その団体の主導権を握る人次第で、
独特のカラーを発し、醸し出すことになる。
人が二人以上集まると、力関係というのが生まれるので、
どうしても力関係を握っている人の個性が反映されて、
コミュニティのカラーが決定してしまうから。
分かり易い例が職場かな。
職場だと力関係を握っているのは、
ふつーは職権のある上司などの管理職。
小さいところだと社長とか、社長の奥さんとか。
同族企業だと、その同族同士の関係性がまんまカラーで、
大きな会社だと、発言権のある人、社歴の長い人やお局さま。
ようするに、
誰がその職場で「主導権」や「力」を握っているか否か。
また、業種によってもカラーというのがあるし、
同じ業界でも職種に応じて、集まる人の個性は違ってくるケド。
(大分類としてホワイトカラーとブルーカラーの違い、
理系と文系の職種、サービス業やメディア、出版、
ゼネコンや財団、官公庁など、雰囲気も集まる人も
職場ならではのやり方、モラルなども異なっていたりする)
で、すごくイヤな雰囲気の職場だったとしても、
上司(管理職)が移動になったり、
誰かが退職して新しい転職者が入社してくると、
ガラリと良い雰囲気になったりもする。
まあ、元凶となる人がいなくなってくれれば、おのずと。
村社会なんかもそうだし、習い事なんかのサークルもそう。
友達同士の小さい団体も、ママ友も男同士の呑み仲間も、
会社組織やボランティアなどの大きな団体も、
どんな団体も人間関係なので、様々な人が集まることから、
集まった人と中心点になる人物の個性に応じて、
それなりの特色を表現することになり、
ある人にとってはとっつきやすくなじみやすく友好的に映り、
けれど別の人からしたら、同じ団体でも
排他的で閉鎖的な奇妙な団体に映ったりもしたりなんかして。
で、そのコミュニティを結び付けている理由が、
世間から見て極めて特殊性があって、理解しがたく、
いわゆる浮いているというものだったりすると、
コミュニティの閉鎖性は増すことにもなってしまいがち。
この閉鎖性と機密性が増せば増すほど、
結束は強くなりやすいし、
隔絶間から集団ルールは世間一般の常識と遠く隔たり、
団体として歪んだ思想や意志に毒されていく危険が増したりする。
少数の人の偏った見解や考え方に追従せざるを得ない、
リーダーとなる中心点の人を絶対とするような、
危険思想や異常心理ってのにも陥りやすくなっちゃって。
共依存なら不健康ではあっても、まだましかな・・・
カルト的な思想を軸にしていたりとか、
総括事件を起こした連合赤軍なんか酷いもんで。
うん。本当に、どんな小さいコミュニティでも、
民主主義って大切なんだと思う。
福祉的な観点から言うと、共産主義もいいとこあるけど。
政治経済司法に関しては民主主義がベターだわ。
一人ひとりが考えることを止めてしまって、
自らの意志を発言できないって状況は、
集団を間違った方向に導いてしまうものだ。
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さて。。。例えば、
こうした団体、習い事がスピリチュアルでなくて、
バレエでもなんでもダンスか何かだったりする。
そりゃ、無名の人より有名だった人、
コンテストに出て名声と実力に定評のある人だったり、
評判の良い先生のとこで習いたいと思うのが普通だろう。
スピリチュアルな世界も多分そう。
無名な人より有名な人のとこ、誰だって行きたいだろう。
(スピリチュアルなことの場合、
習い事というのも違うと思うから、
たぶん何を身に着けたいか、自分の何を磨きたいか、
なんでしょうけど・・・)
ダンスやらスポーツや、
そうした世界だったら、憧れからの選択でも、害はないかと。
憧れから学び始めた結果、才能を発揮して、
好きこそものの上手なれから道を究めることができる人も、
決して多くはないにしてもいるだろうし、
例え、才能を発揮することが出来ず、
憧れの選手に近づけなかったとしても、
努力して挫折した経験は人生の無駄にならないだろうから。
けど、オカルトやスピリチュアルな世界はちょっと違う。
一歩間違えると、心や精神を病んでしまったり、
ちょっとヤバイことに巻き込まれてしまう危険性がある。
(いわゆる悪霊とか動物霊くっつけるってヤツ)
そんなんで
誰でもかんでもってホイホイいらっしゃいって
そういう世界じゃないから。
ワナもたくさんあるし。
