2016/08/30

苦悩する家族~兄弟姉妹は他人の始まり(後半)

"私たちの清らかな愛の結晶、まだ幼い姫は、
 幼いながら気品のある淑やかな娘ですから、
 立派な教育を受けるに値すると思います。
 お願いですから、
 少しはあの子を愛してやって下さい。"

     シェイクスピア「ヘンリー8世」より
      キャサリン王妃の王への手紙
 

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先月のGレッスンのお題(リーディングとカルマの考察)で、
ヘンリー8世とアン・ブーリンを取り上げた。

事前に、ちょうどネットTVで「ブーリン家の姉妹」が、
一か月無料視聴できるとあったので、
視聴してね、とお願いをして(それでも見てない人はいるw)。


上手く情報を引き出せない人もいるんだけど、そこはそれ。
完璧にリーディングするよりも事前の下調べや、
自分には無関係な垢の他人のことを、
客観的に知ろうとする試み、その姿勢が大事なわけで。
(リーディングの精度に囚われるべきではない)

アカシックリーディングにしても、
単なるエレメンタルの読み込みにしても、
事の全容及び詳細をとらえ、
かつまた正確に細部の情報を読み取るためには、
視野の広さや基礎的な知識(ありとらゆる分野の)、
そして何よりも自分以外の人間に対する興味と共感性、
好奇心が重要なファクターであり基礎を築く礎となるから。
(精神のオクターブの広さ、洞察力の深さ、心の知能指数の高さ、
多次元から考察できる知性など、それらも重要ですけれども)

数学を解くにはまず足し算引き算などの算数が、
文学や国語を解するには文字の読み書きが、
・・・ってなのと同じです。




さて、ヘンリー王の時代は、
日本では室町末期、戦国や織田信長より少し早い時代。

若い頃は賢王の兆しがあったものの、
長年連れ添った糟糠の妻を離縁し、
王妃を次々ととっかえひっかえ(処刑)してまでも、
跡継ぎを設けることに執着し、
そのためにローマカソリックから離脱し、国教会まで立て、
忠誠を尽くしてきた国の益になる忠臣をも処刑してしまう。
彼を独裁者のようにしてしまった原因は何なのか。
どのような個人のカルマがあってのこの人生だったのか、
彼はイギリス王家にどのような負債を遺したのか。

そして、アン・ブーリンは・・・?
彼女はどうすべきだったのか、何が彼女をそうさせたのか。
ブーリン家のカルマとは?

・・・みたいな・・・

そのあたりを掘り下げていくつもりだったのですが、

結果的に、
二人とも同じような闇を抱えていたという事実に突き当たったり。

ヘンリーは、正当な跡継ぎである兄の控えであり、
あくまで何かあったときの二番手としての自分の立場、
兄と差別されて育てられる過程において心を歪ませてしまった。

アンは、美しい姉・・・両親の期待を一身に背負っている
姉と自分との境遇の差、愛情の差に傷つきながら、
子供の心を持ったまま大人になった。
両親に愛されたい、期待されたい、注目されたい、
そんな承認欲求があったからこその、あの行動だった。

二人ともアダルトチルドレンで、
ヘンリーの育ち方は機能不全家族といってもいいかも。
お貴族様の中でも、王室はまた特別ですからね<親子関係

ヘンリーの方は、それでも子供の頃は活発で、
兄とも対等というか普通に接することが出来て、
無邪気に過ごすことが出来ていたけれど、
幼年期から少年期に至る時期において、
圧倒的な兄との立場の差を植え付けられ、思い知らされ、
段々と陰鬱で、斜に構えるような、
後ろ向きに物事を見るクセが付いていったようです。
コンプレックスをこじらせたというのかな。

(どうせ、オレは予備の子供だからさ・・・みたいな。
ここで、蓮舫さんに「二番目じゃダメなんですか?」
とでも言ってもらいたいかも)

だから兄が急逝して後を継ぐことになっても、
嬉しくないというか、やれやれ的な・・・
今頃みんな擦り寄ってきやがって的な・・・
そんな感じだったみたいですね。

子供時代は素直ないい子だったのに、
同じ両親から生まれた兄弟であるにも関わらず、
立場が違うからと、周囲によって差別された結果、
ひねくれたイヤなヤツになってしまった感。

で、自分が生まれたときから長男である兄の予備で、
兄が王であることは生まれたときから決まっており、
自分は2番目に生まれたばっかりに王に下る臣下として、
差別され育てられた陰鬱な子供時代を過ごした
屈辱的な経験から、
生まれたときから正当性を疑われない、
誰もが認める立派な嫡子(長男たる跡継ぎ)に
こだわったみたいです。それも自分の血を継ぐものとして。

庶子の長男なら居たわけだし、
正当性のある跡継ぎというなら、娘(メアリ)がいたわけですが。
彼の心に空いた穴、トラウマたる
幼少期に刷り込まれた価値観は、
その事実だけでは埋め合わせることは出来なかったようで。


一方のアンもまた同じ。
王とその家臣というほどの差別はされなかったと思うけど、
両親の期待は明らかにいつだって美しい姉にあり、
美しくない自分は両親をがっかりさせる存在で、
両親の愛情に飢えていた根暗な少女ってとこ。
でも、彼女は負けん気が強くて、
何とかして、両親の関心を引きたいとも思っていた。

だから、姉を超えたかった。
姉がヘンリーの愛人になり、庶子を産んだのなら、
自分はそれ以上の存在、正妻になり、
庶子ではなく嫡子を産んでやる!!
姉にはできなかったことを自分がすれば、
両親は自分が娘であることを誇りに思って、
私の存在を喜んでくれるに違いない。
姉よりも自分のことを評価してくれるに違いない。

(それで王妃になることに固執したんだなー)

もし、アンの両親が姉妹二人わけ隔てなく、
どちらにも愛情を注いで、
それぞれの資質と個性を認める子育てをしていたなら?

当時のテューダー朝、イギリス王室が
世継ぎの嫡男もその後の息子も、
どちらも大事な王子として待遇に差をつけずに育てていたなら?

ヘンリーは最初の王妃と離婚せず、
子煩悩な父親になっていたかも知れません。
メアリ王女は優しい王妃になり、
ブラッディメアリーという渾名を冠することもなく・・・

ああ、
でもすると偉大な処女王エリザベスは、
生まれなくなっちゃうんだな。
いやさ、浮気はしてもアンは愛人で満足して、
子も庶子ってことでそれ以上は望まなかったかも。

英国教会は生まれず、ローマカソリックのまま、
イギリスはプロテスタントの国にはならなかったかも。
するとアメリカもカソリックの国になったのかな。
スペインと覇権を争うほどの海運国にもならず、
大帝国時代を築けなかったかも知れません。


てなわけで、
歴史は随分と変わっていたでしょうね。


たかが、子育て・・・
たかが、幼少期の両親との関係だったりしますが・・・。

幼少期に親を含めた周囲から、
自身の存在を肯定され十分に許容されていること、
満足のいく豊かな愛情を受けた記憶があるか否かが、
後の人生を支配し、狂わせることもあるのですよね。

親との関係性が人格形成に影響を与え、
幼少期の育ち方、刷り込み(インストール)によって、
価値観や行動規範の基準がしかと築かれて、
求める方向性が決まっていくのだな・・・と。

心の飢餓状態は、幼少期の愛情不足によるものが多く、
大人になって誰かから愛されたとしても、
なかなか埋め合わせることは難しいようです。
その飢餓を埋め合わせる代償行為として、
不健全な習慣や関係に導かれていくことも少なからずで。


一般家庭のことなら身近なニュースですけれど、
こうした史実、歴史上の人物のケースで見てみると、
親の責任て重大だな。。。と。
人一人育てることの重要さを改めて実感させられます。


世界の平和は家庭から、
というのは真実なのだと改めて思いますね。

すべての家庭が平和で、
夫婦が対等にお互いを尊重し合って大事にしていて、
家族全員が仲良くあれば、

たぶん戦争も男尊女卑も女サゲも差別も格段と減るのでしょう。



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同じ両親を持つ子供と言っても、性格も気質も個別に違うし、
初めての子育てと第二子とでは、経験値や心構えも違っていて、
その時の両親の人間的成熟度や環境もあいまり、
(子供との相性の良し悪しもある)
それぞれに接し方や対応が異なるのは理解できる。
自分が大人になった今なら。

でも、子供の側にそれを理解しろというのは浅はかなこと。
大人の事情はあくまで大人の事情なのだから。


親はよく、
「お兄(姉)ちゃんなんだから、我慢しなさい」と、
長子に忍耐を強いたり、下の子に対しては、
「仕方ないでしょ、お兄(姉)ちゃんのほうが早く生まれたんだから」
とか長男教、長子マンセーな対応をしたり、
もしくは長子末子関係なく、「○○のほうが出来いいんだから」
みたいに子供たちに優越をつけ、差別化を図りたがる。

