2019/11/29
無関心〜愛の反意語
先日読んだ話の中で
満州からの引揚者と説明したことに対して
相手が日本人であるのにも関わらず
「なんやソレ?」と失笑されてしまい
意味が通じなくて困ったというものがありました
え? 何で知らないの??
てかー 日本人なのにどうして歴史知らないの?
学校で歴史習わなかったの??
ともついつい思ってしまうが
戦争を知らない世代にとっては
知らないのが当たり前なのでしょうね
それだけ私も年を取ったということで
リアルにその言葉に接していて意味が通じるのは
私の世代の一回り下の世代(40代)位までなのでしょうか
もしかして中国残留孤児とか赤線とか
そういう用語も通じないのかな
白い粉というと最近はアレになっちゃうけど
私たちの時代はDDT散布のことだったし
若い世代が知らないのは仕方がない
けれど私と同世代の人が知らないのは
教養がないのを通り越して
無知で世間知らずになるかな
今までどうやって生きてきたの?
とお尋ねしたくもなります
自分の国のこと 歴史のこと
学校で勉強していて習う以前に
普通に報道されているニュースや
新聞やネットにあふれている情報を見ていたら
知っていて当然のことってあるから
まして自分がリアルに生きていた時代のことだし
報道されていることって
メディアが捏造しての印象操作や情報操作もあるし
報道しない自由とやらの行使で
それらのすべてが正しいわけではないけれど
それでもすべてが嘘というものではないので
まずまずの出来事の輪郭をつかむことはできる
ネットの時代になってから
ますます情報過多で嘘偽りも多くなったけど
それでもメディアを介さない
真実の情報も増えてきたかな
見抜く目はいつだって必要です
そしてつくづく日本は自由で
思ったことを発言できる平和な国なんだと思う
情報をゲットすることにだって
基本的に制限はない
上つ方たちは確かにずる賢っこい
地位や権力をお持ちで頭の良い方たちは
いつだって利権や利殖のために一生懸命で
確かに私たちは随分と搾取されているし
政治にも経済にも外交にも
あらゆる面において闇の部分はあって
泣かされている人や
理不尽さもある世ではあるけれど
そうした面に触れないで
一生を生きることも出来る人が
大多数であるというのがこの日本という国
さて
年に一回程度
帰国するたびに立ち寄って下さる
香港在住のクライアントさんがいます
(旦那さんが先祖代々から香港の方)
知っての通り 香港は今は混乱状態
とはいうものの
香港が混迷していて
かなり緊迫している状態なことは
日本ではほとんど報道されず
外務省の海外安全HPにも渡航危険情報の記載無
現地在住の彼女が言うには
レベル2にしてもいいくらいだとのこと
本土に比べれば香港はまだマシなのだけど
中国がどれほどヤバイ国かってのを
日本人は知らなさすぎる
(日本に来る中国人のマナーがなってないとか
そういうヤバさの話ではなく)
今回の報道 香港のデモの話を
日本のひと昔前の学生運動とか
国会の前でよくやってるようなデモ活動と
同じに(軽く)捉えている人多すぎですし
出張で香港に行きデモ隊をビデオで
撮影していた人が殴られていたけど
それは本当に当たり前で
危機管理能力がない以前に無知過ぎる
そして今もyoutubeやSNSなどに
香港で撮影したビデオや写真を
お気楽にUPしている人がいるけど
それをすることで
自分がどれほど多くの人の命を
危険な目にさらしているのか
日本人はその意味を知らないどころか
まったく気付いてもいない
写真やビデオに写った人が翌日以降
死体となって川に浮いている…ってことに
(国民は閲覧制限あるけど政府はチェックしてる)
だからそんな無神経なことが出来るんでしょう
香港と中国で写真やビデオを撮る時には
現地の人が映らないように配慮しないといけない
インタビューなんかもとんでもない
観光地でショップの人とのやり取りとか
相手に撮影をOKもらってなら別
とくに今の香港で
不用意に現地の人が映る形で
写真とか動画とか撮ってはいけないです
そのあたりの危険性とか
知らない日本人が多いことに驚きます
一言でいうなら
中国ってそういう国なんですよ
中国政府のしていることを考えたら
韓国の反日政策なんてカワイイものです
韓国のアレは確かに国柄や民族性もあるけど
韓国政府に不満が向くのを避けるために
日本を国民共通の敵(スケープゴート)にして
あーだこーだやってるだけだから
親日の韓国人の人たちも
日本びいきや売国奴と叩かれることはあっても
殺されることはありません
今の中国は他国資本の会社も進出していて
一見して国際的でオープンに見えるけれど
実際のところはそうじゃない
どうして世界的に著名な香港の大スターが
政府に忖度して傀儡のように媚び諂い
他国を批判し中国を擁護することを言うのか
それは自分だけでなくて
一族郎党の命がかかっているからです
自分だけの問題ではないからです
それだけで済む問題ではないからです
チベットやウィグルの人たちが
どんな目に遭っているのか
日本人は知らなさすぎです
毎年どれほどの人が無実の罪で刑務所に入らされ
拷問され殺されているのか
どれほどの行方不明者がいるのか
そして人身売買や臓器売買が資金源となっていること等
日本人は知らなさすぎです
香港の人たちの抵抗運動は
そうした恐怖政治に
飲み込まれることへの抵抗運動なのです
本土とは違って僅かに残っている自由への
渇望であり遵守行動なんです
日本人で拘束された人のニュースは流れるけど
ほとんどが無実の罪で罠に嵌められた人たちです
日本政府は何も出来ないし助けることもしない
外交というのは駆け引きですから
今回も香港で今起きている出来事のこと
香港や台湾の歴史のこと
香港人と本土(大陸人)との関係性のこと
結構知らない人は多いなって話してて思いました
香港はそのいきさつが植民地支配という
不幸な歴史が背景にあったとは言え
イギリスに統治されたままであるべきでした
とりあえず
香港に行くことがあったら
撮影は気を付けること
SNSにアップするときは
自分以外の人はモザイクを入れるかUPしない
そして不用意に北京語を話さないこと
話すなら広東語か英語を
北京語を話す人は香港の人からしたら敵ですので
(ニーハオとか絶対に言わない)
もしくは日本人だとわかってもらうために
日本語を話したほうがいいです
香港の人たちは親日ですから
そして本土のスパイの人たちにはご用心を
日本ではネットに関しても情報規制がなく
書籍もあらゆる方向から入手することも出来て
色々なことを調べようと思えば出来るのに
無関心であるのか
世界情勢のこととか隣国や近隣諸国のこととか
知らない人があまりにも多いなって思います
それだけ日本が平和だってことなんでしょう
