2019/08/15

反戦と平和への思い




太平洋戦争が集結して74年目

戦後生まれの戦争を知らない子供たち世代ですが
両親は戦前生まれで空襲を経験していますし
大叔父は広島で被爆しているし
祖父はシベリア抑留者なので
そのような体験を身内からもメディアからも
散々聞かされて育っていますので
先の戦争に対する思いはそれなりにあります

「戦争はよくない」
「日本は無謀なことをした」

戦後のアメリカ先導による
自虐的な刷り込み教育も受けました

でもね
「戦争」はよくないものともちろん思ってはいるし
平和が尊いものであると
戦争はどんな理由であってもよくないものとも
そのようにも実感してはいますが

先の大東亜戦争で日本が100%悪かったとは
思っていない一人でもあったりします

先のこの戦争では戦争という場において
たくさんの蛮行や悪行三昧をした人も多いし
私利私欲から自らの立場を利用した人もいるのは事実

ですが
日本がもともと軍備強化して
アジアの各所に進攻と言う名の派兵をしたのは
西洋諸国の植民地になることを懸念してのことで
そうした魔の手からアジア諸国を解放して
自分たちのアイデンティティを守り
統治権を取り戻そうとした五族共存の精神が
背景にありましたし
日本国の自国と自国民を守ろうという
そうした懸念や考えは戦国時代から
安土桃山と江戸時代にまで遡ることができるんです

キリスト教の迫害とイエスズ会の宣教師追放
その流れでの鎖国
これはみんな深い意味がありました
この時も西洋諸国は
キリスト教の布教とともに(体裁ですね)
アフリカやアジアの植民地化を図っていましたし
(公平な外交でも貿易でもなく)
さらにはたくさんの奴隷貿易も行われていたのです
日本の女性たちも鉄砲を使用するにおいて
欠かせない火薬を手に入れるために
奴隷として火薬1樽に対し何千人単位で
国外に売られていたのですから
(鉄砲本体は日本の技術力でコピー成功となりましたが
火薬だけは輸入するしかなかったので)

こうしたキリスト教国
(カソリックたるイエスズ会)の蛮行から
自国と国民を守ろうとしてのバテレン追放令です
このような事実の前では鎖国もやむなし
(とはいうものの沖縄に対しては
ポルトガルやスペイン、イギリスと
同じような酷いことしたわけですけど)

でも鎖国は黒船来航によって終わった

しかし気がつけばアヘン戦争とかあれやこれや
中国という大国もアジア周辺諸国も
西洋諸国の統治下に入ってしまったわけです

次は日本だ 我々だ
これはヤバイ

と多くの人が思ったわけです

そしてアジア全体で協力して
西洋諸国を追い出そう!
自分たちの国と統治権を取り戻そう!
五族共存だ共闘して立ち上がろう
みたいな・・・

そんな考え、大義名分を振りかざして
大東亜戦争が始まってしまったわけです

歴史というのは勝者の記録なので
日本が負けてしまった以上
敗戦国の日本は「悪」になります

日本はドイツやイタリアと三国同盟を結んでいたので
同じ敗戦国のドイツとよく比較されますけれど

確かに同盟は結んで友好国ではあったけれど
(利用しあっていたというか利害に一致があったので)
そもそも戦争をしかけた理由がまったく違います

日本はアジア全体を侵略して
統一支配しようとしていたわけではなく
それぞれのアジアの国々の人たちに
蜂起して自国の権利を取り戻してもらおうとしていました

そのような大義名分や理念があったからこそ
日本軍人には規律があり他国への尊重がありました
その結果としてお隣の国以外の他のアジアの人々は
(台湾とかインドネシアとかとか)
そのことを深く理解してくれて親日の人々が多いです
(韓国でも戦争体験者の人たちは
そのことを自らの経験から理解してくれていますが
それを口にすると反日の人から叩かれてしまうという悲劇)

もちろんそうではない
爛れて腐敗した考えの軍人も多かったし
勘違いして傍若無人な恥ずかしい行為をした人々もいます
いつのまにか戦争をすることになったきっかけ
最初のポリシーたる大義名分
「アジアの国々で手を取り合って
 西洋諸国の魔の手から自国を解放しよう」
という大望から遠く離れて
他国を支配して自国の優越を誇るべく君臨しようと
侵略としての戦争として殺戮を楽しんでいた人も
軍部の中にはいたようですし


あの戦争は正しかったのか・・・

と言われると
正しかったとは言えないと思うし
けれども間違っていたとも言えないと思ったりします

あの戦争がなければ日本という国は
イギリスやオランダやスペインなど
どこか西洋諸国の植民地になっていたかもしれない

アジアという地域は他国の畑になり下がって
国という形を持つ場所はなくなっていたかもしれない


ではどうすればよかったのか・・・
あの時、日本はどのような道を選ぶべきだったのか

この答えはたぶん一生わからないと思います


でも
21世紀の今の時点で
全世界のすべての国において
他国の植民地になったことのない国が
わずか日本一国だけ
というのは紛れもない事実なのです
(戦後アメリカに統治はされましたし
分割して植民地化される話も出ていたようですが)






それでも戦争は正当化されていいものではなく
大義名分があり正義のための戦争であったとしても
その中で破壊があり非道も生まれ
生命に対する罪が行われるのは事実で

崇高な目的を持って気高い行為をする人ばかりではなく
これ幸いとばかりに己が本能を剥き出しにして
人が人に対して行うもっとも最低なことを好む輩に
格好のステージを与えてしまうことにもなる

