私の仕事というのは、
お客さんが現在直面している、
あるいは長年悩まされてきた(抱えている)
個人的かつ人生上の問題や悩みを伺って、
その事象が何に由来しているのか…
原因がどこから来ているのかを
非科学的な方法(視点)で考察・分析・解読して、
(単なる当人の性格や心の問題なのか、
霊的な現象によるものなのか、過去生のトラウマなのか、
そしてカルマのレッスンとして起きていることなのか。
あるいは気のせいや思い過ごしなのか、
極めて現実的なアプローチをすべき事柄なのか云々)
それに対する問題解決の対処法として、
私の出来る範囲で技術を提供することなんだけども。
(アドバイスや指摘、メッセージを伝えることも含めて)
その中でもやはり、
データとしてのエレメンタルを読むのが得意で、
その人が人間として生を受けてからの魂の変遷と歴史…
いわゆる過去生(カルマという課題含む)を読むのが得意なのね。
(ヒプノセラピーでお客さん自身に見てもらうこともするけど、
圧倒的に私のほうが読んでいくことのほうが多いです)
魂のイデアが水のエレメントの属性だから、
共感力が秀でているというのはある。
なので、霊媒向き。
しかし降ろすほうではなく、サニワ側。
霊能者という仕事や神通力を用いた仕事は、
魂のイデアが火のエレメントの人向き。
水は読み取るほうがどうしたって得意。
てなわけで得意不得意というのはどうしても存在する。
ちなみに魂のイデアのエレメントの属性は、
占星学上の12サインの区分とはまったく異なります。
今生の生年月日での天体の配置にしか過ぎないので。
魂のイデアとは不変のものですし。
話が脱線するのでそれはそれ、ここまでとして。
さて、本題です。
そんなわけで私は過去生の情報を読み取るのが得意派。
ここにも書いてはいますけれど、
これまでに見させて頂いたお客さんの中には、
ものすご~くえらく古い魂の人も何人かいて、
「えっ?」ってビックリするような記憶のかけらを
発掘というか、見つけさせて頂くこともしばしば。
「んー? メソポタミア? インダス文明…ですか?」
「この文字って、楔形文字?」
「バ、バビロニア? バビロン???」
「アッシリア? 聞いたことあるようなないような」
「テーベの都? はい?」
「あら、ピラミッドを作らされてるの?
んでもって石から落ちて死亡って、これ労災では?」
「えっ、パルミラ…となっっ汗」
「うそ、マジ?
恐竜と人間が共存してた時代あるんだ、え゛ー?」
「紀元前のエチオピアって
結構文明が発展してるんですけど? why?」
てな具合に。
(もちろん、これが本当かどうかなんて証明できません。
私マンガも映画も好きですし、
歴史は好きなほうだったから、
既存の知識からのこじつけかも知れませんし)
そんな風に、
過去生リーディングを通して世界旅行つか
悠久の旅、古(いにしえ)の時間旅行ができるのが、
この仕事の面白さ、楽しみなのかも知れません。
(実際はそんな悠長なものではありませんが)
先日友人を見たときもそうなんですが、
レムリア大陸での過去生の記憶があった人、
とりあえず4人はいました。
しかも、そのうちの二人は
レムリア大陸消滅に関するものでした。
同じ日の記憶だったんです。
もちろんその二人は今生において面識はありません。
垢の他人です。
私は考古学はよく分かりませんが、
"過去生"というものが存在するのが事実として、
少なくとも一部の人々の持つ過去生の記憶の中では、
かつてレムリア大陸は存在してた、
ということになりますでしょうか。
(アトランティスもムー大陸も)
お客さんの過去生からの情報によると、
(それが本当だとすると)
インド洋に在ったレムリア大陸が滅んだのは、
人災(操作ミスと指示ミスというヒューマンエラー)による
原発事故のようなものをきっかけとした大地震、
それによる津波での島全体が壊滅と島民の逃げ遅れ…
というもののよう。
ようするに今とは違う文明が発達してて、
かなり高度な科学があったみたいですね。
けれどファッションとか建物はシンプルで、
ライフスタイルとか信仰は、
原始的な面があるっていうのか、
精神的なことは大事にされていたというか、
霊性は今の人類よりは高かった、そんな感じ。
何か結晶のようなものにエネルギーを凝固させて
それを蓄えた形でうまく使って、
いろんなことの動力源にしてたみたい。
あと、脳外科手術みたいなことも行われてましたね。
ただ奴隷に対する実験(治験)みたいな感じでしたが。
