2016/07/15

薬毒不二~病気と医学とスピリチュアル

~薬、人を殺さず 薬師、人を殺す~

意訳; ものは使いよう。
使う人次第では、それが毒にも薬にもなるということ。
薬を飲んで死ぬことがあっても、薬に罪はなく、
問われるのは薬を調合したり
服用させたりした医師の責任であるとして言う。 

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自分語りになってしまいますが、
私は子供の頃は病弱で怪我もたくさんしたから、
一年の1/3位は病院通いしてましたかね。
そのお陰で待合室でたくさんの漫画本を読みました。

おでき体質というか炎症体質というか、
あちこち皮膚が膿んで爛れてて、まあ色々と。
プールの塩素にやられたり、走ると嘔吐してしまったり、
ボールペンの筆圧で腱鞘炎になっちゃったりetc...
生命力が弱かったと言えばそうだと思うけど(生まれつき単腎)、
主に生育環境におけるストレスから来ていたような…

まあ、当時の私の体調不良の原因は、
現代医学の範疇では解決できない霊媒故の問題も含んでいて、
もしも沖縄に住んでいたならば、
あなたはユタだし、これはダーリィだからの一言で片づけられ、
納得されて済まされるようなことだったかも知れません。


毎度原因不明とかで、あちこち検査されては血を抜かれ、
レントゲンだの超音波だの、いじくりまわされた経験から、
そういう意味で病院に行くのは苦手で今も極力避けてます。


でも医学不信ということはなく、
必要だと思える時以外は行かないってだけのこと。
なるべく民間療法とか、家庭の医学で乗り越える方針てだけ。

(とはいうものの、加齢による衰えは避けられず、
気を付けるだけではどうにもならないことも多々。
先月網膜剥離と白内障の同時手術しましたし)

派遣の仕事でほんの数年の期間だけでしたけれども、
製薬業界で仕事をする機会もあったので、
(臨床開発での治験事務や市販後調査とか)
化学合成された薬全般を否定するということもないのです。

(ただ、私自身は薬を飲むのは好きじゃない(笑)
これは過去生絡みのトラウマからくるものだから、
克服できるまではしょうがないですかね。)


そんな経緯もあり、
難病を治療するための薬剤の開発を努力している企業、施設、
頑張っている治験医師の先生方がいるのも、知っています。

安定供給される薬や現代医学のお陰で、
守られる健康や助かる命がはるかに多いことは周知の通り。
もちろん弊害(副作用)もあるし、負の遺産的矛盾や
人道的問題点もたくさん抱え込んでいる部分もあるけれども。
その辺は課題で。

確かに今日の医療現場において、
赤ひげ先生みたいな人にはなかなか出会えないし、
少数派の難病患者の命を救う薬を創るより、
莫大な利益を産んでくれる薬剤は何かを考えるのに、
忙しい企業の方が多かったする現実もある。

いつだって正しいこと、世のため人のためになることを
しようと頑張っている研究者や医師はなかなか日の目を見ない。
変わり者のレッテルを貼られ、資金難にあえいでいたり等…

あ゛ー話がそれてしまうので・・・
ひとまず、そんな話はさておいて。




さてさて そんなこんなで私自身
健康に関する問題を抱えていて、向き合ってもきたし、
交通事故のお陰で後遺症に悩まされた時期もあって、
西洋医学では解決できない痛みや不調の問題を
東洋医学や民間療法などに助けてもらってきた。

現代医学(西洋医学)は万能ではないし、
解決できないこともたくさんあるから。

アロマテラピーやハーブ療法に興味を持って勉強もしたし、
ちょこっとお障り程度で指圧とか整体とか、
ホリスティック医学とかもこれまた学んだ(習い事程度)。

今は氣の概念を利用したハンドヒーリングもするし、
そうした方面からのメンタル及びヘルスケアの
サポートやアプローチもしているのだけれども・・・

だからといって、
現代医学を否定して、対立しようなどとは思わない。

現代医学の技術は素晴らしいし、進歩も目覚ましい。
それは信頼に足るものだ。


おそらく、自分の体質のことをよく理解出来ていて、
日々メンテナンスとケアを怠らず、運動もして、
相性良く、信頼できるかかりつけの医師さえいれば、
起こりうる最悪の事態は防ぐことが出来るように思う。

日々の予防とヘルスケアは民間療法を利用して、
その上で現代医学の診断と技術からの、
チェックも欠かさないようにするならば。



で・・・・
なんでこんなこと言いだしたかと言うと、
どうもスピリチュアル信者みたいな人の中には、
現代医学や化学的な薬剤を否定する人もたまにいたりするから。

薬は毒だって、そんな風に言う人もいたりして。
なんて言いますか、それはちょっと極端だと思いましたのよ。

薬を薬として用いるか、毒となるような用い方をするか、
それは人間次第だと思いますから。

まー 処方された薬を最後まで飲み切らず、
病院に行くことを避けまくっている私が言うには、
説得力が全くありませんが・・・


確かに病は氣から、で・・・心の問題が反映されたり、
その人の生き方の問題(肉体や心の使い方を間違えている)が、
病気へと導いている誘因で根本原因ではあるけれど・・・
そこを見ていくことも勿論大事で、忘れてはいけないとこだし、
スピリチュアルな視点はその部分の核心をついて、
そこを解決するのに役立つし、そのためのツールではあるけれども、
だからといって、それだけで病気を治そうとするものじゃない。

患者さんが病気を呼び込んでしまった自分自身の問題、
自分を病気にしてしまった考え方の誤りを正すだけに留めるだけで、
現代医学における所見や治療法から、
引き離すものであってはならないのだと思う。

複数存在する医師や施設の中から相性の良いところ、
よりよい適切な医療を受けられる方法を選択するために、
その力を用いて助言を行ったりはしたとしても・・・

フィジカル(メディカル)リーディングなどは
本来そのように行われるべきで、立ち位置を弁えるべきものだと思う。
理想としてはあらゆる民間療法も現代医学も、
スピリチュアルな見立ても、対立しあうことなく、否定しあうことなく、
連携しあい、それぞれの良い面、長所短所を補いあって、
クライアントの問題解決に協力し合えれば最高だけれども、
まだまだその時代ではないだろう。

それを模索している人も出始めてはいるけれど・・・なかなか。
時代はまだ追いついていない。


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いつだったか、自らの状態、体調不良を、
浄化だ、アセンションだの言う人がいたのだけれども、
でも、私から見たとき「これは統合失調症では?」と。

さほど重篤ではなく、しごく軽度の段階で、
何らかのホルモン分必異常というか、
脳内物質の問題という気がしたので、
適切な薬物療法を行ったなら、すぐに改善するのでは?
とも思ったのだけども・・・

何しろ私は医師ではないのだから、
病気を断定して診断することは出来ないわけで、
あくまで、もしかして・・・という仮定の話をしたり、
この辺りが気になるし、こうしたらよいのでは?と、
遠回しに通院を勧めても、
当人がその気にならないでは仕方がない。

霊的な問題、スピリチュアルな現象こそが原因と、
そう信じ込んでいる人に現代医学の門を叩かせるのは難しい。

また、別の例として昔の知り合いなんだけども、
エコなスローライフを理想としている人がいて、
有機農法やマクロビを実践しているのはいいとして、
現代医学に懐疑的で否定的なスタンスなものだから、
ペットが病気になったとき、ホメオパシーに頼ってたのね。
毎日のケアや診断結果としての治療に添う補助的なものなら、
私は別にそれをしてもいいとは思うんだけども、
最初から獣医に連れて行かないってのはどうかと思った。

結果、助からなかったが。

別にホメオパシーが悪いってんでもない。
助からないときは何をしても助からないというのはある。
ただ、助かる命をみすみす見捨てるような、
そういうことをしなくてもいいのではないかと思ったりもする。
無理な延命処置や過剰医療も是非のあるところだけど。



結局は、病を治すのとは当人なのだと実感する。

病になったのもその人なら、治す方法を選択すること、
治りたいか治りたくないかを決めるのもその人自身で、
医者に掛からず、薬剤や検査や治療を拒否して、
科学的根拠のない商品や健康食品に頼ったり、
民間療法に救いを求めたり、
霊的な助言に従うのも従がわないのも、すべてその人の選択。

自分の肉体が何を必要としているのか・・・
病になった自分の身体に何を与えようとするのか、
今の自分の状態では、どんな治療法がベストなのか、

病気へと導いたのも自分なら、病気を追い出すのも自分次第

その時その段階に応じて、適切なケア、医療があるわけで、
心の悩みを解決し、生活を変えるだけで、
改善される症状や治る病もあるけれど、
精神的な問題や生き方をいかに変えようとも、
それだけでは如何とし難く、すでに手遅れというものもある。

カルマのレッスンがどうとかこうとか、それはもう別の問題で。
(その辺りを考えるのとは別に考えるべきというか)
科学という知恵、その恩恵に預かるのが一番て時もあるのだから、
なんでもかんでも、スピリチュアルな手法や民間療法や
健康食品など、自らの頑固たるポリシーにしがみついて、
病を治そうとするものではないと思う。

もちろん、健康食品とか安全な食品は身体にはイイモノだし、
民間療法も運動も体質改善や基礎的な健康を養うのに役に立つ。
スピリチュアルなツールも、健康的な立ち位置で用いれば、
メンタルヘルスや問題解決のための人生のクスリになるだろう。

けれども、適切かつ迅速な医療や科学薬剤によってのみ、
対処できず救済できない問題も人間の肉体はたくさん抱えている。
それのみに依存しすぎると見誤るものもあるが、
スピリチュアリストはこの文明の利器をもう少し信頼するべきと思う。
(どんな分野、世界にも言えることだが、
信頼できる専門家が少ないのが問題なだけで)


それがどんな健康法でも、技術でも、知識でも、
使う側の方に問題があるわけで、すべては使い方次第なんである

どれがいいとか悪いとかではなく、
時と場合、状況に応じて上手に使い分けて、
あるいは組み合わせて、
どれとも上手く付き合っていければ一番良いのであろう。

一つの方法だけが全て万能ではないわけなので。


2016/05/27

先日のお題~inグループレッスン

スピリチュアリズムや真理の探究が学びの核にあるとは言え、
グループレッスンで行うのは霊的エクササイズばかりではありません。

もちろん、ヒーリング(ハンドヒーリングやサイキカルヒーリング)、
イメージワークやチャクラワーク、リーディングもしますけど、
家族やパートナーに対するサポートをしたり、
それぞれが抱えている問題について話し合ったりの他、

過去の歴史や事件、リアルタイムの時事について、
知ってもらい、考えたり感じたりする機会を持ってもらっています。

ちなみに前回取り上げたテーマは「洗脳」


洗脳の歴史と、もっとも代表的な10の手口(テクニック)、
そして、洗脳状態で起きた事件などについて。

カルト宗教が起こした事件だとガイアナの人民事件とか、
政治思想絡みだと中国の朝鮮戦争時、旧ソ連のシベリア抑留とか、
エリザベス・ハーストの事件とかストックホルム症候群についてとか、
奇跡を起こして人心掌握とかマルチ商法のテクとかとか・・・

