アメリカン・ドリームと言われるサクセス・ストーリーが大好きだ。
分かり易いもので例えると、
当時無名だったスタローンをスターダムに押し上げた
映画「ロッキー」なんかが典型的と言えるかな。
階級制度があって、ブルーカラーだのホワイトカラーだの、
生まれた時から出自に支配され、差別されるイギリス、
そしてその支配下にあったアイルランドとか、
そうした国から脱出してきた移民たちが築きあげ、
革命を成し遂げたフランスが後押しをして独立した国・・・
希望と自由を象徴とするアメリカという国だからこそ、
そういう成り上がりストーリーが好まれるのかも知れない。
生まれに関係なく、人は成りたいものになれ、
夢を叶えることができるのだと信じさせてくれるそんな物語。
(とはいうものの、ロッキーもスタローンもイタリア移民の末裔か)
そして同時に不死身のスーパーヒーローもアメリカ人のお好み。
天災や事故現場などで、人が人を助け、
動物たちを救出するリアルタイムかつ危機一髪の救出劇とか、
これまたアメリカでは高く評価され、軒並み視聴率の高い番組。
(犯罪も秒刻みで簡単に奪われる命もそーとー多いわけだが)
これがフランスとかイギリスとかだと、
貧しい身寄りのない孤児だと皆に蔑まれ、
不遇な人生を生きていた正直で心正しきものが、
実は高貴な血筋の落とし胤、あるいは正当な跡取りだった・・・
なんてのが好まれたりするし、王道なストーリーだったりする。
(恋愛ものは恋愛もので王道がまたあったりするけども)
日本はってーと、やはり農耕文化というか、
士農工商(実際は士商工農エタヒニン)という身分制度があり、
人口の大多数を占めていた農民&一般庶民が、
権力側に、虐げられ、抑制されていた怒りと恨みの記憶から、
「石川五右衛門」「鼠小僧」みたいな、
金持ちから悪銭を奪って奴らに泡を吹かせ、なおかつ
その奪った金を庶民にばらまいてくれる義賊なんかが人気で、
あとは、やっぱり・・・
昭和の時代劇「水戸黄門」「遠山の金さん」みたいな・・・
弱きものたち、庶民や百姓をいじめて私腹を肥やす悪代官らを、
さらに大きな権力ふりかざして、ひれ伏せさせて、
悪事暴露して、お仕置きして、スカッと懲らしめて退治する、
自分たちが出来ないことを代わりに仕返ししてくれる、
安定の定番物語・・・復讐的完全懲悪話が好きでんなー
「忠犬ハチ公」「忠臣蔵」みたいな忠義モノも、
働きバチ的お武家DNAの持ち主は大好物みたいですけど。
あとは浪花節が好きだよね、日本人は。
(浪花節は日本人にしかわからない話だとオモワレ)
「浪花節だよ、人生は」・・・は歌のタイトルだけど、
平成以降の生まれには分からないだろうな。
どんなのが浪花節かというと、
単純に言って不条理な世の中で貧乏人が苦労する話ってとこ。
お涙頂戴が満載の悔しくて悲しくて、辛い話etc。
「夫婦善哉」「喜びも悲しみも幾年月」「一杯のかけ蕎麦」
とか並べてみても古すぎてわからないか。
なので誰にでも分かり易いのだと、
とどのつまりが「フランダースの犬」みたいな物語。
外国が舞台の作品しかも児童文学っぽいアニメだけども。
主人公がお約束のビンボー。味方はか弱い娘一人だけ。
大人にも子供たちにもいじめられる惨めな境遇。
しかし清貧だが心はとても清く、才能豊か。
けどやっぱり報われず、死んでしまう。
日本人の農民&一般庶民DNAは、
こうした物語に自らの不遇な過去をなぞらせて、投影し、
どうやらカタルシスを感じるものらしい。
ちなみに「フランダースの犬」は
ベルギーはフランダース地方が舞台だったりするけれど、
書いたのはイギリス人の女性。んで、アニメと原作はかなり違う。
けれど、日本で制作されたこのアニメは、
実に日本人が陥落するツボをキャッチーに捉えていたんだな。
キリスト教国である西洋諸国やアメリカ人はこのアニメでは
泣ける人はほとんどいず、怒りを感じる人のほうが多いらしい。
日本人のポイントは、感情移入。
何処まで共感できるのか、
何処まで「自分」とだぶらせられるのか、なんだよね。
(イタリア人やギリシャ人も悲劇が好きだなって思いますけどね。
オペラとか、ほとんど登場人物全員死ぬし、救いがない話ばかり。
だからカンツォーネという演歌みたいな曲があるんかしら)
そういえば、派遣の仕事をしていた時、
某大手カラオケ配信会社に行く機会があったりしました。
カラオケビデオの映像と音、字幕(歌詞)のチェックでしたんで、
カラオケ好きな私としてはウハウハ。
だけどねー J-Popとか洋楽なら良かったんだけど、
(アニメでもよかったのにっっっ糞っ)
何の因果か、私が割り当てられたのは「演歌」
いやさ、美空ひばりとかサブちゃんとか
その方面の明るい歌なら嫌いじゃないですけど。
よりによって演歌・・・大っ嫌いですのに、演歌。
なんかねー 延々と一日中、画像と歌詞のチェック、
音声チェックさせられて結論付けたのは、
「"演歌"が日本をダメにしている」に違いない・・・って。
(これは誰かの陰謀だくらいに思ったwwww)
ていうかー 歌詞がね、なんていうか。。。
暗いとかそういうのではなくて、、
ひたすら浪花節的な私苦労してます、あぁ辛いです、
そして私ってなんて不幸なの、ヨヨヨな自己憐憫
不倫万歳、耐えて忍んで、そんなアタクシ可哀想
黙って三歩下がって、苦労厭わずついて行きます
三つ指ついてあなたの帰りをご飯作って待ってるわ的な?