雑誌「ムー」は昔読んでたことあるし、
オカルト世代なので、ミステリーとか七不思議とか、
その手の本は読んだことありますが、
何しろ読んだのは子供の頃の話だし、
お客さんのチャクラのお掃除をしてて、
まさかそういう情報に出くわすとは思ってなかったので、
「ほへぇ~」と頭はなってしまいました。
そして、そんな古い時代のことなのに、
紀元前の記憶のほうが色鮮やかにありありと、
リアリティがあって細かく記憶されていたりすると、
どうもそうした古代の時のほうが、
ホント人は霊性が高かったのだな、
…と、思わずにいられません。
中世とか近世の記憶のほうが
覚えていることが荒いというのでしょうか、
記憶がとっちらかっていて散漫で、
適当?とはいいませんが、ところどころだったりするし。
都合の良いように改ざんされていたりもいるし。
(同じ人物でね)
てなわけで、段々霊性が下がってきているというか、
これを短絡的に
「堕落」と言っていいのかどうか分かりませんが、
古代のその人のほうが理知的で賢く、
サイキカルかつスピリチュアルな能力が秀でてた、
なんてこともよくあったりするので。
でもそれは時代のせいなんでしょうかね。
昔はテレビも本もなく、時計もなく、車もなく、
完全な安全もなく、危険と隣り合わせだったりもして、
野生の本能や感性や第六感が研ぎ澄まされるには、
良い環境だったといえるのかも知れませんし。
今の時代は道具があるし、野生のカンは必要ないし、
情報過多で常に映像的にも音的にも刺激があって、
人生もノイズばかり。頭からっぽにできる隙間ないし。
でもって、このレムリア大陸最後の日、なんですが、
このヒューマンエラーをしてもーた側の視点と
巻き添えを食った一般市民側の視点の
両方から知ることが出来たのが面白かったです。
(そういうのは結構あります。
フランス革命の王党派の人と革命側の人の記憶とか、
始皇帝の時代は秦の人、楚の人、趙の人、韓の人とか、
十字軍の西洋側、中東側の人とか、
フランスとイギリスの薔薇戦争の時の敵味方とか、
あげたらきりがないですけど、
そんな風に同じ時代に生きていて、
立場や居場所が違った人のそれぞれの視点からの記憶とか)
とはいうものの、
レムリア大陸のこととかその当日の様子とか、
滅亡の全容を解明するとか、
それを知ることが目的ではなく…
あくまでチャクラのお掃除とか、
過去生ヒーリング(解放)の過程において、
たまたま垣間見ただけのことなんで、
さほど時間とらず、後はスルーです、スルー。
(早い話がいちいち詳しく見てられねー)
まあ、こうやって知ることが出来た情報が
本当だったら歴史は面白いなっていつも思います。
追伸
レムリア大陸から逃れることが出来た人はいて、
アフリカ大陸、インド大陸、中東と、
海側の人は船で脱出して助かって、
まとまって逃れた土地で町作ったみたいです。
そしてレムリア大陸のことを伝えたり、
知ってた知識を用いて暮らしていたようです。
2018/01/29
2018/01/23
エクソシストもどき
エクソシストとは、1973年公開の
ウィリアム・フリードキン監督のアメリカ映画…
のことではなく…
通常、エクソシスト(悪魔祓い)とは、
カソリック教会において
認定を受けた司祭だけが執り行えるもの。
なので、
認定者が行わないものは
エクソシストとは呼んではいけない。
(別にカソリックの登録商標とか特許名ではないけども)。
けど、前述のヒット映画のお陰で、
他人に類似の行為を説明するとき、
悪魔祓い(悪霊の追い出し)=エクソシスト
という世間の周知(認識)があるので、
「エクソシストみたいなこと」
と言うとわかりやすいっちゃあ、わかりやすい。
幸い、私のところには
緑色の液体をデロデロと口から吐き出し、
それをこっちに吐きかけたり、
罵詈雑言を浴びせ放題だったり、
空中浮遊をして首がぐるぐる回ったり、
ポルターガイストで室内のものを破壊するような、
そんなのは今のところないけれど。
でも、それに近いことがなかったわけではなく、
氣を整えて、霊体をいじくることで、
体内の邪氣(霊的汚染も含む)が出ていくとき、
あくびやげっぷがでることはよくあることで、
さらには唾液がドバッー!とか、胃液とかまあ、
胃の内容物逆流ってパターンも時おりあるわけです。
それは想定内。でも緑色の液体はないなーってとこ。
して、
質の悪い憑依霊やら、
過去生の人格に乗っ取られた人とか、
そういう案件に当たったことはあります。
