2016/04/27

スピリチュアル・コミュニティの歪みと落とし穴(上)

スピリチュアルな能力が秀でている人の周りには、
その人自身やその人の所持する能力に魅せられて、
そのようなものに憧れる人間が集まりがちなのだが、
当の本人が優れた人格者であったとしても、
得てして周囲には不健全なコミュニティが出来上がりやすい。

まるで誘蛾灯だな、と思ったりする。

中心にいる人はしごくまっとうな常識の持ち主なのに、
その人のようになりたい人々が、
歪んだエゴイズムをその人に投影させて、
カリスマ性や圧倒的な能力の前に跪き、
その人の云うことが絶対であるかのように崇拝して、
自らの意志を失くし相手の言われるがまま成すがまま・・・
皆が下僕のごとく傀儡化していて、
言われることや支持されることに疑問を呈するものはいない。

そんな風にひどく不健全で歪みきった、
病んだコミュニティが生まれやすかったりする。

困ったことに、
これはスピリチュアルなジャンルにはありがちなこと。
もちろん、すべてにあてはまることではない。


お金を取っていなくても、取っていようとも、
その人を取り巻く複数の人間が、
このような形態のコミュニティを作り上げてしまっているのなら、
もはやそれはその人を偶像崇拝した宗教としかいいようがない。
まして、中心部にいる人に対し、滅私奉公とばかりに、
奉仕的かつ盲目的にあれやこれや尽くすようになってしまっては、

もはやその人に対する尊敬とか敬愛とか、
それらを礎にした絆などで、収まる範囲ではないから。

結局は中心部にいる人自身のスピリチュアル・ナルシズム、
自らの能力に対する奢りも反映されてしまっていたりもするから、
いったん歪が生じると、歯止めが利かず、もうどうしようもない。

その人自身をきちんと見て、人物と能力を切り離して考え、
誤った崇拝をすることなく、対等に関われていたならば、
エゴイズムの投影や共依存の毒に犯されることなく、
そうなってしまった人々の渦に巻き込まれることもなく、
多くのことをその人から学び、良き関係を築くことが出来たろう。
そしてそれらは相手から一方的に受け取るものではなく、
互いに刺激と触発を与える関係となり、
双方向に利益をもたらしていたろう。

けれど、相手のことを「すごい人」と・・・
相手の力を人知を超えたものであるかのように、
奇跡か神の御業かと、大げさに捉えて、
そう思ってしまった瞬間から間違いが始まる。

自分にはない、相手の素晴らしい能力を認め、評価するのと、
その前に屈服するのとでは天と地ほども意味が違う。

スピリチュアルな業界においては、とくに、
そのようなことをやってしまうと、
相手を自分の「支配者」とでも「神」とでもしてしまう。


俗にいう「依存」なのだが。
相手の云う事が絶対になってしまって、
「すごい力」を持った人なのだから・・・と、
相手の云う事やる事すべてをそこで図るようになると、
洗脳の始まりだ。

だって相手はすごい人なんだから、
予知も当たるんだししとか、他の人には出来ないことも起こせて、
こんな現象を自分は体験しちゃったんだから・・・と、
体感的なことが関わってくると尚更。


思うに、普段理性的で論理的と思える人ほど、
この手のことに引っかかりやすいように思う。

そして、あまり論理的思考を持たない、
感情的で感覚的な人のほうが引っかかりにくいようだ。
普通は逆かと、思うところだけど。

感覚的な人は、心に引っかかるものがあると乗らないからね。
頭で考えがちな人ほど、目に見えるもので証明されたり、
体験的な現象を経験した途端、あっさりとのめり込んでいく。

オウムなんかにはまった人も、
高学歴のまさにそういうタイプが多かったんじゃなかろうか。
(中心軸に居た人は、見た目も中身もちいとも魅力的でなく、
なんでアレなの??って。めちゃくちゃ疑問なんだども)


こういう状態に陥ってしまった人って、
言葉でいくら矛盾点をつついたとしても無駄だったりする。
説得しても、聞き入れては絶対にしてくれないんだよね。

自分たちの理屈で凝り固まっちゃってから、
論理的に説得することや常識が通じない。

否定されると余計にヒートするから、
信念体系を崩すこともほぼ不可能だったりする。

客観性を全く失ってしまっているので。



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私は感覚的、感情タイプだから、
いくら体験しても、目の前で視覚的に見させられても、
言葉で論理的に理屈で説明されたとしても、
感情がついていかないこと、動かないこと、
感覚が拒絶反応を示すことには、絶対に応じない。

「へーすごーい」と、
表面的に感心して信じるフリするのは得意だけど、
心が危険信号だしてることは、基本スルーかな。


ヒステリーで怒りっぽいし、
論理的に考えるのはものすごく苦手なんだけど、
猜疑心だけはめちゃくちゃ強かったりしますので。

其のおかげで、引っかからないで済んでるのかな。
マルチとか宗教の勧誘とかetc
その代わり人情に訴えかけられると弱いから、
友達とか人間関係に騙されたりはある(笑)


もしかしたら、不思議な体験もそれなりにしているから、
だから今更ってのはあるかも知れませんね。

子供の頃は霊が見えたし、近所の家で火事が起きるとか、
どの家でお葬式が近々あるとか、
(位牌と遺影がその家の外壁に掛かっているように見えた)
電車の前に座った人の寿命とか、
(近々亡くなる人はオーラが真っ黒)
この人は怪我で足を失くしちゃうんだな~とか、
そういうのも見えてたり判ってた時期もあるし。

