことだもの

人間関係を丁寧かつ大切に築くことが出来ない人のままで
そんな貧しい心のままで
どうしてお金持ちになることが出来るだろう??

他人から信用や信頼を勝ち取ることが出来ない人のところに
美味しい話やお金が寄っていくはずがないではないか

なんかズレてるよなあって思ったりする

よしんば一時的にお金を手に入れても
それは身に付かずあっという間に消え失せて
お金によって身を滅ぼす人生を生きることになるだろう


てなわけで私は
スピ的な軽い乗せ話を読んだり聞くよりよりは

松下幸之助さんや稲盛和夫さんなんかの本を読むことを勧めるし
もしくは斎藤一人さんの本とか話で十分だよってそう思う
(実業界の人や歴史上の偉人さんの言ってることは素晴らしいぞよ)

そこに必要なことはぜんぶ書いてあるしさ

スピな知識や実践に頼るのは 
理想の自分に近づく努力と合わせてしないことには意味ないんだよな
片手落ち過ぎて

2020/10/29

虹の端にある黄金の壷〜The Pot Of Gold At The End Of The Rainbow

備忘録的 私的な独り言ですので興味のない方はスルーください

して占星学(アストロロジィ)がわかる人にしかわからない内容かも



タイトル「虹の端にある黄金の壷」は
今年のネイタルチャートMCのサビアンシンボル<牡牛4度
昨年は水瓶座2度で「予期していなかった雷雨」だったりして
なんか波乱づくしの一年を予告してくれてましたっっ
(実家の屋根が台風で飛んだこととか? でも台風はその前)

ASCは獅子12度で
「素敵なランタンに灯された芝生の上での大人たちの夕食パーティ」
去年が牡牛20度で「空を横切る翼のような雲の束」だったからなぁ

太陽は去年は6ハウスから4ハウスかー
カルミネートしているのが天王星で太陽とオポジなのが気になるところ

さて 何が起きるのかどんな一年になるのか楽しみです

ていうかー 本当に
虹の端にある黄金の壷からザクザク豊かさが流れて来て欲しいですね

そんな一年にしたいぞー

とはいうものの 

「虹のふもとに到達できたものは、
 黄金の壺を見つけ出すことができる」
という語源にある意味は 決してそういう
物質的な豊かさを暗示している言葉ではないんですよね

夢のような幸運とか思いがけない大金とか財宝とか
それは必ずしも現実的な物質ではなく
自分の内部に眠る才能 自分の中に眠っている能力とか資源
その人自身の資産価値のことを表していたりしますです

なので
去年一年予期していなかった雷雨にさらされて
表面にある余計なものを洗い流して
あらゆるものを手放した後には
後付けのものではなく元々もっていた
自分に内在していた本来の資質を用いて
使命を果たして行けば
それに見合った報酬を得ることもできるし
自らに最適なものが与えられる

そんな感じかなー

んでもって来年が
東京で誕生日を迎えることになるならば
MC「贅をつくした家の書斎で本を読む来客たち」蟹座26度
ASC「雄鳥の声が日の出を告げる」天秤座23度
1ハウスオーバーロードin太陽

なので

どんな流れになるのか楽しみである


てなわけで
事前に予測するというより 事後に
あれはこういう意味だったのか これを暗示していたのかと
検証する方向性に流れがちなんですけども
それもまた楽しい作業だったりしますです

取らぬ狸の皮算用をするよりも準備して
そういうことを前向きに行動しようっていう指針にするような
そんな利用方法ですね 私にとっての占星学は

てなわけであさってのハロウィン(ソーウィン)は
数十年ぶりかに満月と重なるという特別な満月

年末にはグレート・コンジャクションもあるしなあ
今からワクワクが止まりません

2020/10/28

お仕事の依頼や問い合わせについて














こちらのblog
「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」
はあくまでblogでして
職業上の呟きや周辺周りのこと
個人セッションやレッスンについてのあれやこれや
霊的知識の解説などを綴っているところになります
※ブログについて, 意図と主旨など参照のこと 

私がどのような仕事をしているのかは
(どのような依頼を対象としているのかは)
こちらのblogを読んでいただけたら大体はご理解頂けると思いますが
もし仕事を依頼したい(個人セッションやレッスン他)と思われた場合には
仕事の依頼や問い合わせについてはwebsite(ホームページ)がありますので
そちらを一読してから問い合わせなど頂けたらと思います

そして問い合わせなのですが
お急ぎの場合は携帯にて直接もしくはショートメールでと
ご案内させて頂いてはおりますけれど
携帯は仕事専用の電話ではなく
基本的にプライベートで使っている電話ですので
最初に
「メディシンホィールのページを見て」とか
「個人セッションの依頼(問い合わせ)で」
用件を仰って頂けたらと思います

何しろ最初の時点で
用件の概要を仰って頂けないことには

間違い電話なのか悪戯電話なのか
セールスなど営業の電話なのか
オレオレ詐欺(笑)なのか判断できませんので
そこのところよろしくお願いします

でないと
元々電話嫌いなのも相まって
「ちょ、おまっ 誰や?(あぁん??)」みたいな
無愛想な対応になっちゃいますww

また非通知には基本的には出ません(音がならない)
セッション中などは出れませんので
留守電にメッセージを残して頂けたら折り返します

それと視力の問題でスマホ画面を認識できないので
ガラケーユーザーです 
携帯メールの文章を打つのは苦手です
携帯をいつも側に置いているということはないですし
メールなどのやりとりはPCじゃないと難しいです
※ショートメールは短文しか打てません ご理解下さい


いずれにしても
緊急(今日とか明日の依頼とかでない限り)
メールで問い合わせなどして頂いた方が確実かも知れません


さて今はコロナなので一日一人としていましたが
来月からは一日二人対応(昼間と夕方以降)とさせて頂きます
時間についてはご相談下さい
なお遠隔(スカイプ)に関しては常時対応になります
※コロナの影響でまだまだヒマですw

