2018/07/31

食わず貧楽高枕~昭和のこども時代

仕事やこのブログテーマとはあまり関係のない、
私個人の戯言、想い出語りです。
興味のない人はスルーしてください。

今年の夏は災害レベルと言われるくらい暑くって、
「え? 日本の夏ってこんなに暑くなかったよね?」
という話を会う人会う人としています。
例年は来客のある時以外、エアコンを使わない私でも、
今年はちょっとヤバイかも…とバンバン使用していますし、
コールドドリンクを飲むときにも氷抜きが基本なのに、
自宅でもガンガン入れて飲んでたり。

でも、
この蜃気楼が揺らめきそうな夏の眩しさを見ていて、
ふと子供時代の夏を思い出したりしました。
懐かしい幼少期の風景を、気温こそ違えど、
昔と同じ高さにある真夏の太陽が、
瞼にありありと蘇らせてくれたのでしょう。

リアリティをもって当時を思い出してしまうのは、
年を取ったせいでしょうか。

とても色鮮やかなスカイブルーの空。
その下に水平線にて境界線が分けられた、
白い波しぶきの立つ、青い海。
どこまでも続くビーチ。
混雑する駐車場、人の群れ、海の家など。

夏の匂い、太陽の眩しさ、潮の香り、
とてつもなく長く感じた、夏休みの充実した時間。

親の出身地は鹿児島県ですが、
私自身は千葉で育ちましたから、
夏休みというと、
どうしても海、海水浴が想い出なんですね。

君津、木更津、館山、白浜、稲毛浜といった内房の海。
御宿、九十九里、勝浦などの外房の海。
そして茨城は大洗の海。

民宿に泊まって、川でカニや小魚をとることもしたし、
浜で砂遊びをしたり、
浮き輪つけて波に浸かったりもしました。
(泳げませんが)

海から出た後、
塩や砂まみれの身体を洗うまでの不快さや、
べたべたした身体のまま、
海の家で食べる、焼きトウモロコシやかき氷、
たぶん本当は美味しくないであろうラーメン、
イカ焼きやハマグリやサザエなどの浜焼き、
なんであんなに美味しく感じたんでしょうね(笑)
日焼けした後は痛くてかゆくて、
本当に大変で、皮がボロボロ剥けて汚くて、
二度とあんな思いはしたくないなって思いますけど。

ずっと忘れていたのに、ふいに脳裏に浮かんで、
あれやこれや思い出してしまいました。

そしてつい先日、
いつもいくマッサージ店のお馴染みの施療師(♂)さんと、
世間話をしていて、
子供の頃どんな遊びをしたかっていう話になったんですね。
世代は親子ほど離れているんですけど。

水鉄砲でガンマンごっこ、少年探偵団ごっこや宝さがし、
近所の畑でザリガニ釣りしたー 
カブトムシやクワガタ取ったー 
そんで戦わせて勝ったほうが全部もらった
トンボやカエルも取ったー ホタル狩りもしたー
昔は虫とかヘビとか平気で触れたよねー
めんこもしたー 駄菓子屋が子供が集まる場所だったー
仮面ライダーごっこもしたー(親のスカーフとベルト使用) 
風呂敷一枚でヒーローになれたわー

とかとか そして
秘密基地はお約束で作ったよね~
秘密って言っても、周囲にはバレバレだったんだけど
当人たちは誰にもバレてないと思ってたよね~

なーんて

ここまで話して
「あれ? すべてこっち側(男子)の遊びじゃないですか」
と突っ込み入りましたっっ笑

そうですね。
幼馴染が男の子だったせいもあり、
私、男の子ばかりと遊んでいました。
アニメや特撮もヒーロー系、ロボットもの好きで、
女の子向けはあんまし興味なかったです。

そして、どうでもいいガラクタをのことを、
タカラモノ見つけたー!とばかりに拾い集めて、
クッキーの缶みたいなのにコレクションしてたよねって。
このあたりは世代が違っても同じなんですね。

なんでしょうね。
はっきりいってゴミなんですよね。
くだらないものと言えばそうなんだけど、
それが子供の時の眼で見ると、
キラキラ輝いてみえちゃうの。

実家は今でこそ新興住宅地になってしまったけれど、
当時はまだ田んぼとか畑とか多くて、
とんぼもたくさん飛んでいて、
セミも蝶もカマキリも色んな虫も、
ヨモギや土筆や雑草が生えてる空地も残ってて、
山とかのまるっきり田舎っていうのでもないけど、
都会というのとも違ってた。
自然がたくさん残ってたんですね。

