2020/01/28

潜在意識へのアプローチとエレメンタルの書き換え②

過去記事にも度々書いてきたことですが
人はなかなか変われないものです

でも本人の強い決心と意志がありさえすれば
あきらめないで粘り強く継続的に
自分の問題に取り組めるのであれば
変わることが出来ます

それは人生を変えることに通じます

何故ならその人の心の在り方が
その人の人生を創っているからです

外的な世界はその人の内面的な世界が
現実として物理的世界に表れたものに過ぎません

心の恐怖が
恐怖と欠乏と絶望に満ちた世界を創り出します

そして恐怖が更なる恐怖を呼び寄せるのです



性格とはその人の心と思考のデータの集合体です
今まで外界の出来事に対してどのように反応し
どのように考えてきたのか
どのような行動をしてきたのか
その結果どのような観念や
喜怒哀楽の感情を自ら生み出してきたのか

それらがその人の気質であり性格です

心霊科学(霊的真理)の理屈では
これらは氣を材料とした
エレメンタルという想念体であり
このエレメンタルの総合計が
私たちの性格であり構成要素なのです
エレメンタルは記憶であり同時に記録で
生命を持っているデータです


潜在意識(無意識)にあるものも
顕在意識(表層意識)にあるものも
どちらもエレメンタルです

なので
潜在意識にアプローチすることは
エレメンタルへのアプローチと同意語であり
書き換えをするという同じ作業になります

アプローチの方法が少し違うというだけですね

過去生の人格も記憶もすべてエレメンタルなのですが
潜在意識の考え方から見た場合
過去生の人格も記憶も潜在意識に属するものになります

だから過去生セラピーやヒプノセラピー
過去生ヒーリングは潜在意識へのアプローチであり
無意識からの望ましくない影響から
解放するためのプログラムと言えるでしょう
(ただ取り除くだけでは弊害が出るので
 新しい情報をインプットすることを
 同時進行で行うことが必要不可欠です)

でも過去生ヒーリングだけでは十分ではありません
それだけで解決する問題も勿論ありますが

過去生へのアプローチは
全体像としての問題を解決するための
その一部分を担っている問題の断片を
解決・解放する方法にしか過ぎません

完璧ではなく万能ではないのです

当人の根本的な問題を解決することの
一面に役に立つというだけですかねー




さて私は実家を出るまで毎日 
肉体的な暴力と言葉の暴力にさらされて
否定的な言葉の刷り込みにより
怒りと憎悪を植え付けられてきました
それはもう骨の髄まで

親はもちろん周囲も人生も
神も憎みましたし
自分が生まれたことをも呪っていました

こういうストレスが
私の肉体を自己免疫疾患(膠原病)にしました
生きる希望や目的がなかったからです
若年性の更年期にもなり
様々な症状や不定愁訴にも悩まされました

人間関係も恋愛も上手く行かず
職場ではトラブルメーカーになり
交通事故にも二度遭い友人にも騙され
人生積んでしまっていて
何もかもうまくいかないことばかりでした

そりゃまあそうです
ネガティブの塊でしたからね
その心のネガティブが私の人生を創っていたので
当然よい人生を生きられるはずがないのです

私が良い人生を生きられないのは
誰よりも私自身が私を嫌悪し憎み抜いていて
他人に対する怒りと憎しみでいっぱいだったからです

私の心の荒廃度 
自分自身や人生に対する考えが
私に荒廃した現実を与えていたんです
良いものを遠ざけ
良くないものばかり自分に引き寄せていたんですね




前記事にも書きましたが
このことには否応なく直面させられて
自らの問題を解決すべく色々と取り組んできました

結果
私の現実は少しずつ変わっていきました

私の性格の角が少しずつ取れて
心に刺さっていた棘が少しずつ抜けて
身体中の隅々まで骨まで染み込んでいた
憎悪や怒りの念が少しずつ解放されて消えていくたび

人生は上向きになりました

病気も改善されてよくなりました

痛いメンヘラさんから抜け出す度に

私の人生に混乱をもたらす
トラブルメーカーな人との出会いも減り
突発的で破滅的な出来事に遭遇することも無くなり

起こる出来事も少しずつ変化しました

母も変わりました
(私に謝罪してくれたりと今は和解しています)

私自身が抵抗し嫌悪していた
自分自身の能力や資質を受け入れたことで
仕事に対する意識も変わりました


これらは人生に起こる自然な流れの中で
与えられてきた必然の結果です

占いや霊能的な仕事だけはしたくないと
そういう道にだけは進みたくないといいつつ
イヤイヤやらざるを得ない状況に追い込まれ
そこから逃げ出そうといつももがいてましたが

気が付けば
自分が占いとかヒーリングとか
過去生セラピーとかリーディングとか
成り行きのままやらざるを得ず
そういう仕事をさせられている過程の中で
(やらされている…という意識だった)

自分自身がスキルを求めて学ぶ場で
自らを被験者として
フェーズ IIIまでの治験を受けて
そのテクニックの有用性を知ったばかりか
それらの恩恵を受け
気が付けば癒されて問題を解決することが出来ていた

そんな感じですかねー

ここまで来るにはこの年齢になっちゃっていて
ものすごく時間が掛かりましたけど
それでも無駄ではなかったですね

年月は要するし
思ったほどに簡単なものではないけど

自分の実体験から

人は変われる
人生を変えることは出来る

そう言い切ることはできます

ただし
変えることが出来るのは自分だけ
他人に変えてもらうことは出来ません
選ぶのはみんな自分
どんな道も自己責任です

まして他力本願なんてもっての他です

そして
他人や外部的要因や
運命のせいにしているうちは
変わることは出来ません

何一つ変えることは出来ません

何もかもを自分のせいであると
自らの人生への責任を
受け入れることが出来た人だけが
自分を変えることが出来るのだと
そう思います


お金を出せば…
たくさんのお金を費やせば費やしたほど
変われるものでもないし

専門的なサービスを利用して
専門家の助けなしには
そうした機会は得られず
自分を救出することが出来るとも言えないです

第三者的な存在や
そうした専門家のサービスを利用するのも
ある意味では大事で
試してみる価値はあると思いますし
けれどもそれだけに頼って
人任せにするのも違うと思います

