2019/09/29

最悪なときに見えてくるもの



9/9の台風15号襲来から約3週間経って
千葉の停電断水もだいぶ復旧して
メディアで報道されることも減り
農作物や海産物の被害は
なかったことにはならないし
家屋の修復もまだまだ追いついていないわけですが
それでもだいぶ現地は落ち着いてきたのだと思います

ちなみに半壊した実家の見積もりで
業者さん来るのは来月17日だとか

私自身は帰省してもいないし
ボランティアに参加もしていず
ただSNSで情報転載したり
パニック状態になった母の愚痴を
延々と聞くことしかしていないわけです

でも
こういう時だからこそ
しっかり働いてお金稼がないといけない
仕事をしないといけないなと痛感しました
実際的に家の修復にはお金が掛かりますし
被害に関しては
保険で賄えないマイナスも予測されたからです



ホントに自然災害は仕方ないです
こればかりは
地球に住んでいる以上は
想定外の天災というのも覚悟しないといけません

過去の歴史でも
人類はそれをたくさん経験してきたわけです

例えば
ベスビオス火山の爆発により
一晩で消滅したポンペイの悲劇とか
地震とか津波とか山崩れとか地滑りとか
川の氾濫とかつむじ風とかハリケーンとか

人災はヒューマンエラーで
防ぎようが出来たことかも知れないという
人類の過信とか油断とかが原因な出来事ですが
自然災害は予測しようがあったとしても
そこに住むからにはこういうことも起こりうるとして
自衛して各自が備えないことには…
なことかも知れません


そして千葉の台風被害のことが
あまりニュースでは報じられなくなったと書きましたが
そうやって次から次へと(後から後へ)
様々な出来事が世の中では日々起こっていて
新しいニュースが報じられて
時間とともに少し前の話題は埋もれてしまい
かき消えていくものなのですよね

中には人々の記憶から早く
忘れられたほうがいい話題もあるでしょうが

忘れられたくないニュースの当事者たちにとっては
あっという間に次の話題に世間の関心が移ってしまい
その出来事が語られなくなって
人々の関心が薄れてしまう事実を目の前にして
自分たちの存在をも世間から忘れられてしまうような
虚無感と何とも言えない見捨てられた感覚を
味わっている人もいるのですよね

置き去りにされたような
時間の砂の中に囚われて埋没していく感覚

被害者や被害者遺族たち

そっとしておいて欲しいと忘れて欲しいと
そう望む人たちももちろん多いわけですが
そうではない人たちもいます

とくに未だ理不尽さとの
戦いの中にいる人たちにとっては

世間に忘れられていく
報道されなくなっていく
風化してしまうこと自体が
虚無のようなものと聞いたことがあります

もちろんその逆で
報道されることになって
せっかく落ち着いてきた心と生活をかき乱され
古傷をえぐられ興味本位に弄ばれる
セカンドレイプ的な屈辱を味わう人も
また少なくないのです



さて
「経験から学ぶこと」
の記事の中でも書きましたが
今回わたし個人としても
様々なことを学ぶ機会になりました


サロンの方で提供しているセッションの中で
クライアントさんの
無意識下に沈んでいるトラウマや
PTSDの源になっている原初体験とか
過去生での死によって負った"それら"

そういうのを第三者的な視点で体感したり
知る機会もこれまで多くありましたが

なるほどあれはこういうものだったんだなと
今更ながら今回のことで気づくこともありました

人類の歴史を考えたときに
自然災害とか疫病の流行とか
そういうもので亡くなっていない人は
はっきりいっていないといってもいいので
(傷にはなっていない人や影響のない人
 経験を昇華して引きずっていない人もいますが)


本当に人というのは知識をもとに想像するだけでは
何も知りえることはないに等しく
経験から知りえることに勝ることは
何もないのだとも思いましたし
自分がその立場に立たされて初めて
その視点からしか
知り得ないこと見えないこと感じられないことは
たくさんあって

こうした経験は本当に貴重だと痛感しました

とくに人の心の 
感情のことに関してはそうです




さてさて
ソーシャルではなくあくまでプライベートで
FBをやっていまして そこで

家の屋根無くなっちゃいました
半壊です 水浸しです 被災しました

と自虐的に書き込みしていたわけです
(ビックリしたし)

そんなこんな知りうる千葉の情報を
つらつらと転載したり書いていたのですが

こうした書き込みをしている最中に

たまたま瞑想する場所で知り合って
友達として繋がっている他県在住の
不動産屋さんから
その人が新しく作ったページの
「イイネ リクエスト」が届いたわけです

しかも
「家の利用方法がなんたらかんたら」
的なもの

家が半壊しました~
って書き込んで投稿した後に
「イイネ!のリクエストが届いています」って
その文字を見て
一瞬気分が悪くなったんですね

「家が壊れて身内友人知人被災していると
 嘆いている人にそりゃないぜセニョール…」
みたいな脱力感

普通に投稿だったなら
気にも留めなかったでしょう
この日ではなくて別の日だったなら
まだ違っていたでしよう

まあ私の事情になんて興味ないんでしょうし
実際そこまでの付き合いではない
表面的な単なるSNSの繋がりだし
他人の書き込みや動向は読んでないか
無関心な人なんだろーで済ませられるようなこと
無神経な人だなあとスルーすればいいだけのこと