障り程度で、そんなに詳しく専門的な講義をしたわけじゃないけど、
スピリチュアルに関わっているからこそ、
そこに潜んでいる陥りやすい穴についてきちんと知ってもらわないと、
・・・ってのがあります。

で、調べてみると、オカルト事件簿っていうのか、
宗教家や霊能者や祈祷師もどきが起こした事件も結構ありますね。
ライフスペースのミイラ事件とか横浜の悪魔祓いバラバラ殺人が、
有名ですけども、似たような猟奇的な事件がたくさんあったりして。
なんで繰り返されちゃうかな、こんなこと・・・とも思いつつ、
ちょっと考えれば変だってわかりそうなものなのに、
異常心理状態にあると、人は理性を失くしてしまうのでしょう。


 無学は人を貧しいままにし、
 無知は人を愚かなままにさせておく


とはよく言ったもの。


確かにエレメンタルは筋肉に入りやすいし、
他人の意識(肉体を失った幽体と霊体)は骨に入りやすい。
そしてオーラにもくっつくし、
最終的にエーテルセンター(チャクラ)にも入りこむこともある。

オーラにくっついている状況なら、
音などの波動(柏手や音叉や鈴)で離れていくし、
身体に入り込んでいる場合、電気ショック的な衝撃で
それらが離れていくことは昔からよく知られていたりする。
なので身体を叩くことは時と場合においては有効だけども、
だからといって、肉体を傷つけるほどの暴力や
殺してしまうほどのダメージは酷すぎる。

そのような肉体に負担をかけるような
最悪の切羽詰まった方法を取らずとも、
憑依の問題にアプローチして穏やかに解決を図るのが、
霊的職業に就くもののお役目ではないのか。

それが出来ないなら、そのような肩書きは名乗るべきではないし、
肩書きの元に行われるそれは仕事とは言えないではないか。


と、あれやこれや思ったり。



現実に起きた事件などについて、レッスンで取り上げるのは、
過去の出来事や人々の生き方から学ぶべきものが多いからです。

知ること→感じること→考えること
→そして知ったり感じたり考えたことを現実の生活に生かすこと

知ることと考えることは、ノエティカル体(思考・精神)を育てます
感じることは、サイキカル体(感情・感覚)を育てます

それらを現実の世界に役立てることは行動であり、
マテリアルボディ(肉体とコミュニケーション能力)を育てます

大事なのは知恵と愛と力・・・を鍛えることですね。

知恵だけ、愛だけ、力だけに偏らず、
全てを平均的に育てていくことが、
真理の勉強における霊的成長の道の理想でもあります。


そして、知識を持っていれば・・・
いざというときのために備えることもできます。
それは自分のためだけでなく、家族や身近な人にとっても、
役立つ知識を蓄えることにもなります。

過去のあらゆる事例を知っていれば、
似たような事例に出合ったときに対処すべき方法・・・
すなわち知恵や行動を見つけることも出来ます。

知ること、情報を得ることってとても大切です 。

考える力を育てることも 
自分の考えを持ち、意見をいう習慣を身に着けることも
感じる力ももちろんのこと。
でないと自分のことがわかるようにはならないし、
他人のことを理解してあげられる人になることができません。

自立した精神と、他者を思いやる豊かな心と
学んだことを実践する実行力や、
自分の意見を言うことができる発言力を磨けば、
しっかりと自分を所有することができます

そうすれば、他者の意見に安易に影響されて振り回されたり、
他者の持つ力(霊能力や権力)に依存して、
刷り込みによる「洗脳」を受けることもないのかも知れません。


まあ、そうですね。

私がある日突然イカれてしまって、
「神のお告げじゃあ~」とか言い出して、生徒さんたちに
妙なこと(ハダカで輪になってダンス・・とか?)を強要したり、
「悪魔がヌシについておる!」とか誰かを棒で叩き始めたり、
「私は世界を救う救世主で、新世界の神となる」とか、
ナルシーなうわごとを言い始めたりなんかしたとき、

生徒さんとかクライアントさんが、
「アルマさんの云う通りにすれば間違いない」と、
そうした行為に一切の疑いも持たず、
うるんだ瞳で「ステッキっっっハァト」になっちゃって、
「何処までもついていきますわ」じゃ困るんですよ、
それじゃダメなんです。

むしろ、
「はあ? 何言ってんの? 何かとりついた?」
「とうとう頭おかしくなっちゃった?」「ダメだこいつ」
とかにならないと。

生徒さんほぼ全員が私と同じこと言い出したとしても、
多数決に流されず、「やばい、こいつら相当やばい」
と、いう人がいないとダメなんですよ。

ていうか、皆私の言うがまま成すがまま子ではなくて、
きちんと自分の頭や感情と感覚使って、
物事を判断できる人になってくれないと・・・意味なし。

そうじゃなきゃ、こうしたスピリチュアルなレッスン、
霊的探究つかー霊的成長のためのレッスンを
たくさん時間とお金をかけてしてもらっている意味が
全くないのでありますのよ。



そのためにも過去の出来事を知って、
知識や情報を得ることって大切、
他人と関わることももちろんのこと。


思うに、スピリチュアルな道の探究者となり、
霊的な成長を覚醒を目指せば目指すほど、
人は、社会や他者との交流や関わりあいを
大切にするべきなのだと実感します。

霊的な探究ってつまりはそういうこと。

スピな話はわかる人にしかわからない特殊な話だけれども、
だからこそ、スピな話をする人々だけと固まることはせず、
自分とは価値観が異なった人々との関わりあいも大切にして、
住む世界が違う人、世代も職業も種々様々な
色んな価値観を持った人々と交わって、意見もたくさん聞いて、
世俗を生きて、人と触れ合う機会を持つことってとても大切だと。

偏った関係に固執せず、自分と合わない人ともそれなりに、
誰と関わるか、確かに友や仲間は選ぶべきではあるけれど、
自分に厳しいことを言ってくれる人や、
昔から自分を知っている友人関係も大切にするべきですね。



で、当日は「洗脳」以外で、
「練馬一家殺人事件」をとりあげたけど、
これは皆にはグロッキーでヘビーだったかな。
スプラッタ要素ありありなのでっっっ

躓いた人生をやり直したいと思ってた短期で短絡的で、
思慮が浅いけれども、普段は人の好い平凡なおっさんが、
憎しみと怒りに囚われて、視野を狭くし、
エゴイズムに支配され、心に狂気を宿し、
猟奇的な事件を起こしてしまう・・・

人間はかくも愚かな生き物で・・・弱いものであり。

して、ある日突然ふつーの人が悪魔に代わってしまう。

エゴイズムの怖さと、それが人間てもんだってこととか、
まあそのあたりのお話しとか。

被害者にしても加害者にしても、
どうすればこのような悲劇を避けられたのだろうかとか、
そんなこんなを話し合ったりとかね。

うん。一見スピリチュアルとは関係ないような、
この手の話が人間を知る上で一番良い教材で資料になるし、
多くのことを学べる現実だったりするのです。

現実の中にこそ、学ぶべきことがたくさん隠れてます。
何故って私たちはこの三次元に、現実社会に生きているから。

現実離れした、おとぎ話みたいなことが
スピリチュアル(霊的事象)ではないのです。


ていうわけで、うちのレッスンはこんなだったりする。







2016/05/07

易者身の上知らず(下)

この仕事をしていると、

何年か毎、あるいは一定の周期で、
人間に対する不信感と嫌悪感でいっぱいになり、
世捨て人のように誰とも関わらずに隠遁して生きたくなる。

人々の持つ欲に毒されるというのか・・・

同業者の中には
猛烈な人間嫌いに陥ってしまう人もいるし、
心身ともに病んでしまう人もいる。
(上)で書いたように、
毒と同化して、心がねじ曲がってしまう人も。

それほどまでに人間の持つ欲望(エゴイズム)は果てしない。

占いにしてもスピリチュアルな仕事にしても、
人間のむき出しの欲望に触れ、
毎日それを直視させられ、接さざるを得ない仕事なので。

人は弱いものだし、罪深い生き物だから、それは仕方ないし、
許容範囲として寛容になる視点もないことには、
この仕事を始めることも続けることも難しい。

それでも辟易して心が折れることは数限りなくある。

モンスターさんも多いしね。

変態さんはさほどいないけど。
メンヘラさんとボーダー(境界線人格障害)は多いかな。


私がこの仕事をするようになったのは、
自身の個性というか資質のせいもあるけれど、
もともと「人間」や「人の運命や生き方」に興味があって、
ヒューマンドラマが好きだったことが大きいと思う。

だけど、この仕事をしていると、
「人間っていいもんだな」と思うよりも、
「人間って残酷で醜くて、イヤだな」っていう気持ちが
あっという間に飽和状態MAXになって、
しばらく離れて休んで、一度リセットしないことには、
どうにも耐えがたく、自分を保てなくなってしまう。

自分自身もその醜いところをたくさん持った、
愚かしい人間の一人だというのに。
そこは傲慢なもので。


この仕事自体はとても好きなんだけれども、
クレイジーなモンスターさんに立て続けに出会ったり、
自分の力不足を実感するようなことに出くわすと、
気持ちが萎えてモチベーションは下がるし、
人間が嫌いで嫌いでたまらなくなり、
内にこもって誰とも関わりを持ちたくなってしまう。

だから、時おり休業して、毒を抜く必要があるのかも知れない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


とある誌面で有名な霊能者さんが、
もともとクライアントさんだった方と、
アシスタント的なポジションで関わるようになったものの、
なんかまあ、色々あったらしい・・・。

また、別の話ではとある正統派の漫画家さんが、
ちょっとオカルトっぽい作品を描いたときに、
そっち方面が好きなアシスタントさんが集まったらしく、
最初は詳しいので頼もしいと思ったものの、
あれやこれやに巻き込まれて、振り回されて消耗し、
その手のことに興味示す人とは金輪際関わらないことにした、
という話も聞いた。

また最初は親しかったであろう
霊能者さん同士の仲がおかしくなって、
一方は沈黙は金也を貫いているが、
もう一方は取り巻き?を巻き込んで、
ネットで相手を叩いての誹謗中傷・・・というのもある。


はたで見ていて、こういうトラブルが生じてしまうのも、
なんか納得してしまうものがある。
どうしてもそういうことが起きてしまうっていうのが、
察せられるというのかなあ・・・
どちらかが悪いというのではなしに。
互いにとって不幸なことだけど、そうなっちゃうんだよなって。


もちろん、普通の人間関係だって、
会社だって、家族もご近所同士の付き合いも、
人が複数集まると問題というのは必ず生まれるし、
摩擦が起こって、壊れてしまう関係もあるから、
この手の職業だけに限ったことではないのだけども。

この職業に従事しているものだからこそ、
巻き込まれやすいトラブルがあったり、
最初まともだった相手が途中でおかしくなってしまう、
といったことで破たんする関係もあったりする。

(こういうのは誰もが回避したいと思っているけれど、
サイキカル能力の強い人は
本人が望むと望まないとに関係なく、
良くも悪くも周囲の人に影響を与えてしまうので。
これは相手の資質と内在する問題によるところが大きい。
相手の本質や問題を引き出してしまうというか、
善心の強い人ならより強い善を、
悪心の強い人ならより強い悪をって感じで・・・