色々試して多方面から
自分の問題を掘り下げて
少しずつ玉ねぎの皮を剥くように
外堀から手放していき
核心となる問題に近づいていくのが良いのかなって
それは私の体験で思うことですね

この方法がいいと
このやり方だけですべてが解決できるって
そういうのは無いように思うし
一つだけ取り上げることは出来ないと思うのです

ある意味では人生そのものが癒しの過程で
必要なものはすべてもう揃っているんですよね

だから
何か一つの手法を試しつつ
それにすべてを期待しすぎず
その方法で解決できるとや手放せるものは手放して
自分の心の強度が高まっていくごとに
新たに気付くことが出来た自分の問題と向き合って
自分の人生全体を見回して意味を考えてみたり
その都度で色んなことを段階的に試せばいいのかなと

一人ひとり抱えている問題(性質と原因)は違うから
ある人に効果があった方法が
他の人にも合うとは限らないし

その人に合った方法というのがあると思うので
ゆっくり自分と向き合っていけばいいのです

今生でその問題を抱えているというのも
その人にとっては必然的なことで
とても意味のあること

人生そのものがその人に対して
必要なメッセージを発しています

人生で起こることすべてが
何もかもの答えを教えてくれている
その人の良きアドバイザーなんですね


私もこの人生を生きるには
必然的な意味があったのですから






まあ 
そんなこんなで

占いというアドバイス 
人生のナビゲートだけでは
その人の凝り固まった考え方や思い癖といった
エネルギー的要因にアプローチすることは出来ないし
霊的な問題(生霊や憑依)にも関与できないし…

と行き詰まっていたときに
レイキヒーリングと出会い

レイキヒーリングを行うようになってから
ヒーリングという施療がメインになって
エネルギーフィールドの問題や
霊的なものに対するアプローチが出来るなあと
思っていたら
気が付けば必然的に過去生の問題に対しても
深く触れるようになっていって

でも結局そのようなアプローチをしても
根深すぎる思い癖や思考の癖とかに対して
有効ではない場合も多くて
憑依霊をとってもとっても
またくっつけてしまう人は減らなくて

本人が変わってくれないことには
どうにも解決しないことが多くて
依存させているみたいでイヤで
そこでまた行き詰まってしまった頃

必要ないと思ってたレイキティーチャーも取って
アチューンメントで他人の波動を上げることをし始めて
ヒーリングのテクニックと同時に
霊的真理(この世の摂理と運命のしくみ)を
教えることになって

まずは対処法としての「スキル」と
「霊的知識」を持ってもらうことで
人生の迷路にはまってしまう人に
負のパターンを繰り返す人に
自分で人生を創造している現実を
変えてもらうことを考えたんだけど

そうした秘教的な知識を教えても
性格や心の問題っていうのは
これは本当にどうしようもなくて
当人がその意識を持たないことには

…というドグマにはまってしまったのでした

そして今回
あるプログラムのトレーニングにトライしてみて
「セルフイメージ」を変えるっていう
たった一つのことが「心の反応」「心の在り方」
を変えるのにとても有益で実があるなと
そういう経験をしたのでした

まあどんなことかって
とにかく入口としては脳へのアプローチね
自分への肯定的な刷り込みです
善き事の洗脳 自分をひたすら洗脳する
これって考えてみれば
エドガー・ケイシーも薦めてたんだった

入口は脳をだまくらかすことで
潜在意識へのアプローチなんだけど
考え方の癖や思い癖を知って
不足思考を手放して十分思考に変えるという
思考の方向性と心の在り方を変えるやり方で
結果的にはポジティブエレメンタルを大量生産して
ネガティブエレメンタルのミイラ化を促す
最適な方法だったりします


これまで学んできたり習得したスキルとは
また別のアプローチの仕方で
それらの代替にはならないけど
これまでの方法で不足していた盲点だった部分を
埋め合わせることの出来る良いやり方でした

それを学べたことはとても良かったし
必然的に出会えたプログラムでした
(壁にぶち当たって悩んでいたからこそ
求めていたものに辿り着いたわけですけどもね)

もちろんすべての人に有効というわけではないし
完璧な方法ということもないと思います
色々組み合わせてみるといいなって感じで

はい 
エネルギーワーク(エネルギーフィールドに対する対処法)
例えば私ならば過去生のエネルギーの解放である
過去生ヒーリングやチャクラヒーリングと並行して
同時進行で行っていけば
セルフイメージを高めるアプローチとしての
このようなセルフセラピーワークに
自ら取り組んでもらうことをすると
より一層の効果が期待されて
スピーディに結果に繋げることが出来るのだろうなと
思ったのでした


そしてこれからも学ぶことはたくさんあるし
実用的で有益な方法を見つけたら
学んでみたいなって思いました

そうですね
今はまだ学びの途中で私自身がお試し中ですから
そのうちこれを取り入れたセッションメニューも
作ろうかなどと考えていたりします

さてどうなることやら

2020/01/27

潜在意識へのアプローチとエレメンタルの書き換え①

自分が被験者の立場で色々と試みてみることは
何にしてもとても貴重な体験であり
有用な実験的データでもあり

知識と実体験が融合するということは
クライアントに対してナビゲーターである第三者が
それを試す対象者としての被験者すなわち
クライアントの置かれた立場を理解した上で
自らの体験と結果から得た効果的な手法を
現場において用いることが出来るということです



ちょっと回りくどい言い方ですね




話代わって

私事ですし今更ですが
つくづく自分はこの仕事をするための人生を
選んで生まれてきたのだと思います
ある意味では
過去の人生で疑問に思ったこと(人生への問い)を
その立場になることで自らの体験を通して
知るという人生でもあるわけですが