だから、サイキックな能力磨くより、
先に知識を身につけて、自分自身の問題と向き合って、
人格形成をしっかりとしてから、
段階踏んでかないと、エライことになる。
自分のエゴイズムをきちんと知ってないと、
絶対に罠にはまるし・・・
得てして9割の人がその罠にはまってるしね。
だから、ヒーリングが出来るようになったとか、
ちょっと不思議な体験したとか、
そういうのを特別視しないことって大切。
チャネリングも安易にトライすることではないのね。
簡単に考えて手を出すことではないのです。
真面目な話、オカルティスト(近代魔術師)たちって
精神破たんして精神病院行ってのがほとんど。
心が壊れなかったり、人格崩壊しなかった人は、
ちゃんと友達のいる社会性とコミュニティ能力の高い人。
精神鍛錬と人格修養なしにサイキカル能力だけを開発したり、
物質社会以外の存在とコンタクトを取ったり、
そうしたトレーニングだけを行うプログラムやカリキュラムは、
キチガイ養成講座以外の何モノでもないのですよ。
とはいうものの、
スピリチュアルなことは限りなく危険で恐ろしいことだと、
そう脅しているのではなく、
知識もないのにむやみやたらと手を出すなって感じ?
とくにそのようなことをやってるセミナーとかワークとか、
個人でも団体主催のものだったとしても、
雰囲気とか人間関係の状態をよく観察してみるのが大切。
社会人としてのふつーの常識感覚で考えてみて、
コミュニティとして「おかしいな」と思ったり、違和感覚えたら、
自分の感性を信じたほうがいい。
スピリチュアルなことやってるとこだから、
雰囲気が特殊だとか、普通と違うってことはないので。
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スピリチュアル・コミュニティの歪みは、
その中心点にいる人のスピリチュアリティが、
周囲の人をどのように導き、感化することができるか、
教条能力と統率能力(リーダーシップ)に頼るところが大きいけど、
やっぱりその人の人間性云々よりも、
周囲がスピリチュアル性やサイキカル能力(神通力や霊能力)
そのものを崇め奉っていることが大きな問題点なんだと思う。
歪みの原因で、病巣の根源というのかな・・・。
サイキカル能力が特別な力で、
さも選ばれしモノにしか与えられていないかのような
誤解から生まれがちな選民意識と承認欲求・・・
そこに依存して帰依することが異常心理なんだと。
その人を取り巻くの和の中にいることで
特別な人の傍にいられるという優越感を抱くくらいならまだいい。
その人がやることなすことに関われているというプライドの充足と、
自分が支えているという喜悦感を抱くのもまだ普通かも。
けれど、まるで自分がその人物になったかのように、
同一性とすり替えが起きてしまいやすいことが腐敗を生む。
「虎の威」を借りている人は借りている自覚があるだけマシだけど、
単なる三毛猫なのに、自分も虎であり、
同等の力を所持していると勘違いしてしまうのが困りもの。
なんでそうなっちゃうんだろう?って考えたとき、
自分自身に問題を抱えている人が、
たくさん集まりやすいジャンルだからなんだろうなって思います。
スピリチュアルに惹かれて集まってくる人の
全員が全員、病んでいるとかいうことではないんですけども。
占い師や霊能者、ヒーラー、チャネラー、
透視能力者なんかのとこに来る人たちは、
奇跡や魔法を欲していたり、救いや助けを求めていたり、
今の自分の人生の状況に不満を抱えていたりするわけで。
だから、依存心の強い、自立してない人も少なくない。
っていうか、日本人は欧米人と違って、
精神が未熟で未発達で自立精神が限りなく育ってない。
依頼心の強さとその精神の弱さゆえ、じゃないかと。
自分自身や自分の人生をコントロールできない人は、
他人に自分の支配や決定権を委ねやすいし、
そうした外側にある力を得て、
自分の人生をコントロールしようとする。
自分自身が力をもって、主導権を取り戻すことが先なのに、
何故かそうはしない人が多いのですよ。
ほとんどの人が他者にあまねるのよね。
自分の選択に責任を取りたくないから。
そういう人は共依存の関係が大好き。
自分で考えること、
自ら意志をもって、意識して選択することが嫌いなの。
だから他人任せにしてたいんだよね。
そういう人がスピリチュアルなコミュニティを形成したり、