知らないで済むという証拠なんでしょうが
その私たちの無知で不用意な行動で
現地の人たちを危険に晒している行動があるって
ことなどについてはもう少し自覚して欲しいです
あと
日本だから大丈夫なんですけど
駅や町中などで無防備な人多いなって痛感します
バッグのチャックをあけたまま
中身が見えるかたちで後ろに向けて
エスカレーター乗ってたりして
財布とかスマホとか
「盗んでいいよ」って状態でいる人
実に多いなんてものではなく
(海外に行ったら絶対にカモられますわな)
来年のオリンピックに向けて
外国人観光客もそうでない人も増えるわけですが
もちょっと危機管理能力を持とうよって思います
2019/11/15
天命を生きなば望みは遠のく
フェイクありの話です
久しぶりにケースファイルに沿った話をば
モデルケースとしてのクライアントの話
そのクライアントさんはいつもいらっしゃると
何について悩んでいるのか
何を解決したいと思っているのか
何処に不安があるのか
どんな未来を望んでいるのか
という話をするよりも
職場の状況説明や愚痴
政情や世相的なことについての世間話
過去の思い出話
とりとめのない趣味や日常の話
そのような話を延々とされる方でした
話したくて話したくてしょうがないというか
とにかく口が止まらないのです
施療をしたくてベッドに誘導しても
セラピーをしようとしても話を続けるし
制止してもなかなかということも多々
友達がいない人ではないし
精神的に大きな問題を抱えている人でもない
氣が上にあがりやすく
リラックス状態に移行できない人と言えばそう
社会生活も普通に出来ていますので
単純に言って
私のような職業の人間にしか話せないことを
話したいっていうところも見え隠れしており
サロンに来て話したいことを話して
本人の気持ちがすっきりするのであれば
それもカウンセリングの一つの形なので
それはそれでいいのです
でもそれだけを目的として
通って下さっているというわけではなく
その方からして叶えたい願望はあるし
変えたい現実も抱えていらっしゃるわけです
それを知っているから
そちらに誘導しようとするわけですけれども
肝心の本人がその邪魔をなさる
無意識の抵抗というか妨害なんですけども
例えば
方違えよろしく(気学でいうところのお水取り)
旅行に行くのならこの国がいいですよ
と薦めてみても
なんだかんだでもでもだってで他の国がいいといい
しかもこの時期と言った時には行かず
最初にこちらがお薦めした場所に
行くことにしたとはいうものの
旅行に行くことにしたのは結局一年後だったり
(そんなに時期がずれてはそこに行く意味はナッシング)
ダメだこりゃって感じです
そんな風に自分の問題を解決して
望む未来を創造することに対して
はたから見ても
「真摯」に取り組んでいるとは言えず
ご自分に対して誰よりも本人自身が
「非協力的」なんですね
だからこの
どうして自分が幸せになることに対して
(その努力に対して)
誰でもない自分自身が非協力的で否定的で
道を閉ざして壊そうとするのか
そこの問題を何とかしないといけない
わけなんですけれども
その核心にフォーカスして
アプローチしようとしても
はぐらかす方向に行ってしまう
こういう方が一番手強いと言えばそうです
汝の敵は汝なり
自分の人生の邪魔をしているのは自分
というのは結構多く
よくあるケースと言えばそうです
とはいうものの
この方の場合 それだけではなかったりします
この方自身が望む人生が生きられないのは
この方がご自分が果たす役割
天命を生きようとなさらないから
というのが一番大きいのです
この方は現在
外〇関係の仕事をしています
その職に就くのが天命だったということはなく
今の仕事に辿り着いたのは
それはそれで意味のあることだったというところで
類似の目的を遂げられる職場であれば
別に現職でなくてもよかったというだけのことです
それがどんな内容の仕事であったとしても
その仕事における立場と自分が出来る役割
それらを自覚し 真摯に向き合って
その仕事を通して他者のために頑張れれば
そこに意義を見いだせれば…
という感じでしょうか
(ものすごく簡単にまとめてしまうと)
なぜかというと
そこに当人のカルマのレッスンがあるからです
過去生において
その人は何度かその生まれついた国にあって
政治とか権力や経済を動かす立場などに
置かれた人生を送ったことがありました
かといって今の人生ではそこまでの地位はなく
事務職と言えば事務職です
大きな決定権など持たない
単なる一介のアシスタント的ポジション
でも力を持っているとか持っていないとか
そんなことは関係ないのです
一言で言うならば仕事に対する意識の問題で
自分には権限はなく単なるスタッフで
何も出来る立場にはないから
とお給料もらうための仕事と流すのではなく
どんな気持ちと意志を持って
その仕事に取り組むか…
それがその人にとっては大切なことなのです
自分がいるポジションから見えるものを見て
国と国との友好的な関係を築くために
貢献している仕事であるという意識を持つことや
自分の中の差別意識を変えて
視野を広く持ち問題意識を養っていくこと
そうした学びが必要で
そこに当人が気付いて行きつかないと
ご褒美はもらえない
ようするに「成長」してないなー
まったく気づくべきことに気付かないなあ
ならば
「まだまだ、おあずけしますよ」
という魂の判断
何故なら過去に大きな過ちを犯して
様々な人々を不幸にしてしまっているから
出来ることがあったのにも関わらず
それをしないで見逃してしまったという
大いなるツケを抱えているから
自らを「妨害」する意識の出どころは
本人のあまのじゃくさもあるけれど
真正面から自分の問題と向き合うことの
「恐怖」とエゴイズムがあるから
この方の場合
過去生で不幸にしてしまった大勢の国民たちの
恨みとか呪いとかそういうのでもないのです
魂はいつだって
その人が成長することを望んでいるのです
仕事の立場を通して学べる環境にいながらも
いつも目を背けて
世俗的な満足や幸福を追っかけているから
逆にいつまでたっても
その世俗的な幸福は遠のくばかりだったり
私の方で
人道的な活動へと目を向けることに誘導しても
「自分はどうして生まれてきたのか
生まれてきた目的について考えない?」と
考える方向にもっていこうとしても
ヒントをたくさん出しても
当人が拒否する以上はもうどうしようもないのです
ちなみに本人が一番「イヤだ」と拒否するもの
苦手だと忌避するものの中に
やらなくてはいけないことがあったり
天命が隠れていたり
本人にとって一番必要なものだったり
欲しいと望んでいる「お宝」が隠れていたりします
そんな風に幸運の玉手箱たる幸福のありか
あなたも自らの手で遠ざけてしまっていませんか?