今の人生を通して経験したことはすべて
今の仕事のためには必要だったのだと本当に改めて

最近ちょっと遅まきながら
潜在意識に対してアプローチする方法や
セルフイメージを高めるレッスンを
あるプログラムを受けることで
トレーニングしていたりしました
それ以外にも自分への洗脳(よい意味での)も継続中
実質的には去年の夏くらいから
少しずつ段階的にトライしていました

刷り込みというのは本当に怖いものです

このblogでは匂わせ程度で
あまり詳しいところまで
書いてはいなかったように思うのですが
少し触れておきます

生家に問題があって機能不全家族に育ち
父親がシスコンでマザコンの実家大好き人間
経済DV野郎で俺様気質ってことは書きましたっけね

そういう劣悪な状況での夫婦生活でしたから
母親は心を病んでしまったわけです
姉が生まれて兄が死んだあと母は自殺未遂を図ったり
とうとう離婚を決意して家出したのですが
私を妊娠しているのが分かって結局もと鞘に
中卒で学も資格も技術もない子供抱えた田舎者が
一人で生きていけるほど昭和の時代は甘くなかった
(精神的に参っていたので
 中絶できない時期まで気付けなかったそうです)

とはいうものの
もと鞘に戻ったからといって
何かが変わるわけではありません
相変わらずの日常

てなわけで母は私のことを愛せなかったのです

せっかく離婚しようと決意したのに
私がお腹にいたから離婚できなくなっちゃったから

そんなこんなで物心ついてから
私は母から虐待を受けることになりました
母にとって私は諸悪の権化だったのですね

殴る蹴るご飯抜き水風呂攻め熱湯攻め
そして言葉の暴力と家畜扱い
姉も母に便乗して妹の私を下僕にするし
父は見てみぬふり
幼稚園児の年長さんくらいから
家事はあらかたさせられてましたよ

詳しく書いてたらキリがないのでアレですが
着ているものは下着までもお下がりで
高校生になりアルバイトして自分で買えるまで
冬のコートとか無かったし
持ち物はぜんぶ姉の使い古し
愛犬は親に殺されちゃいましたし
持ち物捨てられる燃やされるも日常茶飯事で
色々あったベリーハードな幼少期

家を出るまでの約20年間
褒められたり肯定されたことはもちないわけで
とにかく自分を否定される言葉しか
聞いたことはないです

「生まれてきてすみません」
て言葉が考えるよりも先にすぐに出てきて
「死」に恋焦がれるほどには
劣等感と厭世観と憎しみと怒りの刷り込みの日々

家を出てからも
呪いの言葉からの呪縛はなかなか解けなかったです
フラッシュバックに苦しめられる日々で
でも私の人格形成に影を落としていた部分というか
心と性格の歪みの原因なんで
何とかしないとってずっとあがいていたんですね

真面目に取り組んだのは30代過ぎてから
20年はかかりました
それでまあ だいぶ抜けたかなー
怒りも解放できたかなー
でもまだあるなー 出てくるなー
と時間かけて対処してきましたか
(否応なく向きあわされてきた)

それでもまだ完全ではないなあ…と
うすうす気づいているというか
何処かでは解っていたのでしょう

で今回
ちょっと私の人生にとって
一番の障害とも言えるとある問題について
もうちょっと真剣に取り組もうと思ったわけです

さんざん自分のスキルで取り組んでみたものの
どうにもこうにも解決しなかった部分

霊的な知識の考え方からは
マイナス思考から出来てしまった
エレメンタルの書き換えが必要なのは
否が応でも頭では理解できているんです
けれどもどうにも上手くいかない創れない

そんな時にとあるメソッド
潜在意識にアプローチするワークを
トレーニングとして初めて
セルフイメージの問題が大きかったな
それが背景にあったから
ポジティブエレメンタルの創造とか
ネガティブエレメンタルのミイラ化が
上手くいかなかったんだ!って
ところに辿り着けたのです

そりゃあそーだよなーって思いました
20年間近く毎日 呪いの言葉を刷り込まれて
毒を体内に蓄積されてきたわけですから
ちょっとやそっとじゃ抜けないです
こんな強力なエレメンタル
一日とか一週間とか一か月やそこいらで
どーにかなるわけないわ

ほんの少しの時間のアファメーションで
対抗できるエレメンタルなんて作れやしません

そういうことにも改めて気付きました

エレメンタルとは戦ってはいけないけど
(勝ち目はないので)
これほどに長年に渡って創られて
力を蓄えて性格の根源に居座っている
強力なエレメンタルに対しては
戦いを放棄して無視するだけではダメで
しつこいくらいに
ポジティブな言葉や思考の刷り込みを
脳がショートして拒否反応を起こすくらいには
根気よくやりまくらないといけないんだなってハイ
うん これでもかってくらいに
しつこく粘り強く集中砲火のごとく
ひたすら朝から晩まで寝てる間にも
それをし続ける必要があります
(人や程度にもよると思いますが)

ようするに
エレメンタルを創るっていう目線ではなくて
潜在意識に変化を起こすという角度から
セルフイメージを引き上げて
思い癖や考えの癖を矯正していくっていう
そういうやり方の方がたやすいわって
今回自分を被験者にして体験してみて
痛感させられました

でも実際はそれだけではダメなんですけどね

そして私の場合は幸いなことに
性的暴力とかの伴わない虐待経験で
監禁やネグレクトとも違っていて
虐待の中でも全然マシなほうだったと思います

(外部(幼馴染や友人)との接触があったし
救いはありました
だからといって周囲が助けてくれたわけではないですが
当時は悪さをした子供を木に縛りつける親とか
それは普通の躾の範疇で当たり前だったし 
子供に対する折檻と言われて片付けられて
境界線も曖昧だったのです
大人は頼りにならない信用できないってのは
子供心に嫌というほど刻まれていましたし)