2020/10/26

百尺竿頭〜仕事を深める


















先日も、とある方の家族(親子)間の関係性に対して
遠隔ではありますがリーディング含むアプローチ
(ヒーリング)をさせて頂く機会を持ったのですが

本当に縁(えにし)というのは
実に上手く巧妙に仕組まれたものだと
つくづく痛感させられます

宇宙の仕組みというか天の配剤は
本当に絶妙なタイミングで人と人を結び付けているものだと…

なんて言いますかね
宇宙の意志の前では私たち人間の我欲や思惑など
とても小さくて取るに足らない底の浅い考えなのだと
そう思い知らされざるを得ません


遠隔によるやり方でそのような問題に働きかけることを
これまではしてこなかったので今回で三度目になるのですが
そんな風に毎回新しい発見と気づきがありますね


ちなみに家族に対する働きかけっていうか
家族間のヒーリングはどんな風にアプローチしているかというと
参照まで

お父様に対するヒーリングと父子であるその方との関係性
お母様に対するヒーリングと母子であるその方との関係性
あとは兄弟姉妹各自に対するヒーリングとその方との関係性
そしてその方自身の家族への感情に対するヒーリング 
家そのものに宿っている残留思念の掃除・浄化
時に家庭と家族 先祖や家系に対するヒーリングなどなど

ざっくり言うとそんな感じです 
人数多いと長期的プロジェクトになりますが


ヒーリングの仕事を初めたのは
ほんのついこの間のような気がしていましたが
気がつけば15年も経っていました

そのくらいやっていればもうベテランだろうって
世間ではそのように言われる立ち位置なのでしょうが
(それ以前には占い師の仕事もしていましたしね)
今さらながら この仕事は奥が深いなって思いますし
毎日毎回が新しい発見と気付きでいっぱいで
その都度知己が開かれるようなことばかりで

似たような事例やパターンがあったとしても
クライアントさん一人ひとりが違っていて
決して同じには図れなくて 毎回新しい試みが求められて
それぞれが異なるカルマのレッスンを持っていて
(こじらせ方も違うというか)
もちろん霊的成長の段階も違うし(体質が異なるようなもの)
創られているエレメンタルの質も種々様々で

クライアントさんとしてその方がお越しいただく前に
事前知識の予習を必然かつ偶発的にさせられることも多くて

毎度新しい事例に出会わされているといっても過言ではなく

同時に何も手出しできない関与ができないケースもあって
歯痒い想いをさせられつつ 
ただ応急処置のようなことをするだけで
時期を待ち 本人の意識がそちらに向くまでは
見守る姿勢を貫き あえて何もせず突き放す冷徹さも必要と

大事なのは何よりも当人に「気付き」を与えることだから
当人にとって必要な経験を取り上げることではなく
こちらがすべてを御膳立てして整えてしまうことでもなく
宇宙(神的な創造存在)の意志に、その人の魂の計画に沿って
あくまで脇役としてサポートすることなので
「治さない」「言わない」「教えない」
それも大事なことだと

ようやく15年経って 己が立ち位置が見えてきて

対面であれ遠隔であれ 
一見さんにせよリピーターさんにせよ
一期一会の出会いである その一回のセッションは
毎回異なる ただ一度きりのものであり
一回のその数時間に集中し 全身全霊かけて
自分にできること 与えられた役割をすること
これらの一つひとつの仕事を丁寧に行っていくということは
一人ひとりの人生と真摯に向き合っていくことなんだと

一回のセッションの たった数時間という短い時間は

何十年何百年何千年もの長い年月 行き場をなくし 
出口を求め救済を欲していた 幾重にも絡み合った人生 
過去に置き去りにされてしまった複数の人々の思いや
歴史に埋もれてしまった人の声なき声など 

生き埋めになった人々を掘り起こすがごとく
封印されていた箱を開けて 闇を光と入れ替えて
閉じ込められていたものを解放する

そうした時間で

まったく気を抜くことなど出来はしないし
毎回が真剣勝負で 同じ時間ということはない


でも 
やり遂げた後の爽快感というか充実感
達成感は半端ないんですけどね

クライアントさん自身というより

解放された過去生のパーソナリティといった
人格を持ったエレメンタルたち
たまたまクライアントさんのオーラに引っかかり
捕らえられてしまった存在たちから
「ありがとう」って言葉をもらえることは本当に
涙が出るほど嬉しいし
この仕事をしていて良かったなあ

こう言うことができる私で良かったなあって
自分の個性を 生まれついたこのような能力を
持ってて良かったなって褒めてあげたくなる瞬間です

この仕事ってやっぱり職人なんだなあって思いますよ

てなわけで相変わらず毎回というかその都度が勉強です
毎回初心者です・・・って感じなんですよね

何年やっててもこれで十分ってことはない
まだまだって先があって もっと磨くべきものがあって
知識にも技術にも終わりがない

たぶんこんなものだって思って流すようになってしまったら
成長が止まるどころかその時点で仕事は失敗しているんだろう


知識や技術を教えることもアチューンメントすることも
こうやってセッションでサポートすることも
人生の終わりのその瞬間までやっていたいけど

人生の時間には限りがあるから いつまでできるのかなあ
あと何人の人に対して 助けになれるのかなあと思いつつ

この仕事が出来ていることの喜びを噛み締めてもいたりする

2020/10/20

近朱必赤〜側にいると開く

って何よ<タイトル

…と思いますよね

いわゆる
霊能者(サイキック)とか霊媒(ミディアム)など
心霊的な能力が発達している人と関わる機会
ようするに共に過ごす時間が長かったりすると
その人もシンパシーを受けるからか
その影響を受けて同種の能力が目覚める人がいる

っていうことです

とはいうものの会う機会というか
一緒にいる時間が長ければというものでもなく
その人と気が合っている=共感(同調)しあえる共通点があって
波動(振動数)のチューニングが起こることによって
結果的にその人の霊性や意識の波動も高まり
そのようなことに対するアンテナも磨かれ開かれていく