自分のために一人殺せば殺人だが
国家のために何千人と殺めれば英雄となるのが戦争

あってはならない悲劇だが
戦争によってしか守れないものもある矛盾
戦争によって行われ、守られる正義など
もはや正義ではないとも言えるのだが


話し合いによって国同士の問題が
解決される見込みのない現代では
戦争のない未来、永続的な和平など
まだまだ楽観的な夢であると言えるので

それほどまでに私たちはまだまだ成長せず
霊的進化のレベルで言えば
動物並みの本能で生きるレベルか
無意識に操られるレベルで止まっている
発展途上の未開人なのだ


本当に人類は何億年何千年と生き
その間にたくさんの文明を誕生させ
歴史を繰り返しながらも
争いを愚かな過ちと学習せず
いつまでも何度でも繰り返す

生まれては死に、死んでは生まれて
たくさんの人生を後悔しながら
怒りや悲しみ、別れの苦しみ
愛する人を失うことの痛みを経験しながら

争うこと殺しあう歴史をやめようとはしない

戦争と人殺しが長く行われなかった文明は
縄文時代(縄文文明)くらいで

早くこの負の歴史が終わることをただただ望むのみ



(ここまで書いてわかった人もいるかと思いますけど
日本が大東亜戦争に至った国のカルマは
鎖国政策に至った経緯の中にあります
このこと、時代の波に合わせて
自らのカルマのレッスンに取り組もうと
転生して取り組んだ人たちもいるわけです

ドイツが戦争に至った国や地域のカルマと
日本という国のカルマとはまた別なんですね
ここではいちいち説明しませんが)





関係ないですが
私は「サイボーグ009」という作品がすごく好きです
最初は白黒のアニメからファンになり原作漫画へと
実はファンクラブに入っていた時期もありましたっっ
なので石森プロに行ったこともあります

石森先生の特撮ものは
仮面ライダー(但しV3まで)やキカイダーや
ゴレンジャーとかの戦隊モノとか好きですし
手塚先生をはじめとして
トキワ荘出身の漫画家さんの
アニメを見て育った世代であります

多国籍なキャラが出てくる作品であるのにも関わらず
世界に誇るジャパニメーションの中で
いまいち人気が出ないのは
キャラクターのステレオタイプ的に描かれた
デフォルメが極端すぎて受け入れられないのかも

でも最近 
こんな感じにキャラが現代風になったものもあるようでして
(見てないけど)
原作ファンからすると違和感ありありですが
世界中の人にこの作品の主題テーマとか良さを
知ってもらうにはいいのかなーとも思ったり





手塚先生の作品は反戦的なテーマのはなくて
人類みな兄弟的なものとか「いのち」の大切さとか
人間そのものの葛藤とか欲望とか村社会の閉鎖性とか
「ひと」に焦点が当てられているものが多かったのですが

石森先生のはたぶん当人の過去生での
恐怖や戦慄体験が影響していたのだろうと思うけど
「戦争」「改造人間(人体実験)」「悪の組織」
「人種問題」「家族を殺される」
なんかが色濃くテーマに出ていましたかね

私が「サイボーグ009」を好きだったのは
戦争と平和そして人種差別というテーマを
扱っていたからだと思います


キャラクターたちの中には
人種差別や偏見など戦争の被害者がいて

主人公のジョーはGHQの兵隊と日本人の混血児で
人種差別に悩む戦争の落とし子でしたし
(戦後の混血児の置かれた立場や問題に関しては
エリザベスサンダースホームの問題などを
ぜひ検索して調べてみて欲しいです)

髪型はモヒカン族なのにアパッチ族の名前なジェロニモは
アメリカの先住民であるのに
侵略者たる子孫の白人たちに差別される立場

ケニア出身のピュンマは奴隷商人に売られ
アルベルトは冷戦下で東西ドイツの壁を越えようとして
恋人を無くした過去を持っていたり

チームの頭脳たるイワンは
マッドサイエンティストで毒親な父親に
虐待とも言える人体実験をされ
母を殺された孤児になるのかな

ベトナム戦争や麻薬カルテルのこと
戦争の仕掛け人たる武器商人とか
当時の世相的テーマがてんこもりです

ただ昔の漫画だし読みにくいかもですね
途中から古代文明とか宇宙人とか出てくるし
少し路線が変わったりして

でも
この作品からはたくさんのことを教えてもらいました
いろんなことを考える機会を与えてもらいましたし
良い意味で影響を与えてくれた作品のひとつです


原作にはない話だけど
一番最初の白黒アニメの「太平洋の亡霊」って話は
ものすごく考えさせられたなあ
もろ昭和っていう作品ですけど
あの時代の作品はドラマなんかでもみんな
あんな感じでした

良い意味でも悪い意味でも
反戦に偏っていたというか
戦争はよくない
日本は悪いことをした国だ
・・・みたいな


戦争はよくない
戦争は正義ではない

けれども

当時、日本という国がした選択は
本当に悪いことだったのか?
日本は本当に悪い国であるのか?

終戦記念日に
一人でも多くの人に考えてもらいたいことでもあります

2019/08/12

動物は子別れ人間は物別れ

子供たちに惜しみない愛情を注いでいた親狐が
まるで縄張りを荒らす敵に攻撃するかのように
手塩にかけた子供たちを巣から
容赦なく追い出すのを見たのは
確か「キタキツネ物語」だったように思う
(映画館で見た。サントラも買った)

ノンフィクションということで
その物語は野生の動物たちのおかれた現実
自然の厳しさと無情さというものを
強烈なインパクトとともに教えてくれた






その道の先輩で
著名な占星術師でオカルティストの某氏は
研究会のようなものを立ち上げては突然に終了させ
また別の場所で似たようなことを始めてはまた壊し
その都度メンバーは入れ代わり立ち代わりというか
残る人もいるし卒業していく人もいる