私よりもっと重篤な人の場合
自力で克服するなんて無理だと思うのです

もっともっとたくさんの年月がいるだろうし
専門家の本格的な治療と周囲の理解が必要でしょう
本人の努力だけで
対処し克服できる問題ではないと思います



でもその渦中にいた当時はともかくとして
今となっては今生においてこのような経験をしたことは
とても貴重な財産だと思っています
もう一度同じ経験をしたいかと言われればNoだけど

こういった幼少期の経験があり
毒親や長男教な毒親戚を持ったからこそ
色々と解ることもあるわけです

同じように毒親を持つ人の気持ちとか
複雑な家庭環境や身内との間に
確執や問題を抱えている人の心境とか
虐待やDVの被害者とか
フラッシュバッグやPTSDの後遺症で苦しむ人の
周囲に理解されないあれやこれやとか

斜め横に醒めた目で物事や他人を見る癖があり
20代の若い時から占い師という職に就いて
自分より倍以上の年齢の人に対して
あれやこれやエラソーな講釈を垂れたり
人生相談をすることが出来ていたのも
(他人の不幸話に動じない神経があるという意味で)
こういう体験が土壌にあってのことです

あと今の仕事で他人の過去生において
むごい殺され方をした映像とか
様々な人間ドラマの醜悪なドロドロや
残酷な現実に対して感情移入しないで
冷静かつ客観的にいられるのも
今の人生のお陰なんですよ

蝶よ花よと愛でられて
何不自由なく親に愛されて育った
箱入り娘とか幸福な幼少期を過ごしていたなら
たぶん人間の深いところの秘密や
時に過去の悪行三昧の罪深さを知る仕事は
出来なかったでしょう

人の欲って本当に醜悪だし怖いものですよ
人は利己的な欲のためなら
悪魔よりも残酷に生きられますからね
心がおキレイな人には
注視に耐えられない世界ですもの

それは私のサイキカルな素養とは
まったく別の資質でスキルなんですね

確かに過去生でも
ベリーハードな経験はそれなりにしていますが
それはやはり今生とは違って
記憶に埋もれた遠い過去の出来事です
今の人生での経験に勝るものはありません

心に傷と闇を抱えることになってしまったお陰で
プライベートな人生では人間関係を構築するのに
様々な弊害が出ているのが玉に瑕だけれども
今の仕事をする上ではとても役に立つ経験であり
欠かせない私自身の一部分であり
必要だった人生の時間です

こうした面を癒す過程において
知ることや身に着けるスキルも含めてすべて

また家事能力も徹底的に叩き込まれましたし
(裁縫だけはどうにも素養無しでダメだったけど)
誰にも頼らないで一人で生きる基盤を作れた
という意味では生きる上での収穫はあり
プラスに働いたこともたくさんあるのです 

そしてちょっと長くなっちゃったので
2分割します

2020/01/25

無駄金と自己投資の境界線



さて
Yahoo!の記事で下記のようなものを見つけました
そのうち無くなってしまうかもですので
今のうちですね(リンク消えてたらゴメンナサイ)

「気がつくと、占いセミナーに30万円…
 私がスピリチュアルに浸るまで
 「批判」だけで終わらせない付き合い方」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200123-00000001-withnews-soci&p=2

こちらのblogを読んでくれる人にも
興味深い内容なのではと思います


そうですね

占い業界もスピリチュアルサービス業界も
闇がありますよ
どんな業界・企業でもそうですが
まっとうなお商売をしているところばかりではないです

逆を言えば
あくどい汚いことをしているのは
新興宗教や占い業界やスピリチュアル業界
だけではないっていうのが真実です

官公庁だって行政だって政治だって
医療業界も教育現場も各種メディアも
CMばんばん流している大手企業も
IT産業もNPONGOや赤○字や國連や○ニセフ
スポーツ業界やエンターティメント業界
趣味の習い事と言われる世界でも
縛りがあるっていうのかな 
辞めたいと言い出せない状況に義理で縛り付けて
長年通い続けさせてやれなんだかんだと
追加料金を毎年加算されて結構な出費になるってのは
よく聞く話ですし

そんな風に
あらゆるところになんかしらのひずみがあります
健全で誠実なお商売や仕事をしているところの方が
世の中少ないんじゃね?というくらいには

正直者がバカを見るっていう図式
この令和の時代にもまだあるし

(でもその話はさておいて)


で、業界に属している側なので
そういうやり方って酷くね?って
やり方をしている人たちの話は
個人レベルでも団体レベルでも
まあまあ耳に入ってきます

被害者から相談を受けることもありますし

チャネリングとかのセミナーに出た人や
個人セッションを受けた人に
「あなたは選ばれた人だ!」みたいにその気にさせて
ヒーリングの学校(ちょっとオカルトより)に通わせて 
どんどんあれもこれもって薦めて
気が付けば200万以上使わされるってとこもあったけど
占いでも何百万

どこも似たり寄ったりなんですよね

そもそもチャネリングとかヒーリングとか
透視リーディングの学校で年間100万とか300万とか
どう考えたっておかしい
国家資格じゃないんだから

そこ通ってそういう能力が得られるって
本気でそう思いんでいる人もどうなの?って思います
「特別な人だ」「仲間だ」「選ばれた人だ」
そういう常套手段にも
どうして引っかかっちゃうかなあ?とも


それを言うならお前のところもお金取るだろ?
と言われてしまうかも知れませんけど
この続きは後に書くとして

ようするに
「お金を払ってそこで何かを学ぶことで
 特別な存在になれる 特殊能力を身に着けられる
 (特別な存在になりたい 特殊能力が欲しい)」
って思う人がいるから
需要と供給がマッチングしていて
こういうビジネスが成り立っているんだろうなって
痛感させられます