まるで子供達が規格商品であるかのように、
規格内と規格外に分け、規格外をおまけのように扱う。
与える愛情の分担は公平であってはいけないかのごとく、
親の欲心を満たすことができるかできないかで、
どちらか片方に偏重することになる。
欲心を得られなかったものは、
それがさもペナルティであるかのように、
コンプレックスを植え付けられ、存在価値を否定され、
自分が「みにくいアヒルの子」であることを
痛烈に思い知らされる。


子供の個性を見て区別をつけるのと、
差別するのとでは明らかに違うし、結果も異なる。


でも、まぁ、兄弟姉妹の存在というのは、
生まれながらに、「家庭」という居場所、
家族という社会、人間関係の中で、
比較対象とする競争相手でもある。

この存在なくして人間関係の掟、シビアな現実は学べない。

両親が自分を養い育み、守ってくれる存在だとするならば、
兄弟姉妹というのは生存競争の相手そのものだからだ。

そうした事実は動物たちの世界をみればよく理解できる。
ほとんどの動物たちは一度に複数の子供たちを出産するが、
一律に生まれた赤子たちすべてが等しく育つわけではない。
母乳の争奪戦に負け、栄養不良で発育不全となり、
死に至るものもあるのだから。

そして、
生まれたときから競争相手としての兄弟姉妹がいたものと、
兄弟姉妹をもたない一人っ子では、我の通し方とか、
社会性やら人間関係の築き方が違っていたりするのも事実。

幼少期に大人だけのみ接していたり、
気遣いをする他人とだけ接してきた人と、
自分と年齢の近い子供達(様々な年代)と接してきたものでは、
コミュニケーションの取り方、成熟度に大きな開きがあるから。

親との関係性もその人を鍛錬するシビアな修行場だが、
ライバルたる兄弟姉妹との間に生じる問題こそ、
その人の人としてのコミュニケーション能力、社会性を
最大限に鍛える修行に成り得るのである。

ただし、心のささくれときちんと対峙して、
理不尽な状況に対する葛藤を消化し、
自分自身の内面の嵐と向き合えればの話。
こじらせてしまっては元も子もないのだが。




さて、最近読んだまとめサイトの記事の中で、
知的障害の妹を持つ姉のホンネが書かれているものがあった。
http://syurabakomachi.com/archives/1057402584.html

彼女のもともとの資質もあろうが、
たぶん、この親がもっと彼女を見てあげていたならば、
彼女がこのように妹への感情をこじらせ、
障害者に対する偏見の心を宿らせることもなかったのでは、と。

普通とは違って生まれてきた妹のことを、
こんな風に産んでしまったという自己の責めや良心の呵責、
憐れにと、不憫に思う気持ちから大事にはしても、
だからと言って、健常者に生まれた姉のことを
親としてなおざりにしていいわけではない。
自分と同じように考えて、妹を守るように、
模範的な行動を強いる理由にしていいわけではない。

この親がもっと、妹は妹、姉は姉として接し、
こうした姉妹を持っているという子供社会での彼女の
立ち位置を想像して理解しようと努め、
傷ついているであろう気持ちに寄り添って、
心のケアやサポートをしてあげたなら・・・
妹を大事にはしても、妹ほどに構わなくても、
邪険にさえしていなければ、
普通に褒めたり、関心を持ってあげていたならば・・・

妹のことを愛せる気持ちが、
少しは育っていたかも知れないのに。
少なくとも憎いとか、死ねばいいとか、
障害者全体に対する憤りを持つこともなかったろうに。



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私は山岸涼子さんの作品が好きだったりするのだけど、
彼女の作品にも、兄弟姉妹同士の間に存在する
心の葛藤や感情の澱などを扱う話がわりと多かったりする。

それを主体にしたテーマ以外のものにも、
兄弟姉妹間のわだかまりや複雑な感情に起因する、
心のひだ、闇に触れているものは多い。

ぶっちゃけ「日出処の天子」も、
実子なのに怖がって、母親が厩戸に冷たかったのが、
彼がダークサイドを抱える原因だったしね。

そんな風にひとすじならではいかない、
親子の愛憎、兄弟間の確執を見事なまでに
綾なして作品に描くことの出来る貴重な作家さんだと思う。


「常世長鳴鳥」は、
喘息持ちで足に障害があることから、
両親や祖母に不憫がられ、寵愛を一身に受けている、
美しい姉に対して、どんどん心を歪ませていく妹の悲劇だ。

「瑠璃の爪」は、
兄・姉・自分という3人の中で、母親に一人だけ偏愛され、
愛情でがんじがらめにされた妹が、母の死後、
一見妹想いの行動と周囲に信じさせる姉の悪意から
逃れるためにそれしか方法がなく、姉を殺した・・・という話。

「グリーンフーズ」は、
子役スターとして一家を養うほどの人気ものだった兄が、
実は才能のある妹に嫉妬していて、落ちぶれた後、
妹を利用・搾取して生きる術を得ていたものの、
実は悪意をもって、妹の幸せを邪魔していた・・・という話。


「木花佐久夜毘売」は、
優秀な姉の影に隠れて、自分の存在を否定され、
自らの存在価値を見いだせないでいた妹が、
姉の引き立て役、家族のおまけである自分を脱却し、
居場所を見つけようとする話・・・かな。




本当に兄弟姉妹って複雑だ。

同じ親の元、同じ環境に生まれたからと言って、
必ずしも気が合うわけではなく、愛せる対象になると限らない。

数人いる兄弟姉妹の中で、気の合うものもいるし、
そうでないものもいるし、
兄弟姉妹という関係性がなかったら、
絶対に関わらないだろうというような人だったりもする。

その逆に他人だったら、もっとうまく関われたかも知れない、
友好的で協調性のある、親しい関係なれたかも知れない、
そんな者同士もいる。

兄弟姉妹として生まれたから、親だから、子供だから、
血が繋がっているからこそ、親しい関係を形成できた、
他人だったら絶対混じらわないような、相手だったけれども、
そのような関係性に生まれたから、
嫌でも関わらなければならず、生活を共にし、
意見を交わし、関わっていく中で理解しあえた・・・

そういう家族もあるだろう。

夫婦だったら、離婚して他人に戻ることは簡単だけど、
親子だから、身内だから、簡単に切れない縁があるから、
覚悟してとことん付き合っていかなければいけない、
そんな相手だったから・・・というのも。



さて、あなたは今の家族から何を学んだろうか?

今の親、子供、そして兄弟姉妹たちから・・・
血縁者であり身内である親戚たちから、
どんな試練を分け与えてもらって、鍛えてもらったろうか?
生まれ育った環境や問題から
この簡単には逃れられない家族という関係性から、
どれほどの精神的鍛錬や霊的成長を図れたろうか?

どうしてこの家族の元に生まれたのだろう。
考えたことはあるだろうか?

この家族を選んで生まれた目的はもう果たせたろうか。
きちんと学ぶことを学べて、こじらせることなく学びを理解し、
そこで培ったスキルや身に付けた価値観を、
正しい未来への選択に繋げて行くことが出来ているだろうか。


そして、
この家族とはまた来世で関係性を持ちたいと思うだろうか?
再び別の人生で親しい関係として、
愛ある関係を築けると思うだろうか?

次こそはもっと上手く、良好な関係を築けるだろうか。

この人生で失敗したことを教訓にして。

いずれにしても、孝行したいときに親はなし・・・
ではないが、相手が死ぬ前に理解して、
昇華しておいた方がいいことには違いない。



また、あなたの親だった人は今生の親ばかりではない。
過去の人生の数だけ、あなたには両親がいて、
兄弟姉妹も祖父母も身内も先祖もたくさんいた。

その中には酷い親もたくさんいたかも知れないが、
同じ数だけ、愛と温もりと優しさを与えてくれた
両親も兄弟姉妹も身内も存在していることを忘れないでほしい。

いつかまたそんな関係性の人たちと出会えることもある。
今の両親、身内だけがすべてではない。

今の両親や兄弟姉妹が愛ある素晴らしい人だったとしても、
あなたは過去と未来において、
様々な両親、身内に悩まされたり、過酷な環境を
人生の修行場としてギフトされる可能性がある。

今の親が愛のない、理不尽な毒親だったとしても、
この両親だけがあなたの両親なのではない。
あなたを大切に慈しみ、あふれるほどの愛を手向けた、
素晴らしい両親は過去においてもいたはずだし、
未来に出会える可能性もある。

あなたにはたくさんの両親がいるし、
たくさんの兄弟姉妹がいる。

だから悲観することはないし、
今の血縁関係がどんなものであっても、
それがすべてではないことを忘れないでほしい。


親兄弟がどんな人であっても、あなたはあなたで、個別の存在。
親の個性とあなた自身とはまったく別のもので、
精神や霊的な資質などは一切遺伝しない。
その親から受け継ぐものはあなた自身が選べるのだから。