私自身はご当人とお会いしたことはないのだけれど
友人知人が関わっていたり参加者の中にいたので
聞いたことがあるという程度

そんなんでご当人の考えや詳細は知らないのだけど
なんか分かるような気がする…という話

理想としては
師匠と弟子 先生と生徒みたいな
教える立場と教えを乞う立場であるときに
一生そのよき関係が持続できればよいのだけど
それぞれが対等な立場での集まりとは異なり
カリスマ的な存在に対して
憧憬や崇拝的な気持を抱いているファン心理の人や
依存傾向の強い人が一定数混じっての集まりだと
なんていうか妙な雰囲気が生まれてしまったり
変な方向に流れてしまうことがあるから

なんていうのかしら 
時間が経てば経つほど水は淀んでしまうというか
腐敗したものが涌きやすいというところかも
(マンネリ化とは違うもののよう)

なので
どこかで時期を見てリセットせざるを得ないというか
「はい、ここで終わり!」
としたほうがいい場合もあったりする

そりゃ お商売として考えたとき
長く通い続けて頂いたほうがいいわけですが
生徒(教え子)を一人前にするという観点からは
ある程度の知識を習得してもらったならば
独り立ちして巣立っていって頂く…
というのが望ましいことなんですよね

「いつまでも頼っていないで、
 あとは自分で頑張んなさい
 それだけのことは教えました」

と自立を促すのも師たる先生の仕事

まるで子供を群れや巣から追い出す
野生の動物たちのように




切りたい縁などそうそうないけど
切らなくてはならない縁はそれなりにあります

とかくこのような仕事においては

いつまでもこちらに
寄りかからせておくわけにはいかないし
返る場所 頼る人がいる環境が
本人にとって毒になる場合もある

一定の時期が来て 
学ぶ姿勢に難ありだったり
依存的な関係になりそうだと感じたり
信頼関係が築けていなかったり
あらゆる面で望ましくない影響下にあると判断したなら

手を放して 突き放すべき時もある


まあそれ以前に
「期待外れだった」
「ちょっと違う」
「こんな人から教えを乞うのはゴメンた!
 (教わりたい人間じゃない)」
と学ぶ側がそうした判断で立ち去ることもあるでしょう

でもそれはそれで必然なんです

そういう人は
「教わりたい誰か」
のところに辿り着く旅が必要なんですから
色々と巡り巡る必要があるわけです

反発も反抗も結構
子供にも反抗期があります

そして疑問を持たなければ人は成長しません

与えられた情報を鵜呑みにする人は
それ以上は伸びないんです
自分で考えて感じて行動して
始めて知識というのは身に付くし
智慧になっていきます
人生の糧になってその人の実になるんです

何事も経験しないといけません

そして自分で経験するまでは
どんなことも信じてはいけません

誰々がそういっていたから
先生にそう教えられたから

人の言葉を借りて自分のものとしているうちは
そんな知識は何の役にも立ちません
学んだことにもなりません
それでは言葉を繰り返すオウムと一緒です

疑うことは大事です
猜疑心は捨ててはいけません

「私を信じるな
 私の言うことを信じるな
 私が教える知識は信じても
 私という人間をその知識とイコールと思うな
 私の人間性と教えている内容は別物で
 絶対に一緒のものと考えてはいけない
 だが
 私の事を信頼することができないのであれば
 あなたは何も学ぶことができないだろう」

教えの始めにお伝えしていることです

この矛盾の気付くことが出来る人でないと
知識を本当に理解したことにはならないのです


グループレッスンは集団での学びで
エソテリックな知識や
サイキカルなテクニックを学ぶところではありましたが
人との関わり合いを通じて協調性や社会性
人間関係を一番に学ぶところ
慈悲と慈愛の精神 助け合いと奉仕の精神
仲間意識を超えた共同体意識を育む場所

なぜならスピリチュアリティの基本は人間力で
スピリチュアルな能力を伸ばしたいなら
そしてそのような本当の叡智を身に着けたいなら
人としてのエゴイズムを捨てるための「お試し」
洗礼のような最初の振り分けを
通過儀礼として通り抜けないといけないから

それが白いロープを身にまとう資格


そこに至るまでに
自らのエゴイズムと直面させられて
自滅していく人は数あれど
謙虚に向き合える人は極僅か


その過程で起こってしまう決別は
「巣立ち」という自立であるのか
「絶縁」という物別れであるのか

さてどちらなんでしょう





そうですね
生徒さんにしてもクライアントさんにしても
精神的にも人間的にも健康になって
通院やケアサポートが
不必要な状態になるのか望ましいわけですから
いつまでも通っている状況は望ましくありません

問題が解決したり状況が改善されて
自分で自分のことを解決できるところまで
自分の力を取り戻したならば
あとは何かあったときにという程度で
「便りがないのは元気な証拠」という距離か
ベストだったりします

健康的な利用の仕方ができる人や
依存ではない学び方やメンテナンスであれば
ビジネスとしては拒む理由なく大歓迎ですけど
そうではなく不健康な距離を維持しようとする人には
自立を促すためにも
突き放すことはよくあります(私の場合は)

2019/08/06

神様のマーキングとその土地独特のエレメンタル


昨日は月に一度の女子会でして
(女子といっても40代と50代の集まり)

その時に出た話題をば

まあ、都内でダメな土地とかの話から
海外の恐怖体験とかな話になりまして
(夏らしく納涼話?)