何故なら、サイキカルなパワーの強い人は、
周囲にいる人のエレメンタルに力を与えてしまうから、
結果的に元々持ってた資質を強化してしまうのです。
別の云い方をすれば、本質を剥きだしにする、みたいな。

だから、サイキカルな能力の強い人が
周囲の人に悪い影響を与えているということではなく、
その人が抑制して隠していたものが表に出てくるって
そんなとこ。とはいうものの、
確かにサイキカルな人が、邪氣やネガティブを吸い尽くし、
汚染されまくっているときは感染させちゃうけど。

中には良い資質が磨かれてくる人ももちろんいるし、
一緒にいるだけでサイキカルな能力や
スピリチュアリティを覚醒させる人もいますから)



お金のことで言えば、

お金のあるところに人の欲望の渦生じ、
お金のあるなしは人の本性をむき出しにする

というように、

サイキカル能力(霊能力や神通力)に関しては、

それを利用しようという依存や支配欲、
そしてそれを崇拝する憧れを超えた盲信や嫉妬等

などが生じやすくなる。


例えば、小さいトラブルでは、

相手が占い師と知った途端、
「じゃあ、占ってよ」と手を差し出してみせる人。
(すべての人が手相観ではないというのにww)

「プロだからお金は貰うよ」と言うと、
「友達からお金を取るの? ケチ!」と言う人。

そういうのは業界アルアル。

「おしゃべりしたいから、会おうよ」と出かけたならば、

普通の世間話と思いきや、完全に悩み事の相談話で、
普通の友人同士の範疇なら問題ないし、
せめて食事奢るから相談に乗ってなら可愛げがあるものの、
いかにもな、こちらの職業上の視点(視方)を期待した、
その手の情報を引き出そうというのが見え見えな時には、
うんざりを通り越して、あきれるばかりで。

そんな出来事の末に、友人知人のFOやCOも皆通る道。



中には悪意やハラスメント的なものもある。

「そういう仕事している人なら、
こちらが何も言わなくても、何でもわかるんでしょう?」

「ヒーラーなのに病気になるんだ」

「占い師のくせに、何であの人ヘンって見抜けないの?」

「占いや透視出来るんなら、
当たり馬券とかロトとか判るはずでしょ?
それが分からないなんてインチキじゃん」

みたいな挑戦的な人も序の口。

差別と偏見では、

「うちのお店のこと、書かないでくれる?
ヘンなお客さんが増えると困るから」

「そういう職業の人と関わっているっていうのがバレると、
自分もそんな目で見られるから」

みたいなのとか。


後はそう・・・

不用意に「視えた」ものを話してしまったときには、
「気持ち悪い」「コワイ」みたいに言われ避けられるか、

昔職場で、世間話していたときに
不用意にも相手の実家の間取りとか、
裏庭にあるモノについて言ってしまったならば、
噂が広まってしまって、
あれやこれやどうでもいいことを女子たちから質問責め。
(私の未来のダンナさまはどんな人~みたいな)

仕事中だし「分からない」と断ったり、
彼女たちの好奇心を満たす求めに応じず、
希望通りの回答を得られないとみると、
途端にそれが誹謗中傷に変わっていく。
あることないこと尾ひれもついた噂話も流されて。

まるで魔女狩り、異端尋問の再来だなと苦笑するしかなく。

ホント、いつの時代でも何百年経っても人間は変わらない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


さて、そうですね。

先の記事で、私はマルチとか上手い話とか、
自己啓発とか宗教の勧誘とか、
そういうのにはアンテナが働くとは言ったものの、

「お金がなくて、生活が苦しい」
「困ってます」

・・・みたいな、情に訴えかけてくる「泣き落とし」にどうも弱い。

一言で言うと甘いとしか言いようがないのだけど。

この辺りに関しては
我ながら学習能力がないものだと、反省しかり。

ボーダーに絡まれやすいのは、
私自身のガードが甘く、ボーダーが曖昧だからだろう。



学生時代、「一人でいるのが寂しい」とか何とか
泣きつかれて、遊びに行った友達の家。
行ってみれば一人ではなくて、彼女の父親と二人。
頭の上は「?」だったが、
そういうことをされそうになって、泣きながら逃げ帰った。
つまりは人身御供ってやつかしら。
彼氏に言ったなら、滅茶怒り狂って大変だった。


バイト先で一週間だけ一緒に働いて、
そのうちいなくなった同僚から、バイト先に電話で
「某駅にいるんだけど、心臓が苦しくなって」
と泣きながら助けてを求められ・・・
(今考えると救急車呼べって単純な話、笑)。
結局、この人も寄生先を求めてた人だったんだよね。
詳しいことは省くけど。
「お金がない、食べるものがない」との涙の訴えに、
下手な同情しちゃって、援助してしまったのも第二の失敗。

振り回されるだけ振り回されて、散々迷惑かけられたあげく、
利用されてるだけだって目が覚めて、FOしようとすると、
こういう被害者意識の強い人って、相手の逃避には敏感で、
助けてもらったことに恩を感じるどころか逆恨みするんだわ。
死ぬ死ぬ騒ぎは起こすし、ヒステリックに
「なんでお金を貸してくれた~食べ物送ってくれた~
宅配便で食料が届いた時には心臓が止まりそうになった
最初っから放っておいてくれればよかったのに~!」
と24時間切っても切っても延々とベルを鳴らして騒ぐ。

すごい消耗した。

職業的肩書きがまだ占い師で、
原稿やコンテンツなんかがメインだった頃、
セミプロ(単なる趣味かな)の人と知りあったのだけれども、
知り合って一か月も経ってないのに、
私が新しく転居した家が広いと聞いて、一部屋貸してくれと
厚かましいことを言ってきた時点で、COするべきだった。
(転勤の間だけという話で一戸建てを破格の家賃で借りた)

ちょうどその頃、
それなりに付き合いの私よりちょい上の友達M(♂)が、
「やっぱ子供好きだから、今から幼稚園教師目指してみる!」
と決心したものの、ピアノがどうにも上達せず。

お金がないと嘆いていたその子がピアノが出来ると聞き、
バイトでプライベートレッスンどう?と持ち掛けてしまった。
これがまたまた失敗の始まり。

その子の単身住まいの家だとさすがにマズイから、
レッスンはうち使っていいよ、と・・・
すると、惚れっぽい私の友達Mはやっぱし
その子に惚れてもーたりした。
まあ、そのあたりは大人同士のことだから、
二人にまかせていたんだけれど(アタシャ小姑か)、
彼女の方は好きな人がいるとかで、
Mに好意を寄せられて困るんですけど、と言ってきた。

レッスンをするのはいいけど(お金も欲しいし)、
そういう雰囲気になるのは困るというクレーム?を受けて、
なるべく二人にしないように同じ部屋にいるように。

すると今度はMに彼女が、
「アルマさんが私とMさんが仲良くするのが
面白くないみたいで、イジワルしてくる」と訴えた。

なんか話が違うから、そのことを尋ねると、
「あなた、Mさんのこと好きだから、
彼が私と上手くいくのが気に入らないんでしょう?」
みたいにヒステリックに叫びだし、攻撃してくる。

なんだこの女・・・って感じに呆然とした。
今でこそ、まとめサイト見て、キチ話に免疫ついたけども。
AA的には眼玉ポーンっっって感じだったかな。

ちなみに私とMは他人だけど、もう一人の友達と共に、
肉親のような、兄弟みたいな間柄(実際前世では私の弟)。
恋愛感情とはもっとも遠いトコにいて、
一緒に宿泊込の旅行することもあったけど、何もナッシング。

早くいい人見つけて身を固めて欲しいと願いこそすれ、
互いにありえない対象外の異性に、どうして私がやきもちを?

・・・と、今だったらその場で大笑いしちゃうと思うけど、
当時はこちらがよかれと思ってしたことを・・・
親切心や気持ちを踏みにじられた怒りの方が先だった。


まあ、メンヘラっていうよりボーダーだったよね。
こういう人には他人の心が分からないし、理屈も常識も通じない。
専門医に任せるしかない人で、
下手に関わると痛い目に遭うこと必須のトラブルメーカー。
私の職業のジャンル外の患者さん。

兆候はあったのに、狂気や危険性を見抜けずに、
関わってしまったのが運のツキでありましたかね。



でも、これらのことからも
十分に痛い学習をしたというのに、私ったら懲りないんだ(笑)


「学びたいけど、お金が無くて」という人がいたので、
仕事決まってからでいいよ、と言ったものの、
結局音沙汰無くなっちゃった人もいた。

商売が失敗して負債抱えたというから、
その在庫商品をセッション代金相当の物納でいいよ、
と言ったものの、後ろ足で砂掛けられるような結果に。

セッションが終わって、ではお代を・・・という話になったら、
「実はお金無いんです」という人もいた。若い娘さんだったけど。
「そのような事情なら結構です」を期待していたのは
どうみても明白だったから、払わなくていいよというのは
本人の後学のためにも良くないから、
しっかり後日請求はさせてもらったけれども・・・。

なんでしょうね、甘くみられやすいのね(笑)

これらお金の事もあったけど、
クレーマーを通り越したモンスターさんにも悩まされた。

例えば、
いつも時間超過してもだらだらと長くしゃべり続ける人がいて、
こちらもついキリの良いところまでと話途中で切れず、
さらに学生さんだからと延長料金も毎度請求しなかったり、
下手なお節介して引越しや汚部屋掃除を
手伝ったりしちやったのも良くなかったんだなあ・・・
まあ困ったことをいろいろとやらかしてくれまして、
他のクライアントさんにもすごく迷惑かけてくれたので
お断りさせていただいたら、酷い捨て台詞と脅し文句。
粘着されて滅茶苦茶消耗しました。

これは自己愛性人格障害の一種だったかと。

その他にも次から次へと色々とありましたよ。
細かいことまで含めて、すべて書き出したら際限ないけど。



お陰様でここのところは
クライアントさんにも生徒さんにも恵まれて、
平和無事な日々が続いています。



ホント思うけど、
同情や憐れみに訴えかけてくる人を
信用というより、受け入れてはダメですね。

隙あらば・・・と他人の親切心や同情心につけ込んで、
食い物にしようという人たちはどこにでもいるので。

相手に寄り添って考えたり、
人として出来ることをと思っていると、
警戒心を薄れさせ、不用心になってしまう。

そして同情は直観と本能を曇らせる。
自分の勘を疑って、
危険シグナルを情け知らずと責め立てて、無視させる。

情に流されず、与えられた全感覚を研ぎ澄まして、
疑わしきものは排除せよと、
自分を守ることにもっとパワーを使ったなら、
心が傷つくことも、この仕事を嫌いになるほどに、
人間に対して幻滅を覚えずにも済むだろうに。



自己欺瞞と被害者意識に満ちた人ほど、
差し伸べた手を焼き切るようなことをしてくる。

助けてくれとすがりついてきた、そのすぐ後で、
ザマーミロと舌を出し、相手の世界を破壊しようともする。

スピリチュアルな仕事をしている人間は、
その職業独特の特性がゆえ、
慈愛と犠牲心に満ちた懐広い聖者とでも思われるのか、
何をしても許してくれて当然とばかりに、
迷惑をかけても、酷いことをいっても、一方的に甘えても、
利用しても、赦される対象と勝手に認定され、
すべてを犠牲にして自分に与えて尽くすのが道理とでも?