カルマのレッスンから逃げている限り
やらなくてはいけないことから逃げている限り
一番欲しいものは手に入らないのです
久しぶりにケースファイルに沿った話をば
モデルケースとしてのクライアントの話
そのクライアントさんはいつもいらっしゃると
何について悩んでいるのか
何を解決したいと思っているのか
何処に不安があるのか
どんな未来を望んでいるのか
という話をするよりも
職場の状況説明や愚痴
政情や世相的なことについての世間話
過去の思い出話
とりとめのない趣味や日常の話
そのような話を延々とされる方でした
話したくて話したくてしょうがないというか
とにかく口が止まらないのです
施療をしたくてベッドに誘導しても
セラピーをしようとしても話を続けるし
制止してもなかなかということも多々
友達がいない人ではないし
精神的に大きな問題を抱えている人でもない
氣が上にあがりやすく
リラックス状態に移行できない人と言えばそう
社会生活も普通に出来ていますので
単純に言って
私のような職業の人間にしか話せないことを
話したいっていうところも見え隠れしており
サロンに来て話したいことを話して
本人の気持ちがすっきりするのであれば
それもカウンセリングの一つの形なので
それはそれでいいのです
でもそれだけを目的として
通って下さっているというわけではなく
その方からして叶えたい願望はあるし
変えたい現実も抱えていらっしゃるわけです
それを知っているから
そちらに誘導しようとするわけですけれども
肝心の本人がその邪魔をなさる
無意識の抵抗というか妨害なんですけども
例えば
方違えよろしく(気学でいうところのお水取り)
旅行に行くのならこの国がいいですよ
と薦めてみても
なんだかんだでもでもだってで他の国がいいといい
しかもこの時期と言った時には行かず
最初にこちらがお薦めした場所に
行くことにしたとはいうものの
旅行に行くことにしたのは結局一年後だったり
(そんなに時期がずれてはそこに行く意味はナッシング)
ダメだこりゃって感じです
そんな風に自分の問題を解決して
望む未来を創造することに対して
はたから見ても
「真摯」に取り組んでいるとは言えず
ご自分に対して誰よりも本人自身が
「非協力的」なんですね
だからこの
どうして自分が幸せになることに対して
(その努力に対して)
誰でもない自分自身が非協力的で否定的で
道を閉ざして壊そうとするのか
そこの問題を何とかしないといけない
わけなんですけれども
その核心にフォーカスして
アプローチしようとしても
はぐらかす方向に行ってしまう
こういう方が一番手強いと言えばそうです
汝の敵は汝なり
自分の人生の邪魔をしているのは自分
というのは結構多く
よくあるケースと言えばそうです
とはいうものの
この方の場合 それだけではなかったりします
この方自身が望む人生が生きられないのは
この方がご自分が果たす役割
天命を生きようとなさらないから
というのが一番大きいのです
この方は現在
外〇関係の仕事をしています
その職に就くのが天命だったということはなく
今の仕事に辿り着いたのは
それはそれで意味のあることだったというところで
類似の目的を遂げられる職場であれば
別に現職でなくてもよかったというだけのことです
それがどんな内容の仕事であったとしても
その仕事における立場と自分が出来る役割
それらを自覚し 真摯に向き合って
その仕事を通して他者のために頑張れれば
そこに意義を見いだせれば…
という感じでしょうか
(ものすごく簡単にまとめてしまうと)
なぜかというと
そこに当人のカルマのレッスンがあるからです
過去生において
その人は何度かその生まれついた国にあって
政治とか権力や経済を動かす立場などに
置かれた人生を送ったことがありました
かといって今の人生ではそこまでの地位はなく
事務職と言えば事務職です
大きな決定権など持たない
単なる一介のアシスタント的ポジション
でも力を持っているとか持っていないとか
そんなことは関係ないのです
一言で言うならば仕事に対する意識の問題で
自分には権限はなく単なるスタッフで
何も出来る立場にはないから
とお給料もらうための仕事と流すのではなく
どんな気持ちと意志を持って
その仕事に取り組むか…
それがその人にとっては大切なことなのです
自分がいるポジションから見えるものを見て
国と国との友好的な関係を築くために
貢献している仕事であるという意識を持つことや
自分の中の差別意識を変えて
視野を広く持ち問題意識を養っていくこと
そうした学びが必要で
そこに当人が気付いて行きつかないと
ご褒美はもらえない
ようするに「成長」してないなー
まったく気づくべきことに気付かないなあ
ならば
「まだまだ、おあずけしますよ」
という魂の判断
何故なら過去に大きな過ちを犯して
様々な人々を不幸にしてしまっているから
出来ることがあったのにも関わらず
それをしないで見逃してしまったという
大いなるツケを抱えているから
自らを「妨害」する意識の出どころは
本人のあまのじゃくさもあるけれど
真正面から自分の問題と向き合うことの
「恐怖」とエゴイズムがあるから
この方の場合
過去生で不幸にしてしまった大勢の国民たちの
恨みとか呪いとかそういうのでもないのです
魂はいつだって
その人が成長することを望んでいるのです
仕事の立場を通して学べる環境にいながらも
いつも目を背けて
世俗的な満足や幸福を追っかけているから
逆にいつまでたっても
その世俗的な幸福は遠のくばかりだったり
私の方で
人道的な活動へと目を向けることに誘導しても
「自分はどうして生まれてきたのか
生まれてきた目的について考えない?」と
考える方向にもっていこうとしても
ヒントをたくさん出しても
当人が拒否する以上はもうどうしようもないのです
ちなみに本人が一番「イヤだ」と拒否するもの
苦手だと忌避するものの中に
やらなくてはいけないことがあったり
天命が隠れていたり
本人にとって一番必要なものだったり
欲しいと望んでいる「お宝」が隠れていたりします
そんな風に幸運の玉手箱たる幸福のありか
あなたも自らの手で遠ざけてしまっていませんか?
カルマのレッスンから逃げている限り
やらなくてはいけないことから逃げている限り
一番欲しいものは手に入らないのです
2019/11/10
岐路亡羊
三年前に
右目の網膜剥離と白内障の同時手術を行い
左目の白内障は手術せず
現在はドライアイの治療中
見えてはいるけど視野は狭く遠近感取れず
汚れにも気づかず日常生活に不都合ありますが
それでも失明せずに暮らせているありがたさ
そんなこんなで
紙に印刷された文字が読みづらく
書物はさっぱり読めなくなりました
(老眼ではあるけど老眼が理由ではないというw)
確かに不便で不自由で
見えないことにイライラすることもあるけれど
自分がどうして「目」の問題を抱えるに至ったのか
ちゃんと意味のあることなので受け入れています
ありがたいことに
私が住んでいる東京という都会には
これでもかっていうくらいに
たくさんの病院があって選び放題です
ここしか病院がないってことはなく
セカンドオピニオンも受けられますし
ここちがうなーこの先生やだなー
と思えば他を探すだけでいい
相性の良い親切丁寧な先生と出会えさえすれば
なべてこともなし
ホリスティック医学や自然療法を学んだり
非科学的な分野たる仕事をしているからって
現代医学を否定するようなことはしませんの
最終的には自分が納得できるか否かですかね
さて
このblogを読んで下さっている方なら
ご理解頂いていると思いますが
私は自らスピリチュアルセラピストと名乗っていながら
「すぴ」アレルギーだったりします
そして同業の方とは話が合わないので
あまりご縁がありませんということも以前書いた通り
でもまあ
だからといって他の方が仰られていたり
されていることを真正面から否定するつもりはないのです
それはそれで尊重すべきことだと思うからです
というかそれ以前に
他の方のHPやblogを読むということを
そもそもしないのですが
昔は…子供の頃はネットはありませんでしたので
オカルトやスピリチュアル(心霊)の本を
図書館に行って当時置いてあるものは
ほとんど全部読み漁っていました
自分の身に起きていることがなんであるのか
知りたかったので
著書の方にお手紙で質問させて頂いたり
そうした職業の方たちと直接会って