近所には自動車修理工場なんだと思うけど、
とてつもなく広い敷地にスクラップ化した
自動車が山積みにされている場所があって、
そこに入りこんでは、メカニックな処理物の山の中から、
自動車の部品とか、色んなものを見つけては、
ワクワクして拾い集めていたんですよね。

あ゛ー普通女の子はそんなことしないんですがね。

今だったら考えられないし、
とても危険だったのだと冷や汗ものですが、
大人たちに怒られることもなく、探検を愉しんたものです。
(車のパーツでたくさん遊んだけど、
メカ好きにはなりませんでしたなー
そして今考えると、アレ事故車ばっかりだったわーと冷や汗)

だから、映画「スタンドバイミー」を見ると、
なんかわかるわー あの感覚って思っちゃうのです。

本当にあの頃って、遊ぶことにお金かけてなかった。
どうでもいいもので妄想や創造力働かせて、
それだけで一日中楽しめたものです。
いやさ駄菓子屋さんでお菓子購入したりもありましたが、
10円20円の世界でしたしね。

空地や道路で缶蹴りしたり、
かくれんぼしたり、鬼ごっこしたり、
チョークで地面に絵を描いて、ケンケンパしたり、
虫捕まえてやらかして(謎)、野草や花の蜜食べて、
枝や廃材やガラクタ集めてちゃちい基地創って、
それだけで365日楽しめたんですがな。

たまに、お金持ちの家の子のうちに行って、
消える魔球ゲームや人生ゲームを
やらせてもらったりはあったけれど。
(庶民の家では麦茶とせんべい。たまにスイカ。
金持ちの子の家に行くとジュースとクッキーが出てくる)

今みたいにゲームはない時代だし、
テレビだって一家に一台で、ない家もあって、
まだバラックに住んでる人もいて、
給食は新聞紙にくるんで持ち帰ったり届けたりで、
塾もせいぜいソロバンと習字くらい。
お金持ちの子はピアノなんてのもあったけど。

オイルショックとロッキード事件の後、
昭和50年代に入ってから、
突然世の中がガラっと変わって、
急にモノがあふれて、日本も豊かになったけれど。

それまではホーント、
半分くらいの人がビンボーって感じで、
ビンボーはそんなに恥ずかしくないっていうか、
食べ物も洋服も何もかも、あまりないから、
それで満足していたって感じです。

でも、そんなにのどかな風景があった反面、
歩いて30分くらいの湾岸側は工場地帯で、
高い煙突からはいつも煙が出ていて、
真夜中であっても空はいつも真っ赤に燃えていて、
「光化学スモッグ注意報」が度々出ては、
外で遊べない日も多かった。
クラスメイトの多くは喘息や気管支炎を患い、
潮の香りと工場の臭い。朝には港の汽笛。
時々寄港中の外国船の乗組員の人たちもよく見かけた。
東京の家や土地を売って越してくる人や、
地方から工場に働きに来た人たちで人口も増え、
毎月必ず転校生がいて、珍しくなかったのです。

そんな幼少期、環境でしたねー
これは世代だけでなく土地柄によっても違うはずですが。

工場で働くために全国から集まってきた人が多い、
工場のおかげで発展し衰退したそんな街でしたから、
東京にも近く、完全な田舎ではなく、
都会でもない中途半端な場所でしたけど、
そのお陰で排他的でないのが救いでしたかね。

モノがないから創意工夫して遊ぶしかなくて、
食べ物もあるもので我慢するしかなくて、
ジュースなんて高いから、水ばかり飲んでて、
麦茶でもすごいありがたくて、
甘いものなんて滅多に食べれなくて貴重で、

でも近所の子供たちと遊ぶ時間、
そして遊ぶ場所はたくさんあった時代。

気が付けば、どこのだれかわからない子が増えてて、
名前も知らないけど一緒に遊んでいて、
年上も年下も性別も関係なく、
子供たちなりにルール作って遊んでケンカして
仲直りして仲良くなって、
そこで理不尽な力関係やコミュニケーションの取り方、
教わったかな、という感じです。
ケガさせられたりケガさせてしまったら、
悪さしたほうが親に殴られて菓子折りもって
誤りに行ってそれで赦して解決って流れがあって、
秩序も保たれてたよなーってホント思います。