「土地のモノ」の話になりましたので
ついでにこちらでネタにしよう

幽霊の話ではなく…


例えば、沖縄出身者の霊的なトラブルって
本土の人間(霊能者とか呪術者)は
基本として手を出せないんですよ

一言でいうと系統が違うのね

その逆で
ユタさんとかノロさんとかが
本土の人の霊的な問題を解決できないかというと
まったくできないというわけではなく
見極めるのが困難でわからないことの方が多いらしい
(あくまでらしいという話)

たぶん霊的ルーツが異なるといいますか
神様や自然に対する考えとか
死後の世界についての認識の違いなんだと思います
一口に言うと信念体系の相違
知識のバックボーンの違いですかね
死んだあとに形成されている霊的世界が違うので
このあたり言葉で説明するのがとても難しいです

沖縄とか島の人たちって
本土の人間たちが古くから信仰してきた
八百万の神々への信仰とは違うものを持っていますので
つまり神道の信念体系に属していないってこと

八百万の神々たちへの信仰が定着する前は
本土には山岳信仰やまつわろぬ神への
信仰なんかもあったわけですが
あまりにも古いし
そのあとの神道や仏教の歴史が長くなったので
今はもうまぼろしで上書きされてしまったのか
その形跡はたまに見つけられる程度です
(影響はもちろん生きていますけれど)

私は沖縄には行ったことないので
それがどんなものか実際に肌で触れて
体験して感じていないわけですけども

「沖縄出身です」
「沖縄に行ってきました」

みたいな人を深く見ていくとき
明らかに違う"何か"をそこに見ることがあります


それは海外に行って帰ってきた人もそうですね

いちいちそんなアンテナ立ててはいないけど
トラブル的なものやダメージ受けてます等の相談で
チェックしてみると

「なんやこれ?」っていう
独特の形態をした謎なモノを見つけることが時折

日本のモノではないもの

形骸が変わっているというか
見たことのない異形のもの

まあ結局エレメンタルなんですけど

現地のものをお持ち帰りしたって感じですかね

とくにバリっていうのは
他の東南アジアとは系統が違うなーってものが多いです
バリに行ったことのある敏感な人が言うには
(アテクシまだ行ったことありませんっっ)

なんかマーキングみたいなものを
みんなくっつけられるというのかな
とても小さなものでさほど害があるってものではないけど
遠い昔に現地の呪術者たちが
自分たちの祖国を守るために作って(セコム?)
異国からの来訪者に対してソレをした結果かなーと
そういうものがあるのです

日本にまで持ち帰っている人いるのですから
まるでお土産ですよねww

一緒に飛行機乗ってきたんかーいってw


お土産というと
現地のモノの中にはたまーに
危ないものが入っていることがあります
日本で骨とう品とか古道具買うときも同じですけど
ヤバイですってものたまにありますね

とくに人形とか人の形したものは入りやすいですから


そうそう
たまに海外の神様に魅入られてしまう人もいます
宗教や信仰に関する施設や場所って観光地でもあるので
ツアーなんかでも立ち寄ることも多いわけです
好かれる、というのならいいのですが
魅入られるってちょっと怖いことなんです

知らず「契約」成立になってしまうと大変です
こういうのはレアケースなんですが
「お願い」してしまったばかりに
守ってやるよとついてこられたケースもあったりする
神様とは便宜上で呼ぶものの
実際には神様ではなく
そのように作られたものです
(どれもこれも結局エレメンタル)
でも力強いですから 対処は難しい


そうならないためには
必ず日本の神様とのつながりを作っておくことなんですね
普段から氏神様や祖霊神とかご縁のある神様のいる
神社に定期的に詣でている人ならいいんですけど

適当にお正月やイベントや観光
願い事のある時しか行かないような人は弱いかな

出来れば氏神様には定期的に詣でるのがベストなんですけど
せめて海外旅行に行く前にご挨拶に伺って
旅行に行きますのでとこのときばかりは
旅の安全・守護をお頼みして
それで出かけるのがいいかもです

すると
「このものは我が国のもの
 我が氏子で我が守護するもの」
というマーキングがつくので
それが優先順位にもなる
(ちょっと意味不明な説明ですね)

なんていうか
すでに誰かのものですよって話

神様という存在にも縄張りがあるのです

信仰している神様仏様がいる人はそれでいいけど
宗教に入っていない人の場合は
とりあえず自分は
「どこどこの神様の管轄のものだから」
って刻印を押してもらっていると
(いやさ眼には見えませんが<刻印)

その系統以外のものに
魅入られる(目をつけられる)心配が減ります


まあなんていいましょうか
海外には未だ生き残っている邪教的な
古い信仰から作られた「何か」が
たくさんあったりするんで

やたらめったら手を合わせたり
お礼参りもできない場所で願いごとは
するものではないのでした


2019/08/01

学びは一生




長くこの仕事をしていると
マンネリや慣れだけでなく
慢心や驕りといったものも出てくるもので

なので時々
お客さんからの何気ない言葉に
ハッとして反省させられることも多いのです

例えば
レイキのアチューンメントとか
丸一日のレッスンとかの日には
受講生の方とランチをご一緒することになりますが
その時には世間話を多くするもので
あとはお店を決めたりするときに
土日の江戸川橋は
あまりランチをやっているお店がないもので
(神楽坂や早稲田に出ればてんこ盛りですが)
どの店にしようかというときに
眉間に皺が寄ってしまうのです

するとそれを見て恐縮されてしまった
相手方の反応と言葉に
「ああ、私ってそんな顔(表情)をしてしまっているんだ」
と、その方に対してとった態度ではないのに
(心の中で「クソッ!土日は店がないぜっっ!」との呟き有)
その方を恐縮させ不快にさせてしまう態度や表情を
ロコツにしてしまっている自分に気づかされたり

後は
あるお客さん同士知り合いの方に
「〇〇がこの間、真秀さんを
 イライラさせてしまったと言ってました」
と伝えられ
「(え゛え゛え゛)いやいや怒ってなんかなかったし
 イライラしたりもしてなかったですよ?」
なんですけれども

その方にはイライラして眉間ピキッとなり
激おこな私に見えてたってこと??