とはいうものの、
私は神通力みたいなものは
粉微塵も有していない人間ですから、
「きぇ~! 喝!!」
みたいに気合を入れ、
調伏し追い出すなんて技は持ち合わせていない。
そうすると問答になります。
(サニワみたいな感じですね)
言葉で相手を威嚇して、屁理屈で叩き潰す…
相手を非難して批判して追い詰めて遣り込める。
それだけです。
生来の意地の悪さと普段からの口の悪さが、
こういう時に役に立つのがなんだかなって感じですが。
とにかく毅然として動じない姿勢でってのが大事。
それでもどうにもできないときは、
もう「お任せ」しちゃいます。
透明なヘルパーさんたちに。
(職務放棄というか上司に押しつけというか)
そうですね…
少し前まで肉体を持ち合わせていた霊よりも、
その人自身のエレメンタル…過去生のパーソナリティで
質の悪い、問題を起こすような輩のほうが手強いし、
なかなか厄介だったりします。
何故なら、今生の人格や霊は成長するけれど、
過去生のパーソナリティは成長しないからです。
感情も知性も人格も当時のままだから、
話が通じない人はもうどうしようもない。
これはエレメンタル(データ)として、
処理してしまえればそのほうがいいんですが、
対処に困るというかどうにもできなくなるのは、
そのエレメンタル(のエゴイズム)に今の人格が同調して、
そのエレメンタルを取り込んでしまい、
影響を受けて完全に支配されてしまうこと(=同化)。
これは憑依とは異なるものです。
こうなるともう人格から分離させるのは難しい。
性格の問題になってしまいますから。
その人の霊的な成長を待たないといけなくなってしまう。
だからこそ、過去生の記憶を取り扱うのはとても危険で、
慎重にならないといけないというのがあります。
思い出させるだけなら、意味がないといいますかね。
色んな人格だった歴史があるので、
その中でもとても良くない性質だったとき
(例えば犯罪者とか)の記憶を目覚めさせてなんかしまうと、
これはえらいこっちゃです。
今の人格がその過去以上に霊的成長を遂げて、
当時のエゴイズムに左右されない人であればいいのだけど、
あまり変わってないとパンドラの箱を開けることになる。
だから私はもう
「過去生体験ワークショップ」はやらないのです。
いたずらに過去を思い出させても、というのがあり。
あるレベルに至っている人はいいけれど、
そうでない人には罪作りなだけなので。
自分の過去を受け止める段階にはない人がいる、
というのもありますが…。
さて、そんな風に過去生の人格に乗っ取られたり、
霊(人間だったり動物だったり)に憑依されて、
暴言を吐いて罵るなど罵詈雑言を浴びせてきたり、
挑発的で攻撃的な態度をとってきたり、
そんなクライアントさんに何度か遭遇したことはありまして。
大体そういう場合って取り憑いてるのが、
追い出されたら嫌だって威嚇してくるパターンかな。
予約の段階で悶着あったり、当人が来訪を躊躇したり、
意を決して来ようとしても来る途中に道に迷ったり、
ぐるぐると回って、なかなか辿り着けなかったりします。
大都会で駅から近く、とても分かりやすいとこなのに。
当日具合が悪くなったり、電車が遅れたりとかもありますし。
家族の妨害とかあれやこれや。
まあ、邪魔が入るわけです。
スクール、Gレッスンでもそうでしたよ。
学ぶことに対して邪魔が入る。
エゴイズムや霊の茶々が入るというか、邪魔や妨害、
誘惑があれやこれや入るものです。
それはもうしょうがない。そういうものだから。
学びの道はお試しでもあるし。
そんなんで、その人の背後にいるものに対して、
性悪な過去生の顔が出てきたときとか、
悪態をつくようにきついことを言ったりするわけです。
こうしたやり取りは疲れますよ、正直。
当日ならいいけど、その後の攻撃はもっと疲れるし。
問い合わせを頂いた段階で、
もしかしてそうかなーって思ったりもしますけど、
やはり直接会ってからでないと判断するのは早計ですしね。
そして、霊にしても過去生の人格に乗っ取りにしても、
当人の意識がまだあって、自分が時おり
とても汚い言葉を使って、他者を攻撃していること…
例えば私に罵詈雑言を浴びせている状態を自覚していて、
そんな自分を何とかしたいと切実に思ってくれていれば、
まだ助けようがあるというか、サポートできるんです。
でも今の人格もそっちより…というのかな。
自分が時おりとても他者に対して失礼になることに対して、
まったく問題意識を持ってなくて、