2016/08/29

苦悩する家族~兄弟姉妹は他人の始まり(前半)

「子供のことを思わない親はいないよ」

何の話からそんな話に発展したのかは覚えてないのだが、
バブルの頃、たまたま乗ったタクシーの運転手さんが言ったセリフ。

彼の両親は子供を大切にする愛情深い人たちだったに違いない。


この現代において、ほとんどの人が
それが絵空事の夢物語で、幻想でしかないことを知っている。


上記のようなことを本気で思っている人がいるとするならば、
世相に疎く、自分の周囲しか知らない世間知らずで、
よっぽと幸せで恵まれた家庭環境に育った人なのだろう。
蝶よ花よと育てられ、乳母日傘な生活をしていたらば、
そんなおめでたいことを口に出来るようになるのだろうか。

子供のことを思わない親ばかりであったなら、
世の中に虐待も子捨ても堕胎もあるわけがないし、
不幸な子供たちがこれほど多く存在するはずもない。



血は水よりも濃いと言う。

物質的にはそうだ。

だけれども、血の繋がりほど当てにならないものはないし、
「血」が繋がっている、繋がっていないという
カテゴリに縛られ、苦しめられ、
人生に制限を与えられている人が大勢存在するのも事実だ。


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ある日、母がため息交じりにこぼした。

「二人きりの姉妹なんだから、仲良くしなさいよ」

正直 私と姉の仲はよろしくない。
いちおう和解はしているが、とくに話すこともないし、
共通点がないので連絡を取っていなかったりする。

そして母は自分の兄弟姉妹たち、
そしてイトコたちの間であちこち起きている不和のことを、
「まったくどうして揃いも揃って、身内同士なのに・・・」
と愚痴る。

「じゃあ、母さんは
○○小母さん(義妹)にされたこと、赦せるの?」

私がそう言うと、
母は「絶対死んでも赦せるもんか!」と言葉を荒げる。

「それと同じだよ。
みんな兄弟だから、姉妹だから、肉親だから赦せって言う。
これが垢の他人がしたことなら、許せなくて当然と言う。

兄弟姉妹だからって、必ずしも気が合うわけじゃない。
血が繋がってるからって、されたことを赦せるわけじゃない。
私が姉さんにされたことはイジメと同じなんだよ。
子供の頃にさんざんイジメの被害にあった人に、
加害者を赦せって言ってるのと同じだよ。
叔母さんたちも○○(イトコ)のとこも、周囲が知らないだけで、
きっとそれぞれ何か貯めてたことがあるんだよ。
当事者にしかわかんないもやもやがあったんだよ」

そういうと押し黙ってもう二度と口にはしなくなったけれども。


ちなみに2つ上の姉は女ジャイアンというか、ジャイ子。
天井天下唯我独尊で、いつも自分が正しいという考え。
妹というだけで格下認定されてた私は、奴隷扱い。
彼女の命令は絶対だったのですよ。

父と同じで外面が良いけど、家では殿様扱いを望む人。
自分が風邪を引くと、あれをしろこれをしろ、
あれを持ってこい、これじゃだめだ・・・の、人をこき使い。
身体の弱かった私が風邪を引くと、
うつったらどうするんだと文句たらたら。

中高とバレー部のキャプテンだったもんで、
(就職先も実業団で有名な某電機会社)
試合の前は家でも練習しなくちゃとかで、
寝込んでいる運動音痴の私を布団から引きずり出し、
トスの練習するからボールを上げろとかの、
ありえない無謀な指示を出す人。

それでも、このくらいは
毒でエネmeな母がすることよりは全然マシだったのだけど(笑)
姉と母はとても仲が良く、そして母は姉には甘く、
私とはずいぶん差をつけて育ててくれましたの。
して、二人で結託して色々やらかしてくれたもんです。

つまりは上記の私の言葉は、
母に対する遠回しな嫌味でもあったんだけど、
本人未だ気づいてないだろうなあ、と思います。


そうね。

親子関係や兄弟姉妹の関係性が良好だった人は、
虐待がどういうものかってことを理解していない。

たぶん想像できないのだろう。

「うちだって、躾は厳しかったよ」

躾の厳しさとネグレクトやDVとは違うのに。
ちょっときつく当たられたこと、叱られ殴られたことと、
人間サンドバックにされることって全然違うのに。


学校で起きているイジメの被害者が、
受けた傷や加害者に対する根深い恐怖心は
みんな理解することができるのに。
それが犯罪で、加害者と被害者の関係だってこと、
そのように捉えることができるというのに・・・

それが身内間だと、
家族や兄弟姉妹との関係性で起きたことだと、
血の繋がりが免罪符でもあるかのように、

「お母さんだって、今は当時の事きっと反省しているよ」
「お父さんも今は変わったんだし」
「お姉さんももう大人で親になったんだから」

・・・って、
幼少期の悪夢、トラウマやPTSDが
まるで大人になれない子供の甘えであるかのように、
懐柔しようとしてくる人のなんと多いことか。

呪いの刻印のような刷り込み、
繰り返し植え付けられたマイナスの暗示・・・
呪文のように自分を縛り付ける忘れがたい記憶

フラッシュバックに悩まされ、
骨の芯まで蝕まれたかのように苦しんでいるのに
そこから脱出したいと切望し、足掻いている気持ちさえ、
軽んじられ、理解されることは少ない。


何故親子だからと言って、兄弟姉妹だからと言って、
相手を赦せないことを責められねばならないのか・・・?


血が繋がっていたならば、
何をされても当然で、されたことを赦せないほうが悪いのか?

垢の他人なら、犯罪で、
血縁者ならば犯罪ではないというのか・・・?

親なら子に何をしてもいいのか?

親が子にしたことはすべて許されてしかるべきことなのか?

親は子供をどのように扱ってもよく、
何をしても許される存在なのか。それが親の特権なのか?

子供は親にされるがままに、
すべてを受け入れなくてはいけないのか?

育ててもらったという恩だけで、
されるがままに何もかも赦さなくてはならないのか?


兄弟や姉妹同士、血縁者の間で起きたことは、
他人ならイジメと断罪されるが、
兄弟姉妹というだけで、単なるふざけっこ、
じゃれ合いで済まされてしまうものなのか?

身体や心に傷を負っても、そこに非も責任もなく、
お互い様として赦さない者は、
狭量だと責められなくてはならないのか?

夫婦のことならDVだのモラハラだの、
法律で接近禁止令も出す事が出来るのに。


「血が繋がってるから赦せることもある

だけど、血が繋がってるからこそ、
赦せないこともあるんだよ」


"シタ方"は、簡単に忘れるが、
"サレタ方"はいつまでも忘れない。

身体の傷は消えても、心の傷は今も血を流したまま。

イジメをした方は、「そんな昔のこと」と言い放ち、
自分が相手に対して何か悪いことをしたなんて、
露ほども思っちゃいない。
自分がしたことがどれほどのことかなんて、
どれほど深く相手を傷つけて痛めつけたかなんて、
想像したことさえもなく、罪悪感のかけらもない。
相手が今も苦しめられていることなんて、知ろうともしない。
自分がしたことで、
相手のその後の人生にどれほどの影を落としているのかも。

そして「子供の頃のことなんかで」「昔のことなのに」
と傷口に塩を擦り付ける。



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子は親を選べないとは人の云う。

血縁関係の「縁(えにし)」は、
現行法ではいかようにも切ることが出来ない。


世の中には毒親はたくさんいる。
愛情込めて育てた子であっても、義に背き、親を悩ませ、
犯罪に走り、不孝をする者もたくさん存在する。

善人と褒め讃えられ、賢人と尊敬される人の元に、
外道、畜生が生まれることもある。

とんびが鷹を産むというように、
腐敗した泥の中に、
蓮華が咲くごとく聖人が生まれることもある。

カエルの子はカエルを文字通り実践する親子も。


親だから子だからと言って、似るわけでもない。
影響は受けても、資質がまったく異なっているので、
違う道を生きる兄弟姉妹も数多い。

親兄弟姉妹の生き方を反面教師とし、
まったくベクトルの違う方向性に行く人もいる。

親の呪縛、育った環境の影響から抜け切れず、
コピーのようになぞって生きるような人もいる。

結局のところ、どう生きるかはその人次第なのだが。


さて、
私自身が幸福な普通の家庭というものを
知らないで育ったこともあるが、

小中学校の同級生たち、
親しかった友人たちの家庭環境がわりと複雑な人が多く、
幼馴染も母子家庭(3人兄弟)で、
おばさんが水商売をしていた関係から異性関係も派手で、
そこから大人の世界や事情も透けて見えていたかな。

同級生の親同士が浮気をしているとか・・・愛人をしているとか
そんなこともあったりした。
(子供は大人が考えるより、よく大人を観察しているものです)