なので、それはそれで
そういうつもりはないのに
そのような怒りのオーラを感じさせてしまう
自分に対して海より深く反省するのみ


そうですねー
話し方って難しいです
言葉の響き 話し方
伝え方というのですかね
学ばないといけませんね

とはいうのも
先日にコールセンターでの派遣で
一緒だった友人と会ったのですけど
彼女はお客さんを丸め込む?のがうまい人で
ほとんどクレームにならず
お客さんのあしらいがとても上手い人だったんです
私は話が長くなるとお客さんを怒らすことが
けっこー多かったんでっっ
そのあたりの思い出話をしていたなら

「相手に理解してもらおうと一生懸命になると
 自然と早口になって一気にまくしたてちゃうからネ」

と友人が言った言葉にああそうだよなー
それは私の悪い癖だと改めて反省

対面での接客ではありませんが
電話だとそうなってしまうケースがあり

とはいうものの
自宅で1vs1で仕事をしていると
自分のやり方を見直す機会ってそうそうないもの

「私はこのやり方です!」って
開き直っていてはいけないわけです

そして実は先月
新しくオープンする占いのお店に応募して
面談に行ってきたのですね
実際の鑑定のテストを受けたのですが
(道具を使った占いをするのはブランクがあるので
めちゃあがっりまくっていたというのもありますが)
色々と指摘されたことがあったりしました

でもそれはそれで納得もいくところ
まっさらな状態で見て頂けるのはありがたいことです

何しろ過去にお勤めした占いのお店は
スカウトしていただいたり知人の紹介だったりで
面談とかテストとか受けたことなかったので

自分の欠点とか直すべき点とか
色々と知ることができました

そんなわけで
カウンセリングやセラピーの手法にしても
クライアントさんとの接し方も対応も
もちろん施療にしても占いの知識にしても
話し方とか伝え方とかリアクションとかetcetc...
学ばなければいけないことはたくさんあります

今までやれてきたっていう事実に
胡坐をかいてちゃいけないんですよね

自分の何気ない態度や表情
言葉のトーンとか選び方とか
相手にどう伝わるのかどういう印象を与えるのか
「見せ方」とかそういうのも含めて
今一度考えないとなあ…と

ゆっくりと簡潔に丁寧に
気持ちを押し付けることなく
わからせようとするのではなく
きちんと傾聴することから…ですよね

とにかく初心に一度返って
新人になったつもりで頑張ります


追伸
てなわけで来週から週に一回だけ占い師復活します
場所は吉祥寺です
詳細はどこかに書きます(そのうち)

2019/07/31

魂の道しるべ~恐怖という指針



「恐怖体験」というと
トラウマの要因として知られており
重篤になるとPTSDを発症してしまうのですが

時に軽度のトラウマ的出来事が
当人にあることを「知らせて」いたりもします

警告というか「運命の道しるべ」として

もちろんPTSDを発症するほどの体験ではなく
心に強いインパクトを与え
後々まで忘れられないような強い印象と
人生に影響を与える出来事という程度の体験のことです


例えば先日クライアントさんから
子供の頃に芥川龍之介の「六の宮の姫君」を読み
このお話をとても「怖いお話」だと受け取り
この姫のようになってしまったらどうしよう…と
後に尾を引く強い恐れをずっと抱いてしまったと
そう伺ったのです

実はこの恐怖心こそが
この方が今生に生きる上での
「ヒントと警告」だったりするのですね

この「六の宮の姫君」については
過去記事でも引用したことありましたけど

今回のクライアントさんの場合も

「自分からは何もしない
 受け身の人生を送ってはダメだよ

 誰かや何かに依存して生きるのではなく
 そして誰かや周囲や運命のせいにすることもなく

 自分で考えて感じて 
 自分から進んでリアクションを起こして
 その行動に自らが責任を取って

 生きることを積極的にしないとダメだよ」

ということを
過去の人生から得た後悔と反省として 
自らの心に深く刻みこんでいたのです
それはもう戒めのように

なので
「六の宮の姫君」を読んだとき
我が事として
「姫君」の人生に恐れを抱いたのですね
 
再びの人生としてこのような人生を
生きることになったらどうしよう
また同じことを繰り返してしまったらどうしよう

というように


ある意味でこの物語を読むことになったのは
偶然なのかも知れないけれど
(教科書に掲載されていてたまたまかも知れませんが)
必然でもあったのですよね
主旨が同様のお話や類似のテーマを扱ったものも
本以外に映画とか他にあるのかもしれませんが

記憶としては憶えてはいないけれど
自分に必要な「なにか」を思い出させるために
人生の早い段階で選択して「読ませた」
意志の意図がそこには介在しているのです

それは第三者ではなくて
その人自身の本質たる本体
いわゆるホームグラウンド
母体であり故郷として存在する魂のこと

そこにはすべての情報と記録がありますから


そんな風に
人生の早い段階において
心に深く刻まれるようなインパクトある出来事や
強い印象を受けた事象
トラウマになるような恐怖を覚えたこと

それは魂が今生のテーマとかミッションについて
道を示唆するヒントを与えてくれているのです
埋もれている記憶を呼び覚まそうとするかのごとく

「これだよ」
「この中にあなたのとるべき道
 進むべき方向性へのヒントがあるよ」
「このことにあなたの今生のレッスン
 (ノルマやタスク)が隠れているよ」
というような


だから「恐れ」というか恐怖を抱いて
乗り越えられない壁のように感じてしまう
出来事というのは実のところ
それさえ克服して克服してしまえば
これまでの自分の枠を超えて大きく成長できる道で
抵抗するのをやめて降参して
そことさえ向き合うことができれば
生きる上での人としての大きな力も手に入るし
なかなか手に入らない欲しいものも手に入るだろうって
そんなレッスンだったりするのです


だからまあそうですね

人生が思うように上手くいかない人は
子供のころから自分が抱いている「恐怖」
昔から自分が恐れていること…や
これだけはイヤだって思っていることについて
自分が抵抗して目を背けていることが何なのか
一度考えてみるといいと思います

心に強い印象を残した出来事はどんな出来事だったのか
いつまでも忘れられないインパクトのある出来事や
それらについてどんな風に考え感じているのかも併せて
そんなことについて振り返ってみると
見えてくるものが色々とあると思います


