2017/01/18

裏切りの報酬

"Thirty pieces of silver"

これは慣用句で、
イエス・キリスト(Joshua Immanuel)の弟子であった
イスカリオテのユダ(Judas Iscariot)が
銀30枚で自分の主であるキリストを、
彼の敵である祭司長達に売り飛ばしたことに 由来する

Judas's payment 

すなわち主人を裏切って得た報酬が銀30枚


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


子供の頃から宗教嫌いで、とくに中でも
キリスト教が一番大嫌いだった私が、
ジョシュアが残した「真理の道」を教えていたりする。
これには誰でもない私自身が、
ちゃんちゃらおかしいことだとホント苦笑せざるを得ない。

昔の自分だったら、ありえないことで、
頭かどうかしたんじゃないか?と
幼少期の自分に、問い詰められそうな気がする(笑)


いわゆる無神論者で仏壇すらも置こうとしない、
両親の元に生まれたので、
宗教に対してはフラットでいられたものの、
神に対する反発心は旺盛で(神社だけは好きだった)、
キリスト教に対する感情は憤怒にも等しく、
中学の入学式の時、赤十字に加盟する宣誓の言葉さえ、
「絶対いうもんか!」と歯を食いしばり、
適当にスルーすればいいのに、
とてつもない抵抗心で意固地になっていたのを覚えている。

マルキ・ド・サドの小説の世界観、
例えば「悪徳の栄え」や「美徳の不幸」に魅了されるのも、
別に隠微で退廃的な性的倒錯の世界が好きなのではなく、
インモラルで冒涜的な物語の中に秘められ、隠された、
当時の階級的社会の中で絶対的権力を持つ者たちへの、
彼らを貶めるべくな風刺と揶揄に同調、共感するからであって、
道徳と慈愛を説くキリスト教こそが、
腐敗と堕落と邪悪を世にはびこらせる諸悪の根源であると・・・
その元凶であることが作中で見事に
描写されているからにしか過ぎない。


そんなキリスト教に対する嫌悪感は、
過去の人生において、異端尋問とか魔女狩りだとか、
そうしたキリスト教の絶対的恐怖支配で負った、
体験からのトラウマ、その負の遺産というか、
記憶の名残程度に思っていた。


さて、私が金銭的なトラウマ。
お金に対する嫌悪感、
「儲ける」ことに対する強い拒絶反応を持っていることは、
こちらのブログの過去記事でも度々触れてきた通り。

そしてその自ら抱える問題に対して、
あれやこれやと原因を探ったり、アプローチなどもして、
問題の根を引っこ抜こうと取り組んでもきた。

でも、なかなか頑固で本質に辿りつけず。

昨年のちょうど誕生日頃、
ふとしたことがきっかけで、自分にとっての空白の期間、
を思い出すことになったのだけども、
それでスッキリ疑問が解決したかというと、一歩前進程度で。
ただ、それもまた自分が抱える問題の表れでしかなく、
逆にもうお金にまつわる問題に対して、
あれこれ取り組むことがどうでもよくなっていた。

ちなみに今回思い出したのは、
1800年代の後半から1900年代の前半の人生。
今の人生の前に数年しか生きられなかった、
短い人生を二つばかり、そして1800年代半ばに
カナダで普通の主婦として生きた人生があり、
(自宅に子供を二人遺したまま30代半ばで凍死)
その間が空白でどうしても思い出せなかったというもの。

今回のテーマの中では蛇足になるが、
なかなか解けない「お金に対するブロック」とは何ぞや?
と・・・延々と考えていて、
その日ふと入った店で聞いた音楽がきっかけになった。

その音楽とはチャールストン。
もともと好きでこの手の曲が流れていると、
身体がリズムを取るというか踊りだしたくなる傾向があったのだが、
(バブル世代でディスコにも行った口だけど踊りは超下手)
その時はスルーしていたのに、自宅に帰ってから、

