一度(ひとたび)逢いし君と云へど
吾が胸のとに君は消えずも
「少しは民子の身にもなってやれ。
わしは60になるがな、
60まで生きて来た中で
何が一番嬉しかったかと言うとな、
死んだおじいさんと一緒になれた時くらい
嬉しかったことはないよ」
"野菊の如き君なりき"より
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互いに想い合う者は、その想いを遂げたほうがいい。
そんなことを今さら改めて痛烈にオバサンは思ったりする。
好いた者同士は、一緒になったほうがいい・・・って。
何故って、
どちらか片方というのではなく、
お互いに心が強く惹かれ合い、
求めあえる人と出会えることは、
長くも短くもある人生において、
そうそうあることではないから・・・
心から深く愛せる人に出会えることなぞ
そうそうあることではないし、
そのような人と出会えたこと自体が奇跡で、
人生の宝ものであるとも言える
輪廻転生を繰り返して生きる中でも、
互いに恋ひし慕われ、求められは求めあう
そんな相手とはなかなか出会えないものだから
片恋、一方通行の想いなら数あれど、
相思相愛で、運命の恋と双方が思える出会いなぞ、
願っても得られるものではない
また、遂げられない想いはしこりとなって、
その人を苦しめ、永遠に引きずる負の連鎖を産んだりもする
ことに恋愛に関してはそうだ。
引き裂かれ、泣く泣く別れを選んだならば、
心は千々に砕け散って、命の灯はやせ衰え、
魂は生きる屍となり、肉体は病み衰えてゆく
あふれでる愛の泉に蓋をすることは、
生きる喜びを捨ててしまうことと同じだから
昼ドラやレディースコミックスでは、愛しあう恋人たちが、
周囲の思惑や陰謀で引き裂かれたり、
他の人と結婚させられたり、相手のことを思って身を引いたり、
やんごとのない事情から生き別れになったり・・・などは、
よくあるお約束パターンだったりする。
けれど、大体において、
愛する人と引き離されたり、あきらめざるを得ず、
好きでもない人と一緒になったヒロイン、ヒーローは、
その想いを断ち切ることが出来ず、
結婚相手を真底から愛することも出来ず、
パートナーともども不幸の花道まっしぐら。
その昔、「風の輪舞(ロンド)」津雲むつみ作を読んだとき、
「愛し合うもの同士が一緒にならないと、周囲を不幸にする」
って思った。
まぁ、漫画だし、フィクションなんだけれども・・・
なんていうのかなぁ・・・
気持ちってごまかしてもダメなんだよね。
人の感情っていうのは本当に複雑なもので。
押さえつければ押さえつけるほどに歪んでしまうし、
熱い想いは煮えたぎって心を焼き尽くしてしまう。
勿論、私たちは自分一人で生きているわけではないから、
自分の心に素直に、
正直に生きることばかりも選べないし、出来ないのだれど。
でも、自分の人生、
誰か他の人が責任を取ってくれるわけではないし、
(輪廻転生のことはさておいて)
一度きりの人生と考えて行動するべきこともたくさんあって、
大好きな人の腕の中に飛び込む勇気を持つべき時も、
今がその時ではないかということもあるわけです。
恋愛は人生の重要課題ではないとも言えるけど、
人を愛することってとても大事で、それは人生の基本でもあって、
愛する人と巡り出会えたならば、人生はそれだけで素晴らしく、
生まれてきた意味も価値も見いだせるくらいに・・・
互いの傍に居られて、心を通い合わせること、
共に人生を歩める喜びは至福の喜びであるわけだから
そんな自分へのご褒美を放棄する必要はどこにもないのです
相手にとっても、自分と共に生きることは喜びなわけで
(つまりは自分というギフトを提供することだがね)
確かに心は気まぐれで、
一生の恋、100年の恋と思ってもいつか覚めるときもあるし、
人の心は変わりゆくこともあるけれど・・・
人と人との関係性に絶対はないけれど・・・
死ぬまで添い遂げられるかどうかは別として、
本当に心から好きだと、
この人と一緒に居たいという人と出会えたならば、
自分の気持ちに正直になって、どうかその手を離さず、
共に花も嵐も踏み越える勇気を振り絞って欲しい
いつわりの愛、まやかしの幸せの中に埋没したりせず
好きではあるけれど
愛してはいない人を愛しているふりをしたりせず、
自分さえ我慢すればなどと心を押し殺したりせず、
相手にふさわしいとかふさわしくないとか、
そんなことを自分で決めたりせず、
ただ出会えた喜びを伝えて、
愛する気持ちを表現する道を選んでほしい。
人生は長いようて短く、
次の人生でと思っても、今生は一度きりなのだから
自分を幸せにすることこそ、
この世を平和にし、周囲の人を幸せにすることなのだから
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「生まれた時は親だの兄弟だのと言ってみても、
いずれは別れ別れになるのがこの世の定めです」
「儚いもんですなあ。
生きてるうちは泣いたり笑ったり、
いろんな苦労を散々して
しまいはどうでもこうでもお墓に入らにゃならん。
金持ちも貧乏人もみんな同じや
老い先短い年寄りには昔の夢しか残っていない」
木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」
とても抒情的で詞的で、好きな作品のひとつです。
原作は伊藤佐千夫の「野菊の墓」で、
舞台となったのは、矢切の渡し。
見るたびに、そして思い出すたびに、
何故か号泣してしまいます。
イトコ同士の若い二人の、淡い初恋のお話し。
思い合っているのに、引き裂かれてしまう悲しい恋のお話し。
好きでもない人のところに嫁がされて、
好きでもない人の子を身ごもって、流産して、
たった20年にも満たない人生を終えてしまった民さん。
同じ寿命であるならば、
好きな人と一緒になって、
好きな人の子を身ごもって、
大好きな人に見送られて、その手を握られて、
この人生の終わりを逝きたかったろう
そら若くして儚く散りゆく命なら・・・
せめて想い想われ、恋慕う相手と添い遂げて
短くも幸せで、
心穏やかな生涯を生きさせてやりたかった
政夫さんは誰をも娶らず独身を貫き、
生涯、民さんを思って生き、老いていく
(それが前述のセリフ)
結ばれなかった二人の切ない、切ない恋のお話し。
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「民子はな、お前の名前を一言も言わなんだ。
だもんでな、諦め切ってるものと思って、
一目も会わさなんで許してくれや。
だけどな、息を引き取って枕を直そうと思ったら、
左の手にな、樅の布に包んだものをしっかりと握って、
その手を胸に乗せてたんじゃ。
樅の切れに包んであったのはな、
樅の切れに包んであったのはな、
お前の手紙と、りんどうの花じゃった」
…(民子は)桐の葉に包んで置いた
竜胆の花を手に採って、急に話を転じた。
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。
りんどうはほんとによい花ですね。
わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。
わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花…」
花好きな民子は例の癖で、
色白の顔にその紫紺の花を押しつける。
やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。
「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」 「どうして」
「さアどうしてということはないけど、
政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」
民子は言い終って顔をかくして笑った。
待つ人も
待たるる人も 限りなき
思ひ忍ばん 此の秋風に
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