極端な話
仏陀(ゴータマ・シッダルダ)が
ヒンズー教の階級制度(カースト)に疑問を持ったり

「私はそれが悩みなんです
 老・病・死、これが解決されなければ
 何のために生まれてきたのかわかりません
 死ぬために生きているようなものです
 これを解決するために、城を出させてください」

と"四門出遊"を悩んだように


「疑問」を抱いたり
心に苦悩をもたらす出来事と事象のすべてに
自分が向き合って追及すべく
その人の課題があるのです

さすれば道は開かれん…と


#魂 #ブループリント #トラウマ体験 #恐怖  

2019/07/29

子殺し間引きイノチの咎

一つの例題について語ると
類似のケースのことを
すべて同様に捉えてしまう人がいるので
決して全員が全員そうではないと
一人ひとり違う理由でそのような状況にあるのだと
与えられた人生は同じものではないのだと
予め断り書きをしておきます



日本の人口は減少に向かっていて少子化は進み
老人と若者の人口比率は理想的な三角形とは程遠く
むしろ逆三角形で若年層への負担は増すばかり
子供が増えても何とかなるといった時代ははるか遠く
たった一人を産み育てるのも大変で
それ相応の覚悟がないと子供を持つことはできない

晩婚化の影響も多少はあろうが
ひと昔前の死語ではあるがディンクスという
子供を持たない選択をする夫婦もいるし
未婚の男女も増え
ワーキングプアが故に結婚も子育てもあきらめる
そういった人々もいる

子供を欲しがっているところには生まれず
望まないものが妊娠し
無責任の結果として闇に葬られる命も減らないし
児童虐待による子殺しもニュースからは無くならない

よき親になりそうな人は不妊で
どうしようもないDQNな放置親のところに
次々とコウノトリが舞い降りたりもする


ほんと世の中ままならない

理不尽で不公平そのものの世の矛盾とも思うが
それも理由があったりする


ある人がいた
漢方の分野で気が付けば不妊治療の専門となっていた
意図してそうなったわけではないが
偶然が重なってその方面の知識を身に着け
導かれていたという流れ

だがそれはその人が過去に犯した罪への
「償い」のひとつの形にしか過ぎない

その昔、戦場を駆け巡って
大量に市民を惨殺し、命乞いをする年寄りや女性
そして年端もいかない子供たちや赤ん坊や妊婦をも
切り捨てて大勢の命を奪ったことの贖い

たくさんの命を奪った罪に対して
命をこの世に産み出す手伝いをしているというだけ

そこには当人の自主的な奉仕精神と
意識的な「反省心」「悔恨の念」は無いが
魂の計画と干渉によって
無意識的に罪の清算をしているという構図

またその人自身の「過ち」だけでなく
家系的に「ご典医」のようなことを代々しており
作為的に命を奪うことを仕事として行っていたが故の
宿業ともいうような咎も重ねて背負っていた

その人が殺めてしまった人の数だけ
不妊治療のクライアントをサポートしたり
出産へと至らせたりする必要があるかというと
数字レベルで同等に語ることではないし
殺した人数分、助ければOKという問題でもない

とはいうものの
その人が過去に奪った命の数はあまりにも多く
殺した数だけ命を救う必要があるというのなら
とても今回の人生だけで贖えるものではないだろう

その仕事を通して悩める人の力になっているからといって
必ずしもその人が人間的に成長できているとは言えないので
人として目覚めて
正しい生き方を歩き始めようと決心しないことには


そのように
「命」を救うという職業に就いている人の中には
「命」に対する罪を負っているが故に
かつての自分の軽率さや過ちを贖うように
その職に就いている人も時々いたりする


上記とは別の人
同様の仕事をしている人で
自らも不妊に悩み
終わりの見えない治療に悩んでいる人がいた

その人自身が不妊に苦しんでいるから
同じ不妊の人のプレッシャーや苦しみ
不妊治療の辛さが理解できるだろうし
気持ちにも寄り添ってあげられるのだろう

…と普通は思うし
実際そうなのだろう

確かにそうした経験が当人には必要だった

子供を授かりたくても授かれない人の痛み
そうした人々と向き合って命の重みを知る経験が


その人はある人生で「堕胎」を請け負っていた
惨いことにそこには「間引き」も含まれる

たくさんの命を
代々受け継いだ知恵を使って闇に葬っていたのだ


避妊具が存在しなかった過去の時代においては
意図的に妊娠を防ぐ手立てはなかったし
望まない妊娠をしたとき
女性たちにはそのような方法しか選択がなかったろう
全員を育て上げることが可能な身分に生まれ
食が豊富な時代であったなら
生まれ来る命の誕生を拒む必要もなかったろう

だが飢餓があり
貧しさ故に産み育てることが不可能ということもあった

そうした女性たちの最後の砦として
堕胎医は必要悪であったのだと思う
そして産婆も親の苦悩や命の尊さを知るが故に
その逆のことも引き受けてきたのだと思う

だがしかし「命」の重さを軽視して
モノとしか見ないものもいたろうし
その職を「金」のなる木としか考えないものもいた

貧しいワケアリの女たちから
乳飲み子を代わりに養育するといって引き取り
その日のうちに土に返しては
定期的に届く預かり料を目当てに
あくどい手口を繰り返すものも

それはそうだ
そんなことをしておいて
わが子をその手に抱けるとは思わないほうがいい
たくさんの子供たちの命
たくさんの母親たちの想いを
踏みにじってお金に換えてきたのだから
たくさんたくさん苦しまなければならないだろう

子供を望む人の助けをしながら
授かった人の喜びを目の当たりにして
笑顔で祝福しおのが手柄のように感謝されつつも
自分は授かることのできない苦痛と葛藤を
その仕事をする限り味わい続けなければいけない