そういう現象のことです


そもそも側にいるということ自体
気が合ってないと一緒にいる時間を作りませんからね
職場とか同じ空間に長い時間一緒にいればという問題でもない

ただ一緒にいるだけでなくて
とくに行動を共にするとそうなってくる傾向は強いかな

私の周囲にも私と関わることで
そのような能力を開花させることになった人は何人かいましたよ
逆に親しい友人は年に数回しか会えないので
そういう人はいませんけど

よく会う人 遊ぶ人 など
影響与えちゃったなーって人 たまにいます

生徒さんとかはそういうのが顕著かな
うちに出入りしている間は感度が高まっているけど
その後は閉じてしまう人の方が多いみたいだから

私自身が巨大なパラボラ・アンテナみたいなものなので
霊媒体質の人はそういう面が研ぎ澄まされてしまうみたいです
けど離れれたりご縁が途絶えれば無くなるみたいですけどね



でもこれって別に
サイキック的な能力に限ったことではないです




「朱に交われば赤くなる」「人は善悪の友による」
「麻に連るる蓬」とかとかの言葉にもありますけど

誰かと関わることは相手の影響も受ける…ということなんですよ
よく会う人というのは
その人の影響を受けることを自分が望んで選んでいるということ
その人に似よう、近づいていこうとしているのと同じなんです
波動を合わせているということをしているから


さて
一ヶ月のうちに自分が出会う人というのは未来の自分
自分がこれからなろうとしている姿である

と思ってください

たくさんの不特定多数の人に会う機会のある人は
とくによく会う人をNo7までカウントすると
その7人の特徴(長所短所含めて)を自分の中に取り入れて
彼らに近づいていく人生(性格)を
自分が生きているのだと思って間違いないです

もしその辺りを振り返って

「え゛私この人たちみたいな人間にはあまりなりたくない」

と微妙に思うのであれば
それはもうCOやFOした方がいい人材ってことですね

これはよく自分がよくいく場所もそうです

今の自分に必要か、ふさわしいか…ではなくて
未来の自分(これからなりたい理想の自分)に
必要な場所か、ふさわしい場所か

今の友人知人もよく一緒に時間を過ごす人も
自分がなりたいと思う人物像に近い人なのか
見習いたい、手本としたい、吸収したい
憧れる人間性(人柄)や性格の一面や能力を
持ち合わせ体現してみせてくれている人なのか否か

そこをきちんと考えて付き合いを選別しないといけません

でないとそれは
自分が必要ではないものをいつまでも取り入れたり
影響を受けたくないものから受け続けるという選択であり
なりたいとは思わない自分でい続ける人生を生きること
それに他ならないんですね


誰しもが完璧ではないことを受け入れたり
相手の弱さとか人としての欠点を認めるのというのと
これは違います

自分が好きではない相手 
ここが大好きで尊敬できるとか見習いたいとか
こうありたいものだと思える相手であるか否か
そういうところを何一つ見つけることのできない
人として認めることのできない人と
貴重な短い人生の長い時間を友に過ごすのは
まったくもって資源の浪費なんですね

その人みたいな人間になりたくないと思うのであればとくに



そして最初に戻って

自分が求めるもの そうなりたいと
理想の自分として憧れている魅力や能力を持った人と
身に付けたいスキルやテクニックを備えた人物と
関わったり交流する時間を持つことは
そうしたスキルを習得するために時間やお金をつぎ込むことと
同等の価値があり恩恵のあることだと申しておきましょう


だからまあ 誰と どんな人と関わるのか
友人としても 仲間としても 男女間の仲にしても
ビジネスのパートナーなんかでもそうですが
一緒に過ごす人っていうのはすごく大事です

(男と女は…夫婦とか恋人とかは
性的行為によりエネルギーの交換・交流があるので
相手がサイキックだと同種の力をもらうことは多々あります)


詳しく話すとこのあたり複雑だから
さっくりと簡単に短くまとめてみました

2020/10/17

恐怖と不安の種子 ばら撒かれるエレメンタル


















クライアントさんからの依頼でのハウスクリーニング
家の中がどうもどんよりしてて
イマイチ自分も気分がすっきりしないとのことで
遠隔にて依頼を賜りました

ヘルパーの方など
頻繁に他人の出入りがあるそのお家のこと

そういうのが理由なのかもと
初めてではないので以前の事例から
そのようにも思っていましたが

蓋を開けてみるとそうではなくて

なんか奇妙な人工的(機械的)な花みたいなものが
その方の住まわれている貸家の敷地に数個咲いていたりする

咲いているっていっても四次元的な想念の世界の話で
現実的・物理的レベルのものではありませんが

これってなんだろうな?? と見てみると

元々種子みたいな形をしていたのが
養分を吸って ここで花になっている
そんな感じで

よくよく見てみると クライアントさんの家だけではなくて
周辺の、近隣の家にもそれなりにあったりするのです

とはいうものの とある地点を中心にとある範囲だけ

つまりは発生源があって そこから飛ばされてて
その近隣に飛んでいて さほど遠くまでは飛んでないみたいな

じっくり精査してみると
ようするにクライアントさんのご近所さんのとある方が
このコロナ自粛中にあれやこれや鬱々としていたこともあって
そんなこんなの不安とか恐怖とか
溜め込んでしまったマイナスのネガティブな感情が
自然と解き放たれて近所にばら撒かれているって
そういうものでした

パッと見 種が巻かれてるって感じですね

そしてしの種が たまたま届いてしまった場所の
人間の不安とか恐怖とかを吸ってさらに大きくなって
それがたまたま花のような形に育ったと
(たぶん最初にそれを作った人のイメージか
もしくは私がそのような印象で捉えたかどちらか)

でもって育った花からはさらに種子が出て
胞子のように飛んでいき・・・のように増殖している


なんかうぎゃあって感じです

そうやって地域のグループエレメンタルって出来ていくのかと
それがどんどん広がってそれこそクラスターみたいに?
拡大して町内とかか県とかの単位になって地域そして国単位へと
そんな風にネガティブな想念は増殖していくんかーですね
集団ヒステリーとか排他的なナショナリズムとか

こんな感じで人々は
他人の創り出したネガティブエレメンタルに影響されて
不安や恐怖が周囲の人々へと広がっていくのかーと
なんかそのことを知る機会になりました

知識の上ではそういうことがあるって
そうやって伝染していくのだと知ってはいたけど
実際にその状況をこうして視ることになって
「ああ こんな感じなのかあ」って納得させられました