寄りかかれる人を見つけて、求心力から集ってしまうと、
あっという間に不健全な共依存の団体が出来てしまう。
例えば、それが共依存を治そうとか、
海外でよくある、同じ問題を抱えた人同士の集いみたいな、
(ドラッグ依存やアルコール中毒を治そうとか)
そういう共通する悩みやテーマがあったとしても、
自らの問題を自覚している人々の集まりだったら、
不健康なネットワークやコミュニティにはなりにくい。
むしろ大きな励みや社会復帰の助けになる。
けれども、スピリチュアルなコミュニティは、
普通の日常では話せないことが話せる唯一の場だったり、
(このくらいはまだ許容範囲かな)
中心人物となっている人の
スピリチュアル的な能力においてのカリスマ性だったり、
そこに通うこと、属することの「特別性」を信じこませていたり、
もしくは「特別な何か」になれることなどなど、
現実逃避的な部分を煽るような・・・
そういう要素を中心軸として集まっていたりすると、
反社会的な病んだコミュニティとなってしまう。
そうすると、そのコミュニティで教えられるスピリチュアルは、
そこに属する人間を現実と限りなく離反させて、
エゴイズムや妄想を肥大させるだけさせてしまう。
残念ながら、そういうところ結構あったりする。
知り合いの占い師さんで
そのようなコミュニティに関わるようになってから
気づけば何を話しているんだか意味不明で、
会話が通じなくなってしまっていて驚いたことがあった。
日本語が下手になったというレベルでなくて。
天使や妖精と話すよりも、
死んだ人間や宇宙人とコンタクトするよりも、
目の前にする人間と話すほうが先じゃないのか・・?
初対面の人に対して挨拶もロクに出来ないのに、
何がアセンションだ、地球を救う使命を背負ってるって、
いつも私は不思議に思うのです。
大勢の人と一緒にいて、
場の雰囲気を壊すようなふるまいをしていて、
それの何がスピリチュアル?
ハイアーセルフからのメッセージ受信できてるって何?
エネルギー読めるっていうなら、
その前に空気を読んでくれ!
その場にいる人々の心の声、叫び、
あなたの我儘で自分勝手な行動に対する
文句と不満の声を聞きやがれ!
ちょっと経験から叫んでしまいました
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とりあえず、
私自身も小さいながらスクールを主催して、
生徒さんに教えている者として、
グループレッスンのリーダーとして、
いろいろと気を付けなくてはいけないことがあるなあ、と
これまでの失敗とか反省とか、
色々あった出来事から学ぶべきことを学んで、
耳に入ってくる情報を反面教師とさせて頂き、
常に自分自身のエゴイズムや生徒さんのエゴイズム、
グループとしてのエゴイズムをチェックして、
方向性を間違わないようにしないと、と鑑みたりします。
禅のマスターは他者に対するマスターではなく、
自分自身のマスターです・・・そして・・・
自分自身をマスターしているというそのことが、
彼のあらゆる仕草とひとことひとことに反映しています。
彼は伝える教義を持っている教師でもなければ、
神と直接的なつながりを持っている
超自然的な使者でもなく、
まさに人間ひとりひとりの内側に潜んでいる
もっとも高い可能性の生きた証となった人なのです。
弟子は、マスターの眼の中に
自分自身の真理が映し出されていることに気づきます。
マスターの静寂に満ちた臨在の中で、弟子はもっと楽に
自分自身の実在の静寂へと落ちていくことができます。
マスターの周りに自然に形成される
探究者たちのコミュニティは、
ユニークな個人それぞれが自分自身の内なる光を
見出すのを教えてくれるエネルギーフィールドになります。
いったんその光が見つかったら、
外側のマスターは触媒、内なるものの目覚めを喚起する
仕掛けに過ぎなかったことを弟子は理解するようになります。
・・・・略・・・
マインドが、召使が、マスターの役をしている。
しかも、その召使は貴方の召使ですらない。
その召使は外の世界によってつくられる。
それは外の世界とその慣習に従う。
ひとたびあなたの覚醒が炎になったら、
それはマインドがつくりあげた隷属全体を焼き尽くす。
自由ほど、自らの運命のマスターであることほど、
貴重な至福は無い。
和尚禅タロット「マスター」のカード解釈より