2016/07/17

会うは別れの始め~去る者追わず

ちょっと前のことですが、
「10年位前、駒込に住まわれてなかったですか?」
と、当時一度いらしたことのあるお客さんから、
問い合わせを頂いたりなんかしました。
(奥さんを見て頂きたくてとのことで)


探したんですよ、と仰って下さいましたが、
よく考えたら、4年前の転居のとき、
サイトアドレスも名称も変えていたんでしたっけね。
メールアドレスもプロバイダ変えてますし~。

そういえば転居多いですかしら、私。

検索すれば出てくるようにも思うんだけど、
意外と出てこないものですね。ハハ
手がかりが少ないと無理のようで。

仕事の名前だけはなんだかんだ変えていませんが。
(純血の日本人なのに外国人の名前ってヲイ)


で、これまでいらしたお客さんの中には
子供の頃占い好きでして~という方もいて、
私が原稿書いてた某占い専門誌の読者さんだったとかで、
「あのアルマさんだったんですね!」と驚いて下さったり、
その同じ出版社の子供用学習教材の付録でも、
おまじないとか占いの連載書いてたことあったんですが、
その教材を買ってて読んでましたよって人に出くわしたり。
(小学校低学年向けのだったので歳月と年を感じましたっっっ)


そんな風に雑誌とかネットでのコンテンツを
書いてた時代もあったんですが、
有料コンテンツのほうは終了しまして(上記の専門誌のネット版)、
無料配布ツール(ルーンオラクルとタロットの)はまだあって、
「これ毎日やってましたよ。まさかこれ書いた人と同一人物だとは」

なんて出会いも昨年あったりしてっっっ。

今は肩書きが占い師ではないですもんね。
ちなみに、占いの原稿って書くのしんどいから嫌いなんです(笑)
締切がプレッシャーになるから私には向いてない仕事。

ていうか、原稿担当の人との相性が大きいですかね。
某ヲタ系(アニメのパロディ)の漫画雑誌の時は、
編集長さんがのほほんとしたイイ人でやりやすく、
アットホームかつ好きにさせてくれたから楽しめたけども。

雑誌の対談記事読みましたよ~なんて、
一度しかやったことないし、当時の雑誌なんて捨てちゃってるし。
自分でも忘れてたこと覚えてる人がいたりするんだな、これが。

てなわけで、昔の自分を知ってる人に会うと照れます。
(なんで、知ってるんだ! みたいにビビる大木)


まぁ、お陰様で占い師としてお店に出ていたときは忙しかったです。
やはりその手の店は気軽に立ち寄れますものね、価格も安いし。
もちろん、超ヒマな場所もありました。都内は大体忙しいケド。

辞めるときは次のとこなんて案内できませんからね。
雑誌で紹介していただいたとき、
あの時あの場所の・・・と連絡頂けたのは気恥ずかしくもあるけど、
覚えて下さっていたことがとても嬉しかったものです。


雑誌などメディアで紹介されると確かに反響ってハンパない。
メディアの力って本当にすごいなって思う。
でも一時的な忙しさなんですよ。
雑誌で見て来られる方で、リピーターさんになる方は一割くらい。
だからメディアに紹介されようとPRに余念のない人もいるわけで。

私の場合、掲載のお陰で上記のように、お店やめてそれきりになってた
懐かしいお客さんに出会えたということもあったけれども。
こっちのほうの仕事でも何度か紹介して頂いたことはあるんですが、
なんか盛った記事になっちゃうし、取材も不愉快な気分になること多くて、
(無料で紹介してあげるんだからって態度のとこは多いですね。
菓子折り持ってきてくれたのは国営放送だけだったかしら)
私はいまいちメディアの人たちとは相性が良くないようです。


今はヒマだなあ・・・けどそれがいいなって・・・
あ、経済的にはそれじゃダメなのか(笑)

ええ、無名の人が一番いいです。

そんな有名になるような器ではないし、実力もないし、
隠れてこそこそ、ちまちまやってるのが性に合うみたい。






で・・・

知り合いのヒーラーさんの中にはお客さんのデータ、
何年たってもずっと大切に管理している人もいるのですが、
(その方は本当にご縁を大切にする方。私と大違い)

私はお客さんのデータは2年くらいで削除してしまう人。
というか、一年以上いらしてなかったり、
ちょっとしたお知らせメールとか出しても、
とくに何も返信も反響もない人に関しては、