なるほどなー

誰が悪いってわけではないのですけどね

最初(原初)のエレメンタルの種子を周囲に巻き散らかした人は
悪意を持って意図的にそれをしたわけではないし
感染して影響を受けてしまう人も
それを視えずして取り込んでしまっているので
こればっかりはなー 誰のせいでもあ


りゃしないってとこです

せいぜい影響を受けないようにするだけですね

免疫力を上げる=波動を上げる 

いわゆる精神性を高めるかポジティブシンキングに務める
楽しいことを考えて 視野を広げて うきうきわくわくする

それしかないですわ


てなわけで自分や家族やご近所さんが
悪い方へと引きづられたり巻き込まれないためにも
地域のお掃除(ヒーリング)もときおり
ボランティアでする必要があるかももですね


ちなみに(きちんとした)瞑想する人が地域に一人いると
その人のいる周囲(半径)100m位は
平穏な波動で満たされるのだそうです

そういえばサボってるなー やらないとなー

ちゃんと瞑想もエクササイズもやらないとダメですね



2020/10/13

無知は怖いが見えぬは幸い

私は台湾で習得してきた天人氣功という内氣功の
施療家であると同時に臼井靈氣の施療師でもあり
そちらを伝授するティーチャーでもあったりします

でもって臼井靈氣には発展系と言われる
そこから派生した亜流的なものもたくさんあるんですけど
今はもうだいぶ落ち着きましたが10〜15年前位まで
けっこう流行っていたんです
習得される方が多かったといいますかね

私の方も勢いというか必然というか
なんだかんだの流れでライタリアンレイキとか
カルナレイキとかセイキムレイキとかの三大発展系レイキと
それ以外のあれやこれや気がつけばこんなに取ってしまった
っていう数の発展系レイキを受講することになってしまったんですね
(習得したメニューは仕事〜アチューンメントP参照のこと)

で、同じ臼井靈氣のティーチャーさんで
その発展系を受講することで
生徒さんに伝授したいという方も勿論いらっしゃいまして

細かいやりとりについてははしょりますが
そのやりとりの過程でその方曰く
"氣"というのがまったく感じ取れない判らないって
そういうお話になったんです

私的には

"氣"が判らないのに何で"氣"を扱う仕事をしているんだろう?

って頭の上が「??????」になってしまうわけです


確かに臼井靈氣のプラテクショナーに関しては
別に最初の段階では"氣"を感じられることがなくても
そのうち使っていれば感じられるようにはなるわけで
ましてやティーチャーとして伝授しているならば
そこ分かってて当然とちゃうの?? って疑問には思ふ

判らないのに仕事にしているというのは
ものすごく大胆というか
勇気がいることだなあって思ったりもします

聞けば
ヒーリングクライシスについての知識もお持ちでないし
その辺りとか理解していらっしゃらなかったし
それでクライアントさんや生徒さんに異変が起きたり
質問があったらどう対処するんだろう??
自分が困らないだろうか?? とも思います


そうですね この仕事をしている上で
同種の仕事をしている人たちについて不思議に思うことは多いです

















私は霊能者ではなく自分が霊媒であること
どちらかというと
ユタ的なポジションにある人間だって理解はしています
けれども霊を自らおろしてコンタクトとるタイプではなく
やってることは審神者なんですよね
(たまに自分の身体でやっちゃうことはあるけど)

そして除霊とか浄霊という仕事がメインではないです
あくまで私はセラピストでヒーラー
除霊とか浄霊に関しては
ヒーリングを私が主体で行っている時に
勝手に後ろにいる人たちが行ってくれているので
私の意志で行われていることではありません
(ついてで行われてることなので料金に入れてないんです
セッション料金はヒーリングとセラピーの料金だけだから)

まぁこちらから(上の人たち=透明なヘルパーさんたち)に
お願いをすることも間々ありますが

私は三次元代表として代わりに説明する人って感じです
霊的な次元でのあれこれは私の力ではないのです

それに昔と違って 
確実に「視えてる」ってわけでもないです
むしろほとんど「視てない」です


ともあれ
何が起きているのがどこに原因があるのか
そうした判断がある程度出来るのは
心霊科学の基礎知識あってこそでもあるし
自らの体験的な経験があってこそでもある

それと"氣"を感じ取ったり
エレメンタルを知覚(認識)することが出来ること
そうしたものやその人のエネルギーフィールドから
過去生の情報(因果応報やカルマのレッスンや課題)について
読み取ることがちょっとばかり出来ること
霊的な存在とエレメンタルとの区別が付けられること

そういう土台があるから 
この仕事を何とか出来ているかなってそう思います


でもそれでも判らないことは未だにたくさんあるし
出来ないことばかりで歯痒い思いをすることばかりだし
この程度のことしか判らない出来ない自分を情けなく思って
自分の能力の限界を感じることは多いから


どうして "氣"を感じ取れなかったり
クライアントさんの"氣"の滞りが見えなかったり
エネルギーフィールドやエレメンタルや
霊的な存在とかをまったく知覚できない状態で
それらをいじることに恐怖を覚えないんだろうか?

と不思議に思ったりもするですよ

だってそれって暗闇の中で開腹手術をするようなものだから

自分がやっていることがどんな結果をもたらすことになるのか
その意味を知らないでいることにどうして恐れを抱かないのか

そうとも思いますよ

例えば「チャクラを開く」って言葉を安易に使う人

いやはやチャクラがどんなものなのか分かってたら
そんな言い方できるはずないんです
3つの身体を繋いでいる蝶番やボルトを外すってことだから

チャクラを開くすなわち外してもいい人は
あるレベル以上に霊的な成長を遂げた人だけです
普通の人が行っていいことではありません
とても危険な自殺を推奨するような行為です
(とはいうものの簡単に開く・外すことも出来ませんがね
過剰にチャクラに働きかけると外れやすい状態を作り
少しずつ少しずつ緩んでいき後によくないことになります)

チャクラは開花させるって言い方が相応だと思うけど
そこに至るまでには大変な道のりがあるし
それ用のトレーニングやエクササイズは普通の人がするもんじゃない
チャクラはまずお掃除して整えるところから始まって
活性化させる段階止まりにしておくべきなんですよ 
それ以上の干渉はすべきでない