そんな風にたかってくる人はきりがない。

キリスト教の殉教者じゃあるまいし、
何故そんな風に勝手に期待されて求められるんだか・・・。

世間では、占い師やスピリチュアルな職業に就くものを
人の不幸を食い物にしている詐欺師のようなものだと、
そう責める人もいる。
たいがいが困っている人であるのだから、
もっとボランティア的な価格にするべきだとも。

スピリチュアルな職業に従事するものが、
生活苦や人生が上手く行かなくて苦しんでいる人に対して、
赤ひげ先生みたいな奉仕をすることが難しい要因は、
命を救う仕事=肉体の問題を扱う分野なのではなく、
魂を救う仕事=心と精神の問題を扱う分野であって、
無償奉仕をすることで、
相手の依存心や甘えを増長する危険性のほうが高いからだ。

対価を設定して払える人だけを相手にするという線引きは
施療者自身が自らの心身を「たかり」からガードして、
自らの心身と人生そのものを、
寄生してこようとする人々から守るためのアイテムでもある。



確かに最初から、
トラブルメーカーになる可能性のある人かどうかと、
一人ひとり精査して、やばそうな種を持つ人を排除すれば、
こうしたトラブルに巻き込まれることは格段と減るのだろう。

だけども、
心身ともに問題を抱えている人を相手にする職業なので、
そういう視点で、クライアントさんや関わってくる人すべてを
チェックして、危険分子として避けるわけにはいかない。

そういう意味で、境界線きっちり決めて、
職業上のケジメをつけるってことはものすごく大切。

私の場合、関わりすぎるところ、頼まれたら断れないところ、
同情から甘い対応をしてしまうところ、なんかが問題だ。

私生活では、お金と時間にルーズな人は、常識なく、
自分に甘く、他人にも人間関係にもルーズだし、
約束をまず守らない人たちというのが鉄板というところで、
基本CO出来るのだけども・・・
職業上やその延長線上の関係には適用が甘くなりがちなので、
今更ながら、ダメだ自分・・・ここなんとかしないと、と反省猿。


スピリチュアルとお金のトコに書いても良かったんだけど、
設定価格や予算っていうのは、
クライアントさんを選別するライン引きにもなるのね。
要するにどのくらいのお金をポイッて出せる人か、
生活水準(年収や使えるお金)を計る線引き。

人間の品格が収入で決まるわけではないし、
高収入の人が必ずしも問題を起こさない良クライアントになるって、
そういう保証もないけれど、
でも、ある一定ラインの生活レベルを保てている人っていう、
そのような基準を価格で線引きするのは、
話の通じる相手と対等な取引をしたいっていう、
その職業人が自分の領域をガードするひとつの方法でもある。

生活の苦しい人、援助の必要な人には、
格安もしくは無償で与えてもあげたいけれど、
払うことなく得して、さらに相手から奪おうという人も、
多く紛れているのが現実だから。
(結果的に無償のサービスを本当に必要としている人が損してる)

適正価格っていうよりも、
利用していただきたいクライアントさんのレベルが、
この料金を払ってまでサービスを得たいと望んでくれる人って、
そういうことなのですよ。





まあ、そんなこんなで私事ですけれども、
まったくもって「易者身の上知らず」で、
直観も占いの技術も知識も、
何も使ってなければ、意味をなさない・・・という人生なのでした。



追伸
で、今回のテーマ書いてて、色々振り返り反省したので、
今後、優柔不断と甘い顔は辞めようってことで、
今まで後が仕えてないときとか、たまにしか来ない人だからとか、
常連さんだからとか、話のキリが悪くなっちゃうとかとかで、
だらだらと時間過ぎてもお話し聞いていましたが、
これからは時間きっちりで行きますね。

とりあえず、NOと言える自分を目指します。

易者身の上知らず(上)

占い師や予言者が自分のことが占えない、とはよく言われる。

それは自分の事を客観的に観察することが出来ず、
感情が直観や視野を曇らせるからというのもあるし、
自分自身に対して第三者的な立場に立って、
アドバイスをすることが出来ないというのも大きい。


また、占い師だからと言って、
人生の一大事から日常の些細な出来事に至るまで、
すべてを占いに頼り切っている人はいないし、
霊能者や透視能力者にしても同じで、
朝から晩までアンテナ立てて、感性を研ぎ澄まし、
あらゆる事柄に対して何かをキャッチしようなぞと、
常に非日常的な感覚で過ごしているわけではない。

もし、一日中そんな状態でいたら、
日常生活はままならないし、対人関係を築くのも難しく、
周囲からは変人だとか頭のおかしい人呼ばわりされ、
下手したら通報されてしまうようなハプニングと
トラブルを招いてしまうような事態も起こるかも知れない。


日常生活と仕事の時間というオンとオフを使い分け、
社会生活では一般市民としてモラルや法律を遵守し、
公序良俗のマナーやルールに添った人間関係を築き、
占いにしても霊能力にしても、
それ以外のスピリチュアリティな資質も、
あくまで何かを判断するときの観念の一つとして、
日常生活に活用していくに留め、
職業的場面において職能や知識を求められる時に、
最大限にベストを尽くして発揮するのが理想と言えば理想。

何故なら、今はそういう時代なので。

大昔や原始的文明みたいに、
巫女(シャーマン)やスピリチュアリティ性に特化した人物が、
自分の個性というか、そうした特徴的で鋭敏な感性を
24時間むき出しにして生活していたならば、
単なる狂人かイタイ人になってしまいますもの。
昔は。。。そういうのが許されたし、
歓迎された時代もあったわけだけど、今は21世紀ですから。


だから、オンとオフって大切。

実際、難しいなって思いますよ。

例えば、一日中死んだ人が視えたり、声が聞こえたり、
そんなのはとってもたまらないことだし、
生きている人の心の中の声とか欲望が判ってしまったり、
ああこの人はこうなるんだ、助からないんだとかとか、
アンテナ立てた状態でいて、会う人会う人から
色んな情報キャッチしまくっていたらば、
ノイローゼになって、正常な社会生活送れなくなります。


人が創りだす欲望の想念=エレメンタルはね・・・
キレイなものは少ないんですよ。
醜悪なものの方が圧倒的に多いのです。
とてもキレイな顔をしてにこにこ笑っている人でも、
皆に好かれている善い人と言われる人でも、
欲望はそれなりにあるわけで・・・

ものすごい悪魔のようなもの、妖怪のようなもの、
キメラのような恐ろしいもの、昆虫や爬虫類みたいなの、
排泄物の塊みたいなの、生ごみみたいなのとか、
ディフォルメ化された巨大な人の顔とか、身体の一部とか、
妄想の産物やら、その人が欲しい物質だったり、
それはそれはとても汚いモノがいっぱいいっぱいある。

とってもとっても気持ち悪いですよ。

四六時中オンモードで、こんなん見続けていたら、
神経衰弱して廃人になってしまう。

仕事じゃない限り、こんなの視たくないし、
冗談じゃないって思います。
みんな聖人君子じゃないんだから、
欲望のひとつふたつはあるし、
悪いこと考えたことがない人なんていないわけで、
くっつけてない人なんていないのだから、
こんなんくっつけているのが視えてしまったら、
引いてしまって、フラットに付き合えなくなります。



身内のことだって、友達やパートナーの人のことだって、
いちいちそんな情報が入ってきたり、視えてしまったりしたなら、
その人が言葉にしていること(建前)と視えているものの(本音)
のギャップの狭間で、平常心で関わることが困難になります。

そしてそれは同時に視られて(探られて)しまうほうにとっても、
しんどくなるし鬱陶しいことだと思うんですよ。

それが占いという予測方法を使っているだけにしても、
自分とのことをいちいち占われている、
すべてを占いで判断されているってのは、
相手にとっても面白くなく、重いなって感じる人もいるはず。

例えば、付き合う前とかに、
「彼は私に対して好意を持ってくれてますかね?
 脈ありかしら・・・?」
という程度の、アプローチしたいけど、
関心のない子にコクられるのもイヤだろうし、
どうなんだろう? アタックしてもいいかな?

みたいに・・・
相手の負担とか、そういうのを考えての占いだったらいざ知らず、

相手に直接聞けばいいようなことを猜疑心と執着心から、
あれやこれや占いに頼りまくって、本人の態度や言葉よりも、
占いの答えに影響されまくり、左右されすぎというのは、
痛いメンヘラだなあ、と引かれる要素になったりする。
(客観的意見が欲しくてちょっと相談してみたならいいけど、
何事も限度というのがありますので)

私が男だったら、絶対イヤですもん。




自分と関わる全ての人のこと(性格や人間性)、
その人との関係性や未来、生じるであろうトラブル
自分にとって得な人か損な人なのかetcetc...

そんなこといちいち占ったり、透視したり、
リーディングしたりなんだかんだやってたらきりがないです。
誰にだって本音も建前もあるし、
知られたくないこと・・・秘密もあるし、
気持ちだって状況だって刻々と変化している。

いちいち周囲の人、新しく関わる人を
そういう観点からチェックして見据えようとか構えてたら、
今の世の中、誰とも関われなくなってしまうし、
人間関係も日常生活もままならなくなってしまいます。



とはいうものの、そういうイイワケをしつつ、
最初にその人に会ったときに働く拒否反応や
自分に囁きかける本能の声や直観を無視した結果、
失敗してきたことは多々あるわけで、
その度に反省している私だったりしますが・・・。
(過去からまったく学んでないし)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


話少し変わって、

ボディヒーリングやボディワークの職業の人、
直にお客様の身体に触れることの多い、
指圧や整体、アロマテラピーのトリートメントや、
足裏マッサージ、タイ式マッサージなど、
ハンドヒーリングに従事する人なんかは、

よく、
お客さんから「吸ってしまう」って表現を使うんですけど、
これは手を通じて邪気をもらってしまうことを言うんですね。

(ちなみに、昔ある占い師の人で、
たまたまクライアントさんの身体のある部分をタッチしたら、
インスピレーションが冴えたことから、
その方法をずっと続けてた人がいるんですが、
その方はそのせいか、体調を崩されてしまって、
顔もひどく変形するほど腫れてしまったそうです)

タイ式の人は、手だけでなく全身で密着するせいか、
日本に来ても、数年(1、2年)で病気になってしまい、
帰国する方が多いとも聞きます。

これはハンドヒーリングのリスクの部分で、
邪氣を吸った、と言えばそうなんでしょうけど、

邪氣だけではないかなってのもありますね。

お客さんがお持ち込みするエレメンタルを
そのままもらっちゃうことも原因ではないかと・・・

邪氣にしてもエレメンタルにしても非科学的なものになりますが。


病院に行くまでもないけれど、
ヘルスケア(民間療法)を必要としている状態にある人は、
実際問題、氣が淀んでいて、循環も悪くなっています。
そして、体内体外問わず、やっぱり陰の氣の強い、
ネガティブなエレメンタルをたくさん抱え込んでたりします。
それが病気の素にもなっているのだけれども。

邪氣を吸っただけだったら、外気に触れて、
太陽の光に当たり、気分転換もして、陽の氣を補充すれば、
体力気力ともに回復も出来るのだけれども、
たちの悪い厄介なエレメンタルをもらってしまうと、
その量や性質によっては簡単には離れていかないので、
ダイレクトに体調を崩して、長期的に悩まされるケースも。