やはり親に暴力を振るわれている子や、
親が離婚してそれぞれに引き取られたものの、
母親が死んだことで父親のほうにまた引き取られ、、
本当の姉妹であるのに関わらず、
離れて暮らしていたこと、母親のほうに引き取られていた
事実を僻まれ、姉たちから虐待を受けていた友もいたし、
両親が亡くなって親戚たちの家をたらい回しにされ、
祖父母に育てられることになった同級生とか・・・
よくある継母に虐待されるって人もいたし、
そこまでいかなくても新しい家族に無視され、
独りだけ孤立させられてるって子もいた。

そして父親に性的な虐待を受けている子も。
ネグレクトに近い状態で親が生活費をくれないので、
売春をして食べるものを調達している子もいたが(中学)。

父親が酒乱だったりアル中だったりで、
妻子に暴力をふるうロクデナシで
働きもしないヒモみたいなヤツっていうのも、
決して珍しくはない光景で・・・

小学校っていうのは、近所の子供達の集まりだから、
そんな各家庭の事情なんて丸わかりで、
大人の噂話だって、
井戸端会議の場所と遊び場は重なっているから、
あそこの家はああなんだとかこうなんだとか、
イヤでも耳に入ってくる。それが昭和クオリティでもあり。


もちろん、普通の家庭があるのも知ってる。
とくに問題のないありきたりの仲の良い家族とか、
仲が良くないまでも問題は少ない家とか・・・
普通に父親、母親が揃っている平凡な家族もいることも。
親が子供を殴ったり蹴とばしたり、煙草の火を押し付けたり、
子供に家中のおさんどんをさせて、
こきつかうようなことをしないで、可愛がる親がいることも。

最初は、そんな家庭があることに・・・
子供を怒鳴ったり殴ったり、家の事をさせたりしない、
優しいお父さんとお母さんというものがいるっていうのを
知ったときには、目を丸くして驚いたものだけども。

それは本当に眩しいものだった。
うらやましかったし、憧れでもあった。

教科書を燃やされたり、窓から放り投げられたり、
冷たい水をバケツで頭から何度もかけられたり、
熱湯を浴びせさせられて火傷させられたり、
壁や床に頭を何度もたたきつけられて、
髪を掴んで引き摺り回されたり、
裸にひんむかれて家の外に放り出したり、
ご飯を食べさせてもらえなかったりとか、
掃除がきちんと出来ていないと殴られたり、
学校から帰ってくるのが遅いから、買い物頼めなかったとか、
ご飯の支度が遅いとか、味付けが悪いとか、
お米の焚き方が下手だとか、洗濯物のたたみ方が下手だとか、
そんなことで蹴とばしたり殴ったり、
ごく潰しとか金食い虫とか貧乏神とか
産まなきゃよかったとか死んでしまえとか
ありとあらゆる罵詈雑言を投げつけてつねったり殴ったり・・・

そんなことをしない親がこの世にいるんだって知った日には。
衝撃的だった。


まあ、テレビドラマの中にはあったけれども。


そうした経験や友人たちの環境のこともあって、
おかげでそのようなことには免疫がついたというか、
「ありきたりのこと」として受け止められるようになった。
悲惨な家庭環境の話を聞いても、

「ふーん」みたいに動じることもなく。


ただ、「おしあわせ」な環境で育った友達には、
どうしたって分からないことだから、自分のことも含めて、
複雑な家の子の事情を話したりは出来ないもので。
そこは「わかりあえない」者同士だと本能的に感じて、
線引きをして、ホンネを話すことなどなかったけれど。



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スピりチュアル的には、
「血の絆」などというものは存在しない。
物質的なこの世界での養い親であり、
宿り場としての器・・・肉体の親でしかなく、
血が繋がっていようが繋がっていまいが、
育ての親という括りで、「養父母」というような位置づけだ。

「絆」はコミュニケーションによって培われ、
互いに対する信頼や親愛の情によって育まれる。

親子兄弟姉妹に生まれたからといって、
霊的レベルが同じということはないし、
必ずしも波動が合っているということもない。

ただ、その家庭、家族の中に、
双方の学びが存在しているというだけだ。

人は人の中でしか成長できないし、
自分と同じレベルの人とばかり関わっていても、
成長する機会を得ることは出来ない。

自分より下の人、上の人、様々なレベルに居る人、
嫌いな人、合わない人と交わってこそ、
人間としてのスキルを鍛えることができる。

家族というのはそういう意味で、
一生付き合わなければならない(逃れられない)、
クリアしなければいけないノルマの宝庫であり、
人間関係の鬼門だったりする。

生まれ堕ちて、最初に自らに与える環境。
時にそれは、人によっては試練そのもの、
ある人にとっては心地よいゆりかご。

如何せん、魂年齢の若い人は、
自らを守り、柔らかく優しく育んでくれる環境を選ぶという。
ある程度成熟した魂は、
修行のごとく、ハードな環境を選ぶのだとも。

まあ、でも十人十色。


このブログのどこか他の記事にでも書いたと思うけど、

カルマは引き合うので、
ときに自分が過去生にしたことの償いをするため
(別の人生で、先祖である自分が、
子孫になる人々に課してしまった負の遺産ともいうべき罪、
それと似たような罪のある家に生まれ、
別の人の子孫として背負うようなことをする)
その家、環境を選んで生まれる場合もあるし、

肉体の両親になる人、兄弟姉妹になる人と
縁があってその家に生まれる場合もある。

クライアントさんの中には、
両親とは縁がないが、
お祖母さんの孫として生まれるために、
その両親のもとに生まれたという人がいたりした。

また、あるクライアントさんのケースでは、
家族一人ひとりが、「家庭」や「家族」の絆を見直し、
家族であることの帰属意識を学び、
家族によって癒される必要性があり、
結束の強い家族に生まれるというケースもあった。

他の人では、「家族」を救えなかったという思いから、
両親を初めとして家族を助けられる人間になるために、
色々と助けを必要とする兄弟姉妹を持って生まれた人も。

敵同士であった二人が、双子として生まれたケースもある。
案の定、生まれたときから仲が悪かったが。
和解するため、互いを理解しあうために、
強制的に「双子」というシンクロの働きやすい、
血縁関係の下に生まれるようなレッスンもあったりする。

殺人の被害者と加害者が親と子として生まれる場合もある。
自分が殺した相手を経済的に養い、一人前に育てることで、
罪を償い、相手に対する謝罪としているケースも。

自分をレイプした人の娘として生まれたケースは
ちょっと悲劇というか、しんどい事実でもあったと思う。
父親を生理的に嫌う理由はそれなのかと納得もするが、
知りたくもない情報で当事者が知るには早い情報でもある。

過去に姑と嫁という関係性で上手く行かなかったことから、
今生では実の母と娘として生まれた人もいる。

そうやって関係修復や相手への償いを無意識にするために、
家族になることを選んでいる場合もあったりする。

その逆に嫁ぎ先の姑が過去生での母親だったという人もいた。
結婚する前から大賛成してくれ、
実の親と縁が薄かった彼女は、かつての母親であった姑に、
実の子のようにして可愛がられていたりする。

似たようなケースでは、嫁ぎ先の両親が、
過去生でみなしごだった自分を育ててくれた養父母だった
というようなケースもあった。

仲の良い友達同士が、
双子や兄弟姉妹に生まれる場合もあるし、
父母と子として生まれたりすることもままあるし、

過去生で縁があった親子、兄弟姉妹などもいるけれど、
まったくの垢の他人、どの人生でも会ったことのないという
者同士が親子に生まれる場合もある。

血縁関係に縛られないで人生を生きるために、
わざと淡白な親や、縁切り妥当な毒親の下に生まれる人もいる。

人生の早い段階で才能を発揮したり、
専門的な技術や知識を学んだり、
特定の分野での活躍を望んでいる人は、
親の七光りのような、恵まれたバックアップを受けられる
環境に生まれるのもよくあること。

これはたまたまではなくて、狙って生まれているので、
あながちズルいとは言えなかったりする。
実力や才能ある両親のもと、
その近くでその世界をよく見れる場所に生まれることで、
勉強をしたいと当人が望んだ未来であることも少なくない。
(但し、必ずしもその人生で
その方面の才能を発揮できるとは限らない。
あくまで丁稚奉公的な修行で終わってしまう人も多い)


このあたりはピンキリだ。

言えていることは、どんな人生を生きようとしているか、
その人生で何を得ようとしているのか(精神的かつ霊的な成長)
それによって、スタート地点を選んでいるだけなので。
あとは引き寄せの法則によって決まっているだけだったりする。