そんなイライラするエネmeで
ナルシズムやヒロイズムに酔いしれてる
ダメんずウォーカーなバカ女の自分語りな歌ばっか・・・
半分遊びチックな仕事だったけど、発狂しそうになったわ!
ただてさえ嫌いな演歌が、さらに大大大大大嫌いになった!
中島みゆきの怨念ソングも十分怨歌だけどさ。
こういうの聞いてるから、
幸せが縁遠くなるんだよっっ!!
刷り込みで自ら洗脳して、
自己暗示効果で、
さらに不幸を呼び寄せてんだよっっ!
ゼーハーゼーハーっっっ
(まあ、繰り返し歌うことで歌詞(言霊)にパワー込めて(魂込)、
「エレメンタル」をば、日々創っているわけです)
・・・ってな具合に、
アメリカ人はこうなりたいという
自分の将来、未来を描いて、夢見る力が強い。
けど、日本人はどちらかというと過ぎ去った過去の感情、
現在の自分の境遇と類似のものに共感を見出して、
そこに自分自身を投影して慰めを見出す傾向がある。
自分を酷い目にあわせた存在が
「ざまぁ」な結果になってスカッとするか、
お涙頂戴話の主人公に自己投影して、
「自分て可哀想」「けなげな私ってエライ」と
追体験して不幸に酔いしれるか・・・二分化しているけど。
もち、すべての人がそうだと決めつけられませんが。
国民性というか民族性というか、
地域の特徴なのかは判りませんが、
受けた教育や文化や宗教的背景によって、
集合体無意識が刺激される出来事、
心の琴線に触れる話には差異があるようです。
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さて、本題です。
以前「記憶は嘘をつく」という記事にも書いたと思うのですが、
人の記憶というのは必ずしも正確ではなく、
実際に起きた現実を伝えているものではなかったりします。
記憶というのはあくまで、その人の心象風景でしかなく、
その人がその出来事をどのように受け止めたのか、
どんな筋書きにまとめて、自分自身に納得させているのか、
・・・に過ぎなかったりします。
なので、客観的な議事録的な記録とは、
一致することはほぼなく、
その人自身が主人公となって、その目線で語られること、
当人の心に強い印象を残している風景と共に、
その出来事をどのように捉えているのか、なので、
同じ出来事の当事者だったとしても、
差異が生じることは否めません。
例えば、悲観的に捉える人と楽観的に捉える人では、
まったく違った意味合いの出来事になります。
同じ体験、境遇に置かれたとしても、
ある人には喜劇、ある人には悲劇、というように。
これはもうその人それぞれの価値観、
心の偏差値だったの耐久力だったり、
精神の成熟度、感じ方や考え方の違いだったりするので、
千差万別の物語が生まれることになります。
それでも共通して語られる出来事が、
歪みなき真実ということになるでしょうが。
過去生セラピーにおいて、
その人のエネルギーボディから情報をリーディングしたり、
ヒプノなどの半覚醒状態での誘導催眠、
あるいはチャクラワークなどで当人に読み取ってもらう時、
時おり、アカシックレコードとは一致しない、
その人自身の人生の情報(過去生含む)ではないもの、
を感得することがあります。
例えばそれがどういうものかというと、
①中間生において、他者の人生に関わったときに創られたもの
②過去生あるいは今生において、
他人の人生に共感したり、感情移入して創られたもの
③過去生あるいは今生において、
自分の人生で起きている現実が受け入れられず、
空想すなわち想像を膨らませ事実を捻じ曲げて創ったもの
①の場合は、
一度人生を終えて、次の人生までに至るステップの途中・・・
つまりはひとつの人生を終えてから転生準備に入るまでの間、
時に地上(三次元)で生きている人の人生に関わることがあります。
それは生きている時の親族だったり、友人だったり、
お世話になった人や、自分が助けてあげたいと思った人など。
転生サイクルが長くゆっくりしていた時代には、
特に遺した子供とか孫とかが心配だったりすることから、
しばらく、サポートすることもあったので(名付けて補助霊)、
その時にわりかし傍にいて一緒に経験をすることから、
疑似体験的に「記憶」が出来てしまうことがあるようです。
②の場合、
本を読んで、主人公に感情移入したり、
映画とか、憧れのスターに入れ込んで、
自分がその人であるかのような妄想を膨らませたり、
本や映画の物語や憧れの人物の人生を生きたかのように、