なので、
他人の身体に直接触れるハンドヒーリングをしている人は、
それなりに自分のエネルギーフィールドを防御する習慣や
テクニックを身に着けておいたほうがいいかなって思います。
休日はアウトドアに出て、太陽に当たり、自然と触れ合い、
日常のことを忘れて笑って過ごす・・・とかね。
心のデトックスがものすごく重要かも知れない。



単なるカウンセリングだけの占いも、
心療内科や精神科、メンタルヘルスの場も、
相手の身体にこそ触らないのだけども、
似たようなことはあるんですよ。

精神科の先生なんかの場合、
病んでいる人を365人相手にしているせいで、
自分も引きずられて病んでしまい、
自分で自分に診断書や処方箋書いている先生、
多いって聞きますもん(友人がそっち方面の看護師)。


ええ、占いにしてもスピな職業全般に言えることですけど、
問題を抱えている人がクライアントさんとして来るから、
中には病んでいる人も少なからず。
で、前向きな気持ちや意図をもって訪れる人もいるけれど、
どうしても切羽詰まった状態にいる後ろ向きな人もたくさんいて、
問題を引き起こすネガティブなエレメンタルを、
その全身いっぱい、てんこ盛りに所有している人が、
訪れることになるので、
それらにやられることは避けられないリスクなんです。

また、スピリチュアリティを含んだ仕事って、
相手のカルマを一割はもらうことになるのが
逃れられないお約束で宇宙の法則でもあり。



・お客さんが持つ汚れた邪気
・「持ち込まれた」厄介で始末に負えないエレメンタル
・そしてそのお客さんのカルマの一割(借金の一割)


これはその人が単なる占い師でも透視能力者でも、
チャネラーでも、霊媒でも霊能者でも等しく発生すること。

霊が視えようが視えまいが、
邪氣やエレメンタルに敏感であろうが鈍感であろうが、
カルマの法則を知っていようが知っていなかろうが、
霊的な知識があってもなくても、

その人自身がお客さんから引き取ったモノの・・・
それらの存在を認識していようがいまいが、
その処理が出来ようが出来まいが、


もらってしまうことには変わりがない。

その人のレベルに合わせて、
「引き取るモノの量や質」が変わるということはないので。



そんな風に、決してキレイな仕事ではないというのが実状。

人によっては楽して儲けてるように見えるだろうし、
全然苦労も何もしていないように感じるかも知れないけど。


まぁ、だから・・・
知らず知らず消耗して命をすり減らしている人は多いし、
毎日様々なお客さんとたくさん出会うことで、
相手の邪氣を吸って、ネガティブなエレメンタルを
御裾分けされてしまって、自分の内に取り込んでいき、
段々と毒されていってしまう人は数えきれない。

体調を崩し、病になって寝込むくらいならいいけれど、
ネガティブなモノをどんどんと取り込んでしまったあげく、
当初その職業に就くことになった純粋な目的を見失い、
欲望の虜になってしまう人も。
下手をすれば元々優秀な霊媒であるがゆえに、
下位の霊的な存在につけ込まれ、段々と道を踏み外して
性格も人生も歪みきってしまう人もいる。

もともとそんな人ではなかったのに・・・っていう、
高尚な理想をもって、人助けのためにと、
真面目で素晴らしい素養を持った、
ハンドヒーラーにしても占い師にしても、
いつか何処からか黒さを宿すようになってしまうのは、
職業上のリスクゆえと言うべきか・・・



この道を選ぶ以上は承知するしかなく、
覚悟を決めることでしかないものの、

そうならないようにするためには、
厳しく己を律し続けるしかないんだとも痛感する。

2016/04/29

スピリチュアル・コミュニティの歪みと落とし穴(下)

団体というのは、
その団体の主導権を握る人次第で、
独特のカラーを発し、醸し出すことになる。

人が二人以上集まると、力関係というのが生まれるので、
どうしても力関係を握っている人の個性が反映されて、
コミュニティのカラーが決定してしまうから。

分かり易い例が職場かな。
職場だと力関係を握っているのは、
ふつーは職権のある上司などの管理職。
小さいところだと社長とか、社長の奥さんとか。
同族企業だと、その同族同士の関係性がまんまカラーで、
大きな会社だと、発言権のある人、社歴の長い人やお局さま。
ようするに、
誰がその職場で「主導権」や「力」を握っているか否か。

また、業種によってもカラーというのがあるし、
同じ業界でも職種に応じて、集まる人の個性は違ってくるケド。

(大分類としてホワイトカラーとブルーカラーの違い、
理系と文系の職種、サービス業やメディア、出版、
ゼネコンや財団、官公庁など、雰囲気も集まる人も
職場ならではのやり方、モラルなども異なっていたりする)

で、すごくイヤな雰囲気の職場だったとしても、
上司(管理職)が移動になったり、
誰かが退職して新しい転職者が入社してくると、
ガラリと良い雰囲気になったりもする。
まあ、元凶となる人がいなくなってくれれば、おのずと。


村社会なんかもそうだし、習い事なんかのサークルもそう。
友達同士の小さい団体も、ママ友も男同士の呑み仲間も、
会社組織やボランティアなどの大きな団体も、
どんな団体も人間関係なので、様々な人が集まることから、
集まった人と中心点になる人物の個性に応じて、
それなりの特色を表現することになり、
ある人にとってはとっつきやすくなじみやすく友好的に映り、
けれど別の人からしたら、同じ団体でも
排他的で閉鎖的な奇妙な団体に映ったりもしたりなんかして。

で、そのコミュニティを結び付けている理由が、
世間から見て極めて特殊性があって、理解しがたく、
いわゆる浮いているというものだったりすると、
コミュニティの閉鎖性は増すことにもなってしまいがち。

この閉鎖性と機密性が増せば増すほど、
結束は強くなりやすいし、
隔絶間から集団ルールは世間一般の常識と遠く隔たり、
団体として歪んだ思想や意志に毒されていく危険が増したりする。

少数の人の偏った見解や考え方に追従せざるを得ない、
リーダーとなる中心点の人を絶対とするような、
危険思想や異常心理ってのにも陥りやすくなっちゃって。

共依存なら不健康ではあっても、まだましかな・・・
カルト的な思想を軸にしていたりとか、
総括事件を起こした連合赤軍なんか酷いもんで。

うん。本当に、どんな小さいコミュニティでも、
民主主義って大切なんだと思う。
福祉的な観点から言うと、共産主義もいいとこあるけど。
政治経済司法に関しては民主主義がベターだわ。

一人ひとりが考えることを止めてしまって、
自らの意志を発言できないって状況は、
集団を間違った方向に導いてしまうものだ。


===================================================


さて。。。例えば、
こうした団体、習い事がスピリチュアルでなくて、
バレエでもなんでもダンスか何かだったりする。
そりゃ、無名の人より有名だった人、
コンテストに出て名声と実力に定評のある人だったり、
評判の良い先生のとこで習いたいと思うのが普通だろう。

スピリチュアルな世界も多分そう。
無名な人より有名な人のとこ、誰だって行きたいだろう。

(スピリチュアルなことの場合、
習い事というのも違うと思うから、
たぶん何を身に着けたいか、自分の何を磨きたいか、
なんでしょうけど・・・)


ダンスやらスポーツや、
そうした世界だったら、憧れからの選択でも、害はないかと。
憧れから学び始めた結果、才能を発揮して、
好きこそものの上手なれから道を究めることができる人も、
決して多くはないにしてもいるだろうし、
例え、才能を発揮することが出来ず、
憧れの選手に近づけなかったとしても、
努力して挫折した経験は人生の無駄にならないだろうから。

けど、オカルトやスピリチュアルな世界はちょっと違う。
一歩間違えると、心や精神を病んでしまったり、
ちょっとヤバイことに巻き込まれてしまう危険性がある。
(いわゆる悪霊とか動物霊くっつけるってヤツ)

そんなんで
誰でもかんでもってホイホイいらっしゃいって
そういう世界じゃないから。

ワナもたくさんあるし。
だから、サイキックな能力磨くより、
先に知識を身につけて、自分自身の問題と向き合って、
人格形成をしっかりとしてから、
段階踏んでかないと、エライことになる。

自分のエゴイズムをきちんと知ってないと、
絶対に罠にはまるし・・・
得てして9割の人がその罠にはまってるしね。

だから、ヒーリングが出来るようになったとか、
ちょっと不思議な体験したとか、
そういうのを特別視しないことって大切。
チャネリングも安易にトライすることではないのね。
簡単に考えて手を出すことではないのです。


真面目な話、オカルティスト(近代魔術師)たちって
精神破たんして精神病院行ってのがほとんど。
心が壊れなかったり、人格崩壊しなかった人は、
ちゃんと友達のいる社会性とコミュニティ能力の高い人。

精神鍛錬と人格修養なしにサイキカル能力だけを開発したり、
物質社会以外の存在とコンタクトを取ったり、
そうしたトレーニングだけを行うプログラムやカリキュラムは、
キチガイ養成講座以外の何モノでもないのですよ。

とはいうものの、
スピリチュアルなことは限りなく危険で恐ろしいことだと、
そう脅しているのではなく、
知識もないのにむやみやたらと手を出すなって感じ?

とくにそのようなことをやってるセミナーとかワークとか、
個人でも団体主催のものだったとしても、
雰囲気とか人間関係の状態をよく観察してみるのが大切。
社会人としてのふつーの常識感覚で考えてみて、
コミュニティとして「おかしいな」と思ったり、違和感覚えたら、
自分の感性を信じたほうがいい。

スピリチュアルなことやってるとこだから、
雰囲気が特殊だとか、普通と違うってことはないので。


===================================================


スピリチュアル・コミュニティの歪みは、
その中心点にいる人のスピリチュアリティが、
周囲の人をどのように導き、感化することができるか、
教条能力と統率能力(リーダーシップ)に頼るところが大きいけど、
やっぱりその人の人間性云々よりも、
周囲がスピリチュアル性やサイキカル能力(神通力や霊能力)
そのものを崇め奉っていることが大きな問題点なんだと思う。
歪みの原因で、病巣の根源というのかな・・・。

サイキカル能力が特別な力で、
さも選ばれしモノにしか与えられていないかのような
誤解から生まれがちな選民意識と承認欲求・・・
そこに依存して帰依することが異常心理なんだと。

その人を取り巻くの和の中にいることで
特別な人の傍にいられるという優越感を抱くくらいならまだいい。
その人がやることなすことに関われているというプライドの充足と、
自分が支えているという喜悦感を抱くのもまだ普通かも。

けれど、まるで自分がその人物になったかのように、
同一性とすり替えが起きてしまいやすいことが腐敗を生む。
「虎の威」を借りている人は借りている自覚があるだけマシだけど、
単なる三毛猫なのに、自分も虎であり、
同等の力を所持していると勘違いしてしまうのが困りもの。



