エクソシストとは、1973年公開の
ウィリアム・フリードキン監督のアメリカ映画…
のことではなく…
通常、エクソシスト(悪魔祓い)とは、
カソリック教会において
認定を受けた司祭だけが執り行えるもの。
なので、
認定者が行わないものは
エクソシストとは呼んではいけない。
(別にカソリックの登録商標とか特許名ではないけども)。
けど、前述のヒット映画のお陰で、
他人に類似の行為を説明するとき、
悪魔祓い(悪霊の追い出し)=エクソシスト
という世間の周知(認識)があるので、
「エクソシストみたいなこと」
と言うとわかりやすいっちゃあ、わかりやすい。
幸い、私のところには
緑色の液体をデロデロと口から吐き出し、
それをこっちに吐きかけたり、
罵詈雑言を浴びせ放題だったり、
空中浮遊をして首がぐるぐる回ったり、
ポルターガイストで室内のものを破壊するような、
そんなのは今のところないけれど。
でも、それに近いことがなかったわけではなく、
氣を整えて、霊体をいじくることで、
体内の邪氣(霊的汚染も含む)が出ていくとき、
あくびやげっぷがでることはよくあることで、
さらには唾液がドバッー!とか、胃液とかまあ、
胃の内容物逆流ってパターンも時おりあるわけです。
それは想定内。でも緑色の液体はないなーってとこ。
して、
質の悪い憑依霊やら、
過去生の人格に乗っ取られた人とか、
そういう案件に当たったことはあります。
とはいうものの、
私は神通力みたいなものは
粉微塵も有していない人間ですから、
「きぇ~! 喝!!」
みたいに気合を入れ、
調伏し追い出すなんて技は持ち合わせていない。
そうすると問答になります。
(サニワみたいな感じですね)
言葉で相手を威嚇して、屁理屈で叩き潰す…
相手を非難して批判して追い詰めて遣り込める。
それだけです。
生来の意地の悪さと普段からの口の悪さが、
こういう時に役に立つのがなんだかなって感じですが。
とにかく毅然として動じない姿勢でってのが大事。
それでもどうにもできないときは、
もう「お任せ」しちゃいます。
透明なヘルパーさんたちに。
(職務放棄というか上司に押しつけというか)
そうですね…
少し前まで肉体を持ち合わせていた霊よりも、
その人自身のエレメンタル…過去生のパーソナリティで
質の悪い、問題を起こすような輩のほうが手強いし、
なかなか厄介だったりします。
何故なら、今生の人格や霊は成長するけれど、
過去生のパーソナリティは成長しないからです。
感情も知性も人格も当時のままだから、
話が通じない人はもうどうしようもない。
これはエレメンタル(データ)として、
処理してしまえればそのほうがいいんですが、
対処に困るというかどうにもできなくなるのは、
そのエレメンタル(のエゴイズム)に今の人格が同調して、
そのエレメンタルを取り込んでしまい、
影響を受けて完全に支配されてしまうこと(=同化)。
これは憑依とは異なるものです。
こうなるともう人格から分離させるのは難しい。
性格の問題になってしまいますから。
その人の霊的な成長を待たないといけなくなってしまう。
だからこそ、過去生の記憶を取り扱うのはとても危険で、
慎重にならないといけないというのがあります。
思い出させるだけなら、意味がないといいますかね。
色んな人格だった歴史があるので、
その中でもとても良くない性質だったとき
(例えば犯罪者とか)の記憶を目覚めさせてなんかしまうと、
これはえらいこっちゃです。
今の人格がその過去以上に霊的成長を遂げて、
当時のエゴイズムに左右されない人であればいいのだけど、
あまり変わってないとパンドラの箱を開けることになる。
だから私はもう
「過去生体験ワークショップ」はやらないのです。
いたずらに過去を思い出させても、というのがあり。
あるレベルに至っている人はいいけれど、
そうでない人には罪作りなだけなので。
自分の過去を受け止める段階にはない人がいる、
というのもありますが…。
さて、そんな風に過去生の人格に乗っ取られたり、
霊(人間だったり動物だったり)に憑依されて、
暴言を吐いて罵るなど罵詈雑言を浴びせてきたり、
挑発的で攻撃的な態度をとってきたり、
そんなクライアントさんに何度か遭遇したことはありまして。
大体そういう場合って取り憑いてるのが、
追い出されたら嫌だって威嚇してくるパターンかな。
予約の段階で悶着あったり、当人が来訪を躊躇したり、
意を決して来ようとしても来る途中に道に迷ったり、
ぐるぐると回って、なかなか辿り着けなかったりします。
大都会で駅から近く、とても分かりやすいとこなのに。
当日具合が悪くなったり、電車が遅れたりとかもありますし。
家族の妨害とかあれやこれや。
まあ、邪魔が入るわけです。
スクール、Gレッスンでもそうでしたよ。
学ぶことに対して邪魔が入る。
エゴイズムや霊の茶々が入るというか、邪魔や妨害、
誘惑があれやこれや入るものです。
それはもうしょうがない。そういうものだから。
学びの道はお試しでもあるし。
そんなんで、その人の背後にいるものに対して、
性悪な過去生の顔が出てきたときとか、
悪態をつくようにきついことを言ったりするわけです。
こうしたやり取りは疲れますよ、正直。
当日ならいいけど、その後の攻撃はもっと疲れるし。
問い合わせを頂いた段階で、
もしかしてそうかなーって思ったりもしますけど、
やはり直接会ってからでないと判断するのは早計ですしね。
そして、霊にしても過去生の人格に乗っ取りにしても、
当人の意識がまだあって、自分が時おり
とても汚い言葉を使って、他者を攻撃していること…
例えば私に罵詈雑言を浴びせている状態を自覚していて、
そんな自分を何とかしたいと切実に思ってくれていれば、
まだ助けようがあるというか、サポートできるんです。
でも今の人格もそっちより…というのかな。
自分が時おりとても他者に対して失礼になることに対して、
まったく問題意識を持ってなくて、
しらふになったときに謝罪をする態度もなかったりすると、
そういう人はお断りするしかなかったりします。
こちらでサポートできることは出来ないし、
正直助けようがないんですね。
はい。そういう人いました。
うちでもそういう態度だったからお断りして、
その後いろいろ他の先生当たってもやはりダメで、
「お願いします」と仰ってきてくださったけれど、
文章や言葉でこそ「お願いします」なんだけど、
「お願いします」という態度ではないし、
豹変したときも普段も差がないというか、
今生の性格の問題点でさえ自覚して向き合おうという
そういう認識や気構えがない人には、
私ごときの力量では本当にお役に立てないんですよね。
当人が問題意識をもって取り組もう、
解決したいという気持ちを持っていないことには、
他人は手出しは出来ません。
助けることは何人たりとも出来ないんです。
現状から脱出したいという
本人の意志がそこにない限りには。
だからそう。
霊やエレメンタル(過去生のパーソナリティや生霊たち)に
人生を左右されるにしてもしないにしても、
その人の今の人格ありきというのは偽りでないんです。
てなわけでエクソシストは出来ないけれど、
エクソシストもどきなことは、
なんだかんだで
ほんのちょっとだけ時おりしていたりするのです。
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