「あ・・・私、踊れる」

さっき聞いた音楽を想い出し、何故かふとそんな気がして、

「確かこんなステップだった」

と・・・気が付けば踊りだしていたりして。

ちなみに音楽やダンスは聞くのも見るのも大好きだが、
救いようのない運動音痴で、自分では踊っているつもりでも、
ひきつけを起こしたタコ踊りみたいになってしまうので、
まさかステップを刻めるなんて思わなかった。

なので、

「なんで私こんなの知ってるんだろう?」

と我ながら愕然とした。

ピンクレディーだって踊れなかったのに!
学生時代の流行りは竹の子族みたいなのだったし、
ディスコブームの頃はトラボルタみたいなのや
アフロな人が踊っている「ソウルトレイン」とかだったし、
その後だって、「アラベスク」とか「ドナ・サマー」だし、
バブルの頃は扇子もってお立ち台とかあんなノリ。
「アメリカングラフティー」みたいなオールディーズのダンスを
友達とふざけて真似っこしたことはあるけど。
(男性のリフトが出来なくて二人してズッコケた)


めちゃくちゃ不思議な感覚だった。

したらば、ほんの数日でデジャブなことが次から次へと。

奇しくもこの人生の記憶が蘇り始めたのは、
あの世界恐慌があったと同じ10月29日。
あの暗黒の木曜日の頃・・・

一体当時何があったんだろう?

そう思って瞑想をすると、
忘れていた高校時代の同級生の顔が次々と。
親しかった友達もだけど、対して親しくなかった人も。
何故か彼らの恰好は顔はそのままで、
服装だけがレトロなジャズエイジファッション。

ああ、そうか・・・
彼らとは同じフラッパー仲間だったんだな、と。

そういえば私は、
「華麗なるギャッツビー」が好きだった。
(ただし、レッドフォードのほうね)
フィッツジェラルドの自伝を読んだこともある。
「風と共に去りぬ」の作者、マーガレット・ミッチェルの
自伝を元にしたテレビドラマも見ているが、
あの時代の空気感は何となく嫌いではなかった。

そして、思い出したのだが、
小学生の時、同級生に出した年賀状に、
私は摩天楼のイラストを描いていた。

特にニューヨークに憧れていたわけではない。
好きな国、惹かれる国はイギリスで、
アメリカという国はどちらかというと嫌いな国だったりするし。
ミュージカルが好きだから、
ブロードウェイに行ってみたいと思ったことがあるくらいで。

ニューヨーク、マンハッタン、摩天楼、
エンパイアステートビル、禁酒法、
ジャズエイジ、フラッパー文化、ウォール街、世界恐慌、
紙くずになっていくお金、たくさんの投資家の自殺

色んなことが芋づる式というか数珠繋ぎになって、
なんかあーって感じだった。

奇しくも私の母校は経済大学附属高校で。
後に証券会社とか銀行に勤務した同級生も多い。
そして、バブルを経験している世代だ。

すべての人が、ということではないが、
あの第一次世界大戦後のバブルを経験したのち、
世界大恐慌を経験した当時アメリカ人だった一部の人々が、
日本のバブル時期に転生していて、
カルマのレッスンを学ぶことになった、
ということに合点がいった。

皆1960年代に転生しているということは、
男性に関しては、第二次世界大戦に従軍して、
それで亡くなって、日本人コース・・・かなあ?
女性に関してはさほど長生きしなかった人たちが転生組かと。


そういえば、あの世界恐慌があったから、
第一次大戦にて敗戦国だったドイツが復興し、
ナチスが台頭することになって、
第二次世界のきっかけを産んだんだよな・・・と。
改めて「映像の世紀」をyoutubeで見返して、ため息。

そういえば、仕事で「お金」「投資」の質問をされて
パニックになったクライアントさんの前世は、
そのウォール街の暴落で自殺した投資家さんだったなあ。

符号は知らず知らず、そんなとこに出ていたんだ。


高層ビル街(都内だけど)に月がかかってる夜景。
「うわ、これと似たような情景を見てたわ」と愕然とした。

そう、それはニューヨークはマンハッタンの摩天楼。
ちょうど高層ビルが建ち始めたあの頃、
あの街の風景を、ビルにかかる月を私は見てたんだ。

ちょうどトランプがまさかのアメリカ大統領になってしまって、
マジかよ、アメリカ! って思ってた時だった。
自分がほんの100年も経たない前、
そのまさかのアメリカ人だったとは想定外で。