なんでそうなっちゃうんだろう?って考えたとき、

自分自身に問題を抱えている人が、
たくさん集まりやすいジャンルだからなんだろうなって思います。

スピリチュアルに惹かれて集まってくる人の
全員が全員、病んでいるとかいうことではないんですけども。


占い師や霊能者、ヒーラー、チャネラー、
透視能力者なんかのとこに来る人たちは、
奇跡や魔法を欲していたり、救いや助けを求めていたり、
今の自分の人生の状況に不満を抱えていたりするわけで。
だから、依存心の強い、自立してない人も少なくない。
っていうか、日本人は欧米人と違って、
精神が未熟で未発達で自立精神が限りなく育ってない。
依頼心の強さとその精神の弱さゆえ、じゃないかと。

自分自身や自分の人生をコントロールできない人は、
他人に自分の支配や決定権を委ねやすいし、
そうした外側にある力を得て、
自分の人生をコントロールしようとする。

自分自身が力をもって、主導権を取り戻すことが先なのに、
何故かそうはしない人が多いのですよ。
ほとんどの人が他者にあまねるのよね。
自分の選択に責任を取りたくないから。

そういう人は共依存の関係が大好き。

自分で考えること、
自ら意志をもって、意識して選択することが嫌いなの。

だから他人任せにしてたいんだよね。


そういう人がスピリチュアルなコミュニティを形成したり、
寄りかかれる人を見つけて、求心力から集ってしまうと、
あっという間に不健全な共依存の団体が出来てしまう。

例えば、それが共依存を治そうとか、
海外でよくある、同じ問題を抱えた人同士の集いみたいな、
(ドラッグ依存やアルコール中毒を治そうとか)
そういう共通する悩みやテーマがあったとしても、
自らの問題を自覚している人々の集まりだったら、
不健康なネットワークやコミュニティにはなりにくい。
むしろ大きな励みや社会復帰の助けになる。


けれども、スピリチュアルなコミュニティは、
普通の日常では話せないことが話せる唯一の場だったり、
(このくらいはまだ許容範囲かな)
中心人物となっている人の
スピリチュアル的な能力においてのカリスマ性だったり、
そこに通うこと、属することの「特別性」を信じこませていたり、
もしくは「特別な何か」になれることなどなど、
現実逃避的な部分を煽るような・・・
そういう要素を中心軸として集まっていたりすると、
反社会的な病んだコミュニティとなってしまう。

そうすると、そのコミュニティで教えられるスピリチュアルは、
そこに属する人間を現実と限りなく離反させて、
エゴイズムや妄想を肥大させるだけさせてしまう。

残念ながら、そういうところ結構あったりする。

知り合いの占い師さんで
そのようなコミュニティに関わるようになってから
気づけば何を話しているんだか意味不明で、
会話が通じなくなってしまっていて驚いたことがあった。
日本語が下手になったというレベルでなくて。


天使や妖精と話すよりも、
死んだ人間や宇宙人とコンタクトするよりも、
目の前にする人間と話すほうが先じゃないのか・・?

初対面の人に対して挨拶もロクに出来ないのに、
何がアセンションだ、地球を救う使命を背負ってるって、
いつも私は不思議に思うのです。



大勢の人と一緒にいて、
場の雰囲気を壊すようなふるまいをしていて、
それの何がスピリチュアル? 
ハイアーセルフからのメッセージ受信できてるって何?

エネルギー読めるっていうなら、
その前に空気を読んでくれ!

その場にいる人々の心の声、叫び、
あなたの我儘で自分勝手な行動に対する

文句と不満の声を聞きやがれ!



ちょっと経験から叫んでしまいました



===================================================


とりあえず、
私自身も小さいながらスクールを主催して、
生徒さんに教えている者として、
グループレッスンのリーダーとして、
いろいろと気を付けなくてはいけないことがあるなあ、と
これまでの失敗とか反省とか、
色々あった出来事から学ぶべきことを学んで、
耳に入ってくる情報を反面教師とさせて頂き、
常に自分自身のエゴイズムや生徒さんのエゴイズム、
グループとしてのエゴイズムをチェックして、
方向性を間違わないようにしないと、と鑑みたりします。



 禅のマスターは他者に対するマスターではなく、
 自分自身のマスターです・・・そして・・・
 自分自身をマスターしているというそのことが、
 彼のあらゆる仕草とひとことひとことに反映しています。

 彼は伝える教義を持っている教師でもなければ、
 神と直接的なつながりを持っている
 超自然的な使者でもなく、
 まさに人間ひとりひとりの内側に潜んでいる
 もっとも高い可能性の生きた証となった人なのです。

 弟子は、マスターの眼の中に
 自分自身の真理が映し出されていることに気づきます。
 マスターの静寂に満ちた臨在の中で、弟子はもっと楽に
 自分自身の実在の静寂へと落ちていくことができます。
 
 マスターの周りに自然に形成される
 探究者たちのコミュニティは、
 ユニークな個人それぞれが自分自身の内なる光を
 見出すのを教えてくれるエネルギーフィールドになります。
 いったんその光が見つかったら、
 外側のマスターは触媒、内なるものの目覚めを喚起する
 仕掛けに過ぎなかったことを弟子は理解するようになります。


 ・・・・略・・・
 マインドが、召使が、マスターの役をしている。
 しかも、その召使は貴方の召使ですらない。
 その召使は外の世界によってつくられる。
 それは外の世界とその慣習に従う。
 
 ひとたびあなたの覚醒が炎になったら、
 それはマインドがつくりあげた隷属全体を焼き尽くす。
 自由ほど、自らの運命のマスターであることほど、
 貴重な至福は無い。

          和尚禅タロット「マスター」のカード解釈より
 

2016/04/27

スピリチュアル・コミュニティの歪みと落とし穴(上)

スピリチュアルな能力が秀でている人の周りには、
その人自身やその人の所持する能力に魅せられて、
そのようなものに憧れる人間が集まりがちなのだが、
当の本人が優れた人格者であったとしても、
得てして周囲には不健全なコミュニティが出来上がりやすい。

まるで誘蛾灯だな、と思ったりする。

中心にいる人はしごくまっとうな常識の持ち主なのに、
その人のようになりたい人々が、
歪んだエゴイズムをその人に投影させて、
カリスマ性や圧倒的な能力の前に跪き、
その人の云うことが絶対であるかのように崇拝して、
自らの意志を失くし相手の言われるがまま成すがまま・・・
皆が下僕のごとく傀儡化していて、
言われることや支持されることに疑問を呈するものはいない。

そんな風にひどく不健全で歪みきった、
病んだコミュニティが生まれやすかったりする。

困ったことに、
これはスピリチュアルなジャンルにはありがちなこと。
もちろん、すべてにあてはまることではない。


お金を取っていなくても、取っていようとも、
その人を取り巻く複数の人間が、
このような形態のコミュニティを作り上げてしまっているのなら、
もはやそれはその人を偶像崇拝した宗教としかいいようがない。
まして、中心部にいる人に対し、滅私奉公とばかりに、
奉仕的かつ盲目的にあれやこれや尽くすようになってしまっては、

もはやその人に対する尊敬とか敬愛とか、
それらを礎にした絆などで、収まる範囲ではないから。

結局は中心部にいる人自身のスピリチュアル・ナルシズム、
自らの能力に対する奢りも反映されてしまっていたりもするから、
いったん歪が生じると、歯止めが利かず、もうどうしようもない。

その人自身をきちんと見て、人物と能力を切り離して考え、
誤った崇拝をすることなく、対等に関われていたならば、
エゴイズムの投影や共依存の毒に犯されることなく、
そうなってしまった人々の渦に巻き込まれることもなく、
多くのことをその人から学び、良き関係を築くことが出来たろう。
そしてそれらは相手から一方的に受け取るものではなく、
互いに刺激と触発を与える関係となり、
双方向に利益をもたらしていたろう。

けれど、相手のことを「すごい人」と・・・
相手の力を人知を超えたものであるかのように、
奇跡か神の御業かと、大げさに捉えて、
そう思ってしまった瞬間から間違いが始まる。

自分にはない、相手の素晴らしい能力を認め、評価するのと、
その前に屈服するのとでは天と地ほども意味が違う。

スピリチュアルな業界においては、とくに、
そのようなことをやってしまうと、
相手を自分の「支配者」とでも「神」とでもしてしまう。


俗にいう「依存」なのだが。
相手の云う事が絶対になってしまって、
「すごい力」を持った人なのだから・・・と、
相手の云う事やる事すべてをそこで図るようになると、
洗脳の始まりだ。

だって相手はすごい人なんだから、
予知も当たるんだししとか、他の人には出来ないことも起こせて、
こんな現象を自分は体験しちゃったんだから・・・と、
体感的なことが関わってくると尚更。


思うに、普段理性的で論理的と思える人ほど、
この手のことに引っかかりやすいように思う。

そして、あまり論理的思考を持たない、
感情的で感覚的な人のほうが引っかかりにくいようだ。
普通は逆かと、思うところだけど。

感覚的な人は、心に引っかかるものがあると乗らないからね。
頭で考えがちな人ほど、目に見えるもので証明されたり、
体験的な現象を経験した途端、あっさりとのめり込んでいく。

オウムなんかにはまった人も、
高学歴のまさにそういうタイプが多かったんじゃなかろうか。
(中心軸に居た人は、見た目も中身もちいとも魅力的でなく、
なんでアレなの??って。めちゃくちゃ疑問なんだども)


こういう状態に陥ってしまった人って、
言葉でいくら矛盾点をつついたとしても無駄だったりする。
説得しても、聞き入れては絶対にしてくれないんだよね。

自分たちの理屈で凝り固まっちゃってから、
論理的に説得することや常識が通じない。

否定されると余計にヒートするから、
信念体系を崩すこともほぼ不可能だったりする。

客観性を全く失ってしまっているので。



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私は感覚的、感情タイプだから、
いくら体験しても、目の前で視覚的に見させられても、
言葉で論理的に理屈で説明されたとしても、
感情がついていかないこと、動かないこと、
感覚が拒絶反応を示すことには、絶対に応じない。

「へーすごーい」と、
表面的に感心して信じるフリするのは得意だけど、
心が危険信号だしてることは、基本スルーかな。


ヒステリーで怒りっぽいし、
論理的に考えるのはものすごく苦手なんだけど、
猜疑心だけはめちゃくちゃ強かったりしますので。

其のおかげで、引っかからないで済んでるのかな。
マルチとか宗教の勧誘とかetc
その代わり人情に訴えかけられると弱いから、
友達とか人間関係に騙されたりはある(笑)


もしかしたら、不思議な体験もそれなりにしているから、
だから今更ってのはあるかも知れませんね。

子供の頃は霊が見えたし、近所の家で火事が起きるとか、
どの家でお葬式が近々あるとか、
(位牌と遺影がその家の外壁に掛かっているように見えた)
電車の前に座った人の寿命とか、
(近々亡くなる人はオーラが真っ黒)
この人は怪我で足を失くしちゃうんだな~とか、
そういうのも見えてたり判ってた時期もあるし。

幽体離脱して遊んでたこともあるし、
(肉体とサイキカル体はゴム紐みたいなので繋がってて、
サイキカル体はゼラチン質っぽくゼリーみたいな感じ。
壁をすり抜けるときの感覚は独特で面白いの。
体から抜け出るときは首の後ろのとこ、背中上側から出る)
タイムスリップしたこともあるし、その他色々。
至高体験もワンネス体験もいちおうある。

