続きです
さて一番最初の話に戻ります
「人生は連続した時間である」というところ
そして人の一度の人生を一生の一年に例えるとしたら
一年という短い期間の中で
出来ることはさほど多くないという話
もちろん一年の内にスタートさせて
何かしらの結果を出したり完結させられることもあるけれど
(例えば今日これをしたいと思ったことをしたり
明日や目先の予定を消化するなど短期的な計画ならば)
それなりの時間や年月、準備期間などを要することも
人生には多々あるわけで
お金を貯めて何かすることや
とくに習得や鍛錬が必要な技能的なことならなおさら
だから
今の人生において才能を開花させている人は
たまたま才能に恵まれていたわけではなく
それまでに至る道程としてあまたの人生を生きてきた
その結果を享受しているだけなのです
また運に恵まれていると思われる人でも
まったく同様の理論で
自分の未来を邪魔するようなものを過去に創らず
他者に助けてもらえるような種を
過去の人生で蒔いてきたからなのですね
結果は良いものもあるし悪いものもある
すべて自分の行いの結果ではありますが
(引き寄せの法則とも言いますね)
結果っていつ出るのか、蒔いた種がいつ芽吹くのか
努力がいつ成就して開花するのか
これは本当に予測不可で分からないです
何故なら私たちは
自分たち一人だけで生きているわけでなく
運命共同体としての人類の一員
全体の一部の存在として生きているから
世の中や他の人の都合もあるといった感じでしょうか
個々の都合ではなく社会だったり
大きな流れ、全体としての運命のうねりの中では
時に個人の都合や予定は後回しになりがちですので
そして魂は何よりも
実体が霊的成長の道へと促され
カルマのレッスンを学び、乗り越えて
永遠不滅の身体を完成させることを何よりも望むので
そちら側へと誘導します
そうした兼ね合いもあってのことなので
そうですね
「連続した時間としての人生」に
「印刷機」の発明に執着した結果
400年後に印刷に携わる職業へと導かれた発明家(科学者)
の話を書きましたが
当方に過去いらしたクライアントさんの事例でも
今の旦那さんは600年ほど前の人生で片思いした人で
600年の時を超えて初恋成就って人もいました
600年…めちゃ長い
ですが
もちろんその間ずっと思ってたとか忘れられなかったとか
そんなんではないですね
なんてったって実体は記憶として覚えていないから
その間お互いに何度も生まれ変わって
別々の人生を生きて他の人と恋愛や結婚もしてるし
たまたま今回同じ職場で出会えて付き合うことが出来て
結婚に至ることが出来た
でも過去にご縁はあった人ではあるものの
(それが惹かれ合い親しみを覚えたきっかけと言えばそう)
現代の人生において趣味や共通点が少なく
考え方もライフスタイルもまったく異なっているので
ストレス溜められて苦労されてます
過去生でのご縁があった人=相性の良い人(波動の合う人)
というわけではありませんので
「縁」はあくまで「縁」にしか過ぎないのです
関係性を築いて信頼関係を創るのはその後ですし
ではネガティブなことの結果はどうか…というと
12世紀初頭に…約900年前ですね
(年月は大雑把な目安としてカウントしてます)
気まぐれな身分の高い女性として周囲を翻弄していた人が
今の人生でかつての自分とも言えるような人物に
振り回され気苦労が絶えない状況に陥っていたり…
なんてことがあったりします
これはかつての自分と対面(対峙)させられることで
当時自分が周囲に与えていた痛みを知って
客観的に自分に痛みを与えている
その人を見られるようになりなさい
他者との関係性を学ぶ時に
自らのその人に対する態度を省みなさい
という示唆があるんですけれど
何故900年後の今なのか? 遅すぎるのでは?
カルマのレッスンとして戻ってくるにも
時間かかりすぎ…と思いますよね
ケースファイルにも書かせて頂いた事例でも
1000年前に他者にかけてしまった呪いが
「人を呪わば穴三寸」となって
今さらに戻ってきたという人もいました
そうかと思えば
私の友人の友人のケースでは
今の人生で愛のない考え、発言をしたために
速攻ですぐそれが戻ってきたという人もいました
(結婚して引っ越しした新築マンションの一階テナントに
義手義足を作る工場が入居したことに不快感を覚えたなら
産まれた子が小児麻痺だったのです)
そんな風にこの人生で創ったカルマが
数年や数か月、あるいは数日で
この人生でスピーディに具現化することもあるのです
これはそうですね
色々な都合、理由があります
ケースバイケースなので
一口にこうだとは言い切れませんが
前述した個人の都合だけで
すべて(宇宙)のプログラムが組まれているわけではない
というのもありますし
色々な事が絡み合っての「今」だとも言えます
後は個々がカルマのレッスンを提示されたとき
そこから学べる人ばかりではないということです
カルマのレッスンはテストみたいなものなので
状況や出来事として提示されたときに
誰もが一発で合格点を取れるわけではないということです
下手したら何十回、何百回とテストを受けては
不合格ラインで未だクリアできず…な場合もあるでしょう
一発で皆、合格出来ていたならば
何百回も生まれ変わる必要はなく
すべての人が輪廻転生をとっくの昔に終了してるはず
カルマのレッスンは何度も何度も手を変え品を変え
あらゆる方向性からくるわけですが
その都度、不合格でクリアするどころか斜め前の対応で
新たな課題を生み出してしまう「こじらせ組」もいますし
とりあえず人によって違いがあるのは
個々の霊性の差であるとしかいいようがありません
「解脱~輪廻転生の終わりと霊的成長」にも書きましたが
その人が霊的進化の過程において
どれほどの霊的成長を遂げているか否か
ようするに第4の身体がどこまで成長しているのか
…によるところが大きいということです
霊性の状態によって
結果が反映されるスピードが異なるという話なのです
(エレメンタルが現実社会たる三次元に具現化されること
流行りの言い方だと引き寄せの法則が実現することですね
カルマのレッスンがブーメラン的に戻ってくるスピードも
望んだことが実現されるまでのスピードもどちらも全部)
でもそればかりでなく
カルマのレッスンでは何度目の再テスト(追試)なのか
というのが一番大きいです
「仏の顔も3度まで」を過ぎると
段々と厳しくなって、どんどん荒療治になっていきます
そう3回というのが目安ですね
今の人生でも同じ学びのシュチエーション
似たようなパターンの問題と対峙させられることが
最低でも3回はあるんです
3回目で乗り越えらなかったら来世に持ち越し
ですから理由や原因がわかっている今のうちに
「覚えて」いる間にいかに取り組むか、ですね
なので目の前の問題から逃げてはダメです
類似のパターンが2度起こったら
それはカルマのレッスンで
3度目のチャレンジを逃したら後がないと思ってください
そしてここで終わると思ったらあともう一回位…ですかね
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