とはいうものの、この人生で起きたことは、
ちょっと言いたくないので割愛します(笑)
ちなみに自分は女性でしたが。
まあ、たぶんドイツで札束が紙くずになったとき、
アメリカに渡ってきた成り上がりユダヤ人金融家が両親。
そこまでかな、今のトコこの人生について書けるのは。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


さて、本題。

グループレッスンで、生徒さんたちのほうにも、
お金にまつわるエトセトラ・・・というか、
与えたり与えられること、受け取ることを拒否している問題、
自分の才能やスキル、技能的価値を、
金銭に換えることに対して抵抗を感じている部分への
ヒーリングワークに取り組んでもらっているんだけど、
先日のレッスンではお休みの人がいた関係で、
奇数になることから、私も参加したわけです。
(この辺りのワークは一段落したらまとめてもらって、
もしかしたらこちらにも掲載するかもしれません)

最初、結構古い時代のドイツ人のおっさんだった時、
(これは他の人に指摘されたこともあるし既に思い出し済)
のを読んでくれて、

まあ、この時は傭兵つーか、時に雇われの兵士で、
その他肉体労働なんでも請負屋・・・みたいな、
男性だったこともあって、むさくて図体どでかく、
粗野で気性も荒い、腕っぷしの強いおっさんだったわけ。

当人的にはリーダーシップがあって面倒見がいいって、
思い込んでるけど、ぶっちゃけジャイアンなワンマン野郎。
勘違い野郎だから人望なんてないわけです。
この時のお金や仕事に対する考え方、
他人に対する態度が問題ありあり、だったわけですが・・・

いきなり、第一声が
「そんなはした金じゃオレは動かねぇぜ!」だったし。

(つまりは、
今生私を苦しめた毒父とかジャイ子姉みたいな性格。
自分が出来ることは他人も出来ると思い込んでるとことか。
ヤツラを引き寄せたのは昔の自分みたいだったからっっ
なんという自爆!
そして仕事に対する姿勢が祖父と同じなんだよなあ・・・
あと今の人生でもコイツみたいな体育会系なとこあるし、
スパルタだし、ワンマンなとこ、あるし、
リーダー的立場になってしまうと出てしまうらしく、
そのせいで嫌われたり、反感を買う立場になること多々。
このクマ親父エレメンタル、弊害以外の何者でもないですわ)

でも、このクマ親父。
こいつだけ何とかしても元を絶たないと、ダメですね。
と、相方になった生徒さんの言う。

で、これを何とかする以前に、いくつか色々あった人生を
早送りですっ飛ばし、そもそもの源、
お金のトラウマを抱え込むことになった、発端の人生に。


そこで出てきたのが、かのユダヤの地。
約2000年前、ジョシュア・エマニエルに出会った人生。

これはまあ、「知って」はいたけど、
誰にも言ったことはなかった。
猜疑心から、自分でも敢えて視ることを避けていた。

キリストと会ったことがあるよ、なんてのは
色々と叩かれたり、批判されるモトだから。
でも、まあ今はオバサンになって人生残り少ないから、
まぁ、いいかって思う。

けど、「会った」ことがあるってだけだ。
決して弟子であったわけではない。

私は当時まだ子供で、小学校の低学年位の女の子。
貧しい、何処にでもいる村の子供だった。

彼が「話」をしている時、好奇心で話を聞きに行ったり、
飽きたら石ころを蹴ったり、友達と遊びだす・・・
そんな子はたくさんいた。決して私だけだったわけでなく。

ジョシュアは人の良いおっさん、という感じだった。
父親くらいの年の人だもの。

たまにパンとか、デーツ(なつめやしを干したもの)を
くれたのは、マグダラのマリアさんだったように思う。
優しい綺麗な人だった。

子供達は、そういうのを目当てに、
たぶん集まってたんだろうと思う。
(食べ物くれるのはみんな良い人理論ww)