そこにつけ込んでいるビジネスだから

そもそも 
占いは学問だし技術でもあるから
習うことに意味はあるし
お金払って学んだほうがいい知識ではあります

ヒーリングもスピリチュアルな知識も
学ぶ知識と目的を考えて選びさえすれば
ためになるものです

ただ占いもそうですが
習っただけでその道のプロ
職業とすることは出来ません
素養というものもバカに出来ませんから

で習うにしても
金額の限度というのがあると思うのです
高ければいいというものではないし
安いからダメというものでもない

その知識を得る目的とその動機を鑑みた上で
自分に投資する金額として見合ったものであるか否か
ではないかと思うのです

自分でその知識や技術に費やしたいと思う
金銭的上限や時間(ライフバランスでの比重)を決めて
自らの価値観を持ってライン引きをして
限度額を考えるべきかと

まあそれが出来ないから
ずるずると相手の思惑通り
いいカモになっちゃうというか
相手のATM化にされてしまうのでしょう

困ったもんだ







じゃあ お前のところは健全かつ誠実な商売しているのかよ
あくどくお客さんをカモ化して
あれこれ薦めて暴利を貪っているんじゃないのか?
と問われたとき 

完全否定することは出来ません

私がそういうやり方をしてはいないと否定しても
それはお客さんが決めることだからです
お客さんの方でカモにされた!
こちらのサロンでたくさんお金を使ってしまった!
たくさんのお金を使って色々と受けたのに
何も解決しなかった! ムダ金だった!

そう思っていたらそれがその人の真実だからです


基本的には
最初に来てくれた人に次のセッションの予約を
せっついたりはしません
こちらからセッションの継続は促してはいず
お客さんの自主性にお任せしています

自分にはどのメニューが必要ですか?とか
聞かれたらば答えていますが
ガンガンとした勧誘はしていないです

ヒーリングレッスンとしての
レイキやカルナ等のアチューンメントは
申し込まれたらそのまま受け入れている感じです

セッションの話の流れで
相手の希望とかを聞いたり
何回も受けてくれたりしている人で
必要があるのでは?と思った人に
「受けてみることを考えてみたら?」と
言うことはありますが強引な勧誘はしていないつもり

セミナーとかワークショップとか
ここのところは開催していませんが
予定があったときに声掛けとか宣伝はします

継続的なレッスンとかでも
途中脱落に関しては「去る者追わず」です
※キャンセルの規定通り


ただ そうですね

以前はスクールをやっていました
今はもう3年前に辞めてしまっています
その時はちょっと事情が違いました

当初はレイキとかを
うちで習ってくれた人からのリクエストで
それ以上の知識とか
スピリチュアルな知識(心霊科学の)を
もっと知りたい教えて欲しいと
そういう要望があったので始めたのですが

途中で方向転換したのです
ヒーリングスクールと称していたものの
レッスン内容と形を変えて
スピリチュアリズム基礎講座というのになって
次はそれらを習ってくれた人のための
グループレッスンを開催するようになりました

こっちは人間塾みたいなもので
個々の個人として抱える問題を解決するための
それぞれの痛いところと向き合って
エゴイズムを克服するための
人生学校みたいなものでした
(結果的に大部分のエゴイズムを
増長させちゃった人を脱落させちゃったんですけどね)

そうですね言葉を変えると
スピリチュアルコーチングみたいな感じだったかも

私自身にとっては良い学びであり
痛い経験にはなりましたけど
(その教訓があっての今なんで)


この最初のヒーリングスクールにしても
スピリチュアリズム基礎講座もグループレッスンも
受講して下さった方の目的や動機は様々だったと思います

中には
ふわふわキラキラうきうきスピリチュアルを
期待していた人もいましたし(期待外れでスマソ)
特別な人と言われる自分になりたい特殊能力を磨きたい
なんて願望を持っている人もいましたし
スピリチュアルな現実離れした話が出来る人たち
と繋がっていたい

なんて人もいたと思います

真面目に自分の問題に取り組みたい
今の自分を変えたい変わりたい
人生のパターンを変えたい
ちゃんとした霊的な知識を知りたい

という人ももちろんいましたが

ここに通えば
先生である私みたいに
サイキカルな能力が芽生えて
何か出来る人になれる…
なんて人もいたことは否めません

教えてください習いたいという人を
拒む理由はありませんでした


ですが長く通ってくれた人で
あのメニューもこのメニューも受けたいと
自ら望んで受講してくれたものの
最終的にそれが何年間もとなると
それは確かに安い金額ではないので

学ぶことの目的を見失ったり
好奇心や情熱が醒めたり 
関心が離れてしまった人の中には

「こんなにたくさんのお金を使ってしまった!」
と後で後悔して

うちのセッションを受けてくれたり
アチューンメントを受けてくれたり
私塾に投資したトータルの金額のことを

「無駄金だった!!
 もっと他のことに使えばよかった!」

と思っている人もいるかも知れません
それは否定できません

私からすると
その人が自分の問題を解決しようと
向き合った時間は
これからの人生においても
決して無駄な時間ではないと思うのですが

霊的知識を教えるようになったのも
物事の因果関係とかエレメンタルのこととか
自分の人生がどのように作られているのか
知って欲しいというのも勿論ベースにあったけど
ちゃんとした知識を身に着けることで
ニセモノの知識や霊感商法に騙されない
インチキな霊能者や新興宗教に騙されない
そうしたものを見抜けるようになって欲しいって
他力本願で依存的な考えから脱出して
自分の人生に責任を持って生きられるように
そうなって欲しいから…ではありましたし
そのような内容をお教えしているつもりですが


通うことだけに満足して理解しようともせず
左耳から右耳にスルーしていたり
たくさん渡した資料やテキストを見返しもせず
いつしか飽きたからと言って捨ててしまうならば
それこそ自分自身で無駄金にしているな~
とははたで見ていて思います


結局のところ
お金の価値は当人が決めることですから

それに形のないサービス
科学的根拠のないことに対して
価値や意味を見いだせない人たちからしたら
それがあくどいやり方をしている人たちにしても
誠実でまっとうなやり方をしている人にしても

