高き者のことば
私は知っている、私が九夜の間
風吹きすさぶ樹に吊り下がり
私自身の刃に傷つき
オーディンに捧げて血を流し
私自身をいけにえにして
根はどこに延びているのか
誰も知らぬ樹に
しばりつけられて
誰も私にパンを恵まず
誰も私に角杯を恵まなかった
底知れぬ深みをうかがい
私はルーンを発見した
咆哮をあげ、私はルーンを掴みあげ
気を失い、大地に落ちた
私は健やかになり
賢くなった
成長し、成長を愉しんだ
ことばからことばへと
さらに、ことばへと導かれ
業から業へと導かれた
---古代ノルド語「詩のエッダ」(西暦1200年頃)より
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
私みたいな仕事をしている人、
そして真理(道)の探究者に関しては、
時おり「お試し」的な揺さぶりが、
拒否権なし(強制的)に定期的にやってきたりします。
別に真理の探究者だけでなく、
普通の人もみんな「カルマのレッスン」には、
日々直面させられているものですが、
それにも増して強烈な愛のムチ的なものが、
「霊的知識」をちょっとでも学んだものには、
否応なく容赦なく、雨あられのようにやってきます。
これでもか、これでもかってくらいに。
ビジョンクエストみたいな感じですかね。
スピリュアル・エマージェンシーみたいな、
「目覚めなさい」「起きろってばコノヤロー」
と…足元からすべてが崩れ落ちて、
人格崩壊と狂気の境をさ迷うな激しいのは、
さすがに一生に一度か二度くらいですけども。
それよか小さいの、中くらいの波、
エゴイズムを捨て去れぇぇぇええぃいいい!
と行き詰まって奈落の底に突き落としてくる、
「シャーマンの死」はもうしょっちゅう。
何故かって、
私みたいな仕事をしている人間がエゴイズムに陥ると、
スピリチュアルナルシズムを発症して、
他者に対して罪深いことこの上ないからです。
エゴイズムを完全にそぎ落として、
人よりも霊的成長の段階が進んでいるからって、
この仕事が出来ているというわけではないので。
(決して特別な選ばれた人間ではないのです)
エゴイズムの罠はそこいら中にたくさんあります。
「七つの大罪」も「108つの煩悩」も「ケガレ」も、
ぜんぶエゴイズムですけど。
エゴイズムではないと思っているものも、
結局のところエゴイズムだったりすることもあるし、
偽善だったり、私利私欲だったり、
大我でなく小我だったりもよくあることで。
こういう仕事をしているからって、
なんでもわかるわけではないし、出来るわけでもないし、
悩みがないわけでも、感情がないわけでもありません。
逆に煩悩、我欲があって、
自分自身の矮小さを知っていて、
エゴイズムの怖さをよく知っているからこそ、
現実世界でエゴイズムに翻弄されている人の苦しみや、
その背景や状況が理解できるっていうのはあります。
悟ってないからこその視点というのかなあ。
(すべてを悟った聖者様ではなくて、
限りなく俗物なナマの人間ですもの)
結局、人は自分自身を育てることしか出来ません。
そして、自分自身の問題を解決するのが、
何よりもプライオリティの高いことなんだなって、
色々と痛感させられる今日この頃。
それが世界平和への道というか、
世の中をよくすることであり、
社会のためになることで、貢献であるのです。
はい。
世界の平和を望むのであれば、
まず自分自身に内在する問題を解決すること。
それが先決です。
世の中の一人ひとりが、
自分自身の問題を解決できたなら、
地球はとてつもない、良い環境になり、
何一つ問題のない、平和な星となるのです。
地球に住むみんなが、
自らのエゴイズムとおさらばできたのならば…
だから無理に背伸びをせず、
誰かのために生きたり、犠牲になる必要はなく、
自分の手にあまることは手放し、
まず自分のために生き、
自分の能力でできる範囲から、
手を付ければいいのです。
一人ひとりが自分を救うことから始めれば、
地球のすべての人が救われるのですから。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
前にもどこかの記事に書いたかなと思うのですが。
霊的な仕事に就くべき人というのは、
幼少時からあれこれ「テスト」されたりします。
・どういった種類の能力が一番秀でているのか
・どの方面に資質・適性があるのか
私の場合も色々あったかなと思います。
今にして思えば…ですけども。
ケガをする人のビフォーアフター、
火事になる建物のビフォーアフター、
これから亡くなってしまう人に目印
とかとかな状態を見てしまうなど、
数か月、数年先のニュースを先見とか、
予知的なことを見させられたり…
夢の中でニュースで報道されていた被害者が、
犯人教えてくれたり、なんてのもあったし…
その他色々あれもそうかこれもそうか、っての。
でも、上記に書いたようなのは、
一時的に顕現しただけの能力で、
短期間で終わってしまいました。
今はもう当然ながら出来ません。
今は未来を視ることが一番苦手です(笑)
年を重ねて経験を重ねたから、
出来ることが増えたかというと、そうではなくて、
上記に書いたようなことが出来た、
子供の頃が一番サイキカルな能力、
すなわち霊的な能力が秀でていて、
色んなことが解ったし、出来ていました。
今は当時と比べて無能の極みです。
ヒーリングの仕事を始めた頃より、
ヒーリング能力は別段変わってないというか、
むしろピークは過ぎて、パワーも能力も、
当時より落ちたんじゃないかとかも思いますしww
チャネリング能力というかアカシック読んだり、
他人の過去生とか読み取るリーディング能力も、
そんなに?と自分でも思います。
ていうか、必要なこと、
伝えるべきことしかもう解りません。
余分な情報は来ないんです。
アクセスも出来ないし、必要もないって感じ。
誰と、どことコンタクト取っているのかも、
今は気にしてないし、重要ではないのでしょう。
それを落ちた、能力が無くなったというのなら、
きっとそうなんでしょうし…
でも、たぶん私自身の方向性、
適性が決まったからなんだろうって自覚はあります。
というのは、
やはり私は「教える」のが道なんですよね。
どうやら施療とかは二の次のよう。
一通り色んな事をやらせて頂いたけれども。
そーですね、組織の仕事で言うなら、
一般職として受付から一般事務から企画広報、
営業や総務、経理とかあれこれやってみたけど、
結局は執行部…に落ち着いた…とか。
あくまで例えですけど、そんな感じ。
だから今の私がしていることは、
どちらかというと、
スピリチュアル・コーチングなのかも知れません。
ヒーリングもするし(レイキも気功も)、
エネルギーリーディングも出来ないわけじゃないけど、
そっちは専門的に極めたスキルではない。
その人の霊的成長、進化の流れを見て、
本来、魂が望んでいる、
その人が進むべき方向に運命の軌道を修正するため、
そぎ落とすべきエゴイズムを指摘して、
当人の性格と道の矯正を指南するコーチ。
なんでしょうね。
そのためにあれこれ自分自身がさせられたって、
一時的に色んな霊的能力を使わせてもらった、
そう思います。
だから、神通力的な霊的能力は有してないです。
判らないこともたくさんあります。
そして私自身がまだまだ道の途中で、
初心者的、修行者であります。
エゴイズム、まだまだいっぱいてんこもり…
先が長いです。
人としての修行に終わりはありません。
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