2018/09/20

異次元散歩での奇妙な出会い

先月と今月の体験談。

夢と呼ばれる世界が、
四次元(サイキカル界)とイコールであることについては、
これまで何度か説明してきた通りなのですが。

サイキカル界は自分の想念の存在する世界であり、
自分のサイキカル体(四次元の身体)が、
行くことの出来るエリアで体験することであって、
従って、行ける場所は限られています。
※すべてのサイキカル界のエリアに
 行けるわけではない、という意味で。

過去からこれまでに辿ってきた道のり
+今の霊的成長の段階で行ける場所
ということで、
そこで出会う人は自分と波長の合う人
すなわち霊的レベルが同じ人ってことになりますね。


さて、その日の「夢」の中で、
私はとても広大な、お屋敷のような、
平屋造りの日本家屋にいました。
ちょっと面白い、迷路みたいな家。
でも、色んな人がその屋敷の中で、
自分の居場所を作って住んでいるんです。
まるでシェアハウスみたいに。

気が付くと、
たった三畳くらいの開け放たれた部屋の中、
私もテレビで見知ったことのある妙齢の女性が、
一心不乱に絵をお書きになられているんです。
亡くなったときよりは少しお若い頃の姿で。

絵描きさんではなく、某伝統芸能の方ですが、
何故かひたすら絵を描かれていたりする。

ちなみに私はとくにファンでもなんでもないです。
スキャンダラスなゴシップ記事で、
お名前とか素性とか、その下りを
ほんの少し存じ上げていたってだけのこと。
当然ながら、今は故人な方です。

私の話しかけたことに応答はあるけれど、
存在にはほぼ無関心で、
顔をこちらに向けることはせず、
ただ絵を描くことに集中しているのでした。
生前、絵が趣味だったかどうかは、
知る由もないのですがね。

生きてらっしゃったときには、
もっと広い自室を持っていたと思うのですけど、
それにしてもどうして、
無限大かつ迷路のように巨大なお屋敷の、
たった三畳程度のとても狭ーい部屋に、
大切なもののあれやこれやを押し込めて、
そこだけが自分の住む世界で居場所だと、
そう言わんばかりに机の前に身を縮ませて、
ひたすら一日中絵を描いているのか…
私にはわかりませんでした。

部屋の仕切り(ふすま)は開け放たれているものの、
廊下を通り過ぎ、行きかう人には目もやらず、
声を掛けられても淡白な対応で、
同じ屋敷に居を構える人と交わらず、
積極的に関わろうともせず…

その姿はブラウン管の向こうで見知り、
マスコミなどが語ってきた、
その人の虚像とは一致しないものでした。

てなわけで迷惑そうなので、
私はその屋敷の中、すぐにお暇下のですけども。


さて、これは先日。
今度は舞台というか、景色が西洋です。
色々な事件というかドラマが展開しまして、
そこはちょっとアレなんで省略しますが。

目覚める寸前に、ある名前を語られました。

「トルーマン・カポーティ」

「…? 誰やソレ。
 聞いたことあるような無いような」

一生懸命忘れないように暗唱して記憶して、
起きた後、パソコン立ち上げて検索しましたよ。
ネットって実に便利です。

ああ、「ティファニーで朝食を」
の作者さんだったんですね。
まったく知りませんでしたっっっ
ちなみにこの映画も見ていませんっっ
名作なのはわかっていますけど、
あんましオードリーの映画は見る気がしないのです。
(「シャレード」は見たかなぁ)

ちょっと色々不思議な感じでした。


なんだかなー

夢と言う世界、四次元たるサイキカル界で
出逢えてしまいましたってことは、
以前お会いした歌舞伎役者さんもそうだけど、
今回の〇間〇さんも、トルーマン・カポーティも、
私と同じ霊的次元に属している人って、
そういうことになりますのよね。

なんだかなー

でも、
話がとても合いそうな人たちではないんですがっっ

謎です。

きっと何か共通点とか類似点があるのでしょうね。
知りたいような知りたくないような…


追記:
ちなみに、
伝統芸能の師匠さんである某さんは、
亡くなられてからの転生前の状態。
トルーマンさんの場合は、
過去生のパーソナリティのコピーとしての、
エレメンタルです。

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