幽体離脱して遊んでたこともあるし、
(肉体とサイキカル体はゴム紐みたいなので繋がってて、
サイキカル体はゼラチン質っぽくゼリーみたいな感じ。
壁をすり抜けるときの感覚は独特で面白いの。
体から抜け出るときは首の後ろのとこ、背中上側から出る)
タイムスリップしたこともあるし、その他色々。
至高体験もワンネス体験もいちおうある。

今はもう霊は視えず、エレメンタルくらいしか分からないし、
何もできないタダの人ですけどね。
ちょっとしたリーディングとレイキヒーリングしか出来ん。


だけど、そういう不思議な体験もたくさん経験してるので、
今更って感じなんですよ。
それが出来る人とかいたとしても、
それを「すごい」とは思わないのよね。

それはその人の霊的レベルや
人格の証明にはならないってこと、今は判るし。

だって、私の体験がまぐれなたまたまだったとしても、
いっときでも出来てたってこと考えると、
私みたいな人間力のないダメ人間でも出来ることですよ?
こんな霊的レベル低いヤツでも、出来ることジャンか~と。

だから、そんなん大したことないよって思う。

大げさに騒ぐことでもなんでもないんだよって。

まあ、確かに不思議な体験をしている間は、
面白くも気持ちよく、奇妙な感覚であるから、
それをもう一度味わってみたいと思わなくもないけど。
そこに耽溺して執着してしまうのは、
単なるジャンキーと何ら変わりないので。



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他人に対して、
何か幻影のようなものを見せることが出来ていたとしても、
「氣」を操って、そういうことができる原理はあるので、
(出来る人が少ないので、出来る人は貴重ってだけ)
その能力を素晴らしいと評価すれこそ、
そうした他人の氣を操り、操作する行為にはモラルが必要で、
何のためにそういうことをしたのか、大いに問われること。

自分の力を誇示するためにそれをするのは罪だし、
他人に知らしめるためにそれを使うのも罪。

霊能力と言われる力は、
他人を救うためにしか用いてはいけない力だから。

その人に罰を与えたり、何かさせるため、
思うような状態にするために使ってはいけないのね。
その人に前世を思い出させることさえ、
他人が関与してはいけない。
(ヒプノは単なる誘導なので当人の意志ならセーフ。
本当に思い出してはいけないことはストップかかるし)

その人のカルマのレッスンとして
必要で起きていることに介入し、関わることは、
スピリチュアルな職業にあるものにとって、
一番してはいけないことで、
そうした行為に霊能力は一番使ってはいけない力なんだ。

他人の氣を操ることは、もっとも重い罪だから。

(気功やヒーリングみたいに、気の補充をすることは別。
気が足りてないとか弱っている人に手を貸す事、
エネルギーフィールドに生じている問題の解決の
サポートをすることはもちろん許されています)

起きることはすべて必要で起きていることだから、
自分がその人のカルマやノルマが判る立場にいるからって、
勝手に取ったり、知らしめようとしたり、
無理に思い出させるようなことはしてはいけないんだ。

私たちに許されているのは、
時期が来ていることに対して、その人の気づきを促し、
起きていることを起きているままにすること、
それに対して必要なサポートとフォローをすること、
何かあったときに手を貸す事くらいで。

必要以上のことをしてはいけないってのが大前提なの。

だって、病気とか怪我もそうだけど、
治すのはいつだって医者じゃなくて当人だもの。
当人が自分の力で成し遂げなくてはいけないことを
横から奪いとってはいけないんだ。
本人の生きる力、生命力を伸ばすことが大事なので。

スピりチュアルな世界の事象もそれとまったく同じ。
当人が解決しなければいけないことを、
自分で答えを見つけていかなければいけないことを
先回りして告げて、お節介にやってあげてはいけない。

でないと、本人の力を奪うことになるし、
学びの機会を台無しにして、
その人自身が成長できなくなって、
弱いままの、自分の「力」を発揮できない人に
甘んじさせてしまうだけだから。

その人の成長の機会を奪うことは何人たりとも、
絶対にしてはいけない。

子育てと同じで、その人にこそ、強くなって、
自分で自分の問題を乗り越える力を身に着けてもらわないと、
スピリチュアルってそのための方法論だからさ。



して、相手のエネルギーフィールドに
何か、を埋め込むことも絶対にしてはならないこと。

ヒーリングと気づきを促すためのエレメンタルは
埋め込むことはOKなんだけどもね。

相手をコントロールし、自分に従わせるための
エレメンタルは絶対に創ってはいけないし、
それを他者に埋め込むようなことはしてはならない。


妙な、スピリチュアル・コミュニティに関わっている人は、
グループ・エレメンタル(集合体意識)以外に、
見張り的なエレメンタルを埋め込まれていることが多い。
たぶん、それが洗脳と支配の根源的な力なんだろう。
そっから、パワーを吸い取って、団体の力として
供給しているトコも多いよ。

エーテルコード(紐のようなもの)を刺されていて、
機械的な見張りのようなもの、
使い魔みたいなのを付けられてたり、とかね。

今まで見た中には、「星の子チョビン」に出てくる
目玉に羽が生えたようなエレメンタルもあったなあ。

新興宗教はそういうのばっかりだったりするっっ

コワイなー ヤダなー 関わりあいたくないなーって
つくづく思う。


私も生徒さんたちに、何か埋め込んでいたら、
どーしようって、時々心配になっちゃうときもある(爆)

まあ、でも私にはカリスマ性はないし、
反面教師にしかならないダメダメ先生なので、
幸いなことに私を崇拝する人がいないのが救いか。
いやさ、それもちょっと寂しいかな(笑)

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