しらふになったときに謝罪をする態度もなかったりすると、
そういう人はお断りするしかなかったりします。
こちらでサポートできることは出来ないし、
正直助けようがないんですね。
はい。そういう人いました。
うちでもそういう態度だったからお断りして、
その後いろいろ他の先生当たってもやはりダメで、
「お願いします」と仰ってきてくださったけれど、
文章や言葉でこそ「お願いします」なんだけど、
「お願いします」という態度ではないし、
豹変したときも普段も差がないというか、
今生の性格の問題点でさえ自覚して向き合おうという
そういう認識や気構えがない人には、
私ごときの力量では本当にお役に立てないんですよね。
当人が問題意識をもって取り組もう、
解決したいという気持ちを持っていないことには、
他人は手出しは出来ません。
助けることは何人たりとも出来ないんです。
現状から脱出したいという
本人の意志がそこにない限りには。
だからそう。
霊やエレメンタル(過去生のパーソナリティや生霊たち)に
人生を左右されるにしてもしないにしても、
その人の今の人格ありきというのは偽りでないんです。
てなわけでエクソシストは出来ないけれど、
エクソシストもどきなことは、
なんだかんだで
ほんのちょっとだけ時おりしていたりするのです。
ウィリアム・フリードキン監督のアメリカ映画…
のことではなく…
通常、エクソシスト(悪魔祓い)とは、
カソリック教会において
認定を受けた司祭だけが執り行えるもの。
なので、
認定者が行わないものは
エクソシストとは呼んではいけない。
(別にカソリックの登録商標とか特許名ではないけども)。
けど、前述のヒット映画のお陰で、
他人に類似の行為を説明するとき、
悪魔祓い(悪霊の追い出し)=エクソシスト
という世間の周知(認識)があるので、
「エクソシストみたいなこと」
と言うとわかりやすいっちゃあ、わかりやすい。
幸い、私のところには
緑色の液体をデロデロと口から吐き出し、
それをこっちに吐きかけたり、
罵詈雑言を浴びせ放題だったり、
空中浮遊をして首がぐるぐる回ったり、
ポルターガイストで室内のものを破壊するような、
そんなのは今のところないけれど。
でも、それに近いことがなかったわけではなく、
氣を整えて、霊体をいじくることで、
体内の邪氣(霊的汚染も含む)が出ていくとき、
あくびやげっぷがでることはよくあることで、
さらには唾液がドバッー!とか、胃液とかまあ、
胃の内容物逆流ってパターンも時おりあるわけです。
それは想定内。でも緑色の液体はないなーってとこ。
して、
質の悪い憑依霊やら、
過去生の人格に乗っ取られた人とか、
そういう案件に当たったことはあります。
とはいうものの、
私は神通力みたいなものは
粉微塵も有していない人間ですから、
「きぇ~! 喝!!」
みたいに気合を入れ、
調伏し追い出すなんて技は持ち合わせていない。
そうすると問答になります。
(サニワみたいな感じですね)
言葉で相手を威嚇して、屁理屈で叩き潰す…
相手を非難して批判して追い詰めて遣り込める。
それだけです。
生来の意地の悪さと普段からの口の悪さが、
こういう時に役に立つのがなんだかなって感じですが。
とにかく毅然として動じない姿勢でってのが大事。
それでもどうにもできないときは、
もう「お任せ」しちゃいます。
透明なヘルパーさんたちに。
(職務放棄というか上司に押しつけというか)
そうですね…
少し前まで肉体を持ち合わせていた霊よりも、
その人自身のエレメンタル…過去生のパーソナリティで
質の悪い、問題を起こすような輩のほうが手強いし、
なかなか厄介だったりします。
何故なら、今生の人格や霊は成長するけれど、
過去生のパーソナリティは成長しないからです。
感情も知性も人格も当時のままだから、
話が通じない人はもうどうしようもない。
これはエレメンタル(データ)として、
処理してしまえればそのほうがいいんですが、
対処に困るというかどうにもできなくなるのは、
そのエレメンタル(のエゴイズム)に今の人格が同調して、
そのエレメンタルを取り込んでしまい、
影響を受けて完全に支配されてしまうこと(=同化)。
これは憑依とは異なるものです。
こうなるともう人格から分離させるのは難しい。
性格の問題になってしまいますから。
その人の霊的な成長を待たないといけなくなってしまう。
だからこそ、過去生の記憶を取り扱うのはとても危険で、
慎重にならないといけないというのがあります。