自らの経験なくエネルギーボディを視ることができない人が
受け売りの知識でそうあれやこれや
信じ込んでいるのかなと思いますけども
無知って怖いなあって思います

いやさ「視えて」なくてもいいんですよ
心霊的な知識をちゃんと学んでいるか否かかなって思うし
(学ぼうと思えば必要のある人はちゃんと学ぶべき知識や
教えのある場所に行き着きますよ 導かれると言うのかな
本物の学び舎や知識というのは門戸は広くないけど
ちゃんとありますから)




今となってはスピと言われる言葉で
軽くまとめられてしまった電波系のジャンルや
それに属する人たちが私はとても苦手なのですけど

それってものすごく誤解している人が多いからなんですよね

だから私はあえて自分がやってることを
「オカルト」でいいやって
そう言った方がいいなって、ハイ


私がやっているようなことって
決して綺麗な仕事ではないんですよ

そんなキラキラした世界じゃないのね

単純に臼井靈氣とか氣功での施療なら
他者に氣を譲渡するマグネティック・ヒーリングだから
誰にでも習得できますし 難しいことではないです
そのうち"氣"もわかるようになるけど
わかるようになったからってそれは特別なことではない

ただ私がセッションで行っていることは
それをすることも含んでいるけれど それだけでなくて
色々とクライアントさんを取り巻く見えない領域のものを
「視て」「知覚して」そこから情報を得て
分析して情報判断して整理して言葉に翻訳して解説もして
なおかつそれらを処理することなんですよ

処理っていうのは
クライアントさんに着いたゴミ(エレメンタル)を掃除すること
これは霊的なものとは違うから ヒーラーの私自身がやる領域

クライアントさんの3つの身体の掃除です
汚れ物のお洗濯というか
ホームレスをお風呂に入れて綺麗にする感じ

その前にゴミだらけになったエネルギーフィールドの掃除が先で
このゴミは生ゴミというか汚物というか虫とかモンスターとか
汚部屋掃除の特殊清掃みたいな 
大便とか腐って蛆が湧いた生ゴミとかを手で取り除くような
まあそれをイメージして間違いないです

ようするに「ケガレ(穢れ)」を祓う仕事なのね
それを扱う仕事なのよ ヒーラーとかサイコセラピストは
心霊的なジャンルを扱うってそういうこと

だからね ヒーラーって掃除屋ですよ
普通のゴミ拾いじゃありません ゴミ収集とも違いますし
ビルの清掃員とも違います あえて言うなら
下水掃除とか死体遺棄現場の特殊清掃と同レベルです

それくらい人間の利己的な欲望から生み出される
想念としてのエレメンタルって醜悪で汚いものなんですよ
ニオイだって臭いなんてもんじゃないし
なのでスピリチュアルに美しいものを求めている人には
耐えられないものだと思う

大天使たちのこともね みなさん誤解してます
彼らはそもそも個人的な欲望を助ける存在じゃないし
ただ地球にある物質的なものを創ってるだけの存在ですよ
私たちの身体を含めてね

過去生を視ることだってそうです
皆さんヒロインヒーローな綺麗な人生ばかりではないです
悪いこともしているし 悲惨な体験もしてらっしゃる
その人が残虐なことをしているシーン されてるシーン
そういうのを見た上で フラットでいないといけない
裁判官になってもいけない 執行官になってもいけない
弁護士になってもいけない みたいな立ち位置が大切で


今はもうそのような方と遭遇することはなくなりましたけど
「先生みたいに他人の過去生とかわかる人になりたい」
なんて仰ってくださる方が昔は何人かいらして下さって
でもそれって何か 私がやっていることを特別な仕事と思ってて
その特別な仕事は特別な能力がないと出来ないとも思われてて
そうした特別な能力を持った人になりたいって人が
なんかまあ一定数はこの世にいるわけですよ

そういう人たちが
"すぴ"なことを職業にしようとするのかなーと思いますが

そもそも動機というか職業選択の入り口を間違えてるよなって
私はそう思ったりします





私は自分が特別な能力を持った特別な人間だとか
選ばれた人間だとは思ってないけど

こういう仕事をするために今の人生があるというのを
自覚しているってそれだけですね
確かに過去生でも似たような仕事ばかりしてきましたし
輪廻転生しながら修養して経験を積んできたといえばそうで
いわゆる魂の使命の方向性もそっちではある

霊=人としてのイデアもガブリエル(水)だし

肉体の家系も母方は「視える」「感じる」人ばかりですし
占い師とか霊的な職業人がいる家系ではないのですけどね
何しろ武士の家系なんで

それでも子供の頃からものすごく抵抗はしたし
占いとか霊的なことを扱う職業にだけは就きたくないって
そう思ってたのに 気がつけばこれしかなかったので
「させられている」って嫌々仕方なくやってますっていう
そういう気持ちが最近までずっと抜けませんでしたから

何より自分のこうした個性が大嫌いでしたから
この個性と特徴のせいで嫌な思いばかりしてきましたからね

今はもう腹括って受け入れてますけど
ずいぶんと中途半端なやつでした
ずっと逃げ回ってましたからねーww


それを見越されているからなのか

小学校3年生だったときに 
祖母が倒れて危篤だというので帰省したのですが
神戸在住の叔父と合流することになったので
新幹線で神戸まで行った後 
宮崎までフェリーに乗ったんです 
夕方乗車して翌日の昼到着だったのかな?? 
母と私と姉 叔父と従姉妹たちという組み合わせ

母も私も船酔いでゲロッパでしたけども 
一人だけピンピンしている姉(ジャイアン)に無理やり
夕飯にいくぞーと連れてかれたんですね

すると 知らないおじさんが
子供達だけでご飯食べてる私たちに話しかけてきたんですよ
(姉も小5ですがジャイアンなので危機感なし)

そして気前のいいことに奢ってくれたんですね 
んで翌日の朝食もここで待ち合わせしましょうと
お母さんもいるなら一緒にどうぞ
なんなら叔父さんも従姉妹も、みたいな感じで