てなわけで、人生のスタート地点たる、
家族との関係性を見直すことで見えてくることはたくさんある。

言えているのは、
自分の資質は親のせいではないということ。

まったくの別人格だし、血縁は血縁でしかなく、
魂のレベルではまったく個別の存在で、
次の人生では他人になる人なのだから。

あくまで今の人生で与えられた「家族」
今のあなたの演じる「配役」の家族であり、家庭でしかない。

どんな親をもとうと、あなたはあなた。

ならばどう演じ切る?
この家族から、何を学び、何を吸収し、反面教師とするか。

自分を育てるのは親ではなく、自分自身なのだから。



ありきたりであろうがなかろうが、
平和な家族の団欒を知っている人は幸いだ

2016/08/18

世迷い戯言落書き帳

昨年秋に、
ブログ記事の整理整頓(書き直しや削除など)を
急に思い立って、こちらのブログに引っ越しをした。

私はスマホやi-phoneは使用していず、ガラケーユーザーだし、
もとよりPC以外、モバイルや携帯でネットを閲覧することもない。
なのでそうした機種で閲覧している人には申し訳ないが、
サイトの方にしても、
あくまでPCの画面から読むことしか想定していなかったりする。

なので改行やスペースなど、
まったくモバイル以下の画面での閲覧を考慮していないです。
そのあたりはすみません。
あくまでPCから見てどうか、しか考えないので。

(ATMのタッチパネルでさえ大嫌いで、あの反応の鈍さ、
触ろうとはしてない箇所まで反応してしまう点には、
画面を殴りつけ、機械を蹴とばしたくもなってしまうこと多々。
だからスマホなんか、借りて触っただけでもイライラするし、
所持しても、きっと床に叩きつけて壊してしまうに違いない。
それにあんな小さい画面で見るのはとにかく目に悪いんで)

ブログの引越しは互換性のある会社同士だとか、
エクスポートが出来るのであれば楽だったのだけれども、
残念ながら以前のところとこことではそれが出来ず、
いちいちペーストしてUPするという地道な作業をば、
するはめになった。
それ故に失敗して文が抜けたり重複するなど、
転載が上手くいかない箇所もあったり。

記事毎に背景を変えられる
以前のブログは気に入っていたんだけど、
不愉快な閲覧者からのメールがあったことで、
気分を変えたくなったというのがきっかけ。
(リスクの多い公開文章なので閲覧者は選べない)

何度かスッパリ削除してしまおうとか、
止めてしまおうとも思ったこのブログだが、
なんだかんだ続けられていたりする。

仕事上の利益、すなわち営業性(客寄せ?)を考えたら、
閲覧者多く、検索でも上位にランクされるような
アメブロなどに引っ越せばよいのだろうが、
考えた結果、鬱陶しい広告のない、マイナーなこちらに。

本来、
公開文章やこうしたブログっていうのは、
多くの人の眼に触れる機会を持つため、
閲覧してもらうがためという
目的あってしかりなんだと思うけれど、
(中にはたくさんの読者を獲得しようと頑張ってる人もいる。
でも今はツイッターの時代かな)
ここはあんまり目立たないというか、
さほど利用者や閲覧者が多いとこでないのでちょうどいい。

で、さすがグーグル系ということで、
閲覧国リストというのを
管理者ツールのアクセス解析で見れるんですけども、
一位はもち日本で、二位はアメリカ、そして三位はロシア。
してフランス、インド、ドイツ、ウクライナ、メキシコ、
オーストリアやオランダに続き、ルーマニア、ブラジル、
スペイン、ポルトガル、ベネズエラやコスタリカ、
タイ、マレーシアなどなど(韓国や中国はゼロ)

なんだかすごく謎です。

日本語が読める人が世界にそんなにいるのか?
(駐在員とか、留学生??)

まあ、たまたまブログの名称が英語だからなのか。
検索で出てきただけなんでしょうけど。
アメリカはハワイとかに日系人や移住者が多いから、
さもありなん、ですけども。

他の国はよくわからん。
とにかくわからん。


でも、そんな混沌としたアンダーグラウンドで、
一部の人しか見に来ないようなコアな内容の記事を、
コソコソとやっているというのは私らしいし、
そういうのが一番いいかな。

もともと一般向けというより、
同業系の職種の人向けのブログです。
生徒さんやお客さんなど、一般の知識の少ない人にも、
メッセージ性や含みを持たせて書いてはいるものの。

最近はほとんど記事を興してないけど、
このブログの核というか、主目的として、
ケースファイル(スピリチュアルカルテ)を公開することで、
同業の職業の臨床例(事例)として、
現場でクライアントさんに接している人に活用して頂くこと
・・・知識や知恵を共有することで、対処法や状況分析の
役に立てて頂ければというのもあったし、
輪廻転生における人々のドラマや、
そうした情報から知り得た知識や事象について、
自らの人生や生き方を振り返ってもらったり、
同じようなことで悩んでいる人の何かのヒントになればと、
そう思ったから。
このあたりはしつこく何度も書いちゃってますけど。

なんていうか、色々と今でも迷いもあるけれど、
(私自身だけのことでなく、ほとんどにおいて
他者の人生から知り得た情報をベースとしているので)

自分の人生も後半ということで、
後進の人たちのためにも、
自分が知っていることは・・・綴れることは
ちゃんと遺しておかないといけないなというのを
つくづく感じていたりします。
あと人生10年かも知れないし、20年かも知れないし、
1年だけとか、数年とか、30年は生きられるのか、
そのあたりは予測不可能ですけども。

このブログに書いていることが、
果たして人類の役に立つ情報であるのか否か、
いやさ、それはとても大げさというもので、
今リアルに画面の向こうの誰かの役に立てているのか、
何人の人の役に立つ情報であるのか、
そこも本当に分からないのだけど・・・

でもいつかどこかで、
私が死んだ後(ブログ閉鎖されてしまうだろーがw)でも、
誰か読んだ人が、「ああそうなのか」って、
知識をひとつふたつ増やして、
問題解決や自らの身に起きていることに対しての
謎解きのヒントを見つけることが出来れば~なんでしょう。

(最近も「本にしないんですか?」って聞かれたけど、
自費出版するほど金ねーすの。
同人ぽい製本する余力もないし。
印刷と製本の町に住んでるにも関わらず)






で、最後の最後にスピネタです。
単独で書くほどのことではないのでチラシの裏書的に。


以前、体験的な出来事をブログで
書くことは控えますと、そう書いたような記憶が。

そのようにしたのは、
自分はすごいこと出来るんでっせ~
すごい体験したんですよ~とばかりに、
自慢話を書いているようでイヤかなーと思ったのと、
こうした公開の場で文章として書くのは
控えたほうがいいかなーと考えるところもありまして。

当時はそう思ったのですが。
さほど閲覧数が多いわけではないこのブログ。
現実世界にさほど多くの影響を与えそうもない情報なら、
単なる冗談、嘘っぱちなホラ話で、
仮説として「if・・・もしも」程度に思われる程度がいいかな、と。

まぁ、フツーに考えれば、
シレッとそんなこと書いていたならば、
キチガイと、頭のおかしい人と思われてしまうから。
控えるのがベストなんですよね。
まあ、電波な人の妄想、
作り話として聞いてもらえばいいのかな。無責任ですが。


ちなみに私が単独で見た情報ばかりではなくて
レッスンのときや某活動のときにグループでキャッチしたこと。
アカシックレコードから紐解いた
歴史的な背景、事件の真相みたいなこと・・・になりますかね。

あくまで根拠のないことで、
本当かどうかなんて確かめようのないことです。

三億円事件の犯人が、
三人組でふつーのリーマンで同級生トリオだったとか、
(ちょっと世間を驚かせるデカイことしたい、が発端)

JFKやマリリンを殺したのはやっぱあんたらでしたか、とか。
(アルファベット三文字)

ラスプーチンはそんなに頭のキレる人でなく、
意外と朴訥な、イモって感じの不器用な人だったり、
(なかなか死ななかったのはどれも致命傷になりえない
傷ばかりだったから。暗殺者たちが下手だったって事)

織田信長の暗殺は明智光秀ではなく、
徳川家康が裏で糸を引いていた(らしい)。
(して同一人物説のある明智光秀と天海は別人)

キング牧師が公民権運動の演説の草稿を書いたとき、
リンカーン(霊)が背後にいて、自動書記状態で書いた。

とかとか。。。




心許せる友人(同業系)に口頭で話したとき、
「そういうのって・・・
リモートビューイングとかアカシックリーディングとか、
サイコメトリーみたいなのが出来るなら、
犯罪捜査とかに協力できないの?」
とも言われたことあるけど、
残念ながらこういうのって、
いつも安定した結果を出せるわけじゃなく、
ムラがあり、確実じゃないですからね。
分からない事、確信もてず、
不明瞭なままの情報しか掴めないこと、
閲覧許可の下りないこと、たくさんあるから。

