2019/11/10

岐路亡羊

三年前に
右目の網膜剥離と白内障の同時手術を行い
左目の白内障は手術せず
現在はドライアイの治療中
見えてはいるけど視野は狭く遠近感取れず
汚れにも気づかず日常生活に不都合ありますが
それでも失明せずに暮らせているありがたさ

そんなこんなで
紙に印刷された文字が読みづらく
書物はさっぱり読めなくなりました
(老眼ではあるけど老眼が理由ではないというw)

確かに不便で不自由で
見えないことにイライラすることもあるけれど
自分がどうして「目」の問題を抱えるに至ったのか
ちゃんと意味のあることなので受け入れています

ありがたいことに
私が住んでいる東京という都会には
これでもかっていうくらいに
たくさんの病院があって選び放題です
ここしか病院がないってことはなく
セカンドオピニオンも受けられますし
ここちがうなーこの先生やだなー
と思えば他を探すだけでいい

相性の良い親切丁寧な先生と出会えさえすれば
なべてこともなし

ホリスティック医学や自然療法を学んだり
非科学的な分野たる仕事をしているからって
現代医学を否定するようなことはしませんの

最終的には自分が納得できるか否かですかね






さて
このblogを読んで下さっている方なら
ご理解頂いていると思いますが
私は自らスピリチュアルセラピストと名乗っていながら
「すぴ」アレルギーだったりします

そして同業の方とは話が合わないので
あまりご縁がありませんということも以前書いた通り

でもまあ
だからといって他の方が仰られていたり
されていることを真正面から否定するつもりはないのです
それはそれで尊重すべきことだと思うからです

というかそれ以前に
他の方のHPやblogを読むということを
そもそもしないのですが

昔は…子供の頃はネットはありませんでしたので
オカルトやスピリチュアル(心霊)の本を
図書館に行って当時置いてあるものは
ほとんど全部読み漁っていました
自分の身に起きていることがなんであるのか
知りたかったので

著書の方にお手紙で質問させて頂いたり
そうした職業の方たちと直接会って
お話させて頂く機会もありましたが
(とくに占いの仕事に就いてから)

残念ながら
納得できる解答は得られなかったのですね
どれもピンとこなかったといいますか
「うーん? なんか違う」と違和感があって
私の疑問を解消して
「ああ、そうなんだ。そういうことか」と
ピッタリ収まるものがなかったのです

エドガー・ケイシーのいうことは
納得できたし理解できたけど
私が体験している事象を理解するためのものではなく
それはそれでまたちょっと違う知識でしたかね

それがある日
「ああ…探していたのはこれだ!!」と
私に光明をもたらした本との出会いがありました
友人が貸してくれた「メッセンジャー」
20世紀の賢者ダスカロスについての本です

この本は彼について書かれた本であり
彼自身が書いた書物ではありませんが
幸いかつありがたいことに
彼自身の書物が数冊日本語で出版されており
それらを入手することは可能でした

この書物との出会いをきっかけに
私はダスカレたるスティリアノス・アテシュリス氏を知り
彼が説く「真理の教え」へと誘われたのです
残念ながら私が彼および彼について書かれた書物と
出会ったときにはすでに氏は故人ではありましたが

ダスカロスの教えには
私がずっと抱えてきた人生の謎
私が体験してきた不思議や心霊現象に対する
そのすべての答えが書かれていました

私には彼が本の中で説明していることが
どういうことなのかよく理解できました
「あれはこのことだったんだ
 あの現象はこれだ!」みたいに…

すべてがきっちり収まったそんな瞬間でした

体験してきたこととその知識がぴったりと結びついて
すべてのピースがはまって
いっさいの疑問が無くなった瞬間で

逆を言うと
それまでたくさんの書物を読んできたわけですが
その書物に書かれていたことの意味も
たくさんの人がいろんなことを言っている矛盾も
真理の教えを知ることで
どうしてそんな矛盾が生じてしまうのかも理解できました

だからダスカロスが遺してくれた
(まとめ直してくれた)この学びの知識以外
もう何も学ぶ必要はないと思ったのです

私にとってはこれ以上のものはなかったのです
ここに「すべて」が書いてあるので


その時点で新たな霊的知識を学ぶ必要性を感じず
その手の本を全く読まなくなってしまいました

それに知識を吸収することよりも
自分の問題と向き合うこと人間力を付けること
人として自分自身が成長していく経験をすることの方が
人生においてプライオリティが高いことと思ってましたし
(あくまで私にとって)

自らの内面と向き合って研鑽して
社会との関わり合いの中で自分を磨く
そっちにばかり目と意識がいってました





我が家にはテレビがないので
ネットが唯一の情報源で
Youtubeの動画をよく見るとは
こちらでも書いてはいるのですが

少し前にティンシャの音とか
リラクゼーション系のBGMやら
神社系の動画を検索したからか
「あなたへのおすすめ」になぜか
スピリチュアル系Youtuberさんの動画とか
あがってきていたり