お話させて頂く機会もありましたが
(とくに占いの仕事に就いてから)
残念ながら
納得できる解答は得られなかったのですね
どれもピンとこなかったといいますか
「うーん? なんか違う」と違和感があって
私の疑問を解消して
「ああ、そうなんだ。そういうことか」と
ピッタリ収まるものがなかったのです
エドガー・ケイシーのいうことは
納得できたし理解できたけど
私が体験している事象を理解するためのものではなく
それはそれでまたちょっと違う知識でしたかね
それがある日
「ああ…探していたのはこれだ!!」と
私に光明をもたらした本との出会いがありました
友人が貸してくれた「メッセンジャー」
20世紀の賢者ダスカロスについての本です
この本は彼について書かれた本であり
彼自身が書いた書物ではありませんが
幸いかつありがたいことに
彼自身の書物が数冊日本語で出版されており
それらを入手することは可能でした
この書物との出会いをきっかけに
私はダスカレたるスティリアノス・アテシュリス氏を知り
彼が説く「真理の教え」へと誘われたのです
残念ながら私が彼および彼について書かれた書物と
出会ったときにはすでに氏は故人ではありましたが
ダスカロスの教えには
私がずっと抱えてきた人生の謎
私が体験してきた不思議や心霊現象に対する
そのすべての答えが書かれていました
私には彼が本の中で説明していることが
どういうことなのかよく理解できました
「あれはこのことだったんだ
あの現象はこれだ!」みたいに…
すべてがきっちり収まったそんな瞬間でした
体験してきたこととその知識がぴったりと結びついて
すべてのピースがはまって
いっさいの疑問が無くなった瞬間で
逆を言うと
それまでたくさんの書物を読んできたわけですが
その書物に書かれていたことの意味も
たくさんの人がいろんなことを言っている矛盾も
真理の教えを知ることで
どうしてそんな矛盾が生じてしまうのかも理解できました
だからダスカロスが遺してくれた
(まとめ直してくれた)この学びの知識以外
もう何も学ぶ必要はないと思ったのです
私にとってはこれ以上のものはなかったのです
ここに「すべて」が書いてあるので
その時点で新たな霊的知識を学ぶ必要性を感じず
その手の本を全く読まなくなってしまいました
それに知識を吸収することよりも
自分の問題と向き合うこと人間力を付けること
人として自分自身が成長していく経験をすることの方が
人生においてプライオリティが高いことと思ってましたし
(あくまで私にとって)
自らの内面と向き合って研鑽して
社会との関わり合いの中で自分を磨く
そっちにばかり目と意識がいってました
で
我が家にはテレビがないので
ネットが唯一の情報源で
Youtubeの動画をよく見るとは
こちらでも書いてはいるのですが
少し前にティンシャの音とか
リラクゼーション系のBGMやら
神社系の動画を検索したからか
「あなたへのおすすめ」になぜか
スピリチュアル系Youtuberさんの動画とか
あがってきていたり
たまたま何気に見てみたのです
以前の私だったらスルーしていたんでしょう
そしてYoutubeの視聴者でありながら
スピ系のYoutube動画があることを初めて知りましたw
いやさ普段見ているのはまったく違うジャンルなので
そうですね 色んな意見がありますよね
まるっと同じ意見というわけではないけど
そうですよねーと納得できるものもある
物の見方とか見ている方向性が違うのだなとか
そういう風に感じる意見もあるけど
言えているというか気づいたことは
この方たちのこの説明(言い回し)を
必要としている人がたくさんいるということ
霊的な知識っていうのは
語り口調は一口ではないということ
何故ならば
みんな霊的レベル(霊性の成長の段階)が違うから
霊的真理の考えでは
7つのレベルがさらに7区分に分かれてって
49の段階あるわけですが
ようするにみんな学力が違うので
同じ説明で全員が理解できるわけではないから
様々な段階の学力の人に合わせて
説明する内容とそれを説明する人が必要なんですよね
幼稚園の先生と小学校の先生と中学、高校の先生
大学や大学院の教授がいるように
だから
みんな自分のレベルに合った知識と先生を求めればいい
「この人の説明はわからないけど
こっちの人の言ってることは合点がいく」なら
それでいい
だから色んなスピリチュアリストの人がいていい
それぞれが言っていることは違っててそれでいい
それが当たり前だと思う
バラエティー豊かでいいんです
それぞれの人が自分にフィットするものを選んで
自分の人生や生活に取り入れてみて
その経験と結果から決めればいい
自分の価値観で選んだあとに経験的に確かめればいい
スピリチュアリストの人たちも
霊性のレベルはみな同じではなくて異なっているのだから
そしてやがて学んで吸収した後に
疑問とか出てきたり矛盾を感じたり
その説明では納得が出来ないってことが出てきたら
学びや理解が進んだということでもあるから
次のレベルの説明を探せばいい
間違っていたということもない
否定する必要もないし批判する必要もない
自分がもっと一つ上の知識
高度な情報と解説に進む段階が来たって
それでいいんじゃないかな…
と私は思う
そんな私は最近いまさらながら
斎藤一人さんの講座の動画を聞いていたりする
(UPしてくれている人には感謝あるのみ)
なぜなら
お客さんに説明する語彙力を身に着けるのに
難しい言葉ではなくてわかりやすい説明と言葉だから
とても参考になる
(一人さんの教え全部をまるっと盲信するのではなく
ああそうだなと心に響くところ
納得できて賛同できるところだけ
ご意見を頂いているという感じ
講話の中から今の自分がハッとする言葉
必要だと思える教えを見つけさせて頂いている)
すごーく長い間
勉強するのをさぼっていたなあと痛感する
私の霊的知識のバックボーンは
ダスカレがまとめてくれたものだけで十分だけど
プロとして仕事をしてお客さんの相談に乗って
ヒーリングをしてカウンセリングをして
人に教えたりするならば常に勉強の継続は必要だ
学ぶことを忘れてはならない
日々気づきだなー
学ぶべきことはまだまだあるなーと
毎日毎日新たな気付きを色んな人から頂いている
ありがたやありがたや
さてさて
そしてたまーにblogの内容に関して
あなたの知識は間違っているとのお説教?
正しい知識はこれですよ~みたいなの
頂くことあるんですけども
その知識や教えはその方にとっては
信頼すべき真理の知識なのだと思いますし
その方の信仰や知識は尊重致しますし
否定・批判はしません
互いの立場や意見を尊重した上での
互いの知識や見解の相違を論じ合えるのであれば
それはそれで実りある交流が出来るのでしょう
ですが
ただ一方的にご自身の主張の正しさを
証明するがために自分とは思想の違う相手を
ただ否定して誤りだと決めつけて批判しての
ご自身の信条や思想や意見の押し付けであれば
私にとっての真理の知識は
すでにありましてこれで納得しておりますから
どうぞご遠慮下さい
そのような勧め方をされる方の知識は要りません
…という感じです
私のblogに書いてあることが
その方の真理とは異なり納得できない
おかしい謝った知識だと思うのであれば
役に立たない眉唾な話 インチキ話
あるいは戯言とお笑い下さってスルーして
以降は読まないで下さればいいのです
何もご自身が読んで不愉快になる情報を
その目に入れる必要はございません
ご自身が賛成できないこと納得できない知識に
時間を割く必要はないと思います
貴方様がご自身の信念に忠実であることを
私は十分に尊重していますから
どうぞご自分の意見を大切になさってください
自分は自分 人は人
その方にはその方の仕事があり
その方にしか出来ない仕事があり
その方にしか教えられないことがあり
その方を必要としてらっしゃる方がいる
私には私の仕事があり
私にしか出来ない仕事があり
私にしか教えられないことがあり
私を必要としている人がある
でもその方を必要としている方と
私を必要としている方は別なんです
その方の説明や知識を求められている方がいて
その説明や知識でないと納得できない人がいて
でも私の説明や知識を求められている方がいて
私の説明や知識でないと納得できない人がいて
お互いがお互いのポジションで出来ることをして
助けられる人を助けるだけでよいのだと思います
それでよいのではないでしょうか