「ああ、もうこちらと関わることは望まれてないのだな」と、
判断して、頂いたメールや個人情報をアウトプットしたものすべて
削除しちゃいます。

2回出して2回とも返信がなかったら、サクッと・・・


元よりこちらから来訪を促すようなサービスではないし、
基本的に営業はしない方針でして。
(ていうかそれをしちゃいけない職業・職種だと思うので)

私に会って、セッションを受けてみて、
がっかりしたり違うなと思ったかも知れないし、
一度のセッションでもう十分だと思ったかも知れない。
問題が解決して必要なくなっていたり、
他にもっとその人に合った、いい施療者を見つけたかも・・・だし。

転居したときは連絡をしたりすることもあるけど、
直近利用した人に限ってかなあ。

そういう意味ではFBでお客さんと友達になるってのは、
いつもスッパリ切れるところに距離を置く自分としては、
例外中の例外というかかなーり珍しい現象だと思ったり。
(Mixiに関しては辞めちゃいましたから)
イレギュラーな新しいやり方もたまにトライしてみるけど、
さて、いつまで続くかしら(笑)

でも、そう。ご縁を切りたい人を追うことはしません。
ていうか、関わってこない人はさっくり切る主義ってだけか。

そうですね。
相当前ですけど、サイトのリンクのことで、
私の職業を考えたときに「貼って欲しくない」というようなことを
かなり遠回しな言い方で断れたこともあるので、
数年間セッションを受けてくれて長い付き合いのあった方でも、
この手のサロンに通ってたことを周囲に知られたくないとか、
私みたいな職業の人間と関わりあいを持ってるのはちょっと・・・
みたいに考えたりはばかる人もいるのでしょうから、
そういう意味で、先方から来ない限りにはこちらからは、
フェードアウトするのがいいかなって思っているわけです。

その昔、友人の旦那さん(某コンサルの会長)に、
「君が付き合う友人にふさわしくない」
と言われたこともありましたから(ちょっとトラウマ)、
生徒さんの旦那さんなんかも同意見かもねーと思いつつ。

ええ。占い師のときにしても、今の肩書にしても、
カタギ?の仕事している人たちからしたら、
得体の知れない、家族には関わって欲しくない職業の方、
なんでしょうね 

ご夫婦や恋人それぞれの紹介でいらっしゃる方もいるし、
ご家族の紹介(娘→母、母→子供、兄弟姉妹や親戚)
というようにいらっしゃる方の場合は、
そういう心配はしなくてもいいんでしょうけど、
そうでない方の場合は、家族やパートナーが
私のような職業の人間のところに出入りしていたり、
親しくしているのは、面白くないというか
騙されてるみたいに考えたりして不愉快な人もいるんだろうなと、
そこはそれ、遠慮しいに考えますし、
偽装工作も必要?というか、あれやこれや考えます。



生徒さんに関しては、
月謝を払って通ってきてくれているということで、
こちらと関わりを持ちたいという
積極的な意思表明を示してくれているということになるから、
私からも連絡はするけれど、
スクールのOBさんに関しては、そうでないので、
他のクライアントさんと同じスタンスになりますね。

その方から関わりを持ちたいという意思表示がないことには、
こちらから積極的に関わることはしないようにしています。
たぶんその方がいいんだと思うし。

本当は在学生の人たちにも、プライベートタイムでの誘いとか、
私からはしないほうがいいんではないかなあとも。
人間関係の無理強いや強制になってしまったらマズイと思うし、
私から誘うとイヤだったとしても断りにくいかなとか、
(上司と部下ではないわけですが)
あれやこれや考えてしまう今日この頃。


もとより、プライベートだともっと極端かも知れません。
こちらから誘ってばかりの一方的な関係は嫌いです。
3回誘ううち向こうから誘ってくることが1度もないと、
もうその時点でカットアウト。
メールの返信が遅いのは手紙時代の人間だから、
あまり気にしませんが、2通送って返信がないなら、サヨウナラ。
(多忙だとか連絡取れる状況にないとか、
相手の事情が見えていれば別ですよ
そのためのそこに至るまでの普段からのコミュニケーションだし)

コミュニケーションが取れない人とは、
人間関係を築くことができない・・・とは、
他人の言葉の拝借ですが、本当にそうだと思うのです。

友達でもなんでも相思相愛でないと難しいと。

私の場合、こちらから連絡して返信ないってことは、
「関わりあいたくない」と思われてると判断します。

用事のあるときはもちろんですが、
季節の挨拶でも何でも、年に一回でも継続的な連絡とか、
こちらの様子伺いを聞いてくることをまったくしない人とは、
関係性を築くことが出来ませんもの。