すべての命に対して愛情を注げる日が来るその日まで
他人のところに訪れた小さな命を
心から我がことのように喜べるその日まで
苦悶は続くだろう

ちなみにその人はお客さんではないので
私が彼女にそれを告げる日が来ることはない
他者をして学ばせていただいた人生、教訓のひとつ



重ねて言うが
すべての不妊の女性そして
不妊治療に携わる医療従事者が
上記のような事例と同様の背景を持っているわけではない

あくまでこのような事例の人もいるというだけだ
そのことを勘違いしないで欲しい


日本という国における少子化の問題や
不妊が増えている背景については
環境ホルモンの問題や社会の在り様や男女の働き方
食や生活習慣が大きく変わったことも
原因にあるだろうし
戦時下(空襲)などの極端なストレスにさらされると
妊娠や出産率が左右され低下するという研究結果もある
そういう意味ではストレスの多い日常と社会的な不安が
妊娠率を低くさせている要因のひとつかもしれない

スピリチュアル的なレベルから見たときには
「国」のカルマが大きく関係している
戦前の日本には「生めや増やせや」といった
国策として「人間(命)」を国の資源
すなわち消耗品と見なした大きな業がある
そして戦後に親を奪って孤児にした子供たちに
国として何も救済をしなかった罪もある


不妊に悩む女性ばかりでなく
多く女性にヒーリングとして氣を流すとき
子宮の中にたくさんの哀しみや罪悪感が
詰まっているのをよく見かける

過去生の哀しみ
そこには子流れや流産や死産といった出来事で
生んであげることができなかった子供に対する哀しみ
子供を亡くした哀しみ
産んだ子を取り上げられた哀しみ
出産によって
自らも死んでしまった痛みと苦しみと恐怖

子供を産め…と…跡継ぎである男の子を産めと
プレッシャーをかけられた日々の苦悩と嘆き
子供を産む機械のように
道具として扱われた日々の惨めな記憶
絶え間ない妊娠により出産と妊娠を繰り返して
妊娠することが恐怖になってしまった人生の
辛い日々の記憶等なと…

それは子宮だけでなく
第一チャクラにもたくさんたくさん
当人だけのものではなく母親や祖母
そのまた先祖である代々の女たちが背負ってきた
たくさんのたくさんの苦しみと悲しみと嘆き

悲鳴のようにそれらが折り重なって
妊娠することを拒むかのように
石のようにそれらが子宮内を占拠している
とても固く、重たい、暗いエネルギーの塊として

欲しいと当人は口にしながら
今のその人は望みながら
身体は妊娠することを畏怖し
恐怖の記憶に縛られていたりする

なかには「自分には母親になる資格がない」と
そのような思いに支配されている人もいる



また男女というのは不思議なもので
憎い相手と再びカルマの清算をすべく
出会って惹かれあってしまうことが多々ある

自分を殺してくれた敵や
あれほど酷い目に遭わせてくれた人なのに?
と思うような相手と何故だか縁付いて
結婚している人は少なくないのだ

そうすると
「この人の遺伝子は残したくない」
と抑制が働くのか
不妊ではないのに妊娠しないという人もいる
そして離婚して別の人と結婚した結果
その相手とすぐに子宝に恵まれるということも

なるほど

母、となるべく人たちは
未だに過去の傷に囚われているのだ

そんな風にいろんなことが相まって
今の少子化で高齢化でもあるのだろう
(高齢化も日本の社会のカルマには違いない)

2019/07/22

霊媒体質の弊害 

結局のところ霊媒体質も憑依体質も
根本的なところではあまり変わらないのだが

ようするに
良いものと波長があっているか
悪しきものと波長があっているか
の差でしかなく

悪しき存在と同調しているのが憑依体質で
良き存在と同調しているのが霊媒体質
といったところ

とはいうものの良い存在悪い存在の区別は難しい

霊媒体質であるが故に憑依体質となり
憑依されるというのはよくあることだし
肉体を持たぬ存在たちに身体を狙われたり
様々なものに同調してメンタル面で混乱をきたし
突飛な言動や行動をとってしまうことから
日常生活に支障をきたしていることは多々ある

ただ霊媒体質と憑依体質の違いがあるとするなら
霊媒体質はそのような己が特質を理解して
上手くコントロールすることが出来るもの
憑依体質のものは己が特質を理解してはいず
あるいは理解していたとしても
まったく自分の意志では制御できないもの
という違いになってくるだろう



さて私は霊媒体質であるが故の憑依体質
これは過去生において何回かの人生で
そのような職業に従事していたことから
トレーニングを行ったせいでもあるし
今生に生まれた血筋からの多少の影響はあるかもです

とはいっても祖先は武士(母方)と農民(父方)
私のような職業をしていた人はいないみたい
しいていうなら母方の女性たちほとんどが
その手のものを「視たことがある」人たちだというだけ
気配に敏感でカンが鋭くていわゆる霊感があるってレベル
その程度ですかね

そして母方祖母が憑依体質だったのと
半身不随になってからは(昏睡から目覚めてから)
幽体離脱してあちこち出没し(うちにもよく来た)
死んでからもあちこちに出没(身内も他人も目撃者多数)

この祖母が倒れた時ちょうど夏休みで
ヤバイってんで帰省したのですが
祖母が寝ている部屋に入ったならば
もうこれでもかって狭い部屋にたくさんの霊たちが
ぎゅうぎゅう詰めで大量に…
白目向いて気絶しそうになりました

昔から祖母は無縁仏とか無関係な人の墓とか塚とか
手あたり次第に手を合わせる人だったとのことで

「マジそれが原因だよ!

とはいうものの私にはどうにもできません

「おばあちゃんの上にたくさんの人が乗ってる」

なんて話も誰かに出来る状況でもなく
とりあえず一番近くの神社の神様に
何とかしてもらおう助けてもらおうって
幼心の浅知恵で思いついて毎日通い詰めて
箒と雑巾持ってってお掃除しまくったんですよね
(1か月くらい頑張ったら
昏睡状態から目覚めましたので
多少の効果はあったのか…な?)

