パワハラ、セクハラ、モラハラってのがあるなら、
当然あって然りと、今回わたしが勝手に創った言葉。
この言葉を使うのは私が初めてなのかも知れないし、
もしかしたら、だいぶ前から誰かが使っていたかも知れない。
まあ、どっちでもいいんだけども。
実際、そういう行為は太古の昔からあった。
宗教的教義の行き過ぎた行為とか、
信仰や宗教の押し付け、押し売りとかとか・・・
神様の名前を盾にして、
人間の私利私欲、エゴイズムを正当化する行為。
昔から存在する文化や土着の宗教を理解しようともせず、
一方的に野蛮だと否定して、自分たちの思想を押し付ける
キリスト教の布教行為と異端尋問や魔女狩りなんかは
そのもっともたる例だし、十字軍なんかもそうだと思う。
自分と相手の信じる神様が違うからって、
その人を差別したり、非難する行為も分類されるだろう。
あ、ヒンズー教のカースト制度もそうかな。
昨今のふつーのイスラム信者と過激派をいっしょくたにして
叩いて排除する傾向もスピハラと言えるかも知れない。
とはいうものの、
上記のようなことは日本ではあんまし起きないことだけど。
ああ、でも
新興宗教の狂信的な信者なんかだと、
やっちゃってくれてるか・・・
日本だと、霊感商法がスピハラの代表格になるかも知れない。
あと新興宗教、スピ系自己啓発セミナーの勧誘も加わるかしら。
「あなた水子の霊がついてますよ」とか
「先祖の祟りです」とかとか
「このままでは結婚できません」とかとかとか・・・
そういうことを脅し文句にして、
印鑑やら壺やら仏像やら売りつける行為?ありーの
この神様拝みなさい、教祖様の云う事を聞きなさい、とか。
ふつーに考えれば、
モノ買って解決ってこともないし、
その価格が法外だってこととか、おかしいとこばかりなんだけど。
うん、昔から不思議に思う、
どうしてそんなのに引っかかる人がいるんだろうって。
でも、不幸やトラブル、災難災厄続きで、出口見えず、
何故どうしてこんなことばかり起きるのだろう?と
絶望している人や精神的に参って追い詰められている人、
説明不能かつ不可解な現象に悩まされている人は、
とにかく何でもいいから、この状況を何とかしたい・・・
それをすることでこの地獄が終わるならばって、
藁にもすがる想いですがってしまうのですよね。
そういう心理状態に陥ってしまう心の弱さ、
これは理解してあげないといけないところかな。
そこにつけ込む人たちがいるのが許せないとこで。
あと、占い師や霊能者や祈祷師なんかでも、
身近に迫った危険を警告したり、
回避をアドバイスするような物言いではなくて、
「あんたこのままじゃ死ぬよ」
「地獄に落ちるわよ」
みたいな・・・
相手の不安を煽って、
人格否定するような脅し文句や恫喝をする人がいたりする。
ここはスピリチュアルナルシズムが関わってくるとこだけども。
実際、きつい物言いで叱らないことには
生き方や自分自身を振り返らない人もいるから、
どこからどこまでがハラスメントに当たるのか、
ボーダーを決めるのは難しいとこ。
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で、ちょっと前の話になるけど・・・
クライアントさんから、
とても話しやすくて優しい占い師さんがいたので、
何かと頼りにして通っていたのだけども、
突然「あなたは特別な人だから、○○になるべき」
みたいなことを言われて、
とあるセミナーに誘われたと・・・
でも、なんかちょっとおかしい。
途中最初に感じてた違和感がどんどん膨らんでしまった、
で行くのを止めたそうで。
ええ、確かにおかしい。
宗教でないというけど、神様の名前出した時点で宗教やん。
とも思った。
ていうか、ここの団体に限ったことでなく、
似たようなことは別の団体もやってるわけで、
それこそ地下鉄で事件起こしてくれた団体さんもそうだし、
昔からあって、いつの時代でもあるっていうか、
やり方や常套句が変わるだけで、
雨後の竹の子のように、わんさかわんさか出てくる。
信仰宗教って感じでなく、
スピリチュアルって装い変えてリニューアルした感じが、
最近の流行りなのかな。
(まあ、私も十分胡散臭いわけだから、
お前が言えるのか?ってのは置いておいて・・・)
結局はこういうのって、
スピリチュアルを利用したマルチ商法なんだと思う。
そうですね、さしづめ
