似たようなことを過去にも書いていたりしますけれど
プライベートとソーシャル(仕事)とを分けているつもりでも
完全なる分離は難しく
プライベートとソーシャル(仕事)とを分けているつもりでも
完全なる分離は難しく
その境界線を図るには失敗と試行錯誤の連続でした
とりあえず仕事の領域に掛かることに関しては
友人知人であっても
Webサイトを見て 依頼してくれる? …と説明し
料金以前に正式に依頼として申込があるかないか
そこを基準にするのがベストというところに落ち着いてはいます
その昔 20代はバブルの頃 職場で知り合った人で
後に私が占い師になったと知ると
「占って欲しい」と言ってきた人がいて
「プロだから仕事料はいただきます」と伝えたならば
「ケチ!! 友達からお金取るの?」なんて非難されたことがありました
なんでも彼女がワーキング・ホリデーでオーストラリアに居た時
ルームメイトだった人がタロット占いが趣味ということで
よく占ってもらってたんですって
なのでどうもそれと同じに軽く考えてたらしいのですよ
(いやさ その人趣味でやってたアマチュアでしょ?
プロとして専門でそれをしている人と同列にするなって)
いやさ その前にそもそも
友達って言えるほど親しくないんだけど??
というツッコミもまずあったけれど
こういう反応をする人は意外と世の中には多くって
その人だって美容師の資格持ちなんだから
「じゃあ、ただでヘアカットしてくれるの?」
なんて言った日には たぶん
「この資格を取るためにどれほどの時間とお金かけたと思ってる?」
てなことを言いそうな人ではありました
つまりその人は占いという技術にお金を払う価値は認めてないのね
でもその価値のない技術を持っている人にしてもらう占いに
価値は認めているのかなんだか知らんけど してもらいたいと…
なんだかよくわかりませんが
だったらお金を払う価値を見出せないことに対してというかー
自分にとって価値を認められない
技術や知識に頼るのはやめとけばーって感じ??
さて 友人で困っている人
私がサポートできそうな問題を抱えている人とか
会った時や状況をメールなどで聞いた時とか
私の方であれこれキャッチしたり思ったとしても
やはり相談されない限りには何も言えませんよね
こちらからは何も出来ないというのかなあ
遠回しになんとなくで伝えたり
一般常識的な会話の範疇で答えることしかできないですのよ
基本的に私の友人はオカルトとか心霊とかには興味のない
ましてスピや電波話なんて何それ的な普通の友達ばかりなので
私がこういう仕事をしていることは
それとなく遠回しに感じ取ってはいるけれど
良くわかってないというか
占いと何が違うのか多分みんなわかってないww
(一緒にご飯した時に軽いもので
その場で対処できるものなら
くっついているのを祓ったりはしますが
わざわざそれをしたことを言わない)
聞かれれば答えるけど…というスタンス
(オカルト的なこと霊的なことなんかは特に)
こちらから言わず 何か伝えてきたり
何か対処してくれることを期待してくるような人は
(前述のような人)だいぶ切ってしまったし
そのようなものが透けて見える人とは最初の時点でFAするので
今はもう関わること自体ないのですけれども
逆に私のできる範囲で手伝えるかもしれない
手助けができるかもしれないって
そんな問題や事例を抱えた友人と接する時には
様々なジレンマに悩まされることにもなります
はっきりと助けて欲しいって言われれば
こちらが出来ること出来ないことを
具体的に提示できるんですけどもね
友人の相談事として聞いて欲しいって求められ方なら
本当にそれまでの「聞くだけならいいよ」ってスタンスで
相手のために時間作って話聞いたりメールのやり取りまで
になっちゃいますね
昔からの友人の場合 こちらが助けてあげたい
私の担当分野だと思ったときには
一度くらいはヒーリングを友人として「させて頂く」ことはします
こちらから「ヒーリングをさせて欲しい」とか申し出てね
お願いして受けていただくことはするんだけども
(一度までは)
して、断られることとか遠慮されることとかもありますよ
けれどその後で続けて欲しいのかもっと具体的な助けが欲しいのか
その先は当人の判断次第
一度の体験で気持ちが楽になったとか効果を感じられたとか
これは良さそうだとか改善されたとかもっと受けてみたいとか
継続した施療とかこうした目には見えないテクニックに対して
金銭的な対価を払うことの価値を見出して