今はもう霊は視えず、エレメンタルくらいしか分からないし、
何もできないタダの人ですけどね。
ちょっとしたリーディングとレイキヒーリングしか出来ん。


だけど、そういう不思議な体験もたくさん経験してるので、
今更って感じなんですよ。
それが出来る人とかいたとしても、
それを「すごい」とは思わないのよね。

それはその人の霊的レベルや
人格の証明にはならないってこと、今は判るし。

だって、私の体験がまぐれなたまたまだったとしても、
いっときでも出来てたってこと考えると、
私みたいな人間力のないダメ人間でも出来ることですよ?
こんな霊的レベル低いヤツでも、出来ることジャンか~と。

だから、そんなん大したことないよって思う。

大げさに騒ぐことでもなんでもないんだよって。

まあ、確かに不思議な体験をしている間は、
面白くも気持ちよく、奇妙な感覚であるから、
それをもう一度味わってみたいと思わなくもないけど。
そこに耽溺して執着してしまうのは、
単なるジャンキーと何ら変わりないので。



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他人に対して、
何か幻影のようなものを見せることが出来ていたとしても、
「氣」を操って、そういうことができる原理はあるので、
(出来る人が少ないので、出来る人は貴重ってだけ)
その能力を素晴らしいと評価すれこそ、
そうした他人の氣を操り、操作する行為にはモラルが必要で、
何のためにそういうことをしたのか、大いに問われること。

自分の力を誇示するためにそれをするのは罪だし、
他人に知らしめるためにそれを使うのも罪。

霊能力と言われる力は、
他人を救うためにしか用いてはいけない力だから。

その人に罰を与えたり、何かさせるため、
思うような状態にするために使ってはいけないのね。
その人に前世を思い出させることさえ、
他人が関与してはいけない。
(ヒプノは単なる誘導なので当人の意志ならセーフ。
本当に思い出してはいけないことはストップかかるし)

その人のカルマのレッスンとして
必要で起きていることに介入し、関わることは、
スピリチュアルな職業にあるものにとって、
一番してはいけないことで、
そうした行為に霊能力は一番使ってはいけない力なんだ。

他人の氣を操ることは、もっとも重い罪だから。

(気功やヒーリングみたいに、気の補充をすることは別。
気が足りてないとか弱っている人に手を貸す事、
エネルギーフィールドに生じている問題の解決の
サポートをすることはもちろん許されています)

起きることはすべて必要で起きていることだから、
自分がその人のカルマやノルマが判る立場にいるからって、
勝手に取ったり、知らしめようとしたり、
無理に思い出させるようなことはしてはいけないんだ。

私たちに許されているのは、
時期が来ていることに対して、その人の気づきを促し、
起きていることを起きているままにすること、
それに対して必要なサポートとフォローをすること、
何かあったときに手を貸す事くらいで。

必要以上のことをしてはいけないってのが大前提なの。

だって、病気とか怪我もそうだけど、
治すのはいつだって医者じゃなくて当人だもの。
当人が自分の力で成し遂げなくてはいけないことを
横から奪いとってはいけないんだ。
本人の生きる力、生命力を伸ばすことが大事なので。

スピりチュアルな世界の事象もそれとまったく同じ。
当人が解決しなければいけないことを、
自分で答えを見つけていかなければいけないことを
先回りして告げて、お節介にやってあげてはいけない。

でないと、本人の力を奪うことになるし、
学びの機会を台無しにして、
その人自身が成長できなくなって、
弱いままの、自分の「力」を発揮できない人に
甘んじさせてしまうだけだから。

その人の成長の機会を奪うことは何人たりとも、
絶対にしてはいけない。

子育てと同じで、その人にこそ、強くなって、
自分で自分の問題を乗り越える力を身に着けてもらわないと、
スピリチュアルってそのための方法論だからさ。



して、相手のエネルギーフィールドに
何か、を埋め込むことも絶対にしてはならないこと。

ヒーリングと気づきを促すためのエレメンタルは
埋め込むことはOKなんだけどもね。

相手をコントロールし、自分に従わせるための
エレメンタルは絶対に創ってはいけないし、
それを他者に埋め込むようなことはしてはならない。


妙な、スピリチュアル・コミュニティに関わっている人は、
グループ・エレメンタル(集合体意識)以外に、
見張り的なエレメンタルを埋め込まれていることが多い。
たぶん、それが洗脳と支配の根源的な力なんだろう。
そっから、パワーを吸い取って、団体の力として
供給しているトコも多いよ。

エーテルコード(紐のようなもの)を刺されていて、
機械的な見張りのようなもの、
使い魔みたいなのを付けられてたり、とかね。

今まで見た中には、「星の子チョビン」に出てくる
目玉に羽が生えたようなエレメンタルもあったなあ。

新興宗教はそういうのばっかりだったりするっっ

コワイなー ヤダなー 関わりあいたくないなーって
つくづく思う。


私も生徒さんたちに、何か埋め込んでいたら、
どーしようって、時々心配になっちゃうときもある(爆)

まあ、でも私にはカリスマ性はないし、
反面教師にしかならないダメダメ先生なので、
幸いなことに私を崇拝する人がいないのが救いか。
いやさ、それもちょっと寂しいかな(笑)

2016/04/26

スピリチュアル・ハラスメント(下)

タイトルにした、スピリチュアル・ハラスメントってのは、
パワハラ、セクハラ、モラハラってのがあるなら、
当然あって然りと、今回わたしが勝手に創った言葉。

この言葉を使うのは私が初めてなのかも知れないし、
もしかしたら、だいぶ前から誰かが使っていたかも知れない。
まあ、どっちでもいいんだけども。


実際、そういう行為は太古の昔からあった。

宗教的教義の行き過ぎた行為とか、
信仰や宗教の押し付け、押し売りとかとか・・・
神様の名前を盾にして、
人間の私利私欲、エゴイズムを正当化する行為。

昔から存在する文化や土着の宗教を理解しようともせず、
一方的に野蛮だと否定して、自分たちの思想を押し付ける
キリスト教の布教行為と異端尋問や魔女狩りなんかは
そのもっともたる例だし、十字軍なんかもそうだと思う。

自分と相手の信じる神様が違うからって、
その人を差別したり、非難する行為も分類されるだろう。

あ、ヒンズー教のカースト制度もそうかな。
昨今のふつーのイスラム信者と過激派をいっしょくたにして
叩いて排除する傾向もスピハラと言えるかも知れない。


とはいうものの、
上記のようなことは日本ではあんまし起きないことだけど。

ああ、でも
新興宗教の狂信的な信者なんかだと、
やっちゃってくれてるか・・・



日本だと、霊感商法がスピハラの代表格になるかも知れない。
あと新興宗教、スピ系自己啓発セミナーの勧誘も加わるかしら。

「あなた水子の霊がついてますよ」とか
「先祖の祟りです」とかとか
「このままでは結婚できません」とかとかとか・・・

そういうことを脅し文句にして、
印鑑やら壺やら仏像やら売りつける行為?ありーの
この神様拝みなさい、教祖様の云う事を聞きなさい、とか。

ふつーに考えれば、
モノ買って解決ってこともないし、
その価格が法外だってこととか、おかしいとこばかりなんだけど。


うん、昔から不思議に思う、
どうしてそんなのに引っかかる人がいるんだろうって。

でも、不幸やトラブル、災難災厄続きで、出口見えず、
何故どうしてこんなことばかり起きるのだろう?と
絶望している人や精神的に参って追い詰められている人、
説明不能かつ不可解な現象に悩まされている人は、
とにかく何でもいいから、この状況を何とかしたい・・・
それをすることでこの地獄が終わるならばって、
藁にもすがる想いですがってしまうのですよね。

そういう心理状態に陥ってしまう心の弱さ、
これは理解してあげないといけないところかな。
そこにつけ込む人たちがいるのが許せないとこで。


あと、占い師や霊能者や祈祷師なんかでも、

身近に迫った危険を警告したり、
回避をアドバイスするような物言いではなくて、

「あんたこのままじゃ死ぬよ」
「地獄に落ちるわよ」

みたいな・・・

相手の不安を煽って、
人格否定するような脅し文句や恫喝をする人がいたりする。
ここはスピリチュアルナルシズムが関わってくるとこだけども。

実際、きつい物言いで叱らないことには
生き方や自分自身を振り返らない人もいるから、
どこからどこまでがハラスメントに当たるのか、
ボーダーを決めるのは難しいとこ。


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で、ちょっと前の話になるけど・・・

クライアントさんから、
とても話しやすくて優しい占い師さんがいたので、
何かと頼りにして通っていたのだけども、
突然「あなたは特別な人だから、○○になるべき」
みたいなことを言われて、
とあるセミナーに誘われたと・・・

でも、なんかちょっとおかしい。
途中最初に感じてた違和感がどんどん膨らんでしまった、
で行くのを止めたそうで。

ええ、確かにおかしい。
宗教でないというけど、神様の名前出した時点で宗教やん。
とも思った。


ていうか、ここの団体に限ったことでなく、
似たようなことは別の団体もやってるわけで、
それこそ地下鉄で事件起こしてくれた団体さんもそうだし、
昔からあって、いつの時代でもあるっていうか、
やり方や常套句が変わるだけで、
雨後の竹の子のように、わんさかわんさか出てくる。

信仰宗教って感じでなく、
スピリチュアルって装い変えてリニューアルした感じが、
最近の流行りなのかな。


(まあ、私も十分胡散臭いわけだから、
お前が言えるのか?ってのは置いておいて・・・)


結局はこういうのって、
スピリチュアルを利用したマルチ商法なんだと思う。

そうですね、さしづめ
スピリチュアル・マルチ??とでも命名しましょうか。

商品が物質的なものではなくて、
視えない世界を対象すなわち体験的な価値観を
重きにおいた分野を対象としているだけで、
やり方としてはマルチ商法独特の厭らしさと
同じだと思うのです。

つまりは視えない世界とか、
スピリチュアリティ性に関する商売自体が胡散臭いのではなく、
それを対象(利用)とした商売のやり方そのものに
道徳と倫理を無視した問題があるってこと。


マルチ商法の何が不快かって言うと、印象操作と洗脳かな。

ネットワークビジネスの方法が悪とは思わない。
多くのビジネスには人間関係を利用する場面がありがちだし、
義理や人情、コネに頼ったりも珍しいことではない。
ふつーに商売してても、オーナーと客の関係になった途端、
色々とあって壊れる人間関係もあったりするしね。


だけど、ストレートに
「こんど商売始めたよ、イイモノだから、気に入ったら買ってね」
「他のところで同じの買うのだったら、
知り合いのうちから買ってちょーだいよ、ヨロシク~」
ってフツーに営業してくれればってところを・・・

「あなたのタメだから」「私はあなたのためを思って」
「みんなで幸せになりましょう」「一緒に儲けましょう」
「この商品を使ってもらうことで、
あなたの周囲の人もを幸せにできるはず」

みたいな、
ビジネスの理由を別の目的(歯の浮く理想論)にすり替えて、
相手の善良性につけ込み、利用してしまうのが問題なんだわ。

お金儲けをしたいなら、したいって言えばいいのに、
そのために商売をしますよって正直に言えば、
それはウソのない誠実な商売と言える。
もちろん商品がエセじゃないのが大前提で。

けれど、仮に商品自体が本当に良い製品だったとしても、
ウソをついて相手の購買心理を操作している段階で、
サギなんだよね。マインドコントロールだもん。
不誠実な商売以外の何物でもない。
そういう不誠実なことに、知り合いや友人などの
大事な人間関係を巻き込むことは、
人とのしての道徳やモラル、良心の問われるところ。

まあ、マルチに引っかかる人はお人好しが多いかな。
美味しい話はないよってのは通説であっても、
テレビのニュースで散々報道されてても、
若い世代(とくに田舎からの上京組)は引っかかりやすい。

(私が昔リゾートホテルで働いていたときも(バブル時代)、
浄水器、24時間風呂、布団、まくら、矯正下着、アムウェイ・・・
「なんだブルータス、お前もかっ!」って、
叫びたくなるほど地方出身の友達がこぞって引っかかてたよ。
怒って友止めしてしまった子も多々)


そして、スピリチュアル・マルチに引っかかる人も減らない。


「あなたは選ばれた人なのよ」
「私たちは光の戦士なの、あなたも仲間になりましょう」
「あなたも天使とつながりましょう!」
「日本を救うため、あなたも目覚めましょう」

・・・みたいな言葉に何故その気になるんだ?