スピリチュアル・マルチ??とでも命名しましょうか。
商品が物質的なものではなくて、
視えない世界を対象すなわち体験的な価値観を
重きにおいた分野を対象としているだけで、
やり方としてはマルチ商法独特の厭らしさと
同じだと思うのです。
つまりは視えない世界とか、
スピリチュアリティ性に関する商売自体が胡散臭いのではなく、
それを対象(利用)とした商売のやり方そのものに
道徳と倫理を無視した問題があるってこと。
マルチ商法の何が不快かって言うと、印象操作と洗脳かな。
ネットワークビジネスの方法が悪とは思わない。
多くのビジネスには人間関係を利用する場面がありがちだし、
義理や人情、コネに頼ったりも珍しいことではない。
ふつーに商売してても、オーナーと客の関係になった途端、
色々とあって壊れる人間関係もあったりするしね。
だけど、ストレートに
「こんど商売始めたよ、イイモノだから、気に入ったら買ってね」
「他のところで同じの買うのだったら、
知り合いのうちから買ってちょーだいよ、ヨロシク~」
ってフツーに営業してくれればってところを・・・
「あなたのタメだから」「私はあなたのためを思って」
「みんなで幸せになりましょう」「一緒に儲けましょう」
「この商品を使ってもらうことで、
あなたの周囲の人もを幸せにできるはず」
みたいな、
ビジネスの理由を別の目的(歯の浮く理想論)にすり替えて、
相手の善良性につけ込み、利用してしまうのが問題なんだわ。
お金儲けをしたいなら、したいって言えばいいのに、
そのために商売をしますよって正直に言えば、
それはウソのない誠実な商売と言える。
もちろん商品がエセじゃないのが大前提で。
けれど、仮に商品自体が本当に良い製品だったとしても、
ウソをついて相手の購買心理を操作している段階で、
サギなんだよね。マインドコントロールだもん。
不誠実な商売以外の何物でもない。
そういう不誠実なことに、知り合いや友人などの
大事な人間関係を巻き込むことは、
人とのしての道徳やモラル、良心の問われるところ。
まあ、マルチに引っかかる人はお人好しが多いかな。
美味しい話はないよってのは通説であっても、
テレビのニュースで散々報道されてても、
若い世代(とくに田舎からの上京組)は引っかかりやすい。
(私が昔リゾートホテルで働いていたときも(バブル時代)、
浄水器、24時間風呂、布団、まくら、矯正下着、アムウェイ・・・
「なんだブルータス、お前もかっ!」って、
叫びたくなるほど地方出身の友達がこぞって引っかかてたよ。
怒って友止めしてしまった子も多々)
そして、スピリチュアル・マルチに引っかかる人も減らない。
「あなたは選ばれた人なのよ」
「私たちは光の戦士なの、あなたも仲間になりましょう」
「あなたも天使とつながりましょう!」
「日本を救うため、あなたも目覚めましょう」
・・・みたいな言葉に何故その気になるんだ?
みんな漫画の観すぎ? 二次元脳? ドリーマー?
って私はいいたいけど・・・。
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先に出したクライアントさんのケース以外にも、
こういう話は定期的に耳に入ってくる。
私は宗教アレルギー?を随分と長く患っていたので、
そっち系統に引っかかることはなかったし、
知り合いの占い師さんや同業者さんに、
そんな酷いやり方している人はいないんだけど・・・
でも業界全体として、
たまーにそっち系統の人たちが紛れてくることもあるし、
信用できない、おかしな人々がいるのは事実。
そして被害者の人たちの話も聞くこともそれなり。
中には500万も使ってしまった人とかいたなー
それは高すぎる勉強代なんてもんじゃなく。
あと、
本職(店のオーナー)があるというのに、
その団体活動をすること(光の戦士になること)を強要されて、
定められた日に出なくてはいけないとかで、
仕事に影響が出てしまい、
経営に行き詰まっていまったという人がいたりする。
あるスピリチュアルな学校を止めた人からも
似たような話を聞いたことがある。
それでは家のことも仕事をする時間も無くなるではないか、
ってくらい、時間的にも金銭的にも拘束されたとか。
なんかそれって本末転倒。
会社をつぶしたり、私生活を破たんさせるために、
なんでスピリチュアルなことを
生活の中心にもっていかなくてはいけないのか?