私のようなサービスを提供している人間は
人の弱みにつけこんだインチキな仕事とか
世の中の役に立たない無駄な仕事とか
ペテン師で詐欺師だって思うのでしょうし
そう非難されちゃうのは仕方ないでしょう


私自身はというと
この仕事は個人の状態をよくするための仕事で
社会の波動をよくする仕事でもあり
十分役に立てていると自負はしていますけども

でも
私に騙された! お金をぼられた!
悪徳だ!って思っている人がいるとしたら
残念ですがそれがその人の真実なんです

こういうのは個人の価値観の問題ですから
仕方ないですね







新年に入ってから
ほとんどblogを書けていなかったので
ぼちぼち書き始めることにします

以前のように特定のクライアントさんの
セッションの様子や過程
一人の人間の魂のルーツとカルマのレッスンの話を
物語仕立てにしてケースファイル(事例)として
書くことはもう辞めていますし
過去にこちらのblogに書いてきた記事の中に
自分自身のエゴイズムを見つけては辟易し
こんな波動の低い文章をネットにさらし続けることは
自分自身の恥だなあと思い悩むことも時折ありますし
他人の個人情報を書いているということや
他人を批評批判しているだけではという葛藤も
相変わらずないわけではないのですが

霊的な知識や体験をそれを必要としている人に
役立てる話があるかも知れないからシェアするという
公開目的がある以上は過去記事も消去しないで
生ある限りこのblogを続けていくとは思います

2020/01/24

病気は意識が認めたくなかったものが身体化したもの




いつも外的に活動しているあなたの魂に
病気というものが否応なくもたらす、
静かな時間や自分を省みる時間には多くの収穫がある。

そうした時間は、
物質的存在の土くれの中に霊の風を吹き込んで、
土でできた肉体を黄金に変える錬金術のために使われる。

病気は、魂からのメッセージであり、教えである。

そしてレッスンを学び終えた後には、
病気はもう存在しなくなる。

病気とは魂の混乱が物理的に外に現れたものであり、
それが意識にとって明確に解るようになったものである。
病気のすべての部分があなたである。

だから、あなたの身体に聞きなさい。
身体はなんと言っているだろうか。

身体のその部分になってみるとよい。
抵抗しているその部分の声が聴けたなら、
成熟した心はこう言うだろう。

「他のやり方を探そう」と。

その点であなたは文字通り
自分の中の異常なエネルギーを、

それが精神的なものであれ、
肉体的、感情的なものであれ、
それを抱擁し、ただ受け入れることによって、
そのエネルギーを一掃し、取り除くことを始める。

そうして後、変容が始まる。

苦痛はあなたが学ぶ用意が出来たときに
あなたに話しかけるだろう。

感情的な苦痛は何かを告げている。
肉体的な苦痛はまた別のことを告げる。

このように肉体のその場所は非常に雄弁である。

人生におけるどのようなことにも、
偶然に起きるものはない。

苦しんでいるときに
この言葉を聞くのは辛いことだと解っているが、
真理は真理である。

あなた方は正当で整合性のある宇宙に生きている。
それを忘れず肝に銘じなさい。

病気は、まず最初は霊的必要性から、
また感情の混乱から、あるいは心の不自然さから、
最初に非物理的次元に存在し始める。
最初から物理的であることはない。

肉体は反応器であり、肉体はストレスに対して振動する。
肉体は内的な混乱が外に現れたものである。
肉体がトラウマの大洪水に打ちひしがれて
ギュッと収縮すると、
体のある部分に対してエネルギーが行かなくなる。

このように物理的な現象がセットされる。
それがあなた方の現実では体の不調として現れる。
病気は表面的な症状によって分類されているが、
原因は全く違う。

つまり同じ病気が二つの全く異なる理由で、
二人の違う人間に表れることもある。
それは個々の肉体が
統合されていない部分を外に表してみせるやり方である。

カルマとストレスは同じものである。
それはこの人生において、あなたの魂の設計図に従って、
自分自身の葛藤の領域に不調をもたらすやり方である。

それはカルマと言えないことはないが、
カルマとは物事をはっきりさせるというよりは
むしろ多くの幻想を産む言葉である。

何が病気を引き起こしたかという
その真実が理解できた時には、癒しは瞬時に起こる。

なので、病気とは例外なく
意識が認めたくなかったものを身体化して現すものである。
生きる力や魂の意識が肉体を流れているので、
その生命の力に抵抗して肉体の部位が魂の必要性に応じて、
人生のある時点で不調を起こす。

どのような否定であれ、それはいつか必ず肉体に表れる。
それも人が躯体を持っている理由の一つである。

このようにして人は、精神レベルでも感情レベルでも、
自分が見たくないものと向き合うことになる。

病んでいる肉体は
あなたの敵ではなく、忠実な友である。

それは魂によってプログラムされ、
正確な時に正確な方法で反応することになっている。

だから、肉体の声に耳を傾けなさい。

故に問題は病気そのものにあるのではなく、
あなたの意識という心にこそあるのだ。

by エマヌエルのメッセージ






エドガー・ケイシーのリーディングにも
心と身体、生き方の姿勢
それらと病気の関係について
多く書かれたものがあり
過去のblogでも数か所引用しています


私はヒーラーでもありますが
フィジカルリーディング(メディカルビューイング)を
メインメニューの看板に出しているわけではないので
「私の病気の原因はなんですか?」
といった相談を受ける機会はあまりないです

ヘルスケアとして
ボディヒーリングのメニューはあるんですけれど
うちにいらっしゃるお客さんは
アチューンメント希望者や
悩み相談のほうが圧倒的に多いから
こちらの需要も少ないですね

でも、鬱病の方は結構お見えになります
スピリチュアルなサービスを提供している人の中には
トラブル防止のために
心療内科に通われているお客さんを
お断りしているところが多いので
うちのようなところは珍しいかも知れません