子供の頃の私は人見知りで用心深い方でしたが
その人に対してはなぜか大丈夫で警戒心ゼロでした

そしてご飯の後ゲームセンターみたいなとこでも
お金出してくれてたくさん遊んでくれたんですね

翌日もちゃっかりご飯ご馳走になりました
ゲロッパ状態だったけれども食べたww
母と叔父は船酔いで死んでたから 子供達だけでゴチ

(前日に知らないオジサンに奢ってもらったって
報告はしたけどダウンしてて聞いてなかったらしい)

その時に「あなたは普通の子じゃないよ」
「あなたの今後についてご両親に話したいことがある」
みたいなことを言われたんですけど 当時の私はイミフ

目の前のプリンアラモードに夢中になってましたっっ汗

そしてその人とは「おじちゃん ごちそーさまー」と別れて

鹿児島で3ヶ月位過ごして そんなことがあったことなんか
すっかり忘れてしまったりなんかして

で実家に戻ったときに
なんとそのおじさんは私の珍しい苗字(父方の)から
電話帳で調べて 私たちが鹿児島に滞在していた間
父に電話をしてくれてたんですねー 
私のことでって話で

したらば この父親はノータリンだから
この電話のおじさんのことを「母の浮気相手」と勘違いして
話を聞くどころかキチって大変でしたっっ

母と姉には
「お前が見知らぬ人にご飯を奢ってもらったばっかりに」
と責められるし(姉だって私よりあれこれ食べてたくせに)
ちょっと大変なことになりました


あと中学のときに制服で歩いていたら
通りすがりの尼さんに

「あなたちょっと」と話しかけられ
「あなたは父方母方両方のご先祖の罪を
あなたがこれからすることで贖わなきゃいけないよ」とか
あれやこれや言われたことがあったかなーww


それととある本土にいるユタさんに
「あなたはユタで神様のお仕事をしなくてはいけないよ」
といきなり言われたこともあるかな
とはいうものの私が別のことで相談したからなんですが
「やるべき神様の仕事をちゃんとしていない」って
こんこんと説教されましたっっ

こういうのって予測のないところで唐突なのね

言われた時は「は??」って頭真っ白になる


あと
やはりユタのはるさんにお会いしたときに
私は「派遣OLをしている普通のおばさんでーす」
ということですまーしてお会いしたんだけど

「いや あなた普通の人ではないでしょ?
 あなたのオーラ 普通の人のものではないよ
 明らかに僕と同じ人だよ? 
 沖縄の人ではないけどあなたはユタなんだよ
 それになんてものを後ろにくっつけてるの」

と私の後ろにいる(神社で拾ってきたアレ)を
瞬時で見抜かれちゃったことはありますね

(その時にまあ同じ道の仲間として
上記以外の会話とかあれやこれやお話はしました
今ははるさんはミュージシャンとしての活動だけで
ユタとして人の相談に乗ることはほとんどしていないみたい)


そんなふうに今まで4人ばかり
通りすがりの人とかちょっと会っただけの人で
「見抜かれた」というか
「わかる」人には会ったことがありますかね


でもそれ以外ではたくさんの同業者の人とかスピ系の人とか
その手の人にすごいって言われている人たちにも会ったけど
「あなたにはそんな力なんてあるわけないじゃん」
「あなたは単なる魔女でしょ?」
みたいに片付けられることの方が多かったですよ
端にも棒にもかからない人という扱いというのかなー
相手にされない感じ?? 
嫌われてしまうというかハブられるというか

ていうか それ以前に話通じないんですけどね
視ている世界や視えているものがまるで違うので
基本的な知識の土台が異なっているというのもあります

だからまあ 噛み合わないんですよ
話が通じる人が少ないってとこですね
同じように視えている人はほとんどいないってことで
なかなか出会えないから これはもう仕方ないのですが

心の師匠はいても 現実的なところでの仲間や師匠はいないし
持てないのが悩みでもあるし そこが゜強みなのかも知れません
己が心を師匠とす…って感じで


なんか最後は話がそれました
まとまりのない話でごめんちゃい

2020/10/12

縁なくば興味持たず

子供の頃から自分が心惹かれるものには
人生の地図が隠れていたり
進むべき道へのヒントや誘導があったりします

単純に心のアンテナが反応しているってだけですが

過去生で好きだったものとか縁があったものとか
そういうものも反映されていたりしますよね

ファッションとかアイテム一つにとってもそう

どうしてこういうファッションが好きなのだろう?
と言う時は自分がその服を着ていたときの
幸福な記憶があったりするから…なんてこともあります

その逆もあったりするんですけど
(黒い服ばかり好んできている人が喪服として
着ていたりすることは案外多いもので)

ある国が好きだったり逆にとある国が大嫌いだったり
妙に心惹かれて行きたいと思う場所や
全身が拒絶反応を示す場所もあったりとか

たいていそこには過去の人生での
記憶が絡んでいたりするものですけど


またしても自分語りになっちゃいますけど
私はイギリスという国がめっさ好きです

行ったことはないのですけどww
ものすごく憧れるし
ビクトリア様式のインテリアとかマナーハウスとか超好き
アンティークなんかもうたまりません
ああいったドレスも好きですけど
着ても似合わないからアレです

とても嫌な記憶のある国だけど
生まれたのは一度だけではなくて
別々の地域で三度はあるから
(イギリスっていうよりスコットランドだなー
エジンバラとハイランダーとウェールズの辺り)
まあまあ楽しい記憶のほうが
悲しい記憶より優っているのでしょうね
だから懐かしく感じるのだと

で、ここ2000年くらいは
女性という性別の人生を生きている回数が多いんですけど
紀元前は男性としての人生もそれなりに生きているんです

この間「女王トミュリス」という映画を観てきたんですが
なんと一日に一回だけ一週間(7回)しか上映しないもので
珍しいカザフスタンの映画だったんです


「乙嫁語り」の森薫さんが観てそうな映画だなーと思いつつ

正直戦争映画はまあ観るんですが決して好きではないのです
人が殺されるシーンというより馬とか動物が死ぬシーンが
本当にダメで辛くて観てられないんですね

はい 人が殺されるシーンは演技だってわかってるから
映画に関しては(でも史実なんかでは実際にこんなことがあった
こういう風に殺された人が現実にいるって考えるとしんどいですよ)