まぁ、そういうのの役に立てるような、実用的で
しっかりとした安定の能力を磨くことが出来れば、
いいなあとは思いますけれども。

如何せん、知りたい情報に関して、
いつも確実に欲しい情報を引き出せるわけではないので、
それが悔しいところであり、役に立たないとこでもある。


で、そうした不確定な情報は、
話す相手を選んでの会話でならともかく、
誰もが閲覧できる公開情報としての
ブログで書くのはやはり無責任であって、
とくに事件と言われるような出来事に関しては、
関係者を傷つけることになる可能性が高いし。

だけども、この事件に関しては、
遺族はマスコミの報道、勝手な憶測の前に
「悲劇の恋」にしたてられたことに納得していなから、
それを正すことになるから書いてもいいかなと・・・。

最近のことでなく時間も相当経過しているし、
身内の方はご存命だけど、
悲しませ、苦しませる情報にはならないだろうから、
ちらっと。

被害者加害者、遺族の名前、
事件のネーミングは直接書かないけど、
「天国に結ぶ恋」と書けば、判る人は判るかな。

あれは心中ではなくて、やはり無理心中でした。

お母様や遺族の方たちが「ありえない」って
いわれたように。
女性の方、死ぬ理由はなかったし、
自殺なんてそんなことをする方ではなかったんです。

殺されたんですね。
自ら死を選んだのではなく、恋を貫こうとしたのでもなく。
彼女、相手の方のこと、ちいとも恋してなんかなかった。
(同級生ということで義理堅さや同情はあっても)

マスコミは将来を儚んだ二人が、
天国で一緒になろうとしたと、悲劇の恋として、
美談に面白おかしく勝手に脚色していたけれど。

ヤバイ同級生を、自殺をほのめかしている友達を、
放っては置けず、説得しようとしていただけ。
半分は無理やり連れだされ、半分は放っておけず付いていき、
結果、ふいうちで殺されてしまった・・・

撃たれた瞬間、

「え・・? なんで私、死ぬの?死にたくない!
死ねない、私やらなくてはいけないことがたくさんあるのに、
お父様のことをお願いしなければいけないのに・・・」

と心の中で叫ばれてた。


アカシックの情報によると。


これが真実なのかどうか、それは分からない。

でも真実であったなら・・・

捻じ曲げられ、勝手に捏造され、
事実というのは歪められて伝わっていくものだと・・・
世間はメディアに刷り込まれ、
操作されて信じ込まされていくものなのだと痛感する。




いずれにしても、
ブログに書いていい情報かどうかは、
常に良心と理性の秤にかけて、
書いていいものかどうか、毎度精査していく必要がありますね。
そうやって迷いながら、今後もこのブログを書いていくのでしょう。

そしてちゃんと書いていかないとなあ・・・(サボってばかりだから)

2016/08/17

合縁奇縁

心のなかの本当のことを
話さなきゃいけないときが来るの
どんなに傷つくことになるのかわかってても・・・ 

そのことを話す前に言わせてね 
あなたを愛してるって 
あなたをそばに抱き寄せて 
できるだけ穏やかに言うわね 

他に好きな人がいるの 
 その人は私に必要な人でその人を愛してるの 
 でもそれって 
 あなたを愛してないって意味じゃないのよ 
 その人は 
 私があなたのものにならないってわかってて 
 私を決して独り占めできないって知ってるの 
 でも私のなかのぽっかり空いた空間を 
 埋められるのはその人だけなの 
 
 2人の愛する人の間で引き裂かれる私 
 おばかさんだわ 
 2人とも愛してるなんて
 常識外れだもの・・・ 

 2人の愛する人の間で引き裂かれる心 
 愚かなおばかさん 
 2人とも愛してるなんて 
 非常識だってわかってるけど・・・ 
 
 他にも好きな人がいるからって理由で 
 私に捨てられたなんて決して思わないでね 
 あなたは私が初めて本気で愛した人だから 

 今まで話したことはすべて 
 本当なんだってことを誓って言える 
 あなたに捧げた私の一部は 
 他の誰にもあげられないものだから 

 もしあなたが背を向けて去ってしまっても 
 あなたを責めることなんてできない 
 でもあなたにここにいてほしいのよ 
 それが私の心のなかで感じてるすべてなの 
 
 2人の愛する人の間で引き裂かれる私 
 おばかさんだわ 
 2人とも愛してるなんて
 常識外れだもの・・・ 

 2人の愛する人の間で引き裂かれる心 
 愚かなおばかさん 
 2人とも愛してるなんて 
 非常識だってわかってるけど・・・ 
 
     Torn Between Two Lovers by Mary MacGregor 
 
 ちなみに作者はPPMのピーター。 
 「ドクトルジバゴ」(映画でなくて小説)を読んでの、この歌詞だそう。 
 歌い手が女性なので女性目線になっちゃうけど、 
 本来は男性立場からの物語ということデス。 

  物語のファム・ファタルでもあるラーラへの情熱的な愛と
 幼馴染であり、妻となったトーニャへの静かで穏やかな愛と、
 二人の異なるタイプの女性への愛を歌にしてみましたってヤツか。

 映画は見ましたけど、ロシア人のジバゴを
 エジプト人のオマー・シャリフが演じてるのはちょっち違和感があった。
 ロシア人の顔じゃないし。
 それいったら、ロシア人(しかもタタール系)のユル・プリンナーが
 アメリカ人演じたのもヘンだったりするか。
 まあアメリカは多国籍民族だからアレだ。

 
================================================  


過去の時代はともかく、日本では一夫一婦制なので、 
パートナー以外の人を愛したり、恋心を抱いたり、 
ましてや関係を持つことは非難と糾弾の対象にされてしまう。 
 
恋愛も人間関係であり、信頼関係で成り立っているので。 
結婚は一種の契約であるから、 
二股や浮気などは完全に裏切りで不誠実な行為であり、 
不貞を通り越した違法行為として世間からも裁かれる。 
 
それでも同じことをしても、 
男性には寛容で女性には厳しいのは、 
やはり日本が男性社会であるって証拠なのか。 
 
浮気をしたり、妾を持つのは 
男の甲斐性、アッパレだ誉れと言われることはあっても、 
女性がそれをすると(男性側に応じた女性も含めて)、 
淫婦だの毒婦だの妖婦だの魔性の女だの、酷い言われようで、
(男性は○○のプレイボーイとか、好色一代男とか
せいぜいカサノヴァとか好いように言われるのに) 
下手したら社会から永遠に追放され、人生をも抹殺されかねない。 


実際、戦前は・・・そうだった。 
 
心中して生き残った女性などにとっては地獄で、 
相手と共に死んだにしても、家族からは「家の恥」と罵られ、 
葬式を出す事も拒否され、墓にさえも入れてもらえない。 
遺体さえ引き取ってもらえず、無縁仏になった女性たちもいる。
マスコミなぞはこぞって、相手の男性を惑わし、
破滅させたと言わんばかりに執拗に叩き、罵り、
どれほどの悪女であったかを面白おかしく羅列する。 
 
家のため、家族を養うために泣く泣く「妾」になり、 
心を殺して生き、自らを犠牲にした女性に対してもそう。 
生前は金のなる木として貪って、老いたら厄介もの、恥扱い。 
 
原始すべての女性は太陽であった・・・と言いたいところだが、 
 
原始から、すべての女性は消耗品であった・・・というのが実状で。 
 
戦後70年経って時代は流れ、科学も文明も革新的に発展したが、 
人の心の知能指数は未だ発展途上国以下の原始のままだ。 
 
昨今の不倫バレの報道内容、ネットでの叩きにも見られるように、 
世間もメディアも相変わらず女性叩きに余念がない。 
日本はキリスト教国というわけでもあるまいに、 
イブがアダムを誘惑し、原罪を背負うことになった咎が始まりで、 
すべての諸悪の根源が女性にあるかのごとく、 

女だけに、問題を押し付ける傾向は社会の歪を表すようにも思う。 
男尊女卑、女性蔑視の名残というよりは、
一見男女平等な世の中になっているのは見せかけだけで、
根本的なところでの社会の仕組み、人々の意識は昔のまま。

100年前となんら変わっていない。 
 
咎があるのに、男も女もあるまいに。 
 
不倫なんて、 
男が悪い女が悪いもなく、非があるのは双方で、
どちらの方がということもなく、どちらも悪いだろうに。 
なんで女性だけ社会的制裁を受ける傾向にあるのか、 
男性側にとってだけ、それが勲章のようにもてはやされるのか、
男性同士のかばい合い、擁護はあっても、
男性が男性を非難する声はほとんど聞かれない。
そういう風潮、なんか納得がいかない。 
 
そもそも少し前はこういった状態はだいぶ緩和されてたはずだ。 
(芸能人の不倫スキャンダルに関してはこれほど執拗に
正義の裁きを下すがごとくのバッシングは減っていたと思うが) 
昨今になって、時代が逆行しているようにさえも感じる。 
なんだかな、保守的になってきたんだろうか・・・ 
 