まあ鬱病の原因に
霊的な事象(存在)の影響がある場合とか
潜在意識の中に過去生で生じた
PTSD的なトラウマがある場合は
力になれますので

でもカルマ的なもの
当人の性格的な問題から来る
学びのレッスンとしての鬱病の人は
私ではどうにも
力にはなってさしあげられない場合の方が多いです

何故ってそのような事由で鬱病を発症している人は
自分の根底にある問題と
向き合いたくない人が多いので(逃避による鬱病)
問題の指摘をすると症状の悪化につながるので
とことん学びの中にどっぷりはまってもらうしか
どうしようもないというのがあります

これはホントに専門医の先生にお任せですね

現実が受け入れられない
プライドが高く
今の自分の状態を受け入れられない
出来ない自分を認められない
自分を変えたくない
今のままでいたいetc

色んなことの言い訳に
自分に都合の良い病気が欲しいわけで
それが"鬱病"を創り出していたりもする


占いにいらっしゃるお客さんにしても
スピリチュアルサービスを利用するお客さんにしても

心に問題を抱えたお客さんは昔から
必ず一定数はいて 減る傾向はありません

依存心の強い人の中にはボーダーも含まれているし
自己愛性人格障害とか演技性パーソナリティ障害とか
統合失調症とか被害妄想とか

こちらも知識を学んで
必然的に対処法を身に着けることを
求められる体験(修羅場)を積むことにもなりますね

鬱病と同じで
こうした症状の原因が霊的な問題(憑依とか)
過去生の人格の顕現だったりとか
チャクラとかエネルギーフィールドの問題とか
そうしたことが背景にあり
当人が自分の問題を解決することに
積極的であれば相談になれますけど
当人にその意思(意識)がないのでは
私にはお手上げでしてあげられることはなかったりします

現実問題としてそこまでの力量はないというのかな
私には手に余ることではあるのです





さてメンタル疾患のことではなく
肉体に表れた症状としての病気

そうしたフィジカルリーディングは
私にもできます

ただやっぱりSkype(ビデオ通話)では
直接的でないので厳しいなあというのが実感

そういう場合は
エネルギーリーディングではなくて
タロットを使っての占いの方が
逆にちゃんと読めるのかなあって反省しています

身体は実に多くの情報を持っていて
内部に色んなことをため込んでいるもので

正当な医学は勉強していないけど
ハーブ医学とメディカルハーブは勉強しまして
アロマテラピーとかもなんですけど
民間療法と家庭の医学の範疇ですけども
アロマテラピーのボディトリートメントとか
またやってみたいなあとか
せっかく学んだそっちの知識も
生かしていきたいなあと思ったりする今日この頃

その人の魂の声からの情報をキャッチして
普段はセッションやってますけど
身体の声を聴くことも好きなんだよなあ…と
身体に貯めこまれた
「出してくれっ!」っていう
ネガティブなエネルギーの叫びを聞いて
ふとそう思ったりするのでした

でもボディトリートメントは
体力使うのでインドア引きこもりなBBAには
今さらキツイかなあ

そっちはもっと
専門家つーか他人に任せたほうが無難か


そんな私は色々とデトックス中です


2020/01/08

適材適所

新年明けちゃっています

気が付いたら7日 
(七草がゆは食べていません)

書くときは続けて書き
更新が止まってしまうと
数か月も放置してしまう当blogですが

継続して発信するのが大事と思い
これからも続けていきますので
本年もよろしくお願いします





さて先日から
ネットでIQテストなどをいくつか受けてみました

平均するとだいたい上記の数値

まあネットで出来るテストですから
その信ぴょう性は疑わしいですが
何個か受けて大体このラインなので
その位って思っててもいいのかも

50代半ばでコレはまあ喜んでいいのかな
眉唾モノにしても
上記のように褒められると嬉しいものです
(褒められることって日頃ないから)

ちなみにダヴィンチやアインシュタインは約180
ゲーテは約200 モーツァルトは約150だそう
キュリー夫人が170位
ムツゴロウさんも多分170以上じゃないかな
天才って言われるのは150以上が目安で
超天才は170以上ではないかと思われ

私の好きなジュディ・フォスターは132だそうなので
同じくらいでなんか嬉しい(だが先方はエール大学卒)


とはいうものの
仮にこの数値が本当の私のIQと近かったとしても
私は"頭がいい"人ではないし勉強も出来ない人です
学歴はまったくありません

ていうかちゃんと勉強したのは小学校まで
中学は校内暴力の時代で荒れていましたから
ほとんど授業とかちゃんと受けてないです
(窓ガラス割れてビュービュー体罰上等
クラス全員で授業ボイコットは当たり前
環境も環境でしたが私も不真面目でした)

高校は行ったけどバイト三昧の日々だし
バイト後は飲み歩いていたから(ヲイ)
授業中は寝に行っていたようなものです

当然ながら大学は行っていません
(父は経済DV野郎だったし
私と姉のための教育費・学費を母が
従姉妹たちに投資してしまったというのもあり)


だから頭はバカですよ

本だけはたくさん読んだ人ですが
成績が良かったのは図工と音楽だけですね
国語と社会と理科は好きだったけど
古文とか地理とか好きではなかったですし
数学と物理は滅茶苦手だし
英語もまったくダメっす

お金もらって暗算でお釣り計算とかはできるけど
経理とか税率計算とかもう苦手中の苦手
(帳簿付けと確定申告は地獄の苦しみ)

ただパズルは得意ですね
並んだ数字の規則性を見つけるのとか
図形の形が並んだのとか
その手の海外のダウンロードゲームの中にある
頭の体操的なミニゲームはわりと得意だし
推理ものも得意 雑学を調べるのも好き
興味の対象が広いって程度ですけれども