欧米とか日本だと今は愛護協会がうるさいから
CGとか演技とかなのでそう思えば大丈夫なんですが
どうも実際に殺してないか??っていうシーンも結構あったりで
精神的にキツかったです

で 戦闘シーンはともかく
ハリウッド映画とも既存のアジア映画とも違う
斬新なカメラワークと物語にものすごく引きこまれました

とにかく引きのシーンがね 大迫力で凄かったです
あとパンね パノラマ的なあの映像 果てしない360度の風景
これテレビではダメですね  映画館だからこその迫力

そして広大なユーラシア大陸 コーカサス地方の大草原

あ゛ー なんかこういう景色知ってるって
ものすごく懐かしい気分に浸っちゃいました

でもって トミュリスの旦那さんと息子が
ペルシャのキュロス王に誅殺されるところのシーン
巨大なテントの中での祝宴シーン

ものすごいデジャヴュで笑えた

いやさ私もあんなテントの中でやっぱり祝杯あげてた時
当時の部下たちに裏切られ(当然おっさんでした)
毒杯飲まされた上で切り殺されてますからww

ああ こんなテントだったなー 
そーそーこんな感じこんな感じって
今じゃ笑い話なんですがwww

そういえば ちょうどYouTubeでよく観る
世界史関係の動画で「ホラズム・シャー」とか
その辺りを観ていたものだから
時代は異なりますが地域とか重なるところがあって
それまた偶然重なってて笑えましたデス
「女王トミュリス」にもホラズム出てきたしっっ汗


あとそうですね
今日はいつもレギュラーで観ている中国史関係の動画が
ちょうど最近わたしの好きな「項羽と劉邦」の話で
今日は張良だったんですよー

張良大好きなんで はい❤️

中国史というとどうしても「三国志」が人気なんですけども
私は「三国志」にはまったく触手が伸びないんですね

子供の頃 横山光輝先生の「三国志」を読もうとしたとき
どの登場人物の顔も同じで見分けつかなくて挫折した
そういうのもあるのかもですが

いまいち興味がわかないんです 
周囲では「三国志」大好きって人が多いんですけども
どう説明されても読んでも聞いても観ても覚えられない
頭に全然入ってこないんです

(物語としてはフィクションですけど「水滸伝」の方が好き)

やっぱり「項羽と劉邦」の前漢発祥のこの辺りなんですよね
パァッと頭のアンテナが光って反応して惹かれるのは

だから私の中では諸葛孔明よりも張良なの
史上最強の軍師は なんてったって張良❤️


まあ 良く考えればこの時代に自分生きてたから
それかーとも思いますけどね

どうしても
自分が生きていた時代や国に興味がそそられるちゅーか
同じ時代を生きていた人物を贔屓しちゃうわけですよ

とはいうものの
私は張良の出身国・韓の人間ではなくて
楚の国の人間でしたけども


そんな感じで 関羽とか曹操とか劉備玄徳よりも
韓信とか張良とかそっちの登場人物に気持ち入りやすいです
覇王項羽はね あんまし好きな人物でないですけどねっっ
けど虞美人とのエピソードは泣けますです



















項羽 
「力は山を抜き、気は世を蓋う。時利あらず、騅逝かず。 
 騅逝かざるをいかんすべき。虞や虞やなんじをいかんせん 」

虞美人 
「漢兵、已に地を略し  四方は楚歌の聲 
 大王、意気尽きたれば  賎妾何ぞ生を聊んぜん」



てな感じで
自分が好きな時代 好きなこと 好きな場所
好きな歴史や地理など
そういうのを追求することで
自分が生きていた時代 場所など
過去の手がかりを見つけることは容易だったりします

求めなければ道は開かず

似たようなことを過去にも書いていたりしますけれど
プライベートとソーシャル(仕事)とを分けているつもりでも
完全なる分離は難しく 
その境界線を図るには失敗と試行錯誤の連続でした

とりあえず仕事の領域に掛かることに関しては
友人知人であっても
Webサイトを見て 依頼してくれる? …と説明し

料金以前に正式に依頼として申込があるかないか
そこを基準にするのがベストというところに落ち着いてはいます


その昔 20代はバブルの頃 職場で知り合った人で
後に私が占い師になったと知ると
「占って欲しい」と言ってきた人がいて
「プロだから仕事料はいただきます」と伝えたならば
「ケチ!! 友達からお金取るの?」なんて非難されたことがありました

なんでも彼女がワーキング・ホリデーでオーストラリアに居た時
ルームメイトだった人がタロット占いが趣味ということで
よく占ってもらってたんですって
なのでどうもそれと同じに軽く考えてたらしいのですよ
(いやさ その人趣味でやってたアマチュアでしょ?
プロとして専門でそれをしている人と同列にするなって)

いやさ その前にそもそも
友達って言えるほど親しくないんだけど??
というツッコミもまずあったけれど 
こういう反応をする人は意外と世の中には多くって

その人だって美容師の資格持ちなんだから

「じゃあ、ただでヘアカットしてくれるの?」

なんて言った日には たぶん

「この資格を取るためにどれほどの時間とお金かけたと思ってる?」

てなことを言いそうな人ではありました

つまりその人は占いという技術にお金を払う価値は認めてないのね
でもその価値のない技術を持っている人にしてもらう占いに
価値は認めているのかなんだか知らんけど してもらいたいと…

なんだかよくわかりませんが
だったらお金を払う価値を見出せないことに対してというかー
自分にとって価値を認められない
技術や知識に頼るのはやめとけばーって感じ??