そもそも仕事や私生活や家族、友人関係に
恩恵を与えるためのものでなくては、
スピリチュアルなことなんて何の意味も価値もないだろう。
すべては現実あってのものだねなんだから。
現実生活を上手く行かせるために、
現実の人生をよりよく生きていくために、
スピリチュアルな世界を探究する意味と価値があるというのに。
ふと、ここで「チャタレイ夫人の恋人」での
レディ・チャタレイのセリフを思い出してみたりする。
「うんざりですわ
あなたの精神主義とやらには・・・
私はもう少しで、
その精神主義とやらに
滅ぼされてしまうところでしたわ!
私は精神か肉体か
どちらかを選べと言われたら、
喜んで肉体を選ばせて頂きますわ」
会社のオーナーだったら、
オーナーとしてそのビジネスを潤わせることが、
何よりの社会貢献で世の中への奉仕であり、
従業員の生活を守っていくのが使命だろう。
そのビジネスと利益を通して、
従業員と世間の人々の生活を支えていくことと、
誠実な姿勢でそのビジネスを展開していくのが、
スピリチュアリティを表現することになる。
自分のフィールドで自分にしか出来ないこと、
今目の前にあることを一生懸命やるだけでいい。
それがスピリチュアルな生き方だ。
家庭の主婦なら、
パートナーとの関係をよりよくしていくため、
自分自身の成長や今の生活を充実させるためでいい。
子供がいるなら、子供のためになることが優先で、
家族のために、家庭円満のために、
スピリチュアルな知識や技術を使うべきだ。
まあ、モラハラやDVを受けている人にとっては、
スピリチュアルな世界は、
自分をエネmeから目覚めさせ、
脱出させるきっかけになることになり、
離婚とか家庭崩壊?に繋がるかも知れないけど。
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さて、氣を用いたヒーリングにしても、
前世療法にしても、リーディングだのなんだのにしても、
科学的に原理が解明されてもないし、立証できない事だから、
当人がどう位置づけるか・・・
それに価値を見出すか見出さないか、になるのかな。
何しろ見えない世界のことだから、
見えるという人の云うことを信じるしかない。
信じなくてもいいんですけどね。
(でも、霊的な現象の、きわめて特殊な例では、
信じたくなくとも信じざるを得ないような、
すさまじい驚き桃の木ビックリ仰天なこともあるから、
そういうレアケースに出会ってしまったときは
信用できる人を探すしかありませんが)
その胡散臭いことをしている私が言うのも
本当に奇妙というか、おかしいことなんだけども。
重ねていいますが、大事なのは「現実」なんですよ。
今の科学は進んではいるけど、万能ではなく、
まだ解明されてないこともあるし、
科学ですべてを割り切れるわけではないけど、
論理的に考えるってすごく大事なことです。
神仏や霊的なこと、視えない世界に対して謙虚に考え、
畏敬の念を持つのは大事だし、かくあるべきとは思う。
スピリチュアルなことは科学を否定することではないし、
現実世界を軽く考えて、物質を否定することでもないから、
それだけは知っておいて欲しいんです。
スピリチュアルな観点から言うと、
「現実」ほど、大事な学びはないの。
現実で起きていることは、私たちに何かを教えてる。
この現実世界以上に、
私たちを成長させてくれる場所は何処にもないんです。
必要な経験がたくさんある学校なんです。
毎日の現実を生きることは。
周囲の人と関わって、コミュニケーション取って、
自分に与えられた環境でベストを尽くして、
毎日起こる出来事や問題に日々対処して、
考えて悩んで、思って行動して、
そして自分に適性のある分野の仕事をして、
自分自身ととことん付き合っていく・・・
それがスピリチュアルの中で一番大切なこと。
もうそれだけなんです。
別にカルマの清算や償いをするために、
慰霊の旅をしたり、神社やお寺に行って何かしなくてもいいの。
出家したり修行するのはその仕事をするべき道の人だけ。
今生で与えられた自分という器をよく知って、
自分自身の運命を生きようとすれば、
それが自ずとカルマのレッスンに導いてくれるから、
それだけでいいんですよ。十分なんです。
スピリチュアルな観点からのアドバイスを得たいと、
それを利用しようとすることは愚かだとは思わない。
問題は、それがすべてだと信じ込んでしまうこと。
あくまで情報であり、とある方向からの視方でしかなく、
その情報を判断するのが自分であることを忘れないこと。