だから自分は単なる右脳タイプだと思っていました
ですがそれとも違う様です


でもそうですね
IQの平均値は100らしいので
もし私の134が本当だとすると
平均よりは少し高いことになりますか

それがどういうことなのか調べてみると
今の世の中では「生きづらい人」っていうのが結論
あと130以上からだと
他の人と世界の見え方とか物の理解の仕方
物の覚え方がまったく違ってきてしまうらしいです
あと脳内の情報処理能力や空間認識能力が違うそうで

つまり見えている世界が違う

150などの超天才肌ではなく
130~140だとせいぜい秀才程度なのですが
周囲と合わず 感性とか会話が噛み合わないとのこと
とくに興味の対象とか会話のテンポとか
目の前の事象や内容を理解するスピードとか
語彙力とか表現する幅とか
そのあたりで周囲とズレを感じるそう

ああ なーる なんかわかる気がする

確かに変わり者とはよく言われますw

正直言って
自分の社会性の無さや組織に適応できないところ
何らかの発達障害とか
自閉症スペクトラムなのかなあ?とか
疑ったこともありました
でも空気はいちおう読めるし他人の話も聞けますし
想像力も共感能力もありますしー
決して社交性や協調性がないわけではなく
意思伝達能力が著しく欠けているわけではないし

人格や性格に難ありなのは周知の事実ですが
性格の問題だけではないような気がしていました

人には視えないものが視えたりする
この霊的素養のせいだけかと思っていたら
どうやらそれだけでなく

根本的に
オーソドックスな世の中の価値観とズレていて
平均的な人々とは「世界の捉え方」が違うって
そういうことから来るものなのでしょうか

ようするに世の中的に
マイノリティな人種ってことなんですかね

優秀な頭脳の持ち主にあらず
アブノーマルなオツムの持ち主って自虐的に言ってみる


そういえば国語の作文では
「中学生がこんな本を読むんじゃありません」
て叱られたものです
(ツルゲーネフくらい小学生でも読むよねー
仮面の告白や痴人の愛や
悪徳の栄えなら叱られるのわかるけど)

あと
某企業において正社員としての入社時
研修時に書かされたレポートでは
松下幸之助を引き合いに出してああだこうだと
出されたテーマに添って書いたと思うのですが
上司からやはり
「視点が変わってるわね、あなた
どう評価したらいいのかわからない」
と言われたことがありましたっけ

だって大学行ってないから
レポートちゅうか論文の書き方知らんし


そういえばその昔に
占星学とか占いとか教えてた頃ですけど
習いに来てくださった
大学院生の方(両親ともに大学教授)が
「アルマさんの教え方っていうか
 授業の進め方って
 大学での講義の教え方ですよ」
って言われたことがあったんですよね

大学に通ったことのない私からすれば
大学の授業って受けたことないし
(まともに勉強したの小学校だけだし)
へぇー!って驚いたものでした

ようするに蓋を返せば
その知識の初心者にとって
とても難しい教え方をしている
(いきなりすぎるというか)
というトホホなことなんですよね

そのことに気付いたのって結構最近です

本を書かせて頂いたときに編集の方からも
「もうちょっと小学生に言い聞かせるみたいに
 わかりやすく噛み砕いて書いてください」
と言われたもので

スピリチュアリズム講座や
ワークショップやセミナーの時でも
テキストの文章表現や説明なんかで
私自身は以前編集さんに
そう指摘されたことを意識して
初心者にもわかりやすく文章を書いたつもりでも
頭の上で「????」
になっちゃっている人もいたりしましたから

あくまで私側のほうで
分かりやすいつもりの文章であって

決して万民にわかりやすい
入門的な文章は書けてないのだろうな…と





さてタイトルの適材適所です

私は子供の頃
ブラックジャックに憧れた背景もあり
医者になりたいと考えたこともありましたが
現実的にはそれは無理なことで
それ以前に医大に受かるような頭脳もなかったのでした

そういった情熱も冷めた頃
私はなぜか普通の平凡なOLに憧れたのですが
組織に適応できないということを
正社員や派遣社員を経験したことによって
嫌というほど思い知らされたのでした
まったく使えないヤツではないにせよ
あまり使えるヤツではないのは事実
(仕事の飲み込み早く覚えるのは早いが
自分ルールで勝手に進めてしまう難あり
なおかつ組織に従順ではなく反抗的)

ていうかー
組織に向いていない私が会社員をすることは
社会の迷惑以外の何物でもなく
はっきりいって役立たずなのです
和を乱す迷惑な人材という意味で

だからと言って
私が今の仕事に向いているのか
というとそれは解りません
大いに役不足であると思います
未熟者な研修医レベル

でも
企業において与えられた役職の責任の名のもとに
ルーティンな仕事にしても創造的な仕事にしても
その中で職務を与えられた私は
決して有能な社員には成り得ません
有益な人財にあらず
損失を与える人害かキチガイになってしまうんですよね

たぶん如何にトレーニングしても無理でしょう
適合できるにはまだまだ何百年もかかりそうです

けれども
スピリチュアルセラピストや占い師としての私は
少なくとも会社員としての私よりは優秀で
社会や人様のお役に立てる人財と成り得るようです

ていうかー
この仕事を通しての方が社会貢献できる

私という人間が社会の役に立てる道って
どうもここしかないんだなーって
今更ながら改めて自覚したのがこの年末年始でした
それはおととしの年末から
じんわりじんわりと考えていて
一年かけてああやっぱりなあとの結論に至り

他人や社会に迷惑をかけず
私という人間の欠点や問題を隠して
資質や個性を使ってなおかつ
持っている才能や長所を最大限生かす道って
社会における自分にとっても世の中にとっても
一番いいポジションてここなんだろーなと

なるべくしてここに流れているんだ
私の人生はすべてこのためにあったんだなと
今更ながら痛感したのが昨年までの流れでした

というわけでこれからはひたすら頑張ります
もちろん人間的な欠点を直すこと
霊性を磨くだけでなく
人としての精進も忘れてはいけません

まだまだ未熟者ですが修練あるのみ

というわけで今年もよろしくお願い致します