ヨハネは一番年が若く、一人だけ風貌が違ってた。
他の弟子たちはむさいおっさんばかりだったのに
ヨハネだけ、ギリシャっぽいっていうのかな、
色が白くて、かっこいいお兄ちゃんて感じだった。

そして彼らは子供たちが周囲で騒ぐのを良く思ってなくて、
いつも蹴散らされてたかな。

ジョシュアの母であるマリアさんもたぶんたまに
息子に逢いに来てたんだと思うけど、
ふつーのオバサンだった。特別綺麗な人ではなく。

そうだねぇ・・・
頭を撫でてもらったことくらいはあったかも知れない。
その程度。特別可愛がってもらったとか、はない。
でも、いつもにこにこと面白いこと言ってるなって人だった。

ちなみにダスカレ、もいた。
けど、彼は私よりほんの少し年上だし、
一緒に遊ぶグループではなかった。
村が違うっていうのかな・・・接点がさほどなくて、
顔を見知ってるって程度だったと思う。

たぶんそんな風に、あの人の周囲にはたくさんの人がいて、
そしていつも同じところにずっと居たというわけではないから、
たくさんの人たちがこの時、彼に会っていて、
転生した人生でも影響を引きずることになったのだろう。


でもって、その前、遥か昔、エジプトにて、
アテン神の信仰がアメン神の信仰に、
とって代わられようとしていた時、アテン神殿にて、
神官見習いのようなことをしていたわけなんだけども、
その時の先輩にダスカレ(プラトン、ダビィンチ、バッハ、
トルストイ、そしてダスカレとして生きたその人)がいた。
だけど、当時は向こうは上司というか、
立場が違い過ぎたので、話したことも関わりもないわけ。

その時に「真理の教え」というのを秘教として学んだから、
それを正すために降りてきた、ジョシュアが人として
顕現したときに、接触する人生を生きることになったのだろう。

残念ながら、その時の私は子供だったこともあり、
ハナシなんて聞ーちゃいない、
それよか配られるパンが目当てって、そんな体たらくだったけど。

ここまではね、自発的に何となく思い出してはいたんだ。
でも、この人生が、「お金」を嫌悪するようになった、
元の元、源たるルーツ、原因のあった人生とは思わなんだ。
全然結びつけてはいなかったんだよねぇ。

私にとって、ジョシュアは人のよいおっちゃん、だった。
子供たちに優しく、太陽みたいに明るくて、面白い人。
それだけ。

その人がある日突然、売られてしまった。
銀貨30枚、30デナリという金額で。

しかも、彼を師匠と仰ぎ、慕っていた、
スポンサーのごとく世話焼きだった弟子によって。

まだ子供だったから、大人の世界の事情はよく分からない。
だけど、だからこそ、ショックだった。

人は簡単に、人を裏切るのだ、と・・・
お金のために、恩人も売るのだ。
尊敬していると、
この人のためなら何でもすると言っていた口で、
犯罪者と引っ立てられたその瞬間に、
その人を否定し、見捨てるのだ。

弟子たちは蜘蛛の子を散らしたかのように去って行った。

街を引きづり回され、処刑された地に、
遺体を引き取りに来たものは、女性たちだけだった。

この出来事はものすごくショックで、
私に「お金」に対するマイナスイメージ、
否定的な印象、お金は汚い、という強い想いを
インプットした。

まさに「お金」は「裏切り」の象徴だった。

あの人の好いおっちゃんは
「僅か30デナリのために売られたんだ」

この出来事が始まりだった。


師匠のハナシを邪魔するなと、
子供である私たちを蹴散らし、
熱心に話に耳を傾けてた弟子たちは、
いざという時に彼を見捨て、
あっという間に彼との関係を否定して逃げた。

そんな奴らが、
彼の教えを理解しているなんて思わなかった。
だから、彼らの言葉として書かれている
「聖書」なんて信じられるわけはない。
彼らが創り上げたキリスト教なんて、大っ嫌いだった。

真っ先に逃げたクセに。彼を見殺しにしたクセに。
あの人の教えなんて、まったく実践してなかったクセに。


・・・

そんなこんなでユダのことも憎んだ。
ユダみたいな恩を仇で返す人、
逃げた弟子みたいな人、
キリストの弟子たちが大っ嫌いだったから。

みんな汚いっっ!!
大人なんて嫌い!
お金に汚い人なんて、だいっ嫌いっ!