思い出させるだけなら、意味がないといいますかね。
色んな人格だった歴史があるので、
その中でもとても良くない性質だったとき
(例えば犯罪者とか)の記憶を目覚めさせてなんかしまうと、
これはえらいこっちゃです。
今の人格がその過去以上に霊的成長を遂げて、
当時のエゴイズムに左右されない人であればいいのだけど、
あまり変わってないとパンドラの箱を開けることになる。
だから私はもう
「過去生体験ワークショップ」はやらないのです。
いたずらに過去を思い出させても、というのがあり。
あるレベルに至っている人はいいけれど、
そうでない人には罪作りなだけなので。
自分の過去を受け止める段階にはない人がいる、
というのもありますが…。
さて、そんな風に過去生の人格に乗っ取られたり、
霊(人間だったり動物だったり)に憑依されて、
暴言を吐いて罵るなど罵詈雑言を浴びせてきたり、
挑発的で攻撃的な態度をとってきたり、
そんなクライアントさんに何度か遭遇したことはありまして。
大体そういう場合って取り憑いてるのが、
追い出されたら嫌だって威嚇してくるパターンかな。
予約の段階で悶着あったり、当人が来訪を躊躇したり、
意を決して来ようとしても来る途中に道に迷ったり、
ぐるぐると回って、なかなか辿り着けなかったりします。
大都会で駅から近く、とても分かりやすいとこなのに。
当日具合が悪くなったり、電車が遅れたりとかもありますし。
家族の妨害とかあれやこれや。
まあ、邪魔が入るわけです。
スクール、Gレッスンでもそうでしたよ。
学ぶことに対して邪魔が入る。
エゴイズムや霊の茶々が入るというか、邪魔や妨害、
誘惑があれやこれや入るものです。
それはもうしょうがない。そういうものだから。
学びの道はお試しでもあるし。
そんなんで、その人の背後にいるものに対して、
性悪な過去生の顔が出てきたときとか、
悪態をつくようにきついことを言ったりするわけです。
こうしたやり取りは疲れますよ、正直。
当日ならいいけど、その後の攻撃はもっと疲れるし。
問い合わせを頂いた段階で、
もしかしてそうかなーって思ったりもしますけど、
やはり直接会ってからでないと判断するのは早計ですしね。
そして、霊にしても過去生の人格に乗っ取りにしても、
当人の意識がまだあって、自分が時おり
とても汚い言葉を使って、他者を攻撃していること…
例えば私に罵詈雑言を浴びせている状態を自覚していて、
そんな自分を何とかしたいと切実に思ってくれていれば、
まだ助けようがあるというか、サポートできるんです。
でも今の人格もそっちより…というのかな。
自分が時おりとても他者に対して失礼になることに対して、
まったく問題意識を持ってなくて、
しらふになったときに謝罪をする態度もなかったりすると、
そういう人はお断りするしかなかったりします。
こちらでサポートできることは出来ないし、
正直助けようがないんですね。
はい。そういう人いました。
うちでもそういう態度だったからお断りして、
その後いろいろ他の先生当たってもやはりダメで、
「お願いします」と仰ってきてくださったけれど、
文章や言葉でこそ「お願いします」なんだけど、
「お願いします」という態度ではないし、
豹変したときも普段も差がないというか、
今生の性格の問題点でさえ自覚して向き合おうという
そういう認識や気構えがない人には、
私ごときの力量では本当にお役に立てないんですよね。
当人が問題意識をもって取り組もう、
解決したいという気持ちを持っていないことには、
他人は手出しは出来ません。
助けることは何人たりとも出来ないんです。
現状から脱出したいという
本人の意志がそこにない限りには。
だからそう。
霊やエレメンタル(過去生のパーソナリティや生霊たち)に
人生を左右されるにしてもしないにしても、
その人の今の人格ありきというのは偽りでないんです。
てなわけでエクソシストは出来ないけれど、
エクソシストもどきなことは、
なんだかんだで
ほんのちょっとだけ時おりしていたりするのです。
2018/01/18
運は性格にあり
・・・というセリフを
著書にサインして下さったのは、
今は亡き銀座ジプシー先生。
(先生の著書にちょこっと紹介して頂いたので。
その御本も度重なる引越のどさくさで、
どこかに行ってしまったっっ涙)
確かにそう。
人の「運命」
すなわち人生というものを創るのは、
神や他者ではなく、その人自身(パーソナリティ)。
「なぜ、どうして自分がこんな目に?