たまたま何気に見てみたのです
以前の私だったらスルーしていたんでしょう

そしてYoutubeの視聴者でありながら
スピ系のYoutube動画があることを初めて知りましたw
いやさ普段見ているのはまったく違うジャンルなので

そうですね 色んな意見がありますよね
まるっと同じ意見というわけではないけど
そうですよねーと納得できるものもある

物の見方とか見ている方向性が違うのだなとか
そういう風に感じる意見もあるけど

言えているというか気づいたことは
この方たちのこの説明(言い回し)を
必要としている人がたくさんいるということ

霊的な知識っていうのは
語り口調は一口ではないということ

何故ならば
みんな霊的レベル(霊性の成長の段階)が違うから

霊的真理の考えでは
7つのレベルがさらに7区分に分かれてって
49の段階あるわけですが
ようするにみんな学力が違うので
同じ説明で全員が理解できるわけではないから
様々な段階の学力の人に合わせて
説明する内容とそれを説明する人が必要なんですよね

幼稚園の先生と小学校の先生と中学、高校の先生
大学や大学院の教授がいるように

だから
みんな自分のレベルに合った知識と先生を求めればいい
「この人の説明はわからないけど
 こっちの人の言ってることは合点がいく」なら
それでいい

だから色んなスピリチュアリストの人がいていい
それぞれが言っていることは違っててそれでいい
それが当たり前だと思う
バラエティー豊かでいいんです
それぞれの人が自分にフィットするものを選んで
自分の人生や生活に取り入れてみて
その経験と結果から決めればいい
自分の価値観で選んだあとに経験的に確かめればいい

スピリチュアリストの人たちも
霊性のレベルはみな同じではなくて異なっているのだから

そしてやがて学んで吸収した後に
疑問とか出てきたり矛盾を感じたり
その説明では納得が出来ないってことが出てきたら
学びや理解が進んだということでもあるから
次のレベルの説明を探せばいい

間違っていたということもない
否定する必要もないし批判する必要もない

自分がもっと一つ上の知識
高度な情報と解説に進む段階が来たって
それでいいんじゃないかな…

と私は思う

そんな私は最近いまさらながら
斎藤一人さんの講座の動画を聞いていたりする
(UPしてくれている人には感謝あるのみ)

なぜなら
お客さんに説明する語彙力を身に着けるのに
難しい言葉ではなくてわかりやすい説明と言葉だから
とても参考になる
(一人さんの教え全部をまるっと盲信するのではなく
ああそうだなと心に響くところ
納得できて賛同できるところだけ
ご意見を頂いているという感じ
講話の中から今の自分がハッとする言葉
必要だと思える教えを見つけさせて頂いている)

すごーく長い間
勉強するのをさぼっていたなあと痛感する

私の霊的知識のバックボーンは
ダスカレがまとめてくれたものだけで十分だけど
プロとして仕事をしてお客さんの相談に乗って
ヒーリングをしてカウンセリングをして
人に教えたりするならば常に勉強の継続は必要だ

学ぶことを忘れてはならない

日々気づきだなー 
学ぶべきことはまだまだあるなーと

毎日毎日新たな気付きを色んな人から頂いている

ありがたやありがたや



さてさて
そしてたまーにblogの内容に関して
あなたの知識は間違っているとのお説教?
正しい知識はこれですよ~みたいなの
頂くことあるんですけども

その知識や教えはその方にとっては
信頼すべき真理の知識なのだと思いますし
その方の信仰や知識は尊重致しますし
否定・批判はしません

互いの立場や意見を尊重した上での
互いの知識や見解の相違を論じ合えるのであれば
それはそれで実りある交流が出来るのでしょう
ですが
ただ一方的にご自身の主張の正しさを
証明するがために自分とは思想の違う相手を
ただ否定して誤りだと決めつけて批判しての
ご自身の信条や思想や意見の押し付けであれば

私にとっての真理の知識は
すでにありましてこれで納得しておりますから
どうぞご遠慮下さい
そのような勧め方をされる方の知識は要りません
…という感じです

私のblogに書いてあることが
その方の真理とは異なり納得できない
おかしい謝った知識だと思うのであれば
役に立たない眉唾な話 インチキ話
あるいは戯言とお笑い下さってスルーして
以降は読まないで下さればいいのです

何もご自身が読んで不愉快になる情報を
その目に入れる必要はございません

ご自身が賛成できないこと納得できない知識に
時間を割く必要はないと思います

貴方様がご自身の信念に忠実であることを
私は十分に尊重していますから
どうぞご自分の意見を大切になさってください

自分は自分 人は人

その方にはその方の仕事があり
その方にしか出来ない仕事があり
その方にしか教えられないことがあり
その方を必要としてらっしゃる方がいる

私には私の仕事があり
私にしか出来ない仕事があり
私にしか教えられないことがあり
私を必要としている人がある

でもその方を必要としている方と
私を必要としている方は別なんです

その方の説明や知識を求められている方がいて
その説明や知識でないと納得できない人がいて

でも私の説明や知識を求められている方がいて
私の説明や知識でないと納得できない人がいて

お互いがお互いのポジションで出来ることをして
助けられる人を助けるだけでよいのだと思います

それでよいのではないでしょうか

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