悪気があってしたことではないのはわかっていますし


けれど会社として
会社の看板背負った身で
たくさんの人に出しているという

その人は千葉の房総の方の某施設に
合宿なんかも参加していたりして
するってーとそこで知り合った人とか
千葉の房総の人たちとも
FBで繋がっている可能性がある
(繋がってないかも知れませんが)

現実には停電で
ほとんどの人がネットに繋げなかったから
FB繋がりの人も房総半島の人たちは
その人の「イイネ!」リクエストを見てないでしょう
でも繋がった後に見た人は
家が倒壊や半壊していたりなんかした日には
災害に遭って難儀している当日に
家関係のことで「イイネ!」リクエストが
送られていたこと知って
気分悪くする人も中にはいるかも知れない

ちょっとそこで考えた


考えて
そして

悪役のイヤなオバサンがむくむくと顔を出して

敢えて
「皆さんイイネありがとうございます」との
書き込みにレスをつけてみたのです


「家が被災して損壊したと書き込みしているのに
イイネリクエスト届いて これ見たとき
殺意が湧きましたよwww 千葉の台風のニュース
いちおう全国ニュースで流れてますし
タイミングと相手の居住地とか考えて送ってくださいまし」
と…

はい 

友達外されました

もちろんサクッと削除 
返信とか何もなしです


何かというと
「今生で悟りを開くのだ」が口ぐせの人で
そのような道場に全国あちこち行くのが
趣味のような人で
悟った人に会いたい阿闍梨様生き仏に会ってみたい
とそればっかりおっしゃられていましたが



ここで私が書いたコメントに
そんなことになっている人に
送ってしまっていたとは!みたいな
謝罪的反応やお見舞いのコメントのひとつでも
書ける人だったら
後からネット繋がってから見た人の方も
千葉の台風被害は当日直後は
あんまし大きく報道されてなかったし
知らなかったんだなー
と思ってくれたかも知れない

けれどこの方は
自分に対して噛みついてきた私が
よっぽと不愉快だったのでしょう

ものすごい怒りの念が来ていましたよw
(修業はしているからそういう念だけは強い)

残念ながら
瞑想とか精神的修業ヲタなのにも関わらず
他人を思いやる心がまだ育ってない人なのですね

私の毒のある突っ込みに対して
(いちおうお茶らけた書き方したけど)
人としての情と優しさのある対応を示すことが出来たなら
悟りの道もさほど遠くはなかったでしょう

この人は人としての情や優しさや
基本的な人間性を養って育てていかないことには
後1000年修業しても悟れないのです

そして目の前に阿闍梨様や悟っている人がいても
この人は気付かないし見えていないし
その縁に辿り着くことも出来ないでしょう
一番逢いたい人に逢えることはないでしょう

瞑想を何年しても
精神的修養(修業)いくらしても
一日何時間もそれらを行ったとしても
人としての優しさがなければ
それらは無意味なのです

きっとこれからも
自分に都合の悪いことには耳を塞ぎ目を瞑り
自分が見たいものしか見ない
聞きたいことしか聞かない人生を
ご自身のポリシーのもとに生きていくのでしょう
目の前にある成長のチャンスや
気づきのメッセージなどをたくさん見逃して
人の細かい情など気づかずに通り過ぎ
霊的修業の本質を理解せずに
カタチだけのソレを続けていかれるのかも知れない

そして顧客や他人の心など考え無しに
愛や道徳のないお商売をされていくのでしょう

でもこの状態のこういう人と出会ったということは
私にとって反面教師なのであろうなと思うのです
この人は昔の私かも知れない

私もこの人みたいに「空きメクラ」な状態にいて
何かを見落としているのかも知れない

たぶん知り合ってFBで繋がった時点で
私はその人と同レベルのところにいたわけです
その人のいる位置というのは
今の私は通り過ぎたかも知れないけど
かつていた場所なわけです

それ学ぶために会ったのでしょう
そして縁が切れたということは
もう学ぶものが無くなったからでしょう


改めて
「他人のキズや心に寄り添う姿勢」の大切さ
例えば自分が自分の書き込みや行いに大して
傷つけられたと不満やクレームを受けたときに
公人としてどのようにふるまうべきか
どのような言葉で対応すべきかなど
そういったことも反省させられましたし

人生無駄なことはないのだなと


そうですねー
今回のことで「お見舞い」の言葉をくれた人もいましたが
ほとんどの人にとっては他人事なんですよね
私がファンで定期的に見ているyoutuberの人への
コメントの中に「家半壊しちゃいまんねん」と書いたら
見ず知らずの人たちがたくさん声掛けてくれました
しかも100人位
そういう言葉にものすごく慰められましたね


こういう時に
色々と理解出来たり見えてくるものがあるわけです
そういう意味でも有意義で必要な経験でした

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