それをしない関係って単なる知人でしかないですし。
友達とも仲間とも、親しい間柄には成り得ません。

相手にとっては、こちらが生きていようが死んでいようが、
倒れていようが苦しんでいようが、何も興味がないってことで、
自分に無関心な相手と関わっていくほど、虚しいこと、
時間の無駄と言えることはなく、人生の浪費とさえ思うので。

だから、私がどうなろうが、この人は興味ないんだなと
そう思った時点で、COしてしまう。
自分のことを好きでいてくれない人と向き合っても仕方ないし。

人生の時間は長いようで短い。
時は金成り、という言葉もある。

自分の貴重な時間、人生を、誰のために使っていくのか、
どんな人と分かち合って生きていくのか、
自分の時間を誰に与えていきたいのか・・・

私と一緒にいて楽しいと思ってはいない、
私と一緒に楽しい時間をシェアしたいと、
こちらと関わりたいと、そうは望んでない人に対して、
限られた時間を割くわけには行きません。
一方的かつ片思い的に働きかけるのは性に合わないのです。


でもま、それでも会いたい人はいます。
天国に召されてしまった愛犬、愛猫、そして親友のゆりあ。
亡くなった存在に関してはどうしようもないけど・・・

家庭の事情で転居されて会えなくなったI・Sちゃん、
いつか検索して会いに来てくれないかなあって、
ただ連絡を待つしか出来ないのですけれど・・・
元気であることを祈りつつ。

また、切ったほうが互いのためかなあ、って、
そんな考えでご縁を絶った人もいますけどね。
それはそれ。




帰国子女のクライアントさん(NYと育ち)が、

「ニューヨークという街は、
様々な人種の様々な価値観を持った人たちがたくさんいて、
毎日たくさんの人たちとの出会いがある
そのすべての人たちと関わりあいを持つことは不可能
だから最初に会った時にあれこれ話して自分をさらけ出すの

初対面で正直に自分を見せて、その時点で気が合うなら、
もっと知り合いたいからって、明日の自宅のパーティにも呼ぶ
合わないなら、ハイ さようなら って別の人に行く
そしてもう二度と会うことはない

だって、時間をかけてゆっくりお互いを知りましょう、なんて無理
ニューヨーカーは多忙でそんな時間はない
そんなまどろっこしいことしてたらキリがない 
時間の無駄になる


だから最初にまず嘘は見せないで あなた自身を見せて
あなたがどんな人か見せてちょうだい 
見せない人はどんな人かわからないからつき合えない

そんな風にはっきりしているの」


・・・というようなことを仰っていた。
私には分かり易いというか、賛同できる考えかな。

ただ友情と信頼関係は、
時間と年月をかけて築いていくものだと思っているけど。

そういうのも、互いの働きかけ、歩み寄りの結果だものね。

コミュニケーションて大事だとつくづく思う。
言葉のキャッチボール無しに友情も信頼も築くことは出来ない。

もちろん言葉だけですべてを図れるわけではなく、
言葉より態度(行動)っていうのも真理だったりしますけども。
相手の気持ちに応える、気持ちを伝えることそのものが、
たわいのない会話や何気ない言葉だったりするわけで。

だから言葉の無い関係はありえないな。
物理的に会えなくても、相手を気遣う
思いやりの言葉のやり取りひとつ存在しない関係なんて、
私の人生には要らない。


まあ、とどのつまりが、
連絡をするってのは、相手に対する関心度の高さで、
好意を伝える手段だったりもするわけで、
それなくして人間関係は築けないってことでしょうか。

帰ってこないボールを待つほど虚しいことはないので、
私は待つことはせず、帰ってこないのならば待つ代わりに、
そこに高い壁を立てて、ご縁は切る方向で。
すると、それ以上の新しい出会いがあったりします。

実際、ひとつ手放すと新しい出会いが訪れるものです。


最近、色々と流れが変わってきています。
これから何が起こるのか楽しみでもあり・・・


とはいうものの、
もちろん今まで出会ってきたすべての方、
あらゆるご縁に感謝しています。
様々な経験を与え、教師となって教えてもくれた、
今の私を育てて下さった恩人とも言える方々ですから。
今の私があるのも、大小様々長短のこうした出会いありき。
皆さんのお陰だと本当に心から感謝していますのよ。
きれいごとかも知れないけど。

今生では意見の相違や感情のもつれで
途中袂をわかつことになった人のことも、
ご縁が切れてしまった方のことも、
親しくはなれなかった人のことも・・・
私のことを嫌っていたり、よく思ってないであろう人のことも、
時々思い出しては、元気で心安らかであって欲しいと、
その人の幸せを祈り、無事を願うばかりです。


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