   
不倫や浮気、同時進行がいけないってのは、 
それが日本人の常識とされている一般的なルールだから、 
これは確かに遵守しなくてはいけない。 
日本国に住んでいる以上、守らなくてはいけない「法律」でもあるし。 
 
自分の恋愛観や結婚観がそこから外れていると感じるならば、 
パートナーとなる人には説明をするべきだろう。 
たとえ理解されなくても。 
たまたま相手がそれでもいいと、価値観が一致したなら幸いだが、 
価値観の一致する相手と巡り合うのは  なかなか  難しい。

実際、複数の人を同時に愛することの出来る人はいるもので。
マノン・レスコーまではいかなくても、恋多き人、
呼吸するように異性と愛を交わせる人もいたりする。
同時進行で身の回りに愛する人が常に自分の
周囲にたくさん存在していないとダメな人も。 

 
で、いくら常識で「ダメです!」とされていたとしても、 
人間の心ってそんな単純に割り切れるほど簡単なものじゃない。 
 
理性のブレーキが働かず、 
本能的な欲望に負けてしまうのも人間というもの。 
性欲がコントロールできない人がいるのも事実。 
それはそれで困りものではあるが。 
(情欲だけで結びついてしまい、
麻薬のように離れられなくなる関係もあるが。
それは恋愛とは言えないもので)

 
感情が豊かな人ほど、 
愛情も深かったりその範囲も広かったりするから、 
複数の人に対して、それぞれ違う種の愛情を抱いても仕方ない。 
親や兄弟姉妹への家族愛、友人に対する友情や、 
幅広い人間愛も含めて、 
それらの愛情と恋人や配偶者への愛情が比較できないように。 
優先順位はつけられても、どっちがどっちと選べないもの。 
好意にしても愛情にしても、色んなカタチがあるので。 
 
して、パートナーがいるからといって、 
他の人に心が動かない、惹かれないというのは無理がある。 
惚れた人以外は眼中にはないって人もたまにいるけど、 
素敵な人、素晴らしい異性がたまたま複数いて、 
それぞれの人に好意や愛情を抱いてしまった、というのも 
責めることはできないだろう。 
 
恋人がいても、結婚していても、 
そういうことは起きる可能性がある。 
 
とりあえず今一番好きな人だからと、 
もしくは条件的に悪くはないし嫌いでないからと 
結婚してしまった後に、  もっと好きになれる人、 
強く心惹かれる人に出会ってしまうこともある。 

本当に愛する人に、人を愛する気持ちを教えてくれる人に、 
結婚後に出会ってしまう可能性もある。 
幸か不幸か出会ってしまい、 
目の前のパートナーでなく、その相手を愛しているのだと、 
気づいてしまったなら??? 
 
   
その気持ち、感情を、「心」を、誰がどう責められようか? 
 
人を愛する気持ち自体には罪がない。 
「心」を裁くことなど、誰にもできないのだから。 
 
欲望と愛情はまた別のものだから。  
   
問題となるのは行動だ。 

自分の置かれた立場をよくよく鑑みて、 
心のままに生きることを選択するのか、 
人間関係のルールを尊重して、心と折り合いをつけるのか・・・ 
理性を用いて、関係性に誠実であるよう努めて、 
なるべく誰も不幸にはしない、自分にとっても周囲にとっても、
一番ベストだと思える選択をしようと努力すること。 
 
それだけなんだと思う。 
 
 
 
「シェーン」という古い西部劇がある。 
(「シェーン、カムバック!」という名シーンで有名) 
 
風来坊のシェーンが、 
たまたま立ち寄ったある牧場(夫婦)を助ける話なんだけど、 
物語の本筋とは関係ない部分のお話で、 
奥さんがシェーンに恋してしまうのね。 
(告白もせず、プラトニック)  
旦那さんもそれに気づく。 
確かにシェーンは旦那さんから見てもハンサムないい漢。 
自分を助けてくれた恩人だし、頼りになるし、 
奥さんが惹かれるのもわかっちゃう。 
シェーンも奥さんの気持ちに気づいて、 
彼女に惹かれている自分の気持ちに気づく。 
しかし風来坊の自分と違って、一か所に根を下ろし、 
妻子を養い、守っていこうとしている旦那さんに 
同じ男としての尊敬の念を持ってる。 
 
そして三人は苦悩する。 
 
何も知らない子供(男の子)だけが無邪気に 
シェーンを英雄のように慕っていたりする。 
 
結局、シェーンは悪漢をスマートに倒して、 
再び荒野へと旅立っていく。 
根無し草のアウトローのままに・・・ 
 
   
ふつーの勧善懲悪な  西部劇だと思ってたら、 
今考えると、男女の深いおハナシでしたナー 
(曲は爽やかだったけど)
 
まあ、確かに 
これで奥さんが夫と子を捨ててシェーンについてっちゃったら、 
西部劇でなくて不倫ドロ、昼ドラ展開になっちゃうだろー 
(「郵便配達は二度ベルは鳴らす」的な) 
 
たぶん、あの奥さんはシェーンに一生恋したままだろう。
心の中でとはいえ旦那さんを裏切ったことを罪と感じ、
旦那さんも妻の叶わなかった恋をずっと忘れない。
惚れた男と行かせてあげられなかったこと、
妻が自分たちを選んでくれたこと、
家族のことを想い、身を引いて立ち去った勇敢な男のこと。
妻の心に他の男が住んでいることをも受け入れたまま、
彼は妻子を愛し守り、大地に根を下ろし、生きていくのだろう。

そしてシェーンの中でも忘れじの恋となり、追憶となる。


「マディソン郡の橋」も結婚後の恋だったけど、
あれもすべてを捨てて着いては行けなかったよね。
家族がいるという現実を考えて、別れを選択した
だからこそのお互い、生涯忘れない、
思い出の中の美しい恋で終われたのかも。
もし、二人一緒に暮らしてたなら、
家族を不幸にした罪悪感で、二人の仲もいつしか壊れてたかも。


うん。
確かに結婚した後に、運命の人と出会っちゃうこともある。
生涯のパートナーを決めた後に、約束を交わした後に、
抗えない運命の力に後押しされるような、
強い吸引力で惹かれあってしまう魂の出会いをすることが。

そんなのも時にはある。実際にはあるんだよね。



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If you hate me after what I say
Can't put it off any longer
I just gotta tell ya anyway

Bye Bye Baby, baby goodbye.
Bye baby, baby bye bye.
Bye bye baby, don't make me cry
Bye baby, baby bye bye.

You're the one girl in town I'd marry
Girl, I'd marry you now if I were free
I wish it could be.
I could love you but why begin it
'Cos there ain't any future in it,
She's got me and I'm not free, so:

Bye Bye Baby, baby goodbye.
Bye baby, baby bye bye.
Bye bye baby, don't make me cry
Bye baby, baby bye bye.

Wish I never had known you
better Wish I knew you before
I met her, Gee How good it would be for me.
Should a told her that I can't linger,
There's a wedding ring on my finger,
She's got me and I'm not free, so:

Bye Bye Baby, baby goodbye.
Bye baby, baby bye. Bye bye baby,
don't make me cry Bye baby, baby bye bye.   

  Bye Bye Baby by  Beach Boys


 ※原曲よりBCRのカバーのほうが馴染みがある私、 

日本では郷ひろみがカバーしてました。 
訳詞が今は手元にないので英語そのまま 
早い話が不倫の歌です。 
キミほど好きになった人はいないけど、 
告白するよ、実はボク結婚してるんだ。 
だから別れたくないけど別れなくてはいけないんだ、 
何故妻と出会う前に君と出会わなかったんだろうって、 
そういう意味の歌。 

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例えばそう、輪廻転生において、
私たちは時に男だったり女だったり、
色んな国・民族・宗教・文化のとこに生まれるんだけど、
若くして死ぬときもあるものの、
恋愛にせよお見合いにせよ政略にせよ、
出会いのカタチは様々であっても、結婚をしたりする。
実る実らないはともかく恋愛もするし、子供を持つ人生もある。

一夫多妻制の国にいたこともあったろう。

どうでもいいトリビアだけど、
西アジアやインディアンのほとんどの部族は、
姉妹の配偶者が亡くなり寡婦となったとき、
姉妹の夫が第二の婦人として迎える風習があったりする。
(姉妹でよいことを分け合い、
女性としての機能を衰えさせない為)
兄弟が亡くなった場合には、その配偶者を兄弟が娶りもする。
(これは日本でも戦前までよくあったこと。とくに農村部)

キリスト教圏(カソリック)とは違って、再婚はよくあったこと。
(カソリックの人も愛人作ったり浮気とかもするけど)

立場上、跡継ぎを作らなくてはいけない状況から、
妾を持つのが公認とされている人もいたし、
(日本だと大奥とか、大名クラスの人たち)
日本も平安時代までは通い婚で、
女性が夫を変えること、
たくさんの男性と枕や恋をかわすことは普通だったし。

昔すきる時代のことはともかくとして、
ひとつ前の人生・・・つまり前世において。
自由恋愛を謳歌できる立場にいて、
実際たくさんの恋を楽しんでいた人が、
現代日本の恋愛ルールに適合できるとは思えない。
郷に入っては郷に従えというところだけど、
それが身に付き、習慣づいている人は難しいよね。

裸族な人とか、汚部屋が落ち着くって人の中は、
そりゃ直前の人生がアマゾンの奥地とか、
アフリカや南の島あたりで先住民族してた人もいたりする。

その人たちにとっては馴染のある、
居心地のよい生き方で、それまではそれが常識だったこと。
次の人生がいきなり先進国で、
文明的な生き方に適応し切れてないってのもある。
少し話逸れますが、センチネル族の人なんて、
転生したなら、めちゃくちゃ他人に対して攻撃的で、
自分の敷地内に罠を仕掛けるとか、
隣人や侵入する人を威嚇して追い出すことをしでかしそうっっ
(意外と隣人トラブル起こしている人の前世がそうだったりして?)