何も悪いことなんかしていないのに・・・」
よく人はそう言う。
品行方正で、多くの人に好かれ、
何の罪を犯したこともない善人であったとしても、
それはあくまで、今の人生(今世)だけを切り取って、
人生を考察したときの話であって、
今生に至るまでの幾多の人生、
これまでの足跡を除外した上での話。
その人がそこに至るまでの理由はちゃんとある。
すべては選択したことの結果であり、
蒔いた種は刈り取らなければならないのだから。
その人の人生を創っているのは、その人自身。
何を考え、日々何を思い、感じ、生きているのか。
どんな言葉を創りだし、言葉の力をどのように使ったのか、
どのような行動をしたのか、
何に価値を見出し、誰と関わることを選ぶのか、
日々起こる事象に対して、どのように反応し、対処するのか。
すべてはそのことの結果。
そして人は「過去の記憶」に囚われる。
人は・・・何かを選択するとき、
過去の経験をもとに印象を持ち、反応してしまうので。
ネガティブな刷り込みがあることで、
目の前のチャンスに躊躇したり、抵抗したり、
こだわりを持ちすぎたり、執着したり・・・などなど。
顔や表情、容姿などの姿かたち、
服装や話し方なども、他人に対して、
好ましい、好ましくないなどの印象を与えるものだし、
信用を得られるか得られないか、
周囲からの評価を第一印象である程度決めてしまう。
(顔はある意味で名刺であり、その人を証明するもの。
だからこそ人相占いなどがあったりする。
して、ファッションもまた自己表現のひとつである)
その顔だって、20歳までは親に与えられたカタチではあるが、
その後はその人が形作っていくものである。
どんな喜怒哀楽のある人生を送ってきたのか、
何を食べ、どんな行動を取ってきたのか、
どんな言葉をいい、どんな表情をしてきたのか、
中身が、人となりは顔に出るものなので。
確かに親や出生時の環境は選べないけれども、
成人してから、その環境から脱することは出来るし、
本来、親元から独立して自立するのは当たり前のこと。
幼少期の環境や親との関係性に問題があった場合は、
そこから受けた影響や呪縛から、
抜け出す努力をして、昇華していくほかない。
ここでは「大人」になる作業をするべきなので。
自分性格的な欠点や問題を、
他人や環境のせいにするのは大間違いなのだから。
何故なら、命は確かに「与えられた」ものだけれど、
性格というのは、誰かに与えられたものではなく、
自分でそのように「創ってきた」ものだからだ。
同じ状況下で同じ経験をしても、
一人ひとり受け止め方は異なる。
辛い経験をして、そこから何かを得て、
それを人生にきちんと還元する人もいれば、
いつまでも引きずって、いじけて恨みつらみを抱き、
自分は不幸だったと言い続ける、非生産的な人もいる。
自分よりあらゆる面で恵まれたとある人を、
「うらやましい、ステキだ」と、
素直にその人の良いところを評価して、
そのような人になりたいと、
憧れの気持ちを自分への研鑽と努力に返る人もいるし、
同じ人に対する感情にしても、
ただいたずらに、自分はあの人と違うからとひがみ、
相手の荒さがしをして何かと叩いたりイジワルをして、
嫉妬や怒りを量産して、醜い人になっていく人もいる。
どちらを選ぶかはその人の感情の反応次第。
こころのあり方次第。
そして、その性格によって、
人に嫌われたり、好かれたり、
異性や同性に魅力的と思われたり・・・するわけで。
あとは種々様々な法則がここに絡んでくる。
そこに愛はあるのか?という内なる神からの問い。
類は友を呼ぶや、恐怖の感情があることからの引き寄せ。
そうした、「引き寄せの法則」や「カルマの法則」などなど。
でもまあ、人生は"性格"ありき。
確かに、
「引き寄せ」の法則を創りだしている、
ネガティブなエレメンタルをお掃除・退治して、
善なるエレメンタルを創造したり、書換えをしたり、
パーソナリティの問題を矯正していけば、
その人の人生の「障害」となっている、
大部分の問題は解決するだろう。
けれど、一見解決したようで、実は解決していない。
確かに、「エレメンタル」が存在することによって・・・
波動の法則にて引き寄せられ、具象化する出来事は減るが、
実のところ、根本的な解決にはなっていなかったりする。
何故なら、私たちはいつか
輪廻転生から「卒業」しなければならないので。
卒業・・・解脱ともアセンションとも言うが、
この現実社会において、
物質的な肉体を所有して生きなくてもよい状態になるまで、
おのが形骸を「育成」することが出来るまで、
(神体とも呼ぶ第四の身体)
三つの身体を用い、研鑽して、
一定のレベルへと引き上げないといけない。
エゴイズムから脱却してワンネスに近づくのは勿論のこと、
自分や他者が創造したエレメンタルに支配されることなく、
三つの身体を使いこなし、
その先の次元でも自由に生きていけるようになるまで。
そのためには、
この人生・・・三次元での学校こそがとても大事で、
決して疎かにすることは出来ない世界で・・・
この制限ある、不自由で思い通りにはならない現実、
そこで起きることに対処していくことが、何よりもその早道。
著書にサインして下さったのは、
今は亡き銀座ジプシー先生。
(先生の著書にちょこっと紹介して頂いたので。
その御本も度重なる引越のどさくさで、
どこかに行ってしまったっっ涙)
確かにそう。
人の「運命」
すなわち人生というものを創るのは、
神や他者ではなく、その人自身(パーソナリティ)。
「なぜ、どうして自分がこんな目に?