みんな漫画の観すぎ? 二次元脳? ドリーマー?

って私はいいたいけど・・・。


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先に出したクライアントさんのケース以外にも、
こういう話は定期的に耳に入ってくる。

私は宗教アレルギー?を随分と長く患っていたので、
そっち系統に引っかかることはなかったし、
知り合いの占い師さんや同業者さんに、
そんな酷いやり方している人はいないんだけど・・・

でも業界全体として、
たまーにそっち系統の人たちが紛れてくることもあるし、
信用できない、おかしな人々がいるのは事実。


そして被害者の人たちの話も聞くこともそれなり。

中には500万も使ってしまった人とかいたなー
それは高すぎる勉強代なんてもんじゃなく。

あと、
本職(店のオーナー)があるというのに、
その団体活動をすること(光の戦士になること)を強要されて、
定められた日に出なくてはいけないとかで、
仕事に影響が出てしまい、
経営に行き詰まっていまったという人がいたりする。

あるスピリチュアルな学校を止めた人からも
似たような話を聞いたことがある。
それでは家のことも仕事をする時間も無くなるではないか、
ってくらい、時間的にも金銭的にも拘束されたとか。

なんかそれって本末転倒。

会社をつぶしたり、私生活を破たんさせるために、
なんでスピリチュアルなことを
生活の中心にもっていかなくてはいけないのか?

そもそも仕事や私生活や家族、友人関係に
恩恵を与えるためのものでなくては、
スピリチュアルなことなんて何の意味も価値もないだろう。
すべては現実あってのものだねなんだから。

現実生活を上手く行かせるために、
現実の人生をよりよく生きていくために、
スピリチュアルな世界を探究する意味と価値があるというのに。


ふと、ここで「チャタレイ夫人の恋人」での
レディ・チャタレイのセリフを思い出してみたりする。

 「うんざりですわ

 あなたの精神主義とやらには・・・

 私はもう少しで、
 その精神主義とやらに
 滅ぼされてしまうところでしたわ!

 私は精神か肉体か
 どちらかを選べと言われたら、
 喜んで肉体を選ばせて頂きますわ」



会社のオーナーだったら、
オーナーとしてそのビジネスを潤わせることが、
何よりの社会貢献で世の中への奉仕であり、
従業員の生活を守っていくのが使命だろう。
そのビジネスと利益を通して、
従業員と世間の人々の生活を支えていくことと、
誠実な姿勢でそのビジネスを展開していくのが、
スピリチュアリティを表現することになる。

自分のフィールドで自分にしか出来ないこと、
今目の前にあることを一生懸命やるだけでいい。
それがスピリチュアルな生き方だ。

家庭の主婦なら、
パートナーとの関係をよりよくしていくため、
自分自身の成長や今の生活を充実させるためでいい。
子供がいるなら、子供のためになることが優先で、
家族のために、家庭円満のために、
スピリチュアルな知識や技術を使うべきだ。

まあ、モラハラやDVを受けている人にとっては、
スピリチュアルな世界は、
自分をエネmeから目覚めさせ、
脱出させるきっかけになることになり、
離婚とか家庭崩壊?に繋がるかも知れないけど。



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さて、氣を用いたヒーリングにしても、
前世療法にしても、リーディングだのなんだのにしても、
科学的に原理が解明されてもないし、立証できない事だから、
当人がどう位置づけるか・・・
それに価値を見出すか見出さないか、になるのかな。

何しろ見えない世界のことだから、
見えるという人の云うことを信じるしかない。

信じなくてもいいんですけどね。

(でも、霊的な現象の、きわめて特殊な例では、
信じたくなくとも信じざるを得ないような、
すさまじい驚き桃の木ビックリ仰天なこともあるから、
そういうレアケースに出会ってしまったときは
信用できる人を探すしかありませんが)


その胡散臭いことをしている私が言うのも
本当に奇妙というか、おかしいことなんだけども。


重ねていいますが、大事なのは「現実」なんですよ。

今の科学は進んではいるけど、万能ではなく、
まだ解明されてないこともあるし、
科学ですべてを割り切れるわけではないけど、
論理的に考えるってすごく大事なことです。

神仏や霊的なこと、視えない世界に対して謙虚に考え、
畏敬の念を持つのは大事だし、かくあるべきとは思う。

スピリチュアルなことは科学を否定することではないし、
現実世界を軽く考えて、物質を否定することでもないから、
それだけは知っておいて欲しいんです。


スピリチュアルな観点から言うと、
「現実」ほど、大事な学びはないの。
現実で起きていることは、私たちに何かを教えてる。
この現実世界以上に、
私たちを成長させてくれる場所は何処にもないんです。
必要な経験がたくさんある学校なんです。
毎日の現実を生きることは。

周囲の人と関わって、コミュニケーション取って、
自分に与えられた環境でベストを尽くして、
毎日起こる出来事や問題に日々対処して、
考えて悩んで、思って行動して、
そして自分に適性のある分野の仕事をして、
自分自身ととことん付き合っていく・・・

それがスピリチュアルの中で一番大切なこと。
もうそれだけなんです。

別にカルマの清算や償いをするために、
慰霊の旅をしたり、神社やお寺に行って何かしなくてもいいの。
出家したり修行するのはその仕事をするべき道の人だけ。

今生で与えられた自分という器をよく知って、
自分自身の運命を生きようとすれば、
それが自ずとカルマのレッスンに導いてくれるから、
それだけでいいんですよ。十分なんです。

スピリチュアルな観点からのアドバイスを得たいと、
それを利用しようとすることは愚かだとは思わない。
問題は、それがすべてだと信じ込んでしまうこと。
あくまで情報であり、とある方向からの視方でしかなく、
その情報を判断するのが自分であることを忘れないこと。
また絶対に依存したり中毒になったりしてはいけない。
例え未来を予知し、奇跡を起こせるような人であったとしても、
その情報をくれる人自体を盲信してはいけない。

そして、
スピリチュアルな世界について知りたいと、
興味を持ったり、知識を勉強したり、
それをしたい人はすればいいけど、
(うちも教えてたりしますけどっっ)
現実世界のことを疎かにしてまで、そこに耽溺してはならない。

社会の一員としての自分の役割を果たすことのほうが、
とっ~ても大事で、優先順位の高いことだから。
それが出来ないでスピリチュアルな世界の探究は出来ない。

スピリチュアルな世界は現実世界あって然りで、
現実の人生を生きるための知識であって、
現実世界で起きていることを別の角度から認識して、
どう捉えていくかの観念と心の在り方を
示す道標にすべきなんだと思う。

繰り返し言葉を変えていくと、
現実の事象に対処したり、それを考える際の心の置き所を
決める心の法律であり、哲学でしかなく・・・
スピリチュアリティを追求し、実践するために、
現実を犠牲にして、置き去りにすることは、
スピリチュアリティでも何でもない、単なる現実逃避だ。


だから、
「今あなたの身に起きていることは、
 あなたのこのような性格、想い癖が原因で、
 このような対処法が結果的に問題を大きくしている。
 だから、心を改めてやり方を変えてみたり、
 周囲の人との関係性を見直す必要がある」

というアドバイスはアリだし、有益だけれども、

「あなたは過去で罪を犯したから、
 その罪を償うために、
 この仏像を買って拝まなければいけない。
 毎日一日中お題目を唱えなさい」

はちょっとヘンだ。

(実際には先祖の祟りとか神様の障り的なもので
相談者がやらなくてはいけない、
しんどいノルマが生じることも時にあることはあるんだけど
その理由が納得できるかってのも大きいかなぁ)

また、

「あなたのカルマは重い。
 あなたはたくさんの戦に関わっている。
 だから、来週私たちがする慰霊祭に参加しなさい。
 仕事なんてしている場合ではないでしょ」

みたいなのはおかしい。


本人が自分が過去に犯した罪を
自ずとだったり、もしくは他者から指摘されて知ったとき、
自主的にそれをしたいという衝動を持つならいざ知らず、
他者に強制されて言われたままにそれをしても、
慰霊になぞならないからだ。

気持ちが伴ってない形ばかりの謝罪などされても、
誰もが納得いかないのと同じで、霊だって納得しないのよ。

過去の罪を償うために現実のことを疎かにして、
それが何の償いになろうか?

スピリチュアルな活動をいいわけに
仕事でほうぼうに迷惑をかけて、
今の人生でするべきことをせず、
人間関係や大切にするべきものを放置して、
なんなのそれって?

犯罪被害者や遺族が、
加害者に心無い謝罪をされて、お金だけもらっても、
納得しないし、気分すっきりしないのと同じです。

もし本当に過去のことを悔いて、過ちを償いたいのなら、
その罪の重さを知り、二度と過ちを繰り返さないで頂きたい。
現実世界できちんと社会の役に立って生きること、
他者のためになることを無我夢中でやってくれって、
そう思ったりもする。それと同じですよ。




そこが判っていれば・・・

スピリチュアルの本質を誤解せず、
そこんところをきちんと理解していれば、
スピリチュアル・マルチを見抜くことも出来るから、
エセに引っかかることもないだろうし、
スピリチュアル・ハラスメントも回避できると思う。

相手の言葉が非現実的でキツイ物言いだったとしても、
自分がよりよく生きていくために必要な、
本物のスピリチュアルなアドバイスと言うものと
そうではない、スピリチュアルな世界を利用した、
恫喝的で、自分を食い物にするために言われている
ハラスメント的な行為の違いが区別できるようになるでしょう。



・・・うんと、これで書きたいことは書けたかしら?
後で思うところあったら、そのうち書く・・・かも?


そして私自身も、クライアントさんや生徒さんに対して
スピリチュアル・ハラスメントをしないよう、
エゴイズムやスピリチュアルナルシズムに呑まれて、
「相手を思って言ってるつもり」に陥らないように、
重々気を付けないとと痛感しています。
この仕事をする上での営業活動や、お客さんとの関係性が
スピリチュアルマルチにもなってしまわないように、
注意が必要だなあって、そこもハイ。