右目の網膜剥離と白内障の同時手術を行い
左目の白内障は手術せず
現在はドライアイの治療中
見えてはいるけど視野は狭く遠近感取れず
汚れにも気づかず日常生活に不都合ありますが
それでも失明せずに暮らせているありがたさ
そんなこんなで
紙に印刷された文字が読みづらく
書物はさっぱり読めなくなりました
(老眼ではあるけど老眼が理由ではないというw)
確かに不便で不自由で
見えないことにイライラすることもあるけれど
自分がどうして「目」の問題を抱えるに至ったのか
ちゃんと意味のあることなので受け入れています
ありがたいことに
私が住んでいる東京という都会には
これでもかっていうくらいに
たくさんの病院があって選び放題です
ここしか病院がないってことはなく
セカンドオピニオンも受けられますし
ここちがうなーこの先生やだなー
と思えば他を探すだけでいい
相性の良い親切丁寧な先生と出会えさえすれば
なべてこともなし
ホリスティック医学や自然療法を学んだり
非科学的な分野たる仕事をしているからって
現代医学を否定するようなことはしませんの
最終的には自分が納得できるか否かですかね
さて
このblogを読んで下さっている方なら
ご理解頂いていると思いますが
私は自らスピリチュアルセラピストと名乗っていながら
「すぴ」アレルギーだったりします
そして同業の方とは話が合わないので
あまりご縁がありませんということも以前書いた通り
でもまあ
だからといって他の方が仰られていたり
されていることを真正面から否定するつもりはないのです
それはそれで尊重すべきことだと思うからです
というかそれ以前に
他の方のHPやblogを読むということを
そもそもしないのですが
昔は…子供の頃はネットはありませんでしたので
オカルトやスピリチュアル(心霊)の本を
図書館に行って当時置いてあるものは
ほとんど全部読み漁っていました
自分の身に起きていることがなんであるのか
知りたかったので
著書の方にお手紙で質問させて頂いたり
そうした職業の方たちと直接会って
お話させて頂く機会もありましたが
(とくに占いの仕事に就いてから)
残念ながら
納得できる解答は得られなかったのですね
どれもピンとこなかったといいますか
「うーん? なんか違う」と違和感があって
私の疑問を解消して
「ああ、そうなんだ。そういうことか」と
ピッタリ収まるものがなかったのです
エドガー・ケイシーのいうことは
納得できたし理解できたけど
私が体験している事象を理解するためのものではなく
それはそれでまたちょっと違う知識でしたかね
それがある日
「ああ…探していたのはこれだ!!」と
私に光明をもたらした本との出会いがありました
友人が貸してくれた「メッセンジャー」
20世紀の賢者ダスカロスについての本です
この本は彼について書かれた本であり
彼自身が書いた書物ではありませんが
幸いかつありがたいことに
彼自身の書物が数冊日本語で出版されており
それらを入手することは可能でした
この書物との出会いをきっかけに
私はダスカレたるスティリアノス・アテシュリス氏を知り
彼が説く「真理の教え」へと誘われたのです
残念ながら私が彼および彼について書かれた書物と
出会ったときにはすでに氏は故人ではありましたが
ダスカロスの教えには
私がずっと抱えてきた人生の謎
私が体験してきた不思議や心霊現象に対する
そのすべての答えが書かれていました
私には彼が本の中で説明していることが
どういうことなのかよく理解できました
「あれはこのことだったんだ
あの現象はこれだ!」みたいに…
すべてがきっちり収まったそんな瞬間でした
体験してきたこととその知識がぴったりと結びついて
すべてのピースがはまって
いっさいの疑問が無くなった瞬間で
逆を言うと
それまでたくさんの書物を読んできたわけですが
その書物に書かれていたことの意味も
たくさんの人がいろんなことを言っている矛盾も
真理の教えを知ることで
どうしてそんな矛盾が生じてしまうのかも理解できました
だからダスカロスが遺してくれた
(まとめ直してくれた)この学びの知識以外
もう何も学ぶ必要はないと思ったのです
私にとってはこれ以上のものはなかったのです
ここに「すべて」が書いてあるので
その時点で新たな霊的知識を学ぶ必要性を感じず
その手の本を全く読まなくなってしまいました
それに知識を吸収することよりも
自分の問題と向き合うこと人間力を付けること
人として自分自身が成長していく経験をすることの方が
人生においてプライオリティが高いことと思ってましたし
(あくまで私にとって)
自らの内面と向き合って研鑽して
社会との関わり合いの中で自分を磨く
そっちにばかり目と意識がいってました
で
我が家にはテレビがないので
ネットが唯一の情報源で
Youtubeの動画をよく見るとは
こちらでも書いてはいるのですが
少し前にティンシャの音とか
リラクゼーション系のBGMやら
神社系の動画を検索したからか
「あなたへのおすすめ」になぜか
スピリチュアル系Youtuberさんの動画とか
あがってきていたり
たまたま何気に見てみたのです
以前の私だったらスルーしていたんでしょう
そしてYoutubeの視聴者でありながら
スピ系のYoutube動画があることを初めて知りましたw
いやさ普段見ているのはまったく違うジャンルなので
そうですね 色んな意見がありますよね
まるっと同じ意見というわけではないけど
そうですよねーと納得できるものもある
物の見方とか見ている方向性が違うのだなとか
そういう風に感じる意見もあるけど
言えているというか気づいたことは
この方たちのこの説明(言い回し)を
必要としている人がたくさんいるということ
霊的な知識っていうのは
語り口調は一口ではないということ
何故ならば
みんな霊的レベル(霊性の成長の段階)が違うから
霊的真理の考えでは
7つのレベルがさらに7区分に分かれてって
49の段階あるわけですが
ようするにみんな学力が違うので
同じ説明で全員が理解できるわけではないから
様々な段階の学力の人に合わせて
説明する内容とそれを説明する人が必要なんですよね
幼稚園の先生と小学校の先生と中学、高校の先生
大学や大学院の教授がいるように
だから
みんな自分のレベルに合った知識と先生を求めればいい
「この人の説明はわからないけど
こっちの人の言ってることは合点がいく」なら
それでいい
だから色んなスピリチュアリストの人がいていい
それぞれが言っていることは違っててそれでいい
それが当たり前だと思う
バラエティー豊かでいいんです
それぞれの人が自分にフィットするものを選んで
自分の人生や生活に取り入れてみて
その経験と結果から決めればいい
自分の価値観で選んだあとに経験的に確かめればいい
スピリチュアリストの人たちも
霊性のレベルはみな同じではなくて異なっているのだから
そしてやがて学んで吸収した後に
疑問とか出てきたり矛盾を感じたり
その説明では納得が出来ないってことが出てきたら
学びや理解が進んだということでもあるから
次のレベルの説明を探せばいい
間違っていたということもない
否定する必要もないし批判する必要もない
自分がもっと一つ上の知識
高度な情報と解説に進む段階が来たって
それでいいんじゃないかな…
と私は思う
そんな私は最近いまさらながら
斎藤一人さんの講座の動画を聞いていたりする
(UPしてくれている人には感謝あるのみ)
なぜなら
お客さんに説明する語彙力を身に着けるのに
難しい言葉ではなくてわかりやすい説明と言葉だから
とても参考になる
(一人さんの教え全部をまるっと盲信するのではなく
ああそうだなと心に響くところ
納得できて賛同できるところだけ
ご意見を頂いているという感じ
講話の中から今の自分がハッとする言葉
必要だと思える教えを見つけさせて頂いている)
すごーく長い間
勉強するのをさぼっていたなあと痛感する
私の霊的知識のバックボーンは
ダスカレがまとめてくれたものだけで十分だけど
プロとして仕事をしてお客さんの相談に乗って
ヒーリングをしてカウンセリングをして
人に教えたりするならば常に勉強の継続は必要だ
学ぶことを忘れてはならない
日々気づきだなー
学ぶべきことはまだまだあるなーと
毎日毎日新たな気付きを色んな人から頂いている
ありがたやありがたや
さてさて
そしてたまーにblogの内容に関して
あなたの知識は間違っているとのお説教?