何も悪いことなんかしていないのに・・・」
よく人はそう言う。
品行方正で、多くの人に好かれ、
何の罪を犯したこともない善人であったとしても、
それはあくまで、今の人生(今世)だけを切り取って、
人生を考察したときの話であって、
今生に至るまでの幾多の人生、
これまでの足跡を除外した上での話。
その人がそこに至るまでの理由はちゃんとある。
すべては選択したことの結果であり、
蒔いた種は刈り取らなければならないのだから。
その人の人生を創っているのは、その人自身。
何を考え、日々何を思い、感じ、生きているのか。
どんな言葉を創りだし、言葉の力をどのように使ったのか、
どのような行動をしたのか、
何に価値を見出し、誰と関わることを選ぶのか、
日々起こる事象に対して、どのように反応し、対処するのか。
すべてはそのことの結果。
そして人は「過去の記憶」に囚われる。
人は・・・何かを選択するとき、
過去の経験をもとに印象を持ち、反応してしまうので。
ネガティブな刷り込みがあることで、
目の前のチャンスに躊躇したり、抵抗したり、
こだわりを持ちすぎたり、執着したり・・・などなど。
顔や表情、容姿などの姿かたち、
服装や話し方なども、他人に対して、
好ましい、好ましくないなどの印象を与えるものだし、
信用を得られるか得られないか、
周囲からの評価を第一印象である程度決めてしまう。
(顔はある意味で名刺であり、その人を証明するもの。
だからこそ人相占いなどがあったりする。
して、ファッションもまた自己表現のひとつである)
その顔だって、20歳までは親に与えられたカタチではあるが、
その後はその人が形作っていくものである。
どんな喜怒哀楽のある人生を送ってきたのか、
何を食べ、どんな行動を取ってきたのか、
どんな言葉をいい、どんな表情をしてきたのか、
中身が、人となりは顔に出るものなので。
確かに親や出生時の環境は選べないけれども、
成人してから、その環境から脱することは出来るし、
本来、親元から独立して自立するのは当たり前のこと。
幼少期の環境や親との関係性に問題があった場合は、
そこから受けた影響や呪縛から、
抜け出す努力をして、昇華していくほかない。
ここでは「大人」になる作業をするべきなので。
自分性格的な欠点や問題を、
他人や環境のせいにするのは大間違いなのだから。
何故なら、命は確かに「与えられた」ものだけれど、
性格というのは、誰かに与えられたものではなく、
自分でそのように「創ってきた」ものだからだ。
同じ状況下で同じ経験をしても、
一人ひとり受け止め方は異なる。
辛い経験をして、そこから何かを得て、
それを人生にきちんと還元する人もいれば、
いつまでも引きずって、いじけて恨みつらみを抱き、
自分は不幸だったと言い続ける、非生産的な人もいる。
自分よりあらゆる面で恵まれたとある人を、
「うらやましい、ステキだ」と、
素直にその人の良いところを評価して、
そのような人になりたいと、
憧れの気持ちを自分への研鑽と努力に返る人もいるし、
同じ人に対する感情にしても、
ただいたずらに、自分はあの人と違うからとひがみ、
相手の荒さがしをして何かと叩いたりイジワルをして、
嫉妬や怒りを量産して、醜い人になっていく人もいる。
どちらを選ぶかはその人の感情の反応次第。
こころのあり方次第。
そして、その性格によって、
人に嫌われたり、好かれたり、
異性や同性に魅力的と思われたり・・・するわけで。
あとは種々様々な法則がここに絡んでくる。
そこに愛はあるのか?という内なる神からの問い。
類は友を呼ぶや、恐怖の感情があることからの引き寄せ。
そうした、「引き寄せの法則」や「カルマの法則」などなど。
でもまあ、人生は"性格"ありき。
確かに、
「引き寄せ」の法則を創りだしている、
ネガティブなエレメンタルをお掃除・退治して、
善なるエレメンタルを創造したり、書換えをしたり、
パーソナリティの問題を矯正していけば、
その人の人生の「障害」となっている、
大部分の問題は解決するだろう。
けれど、一見解決したようで、実は解決していない。
確かに、「エレメンタル」が存在することによって・・・
波動の法則にて引き寄せられ、具象化する出来事は減るが、
実のところ、根本的な解決にはなっていなかったりする。
何故なら、私たちはいつか
輪廻転生から「卒業」しなければならないので。
卒業・・・解脱ともアセンションとも言うが、
この現実社会において、
