2018/10/12

Imagine~ウォーよりショーを!~War is over

今月10/9はジョンの誕生日だったので<タイトル
そんな私はビートルズファン(好きなのはジョージ)。


エゴは自我、エゴイズムは自分主義。
両者は混同されて用いられることが多いが、
(エゴをエゴイズムの意味合いで引用している人が多い)
意味としては対極になる。

エゴがI am…「我故に我あり」であるなら、
エゴイズムはジャイニズム(ドラえもん参照)じゃなくて、
I'm justice,I am the rule books!という「自分至上主義」
まあ、天上天下唯我独尊、地球は自分のためにあるって思考。

このエゴイズムによって創られたエレメンタルは、
創った本人と同じ知性を持っているので、とても厄介。

世の中には、
このエゴイズムに騙され、唆され、操られ、
エゴイズムによるエレメンタルの目的を叶え、
欲望を満たすがためだけに、
奴隷のように生きている人ばかりである。

人の霊的進化(成長)は、5段階に表される(ヤコブの階段)が、
最初この世に人間として生まれ堕ちた時はまず、
人としての生存本能に従って生きるところからスタートして、
次には無意識で生きる
(自らが創ったエレメンタルを使って)ことになり、
そこから「知」を得て、意識が目覚める段階へと進み、
意識的に生きることを何度も反復して学びつつ、
やがて覚醒して、超意識を得て光明へと至ることになる。

とはいうものの、未だこの地球には、
本能と無意識で生きている人々がほとんどで、
圧倒的大多数と言うか過半数以上がそうなので。
地球自体の霊性はとてつもなく低いと言わざるを得ない。
実際、地球は劣等生の集まりで落第生ばかりなのである。

少し前の流行で、スピリチュアル・ミーハーな人たちが、
次元上昇(アセンション)だの何だのって騒いでいたようだが、
残念ながら、私たち人類(地球人は)意識低い系のままである。
ぜーんぜん意識高くなーいっっ
(女性の方が男性より柔軟で精神重視志向の人が多い)

別の角度から見た時にも、
この地球上の価値観は原始的な物質主義に縛られたままで、
各国のジャイアニズムが牽制し合って、
力を誇示し、覇権を争ったり、
自国の利益ばかり優先した結果としての世界情勢。



サイキカル界、ノエティカル界のレベルの7段階は、
しばし、
7つのエーテルセンター(チャクラに対応する)に対応し、
比例して語ることが出来るが、
現代の地球の価値観はようやって近代に至って
第三チャクラ(自己)に表される、
個人の時代にようやく到達したところで、
他者との感情や体験のシェアリングを味わえる、
第四チャクラ…他者と共有する愛の時代には未だ遠く、
そこに至っている人は少ないのである。
ていうか、それ以上の人は少数派(マイノリティ)で、
自分至上主義的な社会のイデオロギーの中では、
居心地がとても悪く、生きづらい時代と言ってもいい。

今はまだ不安と恐怖が人を所有へと駆り立てる、
パワーの時代(力で弱者を制する時代)であって、
愛と智慧が足りない時代であるし。
芸術や教育、体験的な経験よりも、
物質的至上主義であるので。
目に見えないものに価値を置き、
美を愛でたり、それらを大切にしたり、
自らをクリエートして生きようとする人々は、
呼吸が出来、自分らしく生きられる場所を求めて、
偏見や孤独の中、彷徨っていたりもする。


それでもまだ世の中は、数十年前、数百年前より、
確実に「良くなって」いたりするのである。

斎藤一人さんの著書かから言葉を引用させて頂くと、
いわゆる"生成発展"というやつで、
「人類の歴史は始まったときから、
 ずっと、だんだんよくなりつづけている」ので。

確かにそれはそう。
今の世の中は、過去の人類すなわち
私たちの過去生だったり、
先祖だった人々が願った未来。
あらゆる人々が制限のある現世をあきらめつつも、
子孫に希望を託した結果や来世であって、
こんな世の中を変えたい、社会を良くしたい、
こんな人生は、生活はもうイヤだ、
と思ったことから思考し、行動したことが、
社会を創ってきたのだから。

四次元の世界での空想、
五次元の世界での思索、
それによって創られたエレメンタルが、
グループエレメンタルとなったり、
発明やアイデア、インスピレーションの種となり、
誰かに拾われたり、大勢を突き動かす原動力となって、
三次元の世界に具現化されたものが、
物質社会を形作る構成要素となり、
私たちが今存在している現実世界として、
見て、触れて、聞くことが出来ている。

こんなものがあったらいいな、
もっと便利にできないだろうか、
どうすれば事故や人災を防げるだろうか、
地震に強い家づくりをしたい、
人の命を救いたい、

そんな人々の想いが今の便利な世の中を創ってきた。

確かに世の中はまだまだ不幸が多いし、
悲しい出来事も憤慨するような酷い事件も、
日々起こっていて、なかなか無くならない。
それでも、人命の歴史は進んでいて、
過去のどの時代よりも今のほうが良かったりする。