また絶対に依存したり中毒になったりしてはいけない。
例え未来を予知し、奇跡を起こせるような人であったとしても、
その情報をくれる人自体を盲信してはいけない。
そして、
スピリチュアルな世界について知りたいと、
興味を持ったり、知識を勉強したり、
それをしたい人はすればいいけど、
(うちも教えてたりしますけどっっ)
現実世界のことを疎かにしてまで、そこに耽溺してはならない。
社会の一員としての自分の役割を果たすことのほうが、
とっ~ても大事で、優先順位の高いことだから。
それが出来ないでスピリチュアルな世界の探究は出来ない。
スピリチュアルな世界は現実世界あって然りで、
現実の人生を生きるための知識であって、
現実世界で起きていることを別の角度から認識して、
どう捉えていくかの観念と心の在り方を
示す道標にすべきなんだと思う。
繰り返し言葉を変えていくと、
現実の事象に対処したり、それを考える際の心の置き所を
決める心の法律であり、哲学でしかなく・・・
スピリチュアリティを追求し、実践するために、
現実を犠牲にして、置き去りにすることは、
スピリチュアリティでも何でもない、単なる現実逃避だ。
だから、
「今あなたの身に起きていることは、
あなたのこのような性格、想い癖が原因で、
このような対処法が結果的に問題を大きくしている。
だから、心を改めてやり方を変えてみたり、
周囲の人との関係性を見直す必要がある」
というアドバイスはアリだし、有益だけれども、
「あなたは過去で罪を犯したから、
その罪を償うために、
この仏像を買って拝まなければいけない。
毎日一日中お題目を唱えなさい」
はちょっとヘンだ。
(実際には先祖の祟りとか神様の障り的なもので
相談者がやらなくてはいけない、
しんどいノルマが生じることも時にあることはあるんだけど
その理由が納得できるかってのも大きいかなぁ)
また、
「あなたのカルマは重い。
あなたはたくさんの戦に関わっている。
だから、来週私たちがする慰霊祭に参加しなさい。
仕事なんてしている場合ではないでしょ」
みたいなのはおかしい。
本人が自分が過去に犯した罪を
自ずとだったり、もしくは他者から指摘されて知ったとき、
自主的にそれをしたいという衝動を持つならいざ知らず、
他者に強制されて言われたままにそれをしても、
慰霊になぞならないからだ。
気持ちが伴ってない形ばかりの謝罪などされても、
誰もが納得いかないのと同じで、霊だって納得しないのよ。
過去の罪を償うために現実のことを疎かにして、
それが何の償いになろうか?
スピリチュアルな活動をいいわけに
仕事でほうぼうに迷惑をかけて、
今の人生でするべきことをせず、
人間関係や大切にするべきものを放置して、
なんなのそれって?
犯罪被害者や遺族が、
加害者に心無い謝罪をされて、お金だけもらっても、
納得しないし、気分すっきりしないのと同じです。
もし本当に過去のことを悔いて、過ちを償いたいのなら、
その罪の重さを知り、二度と過ちを繰り返さないで頂きたい。
現実世界できちんと社会の役に立って生きること、
他者のためになることを無我夢中でやってくれって、
そう思ったりもする。それと同じですよ。
そこが判っていれば・・・
スピリチュアルの本質を誤解せず、
そこんところをきちんと理解していれば、
スピリチュアル・マルチを見抜くことも出来るから、
エセに引っかかることもないだろうし、
スピリチュアル・ハラスメントも回避できると思う。
相手の言葉が非現実的でキツイ物言いだったとしても、
自分がよりよく生きていくために必要な、
本物のスピリチュアルなアドバイスと言うものと
そうではない、スピリチュアルな世界を利用した、
恫喝的で、自分を食い物にするために言われている
ハラスメント的な行為の違いが区別できるようになるでしょう。
・・・うんと、これで書きたいことは書けたかしら?
後で思うところあったら、そのうち書く・・・かも?
そして私自身も、クライアントさんや生徒さんに対して
スピリチュアル・ハラスメントをしないよう、
エゴイズムやスピリチュアルナルシズムに呑まれて、
「相手を思って言ってるつもり」に陥らないように、
重々気を付けないとと痛感しています。
この仕事をする上での営業活動や、お客さんとの関係性が
スピリチュアルマルチにもなってしまわないように、
注意が必要だなあって、そこもハイ。
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