正しい知識はこれですよ~みたいなの
頂くことあるんですけども
その知識や教えはその方にとっては
信頼すべき真理の知識なのだと思いますし
その方の信仰や知識は尊重致しますし
否定・批判はしません
互いの立場や意見を尊重した上での
互いの知識や見解の相違を論じ合えるのであれば
それはそれで実りある交流が出来るのでしょう
ですが
ただ一方的にご自身の主張の正しさを
証明するがために自分とは思想の違う相手を
ただ否定して誤りだと決めつけて批判しての
ご自身の信条や思想や意見の押し付けであれば
私にとっての真理の知識は
すでにありましてこれで納得しておりますから
どうぞご遠慮下さい
そのような勧め方をされる方の知識は要りません
…という感じです
私のblogに書いてあることが
その方の真理とは異なり納得できない
おかしい謝った知識だと思うのであれば
役に立たない眉唾な話 インチキ話
あるいは戯言とお笑い下さってスルーして
以降は読まないで下さればいいのです
何もご自身が読んで不愉快になる情報を
その目に入れる必要はございません
ご自身が賛成できないこと納得できない知識に
時間を割く必要はないと思います
貴方様がご自身の信念に忠実であることを
私は十分に尊重していますから
どうぞご自分の意見を大切になさってください
自分は自分 人は人
その方にはその方の仕事があり
その方にしか出来ない仕事があり
その方にしか教えられないことがあり
その方を必要としてらっしゃる方がいる
私には私の仕事があり
私にしか出来ない仕事があり
私にしか教えられないことがあり
私を必要としている人がある
でもその方を必要としている方と
私を必要としている方は別なんです
その方の説明や知識を求められている方がいて
その説明や知識でないと納得できない人がいて
でも私の説明や知識を求められている方がいて
私の説明や知識でないと納得できない人がいて
お互いがお互いのポジションで出来ることをして
助けられる人を助けるだけでよいのだと思います
それでよいのではないでしょうか
2019/11/07
改めて当方で提供しているサービスを説明します
以前にも類似の内容を書いたことがあるので
重複することになってしまいますが
なんていいましょうか…
いかに「魂の時代(世紀)」が明けたと言えども
世間ではまだまだスピリチュアルな事柄や
その知識やテクニックに付随したサービスに対して
周知が進んでいないというか誤解が多いというか
正しく伝わっていないと実感させられます
そのための啓蒙がまだまだ進んでいないのもあるし
知識が普及していないのが大きいのでしょう
だからこそ伝える努力が必要だと痛感します
つい最近のことです
その方は紹介でいらした方でした
私より少し上の世代の方ですが
昔からスピリチュアルなことが大好きで
これまでにあちこちで
同業者の方の様々なサービスを
受けていらっしゃるとのこと
知人の方との会話の流れから私のことを聞いて
すぐに予約を入れて下さって
初回にいらして下さった時点で
3回セットのセッションをお申込み下さったのです
でも、その方にとっての
スピリチュアルなサービスというのは
占いと同じで自らの知りたいことを教えてくれて
自分の望みがどうしたら叶うのか
これをしたらよくなる、これさえすれば悩みは解決する
といった
自分にとっての人生の正解を
教えてくれるサービスであるという認識だったのです
(スマホもPCもお持ちでネットはされる方ですが
私のHPもこちらのblogも読まれてはいなかったようです)
スピリチュアルなサービスを受け慣れていらっしゃるから
スピリチュアルなサービスがどういうものであるのか
そのあたりの知識や理解があるとは限らないのですよね
そもそもスピリチュアルという分野がスピ系という
流行語になって要約されて
スピリチュアルということの主旨が
誤解されている昨今ですから
こういうのを「需要と供給のミスマッチ」と
言ってしまえばたぶんそうなんでしょうね
はい そう片付けることも出来ます
でもその入口を通して
その先にある「本当の霊性(スピリチュアル)とは何か」
ということと「スピリチュアル」の価値を
知っていただく機会でもあるのです
はい そうしなければならないのだとも思います
占い師の仕事を再開して
占い館の方では占い(命学と兆学/卜占)を用いて
相談に乗ることをしてはいますが
自営サロンで提供しているサービスは
占いとはまったく違います
やっていることは似て非なるものなのです
共通しているのは
お客さんの悩み相談をしているってところだけ
こちらのblogを読んでくださっている方なら
少しは解って下さるかも知れませんが
ここいらでちょっと豆知識
占いは天気予報のようなものです(兆学や相学は)
命学(運命学)というのは
学問ですから本当は占いに非ずなんですけど
その人の基本運命ということでここを考慮した上で
相学または兆学を合わせていかないと
本当の占いというのは成立しません
プロの占い師というのは
命学をまず何かマスターしていて
その上で相学と兆学を用いていくものです
(申し訳ないけどタロットしか出来ない人は
プロの占い師とは言えません)
その人という個人と天(宇宙)との相関図を
ある哲学から導き出された計算方法に従って作成し
それをその人の魂の履歴書と見立て
その人の今生でのポジション(立ち位置)を見て
現在がどのような流れにあるのか
過去生から持ち越したものが何であるのか
今生でどのように資質を生かしていくべきか
そういうのを見ていくのが命学です
相学はその人の肉体から出ている「氣」
そして周囲や他人から受けている「氣」
そうした相互作用からの「運氣」を見
現在のその人自身が創り出している
すべての「運」を創り出す「氣」を
見ていくための方法論です
(元は代替医学から発達しています
名前に与えられた呪としての漢字や数字
そこから判断する手法もありますけれども)
兆学(卜占)は
示されたシンボルから兆候やメッセージを
読み取っていくオラクルです
直観がもっとも必要とされる占いで
本来「占い」という行為はこの卜占のことを言います
まあいずれにしても
占いというのはメッセージを伝えたり
知りたいことに答えていったり
アドバイスをすることがすべてだったりします
ここには未来予知(予測/予報)も含まれますが
情報を「会話」で伝えるところまでが
サービスの範囲です
そして
スピリチュアル(霊的)なサービス
と言ってもその提供の仕方
サービスの形は様々ですから
一口には言えないんですけれども
占いとスピリチュアルなサービスは
違うものだというのが私のスタンスです
実際見ているものがまったく違いますしね
(情報源というか情報を引っ張り出すところ)
話を戻しますね
blogを見て頂いている方にしても
HPの説明を隅々まで読んでくださっている方にしても
サービスを受ける側と提供する側の間で
提供サービスに対する認識の差があるというのは
当方に初めていらしたときに
インフォームドコンセントをきちんと行って
それを埋めようとしなかった当方の問題だなと
反省いたしました
今回3回目にしてその認識のズレを説明して
「だから、こういうアドバイスになるのですね」
と理解・納得して頂けたから結果オーライですが
そりゃまあ
提供しているサービスに対して認識のズレがあれば
お客様が当方から期待している言葉や解答が
得られないという結果になってしまうのは当然で
さてそのあたりをどう伝えていくか…
が新たな課題ともなりました
以前はきちんと初回にミニセミナー的に
私がやっていることを説明したうえで
インフォードコンセントをして
同意をしていただいてから施療という流れでしたが
その説明を省いてしまっていたのです
理由としては
お客さんによっては
精神的にとても混乱していたりして
初回はそういう説明をするどころではない