また、それだけでなく、
いつも同じ人と恋愛して、結婚していたわけではないから、
過去生での元カレ、元旦、元カノ、元妻がたくさんいるわけです。
100回結婚していたならば、
中には幾人か重複する相手もいるでしょうけど、
それなりの数の「縁」が生まれ、存在することになる。
結婚だけでなく、単なる情人、恋人などもいれると、
もっと「縁」ある関係はたくさん増えちゃう。

(別の人生では親子になったり、同性の友達になったり、
兄弟姉妹とか、そうした関係性で生まれることも多々。
過去の関係が夫婦や恋人同士だったことから、
肉親なのに惹かれあっちゃうってのは実に困りものではあるっっ。
ちなみに海外でもわりと人気のある日本の某ミュージシャンは、
奥さんとはその昔、兄と妹で禁断の恋で苦しんだ人のようで、
今生では血縁関係なくて結婚できて良かったね、という感じ)

中には相性良かった人もいるでしょうが、
上手くいかなくて憎んでいる相手もいるかも知れない。
親に決められた結婚とかの場合ではありがちか。

でもたくさんの人生の中、宝石のような思い出の恋、
忘れられない素晴らしい相手、満たされた結婚生活、
夫婦として、家族としてとても上手く行き、
楽しかった結婚生活などもあるわけです。
ひとつやふたつではなく、それがたくさんの人もいる。
困ったことにひとつもないって人もいるかもですが。


で、たまたま今回の人生で、
その希少な出会い・・・時代も国も違うけれども、
かつて恋人だった複数の異性と、
同時期に出会ってしまう・・・そんなこともあるのです。

それって、まったく困っちゃうよねーって話ですが。

まったく別の時代に、
激しい恋をした相手、優しく穏やかな関係を築けた相手と
今の人生で、二人同時に出会ってしまったら???

さて、どうする? どっちを選ぶ?

ってなってしまうのかな。
二人とも好きで、抱いている愛情は別のものだけど、
どっちって選ぶことは出来ない…

そんな二人の異性に挟まれて、求婚されてしまったならば。
しかも、二人ともすんごく自分のことを思ってくれてる。


残念ながら、私はそんなウハウハな少女漫画みたいな
展開に悩まされたことはありませんが・・・。


最近ちょっとそういうケースを拝見して、
あれやこれや思ってしまいました。

その方は美人とかスタイルがいいとか、
決してそういうのではないけれど、
とても女性的で心根が優しい、魅力的な方。
二人の男性はこの方のそういうとこ、
良さをちゃんとわかっている人なんだよなぁ・・・って。
(見る目あります)

結論はもう出てしまっているんですけど。



でも、漫画やドラマの世界では、
本当に好きな者同士が一緒にならないことは、
結果周囲も不幸にしてしまうのですけどね。
(結婚する前の話に限ってのこと)




そして話代わって、
ちらりと前述で書いた人のように、
見た目で判断せず、
真の意味でのイイ女の価値がわかる男性もいるんだけど、

「もう、結婚なんてイヤだ」「女は怖い」みたいに
不幸な結婚の結果、女性に対してトラウマ抱いちゃったという
2chのサレ話での体験談なんか読んでいると、

「どうしてお前、あえてそんな女を選んだ?」

という人が多いかなー

まあ、男の人が魅力的に思う女(男受けいいタイプ)と
女性が言うところの素敵な女性(性格重視)は違うから。


ちなみにうちのクライアントさんの中には、
見た目もキレイだし、性格もよくて、とても素敵な女性なのに、
何故か独身って人、多いですよ。
気配り上手で前向きで明るくて知的で、
性格もいいんだけどなーって人に限ってフリー。
ホント男性側が見る目ないなって思っちゃいます。

ていうか、
媚売るのが上手とか、甘え上手で
可愛子ぶりっ子で、男を立てることが上手とか・・・
そして極めつけが若さ。
男性が女性に求めるもの、それを提供するのが
巧みな女子にコロッと騙される人は多いですからね。
(そういうのって単純にテクニックなんだけど)


でも、性格のいい男と性格のいい女。
双方の友人からお墨付きの二人を出会わせたとしても、
そこに化学反応が起きるとは限らない。
まずほとんどBoy meets Girlの世界にはならないのがセオリー。

いい人だからといって、恋できるわけではないんですよね。
フェロモンが反応しないというか、
ときめきがないことには始まりの予感なんて皆無で。

なんでも、友達から恋人に至るケースとか、
付き合っていくうちにお互いの良さを発見する二人よりも、
一目惚れの方が、恋も夢もいつまでも覚めず、
ずっとLoveLoveのカップルでいられて、離婚率も低いそう。

出会った瞬間、ピピッと来て恋に落ちる・・・

雷が落ちたような電撃的な出会い。

本当にそういうのがあれば、それこそ運命ってやつですか。

確かに条件だけで、良い人だからと、
誰もが素晴らしい人だと太鼓判を押す異性だからと、
好意は持てても、必ずしも恋に墜ちれるわけではないのです。

自分だけのアンテナに反応する何かがないことには。

うーん・・・なかなか難しいっすね。

まあとにかく、今の人生だけで考えると、
ピッタリの相手がいない、見つからない、出会えないって
そういう人が多いとだけ。



あなたに合う人? 居ますよ。

とってもピッタリの運命のただ一人の相手が。

姑舅小姑付きです。

お金は・・・ないようです。

年の差があります。

だけど、言葉が通じません。

さらに宗教が違います。

なので改宗したり、相手の言語をマスターしないと。

あ、肝心なことを忘れてきました。

あなたと同じ性別です。

あなたはバイセクシャルですか?
だといいのですが。
相手の希望も聞かないと。


あ、もう一つ肝心なことを・・・

相手はまだ生まれたばかりです。

あと16年待てますか?

う~ん・・・今生では厳しいみたいですね、

残念っっ!来世で出会えることを期待しましょう!

お互いが同じもしくは近い国同士に生まれて、
異性同士で、年齢も近く、
ちょうどいい適齢期のときに出会えることを祈って。

そんなベストタイミングが訪れるのを
ひたすら待ってくださいねぇ~



まあ、そういうのもさもありなん。
よくあることですよ。

現実的に見て、恋愛や結婚をするなら、
運命の相手を夢見て待ち望むより、

今の人生で出会える範囲で、
条件的にみて、自分と恋愛してくれそうな人、
結婚の可能性を考えられる人と
人生を生きることを選択するべきかな。

本当の運命の相手とタイミングよく
同じ人生で出会えるなんて、
砂に落ちた砂金の粒を探すようなもので、
1000年に一度のイベントくらいに考えるべきかも。

毎度毎度の人生で都合よく、
素晴らしい出会いをゲットできるわけではないのですよね。

なのでチャンスは逃さぬようって感じです。
(出会えたことが奇跡なので)


というわけで、今生で会えなかった人、
来世あるいは1000年以内には出会えるかも知れません。

※ちなみに、実際に会った例でね、
第二次大戦の時に死んだ恋人が転生して、
ずっと独身を貫いていたその人と再会したケースがあるの。
アメリカでなんだけども。
男性の方が出征した後に、女性が病で亡くなって、
せっかく生きて戻ったのに彼女はそんなんで・・・
生涯独身をと、老人にとなったとき、
転生していた当時の彼女と再会してお互いビビッと。
はい、年の差婚になっちゃいました。
でも二人はとても幸せそうだったとのこと。
事情を知らない人から見たら、
ジジイのクセに若い花嫁もらいやがって・・・ですけどもね。
そんな再会、恋の成就の仕方もあるのですよ。