「世界がもしも100人の村だったら」
なんかを読むと、
まだまだだなって、痛感させられることばかりでもある。
希望を失いかけ、失望することも減らない。

でも、皆が願えば…
101匹目の猿がもっともっと増えていけば、
きっと世の中はもっともっとよくなっていくはず。

まず世界に平和を望むのであれば、
自らの内に平和を築かなければいけない。

by エドガー・ケイシー


そして、世界を平和にするためには、
一人ひとりが自分の問題と向き合い、
一つひとつ自らの内在する問題を解決していけば、
外界に表れている問題は無くなり、
すべての問題が解決していくのだと思う。

power to the  people !
ヒューマンパワーが地球を変える…

いつの時代でも、
時代の先を行き過ぎて、行き急いだがゆえに、
反発と抵抗の波にかき消されてしまう人がいたりする。

音楽や美術など、アートワークをする人の多くが、
そうした時代の声を聴き、
聞こえない音を聞こえる音にして伝え、
見えないものを視えるものに形状化して見せることを、
私たちにいつだってしてくれているのだろう。

時に音楽として、映画として、芝居の脚本や、
一枚の絵画やデザインの中に、
あらゆる「美しいもの」「前衛的なもの」の中に、
人の心を、魂を揺さぶり、情動を突き動かす、
Something と感動の渦を私たちに与えながら。




さて、我が家にはテレビがないので、
私はyou tubeをよく見ているのですが、
少し前には(今は別のにはまり中)、
Xファクターやアメリカンアイドル等の
オーディション番組にはまっていたり。
(いや、英語はさっぱりわかりませんけど)

とにかく思うのは、
アメリカは豊かな才能の宝庫だということ。
素人ながら素晴らしい逸材がとてつもなく多くて、
さすがエンターティメントの国だ、と実感させられます。

私は洋楽好きで(邦楽も聞きますけれど)、
幼少期より海外のバンドを聞いてきたものですから、
日本の芸能人のレベルの低さというか、
歌手やバンドやミュージシャンに関しては、
なんだかなって思うとこも多々。
ていうか、
曲の良さや実力で評価されないのが日本という国で。
でも、まあそれは置いておいて。

いや、本当に、感動するのですよ。
多少、やせらっぽいところはあるけど、
(簡単にスタンディングオペレーションする観客とか)
でもそこはテレビでエンターティメントなんで、
ショーとしての演出は必要だし、
感動の押し売りがウザイときもあるけど、
基本的には素晴らしいパフォーマンスや
歌唱力や個性を持った素人が多いから、いいかと。

ダンスやイリュージョンのパフォーマンスしかり、
シンガーなんかは一人ひとり、
ホント素晴らしい個性的な声を持っていて、
なんていうか、
こういう自分を100%表現できる場があるって、
そういうチャンスを与えられる場があるって、
とても素敵だなあとつくづく思ったのです。

見ているだけで楽しいですし、ウキウキしました。

ダンスや音楽(歌や演奏)だけでなく、
スポーツとかアートなんかも見る人に感動を与える、
素晴らしいもの。

オリンピックは私自身はあまり関心ないのですが、
それをする人にとっては、自己表現の場なわけで。

世界中の人が、こういう自分の能力を、
最大限に表現出来るステージに立てたなら、
そしてこのようなショーをもっと多くの人が楽しめて、
悦びと新鮮な感動を日々味わって共有出来たなら…
皆の心は満たされて、
争ったり、泣いたり、苦しんだり、怒ったり、憎んだり…
はもっと減って、
そしてこの世から諍いがもっと消えて、
人々が互いの利権を奪い合う戦争なんて、
バカバカしくなるんじゃないんだろーかって。

本当に…
私たちは互いに殺し合うよりも、
相手を力で制して、屈服させて、奪い合うのではなくて、
お互いの違いを認めて、
それぞれの個性や才能を賛美して、
互いの素晴らしさを評価して楽しんで、
そうやって生きていけたら、どんなにかいいだろう。

戦争(ウォー)なんかするより、
世の中もっともっとショーをみんなで楽しんで、
人々の心を豊かにして、笑い合って、
怒りや哀しみよりも、喜びと感動をシェアして行けたら、
どんなにかいいだろう。

毎日エンターティメントだらけで、
スポーツにしてもアートにしても勉強にしても、
皆が好きなことをして自分を表現できて、
誰かの心を満たし、自分も他人をも幸せにする人生を
生きることが出来たならば、
この世はあっという間に、平和になるだろうに…

世界中のどこかで拉致とかレイプとか殺人とか、
何処かの国が何処かの国を侵略したとか、
独裁者が民衆を苦しめて恐怖支配をしているとか、
子供が虐待されたとか、子が親を殺したとか、
一家心中とか、不幸な事故とか、虐めとか差別とか、
そういうことが一切無くなって、
悲しくて辛いニュースも聞かなくて済むだろうに…

なんて、そんなことを思ってしまいました。
上手くまとめられませんが。

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