物質的な肉体を所有して生きなくてもよい状態になるまで、
おのが形骸を「育成」することが出来るまで、
(神体とも呼ぶ第四の身体)
三つの身体を用い、研鑽して、
一定のレベルへと引き上げないといけない。
エゴイズムから脱却してワンネスに近づくのは勿論のこと、
自分や他者が創造したエレメンタルに支配されることなく、
三つの身体を使いこなし、
その先の次元でも自由に生きていけるようになるまで。
そのためには、
この人生・・・三次元での学校こそがとても大事で、
決して疎かにすることは出来ない世界で・・・
この制限ある、不自由で思い通りにはならない現実、
そこで起きることに対処していくことが、何よりもその早道。
☆ ☆ ☆
さてさて...話戻って
セッションの場ではこうした性格の差…
心の歪みのある人かない人かというものが、
その後の結果を大きく左右することになる。
チャクラのお掃除をするとき、
他者に対して思いやりや優しさを示すことの出来る、
エゴイズムが少ない人というのは(いわゆる性格の良い)、
チャクラがわりと整理整頓されているもので、
問題を起こす不快なエレメンタルが少なく、
書き換えもスムーズに行きやすい。
そして前向きで向上心のある、明確な意志を持った、
自分というものをしっかり所有している人、
心が素直な人というのは本当に早く結果が出る。
反対に、メンタルの問題を抱えていて、
たくさんのエゴイズムに支配されている人というのは、
チャクラもオーラも汚部屋状態を通り越して、
無法地帯なスラムかはてまた太古のジャングルかという状態で、
どうにも大変なことになっているので、
一回や二回のお掃除ではどうにもならず、
現実に変化が起きるまで気長に途方もない時間がかかってしまう。
端的にいうと、
心のキレイな人ほど結果が早く出やすく、
その人の望むような人生の変化を招きやすい。
いわゆる物事が「引き寄せ」られるのが早いのです。
純粋で素直な人ほど。
でもそうでない人は大変。
ただ、よこしまな力(存在)に頼って、
願いを叶える方法もあるから、
性格が悪くて心が歪んでいたとしても、
物質的なものを引き寄せることの出来る人もいる。
波動が低くて悪しき存在ほど、お金に強いし。
もちろん、いつかしっぺ返しは食らうことになるけど。
(邪悪な力に頼ると7倍返しでカルマの負債を背負わされる)
ヒーリングや過去生セラピーを初めて、
たくさんのクライアントさんをみさせて頂いて、
改めて思うことだけれども。
その人の願いが叶うか否か、
望む現実が手に入れられるか否か、
問題が解決していくかいかないかって…
そのクライアントさんを悩ませ運命や道を阻む障害が、
先祖からの因縁や祟り(霊障)や
過去生からのPTSDやトラウマやカルマのレッスンや
霊的憑依や他者からのアサルトアタック(呪詛や生霊)
とかで、なおかつそれらが二重三重に絡み合った、
どれだけ大変な事象であったとしても、
やっぱり最終的には、
そのクライアントさん自身の性格がカギを握ってるんですわ。
人徳というのかしら。
神仏や先祖など見えない世界からの
助けや導きを得られるかどうかにしても、
アドバイスやメッセージに耳を傾ける素直さとか、
自分のことだけでなく他者のことも考える視点があるとか。
一言でいうなら、性格次第。
性格が運を左右しているってホント。
性格の善い人は、
もつれ合い絡み合った運命も業もほどけるのが早い。
本人に問題のない因縁や邪念を背負わされたとしても、
それに対する心持ちが違うから(逆恨みしない)、
たくさんの人の味方や支援を得られるし、
影響も受けにくかったりする。
心の素直さ、キレイさが
「運」を作っているといっても過言ではないのです。
だからね、「運が悪い」と嘆いている人は、
まず自分の「心」を見つめ直してください。
己が性格について客観的に分析して、
欠点や考え方の歪み、性格の問題を知ろうとして下さい。
心の汚れが、自分の運命の歯車を狂わせ、
良くないものをたくさん人生に作りだしているという
そんな自覚をもってください。
「運」や他人のせいにする前に。
誰かを羨んで、妬んだり、怒ったり、憎んだり、
あきらめたりする前に…
自分をもう一度育てなおす努力をしようと試みてください。
そうすれば
人生を変えるための第一歩を踏み出すことができるはず。
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