まあ話は脱線しましたが
この祖母の気質を一番濃く受け継いでいるのが
たぶん私なんでしょう
(でも顔立ちとアレルギー体質は父方譲りな農民系)

さて前置きはこのくらいにして



他の人の前では決してそんなことにはならないのに
普通に自分でいられるのに

その人の前だと
調子が狂うというか自分を見失うというか
なんでそうなるの?と思うほどに
おかしな発言や行動を取ってしまうことになる

という相手がたまにいたりします

何かしらのスイッチが入ったかのように
言動や行動が暴走するといいますか
奇妙な行動をとってしまうのですね
「キチ」に変化すると言えばその通りで
とにかく私自身が気持ちの悪い人になるんです

メンヘラになったり攻撃的になったり
池沼か!と突っ込みたくなるくらい

そんなときの自分はどこか遠くにいて
そんな自分を「あ~あ!(T-T)」と眺めていたりもする
でもそこはいかにしても制御できない止められない

それは昔から大きな悩みの種でもありましたが
結局は私の霊媒(憑依)体質であるが故の行動で
その人の周囲に溜まっている悪いものやエレメンタル
に同調・呼応してそれらの声を代弁していたり
場合によってはその人に何か言いたい誰かの声を
メッセージとして伝えることをさせられていたり

まぁ、そんなかんなで
「使われる」ことをよくさせられているわけです

仕事でもそれをしているわけですが
プライベートでは止めて欲しいですよね


じゃあ実際「使われる」ことは悪しき行為なのか
低い波動の悪しき存在と同調していることは
その人に対してそれらの「声」を伝えること
その人が創ってきたエレメンタルを読み込んで
具現化させて表現して見せることや
その人に対して様々な人が向けている
様々な恨みつらみの想いや怒りの声を
「言葉」にして伝えることは諸悪の根源なのか
というと

一概にそうとも言えない
カルマっていうのは与えたり与えられるもの
私はその人に対して「痛み」を与える相手としての
役割を演じさせられるということにもなる
その人に対して「悪役」を演じるポジション
良く言えば「教師」とも言える
エレメンタルが具現化して人象化された存在に過ぎず
その人自身が創造したエレメンタルにより
法則で引き寄せられた「悪役」または「教師」

そのような意味で
エレメンタルがレコードだとすると
憑依(霊媒)体質の人間はレコードプレーヤーそのもの
レコードプレーヤーとは古すぎですね
CDやDVDなどの記録媒体を読み込むデバイスみたいな
そういうものとして捉えて頂ければ

ただいつも波長・波動の低い
悪しき存在とばかり同調していると
私そのものも悪い方に引っ張られてしまいます
それはあまり良いことではないです
意識して良いものを見るようにして
波長・波動の高いものと繋がるようにしないとです


昔はこういう状態が理解できなかったから
自分のことを「頭のおかしい人」と思って
思い悩みました
社会生活を送る上での妨げになるから
(人間関係も壊れますし多くの人から嫌われますし)
もちろんスイッチはなるべく入らないほうがいいし
このような体質のせいにせず
ちゃんと自分をコントロールできるようにならないと
というのはあります

ともすれば悪しきものに使われて
人格破綻して精神もモラルも崩壊して
人生詰んでしまうことにもなりかねませんから

だからこそ社会性や常識は大事ですし
人としての精進も霊的な修養も大事で
見えない世界と見える世界
霊的な知恵と現実的な生活の折り合い擦り合わせ
その双方とのバランス
どちらにも偏り過ぎず両方の視点から物事を見ること
そういうのが大事なんですね

自分のことを客観的に見たり
観察者として世の中を見ていくことも含めて
懐疑的な視点と何事も自分自身が経験したこと以外は
信じないというスタンス

まぁ日々起こることすべてが学びの対象です

いつだって発展途上でこれがすべてではないということ
謙虚な姿勢を見失わないようにすること

すごく大切なんですよね


さてさてそんなんで
その人の周囲にあるエレメンタルを読み込む
エレメンタルレコーダーと化した「私」の一面とばかり
出逢ってしまうという人も少なくないでしょう

その人たちにとって私は災厄そのものです
口うるさいことを言ってくるウザイ人ですから
歩く迷惑でありトラウマ級に不快な人物でしょう

そうですね
スイッチ入っている時の私は
トラブルメーカーといった存在で
歌舞伎や能でいうと狂言回し
トランプのジョーカーかトリックスターといった役回り
みんなが見て見ぬふりをしていること
表面取り繕って隠していることを暴きまくる
破壊王ゴジラそのものですw


誰にでもそんなわけではなく
ほとんどの人とは楽しく付き合えてます
余計なお節介も言わずスイッチ入ることもなく…
ですから私の
エレメンタルレコーダー機としての一面に
まったく触れた事のない人や遭遇したことの無い人
スイッチ入ってキチ化している私のことが
想像できないという人もいますね

なのでそうならない相手とは一度もそうはならないし
スイッチが入ることは稀です
仕事以外では

でもどうしてもスイッチが入ってしまうときは
必然なんだろうなってあきらめています


読みたくないけど読まないといけない
誰かが読まないといけない
読み手を待っている情報があって
誘致されてしまったのだから
読まされてしまうときには
それはきっと私を使いたい誰かの意志で
託されているわけだからもう仕方ない
それに私をサポートしてくれている人たちも
それを受け入れて許可しているが故のことだから
誰かが伝えなくてはいけないことなんでしょう

伝えられた情報をどう判断するかはその人次第
それを無視するも受け止めるもその人の裁量

関係性が壊れるならそれはそれまで
それは受け入れるしかないことなのです