ニセの記憶を作ってしまう・・・などがあります。
昔は退屈な日常を生きている人も多かったようで、
昨今よりも、遠い異国のお話しや他人の経験に自己投影して、
憧れの人生を妄想の中で楽しむ人も少なくなかったのかな。
例えば、侍女とか貧しい境遇にある人が、
自分が仕えている主人の人生を、身近だからこそ、
あれやこれやを知り尽くしているというわけで、
自分がその人自身の人生を生きたかのように
感情移入していた結果、思い込みの記憶があったり、とかね。
相手に憧れていたり、同情していたせい、なんでしょうが。
まあ、相手と自分の境界線が無くなって、
互いを同一視するほど、
仲良いとか距離無しの関係だったりなのかな。
で、③が一番やっかいで、
その時の自分の人生を・・・現実を湾曲して捉えていた。
②に近いと言えばそうだけど、
実際の現実を受けいれようとせず、
ありのままの世界を見ずに、
自分の都合の良いように解釈して、創ってしまう。
今の時代で言うと、誇大妄想の結果の記憶。
心を酷く抑圧させたり、妄想爆発の結果だから、
当時は精神病というか、病んでいた人の可能性ありで。
こういう記憶っていうのは、扱いが難しいです。
そうさなー 例えば、貧しい孤児の女性が、
「私は本当はプリンセスなの、
いつかお城から本当の両親が迎えに来るの」とか、
あまり美しくなく、どちらかというと醜女で、
男性にも相手にしてもらえない、性格もイマイチな人が、
「私が絶対の美女すぎて、みんな高値の花と思って、
誰も声をかけないのよね。そして私に釣り合う人は、
この中にはいないのよ、みんな醜い男ばっかりなんだもの」
作り上げた虚構の中でプライドを保つために、
斜め上の発想から作り上げた記憶とかとか。
今の世だと、キチとか勘助とかストーカーとか、そんな世界。
で、おおまかにざっくり分けるとこんな感じなのですが、
それ以外にも、
他人のデータ(想念体としてのエレメンタル)を読み取り、
コピーしたものを元にして、他のいくつかのものと合体し、
さらにあれやこれや加工されて、こねくり回されたあげく、
ひとつのストーリーとしてまとめられてしまう場合も。
この場合、元(核)になるものは、
他者が作ったもの(空気中に浮遊)である場合もあるし、
その人の中にある小さな想いのエレメンタルだったり、
創作物(フィクション)から受けた強い印象だったり、
現実にあった出来事からのインスパイアだったり・・・
あるいはそれら種々様々なものがMixされて交わって、
というのもある。
どういうものが入り混じり、どんな物語が後付けされるかは、
元になったものの性質もあるけど、
加工する人の嗜好というか、思考と想像の方向性といったところ。
まだ三次元に具現化されていないなら、
創られたそれらの想念体は引き寄せの法則として、
その人にそのような現実を生きさせることになるので(今生でなくても)、
心からその人が望む未来や必要な経験なら、いいんですけど。
実際に体験してきた過去の人生(感情)なら、仕方ないとして。
単純に妄想の産物として創られたこの手の記憶は、
その人の人生に混乱を生じさせ、
本来進むべき未来から遠く離れた、
望まない人生を生きさせることになるので、よろしくないですね。
まっこと、人の想像力というのは実に豊かなもので、
心の力が強い人は、簡単にエレメンタルを創りあげてしまう。
客観的な見方が育っている人なら、
他者の人生を眺めて、
「こういう人がいる」と創られたデータを読むとき、
まず自分の感情がゆすぶられることはないから、
その段階で、それはその人の人生ではないと、
当人も納得する方向で確認して、あっさり解決てか
手放すことも容易だったりする。
①はそんなで、②にしてもそう。
でも、自分自身で作り上げたドラマに浸りきってしまう、
劇場(激情)型の人の場合は、
これを当人に違うものと区別させ、納得させるは難しい。
離反して、解放させるにしても、
まず抱え込んで手放したがらないので。
つまりは「記憶」という物語・・・
自分がヒロインになれる世界に対する執着があったりして。
そういう人は大概③も持っていたりする。
過去生セラピーにおいては、
その過去生が事実であったかのかどうか、
ニセものの記憶であるかどうか、と・・・
真偽を判断するのはあまり意味がない。
そもそも過去生というもの、実証・検証の出来るものではない。
科学的根拠などどうやったって示せないのだ。
妄想、虚言、作り話ではないと、証明すらできないものを・・・
