夢と言っても
結局はサイキカル界での出来事になりますが
またまたあまりにも放置して
さほど重要視していないというか
無頓着で不注意であることの警告を受け取ることに
本題の前に
過去記事にも書いたことがありますが
私は今は「視えない人」です
この場合の視えないというのは
普通に肉眼を開けているそのままの状態で
他の三次元の物質と一緒に
それらを視ることは出来ないという意味です
但し、子供の頃から23歳の時までは視える人でした
生きている人と同じようにそこにいるように
目の前にあるかのようにそれらを視ることも出来ました
毎日いつでもどこでも視ていたわけではありませんが
視えない誰かと話すことはしていましたし
色んな映像をしょっちゅうキャッチしていました
でもそのような状態ですと日常に支障もありましたし
何しろ怖がりでしたので苦痛でした
慣れることではないです
誰にも理解してもらえませんし
周囲からは頭のおかしなヘンな人としか思われないし
それがどういうことなのか
自分の身に何が起きているのかもわからないし
どうにも八方塞がりでした
だから「視えなく」なったときにはホッとして
これで普通の人になれる、普通の生活が送れる
もう気持ち悪いものも恐ろしいものも視なくて済むと
心から安堵したものでした
その後、占いの仕事はともかくとして
今の仕事をする流れになったとき
当時の自分のそうした特性があれば便利だった
なんて思ってしまったもので
まあ都合の良い考え方ですね
この仕事をするようになってから
目を開けた状態でそれらも同時に視ることも
まったくないわけではなかったけれど
そういうのはとても稀で
基本的には頭の中に直接映像が視えてる
そんな状態で視ています
でもそれは仕事中だけです
ふだんは何かを視たりとかないです
仕事が仕事というか
こういう電波系の仕事をしていますけれど
プライベートな日常では
何でもかんでも「視えない存在」とか「霊的な原因」
に結び付けて考えることを徹底的に避けていたりします
極めて現実的な考え方、対処法を取るようにしていて
具合が悪ければ医学的な見解を優先し
薬剤や健康法などで対処するなど
極めて現実的に考えるようにしています
これが仕事でお客さんに対してだと違うんですけども
それでもやっぱり最初は当たり前の原因
現実的な原因から物事を見て精査しようとしますね
消去法でどうしてもそれかなって時だけ
霊的な原因に行き着く
これはもう最後の最後の手段みたいな
とくに自分のことはそうです
さて 私は4年前に右目を手術しました
網膜剥離と白内障の同時手術です
過去に交通事故に2度あっていたり
免疫不全で炎症体質なこともあって
そのような症状を患ってしまうのも
仕方ないといえばそうです
PCを使用するようになってから
視力が極端に落ちて眼鏡が必要になったので
それも原因のひとつとして大きかったと思いますし
でも、それだけではなくて
失明するかも知れないという事態に追い込まれたのは
何よりも私が
「目に見える形あるものばかりに囚われて
目に見えない世界から目を背けている」
ことに対しての警告でもあったんですね
「肉眼で見えるものばかりにこだわるなら
ならばその視力が無くなったならどうする?」
とばかりに
右目がそのような状況になってしまうということで
派遣の仕事は不可能な状況になってしまいました
「さあ、どうする?」みたいに追い込まれました
何となく言われていることに
気づいてはいたけど気づかないようにしていました
その前には顔が炎症を起こして爛れるという
仕事が出来なくなる状態がありました
これはみんなカルマのレッスンとしての警告
今はまあ失明こそしませんでしたけど
右目は不自由なままです
左目の白内障はそのままですし
視野欠損とか狭窄というのかな
とてもヘンな見え方をしているけど
これに慣れたというところで
未だ日常生活で困ることもたくさんあるけど
外出も出来ますし、こうしてPCも打ててますから
(ブラインドタッチできるからヨカッタ)
おかしなものです
視えないものが視えることから逃げてて
視えない世界から目を背けていたなら
視える世界を視る目を奪われそうになった…なんて
でも視えないものが
また急に視えるようになったわけでもないです
心の眼も仕事以外では使用していません
すると夢が知らせてくれるのです
こんな想念(エレメンタル)が送られてきているよと
あなたの周囲にこのような人がいるよ(危険!)
とばかりに
ああそうかー とそこで知ることになる
相変わらず視てないままなんだな、自分はと
今朝、夢が知らせてくれたことの事実の前に
ちょっと脱力しています
夢を見ている間は
結構具体的な情報が入ってくるんですよ
起きている時に入る情報よりも
納得できる証拠を提示させられるから
あくまで私の場合ですが
でもね
始終そういった感覚のまま
アンテナを立てたままでいると
挙動不審といいますか
頭のいかれた不思議BBAになってしまう
いやもともとというか既にそうか
難しいですね
良識的な人間でいるのと
そのような感覚を常にある活動させている
オンとオフの切り替えというのは
入れっぱなしもダメですし切りっぱなしもダメで
セコムだけ入れておくってそういうことなんでしょうけど
色々と反省中です
まあではまた「視れる」ようになる
トレーニングでもすれば便利なのかも知れないのですが
弊害も多いかなーいや恐れがあるのかもしれませんね
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