という人も多かったので
どうすれば一番良いのかと考えてもしまいます
私が行っているサービスは
科学的ではない非科学的な視点からの考察と解説で
その方を悩ませている人生上の事象
(悩みや障害となっていること)の因果関係の解読と
その根本的な解決に必要なアドバイスと
気付くべきことに対してのメッセージを伝えたり
霊的な事象に関してエネルギー的なアプローチをして
その人の氣を整えたり補充したり波動を上げて
霊的成長のためのサポートをすること
なんですね
まずお話を聞いた上で
エネルギーリーディングをして
ざっくりと大まかな見立てと推測をして
悩みや起きている問題の根本原因を探り
それが過去生の記憶に起因していることなのか
あるいは今生での記憶や刷り込みなのか
霊的な存在や他人の意識など外部的な要因から
起こっている事象なのか
そしてカルマ的なレッスンとして
避けるべきではなく向き合うべきこととして
その人の成長のために起きていることなのか
思い癖や思考の癖といった
性格やエゴイズムの問題なのか
それのいずれかなのか複合的な問題なのか
そのあたりを視て推理して解読していって
考えられる原因を消去法であぶり出して
対処法としてのヒーリングやワークを行う
それが私が行っているサイコセラピーなんですね
これが基本メニューでメインメニュー
それこそがミッションであり
当サロンの企業理念というか主軸たる事業目的
他のメニューすなわち
レイキヒーリングを教えたり
霊的知識を教えたりの
ヒーリングレッスンもスピリュアルレッスンも
エレメンタルのお掃除が目的のチャクラヒーリングも
その目的に付随してのメニュー
だから
「不登校の子供がどうしたら学校に行きますか?」
とのお悩みでの
「子供が学校に行くようになる究極の方法が知りたい」
という質問に対しては
「あなたの問題を解決するのが先です」となり
状況をコントロールしようとしてはならない
コントロールするのは自分の感情だけ
自分以外の誰をも支配しようとしてはいけない
他人は変えられない 変えられるのは自分だけです
自分の理想を押し付けるのは止めましょう
不安や恐れをまず捨てましょう
それを口にし続けるのを止めましょう
まずはそこから気持ちを引き離すアプローチから
そして整理整頓と断捨離をして
浮遊霊や動物霊にとって居心地の良い
環境になってしまっている巣を
人間のための普通の家に戻しましょう
というアドバイスになっちゃいますね
(得てして子供の問題は母親の問題の表れだから
ほとんどの子供は母親の不安を具現化するので)
まあでも
「断捨離して家の中を片付けて掃除をすれば
子供は学校に行くようになりますか?」
という問いに対しては
それが
確実な補償が得られることでなかったとしても
「行けるようになります」とでも言っておけば
一時的な安心は与えられるし
掃除と断捨離をする行動のモチベーションになるし
それはそれで有益なアドバイスかも知れません
まったくの嘘ではないので
でもそれがすべての解決法ではなく
問題の本質でもないということもあり
依存させることが目的ではなく
その方の精神的な自立も大切なことで
常に正解を他者に求める点と承認欲求が
その方の精神構造が問題の根っこというか
カルマのレッスンを創り出す根本原因であるから
安易に魔法の言葉は言ってはいけない
というのがあったりしますのです
(その人がどの段階にあるのかというのもありますね)
話は少しそれますが
人の意識が切り替わるのって
最低でも三か月は掛かります
肉体のほんの少しの不調なら(氣の不足レベル)
一度のヒーリングで回復することも多いけど
思い癖や思考の癖といったものは
三か月単位で考えていかないといけない
かなりの長期戦になるのは覚悟するべきでもあり
だからうちでは
三回単位の回数券を用意していたりします
これは最低単位ですね
自分で取り組んで頂くための宿題も出しますし
すなわち受け身で受けて頂くのではなく
自ら取り組んでいくトレーニング指導が主体として
積極的に自分の問題の解決に参加してもらわないと
何も始まらないのです
初回では
ごっそりオーラについてしまった汚れ(ケガレ)の
さわり部分 表面についた汚れを落とすことで
終わってしまうのも多いのです
エレメンタルは本当に膨大な量ありますからね
過去生にしても人は何百回も生きているわけですし
今の人生だけでもたくさんのエレメンタル
データを大量に創り出している人はいるし
そうした人生の流れ
輪廻転生の流れの中で今がどんなポジションにあって
今回の人生で何を目的としていて
それが本来の目的とどれほど離反してしまったのかとか
今目の前にあるカルマのレッスンとか
そうしたことも含めて軌道修正するための方法とか
そういうのを考えた上での取り組みになっちゃいます
でもそうすると
1回や2回ですべてのサポートは出来ませんから
その時に私がその人にするべきことを…になります
一応ガイドさんや透明なヘルパーさんたちや
その人の本体である魂自体が色々と用意しているだろうから
そうした全体の流れの中での
私に与えられたそのタイミングでの
その人に対して私が出来ること
するべき役割を果たすって感じでしょうか
私は霊能者さんではないから
霊障を収めるのが仕事なのではなく
拝み屋さんや祈祷師さんでもないので
その人のエゴイズムの目的を叶えるのが仕事なのではなく
その人の魂の望みを叶えるのが仕事なのです
その人自身が本来の力を取り戻して
自分自身と自分の人生を取り戻し
本当の自分と人生を生きられるようになるために
自分で自分の問題に取り組めるようになるための自立支援
そんな感じなのでしょうか
この説明で説明になっていますでしょうか
2019/11/02
初心忘るべからず
前回のblog記事で
占いの仕事を続けるべきか否か
迷っている旨のことを書きました
そして先週
占い館に出勤したとき
色んな想念をエネルギーフィールドに
付けていらっしゃる方がいらしたのです
その日はもうヒマだし誰も来ないだろうなあと
油断していたのもありますが
今までその占い館では
そのような霊的な問題を背後に
抱えた方が来店することはなく
完全に占い師モードであったので
咄嗟のことで対処ができなかったのですね
お客さんの言葉は耳に入ってこないし
混乱してカードは読めないし散々でした
もうね
思いっきり挙動不審でパニクリで
しどろもどろになってしまって
お金を頂くのに値しない
そんな仕事内容だったのです
本当にプロとしてお恥ずかしい限り
で自己嫌悪に苛まれて落ち込んだわけです
帰宅してからも
霊感とか前世とかそういう話は禁止なので
「ついてますよ」と言えないのがもどかしいなぁ
なんて考えてしまってた
けれど それは誤った考えなんですね
それは言い訳なんです
ふと気づきました
私は占いの仕事を完全になめていました
確かに昔プロとして仕事していたけれど
それはもう何年も前のこと
私にはブランクがあるし
現役でお店に出ていた数十年前と今とでは
時代は確実に変わっているんです
人々の意識も価値観も世の中も
そして昔やっていた仕事だからと
再開させたとはいえ
勉強したり研鑽したり
安定した鑑定結果を出すための努力って
必要不可欠で
私は8月に占い館に出るようになってから
その努力をまったくしてこなかったし
自分磨きに関しても怠っていました
それはヒーラーやセラピストとしての
仕事でも同じことです
私は随分と長い間うぬぼれていたようです
私にとってはたくさんいるお客さんの一人
その時にたまたまいらしたお客さんであっても
その人にとっては「貴重な一回」の鑑定なんです
人生の一大事を勇気をもって相談に来た一回の時間
まさに一期一会の出会いなのに
私はきちんとお客様にとっての
そのただ一回を
とても貴重で大切な時間を
真剣に真摯な気持ちで向き合えていただろうか?