さて 友人で困っている人
私がサポートできそうな問題を抱えている人とか
会った時や状況をメールなどで聞いた時とか
私の方であれこれキャッチしたり思ったとしても
やはり相談されない限りには何も言えませんよね
こちらからは何も出来ないというのかなあ

遠回しになんとなくで伝えたり
一般常識的な会話の範疇で答えることしかできないですのよ

基本的に私の友人はオカルトとか心霊とかには興味のない
ましてスピや電波話なんて何それ的な普通の友達ばかりなので

私がこういう仕事をしていることは
それとなく遠回しに感じ取ってはいるけれど
良くわかってないというか 
占いと何が違うのか多分みんなわかってないww

(一緒にご飯した時に軽いもので
その場で対処できるものなら
くっついているのを祓ったりはしますが
わざわざそれをしたことを言わない)


聞かれれば答えるけど…というスタンス
(オカルト的なこと霊的なことなんかは特に)


こちらから言わず 何か伝えてきたり
何か対処してくれることを期待してくるような人は
(前述のような人)だいぶ切ってしまったし
そのようなものが透けて見える人とは最初の時点でFAするので
今はもう関わること自体ないのですけれども


逆に私のできる範囲で手伝えるかもしれない
手助けができるかもしれないって
そんな問題や事例を抱えた友人と接する時には
様々なジレンマに悩まされることにもなります




はっきりと助けて欲しいって言われれば
こちらが出来ること出来ないことを
具体的に提示できるんですけどもね 

友人の相談事として聞いて欲しいって求められ方なら
本当にそれまでの「聞くだけならいいよ」ってスタンスで
相手のために時間作って話聞いたりメールのやり取りまで
になっちゃいますね

昔からの友人の場合 こちらが助けてあげたい
私の担当分野だと思ったときには
一度くらいはヒーリングを友人として「させて頂く」ことはします
こちらから「ヒーリングをさせて欲しい」とか申し出てね
お願いして受けていただくことはするんだけども
(一度までは)
して、断られることとか遠慮されることとかもありますよ


けれどその後で続けて欲しいのかもっと具体的な助けが欲しいのか
その先は当人の判断次第

一度の体験で気持ちが楽になったとか効果を感じられたとか
これは良さそうだとか改善されたとかもっと受けてみたいとか
継続した施療とかこうした目には見えないテクニックに対して
金銭的な対価を払うことの価値を見出して
有料のサービスを受けようと思うか否かは当人が決めることなので



さてさて 去年でしたかね 
久しぶりに会った友人が家族間のことで
複雑な問題をたくさん抱えていて 
メンタル的にも体力的にもしんどそうだったので
長い付き合いの友人だったこともあって
こちらから申し出て 遠隔と対面とを一度ずつさせて頂いたのです

まぁ 私の担当領域(ジャンル)のことでしたしね

ありがとうって感謝されて ちょっとしたお礼を頂いて
それで少しでも彼女の状態を良くすることに寄与できたなら
それでいいんです 

だからといって 問題の根はとても深いものでしたので
その一度や二度の触り程度の手伝いだけで
解決に至るまでのサポートが出来たわけではないし
問題は今も継続中です

そしてその時にも痛感したんですけど
本人が「お願いします」
「助けて下さい」って頭を下げて
こちらに対して真摯に"依頼"してきたことでない限り
手出しできないというか ここまでってとこしか関われなくて
関与できないことのほうが多すぎるのですよ

そうですね 
入り口のところあたりまでしか出来ないって感じでした
これ以上は立ち入り禁止みたいにシャットアウトされて
させてもらえなかった感じです


ここにはお金の問題も絡んでくるんだけども
(お金を支払うってことは
自分から望んでそのような力に助けを求める意志表示なので
支払いって別の意味合いからすると
今の自分の生活の中で出費として痛い金額を払うってことは
マイナスを背負うことでもあるから
他人や見えない存在の力を借りて自分の問題の解決を測ろうとする
すなわち他力本願だけども・・これをする時には
自分も痛い思いをしないと正負の法則としてね 
力を借りられないわけなんですね 借りる力の等価交換だから
自分が何か損しないことには、別の言い方だと与えないことには
与えられないってやつなんです)

その時に私が彼女に対して働きかけたワークは
私が申し出たことに対して彼女が受け入れただけのことだから
「やってもらえるのなら、ありがたい」
という感じに受動的な行為でしかなくて
彼女自身から私に対して
「助けて欲しい」と依頼してきたことではないので
ここには制限が働くわけなのですよ

これは金額自体が大きい少ないってことではないの
その人にとって痛い金額を出すかどうかだから
(年収100万の人と500万の人では痛い金額違いますから)

でもいただく側にとっても
もらいすぎはいけないという決まりはありますよ
上限がある上で個人が決めればいいって感じになってる

うちはそうですね 安く設定させて頂いているほうかな
…と自負してみる


お金を払う払わないっていう
報酬がそこに存在している依頼かどうかって
そういう問題ではなく
他人に「お願いします」って頭を下げて
お金を支払ってまで助けて欲しいことかどうか
その人の覚悟や自分の問題との関わり合い方を試されてるって感じ

その覚悟や決意がないとね
見えない力 存在の人たち(透明なヘルパー)は動けないの

だから私も前述した友人に関しては
彼女から言われない限り これ以上は何も手出し出来なくて
遠くから見守っているだけなんですよね
メールのやり取りをして 話聞くだけ

まあ一度は手助けしましたから
私はこういうことが出来ますよ
それを仕事にしてますよ
友人としての行為のサポートとして
出来る範囲までのこと ここまでしか出来ない
…ってとこまではなんとなく示してはいるので

とはいうものの私の方から
そちらからの正式な依頼がないと
 こうした見えないところからのサポートは入らないから
 ちゃんと仕事として依頼してんかー」
なんて言うことでもないですしね

そのような誘導では意味がないんですよ

彼女が強く望まないことには結果として何も起きないだろうし
私が関与できる範囲も限られたままだし
他人に言われてでは元も子もない 
解決できる力なんて得られない

実際こっちから促すのは押し売りになっちゃいますしね

向こうのほうから
私の職業的なサポートをして欲しいと言ってこない限りには
何も出来ませんのよ 彼女の人生なので

それもまた自由意志です


そんなんで身近な人のことで
焦ったい思いはたくさんするけれど 今もしていますけれども…

他人の人生をコントロールするために
この仕事をしているわけじゃないし
分を弁えて 当人と自然にまかせて でしゃばらないことも大切
 
それが一番難しいことなんですが