とりあえず、輪廻転生(過去生)が存在する、という
前提において、このようなセラピーは成されるわけではあるが。
ともあれ、
それが本当の記憶にしてもニセモノの記憶にしても、
その記憶がその人の顕在意識及び潜在意識下に存在することで、
その人の人生ならびに生活、人格形成に弊害をもたらし、
あまたの問題を作り出しているのであるから、
それを整理整頓してその記憶の落としどころを創り、
人生に影を作り出している状態から解放しよう・・・
というところでの過去生セラピー(ヒーリング)である。
その目的さえ遂げればいいのである。
が、ニセモノの記憶を作り続ける精神構造、心の歪みにこそ、
諸悪の根源的なルーツがあるならば、
時に、創られた記憶の正誤に触れたり、
何処がどう事実とは違うのか、解説したりすることもあったり。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
で、人というのは、
今の自分の置かれた境遇、心情を代弁するような物語、
曲などに自己陶酔をして、カタルシスを感じることがある。
先に書いた、
ダメンズ選んでしまう自分の問題であることを棚に上げて、
えばりんぼのオレ様に「尽くしてしまう、可哀想なアタクシ」
と演歌の歌詞に己が姿を投影して、
悲劇のヒロイン気取って、
苦労してるアタシ、耐えてるアタシえらいわー 褒めてー
みたいな人・・・とか。
失恋ソングに自分の過去の恋愛を投影して、
当時を思い出し、号泣してしまう人・・・とか。
今の人生でもそうだけど。
これが、まあ・・・過去生でもそうなのね。
普通過去生のことなんて、覚えてないから、
無意識下でついつい反応しているだけなんだけども。
映画にしても、小説にしても、ドラマやコミック、
古典や詩、オペラや歌ももちそうね。
過去の自分の生きた人生を、姿を彷彿とさせる、何か・・・
心の琴線に触れるものって、人それぞれで。
けど、それによって、何かが昇華させられるのも事実。
その物語を知る(見る)ことで、
過去の自分が慰められたり、救われることもある。
ちなみにうちの生徒さんで、
過去にお女郎さん(日本では花魁、韓国ではキーセン)だったので、
「ファンジニ」に号泣、和楽器バンドの「虹色蝶々」を聞いて号泣。
自分の中の何かが反応するわけ。
哀しいわけではないのに、涙が止まらなくなる。
自分の中の誰か、が泣いている・・・みたいに。
私も「犬夜叉」の桔梗に感情移入してどっぷりになったこともある(笑)
映画でなくて海外ドラマ「椿姫」でドーンとなったこともあるし、
妙にツボに入ってしまうコミックやドラマもあったりする。
戦争映画で恋人が出征して残されるハナシに弱いしっっ
条件反射的に号泣してしまう、お決まりのパターンの物語があるわけ。
駄作とか名作は関係なく。
こういうのって説明がつかない。
そういう時はもう、気が済むまで泣いてくれって感じではある。
けど、あんまりどっぷりに浸りすぎると、
とくにカラオケなんかで、
そういう悲劇的かつ悲観的な歌詞ばかり歌ってしまうと、
「カタルシス」=「解放」に向かうならいいけど、
繰り返し歌う=想念が入る=「言霊(言魂)」作成
になって、いわゆる「引き寄せのパターン」となり、
再び同じ運命を繰り返す、という未来をリクエストすることに。
だから、どっかで打ち止めにしないと、ではある。
過去の自分の感情を追体験して、
その時の抑圧された想いを共に感じてあげて、
その時泣けなかった想いを解放することも大切だったりするけど、
「あたしって可哀想」ってとこにいつまでも縛られて、
いつまでもその感情に引き摺られて、酔いしれ。
耽溺してしまうと、なまじ原型があるばっかりに、
強烈なエレメンタルが新たに創られ、パワーアップしてしまう。
なので、どっかで手放さないとネ。
そのためにも事実を事実として、
客観的かつ理性的に受け止めて、
記憶を整理整頓するのも必要だなーとつくづく思います。
はい。
てなわけで、恋人が欲しいアナタ、
いつまでも失恋ソングや怨念ソングを歌っていると、
永遠に失恋し続け、ダメンズに引っかかる未来を
自分に引き寄せて、ギフトしてしまうことになりますのでご用心をば。
明るいミライ、こうなって欲しいと思う、
理想の未来を描いている歌詞の歌をばんばん歌って、
なりきり、浸りきり、楽しんで歌いましょうぞよ。
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