有料のサービスを受けようと思うか否かは当人が決めることなので
さてさて 去年でしたかね
久しぶりに会った友人が家族間のことで
複雑な問題をたくさん抱えていて
メンタル的にも体力的にもしんどそうだったので
長い付き合いの友人だったこともあって
こちらから申し出て 遠隔と対面とを一度ずつさせて頂いたのです
まぁ 私の担当領域(ジャンル)のことでしたしね
ありがとうって感謝されて ちょっとしたお礼を頂いて
それで少しでも彼女の状態を良くすることに寄与できたなら
それでいいんです
だからといって 問題の根はとても深いものでしたので
その一度や二度の触り程度の手伝いだけで
解決に至るまでのサポートが出来たわけではないし
問題は今も継続中です
そしてその時にも痛感したんですけど
本人が「お願いします」
「助けて下さい」って頭を下げて
こちらに対して真摯に"依頼"してきたことでない限り
手出しできないというか ここまでってとこしか関われなくて
関与できないことのほうが多すぎるのですよ
そうですね
入り口のところあたりまでしか出来ないって感じでした
これ以上は立ち入り禁止みたいにシャットアウトされて
させてもらえなかった感じです
ここにはお金の問題も絡んでくるんだけども
(お金を支払うってことは
自分から望んでそのような力に助けを求める意志表示なので
支払いって別の意味合いからすると
今の自分の生活の中で出費として痛い金額を払うってことは
マイナスを背負うことでもあるから
他人や見えない存在の力を借りて自分の問題の解決を測ろうとする
すなわち他力本願だけども・・これをする時には
自分も痛い思いをしないと正負の法則としてね
力を借りられないわけなんですね 借りる力の等価交換だから
自分が何か損しないことには、別の言い方だと与えないことには
与えられないってやつなんです)
その時に私が彼女に対して働きかけたワークは
私が申し出たことに対して彼女が受け入れただけのことだから
「やってもらえるのなら、ありがたい」
という感じに受動的な行為でしかなくて
彼女自身から私に対して
「助けて欲しい」と依頼してきたことではないので
ここには制限が働くわけなのですよ
これは金額自体が大きい少ないってことではないの
その人にとって痛い金額を出すかどうかだから
(年収100万の人と500万の人では痛い金額違いますから)
でもいただく側にとっても
もらいすぎはいけないという決まりはありますよ
上限がある上で個人が決めればいいって感じになってる
うちはそうですね 安く設定させて頂いているほうかな
…と自負してみる
お金を払う払わないっていう
報酬がそこに存在している依頼かどうかって
そういう問題ではなく
他人に「お願いします」って頭を下げて
お金を支払ってまで助けて欲しいことかどうか
その人の覚悟や自分の問題との関わり合い方を試されてるって感じ
その覚悟や決意がないとね
見えない力 存在の人たち(透明なヘルパー)は動けないの
だから私も前述した友人に関しては
彼女から言われない限り これ以上は何も手出し出来なくて
遠くから見守っているだけなんですよね
メールのやり取りをして 話聞くだけ
まあ一度は手助けしましたから
私はこういうことが出来ますよ
それを仕事にしてますよ
友人としての行為のサポートとして
出来る範囲までのこと ここまでしか出来ない
…ってとこまではなんとなく示してはいるので
とはいうものの私の方から
「そちらからの正式な依頼がないと
こうした見えないところからのサポートは入らないから
ちゃんと仕事として依頼してんかー」
なんて言うことでもないですしね
そのような誘導では意味がないんですよ
彼女が強く望まないことには結果として何も起きないだろうし
私が関与できる範囲も限られたままだし
他人に言われてでは元も子もない
解決できる力なんて得られない
実際こっちから促すのは押し売りになっちゃいますしね
向こうのほうから
私の職業的なサポートをして欲しいと言ってこない限りには
何も出来ませんのよ 彼女の人生なので
それもまた自由意志です
そんなんで身近な人のことで
焦ったい思いはたくさんするけれど 今もしていますけれども…
他人の人生をコントロールするために
この仕事をしているわけじゃないし
分を弁えて 当人と自然にまかせて でしゃばらないことも大切
それが一番難しいことなんですが
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