子供であるがゆえに、
まだ純粋さの残る年頃であったが故に、
そう強く思ってしまったみたい。

ここまで解説されて、

「あ゛あ゛ー」って心当たりありすぎで、脱力感。


そういえば、そういう
部下に裏切られたり、弟子に裏切られるパターン。
その後の人生でも作ってたなー
お金のために売られるつーか、そういうの。
魔女狩りの時もそーだったし・・・遠い瞳。

して、今の人生でも、ちょうど8歳のとき、
父方の祖父が亡くなり、
遺産相続問題で親戚とあれやこれやあって、
「大人は醜い、お金にみんな汚い」って、ハイ。
その年の夏に近所の犬に噛まれて大怪我した時も、
治療費とか慰謝料のことで親があーだこーだやってて、
そん時も「お金の問題じゃないのに!」って激怒したし、
犬に噛まれた時も白昼商店街で人がたくさんいたのに、
誰も助けてくれなくて、ショックで口がきけなくなったり、
まあ、いろいろあったなー ちょうど同じ年の頃だー

2000年前に出来た、深く感情に落とし込まれた
お金に対する嫌悪感が核となって、
それが雪だるま式にどんどん膨らんでこじれて、かー

そして、あの人と同じ立場に立たされるようなパターン、
ユダ的、ダイバダッダのような人と関わる因縁パターン、
引き寄せの法則作ってたってかー

目一杯脱力感です。

ダメだ、こりゃ・・・早く何とかしないと。

って言っても、年季がね、入りすぎです。


はい。とりあえず 何とかします。


そうね。当時は子供だったから、
どうして裕福でお金に困ってなかったユダが、
彼を売ることになったのかなんて、理解できなかったもの。

今はそうねぇ・・・わかる、かな。
ていうか、判らないといけないのでしょうね。
私もそこは学習しないといけない。

そして、ヒゲのおっつぁんは、そういうこともすべて見越して、
これから起こることもすべて納得というか計算した上での、
あの人生を生きたのであろうから・・・

そこもね、ちゃんと納得しないとね。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ちなみに、私自身は歴史的に名を残すような
有名人だったことは一度もなくてー
だけど、そういう人と、ちょこっと掠る人生というのかな・・・
後に名を残すことになった人と会えたりは、お陰様で。

ジョシュア以外には、日本の飛鳥奈良時代ですけど、
行基さんとかにも会ったことはある(奈良の大仏建てた人)。
これも農民の子供で、怪我で右目が見えなくなったとき、
たまたま村に潅水工事のため来てたんだけど、
(行基さんは先頭になって働くような人だった)
「可哀想に」って、頭を撫でてくれて、
残った左目まで失うことはないようにって、
何かぶつぶつ唱えてくれたりなんかした。

本当にそれだけ。弟子とかになったりはない。

ちょっと会えましたー お姿見かけしましたー

その程度だね。


今の人生でも、
手塚治虫先生を間近で見たことあるとか(見ただけ)、
長嶋さんに無理くり話しかけたことがある・・・とか、
(アンチ巨人だが長嶋さんは野球ファンにとって別格)
そういうことってあるけど、マジその程度。

身内とか友達とか知り合いとかの類でないのがミソ。

つまりは通りすがりってヤツですねー 残念。


でも、同じ時代に生きて、会えたってだけでも、
そんなすごい人に会えてたってだけでも、
それだけでも、十分満足っていうか、嬉しいよね。
誇りに思うべきことなのかも知れない。








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