ものすごく反省しました
私の仕事はクライアントさんの
問題解決のサポートをすることです
その手段が占いであろうと
エネルギー療法たるヒーリングであろうと
前世療法にしても何にしても
そこに変わりはないのです
霊的なものが後ろにくっついていて
そのせいでカードが読めないとか
そんな風にお客さんのせいにしていいわけがありません
ええ そんなのは
占いにいらしたお客さん側には関係ないことですから
あくまで私側の問題なんです
そのあたりをはき違えてはいけない
それでは私がここのblogで書いているような
何でも他人のせい霊のせいにしている人と同じです
その人は占いに解決とヒントを求めているのだから
私は占い師としてその質問に答えなくてはならないのです
それがプロというものだし
そうしたサービスが出来ないのであるなら
お金を頂く資格…プロの資格はないのです
サロンでの仕事にしても
占い師としての外部での仕事にしても
私は人々を幸せにするために
そうした仕事をしているのですから
提供するサービスの形や
場所や場所が異なっていたとしても
私はその人がその人自身の問題を解決するための
力と勇気と元気(運氣)を分けてあげて
前向きで希望あるメッセージやアドバイスを伝えたり
未来への指針や抜け道を示して
悩みや気持ちが軽くなるように導くのが
ただ一つの目的で仕事なのですから
そういう意味で
自惚れておごり高ぶって
大事なことを見失っていた自分に
とても恥ずかしく思うと同時に
そのことに気付かせてくれたこの出来事に
ただただ感謝するのみです
そのことを教えて下さったお客様に
本当に申し訳ないと思うと同時に
「気づかせてくださってありがとうございます」
感謝し、幸多かれと祈るばかりです
(たぶんもう二度とお会いできないと思いますっっ)
そんなわけでして
ここのところの自分の仕事に対するスタンスとか
心構えとかもうとにかく振り返って反省するばかりで
そして瞑想とか霊的エクササイズもさぼってないで
きちんと取り組まないとと改めて思いましたし
占いの仕事で使う資料(お客さんに説明するためのもの)とか
そういうのも作成しはじめました
例えば
適職とか適性相談あったときに
説明を受けるお客さんにも分かりやすいように
占星学のサインが表す職業一覧とか
マップダウンジングのための地図の印刷とか
まあ、ダウジングはほとんど需要ないと思うけど
万が一そういう相談があった時に対処できるように
この一週間ちまちま作っていました
タロットで事足りることの方が多いけれども
実際どんな相談が来るかわからないですから
そんなわけで初めの一歩に戻って
気持ちを新たに入れ替えて
覚悟を決めて真摯に向き合って
自分の出来ることを精いっぱい努力して
与えられた仕事に取り組んでいこうと思います
占いの仕事を続けるべきか否か
迷っている旨のことを書きました
そして先週
占い館に出勤したとき
色んな想念をエネルギーフィールドに
付けていらっしゃる方がいらしたのです
その日はもうヒマだし誰も来ないだろうなあと
油断していたのもありますが
今までその占い館では
そのような霊的な問題を背後に
抱えた方が来店することはなく
完全に占い師モードであったので
咄嗟のことで対処ができなかったのですね
お客さんの言葉は耳に入ってこないし
混乱してカードは読めないし散々でした
もうね
思いっきり挙動不審でパニクリで
しどろもどろになってしまって
お金を頂くのに値しない
そんな仕事内容だったのです
本当にプロとしてお恥ずかしい限り
で自己嫌悪に苛まれて落ち込んだわけです
帰宅してからも
霊感とか前世とかそういう話は禁止なので
「ついてますよ」と言えないのがもどかしいなぁ
なんて考えてしまってた
けれど それは誤った考えなんですね
それは言い訳なんです
ふと気づきました
私は占いの仕事を完全になめていました
確かに昔プロとして仕事していたけれど
それはもう何年も前のこと
私にはブランクがあるし
現役でお店に出ていた数十年前と今とでは
時代は確実に変わっているんです
人々の意識も価値観も世の中も
そして昔やっていた仕事だからと
再開させたとはいえ
勉強したり研鑽したり
安定した鑑定結果を出すための努力って
必要不可欠で
私は8月に占い館に出るようになってから
その努力をまったくしてこなかったし
自分磨きに関しても怠っていました
それはヒーラーやセラピストとしての
仕事でも同じことです
私は随分と長い間うぬぼれていたようです
私にとってはたくさんいるお客さんの一人
その時にたまたまいらしたお客さんであっても
その人にとっては「貴重な一回」の鑑定なんです
人生の一大事を勇気をもって相談に来た一回の時間
まさに一期一会の出会いなのに
私はきちんとお客様にとっての
そのただ一回を
とても貴重で大切な時間を
真剣に真摯な気持ちで向き合えていただろうか?
ものすごく反省しました
私の仕事はクライアントさんの
問題解決のサポートをすることです
その手段が占いであろうと
エネルギー療法たるヒーリングであろうと
前世療法にしても何にしても
そこに変わりはないのです
霊的なものが後ろにくっついていて
そのせいでカードが読めないとか
そんな風にお客さんのせいにしていいわけがありません
ええ そんなのは
占いにいらしたお客さん側には関係ないことですから
あくまで私側の問題なんです
そのあたりをはき違えてはいけない
それでは私がここのblogで書いているような
何でも他人のせい霊のせいにしている人と同じです
その人は占いに解決とヒントを求めているのだから
私は占い師としてその質問に答えなくてはならないのです
それがプロというものだし
そうしたサービスが出来ないのであるなら
お金を頂く資格…プロの資格はないのです
サロンでの仕事にしても
占い師としての外部での仕事にしても
私は人々を幸せにするために
そうした仕事をしているのですから
提供するサービスの形や
場所や場所が異なっていたとしても
私はその人がその人自身の問題を解決するための
力と勇気と元気(運氣)を分けてあげて
前向きで希望あるメッセージやアドバイスを伝えたり
未来への指針や抜け道を示して
悩みや気持ちが軽くなるように導くのが
ただ一つの目的で仕事なのですから
そういう意味で
自惚れておごり高ぶって
大事なことを見失っていた自分に
とても恥ずかしく思うと同時に
そのことに気付かせてくれたこの出来事に
ただただ感謝するのみです
そのことを教えて下さったお客様に
本当に申し訳ないと思うと同時に
「気づかせてくださってありがとうございます」
感謝し、幸多かれと祈るばかりです
(たぶんもう二度とお会いできないと思いますっっ)
そんなわけでして
ここのところの自分の仕事に対するスタンスとか
心構えとかもうとにかく振り返って反省するばかりで
そして瞑想とか霊的エクササイズもさぼってないで
きちんと取り組まないとと改めて思いましたし
占いの仕事で使う資料(お客さんに説明するためのもの)とか
そういうのも作成しはじめました
例えば
適職とか適性相談あったときに
説明を受けるお客さんにも分かりやすいように
占星学のサインが表す職業一覧とか
マップダウンジングのための地図の印刷とか
まあ、ダウジングはほとんど需要ないと思うけど
万が一そういう相談があった時に対処できるように
この一週間ちまちま作っていました
タロットで事足りることの方が多いけれども
実際どんな相談が来るかわからないですから
そんなわけで初めの一歩に戻って
気持ちを新たに入れ替えて
覚悟を決めて真摯に向き合って
自分の出来ることを精いっぱい努力して
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