今は、東京23区に住んでいるというのもありますが、
時代的にはホントになんでもあって、
食べ物もモノも、便利な商品も、
インターネットもPCも携帯やスマホもゲームも、
昔なかったものがたくさんあって、
私たちの子供の頃と考えると夢みたいなんですけど、

子供たちが走り回って、日が暮れて遊び疲れるまで
遊んだり冒険するような場所がほとんどなくて、
学校から帰ってきたら塾に行かなくてはいけなくて、
夜遅くまで勉強ばっかりで。

なんかやっぱり可哀そうだなって思ってしまいます。

地方、田舎とかはまだ、
遊ぶところたくさんあるんでしょうが。

それにしても友達や誰かといても、
ゲームの画面ばかり見ていて、
一生に一度しか体験できないことや、
見られない景色を目に焼き付けることもないのだと、
そう思うと、なんかなって思うのです。

漫画もアニメも
私たちの頃は子供向けのがたくさんありましたけど、
今の漫画もアニメも、大人のために作られてますしね。
子供のための作品はほとんどないです。

与えられたものではなく、自分たちで見つける楽しさ。
自分たちでガラクタの山をお宝の山と錯覚して、
そこにロマンやワクワクを見つけた創造力、
空想力を刺激する遊びができる環境。
都会にも残っているのかも知れないけど、
そういう遊びに浸ることを許さない現実が、
今の社会だったりします。

(子供たちの声がうるさいとか、あれやこれやで)

昔が良かった、と言うつもりもないし、
昭和という時代が良い時代だったとも言えないけど。

思うに、今の世にコミュ障やナーバスな若者、
適応障害や職場で使いものにならない新人とか、
登校日になると自殺してしまう子が多かったり、
不登校や社会に適合できないニートが増えてるのって、
そういう、幼少期に学校とは別の、こども社会にて、
自らの居場所を作る機会や社会性を学べなかったこととか、
そういうのも少し影響しているんでは?とも。

子供が子供がいられる時期に子供でいられなかったことや
エネルギーを発散する機会がなかったというのか、
空想力を鍛えることとか、創意工夫をする機会とか、
我慢するしかない状況に置かれてあきらめを知るとか、
親だけでなく親以外の人に叱られたり、
ケンカして加減をしったり、殴られた痛みを経験したり、
謝り方を学ぶことも含めて、あれやこれや。

だって小学生の鬱って、今とても多いですもん。
小学生でスクールカウンセラーにかかってる子ばかりって、
いったいどうなっているんだ、ニッポン!て思います。

今の子たちはホント逃げ場所がないっていうのかな、
親もアダルトチルドレンやメンヘラで自立できてない人多いけど、
精神的に追い詰められてて、ストレス過剰なんじゃないかって。

お金だけ、モノだけ与えてたらいいって、
お金があることが大切って、
どうしても今の日本社会の価値基準はそうなっちゃっていますが。
(実際今の子育てはお金がかかります。
私たちの時代とは違いすぎ)

校内暴力の嵐やバブルを経験して
楽観主義が身に付いている浮かれ世代が言うなよ、
ですけれど・・・

昭和の時はまだ、心のゆとりがあったように思うのです。
決して豊かな時代ではありませんでしたが。

個性的な人たちが多く、人間関係も熱くて、
ハチャメチャで面白い時代でもあったなーと。
テレビ番組も今より質が良くて、レベル高かったです。
そして何よりモノを大事にした時代でした。

今はモノだけでなく、
人さえも消費する時代になっちゃいましたね。
よくなったこともたくさんたくさんあるけれど。

あと、やはりビックリするのが、
どこに居てもみんなスマホやタブレットやらいじってて、
LINEとかSNSやアプリでのレスは早いけど、
目の前にいる人と会話することはおざなりで、
今リアルに見えている景色や体感していることに対しては、
見事にスルーなんですよね。全然見てないっていうか。
誰かと一緒にいても食事していても、
ひたすら機械をいじってるだけ。
それって一緒にいる意味あるの?って思う。

なんかなー です。


そして日本はどこに向かっているのでしょう。

てなことを思ったりします。

0 件のコメント:

コメントを投稿